■ 霊界だの霊魂だのは仏教ではない
真如苑では、
▼「霊界にいる先祖の霊魂が苦しんでいるので、その霊のタタリで現在が良くない。これを除くために、真如苑で護摩や施餓鬼(せがき)の供養をするように」
などと勧めています。
▲しかし、仏教では「死んだ後も、個々人の我(が)が霊魂として永遠不滅に存続する」というような説を「常見(じょうけん)」と呼び、これを否定しています。
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▼ 常見とは「死んだ後も、個々人の我(が)が霊魂として永遠不滅に存続する」ことを肯定するものです(「アートマンの不滅」)。それを否定するのを「断見」と言います。
貴方の説明は断見の説明です。
更に仏教では「無記」と言って死後の世界を積極的に論じてはいません。
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★ → 長阿含 にも八大地獄が説かれている。
貴方のいう「無記」とは、仏道修行に全く無意味な質問について釈尊が答えなかった。という意味。
例えば、「如来は死後、存在するのかしないのか。」といたような質問。
我々の死後のことは、生前の因果と縁によって成り立つという教説は存在している。