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戒壇の大御本尊の御首題について論考す

■ 有師物語聴聞抄佳跡上 大石寺三十一代隠居日因在御判。

本門戒壇の御本尊の寸尺、長四尺七寸五分、横弐尺壱寸七分、厚弐寸弐分御首題御勧請皆金薄入りなり、仏滅後二千二百廿余年等と云云、御端書、右為現当二世造立如件、本門戒壇之、願主弥四郎国重敬白、法華講衆等、弘安二年十月十三(※私註・「十二」の誤植か)日云云、当山に之有り、又之に就て二箇御相承、又興師より日目上人に御遺状等之有り後代の為に之を書きおく者なり、(富要1-251)

これは総本山第三十一世日因上人の書である。

戒壇の大御本尊の実測をされておられた記録である。

さて、ここで論考するのは、

■ 「御首題御勧請皆金薄入りなり」

との仰せである。

勧請=

1. 神仏の来臨や神託を祈り願うこと。また、高僧などを懇請して迎えること。

2. 神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること。

であるから、これをそのまま文の通りに解釈すれば

1、「中央御首題の「南無妙法蓮華経」は勧請(=他から御招き)されておられる。全ての御文字は金箔が施されている。」

もしくは、

2,「中央御首題の「南無妙法蓮華経」は他へ勧請(=分身)されておられる。全ての御文字は金箔が施されている。」

ということになる。

1 の場合。

これは、大聖人様が既に中央御首題の「南無妙法蓮華経」のご用意があらせられ、その御文字を戒壇の大御本尊へ御用いになられた。ということなろう。

そもそも、戒壇の大御本尊は楠板(丸木を半分にした板・日達上人御指南)に御建立であるから、紙幅の御本尊と、その造立のされかたが違っても不思議はない。

2 の場合

これまさに、中央御首題の「南無妙法蓮華経」が他の弘安二年十月十二日以降の造立された御本尊へ分身された。ということであり、以前に論証した

「もし本当に日禅師授与の御本尊の中央御首題と戒壇の大御本尊様の中央御首題が酷似しているのであれば、戒壇の大御本尊の御首題を何らかの深慮がおありになって日禅師授与の御本尊へお写しになられたのであろう」

との可能性の文証ともなり得る。

しかし、この、1,2,両様であっても、全く問題はないのである。

そもそも、戒壇の大御本尊は、大聖人のお手になるところの部分は全て彫り取られており、大聖人御自身の御筆の御痕跡は一切ないのである。

現在、戒壇の大御本尊には、大聖人のお手書きの輪郭と、(古伝によるところの)日法師の彫刻の手業の御痕跡が遺されているのみである。

(またこれは板御本尊を御安置している全ての日蓮正宗寺院についてもこの原理は当てはまるのである)

よく考えるとこれは幼学の者ならば一瞬たじろぐやも知れない現実である。

また、事実、この問題が心底、領解納得出来ていない者が、邪難者の謗難に揺さぶり落とされて、「戒壇の大御本尊は後に作られたやはりニセモノだ〜!」などと喚く、哀れな醜態を衆目の元に晒すのである。

これは、よく古来から謗者が言うように、

▼「戒壇の大御本尊は木に字を彫ったものであるから、大聖人が「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。」とある、「日蓮が魂」であるところの墨を全部削り落としてしまっているのだから、大聖人の御命はこもられておられない。」

という邪難にも関連している問題であるからこの際一緒に破折しておこう。

これは草木成仏・非情成仏の原理が領解できてないからこのような邪難が生まれるのである。

開眼供養の原理・論証は既に詳細にしている。文証 論証

この原理から、戒壇の大御本尊はどのような過程で御認めされたとしても、最終的には上記の如く日法師(謗者がこれを否定するのならそれもでかまわないが、何れかの御門下)に依って彫刻され、漆を塗られ、御文字には金箔を貼られた訳である。

が、それら非情・草木の全てを含めて、御本仏日蓮大聖人が、開眼供養され、生身の御仏と為していただければ、何も問題はないのである。

もちろん、「大聖人が戒壇の大御本尊を開眼供養しました!」などというそのものの御文は存在しない。

しかし、上記、開眼の論証に引用したあらゆる御文から言って、大聖人が、草木成仏の為の開眼供養をされていないなんてことはあり得ない。

大聖人の御本懐は、弘安二年、「本門戒壇」と銘打たれた御本尊であることは既に詳細に論証済みである。論証

であるから、戒壇の大御本尊の中央御首題の「南無妙法蓮華経」がどの御本尊とどう似ていようが、戒壇の大御本尊全体が草木成仏され、生身の御本仏となられているのであるから、別段何も問題はない。

末法濁悪の世で、御生身の久遠元初の本仏様にお会いできることをただただありがたく思い感涙するのみである。





■ 日達上人全集 二輯五巻446,日興跡條々の事 s52/5/26寺族同心会砌、歴代法主全書1-96,大日蓮S52/7、蓮華s52/6

「戒壇の御本尊様は楠の厚木です。表から見るとこういう板です。ところが此れは大変な板です。ただの板ではないのです。こういう板になっているのです。だから後ろから見ると丸木です。丸木を表だけ削ってあるわけです。大変なものです。重たい。上はただ三寸そこそこの板ですけれども、まわりは丸木です。真ん丸い木です。その丸い木を前を削って板にしたにすぎません。しかも此れを削ったのは手斧、鑓手斧(やりちょうな)とも鑓鉋(やりかんな)ともいいますね。それで削った。それは赤沢朝陽氏がちゃんと言明しております。だから鎌倉時代のものである。この手斧の削り方は徳川時代以後のものではない。足利時代から今日使用のああいう手斧が出来ていますか。鑓手斧は鎌倉時代の絵を見れば分かります。そういう御本尊ですから決して最近できたものではない。 

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