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では真如苑惑乱者が今までこちらの破折に対して反論がなされてない箇所をここで列挙しておこう。

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★ 昭和11年2月、伊藤文明・友司夫妻は宗教一筋の生活に入ることを決意しました(真如苑では、この日を立教の日としています)。
ところが同じ年の6月、3歳の長男・智文が風邪をこじらせて急死してしまいました。
▲  これは設立間もない教団にとっては大事件であり、この解決のために夫妻は高尾山にこもって荒行を行い、「長男の死は、他人の苦の身代わりになった(抜苦代受)」と勝手な結論を導き出しました。

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  ▼ 長男、智文の没後、100ヵ日法要の時に友司が智文を霊視しました。
地獄のような燃え盛る炎の中から人々を救っている姿が示され、智文の死を機会にそれまで祈祷の願い事しかしなかった人々が、文明(真乗)の話に耳を傾ける事になったと言います。
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   ★ → 一体、どこに書いてあることか?
しかもその真偽はどういう基準で判定しているのか?
客観的証拠は提示できるのか?
つまり、教団が、このような第三者が客観的に確認もできないようなことを言うことなど、何とでも言える、ということ。

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▼ また、このころから接心修行で霊能者が苦痛を直に感じたりすることがなくなり、信者の先祖霊や関係霊が示されるようになったと言います。

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   ★ → 全く根拠不明。教団関係者の宗教的主観的な発言など、極めて信用度が低い証言の類。


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