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▼ 2、 法華経寿量品第十六 −説かれる場所、方向の問題―
★ 「衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し
咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず
衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に
一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず
時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず
我時に衆生に語る 常に此に在って滅せず
→ 霊鷲山 とは 当時の民衆所在の中心地 王舎城から丑寅 つまり東北の方角にあり、法華経は古来から東北に縁あり、と言われてきた所以である。
この「我」とは、白法隠没する「釈尊」ではなく、結要付嘱された、次の「仏」 つまり外用では上行菩薩。
その方が、インドから丑寅の方角に出現することを予証されている。」
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▼ 「明らかに深読みしすぎでは?」と思われる方も多いでしょうが、そこは「義によって語に依らざれ(大般涅槃経四依品)」かもしれません。
現に、(大乗)仏教はインドから中国・朝鮮を経由して日本に至っています。面白い事に(大乗)仏教を伝え終った国では仏教は衰退していて、今、世界で最も(大乗)仏教がアツいのは日本です。
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★ → 寿量品の「霊鷲山」の箇所だけでは「法華経が東北に有縁」の論拠には弱いと言われたら、それは確かにそうかと思われる。
むしろ順序は逆で、はじめに以下の伝があったので、その根拠は法華経本文にあるのではないか?という検討から「霊鷲山」の意義も深く拝すれば丑寅・東北、という義を顕しているのではないか?という試論である。
以下、「法華経・東北有縁」と言われる元の典籍を挙げる。
【参照】
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■ 弥勒(みろく)菩薩の瑜伽論(ゆがろん)に云はく「東方(とうほう)に小国有り。其の中に唯(ただ)大乗の種姓(しゅしょう)のみ有り」
●瑜伽論
大乗論書。漢訳では弥勒(みろく)説とし、チベット訳では無著(むじゃく)著とする。4世紀ころ成立。玄奘(げんじょう)訳100巻が有名。瑜伽行の実践を詳説し、唯識中道の理に悟入すべきことを説くもの。瑜伽論。
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■ 肇公(じょうこう)の翻経(ほんぎょう)の記に云はく 「大師須梨耶蘇摩(しゅりやそま)、左の手に法華経を持ち、右の手に鳩摩羅什(くまらじゅう)の頂を摩(な)でて授与して云はく、仏日(ぶつにち)西入って遺耀(いよう)将(まさ)に東に及ばんとす。此の経典、東北に縁有り。汝愼(つつし)んで伝弘(でんぐ)せよ」
● 肇公 僧肇(374または384-414)のこと。老荘の学に通じていたが、後に『
● 大師須梨耶蘇摩 鳩摩羅什は、カシミールで学んだ後、12歳の時母と共に亀茲国へかえ る。帰路、沙勒(カシュガル)で、大乗の空の思想を教えていた須利耶蘇摩
(Suryasoma)に学ぶ。カシミールでアビダルマを学んできた鳩摩羅什は、今ま
で学んできた教えを否定する大乗空の思想に驚嘆する。「高僧伝」によると、そ
のとき鳩摩羅什が須利耶蘇摩に学んだのは、中論(ナーガールジュナ作)、百論
(ダイバ作)、十二門論(ナーガールジュナ作)であったといわれる。「今まで
の自分は、金を知らずに銅が一番と考えていたのと同じである」といったとも伝
えられる。鳩摩羅什は20歳の時放光経(般若経)を見いだした。当初は、空を
単に無物と解していたが、のちに無物ではなく分別して固執しないことであるこ
とであることに気づくようになり、空の思想を体得し、開眼したといわれるが、
その基礎は、須利耶蘇摩から既に学んでいたのである。
本文の「法華翻経の後記」には、須梨耶蘇摩は大乗諸経に通じ、法華経を羅什に授けて、東北有縁の国に流布せよ、と命じたとある。これが日本へ法華経が伝わる予言とされた。
● 法華翻経の後記
中国・東晋代の僧肇(そうじょう)の筆による短文の書・唐代の僧祥撰・法華伝記諸師序集第六におさめられており,肇公の記ともいう.鳩摩羅什の法華経翻訳の後書きの形をとり,以前に訳出された正法華経などと違い,提婆達多品第十二が加わり,28品となっている理由などが書かれている.羅什訳・妙法蓮華経はもとから28品あったことの典拠とされている.
●法華伝記 10巻.
中国・唐代の僧祥撰.法華経の伝訳,法華経を講釈した高僧の伝記,法華経の論釈・流派などを記述した書.内容は部類増減・隠顕時異・伝訳年代・支派別行・論釈不同・諸師序集・講解感応・諷誦勝利・転読滅罪・書写救苦・聴聞利益・依正供養の12部からなっており,諸師序集第六には僧肇の法華翻経の後記が収められている.
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■ 遵式(じゅんしき)の筆(ふで)に云はく「始め西より伝ふ、猶(なお)月の生ずるが如し。今復(また)東より返る、猶日の昇るが如し」
● 遵式 じゅんしき Zun-shi
[生]乾徳2(964)
[没]明道1(1032)
中国,北宋の僧。天台宗に属するが,浄土教に独立した傑出者のなかった宋代にあって,浄土教の思想上の重要な人物。主著『往生浄土懺儀』『往生浄土決疑行願二門』。
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■ 根本大師(※伝教大師)の記に云はく 「代を語れば則ち像の終はり末の初め、地を尋ぬれば唐の東、羯(かつ)※の西、人を原(たず)ぬれば則ち五濁(ごじょく)の生、闘諍の時なり。経に云はく、猶多怨嫉況滅度後(ゆたおんしつきょうめつどご)と。此の言良(まこと)に以(ゆえ)有るが故に」云云。
又云はく 「正像悄(やや)過ぎ已(お)はって末法太(はなは)だ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是(これ)其の時なり。何を以て知ることを得ん、安楽行品に末世法滅の時なり」
※ 羯(※別名 けつ) とは、中国の山西省に住んでいた匈奴系民族 しかし、匈奴系の諸部族全般,さらに北方民族全体をさして羯ということもある。上記御文の意義からすれば、既に「唐の東」と言われているのであるから、「北方民族全体」との意義を取るべきであろう。そうなれば、まさに、シベリア、樺太、果てはベーリング海峡を跨いで、北部アメリカも含まれてくる。その「西」ということは、まさに日本国。