Top / 教義的資料  / 日興跡条条事に対しての邪難を破す 


 一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。

について、日亨上人と日淳上人の見解の相違についてを推考する。



日淳上人は以下のように仰せである。

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(※高田聖泉(興尊雪冤録)にある邪難)

「日興跡条々の事」の御文は「日興が身に宛て給はるところの弘安二年の大御本尊は日目に○○○○之を授与す(之れを相伝す本門寺に懸け奉るべし)となつてをり、その○○のところは削つてあり、( )の中は他人の筆である。
此れは後年都合の悪い文字を削り、都合のよい文字を加へたのである。


此れをもつて本門寺の戒壇御本尊といふのは誤りであるは明らかだ」

といふ。

(中略)

▼ 「此の御本尊については、日興上人は何とも仰せられてをらない。
それを後年御譲状に「本門寺に懸け奉るべし」との文字を加入して本門寺の戒壇の御本尊と称するに至つたので、その謀略を此に暴露してをる」

といふが、其の論拠は

▼ 「日蓮宗々学全書の冠註にある。」


全く馬鹿ばかしくて御話しにならない。
成程御真跡の文字の削除や加入は冠註の如くである。 @
しかし、
これは後年どころか日興上人が直々なされたことである。
此れこそ上人の御用意が万々籠らせ給ふところで、我々が涙をもつてその思召の程を拝察申上げるところである。
此には此れ以上は申さない。
軽々しく申すべきではないからである。
高田氏に一分の道念があれば日蓮正宗に帰依してその御真書を拝したら此のことは納得がゆくといふことだけを申してをく。
それともそれが明らかになれば帰依をするといふならば、何時でも説明をする。
総じて他門流の考へるところは高田氏の程度を出てない憐むべきである。


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@

「□ノ凡ソ四字者(ハ)、後人ノ、故意ニ缺(二)損シ之ヲ(一)、而シテ「授与」ノ下ハ、以テ(二)他筆ヲ(一)加フ(二)「相伝之可奉懸本門寺」ノ九字ヲ(一)」 (宗全二−1三四の頭注)

(※ レ点などは補足し樋田加える)

□の凡(およ)そ四字は、後人の、故意に之を缺損し、而して「授与」の下は、他筆を以って「相伝之可奉懸本門寺」の九字を加う」

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この日淳上人の説は、日亨上人の見解と異なる。

これをどう会通すればいいのか。

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字体の比較相対した結果、

加筆部分 「可奉懸本門寺」 の 

@ 「奉」 は

日興上人御真筆 「高麗・新羅・百済事」(正本 富士大石寺蔵)の 「奉」 に酷似している。

A 「本」 は、日興跡条条事本文の 「御本尊」 の 「本」 と、酷似しており、

B 「本門」 は 大聖人御真筆の御本尊に日興上人が加筆された箇所の 「門寺」 の筆法に酷似している。



一方、日興跡条条事 の写真資料を見ると、極めて不鮮明ながら、

「相伝之可奉懸本門寺」
 




@ 「相伝」 は 「授与」 に上書きされているようにも見える。(高橋粛道師も同意見)

また

A 「之」は 先に書かれている右はらいの上に、右はらいの線を上書きしているようにも見える。

もし、後世の加筆ならば、このような誰が見てもすぐに分かるような加筆の仕方はしないのではあるまいか。
つまり、加筆したことに異義・疑念を差しはさまれる必要のない方こそが、このように堂々と加筆できる道理である。

もし、後世の者が加筆したのならば、既に約四字分削損しているのであるから、同様に、「授与」 を削り取って、 「相伝」 と新たに書けばいいことである。


また、一度書かれた後で考え直されて上書きされる例は日蓮大聖人の有名な例もある。



最初、「上野聖人」 と書かれて後、時光殿の二十歳そこそこの年齢も考慮され、御考え直されたのであろう。
「賢人」 と上書きされている。

つまり、最初に書かれた御当人であるからこそ、堂々と上書きできるわけである。


以上の事実から、こう推論する。

凡そ四字分の削損部分は、これは日亨上人の論究されたごとく、御下し文を喪失した後の、後人の行為であろう。
もし、日淳上人が、「この部分の削損も日興上人御自身が為された」、と解釈されていたとすれば、それは、日亨上人の研究のごとく、日興上人御存命中には「御下し文」は存在し厳護されていたのだから、考えにくい説となろう。

が、「相伝之可奉懸本門寺」 は、上記の字体の検証結果からも、日淳上人が仰せのように、まさに「日興上人が、後々のことを深慮されて加えられた御指南」と拝すべきではなかろうか。
ここは、日亨上人が、「約四字分削損したのは後人であるから、加筆したのも同一の後人であるはず」、との先入観から来るところの加筆後人説なのではあるまいか。


であるが故に、最新の研究成果が盛り込まれた平成新編御書には

■ 一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。

との表記をされていると拝するのである。


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