★ ↑ さて、ではこの伝持の八祖が崩れたとなると、「弘法は仏陀」ではないですね?
ということは、その系譜を信じて真乗を「現代の仏陀」と信じてきたのだから、それは崩れましたね?
ここは重要な点です。
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▼ 仰る通り重要な論点なので時間をかけて調べたいですが、結論としては
以下 引用
『このお二人に関してはリアル存在が疑われていて、同名の異人ではないかという説が龍猛菩薩、龍智菩薩共にあります。
特に龍猛菩薩とは龍樹菩薩のことと言われており、西暦二?三世紀にいたとされますが、三百歳にも成る年齢になります。
(付法伝による)さらに龍智菩薩に至っては西暦八世紀前後に居たとされ、七百歳と伝説ではなっています。
共にあり得ない寿命で、それぞれ同姓異名の人ではないかと長く考察されていました。
この研究成果は後に明らかになることとして、第一祖(密教系では三祖)の龍猛菩薩の項目で特筆すべきは南インドの鉄塔内といわれる「南天の鉄塔」ですね。』
以上 引用終わり
目下、上記が妥当ですね。
しかし、現実に法流血脈は今日も存在しています。
例えるなら「釈尊なんて正確な生没年代も解っていない。しかも、摩耶夫人の脇から生まれたような者は存在しない」とは言えません。
ちなみにナーガール・ジュナは八宗の祖でその出生は経文にきちんと書かれてあるそうです。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%A5%9E%E4%BC%BD%E5%B1%B1
浄土教でもこの方を尊ぶのですね。
もう、私は研究員じゃないのだからこれ以上首を突っ込みませんが…
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★ ↑ 結局何が言いたいのかね。。。。
ただの男らしくない、言い訳、、、負け惜しみ、、か。
そんな中でも↓これは看過できない
▼「 しかし、現実に法流血脈は今日も存在しています。
例えるなら「釈尊なんて正確な生没年代も解っていない。しかも、摩耶夫人の脇から生まれたような者は存在しない」とは言えません。」
★ ↑ こういうバカなことを言いだすから、また破折されてしまうんですね。
密教の 付法 も 伝持 もその系譜がいい加減な虚偽捏造で、祖から祖へ全然繋がっていないってことがバレちゃったんだから、「血脈」なんて言われているものも、全くの出鱈目な虚偽・捏造ってことでしょう。
本来不断に連綿と流れ通ってこそ初めて「血脈」と言えるのだから。
こんな子供でも分かる道理が分からなくなっていしまうのが邪教の怖さですね。
立派な大学の理工系をそこそこ優秀な成績で出た者達がオウム真理教に嵌ってしまう。ということと同じですね。
次に釈尊の生没年については、あくまで実在した仏という前提であれほどいままでこだわって主張してきたことを忘れたんですか?
かつての貴方の発言
▼ 1898年のイギリスペッペの発掘によって、仏滅は:没:383年クシナガラで大きくは外れていないと現時点では結論できます。
正確な生没年は解明されていないが、実在の人物であったことは紛れもない歴史的事実である。
自分でも全面的に認めている。
ところが、密教の系譜については、第三祖は竜樹菩薩と言われていたのに実は別人だったし、
その弟子と言われている龍智菩薩などは真言の言い分だと、なんと!寿命700才!
しかも、歴史的のその実在は全く証明されていない。
これまさに後になって自宗を正当化するするために捏造したフィクションに過ぎないことは明明白白。
ということは「真言の血脈」も同様に全く虚偽捏造ドラマであることは疑う余地がない。
それを歴史的な実在は紛れもない釈尊の解明されていない生没年代を引き合いに出して、「曖昧な点は同じ」と同列に並べて正当化しようとしても、全く通らない詭弁である。
次に▼ 「摩耶夫人の脇から生まれた」 という話であるが、これは後世に付加された伝説であろう。
これを真正面に信じて捉える必要はないと考える。
真言密教の系譜の謀り と 釈尊の生没年の未解明と信じ難い伝承 との違いは何かと言えば、それは、不確かな部分や、信じ難い伝承を取り除いた後に、それでも客観的信用性のある証拠が有るかどうかである。
そして普遍妥当性のある教説があるかどうかである。
密教系では、その誑惑の系譜の矛盾を剥ぎ取った後に残るものはやはり宗派内での伝承と、極めて偏向した教説でしかない。
かたや釈尊は信じ難い伝承を取り除いたとしても、歴史的遺物として膨大な経典群とその正当な教説が存在している。
この両者を同列に並べて検討しようとしていること自体、完全に正見を失った者と言うべきである。
自宗に妄執するあまり、正当な論理思考が出来なくなっているのである。
こんな者が世間に出て、普通の人間のふりをして生活していることは大変恐ろしいことである。
何を見てもその判断と行動が偏向しているからである。
結果、オウム真理教のような反社会的行動を平気で遂行するような人間となってしまうのである。
真如苑も多くの信者を誑惑して多額の金集めをし、信者本人の人格を破壊し、家庭を壊し、人生を無茶苦茶にしていく姿は、オウムや創価と五十歩百歩 目クソ鼻クソである。
今回の真如狂徒の人格破綻・思考壊滅の姿を見てその怖さを一層強く感じた次第である。
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