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▼ お稲荷さんの話。
お稲荷さんって、キツネだと思っていませんか?
実はお稲荷さんに「お仕えする使者」がキツネなのですね。
お稲荷さん自身の御本体は「翁」だったりしますが、とにかく一般公開される事はほとんどないご神体です。
で、そのお稲荷さんですが、本当に功徳があるらしいです。
億単位の借金をしていた人がお稲荷さんを拝んで逆転、大金持ちになった話を聞いたことがあります。
ですが、そういう風に「神頼み」をして「御利益」を引き出す事は、目に見えない世界に借金するのと同じです。
自分の子供や孫の代に、その返済を迫られると言う事です。
交通事故で即死したり、経済苦に陥ったりという事ですね。
ですから、「健康になりたい」「経済苦を逃れたい」という人間本位の信心は怖いのです。
最初、宗教に縁するきっかけとしては、そうした御利益を求める事は仕方ありません。
しかし、いつまでもそうやって「御利益」という借金を積み重ねるのは、後が怖いと言う事です。
ちなみに、お稲荷さんの使者としての「キツネ(狐)」についても少しお勉強しましょう。
「七狐の境涯」というのがあります。
狐と言うのは1,000年修行して一つずつ上のランクに上がって行くというものです。
1〜7の境涯ですね。全部で7000年という事になります。
1. 野狐(やこ)
2. 菅狐(かんこ)
3. 飯網狐(いいずなこ)
4. 白狐(びゃっこ)
5. 銀狐(ぎんこ)
6. 金狐(きんこ)
7. 天狐(てんこ)
この中で、まだ境涯が低い飯綱狐などまでは、人に憑いてみたり、悪さする事もあると言います。
ですが白狐クラスになると、真如苑の霊能者でかなり高い霊能を預かっていても見えないそうです。
天狐というのは、もう姿も見えないそうです。
その天狐がお稲荷さんにお仕えしており、お稲荷さん御本体は天狐にまたがっておられるので、お稲荷さんの御神体はみえても天狐は見えないそうです。
ちょっと、理解しにくい話になりましたが、要はあまり軽々しく神仏を考えてはいけないという事です。
問題解決の為に法華経を拝むのは危険ですよという事です。
そういうのを利益信仰と言い、単純に功徳の借金をするだけの事なのです。

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   ★ ↑ おやおや。。。思わず失笑しましたよ。

末法の御本仏 日蓮大聖人曰く
■ 辛(から)きを蓼葉(りょうよう)に習ひ臭きを溷厠(こんし)に忘る。
善言を聞いて悪言と思ひ、謗者(ぼうしゃ)を指して聖人(しょうにん)と謂ひ、正師を疑って悪侶(あくりょ)に擬(ぎ)す。
其の迷ひ誠に深く、其の罪浅(あさ)からず。(立正安国論 文応元年七月一六日 三九歳 242)

この真如狂徒、まさにこの御指摘のままの状態ですな。
真乗の魔の通力に絡め取られているものだから、魔の通力と真の功徳の見分け・筋目 その本質が全く見えなくなっている。
便所に長く居ると自分がいるその便所の臭さが分からなくなる。
これ。
そもそも稲荷自体が魔界の信仰であって、人に魔の通力を与えて徐々に魔界へ引き摺り込む。
その結果、不幸が多発し、死後はお約束通り三悪道へ引き摺り込まれる。。。
この辺については一定の見識があるとも言える。
が、それは自分達の真如苑も同様。
というよりもっと悪辣・強力な魔界の宗教であることには気が付いていない。
それは便所に長く居て自分が臭くなっていることに気が付いていないから。
魔界の宗教、真如苑で霊能が開く。。。これ稲荷に祈って何か叶うのと目クソ鼻クソ現象。
その霊能が開いたことで、魔界へ借金をしているようなもの。後々必ず不幸が重畳するのである。
この真如狂徒の言葉を借りて、「稲荷信仰」を「真如苑」に置き換えてみましょう。

『 で、その「真如苑」ですが、本当に功徳があるらしいです。(※←魔の通力)
億単位の借金をしていた人が「真如苑に入って接心だのお導きなどで」逆転、大金持ちになった話を聞いたことがあります。
ですが、そういう風に「真如苑頼み・接心・霊能・抜苦代受頼み」をして「御利益」を引き出す事は、目に見えない世界に借金するのと同じです。
自分の子供や孫の代に、その返済を迫られると言う事です。(※←子供や孫どころか、現世で本人にそのしっぺ返しは必ず起こる。しかも死後も永劫に)
交通事故で即死したり、経済苦に陥ったりという事ですね。』

と、まぁ、こういうこと。
現世利益を願うこと自体が悪い事ではない。

妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八
■ 若し後の世に於て、是の経典を受持し、読誦せん者、是の人は復、衣服臥具、飲食資生の物に貪著せじ。所願虚しからず。亦現世に於て、其の福報を得ん。

と法華経に明確に示されている。
真の力ある宗教は入門当初はどんな現世利益的信仰で始めても、必ず即身成仏できる方向へ自ずと向って行けるのである。
登山者自体が初心者でも、真の力ある道先案内人に付き従って行けば、あらゆる方法を駆使して頂上まで導いてくれるものである。

この真如狂徒の勘違いは、「現世利益信仰」と「魔の通力頼み」信仰と、「ただの厳罰」の見境がつかなくなっている、ということ。
そして真如苑で相次ぐ不幸が度重なる状況は、邪教であるがために現世に全く福報が得られないただの仏罰であるにも関わらず、それを誤魔化すために、あるいは自身の心を納得させるために、「現世利益信仰なんて程度の低いもの。しかも後が怖いのよん。」といって、福報がない苦悩が連続する自分の無様な現状を慰めているだけのこと。
これ創価学会にしろ顕正会にしろ出会った邪宗教の信徒はみなほぼ一様に同様な感覚に陥っている。

「邪宗教であるが故の魔の通力」 を「利益・功徳」と思い、
「ただの仏罰」 を「信仰を深めるための試練」と勘違いし、
真の六根清浄の即身成仏の大果報など全く夢にも感じることなどできない。
邪教の害毒によって苦悩の境界へずるずると引き摺り込まれてしまいには、心身共に魔どもの饗宴の餌食となるのである。

それはエベレストの頂上を目指そうとしていた登山者が悪徳旅行代理店に騙されて、膨大な金を巻き上げられた挙句、悪徳道先案内人に騙され続けて、危険な目に何度も合わされその度にまたなんだかんだと理由つけられ更に金を巻き上げられ、しまいには金も出し尽くし、精も根も尽き果てて、悪徳業者からも搾り取るだけ搾り取った、と無惨に投げ捨てられ、そこで遭難、滑落、などして、粉々になって死ぬようなものである。
これが邪宗教の本質・実体である。

これに騙されている真如狂徒。他創価学会・顕正会など全ての邪宗教の信者は

まことに愚かである!大馬鹿者である!

  
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