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では次の大矛盾
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付法の八祖[編集]
真言宗の法流の正系を示している。教主大日如来の説法を金剛薩?が聞いて教法が起こり、真言宗の教えが伝わった系譜である。
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次の龍猛菩薩 だが、問難者の好きなウィキペディアによると、そのままリンク先へ行けば、以下のように出ている。
さ、どうします?
竜樹菩薩とは別人だそうですよ?
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龍猛(りゅうみょう、N?g?hvaya、別訳 龍叫)は、密祖(密教の祖)とされ真言宗では真言八祖の1人である。長らく龍樹と同一視されてきたが、諸説あるもののおそらくは、6世紀ごろの別人である。
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さらに調べると、↓ こうある。
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密教の祖[編集]
大正時代の河口慧海や寺本婉雅は、『八十四成就者伝』の龍樹伝が特異であることから、それに書かれた龍樹は、本来の龍樹の没後(寺本によると6世紀)の同名異人であるとした。この説では、本来の龍樹を「古龍樹 (N?g?rjuna I)」、『八十四成就者伝』の龍樹を「新龍樹 (N?g?rjuna II)」と呼び分ける。
河口は、密教経典のうち『無上瑜伽タントラ』(左道密教)が新龍樹の著作であるとしたが、これには、古龍樹の著に基づく真言密教の正当性を主張するという背景があった。
一方、寺本は、龍樹に帰せられていた密教経典の全てが新龍樹の著作であり、古龍樹は密教とは無関係であるとした。すなわち、古龍樹が中観の祖、新龍樹が密教の祖である[3]。
この説に対し羽溪了諦は、2人の龍樹の伝記の骨子
は共通であることから、これらは同一人物の伝記であり、『八十四成就者伝』が異なる部分は密教の影響による潤色であるとした。また、栂尾祥雲は『八十四成就者伝』の史料的価値を否定した。
寺本は、新古2人の龍樹に加え、古龍樹の弟子の龍猛 (N?g?hvaya) がいたとした。龍猛は浄土教の祖であり、『入楞伽経』に記された龍樹の授記は龍猛のものであるとした[3]。
現在、龍猛が別人とされるときは、密教の業績が帰せられることが多い。この点では、寺本説の龍猛ではなくむしろ新龍樹に対応する(ただし龍猛と新龍樹は別の史料に基づく人物像である)。
仏教学者の中村元は、ナーガールジュナの同一性を疑う「複数説」を紹介している[4]。中村元によると、以下の6つの人物像がナーガールジュナの名に帰せられている。
この内、中村は 5 と 6 が、1 と大分色彩を異にしており、別人ではないかと思われると、疑義を呈している。
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もし、竜樹菩薩と別人としたら、
@ 真言の付法の系譜そのものが崩壊することになる。
A 貴方の主張も崩れる。
B 真乗への系譜も崩壊する
C 真乗はただのホラ吹きの似非宗教屋 ということになる。
さ、いかがか。
これも「揚げ足取り」と批判して下して無視しますか?
それでも、いいですよ。こちらは「反論不能項目」に加えるだけですから。