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教義的資料目次


大聖人様が天皇についてどのように捉えられていたのかを考察する

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日本の神武天皇の御時、度美長(とみのおさ)と五瀬命(いつせのみこと)と合戦ありしに、命(みこと)の手に矢たつ。命の云はく、我はこれ日天の子孫なり。日に向かひ奉りて弓をひくゆへに、日天のせめをかをほ(蒙)れりと云云。(報恩抄 建治二年七月二一日 五五歳 1024)

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日本
        ┌天神 七代
  神代十二代─┤
        └地神 五代
  人王百王   第一  神武天皇
           之を略す
         第十四 仲哀   @八幡大神の父なり@
         第十五 神功皇后 @八幡大菩薩の母なり@
         第十六 応神天皇 @今の八幡大菩薩なり@
           略
         第卅  欽明天皇 歴記に云はく、欽明天皇の治天下十三年=壬申=歳冬十月一日、百済国の聖明
             王より仏像経等始めて日本国に送る
         第卅一 敏達天皇
/P1098
                         ┌@厩戸王子@─@四天王寺を造る@
         第卅二 用明────────聖徳太子は用明の御子なり
         第卅三 崇峻          ├@上宮太子@
         第卅四 推胡  @女帝@    ├@守屋を切る。
         第卅五 舒明          ├@四十九院を立つ@
         第卅六 皇極  @女帝@    ├@南岳大師の後身なり@
         第卅七 孝徳          └@救世観音の垂迹なり@



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神と申すは又国々の国主等の崩去し給へるを生身(しょうじん)のごとくあがめ給う。此(これ)又国王・国人のための父母なり、主君なり、師匠なり。片時もそむかば国安穏なるべからず。此を崇むれば国は三災を消し七難を払ひ、人は病なく長寿を持ち、後生には人天と三乗と仏となり給ふべし。(神国王御書 弘安元年 五七歳 1298)


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考察

↑ 以上の御文と、神天上 悪鬼乱入の要文 を総合して考察すると、

日本国の国主である天皇は、本来ならば、生前はまさに国主として、崩御の後は日本国の守護神として尊仰すべき威徳のある方々であるが、国が邪法・邪義・謗法にまみれてしまったが故に、法華経の法味に飢えた梵天・帝釈・四天王などの大諸天善神が去ってしまい、その眷属である天皇が崩御した後の守護神も共に相去った状態にあり、国に悪鬼魔神が乱入し、天皇もその遺徳を失っている状態にある。

故に、三大秘法の南無妙法蓮華経・正統なる御本尊を広宣流布すれば、国主である天皇に本来の遺徳を取り戻すことができ、国も統治され、崩御された後も、日本国の守護神として大いに天長地久の繁栄をもたらしてくださる。

こういう、原理であると拝せられる。 

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