▼ 霊能や奇跡的なお力については、大般涅槃経四相品第七を拝読してください。「種々の神通変化を示現す」と示されています。
また神通については法華経の観世音菩薩普門品にも「神通力者 当知是人 功徳不少」とあり、法華経においてさえもその存在を前提しています。
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★ ↑ 神通の意味の解釈が全く不可
では、真如苑でしている、接心だの霊能者と呼ばれている者たちがしている行為が、経典に説かれる「神通」の意味であると、経文上、明確に証明してください。
つまりは、伊藤真乗がそう決めた、というだけのことでしょう。
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● 神通 とか 神力 の真の意味
観世音菩薩普門品第二十五
567下-03
無尽意、観世音菩薩は、是の如き自在神力有って、娑婆世界に遊ぶ。
爾の時に無尽意菩薩、偈を以て問うて曰さく、
世尊は妙相具りたまえり 我今重ねて彼を問いたてまつる
仏子何の因縁あってか 名づけて観世音と為すや
妙相を具足したまえる尊 偈をもって無尽意に答えたまわく
汝観音の行を聴け 善く諸の方所に応ず
弘誓の深きこと海の如し 劫を歴とも思議すべからず
多千億の仏に侍えて 大清浄の願を発せり
我汝が為に略して説かん 名を聞き及び身を見
568下-01
心に念じて空しく過ぎざれば 能く諸有の苦を滅す
仮使害の意を興して 大いなる火坑に推し落さんに
彼の観音の力を念ぜば 火坑変じて池と成らん
或は巨海に漂流して 龍魚諸鬼の難あらんに
彼の観音の力を念ぜば 波浪も没すること能わじ
或は須弥の峯に在って 人に推し堕されんに
彼の観音の力を念ぜば 日の如くにして虚空に住せん
或は悪人に逐われて 金剛山より堕落せんに
彼の観音の力を念ぜば 一毛をも損ずること能わじ
或は怨賊の遶んで 各刀を執って害を加うるに値わんに
彼の観音の力を念ぜば 咸く即ち慈心を起さん
或は王難の苦に遭いて 刑せらるるに臨んで寿終らんと欲せんに
569下-01
彼の観音の力を念ぜば 刀尋いで段段に壊れなん
或は枷鎖に囚禁せられて 手足に?(きへん+紐の右 旁)械を被らんに
彼の観音の力を念ぜば 釈然として解脱することを得ん
呪詛諸の毒薬に 身を害せんと欲せられん者
彼の観音の力を念ぜば 還って本人に著きなん
或は悪羅刹 毒龍諸鬼等に遇わんに
彼の観音の力を念ぜば 時に悉く敢えて害せじ
若しは悪獣囲遶して 利き牙爪の怖るべきに
彼の観音の力を念ぜば 疾く無辺の方に走りなん
?(虫+元)蛇(がんじゃ)及び蝮蠍(ふくかつ) 気毒の煙火の燃ゆるごとくならんに
彼の観音の力を念ぜば 声に尋いで自ら廻り去らん
雲雷鼓掣電し 雹を降らし大いなる雨を?(さんずい+樹の右 旁)がんに
570下-01
彼の観音の力を念ぜば 時に応じて消散することを得ん
衆生困厄を被って 無量の苦身を逼めんに
観音妙智の力 能く世間の苦を救う
神通力を具足し 広く智の方便を修して
十方の諸の国土に 刹として身を現ぜざること無し
種種の諸の悪趣 地獄鬼畜生
生老病死の苦 以て漸く悉く滅せしむ
真観清浄観 広大智慧観
悲観及び慈観あり 常に願い常に瞻仰すべし
無垢清浄の光あって 慧日諸の暗を破し
能く災の風火を伏して 普く明かに世間を照す
悲体の戒雷震のごとく 慈意の妙大雲のごとく
甘露の法雨を?(さんずい+樹の右 旁)ぎ 煩悩の?(焔の右 旁の下が臼+炎)(ほのお)を滅除す
諍訟して官処を経 軍陣の中に怖畏せんに
彼の観音の力を念ぜば 衆の怨悉く退散せん
妙音観世音 梵音海潮音
勝彼世間音あり 是の故に須く常に念ずべし
念念に疑いを生ずること勿れ 観世音浄聖は
苦悩死厄に於て 能く為に依怙と作れり
一切の功徳を具して 慈眼をもって衆生を視る
福聚の海無量なり 是の故に応に頂礼すべし
爾の時に持地菩薩、即ち座より起って、前んで仏に白して言さく、
世尊、若し衆生有って、是の観世音菩薩品の自在の業、普門示現の 『神通力を聞かん者は、当に知るべし、是の人の功徳少からじ。』
仏、是この普門品を説きたもう時、衆中の八万四千の衆生、皆無等等の阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。
★ 引用が長くなりましたが、この 観世音菩薩普門品第二十五の文を拝すると、「修行者が観音の力を念ずる → 種々の困難が解決する」
そういう趣旨である。
また、結局は、生老病死の根本問題を解決し、成仏の境界を開くことが本当の目的であることも明瞭である。
しかも、貴方が提示した当該文『神通力を聞かん者は、当に知るべし、是の人の功徳少からじ。』も、
「この観世音菩薩普門品第二十五で説く観音の諸難を解決する不思議な神通力を信受した者は、功徳甚大である。」
という意味であって、どこにも 「信徒が霊能者となって霊能を開く」 などの意義は存在しない。
全文通して、一体どこに、「信者が霊能が開いて、それにまた階層があって、それにお金払って相談してどうのこうの」、という意味があろうか?
神通 神力 と言う意味を全く取り違えている。
つまり、伊藤真乗と云う者は、仏教の本質が全く分かっていない、邪師・魔師の類、ということである。
● 「神通」 との語は以下の経文にも使われているが、これと、真如苑で行われている、接心 や霊能 とどう関係があるのか、証明してください。
■ 無量義経十功徳品第三
爾の時に仏、大荘厳菩薩摩訶薩及び八万の菩薩摩訶薩に告げて言わく、
汝等当に此の経に於て、応に深く敬心を起し、法の如く修行し、広く一切を化して、勤心に流布すべし。常に当に慇懃に昼夜守護して、諸の衆生をして、各法利を獲せしむべし。汝等、真に是れ大慈大悲なり。以て神通の願力を立てて、是の経を守護して、疑滞せしむること勿れ。汝当時に於て、必ず広く閻浮提に行ぜしめ、一切衆生をして、見聞し、読誦し、書写し、供養することを得せしめよ。是を以ての故に、亦疾く汝等をして、速かに阿耨多羅三藐三菩提を得せしめん。
■ 妙法蓮華経序品第一
爾の時に弥勒菩薩、是の念を作さく、
今者世尊、神変の相を現じたもう。何の因縁を以て此の瑞有るや。今仏世尊は、三昧に入りたまえり。是の不可思議にして希有の事を現ぜるを、当に以て誰にか問うべき、誰か能く答えん者なる。
復、此の念を作さく、
是の文殊師利法王の子は、已に曽て、過去無量の諸仏に親近し供養せり。必ず応に此の希有の相を見たるべし。我、今当に問うべし。
爾の時に、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、及び諸の天、龍、鬼神等、咸く此の念を作さく、
是の仏の光明、神通の相を、今当に誰にか間うべき。
爾の時に弥勒菩薩、自ら疑を決せんと欲し、又、四衆の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、及び諸の天、龍、鬼神等の衆会の心を観じて、文殊師利に問うて言わく、
何の因縁を以て、此の瑞、神通の相有り、大光明を放ち、東方万八千の土を照したもうに、悉く彼の仏の国界の荘厳を見るや。
是に於て弥勒菩薩、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を以て問うて曰く、
文殊師利 導師は何が故ぞ
眉間白亳の 大光普く照したもう
曼陀羅 曼殊沙華を雨らして
栴檀の香風 衆の心を悦可す
是の因縁を以て 地皆厳浄なり
我常に此に住すれども 諸の神通力を以て
顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見えざらしむ