臓器提供について

臓器提供は不可
善業有らんに、死に垂(なんなんど)する時、刀風は微(かすか)に動きて苦悩多からず。
惣じて本尊にあらずば他の物を見す可からず、妙法にあらずば他の音を聞かす可からず
日顕上人がお弟子方へ臓器提供は自らもしないし、宜しくないとの御指南があった。

▼ 歴代法主の文ではなく御書で説明しろ
▼ 「阿仏房が御本尊を下付されていなかった。」
▼ 君の 振舞い方 言葉の使い方が仏法を学ぶ者ではない
▼ 君ような態度には心を開かない
▼ 人の振舞い について
▼ 細かい揚げ足取りに対して
▼ 我見 慢心 我慢偏執 について
▼ 人の些細な言動を云々して根本の大事の論議を遮る
▼ 文証なしに我見を喋り続ける
▼ 屁理屈をこね続ける
▼ 今まで護られてきたし、功徳もあった。
▼ もう帰れ〜〜!

▲ あなたがこのままでは間違いなく地獄へ行く文証
▲ あなたは謗法である
▲ あなたは修羅界そのままである。
▲ 仮に歴代御法主上人の御本尊を受持していても血脈が断絶している


脳死状態からの臓器提供 及び 以後の臓器提供は、大苦通を生じる。
→ 生命の一大事 生死の肝要 一生の修行の総決算である 臨終正念 を著しく妨げる
→ 臨終正念が定まらない生命は、善業がまだ尽きない者は辛うじて人界、(しかも今世より悪い境界へ)、修羅界 と堕ちる。
  謗法の罪障、悪業が重い者はそのまま三悪道へ堕ちていく。
→ 仏がそれを勧める道理はあり得ない。
→ 臓器提供は不可。

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文証

一、臨終の時心乱るるに三の子細有る事。

@ 一には断末魔の苦の故。
断末魔の風が身中に出来する時、骨と肉と離るるなり、


正法念経(※1-1)に云く 
「命終の時、風皆動ず、千の尖(とが)き刀、其の身の上を刺すが如し。
十六分尚一に及ばず。
若し善業有れば苦悩多からず」云云、

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正式には 「正法念処経」

原文 

命終わる時に刀風皆動き、皮・肉・筋・骨・脂・髄・精・血の一切を解裁(たちき)り、其れをして乾燥(かわ)かしめ、気は閉じて流れず、身既に乾燥(かわ)きては苦しみ悩みて死すること、千の炎の刀の、其の身を刺すが如きも、十六分中猶一に及ばす。(※十六の大苦が有る中のその一にも及ばない。との意か。)

若しは善業有らんに、死に垂(なんなんど)する時、刀風は微(かすか)に動きて苦悩多からず。
刀風を観じ已らんには實の如くに身を知らん。

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一身の四大所成なる姿は
堅湿●(火+需=じゅ・あたた・める)動とて骨肉かたまりたるは地大也、
身に潤ひ有るは水大也、
あたたかなるは火大也、
動くは風大也、
此の四が虚空を囲みまはすが此の身也。
板柱等集りて家を作る如く也。

死後に身の冷るは火大の去る故也、
逗留有ればくさるは地大、去る故也、
切れども血の出でざるは水大の去る故也、
動かぬは風大去る故也。

死ぬる苦るしきは家、槌にては頽(くずれ)るが如く、四大の板・柱・材木 面々に取り離す故に苦るしむ也、断末魔とは之れを云ふ。
此の離散の五陰と云ふ如く離散の四大也。

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死ても底心あり、或は魂去りやらず死骸に唱題の声聞かすれば悪趣に生るる事無し。
一、死後の五時も六時も動かす可からず、此れ古人の深き誡め也。
一、看病人等あらく当る可からず、或はかがめをとする事、反すゞゝ(がえす)有る可からず。
一、断末魔と云ふ風が身中に出来する時、骨と肉と離るる也、死苦病苦の時也、此の時、指にても当る事なかれ、指一本にても大磐石をなげかくる如くに覚ゆる也
人目には左程にも見へねども肉親のいたみ云ふ計りなし、
一生の昵(なじ)み(近づいて慣れ親しむ。なじむ。)只今限り也、
善知識も、看病人も、悲しむ心に住すべし、疎略の心存す可からず、古人の誡め也。
惣じて本尊にあらずば他の物を見す可からず、妙法にあらずば他の音を聞かす可からず云云。
(↑所詮ここを守れないのでいずれにせよ死苦を受けることは間違いない。)

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日顕上人がお弟子方へ臓器提供は自らもしないし、宜しくないとの御指南があった。

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だが、あなたは今は極悪謗法の色心であるから、このままでいけば死後は三悪道乃至地獄へ堕ちて大苦悩を受けるであろう。
故に、臓器移植しようがしまいがその極苦を受けることには変わりないので、特段是非を問う意味ことは不毛の論議である。

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▼ 歴代法主の文ではなく御書で説明しろ

▲ では以下の点について御書だけで説明していただきたい。
もしそれが出来たならば、当方も御書のみで説明しよう。

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結論

御書(為政者への奏上文や、主に信徒などへのお手紙文)に大聖人の仏法の全てが書かれているわけではない。
特に御本尊の具体的な御事に関しては、御書に説かれてはいない。

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例証

● 発迹顕本について、 
大聖人がいつどこで発迹顕本されて久遠元初の自受用報身如来と顕れたのか?
御書のどこに明示されているのか提示せよ。

御書のどこにも大聖人御自身が発迹顕本して久遠元初の自受用報身と開かれたとは書かれていない。

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1、【御本尊の御相貌の変遷について】

即身成仏の一番大事な対境である御本尊の、以下の全ての内容について、御書には一言も説かれていない。
以下の各項目について、御書のどこに説かれているというのか。
全く発見できない。
つまり、御本尊の御大事について御書に全てお示しではない、ということである。

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御本尊の御相貌に関して 

総論

●大聖人御図顕の御本尊に年次により御相貌に大変な差異がある理由を御書の御文で説明して見せよ。

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証論

南無妙法蓮華経 日蓮 となぜ認められるのか

●御本尊の御相貌は、総じて言えば、年次が下るにつれて、
 
@ 左右に離れていた、「日蓮」の御名と御花押が中央、南無妙法蓮華経の直下に寄り、一体化していく。
A 「日蓮」の御名と御花押が、年次と共に、大きく認められる。

この理由。

大聖人様御所顕の御本尊中の記銘に「仏滅後二千二百二十余年」と「三十余年」と両様あられる理由。

●総じて、弘安以降の御本尊において、善徳仏、十方分身仏をお示しされない理由。

●弘安以降の御本尊の御判形が更改されてあることの理由。

●弘安2年2月 日目上人授与の御本尊に(一幅の例外を除き、)初めて「提婆達多」が認められた理由。

●弘安2年2月の御本尊以前で、(その一幅の例外)、文永十一年七月二十五日の御本尊にのみ提婆達多を示されたのは何故か。

これらの理由を御書で説明してみせよ。

ちなみに上記の内容について日蓮正宗大石寺の歴代御法主上人が全問について極めて論理的かつ合理的な御指南されている。

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2、日興上人を僧宝と認める者に対して

日興上人を僧宝と認める者ならば、日興上人が大聖人の仏法を正確に伝持されてことを認める、ということになる。

● では、以下の御指南は御書に説かれてないが、どのように日興上人へ伝持されたのか。

● ■  此の御筆の御本尊は(中略)日興門徒の所持の輩に於ては、左右無く子孫等にも譲り弟子等にも付嘱すべからず。同一所に安置し奉り、六人一同に守護し奉るべし。是偏(ひとえ)に広宣流布の時、本化国王御尋ね有らん期(とき)まで深く敬重し奉るべし。(富士一跡門徒存知事 延慶二年 1872)

この御指南について、以下の論証を、御書の御文で覆してみよ。
http://toyoda.tv/kaidan3.htm

● 一、御筆の本尊を以て形木(かたぎ)に彫(きざ)み、不信の輩に授与して軽賤する由(よし)諸方に其の聞こえ有り、所謂(いわゆる)日向・日頂・日春等なり。
  日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵(きず)を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、忝(かたじけな)くも書写し奉り之を授与する者なり。(富士一跡門徒存知事 延慶二年 1872)

日興上人当時、大聖人御真筆御本尊が多数存在していた。
その御本尊を形木に刻んで下付することを日興上人はお許しにならず、日興上人が書写された御本尊を下付されることを正統とされた。
その理由を御書の御文で説明してみせよ。

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補足
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「符」

★以下の御文に仰せの「符」とは何か。それはどういう由来で存在し、具体的にはどのようなものか?

■是併(しかしなが)ら日蓮が符を進(まい)らせし故なり。(月満御前御書 文永八年五月八日 五〇歳 462)

■懐胎のよし承り候ひ畢んぬ。それについては符の事仰せ候。日蓮相承の中より撰み出だして候。能く能く信心あるべく候。(四条金吾女房御書 文永八年五月 五〇歳 464)

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宝珠

●智慧の宝珠
幼少の時より虚空蔵(こくうぞう)菩薩に願を立てゝ云はく、日本第一の智者となし給へと云云。虚空蔵菩薩眼前に高僧とならせ給ひて明星の如くなる智慧の宝珠(ほうじゅ)を授(さず)けさせ給ひき。443
●宝珠
生身(しょうじん)の虚空蔵(こくうぞう)菩薩より大智慧を給はりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便(ふびん)とや思(おぼ)し食(め)しけん、明星の如くなる大宝珠を給ひて右の袖にうけとり候ひし故に、一切経を見候ひしかば、八宗並びに一切経の勝劣粗(ほぼ)是を知りぬ。清澄寺大衆中  建治二年一月一一日  五五歳 946

この「宝珠」とは具体的にはどのようなものか、御書で説明して見せよ。

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数珠

●修行の大事な法具である数珠の日蓮教団における形状についてを御書で説明してみせよ。

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■ 日蓮一期弘法付嘱書    弘安五年九月  六一歳
 日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬 九月 日 日蓮花押 

    血脈の次第 日蓮日興 (日蓮一期弘法付嘱書 弘安五年九月 六一歳 1675) 

↑とあるのに、日興上人へ宛てた御法門を説かれた御書は相伝部を除いては一通もない。
このことは大聖人の仏法の奥義はまさに相伝で伝授されたという証拠ではないか。
故に歴代御法主上人の御指南を文証として引くのは正当である。

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▼ 日寛上人がまだ猊座に就かれる前の著作では信用できない。

▲ 弘化三丙牛八月栗木仁兵衛日敬本には題に臨終用心抄とありて、奥に富士日寛師説法也とあり、
日寛上人が 日寛 と名乗らたのは、宝永五年、1708年 細草談林 二十六代の化主(能化)となる。(この時から「堅樹院日寛」と号す)
仮に猊座への御登座以前だったとしても、学成られて檀林の最高位である能化である化主となられた後であるあるから、義に置いてなんら問題は無い。
もしあるとするならば、その理由を文証をもって明示せよ。

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▼ 「阿仏房が御本尊を下付されていなかった。」

との見解について。

012 11年? 阿仏房 42.7×29.1 1 佐渡妙宣寺

  


■ あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづ(譲)る事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。(阿仏房御書 文永一二年三月一三日 五四歳 793)

▲↑ 完全に御本尊下付されている。
どう釈明するのか。

▼ 宝塔が何で御本尊と言えるのか?

■ 此の御本尊も只信心の二字にをさまれり。以信得入とは是なり。日蓮が弟子檀那等「正直捨方便」「不受余経一偈」と無二に信ずる故によて、此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。たのもしたのもし。

■ 見宝塔と云ふ見と此珠とは同じ事なり。所詮此珠とは我等衆生の一心なり、一念三千なり。此の経に値ひ奉る時、一念三千と開くを珠を見るとは云ふなり。(1844)


■ かゝる宝塔も妙法五字より外は之無きなり。妙法蓮華経を見れば宝塔なり。宝塔即一切衆生なり。一切衆生即南無妙法蓮華経の全体なり(1809)

■ 今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る程の者は宝塔に入るなり(1728)

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▼ 君の 振舞い方 言葉の使い方が仏法を学ぶ者ではない

■ 善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず、威儀(いぎ)を修せずして、応(まさ)に刀剣・弓箭(きゅうせん)・無槊(むさく)を持すべし」(立正安国論)

■ 頼基が良観房を蚊(か)・虻(あぶ)・蝦蟇(がま)の法師(ほっし)なりと申すとも、経文分明に候はヾ御とがめあるべからず。(頼基陳状 建治三年六月二五日 五六歳 1136)

■ 日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず。彼々の経々と法華経と勝劣・浅深・成仏不成仏を判ぜん時、爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。何(いか)に況(いわ)んや其の以下の等覚の菩薩をや。まして権宗の者どもをや。法華経と申す大梵王の位にて、民とも下(くだ)し鬼畜なんどと下しても、其の過(あやま)ち有らんやと意得て宗論すべし。(教行証御書 建治三年三月二一日 五六歳 1109)

■ 仏誡めて云はく「謗法の人を見て其の失を顕はさゞれば仏弟子に非ず」と。
故に涅槃経に云はく「我涅槃の後其の方面に随ひ持戒の比丘有りて威儀(いぎ)具足し正法を護持せば、法を壊る者を見て即ち能(よ)く駈遣(くけん)し呵責(かしゃく)し徴治(ちょうじ)せよ。当に知るべし、是の人は福を得んこと無量にして称計(しょうけい)すべからず」と。(守護国家論 正元元年  三八歳145)

■ 若し大乗経を誹謗(ひぼう)する者有らば、当に勢力(せいりき)を以て之を摧(くじ)きて伏せしめ、既(すで)に摧伏(さいふく)し已(お)はって然して後に勧めて大涅槃を読ましむべし。(守護国家論 152)

■ 邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。
此の旨を知らずして摂折途に違はゞ得道は思ひもよらず、悪道に堕つべし
是仏法修行の大事なるべし。(聖愚問答抄 402)

■ 只人をはゞからず経文のまゝに法理を弘通せば、謗法の者多からん世には必ず三類の敵人有りて命にも及ぶべしと見えたり。其の仏法の違目を見ながら我もせめず国主にも訴へずば、教へに背きて仏弟子にはあらずと説かれたり。

■ 涅槃経第三に云はく「若し善比丘あって法を壊らん者を見て置いて呵責(かしゃく)し駈遣(くけん)し挙処(こしょ)せずんば、当に知るべし是の人は仏法中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是我が弟子真の声聞なり」と。

■ 此の文の意は仏の正法を弘めん者、経教の義を悪しく説かんを聞き見ながら我もせめず、我が身及ばずば国主に申し上げても是を対治せずば、仏法の中の敵なり。
若し経文の如くに、人をもはゞからず、我もせ(責)め、国主にも申さん人は、仏弟子にして真の僧なりと説かれて候。
されば仏法中怨の責めを免れんとて、かやうに諸人に悪(にく)まるれども命を釈尊と法華経に奉り、慈悲を一切衆生に与へて、謗法を責むるを心えぬ人は口をすくめ眼を瞋(いか)らす。
汝実に後世を恐れば身を軽しめ法を重んぜよ。

■ 大乗を重んじて五百人の婆羅門(ばらもん)の謗法を誡めし仙予国王は不退の位に登る。
憑(たのも)しいかな、正法の僧を重んじて邪悪の侶を誡むる人、かくの如くの徳あり。
されば今の世に摂受を行ぜん人は、謗人と倶に悪道に堕ちん事疑ひ無し。
南岳大師の四安楽行に云はく「若し菩薩ありて悪人を将護し治罰すること能(あた)はず。乃至其の人命終して諸悪人と倶に地獄に堕せん」と。
此の文の意は若し仏法を行ずる人有って、謗法の悪人を治罰せずして観念思惟を専(もっぱ)らにして邪正権実をも簡(えら)ばず、詐(いつわ)って慈悲の姿を現ぜん人は諸の悪人と倶に悪道に堕つべしと云ふ文なり。
今真言・念仏・禅・律の謗人をたゞさず、いつ(詐)はて慈悲を現ずる人此の文の如くなるべし。(聖愚問答抄 文永五年 四七歳 404〜)

■ 悪を見ていましめず謗を知ってせめずば、経文に背き祖師に違せん。(405)

■ 今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。(聖愚問答抄 文永五年 四七歳 403)

■ 種々に法を説くも、然も故(なお)、師子吼(ししく)を作すこと能(あた)はず○非法の悪人を降伏(ごうぶく)すること能(あた)はず。是くの如き比丘(びく)、自利し及び衆生を利すること能はず。当に知るべし、是の輩は懈怠懶惰(けだいらんだ)なり。能く戒を持ち浄行を守護すと雖も、当に知るべし是の人は能く為す所無からん。576

■ 毀らん人には弥申し聞かすべし。(経王御前御返事 636

■ 誰人にても坐(おわ)せ、「諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なり」と音(こえ)も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵(ごうてき)来たらん事は疑ひなし。(如説修行抄 文永一〇年五月 五二歳 673)

■ 悪人たる上已(すで)に実大(じつだい)を謗ずる者には強(し)ひて之を説くべし。(曽谷入道殿許御書 文永一二年三月一〇日  五四歳 777

■ 法華経第七に云はく「衆山(しゅせん)の中に須弥山為(こ)れ第一なり。此の法華経も亦復是くの如し。諸経の中に於て最も為れ其の上なり」
仏いまし(誡)めて云はく、法華経のかたきを見て世をはヾかり恐れて申さずば釈迦仏の御敵、いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし。(妙法比丘尼御返事   弘安元年九月六日  五七歳 1262)

■ いよいよつよ(強)り申せしかば、仏の記文のごとく国主もあだ(怨)み、万民もせめき。(高橋入道殿御返事 建治元年七月一二日 五四歳 888)

■ 今日本国の人々は法華経のかたきとなりて、身を亡ぼし国を亡ぼしぬるなり。かう申せば日蓮が自讃(じさん)なりと心えぬ人は申すなり。さにはあらず、是を云はずば法華経の行者にはあらず、898

■ 相構へて相構へて、力あらん程は謗法をばせめさせ給ふべし。907

■ 見壊法者(けんねほうしゃ)の見(けん)と、置不呵責(ちふかしゃく)の置(ち)とを、能(よ)く能く心腑(しんぷ)に染むべきなり。法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。南岳大師の云はく「諸の悪人と倶(とも)に地獄に堕ちん」云云。謗法(ほうぼう)を責めずして成仏を願はヾ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし。何(いか)に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にを(堕)つべし。(曽谷殿御返事 建治二年八月二日 五五歳 1040)


■ 親疎(しんそ)と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ、御心得候へ。(報恩抄送文 建治二年七月二六日  五五歳 1037

■ 南無妙法蓮華経の大音声(おんじょう)を出だして諸経諸宗を対治すべし。「巧於難問答(ぎょうおなんもんどう)、其心無所畏(ごしんむしょい)」とは是なり 1855

■ 在家の諸人別の智行(ちぎょう)無しと雖も、謗法の者を対治する功徳に依って生死を離るべきなり。(守護国家論 151)

■ いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし。(南条兵衛七郎殿御書 文永元年一二月一三日 四三歳 322)

■ 穏便(おんびん)の義を存じおだやかに申す事こそ礼義なれと思ひしかども、生死界の習ひ、老少不定(ろうしょうふじょう)なり、又二度見参の事難かるべし。
思ひ切って強々(つよづよ)に申したりき。
「阿弥陀仏を五体作り給へるは五度無間地獄に堕ち給ふべし。
こまごまと申して候ひしかば、此の人もこゝろえずげに思ひておはしき。傍座(ぼうざ)の人々もこゝろえずげにをも(思)はれしかども、其の後承りしに、法華経を持たるゝの由承りしかば、此の人邪見を翻(ひるがえ)し給ふか、善人に成り給ひぬと悦び思ひ候 
当座には強(つよ)げなる様に有りしかども、法華経の文のまゝに説き候ひしかばか(斯)うおれさせ給へり。
忠言耳に逆(さか)らひ良薬口に苦(にが)し
仮令(たとい)強言(ごうげん)なれども、人をたすくれば実語・軟語(なんご)なるべし。設ひ軟語なれども、人を損ずるは妄語(もうご)・強言なり。
(善無畏三蔵抄 文永七年 四九歳 444)

■ 眠れる師子に手を付けざれば瞋(いか)らず、
流れにさを(竿)ゝ立てざれば浪(なみ)立たず、
謗法を呵責(かしゃく)せざれば留難なし。
「若し善比丘あって法を壊(やぶ)る者を見て置いて呵責せずんば」の置の字ををそ(畏)れずんば今は吉し、後を御らんぜよ、無間地獄は疑ひ無し。
「若し菩薩有って悪人を将護して治罰すること能はず、其れをして悪を長ぜしめ善人を悩乱し正法を敗壊(はいえ)せば此の人は実に菩薩に非ず。外には詐侮(さぶ)を現じ常に是の言(ことば)を作(な)さん、「我は忍辱(にんにく)を行ず」と。其の人命終して諸の悪人と倶に地獄に堕ちなん」(南部六郎殿御書   文永八年五月一六日  五〇歳467

■「仏法を壊乱(えらん)するは仏法の中の怨なり。慈無くして詐(いつわ)り親しむは即ち是彼が怨なり。彼が為に悪を除くは即ち是彼が親なり」(真言諸宗違目 文永九年五月五日 五一歳 599)

■ 当世の人何となくとも法華経に背く失(とが)に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説ききかすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり。(法華初心成仏抄 弘安元年 五七歳 1316)

■ 末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕(だ)せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓(どっく)の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁(ぼうえん)を結ぶべき時節なる事諍(あらそ)ひ無き者をや。唱法華題目抄   文応元年五月二八日  三九歳 231

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▲ あなたがこのままでは間違いなく地獄へ行く文証

 人死すれば魂去り、其の身に鬼神入れ替はりて子孫を亡ず。餓鬼(がき)といふは我をくらふといふ是なり。
智者あって法華経を読誦して骨の魂となせば、死人の身は人身、心は法身(ほっしん)。生身得忍(しょうじんとくにん)といへる法門是なり。華厳・方等・般若の円をさとれる智者は、死人の骨を生身得忍と成す。涅槃経に「身は人身なりと雖も心は仏心に同ず」といへるは是なり。生身得忍の現証は純陀(じゅんだ)なり。
法華を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身なり。是を即身といふ。さりぬる魂を取り返して死骨に入れて、彼の魂を変じて仏意と成す。成仏是なり。即身の二字は色法、成仏の二字は心法、死人の色心を変じて無始の妙境妙智と成す。是則ち即身成仏なり。
(木絵二像開眼の事 文永九年 五一歳 638)

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人の振舞い について

■ 一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。
賢きを人と云ひ、はかなきを畜という。(崇峻天皇御書 建治三年九月一一日 五六歳 1174)

↑ 開示悟入  「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもうと名づくる。諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、仏知見を示し、仏知見を悟らしめ、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう」(趣意 開結 166頁)

原典 方便品第二

舎利弗、云何なるをか、諸仏世尊は唯一大事の因縁を以ての故に、世に出現したもうと名づくる。諸仏世尊は、衆生をして、仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。
舎利弗、是を諸仏は唯一大事の因縁を以ての故に、世に出現したもうと為づく。

釈尊の出世の本懐 とは 衆生を即身成仏させること

であるから、この御文の本質的な義は、人間として生まれたからには、不軽菩薩のごとく、一切衆生に対して折伏を行じて、即身成仏を目指しなさい。ということである。この生き方をする者が賢者であり、それをしないの者は、畜生のごくである。と仰せなのである。
表面的・道徳的な意味だけで解釈することは実に浅はかなことである。

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細かい揚げ足取りに対して

■ 凡そ円頓の学者は広く大綱を存して網目を事とせず。(五人所破抄 嘉暦三年七月 1879)

■ 即身成仏と申す法門は、世(よ)流布(るふ)の学者は皆一大事とたしなみ申す事にて候ぞ。就中(なかんずく)予が門弟は万事をさ(差)しを(置)きて此の一事に心を留むべきなり。建長五年より今弘安三年に至るまで二十七年の間、在々処々にして申し宣(の)べたる法門繁多なりといへども、所詮は只此の一途なり。
(妙一女御返事 弘安三年一〇月五日 五九歳 1498)

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我見 慢心 我慢偏執 について

■ 臨終已(すで)に今にありとは知りながら、我慢偏執名聞利養(がまんへんしゅうみょうもんりよう)に著(じゃく)して妙法を唱へ奉らざらん事は、志の程無下(むげ)にかひなし。(持妙法華問答抄 弘長三年 四二歳 299)

■ 只(ただ)須(すべから)く汝仏にならんと思はゞ、慢のはたほこ(幢)をたをし、忿(いか)りの杖をすてゝ偏(ひとえ)に一乗に帰すべし。名聞名利は今生(こんじょう)のかざり、我慢偏執(がまんへんしゅう)は後生のほだ(紲)しなり。嗚呼(ああ)、恥ずべし恥ずべし、恐るべし恐るべし。(持妙法華問答抄 弘長三年 四二歳 296)

■ 第五 比丘比丘尼 有懐増上慢(うえぞうじょうまん) 優婆塞(うばそく)我慢(がまん) 優婆夷(うばい)不信(ふしん)の事  文句の四に云はく「上慢と我慢と不信とは四衆通じて有り。但し出家の二衆は多く道を修し禅を得、謬(あやま)って聖果(しょうか)と謂ひ、偏に上慢を起こす。在俗は矜高(こうこう)にして多く我慢を起こす。(御義口伝 1730)

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▲ あなたは謗法である

■ 二種の人有り仏法僧を謗ずと。一には不信にして瞋恚(しんに)の心あるが故に、二には信ずと雖(いえど)も義を解(げ)せざるが故に。善男子(ぜんなんし)、若(も)し人信心あって智慧有ること無き、是の人は則(すなわ)ち能(よ)く無明(むみょう)を増長(ぞうちょう)す。若し智慧有って信心有ること無き、是の人は則ち能く邪見(じゃけん)を増長す。善男子、不信の人は瞋恚(しんに)の心あるが故に説いて仏法僧宝有ること無しと言はん。信ずる者にして慧(え)無くば顛倒(てんどう)して義を解するが故に、法を聞く者をして仏法僧を謗ぜしむ」(顕謗法抄   弘長二年  四一歳 290

■ 謗と云ふは但口を以て誹(そし)り、心を以て謗(そし)るのみ謗には非ず。法華経流布の国に生まれて、信ぜず行ぜざるも即ち謗なり。(戒体即身成仏義 仁治三年 二一歳 10)
 
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▲ あなたは修羅界そのままである。

■ 修羅道とは、止観の一に云はく「若し其の心念々に常に彼に勝らんことを欲し、耐へざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて視下ろすが如し。而も外には仁・義・礼・智・信を揚げて下品の善心を起こし阿修羅の道を行ずるなり」(十法界明因果抄 209)

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▲ 仮に歴代御法主上人の御本尊を受持していても血脈が断絶している

日蓮正宗 公式見解

平成3年 11月28日 日蓮正宗 創価学会及びSGIを『破門』(無関係の団体となる

平成9年 12月 1日 日蓮正宗 宗務行政措置を実施
 この措置により、創価学会個人の日蓮正宗檀信徒資格が喪失した。

■「戒壇の根本の御本尊を離れた時には、既(すで)にその御本尊は生命(いのち)もなく、人を救うところの力もないのであります」(達全一―一―三三九n)

■ 戒壇の御本尊の、又、写しが、各末寺の御本尊であり(中略)また各家の御本尊である。だからそこに戒壇の御本尊の、大聖人様の血脈が、正宗を信心する皆様の中に皆伝わっておるのでございます。その根本たる戒壇の御本尊を忘れてしまったならば、いかに信心しても、大聖人様の血脈は通じてこない。(達全一―二―二五六n)

▼ 戒壇の大御本尊は忘れてはいない

■ ●26『寿量品談義』日寛上人
「祖師より興師へ御付属亦是れ三大秘法なり。興師より目師へ御付属も亦是れなり。(中略)目師より代々今に於て、廿四代金口の相承と申して一器の水を一器に瀉すが如く三大秘法を付属なされて大石寺にのみ止まれり。未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則(ときん)ば本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ。(中略)其の三大秘法の住する処こそ何国にてもあれよ霊山会場寂光の浄刹なるべし。」(富要一〇―一三一n)

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大白法・平成22年7月1日刊(第792号より転載)
 
第一章 日蓮正宗の本尊
Q6、戒壇の大御本尊と各家庭の御本尊との関係を教えてください。
 
 「本門戒壇の大御本尊」は、根本となる究極の御本尊であり、「各家庭の御本尊」は、御本仏日蓮大聖人より日興上人、日目上人へと、大聖人の御内証の法体を唯授一人血脈相伝される御歴代上人が、根源たる本門戒壇の大御本尊の御内証を書写された御本尊です。

 総本山第五十六世日応上人が『弁惑観抄』に
●「此の金口の血脈こそ宗祖の法魂を写し、本尊の極意を伝るものなり、之を真の唯授一人と云ふ」(同書 二一九頁)
と指南されているように、代々の御法主上人に伝えられる血脈相承によって、はじめて本門戒壇の大御本尊の法魂・極意が書写されるのです。
したがって血脈相伝の教えに信順し、本門戒壇の大御本尊を信ずる一念をもって拝むならば、書写された御本尊もその功徳に変わりはありません。
 しかし信仰が戒壇の大御本尊から離れ、血脈相伝の教えから離れるならば、いかに各家庭の御本尊を拝んでも功徳は生じません。かえって罪障を積むことになるのです。
 
 解 説

 本文にあるように、本門戒壇の大御本尊から離れて正しい信仰はありません。
創価学会の魔仏・『ニセ本尊』の破折はもとより、日蓮正宗下付の御本尊を安置する学会員や正信会、その他の退転者に対しても、「総本山の戒壇の大御本尊を根本とせず、血脈を尊信しないところには、信心の功徳は断絶している」こと、さらにはそれが「根源の本尊を蔑ないがしろにし、戒壇の意義を破壊する大謗法である」ことを、しっかりと示して破折すべきです。
 さらに詳しく解説します。
 総本山第二十六世日寛上人は、
●「本尊は万法の総体なり、故に之れを合する則(とき)んば八万宝蔵は但六義と成る。亦此の六義を合すれば則ち但三大秘法と成り、亦三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成るなり。故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり」(六巻抄 八二n)
と示されました。戒壇の大御本尊は三大秘法総在の御本尊です。

 私たちは、時の御法主上人が血脈付法の権能より、その尊極無上の御内証を書写され授与くださることによって、初めて三大秘法整足の御本尊を受持信行することが叶い、その功徳に浴することができるのです。

 三大秘法について、前御法主日顕上人は次のように御指南されています。
●「御本仏大聖人様の末法下種の大法の御化導においても、いわゆる題目、本尊、戒壇という、この三大秘法の本義がすべてそろって、初めて一人の人を真に即身成仏の道に正しく導くことができるのであり、(中略)その一つでも欠けることは、この意義に背馳することになるわけであります」(大日蓮 五五六号)

 本門戒壇の大御本尊は三大秘法総在にして真実の事の法体ですから、その安置の所は根源であり、事の戒壇です。
 また、戒壇の大御本尊は、本門の大法が広宣流布して御本仏の大慈大悲が一閻浮提に遍満し、一切の民衆が本門戒を持つ功徳によって、真の世界平和と人類の福祉を得る根源の事の法体です。

 この根源の事の戒壇に対し、日蓮正宗各寺院・各家庭は、その義理が事の戒壇に当たり、信心の血脈と功徳の流れが通うのです。
 しかしながら、たとえ大聖人様の御真筆の本尊であっても、血脈付法の御法主上人の印可がなく、相伝の深義に背く輩が格護し安置する本尊には、事の戒壇に通じる意義は全くなく、したがって信心の血脈と功徳が成就しません。御歴代上人書写の御本尊においても同様です。

 たとえ御本尊が眼前にあり、何万遍、何億遍の題目を唱えたとしても、本門戒壇の大御本尊と正系血脈の法水を信じないところには、本門の戒壇の意義も本門の題目の意義も成り立たないのです。
 さらには、根本を差し置き、蔑しろにするという大謗法であるため、必ず罪障を積む結果となるのです。

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▼ 君ような態度には心を開かない

■ 機に随って法を説くと申すは大なる僻見(びゃっけん)なり。(撰時抄 建治元年六月一〇日 五四歳 846)

■ 末法の世には、無智の人に機に叶ひ叶はざるを顧みず、但(ただ)強ひて法華経の五字の名号を説いて持たすべきなり。其の故は釈迦仏、昔不軽菩薩と云はれて法華経を弘め給ひしには、男・女・尼・法師がおしなべて用ひざりき。或は罵(ののし)られ毀(そし)られ、或は打たれ追はれ、一しなならず、或は怨(あだ)まれ嫉(ねた)まれ給ひしかども、少しもこ(懲)りもなくして強ひて法華経を説き給ひし故に今の釈迦仏となり給ひしなり。(法華初心成仏抄 弘安元年 五七歳 1315)

■ 人是を用ひず、機に叶はずと云へども、強ひて法華経の五字の題名を聞かすべきなり。是ならでは仏になる道はなきが故なり。(法華初心成仏抄    弘安元年 五七歳 1315

■ 当世の人何となくとも法華経に背く失(とが)に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説ききかすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり。(法華初心成仏抄 弘安元年 五七歳 1316)

■ 末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕(だ)せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓(どっく)の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁(ぼうえん)を結ぶべき時節なる事諍(あらそ)ひ無き者をや。唱法華題目抄   文応元年五月二八日  三九歳 231

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▼ 今まで護られてきたし、功徳もあった。

▲ 功徳とは六根清浄の果報なり。(就註法華経口伝(御義口伝)1775)

あなたのような、我見・慢心・偏執が強く、名聞名利が盛ん。
功徳が無い証拠。

魔の通力

1、正統な本尊でなければむしろ 魔の通力 がある。

@利根と通力

■ 実経に入らざらん者は、或は魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず。(唱法華題目抄 文応元年五月二八日 三九歳 233)
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魔の通力の斯くの如くである。
人の寿命や精気、また功徳や善根を吸い取り奪い取って自らの鋭気とするのが魔の本質である。
一人の人間から末長く功徳や精気を吸い取る為に態と「通力」を現じ、あたかも「御利益」があるように誑惑するのである。
しかし、魔に寿命と精気と功徳と善根を吸い取られ果てたら、行く先は地獄・餓鬼・畜生 の三悪道、就中 無間地獄 である。
ところが、この魔に誑惑されている者は、名聞名利が強くなり、今生の目先の栄利栄達のことしか眼中になくなり、後生の恐ろしさが全く予測出来ないのである。
まことに哀れそのものである。

日淳上人
■宗教の利益はその根本に尊崇し奉る本尊の正邪により且つその説かれる教法の正邪によつて分かるるのである。
本尊と教法が正法である時利益は期せずして現ずるは理の当然であつてその利益は又正しいのである。
若し教法が不純であり邪法であるならば仮令(たとい)利益をいふもそは必ず不純であり邪道の利である。
故に宗教に入るには唯その利益を見て決するは冒険この上なしといはなければならぬ。
故に宗教選択の道は利益を先とせず法の邪正をもつてなさねばならない。
日蓮大聖人は■「但し法門の邪正をもつてただすべし、利根と通力とにはよるべからず」と仰せられてあるが此れが宗教選択の要道である。
利根とは人間の智慧才覚に任せていふその言葉によるを指し、通力とは不思議なる力のみを以て神仏を計ることである。
此等は共に斥(しりぞ)けなければならない
のである。

日顕上人
■たしかにこの、いろんなおかしな利益・功徳というものを、新興宗教やいろいろな所で言っております。
これは魔の通力ということもありまするし、いろいろな小さな功徳というものは、たしかにそういうものにおいてある場合があります。
しかしそれは、根本の成仏という功徳ではないし、逆にその成仏の大益から見るならば、それをさえぎり、妨げるところの魔の通力であり利益となってしまうのでございます。
成仏の根本は、仏法の正しい法というものにある
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A、■「若し衆生生死を出でず仏乗を慕はずと知れば、魔是(こ)の人に於て猶(なお)親(おや)の想(おもい)を生(な)す」(種々御振舞御書 建治二年 五五歳 1063)
【通解】もしも、仏道修行している者たちが、そのやり方では絶対に成仏できないし、真の仏道=戒壇の大御本尊を渇仰せず修行をしないと分かれば、魔がこういう者たちに対して親のように想いになる)

■ 人善根(ひとぜんこん)を修すれども、念仏・真言・禅・律等の行をなして法華経を行ぜざれば、魔王親のおもひをなして、人間につきて其の人をもてなし供養す。(1063)

B、■「一分のしるしある様なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。魔王・魔民等守護を加へて法に験(しるし)の有る様なりとも、終(つい)には其の身も檀那も安穏なるべからず。」(御書・諫暁八幡抄 1531n

【通解】魔の通力によって出てくる功徳らしきものは何か当座は叶ったようなことがあるようでも、天にも地にも知れ渡るような、事の一念三千の法理にかなって法界に遍くような、真の祈りの成就というようなことにはならない。
魔王や、その眷属である魔民が守護して、邪法である仏法でも祈りが叶うようなことがあったとしても、最後にはその邪師の身も、それに付き従う信者たちも、真の幸福境涯は訪れないのである。それどころか、安心して生活できないような境涯となる)
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2、無間地獄行きが決定した者には現罰が出ない。

■ 順次生(じゅんじしょう)に必ず地獄に堕つべき者は、重罪を造るとも現罰なし。一闡提人これなり。571

■ 詮ずるところ、上品の一闡提人になりぬれば、順次生に必ず無間獄に堕つべきゆへに現罰なし。

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人の些細な言動を云々して根本の大事の論議を遮る

■ 善は但善と思ふほどに小善に付いて大悪の起こる事をしらず(南条兵衛七郎殿御書 文永元年一二一三日 四三歳 323)

■ 善なれども大善をやぶ(破)る小善は悪道に堕つるなるべし。(南条兵衛七郎殿御書 文永元年一二一三日 四三歳 323)

■ 小善還って大悪となる。(下山御消息 建治三年六月 五六歳 1138)

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▼ もう帰れ〜〜!

■ 瞋るは地獄 (如来滅後五五百歳始観心本尊抄 文永一〇年四月二五日 五二歳 647)

■ 只(ただ)須(すべから)く汝仏にならんと思はゞ、慢のはたほこ(幢)をたをし、忿(いか)りの杖をすてゝ偏(ひとえ)に一乗に帰すべし。名聞名利は今生(こんじょう)のかざり、我慢偏執(がまんへんしゅう)は後生のほだ(紲)しなり。嗚呼(ああ)、恥ずべし恥ずべし、恐るべし恐るべし。(持妙法華問答抄 弘長三年 四二歳 296)

結局あなたは、法義の根幹部分に触れられるの怖いからそのように威嚇するだけ。小心で臆病の弱虫 ということ。

■ 日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず。(教行証御書 建治三年三月二一日 五六歳 1109)

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文証なしに我見を喋り続ける

■ 天台は「若し深く所以(ゆえん)有りて、復修多羅(しゅたら)と合する者は、録して之を用ふ。文無く義無きは信受すべからず」と判じ給へり。又云はく「文証無きは悉(ことごと)く是邪謂(じゃい)なり」とも云へり。いかゞ心得べきや。(持妙法華問答抄 弘長三年 四二歳 294)

■ 若し証拠なくんば誰の人か信ずべきや。かゝる僻事(ひがごと)をのみ構へ申す間、邪教とは申すなり。(祈祷抄 文永九年 五一歳 634)

■ 文証の所出を知らざる我意の浮言ならば之を用うべからず。(法華真言勝劣事 307)

■ 縦い等覚の大士法を説くと雖も経を手に把らずんば之れを用ゆべからざるなりと。(日寛上人・依義判文抄)

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屁理屈をこね続ける

■ 或は小(すこ)し自義に違(たが)ふ文有れば理を曲げて会通(えつう)を構(かま)へ、以て自身の義に叶はしむ。(守護国家論 127)

■ 非学匠は理につまらず。他人の道理をも自身の道理をも聞き知らざる間、暗証の者とは云ふなり。
都(すべ)て理におれざるなり
、(諸宗問答抄 34)

■ 非を捨てヽ理を取るは智人なり。(法華取要抄 文永一一年五月二四日  五三歳 732)

■ すりはむどく(須梨槃特)は三箇年に十四字を暗(そら)にせざりしかども仏に成りぬ。提婆(だいば)は六万蔵を暗にして無間に堕(お)ちぬ。是偏(ひとえ)に末代の今の世を表するなり。敢(あ)へて人の上と思し食すべからず。(三三蔵祈雨事 建治元年六月二二日 五四歳 877)

■ 日蓮が弟子等の中に、なかなか法門し(知)りたりげに候人々はあ(悪)しく候げに候。(上野殿御返事 弘安元年四月一日 五七歳 1219)

■ 智慧に於ても正智あり邪智あり。智慧ありとも其の邪義には随ふべからず。1458

■ 今下種結縁の最初を忘れて劣謂勝見(れついしょうけん)の僻案を起こし、師弟有無の新義を構へて理非顕然の諍論を致す。誠に是(これ)葉を取って其の根を乾かし、流れを酌んで未だ源を知らざる故か。1880

■ 汝が立義一々大僻見(だいびゃっけん)なり。執情(しゅうじょう)を改めて法華に帰伏(きぶく)すべし。然らずんば豈(あに)無道心に非ずや。30

■ 所詮仏教に依って邪見を起こす。目の転ずる者、大山転ずと欲(おも)ふ。(寺泊御書 文永八年一〇月二二日 五〇歳 484)
 
■ 明者は其の理を貴び闇者は其の文を守る。(依義判文抄)

■ 義に依って語に依らざれ