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★ 更に、惑乱者が真乗の正当化の根拠として挙げた文に、どんだけ 読誦し、分別し、書写し 解説する  と説かれているか?
これ全て「言語」であり、思議しなければできない修行である。
どこにも 「不可思議だから、思議するな」 とは書いてない。

ならば惑乱者が引文してきた 涅槃経の文 ■「甚奇甚特(じんきじんとく)にして思議すべからず

この文と全く意味が真逆である。
どう説明する? 真如惑乱者よ。

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※@ 『迦葉復佛に白して言さく
『世尊、是の如きの経典、正法滅するの時、正戒破るの時、非法増長するの時、如法の衆生無きの時、誰か能く
聰受し、奉持読誦して、其をして通利せしめ、供養恭敬し、書写解説せん。
唯、願わくば如来、衆生を憐憫して分別し、諸々の菩薩をして聞き已りて即ち阿耨多羅三藐三菩提を退かざる事を得しめよ』


爾の時に佛、迦葉を讃じたまはく、
『善い哉、善い哉、善男子、汝今能く是の如きの義を問ふ。

善男子、若衆生、「54節→」 煕連河沙の諸の如来の所(みもと)に於て、菩提心を発(おこ)す有らば、乃ち能く是の悪世に於て、是の如きの経典を受持して誹謗を生ぜず。

一恒河沙の諸の如来の所(みもと)に於て、菩提心を発(おこ)す有らば、然して後、乃ち能く
悪世の中に於て是の法を謗せず、是の典を愛楽す。
人の為に分別して広く説くこと能はず。

二恒河沙の諸の如来の所(みもと)に於て、菩提心を発(おこ)す有らば、然して後、乃ち能く
悪世の中に於て是の法を謗せず、正解、信楽し、受持し、読誦す。
亦復人の為に広く説くこと能はず。

三恒河沙の諸の如来の所(みもと)に於て、菩提心を発(おこ)す有らば、然して後、乃ち能く
悪世の中に於て是の法を謗せず、受持・読誦し、経巻を書写す
他の為に説くと雖も、未だ深義を解せず。

四恒河沙の諸の如来の所(みもと)に於て、菩提心を発(おこ)す有らば、然して後、乃ち能く
悪世の中に於て是の法を謗せず、
受持・読誦し、経巻を書写す。
他の為に廣く十六分の中の一分の義を説く。
復演説す
と雖も、亦具足せず。

五恒河沙の諸の如来の所(みもと)に於て、菩提心を発(おこ)す有らば、然して後、乃ち能く
悪世の中に於て是の法を謗せず、
受持・読誦し、経巻を書写す。
他の為に廣く十六分の中の八分の義を説く。


六恒河沙の諸の如来の所(みもと)に於て、菩提心を発(おこ)す有らば、然して後、乃ち能く
悪世の中に於て是の法を謗せず、
受持・読誦し、経巻を書写す。
他の為に廣く十六分の中の十二分の義を説く。


七恒河沙の諸の如来の所(みもと)に於て、菩提心を発(おこ)す有らば、然して後、乃ち能く
悪世の中に於て是の法を謗せず、
受持・読誦し、経巻を書写す。
他の為に廣く十六分の中の十四分の義を説く。


『若衆生、八恒河沙の諸の如来の所(みもと)に於て菩提心を発こす有らば、然して後、乃ち能く
※A 「悪世の中に於て是の法を謗ぜす、受持、読誦し、経巻を書写し、
亦他人を勧めて書写を得しめ自ら能く聴受し、
亦他人を勧めて聴受を得しめ、読誦通利し、擁護堅持す。
世間の諸の衆生を憐憫(れんみん)するが故に、是経を供養し、亦他人を勧めて其をして供養せしめ、恭敬尊重し、読誦礼拝し、亦復是の如く具足して能く解し、其の義味を尽す。
所謂如来常住不変、畢竟安楽にして、廣く衆生に悉く仏性有るを説く。
善く如来の所有の法蔵をしり、是の如きの諸仏等を供養し已(おわ)りて、是の如きの無上の正法を建立して受持擁護す。

若始めて阿耨多羅三藐三菩提心を発す有らば、當に知るべし、是の人は未来の世に、必ず能く是の如きの正法を建立し、受持擁護せん。」
是の故に汝今、未来世の中に護法の人を知らざるべからず。
何を以ての故に。
是の発心の者は、未来世に於て必ず能く正法を護持せん。


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   ★ ↑ さあ、全く ■「甚奇甚特(じんきじんとく)にして思議すべからず」
と矛盾しているではないか。
いよいよこの ■「」 この経文の出典を明かしたまえ。


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