▲ また、真如苑が依経(えきょう=よりどころの教典)としている
● 『涅槃経』には、
▼「釈迦如来が久遠常住(くおんじょうじゅう)である」とか、
▼「不動明王やら十一面観音を本尊に立てて拝め」
などとはいっさい説かれていません。
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▼ 如来常住については純陀品からその理が詳しく説かれているとあります。
また、「如来常住」の文字は名字功徳品第六にも明確に書かれています。
というか、「如来常住」は涅槃経の特徴です。
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★ → 『如来常住』 という文言が出ているとはいえ、涅槃経には 釈尊成道の根本因相が明かされていない。
それが示されているのは法華経如来寿量品第十六だけ。
「我本行菩薩道」
釈尊は明らかに、長遠の間 「菩薩」の修行をして、「仏」になった。
つまり、釈尊が如来になったのは始まりがある。「有始」なのである。
「如来」を釈尊に約して解釈した場合、それは無始無終でないので「常住」ではないのである。
であるから「如来」を短絡的に「釈尊」としか思えない思考が、そもそも事実誤認の見当ハズレであり、浅薄なのである。
ここに、釈尊が五百塵点劫のその前、当初(そのかみ)に菩薩として修行した仏教は一体何か?その時の「仏」は誰か?
という命題が解明しなければ、真の仏道を成就することはできない。
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