▲ 霊魂「のようなもの」というのは確かにありますが、それはこの因縁の大原理によって変相流転する生命の一面をかいま見たに過ぎません。
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▼ 「誰が」が、「どのような方法」でそのようなものを見たのですか?
言っている事は真如苑の霊能の片鱗そのものですが?
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★ → 真如苑の霊能者でなくても、世間でも亡霊、幽霊、霊魂、の類を見たり、感じたりする人は数多いる。
別に真如苑の霊能者だけが特別な能力という訳ではない。
真如苑の霊能者とか称する者達が見ている故人の霊のようなモノ。
それが、真実の認識である、という証拠、根拠を経典を基に具体例として証明してください。
それが出来なければ、恐山なのどただのイタコなどの類と同じではないか?