▼ さて、今回も樋田氏への反論は少しにして、「そんな話もなるんだ」的知識に資する事を何か書きますね。
まずは、反論
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★ 涅槃経の経文は全て 「法華経 勝 涅槃 劣」 の立場が底意にある。
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★ その証明は済んだ。
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▼ 証明が済んだなら、それ以降のお話は何の為になさっていますか?
新左翼の心証操作ってのは「相手は関係ない」のです。
自己の主張をするために、相手が立ち去った後でも何時間でもマイクを握ってアジテーションしています。
同類!
で?
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★ ↑ 真如狂徒は、人の批判は得意だが、自分を客観視できない傾向性ですね。
一般的にみんなそういうものかもしれないが、この狂徒は特に酷いようだ。
こちらは、この真如狂徒が正当な論理としてはもうかなり前から追い詰められているというのに、何とか浅知恵を絞り、悪足掻きして、理屈を捏ね繰り回しているので、それを一つ一つ丁寧に再反論し、文証を基に論理的に潰しているだけではないですかね。
しかも、こちらが書くほぼ全ては真如狂徒が挙げた内容に対しての再反論。
つまり、むしろこちらが常に一手後に打っている状況。
真如狂徒の方が先手でこちらが後手。
にも関わらず、論に完全に詰まってしまったものだから、今度は、こちらの生活態度とか、人格とかを必死に攻撃して、こちらのイメージダウンを謀り、それを以って自分のダメージを少しでも減らし、閲覧者へ自己の正当化をアピールしているという浅ましい醜状ではないか。
そして少しでもこちらの書く気を削ごうと必死に策を巡らしダメージを与えようとしている努力は涙ぐましい限りだが、しかし実に惨めでもある。
前半はゆとりかましていたが、この頃は悲鳴にも聞こえる投稿に変化してきた。
この醜態こそ、まさに「文証」「理証」で追い詰められた者の実に分かり易い「現証」であろう。
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