寧楽寺での法論についての検証と破折

 

 

1   法道院の三宝?

2   会長への帰命

3   日蓮正宗綱要 日亨上人

4   創価学会解散勧告書

5   日柱上人への辞職勧告書

6   宗門側が対話を拒絶?

7   創価学会の師弟

8   河邊メモ

9   当家三衣抄

10  当家三衣抄 再論

11  三宝抄

12  三宝義

13  日蓮正宗宗規

14 京都・奈良辺りの痴犬どもへ  三宝義

15 京都・奈良辺りの痴犬どもへ  三宝義 再論

16 総別の二義

17 京都・奈良あたりの痴犬どもへ  三宝論

18 総別の二義 再論

19 法華取要抄文段

20 再度 三宝抄  僧宝義

21 日達上人 御指南

22 内証 と 外用

23 僧宝の一分

24 布教の人数

25 「一分」 観心本尊抄

26 別体三宝の奉安形式

27 両巻抄



 1 法道院の三宝?

 

 最近当掲示板に、昨年12月4日、奈良県奈良市の日蓮正宗寺院・寧楽寺で行われた法論内容についての書き込みが執拗になされている。
この件に関して、当掲示板の管理人としては、学会側の一方的な書き込みの真偽を詳らかにする必要と責任があると判断し、法論当事者から全編ノーカット版の映像記録を入手し、内容を検討した。

以下、逐条的に分析し、また、その内容によっては詳細な破折を加えるものである。

1、まず冒頭から学会側は、この法論が、日蓮正宗の教義と創価学会の教義との法義論争の場であることを理解できないらしく、大きく逸脱し、何を血迷ったか、いきなり「法道院の三宝とは何か?」などとおよそ見当違いな愚問を発する。
しかも、ただ自分たちが言いたいことだけを、御僧侶や法華講員の発言を強引に制止してごり押しし捻じ込んでいるだけの、まことに自分勝手な、礼儀、道義を弁えない、非礼・醜悪・低俗な態度である。

そもそも、今から30年ほども昔の、しかも宗門の公式文書でもない、一講中の機関紙のごく一部分の記述をあげつらって、殊更に大きな瑕瑾の如くに誇大に強調し、”揚げ足取り”に終始している様は、まさに三匹の痴犬が吼えるが如きの痴態であった。
この映像を見た者は、通常の良識があれば誰人でも、彼らの無恥・無慙な狂態に、間違いなく辟易するであろう。

内容的にも、学会側が殊更にあげつらっていることなど、信心修行の途上で誰人にも起こりうる法門理解における誤解であって、結局は第六十六世日達上人の御采配によって全て円満に決着している問題である。
それを、

”日蓮大聖人を標榜して、その実、大聖人の御本懐、三大秘法随一の本門戒壇の大御本尊から遠く離れた、平成の新興似非仏教団体⇒創価学会”の会員が、自分等とは最早全く別の宗教法人である日蓮正宗内の、しかも30年ほども昔の僧俗・信徒間の微瑕を、今更どのようにあげつらってみても、全く無意味であり、むしろ滑稽であり、憐憫を誘う醜態である。

それはちょうど、伝統ある名門校を退学処分に処された学業不振・生活放埓の問題児である劣等生が、その名門校の30年も前の、ある一学級内の少々の行き違いを、今になって無理してほじくり返し、何とか校内に少しでも亀裂や内紛を起こそうと殊更に大げさな出来事に仕立てあげようと躍起になって、その名門校の正門前で、声高に叫んで、シュプレヒコールをあげている様なものである。
実に的外れな滑稽さである。


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 2  会長への帰命 

 

投稿日:2006/02/23(Thu) 22:29 No.1999 [返信]

1、日蓮正宗側が、●「「会長への帰命」と人間革命の中にある。「帰命」とは御仏に対する語であるから、これは会長本仏論ではないか。」と追求するが、
学会側は、▼「これは”教義逸脱”であって、”謗法”ではない。」とし、以下の日顕上人の御指南を楯にとって強引に自己弁護する。

 御法主日顕上人猊下お言葉
     創価学会創立50周年記念幹部登山の砌
                         昭和五十五年十一月二十六日
                         於 大講堂

 「(近年、創価学会が宗祖大聖人の大慈悲に基づく広宣流布の伸展を思う余りとはいえ、あ
まりに急激な発足のための種々の不調和から、いろいろなひずみが、とくに宗門との間にで
てきたことは、まことに残念なことでありました。
 しかし、)

日達上人は昨年五月三日の創価学会総会において、これらの一切の間題を収束
せられ、学会の反省・努力による今後の前進と活躍に、十分の期待をかけられたのであり
ます。
 申すまでもなく、我が宗門における法主は、宗祖日蓮大聖人より日興上人・日目上人と、
唯授一人の血脈を相承しているのでありますから、宗内で教義に関して問題が起こった時
は、その裁定を行い、一宗を嚮導すべき地位と責任を有するのであります。その点から、
創価学会の過去における一連の教義の問題等の経緯と実情を深く慮うとき、確かに昭和五
十三年六月三十日の訂正に見られる如き、逸脱があったのは事実でありますが、それは終
局的に宗旨に背反するものでなく、未曾有の成果の実証にともなう教義解釈の行き過ぎ等
に起因するのであります。
 故に、その根底に宗門の宗旨をないがしろにするごとき底意は、なかったと信ずるので
あります。宗祖大聖人の仏法において、善悪の基準はあくまで妙法蓮華経という仏陀無上
の悟りを顕わす正法及びその付嘱の法体に対しての信伏随従か、誹謗背反かに存するので
あり、誹謗背反の者は大謗法であって、大悪の行為と判定されるのであります。しかるに
創価学会の逸脱が、いったん正宗に帰入した後において、全く正宗の宗旨、本尊への信仰
を捨てて退転したのでないことは明白であります。むしろ改めて後は、なお一層の宗門へ
の外護と御奉公を誓っている姿からみても、過去の逸脱を大謗法というべきではありませ
ん。それを、あえて大謗法呼ばわりをし、批判攻撃することは、同じ御本尊を信ずる僧俗
のなすべきことではありません。むしろ大聖人の異体同心の聖訓にも背き、各が信ずる御
本尊の御意を謗り奉る大謗法となるのであります。」

更に、▼「学会(もしくは池田大作等)が破門されるまでに何か学会が謗法を犯したのか?」と開き直る。

しかし、これは全くの手前勝手な我田引水の妄釈・妄断である。

1、まずことの発端は池田大作の平成2年11・16の宗門誹謗スピーチである。
(それ以前から全国の正信の学会員からは池田の数々の問題発言スピーチを憂う報告が宗門へ寄せられていたのであるが。
因みに当方も平成2年の春から夏にかけての同時放送内での池田発言を疑問視した一人である。
以下その時の状況を綴ったものである。
テキスト版「長野法論の全貌」から
「学会内で信じることのできるのは池田先生だけだ」と心に決め(笑い)、池田の(池田が書いたといわれている)書物を読み続けていた。
また、池田のスピーチがある同時放送だけは参加していた。しかし、池田の生のスピーチを聞いても、実際は心に響くものは何にも無かったのである。
平成二年の春か夏だったか、同時放送で池田が「日淳上人、日達上人までは良かった・・・」と発言したのを聞き愕然とした。正に我が耳を疑った。(中略)二、三日後にそのスピーチが聖教新聞に出たので慌てて問題箇所を探した。が、その部分は全くなかった。
そのことで深く思うことがあり、「今後はもう二度と学会の会合には出まい。しかし、勤行、唱題、折伏だけは一人で貫こう。しかしそれは学会活動から離れることになる。もしかしたら成仏できないかもしれない。これはもう自分の一生を賭けた”賭け”だ。その信仰姿勢が正しかったかどうかは、自分の死相を見てもらうしかない。」と決意した。)

この11・16スピーチ内の
▼「猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃあいけない。権力じゃありません。」
との発言は、血脈付法の御法主上人を蔑如したものであり、まさに池田大作の慢心を吐露したものである。

■凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。

まさにこの御文の如く、御僧侶である御法主上人を謗っているのであるからそれは”謗僧”であり、池田大作は”謗法”者である。

2、更に、平成2年12・27 総講頭資格喪失以降の聖教新聞・創価新報(学会の公式文書)等での宗門誹謗攻撃記事は苛烈を極めた。
これまた、■凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。であり、”謗法行為”である。

3、■懺悔すれども懺悔の後に重ねて此の罪を作れば後の懺悔には此の罪きえがたし。

52年路線の数々の”謗法行為”を反省懺悔して日蓮正宗の教義信条に伏したかに見えた姿を信じられて、日顕上人が”与えて”仰せられた”逸脱行為”とのお言葉も、謝罪の後にその反省懺悔も反故にして重ねて”謗法行為”を繰り返せば、もはや許されないのはこの御文の御心からして当然である。

4、破門された後の行為を見れば、池田大作の謗法根性の底意は歴然である。
同じ破門された門下として、日興上人に破門された日尊師の、その後の行体を拝すれば、如何に池田大作と違うか、容易に理解できるであろう。
つまりは破門されて、それまで隠し持っていた醜悪な謗法根性が露見したのであって、これは破門されたから俄かに忽然と現れたのではなく、既に以前から池田大作の根性に根深く巣食っていたものである。

■過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。

今の大謗法の「果」を見れば、過去の「因」がやはり大謗法であったことは明白である。

5、今回学会員は上記の日顕上人の御指南を引文したが、その中の
■我が宗門における法主は、宗祖日蓮大聖人より日興上人・日目上人と、
唯授一人の血脈を相承しているのでありますから、宗内で教義に関して問題が起こった時
は、その裁定を行い、一宗を嚮導すべき地位と責任を有するのであります。
と仰せである御法主上人に、池田創価学会は、今現在真っ向から背いている事実が、結局は池田大作がかつても謗法者であって、しかも今も全くの大謗法者であることの現証=現実の証拠である。


6、しかも学会は上記御指南中の
■「宗祖大聖人の仏法において、善悪の基準はあくまで妙法蓮華経という仏陀無上
の悟りを顕わす正法及びその付嘱の法体に対しての信伏随従か、誹謗背反かに存するので
あり、誹謗背反の者は大謗法であって、大悪の行為と判定されるのであります。」
とのお言葉にも今全く背いている。

この御指南の「妙法蓮華経という仏陀無上の悟りを顕わす正法」とはまさに『戒壇の大御本尊様』であり、「その付嘱の法体」とは『大聖人様以来の唯授一人の血脈』と拝するのである。

池田創価学会ではこの宗旨の根幹中の根幹である『戒壇の大御本尊』と『唯授一人の血脈』へ「誹謗背反」しているのであるから「大謗法」である。
(参考 池田発言⇒「信心の二字の中にしか、本尊はないんです。本門戒壇、板御本尊、何だ。寛尊は『信心の中にしか本尊はない』と。ただの物です。いちおうの機械です、幸福製造機だから。」⇒『戒壇の大御本尊』否定)

概ね以上の点から、上記の日顕上人の御指南を楯にとって自ら創価学会の立場を擁護しようとした学会員らの立論は全くの不可である。

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3 日蓮正宗綱要 日亨上人

 

 投稿日:2006/02/24(Fri) 12:06 No.2007 [返信]

1、次に、学会員側は、「日蓮正宗綱要」から日亨上人のお言葉を引き、またもや自己正当化を強弁するが、その御指南の意味が本当に理解できていないらしく、全くの見当違いの引文であり、この御指南によって自らが破折されていることに気がつかない愚かさである。
まさに自分で抜いた刀で自らの手を切ってしまうような稚拙・杜撰さである。

しかも、自らに都合が悪いと思われる箇所はあえて伏せて読まない、という悪辣な引文の仕方である。
こういう文献の引き方をこそまさに「切り文」というのであって、正当な法論では決して用いるべきでなない、軽蔑し唾棄すべき手法である。
この学会員らの卑劣・卑怯な人間性が如実に現れた箇所である。

該文
■「謗法と云ふ事は、通例では正法を謗る事を伝ふのであ
  る、此の謗ると云ふのは口に出して言ふ計りでない、
  腹の中で善くないと思ふたり、顔を顰めて嫌がったり
  怠けたり解らなかったりが、皆謗法であるから其範囲
  が広くて十四誹謗と云うてあるのは、多くは他宗か
  ら吾等の正法を謗る時の姿で、宗門の方の意得違いと
  なることは、此中には少い様であるから茲には除けて
  置く。又古く上中下雑の謗法と云ふ事もあるが適用が
  面倒であるから此も除けて置く。宗門で謗法と云ふの
  は、折角御大法に入りても又は信心の家に生れても又
  僧侶と成っても、兎角信念が弱い処から遂に信仰の決
  定も出来ず、知らず識らず非宗教になったり非仏教に
  なったり他宗門に信を寄せようと思ふたり寄せたり、
  後には其為に明に反対の態度を取りて宗門の人法を批
  難攻撃する事になる 此を度々訓誡せられても、頑と
  して改心せぬのが、即ち大謗法である。」

学会員らはここから以下の文は敢えて読まない。

■「此様な人は残念ながら宗門から離れて貰はにゃならぬ。其は宗門で
  は学問と修行との上位に、信心が置かれてあるから、
  信仰が悪くなったり反対であったりする者は、小乗戒
  のg盗殺妄の四重罪と等しく、世法の頸を斬る罪に当
  る、生存の価値が無い計りでない、生存して居れば他
  の多くの人を損ふ恐れが有るやうなものである、其で
  無信背信の謗法者は厳重の誡として宗門から放逐せに
  ゃならぬ、現行宗制の僧分は一宗擯斥、信徒は離檀と
  云ふ箇条がそれである。」

そして、ここから再度引文し、創価学会の謗法行為はあくまで”逸脱程度”であり、あえて言えば「小謗法」とでもいうもので、それを殊更に責め立てる事のほうが「大謗法」であると強弁するのである。

■「大謗法より下の軽い小謗法罪
  とも云ふべき、信仰の怠慢や心得違などは凡夫には有
  勝の事で其都度悔ひ改むれば宜い、後悔して再び為ね
  ば罪は消ゆるであらう。」

盗人猛々しい、とは、まさにこのことである。
自らが大謗法を犯していながら、それを糾弾するほうが「大謗法」である、と開き直るとは。
殺人を犯し続けている凶器を持った連続殺人魔が、警官へ襲い掛かってきたので正当防衛で足を銃で打ち抜いて止めさせたら、それが傷害罪だ。と言って言いがかりをつけてくるようなものである。
酔っ払い運転をして人を轢き殺して警察に捕まっても、被害者の遺族には「そんな夜中に歩いていたほうが悪い」とか、警察には「この世に酒なんてあるからこうなるんだ」と嘯いているようなものである。


1、この学会員らはこの日亨上人仰せの意味が全く理解できていないようである。

理解しやすいように今の池田大作と創価学会がまさに大謗法であることをこの御文から証明しよう。

■「宗門で謗法と云ふのは、折角御大法に入りても(中略)兎角信念が弱い処から遂に信仰の決定も出来ず、知らず識らず(中略)非仏教になったり他宗門⇒(※戒壇の大御本尊からの血脈のないニセ本尊を発行している宗教団体)に信を寄せようと思ふたり寄せたり、

後には其為に明に反対の態度を取りて宗門の人法を批難攻撃する事になる
⇒(※池田大作の同時放送での発言。また創価新報・聖教新聞誌上での猊下をはじめ僧侶批判は枚挙に暇がない。) 

此を度々訓誡せられても、
⇒(※平成2年11・16以降、宗門から池田大作及び創価学会首脳部にどれほど多くの訓戒が為されてきたことか。)

頑として改心せぬのが、
⇒(※全く改めようとしないばかりか、ますます激越になっていったではないか)

即ち大謗法である。
⇒(※まさに大謗法者池田大作と首脳部である。)」

今回学会員らが敢えて読まなかった(読めなかった?)以下の日亨上人の御指南も、今回の日顕上人の御処断が如何に正しかったかを証明している。
時を離れて全く変わらぬ宗門の基本姿勢に、これももまた唯授一人の御相伝の正しさを今再び拝し感激するものである。

■「此様な人は残念ながら宗門から離れて貰はにゃならぬ。
⇒以上のような大謗法者達は破門されて当然である。

其は宗門では学問と修行との上位に、信心が置かれてあるから、信仰が悪くなったり反対であったりする者は、小乗戒のg盗殺妄の四重罪と等しく、世法の頸を斬る罪に当る、生存の価値が無い計りでない、生存して居れば他の多くの人を損ふ恐れが有るやうなものである、
⇒池田大作のような根本の信を無くした者は、例えば四重禁を犯した者のように、あるいは世間でいう連続快楽殺人魔のように、生存に値しないばかりか、生きていては他へ悪影響を及ぼすから、実に迷惑な存在である。とまで仰せである。(注・当時の時代状況であることを考慮しなくてはならないが)池田大作の信心の狂いが、確かにかくも多くの創価学会員を巻き込んで無間地獄へ道連れすることになってしまったのである。

其で無信背信の謗法者は厳重の誡として宗門から放逐せにゃならぬ、
⇒(※池田大作破門の正しさの文証)

現行宗制の僧分は一宗擯斥、
⇒(※正信会僧侶等への処断の正しさの文証)

信徒は離檀と云ふ箇条がそれである。
⇒(創価学会破門の正しさの文証」)

関西の今回の学会員ら(京都・奈良在住?)は、自分らの妄想の産物である「法道院の三宝」を勉強している暇があったら、自分らが主張したい内容には、どういう文献を引文すれば良いかを、熟読玩味し学習するべきであろう。
今回のような的外れな引文を繰り返していれば、ただ恥の上塗り、「常勝関西」の名を穢すだけである。

また、これは相談だが、学会側が法華講側の講員の実名を挙げて揶揄しているのであるから、法華講側も君らの実名を挙げて破折してもいい理屈だが。
もし、困るようなら返信を頂きたい。
もし、今日中に返信がないようなら、または、その内容に合理性が認められなければ、次回の破折分からは実名を挙げるが如何か。

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 4 創価学会解散勧告書

 

 今日まで待ってみたが、今回の法論当事者からの実名掲載に反対する回答もしくは哀願が、直接・間接にしろ、当方へはなかった。
更に、創価学会側が、法華講側対論者の実名を執拗に揚げていることからしても、当方が創価学会側の対論者の実名を公表して何ら問題ない状況である。
であるから、以後、実名にて掲載することとする。(※ここではイニシャルに変更)

では、前回に続いての論題。

次に、創価学会側の京都在住のT君(総地区リーダー)が挙げて来た内容は、

▼「宗門が出した『創価学会解散勧告書』で『創価学会では、現在でも、仏宝・法宝の名目は、一往、正しく拝しております。』とあるから、宗門では平成3年11月までは創価学会には謗法はない、との見解だった。その謗法がない団体を何故破門する必要があったのか?それこそが「大謗法」ではないか」との恥問である。

これもまた、よくもまあ、このようなことをぬけぬけと言えたものであると、感心させられるほどの狂乱・顛倒振りである。
これ、またもや「切り文」の典型であり、宗門の真意が全くその逆であることは以下の全文を一読すれば中学生でも容易に理解できることである。
T君がもし、上記の如くに本気で思っているとしたら、それは中学生程度の文章の読解力ほどもマスターしていないということであり、知的能力にかなりの問題を抱えている方、と言えるだろうし、もし、故意にこのようなある一箇所の「切り文」で、全文の主意と全く反するT君個人の思い込みによる自己の主張を押し通そうとしているとしたら、相当に根性から腐った”悪人”と言えるであろう。

では、このような指摘が決して根拠のない人格中傷でない証拠として、以下、創価学会解散勧告書の全文を掲載する。
かなりの長文ではあるが、一読されれば、一応の読解力と良識がある人には誰人にもT君の主張が大きく的外れであり、悪意に満ちたものであることが(もしT君が通常の国語能力を有しているならばであるが)よく分かるであろう。

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宗門より十一月七日付にて
     創価学会に「解散勧告書」を送付

     創価学会解散勧告書

 創価学会は、本来、唯授一人血脈付法の法主の指南、及び教導のもと、日蓮正宗を外護し、
広宣流布へと挺身すべき本宗信徒の団体であります。

 ところが、最近、創価学会は、自らの本分を忘れ、本宗信仰の命脈たる下種三宝義、並びに
血脈相伝義をはじめとする本宗伝統の化法・化儀を、己義をもって改変し、他宗教さながらの
様相を呈しております。日蓮正宗としては、これまで慈悲の立場から、種々の指導・善導に努
め、教誡等をもって反省懴悔を求めてきましたが、創価学会は、全くこれを無視し、かえって
あらゆる手段をもって、法主・宗門に対して、誹謗・攻撃を加えつづけてきております。
 よって、もはやこれ以上、看過することはできず、ここに創価学会に対し、解散を勧告する
ものであります。

第一 日蓮正宗は、御本仏日蓮大聖人の文底下種仏法の根幹たる、三大秘法総在の本門戒壇の大
御本尊と、それに基づく化法・化儀の一切を、大聖人以来、唯授一人の血脈相承によって正し
く相伝する、唯一の正統教団であります。したがって、本宗の僧俗は、必ず戒壇の大御本尊と
唯授一人の血脈相承を、信仰の根本としなければなりません。

 タ 本宗信仰の根幹たる弘安二年十月十二日御建立の本門戒壇の大御本尊は、まさに御本仏
日蓮大聖人の己証を御図顕あそばされた人法一箇の御本尊にして、下種三宝の当体であります。
 本宗の三宝とは、第二十六世日寛上人が、

  ■「当門流の三宝とは、寿量文底本因妙の仏法僧を以て末法今時の下種の三宝と為し上る也。
  前代未聞の大宝、末法適時の尊体也。(中略)仏宝とは文底本因妙の教主、久遠元初の自
  受用身也。法宝とは文底下種の事の一念三千の南無妙法蓮華経也。僧宝とは久遠元初の結
  要付属の所受の人也。久遠は今日、今日は久遠也」

と仰せのごとく、久遠即末法の本因下種の三宝であります。すなわち、仏宝とは、久遠元初の
自受用身たる宗祖日蓮大聖人であり、法宝とは、文底下種の事の一念三千の南無妙法蓮華経た
る本門戒壇の大御本尊であります。また、僧宝とは、久遠元初の結要付嘱の所受の人にして、
日寛上人が、

 ■「吾が日興上人、嫡々写瓶の御弟子なる事分明也。故に末法下種の僧宝と仰ぐ也。爾来、
  日目・日道代々咸く是れ僧宝也、及び門流の大衆亦爾也云云」

と仰せのごとく、日興上人を随一として、唯授一人血脈付法の歴代上人の全てにわたるのであ
ります。さらに、門流の大衆、すなわち法主に信伏随従する本宗の一般僧侶も、みな僧宝の一
分に加えられるのであります。しかし、この義は、一般僧侶が法主に摂せられて、はじめて成
立する義であります。
 本宗の三宝の勝劣次第について、日寛上人は、

 ■「此れ須く分別すべし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏
  宝なり、故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に名づけて円仏と云う也。亦復
  一器の水を一器に写す故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。若し外相に約さば任運勝劣
  あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す故也。故に法宝を以て中央に
  安置し、仏及び僧を以て左右に安置する也」

と、内体と外相の上から教示されております。すなわち、外相に約せば、法・仏・僧という勝
劣次第がありますから、本尊奉安式においても、中央に法宝(大漫荼羅)、右に仏宝(大聖人
御影)、左に僧宝(日興上人御影)を奉安するのであります。しかし、もし内体に約するなら
ば、仏宝・法宝は、もとより久遠元初の能証所証の人法にして二而不二の尊体であり、この法
体は、一器の水を一器に瀉すごとく、歴代の僧宝へと血脈相伝されておりますから、三宝は即
一体なのであります。
 以上の本宗本来の三宝義の上から、第九世日有上人は、

 ■「手続の師匠の所は三世の諸仏高祖已来代々上人のもぬけられたる故に師匠の所を能く能
  く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我れに信を取るべし」

と仰せであります。すなわち、唯授一人の血脈相承によって、自身の内証に、大聖人以来の下
種三宝の法体がまします上から、自身に信を取るよう、教示されているのであります。このこ
とは、また第三十一世日因上人が、信徒に宛てられた消息の中で、

 ■「日興上人已下の代々も亦爾なり、内証に順ずる則んば仏宝也。外用に依れば則ち僧宝な
  り、故に末法下種の大導師日蓮聖人の尊仏に対すれば則ち外用を存し以て僧宝と為るのみ」

との仰せからも、明確に拝されるのであります。古来、合掌礼をもって法主に対するのは、ま
さにその内証に止住している仏宝・法宝の法体に約すからであります。したがって、本宗の僧
俗にして、もし大聖人の法体を護持する法主に対して違背するならば、『身延山付嘱書』に、

 ■「背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり」

と仰せのごとく、師敵対の大謗法となるのであります。謗法とは、まさに違背の義に約します
から、三宝破壊の大罪によって、必ず無間大坑に堕すのであります。したがって、本宗の僧俗
である以上、この三宝の次第を超え、血脈相伝を無視した大聖人直結、御本尊直結などという
己義は、決して構えてはならないのであります。
―――――――――――
 チ 次に、僧俗の次第について、宗祖大聖人は、『諸人御返事』において、

 ■「所詮真言・禅宗等の謗法の諸人等を召し合せ是非を決せしめば日本国一同に日蓮が弟子
  檀那と為り、我が弟子等の出家は主上・上皇の師と為らん在家は左右の臣下に列ならん」

と広布の相に約して仰せのごとく、僧侶と信徒は、仏法上、師匠と弟子という筋目の上からの
相違が存するのであります。故に、日興上人は、『遺誡置文』で、

 ■「若輩為りと雖も高位の檀那自り末座に居く可からざる事」

と、座配の次第に約して、明確に僧俗の相違を仰せであります。

 先に述べたごとく、法主に信伏随従する一般僧侶は、法主の血脈に摂せられて、僧宝の一分
に加わりますから、本宗の信徒は、所属寺院の住職・主管を、血脈法水への手続の師匠と心得
なければなりません。本宗の僧侶は、本宗の規定の化儀に則って修行し、法主より免許を被っ
て、薄墨の素絹衣と白五条の袈裟を着しますが、この法衣は、まさに大聖人の下種仏法を表明
するものであります。日寛上人は、法衣の功徳について、

 ■「戯に衣を着る功徳尚爾なり何に況んや真実に着せんをや」

と仰せですが、僧侶は、この本因下種の法衣を着するゆえに、身心ともに僧宝の一分に加わり、
血脈法水への手続を務めるのであります。この意義の上から、日有上人は、

 ■「私の檀那之事、其れも其筋目を違はば即身成仏と云ふ義は有るべからざるなり、其小筋
  を直すべし、血脈違は大不信謗法也、堕地獄なり」

と、僧俗師弟の筋目を糺すべきことを仰せられ、日因上人は、これを敷衍されて、

 ■「私の檀那の筋目之を糺すべき事、此れは師檀の因縁を示す檀那は是れ俗の弟子なり、故
  に師弟血脈相続なくしては即身成仏に非ず、況や我が師匠に違背せるの檀那は必定堕獄な
  り乖背は即不信謗法の故なり」

と、厳に信徒のあるべき心構えについて誡められております。

 すなわち、本宗の信徒は、もとより唯授一人血脈付法の法主を、現時における仏法の師匠と
し、さらに法主より任命を受けた所属寺院の住職・主管を、血脈への手続の師匠とするのであ
ります。その上で、下種三宝の当体たる本門の本尊を帰命の依止処として、師弟相対の信心化
儀を修するとき、はじめて境智冥合して大聖人以来の血脈法水が自身に通い、真の即身成仏の
大仏果を得ることができるのであります。

 反対に、この僧俗師弟義を蔑ろにすれば、下種三宝の血脈法水に対する師弟相対の信心が調
わないどころか、師敵対の大謗法罪によって、必ず地獄に堕しますから、本宗信徒は、よくよ
く心しなければならないのであります。
―――――――――――
 ツ 本宗の化法・化儀は、右に述べるごとく、全て大聖人以来の法体血脈の相伝と、それに
基づく山法山規によりますから、化法や化儀に関する一切の正否の裁定権は、『日蓮正宗宗規』
に定めるごとく、当然、法主一人に具わるところであります。
 本宗の法義は、日興上人が、『遺誡置文』に、

 ■「当門流に於いては御書を心肝に染め極理を師伝して云々」

と教示のごとく、師伝によらなければ、到底、その深旨の信解に至ることはできません。当然、
そこには、本尊法体に関する法義解釈から広範な御書の解釈、さらには法要化儀の意義付けに
至るまでの一切を含むのであります。したがって、本宗の法義を研鑚する者は、必ず血脈付法
の法主の説き示す伝統の法義解釈に従って信解すべきであり、社会に展開するからと称して、
我見や己義を構えてはなりません。

 また、勤行式をはじめ、葬儀や法事等の典礼など、あらゆる本宗の法要儀式等の信心化儀に
おいても、その心構えは同様であります。日有上人が、

 ■「此の大石寺は高祖より以来、今に仏法の付嘱切れず、次第して候間、得給へる人抔は仏
  法・世間の御沙汰、高祖の御時に少しも違はず候」

と仰せられ、また日寛上人が、

 ■「但吾が富山のみ蓮祖所立の門流なり、故に開山已来化儀・化法四百余年全く蓮師の如し」

と仰せのごとく、本宗伝統の法要化儀の一切は、その大綱において、大聖人以来、いささかも
変わるものではありません。

 本宗の化儀とは、まさに本因下種の仏法の深い意義を現実に表明し、体現するものでありま
す。換言すれば、本因下種の仏法のあらゆる意義は、本宗伝統の法要儀式をはじめとする信心
化儀によって、現実世界に顕現するのですから、古来、化儀即法体と称するのであります。し
たがって、およそ本宗の信徒である以上、葬儀・法要をはじめとする一切の化儀は、必ず宗門
の定めに従って執行されなければならないのであります。
―――――――――――
第二 そもそも、宗教法人創価学会は、本宗法規に定めるところの法華講支部ではありません。
しかるに、その創価学会に対し、宗門が、現在まで本宗の信徒団体として認容してきた所以は、
昭和二十六年、創価学会の宗教法人設立申請時における、

  @ 折伏した人は信徒として各寺院に所属させること。
  A 当山の教義を守ること。
  B 三宝(仏法僧)を守ること。

という、宗門に確約した三原則の遵守を条件とするものであります。

 ところが、創価学会は、先に、昭和五十二年路線でこの三原則を無視し、本宗の伝統法義か
ら、大きく逸脱したのであります。
具体的には、

▼御本尊模刻という前代未聞の大謗法をはじめ、
▼戸田会長の悟達を創価仏法の原点とする誤り、
▼大聖人直結という血脈無視の誤り、
▼小説『人間革命』を現代の御書とする誤り、
▼会長への帰命や会長を主師親三徳・大導師・久遠の師とする誤り、
▼寺院・僧侶軽視の誤り、
▼謗法容認の誤り、
▼在家が供養を受けられるとする誤り、
▼学会こそ僧宝とする誤り、
▼池田流師弟観の誤り等、

数多くありました。これらは、要するに「北条文
書」や「山崎・八尋文書」などの学会機密文書に明らかなごとく、「学会は主、宗門は従」と
いう視点から、宗門を創価学会の外郭団体とするか、もしくは日蓮正宗から独立しようという
意図に基づくものでした。

 しかし、この時は、先師日達上人の善導等によって反省懴悔を示し、さらに昭和五十四年四
月、池田氏が、会長・総講頭を引責辞任するに及び、同年五月三日、創価学会が、今後、信徒
団体としての基本を、忠実に守ることを条件として、ようやく収束したのであります。その間、
昭和五十三年の「六・三〇」では、法義上の逸脱が是正され、また通称「お詫び登山」といわ
れる昭和五十三年の「一一・七」では、当時の北条理事長が、

 ☆「宗門と学会との三十年余りに及ぶ関係を顧みたうえで、創価学会は昭和二十七年の宗教
  法人設立時の三原則を遵守し、日蓮正宗の信徒団体としての性格を、いっそう明確にして
  まいる方針であります。」

と述べ、また辻副会長は、「教学の基本について」と題して、

 ☆「この戒壇の大御本尊を厳護するためにこそ、日蓮正宗の厳粛なる化儀、伝統があるので
  あり、その点われわれ信徒は、よく認識していかねばなりません。」

と述べて、創価学会の昭和五十二年路線における数々の逸脱を深く反省し、法人設立時の三原
則に立ち返り遵守することを、三宝の御宝前に誓ったのであります。さらに、池田氏も、翌昭
和五十五年四月二日、「恩師の二十三回忌に思う」と題する所感の中で、

 ☆「私が、恩師の『創価学会の歴史と確信』の理念、方向性を実践した延長とはいえ、その
  深き意志も解せず、僧侶、寺院の役割を軽視し、その結果、御宗門に対し、主客転倒の風
  潮を生んだことは、我が身の信心未熟ゆえの慢と、大御本尊に心より懴悔申し上げるもの
  であります。」

 ☆「御書の拡大解釈や逸脱については、すでに『六・三〇』(教学上の基本問題について)
  に指摘されております。ここで反省し、確認された事項は、今後とも絶対に踏み違えては
  ならない重要な規範であります。」

と、昭和五十二年路線における創価学会の逸脱は、全て池田氏自身の慢心に基づくものとして
懴悔し、また「六・三〇」は、創価学会として、万代にわたって、絶対に破るべからざる規範
と明記したのであります。
―――――――――――
第三 創価学会においては、昭和五十二年路線の厳しい反省の上から、昭和五十四年四月二十
四日、三原則遵守の精神を踏まえて、あらためて『創価学会会則』が制定されました。すなわ
ち、この三原則は、創価学会が日蓮正宗の信徒団体として存立する上で、恒久不変の条件なの
であります。ところが、昭和五十二年路線の反省から十数年を経た現在、創価学会は、その逸
脱是正の誓いを捨て、再び宗教法人設立時の三原則を、事実上において、破棄したのでありま
す。
―――――――――――
 タ 三原則の最初は、「折伏した人は信徒として各寺院に所属させること」であります。
 創価学会は、昭和五十二年路線で、「正宗の寺院は儀式の場であり、広宣流布の場ではない」
といっていましたが、宗門では、この寺院観が、「折伏した人は信徒として各寺院に所属させ
る」との原則への違背という認識の上から、他の逸脱事項とともに問い糺したのであります。
それに対して、創価学会としても、昭和五十三年の「六・三〇」において、

 ☆「正宗寺院においては、正法をもって授戒、葬式、法事、結婚式等の衆生済度のための大
  切な行事を行っています。寺院もまた、広宣流布のための活動の重要な拠点であることを
  認識すべきであります。学会のみが広宣流布の場として、寺院がそうでないかのような表
  現は、明らかに言い過ぎであります。」

と認識を改め、また『特別学習会テキスト』でも、

 ☆「五十二年当時を中心とする指導のなかに、宗門、寺院、僧侶に対して、従来の正宗と学
  会の関係からもはずれた行き過ぎた指導があったことは、まず第一に率直に反省すべき点
  であります。
   たとえば、極端に『寺へ行くな』とか『僧侶は折伏もしない。広宣流布しているのは学
  会だ』とか『寺院は単なる御授戒の場』とか、登山会を軽視する発言などがありました。
   また、在家仏教的な考え方から僧侶並びに寺院を軽視し(中略)結果として、あたかも
  日蓮正宗を無視するかのような発言があったことは、ことの経緯はともあれ、信徒として
  明らかな逸脱であり、今後、こうした考え、指導上の誤りのないよう十分注意をしてまい
  ります。」

と述べ、率直に反省したのであります。

 すなわち、本宗の寺院は、単なる形式的に儀式を執行する場ではありません。令法久住・広
宣流布の意義に基づく儀式法要をはじめ、あらゆる信仰活動を遂行する、大法弘通の法城であ
ります。
 しかるに、現在の創価学会は、昭和五十二年路線よりも、なお卑劣にして、大きく逸脱して
おります。昭和五十二年路線では、寺院は単なる儀式の場と断定するものでしたが、現在では、
寺院が儀式の場であることすら破っているのであります。すなわち、本宗の僧侶が導師となっ
て執行すべき儀式法要等の化儀を、完全に改変し、創価学会独自の、僧侶を不要とする冠婚葬
祭等の化儀を、勝手に執行しております。このことは、まさに本宗寺院から、信徒を隔離する
行為ですから、これほどの原則への違背はありません。

 このように、宗門誹謗の団体と化した現在の創価学会をみれば、脱会した会員が、法華講員直属信徒となることは、本宗信仰のあり方の上から当然であります。
 ところが、創価学会では、自らに都合のよい日達上人等の指南のみを挙げ、悪辣に宗門を誹
謗しております。特に、秋谷会長の、

 ▼「宗門は天魔と化して、信者ドロボウに狂奔し、まことに嘆かわしい限りの実態でありま
  す。」(平成三年九月十七日)

 ▼「宗門が今、画策している檀徒づくりは、名誉会長と私たち会員との師弟の絆を断ち切ろ
  うとの陰謀である。破和合僧の行為を放置していたら、世界広布の将来はないし大聖人の
  御精神から大きく外れてしまう。我々は、今こそ学会正義の大確信をもち、勇気ある実践
  を展開しよう。」(平成三年九月二十八日)

等の発言や、本宗能化に対する、創価学会古参幹部の、

 ▼「信徒を泥棒のようにかすめとろうというのは、仏法上、人道上、許されないことであり、
  これは宗門の信心の自滅となるものでしょう。」(平成三年八月十六日付書面)

との発言は、本宗信仰における僧俗師弟の筋道を全く無視し、信徒間に仏法の師弟を持ち込ん
だ謬見であり、信徒団体としての分域を越えた、本末転倒の邪見であります。あまつさえ、
「信徒泥棒」との発言は、創価学会による本宗信徒の私物化であって、本宗の信徒団体たるこ
とを、自ら放棄する行為以外の何物でもありません。

 以上のように、現在の創価学会は、あらゆる面で、「折伏した人は信徒として各寺院に所属
させること」との原則遵守を破棄した背信集団であることを、深く認識すべきであります。
―――――――――――
 チ 次に、三原則の第二「当山の教義を守ること」について述べることにいたします。

 イ 池田氏の本尊観・妙法観が、御本仏大聖人の己証から外れた法偏重の外道義であり、ま
さに本宗の根本義たる仏宝・法宝の意義内容を、我見をもって改変する大謗法の邪義であるこ
とは、本宗能化より学会古参幹部に対して出した、平成三年七月三十一日付書面、及び九月六
日付書面で指摘しているところであります。

 また、宗祖大聖人の究極の重大事たる戒壇の義について、池田氏が、浅見をもって聖意を汚
す発言をいたしましたが、その誤りに対しても、書面等をもって、既に糺しております。

 本来ならば、池田氏並びに創価学会は、これらの指摘に対して、その誤りを率直に認め、公
式に懴悔して改め、ただちに会内に徹底すべきであります。しかし、創価学会には、現在に至
るまで、一向にその兆しがありません。宗門としては、もはや創価学会には、池田氏の大謗法
を自浄する能力が、全くないと受け止めるものであります。
―――――――――――
 ロ 次に、本宗の僧俗の関係は、先に述べたごとく、師匠と弟子という筋目の上から、僧俗
の相違が存するのであります。すなわち、本宗信徒は、血脈付法の法主に対しては当然のこと
ながら、所属寺院の住職・主管を血脈への手続の師匠として、師弟相対の信心修行に励むとき、
はじめて大聖人以来の血脈が通い、僧侶も信徒もともに御本尊の法体に冥合し、妙法当体蓮華
の一仏となるのであります。このように、僧俗は、信心成就の当体当相においては、僧俗が一
体平等となりますが、そこに至るまでの信心化儀という現実面では、必ず師弟の筋目の相違が
存するのであります。

 創価学会でも、『特別学習会テキスト』において、

 ☆「私達は日蓮正宗の信徒であることの意識を明確にし、僧侶に対しても礼節を重んじ、信
  徒としての姿勢を正すなかに僧俗和合の道を進めてまいりたいと思います。」

と、僧俗の筋目を正しく述べております。

 ところが、創価学会から宗務院に宛てられた、平成三年一月一日付書面以来、創価学会では、
本宗本来の意義から外れた僧俗平等論なるものが、盛んに唱えられております。特に、『阿仏
房御書』等の信心成就に約して示された御書や、日有上人の『化儀抄』第一条の本意を曲解し
て、
 ▼「僧侶と信徒との関係にあっては、まずなによりも、信心のうえでは僧俗平等であること
  が第一義であると思います。その上で僧侶と信徒の本分及び役割を生かした相互の尊重・
  和合があるのではないでしょうか。」(平成三年一月一日付「お尋ねに対する回答」)

 ▼「私たちは、これまで『信心の血脈』においては僧も俗も平等であるが、その上で僧俗の
  それぞれ主たる役割の相違があるのみであると信じて、広宣流布に邁進してきました。」
  (平成三年一月九日付青年学術者会議有志「質問書」)

 ▼「法の上では、僧も俗もともに同じ人間であり、全く平等なのである。」(平成三年二月
  十四日付『聖教新聞』・佐久間昇氏「化儀抄を拝して」)

 ▼「徹底した平等主義こそ仏法の本義」(平成三年十月十六日付『創価新報』)

等と述べ、またこのような己義に基づく僧俗平等観の立場から秋谷氏は、

 
▼「宗門は大聖人の仏法を奉じているとはいえ、権威で民衆を見下し、屈服させるような姿
  であります。」(『大白蓮華』平成三年六月号・巻頭言)

と、いかにも宗門が権威主義然として、信徒蔑視をしているかのように喧伝しております。さ
らにいえば、平成三年十月十七日における池田氏の、

 ▼「信徒の側は、僧侶の権威にひれ伏した時に、本来の信仰心は失われ、僧に仕え、依存す
  るのみの形式的な信仰となり、真の功徳はなくなる。
   御本仏・日蓮大聖人、すなわち大御本尊に信伏随従し、仕えることは正しいが、その根
  本からはずれて、僧侶に仕えることは、仏法の本義に背く誤りであることを知らなければ
  ならない。」

との発言は、まさに三宝破壊につながる僧侶蔑視発言というべきであります。
 これらは、明らかに仏法本来の僧俗師弟のあり方を破壊する邪見であり、教義違背行為以外
の何ものでもありません。
―――――――――――
 ハ 創価学会では、昭和五十二年路線で反省したはずの本宗法義にない師弟論、すなわち信
徒間における師弟不二論を、再び展開しているのであります。

 すなわち、小説『人間革命』第十巻では、大聖人の仏法が師弟不二の仏法であることは、一
切法即仏法のゆえに、人生の師弟間にも昇華され、そこに「信仰の血脈」が偉大な脈動となっ
て迸るなどと展開しているのであります。そして、人生の師弟間に、師弟の道と師弟不二の道
とを立て分け、池田氏が、唯一、戸田城聖二代会長と師弟不二であったと宣伝しているのであ
ります。
 また、平成三年十月十六日の池田氏のスピーチにおいても、

 ▼「私は『先生の行くところ、どこまでも行く。先生とともに生き、先生の目的のために死
  のう』と決めた。(中略)また打つ手、打つ手が、師のリズムに合致しゆく自身を確信し
  た。私が言っていること、やっていることは、すべて先生の心を受けての言動のつもりで
  ある。師弟の心は、どこまでも『不二』でなければ、仏法の生命はない。」

と述べており、さらに平成二年七月三日付『聖教新聞』の「春夏秋冬」では、

 ▼「九界の因と仏界の果との相即は法華の極説。さらに仏法では、弟子を因に、師匠を果に
  配する。因果一体は、師弟では師弟不二。人生の師弟にも深義が。『出獄と入獄の日に師
  弟あり』――果たる師匠の出獄した七月三日はまた、因たる弟子の入獄の日。」

と、戸田二代会長を仏に配し、池田氏と師弟因果の一体不二を述べているのであります。

 これらは、己義をもって、本宗における唯授一人の血脈、及び僧俗師弟における師弟相対の
信心化儀を、信徒間の師弟へとすり替えた大変な邪義であり、まさに師敵対の大謗法であって、
明らかに「当山の教義を守ること」との原則に違背するものであります。
―――――――――――
 ニ 本宗の寺院は、『日蓮正宗教師必携』で、

 ■「寺院・教会は仏祖三宝の所有であり、住職・主管または檀信徒のものではない。」

と定めるごとく、下種三宝の所有であり、また三宝の内体義によって、寺院は、当職の法主の
所有に帰するのであります。また、『日蓮正宗宗規』第百八十条に、

 ■「管長の任命した住職または主管及びそれらの代務者に対しては、いかなる者もこれを拒
  否することができない。」

と定めるごとく、時の法主より任命された住職・主管に対しては、だれ人たりといえども、そ
れを拒否することはできないのであります。

 ところが、池田氏は、平成三年八月十八日のスピーチで、昭和七年八月の「佛眼寺問題につ
いて」という、日淳上人の登座二十四年以前における、

 ■「若し一度何事かを差し挾んで三者(管長・住職・檀徒)の意志が分裂してその所有権を
  論ずる場合は寺院の本質により信仰の母体たる檀徒の所有に帰すべきもの」

等の発言を、切り文的に悪用して、

 ▼「寺院をどうするかについては、本山や住職の意向よりも、信仰の母体である信徒の意志
  を基準に決めるべきである。(中略)大多数の信徒こそ寺院の本来の『所有権』(持ち主、
  主人)であり、住職も本山も、信徒から寺院を預かっている『管理者にすぎない』と─。」

と述べているのであります。しかし、日淳上人の発言は、当時、仙台市佛眼寺が、不正な裁判
のもとに京都要法寺派へと籍を移され、要法寺派の僧侶が住職として着任し、本宗の佐藤覚仁
師が強制退去を余儀なくされたという、特殊な状況の上でのものであります。池田氏は、この
ような特殊な状況を顧みず、ただちに現在に当て嵌め、本宗の寺院が信徒の所有であると述べ
たのであります。このことは、佛眼寺問題の特殊性はもとより、本宗の寺院所有のあり方と僧
俗師弟の筋目を、明らかに無視した本末転倒の邪義と断ずるものであります。
―――――――――――
 ホ 現在、創価学会では、『聖教新聞』『創価新報』等の機関紙において、虚偽や捏造、事
実の歪曲等により、宗門僧侶に対して悪口中傷し、社会的信用を大きく失墜させております。
これら多くの誹謗行為は、まさに『普賢菩薩勧発品』に説かれるところの、

 ■「若し復是の経典を受持せん者を見て、其の過悪を出さん。若しは実にもあれ、若しは不
  実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん」

との御文に該当するものであります。あまつさえ法主に対するさまざまな非難中傷は、本宗の
命脈である唯授一人の血脈の尊厳を侵すものであり、本宗信徒にとって、あるべからざる大謗
法行為であります。
―――――――――――
 ヘ 本宗においては、師弟相対の信心化儀を基本とする化儀即法体の法門が、儀式法要を含
む一切の化儀の要諦であります。また、その裁定権は、先に述べたごとく、血脈付法の法主一
人に具わるところですから、一般の僧俗が、勝手に化儀を変更することは、決して許されませ
ん。まして、本宗信徒であるならば、宗門の定める化儀に従うのが当然であります。この点、
昭和五十二年路線の反省として、昭和五十三年の「一一・七」で、北条理事長が、

 ☆「今、このことを総括するに、問題を起こした背景に、宗門の伝統、法義解釈、化儀等に
  対する配慮の欠如があったことを率直に認めなければなりません。」

 ☆「寺院行事を尊重する意味から、(中略)春秋彼岸会、盂蘭盆会の学会としての開催は、
  学会本部ならびに各県中心会館では行う場合はありますが、地方では、いっさい行わない
  ようにいたします。」

等と率直に反省し、寺院の儀式法要を重視していくことを述べたのであります。

 ところが、現在、創価学会では、本宗の年中行事や冠婚葬祭などの儀式法要等の化儀を、己
義を構えて独自に執行したり、不要として等閑にし、本宗伝統の化儀を破壊しているのであり
ます。特に、葬儀については、宗務院として、去る十月二十一日付で通告文を送付いたしまし
たが、創価学会より、十一月二日付をもって、本宗の信条に背反する、信徒としてあるまじき
罵詈讒謗の通告をしてきました。このことは、創価学会が、もはや本宗の血脈仏法に基づく伝
統化儀に従えない体質に変質したことを証明するものであります。また、塔婆や戒名などは、
己義によって不要の化儀としています。これらは、全て本宗の伝統法義を蔑如するものであり、
「当山の教義を守ること」との原則を、明らかに破棄する行為であります。
―――――――――――
 ト 平成三年五月十五日付『創価新報』の「宗門問題の本質はここだ!」という欄に、創価
学会副学生部長の高岡輝信氏による、「冷酷」と題する一文が掲載されました。その内容たる
や、江戸時代に起きた堅樹派と称する異流義を取り上げて、これを正当化するという、ひどい
ものであります。堅樹派は、完器講とも称しますが、その派祖である堅樹日好は、もと日朗門
下の人で、第三十五世日穏上人の時に本宗に帰伏したものの、妙法の題目に四箇の格言を加え
て唱える新義を提唱し、また戒壇の大御本尊と血脈付法の法主を否定するに至った邪師であり
ます。
 本宗非教師から、高岡氏の邪説に対する反駁文が出されましたが、高岡氏においても、また
創価学会においても、未だに反省並びに訂正を表明しておりません。このことは、創価学会総
体として、異流義たる堅樹派を容認している証左であり、まさに「当山の教義を守ること」と
の原則に違背するものであります。
―――――――――――
 ツ 三原則の第三は、「三宝(仏法僧)を守ること」であります。本宗の三宝は、先に述べ
たごとく、仏宝は宗祖日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は日興上人を随一として
歴代上人の全てにわたりますが、また内体・外相の上から、正しく拝さなければなりません。


 『★創価学会では、現在でも、仏宝・法宝の名目は、一往、正しく拝しております。』

また、僧宝
も、かつては正しく拝しておりました。すなわち、池田氏は、昭和五十三年二月二十五日、

 ☆「ここで『僧宝』とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法
  主上人猊下であられる。また、御僧侶は全部猊下の弟子である。法類である。ゆえに、い
  かなる理由があるにせよ、我々は御僧侶を大切にしなければならない。」

と述べ、また昭和五十三年の「六・三〇」では、この発言を受けて、

 ☆「『僧宝』とは正宗においては第二祖日興上人のことであり、また第三代会長も発言して
  いるごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられます。」

と回答し、さらに『大白蓮華』の昭和五十四年十一月号、及び昭和五十八年十月号では、

 ☆「正法を正しく継承伝持あそばされた血脈付法の日興上人を随一として、歴代の御法主上
  人、広くは、御法主上人の法類である御僧侶の方々が僧宝なのです。」

と述べているのであります。これらは、全て本宗伝統の僧宝義を述べたものであります。

 また、池田氏は、唯授一人の血脈付法の法主についても、

 ☆「本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受
  け継がれて、今日に至っております。あくまでも、御本仏は、日蓮大聖人様であらせられ、
  唯我与我の御法主上人のご内証を、大聖人と拝すべきなのであります。」(昭和五十四年
  五月三日)

 ☆「御法主上人猊下に随順しない人は、どのような理由があるにしても、もはや正宗の僧俗
  ではない。これほど根本的な誤りはないからである。」(昭和五十六年十一月二十四日)

 ☆「日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。その血脈相承の御法主上人に随順し
  ゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。」(昭和五十七年一月二十四日)

 ☆「日蓮大聖人の仏法の教義は、あくまでも御法主上人猊下の御指南こそ根本なのである。」
  (昭和五十七年四月十七日)

 ☆「日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、
  唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた。」(昭和五十七年七月二十四日)

と、下種三宝の内体の上から、唯授一人の血脈を本宗信仰の根本とし、法主の指南に信伏随従
すべきことを述べております。これらは、本宗伝統の血脈観であります。このことは、また秋
谷会長も、平成二年十二月二十三日付書面で、

 ☆「もとより日蓮正宗にあって、金口嫡々唯授一人の血脈相承が宗旨の根本であることは論
  を待ちません。(中略)私どもは、日蓮正宗にとって根本たる法主の血脈を、状況次第で
  いとも簡単に否定し、あまつさえ恐れ多くも猊下を裁判で訴えた正信会の行動は、信心の
  狂いの極みであり、悪鬼入其身の所業以外の何ものでもなく、人間としても最も糾弾され
  てしかるべきであると思っております。」

と述べているのであります。

 ところが、現在、その池田氏が、本宗の僧宝について、

 ▼「私どもは、どこまでも大聖人とご一緒である。『僧宝』である日興上人の仰せ通り、御
  本尊と御書を根本に、大聖人直結の信心を貫いているのである。」(平成三年十月十日)

と述べ、秋谷会長も同様に、

 ▼「仏法の基本である『三宝』は、歴代上人が御指南されているように、『法宝』は御本尊、
  『仏宝』は日蓮大聖人、『僧宝』は日興上人であり、三宝が相即する御本尊を拝し奉るの
  が、私たちの信心である。」(平成三年九月二十九日)

 ▼「『僧宝』とは大聖人の正法を正しく継承された日興上人であられる。」(平成三年十月
  二十七日)

 ▼「これでは、法主が『僧宝』の日興上人を越えるばかりか、大聖人をも越えた存在になる
  ではないか。こんな『僧宝』と『仏宝』の破壊はない。」(平成三年十月二十七日)

等と述べ、僧宝として日興上人一人を挙げ、日目上人以下の歴代上人は除外しているのであり
ます。これらは、明らかに唯授一人の血脈を蔑ろにする師敵対の大謗法であるとともに、本宗
伝統の三宝義を改変する邪義であり、従来、創価学会で述べてきた僧宝観とも異なる、自語相
違の謬見であります。まして、池田氏の「大聖人直結」との発言は、本宗三宝の次第を超えた
己義であり、まさに三宝破壊の大謗法であります。
 しかも、秋谷会長は、以前、述べていたことに反し、

 ▼「元来、日蓮正宗には大御本尊と並べた 法主根本主義 等は全くなかった。(中略)つ
  まり人法一箇の御本尊を信仰し、大聖人に帰伏していくのが私どもの信心である。それを、
  法主への信伏随従にすりかえるのは、大聖人の御指南に反するものであり、三宝破壊の邪
  義であることは、だれがみても明らかである。」(平成三年九月二十九日)

 ▼「法主への盲信≠フ強要は、時代錯誤もはなはだしく、世界が渇望する民主の時代
  には全く通用しない。宗門の体質は、もはや全世界に開かれた大聖人の仏法の精神から大
  きくかけ離れている。」(平成三年十月一日)

 ▼「大聖人以外の『人』を信心の根本とする行き方は、大聖人の仏法にはない。
   あくまでも人法一箇の本門戒壇の大御本尊が根本なのである。三大秘法の大御本尊に三
  宝もすべて具足しているというのが根本の法理である。したがって、朝夕、御本尊を拝す
  る私どもは、常に深く三宝を敬っているのである。」(平成三年十月十日)

等と、法主への信伏随従が盲信であると決め付け、また本宗の唯授一人の血脈が民主主義の現
代に通用しないと述べております。さらに、平成三年十月二日付『創価新報』では、「神話だ
った法主への信伏随従」との見出しを付けて、

 ▼「法主への信伏随従なるものが、所詮は、信徒に隷属を強いるために後世につくり上げら
  れた『神話』にすぎないものであることがうかがい知れよう。」

というなどは、およそ本宗の信徒団体として考えられない言行であり、不変であるべき法義を、
その時その時の、自分たちの都合に合わせて、くるくると変える己義であります。あまつさえ、
宗門を「法主根本主義」「法主絶対主義」「法主本仏論」「御書よりも法主の指南が全て」な
どと決め付けて誹謗するなどは、下種三宝の内体・外相の意義、並びに唯授一人の法体血脈の
深義をもって善導する宗門の言辞の真意が、創価学会に全く理解できていない証拠であると同
時に、本宗信仰の根幹である下種三宝義を破壊し、唯授一人の法体血脈に背信する大謗法罪な
のであります。したがって、これは、三原則中の「仏法僧の三宝を守ること」、及び「当山の
教義を守ること」との二原則を、完全に破棄するものであります。
―――――――――――
第四 創価学会では、かつて

▼言論出版妨害問題や
▼選挙時の替え玉投票事件、また
▼共産党宮本委員長宅電話盗聴事件や
▼『月刊ペン』事件等、

反社会的な行動やスキャンダルなどで、社会から
幾多の厳しい指弾を浴びましたが、近年に至っても、なお

▼会員による身代金六億円を要求した本宗住職誘拐事件、
▼会員である公明党議員たちによるリクルート事件や
▼砂利運搬船汚職等の数々の贈収賄事件、
▼一億七千万円入り金庫投棄事件、
▼ルノワールの絵画取引にかかる疑惑、
▼墓地造成にかかる脱税事件や
▼株売買にかかる損失補てん疑惑等、巨額の不正疑惑事件

が頻発しております。

 創価学会では、これらの疑惑事件等の発覚によって、本宗の信徒団体のあり方から著しくか
け離れた醜い姿を現わすとともに、このような金銭問題にまつわる創価学会の実態が、社会か
ら、その公益法人としての資質や責任を、厳しく問われる結果を招いております。同時に、こ
れら創価学会が関与した諸事件は、そのたびごとに、本宗七百年の清浄な宗風に泥を塗り、ま
た本宗の社会的信用に大きく傷を付け、正法の広布進展に著しい妨げとなっているのでありま
す。
―――――――――――
第五 以上、創価学会は、現在、日蓮正宗の仏法の本義と、宗教法人設立時の三原則と、昭和
五十二年路線への反省・誓約に、ことごとく違背しているのであります。
 あまつさえ、昨年十一月十六日の第三十五回本部幹部会における、池田氏の、

 ▼「五十周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗
  門から散々やられ、正信会から。馬鹿にされ、そいでその上北条さんが『もう、お先まっ
  暗ですね。』『何を言うか、六十周年を見ろ。もう絢爛たる最高の実が、六十周年が来る
  から元気だせ。』会長だから、これがよ。私は名誉会長だ。『そうでしょうか。』馬鹿か
  ―。」

との発言は、「恩師の二十三回忌に思う」等で見せた昭和五十二年路線への真摯な反省と、再
び宗教法人設立時の三原則を遵守するとの堅い誓いが、まさに宗門を欺く偽りの言辞であった
ことを露呈しているのであります。

 創価学会二代会長戸田城聖氏は、昭和三十一年八月十日の岡山市妙霑寺の落慶入仏式の折に、
第六十五世日淳上人に対したてまつり、

 ☆「将来、もし学会が大きくなって、宗門に圧力をかけたり、あるいは内政干渉をするよう
  なことがあったら、いつでも解散をお命じください。」

と申し上げた旨を聞き及んでいますが、現在の創価学会は、もはや日蓮正宗を外護する信徒団
体とはいえません。信仰の根幹である日蓮正宗の三宝を破壊し、宗開両祖以来の伝統法義を改
変するとともに、宗門に圧力をかけ、内政に干渉し、敵対攻撃するという、大謗法団体となり
下がってしまったのであります。

 よって、宗門としては、このように大謗法団体と化した創価学会に対し、日蓮正宗の信徒団
体としての創価学会を自主的に解散するよう、ここに勧告するものであります。さらに、この
ような創価学会の指導を受け入れ、同調しているSGI組織の全てに対しても、併せて解散す
るよう、勧告いたします。


   平成三年十一月七日


                    日蓮正宗管長   阿  部  日  顕 ]
                    日蓮正宗総監   藤  本  日  潤 ]


創価学会 名誉会長
           池 田 大 作 殿
SGI  会  長

創価学会 会  長
           秋 谷 栄之助 殿
SGI  理事長

創価学会 代表役員
           森 田 一 哉 殿
創価学会 理事長

――――――――――――――――――――――
 
5 日柱上人への辞職勧告書

 

投稿日:2006/02/28(Tue) 13:29 No.2177 [返信]

次に、創価学会側・T君は、また懲りもせず、破折しつくされた案件である「日柱上人への辞職勧告書等」の問題を持ち出してくる。

つまり、「池田創価学会が日顕上人へ退座要求をしたことを「大謗法」というならば、第58世日柱上人へ退座を迫った宗会(僧侶方)も「大謗法」であろう。」との論法である。

 血脈を受けていない者の中に、ときとして獅子身中の虫が出て、正信の者まで扇動し大きな混乱を引き起こすようなこともある。
日興上人の身延離山にみられるように、貫首に政治的権限がなく、それに従う者が少なければ、形としては屈するが如くの、自ら「退去」するしかない。日興上人の場合など、地頭の権力と、その謗法行為を容認・助長する学頭・日向の非法の前には、なすすべなく、離山されたのである。(勿論、それは一往の辺であって、再往は御本仏大聖人様の御心を実現すべく起こった深い御仏意と拝することが出来るのであるが)

日柱上人の場合も、形としては弟子の数の力に屈したようであるが、日柱上人の所持された血脈の尊厳はいささかも損じてはいないし、その血脈は、日柱上人の御意志によって様々な経緯の後、結局は日亨上人に付嘱されたのである。

 管長交代の契機となったのは確かに宗会を中心とする「反日柱上人派」の決議とその行動であるが、しかし、最終的に決断されたのは日柱上人御自身である。
まずここが創価学会が日顕上人へ対してとった行動と、その結果の決定的に違うところである。
日柱上人は最終的には宗会の決議を受け入れられたが、日顕上人は創価学会の怨念による邪悪で愚昧な要求など一蹴せられたのである。(当然過ぎるほど当然であるが。)

日柱上人が宗会の意見を受け入れられた背景には、
@宗会の意見は宗務行政上のことであり、血脈そのものを否定したものではないこと、
A問題が宗務行政上のことであれば、退座を拒否したとしても宗会の意を無視したのでは結局、日柱上人の行政上の方針は達成できないこと、
B宗会が推薦する次期法主(日亨上人)が法主となるに相応しい人物であること、

などが考えられる。
これらの状況を総合的に判断されての譲座であれば、その発端・契機は宗会の辞職勧告であったとしても、決して彼等の言いなりになって退座されたのではないというべきである。

池田創価学会は、日顕上人の血脈を否定し、法主としてのお立場を誹謗しての退座要求である。
日柱上人の時は宗会はあくまで宗務行政上として「管長」の退座要求であり、法体を護持される「法主」としてのお立場について誹謗しているわけではないのである。ここも、池田創価学会を正当化できない重要なポイントである。

が、しかし、評議員・宗会議員・並に役僧等のとった行動は厳密に言えば非法の一分にあたるかも知れない。
しかし、この時の宗会議長は学会員もよく御存知であるはずの、後、自らの野心を遂げる為にあろうことか日蓮正宗内において戦時中に「神本仏迹論」を唱え、身延合同を画策した獅子身中の虫「小笠原慈聞」師(後に深く反省懺悔した)である。

また、宗会議員の中には後に蓮華寺の住職となり、創価学会とも反目し、宗門にも敵対し離脱していった「崎尾正道」もいた。
この崎尾正道とは、池田の小説『人間箪命』第8巻で、「蓮華寺のS住職」としで描かれており、学会古参幹部諸氏も、その人となりについてはよく知るところであろう。

このように反日柱上人派の中心的メンバーの中には宗門の正しい信仰と教義を理解していない獅子身中の虫がいた。
彼等が、「血脈の尊厳を守りつつも宗務行政上の理由から退座を願った」僧侶をも巻き込んで行き過ぎた行動をとった、と言えるのである。

そのような人が中心となった「クーデター」であれば、同じ反対派であっも行動の真意は区々であったろう。
また、そのような集団であってみれば、日柱上人に退座していただくという1点では同意であっても、血脈への尊信の念はそれぞれ相違があったことであろう。
そのために、団体として表明された意思や行動は、細かい点まで全員一致であったとは必ずしもいえないであろう。
であるから、創価学会側が「後に法主になる僧侶もこの決議案の中に連署している」と、後の御法主上人となられる方の行動をも中傷しているが、それは、上記の如く、法門未領解・信不足の獅子身中の虫らが扇動した事案であるから、その他の評議員・宗会議員・並に役僧等の方々の真意は一概に一律に断定することは出来ないのである。

また、補足ではあるが、この管長辞職要求事件は、大正デモクラシーという大きな時代の変革による影響が多分にあるであろう。
この時期、デモクラシーが思想や文学、芸術に至るまで強い影響を及ぼし、民間には「民本主義」なる西欧の平等主義が輸入され、民衆の民衆本意こそがすべて、というような、(今も池田創価学会が声高に叫んでる『××ルネッサンス』というような・・・)仏法においては大変危険な思想が人々を魅了していた時代である。
宗門及び当時の僧俗の大多数もこのような思想の流行の影響を少なからず受けていたことが背景にあることは否定できないであろう。

いずれにせよ、確かにこの案件は決して好ましい事案ではなかったが、しかし、今、池田創価学会がしているような、血脈誹謗、法主誹謗、等の「大謗法」と同類に見なすことは道理・文証・及び現証から言って、全くの「不可」である。

T君ら法門未熟な創価学会員等にはもう少し真摯に宗門史を勉強することをお勧めする。

――――――――――――――――――――――
 
 宗門側が対話を拒絶?

 

投稿日:2006/02/28(Tue) 15:36 No.2181 [返信]

 次、T君ら創価学会側は、平成2年11・16池田発言から端を発した、今回の学会問題について、「秋谷会長が話し合いを求めたのに何故宗門ではそれを拒絶したのだ」と声を張り上げて主張していたが、その答えは簡単である。

今回のような貴公ら創価学会員の、その自らの主張ばかりは声高に押し通し、相手の発言は多勢を以って封じ込めるという非行を繰り返す場を「話し合い」だなどとは呼べないのである。
末端の総地区リーダーぐらいの会員ですらこのような有様なのだから、秋谷を中心とするトップクラスの連中では更に悪辣・横暴であろう。
支流の汚れをみればその源泉の汚染は容易に想像できるというものである。
そのような創価学会幹部が自己正当化の主張をごり押しするような場では、宗門側の教導も主張も全く創価学会側には通るはずもなく、このような「池田大作の謗法発言」という重大な問題を扱うには不適当である。時間と労力の無駄である。

T君らには痴問を醜く繰り返す前に、自らの発言の仕方が如何に自分勝手で幼稚な醜態であったかを気づくべきであろう。

ではこの間の経緯についての宗門の公式文書から掲載する。
―――――――――――
   @宗務院より創価学会宛ての
     第三五回本部幹部会における
       池田名誉会長のスピーチに
              ついてのお尋ね
             (平成二年一二月一三日付)
 創価学会会長
 秋谷栄之助 殿

 去る一二月一三日の連絡会議の席上において、一一月一
六日第三五回本部幹部会における池田名誉会長の発言に関
するお尋ねの文書をお渡ししようといたしましたが、出処
不明のテープを本とした文書は受け取ることができないと
の理由にて受領を拒絶されました。
 宗務院として、このテープについて数本のテープと照合
しつつ、厳密な調査をいたしましたところ、改竄されたも
のではないことが判明いたしました。
 さらに、一一月一六日のスピーチの全国衛星放送の会場
に出席した信徒からも、手紙や電話によって、疑問や不信
の声が、総本山・宗務院へ寄せられております。
 この問題は、極めて重要な内谷を含んでおりますので、
話し合いによる解決は不可能と考えます。
 よって、改めてこの文書を送達いたしますから、到達の
日より七日以内に宗務院へ必着するよう、文書をもって責
任ある回答を願います。
                      以 上
  平成二年一二月一六日
              日蓮正宗総監 藤本日潤
―――――――――――

   第三五回本部幹部会における
    池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね

 創価学会会長
 秋谷栄之助 殿

 この度、平成二年一一月一六日、第三五回本部幹部会に
おける池田名誉会長のスピーチのテープを聞きました。
 それによると、聖教新聞の内容と大幅に違っており、特
に宗門に関することが故意に削られ改作されていることが
わかりました。しかも衛星中継をもって全国の学会員に放
送するため、当日のテレビ放映と新聞の内容の違いに不審
を抱いた学会員から、学会について行けない旨の手紙が寄
せられております。確かにテープの中には、昭和五三年六
・三〇、一一・七等で確認されたことが、まったく忘れ去
られている感もありますので、改めて拾い挙げてみました。
何卒、責任ある回答を示されますよう、お願いいたします。

―――――――――――
   B宗務院より創価学会への「通知」
             (平成二年一二月二六日付)

平成二年一二月二六日
                日蓮正宗総監
                     藤本日潤
創価学会会長
秋谷栄之助 殿

 一二月二三日付書面を拝見いたしました。
 「第三五回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチ
についてのお尋ね」の文書に対して、七日以内に文書によ
る回答を求めましたところ、話し合いで理解を深めたいと
の御返事をいただきました。
 宗務院といたしましては、問題の本質が余りにも重大で
あり、かつスピーチの本人である池田名誉会長不在の連絡
会議の場で話し合いをしたり、解決をはかることの出来る
性質のものではありませんので、最初から文書による責任
ある回答をお願いしているのであります。然るに、全く回
答を示されないのみならず、かえって「お伺い」なる文書
をもって、事実無根のことがらを含む九項目の詰問状を提
出せられるなど、まことにもって無慙無愧という他ありま
せん。
 宗務院といたしましては、最早や池田名誉会長の一一・
一六のスピーチについては、文書による誠意ある回答を示
される意志が全くないものと受けとめました。
 上記のとおり御通知いたします。
                      以 上
―――――――――――
創価学会の自己主張のみを強引に押し通す醜悪な体質に対しての宗門としての道理に則った当然至極の応対である。
創価学会こそ自らの我意我見をごり押しする無節操な行動習慣を反省し改善すべきである。(と言っても最早手遅れだが・・・)


――――――――――――――――――――――

 

 7 創価学会の師弟


次、T君ら創価学会側は、「代々の猊下も創価学会の師弟の関係を認めていた。」と強弁する。
しかもその根拠として引用したかったのが、以下の学会公式文書内の

『第65世日淳上人猊下も、昭和33年6月、九州総会において「創価学会が、何がその信仰の基準をなすかといいますと、この師匠と弟子という関係において、この関係をはっきりと確認し、そこから信仰を掘り下げていく、これが一番肝心なことだと思う。今日の創価学会の強い信仰は、一切そこから出てくる。戸田先生が教えられたことはこれが要であろうと思っております。」と御指南くださっております。』

という箇所である。(当日は文献を引けず)

しかし、この文意はその直後の
『学会内における師弟は、あくまでも「よき師、よき法、よき檀那」の檀那のなかにおける指導性であります。
具体的には、昨年の「11・7」で再確認したように、代々の会長は折伏・弘教の師であり、現実社会における人生の師であることを銘記すべきであります。
しかして、法義のうえで「よき師」とは日蓮大聖人お一人であり、代々の血脈付法の御法主上人であることを、正しく理解しなければなりません。 』

に明確であり、創価学会の師弟としての意義は、あくまでも在家分内における「師弟」であって、大聖人から唯授一人によって連なる代々の血脈付法の御法主上人に師弟相対した上での在家信徒間における「師弟」に限定されるのである。

では今回の法論で論題になっている「創価学会にはなんら謗法行為はなかった」との学会側の主張が如何に的外れであるか、以下の創価学会公式文書が実に参考になるから掲載しよう。

創価学会が破門になる法義的根拠は

■懺悔すれども懺悔の後に重ねて此の罪を作れば後の懺悔には此の罪きえがたし。

であり、一度は許された「謗法」も、反省懺悔の後に重ねて同じ罪を犯せば、最早許されない。つまりは破門になって当然なのである。
以下の文書は創価学会が一度目の反省懺悔をした証拠文書である。
しかし、平成元年以降の池田大作の本部幹部会・同時放送内での猊下誹謗・僧侶蔑視等の発言の連発は、まさに「懺悔の後に重ねて此の罪を作れば」に該当し、しかもその後には何の反省懺悔がないばかりはいよいよ悪逆の本性剥き出しにして御法主上人や宗門僧侶を集中攻撃したのであるから、その罪が消えることは永劫にないであろう。


―――――――――――――――――――――――――――――――――

 付録 特別学習会のために(昭和55年)

一昨年末、近年の創価学会の広布への歩み方をめぐって、宗門と学会の間にさまざまな不協和を生じ、宗門から種々のご指摘がありました。
これらの諸点につき、日蓮正宗の伝統ある化儀化法のうえからみて、学会として現代社会に実践的に展開するなかに、行き過ぎ、逸脱等があったことを認め、改めるべき点は改め、正すべき点は正し、日蓮大聖人の大正法を広宣流布するため、永遠の僧俗和合のため努力を重ねてまいりました。

まず、昨年6月30日には、過去の学会の教学展開のなかで、正宗の伝統法義解釈のうえから指摘のあった問題点を正し「教学上の基本問題」として聖教新聞に掲載し、今後、学会の教学展開にあたり、逸脱のないよう確認をいたしました。

そして、昨年11月7日には、総本山大石寺で代表幹部会を行い、近年の学会の歩みと流れを総括し、
(一)学会のここ数年の指導・進み方、教学の展開のなかに正宗の信徒団体としての基本がおろそかになったいたこと、
(二)52年のような学会の行き方は、行き過ぎがあったことを率直に反省いたしました。

更に本年5月3日には、この信徒団体としての基本、性格を新会則に明確にし、規則も改め、同時に、今後の僧俗間の問題については、最高教導会議、地方協議会で話し合い、解決する道が開かれたのであります。

日達上人猊下からも
■「どうか今後は信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護していただきたいのであります。そのうえで自主的な指導と運営でのびのびと御活躍を願いたいのであります」
との御指南を賜ったのであります。

以来半年、その間、7月22日には、日達上人猊下が御遷化あそばされ、8月には血脈相承をうけられた第67世日顕上人猊下が御登座あそばされ、この日顕上人猊下のもと令法久住、広宣流布への新たなる前進が開始されたのであります。

日顕上人猊下は、御登座あそばされた直後、8月21日、宗内一般に「血脈法水に基づく和衷協力を」との訓諭を発せられ、甚深の御決意で僧俗和合して広宣流布への方針を示されたのであります。

そして去る10月8日には、この訓諭の趣旨にのっとり、宗務院より宗内一般に通達がなされました。この院達においては

1. 創価学会に対する基本的な態度は、前法主日達上人が示された既定の方針と聊(いささ)かも変わるものではない。
2. 僧侶にあっては上求菩提下化衆生(じゅうぐぼだいげけしゅじょう)の誓願に徹して慈悲の精神にたち、法主上人のもと一結して僧俗和合協調の基本路線に添い奉るべきである。
3. 創価学会にあっては、「6・30」「11・7」につき、更に全会員が十分その経緯と意義内容を理解し納得するよう、意を尽くして説明、徹底することを怠ってはならない。すなわち、そのためには、過去において正宗の化義化法から逸脱していた部分を明確にし、またそのような指導を行ったことについて、率直に反省懺悔し、再び過ちを繰り返さぬことを誓う姿勢を忘れてはならない。

との宗内僧俗の進むべき方途を示されたのであります。

学会としては、この猊下の御指南に基づく院達をうけて、直ちに過去の逸脱について反省懺悔する北條会長談話を発表いたしました。
そして、ここに院達に基づき、もう一度「6・30」「11・7」をふまえその意義内容を正しく理解するための過去の経過のなかから反省し、改めた点を明確にするとともに、再び過ちを繰り返さないためにも、次の諸点に要約して確認をいたしました。幹部並びに会員の皆さまには、この点よくよく御理解くださるようお願いいたします。

1. 52年当時を中心とする指導のなかに、宗門、寺院、僧侶に対して、従来の正宗と学会の関係からもはずれた行きすぎた指導があったことは、まず第一に率直に反省すべき点であります。
例えば、極端に「寺へ行くな」とか「僧侶は折伏もしない。広宣流布しているのは学会だ」とか「寺院は単なる御授戒の場」とか、登山会を軽視する発言などがありました。
また在家仏教的な考え方から僧侶並びに寺院を軽視し、日蓮正宗本来の三宝の意味を正しく理解せず、「学会が僧宝である」といったあやまった記述もあり、結果としてあたかも日蓮正宗を無視するかのような発言があったことは、ことの経緯はともあれ、信徒として明らかに逸脱であり、今後、こうした考え、指導上の誤りのないよう十分注意をしてまいります。

「11・7」において創価学会の前提たる日蓮正宗の信徒団体としての基本及び伝統法義についての意識が希薄化していたことを正したのであります。
この点、私達は日蓮正宗の信徒であることの意識を明確にし、僧侶に対しても礼節を重んじ、信徒としての姿勢を正すなかに僧俗和合の道を進めてまいりたいと思います。

2. 過去の指導のなかに、会長に対して、日蓮正宗では、御本仏日蓮大聖人または日興上人にしか用いない法義になっている言葉を用いて、宣揚する幹部の言動がありました。

すなわち「大導師」とか「久遠の師」とか「帰命」とか「主師親の三徳」という言葉、また「人間革命は現代の御書である」と言ったことなども、明らかに誤りであります。こうした表現を用いてはなりません。

これについては、池田名誉会長自身「私がごとき者を、かりそめにも、本仏などということはもちろん、思ったりすることも謗法なのであります」と 明確に否定しています。
また「私は凡夫の身であり、誤り多き身であります」「創価学会には唯一至上の絶対者などもいない。日蓮正宗創価学会員にとって、唯一至上、尊厳は三大秘法の御本尊であり、他は全て創価学会会長といえども平等に末法の衆生であり、凡夫である」とも述べております。
したがって神格化することがあってはなりません。
それはかえって本意に反することになります。
幹部並びに会員の皆さまもこの点、よろしくお願い申しあげます。

学会における師弟の関係については、牧口初代会長以来、今日の深いきずなをなしてきたものであります。

第65世日淳上人猊下も、昭和33年6月、九州総会において「創価学会が、何がその信仰の基準をなすかといいますと、この師匠と弟子という関係において、この関係をはっきりと確認し、そこから信仰を掘り下げていく、これが一番肝心なことだと思う。今日の創価学会の強い信仰は、一切そこから出てくる。戸田先生が教えられたことはこれが要であろうと思っております。」と御指南くださっております。

学会内における師弟は、あくまでも「よき師、よき法、よき檀那」の檀那のなかにおける指導性であります。
具体的には、昨年の「11・7」で再確認したように、代々の会長は折伏・弘教の師であり、現実社会における人生の師であることを銘記すべきであります。
しかして、法義のうえで「よき師」とは日蓮大聖人お一人であり、代々の血脈付法の御法主上人であることを、正しく理解しなければなりません。

3. 学会における正宗教学の展開にあたって、実践の教学として、社会に広く仏法を展開していくことに、主眼をおいて進められてきました。
もちろん、その展開にあたっては、どこまでも日蓮大聖人の仏法の正当の流れは、ただ一つ日蓮正宗にあり、また、大聖人よりの血脈付法は、唯授一人の代々の猊下であることを根本にしなければならないことは当然であります。また法体の血脈と信心の血脈の立て分けも正宗の根本義であり、信徒として正しく理解しなければなりません。

この点、過去において、その根本を論述せず、いきなり飛躍的に、学会及び個人の日常生活に当てはめた展開があり、日蓮正宗の伝統化儀・化法の上から見て、行き過ぎた表現や、基本からの逸脱があった点について、反省するものであります。

具体的には、たとえば「創価仏法」という用語の用い方は、大聖人の仏法のほかに、何か別のものがあるような印象を与えることにもなり、日蓮正宗の法義のうえからは不適であり、こうした言葉の使用は改めることに「6・30」でいたしました。

更に、「本因本果」「本迹」「境智冥合」という、日蓮正宗の法義のうえで、甚深の法門にわたる用語を、安易な解釈で用いることのないようにするなど、これらはいずれも「教学上の基本問題について」で改めたところであります。

また、謗法厳誡についても、46年頃から「地域友好」の方針が打ち出され、そのなかで、一時、宗教的意義も消え、風俗、習慣、市民行事的色彩が強い「まつり」については、友好の場として活用していこうとの考えに基づいて、その方向の指導が出されましたが、これも行き過ぎであり、法義の厳正を期するうえから「6・30」で是正いたしました。

4. 日蓮正宗に伝わる厳粛なる化儀は、日蓮大聖人の仏法を令法久住せしめるための信心のうえの化儀であります。
しかし、過去において、我々の考えのなかに、そうした基本精神を理解せず、単なる形式として安易に受け止め、これを軽視する風潮がありました。
宗門行事及び末寺諸行事、また御僧侶の三衣に対する厳しい考え方、教本・念珠に対する考え方等をはじめ、正宗伝統の化儀について十分認識を改め、粗略であった点を反省するとともに、信徒としての基本を誤たぬよう留意してまいります。

5. 御本尊の件につきましては、信心の根本の問題であり、「11・7」の基本をふまえて、猊下の御指南を仰ぎつつ、お取り扱い、手続きなど、宗風を重んじ、一段と厳格に望んでまいります。

御本尊に関しては、昭和53年10月3日付けの院達をもって「一切論じてはならない」旨の厳命を受けておりますので、私たちとしては、これを猊下の御命と受けとめ、厳守してまいりたい。御命があるにもかかわらず、なお論ずることは、そのこと自体が猊下の御命に背く謗法であると信ずるからであります。

以上これまでの経緯と意義内容及び過去において正宗の化儀化法から逸脱した点を明らかにしてまいりましたが、会員の皆さまにおかれては、よろしくその趣旨をご理解願いたいと思うものであります。

なお、この学習にあたっては、去る10月12日、北条会長談話で「今回の院達では、とくに学会には、3番目の項目に御指摘いただいたことを真摯に受けとめ、信徒としての道を遵守してまいります。私どもは、ここで重ねて過去における正宗の化儀化法のうち逸脱した点を明らかにし、正しき指導を徹底するとともに、そのような指導を行ったことについて、全最高幹部みずから率直に反省し懺悔するとともに、再び過ちをおかさぬよう猊下にお誓いするものであります」とあるように、幹部自らが真摯な姿勢で取り組んでまいりたい。そして理想的な僧俗和合の道を私どもの信心で切り開き、広宣流布の前進と、信徒団体の基本を守り、宗門を外護申し上げることを願ってやまないものであります。


――――――――――――――――――――――


 
8  河邊メモ

 

投稿日:2006/03/01(Wed) 20:35 No.2224 [返信]

 次に、T君ら創価学会側は、▼「三宝を破壊しているのは日顕猊下だ。河邊メモで戒壇の大御本尊を否定したではないか」と言い出してきた。
まあしかし、呆れ果てた頑迷さである。今時まだ「河邊メモ」を持ち出そうとしている。
京都や奈良の創価学会青年部は、相当時代に取り残されているようである。

それこそこんな完膚なきまでに破折し尽くされている邪難ではあるが、T君らが如何にレトロなところで躓いていているか如実に顕われていてある種感動ものであるから、以下の慧妙記事に依って破折しておく。(当方の個人的な論評は全く不要である。)
もしT君、以下の破折で物足りなければ、当方と対面対論をして更に掘り下げてこの邪難を粉砕しようか?


1.実名による、
2.ビデオ撮影あり、後に公開あり、
3.見学者あり、
4.反論不能な場合は勝者の宗旨への改宗。
概要この条件であればいつでも対面対論を行いたいと希望するがどうか?

では破折文。
―――――――――――
 この「戒壇の大御本尊偽作発言」疑難については、破折の要点が数点に分かれるので、要点ごとに整理して論じていきたい。

1、「河邊メモ」は盗人による盗品

 そもそも、この「河邊メモ」なるものは、故・河邊慈篤尊師の個人的なメモであるが、それが何ゆえに学会の手許(てもと)にあるのか――なんと、盗人の手によって河邊尊師のもとより盗み取られ、それを入手経路を隠したまま創価学会が悪用しているのである。

 しかも、その盗品の内容を、持ち主である河邊尊師の許可もなく公開して御法主上人誹謗に使うとは、創価学会という宗教団体がいかに薄汚ない教団であるかがわかろう。

 また、「メモ」とは、所詮、個人の覚え書きであって、万人が理解することを前提とした公式書類でもなければ、手紙でもない。
 その当人のための覚え書きであるから、文中に、主語や目的語が省かれていたり、肝要な部分が省かれて記述されていることすらある。
それ故、時の経過の中で、本人でさえメモの内容が理解できなくなることも多々あるのである。
 そうした覚え書きとしての記述を、あたかも公式書類であるかのごとく扱い、しかも、自らの主観をもとに勝手に主語を挿入して読み解くなど、メモの解読どころか創作の域に踏み込んでいる、といっても過言ではない。
 その意味では、この「大御本尊偽作疑難」は、河邊尊師から盗み取ったメモをもとに、創価学会が自分の主観で勝手に創作した疑難といって、さしつかえないものなのである。
―――――――――――
2、両御本尊の違いは歴然!

 学会では、河邊メモの中に「種々鑑定の結果解った(字画判定)」とあるところから、「日顕(上人)は以前から御本尊の鑑定をしており、この大御本尊の鑑定も日顕(上人)が行なったに違いない」などという。
 しかし、「鑑定できる立場・能力にあるのだから鑑定したに違い」とは、単なるコジツケでしかない。
 むしろ、御法主上人におかれては、河邊メモに書かれたような「鑑定」が誤りであることを、次のように御指南あそばされている。
 
■「この際はっきりしておくことは、本門戒壇の大御本尊様と日禅授与の御本尊とは全く相違している、ということである。よく拝すれば、中尊の七字の寸法と全体からの御位置においても、明らかに違いが存し、また御署名花押の御文字及びその大きさや御位置、各十界尊形(そんぎょう)の位置等にも歴然たる相異が存する。そして、もちろん模写の形跡は存在しない。
 したがって御戒壇様と日禅授与の御本尊とを類推すること自体が全くの誤りであり、この事をはっきり、述べておくものである。」
(平成十一年九月十八日)

 かくのごとく、戒壇の大御本尊と日禅授与の御本尊では全く相貌が異なっているのであるから、これを「模写したもの」とする「メモ」の内容が誤りであることはいうまでもない。
 されば、「御法主上人が大御本尊を否定した」とする疑難が、タメにする誹謗でしかないことが明らかである。
―――――――――――
3、「大御本尊偽作」疑難は正信会の説――「日興門流上代事典」に大同の説が掲載されている。

 学会では、「当時は、宗門の外部にも内部にも、そのような疑難は存在していなかった。そのような疑難がなかった以上、宗門の内部からの疑難に対する破折を述べたもの≠ニする宗門の説明は破綻(はたん)しており、やはり、河邊メモ中の大御本尊偽作発言≠フ主は日顕(上人)なのだ」という。
 しかしながら、では、当時、宗門内部にそのような疑難があったとしたら、その疑難に対して日顕上人が破折を加えられた、との説明が正しいことになり、学会側の主張は根底から覆(くつがえ)ることになる。

 では、真相はどうであったか――。
じつは、昭和五十三年当時、後の「正信会」となる宗内の一派が、すでにそのような疑難を呈していたことが、明らかとなったのである。

 すなわち、正信会僧侶・大黒喜道編纂による『日興門流上代事典』の「本門戒壇大本尊」の項には、次のような解説がなされているのである。

▼「弘安二年(一二七九)十月十二日に書顕(しょけん)されたと伝えられる富士大石寺蔵宗祖御筆本尊で、曼荼羅(まんだら)下部には『右為現当二世造立如件/本門戒壇之願主弥四郎国重/法華講衆等敬白/弘安二年十月十二日』と記されている。現在は板曼荼羅として大石寺に厳護(げんご)されているが、非公開であり、古来より宗祖の御筆に対して疑問が提出されている。
(中略)
 富谷日震『本宗史綱』二四五は『重須日浄記』に拠(よ)って当本尊の彫刻を大石寺日有によるものと推定し、日蓮宗事典はその筆跡や脇書等から室町期の成立と推測している。(中略)大石寺所蔵の宗祖本尊の中では、元は束京・法道院所蔵にて昭和四五年に大石寺に奉納された弘安三年五月九日書顕の宗祖本尊(脇書『比丘日禅授与之/[日興上人加筆]少輔公日禅者日興第一弟子也。仍所申与如件。奉懸本門寺可為万年重宝者也』興全一四一)が、その相貌と言い大きさと言い、当本尊と酷似(こくじ)しており、注意される。」

 ご覧のとおり、河邊メモ中の疑難と同様のことを述べているではないか。

 さらに、本紙(慧妙)として、直接、この『事典』の編纂者・大黒喜道に問い質(ただ)したところ、
「すでに昭和五十年頃、虫払い大法要の際に宗内の何者かが撮影した『日禅授与の御本尊』の遠景写真、及び『日禅授与の御本尊』と『戒壇の大御本尊』が酷似しているとの説があった。これについて編者(大黒)は別の意見を持っているが、『事典』という性質上、中立にあらゆる意見を載せたにすぎない」
というのである。
 また、この編者が自称・正信会に籍を置いている関係からすれば、日禅授与の御本尊の写真を提供したのも、正信会関係者であると推定できる。
 されば、河邊メモに述べられている「戒壇の大御本尊と日禅授与の御本尊との関係」を云々していたのは、後に正信会となる、宗内の一部の僧侶であったことが、もはや確実である。

 以上のことから、河邊メモの内容は、宗門側の「当時、宗内に発生しようとしていた疑難に対する破折を、教学部長であられた御法主上人が河邊慈篤尊師に説明されたもの」との説明が正しいことになり、創価学会による疑難はことごとく砕け散ったというべきである。


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9 当家三衣抄

 

投稿日:2006/03/01(Wed) 23:46

 またも出ました。京都・奈良の創価学会青年部では一体に時間が止まっているのであろうか?
これも完全に破折され尽くしている邪難の蒸し返しである。
少しは新しい”お勉強”したらどうか?

T君ら創価学会側が次にあげつらって来たのは、お決まりの日寛上人の当家三衣抄の有名な御文に対しての難癖である。(しかし今時こんな恥論をしてくるお目出度い創価学会員が居たとは驚嘆である。やはり、京都・奈良あたりのレベルはこの程度なのだろうか?因みに自らを”鬼”と冠する日本語の文法すら使いこなせない低級ローカル紙?も出ていることだから、さもありなんと妙に納得できるが。
■「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。」と仰せの”鬼”を自ら名乗るとは、実に以って愚昧・無恥である。)

さて、破折に入ろう。
ここも、今までの破折論文を掲載するだけで事足りるので、実に簡単である。
―――――――――――
 創価学会側は、日寛上人の『当流行事抄』の
■「久遠元初の仏宝とは日蓮大聖人。久遠元初の法宝とは本門の本尊・南無妙法蓮華経。そして久遠元初の僧宝とは即ち是れ御開山上人なり」との御文をもって、僧宝とは日興上人のみであり「日顕(上人)が僧宝であるわけがない」と、意気揚々と僧宝義を説明しているつもりなのだろうが、まったくの的外れである。
 
 日蓮正宗の教義に明かされる三宝には
@一体三宝
A別体三宝
B住持三宝
の三義がある。
 彼らが引用する『当流行事抄』の御文は、別体三宝の義のみを仰せられている箇所であり、これだけを取り上げて三宝の意義のすべてである、とするのは誤りである。もちろん、この御文においても「歴代上人は僧宝ではない」「日顕上人は僧宝でない」などという義を示されていないことは当然である。

 なお、日寛上人の『当家三衣抄』に
■「南無仏・南無法・南無僧とは、(中略)南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山・付法・南無日興上人師。南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師」
    (聖典九七一頁)
とあり、また『三宝抄』にも
■「付嘱伝授は即ち僧宝なり」(歴代法主全書第四巻三六五頁)
■「金口相承即是僧宝也」(歴代法主全書第四巻三七二頁)
■「爾来日目日道代々咸(ことごと)く是れ僧宝なり」(歴代法主全書第四巻三九〇頁)
と仰せられているとおり、仏法を伝持する意義(住持三宝)によって御歴代上人すべてが僧宝として尊信の対象となることを示されている。

 学会は、自分たちに都合のいい『当流行事抄』の御文だけを挙げて、不都合な御文は隠して自らを正当化しようとする。
念のため、それでも分からない者のために、池田大作の過去の発言を挙げておこう。

☆「『僧宝』とは今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる」(聖教新聞S五三・二・二六)

と、ハッキリ、今日の僧宝とは日顕上人猊下である、と断言しているのである。

―――――――――――
 学会は、「三宝」について、

▼「仏教徒が敬(うやま)うべき仏宝・法宝・僧宝の『三宝』。それぞれ、仏宝とは日蓮大聖人、法宝とは大御本尊、僧宝とは日興上人のことをさす」

としている。
そして、宗門の御能化方が
●「御法主上人猊下の御内証は戒壇の大御本尊と不二の尊体」
と述べたことを挙げて
▼「これでは日顕(上人)が御本仏と肩を並べる仏宝となってしまう」とか、
▼「日寛上人が『当流行事抄』の中で仰せのように、僧宝は日興上人ただお一人のことである」等といっている。

 そもそも三宝とは、衆生を救うべく世に出生された「仏」と、仏が覚知し世に説かれた「法」、そして、その法を後々の世に護(まも)り伝えていく「僧」の三つをいうが、この仏・法・僧の三つが揃(そろ)って、はじめて衆生を利益し世を救済することができるので、世の宝として尊崇(そんすう)するのである。

 すなわち、この宇宙間にどのような素晴らしい法が存在していたとしても、それを覚知して世に説かれる方がおられなければ、誰人もその恩恵をこうむることはできない。ゆえに、まず、仏を宝と尊崇するのである。

 また、仏の説かれる法の功徳によって、一切衆生は苦悩から救われ、成仏の境涯を得ることができるのだから、法を宝として尊崇するのである。

 そして、この仏と法が世に出現しても、これを正しく習い伝えていく僧がおられなければ、仏法は後世へ伝わることなく断絶してしまうので、僧を宝として尊崇するのである。

 次に、この三宝の各々の関係についてであるが、『涅槃経』には、

■「三宝を分別すべからず」

と説かれ、日蓮大聖人も

■「三宝一体」

と仰せられているように、三宝は、本質的には一体の関係になっているのである。

 つまり、まず仏とは、宇宙の根源の法を覚知された方のことで、法を覚知しておらなければ仏とは申せない。
 また、法といっても、これを覚知して世に説き出だす方(仏)がおられなければ、その存在は土中に埋もれた金と同様、存在しないに等しい。
 ゆえに、法あっての仏、仏あっての法であり、両者は一体となっていることが解る。
 次に僧とは、仏が覚知した法の一切を譲り受け、仏の後継者(代理者)として後世に伝持していく方をいうが、後継者・代理者という意義からいけば、僧は仏の立場を引き継ぎ、仏と連なる一体の立場になった方である、といえる。

 以上のことから、三宝は、形は異なれども本質的には一体、と仰ぐのである。

 しかして、日蓮大聖人の仏法における三宝の立て方は、第二十六世日寛上人が
■「南無仏・南無法・南無僧とは、若し当流の意は、
…南無日蓮大聖人師。
…南無本門戒壇の大本尊。
…南無日興上人師、…日目上人師、嫡嫡(ちゃくちゃく)付法歴代の諸師。
 此くの如き三宝を」云々    (『当家三衣抄』)
とお示しのとおり、

仏宝―御本仏日蓮大聖人
法宝―大聖人御所顕の大曼荼羅御本尊
僧宝―血脈付法の日興上人、以下、御歴代上人

となる。(日寛上人の『当流行事抄』の中では、僧宝を要約して、第二祖日興上人の御名を代表として挙〈あ〉げられているが、『当家三衣抄』では右のごとく、御歴代上人まで挙げられているのであるから、僧宝を日興上人のみに限定することはできない)。

 さて、以上のことから考えると、御法主日顕上人は、日興上人・日目上人等の御歴代に連なる僧宝のお一人であり、三宝は一体の関係にあるのだから、これを云々する学会の批判は、故なき誹謗(ひぼう)でしかない。

 また、▼「日顕(上人)が御本仏日蓮大聖人と肩を並べる仏宝となってしまうではないか」という非難については、法を自解仏乗(じげぶつじょう=人から教えられることなく、自ら悟ること)されたのが仏宝、その法を仏から教えられ、そのとおりに受け継がれたのが僧宝であって、仏宝と僧宝の立場は立て分けられている。そして事実、宗内の誰人も御法主上人を仏宝と言ってなどいないので、学会の非難は、まったくの的はずれ、ためにする悪口である。

 また、基本的なことをいえば、僧宝とは、仏法を後々の世まで習い伝えていく方のことであるから、もし、あくまでも僧宝は日興上人のみ≠ニいうなら、大聖人の仏法は日興上人までで断絶してしまった、ということになってしまうではないか。

 いずれにしても、池田本仏論によってニセ仏を立て、法宝である戒壇の大御本尊から離反してニセ本尊を作製し、僧宝を日興上人のみとして他の御歴代上人を否定する学会は、三宝破壊の大謗法に他ならない。
―――――――――――
勤行の観念文には、
  「南無一閻浮提之御座主・第三祖新田卿阿闍梨日目上
  人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に」
  「南無日道上人・日行上人等御歴代の御正師、御威光
  倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に」
と、御歴代上人に「南無」とあり、

日寛上人の『当家三衣抄』には、
  「南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は(中略)
  南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法
  南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、
  嫡々付法歴代の諸師。此くの如き三宝を云云」
              (学林版六巻鈔三四七n)
と、御歴代上人が三宝であることが明記されている。

創価学会においても、以前は、『大白蓮華』に、
  「正法を正しく継承伝持あそばされた血脈付法の日興
  上人を随一として、歴代の御法主上人、広くは、御法
  主上人の法類である御僧侶の方々が僧宝なのです。
   大聖人が『仏宝法宝は必ず僧によりて住す』と仰せ
  のように、仏恩も法恩も広大であり、甚深であります
  が、その仏法を正しく伝持してこられた方々がいなか
  ったならば、現在の私達に、御本尊を受持して、希望
  と確信に満ちた人生はありえないのです。
   僧宝がいかに尊く大事な存在であるかを知り、尊敬
  と感謝と報恩の信心をもって御僧侶を敬い、僧俗和合
  の姿で広宣流布に邁進していくことが肝要です」
             (大白蓮華三四五号三六n)
と記されてあったのである。

かつての正信会問題の折には、池田氏も、
  「いま、日蓮正宗御宗門においても、仏法の師であら
  れる御法主上人猊下に師敵対する僧俗が出たことは、
  まことに悲しむべきことである。これは恐ろしき謗法
  であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左
  なのである。血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の
  仏法はありえないのである」
と言っていた。

現在の創価学会は、これらの明確な文証をどうするのであろうか。
―――――――――――
日顕上人御指南

■さて、この文底下種の本門が顕れれば、釈尊一代の経々は、ことごとくその体内に入っ
て流通を成ずるのであります。故に、その一切の法門を道じて引用することができますか
ら、釈尊の本門において仏法僧の三宝が常住であることを、涅槃経の「三宝常住」の文を
もって大聖人様がお示しになった意義が、久遠元初、すなわち末法の下種仏法の筋道にお
いても明確に存することは当然であります。
 これについて、日寛上人は『当流行事抄』に、
 
■ 「文上脱益の三宝を執せず須く文底下種の三宝を信ずべし(乃至)血脈抄に云わく、
  久遠元初の自受用報身無作本有の妙法、又云わく、久遠元初の結要付嘱云云、自受用
  身は即ち是れ仏宝なり、無作本有の妙法は法宝なり、結要付嘱豈僧宝に非ずや(乃至)
  久遠元初の仏法僧則ち末法に出現して吾等を利益し給う云云」
                           (日蓮正宗聖典九四九n)

と説かれるとともに、その久遠元初即末法出現の三宝とは、仏宝が宗祖大聖人、法宝とは
本門の大本尊、僧宝とは開山日興上人であると示されております。

さらにまた、『当家三衣抄』には、

 ■「南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大
  法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種
  の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。
   南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身
  の当体事の一念三千無作本有、南無本門戒壇の大本尊。
   南無本門弘通の大導師、末法方年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮
  提座主、伝法日目上人師、嫡嫡付法歴代の諸師。
   此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ご
  すべし云云」(同九七一n)
と、数珠の唱題修行に当てて三宝を説かれてあります。

 つまり、本門下種三宝が久遠元初以来、常住の法体であると示されるのは、涅槃経に寿
量品の仏法が仏法僧の三宝として、常に住されていることを説く文と同一の趣意でありま
す。換言すれば、下種の寿量品の極意は、下種三宝・仏法僧の常住にあるということであ
ります。

 そして、この三宝につき、崇敬の代表的対象として『当流行事抄』に、宗祖大聖人、本
門の大本尊、開山日興上人を挙げられています。つまり、日興上人が僧宝の随一であるこ
とは、当然、論をまちません。しかし、日興上人より日目上人への付嘱もまた、久遠元初
結要付嘱の意義を体されるのであります。日興上人お一人が僧宝であり、日目上人以下は
僧宝でないなどという池田創価教の言は、独断・偏見以外の何ものでもありません。

 大聖人より日興上人への久遠元初即末法の結要付嘱は、そのまま日興上人より日目上人
へ伝えられております。

 明日の霊宝虫払法要に当たって、外陣中央に奉掲申し上げる「譲座本尊」は、その御模
刻が大客殿の常住本尊でありますが、この御本尊は、日興上人が法の如く大聖人様よりの
相伝によって受け継がれた御本尊の書写の深義における御自身の位置を、そのまま日目上
人に教え、かつ譲座されたことを顕し給うのであります。
 すなわち、日興上人書写の御本尊の百数十幅のほとんどにおいて、書写のお立場による御名の位置は、中央の首題・日蓮の
御名の左側に小さく署名されておりますが、この譲座本尊は、日興と書くべき所に日目と示され、御自身は右側に署名・花押をされております。

 これは、日興上人が、次の相伝伝授の人として、日目上人へ本尊中の位置を示されると
ともに、万年にわたる歴代法主の書写における位置を決定なしおかれたのであります。

 故に、その如く、日目上人より日道上人、日行上人と、その付嘱の意義を顕す書写の署
名・花押の法軌は、いささかも変わっておりません。これまさしく、宗祖大聖人より日興
上人への久遠元初結要の付嘱は、さらに日目上人以下歴代にわたって常住であることの明
らかな証拠であります。
―――――――――――
まだまだ、幾らでも破折文はあるが、この日顕上人の御指南がその枢要である。

これでもなお、T君らが、「僧宝は日興上人のみ。」と頑迷に主張し続けるならば、最早中学生以下の知的レベルであるから、仏法を論ずるにはあまりにも未熟である。
いよいよ対面対論をしてその迷妄を摧破してあげなければならない。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


 10 当家三衣抄 再論

 

投稿日:2006/03/04(Sat) 22:07 No.2286 [返信]

日寛上人『当家三衣抄』の「三宝」の拝し方についての御指南への邪難に対しての破折を補足し、摧破し尽くす。

今回の邪義のネタ元は概ね以下の恥論であろう。
―――――――――――
▼『当家三衣抄』の
『南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、
 南無本門寿量品の肝心・・・南無日蓮大聖人師。
 南無本門寿量品の肝心・・・南無本門戒壇の大本尊。
 南無本門弘通の大導師・・・南無日興上人師、南無一閻浮提座主・伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。』

この文は「下根を引接して修業を牽課するの具」(劣った機根の人を誘引して修行をさせるための道具)である数珠について述べられた箇所であり、しかも明らかに大導師である日興上人と、一閻浮提の座主である日目上人と、歴代の諸師とには差をつけられています。

 具体的には、大聖人の教えを正しく伝えた「久遠元初の僧宝」である日興上人は、その位である「本門弘通の大導師・・」にも「人」にも「南無」が冠せられ、日目上人については「一閻浮提座主」という位にのみ「南無」が冠せられています。
これは、日目上人が「久遠元初の僧宝」ではないものの、生涯国家諌暁を貫かれたその行体を讃え、その位である「一閻浮提の座主」に「南無」を冠し、「末法下種の僧宝」であることを明らかにしているのです。「一閻浮提の座主」とは日目上人のことを指すことからも、他の歴代法主とは別格であることを示されているのです。
―――――――――――
更に補足すると、このような恥論もある。

▼「。」の句点が、「日目上人師」の後にあるから、それ以降の「嫡々付法歴代の諸師」とは別格なのだ。
―――――――――――
以下、破折する。

【本文の概要】 


■「南無仏・南無法・南無僧とは、若し当流の意は……」(大石寺版六巻抄二二五)
として、初めに仏宝として日蓮大聖人、次に法宝として本門戒壇の大御本尊を詳しく述べられ、次に僧宝として、
■「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山・付法・南無日興上人師。南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師。此くの如き三宝を一心に之れを念じて、唯当に南無妙法蓮華経と称え、乃ち一子を過ごすべし」(同)と続く。

1、初めの「南無仏・南無法・南無僧とは」の文と、終わりの「此の如き三宝」の文の間に「嫡々付法歴代」が入っており、この「嫡々付法歴代」を受けて直ちに「此くの如き三宝」とある以上、明らかに日目上人以下を僧宝に列せられている。

2、「此くの如き三宝」とある、「此くの如き」が文法上指し示す「対象」は「日興上人師」「日目上人師」「嫡々付法歴代の諸師」である。
そうでなければ、文章構成が極めて不自然な形となってしまう。

3、であるから、それぞれの「師」の後に「。」が配され、更に文意が鮮明に理解できる。つまり、「。」が、日興上人、日目上人、歴代の諸師、の後ろの全てに点じられている故に、むしろ「三宝」の存在としての意義を明確ならしめている。
創価学会側の恥論(補足)は、実は全く正反対の意義に解することができる証明である。
(この「日目上人師。」との表記は「日目上人師、」との文献もあり、一様ではない。
そもそも、江戸時代の日寛上人が句点・句読点を点じられたはずもなく、現代語表記法になってから編纂した方が点じたのである。
であるから、句点・句読点に拘る必要は全くなく、そのどちらでも、日寛上人の「三宝」をお示しの御心は何ら変わるものではない。)

4、更に、日興上人「師」・日目上人「師」・歴代の諸「師」・・と、共に「師」の尊称がある。

5、以下の日寛上人の他の御指南にもこの三宝義は分明である。

■三宝抄


「然れば則ち吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来日目日道代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり云云」(歴全四―三九〇n)
(※「咸く是れ僧宝なり、(a)及び門流の大衆」の(a)の区切りに当家三衣抄のお心からすれば、能化所化の立場の違いが拝せられる。)

■三宝抄


「問う、三宝に勝劣有りや。答う、此れ須く分別すべし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり、故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に円仏と名づくと云うなり。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。若し外相に約さば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す故也。故に法宝を以て中央に安置し、仏及び僧を以て左右に安置するなり」(歴全四―三九三n)

以上の検証からいって、やはり、三宝に「歴代の諸師」は含まれ、尊信の対象と拝するのである。
―――――――――――
因みにゴミのような痴犬が、最近、破折論文に纏わりついて遠吠えしているようであるが、少しは教義・法義による反論でもしてみたら如何か?
ゴミ頭には所詮無理な注文か・・・
ま、せいぜい、頭の悪い低脳ぶりを遺憾なく露呈してくれたまえ。
創価学会員の愚昧さが鮮明に浮き彫りなって、かえって世の為にはまことに幸甚、幸甚。

―――――――――――――――――――――――――――――――――


 
11  三宝抄

 

投稿日:2006/03/05(Sun) 00:50 No.2292 [返信]

次に、T君ら創価学会側は、

■三宝抄
「問う、三宝に勝劣有りや。答う、此れ須く分別すべし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり、故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に円仏と名づくと云うなり。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。若し外相に約さば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す故也。故に法宝を以て中央に安置し、仏及び僧を以て左右に安置するなり」(歴全四―三九三n)

との御指南を全くさかしまに”怪釈”し、得々とまくし立てるが、まさに法門未熟の典型、痴論炸裂の無様な姿である。

彼らは(多くの信心無しの、教学未練な創価学会員もそうであるが)、「僧宝とは日興上人のみである。」と主張したいのである。
しかし、それを証明するために、態々この御指南を引文するとは、もしかして、T君は本当に日本語が読めないのではあるまいか。
その証拠に「十界具足を方に円仏と名づくと云うなり。」の「方に」を読めずに「ほうに」と自信なさげに読んでる様をみれば、やはりこの御仁は日本語や古文がろくに読めもしないのに、小賢しく背伸びをして生意気に大事の御法門へ首を突っ込んでくるだけの邪智小僧であることが見て取れる。
「方に」は、「まさに」と読むのである。T君、大恥である。

では破折に移ろう。

大体にしてこの御指南をどう読んだら、「僧宝とは日興上人のみである。」ということになるのか。
全く以って愚慮・浅見の極みである。

T君らの痴論を摧破するために、分かりやすいように謹んで通解させていただく。
―――――――――――
問い 仏・法・僧 の三宝のそれぞれに勝劣はあるのでしょうか?
答え これは是非とも、よくよくその道理を思量し、弁えねばならない。(※創価学会員の早合点で、我田引水の我見・浅見はまことに恥べきことである)
これは、内証に即して解釈すればまさに三宝は一体なのである。すなわち、法宝=戒壇の大御本尊がそのまま仏宝=日蓮大聖人である。
であるから、事の一念三千=戒壇の大御本尊=自受用身如来と拝するのであり、十界本有常住の実相をそのまま円満具足の真仏と申し上げるのである。
更にまた、その仏宝である御本仏日蓮大聖人の御内証を唯授一人・血脈相承に依って、そのまま一器から一器へ写される故に、師と弟子はその内体は一体である。であるが故に仏・法・僧の三宝は一体なのである。

しかしまた、外面に表れたものにおいて解釈すれば、任せられた役目・役割において勝劣があるのである。
つまり、仏は法を師として仏となり、僧は仏を師とするが故である。
であるから、その三宝の勝劣を表す奉安形式を別体三宝の本尊式といい、中央に法宝=戒壇の大御本尊(その御法魂を御写しされた御本尊)を御安置し、仏宝=日蓮大聖人の御影を左に、僧宝=日興上人の御影を右に奉安するのである。
―――――――――――
さて、三宝義の基本は以下の通りである。

@一体三宝(内証)
 末法出現の仏・法・僧は、内証においてはともに久遠元初の三宝であり、大御本尊と一体のものと拝する三宝。

A別体三宝(外用)
 末法における仏宝は宗祖日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は唯授一人血脈付法の日興上人と、形式の上から立て分けて拝する三宝。

B住持三宝(化導)
文底下種の三宝を令法久住せしめ、末法万年の衆生を済度する意義から拝する三宝。歴代上人はすべて僧宝として尊信される。

この該文では、この内の、@一体三宝(内証)の辺についての御指南が前半部であり、後半部はA別体三宝(外用)についての御指南であると拝するのである。
そしてこの@一体三宝の御内証をそのまま唯授一人・血脈相承に依って末法万年へ伝持されるが故に、御歴代の御法主上人は全てこのB住持三宝(化導)としての僧宝であられるのである。

T君ら創価学会員らは、このA別体三宝義のみに拘って、視野狭窄を発症し、そこに執着し、己義を無理押しする、まさに一を見て全体を知らぬ法門未熟の虚け者達である。

更に前出の「当家三衣抄」の
■「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山・付法・南無日興上人師。南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師。此くの如き三宝を一心に之れを念じて、唯当に南無妙法蓮華経と称え、乃ち一子を過ごすべし」
との御指南は、このB住持三宝(化導)の辺を主眼に仰せである拝するのである。

こうして3段に分別されている三宝の義を素直に拝した時、T君ら創価学会員の痴論が如何に幼稚・愚昧であるか誰人の目にも容易に分かるだろう。
T君ら創価学会側は、やはり僻眼を捨てて真摯に基礎教学を勉強しなおすべきである。
そうすれば、現時の創価学会が如何に日蓮大聖人・日興上人・日目上人・乃至日寛上人の御心からほとほと遠く離れた、学仏法成の如くの外道義であることが鮮明になるであろう。

―――――――――――――――――――――――――――――――――


 
12 三宝義

 

投稿日:2006/03/06(Mon) 17:56 No.2364 [返信]

T君ら創価学会側は、更にくどくど一体三宝と別体三宝義に愚論を展開しているので、ここで再々度その邪説を粉砕する。

T君はまずもって一体三宝義に迷っているのである。が故に別体三宝義の真意も理解できないのである。

そもそも一体三宝とはその根本に於いては大聖人様御一身に三宝を拝するのである。

@一体三宝(内証)
 末法出現の仏・法・僧は、内証においてはともに久遠元初の三宝であり、大御本尊と一体のものと拝する三宝。

日顕上人御指南

■三宝について少々申し上げるならば、一番根本のところにおいて、久遠元初の
仏法の法体、内証の法体において、そのまま仏法僧の三宝が具わるのであります。

■そしてまた、『御義口伝』における、
  「末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり(乃至)仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり」
                                
という御指南より拝するならば、大聖人の本因の修行のお姿を、さらに一期の御化導に拝
するところ、鎌倉期、佐渡期において法華経文々句々を身に当ててお読みあそばされ、竜
の口の発迹顕本、本仏開顕の大事に至り給うまでの御修行のお姿は、すなわち御身に具わ
り給うところの僧の姿、僧宝であります。つまり大聖人様の御一身に仏法僧の三宝が具わ
り給うところに、内証の一体三宝が拝せられるのであります。
―――――――――――
A別体三宝について言えば、
末法万年の衆生を導かんための三宝としては、化導の上からの本門下種三宝の法体が厳然として常住し給うのである。
下種本法の末法万年の広宣流布のために成し置かれた大事な化導の根本が、二祖日興上人への唯授一人の血脈相承、結要付嘱である。

仏法の根本は、この付嘱によってすべてが決せられるのであり、ここを外して仏法というものの存在は全くありえないのである。
したがって、大聖人様が下種の仏宝であり、南無妙法蓮華経の大御本尊が法宝であるのに対して、久遠常住の下種三宝、つまり化導の上の下種三宝の僧宝とは、その随一が二祖・白蓮阿闍梨日興上人にあらせられるということであり、この仏法僧の三宝を正しく拝してこそ、末法の一切衆生の身中に、妙法当体蓮華の大功徳が成就するのである。

別体三宝の奉安形式は、この化導の上の下種三宝を、様々な機根の信徒へ分かり易く開いた形で表示されているのである。
だからといって「僧宝」が日興上人に限定されている訳ではない。
”僧宝の随一”として日興上人を奉安するのである。
―――――――――――
B住持三宝については、
この本門下種三宝の法体としての下種仏法が住していく姿の中においては、「住持」という形の上からの三宝が必要なのである。

文証

『四恩抄』
  「仏宝法宝は必ず僧によりて住す、譬えば薪なければ火無く大地無ければ草木生ずべ
  からず、仏法有りといへども僧有りて習伝へずんば正法・像法・二千年過ぎて末法へ
  も伝はるべからず、故に大集経に云く五箇の五百歳の後に無智無戒なる沙門を失あり
  と云って・是を悩すは此の人仏法の大燈明を滅せんと思えと説かれたり、然れば僧の
  恩を報じ難し、されば三宝の恩を報じ給うべし(乃至)末代の凡夫・三宝の恩を蒙り
  て三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成ぜん」

日有上人『化儀抄』
 ■ 「手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所
  を能く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし」
                            (日蓮正宗聖典九七四n)

すなわち、日興上人から日目上人へ、日目上人から日道上人、日行上人と代々、付嘱によって伝わるところに、大聖人様以来の御本仏の御魂が、もぬけられているのである。

また御歴代上人の御書写による御本尊の当相・当体を拝すれば、そこに自ずから三宝の義が拝せるのである。

中央首題の「南無妙法蓮華経」=法宝
直下の日蓮在御判=仏宝
御歴代上人の御名・書き判=僧宝

―――――――――――
@の内証の一体三宝の御法体をそのまま血脈相承されるが故に、御歴代上人が御所持あそばす唯授一人金口相承の当処は、まさに人法一箇の御尊体なのである。

文証

日興上人『御本尊七箇相承』
■『日蓮在御判と嫡嫡(ちゃくちゃく)代代と書くべしとの給う事如何(いかん)。師の曰(い)わく、深秘なり、代代の聖人悉(ことごと)く日蓮なりと申す意なり』(聖典三七九頁)

三宝抄
■亦復(またまた)一器の水を一器に写すが故に師弟亦(また)体一なり、故に三宝一体なり

■日達上人昭和三十八年5月
「二祖日興上人より歴代を僧宝と立てておるのでありまして、古来より少しも変っておりません。」

現証

歴代の御法主上人は、唯授一人の血脈相承によって伝えられた法体を、大聖人に代わって、御本尊として書写あそばされているのである。
したがって、御法主上人に伝わる唯授一人血脈の法体と、戒壇の大御本尊が不二の尊体であることは、いうまでもない。

創価学会は■「五箇の五百歳の後に無智無戒なる沙門を失ありと云って・是を悩すは此の人仏法の大燈明を滅せんと思えと説かれたり、」
の通りの大謗法罪を犯している。⇒無間地獄行き。

『真言見聞』
■「凡(およ)そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」(新編六〇八頁)
仏宝・法宝と一体であられる僧宝(住持三宝)を謗っている創価学会は大謗法である。
―――――――――――
補足

T君が拘る『三宝抄』の別の箇所の御指南には

 ■「付嘱伝授は即ち僧宝なり」(歴代法主全書第四巻三六五頁)
 ■「金口相承即是僧宝也」(歴代法主全書第四巻三七二頁)
 ■「爾来日目日道代々咸(ことごと)く是れ僧宝なり」(歴代法主全書第四巻三九〇頁)
と仰せられているとおり、仏法を伝持する意義(住持三宝)によって御歴代上人すべてが僧宝として尊信の対象となることを示されている。
T説とは正反対である。
やはりT君は一を見て全体を見ない僻眼・邪眼の未熟者である。

創価学会も、かつては次のように報じていた。

聖教新聞
☆「『僧宝』とは今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる」(聖教新聞S五三・二・二六)

創価新報
☆「宗祖大聖人の御内証を二祖日興上人を経て、代々の御法主上人猊下に法水寫瓶して末法万年の未来へ限りなく伝承する金口嫡々・唯授一人の血脈相承こそは、戒壇の大御本尊と共に、信仰の根本中の根本であり、命脈中の命脈であることは論を待たない。これは日蓮正宗の信徒であるならば、だれでも知っていることである。この宗旨の根幹である金口嫡々唯授一人の血脈相承を平気な顔で否定する山口の頭はどうなっているのだろうか」(『創価新報』昭和五十八年二月二日付)

と、明確に、「唯授一人の血脈相承」と「戒壇の大御本尊」は「信仰の根本中の根本」「命脈中の命脈」と謳(うた)い、さらには、「信仰の根幹」とまで言い切り、「日蓮正宗の信徒であるならば、だれでも知っていること」だと明言している。

また池田大作センセ〜も
☆「仏法の師であられる御法主上人猊下に師敵対する僧俗が出たことは、まことに悲しむべきことである。これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左(しょうさ)なのである。血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである」(『広布と人生を語る』第三巻二九四頁)

と言っていた。

T君や最近絡み付いて来ている痴犬らはこの聖教新聞・創価新報の記述や池田センセ〜〜の指導は「邪説」とするのか?どうか?

―――――――――――――――――――――――――――――――――


 
13  日蓮正宗宗規

 

2006/03/06(Mon) 21:01 No.2365 [返信]

T君は、日蓮正宗宗規に
■「本宗は、大漫荼羅を法宝とし、宗祖日蓮大聖人を仏宝とし、血脈付法の日興上人を僧宝とする」
とあることを根拠にして声を張り上げて、殊更に僧宝は日興上人のみ。と固執して叫んでいるが、これも別に難しいことではない。
つまりは、別体三宝の義に約して僧宝を表示しているだけである。
何度も言うが、三宝は別体三宝義だけが全てではないのである。

仮に一体三宝の辺で表現すれば
●「本宗の三宝は戒壇の大御本尊に摂せられる。」となるであろうし、

住持三宝の辺で表現すれば
●「本宗は、大漫荼羅を法宝とし、宗祖日蓮大聖人を仏宝とし、血脈付法の日興上人を随一とする歴代上人を僧宝とする。またその唯授一人・血脈相承の御当代法主上人に連なる純信の僧俗も僧宝の一分である。」となるだろうし、

つまりは三宝義を開合の義によって表現すれば一様ではないのである。

『弁惑観心抄』日応上人
■「大漫荼羅一幅に於て三宝を具足するを以て別体住持二種の三宝必要なしと云はば三宝に開合あるの義を弁へざるが故なり」
との仰せとおり、三宝の開合の義を弁えない未熟者なだけである。

まさにT君は、義を無視して文字だけに執われる「守文の徒」という類であり、

■「義に依って語に依らざれ」 との遺誡にも背き、

依義判文抄 
■「明者は其の理を貴び闇者は其の文を守る。」 とのごとくの、文に囚われてその義を読めぬ愚者・闇者である。

もし、T説があくまで正しいというのならば以下の池田大センセ〜〜の”お言葉”と真っ向から否定することになるが、T君、センセ〜〜の発言を邪説・邪義と決め付けて本当にいいのか?
もし、T説も正しい、その説と正反対のセンセ〜〜の”お言葉”も正しい。というのならば、それこそ頭破七分の現証である。

使い古された内容であるが、かつての池田センセ〜〜の発言をここに列挙してみよう。
――――――――――― 
☆「猊下のおことばは、日蓮大聖人様の
 おことばと私どもは確信しておりま
 す。」(昭和三十六年七月十日)
―――――――――――
☆「御法主上人猊下様は遣使還告で、日
 蓮大聖人様と拝し奉るのです。」(昭和
 三十七年一月・『三世諸仏総勘文抄』
 講義)
―――――――――――
☆「御法主上人猊下に対しては御法主上
 人猊下こそ経文に説かれている遣使還
 告のお立場、すなわち大聖人様と拝し
 てお仕え申し上げていくことでありま
 した。」(昭和三十五年一月十五日)
―――――――――――
☆「遣使還告であられる御法主上人猊下
 は、日蓮大聖人様であります。」(昭和
 三十八年九月一日)
―――――――――――
☆「猊下も仏さまでいらっしゃる。御本
 尊さまも見ていらっしゃる。」(昭和四
 十年一月十八日)
―――――――――――
☆「本宗における厳粛なる法水(ほっす
 い)瀉瓶(しゃびょう)唯授一人の血
 脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人
 に受け継がれて、今日に至っておりま
 す。あくまでも、御本仏は、日蓮大聖
 人様であらせられ、唯我与我の御法主
 上人のご内証を、大聖人と拝すべきな
 のであります。私がごとき者を、かり
 そめにも、本仏などと、言うことはも
 ちろん、思ったりすることも謗法なの
 であります。」(『大白蓮華』昭和五十
 四年六月号)
―――――――――――
☆「現代においては、いかなる理由があ
 れ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』
 であられる血脈付法の御法主日顕上人
 猊下を非難することは、これらの徒(
 退転者)と同じであるといわなければ
 ならない。批判する者は、正法正義の日
 蓮 正宗に対する異流であり、反逆者で
 あるからである。」(昭和五十六年三月
 十日・『広布と人生を語る』一―二三〇)
―――――――――――
このように、以前は、池田センセ〜〜は、御法主上人は大聖人の「遣使還告」であり、現代における日蓮大聖人であらせられると指導していたのである。
 
因みに、それとは全く正反対の、
―――――――――――
▼「したがって、『法主と大御本尊は一
 体不二』『法主は現代における大聖人』
 等と主張する人がいたとしたら、歴代
 上人の御指南にも背き、大聖人の仏法
 の正義を破る謗法となるのである。」
 (平成三年九月十日付『聖教新聞』)
―――――――――――
との、現在の指導が正しいのであれば、これらの、以前の指導は、皆、誤りであり、「大聖人の仏法の正義を破る謗法」であったことになる。
とすれば、これまでの池田センセ〜〜は、学会員の全てを、地獄に突き落としていたことになるが、いかがであろうか。

しかも、教義的にどのような理由で前言を覆したか、全くの説明も、公式謝罪もない。
この”指導”通りだと、前言を信じていた者も今の”指導”からすれば地獄行きだし、現在の”指導”を信じた者も、かつての”指導”からしてみれば、やはり地獄行きとなってしまう。
なんとも創価学会員は哀れなものではないか。
どっちみち「大謗法の地獄行き」と池田センセ〜〜に決め付けられているのである。

さらに、現在の創価学会員が地獄へ行かなくてはならない文証を挙げてみよう。
―――――――――――
▼「日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対
 に御法主上人猊下に随順すべきであ
 る。それに反して、随順せず、いな、
 弓をひく行為をする僧や俗は、もはや
 日蓮正宗とはいえない。私どもは無数
 の讒言(ざんげん)や画策をうけなが
 らも、一貫して総本山を外護したてま
 つり、御法主上人猊下に随順してまい
 った。これが真実の信心であるから
 だ。それを、増上慢と権威とエゴと野
 望のために踏みにじっていく僧俗は、
 まったく信心の二字なき徒輩であり、
 もはやそれは、日蓮大聖人の『広宣流
 布をせよ』との御遺命に反した邪信の
 徒と断ずるほかはないのである。皆さ
 まは絶対に、それらを恐れたり、ま
 た、騙(だま)されたり撹乱(かくら
 ん)されてはならない。」(昭和五十六
 年十二月十二日・『広布と人生を語
 る』二―三七)
―――――――――――
▼「日蓮正宗における根本は、唯授一人
 の血脈である。その血脈相承の御法主
 上人に随順しゆくことこそ、僧俗の正
 しいあり方である。この一点を誤れ
 ば、すべてが狂ってくるのである。」
 (昭和五十七年一月二十四日・『広布
 と人生を語る』三―三二)
―――――――――――
▼「絶対なるものは、大御本尊のお力で
 ある。また、絶対なるものは、御書で
 ある。そして、仏法の根本を御指南さ
 れるのは、あくまでも御法主上人猊下
 であられる。御法主上人猊下の御指南
 にしたがわないものは、もはや日蓮正
 宗の僧でもなく、俗でもない。」(昭和
 五十七年二月十日・『広布と人生を語
 る』三―五三)
―――――――――――
▼「日蓮大聖人の仏法は厳格で厳しい。
 この富士の清流は第二祖日興上人、第
 三祖日目上人、そして現六十七世御法
 主上人猊下までの御歴代上人方によっ
 て厳然と護持されてきた。そこに貫か
 れてきたのは『謗法厳誡』である。」
 (昭和五十七年三月二十八日・『広布
 と人生を語る』三―九七)
―――――――――――
▼「日蓮正宗の根本たる御法主上人を
 (正信会が)訴えたという、この一事
 だけで、もはやいっさいが崩れさった
 ことを物語っている。」(昭和五十七年
 六月二十七日・『広布と人生を語る』
 三―二一三)
―――――――――――
▼「ご存知のとおり、私どもは日蓮大聖
 人の仏法を奉ずる信徒である。その大
 聖人の仏法は、第二祖日興上人、第三祖
 日目上人、第四世日道上人、および御歴
 代上人、そして現在は第六十七世御法
 主であられる日顕上人猊下まで、法灯
 連綿と血脈相承されている。ゆえに日
 顕上人猊下の御指南を仰ぐべきなので
 ある。この一貫した仏法の正しき流れ
 を、いささかなりともたがえてはなら
 ない。」(昭和五十七年七月二十日・
 『広布と人生を語る』三―二四九)
―――――――――――
▼「この日興上人がおられましたがゆえ
 に、富士の清流は七百年の苦難の歴史
 にもいささかも穢(けが)されることな
 く、総本山御歴代の御法主上人により
 一器から一器へと法水瀉瓶されてきた
 のでございます。」(昭和五十七年三月
 八日・『広布と人生を語る』三―七一)
―――――――――――
▼「日蓮正宗の根幹をなすものは血脈で
 ある。大御本尊を根本とし、代々の御
 法主上人が、唯授一人でこれを受け継
 ぎ、令法久住をされてこられた。御本
 尊を御認めあそばすのは、御法主上人
 御一人であられる。われわれは、令法
 久住のための信心を根幹として、広宣
 流布に邁進しているのである。しか
 し、いくら広宣流布といっても、御本
 尊の御認めがなければできない。われ
 われは、あくまでも総本山根本、御法
 主上人厳護の信心で進んでまいりた
 い。」(昭和五十七年七月二十四日・
 『広布と人生を語る』三―二五六)
―――――――――――
▼「以来、七百星霜、法灯は連綿として
 謗法厳戒の御掟を貫き、一点の濁(に
 ご)りもなく唯授一人の血脈法水は、
 嫡々の御歴代御法主上人によって伝持
 せられてまいりました。」(昭和五十九
 年三月三十一日・『広布と人生を語
 る』六―一二)
―――――――――――
さあ、いよいよ創価学会員は堕獄の心準備をしなくてはいけないようである。
T君らも人事ではない。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

 14 京都・奈良辺りの痴犬どもへ  三宝義


投稿日:2006/03/07(Tue) 11:02 No.2426 [返信]

どうも京都辺りの痴犬には、三宝義が理解できないらしい。
ほとほと暗愚である。
ここはちょうど、三宝義を徹底的に教え込んであげるいい機会なので、ついでに完摧する。

まず、これら痴犬どもが全く反論不能になっている点。
以下の”飼い主”達のかつての発言を、痴犬は真っ向から否定しているのだが、言い訳ぐらいしたらどうか?

☆「ここで『僧宝』とは、今日において
 は日興上人よりの唯授一人の法脈を受
 けられた御法主上人猊下であられる。」
 (昭和五十三年二月二十六日付『聖教
 新聞』)

☆ 昭和五十三年の「六・三〇」では、
 「『僧宝』とは、正宗においては第二
 祖日興上人のことであり、また会長
 (池田会長)も発言しているごとく、
 唯授一人の血脈をうけられた御法主上
 人猊下であらせられる。」(昭和五十三
 年六月三十日付『聖教新聞』)

☆ 『大白蓮華』の昭和
五十四年十一月号、及び昭和五十八年十
月号
 「正法を正しく継承伝持あそばされた
 血脈付法の日興上人を随一として、歴
 代の御法主上人、広くは、御法主上人
 の法類である御僧侶の方々が僧宝なの
 です。」

――――――――――――――――――――――


 
15 京都・奈良辺りの痴犬どもへ  三宝義 再論

 

 京都辺りの痴犬が今更どう吠え付いても、当宗の三宝義は古来から全く不変である。
創価学会こそ真の「信心」に住していなかったが故に、その時の都合次第で主張がころころと変わるのである。
そこには正統な教学や信条などは全くなく、全て自分らの立場が主体で、そこに得があるかないかで相手に対する価値判断が豹変するのである。

創価学会の巨大組織
≒池田センセ〜〜及び創価学会幹部の巨大集金システム
≒池田センセ〜〜の野望を達成する為の政教一致の傀儡政党・公明党(及び現時で寄生虫の如くに食い付いている自民党など)の巨大集票マシーン

であり、日蓮大聖人の正統な仏法とは最早全く無縁の日蓮大聖人の名を騙る似非新興仏教集団である。
だから、教義・信条などは元よりどうでもよく、莫大なウマミを持つ自らの組織を守ることが最優先課題で、その一点を根本に運営されているだけのことである。
であるから、日蓮正宗の信徒である時には、日蓮正宗の教義・信条に随従しているかの如くに装い、下部組織の無恥な学会員の純真な信仰心を利用し、食い物にし組織を拡大し、破門されるや否や、学会組織を守るために=会員の漏出を防ぐ為に、それまで信仰していた(と見せかけていた)日蓮正宗の教義・信条そのものを平気で誹謗し、覆し、自己正当化を謀るのである。

例えていえば、伝統ある学校の生徒会長が、ことあるごとに「栄えある我が校は云々」とか「伝統ある当校は云々」と内外に大いに喧伝していたのが、生徒会の人数を楯に、次第に思い上がった言動が目立つようになり、再三教職員から教誨されたにも拘わらず、益々生徒会まで扇動して非行を繰り返したので、止む無く謹慎処分にし反省を促したら、あろうことか更に非行・蛮行が激化し、更なる教戒もまるで受け入れないのでとうとう退学に処したら、今度は、その学校の学長や職員の悪口・中傷・誹謗を盛んに行って、生徒会の結束を固め、その大半を引き連れて新しい学校を起こしたようなものである。

そんな伝統も格式もない似非学校であるから、かつての伝統校の歴史から校是・理念等を手当たり次第中傷し、生徒会員に元の伝統校への敬愛恋慕渇仰の情を起こさないように、似非学校からの離脱者を出さないように、必死の形相でアジテーション(煽る・唆す)している様が、まさに今の創価学会幹部である。

そんなアジにまんまと乗せられた、哀れな京都辺りの痴犬は、こういう構図には全くお気づきでない、哀れな飼い犬どもである。
しかも、ニセ本尊を掴まされてその魔性が頭に下ったと見えて、ものの道理が全く見えなくなって、ただただ品性が下劣になっている様子が顕著である。

この痴犬らは、例えば茶筒を目の前に示しても二次元的に真横や真上からしか見ることができず「これは長方形のものだ」とか「これは円形の物体だ」と固執しているだけの愚か者である。三次元的に見る目も、思考も失せてしまった哀れな犬である。
つまり、茶筒は「円筒形」なのである。
痴犬にはこの例えは理解できなくて宜しい。所詮無理だからである。
この三宝論をまだ正心の残る創価学会員と創価学会の破折に励む法華講員の方に見ていただければそれで十分である。

では、宗門の時局破折委員会の論文を元に若干の編集を加え掲載する。
痴犬の妄執はこれで完摧である。
もし、これが理解できないのならそれは自らの愚昧さ・暗愚さ・低脳さ・頭破七分さ加減を恨むが良い。
せいぜい円筒形を長方形とか円形にしか認識できない、脳の未分化な幼稚・稚拙な犬であることを悟りたまえ。(無理だろうな・・)
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 日蓮正宗の「三宝」の実義は、日寛上人が『三宝抄』に、

 ▲「吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来、日目・日道、代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり」

と示され、また『当家三衣抄』には、

 ▲「南無仏・南無法・南無僧とは、若し当流の意は」

として、仏宝・法宝を挙げられたあと、

 ▲「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提の座主、伝法日目上人師、嫡々代々の諸師。此くの如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と唱え」

との御指南に明らかなように、日興上人・日目上人以下、御歴代上人の全てが、僧宝にましますのである。

 御先師日達上人も、昭和三十八年五月、

 ▲「二祖日興上人より歴代を僧宝と立てておるのでありまして、古来より少しも変っておりません。」

と御指南されており、御歴代上人を僧宝と立てることは、七百年来、不変なのである。

 ところで、愚昧な創価学会員が騙されてしまうのは、

 ▲「本宗は、大漫荼羅を法宝とし、宗祖日蓮大聖人を仏宝とし、血脈付法の人日興上人を僧宝とする」(『日蓮正宗宗規』第四条)との宗規の文、

あるいは日達上人の、

 ▲「要するに、人法一箇の御本尊を中心とするのが本来の本宗の行き方でございます。御本尊に於いて三宝相即であります。各自皆様方の仏壇に御本尊を安置して朝夕に信心を励む。それで三宝を敬っておる充分の姿でございます。」(昭和五十二年七月二十七日)

 ▲「我が宗の三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。それに対して日目上人は座主である。今云った通り、管領して、その大聖人の仏法を治めて行く、よく受取って治めて行く、即ち管領という意味を持って行くのである。統べ治める、そして統治をして行く。その日目上人の後は、皆筒の流れのように、それを受継いで行くにすぎない。だから本宗の考えは、広宣流布の時は日目上人の再現、出現だという意味をとっております。即ち日目上人が広宣流布の時の座主として再誕なされるとの指南であります。だから代々の法主が日蓮大聖人ではない。大聖人そのものと間違って書かれてよく問題が起きますが、その点ははっきりしてもらいたい。」(昭和五十二年五月二十六日)

 ▲「三宝はどこまでも、大聖人・日興上人・御本尊、これが本宗の三宝の立て方です。「法主が大聖人様の代わりだ」と、即座にこう云う事を云うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたいと思います。」(昭和五十二年五月二十六日)

との御指南や、

日顕上人の、
 ▲「御先師が間違えないようにきちんとお示しくださっておることでありますが、六巻抄の『当流行事抄』の最後に本門下種三宝≠フ御指南があります。そこにおいては、人即法の大曼荼羅本尊が法宝であり、法即人の本因妙の教主・日蓮大聖人が末法下種の仏宝であり、そしてこれを正しく血脈のうえに伝受あそばされて、末法万年弘通の基を開かれた二祖日興上人が僧宝であらせられるということにつき、教道のうえに本門下種三宝をきちっと立てられてあるのであります。ですから日興上人といえども、その唯我与我の御境界のなかにおいての御本尊の御内証という意味に約しては大聖人と一体であるけれども、その尊信のかたちとしての仏・法・僧の三宝といううえからするならば区別があるのであり、仏宝と僧宝とはおのずから違うのです。すなわち、仏宝は大聖人ただお一人であり、日興上人がすでに僧宝のお立場であらせられるのであります。」(昭和五十八年三月三十一日)

 ▲「その僧宝ということをもう少し広く解釈すれば、歴代法主がその一分に加わるということもいえるでしょう。さらに広くいえば、日蓮正宗の正しい筋道によって出家得道した教師あるいは学衆等においても、正しい仏法を受持信行するかぎりにおいて、僧宝ということがいえるのであります。もっと広くいうならば、一切衆生のなかで正法を受持信行し、一分でも他に随力演説していく人達は僧俗ともに僧宝であるということができます。しかし基本においては、日興上人をもって僧宝の随一として拝するわけであります。そういうところからするならば、歴代法主は僧宝以下の立場であって、それを軽々しく仏様だ、仏様だというような表現は、少し言い過ぎであると私は思っております。」(昭和五十八年三月三十一日)

との御指南を曲解して、巧みに利用するからである。

 このように、三宝の中、僧宝の立て方には、

@日興上人のみを僧宝とする場合と、
A御歴代上人を全て僧宝とする場合との二段階がある。

 この理由を正しく理解しなければ、彼等の邪説に翻弄されてしまうことにもなるから、細心の注意が必要である。
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  ■『当流行事抄』と『当家三衣抄』の僧宝の立て方の違い

 『六巻抄』の『当流行事抄』には、
▲「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」(六巻抄 三二三n)と、日興上人のみを僧宝とされるが、

『当家三衣抄』には、
▲「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提の座主、伝法日目上人師、嫡々代々の諸師。此くの如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と唱え」

と、日目上人以下の御歴代上人をも僧宝とされている。

 この相違の理由を言えば、『当流行事抄』は、六老僧の中、ただ日興上人お一人が日蓮大聖人の付嘱を受け、正義を立てられたことを示されたのである。
すなわち、日興上人と他の五老僧とを相対し、日興門流の正統を示すということで、根本の上から当門流の正義を示す意義によられているのである。
故に、僧宝を示すに当たり、日興上人お一人を挙げることは、日興上人が六老の中の唯一の付弟であり、真実の僧宝であることをもって、その末流の僧宝なることの濫觴(らんしょう=物事の始まり。起源。起こり。もと。)とするのである。
 他の五老は付嘱を受けざるが故に、五人はともに僧宝とならないことを明かし、その五老の門の末流は、皆、僧宝にあらざることを示す意を含むのである。

 『当流行事抄』に明らかなように、日興門流の正統は、宗祖大聖人よりの法体付嘱が、日興上人に存することによる。
その付嘱は、さらに日興門流の中でも、当家の御歴代上人に血脈相承をもって伝えられるのである。故に、僧宝にして総貫首である日興上人の地位は、

『百六箇抄』に、
▲「直授結要付属は一人なり、白蓮阿闍梨日興を以つて惣貫首と為て日蓮が正義悉く以つて毛頭程も之れを残さず悉く付属せしめ畢んぬ、上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡々付法の上人を以つて惣貫首と仰ぐ可き者なり」(富要 一―二〇)

と示されるように、法灯連綿として現在に至り、御当代上人に存するのである。

『当家三衣抄』は、日興門流の分派の中で、日興上人よりの付嘱を伝えられている当家の御法主上人こそ、真実の僧宝であることを示され、末法下種の三宝は当家にのみ存することを明らかにされているのである。
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 ■「教道」と「証道」
 
日寛上人の『三宝抄』には、
 ▲「問う、三宝に勝劣有りや。答う、此須く分別すべし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり、故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に円仏と名づくと云う也。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。若し外相に約さば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す故也。故に法宝を以て中央に安置し、仏及び僧を以て左右に安置する也」(歴全 四―三九二)

と、「三宝」が「内体」に約せば体一であるが、「外相」に約せば、おのずから勝劣があると御指南されている。ここでは、この意義の上から、さらに別体三宝式の本尊奉安様式における、仏法僧の奉安位置の理由にも論及されている。

 このように、法門の立て方には、「内体」と「外相」との二つの筋道が存するのである。
 「内体」とは「内証」の体ということである。これは、「観心」と同義であり、ここにおける談道を「証道」という。また、「外相」とは「外用」の相をいう。これは、「教相」と同義であり、ここにおける談道を「教道」という。

 第三十一世日因上人は、金沢の信徒への御消息に、
 ▲「日興上人已下の代々も亦た爾なり。内証に順ずるに則仏宝也。外用に依れば則僧宝也。故に末法下種の大導師日蓮聖人の尊仏に対すれば、則外用を存し以て僧宝と為るのみ。(中略)故に日蓮聖人の御身の上に本迹の両辺あり、仍て迹に依れば則凡夫僧なり、内に依れば則妙覚極果の如来なり、日興上人日目上人も亦た爾なり」

と、御歴代上人の御内証の辺は仏宝と体一であらせられ、外用において僧宝と申し上げることを明らかにされ、日寛上人の御指南と全く同じ趣旨の御指南をされている。

 日寛上人の『当流行事抄』には
▲「久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり」(六巻抄 三二五n)

と、日興上人が僧宝であることをお示しであるが、その前提として『百六箇抄』の「久遠元初の結要付属」の文を挙げて、

▲「結要付属豈僧宝に非ずや」(六巻抄三二三n)

と、大聖人よりの結要付嘱をもって、日興上人を僧宝と御指南である。また、

『三宝抄』にも、
▲「僧宝とは久遠元初結要付嘱の所受の人なり」(歴全 四―三六六)

と、僧宝が結要付嘱の所受のお方であることを示されている。この結要付嘱とは、法体の血脈相承のことである。

 付嘱には、周知のごとく嘱累品の総付嘱と、神力品の別付嘱がある。この総別の付嘱は共に、上行菩薩を上首として、釈尊より授けられる。しかして、結要付嘱とは別付嘱のことであり、上行菩薩のみに授けられるが、総付嘱は迹化の菩薩もその任を受ける。これは文上の談道である。

 さて、大聖人より日興上人への下種仏法の御付嘱も、この総別の二義がある。別しての結要付嘱、すなわち血脈相承をお受けになるのは、御法主上人ただお一人である。総付嘱は御法主上人を上首として、一般僧侶もその任を受ける。

 このように、僧宝の本義は別付嘱たる結要付嘱に存するのであって、厳密にいえば「僧宝」とは御法主上人お一人なのである。

故に、『曽谷殿御返事』の、
▲「総別の二義あり総別の二義少しも相そむけば成仏思いもよらず輪廻生死のもといたらん」

との御指南のように、総別の二義、すなわち総付嘱と別付嘱とを混乱してはならないのである。したがって、総じての意味で僧宝というとも、御法主上人の僧宝の意義に対しては、天地雲泥の相違があることを、明確に認識しなければならない。

 以上、明らかなように、御歴代上人は、血脈相承をお受けになり、その御内証が「仏宝」と不二の御尊体にまします故に、その外用の辺を「僧宝」と申し上げるのである。

 しかるに、「僧宝」に関する御法主上人の御指南に異なった御見解が存するのは、
前述の日顕上人の、

▲「末法万年弘通の基を開かれた二祖日興上人が僧宝であらせられるということにつき、教道のうえに本門下種三宝をきちっと立てられてあるのであります。」(昭和五十八年三月三十一日)

との御指南のように、下種三宝の立て方は、「教道」の上に示されるからである。すなわち、「教道」の上には、僧宝の意義にも、また違いが存するのである。

 先に述べたように、『六巻抄』の僧宝の記述の相違は、門流の濫觴としての僧宝である日興上人と、その跡を継承される御歴代上人との「僧宝」の意義の違いによる。つまり、日興上人等御歴代上人の「僧宝」には、その意義の上に、

化導の上の
@ 法体としての「僧宝」と、
A 住持としての「僧宝」との区別が存するのである。

 まず、法体にも、大聖人の

@ 御内証の法体と、
A 御化導の上の法体が存する。

@御内証の法体とは、

日顕上人の、
 「そこで、三宝について少々申し上げるならば、一番根本のところにおいて、久遠元初の仏法の法体、内証の法体において、そのまま仏法僧の三宝が具わるのであります。これは『当体義抄』という御書の中において、

  『至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因・妙果・倶時に感得し給うが故に妙覚果満の如来と成り給いしなり』

 という、久遠の当初における聖人の本因本果の成道に約しての御指南がございます。

  すなわち、妙法蓮華を師として修行あそばされるというところにおいては、『因果倶時・不思議の一法』であるところの法の宝に対し、これを信解するところの境界の中に、いささかもその法に対する差違異轍(いてつ)なく、法界の法理そのものを妙法の体として自ら行じ給う姿が、そのまま内証におけるところの修行の姿なのであり、すなわちこれは僧宝であります。

  そして、直ちに『因果倶時・不思議の一法』を得て、妙因・妙果の本因下種の仏として即座開悟あそばされるところの本果の仏様の境界は、すなわち本因下種仏法におけるところの仏宝であります。すなわち大聖人様は、この久遠元初の法体を末法に移して御出現あそばされ、その上から法宝・仏宝・僧宝の三義が御自身に具わり給うところを御指南でございます。それはすなわち、

  『日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし』

 と、『日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経』と仰せあそばされるところに、釈尊の脱益の仏法と種脱相対して、下種本仏の境界に所持あそばされ給うところの法の宝、すなわち南無妙法蓮華経が厳然として具わることを御指南あそばされております。

  さらにまた、

 ▲『無作の三身とは末法の法華経の行者なり』

 ▲『本尊とは法華経の行者の一身の当体なり』

  あるいはまた、

 ▲『日蓮が頭には大覚世尊かはらせ給いぬ』

 という御指南からも、大聖人の凡夫身において、直ちに久遠下種根本の仏の御境界が具わっておるということを拝し奉るのであります。

 そしてまた、『御義口伝』における、

 ▲『末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり(乃至)仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり』

 という御指南より拝するならば、大聖人の本因の修行のお姿を、さらに一期の御化導に拝するところ、鎌倉期、佐渡期において法華経文々句々を身に当ててお読みあそばされ、竜の口の発迹顕本、本仏開顕の大事に至り給うまでの御修行のお姿は、すなわち御身に具わり給うところの僧の姿、僧宝であります。つまり大聖人様の御一身に仏法僧の三宝が具わり給うところに、内証の一体三宝が拝せられるのであります。」

との御指南のように、大聖人の御一身に具えたもう三宝が、御内証における法体である。しかし、その御内証は、そのままでは衆生は拝することができない。そのために、衆生の化導の上にお示しになられるのが、化導の法体としての三宝である。

日顕上人は、
 「しかしながら、また末法万年の衆生を導かんための三宝としては、そこに化導の上からの本門下種三宝の法体が厳然として常住し給うのであります。
  これは、皆さんも朝晩の勤行でお読みになっておる法華経の自我偈の、『時我及衆僧 倶出霊鷲山』の文であります。

  『時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず 我時に衆生に語る常に此に在って滅せず云云』

 とございますが、この『時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず』という文の、『時』とは末法第五の時であり、『我』とは仏、すなわち大聖人様の御当体であります。また『及』とは、南無妙法蓮華経の法宝であり、『衆僧』とは僧である。

  これは、また化導の形において、いかなる姿をもって示されておるかと申しまするならば、脱益の仏法においては、あの釈尊一代の五十余年の経々の中において、その極まるところは八ヵ年の法華経に帰するのであります。この法華経の中で、迹門を馳せ過ぎて、本門の涌出品より嘱累品に至る八品において、久遠の寿量品の法体が釈尊から上行菩薩へ付嘱せられております。ここに釈尊より大聖人様へ脱益本門より下種本門への転換がありました。また、末法に本仏大聖人様が御出現あそばされ、下種本法の末法万年の広宣流布のために成し置かれた大事な化導の根本もまた、二祖日興上人様への唯授一人の血脈相承、結要付嘱であります。

  仏法の根本は、この付嘱によってすべてが決せられるのであり、ここを外して仏法というものの存在は全くありえないのであります。したがって、大聖人様が下種の仏宝であり、南無妙法蓮華経の大御本尊が法宝であるのに対して、久遠常住の下種三宝、つまり化導の上の下種三宝の僧宝とは、その随一が二祖・白蓮阿闍梨日興上人様にあらせられるということが、ここに明らかであります。

  この仏法僧の三宝を正しく拝してこそ、末法の一切衆生の身中に、妙法当体蓮華の大功徳が成就するのであります。もしこれを疑い、これを外れて、『ただ大聖人様と御本尊様さえあれば、日興上人以下はどうでもいい』というような考えを持つならば、これは大謗法であり、即身成仏は到底、おぼつかない次第であります。
  大聖人様、大御本尊様、日興上人様のおわしますところに、化導の法体としての常住不変の下種三宝が存し、この下種三宝が常に我々を見そなわし、我々を開導してくださるということを深く信ずべきであります。」

と、大聖人、大御本尊、日興上人を三宝と申し上げるのは、法体の三宝としてであると御指南なのである。

故に、日興上人は、特に化導の上の法体としての「僧宝」と拝せられるのである。これは、大客殿の本尊奉安様式が、「日蓮大聖人・大御本尊・日興上人」の、別体三宝式にましますことからも明らかである。

 しかし、法体の三宝が確立しても、それだけでは末法万年にこの三宝を伝えることはできない。

 日顕上人は、続いて、
 「また、その仏法が住していく姿の中においては、『住持』という形の上からの三宝が必要となってまいります。これは、日有上人の百二十一ヵ条からなる『化儀抄』の中において、

 ▲『手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし』

 という御文がございます。
  すなわち、日興上人から日目上人へ、日目上人から日道上人、日行上人と代々、付嘱によって伝わるところに、大聖人様以来の御本仏の御魂が、もぬけられておるのである。それは、大聖人様の御本尊、日興上人、日目上人の御本尊、乃至歴代上人の御本尊の当相・当体を拝するところに、おのずから明らかであると存ずるのであります。」

と、御歴代の御法主上人は、法体として確立された三宝を、末法万年の未来に伝える「住持」としての意義の上からの「僧宝」にましますと御指南されているのである。

 このように、「僧宝」についての御指南の中で、御歴代上人を僧宝に含まれない場合は、「教道」の上において、「法体の三宝」「住持の三宝」等の区別が存し、そこに一往の勝劣も存するからである。

 つまり、御歴代上人は「僧宝の随一」として、大聖人から直接に法を授けられた一番のもとに立たれる日興上人に対し、日目上人はその弟子、日道上人はそのまた弟子と次第される。この「師」に対する「弟子」との辺をもって、「外相」の上から謙下(けんか)あそばされ、御自身を「僧宝以下」と仰せられるのである。

 しかし、「弟子」は法を受けられれば、今度は絶対の資格と自覚と力を有する「師」となられるのである。ここをもっての筋道は、再往の実義であり、これを「証道」というのである。「証道」とは、御内証の談道のことであり、まさに宗祖日蓮大聖人の法水を瀉瓶された上から、師弟不二の御境界に約すものである。したがって、日因上人の、

 ▲「日興上人已下の代々も亦た爾なり。内証に順ずるに則仏宝也。外用に依れば則僧宝也。故に末法下種の大導師日蓮聖人の尊仏に対すれば、則外用を存し以て僧宝と為るのみ」

との御指南のように、その御内証は日蓮大聖人に冥合した上での「仏宝」なのであり、「僧宝」とは、血脈相承を受け、大聖人の化儀・法体を伝持し、時に当たって教導あそばすという、御法主上人の「外用」を指すのである。

 したがって、御歴代上人が「僧宝以下」との表現は、

一には、五一相対して、その正統たる日興門流における、末法万年の総貫首であらせられる日興上人を師とするのに対して、御歴代上人はその弟子である故に、師と弟子という立場の違いが存するためである。

また、二には、日興上人が「法体の僧宝」であらせられるのに対して、日目上人以下の御歴代上人を「住持の僧宝」とするのであり、この「僧宝」の意義の違いを、「教道」の上に示されて、日目上人以下の御歴代上人を、一往「僧宝以下」と示されたのである。

 しかし、一般僧俗が、それをもって、「御歴代上人は僧宝以下」などと言えば、それは「教道」を聞いて「証道」を知らぬ、一知半解のものであり、再往の実義を曲げる謗法罪を免れることはできない。

 上代においては、大聖人御自身ですら、御本仏であることはおろか、上行菩薩であることすら、あからさまには述べられていない。これは、『報恩抄送文』に、

▲「親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ」

と仰せられるところである。すなわち、法門を受ける衆生の機根に、堪と不堪とがあって、直ちに真実を述べれば不信を起こすからである。現代は、妙法流布も進展し、広宣流布の気運も高まってきたが、やはり信心が弱く、疑い深い者は、「浅義」である一往の「教道」の御指南に執著を起こして迷いが晴れず、再往の
「深義」である「証道」に信解が至らないために、眼前の「師」の尊厳が拝し切れないのである。

 故に、この二つの筋道を、過不足なく信解することが非常に大切なのである。

このことを、日顕上人は、

▲「宗門の古来の法≠フ立て方において、二筋の立場があるということであります。つまり、もちろん根本は末法下種の御本仏・宗祖日蓮大聖人の御内証におわしますのであり、それを唯我与我の御境界において二祖日興上人がその仏法の本義をお承け継ぎあそばされて、さらに日目上人・日道上人と、一器の水を一器に移すかたちで今日に伝えられておるということが、宗門の古来からの信条であります。それはそのとおりでありますが、そこに

@御本尊の御内証という立場と、それから
A代々の法主がその法を承けて色々な場合において宗門を指導・統率していくという意味からの様々の指南・指導等を行う立場と、

その二筋においては一往、分けて考えなければならないと思っております。

  三大秘法の根本の深義は本門戒壇の大御本尊にその法体がおわしまして、そこが根本であります。その分身・散影として各末寺その他、在家の宅においても御本尊を奉安しておりますけれども、一切はその根本の、本門戒壇の大御本尊に帰するのであります。ただし、その御本尊の書写、伝持といううえにおける歴代法主を、どのように君たちが考えるかということでありますが、これが簡単なようで、なかなか混乱する場合があります。
  混乱をいたしますと、過ぎたるは及ばざるが如し≠ニいう言葉があるとおり、例えば過ぎてしまうとかえって及ばないという結果が出てくるのです。つまり必要以上に崇めすぎると、その反動として悪い結果が出てくるというような意味もあります。また、崇めなければいけないところを軽蔑したり、あるいは軽く見たりすると、これはまたこれでいけません。ですから、及ばないこともいけないし、過ぎたこともいけないという意味があるわけです。」(昭和五十八年三月三十一日)

と御指南なのである。その上で、また、

 ▲「要するに、日常のことや色々な指導とかにおいては、法主はあくまでも法主として考え、法主としての指南があり指導がある、ということでよいのです。それを直ちに仏果であるとか仏様であるとかいうような証道の意味と混乱するような、あるいは読んだ人がそう取れるような表現は、むしろ慎んでもらいたいと思います。」(昭和五十八年三月三十一日)

と、「教道」と「証道」を混乱して、「僧宝」というべきを、「仏宝」とまでいってはならないと戒められているのである。
故に、「証道」においては、

▲「唯授一人のうえの御本尊書写、またはその御相伝という意味において、これをもし他の方が言う場合に、「御本尊の御内証は即、大聖人以来の唯授一人、そこに二にして不二の境界である」ということならば、それは根本のところでありまするし、それでよいと思います。」(昭和五十八年三月三十一日)

と、大聖人と御法主上人が不二であらせられることを御指南されているのである。
これは、日応上人の、

▲「当宗に於て授与する処の御本尊は一切衆生に下し置かれたる此の御本尊の御内証を代々の貫主職一器の水を一器に写すが如く直授相伝の旨を以て之を写し奉り授与せしむる事なれば各のその持仏堂に向かっても「直ちに此の御本尊を拝し奉る事よ」と相心得へ受持信行する時にはその処直に戒壇の霊地、事の寂光土なる程に臨終の夕までも此の御本尊を忘れ奉らざる様に致さるべきなり、爾れば則ち即身成仏は決定疑ひなきなり。」(本門戒壇本尊縁由 一九n)

との御指南にも明らかである。御本尊は、大聖人の御魂魄、すなわち御内証なのである。

▲「此の経は相伝に有らざれば知り難し」

との御妙判のように、その御内証は、血脈相伝をお受けになった御法主上人でなければ「知り難」いのである。御歴代上人が、大聖人の御内証をもって書写遊ばされるから、我々の成仏も叶うのである。その御法主上人を誹謗することは、そのまま御本尊を誹謗することであるから、いくらお題目を唱えても、功徳は全くないのである。

 また、それが理解できないからこそ、昭和五十二年路線において、創価学会では、池田氏の指導のもとに、御本尊を写真に撮って複製模刻するような大謗法を、平気で犯すことができたのである。
 池田氏はじめ創価学会首脳は、知ったかぶりをして御法門を云々するが、相伝を受けない彼等に本宗の深義が解らないのは、道理の上で至極当然のことである。
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  秋谷氏の謗法は明白

 過日の、御尊能化から学会古参幹部に対する書面中、

 ▲「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。」

との指南は、「証道」の上に「三宝一体」の実義を述べるものであり、まさに当家の正義である。
 これを論難する、秋谷会長の、

▼「仏法の基本である『三宝』は、歴代上人が御指南されているように、『法宝』は御本尊、『仏宝』は日蓮大聖人、『僧宝』は日興上人であり、三宝が相即する御本尊を拝し奉るのが、私たちの信心である。また日達上人が『代々の法主が日蓮大聖人ではない』と御指南され、歴代法主は僧宝以下の立場であることは明らかである。元来、日蓮正宗には大御本尊と並べた法主根本主義%凾ヘ全くなかった。ところが、最近、宗門は御本尊と法主は『根本の二つ』であるとして、『大聖人の仏智による御指南は、血脈付法の御法主上人によってなされるのであって、私どもは、そこに信伏随従するのみであります』とする法主絶対論をふりかざすようになってきた。
 しかし、この主張には、重大なすりかえ≠ェあることを看過してはならない。
 一、大聖人の御義口伝には『信伏随従』について、『信とは無疑曰信(むぎわっしん)なり伏とは法華に帰伏するなり随とは心を法華経に移すなり従とは身を此の経に移すなり』(御書七六五頁)と述べられている。すなわち心身ともに三大秘法の御本尊に帰伏することが信伏随従なのである。つまり人法一箇の御本尊を信仰し、大聖人に帰伏していくのが私どもの信心である。それを法主への信伏随従にすりかえるのは、大聖人の御指南に反するものであり、三宝破壊の邪義であることは、だれがみても明らかである。(中略)現宗門のいき方こそ、大聖人の仏法を破壊する大謗法であるといわざるをえない。」(平成三年九月三十日付『聖教新聞』)

との批判は、「教道」と「証道」を混乱する邪義であり、謗法である。
 
なお、

 「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にまします」

との表現は、かの正信会問題の渦中、『大日蓮』の昭和五十七年三月号の巻頭言でも、既に述べられているから、「最近」との論難は全く当たらないことを申
し添えておく。
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   むすび

 一般の学会員は、仕事や家事に追われる中、命をすり減らすようにして学会活動に励み、血を絞るようにして特別財務に多額の納金をする。それは、それが仏道修行であり、功徳となると信じているからである。そして、学会員にとっては、もうそれだけで精一杯で、学会幹部の指導する三宝義についても、またその他のことについても、それが正しいのかどうかなど、確認する余裕がないのである。
 だからこそ、学会幹部は、本来、学会員を善導する灯火でなければならないのに、秋谷会長からして、御法門を迷乱する有り様である。しかも、それが未熟故の誤りであるならば、まだ許せもするが、池田氏の邪義・邪心を覆い隠すことだけを目的とする、天魔の邪説なのであるから、決して許してはならないのである。
 日蓮大聖人は、良観等の謗法に対して、「首を切れ」とまで御指南あそばされた。現在、学会の行なっている三宝破壊は、それに勝るとも劣らない大罪なの
である。このことに、池田氏及び多くの妄執の創価学会員等は、いつ気が付くのであろうか。

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 16 総別の二義


 さて、予測通り、三次元の円筒形を認識できないで長方形だの円形だのと吼えている痴犬が、まだ自らの頑迷・暗愚さに気がつかずに足元に纏わりついているようだが、あの程度の知的レベルでは、深い三宝の法義など到底理解不能であって、書けば書くほど良識有る閲覧者の嘲笑の的である。
暫く皆さんに冷笑されている間に、とりあえず先に進もう。

T君ら、次から次とよくここまで破折し尽くされている邪見を吐けるものである。
やはり京都方面では少し時間が緩やかに流れているようである。(いやもしかしてT君らの頭の中の時間は止まっているのでは?)
有体に言えば、”時代遅れ”の邪義である。

つまり、次は曽谷殿御返事の「総別の二義」の御法門についての邪難である。
(ここは正確には邪難を吐きかけようとして、とりあえず今回は止めた、といったところであるが、どうせ言わんとすることは見え透いているので、ついでにここで摧破しておく)

学会側の言い分はこうであろう。
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 学会の邪義

▼教義に基づいていえば、「総別の二義」についての『曾谷殿御返事』の御文は、「法華経の付嘱(ふぞく)には総別の二義がある」として、文上の付嘱についての総別を述べているもの。つまり、嘱累(ぞくるい)品における迹化の菩薩も含めた弟子への滅後流布の付嘱を総付嘱と呼び、神力(じんりき)品における本化の菩薩への付嘱を別付嘱と呼ぶ、ということであって、この文には法主への付嘱などという意味は一切ない。
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《破折》

確かに『曾谷殿御返事』の該文の前段に、
■「此の境智の二法は何物ぞ。但南無妙法蓮華経の五字なり。此の五字を地涌の大士を召し出だして結要付嘱せしめ給ふ。是を本化付嘱の法門
とは云ふなり。」とあり、日顕上人も一応そのような意義に於いての御指南もされたこともある。

しかし、日顕上人の御指南に有るが如く、再往、奪の意に於いては、やはり別付属である唯授一人・血脈相承に於いて総別の二義を立てる談道なのである。
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日顕上人御指南
■「「総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん」
                               (御書一〇三九)
とは、建治二年八月二日の『曽谷殿御返事』の御文です。
 これについては、以前に私がこの御書を講じたとき、冒頭よりの南無妙法蓮華経の付嘱に関する一連の文を受けている「総別の二義」の文を、通途の法華経本門の神力、嘱累の二品における総付嘱、別付嘱の関係に当てて、一往、解釈したことがあります。
 これは、地涌・上行菩薩への付嘱が神力結要を中心としつつ、かたわら嘱累総付嘱にもわたっていることと、その嘱累一経付嘱を内容とする迹化付嘱をも含むことから、意味を広く見たのです。すなわち、この御書の総別の関係を、与えて法華経の別付、総付に一往当てはめ、さらに進んで、別付の法体を寿量文底、すなわち種脱のけじめより、本仏大聖人の三大秘法として拝すべき趣意で述べたのであります(大日蓮 昭和五十六年七月号・五十七年四月号に掲載)。
 しかし、『曽谷殿御返事』の冒頭より、南無妙法蓮華経の七字の上行結要のみを説き給う御文と、これを受けて「又是には総別の二義あり」に続く文義・文脈を子細に拝するとき、この文の正意は神力結要のみであって、嘱累にわたる意は全くありません。したがって、この御文の正義は、奪の意をもって神力結要の一筋に絞って総別の二義の立て分けを拝するところにあります。
 故に、以前の解釈は経文上の全体より見た与の義でありましたが、これより拝考するところは、御文のとおり、神力別付の上の授与と弘通の御指南を元とする奪の義としての立て分けであることを、まず申しておきます。
 彼等は「総別の二義」という問題について、血脈伝承との関係において、まず「本来の意味と違うことを主張しておる切り文だ」との旨を言っておるのです。しかし、きちんと御書を拝せば、総別の二義とは、仏法の本筋たる一切衆生の成仏教導と、血脈付法の相承・相伝の上からの意義があり、そのように拝すべきであります。ところが、彼等はこれを絶対に否定したいのであり、そういうところから、この文を最初に持ってきておると推察されます。」
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では以下の御文について解説しよう。

■既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁の衆生に流れかよはし給ふ。是智慧の義なり。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん。(同)

 この
■「上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁の衆生に流れかよはし給ふ」
という文は、
1、釈尊から上行が結要付嘱を受けるということと、
2、次にそれによって今度は、上行菩薩が末法悪世の功徳の枯れた、善根のない衆生に流れかよわせて、これを救わんがために弘通あそばされるという、二筋が拝せられるのである。

 次に
■「釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ」
とあるが、これは前文の
■「上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、」と、一体の関係にあるということが拝せられる。
その意味で、ここは師匠から弟子への結要付嘱の意義を、顕されていると拝するのである。

 そして、次の
■「然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む」
との御文こそ、これまでずっと述べられてきたところの中心になるのである。

いわゆる日蓮大聖人が出世して発迹顕本し、久遠元初の自受用身としての日蓮大聖人が出現して、南無妙法蓮華経の法門を弘めるというのは、
1、一つには総じて日本国乃至、世界一切衆生に弘通するという意味である。
2、それと同時に、
■「此の法門を弘む」
ということのなかに、大聖人一期の御化導、そして日興上人との御関係におけるところの御文を拝するに、
■「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す」(御書一六七五)
という、切り離せない意義があるのである。
ここの御言葉はその両意を含んでいるのである。

つまり、この■「此の法門を弘む」との御文に、釈尊より別付属を受けられた上行菩薩再誕の日蓮大聖人が、
1、同時代の衆生へ広く妙法を弘通する意。と
2、末法万年を志向し、次代へ別付属を相伝する意。
との両意が含まれているのである。

 それは、その前の所に
■「釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ」
とあるのは、別しての師匠から弟子への付嘱である。また、能化より能化への付嘱である。
それからさらに、一行前の
■「上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁の衆生に流れかよはし給ふ」
の文は、能化より所化への弘通、すなわち、末法の一切衆生に総じて上行菩薩が弘通するという表現である。

これと同様に、今度は日蓮大聖人として、末法出現の大聖人の寿量文底の法体、三大秘法の御法門の上において、別して大聖人より日興上人へ、師と弟子でありながら能化より能化への付嘱が存し、さらに総じてその大法が血脈相伝の上に、能化より所化へ、すなわち、大聖人の仏法を日本国の一切衆生に弘通し給うという意味があるのである。

 これが、次の文に
■「又是には総別の二義あり」
とある御文からひるがえって拝考した正意である。
すなわち、
■「是には」
とは、疑いもなく、前に述べられている文を受けている語である。
したがって、その「総別の二義」とは、明らかに前から述べられておる「結要付嘱」(別)と「末法弘通」(総)の意義についてのことである。

 そして、次の
■「総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず」
ということは、別して大聖人から日興上人、日目上人と師弟の付嘱があり、その上において、いわゆる大聖人様の本仏の御慈悲と、その妙法の法体が付嘱の上において、総じて一切衆生に伝わっていくのであり、そこに■「総別の二義」をきちんと立て分けられているのである。

「総別の二義」のなかの、
「別」の上において日蓮大聖人の末法弘通の血脈の法体相承と、
「総」の上から一切衆生へ妙法を弘通して一切を救うという意味との両面があるのである。

しかも、それが■「日蓮又日本国にして此の法門を弘む」という文において一つになっているのである。

では大聖人御入滅後はどのようになるかといえば、別付属を受けられた日興上人が、
1、同時代の衆生へ広く妙法を弘通され、(総)
2、末法万年を志向し、次代(日目上人)へ別付属を相伝されるのである。

しかして、日興上人の御遷化後は、日目上人以下かくのごとく次第して仏法が末法永劫に流伝するのである。

であるから、この別付属である唯授一人・血脈相承の相伝を受けられた同時代のその時の御当代御法主上人を元とした上で初めて総じての血脈を受けることが出来るのであり、その縦分け・筋目を迷乱すれば絶対に成仏は出来ないのである。
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■「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし」(御書一〇三九)

これは、一往上行菩薩、再往本仏大聖人様こそ、末法の衆生が智慧の水を受けた根源の師であり、そこに大聖人を拝し、大聖人を根本として、その血脈の上から一切の人々に、その時その時の相伝の御法主が取り次いでいくのである。
 であるから、そこのところを忘れてよそへ心を移すということは、今、創価学会がやっているようなことであり、これこそ、この御指南の破折に当たる、ということである。
―――――――――――
また創価学会では

▼日蓮正宗では、
■「総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻(りんね)生死のもとゐたらん」(新編一〇三九頁)
との御文を引いて、歴代法主には別しての血脈が流れており、これに背いては成仏できない≠ニ主張するが、これこそ宗門得意の切り文である。この文のすぐ後には、
■「但(ただ)し師なりとも誤りある者をば捨つべし。又捨てざる義も有るべし。世間 仏法の道理によるべきなり」(新編一〇三九頁)
と、たとえ大聖人の後継者であっても誤りのある者は捨てなければならない、その基準は世間や仏法の道理によるのである、との仰せがある。したがって、世間の道理にも仏法の道理にも背いた淫乱法主などは捨てなければならない。

などと、陳腐な妄釈をしているが、

■「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。但し師なりとも誤りある者をば捨つべし。又捨てざる義も有るべし。世間仏法の道理によるべきなり」

この御文に示される「根源の師」とは、上記の如く、末法の衆生が「智慧の水を受けた」根源の師、すなわち一往上行菩薩、再往御本仏日蓮大聖人であり、この御本仏大聖人を根本として、その別しての血脈相伝の上から、その時その時の衆生に総じての「智慧の水」を流れかよわす御法主上人を指しているのである。
したがって、「但し師なりとも誤りある者をば捨つべし」の「師」とは、「根源の師」である御本仏日蓮大聖人およびその別しての血脈相伝につらなる歴代上人のことではある訳がない。
なぜなら、日蓮大聖人が「根源の師」である御自分や、別しての血脈相承によって法体の伝持を元とした総じての末法妙法流通の法規を定められた御正嫡である、日興上人及びそれに連なる血脈相承を相伝された方々(御歴代上人)を、「捨つべし」と仰せられるわけがないからである。

 ここでいう「師」とは、それぞれの衆生が分々の立場で師と仰いでいる者を指しており、そこに誤りがあるならば、「世間仏法の道理」によって捨てるか否かを判断せよ、といわれたものにほかならない。

 この文意を拝するならば、現在においては、まさに世間・仏法の道理に背き、会員を悪道に導く池田大作こそ捨てられるべき師≠ノあたるのである。
―――――――――――
因みにここでもかつて創価学会はどのように声高に「総別の二義」を定義していたか紹介しよう。
以下の指導からすれば、今の創価学会は全く血脈の何たるかも解せない、大謗法で堕地獄の似非宗教ということになろう。
全く池田センセ〜〜一人に翻弄された哀れな団体である。

【昔の指導】

 彼等の迷論は実に相承に総別の二義即ち法体・法門相承の二義があるのを知らぬ事から生ずるのである。(『大白蓮華』昭和二十八年・第三十九号三十八頁)

 さて相承にも総別の二義がある。日応上人の弁惑観心抄に「唯授一人・嫡々血脈相承にも、別付・総付の二箇あり。その別付とは則(すなわ)ち法体相承にして、総付は法門相承なり。而(しか)して、法体別付を受け給いたる師を、真の唯授一人・正嫡血脈付法の大導師と云(い)うべし」と仰せられている。即ち法門総付は宗祖大聖人二祖日興上人以下代々の弟子檀那であるものは一人としてもれることはないのであるが、法体別付の血脈は唯授一人金口嫡々相承なのである。
 この唯授一人の血脈相承は日蓮大聖人より二祖日興上人へ、以後今日に至るまで一器の水を一器に移す如くそのまゝ伝えられている。
        (『大白蓮華』昭和二十八年・第三十二号・秋谷栄之助論文)

 「総じて日蓮が弟子檀那等(中略)異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」の御文は、別しての「法体の血脈」を大前提として、総じての「信心の血脈」について述べられたものである。
               (御書講義録『生死一大事血脈抄』一一八頁)

 もし御相承なしとすれば、一体いずこに信心の血脈があろう。血脈なく法脈なくんば、われわれは一体、どこに信心をたよるか。寿量品にいわく「遣使還告(けんしげんごう)」云々と。
 日蓮正宗富士大石寺御法主上人猊下のお姿こそ、唯授一人、大聖人から日興上人へ伝えられた、嫡々の血脈をつがれた、唯一人の仏様なのである。生死一大事血脈抄(一三三七頁)にいわく「過去の生死・現在の生死・未来の生死、三世の生死に離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり。謗法不信の者は、『即断一切世間仏種』とて、仏に成るべき種子を断絶するが故に、生死一大事の血脈之無きなり。」(『大白蓮華』第一一四号渡部通子論文「二箇相承を論ず」)

 このように、今日、日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、三大秘法を正しく信受することができるのも、ひとえに日蓮大聖人、日興上人以来、総本山大石寺歴代の御法主上人が伝持される法体の血脈による御指南、御威徳(いとく)によるものであることを銘記しなければならない。(御書講義録『生死一大事血脈抄』一一八頁)

 仏教の真髄は、血脈相承・師資(しし)相承といって、必ず面授口決の御相伝によらなければならない。たとえ年代が離れていても、経文の証拠によって決定されるのである。
 しかるに日什(にちじゅう)の場合には、予言の経証(きょうしょう)もなく、面授口決(めんじゅぐけつ)ももちろんないままに、経巻相承と立てて自己の正統を主張するのは、仏法を破壊する根本原因となるのである。
 日蓮宗ならどんな宗派でも、御書と法華経を手にするのは当然であるが、それでいて多数の邪義を生ずる理由は、こういうところにあるのである。
                   (日蓮正宗『教学小辞典』四〇二頁)

 天台の仏法が、なにゆえ滅したかといえば、それは像法の仏法であるからでありますが、すでに天台・伝教の精神すら失ってしまった理由として、大聖人は「当世の学者は血脈相承を習い失う故に」(五三〇頁)と仰せられております。
 まことに「血脈相承」「相伝」は、仏法の生滅にかかわる根本の重大事なのであります。(『大白蓮華』一九七九年五月臨時増刊号五十五頁)

 そして今、富士大石寺には、日興上人から日目上人へ、日道上人へと、今日にいたるまで、金口嫡々の御相承によって、大御本尊様の厳然とおわします、この現証をみよ。
 経巻相承などをたて、生死一大事血脈を読み誤って、信心があれば血脈があるなどという邪義をかまえる輩は、根本の相伝を誤まるゆえに、頭破作七分なのである。(『大白蓮華』第一一四号渡部通子論文「二箇相承を論ず」)

 「もし信心の有無によることにするならば、法華経の何をもって証明するのか。有名無実の信心をふりまわして、付属相承を否定するは、総別の二義に迷惑し、師弟相対の深義に暗く、自ら混乱を好む仕わざではないか。」(『大白蓮華』昭和四十一年九月・一八四号「誤れる日蓮主義を破す」三五頁)

 「総じていえば、日蓮大聖人直流の門下にすべて相伝があるといえるが、別していえば、法体の血脈相承はただ一人に限る。日蓮大聖人の付嘱が唯授一人の日興上人であらせられることは、二箇相承に明らかである。」(聖教新聞・昭和四十二年六月二日付)

 「然るに一般日蓮宗は(中略)或は經巻相承なんどと稱(しょう)し、大聖人様の佛法は唯授一人という狭義ではないなどと、全く惣別(そうべつ)の二義を辨(わきま)えざる僻見を立てゝいる。」
(『大白蓮華』「相承の重要性について」秋谷栄之助論文)

 「相承に総別あり。法体別付は唯授一人、金口嫡々相承であり、大聖人様より日興上人に相伝せられ、以来今日まで六十四世に相伝せられている所であり、これが解らぬ故に彼等は、経巻相承などと称して大なる僻見(びゃっけん)を立て、又日蓮が魂は身延に住む等の御文をもってあたかも相伝があるが如く欺瞞(ぎまん)せんとしている。」
(『大白蓮華』・第四十六号四十九頁)

 「二箇相承を否定する前に、彼自身、自己の正しさを、純粋に御書の上から、仏法の道理の上から、現証の上から、正確に証明できたら証明してみよ。
 第一に、一大聖教大意(三九八頁)に『この経は相伝に有らざれば知り難し』とあり、顕仏未来記(五〇八頁)に『然りと雖(いえど)も伝持の人無れば猶(なお)木石の衣鉢を帯持せるが如し』とあるが、相伝といい、伝持といい、どのようにしてこれを説明するのか。
 第二に、総付は認め、唯授一人は認めないというが、曽谷殿御返事(一〇五五頁)に『日蓮又日本国にして此の法門を弘む、又是には総別の二義あり総別の二義少しも相そむけば成仏思もよらず輪廻生死のもといたらん』とある。この総別の二義をどのように説明するのか。」(『大白蓮華』昭和四十一年九月・第一八四号三十五頁 「誤れる日蓮主義を破す」)

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 17 京都・奈良あたりの痴犬どもへ 三宝論


 三宝論について詳述しているついでだから、この痴犬の愚劣さを、砕いておこう。

▼> またクタクタ書いてまんな〜イチビリ満開でんな〜
> そうでっかそうでっか ほんでこれはどうでした?
> ●日達上人猊下御説法(蓮華第74号 S52.6月)我が宗の三宝は御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。
> それに対して日目上人は座主である。今云った通り、官領して、その大聖人の仏法を治めていく、よく受け取って治めていく、即ち官領という意味を行くのである。統べ治める、そして統治をしていく。その日目上人の後は、皆筒の流れのように、それを受け継いで行くにすぎない。・・・三宝はどこまでも、大聖人・日興上人・御本尊、これが本宗の三宝(無条件で南無する尊信の対象の三宝、宗規にある三宝でんな〜)の立て方です。ほーけい講員、マサシくんはこの日達法主のご指南は狂った説と言われるんでっか?

●1、まず、「官」領は「管」領である。

2、既に破折済みである。こういう痴犬には知力不足で少々長い論文は読めないらしい。

痴犬には僧宝に

@一体三宝(内証)
 末法出現の仏・法・僧は、内証においてはともに久遠元初の三宝であり、大御本尊と一体のものと拝する三宝。

A別体三宝(外用)
 末法における仏宝は宗祖日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は唯授一人血脈付法の日興上人と、形式の上から立て分けて拝する三宝。

B住持三宝(化導)
文底下種の三宝を令法久住せしめ、末法万年の衆生を済度する意義から拝する三宝。歴代上人はすべて僧宝として尊信される。

とあることが読めないだけである。

「円筒形」を真横からみて「長方形」としか認識できない脳の未分化の者≒幼稚である。

▲「我が宗の三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。それに対して日目上人は座主である。今云った通り、管領して、その大聖人の仏法を治めて行く、よく受取って治めて行く、即ち管領という意味を持って行くのである。統べ治める、そして統治をして行く。その日目上人の後は、皆筒の流れのように、それを受継いで行くにすぎない。だから本宗の考えは、広宣流布の時は日目上人の再現、出現だという意味をとっております。即ち日目上人が広宣流布の時の座主として再誕なされるとの指南であります。だから代々の法主が日蓮大聖人ではない。大聖人そのものと間違って書かれてよく問題が起きますが、その点ははっきりしてもらいたい。」(昭和五十二年五月二十六日)

▲「三宝はどこまでも、大聖人・日興上人・御本尊、これが本宗の三宝の立て方です。「法主が大聖人様の代わりだ」と、即座にこう云う事を云うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたいと思います。」(昭和五十二年五月二十六日)

との日達上人の仰せは、Aの化導の法体のとしての三宝=別体三宝、について仰せになったのである。
しかしそれは僧宝義の全体ではない。(あえて例えれば円筒形を真横から見て長方形と見える部分である。痴犬はここしか見えない。愚かだからである。)

その同じ日達上人はこうも仰せである。

昭和三十八年五月、
▲「二祖日興上人より歴代を僧宝と立てておるのでありまして、古来より少しも変っておりません。」

これはBの化導における住持三宝義について仰せになったところである。(ここは円筒形を上から見て円形と見る見方である。)

痴犬はこの三義を弁えていないから、混乱して喚いていてるだけである。

日寛上人 文底秘沈抄 
■諸の法相は所対に随って同じからず、敢えて偏執すること勿れ、敢えて偏執すること勿れ。

痴犬へ日寛上人がお叱りである。

―――――――――――

▼> ●「予が如き無知無戒も僧宝の一分なり。」(三宝抄)これはご謙遜ですか?

●法論の検証で詳細に破折するから慌てずに待っていなさい。
京都・奈良の痴犬は「待て!」の躾もされていない駄犬なのか?呵々。

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 18 総別の二義 再論

投稿日:2006/03/09(Thu) 10:12 No.2480 [返信]

曾谷殿御返事の「総別の二義」について、京都・奈良の痴犬どもはどうも理解ができていないようなので再論する。

日蓮大聖人様が、この「総別の二義」と仰せになる御心には、
@一義には、師が同時代の衆生へ妙法を流れ通わす。という義があり、(総じての血脈)
A一義には、師が末法万年の妙法の令法久住の為に結要付嘱=唯授一人・血脈相承がなされる、という義がある。(別しての血脈)

この総別の筋目を絶対にたがえてはならない。ということである。

温泉で言えば、湯船に満杯に満たされている湯に浸かり多くの人がその恩恵に浴するのであるが、当然その湯には出元がある。
その出元を塞げば、湯は湯船に入らなくなり、大衆は温泉の効用に浴する事は出来ないのである。
また、その出元を遡って辿れば湯元に行き着く。
更に辿れば、地下の温泉の湯脈・源泉へとたどり着くのである。
この温泉の湯の流れは不断なのである。不断であるから湯船に湯が満たされるのである。

誠に申し訳ないことであるが分かりやすさのために敢えて失礼を承知で例えさせていただくならば、この湯船に満杯に満たされている湯が「総じての血脈」に例えられ、その出元が「別しての血脈」に配される。
そして、その出元そのものが御当代の御法主上人と言う意義であり、地下の源泉へと続く不断の湯脈が日興上人以来の御歴代御法主上人の意義として例えることができるのである。

その意義(別しての血脈の上に初めて総じての血脈が流れ通う、その筋目・次第を弁え、深く報恩の誠を尽くさなければなければならない、との義)は、以下の御文に明白である。

■然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん。

別しての血脈を否定し誹謗する創価学会員は絶対に成仏できない、という確たる御文証である。

更に

■法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。但し師なりとも誤りある者をば捨つべし。

この御文は、以上の意義を再度具体的な信行のあり方として明確に訓戒せられているものと拝するのである。

ここで仰せの「根源の師」とは一往、上行菩薩。再往は日蓮大聖人である。
しかし、更によくよく拝せば、「法華経の大海の智慧」とはまさに久遠元初・人即法・法即人・人法一箇の自受用報身如来であり、その意味でこの「根源の師」とは、その根本仏から釈尊を経て結要付嘱・唯授一人の血脈相承を受けられた上行菩薩であり、その再誕の日蓮大聖人とう意義と拝するのである。

であるから、この「根源の師」とは、その時代、時代に妙法の法体の唯授一人の御付嘱をうけられた方、と拝するのである。
大聖人様御在世の御時にはまさに大聖人様御自身であらせられるし、大聖人様御入滅後は、ただお一人「別しての血脈相承」をおうけになられた日興上人を意味し、その後は次第して日目上人・日道上人・・・となり、現時では、今現在唯授一人・血脈相承をおうけになられた、御当代上人こそが、まさに「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師」となるのである。
であるから、その別しての血脈相承を御所持される御当代御法主上人を誹謗するなど、まさに堕獄必定の大謗法の所業なのである。

因みに次の「但し師なりとも誤りある者をば捨つべし」の「師」とは、この「根源の師」であるわけがないのである。
何故かならば、直前で「根源の師を忘れてはいけない。他へ心を移してはいけない。」と教戒せられている直後に、「その師を捨てることもありえる」などという、頭破七分な言動を大聖人様がなさるはずが絶対にないからである。
であるから、この後半の「師」とは御当代御法主上人以外の、(広義には御法主上人に連なる御僧侶も含む)世間一般的な「師」のことを指すのである。
ましてや、在家の特定の人物を師と仰いで現時での「根源の師」である御当代御法主上人を誹謗するなど、とんでもない虚け者であって、今生には不祥の災難多くして、死後には無量劫に亘って地獄に堕ちて苦しむ輩である。

つまりは、この「総別の二義」もまた、三宝義の中のB住持の三宝義をお示しなのである。

T君らは、「曾谷殿御返事」の「総別の二義」をどうも理解できていないようであるから、ここを再読再思してみたら如何か?

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19 法華取要抄文段

 

投稿日:2006/03/10(Fri) 14:03 No.2538 [返信]

 痴犬が足元でキャンキャン吠えているようだが、内容が全く空疎、もしくは破折されつくした内容を繰り返し遠吠えしているだけなので、法論内容の検証を先へ進ませていただこう。後々時間がとれたらかまって差し上げてもいいでしょう。

さて、またまた、T君面白いことを言い出している。
”あんまりしょうもないこというんで”なかなか「僧宝の一分」論へ辿り着けなくて歯痒い思いである。

今度は日寛上人の法華取要抄文段の

■「若し本因妙の信者は、信行具足の故に即ちこれ無作三身なり。故に御義口伝に云く「今日蓮等の類の意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり」等云云。また云く「無作の三身の当体の蓮華の仏は日蓮が弟子檀那等なり南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり」云云。当体義抄に云く「但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は乃至倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」云云。
 当に知るべし、蓮祖の門弟はこれ無作三身なりと雖も、仍これ因分にして究竟果分の無作三身なり。若し六即に配せば、一切衆生無作三身とはこれ理即なり。蓮祖門弟無作三身とは中間の四位なり。蓮祖大聖無作三身とは即ちこれ究竟即なり。故に究竟円満の本地無作三身とは、但これ蓮祖大聖人の御事なり。故に御義口伝に云く「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり」文。末法の法華経の行者、豈蓮祖大聖に非ずや。」

の中の、
■究竟円満の本地無作三身とは、但これ蓮祖大聖人の御事なり。

との御指南を引文して何やら喚いていたが、要は、「歴代上人は仏ではないやんか〜〜。」といいたいらしい。
当たり前である。誰も御歴代上人を仏宝そのものだなどと言ってはいない。
仏宝・法宝をその御内証に伝持されるが故に、御内証の辺は「三宝一体」と申し上げているのである。

本当に法門未熟の悩乱者には世話が焼けるものである。
まずこの悩乱者には、法門の立て方には、「内体」と「外相」との二つの筋道が存することが分からないのである。

@「内体」とは「内証」の体ということである。これは、「観心」と同義であり、ここにおける談道を「証道」という。
Aまた、「外相」とは「外用」の相をいう。これは、「教相」と同義であり、ここにおける談道を「教道」という。

日寛上人の『三宝抄』では、
 ▲「問う、三宝に勝劣有りや。答う、此須く分別すべし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり、故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に円仏と名づくと云う也。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。若し外相に約さば任運勝劣あり。」(歴全 四―三九二)

と、「三宝」が「内体」に約せば体一であるが、「外相」に約せば、おのずから勝劣があると御指南されている。
御歴代上人は、血脈相承をお受けになり、その御内証が「仏宝」と不二の御尊体にまします故に、その外用の辺を「僧宝」と申し上げるのである。

更に僧宝について論じれば、御本尊の御法体がそのまま@一体三宝(その一体三宝を仏・法・僧と三段に分かり易く示せばA別体三宝となる)であり、しかして、その御法体である@一体三宝をそのまま唯授一人・血脈相承されるが故に、歴代の御法主上人の内体に@一体三宝がおわしますのであり、歴代法主上人は外用の辺はB住持三宝の辺の僧宝であるが、御内証に@一体三宝⇔A別体三宝を御所持遊ばされる故に、内証の辺からみればやはり「三宝一体」なのである。

冒頭の日寛上人の御指南は、
「別しての血脈を元として、総じての血脈を受ける我ら衆生が、信心無二にして三大秘法の本門の題目を唱える時、そのまま「無作の三身の当体の蓮華の仏」となることが出来るが、しかして、それは所化分としての立場であって、真の能化、「究竟円満の本地無作三身如来」である御本仏は日蓮大聖人様お一人である。」との、総じての信心血脈の上での、修行とその証果において能化・所化の筋道・けじめをお示しであると拝するのである。

今回の論題になるところの三宝論とは、総別の二義のうち、別しての血脈の辺に於いての筋道を糺しているのであって、T君の引文は■「総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん。」との如くに、全くの的外れであり、法門の談道の筋道に惑乱しているのである。

やはりT君、信行学のいずれにおいても不足、不可、落第である。

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 20 再度 三宝抄  僧宝義

投稿日:2006/03/10(Fri) 16:39 No.2565 [返信]

次は以下の日寛上人『三宝抄』の御指南についてである。

▲「吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来、日目・日道、代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり」

T君らはこの御指南を引文して
▼「信仰の対象としての僧宝とは日興上人のみである。広義には僧宝とは歴代上人・一般僧俗も含まれるが、それはあくまで「信仰の対象」ではない。だから我々が法主上人を誹謗しても何ら問題はない」と主張したいようである。
これが御法門の一辺を見て全体が見れない僻眼の者、と呵責される愚かなところである。
単に愚か、というよりも邪心により正しく素直に大事の御法門を拝せないのである。
つまりは、信仰の対象と、尊信の対象に違いが分かっていないのである。

僧宝の三義について再々度詳述する。

まず法体には

@ 御内証の法体=一体三宝=日蓮大聖人様御一身に三宝が備わる
A 御化導の上の法体=別体三宝
・仏宝=日蓮大聖人
・法宝=戒壇の大御本尊
・僧宝=日興上人が他の五老僧とは別格の、唯授一人・血脈相承をうけられた「僧宝」であり、以降万年に亘る「僧宝」の濫觴としてのお立場を表す。

が存する。

このうちの僧宝について

@ 化導の上の法体としての「僧宝」
A 住持としての「僧宝」

との区別が存するのである。

大聖人、大御本尊、日興上人を三宝と申し上げるのは、「法体の三宝」としてなのである。

 しかし、■『仏宝法宝は必ず僧によりて住す』と大聖人仰せのごとく、法体の三宝が確立しても、それだけでは末法万年にこの三宝を伝えることはできない。
そこで「住持としての僧宝」の役割が重要なのである。

御歴代上人はこの「法体の三宝」を伝持されるが故に、尊信の対象なのである。
更にその時々の御当代御法主上人に随順し御指南通りに信行に励む御僧侶も僧宝の一分であり、更にその御僧侶に(末寺の指導教師に)しかと随順し、純真に信行に励み他を化する在俗もまた恐れ多いことであるが僧宝の一分に連なっているのである。

これが、冒頭の日寛上人の御指南の御心と拝するのであり、我々在俗の立場としては、
●法体の三宝の内の僧宝として日興上人を尊信し、更には一体三宝の法体を伝持される歴代御法主上人を尊信し、更にまた手続ぎの師匠であるところの所属寺院の指導教師であられる御住職を尊信するところに成仏の血脈が流れ通うのである。そしてそのような純真な信行に励む在家信徒もまた、その他の衆生を妙法へ引率するべき立場として、他の新入信者やまたは未入信者にとっては、尊信の対象となるのである。
僧宝義とはこのように開くのである。

T君ら創価学会員は、
▼「日興上人のみを僧宝として直接尊信しているのだから信仰上では全く問題なく、自分達こそ僧宝の一分である。」とでも思い上がっているようであるが、それはT君自らが引文した日寛上人の御指南の御心に真っ向から反しており、
日興上人⇒御歴代御法主上人⇒御当代御法主上人⇒所属寺院の御住職 との血脈の流れを無視・誹謗・背反・・・するT君ら創価学会員など、全く「僧宝」の一員ではない。のみならず、堕獄必定の大謗法の集団に過ぎない。

■「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。」
■「総別の二義少しも相そむけば成仏思いもよらず輪廻生死のもといたらん」

である。

ここでも、T君ら、信行学においてあまりにも邪信・邪行・邪学であり、全く不可。である。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 21 日達上人 御指南


 またまた、T君、大変な間違いを(もしくは故意に捻じ曲げたのか)平気でしかも滔々とまくしててる。

T君は以下の御指南を説明する中で、「日達上人は「歴代は僧宝ではない。」と明確に言っているではないですか!」
と大声で何度も言い切っているが、以下の御指南のどこに、「歴代は僧宝ではない。」との文や義があるのか。

T君、嘘はいかんね。嘘は。

ここは正式に謝罪すべきではないのか?
それとも創価学会青年部は、そういう礼儀礼節はもうどうでもいい、ただの謀略集団に成り下がったか?

日達上人・日顕上人も「歴代は仏宝ではない。」と仰せであって、僧宝であることを否定しているところは全くない。
妄執深くしてT君には文証を正確に読むことすら出来なくなっているである。
だから僻眼・愚痴・痴妄の者だ、というのである。

再度、心静かに、以下の御指南をよく拝し給え。
その後、謝罪文でも投稿したまえ。

日達上人
▲「要するに、人法一箇の御本尊を中心とするのが本来の本宗の行き方でございます。御本尊に於いて三宝相即であります。各自皆様方の仏壇に御本尊を安置して朝夕に信心を励む。それで三宝を敬っておる充分の姿でございます。」(昭和五十二年七月二十七日)

▲「我が宗の三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。それに対して日目上人は座主である。今云った通り、管領して、その大聖人の仏法を治めて行く、よく受取って治めて行く、即ち管領という意味を持って行くのである。統べ治める、そして統治をして行く。その日目上人の後は、皆筒の流れのように、それを受継いで行くにすぎない。だから本宗の考えは、広宣流布の時は日目上人の再現、出現だという意味をとっております。即ち日目上人が広宣流布の時の座主として再誕なされるとの指南であります。だから代々の法主が日蓮大聖人ではない。大聖人そのものと間違って書かれてよく問題が起きますが、その点ははっきりしてもらいたい。」(昭和五十二年五月二十六日)

▲「三宝はどこまでも、大聖人・日興上人・御本尊、これが本宗の三宝の立て方です。「法主が大聖人様の代わりだ」と、即座にこう云う事を云うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたいと思います。」(昭和五十二年五月二十六日)

日顕上人
▲「御先師が間違えないようにきちんとお示しくださっておることでありますが、六巻抄の『当流行事抄』の最後に本門下種三宝≠フ御指南があります。そこにおいては、人即法の大曼荼羅本尊が法宝であり、法即人の本因妙の教主・日蓮大聖人が末法下種の仏宝であり、そしてこれを正しく血脈のうえに伝受あそばされて、末法万年弘通の基を開かれた二祖日興上人が僧宝であらせられるということにつき、教道のうえに本門下種三宝をきちっと立てられてあるのであります。ですから日興上人といえども、その唯我与我の御境界のなかにおいての御本尊の御内証という意味に約しては大聖人と一体であるけれども、その尊信のかたちとしての仏・法・僧の三宝といううえからするならば区別があるのであり、仏宝と僧宝とはおのずから違うのです。すなわち、仏宝は大聖人ただお一人であり、日興上人がすでに僧宝のお立場であらせられるのであります。」(昭和五十八年三月三十一日)

▲「その僧宝ということをもう少し広く解釈すれば、歴代法主がその一分に加わるということもいえるでしょう。さらに広くいえば、日蓮正宗の正しい筋道によって出家得道した教師あるいは学衆等においても、正しい仏法を受持信行するかぎりにおいて、僧宝ということがいえるのであります。もっと広くいうならば、一切衆生のなかで正法を受持信行し、一分でも他に随力演説していく人達は僧俗ともに僧宝であるということができます。しかし基本においては、日興上人をもって僧宝の随一として拝するわけであります。そういうところからするならば、歴代法主は僧宝以下の立場であって、それを軽々しく仏様だ、仏様だというような表現は、少し言い過ぎであると私は思っております。」(昭和五十八年三月三十一日)

因みに痴犬が騒ぐ前に釘を刺しておくが、(痴犬は長文が読めないらしいから、心配はないかもしれないが、愚かな学会員には以下の恥問を言い出す者もいるので念のために明確にしておく)

「以下」
=「代表となるものを含んで、それに関連するすべてのもの。例「校長(以下)教職員一同」」

であるから、「僧宝以下の立場」という御言葉は、「仏宝ではない。」との御心である。

――――――――――――――――――――――
 22 内証 と 外用

 

投稿日:2006/03/12(Sun) 12:27

裁判の和解についての投稿が賑やかである。
今回の聖教新聞の記述及びそれ以降の投稿内容と、投稿者(匿名も含む)に対する対応の件については、弁護士と相談の上今後対処することとして、目下の課題を進むこととする。

創価学会側の繰り返し繰り返しくどくどしく言いたいことは、以下の邪説に総括される。
(T君ら学会側がしつこく綿々と邪説を繰り返すので、その僻執し惑乱した頭には、こちらも繰り返し教え込まなくてはいけないようである。
聡明な読者にとってはあまりに同じ内容の繰り返しに見えるかもしれないが、同じことでも違う角度から説明することによってその全体と本質が見えてくることもあるので、いま暫くご辛抱願いたい。)

▼創価学会の邪説―――――――――――――――――――――――――――――――――――+

法主とは「管領統治する座主」
法主の地位について日達上人は、宗門組織を「管領」「統治」する「座主」という組織上の責任者の立場であり、「大聖人ではない」と明快に述べられている。
          
■「我が宗の三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。それに対して日目上人は座主である。今言ったとおり、管領して、その大聖人の仏法を治めていく、よく受取って治めていく、すなわち管領という意味を持っていくのである。統べ治める、そして統治をしていく。その日目上人の後は、みな筒の流れのように、それを受継いでいくにすぎない。
……だから代々の法主が日蓮大聖人ではない」(昭和52年5月 寺族同心会での日達上人の説法)
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

【創価学会に対する破折】

日達上人のお言葉をねじ曲げる学会の主張

 創価学会は日達上人のお言葉をねじ曲げて、法主は「組織上の責任者の立場」であることだけを強調している。

 仏法、とりわけ日蓮大聖人の教義においては

@内証と
A外用の

立て分けが肝要である。

宗祖日蓮大聖人も

A外用は上行菩薩の再誕、
@内証は久遠元初の仏

であられるのと同様に、代々の御法主上人においても
@外用と
A内証との

立て分けをもって拝することが大切なのである。

 引用の日達上人のお言葉は、
『日興跡条々事』
■「大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し……」

のご文について説明をされたものであり、日興上人の跡を継がれた日目上人が一宗を運営し、統治管領するという組織上のお立場にあることを述べられている。

 しかし、日達上人は法主上人の@ご内証について、

■「大聖人様が広宣流布の時の大導師日目上人様として、第三代を継いで現われたのが猊座であります。(中略)そこが大聖人様のお席である。だから大聖人様は、あの席に常に生れ替っている」とも

■「広宣流布の暁には、日目上人が再誕するという、昔からの伝統の相伝があります。これはすなわちそれを意味するので、だからいつでもその時の法主は大聖人様のお仕事をつかさどっておる」

ともご指南されているのです。

 これらのことからも日達上人のご指南には、

A外用の面から「代々の法主が日蓮大聖人ではない」と仰せられる場合と、
@内証の面から「大聖人様は、あの席(猊座)に常に生まれ替っている」と仰せられる場合とがあることがわかる。

そのゆえに、創価学会が引用した日達上人の御説法の締めくくりには、
■「法主が大聖人様の代わりだと、即座にこういう事を言うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたい」と仰せられている。

 この文の「即座に」の言葉をよくよく拝すべきである。
すなわち、日達上人は@内証とA外用を具えた血脈に関して、ただちに@内証の面のみを強調することは誤解を招くので注意を要するとご指南されたのであって、けっして御法主上人の@内証が日蓮大聖人であるとする本宗の教義を否定されてはいないのである。

 日達上人のお言葉の一部分のみを強調して、歴代法主上人をおとしめようとする創価学会は、まさしく日達上人に対する忘恩の徒というべきである。
―――――――――――
T君ら創価学会員はいい加減、歴代上人を僧宝と(@内証は一体三宝を御所持されるが故に三宝一体、A外用は住持の三宝の内の僧宝)素直に認めたら如何か?
もし、御歴代を上記の如く認めないとしたら、日寛上人は僧宝でも何でもないのであろう?
では何故、創価学会では第二十六世日寛上人の御書写の御本尊を帰命依止の対象として尊崇するのか?
もし僧宝でない人が書いた本尊でもいいというなら、本尊は誰が書いてもいいのではないか?
だとしたら態々、日寛上人の御本尊を担ぎ出さなくてもいいのではないか?

↑こういう単純な大矛盾を痴犬はよく考えたことがあるのか?
やはり犬ぐらいの頭では無理か?

(実は答えは明瞭である。

1、創価学会という団体が破門され、御本尊下付いただけなくなった。
2、学会幹部は、正直困った。
3、そこに脱落僧の寺院に日寛上人の御本尊が格護されていた。
4、大幹部、これはしめた!と思った。
5、日寛上人なら創価学会員の敬愛の情は濃い。この複製なら学会員を騙せる。
6、ところが、日顕上人を否定しているうちに、歴代上人も否定しなくては論理破綻してしまう結果となってしまった。
7、すると日寛上人の御本尊を担ぎ出した論理まで破綻してしまうことになる。しかも、この本尊にしてから深刻な罰(自殺・精神障害・倒産・家庭崩壊・重大事件・事故等)が出てきているようだ・・・
8、今後、本尊をどうするか、実は今大弱り。
9、池田さんに書いてもらうには、かなり問題あり。(造反大幹部もかなり居ることだし・・・)
10、大聖人御真筆をどこぞから購入してそれの複製でも作るか・・・・
11、それとも大聖人御真筆から切り貼りして新たな本尊を偽造して、「これぞ大聖人様の御本懐である」とでもいってぶち上げるか・・・・

これが、創価学会の本尊雑乱の裏事情であろう。今後、9・10・11のどれかに向っていくだろうから、楽しみである。
が、こういう裏事情も知らず、創価学会を盲信させられて日夜学会活動に勤しんで悪業を積んでいる中堅以下の学会員こそ哀れである)

 

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23 僧宝の一分

 

投稿日:2006/03/13(Mon) 14:23

いよいよ、痴犬たちお待ちかねの「僧宝の一分」論議である。

『三宝抄』
■「予が如き無智無戒も僧宝の一分なり」

この日寛上人御指南についてT君らの「この僧宝の一分の「一分」でなんや?」との問いに、黄倉氏が「それは謙遜の意」と答えたのを奇貨として、盛んに嘲笑い騒いでいたが、T君らは自分たちが言っていることの意味が本当に分かっているのか真剣に訊いてみたくなるような錯乱した箇所である。

T君らは
日蓮正宗宗務院監修『松岡幹夫の傲慢不遜なる十項目の愚問を弁駁す』日蓮正宗青年僧侶邪義破折班の
3 『三宝抄』の三宝一体義について≠フ正義を示す
にある以下の文を以って「謙譲の意」という黄倉氏の言を否定する。
しかもしっかりと音読までしてである。

●「日寛上人が御自身を「僧宝の一分なり」と仰せられたのは事実を述べられたのであり、何も謙遜表現ではない。先に指摘したように、『三宝抄』の中で日寛上人は、日興上人を「僧宝の首」であると仰せられ、そしてさらに日寛上人御自身も「僧宝の一分」であると述べられるのである。これは日寛上人御自身が僧宝の中に加わっていることを明確に主張された御指南である。」

しかし、この引文の意自体が、「僧宝には日興上人を随一として歴代上人全てが含まれる。」という内容であり、T君らの痴論を真っ向から破折している内容なのである。

対論相手の揚げ足を取るために、何が何でも対論相手をやり込める為に、夢中に引文し、大いに騒いだ文証それ自体で自らの立論を破られている。しかも、そのことに全く気がついてない。
(最近の痴犬の書き込みを見ると、この馬鹿馬鹿しい矛盾が未だに分かっていないようで、まだ誇らしげに自慢している。)
こういう狂態をまさに”頭破作七分の悩乱者”というのである。

しかも、一分には以下の両意があり、黄倉氏の「謙遜の意」との意味もある種正論なのである。

いち‐ぶん【一分】

@ ごくわずかな部分。
A 同じものとしてみること。同様。

@として拝せば、まさに謙遜の意となり、
Aとして拝せば、日寛上人も僧宝そのもののお立場、との意となる。

しかも、その両意どちらでも、「日寛上人御自身が僧宝の中に加わっていることを明確に主張された御指南」なのである。
上記の邪義破折班の論文はこのAに主体を置いての主張であるので、「謙遜表現ではない」と論述されているのである。

更に、論及すれば、
@として拝せば、住持三宝の内の僧宝としての、「外用の辺」を仰せと拝せるし、
Aとして拝せば、三宝一体の「内証の辺」を仰せと拝すことが出来る。

しかしやはりいずれにせよ、「日寛上人御自身が僧宝の中に加わっていることを明確に主張された御指南」なのである。

T君ら大騒ぎした割にはお粗末である。
もし、この自らの主張を否定するこの論文を引用するのであれば、自らの主張を取り下げなければならないことになるが、如何か?
京都・奈良辺りの痴犬らも同様だがどうか?

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 24 布教の人数 

 

投稿日:2006/03/13(Mon) 16:25 No.2771 [返信]

そしてT君は言う。
▼「そんなことだから妙観講も日蓮正宗も人数が増えていないやんか」
その裏返しに「創価学会はこんなにも世界に増えている。だから正しい」と言いたいのである。

自分が引用した引文で自分が破折されているのに気がつかずに「ようゆわはりますわ〜」である。

しかしこの妄論には多くの学会員がとり憑かれているようなので、ついでだから破折しておく。

1、末法における広宣流布は至難であることは諸所に説かれている。
その一例を明かせば、

■「一闡提と作らず、善根を断ぜず、是くの如き等の涅槃経典を信ずるは爪上の土の如く、乃至一闡提と作り、諸の善根を断じ、是の経を信ぜざる者は十方界所有の地の土の如し」已上経文。此の文の如くんば法華・涅槃を信ぜずして一闡提と作るは十方の土の如く、法華・涅槃を信ずるは爪上の土の如し。」147

法華経=三大秘法=一大秘法=戒壇の大御本尊 である。
この末法の法華経=戒壇の大御本尊を信ぜず(身において参詣し、口に戒壇の大御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え、意に戒壇の大御本尊を渇仰する、ことが真の”信ずる”行体であり、これを行じないことが、信じていない、ということである)、無間地獄行きの一闡提人となる者は、あたかも世界190カ国にまで法を広めた(=成仏の功徳のない”ニセ本尊”を広めた)と豪語する創価学会を筆頭として、大地微塵の如くに多数であるが、真の意味で末法の法華経=戒壇の大御本尊様を信ずる者は一すくいの爪の上の土の如くである。
―――――――――――
2、三大秘法を広めることが「広宣流布」である。
本門の戒壇において本門の本尊に本門の題目を唱えることが三大秘法が整足している姿である。
(その場合、勿論のことであるが唯授一人・血脈相承を御所持の御法主上人の大導師(または御代理)の御許での唱題でなければならないことは言うまでもない。)
本門戒壇の大御本尊の御前で御法主上人の大導師の許で唱題することが三大秘法が整足している信行の枢要である。
この信行の姿を欠いて三大秘法は成立しない。

本門戒壇の大御本尊の御前で唱題できない者をどんなに増やしてもそれは広宣流布とは呼ばない。
創価学会員は本門戒壇の大御本尊を拝めないのであるから、その者達には三大秘法は全く成り立たない。
三大秘法が成立しなければ成仏は絶対出来ない。
創価学会員は成仏できいない宗教を信じている謗法者である。
そういう謗法者たちが幾ら増えてもそれを「広宣流布」とは言わない。
―――――――――――
3、■ 今謂わく、嗚呼我慢偏執抑何の益有りや、富士山を以て本山と仰ぐべきこと文理明白なり。一には富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり、故に本門寺根源と云うなり、弘の一の本十五に云わく「像末の四依、仏化を弘宣す、化を受け教を禀く、須く根源を討ぬべし、若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」云々。宗祖の云わく「本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」等云々。既に是れ広布の根源の所住なり、蓋ぞ本山と仰がざらんや。」

本門戒壇の大御本尊所住の総本山を尊仰しない輩が幾ら増えてもそれは謗法者が多くなっただけのことであり、その者たちが崇めているものは、表向き当宗の御本尊に擬したただの掛け軸(それどころか魔・鬼が住み着いている)であって、そんなものを幾ら販売しても「広宣流布」とは決して言わない。
―――――――――――
4、■善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし。572

如何なる尤もらしい理由があろうとも、末法の”法華経”である戒壇の大御本尊様から離れることは地獄の業である。
そんな邪な考えを広める団体がどんなに増えようともそれは「広宣流布」ではない。

依って「広宣流布」などとは全く縁のない新興邪宗教・創価学会の一員に、正系門家の清浄な「広宣流布」の進捗状況を云々される謂れは全くない。
例えば、霊友会という謗法団体の会員に、「あんたのとこの布教は何故進まないのか?」と訊かれても、痛痒も感じないし、むしろその謗法を呵責するのみであるのと同様である。
―――――――――――
5、ただ数が多いことを以ってそれが正しいとは言えないことなど子供でも分かる原理である。

■世間・出世善き者は乏しく悪き者は多き事眼前なり。然れば何ぞ強ちに少なきをおろかにして多きを詮とするや。(中略)汝只正理を以て前とすべし。別して人の多きを以て本とすることなかれ。

T君ら人数を恃む軽薄な創価学会員への大聖人様の痛烈なお叱りである。謹んで拝したまえ。

■「悪き者は多き事眼前なり」
「悪しき者」創価学会が、我々の「眼前」で広めているものはニセ本尊で大謗法なのであるから、まずそれを徹底的に呵責するのみである。

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 25 観心本尊抄

 

2006/03/14(Tue) 11:42

またまた、T君、頭破七分の悩乱、しかもいよいよ法門未熟である。

日寛上人の「予が如き無智無戒も僧宝の一分なり」のお言葉を、T君らは「日寛上人=歴代上人は僧宝の”端くれ”、ほんの少々僧宝の意義を持つ。程度の意味である」と主張したいがために、この「一分」とは御書にどのように使われているか。として何と!観心本尊抄の
■「無顧の悪人も猶妻子を慈愛す、菩薩界の一分なり。」を引文して、全体は悪人の中にもほんの少しの菩薩界が存在する、という意味での「一分」である。と主張する。
大聖人様が例えられた言葉上の意味とすれば一面正しいと言えるかもしれないが、再往、法義から見ればやはり、半可通の法門未熟者である。

もともと、この段は、十界互具の法義を信ぜしめるために、世間一般的な姿を以って敢えて例えられたところである。

■ 問うて曰く、六道に於て分明ならずと雖も、粗之を聞くに之を備ふるに似たり。四聖は全く見えざるは如何。答へて曰く、前には人界の六道之を疑ふ、然りと雖も強ひて之を言って相似の言を出だせしなり、四聖も又爾るべきか。試みに道理を添加して万が一之を宣べん。所以世間の無常は眼前に有り、豈人界に二乗界無からんや。無顧の悪人も猶妻子を慈愛す、菩薩界の一分なり。但仏界計り現じ難し、九界を具するを以て強ひて之を信じ、疑惑せしむること勿れ。法華経の文に人界を説いて云はく「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」と。涅槃経に云はく「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名づけて仏眼と為す」等云云。末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり。

外面に於いては自らの非道を顧みることなどない悪人に、他を慈愛する菩薩の境界があるなどとは信じられないが、そういう大悪人でも自らの妻子を慈しむのであるから、これはまさに菩薩界の「一分」である。これを以って、外相は不浄・濁悪の凡夫である我が身にも仏界があることを信ぜよ。
という意義であり、この例えは十界互具の法義を示された箇所である。

また、その法義の原理から、外用・内証との法義も現れ、その意味からこの御文は、日寛上人の仰せの「予が如き無智無戒も僧宝の一分なり」のお言葉にも通じるのである。

外用に於いては無智無戒である我も(日寛上人⇒歴代上人)、僧宝の「一分」(少々、ほんのわずか)の役割を担っている。僧宝の立場である。しかして、その僧宝の意義はどこから生じるかといえば、内証に唯授一人・血脈相承された法体と一体不二の一体三宝の意義からである。(この意味における「一分」は=同じものとしてみること。同様。となる。)

先の例で言えば、元来生命自体に菩薩界そのものが内包されているから、「無顧の悪人」と見えるような者でも、「妻子」という縁に触れれば、菩薩界が生じるのであり、妻子を慈愛しているその瞬間はまさに菩薩界そのものなのである。それが十界互具の法義であり、実相である。

内に僧宝そのものの義がなければ外にも僧宝の「一分」すら現れるはずもないのである。

その内証の僧宝の意義を仰せになった御指南が、
同じ「三宝抄」に
■「亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。」
■「吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来、日目・日道、代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり」
と示され、また『当家三衣抄』には、
■「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提の座主、伝法日目上人師、嫡々代々の諸師。此くの如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え、乃ち一子を過ごすべし」
と示されるのである。

また、この三宝一体の義は、既に御書に明らかである。

■「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。」

日寛上人が大聖人様の仰せに反した教義を述べる訳が無い。
また、住持三宝義は以下の御文に明瞭である。

■仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。(中略)然るに末代の凡夫、三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成ぜん。

もし、T説が正しいとするならば、日寛上人は自ら「自分=歴代上人など僧宝の端くれ程度ですよ。」とだけ主張されたことになる。
が、その反面日寛上人は「唯授一人・血脈相承・法水写瓶された方は仏宝・法宝と一体ですよ。日興上人以下歴代は全て僧宝ですよ。」とも仰せになっている。
勿体ない例えではあるが、T説を取ると、日寛上人は”主張がくるくる変わる狂人”ということになってしまう。
しかも、T君ら創価学会員は、その”主張がくるくる変わる狂人”が書いた御本尊を拝んでいる、という、理屈になってしまう。
T君がその邪見を翻し、改心しない限り、この自家撞着から逃れられない。

もちろん、当たり前すぎるほど当たり前であるが、日寛上人が”主張がくるくる変わる狂人”である訳は絶対になく、やはりT君らが邪心・邪信・邪学なだけである。

しかも、つい先ほどまでは、黄倉氏の「謙遜」との言質を嘲笑う為に、
●「日寛上人が御自身を「僧宝の一分なり」と仰せられたのは事実を述べられたのであり、何も謙遜表現ではない。先に指摘したように、『三宝抄』の中で日寛上人は、日興上人を「僧宝の首」であると仰せられ、そしてさらに日寛上人御自身も「僧宝の一分」であると述べられるのである。これは日寛上人御自身が僧宝の中に加わっていることを明確に主張された御指南である。」と引文して、「歴代上人が僧宝であることを明確に主張された」論文を依用しているのである。

こんな自語相違はあるまい。
繰り返すがこういう状態を頭破作七分といい、既に大罰の現証である。    
いよいよ、今生・後生を恐るべきである。

 

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 26 別体三宝の奉安形式


投稿日時:2006/03/14(Tue) 14:40

結局、T君はまたも我見をゴリ押ししてくる。

自分が外用・内証の御法門の一片を見てその深い全体観を領解できないくせに、またもくどくどしく以下の日達上人の、昭和五十二年五月二十六日の寺族同心会においての次ような御指南を引文する。

■「我が宗の三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。それに対して日目上人は座主である。今言ったとおり、管領して、その大聖人の仏法を治めていく、よく受取って治めていく、すなわち管領という意味を持っていくのである。統べ治める、そして統治をしていく。その日目上人の後は、みな筒の流れのように、それを受継いでいくにすぎない。だから本宗の考えは、広宣流布の時は日目上人の再現、出現だという意味をとっております。すなわち日目上人が広宣流布の時の座主として再誕なされるとの指南であります。だから代々の法主が日蓮大聖人ではない。大聖人そのものと間違って書かれてよく問題が起きますが、その点ははっきりしてもらいたい。ただ三宝をお守りする座主、日目上人は永代の座主、広宣流布の時の座主、それを忘れてはいけないですね。だから客殿のあの座席、法主のあの座席は目師の座席なのです。真中に御本尊、向って左は大聖人、右は日興上人、目師がそれをお守りしていくと、その座が目師の座、今の管長の座は目師の座です……三宝はどこまでも、大聖人・日興上人・御本尊、これが本宗の三宝の立て方です」

T君ら学会側はここでもくどくどしく言いたいのは、
▼「歴代の法主は三宝への取り次ぎ役に過ぎない。すなわち、三宝以外、三宝以下と定義している」と言うことである。
しかし、これは客殿の別体三宝の奉安形式による日目上人のことを言われたのである。
日達上人のこの御指南は、形式の上からの御歴代御法主上人の御役目を言われたものであり、そこに具わる深意と、その元の意義を略されているのである。

日達上人は、客殿における別体三宝の奉安形式と猊座に関して、このほかにも種々御指南であり、けっしてT君ら学会側が引用した御指南だけに限らない。
むしろ、もっと深い御相伝の意義からの御指南がいくつもあらせられる。
例えば、
■「大聖人様の前に猊座を作ります。私がまあ坐らしていただいておりますが、その猊座というものは、大聖人様の生れ変りを現わす意味なんです。大聖人様が常在、常にここにいらっしゃるということを現わすところの猊座であります(乃至)だから本宗の信心として、信仰として広宣流布の暁には、日目上人が再誕するという、昔からの伝統の相伝があります。これは即ちそれを意味するので、だからいつでもその時の法主は大聖人様のお仕事を司っておる」(大日蓮 昭和四七年一月号五七q挧
まさに、日蓮正宗伝統の御相伝による甚深の意義を披瀝された御指南と拝するものである。

この御指南を黄倉氏が引文した時、T君は▼「それは御本尊書写のことに関してでしょ?」と、全く何の根拠も、文証も、脈絡もなく言い切っているが、それこそ、浅見・浅識で以って我見・邪見を弄ぶ驕慢謗法の輩の言である。

客殿における猊座とは、日目上人の座において読経・唱題する歴代の御法主上人が、三宝一体の内証に基づく僧宝の立場をもって、法宝の御本尊、仏宝の大聖人、僧宝の随一たる日興上人を拝し、取り次ぐ姿を表すのである。
故に、御法主上人の御内証から拝するならば、その座は、T君ら学会側の言うような、単なる「取り次ぎ役」の座る場所ではなく、唯授一人の血脈相承によって法体を伝持し、下種三宝を守護するという御法主上人の立場を示す重大な意義が存するのである。

だいたいT君ら学会側は、客殿のこの座配が、そこに安置の譲座御本尊に由来していることを知っているのだろうか。
純真な信心をもって客殿の御宝前を拝すれば、奉安の譲座御本尊の深意よりする日目上人の座が、勤行の際の御法主上人の座であるということを正しく領解できるはずである。

譲座御本尊は古来の名称であり、日興上人が大石寺御法主上人の座を日目上人へ内付し、御本尊の御内証に導き入れて、御法主として御本尊の書写を許した証拠の歴然たる御本尊であらせられる。
故に、御本尊中において日興上人が御相伝を受けられた意義をもって、御自分が御署名される所へ、他に類例のない、「日目 授与之」を書き示されているのである。

そして、日目上人以下御歴代上人の御本尊書写に当たり、代々御署名の位置は御本尊郭内の、中央の「日蓮在御判」の御左側、すなわち、日興上人の書き示された位置に一定しておられる。
すなわち、日目上人以下御歴代上人は、僧宝の随一たる日興上人に継ぐ僧宝の位なのである。

もしそうでなく、T君ら学会側の言うとおりなら、御本尊書写に当たり、中央の「日蓮在御判」の御左脇に「日興、日目」と書いて、その下に御歴代上人が御署名せぬばならない道理である。
そのことなく、日興上人、日目上人の御名を書かず、直ちにその所に御歴代上人が御署名する意義こそ、歴代の御法主上人が、三宝一体の御内証に基づく僧宝の御立場である。という意義である。

故に、日目上人の座たる客殿の御法主上人の座は、僧宝の随一たる日興上人に継ぎ、代々、”もぬけられた”僧宝の意義をもって取り次ぎをなしていると拝するのである。

今、T君ら創価学会員には、まるで「僧宝」の義の欠片すらない、そういう惨めで、邪悪な立場に於いて、日蓮正宗の正統な僧宝義を云々すること自体、思い上がりも甚だしい、というものである。

 

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 27 両巻抄

 

投稿日:2006/03/15(Wed) 12:20 No.2965 [返信]

最後にT君、百六箇抄・本因妙抄について、何かと難癖をつけていたが、ここで完摧する。

T君ら創価学会側は、「富士宗門史」の中の、日亨上人のお言葉

■「日時上人の書かれた本因妙抄のお写しが大石寺にある」
■「たヾ残念なのは、百六箇抄が本山に残ってない。本因妙抄が残っているから、百六箇抄もむろんあつたに違いない。本山でもですね、あの時代は直接の法門に関係あるものは大事にしたか知れませんけれども、そういう難しいものは、平常は使わない。大事にしすぎて使わないでいて、なくなったかしらんと思う。あまり大事にすると、しよっちゆう、みないんですからね、いつかしら見ないうちに無くなってしまう。大事にして、しょっちゅう、写し、写ししているといると、どっかに転写本がありますけれども。写しもしないで大事にどっかに、しまっておくというと無くなってしまう。」

を引文して、▼「大石寺には百六箇抄・本因妙抄の、大聖人御真筆はない。」と言い切る。
確かに、上記の日亨上人のお言葉からすれば、その通りであるかも知れない。
しかし、創価学会側が主張したいのはそれだけではない。
つまり、
▼「百六箇抄・本因妙抄は、御真筆が無いだけではなく、要山系から逆輸入されたものであり、全く信用するに足らない文書である。だから、この書の、しかも後加文である、
■「但し直授(じきじゅ)結要(けっちょう)付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」
を根拠に、歴代上人を僧宝として拝信することなど、到底出来かねる。」
概ね、こういうことであろう。

では、これも既に言い尽くされていることではあるが、その日亨上人御自ら、

■「日辰上人・日我上人等古写本に依って之を写し一校を加へ、後加と見ゆる分の中に義に於いて支吾なき所には一線を引き、疑義ある所には二線を引いて読者の注意を促す便とせり。』

とおおせの如く、要山・房山系の「百六箇抄」に一線・二線の便を施されておられる。
では、この一線・二線のない箇所は、一体どういう御文と考えたらいいのか?

この件について日顕上人の大変貴重な御指南があるので謹んで引用させて頂く。
―――――――――――
■「この所で彼等は『百六箇抄』の後加文について色々言っています。まず、「支吾」という語についてのお笑い草を一言しましょう。
 彼等は、「支吾」とは「枝梧」が正しいなどと言っているが、支吾と枝梧は同義であり、その意味は「ささえる」「さからう」「ごまかす」等の意であります。
したがって、日亨上人が仰せの「義に於いて支吾なき所」とは、彼等が言うような「ひっかかりがない」などという軽い意味ではなく、はっきり、義において「支障なき所」「抵抗なき所」等と解すべきであり、法義において正しい所に一線を引かれたのであります。
 ですから、日寛上人も『六巻抄』等において、この傍線部分の所をしばしば引用せられ、法義の正当性を闡明、かつ、強調されているではありませんか。

(中略)

 要するに、日興上人より日尊師に対する、正和元年十月十三日の『百六箇抄』に関する付嘱の記事は、日亨上人が二線を引かれて疑義を呈しておりますが、与えてこれを採るとしても、その以前において『百六箇抄』を含めた一切の法門相承書は、唯授一人の付嘱に伴って日目上人へ当然、授与されているのです。
日興上人は、日尊師の弘通の功績を認められつつも、それ以上に日目上人の弘通の功績を賞しておられます。
かつ、日尊師は日目上人の弟子として富士へ上り日興上人門下に列したのだから、正和年間に日興上人より日尊師に授与されたと言われる『百六箇抄』が、それ以前に日目上人に伝えられていることは理在絶言です。

 その後、日尊師より要法寺系統へ伝承された同抄について、その一門の書き加えがあっても、それ以前の書き加えとはおのずから異なるのです。
つまり、書き加えのなかでも、本末、軽重があることを見る目もないのが、素人・創価学会の浅ましさです。
故に、日興上人より日目上人、さらに正系への伝承に付嘱相承に関する中心・根幹が存するのであり、富士の僧俗が要法寺の血脈を受けることなど、あろうはずもないことです。
 故に、これらは、文書伝承の筋道を正しく拝する力もない、創価学会の誣言に過ぎません。

 要するに、この所における創価学会の悪口の主意は「この文が『百六箇抄』の後加文である。
あとの時代のだれが書き込んだか判らない言は基準にしてはならない、拒否せよ」というのであります。
しかし、この文の後加か否かに関わらず、また、文の位置も、その意義も確かめず、まさしくこの文の趣意をもって日有上人も日亨上人も仏法の正義の伝承を明らかに説かれているのを「拒否する」とは、まことに厚顔無恥な輩です。
その日有上人や日亨上人が示された文を、創価学会はいつでも切り文にして隠しているが、事実は白日の如く、隠し通せません。

(中略)

さらに言えば、この文は、
 ■「已上種の本迹勝劣畢んぬ」(御書一七〇二)
の文の直後であり、日興上人門下の最も基本の事柄を述べた部分であります。
―――――――――――
更に、以下の御指南も極めて重大である。
―――――――――――
■「『本因妙抄』『百六箇抄』の書き加えには、この書が日興上人から日目上人というように、ただ一人に宛てて相承されたものではなく、実質上、そのほかの器用の弟子等にもこれを披見せしめていることが明らかです。これについては、皆さんも御承知と思います。したがって、『本因妙抄』『百六箇抄』が直ちに唯授一人の相承の内容であるということはいえないのであります。

(中略)

 この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、 身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。

(中略)

金口の内容において深い仏意の上から、文書としての金紙が存するのであります。

(中略)

この金紙は、簡単に申し上げれば、文献ということであります。しかし、当然、この文献とは、いわゆる『本因妙抄』『百六箇抄』ではありません。文献といっても、これは金口の文献でありますから、金口のなかにすべて含まれるのです。

(中略)

もちろん、大聖人様から日興上人様への相承は金口であります。しかし、日興上人様も大聖人様の御講義を『御義口伝』として記し置かれたように、やはり唯授一人の金口の内容を御自身の御境界においてお示しになったものが存するわけです。それが、すなわち金紙であります。したがって、金紙そのものが金口の意義を持っておるのです。
―――――――――――

以上の重大で貴重な御指南を併せ拝すれば、自ずと領解できるのではないだろうか。

つまり、要山・房山その他へ相伝された、いわゆる「百六箇抄・本因妙抄」の元となる甚深の御法門は「金紙」として、まさに日興上人より唯授一人で日目上人に御相伝されており、その「金紙」は大石寺、なかんずく、御歴代上人にのみに伝わるものであり、日亨上人はその御相伝を御所持される御立場から、要山・房山系の両巻相承書の内容を閲し、無線・一線・二線の縦分けをされたと拝するのである。

であるから、創価学会側が言うように、両巻抄の御真筆があるか、ないか、ということは全く問題ではない。
大聖人様からの金口の御相承が日興上人お筆の金紙として唯授一人・金口嫡々・血脈相承されて歴代上人が御所持され、伝持されておられることが、真に有り難い極みなのである。
このことこそ、まさに信を以って拝さなければ全く領解できない、成仏の要諦なのである。

ここの御大事へ、池田大作らの魔王・魔軍らに誑惑されて、正信の清浄な心を奪われ、謗法の邪心に汚染された根性で邪推し邪難を吐きかけている創価学会員らは、このまま改心しなければ、未来永劫に成仏など思いの外、無間地獄へ沈倫することとなるのである。
よくよく恐るべきことである。


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京都・奈良辺りの痴犬を駆除する。再開1  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月13日(火)11時13分0秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

まだ、京都・奈良辺りの痴犬がうろついているようである。
このゴミの掃除からはじめますか。
―――――――――――
Re: ほととびす完全敗北 口ほどにもないヘナチョコやのぅ〜

> 前号のつづきで、「三宝論」についての法論の始まり、はじまり〜ぃ。
>
> 以下、T=「日蓮正宗信徒・津村氏」S=「学会青年部のO氏とN氏」
>
> T「創価学会の三宝は?」
> S「仏宝は日蓮大聖人、法宝は一閻浮提総与の大御本尊、僧宝は日興上人のみ。会則通りです。
>
> 津村氏は「僧宝に歴代法主も含まれる」との理論展開をするが、学会青年部が
> 「日蓮正宗の宗規には、僧宝は日興上人としか書いてない」というと、津村クン、
> 歴代法主が僧宝に入るという文証が出せずに、いとも簡単に困ってしまったようだ。
>
(中略)

> 津村クンは、誰に聞いたのか分かりませんが、
> 当家三衣抄(六巻抄P251、12行目〜P252、5行目)を出してきて
> 「これが文証です。」と言った。
>
> S「ではまず、三宝とは何ですか?尊信の対象ですよね。あなたの出した文の中に
>  日蓮大聖人、日興上人の上には南無の文字がありますよね。
>  しかし、日目上人の上には南無があるの?」
> T「ないよ」
> S「尊信の対象になっていないですね。」
> T「しかし、私は、歴代法主が僧宝に入ると教えられているから・・・」
> S「文証がないんですね。裏付けがないのでは盲信ですよ。」
> T「確認します。」

(中略)
>
> S「早く歴代法主が僧宝に入るという文証を出してや〜!早く聞きたいなぁ〜!
>  なんで、日目上人の上に南無が無いのかな〜?」
―――――――――――
↑まずこの辺で切りますか。

あいも変わらずの低劣・愚能である。
京都・奈良辺りの創価学会ではやっぱり時間が止まっているのか?
既に完全に粉砕され、当掲示板から遁走した内容ではないか。呵々大笑

■『一、日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。 』

これほど明確に御歴代上人が「僧宝」であるとの義を示されている。(類文多数であるので煩雑を避け今は略す)
これほど赫々たりの文証が読めないとしたら、元々極悪因縁によって、ただの馬鹿か、それとも極悪謗法の害毒で僻眼となって、物事が正確に見れない、だけのことである。
後者であれば『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』である。

 

京都・奈良辺りの痴犬を駆除する。再開2  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月13日(火)12時10分48秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

つづき

> 津村クン、今度は「四恩抄(御書P938、11行目)」を引用し
> T「もし、日目上人以下が僧宝に入らないと、日興上人で法脈が途切れてしまうでは
>  ないですか。この御文通り、嫡々と伝わっているのです。」
>
> S「では、この四恩抄の『僧』が歴代法主であるという定義を示してください。」
―――――――――――
↑この御文は
■1「仏宝法宝は必ず僧によりて住す」

しかし、京都・奈良辺りの痴犬、本当に馬鹿である。

【文証】

■2【百六箇抄】(1702)
但し直授(じきじゅ)結要(けっちょう)付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。

■3『本因妙抄』
「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし」(新編一六八四n)

■4 「一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。」

【道理】

@ ■1の「仏宝・法宝」とは戒壇の大御本尊に究竟される。
A 戒壇の大御本尊は日興上人にのみ御相伝され、そのまま日目上人へ相伝された。(■4)
ここに、

釈尊
→上行菩薩(再誕・日蓮大聖人)
→日興上人
→日目上人

までの「仏宝・法宝=一大秘法=戒壇の大御本尊」の相伝の原理が明確である。
それは、釈尊が上行菩薩へただ一人結要付嘱された方程式をそのまま末法に写されたものであり、末法尽未来際への唯授一人・血脈相承の濫觴である。

(例示 A→B→C との原理は、そのまま、B→C→D 次は C→D→E ・・・ との方程式を明示された原理原則である。)

この原理原則を、更に別角度から証明する御文が■2、■3 (前段の、■『一、日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。 』等である。)

【呵責】

これほど明白な文意が読めないとすれば、やはり、『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』 ということである。
京都・奈良辺りにもこの『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』は棲息してるということであり、(←当たり前だが)このような馬鹿がうろうろしていたんでは、日本が危うい、一刻も早く駆除しなくてはならない。と、正信の者の心を引き締める役割にもなっているのである。
今後も大いに恥論を吐いて、正信の者の発心のきっかけになってくれたまえ。
頑張れよ。

 

京都・奈良辺りの痴犬を駆除する。再開3  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月13日(火)13時49分16秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

やはり、反論不能になった者は決まって、同じ痴文を再現なく繰り返し張り続けるものである。
駄犬やまいぬ。君・”臭っ!いのね”君・陰性君・沖浦君・妄犬マゴマゴ君・そして京都・奈良辺りの痴犬・・・など等。
この姿が、創価学会は最早、教義的に完全に敗北していることを明確に示している。
『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』どもがどう逆立ちしても、正統な仏法を伝持する正統教学にかなう訳もない。
当たり前のことだが。

さて、壊れたテープレコーダーのように馬鹿の痴言を際限なく繰り返す、『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』を尻目に、また粉々に砕いていきましょうか。
―――――――――――
>Sの方から当流行儀抄(六巻抄P225・11行目〜P226・3行目)
> を出してきて
S「明確に『久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり』と書かれていますよ。」
> T「(またまたパソコンの画面をそのまま読む)
> S「日寛上人と今あなたが読んだものと食い違うが「どうしたことですか?
>  日目上人は開山上人ですか?」
―――――――――――
↑しかし、とことん 馬鹿 である。呵々大笑

既に完全に破折し切ってある。
態々、何かを新たに書き起こす必要など全くないほどの、恥論の蒸し返しである。
―――――――――――
 15 京都・奈良辺りの痴犬どもへ  三宝義 再論

 京都辺りの痴犬が今更どう吠え付いても、当宗の三宝義は古来から全く不変である。
創価学会こそ真の「信心」に住していなかったが故に、その時の都合次第で主張がころころと変わるのである。
そこには正統な教学や信条などは全くなく、全て自分らの立場が主体で、そこに得があるかないかで相手に対する価値判断が豹変するのである。

創価学会の巨大組織
≒池田センセ〜〜及び創価学会幹部の巨大集金システム
≒池田センセ〜〜の野望を達成する為の政教一致の傀儡政党・公明党(及び現時で寄生虫の如くに食い付いている自民党など)の巨大集票マシーン

であり、日蓮大聖人の正統な仏法とは最早全く無縁の日蓮大聖人の名を騙る似非新興仏教集団である。
だから、教義・信条などは元よりどうでもよく、莫大なウマミを持つ自らの組織を守ることが最優先課題で、その一点を根本に運営されているだけのことである。
であるから、日蓮正宗の信徒である時には、日蓮正宗の教義・信条に随従しているかの如くに装い、下部組織の無恥な学会員の純真な信仰心を利用し、食い物にし組織を拡大し、破門されるや否や、学会組織を守るために=会員の漏出を防ぐ為に、それまで信仰していた(と見せかけていた)日蓮正宗の教義・信条そのものを平気で誹謗し、覆し、自己正当化を謀るのである。

例えていえば、伝統ある学校の生徒会長が、ことあるごとに「栄えある我が校は云々」とか「伝統ある当校は云々」と内外に大いに喧伝していたのが、生徒会の人数を楯に、次第に思い上がった言動が目立つようになり、再三教職員から教誨されたにも拘わらず、益々生徒会まで扇動して非行を繰り返したので、止む無く謹慎処分にし反省を促したら、あろうことか更に非行・蛮行が激化し、更なる教戒もまるで受け入れないのでとうとう退学に処したら、今度は、その学校の学長や職員の悪口・中傷・誹謗を盛んに行って、生徒会の結束を固め、その大半を引き連れて新しい学校を起こしたようなものである。

そんな伝統も格式もない似非学校であるから、かつての伝統校の歴史から校是・理念等を手当たり次第中傷し、生徒会員に元の伝統校への敬愛恋慕渇仰の情を起こさないように、似非学校からの離脱者を出さないように、必死の形相でアジテーション(煽る・唆す)している様が、まさに今の創価学会幹部である。

そんなアジにまんまと乗せられた、哀れな京都辺りの痴犬は、こういう構図には全くお気づきでない、哀れな飼い犬どもである。
しかも、ニセ本尊を掴まされてその魔性が頭に下ったと見えて、ものの道理が全く見えなくなって、ただただ品性が下劣になっている様子が顕著である。

この痴犬らは、例えば茶筒を目の前に示しても二次元的に真横や真上からしか見ることができず「これは長方形のものだ」とか「これは円形の物体だ」と固執しているだけの愚か者である。三次元的に見る目も、思考も失せてしまった哀れな犬である。
つまり、茶筒は「円筒形」なのである。
痴犬にはこの例えは理解できなくて宜しい。所詮無理だからである。
この三宝論をまだ正心の残る創価学会員と創価学会の破折に励む法華講員の方に見ていただければそれで十分である。

では、宗門の時局破折委員会の論文を元に若干の編集を加え掲載する。
痴犬の妄執はこれで完摧である。
もし、これが理解できないのならそれは自らの愚昧さ・暗愚さ・低脳さ・頭破七分さ加減を恨むが良い。
せいぜい円筒形を長方形とか円形にしか認識できない、脳の未分化な幼稚・稚拙な犬であることを悟りたまえ。(無理だろうな・・)

つづく

 

京都・奈良辺りの痴犬を駆除する。再開4  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月13日(火)13時51分16秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

 日蓮正宗の「三宝」の実義は、日寛上人が『三宝抄』に、

 ▲「吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来、日目・日道、代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり」

と示され、また『当家三衣抄』には、

 ▲「南無仏・南無法・南無僧とは、若し当流の意は」

として、仏宝・法宝を挙げられたあと、

 ▲「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提の座主、伝法日目上人師、嫡々代々の諸師。此くの如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と唱え」

との御指南に明らかなように、日興上人・日目上人以下、御歴代上人の全てが、僧宝にましますのである。

 御先師日達上人も、昭和三十八年五月、

 ▲「二祖日興上人より歴代を僧宝と立てておるのでありまして、古来より少しも変っておりません。」

と御指南されており、御歴代上人を僧宝と立てることは、七百年来、不変なのである。

 ところで、愚昧な創価学会員が騙されてしまうのは、

 ▲「本宗は、大漫荼羅を法宝とし、宗祖日蓮大聖人を仏宝とし、血脈付法の人日興上人を僧宝とする」(『日蓮正宗宗規』第四条)との宗規の文、

あるいは日達上人の、

 ▲「要するに、人法一箇の御本尊を中心とするのが本来の本宗の行き方でございます。御本尊に於いて三宝相即であります。各自皆様方の仏壇に御本尊を安置して朝夕に信心を励む。それで三宝を敬っておる充分の姿でございます。」(昭和五十二年七月二十七日)

 ▲「我が宗の三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。それに対して日目上人は座主である。今云った通り、管領して、その大聖人の仏法を治めて行く、よく受取って治めて行く、即ち管領という意味を持って行くのである。統べ治める、そして統治をして行く。その日目上人の後は、皆筒の流れのように、それを受継いで行くにすぎない。だから本宗の考えは、広宣流布の時は日目上人の再現、出現だという意味をとっております。即ち日目上人が広宣流布の時の座主として再誕なされるとの指南であります。だから代々の法主が日蓮大聖人ではない。大聖人そのものと間違って書かれてよく問題が起きますが、その点ははっきりしてもらいたい。」(昭和五十二年五月二十六日)

 ▲「三宝はどこまでも、大聖人・日興上人・御本尊、これが本宗の三宝の立て方です。「法主が大聖人様の代わりだ」と、即座にこう云う事を云うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたいと思います。」(昭和五十二年五月二十六日)

との御指南や、

日顕上人の、
 ▲「御先師が間違えないようにきちんとお示しくださっておることでありますが、六巻抄の『当流行事抄』の最後に本門下種三宝≠フ御指南があります。そこにおいては、人即法の大曼荼羅本尊が法宝であり、法即人の本因妙の教主・日蓮大聖人が末法下種の仏宝であり、そしてこれを正しく血脈のうえに伝受あそばされて、末法万年弘通の基を開かれた二祖日興上人が僧宝であらせられるということにつき、教道のうえに本門下種三宝をきちっと立てられてあるのであります。ですから日興上人といえども、その唯我与我の御境界のなかにおいての御本尊の御内証という意味に約しては大聖人と一体であるけれども、その尊信のかたちとしての仏・法・僧の三宝といううえからするならば区別があるのであり、仏宝と僧宝とはおのずから違うのです。すなわち、仏宝は大聖人ただお一人であり、日興上人がすでに僧宝のお立場であらせられるのであります。」(昭和五十八年三月三十一日)

 ▲「その僧宝ということをもう少し広く解釈すれば、歴代法主がその一分に加わるということもいえるでしょう。さらに広くいえば、日蓮正宗の正しい筋道によって出家得道した教師あるいは学衆等においても、正しい仏法を受持信行するかぎりにおいて、僧宝ということがいえるのであります。もっと広くいうならば、一切衆生のなかで正法を受持信行し、一分でも他に随力演説していく人達は僧俗ともに僧宝であるということができます。しかし基本においては、日興上人をもって僧宝の随一として拝するわけであります。そういうところからするならば、歴代法主は僧宝以下の立場であって、それを軽々しく仏様だ、仏様だというような表現は、少し言い過ぎであると私は思っております。」(昭和五十八年三月三十一日)

との御指南を曲解して、巧みに利用するからである。

 このように、三宝の中、僧宝の立て方には、

@日興上人のみを僧宝とする場合と、
A御歴代上人を全て僧宝とする場合との二段階がある。

 この理由を正しく理解しなければ、彼等の邪説に翻弄されてしまうことにもなるから、細心の注意が必要である。

つづく

 

京都・奈良辺りの痴犬を駆除する。再開5  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月13日(火)13時52分29秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

  ■『当流行事抄』と『当家三衣抄』の僧宝の立て方の違い

 『六巻抄』の『当流行事抄』には、
▲「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」(六巻抄 三二三n)と、日興上人のみを僧宝とされるが、

『当家三衣抄』には、
▲「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提の座主、伝法日目上人師、嫡々代々の諸師。此くの如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と唱え」

と、日目上人以下の御歴代上人をも僧宝とされている。

 この相違の理由を言えば、『当流行事抄』は、六老僧の中、ただ日興上人お一人が日蓮大聖人の付嘱を受け、正義を立てられたことを示されたのである。
すなわち、日興上人と他の五老僧とを相対し、日興門流の正統を示すということで、根本の上から当門流の正義を示す意義によられているのである。
故に、僧宝を示すに当たり、日興上人お一人を挙げることは、日興上人が六老の中の唯一の付弟であり、真実の僧宝であることをもって、その末流の僧宝なることの濫觴(らんしょう=物事の始まり。起源。起こり。もと。)とするのである。
 他の五老は付嘱を受けざるが故に、五人はともに僧宝とならないことを明かし、その五老の門の末流は、皆、僧宝にあらざることを示す意を含むのである。

 『当流行事抄』に明らかなように、日興門流の正統は、宗祖大聖人よりの法体付嘱が、日興上人に存することによる。
その付嘱は、さらに日興門流の中でも、当家の御歴代上人に血脈相承をもって伝えられるのである。故に、僧宝にして総貫首である日興上人の地位は、

『百六箇抄』に、
▲「直授結要付属は一人なり、白蓮阿闍梨日興を以つて惣貫首と為て日蓮が正義悉く以つて毛頭程も之れを残さず悉く付属せしめ畢んぬ、上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡々付法の上人を以つて惣貫首と仰ぐ可き者なり」(富要 一―二〇)

と示されるように、法灯連綿として現在に至り、御当代上人に存するのである。

『当家三衣抄』は、日興門流の分派の中で、日興上人よりの付嘱を伝えられている当家の御法主上人こそ、真実の僧宝であることを示され、末法下種の三宝は当家にのみ存することを明らかにされているのである。
―――――――――――
つづく

 

京都・奈良辺りの痴犬を駆除する。再開6  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月13日(火)13時53分52秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

 ■「教道」と「証道」

日寛上人の『三宝抄』には、
 ▲「問う、三宝に勝劣有りや。答う、此須く分別すべし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり、故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に円仏と名づくと云う也。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。若し外相に約さば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す故也。故に法宝を以て中央に安置し、仏及び僧を以て左右に安置する也」(歴全 四―三九二)

と、「三宝」が「内体」に約せば体一であるが、「外相」に約せば、おのずから勝劣があると御指南されている。ここでは、この意義の上から、さらに別体三宝式の本尊奉安様式における、仏法僧の奉安位置の理由にも論及されている。

 このように、法門の立て方には、「内体」と「外相」との二つの筋道が存するのである。
 「内体」とは「内証」の体ということである。これは、「観心」と同義であり、ここにおける談道を「証道」という。また、「外相」とは「外用」の相をいう。これは、「教相」と同義であり、ここにおける談道を「教道」という。

 第三十一世日因上人は、金沢の信徒への御消息に、
 ▲「日興上人已下の代々も亦た爾なり。内証に順ずるに則仏宝也。外用に依れば則僧宝也。故に末法下種の大導師日蓮聖人の尊仏に対すれば、則外用を存し以て僧宝と為るのみ。(中略)故に日蓮聖人の御身の上に本迹の両辺あり、仍て迹に依れば則凡夫僧なり、内に依れば則妙覚極果の如来なり、日興上人日目上人も亦た爾なり」

と、御歴代上人の御内証の辺は仏宝と体一であらせられ、外用において僧宝と申し上げることを明らかにされ、日寛上人の御指南と全く同じ趣旨の御指南をされている。

 日寛上人の『当流行事抄』には
▲「久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり」(六巻抄 三二五n)

と、日興上人が僧宝であることをお示しであるが、その前提として『百六箇抄』の「久遠元初の結要付属」の文を挙げて、

▲「結要付属豈僧宝に非ずや」(六巻抄三二三n)

と、大聖人よりの結要付嘱をもって、日興上人を僧宝と御指南である。また、

『三宝抄』にも、
▲「僧宝とは久遠元初結要付嘱の所受の人なり」(歴全 四―三六六)

と、僧宝が結要付嘱の所受のお方であることを示されている。この結要付嘱とは、法体の血脈相承のことである。

 付嘱には、周知のごとく嘱累品の総付嘱と、神力品の別付嘱がある。この総別の付嘱は共に、上行菩薩を上首として、釈尊より授けられる。しかして、結要付嘱とは別付嘱のことであり、上行菩薩のみに授けられるが、総付嘱は迹化の菩薩もその任を受ける。これは文上の談道である。

 さて、大聖人より日興上人への下種仏法の御付嘱も、この総別の二義がある。別しての結要付嘱、すなわち血脈相承をお受けになるのは、御法主上人ただお一人である。総付嘱は御法主上人を上首として、一般僧侶もその任を受ける。

 このように、僧宝の本義は別付嘱たる結要付嘱に存するのであって、厳密にいえば「僧宝」とは御法主上人お一人なのである。

故に、『曽谷殿御返事』の、
▲「総別の二義あり総別の二義少しも相そむけば成仏思いもよらず輪廻生死のもといたらん」

との御指南のように、総別の二義、すなわち総付嘱と別付嘱とを混乱してはならないのである。したがって、総じての意味で僧宝というとも、御法主上人の僧宝の意義に対しては、天地雲泥の相違があることを、明確に認識しなければならない。

 以上、明らかなように、御歴代上人は、血脈相承をお受けになり、その御内証が「仏宝」と不二の御尊体にまします故に、その外用の辺を「僧宝」と申し上げるのである。

 しかるに、「僧宝」に関する御法主上人の御指南に異なった御見解が存するのは、
前述の日顕上人の、

▲「末法万年弘通の基を開かれた二祖日興上人が僧宝であらせられるということにつき、教道のうえに本門下種三宝をきちっと立てられてあるのであります。」(昭和五十八年三月三十一日)

との御指南のように、下種三宝の立て方は、「教道」の上に示されるからである。すなわち、「教道」の上には、僧宝の意義にも、また違いが存するのである。

 先に述べたように、『六巻抄』の僧宝の記述の相違は、門流の濫觴としての僧宝である日興上人と、その跡を継承される御歴代上人との「僧宝」の意義の違いによる。つまり、日興上人等御歴代上人の「僧宝」には、その意義の上に、

化導の上の
@ 法体としての「僧宝」と、
A 住持としての「僧宝」との区別が存するのである。

 まず、法体にも、大聖人の

@ 御内証の法体と、
A 御化導の上の法体が存する。

@御内証の法体とは、

日顕上人の、
 「そこで、三宝について少々申し上げるならば、一番根本のところにおいて、久遠元初の仏法の法体、内証の法体において、そのまま仏法僧の三宝が具わるのであります。これは『当体義抄』という御書の中において、

  『至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因・妙果・倶時に感得し給うが故に妙覚果満の如来と成り給いしなり』

 という、久遠の当初における聖人の本因本果の成道に約しての御指南がございます。

  すなわち、妙法蓮華を師として修行あそばされるというところにおいては、『因果倶時・不思議の一法』であるところの法の宝に対し、これを信解するところの境界の中に、いささかもその法に対する差違異轍(いてつ)なく、法界の法理そのものを妙法の体として自ら行じ給う姿が、そのまま内証におけるところの修行の姿なのであり、すなわちこれは僧宝であります。

  そして、直ちに『因果倶時・不思議の一法』を得て、妙因・妙果の本因下種の仏として即座開悟あそばされるところの本果の仏様の境界は、すなわち本因下種仏法におけるところの仏宝であります。すなわち大聖人様は、この久遠元初の法体を末法に移して御出現あそばされ、その上から法宝・仏宝・僧宝の三義が御自身に具わり給うところを御指南でございます。それはすなわち、

  『日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし』

 と、『日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経』と仰せあそばされるところに、釈尊の脱益の仏法と種脱相対して、下種本仏の境界に所持あそばされ給うところの法の宝、すなわち南無妙法蓮華経が厳然として具わることを御指南あそばされております。

  さらにまた、

 ▲『無作の三身とは末法の法華経の行者なり』

 ▲『本尊とは法華経の行者の一身の当体なり』

  あるいはまた、

 ▲『日蓮が頭には大覚世尊かはらせ給いぬ』

 という御指南からも、大聖人の凡夫身において、直ちに久遠下種根本の仏の御境界が具わっておるということを拝し奉るのであります。

 そしてまた、『御義口伝』における、

 ▲『末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり(乃至)仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり』

 という御指南より拝するならば、大聖人の本因の修行のお姿を、さらに一期の御化導に拝するところ、鎌倉期、佐渡期において法華経文々句々を身に当ててお読みあそばされ、竜の口の発迹顕本、本仏開顕の大事に至り給うまでの御修行のお姿は、すなわち御身に具わり給うところの僧の姿、僧宝であります。つまり大聖人様の御一身に仏法僧の三宝が具わり給うところに、内証の一体三宝が拝せられるのであります。」

との御指南のように、大聖人の御一身に具えたもう三宝が、御内証における法体である。しかし、その御内証は、そのままでは衆生は拝することができない。そのために、衆生の化導の上にお示しになられるのが、化導の法体としての三宝である。

日顕上人は、
 「しかしながら、また末法万年の衆生を導かんための三宝としては、そこに化導の上からの本門下種三宝の法体が厳然として常住し給うのであります。
  これは、皆さんも朝晩の勤行でお読みになっておる法華経の自我偈の、『時我及衆僧 倶出霊鷲山』の文であります。

  『時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず 我時に衆生に語る常に此に在って滅せず云云』

 とございますが、この『時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず』という文の、『時』とは末法第五の時であり、『我』とは仏、すなわち大聖人様の御当体であります。また『及』とは、南無妙法蓮華経の法宝であり、『衆僧』とは僧である。

  これは、また化導の形において、いかなる姿をもって示されておるかと申しまするならば、脱益の仏法においては、あの釈尊一代の五十余年の経々の中において、その極まるところは八ヵ年の法華経に帰するのであります。この法華経の中で、迹門を馳せ過ぎて、本門の涌出品より嘱累品に至る八品において、久遠の寿量品の法体が釈尊から上行菩薩へ付嘱せられております。ここに釈尊より大聖人様へ脱益本門より下種本門への転換がありました。また、末法に本仏大聖人様が御出現あそばされ、下種本法の末法万年の広宣流布のために成し置かれた大事な化導の根本もまた、二祖日興上人様への唯授一人の血脈相承、結要付嘱であります。

  仏法の根本は、この付嘱によってすべてが決せられるのであり、ここを外して仏法というものの存在は全くありえないのであります。したがって、大聖人様が下種の仏宝であり、南無妙法蓮華経の大御本尊が法宝であるのに対して、久遠常住の下種三宝、つまり化導の上の下種三宝の僧宝とは、その随一が二祖・白蓮阿闍梨日興上人様にあらせられるということが、ここに明らかであります。

  この仏法僧の三宝を正しく拝してこそ、末法の一切衆生の身中に、妙法当体蓮華の大功徳が成就するのであります。もしこれを疑い、これを外れて、『ただ大聖人様と御本尊様さえあれば、日興上人以下はどうでもいい』というような考えを持つならば、これは大謗法であり、即身成仏は到底、おぼつかない次第であります。
  大聖人様、大御本尊様、日興上人様のおわしますところに、化導の法体としての常住不変の下種三宝が存し、この下種三宝が常に我々を見そなわし、我々を開導してくださるということを深く信ずべきであります。」

と、大聖人、大御本尊、日興上人を三宝と申し上げるのは、法体の三宝としてであると御指南なのである。

故に、日興上人は、特に化導の上の法体としての「僧宝」と拝せられるのである。これは、大客殿の本尊奉安様式が、「日蓮大聖人・大御本尊・日興上人」の、別体三宝式にましますことからも明らかである。

 しかし、法体の三宝が確立しても、それだけでは末法万年にこの三宝を伝えることはできない。

 日顕上人は、続いて、
 「また、その仏法が住していく姿の中においては、『住持』という形の上からの三宝が必要となってまいります。これは、日有上人の百二十一ヵ条からなる『化儀抄』の中において、

 ▲『手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし』

 という御文がございます。
  すなわち、日興上人から日目上人へ、日目上人から日道上人、日行上人と代々、付嘱によって伝わるところに、大聖人様以来の御本仏の御魂が、もぬけられておるのである。それは、大聖人様の御本尊、日興上人、日目上人の御本尊、乃至歴代上人の御本尊の当相・当体を拝するところに、おのずから明らかであると存ずるのであります。」

と、御歴代の御法主上人は、法体として確立された三宝を、末法万年の未来に伝える「住持」としての意義の上からの「僧宝」にましますと御指南されているのである。

 このように、「僧宝」についての御指南の中で、御歴代上人を僧宝に含まれない場合は、「教道」の上において、「法体の三宝」「住持の三宝」等の区別が存し、そこに一往の勝劣も存するからである。

 つまり、御歴代上人は「僧宝の随一」として、大聖人から直接に法を授けられた一番のもとに立たれる日興上人に対し、日目上人はその弟子、日道上人はそのまた弟子と次第される。この「師」に対する「弟子」との辺をもって、「外相」の上から謙下(けんか)あそばされ、御自身を「僧宝以下」と仰せられるのである。

 しかし、「弟子」は法を受けられれば、今度は絶対の資格と自覚と力を有する「師」となられるのである。ここをもっての筋道は、再往の実義であり、これを「証道」というのである。「証道」とは、御内証の談道のことであり、まさに宗祖日蓮大聖人の法水を瀉瓶された上から、師弟不二の御境界に約すものである。したがって、日因上人の、

 ▲「日興上人已下の代々も亦た爾なり。内証に順ずるに則仏宝也。外用に依れば則僧宝也。故に末法下種の大導師日蓮聖人の尊仏に対すれば、則外用を存し以て僧宝と為るのみ」

との御指南のように、その御内証は日蓮大聖人に冥合した上での「仏宝」なのであり、「僧宝」とは、血脈相承を受け、大聖人の化儀・法体を伝持し、時に当たって教導あそばすという、御法主上人の「外用」を指すのである。

 したがって、御歴代上人が「僧宝以下」との表現は、

一には、五一相対して、その正統たる日興門流における、末法万年の総貫首であらせられる日興上人を師とするのに対して、御歴代上人はその弟子である故に、師と弟子という立場の違いが存するためである。

また、二には、日興上人が「法体の僧宝」であらせられるのに対して、日目上人以下の御歴代上人を「住持の僧宝」とするのであり、この「僧宝」の意義の違いを、「教道」の上に示されて、日目上人以下の御歴代上人を、一往「僧宝以下」と示されたのである。

 しかし、一般僧俗が、それをもって、「御歴代上人は僧宝以下」などと言えば、それは「教道」を聞いて「証道」を知らぬ、一知半解のものであり、再往の実義を曲げる謗法罪を免れることはできない。

 上代においては、大聖人御自身ですら、御本仏であることはおろか、上行菩薩であることすら、あからさまには述べられていない。これは、『報恩抄送文』に、

▲「親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ」

と仰せられるところである。すなわち、法門を受ける衆生の機根に、堪と不堪とがあって、直ちに真実を述べれば不信を起こすからである。現代は、妙法流布も進展し、広宣流布の気運も高まってきたが、やはり信心が弱く、疑い深い者は、「浅義」である一往の「教道」の御指南に執著を起こして迷いが晴れず、再往の
「深義」である「証道」に信解が至らないために、眼前の「師」の尊厳が拝し切れないのである。

 故に、この二つの筋道を、過不足なく信解することが非常に大切なのである。

このことを、日顕上人は、

▲「宗門の古来の法≠フ立て方において、二筋の立場があるということであります。つまり、もちろん根本は末法下種の御本仏・宗祖日蓮大聖人の御内証におわしますのであり、それを唯我与我の御境界において二祖日興上人がその仏法の本義をお承け継ぎあそばされて、さらに日目上人・日道上人と、一器の水を一器に移すかたちで今日に伝えられておるということが、宗門の古来からの信条であります。それはそのとおりでありますが、そこに

@御本尊の御内証という立場と、それから
A代々の法主がその法を承けて色々な場合において宗門を指導・統率していくという意味からの様々の指南・指導等を行う立場と、

その二筋においては一往、分けて考えなければならないと思っております。

  三大秘法の根本の深義は本門戒壇の大御本尊にその法体がおわしまして、そこが根本であります。その分身・散影として各末寺その他、在家の宅においても御本尊を奉安しておりますけれども、一切はその根本の、本門戒壇の大御本尊に帰するのであります。ただし、その御本尊の書写、伝持といううえにおける歴代法主を、どのように君たちが考えるかということでありますが、これが簡単なようで、なかなか混乱する場合があります。
  混乱をいたしますと、過ぎたるは及ばざるが如し≠ニいう言葉があるとおり、例えば過ぎてしまうとかえって及ばないという結果が出てくるのです。つまり必要以上に崇めすぎると、その反動として悪い結果が出てくるというような意味もあります。また、崇めなければいけないところを軽蔑したり、あるいは軽く見たりすると、これはまたこれでいけません。ですから、及ばないこともいけないし、過ぎたこともいけないという意味があるわけです。」(昭和五十八年三月三十一日)

と御指南なのである。その上で、また、

 ▲「要するに、日常のことや色々な指導とかにおいては、法主はあくまでも法主として考え、法主としての指南があり指導がある、ということでよいのです。それを直ちに仏果であるとか仏様であるとかいうような証道の意味と混乱するような、あるいは読んだ人がそう取れるような表現は、むしろ慎んでもらいたいと思います。」(昭和五十八年三月三十一日)

と、「教道」と「証道」を混乱して、「僧宝」というべきを、「仏宝」とまでいってはならないと戒められているのである。
故に、「証道」においては、

▲「唯授一人のうえの御本尊書写、またはその御相伝という意味において、これをもし他の方が言う場合に、「御本尊の御内証は即、大聖人以来の唯授一人、そこに二にして不二の境界である」ということならば、それは根本のところでありまするし、それでよいと思います。」(昭和五十八年三月三十一日)

と、大聖人と御法主上人が不二であらせられることを御指南されているのである。
これは、日応上人の、

▲「当宗に於て授与する処の御本尊は一切衆生に下し置かれたる此の御本尊の御内証を代々の貫主職一器の水を一器に写すが如く直授相伝の旨を以て之を写し奉り授与せしむる事なれば各のその持仏堂に向かっても「直ちに此の御本尊を拝し奉る事よ」と相心得へ受持信行する時にはその処直に戒壇の霊地、事の寂光土なる程に臨終の夕までも此の御本尊を忘れ奉らざる様に致さるべきなり、爾れば則ち即身成仏は決定疑ひなきなり。」(本門戒壇本尊縁由 一九n)

との御指南にも明らかである。御本尊は、大聖人の御魂魄、すなわち御内証なのである。

▲「此の経は相伝に有らざれば知り難し」

との御妙判のように、その御内証は、血脈相伝をお受けになった御法主上人でなければ「知り難」いのである。御歴代上人が、大聖人の御内証をもって書写遊ばされるから、我々の成仏も叶うのである。その御法主上人を誹謗することは、そのまま御本尊を誹謗することであるから、いくらお題目を唱えても、功徳は全くないのである。

 また、それが理解できないからこそ、昭和五十二年路線において、創価学会では、池田氏の指導のもとに、御本尊を写真に撮って複製模刻するような大謗法を、平気で犯すことができたのである。
 池田氏はじめ創価学会首脳は、知ったかぶりをして御法門を云々するが、相伝を受けない彼等に本宗の深義が解らないのは、道理の上で至極当然のことである。

 

 

京都・奈良辺りの痴犬を駆除する。再開7  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月13日(火)14時48分27秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

まだまだ、京都・奈良辺りの痴犬の馬鹿さ加減は続く。呵々大笑
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> T「(三宝抄)『然に則吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明也。
>  故に末法下種の僧宝と仰ぐ也。爾来日目日道代々咸く是れ僧宝也』」
>
> S「切り文ですね。しかも、その文の意味からすると、あなた達は猊下に南無するのですね?」
>
> T「それは俺としては違う気がするな〜」
> S「尊信の対象の僧宝に代々法主を入れてしまうと南無することになるんですよ。
>  久遠元初の三宝と住持の三宝とを混同してませんか?」
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↑御歴代上人の御内証の辺、血脈の当所は、まさに「三宝一体」であるが故に、「南無」するのは当然である。

■御観念文

南無一閻浮提の御座主、第三祖新田卿阿闍梨日目上人、云々
南無日道上人・日行上人等御歴代の御正師、云々

とあり、創価学会員もこの御観念をし続けてきたのではないか。
その行為は”謗法”だったのか?
功徳はなかったのか?
ではかつてこの御観念をした創価学会員は全て”謗法”なのか?
では、牧口・戸田会長も池田せんせ〜〜もみな”謗法”だったのか?

呵々大笑。

実に 馬鹿 である。
『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』である。