最近の創価学会員とのやりとりで出てきた痴言
「御本尊はだれが書いてもいい。」との邪義を破折。 

まず、当該箇所の全文
 
日有上人「化儀抄」の文↓
 
第二十五条【七十七条】、末寺に於て弟子檀那を持つ人は守をば書くベし、但し判形は有るべからず、本寺住持の所作に限るべし云云。
 第二十六条【七十八条】、曼荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし、判形は為すべからず云云、但し本寺住持は即身成仏の信心一定の道俗には・判形を為さるる番も之有り・希なる義なり云云。
 
日亨上人の註解↓

 ○註解。

二十五条は守本尊に就いて、二十六条は常住本尊に就いて・共に曼荼羅書写に関する垂示なれば同列に之を掲げつ、既に首に述べたる如く・古来開山上人化儀抄と称して三十七個条目なるものあり、全く有師百二十一個の中間五十四条より九十四条の辺を別出したるものに外ならず、此の二条も原書七十七及び七十八条にして三十七個の中の第廿・廿一にあり、文中に「但し本寺の住持は即身成仏乃至判形を成さるる事も之有り希なる義なり」とあり、此等の事実は開山上人にして云ひ得らるべき事ならんや、必ずしも上に幾何の歴祖をひかへた住持の上人にあらずんば能はざる事なり、しかのみならず第二十条には日蓮聖人より作々の御霊供を備へて云云、代々上人の御台をしたてぬは略儀なり云云【本誌三巻第四号】とあり、是も原書八十一条にして三十七個の中の第廿五に置けり・文中代々上人と云ふこと・開山上人の言ひ得べき事ならんや、況んや原本十四条【本抄六十一条】には「高祖開山日目上人」と列ねあり、因に且らく之を弁じつ、而して此の二個条は共に曼荼羅書写の事に属す、曼荼羅書写の大権は唯授一人金口相承の法主に在り・敢て・沙弥輩の呶々する事を許さんや、故に今唯文に付いて且らく愚註を加ふ、元意の重は更に予の窺ひ知る所にあらざるなり。
 曼荼羅書写本尊授与の事は・宗門第一尊厳の化儀なり、仮令意に妙法を信じ口に題目を唱へ身に殊勝の行ありとも・当流にては対境の本尊を授与せられ示書中の人とならざれば・信心決定即身成仏と云ふこと能はざるなり、故に宗祖は濫に曼荼羅を授与し給はず・開山は曼荼羅転授に就いても之を鄭重になし給ひ、尊師は宗門未有の弘通者なれども自ら曼荼羅を書写せず、然るに余門流の僧侶不相伝の侭猥りに曼荼羅を書き散して、僭越の逆罪とも思はざるのみならず・雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるベけんや、然るに本尊の事は欺の如く一定して・授与する人は金口相承の法主に限り授与せらるる人は信行不退の決定者に限るとせば・仮令不退の行者たりとも・本山を距ること遠きにある人は・交通不便戦乱絶えず山河梗塞の戦国時代には・何を以つて大曼荼羅を拝するの栄を得んや、故に古来形木の曼荼羅あり仮に之を安す、本山も亦影師の時之を用ひられしと聞く、此に於いて有師仮に守護及び常住の本尊をも・末寺の住持に之を書写して檀那弟子に授与する事を可なりとし給ふ・即本文の如し、但し有師已前已に此の事ありしやも知るべからず、然りといへども此は仮本尊にして形木同然の意なるベし、故に守に於いては「判形有るべからず」と制し・曼荼羅に於ては「判形為すべからず」と誡め給ふ、此の判形こそ真仮の分るゝ所にして猶俗法の如し、宗祖の御書中所々に判形云云の事あり・思ふベし・中にも大曼荼羅には殊に判形を尊ぶこと唯一絶対の尊境なるを以つてなり、有師斯く如く時の宜しきに従ひて寛容の度を示し給ふといヘど、しかも爾後数百年宗門の真俗能く祖意を守りて苟くも授与せず書写せず・以て寛仁の化儀に馴るゝこと無かりしは、実に宗門の幸福なりしなり、然りといへども宗運漸次に開けて・異族に海外に妙法の唱へ盛なるに至らば・曼荼羅授与の事豈法主御一人の手に成ることを得んや、或は本条の如き事実を再現するに至らんか・或は形木を以て之を補はんか・已に故人となれる学頭日照師が朝鮮に布教するや、紫宸殿御本尊を有師の模写せるものによりて写真石版に縮写し・新入の信徒に授与せり、其病んで小梅の故庵に臥せし時、偶予に此縮写の本尊に判形を加ふべきや否やの談を為されたる事あり、予は直に此文を思ひ浮べて云為したり・忘られぬ侭此に附記す・併し乍ら此の判形といへるに種々あるべし、一には形木又は縮写のものに法主の判形を為されたるもの、
二には平僧の書写せしものに法主の判形を加ヘられたるもの・
三には後代の法主が宗祖開山等の曼荼羅を其像模写し給ひて更に模写の判形を為されたるものを形木又は写真版等となしたるもの・
四には先師先聖の模写版又は形木に平僧が自らの判形を加へ又は平僧自ら書写して判形(自己)まで加ヘたるもの等に分つを得べきか・
此中に一と三とは事なかるべし、二は未だ広く実例を見ず、第四は大なる違法にして・是こそ正に本条の制誡なり・而して本条の末に判形を為さる事も之有り希なる義とあるは・如何なる場合を指せりや、故師の説には本条常住本尊を沙汰する所にして・本寺の住持即法主より正式の曼荼羅を授与する事は希の義なりとあり、尤も然るべし、然れども真に本条の文に依りて考ふれば・或は一及び二の義をも含むにはあらざるか、此に引くは嗚呼なれども開山上人の書写の曼荼羅に宗祖の判形を為されし事を思ひ合はすべきか、此の如き事は沙弥輩が俄に断するは・僭上の罪過恐れ有る事どもなり。
 
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他誌での破折論文
 
創価学会の邪義

御本尊は相貌が大事なのであって、誰が書写しようと問題はない。
 
破折

 そもそも、御本尊に関する権能が、御法主上人ただお一人に限られていたことは、宗義上・宗史上からも明らかである。
 まず、日蓮大聖人御自ら、

 ▲「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の甕承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし」(御書一六八四頁)
(※↑この御文が”「後加文」であるから信用できない。”と言って来たら、
http://toyoda.tv/keitai/gokabun2.htm
http://toyoda.tv/yamainu.hanronhuno55.htm
から破折してください。)
 
と、血脈と御本尊の大事は御歴代上人にのみ伝えられていることを仰せられている。

 また、二祖日興上人の御弟子の一人日尊師(京都・要法寺の開基)は、

 ▲「冨士門跡は付弟一人此(※御本尊)を書写し奉る可きの由、日興上人御遺誡なり」(日蓮宗宗学全書第二巻興尊全集興門集四一八頁)
 
と遺言し、御本尊書写は「付弟一人」の権能であることを日興上人が御遺誡せられていた、と伝えている。
 また、第五十九世日亨上人が

 ▲「尊師(日尊師)は宗門未有の弘通者なれども自ら曼荼羅を書写せず」 (富要集第一巻一一二頁)
 
と仰せられているように、日尊師自身も日興上人の戒めを守って、生涯、御本尊を書写することはなかったという。
 創価学会では、日尊師が、後に謗法化していった要法寺の開基であることをもって、その遺言をも軽んじているようだが、日尊師自身は、逝去に至るまで日興上人の御弟子だったのであり、今日の要法寺と同一視することは、的外れな、ためにする悪口である。

 また、創価学会では、第九世日有上人が

 ▲「末寺に於いて弟子檀那を持つ人は守をば書くべし、但し判形は有るべからず。本寺住持の所作に限るべし」 (聖典九八八頁)
 ▲「曼荼羅は末寺に於いて弟子檀那を持つ人は之れを書くべし。判形をば為すべからず」(聖典九八八頁)
 
と、末寺住職による″判形のない曼荼羅″の書写を許されていることを挙げて、「誰が書写してもいい証拠だ。それに、日興上人の御代にも、日興上人以外の僧侶が書写した御本尊が現存している」などという。
 だが、これは筋違いな暴論、というほかはない。
 第五十九世日亨上人は、この日有上人の御指南を次のように釈されている。
 まず、日有上人が末寺住職に書写を許された理由と背景について、

 ▲「仮使(たとい)不退の行者たりとも、本山を距(さ)ること遠きにある人は、交通不便戦乱絶えず山河梗塞(こうそく)の戦国時代には、何を以って大曼荼羅を拝するの栄を得んや。(中略)此に於いて有師仮に守護及び常住の本尊をも、末寺の住持に之を書写して弟子檀那に授与する事を可なりとし給ふ」(富要集第一巻一一二頁・「有師化儀抄註解」)
 
と、戦乱による交通不便のため、一時的に末寺住職に書写を許された旨を御教示されている。
 とはいえ、この末寺住職による″判形のない曼荼羅″の書写は、

 ▲「然(しか)りといへども、此は仮本尊にして形木同然の意なるべし。故に守(※お守り御本尊)に於いては『判形有るべからず』と制し、曼荼羅に於ては『判形為すべからず』と誡め給ふ。此の判形こそ真仮の分るゝ所にして猶(なお)俗法の如し」(富要集第一巻一一三頁)
 
と、所詮、仮本尊であるとせられているのである。
 不相伝家の創価学会は、この一時的な仮本尊書写の御許可を、自分達に都合よく、いつでも誰でも御本尊書写や御形木御本尊を作ることができる、と解釈したわけだが、仮本尊の書写の許可も、その時代背景を踏まえて時の御法主上人(ここでの事例は日有上人)がなされるのである。資料を勝手に誤読してはならない。
 創価学会では、こうした誤った解釈の上から、「御本尊流布こそが広宣流布であり、そのために創価学会が形木本尊を作り流布させている」などとも言っているが、大きな誤りである。
 同じく『化儀抄註解』において日亨上人は、

 ▲「有師斯(かく)の如く時の宜(よろ)しきに従ひて寛容の度を示し給ふといへども、しかも爾後(じご)数百年、宗門の真俗(しんぞく)能(よ)く祖意を守りて、苟(いやし)くも授与せず書写せず、以て寛仁(かんにん)の化優に馴(な)るふこと無かりしは、実に宗門の幸福なりしなり」(富要集第一巻一一三頁)
 
と、日有上人が末寺住職に仮本尊書写を許されたといっても、その後数百年、宗内僧俗は大聖人の御意を守って、まったく仮本尊の書写や勝手な授与をせず、いたずらに「宗門第一尊厳の化儀」を乱すことはなかった、と喜ばれている。
 このお言葉をもって言うならば、学会が許可なく変造本尊を作り、勝手に広く授与していることは、まさに聖意を破壊する法滅の化儀であり、不幸この上ない事態といえよう。
 ▲日亨上人は、また、「不相伝」の者が「猥(みだ)りに曼荼羅を書き散らして」いることは「借越(せんえつ)の逆罪」である、とせられているが、それと同様のニセ本尊作りをした創価学会も、大謗法の罪は免れないのである。
 
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邪義
 
本文の紫の部分を根拠として
▼「形木(印刷)本尊を流布してよい。」
 
との邪義について
 
破折
 
本尊の事は欺の如く一定して・授与する人は金口相承の法主に限り、云々
 
とあるごとく、御本尊は書写はもちろんのこと、授与することについても御法主上人の許可・認可が絶対条件であり、日亨上人の註解は、全てこの大前提を元として説かれているのである。
それは、原文を全文拝読すれば容易に領解できることである。
であるから、御本尊に関しての全ての権能を御所持されている御法主上人が「大謗法のニセ本尊である」と断定されている掛け軸など、日亨上人の仰せを用いて正当化できる道理など全くない。
 
また、「では信徒に授与される御本尊は全て御法主上人から授与されるのか?」との愚問を投げかける愚かな創価学会員もいるだろうが、それは、各末寺の御住職は全て御法主上人からの任命を受けて赴任されている。
その御法主上人の御名代である末寺の御住職からの下付は、その義、御法主上人から許可された御本尊下付に通じる、同義である。
 
参考資料
 
創価学会第ニ代戸田会長
 
「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主貎下以外にはどうしようもない。」(大百蓮華)
 
であるから、御法主上人の許可のない、創価学会が販売する改竄・複製掛け軸など、全くの魔物であって、罰の現証が強盛に噴出する代物であり、一分の利益など生じるはずもない。
仮に利益を主張するものがあったとしても、それは以上の道理からいって、「魔の通力」以外の何物でもない。
その証拠に、一時の利益らしき現証の後、一年〜数年をよくよく振り返ってみれば、生活も、人間性も、全てに亘ってニセ本尊を持った人物・家庭は荒廃の一途を辿っているのである。
 
ここで、対論者の功徳の現証を問い質して見て下さい。
まともな答えなど返って来ません。
もし強がって、経済的な面とか他何か言ったら、「その位、天理教の人でも言ってますが?その程度で創価学会が天理教より正しい、とどうしたら証明できるんですか?」と突っ込んでやれば絶句しますよ。