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▼ 台密の出現により、釈尊の法華経(白法)は隠についての反論


   ★ ↑ 反論する

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まず、大問題なのが「日蓮大聖人御自身は、釈尊入滅を、B.C 949年という説を採られていたことは間違いない。」という部分です。

この事は「大聖人は『周書異記』の記述「周の穆王の53年(BC949年)に釈尊が亡くなった」とする説を採られて御算定されている。」を根拠にしています。

 

ですが、この「周書異記」は、中国仏教儒教に対する優位性を確保するために制作された偽書とされており、「正史に記載されていない周代の異聞を記した書」です。

ちなみに、中国に最初に仏教が伝わったとされるのが後漢の明帝の時です。

この説を採用すると様々な矛盾が出てくると言われており、決して有力説ではありません。

(参照)

つまり、日蓮大聖人は「偽書」を根拠として、ご自分を「末法の佛」となさった事になります。

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   ★ → 簡単である。
この当時、「周書異記」に依る仏滅算定は、仏教界の定説であり、日蓮大聖人に限らず、他のほぼ全ての仏教家はこの説を基に仏滅年代を特定していた。
その一般的定説をそのまま用いられただけである。


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