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※註 樋田 見易くするために体裁だけは整えさせていただいた。

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▼ その指し示した先に佛の言いたい事(シニフィエ=「意味されるもの」)があるという概念と対象との対応関係を言っています。

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   ★ ↑  その「佛の言いたいこと」も結局、言語(文字)でしょう。それともテレパシーですか? 禅宗でいう教外別伝・以心伝心と同じ主張ですね。

引用が長くなりますが、仏は必ず言辞=言語を以って衆生を度すことを示し論難を破ります。
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妙法蓮華経方便品第二
「舎利弗、@吾A成仏してより已来、B種種の因縁、種種の譬喩をもって【C】広く言教を演ベ、D無数の方便をもって衆生を引導して、E諸の著を離れしむ。」

@吾=仏世尊
A成仏してよりずっと今に至るまで
B種々の因縁・譬喩をもって
【C】広く言教を演べ
D無数の方便をもって衆生を引導して
E諸の著を離れしむ

【C】の言教とは「仏が言葉で示した教え」でしょう。その言葉で示した教えによって衆生を成仏へ導くと。

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妙法蓮華経如来寿量品第十六には
先ず冒頭に
「爾時仏告諸菩薩。及一切大衆。諸善男子。汝等当信解。如来誠諦之語。復告大衆。汝等当信解。如来誠諦之語。又復告諸大衆。汝等当信解。如来誠諦語。」
爾の時に仏、諸の菩薩及び一切の大衆に告げたまわく、諸の善男子、汝等当に如来の「誠諦の語」を信解すべし。復大衆に告げたまはく、汝等当に如来の「誠諦の語」を信解すべし。又復諸の大衆に告げたまはく、汝等当に「如来の誠諦の語」を信解すべし。

とあり、仏世尊が「ことば」によって衆生を導くことは明白です。故に「如来誠諦のことば」を信解するよう何度も勧めています。

それに応じ弥勒をはじめとした菩薩衆が

「是時菩薩大衆。弥勒為首。合掌白仏言。世尊唯願説之。我等当信受仏語。」

是の時に菩薩大衆、弥勒を首として、合掌して仏に白して言さく、世尊唯願わくは之を説きたまえ。我等当に「仏の語」を信受したてまつるべし。

と「仏のことば」を信受することを誓います。

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さらに、如来寿量品第十六では、法華経を指して、苦悩する者を治すことの出来る大良薬とも説き、

「我時語衆生 常在此不滅 以方便力故 現有滅不滅 余国有衆生 恭敬信楽者 我復於彼中 為説無上法 汝等不聞此 但謂我滅度」

我時に衆生に語る。常に此にあって滅せず。方便力を以ての故に 滅不滅ありと現ず。余国に衆生の 恭敬し信楽する者あれば 我復彼の中に於て 為に無上の法を説く。汝等此れを聞かずして 但我滅度すと謂えり。

法華経をして「無上の法を説く」と、法華経こそ無上の法であることを御示しです。

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仏法は道理ですから、良医の喩えにあるように、いかに大良薬でも取って服さなければ(如来誠諦の語を信受しなければ)病は癒えません。

涅槃経は、如来誠諦の語を信受できずに自ら取って服さなかった聞き分けのない者達のために説かれたものであり、法華経の教法に失はなく、服せば必ず成仏の出来る無上の法であることに変わりはありませんね。

また、問難者が言うところの「言葉は方便を含む」が正しければ、仏が真に言いたい(伝えたい)ことが言えない(伝わらない)=衆生の成仏が叶わないのだから、どこまで行っても法華涅槃の経が随自意とはいえないでしょう。

問難者の説が正しければ、種々の神力を以って、自由自在に、苦なく衆生を救えるはずの悟られた方(釈尊)でさえ伝えられない・説けない法(真理)など、末法の鈍根の衆生に悟りようが無いではないですか。
衆生を度せない仏は仏ではありませんよね。伊藤真乗のみならず、釈尊をも妄語の人と貶めたいのでしょうか?

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▼ まぁ、密教なのでね。
基本口伝。一般人は相手にしていません。
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   ★ ↑ 口伝=言語で伝えるという義でしょう。
また、真如密教とのことですが、▼「一般人は相手にしていません」とする態度そのものが衆生無辺誓願度に反するので、そのような者もそのような宗派も、真に衆生を救う菩薩でもなければ仏でもないですね。

密教の矛盾は、誰でも救うと言いながら、その実、才能がある者にしか解らないと逃げを打つところにあります。

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▼ お経典に自分を合せるのではない。

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    ★ ↑ 読み飛ばしていましたが、この一言はすごいですね。
涅槃経「若し仏の所説に順わざる者有らば是魔の眷属なり」との御制戒に100%該当し、自ら魔の眷属であることを(うっかり)宣言したといえるでしょう。このような態度ですから、いかに正法を説けども漆に水ですかね。

涅槃経「仏の出世の文字を受持せよ」の“出世の文字”とは“随自意の経”のこと。

▼ お経典に自分を合わせるのではない

との言は、「邪師 伊藤真乗を仏とする真如苑教徒は、釈尊の御意に反し、釈尊の出世の文字=随自意の経=法華涅槃を受持(受けることも持つことも)しません」と同義であるから、問難者が仏敵であることは明白ですね。

それでも御仏は法華経聞法・下種結縁に依って必ず「いつか」成仏が叶うと仰せです。
潔く慢心・執心を翻しさえすれば今生で叶うものを、自ら捨てるのが真に不憫です。


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