このNO70については、NO69で答えているから良いですよね?
見ている方にコーヒーブレイクとして何か話しましょう。
えっと、私が前から思っていたことなのですが
「仏法とは道理」という日蓮大聖人の言葉。
宗教って道理なのでしょうか?
だったら哲学に過ぎませんよね?
心が楽になったり、温かくなったり、そんな「心」という目に見えない領域を対象にしているから「宗教」として「哲学」とは区別される。
私はそんな風に考えています。
今回、こんな風に膨大な量の文を書くことになるとは正直思っていませんでした。
バカみたいだと思っていても礼儀として突き放せなかった。
でも、そうやって書いてきて思う所もあります。
私はまだ、勉強も足りないし、真如苑の教えについても何も理解していなかったのだなと。
樋田さんが真如苑の霊能者(本当だと信じます)と話す動画を見ました。
あの時、樋田さんは穏やかだった。
少なくとも、私に論破され尽くしてただ勢いで乗り切ろうとする醜さはなく紳士的だった。
「生きていると言う事は 人に借りを作る事だ。
生きていくという事は 人に借りを返す事だ」
という言葉があります。
あの霊能者は「負けるが勝ち」だったように今は思えます。
あの時、借りを作ったのは樋田氏だったなとも。
樋田氏は魔ではありません。
魔ならもっと見事に、早い段階で私がグウの音も出ない位にやられたでしょう。
実際、私は議論で追い詰められて何度も壊れて来ました。
當に、人ではない位に視点が全く違うすごい人って沢山いるものです。
樋田氏は餓鬼です。
もはや、うんざりで文章は拝読していませんが、この異様な書きっぷりは「飢え」が根っこにあるんだろうなと。
道理で考えると、普通、人は相手がそれについてこられるというスピードで議論しますよね?
実際に会話をしている時、相手が答える前に次の事を話すなんて事はルール違反であり、道理に反していますよね?
お解りですか?
少なくとも樋田氏が日蓮大聖人の仏法の護持者なら、この時点でこれが言える。
仏法は決して道理ではない! 勢いである!
とね。
どこかの会社の社長なのでしょうが、社長って働かなくていいんですか?
金銭的にはそれでOKだとしても、人として本当にそれでいいんですか?
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★ ↑ 教義的内容ではないので、特に反証する箇所もないが、まぁ〜、しかし、実に見苦しい言い逃れや自己弁護、そして反論不能の箇所が増えてくる悔しさ余っての相手の人格攻撃、早く終わらせたい焦り、そのための伏線を敷く・・・・などなど。
これはやはり真如狂徒がこのように醜悪な人間性となってしまうという見本としての良い記録が残りましたな。
全ては、最終的に完全敗北宣言したことで、このような負け惜しみ、自己正当化の言も、木端微塵に吹っ飛んだわけですけどね。
■ 真如狂徒の完全敗北宣言 終わり
前にも指摘したが、こういう上記の発言を心底そのままそうだと思って書いているとすれば、これは深刻な状況。
驚くべき認識能力の欠如、と言えますね。
これだけ→ 真如苑教徒反論目次 随所で真如狂徒が論で追い詰められているのに、逆に自分が私を追い詰めていると思っている。。。。
いや〜、驚きです。
正確に物事を判断・認識できずに、全て自分に好都合に判断してしまう。ということですね。
それは生来的なものなのか、それとも真如苑の害毒か。それともその両方がブレンドした状態か。
いやはや。。。。
● 慢過慢 他人が勝れるのに自分がより勝れると思うこと
これですね。
論では完全に敗北しているのに、自分の方が勝っている、と思う。。。。
これでは仕事がうまくいかず、更には人間関係でも苦悩するわけですよ。
自業自得ですよね。