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★ 樋田氏も指摘されておられますが、私が真如苑の教理に矛盾を感じることの一つに「抜苦代受」があります。
伊藤真乗の二人の息子が夭逝し、その子らが衆生の苦を代わりに受けるというもの。

百歩譲ってそうだとして、「真如苑の言うところの修行もしていない、既に非情となった幼子」に、どのような因縁でそのような神力ともいえる力が具わったのか甚だ疑問です。

涅槃経にある「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」
が抜苦代受の根拠だとしても、経文の文意は、一切衆生の苦・楽等を我が事(我が一念に収まること)とし、一切を御照覧である御仏が、その大慈大悲の御境涯を御示しになられたもので、「誰かの代わりに苦しみを受ける」などというものではありません。

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 ▼ 長男、智文の没後、100ヵ日法要の時に友司が智文を霊視しました。
地獄のような燃え盛る炎の中から人々を救っている姿が示され、智文の死を機会にそれまで祈祷の願い事しかしなかった人々が、文明(真乗)の話に耳を傾ける事になったと言います。

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★↑の話もやはり、「死ねば皆仏」的な発想からきた如何わしい妄想の臭いがします。「地獄に於いても人々を救う」ことが出来るのは御仏だけです。
なんの修行もせずに夭逝した幼子が、なんの因縁も経ずに成仏し衆生を救うなどという珍説は、やはり、因果の法から外れた外道義と言わざるを得ません。