■ 日蓮は広略を捨てヽ肝要を好む、(法華取要抄 文永一一年五月二四日 五三歳 736)
御存知ですね?
▼「大阪法論の敵前逃亡について」
●「顕正会の本尊もどきで即身成仏できるのか否か」
はい、どちらが「肝要」ですか?
まさか、▼「大阪法論の敵前逃亡について」ではないですわな?
■ 総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ。さだにも候はゞ、釈迦
・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし。(四菩薩造立抄 弘安二年五月一七日 五八歳 1371)
仮にも日蓮大聖人の弟子檀那と名乗る者は、大聖人様のごとく「肝要」を先としなければなりません
な?
よろしいかな?
反論があればどうぞ。
参照 http://toyoda.tv/asano5.htm
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↑もう一本、「教学的」に破折しておきましょう。
■ 凡そ円頓の学者は広く大綱を存して網目を事とせず。(五人所破抄 嘉暦三年七月 1879)
意味分かりますか?
文底の意から拝すれば、
総じて日蓮大聖人の仏法を信行する修行者は、おおもと。事柄の根本となる骨組み、というものを最
大事と心得て最優先に信行学を進めていかなければならない。
物事の網の目のような細部や瑣末なことにこだわってはならない。
となりましょう。
さて浅野君、
▼「大阪法論の敵前逃亡について」
は、大綱か?網目か?
●「顕正会の本尊もどきで即身成仏できるのか否か」
と比べて、どちらが大綱か?網目か?
まさか、▼「大阪法論の敵前逃亡について」 の方が「大綱」だなどとは言わないよね?
さ、答えを聞かせてくれたまえ。
最終期限は明日15日。
これに教学的に正回答が為されなかった場合、敗北決定ですな。