おやおや?

やはり 「バカは死ななきゃ治らない」 っていう古伝は本当だったわけだ。

バカはどんなに道理を説いても理解できないから、結局、死なない限りは、駄論を際限なく繰り返す。。。ということなんだなぁ。。。。。

また細かく切り刻んでいきましょう。

まさに、忍耐 である。

この際限ない作業を繰り返すことで、駄犬が足掻き、言い逃れし、狂人のように止めどなく自分の妄想を繰り返し喚き続ける様を、
更に鮮明に浮き彫りにすることとなり、世に、駄犬の邪見・浅見を色濃く晒し、謗法者の無様な成れの果てを見せしめにすことになるのだから、
大いにやりがいのある仕事でもある。

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大石寺狂信者達へ

大石寺は、「三証揃った正しい宗教」「世界唯一の正統」と豪語して来た。
ゆえに、三証の内、一つでも欠ければ、もはや「正しい宗教」では無い!
どんな言い訳も通用しない。

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● その「文証」とは「御書」からであろう?

はい、以下の道理に「御書」の「文証」を以って反論せよ。

● 「御書全編」で日興上人へ宛てた御書がほとんどない。 

↑ これは「言い訳」ではなく「道理」である。

因みに「三証」とは、「文証 理証 現証」であるから、「文証」と同様に「理証・道理」が大事である。

■ 仏法と申すは道理なり。道理と申すは主に勝(か)つ物なり。(四條金吾殿御返事 建治三年四月 五六歳 1179)

「主」とは謗法の主君である。

■ 邪宗の者どもの習ひとして強(あなが)ちに証文を尋ぬる事之有り。(教行証御書 建治三年三月二一日 五六歳 1108)

ほれ、何度も書いてきた「文証」。

この御文を素直に読めば、駄犬はまさに「邪宗の者ども」ではないのか?

ほれ、ほれ、反論してみな?


悔しさに 再び書き出しゃ 即 折られ  

あと、以下についても全く反論できてないぜ。 

駄犬「考える人←実は「何も考えられない人」完全粉砕