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"戒壇の大御本尊をニセモノ"と謗る者達の中で、比較的ポピュラーとなっているのが、
犀角独歩氏であろう。

今回保田妙本寺へ退転した者達も、この独歩氏の“科学的検証”とやらに大きく影響を受けていることは否めないであろう。
まずは、彼のHPの主張から主要部分を挙げて破折してみよう。

概略、氏の主張は、「河邊メモに触発されて、北山本門寺のパンフに掲載されていた「日禅授与の本尊」とかいう写真と、
明治時代に出版された、熊田葦城著『日蓮上人』に掲載されていた戒壇の大御本尊の写真を重ねてみたら、
中央首題がほとんど重なった」という事なのだそうである。
そこで、

▼ 北山蔵の日禅授与漫荼羅と彫刻(※戒壇の大御本尊の)写真の二つを重ねてみたとき、
中央題目がほぼ重なったということは、大石寺蔵・北山本門寺蔵はいずれが相剥(あいへぎ)であるか、
また、かなり、正確な模写であるとことを意味します。

いずれにしても「本門戒壇の大御本尊」は、日禅授与漫荼羅を原本として、臨模・作為された彫刻であることは動かしがたい事実です。
と主張するのである。

1,ここでまず指摘しておくことは、北山本門寺所蔵の「日禅師授与の御本尊」なるものは、
立正安国会の御本尊集に掲載されていない。

北山本門寺に他に収蔵している『鉄砲曼陀羅』が同書に所収されているのに、である。
何故に「日禅授与本尊なるもの」が省かれているのか。
これから考察できることは、該本尊が偽筆である可能性が極めて高い。ということである。

更に、榎木境道師が「富士門流の歴史・重須篇」で、
重須本門寺所蔵の「日禅授与曼陀羅」は宗内で偽筆とされていることを指摘された。

そのような出所不明の偽筆である可能性が濃厚である本尊の、しかもそのパンフの写真と、
明治時代に出版された書物にある写真と比較してどういう結果出たところで、通常の感性の所有者なら、
それがさして重要な意味を持つとは思わない。

しかし、戒壇の大御本尊を否定したい者達にとっては、まさに鬼の首を獲った如くの大事件なのであろう。

2,次に、折角の氏の努力と“大発見”を一応評価したとして、上記の如くの性急な結論は果たして正当か?ということを考えなくてはならない。
『河邊メモ』で言うのならば、当該の日禅師授与の御本尊は弘安三年御作である。

であるならば、普通に考えて、弘安三年の日禅師授与の御本尊は、
弘安二年十月十二日の建立された御本尊の中央首題の「南無妙法蓮華経」を大聖人がなんらかのお考えがあって、
後に臨模・臨写された御本尊である可能性を何故考えられないのか。

"科学的証明"を標榜しながら、あらゆる可能性の中から恣意的にある可能性だけを抽出するやり口が「姑息」と言われるのであり、
学術研究姿勢としては「不誠実」である。

3,戒壇の大御本尊の御首題が勧請

これによって、中央首題がどの御本尊とどう重なろうが、全く問題のない事を論証した。

犀角氏の推論の一番元となる”中央首題が他本尊と重なる!"大発見"”も、別段、不思議でもなく、「戒壇の大御本尊・後代の偽作説」の何の根拠にならない。

4,細論破折


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