今般、大日蓮出版から、御隠尊日顕上人猊下の『観心本尊抄講話』第一
巻が発刊されることになり、宗門僧俗にとって誠に歓びに堪えないところ
である。

 今回の出版は、日顕上人猊下が昭和五十八年十月の法来寺御親修の折、
『観心本尊抄』を御説法されてから、昭和六十二年十二月の本行寺御親修
迄、全国三十八ヵ寺で御親教遊ばされたものをまとめ、更に読者の便宜を
図る上から御加筆を戴き出版されることになったものである。

 『観心本尊抄』 は、同『副状』 に、
  「観心の法門少々之を註し、太田殿・教信御房等に奉る。此の事日蓮
 当身の大事なり」 (御書六六二n)

と仰せの如く、人本尊開顕の書である 『開目抄』と並んで法本尊開顕の書
として、一念三千、受持即観心、五重三段等の重要御法門が説示され、久
遠元初自受用身たる宗祖大聖人御建立の人法一箇の御本尊が末法下種の正
体にして、一切衆生成仏のための観心の本尊であることを御教示遊ばされ
た最重要御書である。

 日顕上人猊下には本抄の御講話に当たり、血脈相伝に基づく深意を以て
甚深の御指南を遊ばされ、また広汎にして卓越せる御学識を以て広く且つ
深く御教導下され、『観心本尊抄』 を文底観心の上から正しく拝すること
の大事を親しく御指南賜りましたことは誠に有り難き極みであり、本宗僧
俗一同、等しく恭悦奉るところである。

 今宗門は平成二十七年・同三十三年の新たなる目標に向かって僧俗一
致・異体同心して折伏大前進の最中にあり、此の時に当たり、各人が本書
を必読して甚深の御指南を体し、以て広布の大願へ向けて勇躍前進される
よう念ずるものである。
                                  宗内諸賢には、本書を座右に置いて御指南を体し、愈々御奉公に励まれ
んことを心から願い発刊の序とする。

 猶、今回出版の第一巻には、はじめの七ヵ寺分が収録されているが、今
後、全五巻が順次出版される予定である。

平成二十二年十月十二日

                六十八世  日如

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 今般、大日蓮出版より、過去三十八力寺で説法させていただいた『観心本尊抄』を講話形式で上梓したいとの報に接しました。

 改めて講話体という面より検すると、内容・字句等にもある程度の補正の必要あるを感じ、その部分は適当に処置をいたしました。

 また、なるべく講話体として読みやすく文辞を整えた次第であります。

 では、『観心本尊抄』の初めの題号の辺より申し上げたいと存じます。

如来滅後五五百歳始観心本尊抄

 この 『観心本尊抄』 は、
  「日蓮当身の大事」 (御書六六二n)
ということを送状に仰せであります。すなわち「身に当たっての大事である」ということでありまして、難信難解、甚探微妙の重大な意義をここに、このお言葉をもってお示しになっておる次第であります。

 古来、・日蓮門下の様々な学者がたくさん出まして、この 『観心本尊抄』 についての題号ならびに内容等の解釈を行っております。
しかしながら、実に重々大事の御法門でありますので、大聖人様から唯授一人の相伝をもって大聖人様の仏法の法体を受けられたところの日興上人およびその門流においてのみ、初めて 『観心本尊抄』一巻の御真意を正しく拝し、それが伝承されておるのであります。

 もちろん、この 『観心本尊抄』 に関する内容を、つぶさに御指南されたのは第二十六世日寛上人という方であります。
この日寛上人は 『六巻抄』 という書も作られました。
しかし、特に日寛上人が、畢生の大事として心血を注いで講義をせられた
のが、この 『観心本尊抄』 の御指南であります。
ですから、これは日寛上人の御指南においてすべてが尽きておるのですが、しかしまた、非常に重々甚探の御法門でもありますので、その根本の、大聖人様の 『観心本尊抄』 をお著しあそばされた御精神、その御指南を中心として拝し奉り、さらに日寛上人の正しい解明を仰ぎつつ、現代の立場から少々申し述べる次第であります。

 さて、この『本尊抄』は、内容も大事ですけれども、題号がまた大事なのです。
題号を正しく拝することによって、内容を正しく拝することができるのであります。
題号の拝し方、読み方を間違えれば、内容も間違ってしまいます。
そして内容に間違った見方があれば、また題号の見方も間違ってくるのです。

 そこで、まず第一に題号の読み方ですが、これは「如来の滅後五五百歳に始む観心の本尊抄」と拝読することが、この『観心本尊抄』一巻の趣意を最も正しくお示しになっておる読み方なのであります。

 この題号について日寛上人は『観心本尊抄文段』 の冒頭で、詳しく解釈されております。

 今、その御指南を概観しますと、題号釈は大きく三つに分けられています。
すなわち、
一に、通じて文点を詳らかにされ、
二に、別して釈され、
三に、総じて結す、
とされています。

 このうち、一の通じて文点を詳らかにされるところでは、これがさらに二つに分かれ、
初めに「始」の字の文点、
次に「観心本尊」の文点を詳らかにされているのです。

 次に、二の別して釈すの内容は四つに分かれ、
一に「如来の滅後」等を釈す、
二に「始」の字を釈す、
三に「観心」の二字を釈す、
四に「本尊」の二字を釈す、
という内容になつています。

 最後に、三の総じて結するところでは、当『観心本尊抄』の題号に多意を含むとして、五つに括られています。
すなわち、
一に「三大秘法」を含む、
二に「事の一念三千」を含む、
三に「本因の四妙」を含む、
四に「事行の題目」を含む、
五に「決定作仏の義」を含む、
の五であります。

 『観心本尊抄文段』における題号釈はおおむね、このような順序次第で述べられておりますので、これら日寛上人の御指南を拝しつつ、題号について申し述べたいと思います。

さて、釈尊は四十余年間に様々な教えを説かれましたけれども、法華経を説かれる前の無量義経において、
  「四十余年。未顕真実」 (法華経二三n)
と述べられ、今までの四十余年間の教えにおいてはまだ真実を明かしていないと言われたのです。すなわち、
  「諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと、方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず」 (同n)
と示される如く、法華経以前の爾前経はことごとく方便であるとして払われたのであります。
 そして、まさに方便を捨てて無上の法を説くと言われたのが法華経であります。
したがって、その法華経において仏様の御化導と正しい義理の一切が顕されているのです。
 特に大事なのが法華経の迹門に対する本門でありまして、本門のうちの寿量品の法体を末法の一切の人々に弘通するために、そして末法の一切の人々の生死の苦しみ、生活その他、生命の上の様々な苦しみ、悩みを救って真の仏道を成就せしめんがために、大事な「法の付嘱」ということが行われたのであります。これが神力品であり、この品の時に上行菩薩に付嘱をせられた故に、寿量品の妙法蓮華経はもはや釈尊の妙法ではなく、地涌の菩薩の所有であるということが示される所以であります。
 その神力品には長行と偈頌とがありますが、長行の終わりのほうに、
  「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚探の事、皆此の経に於て宣示顕説す」(同五一三n)
という結要付嘱の御文があります。
つまり、仏法の根本の法を要に結んで説かれて、これを地涌の菩薩に付嘱せられたということが神力品に明らかです。そして次に、その地涌の菩薩が末法に出現して、どういうことをなさるかということを偈頌において明らかに予言されてあります。
 それは、 「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅す」 (同五一六n)
という御文であります。
日月の光明の如く世間において衆生の闇を打ち破って、そして煌々たる真の光明を差し出して多くの人々を正道に救っていくのであるということを、釈尊は地涌の菩薩に付嘱をされるとともに、その人格・活動の姿をはっきりと予言されております。
そこで、
  「於我滅度後 応受持斯経 是人於仏道 決定無有疑」 (同五一七nJ
という文が神力品の最後の偈に当たっており、これが神力品の結論とも言うべきところの大事な意義を持っております。

 それはどういうことかと言いますと、「於我滅度後」とは「我が滅度の後に於て」ということです。
次の「応受持斯経」の「応」は、ものに応ずるという意味があります。
また漢文で「まさに……すべし」という読み方があるのですが、この「応」という字にはそういう使い方があるのです。
ですから、この「応受持斯経」という御文は「応に斯の経を受持すべし」と読むのであります。
前後を合わせると
「我が滅度の後に於て 応に斯の経を受持すべし」と読みます。
 また、次の「是人於仏道 決定無有疑」は「是の人仏道に於て 決定して疑有ること無けん」と読み、この人は仏道において必ず仏と成ること疑いなしという経文であります。
これが神力品の一番最後の大事な文であります。

 さて、この「応受持斯経」ということを分けて考えてみますと、「応」というのは「まさに……すべし」との読み方がありますが、もう一つの面からは、この字のなかに「感応」 の応という意味があります。
いわゆる仏法における感応の法門であります。
つまり感とは衆生の仏法に対する関心を意味し、応とは、衆生が非常に苦しい境界からなんとか救われたいと思う時に、正しく仏を念ずれば、仏が必ずそこに顕れて衆生を導く用きを起こすことであり、それを「一大事因縁」と言うのであります。

その「因」とはすなわち、衆生があって仏の教えを感じ、「縁」とは、仏
が衆生に仏縁を示して、そしてその衆生を導くということです。
そこで感応に戻りますが、感とは衆生の立場から仏を感ずるということであります。すなわち衆生が信心を持てば、そこに仏を感ずるのであります。
それに対して応とは、仏様がその衆生の願いに応じて、必ずきちんとしたところの御化導・利益をなさるということです。

 さて、先程の「於我滅度後」すなわち「我が滅度の後に於て」ということは何を意味しておるかと言いますと「我れ釈迦牟尼が滅度した後」ということでありまして、つまりこれは「時」を意味するのであります。
それから「応に斯の経を受持すべし」というなかの「応」とは、仏様がそこに顕れるということを意味しております。
 そして、次の「受持」ということは、受け持つという意味であります。これは受け持つのですから衆生に当てはめるべき意義であり、すなわち「機」という意味になります。
そこで、この経文には時ということに対して、機という意義が示されてあることが判ります。
機とは一切の人々の根性の姿を言いますが、衆生のそれぞれの欲望等においては千差万別であり、それらの欲望は色々ですが、また、ある意味においては全く共通しております。
それは何かと言いますと「本当に幸せになりたい」ということで、これだけはだれでも共通した願いであります。
しかし現実には色々な状態があります。不幸な人もあれば応分に幸せな人もあるということですが、そういうところから、なんらかの目的に向かって動こうとする衆生の状態を機と言うのです。
 その機に対して、仏様がその時その時に応じて、最も勝れた薬を与えられます。
つまり衆生の不幸はその心の病にあり、その病気を治すことが本当に幸せになる所以でありますから、衆生の心に巣食っておる心の病気を治して救うための薬として、仏様は「法」をお説きになるのです。
したがって、衆生を救うためにはその法の内容というものがまことに大切であると知らねばなりません。
 そこで、先程からの話をまとめてみますと、「於我滅度後 応受持斯経」という御文において、「於我滅度後」は「時」を示し、「応に」ということは「応」すなわち仏の出現を示し、「受持」は「機」すなわち衆生の機根を示し、それから最後に「斯の経」とは「法」を示すのであります。この、時・応・機・法という四つの筋目が仏法の条件として存するのであります。
ですから、神力品において地涌の菩薩に付嘱をされた結要付嘱の大事な経文の一番最後に「於我滅度後 応受持斯経 是人於仏道 決定無有疑」と示されてあることは、実に大事なことなのです。 
 そこで、この経文の意において大聖人様が御出現あそばされ、末法の衆生を救うべき法をお示しあそばされたのであります。
それが『観心本尊抄』の内容であります。
いわゆる「如来の滅後五五百歳に始む観心の本尊抄」という標題はそのまま、この時・応・機・法という、「於我滅度後 応受持斯経」という御文と全く内容が同じなのであります。

 したがって、題号の読み方をその筋目から考えなければならないのです。
読み方を間違ってしまうと、そこに色々なことが間違ってしまいます。
 例えば「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」とある「始」の読み方について、他宗他門の不相伝の輩は「如来滅後五五百歳の始め」と読んだりしております。
これを「始め」と読みますと、その前の「如来滅後五五百歳」という時に付随した言葉になります。
ですから時の意味が重複になり、「如来滅後五五百歳」との御文において時を既にきちんと示されてあるのですから、それをさらに「始め」と言う必要はないのであります。

あるいは「始まりたる」と読んだ人もおります。
あるいはまた「始まる」と読んだ人もおります。
これは房州保田の妙本寺の日我という人がこのように読んだのであります。
筋道をきちんとしない人にとっては「始まる」と読もうが「始む」と読もうが、どちらでもよいではないかということにもなるでしょうが、寸分でも間違いがあれば法が狂うのであり、これを許さないのが大聖人様の仏法の正しい姿なのであります。
ですから、この「始まる」と「始む」とでは、はなはだ意味が異なるのであります。
「始まる」と読むと、能・所といって、能く行うという意味と、行われるところのものという二つの意味に分けた場合に、行われるところの法という意味になるので、所弘の法にかかります。
そうすると、この「始」の字は先程申し上げた時・応・機・法の四つのうちの法にかかるということになります。
しかし、この法というものがそのまま存在していても、衆生にはその存在も意義も解りません。
我々末代の一切衆生は、初めから自分自身で妙法蓮華経を知り、解っている人は一人もいないのです。
やはり色々と話を聞き、折伏を受けて、そして今までの邪義邪宗を捨てて法を信じ、かつ知るわけであります。
ですから結局、法だけが存在しても、法を顕し、法を行ずる方がなければ法の存在は解らないのです。
したがって「始まる」という読み方は意味が不徹底とならざるをえません。
しかるに、もし「始む」と読むときは、時・応・機・法のうちの応に属します。
これはすなわち、地涌の菩薩が末法に出現して法を顕し、この「観心の本尊」を始め給うということであります。
つまり始めるから、物事が始まっていくのです。
始めなければ、いつまで経っても始まりません。
すなわち大聖人様が末法に御出現あそばされて、主動的に法を顕されるが故に、日蓮がまず始むという意味があります。
そこに、おのずと法が顕れていきます。
ですから、その法の上から見れば「始まる」という言い方ができますけれども、法だけを取り上げることにおいては、「能弘」という、この重大なる法を能く弘め給うところの意義が表れません。
能弘の人格により、法が始められて初めて顕れるのであります。
そこで 「始む」という読み方が最も正しい読み方であり、同時にこれが応という意味にきちんと当たります。
すなわち、能化の方が出現して法を始められるが故に、初めてそこに末法応時の本尊が顕れてくるのであります」

 それから「観心本尊抄」という文についても、「心の本尊を観ずる抄」とか「心を観ずる本尊抄」というように読んだ人がおります。
これは漢文ですから色々な読み方ができます。
今の人はあまり漢文の読み方を知らないかも知れませんが、たしかに読もうとすれば「心を観ずる本尊抄」とも読めないことはありません。
あるいは「心の本尊を観ずる抄」というように読むことも、漢文の形としては一往できます。
ただし意味は異なってまいります。
意味が違っておれば末法の仏法において大きな狂いが生ずるのであります。
 例えば「心の本尊を観ずる」ということになりますと、自分の心が本尊だということになってしまいます。
そうすると、これは「己心本尊」という教学思想がありますが、所詮、天台円融法門の習らいそこないで、迹化、本化それぞれの付嘱の構格を無視する邪義となります。与えて言うも、天台の像法時代逃門の行法たる、自分の心において一念三千を観じていくという形だけに過ぎないことになって、本門の教えではないのであります。
 そこで、その一番正しい読み方は何かと言いますと「観心の本尊抄」と読むのであります。
では、なぜ「の」をつけるのかということでありますが、この「の」が大事だということを言われております。

 それは、「観心」という言葉が「教相」という言葉を簡んでおるという意味があるのです。
したがって、その観心において示されるところの、観心の対象となるところの御本尊は釈尊仏法の教相に属する本尊ではないという意味から、「観心の本尊」と読む意味があるのであります。

 この教相という言葉も一般的には難しいのでありますが、やはり正しい仏法を行う上からきちんと知るべきであります。
釈尊一代の教えは、小乗仏教・大乗仏教、権教・実数と色々あります。
そのお経の全部がいわゆる教えであります。
教えとは
 「聖人が下に被らしむるの言葉」と言い、聖人が出現して、そして下に対して色々なことを教える言葉です。
 これは仏教ばかりではありません。
大昔において、まだ人倫道徳がはっきりしなかった時代があり、人間が猿と同じような生活をしていた時代がありました。
「それではいけない。親子は親子、夫婦は夫婦として、そこにけじめをつけることが大事である」というところに人倫道徳の道ができました。

 中国においても昔、三皇五帝という聖人達が現れて民を指導し、あるいはそののちに孔子、孟子等の人々が現れ、儒教によって人倫上に様々な精神文化が顕れてきたのであります。
そういう人々の説いたことも教えのなかに入るのであります。
しかし、それはあくまで仏教から見れば外典・外道でありまして、内道の、つまり仏教としての、過去・現在・未来の三世を通じて衆生が救われていくところの徹底した教えではありません。
 しかし「教」というのは、その全部を含むのであります。
まして、釈尊が一代仏教の内容を多く説かれましたけれども、それには小乗・大乗、権教・実数、迹門・本門というような様々な教えの段階があります。
それを「すべて釈尊が説かれたものだから、どれもが同じように価値のあるものだ」と考えると、これは大変な誤りとなります。
それでは小乗も大乗も一つのものになりますし、権教も実数も一つだということになります。
もっとも、釈尊がそのように説かれているならば別ですが、そうではないのです。
大乗のなかに入ってくると、過去に説かれた小乗の教えはことごとく一時的な法門であり、一段低い教えであるということを釈尊自らおっしゃっております。
法華経へ来れば、釈尊自ら、今まで説いたものはすべて方便であり、真実を顕していないということを仰せであります。

 そういう釈尊の真実のお言葉を中心として、あらゆる法理の高低について筋道を立ててずっと見てくると、釈尊の教えのなかにおいても化導の筋目、けじめが存しておるということであります。
それをきちんと立てられたのが天台大師という方であり、今から約千四百年前に智という名前で中国に出現されたのであります。

 この天台大師は薬王菩薩の再誕であります。
法華経の第二十三の薬王菩薩本事品という品がありますが、この薬王菩薩がまさに中国において天台大師として出現されたということが、これは仏法の意味をずっと見ていくと、私どもはたしかにそのとおりであるということが信解できるのであります。
「インドに生まれた人が、千年もあとに中国に生まれたというようなことがあるだろうか」と思うかも知れませんが、これは本当にあるのです。
今生きている人々も、百年前にはどこか別の所に生まれていたかも知れません。
そこで死んで、今ここに来ているとも考えられます。
生じては滅し、滅してはまた生ずる因縁が必ずあるのです。
過去の仏法の聖者はそういうことがきちんと判る意味がありました。

 それはともかく、天台大師という方は非常に偉い方でありまして、特に釈尊一代の仏教の総決算をなさるお役目で、ここに「三国四師」の一人として御出現になったのであります。
そして、法華経を中心として一代仏教を見るとき、釈尊のお言葉の上からも、釈尊の御精神の上からも、はっきりと権実のけじめがつくことを示され、そこに「相」という、同異を分別する形で、教えのなかにおいて、方便の相と真実の相という立て分けをつけられたのであります。
つまり教相の教とは聖人が下に被らしむるの言葉、相とはその同異(優劣・上下等)を分別することであります。
ここに化導という面から、始めと終わりがきちんと示されている相に対し、始めも終わりもはっきりしない相というような相違があること、あるいは根性の融と不融の相という、仏様の悟りと衆生の心とが一つになるか、ならないかという内容上のけじめで、この教えは方便であり、この教えは真実ということがきちんと出てくるのです。

 それで、釈尊一代の仏教の浅いところから深いところまでの脈絡関係、あるいはい勝れたものと劣ったもの、そういうことを明らかにされたのが天台大師でありまして、その基準を教相と申します。
ですから、そこに「三種の教相」というのがありまして、一往、大きく括って、法華経を中心として一代諸経を見て初めて、その正しい教相が解るのであります。
三種とは、いわゆる根性の融と不融の相、化導の始終と不始終の相、師弟の遠近と不遠近の相と、こういうような点で諸経と法華経との同異の相、すなわち勝劣が明らかなのであります。

 しかし、末法において出現するところの地涌の菩薩に付嘱をせられた法華本門の法の上からこれを拝してみますと、この教相と言葉に対し、観心という言葉はより深い意味を持っております。
この教相に執われていては末法の教えの真実の法体が解らないのです。
ですから、教相に対して一歩深入りする観心という意義で、この題号が示されておるのであります。
つまり観心とは、末法の衆生が末法出現の地涌の菩薩によって救われていくところの修行の姿であります。
一往、仏法上の常識的理解では、観心ということは心法を観ずるということであります。
これは要するに、仏教で言う実践門を意味するのであります。
つまり、教えに対して、その教えを実際に行っていくということなのです。

 これは世間のことにおいても同じであり、例えばラジオ体操についての絵入りの解説書があるとします。これは教えであります。
しかし、本ばかりを見ていても、実際に身体を動かして体操しなければ少しも健康は増進しません。
それと同じように仏教も、教えがあるとか、ただ教えを聞くだけで、自分が実践しなければ実際の
御利益はないのです。

 そういう点で、この教相と観心という言葉は、実践門として教相に対する観心という言葉があるのです。

この場合は特に一重立ち入った、末法出現の本尊を受持信行していくという意味においての観心を言われておるのでありますから、一代の教相に執われてはいけないということであります。

 その釈尊一代の教相の中心として、在世の本門の化導の姿があります。釈尊在世において寿量品を説かれましたが、その本門からの八品の姿、つまり涌出品、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品、法師功徳品、常不軽菩薩品、神力品、嘱累品というその八品について、これは実は末法の衆生のために仏が地涌の菩薩に「内証の寿量品」を付嘱されたその始終を示すのであり、したがって在世と末法の寿量の法体は明らかに種脱の相違があります。
にもかかわらず、在世の衆生の本尊をそのまま末法の本尊だと思っているのが、釈尊の在世の寿量品と内証の寿量品とのけじめが解らない他の日蓮宗の人達の解釈なのであります。
そういう人達の立場からいくと、観心ということが、あくまで在世の衆生の観心として、教相の至極であるところの在世の本門八品に示された教えの相、その本尊に対して末法の衆生が信仰するという、はなはだ種脱の法機を取り違えた意味に考えるのであり、要するに在世の衆生の観心と末法の衆生の観心とは大きな種脱の相違があるにもかかわらず、そのけじめがつかないのであります。
ですから「心の本尊を観ずる」とか「心を観ずる本尊」とか、色々なことを言って、結局、久遠の寿量の法体は地涌の菩薩に付嘱をされたという、付嘱の意義が徹底していないのであります。
ここが一切の他門下、身延派等の邪義の元なのであります。

 これはすなわち、上行菩薩に付嘱をせられたという意義が正しく解っていないということであります。
付嘱をされた以上は、その法を御所持あそばして出現されるお方は上行菩薩であり、大聖人様なのです。
故に、その妙法蓮華経の一切の権能は大聖人様におわしますのであって、その説明も指南も、また法体をお示しになることも、実は釈尊には既にその権限がないのです。
また、事実、そのために釈尊は神力品の偈頌で、
「仏の所説の経の 因縁及び次第を知って 義に随って実の如く説かん」
                       (同五一六n)
と、すなわち「だからあなたが行いなさい」とおっしゃっているのです。この「因縁及び次第」についても、権と実、迹と本、脱益と下種についてそれぞれ因縁と次第があり、それを大聖人様は一代の御施化のなかですべて尽くされておるのであります。
故に、この人が末法に出現して日月の光明の如く一切衆生を救うということを経文に説かれております。

 また、現実にその御本尊の深い内証を、では、どなたが、どのように説かれているかということであります。
釈尊は在世の衆生を救わんがために寿量品を説かれ、御自らの身に約して久遠本果の仏をお示しになりました。
しかし、その久遠の本因妙における如来秘密の法体は、結要付嘱によって末法に御出現の大聖人様が初めてお示しになるお役目なのです。
そこに色々な御書の御指南が存するのであります。
『当体義抄』『総勘文抄』その他、あるいはまた、さらに『御義口伝』という御法門があります。

 この『御義口伝』は実に大事なのです。
これは大聖人様が直接お書きになったものではなく、大聖人の御指南を日興上人が筆記された文献であります。
しかしその内容は、五重の相対の鏡にかけて大聖人の御本意の法義が伝えられておるのです。
ところが、邪宗の人達は師資相伝の意義が解りませんから、『御義口伝』を非常に軽く見るのであります。
「大聖人様の御真筆ではなく、日興が書いたものでもない」というような言い掛かりによって軽視し、文書の性格とそれに基づく順当な成立の意味を無視して、いたずらに偽書呼ばわりをしております。
けれども、むしろ日興上人への、すなわち真実のお弟子への御法門こそ、本当の大聖人様の御境地が偽りなく伝えられておるのです。

 大聖人様が末法に御出現あそばされたお姿は凡夫のお姿ですから、日本国の一切衆生はことごとく、
「日蓮が失もなきに高きにも下きにも、罵言毀辱・刀杖瓦礫等ひまなき事云云」 (御書七一五nJ
と言われるように、大変な迫害をしたのであります。
そのようななかで、大聖人様が本当の御本懐の御法門を、そう簡単にだれにもおっしゃられるはずがないのです。
「日蓮は上行菩薩の再誕である」とのことが、道理・文証・現証において明らかなことながら、これをひとことでもおっしゃったならば、当時はお弟子ですら愛想をつかすような状態だったのであります。
そのことから考えてみましても、大聖人様の本懐の御法門は、本当に大聖人様を深く信じきられたお弟子にのみ、正しく伝えられたのであります。そこに「唯授一人」という、
「血脈の次第 日蓮日興」 (同一六七五n)
と仰せになつた意味があるのです。

 そういう意味で『御義口伝』は、日興一人が法華経の本当の元意を大聖人様の御指南に従ってお書きになったものであります。
故に、むしろそのなかに含まれておる御法門は、一般のお弟子達や在家の人に賜った御消息や御著作の御法門よりも深い、本当の大聖人様の付嘱の妙法における境智の体と、その行と位というものをお示しになっております。
そのところから、それぞれ文永、建治、弘安という時期の御化導の段階において御本尊乃至三大秘法が示されてくるのであります。
ひるがえって、時・応・機・法という基本から拝して、「如来の滅後五五百歳に始む観心の本尊抄」と読むべき意義がそこに存するのであります。

また「本尊」ということについては、今さらながら日蓮宗等、他門下で奉安する本尊は実に聖意背反、謗法の体たらくであります。
日蓮宗のほうでは雑乱勧請はなはだしく、また大聖人様の御本尊には五種類あるようなことを言っております。
いかに大聖人様の一期御化導の帰趨に暗昧であるかが明らかであります。
 
伊東感得の本尊の如き一体仏もその一つだと言うのですが、これは立像仏です。
 大聖人様御所持の意味を全く曲解しております。
これは本因妙の御修行の立場から一往、釈尊を仏としてお立てになるという意味と、そして、御自らの御修行の道程のなかから本当の付嘱の法をお顕しになるまでの形として一往、随身仏として御所持あそばされたことは事実であります。
故に、お亡くなりになる時には、
「墓所の傍らに立て置くべし」 (同一八六六n)
という御遺言があります。
したがって、本門の本尊たる意義は全くないのであり、もちろん末法の一切衆生のための本尊でもありません。
けれども、大国阿闍梨日朗という人はそれを有り難がって本尊だと思って、大聖人様の御遺言に背いて勝手に身延から一体立像仏を持ち出してしまったことを、『原殿御返事』に日興上人がお書きになっております。

 また、この『観心本尊抄』 のなかにおいても、脇士のない仏像は本尊と言えないことをお示しになっております。すなわち、
 「小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し、権大並びに涅槃法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す」 (同六五四n)
と、正法・像法時代の仏像本尊を示されておりますが、たとえ釈尊の仏像ではあっても、脇士があって初めて、その説法の内容が顕れることにより本尊となるのであります。
故に、その脇士のない釈尊一体仏、しかも説法の坐像仏でなく修行の立像仏を大聖人様が御所持あそばされたというのは、前述の如く特別な意味なのです。

さらに大聖人様の、久遠元初の仏様の御境界から見れば、一体仏即、一念三千自受用の仏様であります。
しかし、これは御本仏の御境界でありまして、我々末法の一切衆生と一緒にはなりません。

それから他門下では本尊について「一尊四士」が正しい本尊だと言った者もおります。
これは『観心本尊抄』のなかに、
 「本門寿量品の本尊並びに四大菩薩云云」 (同n)
とある御文について間違って解釈する結果であります。
この御文のところは五重三段より下種の本尊・妙法蓮華を顕す前の質問の部分であり、『本尊抄』における宗祖大聖人の正意は、末法に現実に出現する地涌の菩薩による本尊建立であり、在世の法華経の会座に出現した地涌の上首の像を建立することではないのです。
これも筋道が狂ってしまっておるものですから、この文を形式的に仏像造立の意味だけにとらえてしまうのです。
『観心本尊抄』においても、そのほかの大聖人様の御書においても、そのような意義は何もないのですけれども、一尊四土建立ということが御書のなかに説かれているのだというように自分勝手に解釈してしまっておるのであります。

 ただし『四菩薩造立抄』だけは、その文体に考慮の余地があるようですが、これもよく見れば、末法出現の地涌の菩薩の宰領の意義を示されるところ、宗祖の正意が仏像造立でないことは明らかである。
つまり仏像造立と勘違いした富木氏に対する為人悉檀、方便の御指南なのです。

 そのほか、あるいは「二尊四士」があり、勝手な形の「大漫荼羅」があり、さらには「首題本尊」もあるというようなことで、勘定すると五つあると言うのであります。
これは要するに、在世と末法についての教相と観心とのけじめが少しも解らないということであり、したがって大聖人様一期の御化導の真義を全く蹂躙するに至るのであります。

 そこで、末法の衆生を本当に救うためにお顕しになる本尊はいったいなんであるかということをはっきりとお示しになったのが『観心本尊抄』であります。
また、大聖人様が実際にお顕しになったのは仏像造立でなく、三大秘法の随一たる「大漫荼羅本尊」であります。
つまり、
「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。
仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(同六八五n)
と御指南あそばされ、あるいはまた、
 「此の大漫荼羅は仏滅後二千二百二十余年の間、一閻浮提の内には未だひろまらせ給はず」(同六八九n)
と仰せられる如く、上行菩薩が末法に出現して初めて、この御本尊を弘通するのであるということを、ここに御指南あそばされておるのであります。

 すなわち、この『観心本尊抄』一巻の趣意は、権・迹・本等の熟脱の本尊、つまり釈尊の化導は在世ならびに正像二千年で終わったのであり、末法に入っては上行菩薩に特別に付嘱された要法の妙法蓮華経のみが一切衆生を救うところの大法であるということを示されるとともに、その要法の妙法蓮華経とはいったいいかなる相貌であるかについて、末法万年の衆生を導くために大聖人様がいかに命を懸けてこの大事をお示しあそばされたかという、その下種の法体を顕示される一番中心の御書がこの『観心本尊抄』であります。

 しかし、実はまだ、この『観心本尊抄』においては、先程もちょっと言いましたけれども、もう一つ深く入って、日蓮大聖人様の御化導の終極が日興上人への御付嘱にあるという趣意から振り返ってみて初めて、この『観心本尊抄』 の真意を正しく拝することができるのであります。
というのは、この『観心本尊抄』一巻の御指南が、釈尊一代の教相を貫いて末法の観心に及び、縦横無尽のなかにきちんとした筋目をお示しになっておられますので、その趣意は非常に難信難解であります。
「何十年も読んで、ようやく解った」などと言った山川智応という学者がありました。
けれども、本当に解ってはおりません。
明治から大正にかけて盛んになった国柱会というのがありまして、この中心者は山川智応の師匠・田中智学という人でありましたが、この人は 「佐渡始顕の本尊が一番大事だ」などと言ったりしましたけれども、これは全くの誤りであります。
結局のところ、あらゆる門下の人々がいくら勉強をしても、『観心本尊抄』一巻に対する解釈の主体が、仏像執着という一番根本のところでその基本を狂わせてしまっておるのであります。
これに狂うために、いつまで経っても御本尊の正体が解らないのであります。

その他、題号において、「如来滅後五五百歳」と「時」を示される上において、ちょっとお断り申し上げておきたいことは、日寛上人の御指南において一切、誤りのあろうはずはありませんけれども、ただ、文献の上からのことですが、日寛上人の時代は『録内御書』を使っていたのです。
『観心本尊抄』の御真蹟は古来、中山の法華経寺にありますが、当時は現在のように御真蹟を見ることはなかなかできませんでした。
そのような状況の上からのことで、当時出版されていた『録内御書』では、題号の「如来滅後五五百歳」というのが「如来減後後五百歳」となっているのです。
ですから、実際、御真蹟にはどのようになっているかということが判らなかったために、日寛上人も『録内御書』を元とされて「如来滅後後五百歳」という語においてこれを解釈されておりますが、等しく正像二千年を過ぎた末法という趣意であります。
皆さんが今お持ちの御書のなかにははっきりと、御真蹟によって直されてあるように、「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」となっております。
しかし、その意義は全く同等なのであります。

 これは、薬王品の、
 「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して云云」(法華経五三九n)
という御文の精神を、宗祖大聖人様が大集経の「五箇の五百歳」の意義をもって、『観心本尊抄』に「五五百歳」という文でお示しになっておることから来ておる、と私は拝するのであります。
そういう点で、薬王品の経文は「後の五百歳」ですけれども、その「五百歳」の真義は、最初の五百年が解脱堅固、次の五百年が禅定堅固、次の五百年が読誦多聞堅固、次の五百年が多造塔寺堅固、そして次の第五番目の五百歳になって、いわゆる白法隠没闘諍堅固の時にこの本尊が出現するのであるという。とを示されたのであります。

 さて、大聖人様は三十二歳の御時、建長五(一二五三)年四月二十八日に南無妙法蓮華経を唱え始められ、この法門を説き始められました。
その時において、御内証は御自ら上行菩薩の再誕であり、その御所持の南無妙法蓮華経の当体は久遠の本仏であるとの大確信が、既に御胸中におありあそばされたのであります。
しかし、衆生に対する御化導の上においては、当然のことながら、まだまだはっきりと顕されていないのであります。
 『三沢抄』という御書のなかには、
「さど(佐渡)の国へながされ候ひし已前の法門は、たゞ仏の爾前の経とをぼしめせ」(御書一二〇四n)
というお言葉がありますが、爾前経というのは釈尊が法華経を説かれる前の方便教であります。
ですから大聖人様も、宗旨建立から佐渡へおいでになる以前までの御法門では、南無妙法蓮華経という題目を唱えよということを中心にお勧めになっておるのであります。
しかし、それに対して本尊ということに関しては、あまり詳しくお示しになっておりません。
佐渡以降、特にこの 『観心本尊抄』 をお著しになる以降において、そのことをはっきりとお示しあそばされるのであります。

 ところで、大聖人様の御一代においてお顕しあそばされたと称する大漫荼羅は、今、日本の国内で、個人的なものまで入れると、いったいどのくらいの数があるか判りません。
五千幅とも一万幅とも思われますが、考えてみればそれほどたくさんの御本尊を大聖人様がお認めあそばされたはずがないのであります。
なかには、御信者のなかから「先祖代々伝わっている大聖人様の漫荼羅です」と言って、私どもの所へ持ってくる人がおります。
私も十数回そういうものを拝見いたしましたが、一体として本物はありませんでした。
御真筆の御本尊は既に収まる所にきちんと収まっておりまして、それ以外のもので、大聖人様の御本尊と称する先祖伝来の漫荼羅が家庭にあると言う人も多いのですけれども、まず偽物であります。
 ところが驚いたことに、それらの御本尊と称するものの裏に、本物と証明したものが、かなり多くあるのです。
だれが証明したかと言いますと、日蓮宗関係の各本山の貫主と言われるような有名な人が平気で「宗祖御真筆御本尊疑いなきものなり」というように裏書きしてあるのです。
もちろん本宗では絶対に、そういうインチキなことは書きません。

 しからば、大聖人様の御真筆御本尊は、正確にはいったい今、何幅あるかと言いますと、日本中にだいたい百三十数幅、多めに考えても百五十幅未満であります。

 さて、この意味における大聖人様の御本尊の御化導という点から申しますと、また、もう一段の深義があるのであります。
先程申した『三沢抄』 の「さど(佐渡)の国へながされ候ひし己前の法門は、たゞ仏の爾前の経とをぼしめせ」との御文は、釈尊の一代の化導については爾前経と法華経とを相対し、方便と真実を判別してきちんと区別をすることが当然であるように、大聖人様の法門も佐渡以前と以後に重大な違いがあることを示されております。
爾前経と法華経のけじめについての法門は、これを権実相対と言い、この法門は宗旨建立の時から説かれておりますが、所詮は天台の助言であり、もう一歩、深く入って、本門という領域からの御法門が大聖人様独特の弘通のお立場でありますが、これは佐渡以前においては非常に少ないのであ
ります。
少ないというよりも、そのお立場からきちんとお顕しになる時期が、どうしても佐渡以降ということになってくるのであります。
それがこの 『観心本尊抄』等に代表されるところの本門の法門であり、そして、その本門の本義における大聖人様御出世の本懐は何かと言えば、御本尊をお顕しになることに存するということであります。

 その御本尊の御化導のほうから拝しますと、もう一歩、深い意味があります。
それは何かと言いますと、一往、佐渡のところでけじめをつけて、それ以前が爾前経、それ以降が法華経ということになります。
つまり大聖人様の御化導における爾前経と法華経ということです。
ところが、釈尊の御化導における法華経において、どういう区別がありますか。
釈尊の法華経においても、迹門と本門という相違がはっきりあるわけです。
それと同じように、大聖人様の三大秘法の御化導においても、やはり迹門と本門との相違があるのであります。

 大聖人様が佐渡にお流されになったのは文永八(一二七一)年でありますが、それから文永九年、十年と経、翌文永十一年の三月に島を立たれて、四月八日に鎌倉の殿中で再度、平左衛門尉頼綱その他、当時の鎌倉幕府の要職者と対面なさるのであります。
その時もはっきりと、日本国の人々が本当に幸せになるためには邪義邪宗を捨てて、そしてこの妙法蓮華経を受持信行しなければならないということを言いきられたのであります。

 その時の有名な問答において、『立正安国論』以来、邪義邪宗を信仰するところの日本国においては必ず三災七難が起こるぞという予言において、七難のうちの五難まではすべて起こっておりましたけれども、残る二難が起こっておりません。
ただし、そのうちの一難、いわゆる自界叛逆の難は佐渡中に起こりましたが、他国侵逼の難だけはまだ起こっておりませんでした。
それについて、四月八日に殿中で平左衛門が大聖人様に対して「蒙古国が攻め寄せるということを言われるが、いったい、いつごろ寄せてくるのであるか」ということを尋ねているのであります。これは今で言えば、警視総監のような立場の人、そしてもっと上の、一切の兵馬の権を束ねるというような意味も含んでおるのですが、そういう立場の、あらゆる情報を全部知っておるべき人が判らないで、大聖人様に伺っておるのであります。
その時、大聖人様が、
  「経文にはいつとはみ(見)へ候はねども、天の御気色いかりすくなからず、きう(急)に見へて候。よも今年はすごし候はじ」 (同八六七n)
と仰せになりました。
それで結局、そのお言葉のとおりに、文永十一年の十月に蒙古の国が攻めてきたのであります。
これは、大聖人様のお言葉がピタリと、掌を指すが如く未来を予言あそばされたということであります。

 しかし、三度にわたる諌暁も全く容れられなかったために、大聖人様は身延にお入りになりました。
いわゆる「三度の諌め用いられずば山林に交わる」という古賢の言葉もあるということから身延にお入りになり、そして、翌年の文永十二年が建治元年になりますが、建治元年、二年、三年と経て、建治四年が弘安元年になります。
そして弘安元年、二年、三年、四年、五年となって、この弘安五年の時が大聖人様の御年六十一歳であり、弘安五年壬午(みずのえうま)十月十三日に池上において御入滅になるのであります。

 その一期の御化導から拝しますと、実に弘安元年の年に、三大秘法をお顕しあそばされる上における本懐究寛をお示しになっていらっしやるのであります。
これは御本尊、すなわち大漫荼羅顕発の上における一切衆生化導という意義においてであります。それからさらに一年経って、弘安二年の十月十二日に本門戒壇の大御本尊をお顕しあそばされたのであります。

 この弘安元年本懐ということにつきましては日寛上人が、非常に大事なものですから、多くの意義のうちの、ある一面の表現のみにおいて、その意義を示されております。

 今、大聖人様の御本尊を拝してみますと、弘安元年以降において「仏滅後二千二百二十余年」とお書きになった御本尊と、同じく「二千二百三十余年」とお書きになった御本尊とがあるのです。しかし、大聖人様の基本的な御算定によると、弘安元年は仏滅後二千二百二十七年になるのであります。
二十七年ですから「二十余余年」となります。
その意味からすると、仏滅後二千二百二十一年から二十九年までの九年間は「二十余年」と書いてよいわけであります。
三十年になって初めて二千二百三十年となり、その次の年から「三十余年」となることになります。

 ところで、今は写真技術が発達しましたから、現在、日本国に百五十幅程度の御本尊が、どこにどうあるということが判っております。
また、それ以外の御本尊と称するものは、みんな偽物だということも判るのであります。
もちろん、その真蹟だけを拝してみると、弘安元年以降三年までの間において、各年の約半数に「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」 の讃文の御本尊が存在するのであります。

それに対して、弘安元年の前年である建治三年までの御本尊はほとんど「二千二百二十余年」と認められております。
ただ、ちょっと例外がありますが、このことは別の意味がありますので省略いたします。

 そこで、弘安元年より「二千二百三十余年」とお書きになっておるが故に、
  「故に弘安元年已後、究竟の極説なり」 (御書文段一九七n)

ということを日寛上人が、この『親心本尊抄』を講義された時にお示しになっておるのであります。
すなわち「弘安元年以降において、三大秘法をお顕しになる上の、大聖人様の御化導の上の本懐が究寛されたのである」ということをおっしゃっておるのであります。

 この日寛上人の御指南は、たいへん間違いやすいのであります。
邪宗の学者が日蓮正宗の教義を研究し、日蓮正宗を攻撃するために勉強しておりますが、このところで日寛上人の言われる意義を読み違えてしまうのです。
どのように読み違えるかと言いますと、日寛上人は大聖人様の本尊中、「二千二百三十余年」と書いてある御本尊が真実の本懐であって、「二千二百二十余年」という御本尊は、まだ本懐に至っていないのだと言っていると誤解しておるのであります。
つまり、御本尊の「二十余年」と「三十余年」について、本懐か否かの違いがあると言っているように思い込んでおります。

 ところが、日寛上人の御指南をよく読みますと、弘安元年以降の御書や御本尊に「二千二百三十余年」とお示しあそばされ始めてあるが故に、弘安元年以降が本懐究竟であるというように、本懐を「時」に約した意味できちんと結論を示されてあります。
ここのところが、うっかり読む者は大いに間違ってしまうのであります。

つまり、弘安元年以降において「二千二百二十余年」という御本尊がないかといえば、先にも言う如くあるのです。
弘安二年にもありますし、三年にもあります。

 さて、大聖人様の御算定によると、これはあらゆる御書からずっと総合的に見て、仏滅後二千二百二十七年が弘安元年であると算定されていたことが間違いなく言えるのであります。
したがって、以降、弘安三年までの間に「二千二百二十余年」という御本尊が半数ほどあるのは、また当然なのであります。

 この件に関する日寛上人の御指南について申しますと、釈尊が説かれた一部八巻二十八品の法華経は八ヵ年の御説法と言われております。
平均してみると、一年に三品半を説かれたということになります。
そうすると、寿量品をお説きになったのは釈尊の御入滅から四年前になります。
したがって、釈尊が亡くなった時から起算すれば弘安元年が二千二百二十七年になりますけれども、その四年前の、寿量品をお説きになった年を基準にして算定すれば、四年を足すことにより二千二百三十一年になりますから、弘安元年は「三十余年」となるのであります。
この理由により、弘安元年以降「二千二百三十余年」と示し始められた意味があると、日寛上人は指摘されております。
けだし、このことは大聖人様が御本尊をお顕しあそばされる上において、寿量品の甚探の意義を鑑照あそばされ、その寿量品の文底の久遠元初自受用報身如来の御境界をもって、弘安元年以降において御本尊を顕し始め給うことと拝されるのであります。

 もちろん、それ以前において、佐渡においでになる前の文永八年九月十二日、これはまだ文永八年ですけれども、
「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑(ねうし)の時に頚はねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、おそ(怖)ろしくてをそろ(恐怖)しからず。み(見)ん人、いかにををぢ(怖)ぬらむ」 (御書五六三n)
という『開目抄』 の有名な御文があります。
この御文を深く拝するときに、この「魂魄」とは何か。
あの竜の口の頚の座において、いわゆる凡夫の日蓮の頚が切れて久遠元初凡夫即極の自受用報身如来と顕本あそばされ、その御本仏の内証において佐渡の国においであそばされたのである、ということであります。
また、その意義も現証も明らかであります。

 しかし、御化導ということは衆生に対する意義であり、直ちに御自身の内証そのものとは異なります。
すなわち大聖人様がその内証の御境界をお持ちであっても、これを形の上にお顕しあそばされなければ、末法の衆生はこの自受用報身如来の大利益を受けることはできません。
そこで、これを顕すのは何かと言えば、時によるのであります。
ここに大聖人様が「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ」と仰せあそばされた大漫荼羅の顕発の根本意義が存するのであります。

 つまり、大漫荼羅をお顕しあそばされるということは、これは末法万年の衆生に対する御化導のほうに入るのであります。
大聖人様がその在世からさらに滅後末法万年の多くの民衆を導かれるということ、すなわちこれは御化導であります。
一切衆生が苦しんでいる姿、狂っている心を正しくし、不幸な境界を幸せにするというところが、大聖人様の御化導の目的なのであります。
そのためには、久遠元初自受用報身如来の絶大な境界、お悟りの境界を、我々の目に見えるように顕されなければなりません。
そこに大漫荼羅の顕発があるということであります。

しかし、まだ佐渡および身延の半ばまでの時期においては、その大漫荼羅の御化導において、それ以前の御修行により御自身は寿量品の仏として究竟あそばされても、出世の本懐たる大漫荼羅を万年のために顕される上においては、その時が来ていない意味があるのであります。 

 大聖人様が佐渡にお流されになった時には、弟子のなかにも退転した者がおり、檀那にも退転した者がおります。
そして、もう大聖人様に付き従う者はほんのわずかしかいないような状態になってしまい、ただ日興上人お一人が佐渡の国において大聖人様に常随給仕をあそばされました。
このような状態において、いまだ未来の広宣流布のための本懐を顕すべき時期に至っておらないということが拝されます。

つまり、佐渡の国におられるうちは、表向きは罪人であります。
国家の罪人として佐渡の国に流されておるわけであり、また法華経の文々句々を身に当てて読み、真の法華経の行者の意義を顕すという上からも、まだ身業読誦が終わっていないのであります。
「数数見積出」 (法華経三七八n)
という経文は、時の国王、大臣、婆羅門等によって、しばしば所を追われるという大難であります。
しばしばということは、一回ではなく二回以上、その体験を実際にあそばすことが真の法華経の行者の振る舞いとして大事なのであります。

鎌倉松葉ケ谷の夜打ちや伊東・佐渡の配流はまさにこれであり、この経文を身に当ててお読みあそばされて大聖人様は無事に佐渡からお帰りあそばされ、それから身延にお入りになって、御本仏の大慈悲の上より文永、建治、弘安と次第次第に三大秘法整足、本懐顕発の御境界を究寛あそばされたのであります。

 このような経過からも、文永から建治年間は、ただ 「二千二百二十余年」とお書きになっておるのみでなく、そのほかにも未究寛の御本尊、すなわち文上の意義を含んだ御本尊の形貌(ぎょうみょう)をお示しあそばされた意味が存するのであります。
つまり、脱益仏たる釈尊の化導の意義をそこに含めた意味での大漫荼羅をお顕しあそばされたという重大な証拠があります。
しかし、それがどこであるかということは、ここでは敢えて申し上げません。

 それからもう一つは、これははっきりしておることでありますからちょっと申し上げますけれども、御判形の内容が建治三年と弘安元年において、がらっと変わるのですが、これにも深意があります。

そのほか、まだ大きな前後の相違がありますが、ともかく弘安元年が、そういう意味で、大聖人様の深い御境界において、はっきりと御化導の上から、そこに一線を画されておるということが拝されます。

 しかし、こういう点は大事でありますから日寛上人はあまり広くおっしゃっておりませんけれども、とにかく大聖人様の大漫荼羅に関する御化導の深義について、「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」との相違を一往基本として、ここにポイントを置いて日寛上人がお示しになったということであります。

ですから、弘安元年に「二千二百三十余年」とお書き始めになったということは寿量品よりの算定であり、そのことはまた、寿量品を拝され、寿量品の文底の意義を取って、ここに御本尊をお顕しあそばされたことであります。

 しかし、そうするとやはり「二千二百三十余年」という御本尊が本当であって、二千二百二十余年と書かれてある御本尊は未究竟のはずではないか」と、うっかり思うでしょう。そこが違うのです。そうではないのです。

日寛上人は、けっしてそうはおっしゃっていないのであります。
「故に弘安元年已後、究寛の極説なり」と、
御化導の時期に約しておっしゃっているのです。
けっして一々の御本尊について究竟・未究竟を言われるのではありません。
しかして、弘安元年以降三年までに「二十余年」と「三十余年」の両様の御本尊が拝されることは、久遠元初本仏の報身・応身における表れの違いはあっても、所詮、本懐究竟後の一身即三身・三身即一身であり、応身に即して報身が具わり、また報身に即して応身が具わるわけでありますから、末法に御出現の大聖人様の凡夫即極の御当体のなかに、釈尊から付嘱を受けた久遠元初本因妙の妙法蓮華経を所持し、顕示あそばされるところを基本として拝してみれば、「二十余年」も「三十余年」も共に、弘安以降においては本懐究竟なのであります。

これは、そのほかにも三、四の重大な変化が建治と弘安の御本尊において拝せられる上からも、弘安以降の御本尊が本懐究竟という意義がそこに確立しているのであります。

 それをうっかり間違って、「二千二百三十余年の本尊が本懐究竟だと日寛が言っている」というようなことを言って大石寺の御本尊を謗る材料にしておる他門の学者がありますが、短見・迷見と言うほかはありません。「二千二百二十余年」も「二千二百三十余年」も共に、弘安元年以降にお顕しあそばされた大聖人様の御本尊は、それ以前の御本尊に対して本懐究竟でありまして、そのなかにおいて、特に弘安二年においてお顕しあそばされた閻浮総与の御本尊、すなわち本門戒壇の大御本尊が本懐中の本懐であり、究竟中の究竟であります。

このように「始む」という意味においても、ただ一字ではありますけれども、こういう深意があるのであります。

 また、ついでに述べれば、以上の論証をさらにはっきり裏づける事実として、弘安四年、五年の御本尊においてはすべて「二千二百三十余年」であり、「二十余年」は一幅もありません。
つまり弘安四年以降は、大聖人の基本算定たる弘安元年が二千二百二十七年であり、これより数えるのと寿量品の算定とが共に二十年代を超える故に、弘安四年以降「二十余年」の本尊が存在しないのです。
これが前説の例証と言えるのであります。



 次に「如来の滅後五五百歳に始む観心の本尊抄」とある「観心」ということであ
りますが、これは何かと言いますと「心を観ずる」ということであります。これは
一往、末法の大聖人様の仏法へ来るまでの釈尊仏法においては、我が心を観ずると
いう意味の修行法が主体になっております。
 その心のなかでも実は色々ありまして、我々が全く覚知できない奥深い所にある
心が、我々の心のなかに存しております。つまり、前世からその前、その前と、
ずっと元から持っておるところの、その人独特の因子とでも言いますか、そういう
ものがあるのであります。それは「八識元初の一念」と言いまして、到底、自覚で
きないのですけれども、その前世の前世において、いつとなく迷い出た心があるの
                                      むさぼ
です。その迷い出た元の形が、例えば食欲が主であれば今世において非常に余りの
             いか
多い衆生になってきて、勝りが元になつておりますと眠りの多い衆生になつて顕れ
るというようなことであります。けれども末法の衆生は皆、瞑りが多いばかりでは
ありません。貧・隕・療と申しまして、貧りも眠りも愚痴も皆、平等にたくさん


 持っているのであります。
  しかし、これらには八識という、迷いが出てくる一番元の種があるのでありま
r
 す。これは我々も皆さんも心のなかに持っているのですけれども、末法の衆生の心
 の能力では到底それを自覚することはできません。催眠術の上手な人に誘導されて
 催眠状態となり、ずっと心の奥底に入っていくと色々と過去の記憶が出てくるで
井川ノ
仰ししょう。催眠術の上手な人が五十歳の人に向かって催眠をかけ「あなたは今、四十
葺歳になりました」と言うと、四十歳の時の心に戻っていくのです。それからだんだ
つ んと三十歳、二十歳、十歳となり、一歳になると本当に子供に帰って泣き出すとい
)い

じうのです。こういうことを知っている人もあると思いますが、実際にそういうこと
があります。人間の心というものは、それほど不思議なものなのであります。しか
レ し、その催眠術で判るあたりのことは仏法で説く、せいぜい七識の辺までなので
象す。ですから、八識というとその奥にあるのですから、到底、普通の人間が覚知で
繁るものではありません。
巌 ただし、釈尊在世の人や正法時代の人、いわゆる舎利弗、目連とかその弟子のよ
親機紺楓・懲息
うな人達はこの辺の心をきちんと自分自身で観じて、これを知ることができたので
あります。そして、その時代に流布されたところの妙法を根底とする応病与薬の法
によって、これを観じながら仏に成っていったのであります。それが八識元初の一
念を観ずるということであります。
 さらに、もっと利根の人は 「不起の一念」を観ずるというのです。これは迷いに
なる前の、法そのものの姿、「天真独朗」という言葉がありますけれども、その
こ▼つこ−つ
晃々たる悟りが我々の心にあるのです。これは元初の一念よりなおさら難しいとこ
ろにあり、到底、自らの力で覚知できるものではありません。特に末法の衆生は絶
                 ろうねん
対にできないのであります。その朗然たる心というものをそのまま観ずること、こ
れが不起の一念を観ずるということであります。
 しかし、これも昔の釈尊在世時代の非常に機根の勝れた人々はそれを観ずること
ができたのであります。それが像法時代になると、天台大師が中国に出現され 『摩
討止観』 によって一念三千を示されました。この時代はかなり機根能力が下がって
きていますから、その一念三千の 「一念」とは何かと言いますと、先の八識元初の


一念とか不起の一念というような実に深い高尚なところではなくして「根塵相対の
                  こん
一念」というものであります。「根」というのは六根、すなわち我々の眼と耳と鼻
と舌と身と意であります。つまり、限は物を見て青・黄・赤・自・黒等の色や形を
                  にお  力
見ます。また耳は音を聞き、鼻は匂いを喚ぎ、舌は味を感じ、そして身は触感によ
り柔らかいとか堅いとか色々なものを感じます。それらのものを全部総合するのが
意識でありまして、それを「第六識」と言います。これは我々の普通の日常生活の
心であります。怒ったり笑ったり、喜んだり悲しんだり、色々なものを認識し、評
価し、様々の意欲によって活動しますが、これらはすべて六識で行うのでありま
す。これは我々も、自分自身の心が自分自身で判るわけです。
 例えば、自分が今笑っていることについて、どうして笑っているかというと、耳
根によって、その対象となる耳塵が何か笑うべき意味があり、それを耳根が受けて
                    =しん
耳識へ送り、耳識はそれを領納して「塵」 に相対するから笑うのであります。何も
ないのに笑っていれば精神的におかしな人であります。例えば、落語を聞いてその
人の話が耳に入り、おもしろいと感じて笑うのであります。その場合、その落語家
 の話が塵でありまして、外界から入ってくる刺激を言います。それによって我々の
 根が色々なものを感ずるということであります。これがいわゆる根塵相対でありま
 す。
  その根と塵とが相対して起こつてくるところの念々の、暑いとか寒いとか、ある
 いは愉快だとか腹が立つとか、そういう気持ちをそのまま直ちに、この妙法の法理
 の土台の上にこれを掛けるわけであります。そして、この心即妙法蓮華経という意
・義を理論的に述べれば、空仮中の三諦という法門になるのであります。このことは
.難しいものでありますし、今これを論じておりますと長くなりますので省略いたし
                                     み
くますが、そういう意味の、即空即仮即中の円融の三諦であるとして観る、すなわち
 迷いの心を悟りに転化するのが、天台の根塵相対の一念三千の観念・観法というこ
しtとであります。これが像法時代の観心、いわゆる実践修行門であります。
川イモ
し それによって上根上磯の人は、それで悟りを開き、仏に成っていきました。一
 度、真の悟りが開けば、それからあとは見るもの間くもの、すべて明らかで、弁舌
 は立て板に水を流すが如く、仏法の法理から何から何まで天ムロ大師の如くに説くこ

とができますし、悟ることができるのであります。そういう境界なのであります
が、はっきり言って、この観心のみによって法華の悟りに到達した人は天台大師一
人なのであります。したがって、それ以下の人々のためには色々な方便の段階を経
て準備の修行が説かれ、これがまた、たくさんあるのですけれども、最後に己心を
観じて悟りを開きます。これらが天台の 『摩討止観』 の内容を構成しておるのであ
ります。
 けれども、像法時代はかなり機根が落ち込んできますから、いざ一大事という時
には、この天台の観念・観法ではどうしようもない場合があります。そういう時の
ためには天台でも一番大切なところを説いております。それは何かと言いますと、
天台の時代には南無妙法蓮華経と唱えるということは、これは時がありませんし付
嘱がなかったために、天台大師は明らかに言われませんでしたけれども、特に臨終
の時だけは、その断末魔の苦しみが迫ってきて不用意でいると地獄に堕ちたり餓鬼
へ堕ちたりするために、その時だけは南無妙法蓮華経と唱えよ、妙法蓮華経を理論
的に頭の上で観念・観法していくのは像法時代の普段の修行だけれども、いよいよ
となつた時には南無妙法蓮華経と唱えよということを言っておるのであります。こ
れは「臨終の一念三千・一心三観」ということであります。この「三観」というの
は空仮中の三諦の法門のことですけれども、それは突き詰めれば、ただ南無妙法蓮
華経と鳴えることであるということも説かれておるのでありま代L
 さて、末法においては、その衆生はさらに機根が落ちているために、我が心の空
仮中の円融を観ずる理論的な観念・観法では絶対に仏には成れないのみならず、む
しろ地獄に堕ちてしまうのであります。故に末法で一番大事なのは、末法に出現す
る仏法を正しく拝し「侶」 の心を起こすことであると言われるのです。その信の心
を起こすところに、おのずから「行」が顕れてくるのであります。
 これは何かと言いますと、大聖人様が御出現になつてお顕しあそばされるところ
の本門の本尊を信ずること、そして南無妙法蓮華経と唱えるということです。その
本尊のなかに、我々も含めた宇宙法界森羅万象の法理・法則がことごとく具わって
おるのであり、また、それだけでなく、末法出現の御本仏大聖人様の境智冥合の御

                                                                











































 そこで、「我が如く等しくして異なること無し」という文は、三身に即する一身
としての、久遠元初名字即極の自受用報身の境地をお示しであります。故に、引文
の 「我」とは一身即三身・三身即一身の上の、ただ一身たる自受用身を示す意であ
ります。それに対し、この次の宝塔品の文は法・報・応と、三身の仏の姿を示され
てあります。つまり、この方便品の 「如我等無異」 の文をお引きになつたのは、三
身に即する一身として一身のほうを示されるためであり、その一身とは、すなわち
久遠元初の自受用報身如来の徳を顕し、この仏の願いとして、自分と一切衆生とが
全く等しくして異なることなからしめんという大慈悲であることを、この文をもっ
てお示しであります。
 次に 「我が昔の所願」とありますが、この場合の 「昔」は五百塵点劫だけではな
    ヽ


  「我本行菩薩道」 (法華経四三三り)
の、さらに昔の、
ぶばいじょうしゅ
「復倍上数」
(同ご互毎々丸象り長
の、一番根本のところです。いわゆる 『総勘文抄』 において、
                     おわ
  「五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろし
  めして即座に悟りを開きたまひき」 (御善一四一九”−)
と示される、久遠元初三身即一身の自受用報身如来の願いである。
                                 .丁  みな
 その願いのところに、おのずから慈悲が生じ、「一切衆生を化して皆仏道に入ら
            がん     すで
し」めんとするところの願は、「今は己に満足し」たとは何によるかと言えば、大
聖人様が末法に御出現あそばされ、大難四力度、小難数知れざる様々な法華経の御
修行、お振る舞いを身に当ててお読みあそばされて、法華経の意義・内容はことご
とく日蓮の振る舞いにあるという、その功徳の上から顕されたのが本門の大漫奈
羅、さらに克実すれば本門戒壇の大御本尊であります。この意義を、大聖人様は前
もって 『義浄房御書』 に、
                                   hはっ
  「寿量品の自我偶に云はく『一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜
 しまず』云云。日蓮が己心の仏呆を此の文に依って顕はすなり。其の故は寿量

ということを日寛上人が、この『観心本尊抄』を講義された時にお示しになつてお
るのであります。すなわち「弘安元年以降において、三大秘法をお顕しになる上
の、大聖人様の御化導の上の本懐が究寛されたのである」ということをおっしゃっ
ておるのであります。
 この日寛上人の御指南は、たいへん間違いやすいのであります。邪宗の学者が日
蓮正宗の教義を研究し、日蓮正宗を攻撃するために勉強しておりますが、このとこ
ろで日寛上人の言われる意義を読み違えてしまうのです。どのように読み違えるか
と言いますと、日寛上人は大聖人様の本尊中、「二千二百三十余年」と書いてある
御本尊が真実の本懐であって、「二千二百二十余年」という御本尊は、まだ本懐に
至っていないのだと言っていると誤解しておるのであります。つまり、御本尊の
「二十余年」と「三十余年」について、本懐か否かの違いがあると言っているよう
に思い込んでおります。 之γむも
 ところが、日寛上人の御指南をよく読みますと、弘安元年以降の御書や御本尊に
「二千二百三十余年」とお示しあそばされ始めてあるが故に、弘安元年以降が本懐
究尭であるというように、本懐を「時」に約した意味できちんと結論を示されてあ
ります。ここのところが、うっかり読む者は大いに間違ってしまうのであります。
つまり、弘安元年以降において「二千二百二十余年」という御本尊がないかといえ
ば、先にも言う如くあるのです。弘安二年にもありますし、三年にもあります。
 さて、大聖人様の御算定によると、これはあらゆる御書からずっと総合的に見
て、仏滅後二千二百二十七年が弘安元年であると算定されていたことが間違いなく
言えるのであります。したがって、以降、弘安三年までの間に「二千二百二十余
年」という御本尊が半数ほどあるのは、また当然なのであります。
 この件に関する日寛上人の御指南について申しますと、釈尊が説かれた一部八巻
二十人品の法華経は人力年の御説法と言われております。平均してみると、一年に
三晶半を説かれたということになります。そうすると、寿量品をお説きになったの
は潮尊の御入滅から四年前になります。したがって、釈尊が亡くなつた時から起算
すれば弘安元年が二千二百二十七年になりますけれども、その四年前の、寿量品を
お説きになつた年を基準にして算定すれば、四年を足すことにより二千二百三十一

年になりますから、弘安元年は「三十余年」となるのであります。この理由によ
り、弘安元年以降「二千二百三十余年」と示し始められた意味があると、日寛上人
は指摘されております。けだし、このことは大聖人様が御本尊をお顕しあそばされ
る上において、寿量品の甚深の意義を鑑照あそばされ、その寿量品の文底の久遠元
初自受用報身如来の御境界をもって、弘安元年以降において御本尊を顕し始め給う
ことと拝されるのであります。
 もちろん、それ以前において、佐渡においでになる前の文永八年九月十二日、こ
れはまだ文永八年ですけれども、
                   ねうし   くび      これ こんばく
  「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ。此は魂塊佐土
                                                 師
  の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、を一そ
     恐怖     見      怖
 ろしくてをそろしからず。みん人、いかにをぢぬらむ」 (御書五六三舛−)
という『関目抄』 の有名な御文があります。この御文を深く拝するときに、この
「魂晩」とは何か。あの竜の口の頚の座において、いわゆる凡夫の日蓮の頚が切れ
て久遠元初凡夫即極の自受用報身如来と顕本あそばされ、その御本仏の内証におい
て佐渡の国においであそばされたのである、ということであります。また、その意
義も現証も明らかであります。
 しかし、御化導ということは衆生に対する意義であり、直ちに御自身の内証その
ものとは異なります。すなわち大聖人様がその内証の御境界をお持ちであっても、
これを形の上にお顕しあそばされなければ、末法の衆生はこの自受用報身如来の大
利益を受けることはできません。そこで、これを顕すのは何かと言えば(汲ノよる
のであります。ここに大聖人様が「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候
ぞ」と仰せあそばされた大漫奈羅の顕発の根本意義が存するのであります。
 つまり、大漫茶羅をお顕しあそばされるということは、これは末法万年の衆生に
対する御化導のほうに入るのであります。大聖人様がその在世からさらに滅後末法
万年の多くの民衆を導かれるということ、すなわちこれは御化導であります。一切
衆生が苦しんでいる姿、狂っている心を正しくし、不幸な境界を幸せにするという
ところが、大聖人様の御化導の目的なのであります。そのためには、久遠元初自受
用報身如来の絶大な境界、お悟りの境界を、我々の日に見えるように顕されなけれ

ばなりません。そこに大漫茶羅の顕発があるということであります。しかし、まだ
佐渡および身延の半ばまでの時期においては、その大漫茶羅の御化導において、そ
れ以前の御修行により御自身は寿量品の仏として究寛あそばされても、出世の本懐
たる大漫茶羅を万年のために顕される上においては、その時が来ていない意味があ
るのであります。 ヱサ川〃
 大聖人様が佐渡にお流されになつた時には、弟子のなかにも退転した者がおり、
檀那にも退転した者がおります。そして、もう大聖人様に付き従う者はほんのわず
かしかいないような状態になつてしまい、ただ日興上人お一人が佐渡の国において
大聖人様に常随給仕をあそばされました。このような状態において、いまだ未来の
広宣流布のための本懐を顕すべき時期に至っておらないということが拝されます。
っまり、佐渡の国におられるうちは、表向きは罪人であります。国家の罪人として
佐渡の国に流されておるわけであり、また法華経の文々句々を身に当てて読み、真
の法華経の行者の意義を顕すという上からも、まだ身業読諦が終わっていないので
あります。
   さくさっけんひんずい
  「数数見接出」 (法華経三七八「)
という経文は、時の国王、大臣、婆羅門等によって、しばしば所を追われるという
大難であります。しばしばということは、一回ではなく二回以上、その体験を実際
にあそばすことが真の法華経の行者の振る舞いとして大事なのであります。鎌倉松
  やつ
菓ケ谷の夜打ちや伊東・佐渡の配流はまさにこれであり、この経文を身に当ててお
読みあそばされて大聖人様は無事に佐渡からお帰りあそばされ、それから身延にお
入りになつて、御本仏の大慈悲の上より文永、建治、弘安と次第次第に三大秘法整
足、本懐顕発の御境界を究菟あそばされたのであります。
 このような経過からも、文永から建治年間は、ただ「二千二百二十余年」とお書
きになつておるのみでなく、そのほかにも未究寛の御本尊、すなわち文上の意義を
       ぎょうみょう
含んだ御本尊の形貌をお示しあそばされた意味が存するのであります。つまり、脱
益仏たる釈尊の化導の意義をそこに含めた意味での大漫茶羅をお顕しあそばされた
という重大な証拠があります。しかし、それがどこであるかということは、ここで
 あ
は敢えて申し上げません。
’レー ゝ
トll ヽ


 それからもう一つは、これははつきりしておることでありますからちょつと申し
            はんぎょう
上げますけれども、御判形の内容が建治三年と弘安元年において、がらっと変わる
のですが、これにも深意があります。そのほか、まだ大きな前後の相違があります
が、ともかく弘安元年が、そういう意味で、大聖人様の深い御境界において、はつ
                     かく
きりと御化導の上から、そこに一線を画されておるということが拝されます。
 しかし、こういう点は大事でありますから日寛上人はあまり広くおっしゃってお
りませんけれども、とにかく大聖人様の大漫茶羅に関する御化導の深義について、
「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」との相違を一往基本として、ここに
ポイントを置いて日寛上人がお示しになつたということであります。ですから、弘
安元年に「二千二百三十余年」とお書き始めになつたということは寿量品よりの算
定であり、そのことはまた、寿量品を拝され、寿量品の文底の意義を取って、ここ
に御本尊をお顕しあそばされたことであります。
 しかし、そうするとやはり「二千二百三十余年という御本尊が本当であって、二
千二百二十余年と書かれてある御本尊は未究尭のはずではないか」と、うっかり思
 うでしょう。そこが違うのです。そうではないのです。日寛上人は、けっしてそう
 はおっしゃっていないのであります。「故に弘安元年己後、究克の極説なり」と、
 御化導の時期に約しておっしゃっているのです。けっして一々の御本尊について究
 寛・未究克を言われるのではありません。

しかして、弘安元年以降三年までに「二十余年」と「三十余年」の両様の御本尊
†が拝されることは、久遠元初本仏の報身・応身における表れの違いはあっても、所
′詮、本懐究寛後の一身即三身・三身即一身であり、応身に即して報身が具わり、ま
 た報身に即して応身が具わるわけでありますから、末法に御出現の大聖人様の凡夫
 即極の御当体のなかに、釈尊から付嘱を受けた久遠元初本因妙の妙法蓮華経を所持
 し、顕示あそばされるところを基本として拝してみれば、「二十余年」も「三十余
 年」も共に、弘安以降においては本懐究寛なのであります。これは、そのほかにも
 三、四の重大な変化が建治と弘安の御本尊において拝せられる上からも、弘安以降
 の御本尊が本懐究克という意義がそこに確立しているのであります。
 それをうっかり間違って、「二千二百三十余年の本尊が本懐究克だと日寛が言っ



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91

「摩詞止観第五に云はく、」

 この 「摩討止観第五」というのは、その第五巻において十章のなかの第七番目・正観章があり、そこに初めて天台大師が「一念三千」ということを説かれた文の場所を示すのであります。

 この一念三千ということが天台大師としても実に大事な法門であるために、『摩詞止観』を説き始めてからも、第一・大意章、第二・釈名草、第三・顕体章、第四・摂法(しょうぼう)章、第五・偏円章を経て、第六の方便章に至るまで少しも、この一念三千という名義を説かれなかったのであります。
第七・正観章に来たって初めて、この一念三千の法門を説き出されたという次第であり、それがこの次に引用される 『摩訶止観』 の文であります。

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92

「夫(それ)一心に十法界(じっぽうかい)を具(ぐ)す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば百法界に即ち三千種の世間を具す。世間と如是と一なり。開合の異なり。此の三千、一念の心に在(あ)り。若(も)し心無(な)くんば已(や)みなん。介爾(けに)も心有れば即ち三千を具す。乃至所以(ゆえ)に称して不可思議境(ふかしぎきょう)と為(な)す意此(こころここ)に在り」等云云。或本に云はく「一界に三種の世間を具す」と。

 そこで、初めの「夫(それ)一心に十法界を具す」という文からが『摩訶止観』の文であります。
すなわち、一つの心に十の法界が具わっておるということです。
これは法華経の法門において、初めて天台大師が「一心に十法界を具す」ということを言われたのであります。
これは実に、考えてみると大変な御法門であります
。我々凡夫はなかなかこのことを信じられません。
「ああ、そうか。一心に十法界を具すのか」などと、ただ簡単に思うかも知れませんが、考えてみますと、これは実に容易ならざる意義があるのであります。

 我々が不幸になを原因は、わがままな悪い心、不幸な心があるから、それによって地獄に堕ち、餓鬼に堕ち、畜生に堕ちるのです。
そこからまた浮かび上がって人間界に出てくることもあります。

 この不幸な六道から離れようとすると、どうしても六道に堕ちる原因をなくさなければいけないと思ってしまうのです。
地獄のような不幸からのがれるためには、地獄の心を捨てなければいけないと思うのです。
世間の人々も漠然としてよく解らぬながらも、みんなそのように思っておりますが、それが実は大きな間違いなのです。

 それをしようとすると、餓鬼も捨てなければなりません。
畜生も捨てなければなりません。
そうすると、だんだん捨ててしまって、最後には六道のすべてを捨てなければならなくなってしまいます。
その六道を捨て、心をなくしてしまって初めて声聞、緑覚、菩薩、それから仏界に昇っていくということを説くのが、実は小乗仏教なのであります。

阿含経等において説くのは、不幸になる原因があるから不幸になるのであって、これをすべてなくさなければいけない。したがって、心を生ずれば迷いの六界、心を滅すれば悟りの四界であると言われております。

 ところが大乗になりますと、もう一歩進んで、小乗で言う「灰身滅智」、我々が実際に身も心もすべてなくしてしまうような修行は本当のものでなく、菩薩の修行をすることにより仏に成れるのだということを説くのであります。
ですから、これは我々の発心如何で、六道という不幸な迷いの境界のみでなく、声聞にも縁覚にも菩薩にも、さらには仏にも成れるのだということを説くのです。

 しかし、その仏に成るためには今の迷いの凡夫のままでは不可能であって、これを捨てて声聞、緑覚の修行をし、さらに発心して菩薩の修行をしていく。
その菩薩の修行においてまた、十信、十住、十行、十回向、十地、等覚というように、何百年も何万年も生まれ変わり、何百生も生まれ変わり死に変わって槌砧鍛錬(ついちんたんれん)陶冶を繰り返しっつ、ようやく仏に成れるのだというように説いております。→

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五十二位(ごじゅうにい)
大乗の菩薩の修行段階を52に分けて示したもの。華厳経や菩薩瓔珞本業経に基づくとされる。@十信A十住B十行C十回向D十地E等覚(仏の覚りに隣接し、間もなく仏になろうとする段階)F妙覚(覚りの境地、菩薩が到達する最高の段階)を合計して五十二位となる。天台宗の解釈では、その内容の立て分け方が別教と円教とで異なっている。別教では十回向以下を凡位、初地以上を聖位とし、さらに凡位の中で十信を外凡、十住・十行・十回向を内凡(または三賢)とする。これに対し円教の菩薩の位では、十住以上を聖位、十信を内凡位とし、十信の前に法華経分別功徳品第17に説かれる「滅後の五品」の段階(五品弟子位)を置いて外凡位とする。日蓮大聖人の仏法では、五品の位より下位である名字即の位で、五十二の階位を経ずに成仏すると説かれる。

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十信(じっしん)
菩薩の修行の52の階位である五十二位のうちの最初の10の位。菩薩として持つべき心のあり方を身につける位。三惑(見思惑・塵沙惑・無明惑)のうちの見思惑すらまだ断じていない位で、別教の菩薩の位としては外凡と位置づけられる。円教の菩薩の位としては内凡と位置づけられる。
@信心(清浄な信を起こす位)A念心(念持して忘れることのない位)B精進心(ただひたすらに善業を修する位)C定心(心を一つの処に定めて動じない位)D慧心(諸法が一切空であることを明確に知る位)E戒心(菩薩の清浄な戒律を受持して過ちを犯さない位)F回向心(身に修めた善根を菩提・覚りに回向する位)G護法心(煩悩を起こさないために自分の心を防護して仏法を保持する位)H捨心(空理に住して執着のない位)I願心(種々の清浄な願いを修行する位)をいう。

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十住(じゅうじゅう)
菩薩の修行の52の階位である五十二位のうちの第11から第20の位。真実の空の理に安定して住する位。初住である発心住は、菩薩の不退位の初めであり、見思惑・塵沙惑を断ずる菩薩の初位にあたる。別教の菩薩の十住は内凡と位置づけられる。菩薩の修行の中で成仏の因である正因・了因・縁因の三仏性は初住から開き始めるので、五十二位中でも初住は大事な位となる。
@発心住(十信を成就し広く智慧を求める位)A治地住(常に空観を修して心を清浄に保つ位)B修行住(もろもろの善法や万行を修する位)C生貴住(諸法は因縁の和合によって存するので、諸法の常住不変な体はないとの法理を理解し、本性が清浄である位)D方便具足住(無量の善根を修して空観を助ける方便とする位)E正心住(空観の智慧を成就する位)F不退住(究竟の空理を明かして退かない位)G童真住(邪見を起こさずに菩提心を破らない位)H法王子住(仏の教えを深く理解して未来に仏の位を受ける位)I灌頂住(空・無相を観じて無生智を得る位)をいう。

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十行(じゅうぎょう)
菩薩の修行の52の階位である五十二位のうちの第21から第30の位。利他の修行を行い、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧・方便・願・力・智の十波羅蜜を成就する。三惑のうち、見思惑・塵沙惑を断じた不退の位。
@歓喜行(外道邪見に動かされずに一切所有の物を衆生に施し、歓喜の心を生じさせる位)A饒益行(常に一切の衆生を教化して利益する位)B無恚恨行(無違逆行ともいう。忍辱を修して怒りを離れ、へりくだって謹み敬う位)C無尽行(無屈撓行ともいう。一切の衆生を成仏に至らしめる位)D離癡乱行(無癡乱行ともいう。一切の法において乱されず、正念を失うことがない位)E善現行(生々世々に常に仏国に生まれて、一切の衆生の教化を捨てない位)F無著行(一切の法において著する所のない位)G尊重行(難得行ともいう。三世にわたって仏法の中に常に善根を尊重して成就する位)H善法行(法を説いて人に授け、もって正法を守護し、人々の模範となる位)I真実行(無為真実の性によって、仏法を学び語と行と相応じて、色心みな順ずる位)をいう。

-----------------------------------------

十回向(じゅうえこう)
菩薩の修行の52の階位である五十二位のうちの第31から第40の位。これまでの仏道修行で得た功徳を回[めぐ]らし転じて衆生に振り向け、自他ともに成仏を期す位。
@救護一切衆生離衆生相回向(略して救護衆生回向。六波羅蜜・四無量心などを行じて、一切衆生を救護する位)A不壊回向(三宝のもとで不壊の信を得て、その善根により衆生に善利を回向する位)B等一切仏回向(三世諸仏の振る舞いと同じく、生死に著せず菩提心を離れず修行する位)C至一切処回向(行力によって修めた善根をあまねく一切の三宝や衆生の処に至らしめ、供養利益をなす位)D無尽功徳蔵回向(略して無尽蔵回向。一切無尽の善根を喜び、これを回向してもろもろの仏事を行い、それによって無尽の功徳善根を得る位)E随順平等善根回向(修行して得た善根を回向して衆生に平等に施し、仏に守護されて、よく堅固な善根を成ずる位)F随順等観一切衆生回向(一切の善根を増し、これを回向して、一切の衆生を利益する位)G如相回向(如相に順じて成ずるところの種々の善根を回向する位)H無縛無著解脱回向(一切法において取執縛著なく、善法を回向し、一切智を得る位)I法界無量回向(一切無尽の善根を修習して、これを回向して法界差別無量の功徳を願求する位)をいう。

-----------------------------------------

十地(じゅうじ)
「じっち」とも読む。仏道修行者の修行段階・境地を10種に分けたもの。地とは能生・所依の義で、その位に住してその位の法を持つことによって果を生成するものをいう。教の浅深によって、説かれる十地の内容も異なる。主なものは?三乗共の十地?大乗菩薩の十地などである。他に仏の十地、声聞の十地、縁覚の十地がある。
?三乗共の十地。通教十地ともいう。声聞・縁覚・菩薩の三乗に共通なもので、四諦・十二因縁・六波羅蜜を行じ、見思惑を断じて覚りを得る境地。@乾慧地(乾慧とは法性の理水も潤し得ない乾燥した有漏の智慧で、智慧はあるが法性の空理を証得していない位。声聞の三賢位〈外凡〉、菩薩の順忍以前にあたる)A性地(わずかに法性の空理を得て見思惑を伏する位。声聞の四善根位〈内凡〉、菩薩の順忍にあたる)B八人地(人とは忍の義で、八忍地と同じ。初めて無漏智を得て見惑を断ずるという見道十五心の位。声聞の須陀?向、菩薩の無生法忍にあたる)C見地(見とは見惑を断尽して四諦の理を見る意で、見道第十六心の位。声聞の須陀?果〈初果〉、菩薩の阿?跋致〈不退転〉の位にあたる)D薄地(欲界九品の思惑のうち前の六品を断じて後の三品を残すので薄という。声聞の斯陀含果〈二果〉、菩薩の阿?跋致以後の位にあたる)E離欲地(欲界九品の思惑を断じ尽くして欲界から離れる位。声聞の阿那含果〈三果〉、菩薩の五神通を得た位にあたる)F已弁地(已作地)(三界の見思惑を断じ尽くした位。声聞界の最高位である阿羅漢果〈四果〉、菩薩にとっては仏地を成就した位にあたる)G辟支仏地(縁覚の位。三界の見思惑を断じたうえに習気を除いて空観に入る位。習気とは業の影響力のこと。見思惑そのものは断じ尽くしても、潜在的な影響力として残っていく惑をいう。『摩訶止観』巻6上には、見惑を薪に、思惑を炭に、習気を灰に譬えている)H菩薩地(菩薩として六波羅蜜を行ずる位。空観から仮観に出て再び三界に生じて衆生を利益するので、乾慧地から離欲地までをさす。また菩薩の初発心から成道の直前までをいう)I仏地(菩薩の最後心で、一切の惑及び習気を断じ尽くして入寂する位。一切種智など諸仏がそなえる法〈特徴〉を具備した通教の仏の境地)。
?大乗菩薩の十地。菩薩の修行段階で、五十二位の第41から第50の位。無明惑を断じて中諦の理を証得する過程である。@歓喜地(極喜地、喜地、初地ともいう。一分の中道の理を証得して心に歓喜を生ずる位)A離垢地(無垢地ともいう。衆生の煩悩の垢の中に入ってしかもそこから離れる位。破戒と慳嫉の2種の垢を離れるので離垢地という)B明地(発光地ともいう。心遅苦の無明、すなわち聞思修忘失の無明惑を断じ、智慧の光明を発する位)C焔地(焔慧地、焼然地ともいう。煩悩の薪を焼く智慧の焔が増上する位)D難勝地(極難勝地ともいう。断じ難い無明惑に勝つ位)E現前地(清浄な真如と最勝智があらわれる位)F遠行地(遠く世間と二乗の道を出過する位)G不動(中道の理に安定して住して動ずることがない位)H善慧地(善巧の慧観によって十方一切にわたって説法教化する位)I法雲地(説法が雲のように無量無辺の法雨を降らし真理をもって一切を覆う位)をいう。

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等覚(とうがく)
?仏の異名。等正覚。等は平等の意、覚は覚悟の意。諸仏の覚りは真実一如にして平等であるので等覚という。
?菩薩の修行の段階。五十二位のうちの第51位。菩薩の極位をさし、有上士、隣極ともいう。長期にわたる菩薩の修行を完成して、間もなく妙覚の仏果を得ようとする段階。

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妙覚(みょうかく)
?仏の優れた覚りの境地。
?菩薩の修行の段階。五十二位のうちの最高位の第52位。等覚[とうがく]位の菩薩が、42品の無明惑のうち最後の元品の無明を断じて到達した位で、仏と同じ位。六即位(円教の菩薩の修行位)では究竟即[くきょうそく]にあたる。文底下種仏法では名字妙覚の仏となる。「法華取要抄」には「今法華経に来至して実法を授与し法華経本門の略開近顕遠に来至して華厳よりの大菩薩・二乗・大梵天・帝釈・日月・四天・竜王等は位妙覚に隣り又妙覚の位に入るなり、若し爾れば今我等天に向って之を見れば生身の妙覚の仏本位に居して衆生を利益する是なり」(334n)と述べられている。法華経の文上の教説では、釈尊在世の衆生は、釈尊によって過去に下種されて以来、熟益の化導に従って本門寿量品に至った菩薩の最高位である等覚の位にまで上って得脱したとされる。日寛上人の『当流行事抄』によれば、これを文底の意から見た場合、等覚位の菩薩でも、久遠元初の妙法である南無妙法蓮華経を覚知して一転して南無妙法蓮華経を信ずる名字の凡夫の位に返り、そこから直ちに妙覚位(仏位)に入ったとする。これを「等覚一転名字妙覚」という。


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● 御義口伝に云はく、(中略)第六の恥小慕大(ちしょうぼだい)の恩を、記の六に云はく「故に頓(とん)の後に於て便(すなわ)ち小化を垂れ、弾斥淘汰(だんしゃくとうた)し、槌砧鍛練(ついちんたんれん)す」と。
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第六の耻小慕大(ちしょうぼだい)の恩について、記の六には「ゆえに頓(頓教)である法華経を説いたあとで、小化(阿含経)を説き、次に弾斥淘汰(だんしゃくとうた)し法等部の経を説き、ツチやキヌタで打つように、衆生の機根をととのえていったのである」といっている。
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● 砧(きぬた)=洗濯した布を生乾きの状態で台にのせ、棒や槌でたたいて柔らかくしたり、皺をのばすための道具。
● 槌=物をたたく道具。柄の先に円筒状の鉄・木などがついている。ハンマー。
● 槌砧=砧(きぬた)の上で槌(つち)をもって打つこと。
● 陶冶=才能・性質などをねって作り上げること。
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したがって、我々の心から十界が生ずるとは説きますけれども、直ちにこの身に仏が具わるとは申しません。

 それが法華経へ来て初めて、そのように回りくどいことをしていたのでは、いつまでも仏には成れないということが示されました。
結局、どのように愚かな人でも、また迷いのなかの人であっても、心が一つあれば、その心にそのまま地獄も餓鬼も畜生も具わっているけれども、また同時に菩薩も仏も具わっているということが「具す」という意味なのであります。

 ですから、権大乗教で言う心生(※自然に成長すること。)の十界、その「生」という意味は歴劫修行という長い長い道程が条件となっています。
それに対して、法華経の哲理は「具」ということにおいて示されておるのであります。
づまり「具わる」ということでありまして、地獄にも餓鬼にも畜生にも仏界が具わるということです。

 その反対に、仏様はどうかと言いますと、ここがむしろ大事なところなのです。
仏様という偉い方は悟りきっていらっしやるのであるから、我々のような穢れた心は何もないのだと考えがちであります。
それに対して、我々は時々念々に地獄、餓鬼、畜生等の心を起こしますが、そのようなものは仏様にはないのだろうと思うならば、これが間違いなのです。
仏様にも地獄、餓鬼、畜生の心が具わっているのであり、我々のような穢れた心が仏様にも具わっているのだと説くのが法華経であります。
ここが法華経の徹底した、平等にして差別、差別にして平等のところなのであります。

 事実、仏様と我々迷っている人間とは、本質的には相も性も体も力も、その振る舞いも全く違っております。
これは現実には天地月鼈(※げつべつ=月とスッポン。両者の優劣の差がはなはだしいことのたとえ。雲泥。)もただならざる姿でありますが、しかし、その仏様にも実は地獄もあれば畜生もあり、そういう穢れた心もみんな持っていらっしゃるということ、これを道破(※はっきりと言いきること。)したのが法華経なのであります。
ですから、十界に十界を具すという法門はそこに生ずるのであります。

 仏界にも十界が具わらなければ十界互具になりません。
仏様も必ず十界を具えておるのでありまして、地獄に十界を具え、餓鬼に十界を具え、畜生に十界を具え、人間に十界を具え、菩薩、仏に十界を具えるが故に、十界各々に十界を具して百界となるのであります。

 この「一心に十法界を具す」というところの「法」とは因果の法であります。
法は因果によってきちんと差別があり、区別をされておるのです。
それがまた「界」という形で現れ、上下、各々限界・区分があるということです。
不幸な人は低いところで生活をしなければなりませんし、幸せな人は高いほうにおいて生活をするというように色々であります。
ですから、天人は上のほうに住んでおるということが言われております。

 天人のなかでも、無色界というのは心だけで物質がない存在でありますから、我々が空を見ても、どこに天人がいるか判りませんけれども、やはり天の存在のなかにおいて心だけの衆生がいるということを、仏教には説かれてあるのであります。→

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● 三界 生死を流転する六道の凡夫の境界
● 欲界 淫欲と食欲の2つの欲望を代表とする種々の欲望が渦巻く有情の住む処。四悪趣・人界の四州・六欲天
● 色界 欲界の2つの欲望は超越したが、物質的条件(色法)にとらわれた有情が住む処。この色界は禅定の段階によって、4つ(四禅天)に分けられ、またそれを細かく18天に分ける。
● 無色界 欲望も物質的条件も超越し、ただ精神作用にのみ住む世界であり、禅定に住している世界。四空処。
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ですから天人のような状態になろうと発心して、無想定あるいは滅尽定というような定を常に修していけば、肉体がなくなって、空の雲のなかでふわふわと生きていくことも可能なのです。→

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● 無想定 心の活動作用を止息させる瞑想。無意識にまで至るほどな極度の精神集中。五位七十五法(ごいしちじゅうごほう)の心不相応行法(しんふそうおうぎょうほう)のひとつ
● 滅尽定 心のはたらきがすべて尽きてしまった瞑想。心のはたらきが消滅した状態にある精神集中。
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どこへでも行こうと思う所へ行けるのであり、これがまた、この十界互具百界千如一念三千の法門の実におもしろいところなのです。
地獄へ行こうと思えば地獄へも行けますし、仏様に成ろうと思えば仏様に成れるのであります。

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 次は「一法界に又十法界を具すれば百法界なり」−十界中の「一法界」にまた十法界を具すというのは、我々の心の一念に約していくならば、例えば地獄界のような心に蝕まれてそのような果報、すなわち一念所具の十界中の地獄界のなかにおいて上辺だけ仏様のような顔をしたり菩薩のような顔をすること、あるいは地獄の衆生に仏の慈悲が不思議な姿で現れることなど、それが内外両面における地獄界所具の仏界とも考えられます。

それに対して、仏界所具の地獄界というのもある道理で、仏様が本当にその衆生を救おうという心において、そこから形において地獄の相を顕すという姿であります。これらも百法界中の一であります。

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 次に「一界に三十種の世間を具すれば百法界に即ち三千種の世間を具す」−このように宇宙法界全体を網羅するあらゆる存在がことごとく、我々の一念にそのまま具わっているのだということですが、これは実に不思議であります。
けれども、この法華経の哲理からいくと我々のちょっとした心にも、そのまま十界乃至百界千如三千世間が具わっているのであります。

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 さて、この次に「世間と如是と一なり。開合の異なり」という小字の文がありますが、これは『止観』の本文でなく、註であります。
この文は、十如と三世間において二筋の関係があることを示すのであります。

 その一つは、十界に互いに十界を具して百界となりますが、その百界に三世間が具わっておるので合して三百世間になり、それをさらに今度は三千に開くという意
味において、その三百世間のそれぞれに十如是の法則法理、万物の真如・真実の原理が具わっておるということになつてくると、それは最後的にはどういう示し方になるかというと 「三千如是」となるのであります。

 ところが、もう一つは、百界の一つひとつに十如是が具わっておるというところからすれば、まず千如是になります。
その千如是の一つひとつに三世間が具わっておることからすれば「三千世間」という示し方になるのであります。

 要するに一念三千を成ずるに当たって、前者は 『止観』 の開釈中に示す意味より、世間を合わせて三百世間となし、十如是を開いて三千如是を成ずるのです。
後者は結成の文、すなわち『本尊抄』に引くところの文意より、如是を合して千如となし、世間を開いて三千世間を成ずるのであります。
ですから一念三千といっても、三千世間というように開く場合と、三千如是というように開く場合とが存するのであります。
しかし、如是に約して三千と開いても世間に約して三千と開いても、共に一念三千を顕す上からは同じ意味であり、開合の相違であるということが「世間と如是と一なり。開合の異なり」という意味であります。

 さて、多少重複しますが「開釈」と「結成」ということについて、もう少し述べます。
天台大師が『摩訶止観』の正観章に入って一念三千を解釈するに当たって、十界に十界を具して百界になるということを説き、その次に三世間が具わるということを説いておるのです。
それから、その三世間が具わるところにさらに十如是が具わるという行き方、すなわち「三千如是」となる意味を示しておりますのが、その正観章の初めのところ、つまり開釈のところであります。

 そして最後の結成のところで、今度は『本尊抄』に引かれるところの文、すなわち「三千種の世間を具す」というように説かれておるのであります。
ですから、百界にまず十如是を合して千如是、さらに三世間を開くという意味で開合する場合には「一念三千世間」となるのです。
この三千世間のほうが、最後の結論として一念三千をはっきり顕すところ、つまり結成のところにおいてそれを示してあるということでありまして、この二筋があるということであります。

 さて、前の三千如是というほうですが、十如是の法門というのは皆さん方も読まれる方便品にあるのでありまして、「諸法実相。所謂諸法。如是相云云」とあるのです。
これは迹門であって、本門ではありません。
つまり、迹門に示してある文を中心として説いてありますから、実を言うと、まだ一念三千の意義がそれほどはっきりと顕れておらない意味があります。
したがって天台大師は、その開釈のところではまだ一念三千という名目をはっきりとは顕していないのであります。
それが顕れるのは結成のところに至って、むしろ一念三千世間と示しておるところであります。
これについて大聖人様は 『観心本尊抄』 の後文において、
  「像法の中末に観音・薬王、南岳・天台等と示現し出現して、迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して、百界千如、一念三千其の義を尽くせり」(御書六六〇)
ということを言われておるのであります。
つまり迹門をもって面としているということは、本門を全く打ち捨てておるかと言えばそうではなくして、本門を裏にしておるということです。
したがって、むしろ本門の意を取ってこそ一念三千の義を述べることができるということであります。
それが、ここのところから解るのであります。

 ですから、諸法実相の法門、十如是の法門だけでは、けっして一念三千を成ずることはできないのです。
一念三千を成ずるためには、どうしても仏様の化導の上からの三世間が開かれてこなければ、一念三千ということがはっきりと証明されないのであります。
すなわち、本門の寿量品に来たって、
  「是より来(このかた)、我常に此の婆婆世界に在って、説法教化す。亦余処の百千万億那由他阿僧祇の国に於ても、衆生を導利す」 (法華経四三一)
と説かれております。
この婆婆世界に在って久遠以来この法を説くという、この婆婆世界常住というところに国土世間の意義が本仏の妙法のなかに開かれて初めて、一念三千が常住の法として確立するのであります。

 したがって、その本門の意をもって一念三千を成就せられたのであるという意味でありまして、開合の相違があるけれども、畢竟、世間と如是とは一つのものであって、なかでも三千世間が主体をなす故に次下に結成の文を引かれたのであります。

 さて、大聖人様は 『開目抄』 に、
  「一念三千は十界互具よりことはじまれり」 (御書五二六)
とおっしゃっております。
その「十界互具」ということですけれども、その十界互具だけでは三千になりません。
あとは何かと言いますと、「世間」と「如是」とが、具わるのです。
世間という法門は、竜樹菩薩が般若経を土台として講じた『大智度論』という論のなかに三つの世間があるということが言われております。

一つは「衆生世間」であります。
衆生というのは生き物のことでありますが、我々の目に見える範囲で、畜生と人間というものはだいたい見ることができるのであります。
しかし、仏様はもっと鋭い、より高いところからこの世の中を御覧になると、大きく言って、そこに十種の生命が存在しておるということを悟られたのでありますが、我々は事相においてそこまで見ることはできません。

 この衆生世間の特質は、必ず次から次へと移り変わっていく形、つまり少しも同じ所に止まらないという遷流の意味があるのです。
それからもう一つは、それぞれの果報によって彼此の差別があるのであります。
そこに世間とか世界という言葉が使われますが、人間界は人間界に、畜生界は畜生界にそれぞれの分限界があるのです。
そのほか色々なものがそれぞれ、生命の果報の相にしたがって区別があるという意味で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・緑覚・菩薩・仏という十界が存するのであります。

 二番目に「国土世間」、これは、そのそれぞれの衆生は必ずなんらかの住処を持っております。
鳥は虚空によって住するとか、畜生はそれぞれの因縁果報に基づいて、あるいは水の中であるとか山の中であるとか、あるいは地の中というように、それぞれの住処を持っております。
人間もそのとおりでありますが、人間界の住んでおる所には、例えば畜生界はなかなか入ることができません。
そういうわけで、それぞれの住処に限界・限りがあるのであります。
そして、そこにまた変化と差別がありますが、要するに国土世間とは衆生の住処であります。

 それから「五陰世間」とは色・受・想・行・識のことで、世の中のすべてのもの、国土世間をも衆生世間をも作っているところの実際の実体実法というものは色心の二法なのです。
「色」とは色々な意味での色質でありまして、物質のことであります。
それに対して受・想・行・識は「心」であり、識は心王、受想等は心所と言います。→

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色受想行識=五陰

色=「身体」(肉体)

↓心の機能

受=外界からの刺激・作用を受ける
想=外界から受けた刺激・作用ついて考える
行=意志判断を下し行動を起こす
識=受・想・行 の働きの元である意識
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この心の用きと色質すなわち物の用きとが色々に顕れて国土があり、また衆生が存在しているのです。

 この五陰の「陰」という字は「かくれる」また「かげ」という意味でありますが、それは物が他のものを覆うという意味になります。
つまり仏法上では、一に衆生の色心の迷いがそれぞれの悟りを覆うということであり、二に仏様はまた、その智慧と大慈悲の上から衆生を覆うという意義があり、このように宇宙法界の実法たる色心二法における五陰世間というものが存するのであります。

 次に「如是」というのは、方便品に、
  「如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是緑。如是呆。如是報。如是本末究寛等」 (法華経八九)
ということが説かれてあります。
この文は、あらゆる事物の存在の本質、原理法則を示されておるのであります。

 いわゆる十如是であり、その第一の「相」とは、外より見て分別することのできる形相であり、善相・悪相、富相・貧相等で、物的な意義があります。
次の「性」とは性質で、万物それぞれに固有の性質があります。
これは心的な意義を持ちます。
「体」とは相と性が一体になった主質を言います。
物と心が一つになったところが体であります。
「力」とは一切の事物がその体内に持つ潜在的能力であります。
「作」とは体内の力が発動して、なんらかのことを行うその作用を言います。
次の「因」とは果を招く業(行い)であり、過去からの種々の習慣によるのであります。
これは主としては心の用きによりますが、色法つまり物質による意味もあります。
「緑」とは因の行いを助けるもので、色心の二法に通ずる間接的原因と言えます。
「果」とは過去からの習慣によって行われた因が成就する結果を言います。
最後の「報」とは因と果の習慣による業があとに引かれ、時間的にあとになって表れる善悪、幸・不幸の結果のことであります。
その結果は今生で受けることもあり、また二生、三生乃至、数生ののちに出ることもあるので、ひとくちに報いと申します。
これは色法のみに通じます。

 「本末究寛等」とは、初めの如是相を本とし、最後の如是報を末とし、この本末の趣くところ、すなわち実相であることを究寛等と言うのであります。
これすなわち、空仮中円融の意義において究竟しております。

 つまり、この十如是には、如是相、如是性、如是体というように、それぞれの法が異なっていることの表示として、相、性、体、力を一番下に持ってくる読み方があります。
これは仮諦の真理を顕します。
それから、是相加、是性如、是体如というように、如という字を一番下に持ってくる読み方があります。
これは空諦の真理を顕し、さらに相如是、性如是、体如是というように、是の字を下に持ってくる読み方もあります。
これは中諦の真理を顕します。
このように三つの読み方があるので三回、繰り返す意味があります。
ただし、我々は如是相、如是性、如是体と読んで、三回とも仮諦読みで読んでおりますけれども、それはそれでよいのです。
しかし、含有する意味からすると、この三つの区別があります。

 まず、如是相、性、体、力と読むことから申しますと、事々物々ことごとく差別の相であるのです。
相といえば、その相は全部違っております。
世の中にどれ一つとして同じ相はありません。
人間の顔を見ても、似ている人はおりますけれども、寸分違わず同じ相というのはないのです。

 今、指紋学というのがありまして、人間の指紋は世界数十億人のなかで、一人として絶対に同じ指紋がないと言われております。
同じ指紋がないということは、あらゆる意味において一人ひとりが全部違っているということです。
そういう意味からすれば、この世の中のあらゆる存在はすべて差別なのだということであります。
その差別の上からいって、相があり、性があり、体があり、力があるということです。
悪業の因縁によって不幸になれば不幸の相、地獄なら地獄のような大不幸の相があり、性があり、体がある。
また、善いことをして立派な命になれば仏様のような相、性、体があるということで、そのようにみんな違っております。
これがまた実際の現実であり、真実の姿であります。
これが仮諦の真理です。

 しかしまた、それだけが真実かというと、そうではないというところにこの法華経の哲理があります。
それは、是相如、是性如と読んで、「是の相も如なり、是の性も如なり」という読み方をすると、実際にはみんな違っておるけれども、それらの因果の本質、そしてまた、それらの持っておる命の意義はすべて平等ということであります。
ですから、不幸な人でも幸せになる道筋をたどっていけば必ず幸せになることができるのであり、幸せな人も悪を行えば不幸になってまいります。
そういう点からすれば、みんなが平等であるという意味であります。
これが空諦の真理です。

 それから、相如是、性如是と読むのは如と是の両方を肯定する意味でありますから、これは中道・中諦であります。
空諦・仮諦、平等と差別−差別が本当だと執われてしまうとそれは間違いであって、やはり平等というのが真理である。
平等だけに執われてよいかというと、また必ず差別がある。
ですから差別即平等なのであり、平等即差別なのであります。
この「即」というところに無限の意義が具わっており、不思議な価値の顕現が平等即差別において可能であり、「我即法界」という絶対の悟りが差別即平等において可能なのであります。
ここに中諦の真理があります。

 今の世間の人は、このような思想が少しも解っておりません。
しかし、末法においてこれを本当に解るためには、お題目を唱えないと解らないのであります。
御本尊に向かっての真剣な唱題修行によって初めて、我が身の当体その他すべてにおいて、これが本当の意味で身に解ってくるのであります。
けれども、信心のない人は一生そこが解りませんから、空か仮かどちらかに執われてしまった上から誤った考え方が随所に出てくるのであります。

 以上、十界百界および三世間、十如是について簡略に述べましたが、要は、この広く深い真理の法は互いに具し合って世界に遍満する三千の相があります。
それがことごとく我が一心に備わるところに、我々の一心が、いかに広く深くまた尊いものであるかを自覚すべきであります。

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 「此の三千、一念の心に在り」−この「一念」と「一心」とはどのように違うかと言いますと、一心のごく短い、刹那刹那の状態をもって一念と言うのであります。
ですから、一念の「念」という字は今という字を書いて、その下に心という字を書きますが、いわゆる今の心、瞬間瞬間の、刹那刹那の心が一念なのです。
その一念において、そのまま三千世間という膨大な宇宙法界の意義をことごとく具えておるのであるということであります。

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 「若し心無くんば己みなん。介爾も心有れば即ち三千を具す」
−もし、心がないのであればどうしようもないけれども、「介爾」すなわち極めて微かな状態においても心があれば、すなわちその心に宛然(えんねん=えんぜん・そっくりそのままであるさま。)として三千を具えるのである。
その故に我が心をもって「不可思議境」となすという教えであるのです。
ですから、我が心があくまでその不思議の中心となっておるということ、そこにこの天台大師の『摩訶止観』の「一心に十法界を具す」というところの深い意味があるのであります。

 さて、像法の『摩訶止観』における一念三千の「一心」のつかまえどころはどこにあるかと言いますと、これは各々一人ひとりが持っておる凡夫の一心・一念、暑
さ寒さを感ずるその一心・一念に三千が具わっておることを知り、観じ、そしてそこから通じて本具の心を開いていけば、そのまま仏の悟りが出てくると説きます。
しかし、これは機根の勝れた像法時代の修行であり、末法の人々では悟れません。

 しかるにもかかわらず、大聖人様がここに「夫一心に十法界を具す」という 『摩訶止観』の文を引かれたのは、もう一つ奥底に、深い大聖人様独特の御本仏の大慈大悲があるのであります。
それは観心の本尊という意味における本尊を顕し給う上からの深い元意であります。

 たしかに、天台大師のほうが大聖人様よりも先に生まれました。
釈尊が法華経を説かれ、そのあと像法時代において中国に天台大師が出られ、そのあと末法において大聖人様が日本国にお生まれになりました。
そういう時間的な次第を見れば、たしかに大聖人様はあとになります。
しかし、法門の探さ、法の根源を尋ねていくならば、実を言うと、大聖人様の仏法は釈尊の説かれた寿量品の一番根本の、久遠の本源における大法を付嘱され、そのところより宗旨を建立あそばされて末法の衆生を化導あそばされるのでありますから、これは天台よりももっと深く、もっと根本的なところに法門の元が存するのであります。

 その上からこの御文を拝すると、「夫一心に十法界を具す」という「一心」とは何かと言えば、これは宗祖大聖人様が末法に御出現あそばされて顕し給うところの
久遠元初本因妙の、本地難思境智冥合の御当体たる南無妙法蓮華経の一念の心法、すなわち御本仏の心をもって一心と示されておるのであります。
これはもちろん私が我見で申し上げるのではなく、御先師日寛上人がそのところの深意をこのようにお示しになっております。→

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日寛上人・観心本尊抄文段
初めの本尊の文に「夫れ一心」というは、即ちこれ久遠元初の自受用身の一念の心法なり。故に「一心」という。即ちこれ中央の南無妙法蓮華経なり。「十法界を具す」等とは、即ちこれ左右の十界互具・百界千如・三千世間なり。故にこの本尊の為体は即ちこれ久遠元初の自受用身・蓮祖大聖人の心具の十界三千の相貌なり。故に宗祖云く「此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし乃至日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ乃至仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経」なりと云云。
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 この一心について、私も参考までに他宗の大学者と言われるような人々の『観心本尊抄』の講義を念のために少々見てみましたけれども、全く浅薄なことしか書いてありません。
これはあくまで天台の一念三千を引っ張っておるのだ、ということだけなのです。彼らにはそれ以上のことは解釈が立たないのです。
しかし、それではこの文を引かれた意義がはっきりしません。
これはやはり、大聖人様の仏法の本源が相伝において伝わり、そこに日寛上人という大明匠の御出現において、明らかにこの一心の意義が示されておる次第であります。

 また続く「一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば百法界に即ち三千種の世間を具す」の文は、久遠元初自受用報身如来・末法出現の宗祖大聖人様の一念の妙法蓮華経に具わるところの十界、百界、三千世間なのであります。

 先程も申しましたように、御本仏もまた一心に十法界を具え給うのであります。
仏様だから仏界だけで、地獄界のような汚いものはお持ちではないと思うかも知れませんが、それは違います。
十界全部をお持ちなのです。
一念即十界互具百界千如一念三千であり、その三千がことごとく妙法蓮華経の上において自在の徳を具え給うところ、仏様の一念の心法に具わるところの三千であるということを示されておるのが、この「三千種」という意味の本当の意義であります。

 その次の「此の三千、一念の心に在り」−これは「観心の本尊」の本尊、すなわち久遠元初自受用報身如来所具の一念三千の心法が今、示されましたから、今度は観心を示される文に当たります。
観心とは何かと言えば、我々末法の衆生がどのようにすれば幸せになっていけるか、どうすれば本当の正しい悟りを開けるかという問題であります。
ですから「此の三千、一念の心に在り」ということは、その三千、すなわち大聖人様の、南無妙法蓮華経の自受用報身如来、境智冥合の一念三千の御当体がそのまま、我々の信心の一念にあるということであります。
我々が御本尊を拝し「ああ、有り難い」と深く信じて南無妙法蓮華経と唱える、その我々の信心の一念に宛然(※えんねん=えんぜん・そっくりそのままであるさま。)として、大聖人様の、自受用報身如来の御当体・南無妙法蓮華経即、事の一念三千がまた我々の心に具わるのであるということを、ここに示されておると釈されております。

 「若し心無くんば已(や)みなん」というのは、この場合は信心に約して拝するのであります。
すなわち信心がなければ、この大利益はないということです。
例えば『摩訶止観』の正観章において十境十乗の観法が示されてありますが、その十境十乗の観法について一々本を読みつつ、我が心を槌砧鍛錬しても、この末法においては凡夫の己心に全く一念三千を開くことはできないのであります。
けれども、御本仏の大慈大悲をもって顕された大御本尊を信ずれば、一念即三千の法がそのまま我々の心に具すということを示されるのであります。


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日寛上人 観心本尊抄文段

次に観心の文に「此の三千・一念の心に在り」等というは、この一念三千の本尊は全く余処(よそ)の外に在ること無し。
但我等衆生の信心の中に在(おわしま)すが故に「此の三千・一念の心に在り」というなり。
若し信心なくんば一念三千の本尊を具せず。
故に「若し心無くんば而已」というなり。
妙楽云く「取著(しゅじゃく)の一念には三千を具せず」はこれなり。
若し文上の熟脱に取著して文底下種の信心なくんば、何ぞこの本尊を具足すべけんや。
譬えば水なき池には月の移らざるが如し。
若し刹那も信心あらば即ち一念三千の本尊を具す。
故に「介爾も心有れば即ち三千を具す」というなり。
譬えば水ある池には月便ち移るが如し。
宗祖の所謂「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」(1388)とはこれなり。
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(※此の御本尊も只信心の二字にをさまれり。以信得入(いしんとくにゅう)とは是なり。日蓮が弟子檀那等「正直捨方便」「不受余経一偈(ふじゅよきょういちげ)」と無二に信ずる故によ(因)て、此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。たのもしたのもし。(日女御前御返事   弘安二年八月二三日  五八歳 1388)
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学者応に知るべし、若し理に拠って論ずれば法界に非ざるなし。
今、事に就いて論ずれば信不信に依り、具不具則ち異るなり。
当体義抄の大旨、これを思い合すべし。
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日顕上人 三大秘法義 (39)

竜樹造の『菩提資程論』巻一にも、十義を出し、
 「尸羅(しら)と言うは謂わく習近(しゅうごん)なり、此れは是れ体相なり。又本性の義なり、世間にも楽戒苦戒等有るが如し。又清涼の義なり、不悔(ふげ)の因と為りて心の熱憂悩(ねつうのう)を離るるが故なり。又安穏の義なり、能く他世の楽因となるが故なり。又安静の義なり、能く止観を建立するが故なり。又寂滅の義なり、涅槃の楽を得る因なるが故なり。又端厳の義なり、能く荘飾するを以ての故なり。又浄潔の義なり、能く悪戒の垢を洗うが故なり。又頭首の義なり、能く衆に入りて怯弱(こうにゃく)無きの因と為るが故なり。又讃歎の義なり、能く名称を生ずるが故なり」 (大正蔵三二−五二〇〕
と戒の徳性を説いている。

 この十義の各々について少々説明を加えれば、
一「習近」とは近住律儀で、一に聖者に近づく、二に戒の善に近づく、三に一昼夜の近時に限り八斎戒を行う、の三義があり、したがって「体相」とは、具体的な戒の形相(ぎょうそう)を示す意である。

二「本性」とは、人の本性が悪を憎み善を求める戒を本来、持つことを言う。つまり、その例として、仏教外の世間のなかでも、楽や苦に対する色々な戒めがあるようなものである。

三「清涼」とは、心が清らかで涼しいことで、戒を守り悪を行じない徳により、現在において悔ゆることがない原因を作り、未来に心の熱悩・憂悩を離れるのである。

四「安穏」とは、戒が現在より未来に向かって安楽・幸福な原因となる、との意である。
 
五「安静」とは、戒が仏道修行上の肝要である止(定)・観(慧)の義を心中に建立することに役立つ意である。

六「寂滅」とは、戒を守ることにより種々の煩悩が自然に消え、涅槃(悟り)の楽を得る原因となることを言う。
                      
七「端厳」とは、戒によって言語動作が正しく厳かとなり、故にその人格が、立派に飾られることである。

八「浄潔」とは、命が浄らかとなるために、過去に受けた様々の悪因・悪縁による悪業の垢を洗い去ることを言う。

九「頭首」とは、戒を守ることにより心が立派に、たくましくなり、よく人の上に立つ器を備え、したがって、衆人のなかに入っても強健で、怯気・弱気のない原因となることである。

十「讃歎」とは、よく人々から尊敬され、名誉や名声を生ずるに至る。

以上によって明らかなように、戒は万人に共通する道徳であり、不幸を去り真の幸福を得るための基本的な方途なのである。

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 この「信心なくんば」ということのなかには、かつて正しい信心を持っていた者が我意我見をもって御本尊を疑い、否定するような者も含まれるのです。
あるいは身延派その他、文上の誤った教えを信じておる日蓮宗、あるいは真言、あるいは禅、あるいは念仏等の宗派の者は末法出現の本仏に対し本当の正しい信心がないわけでありますから、いかなる修行をしても、そこに正しい事の一念三千を我が己心に涌現させることはできないのであります。

 次に「介爾も心有れば即ち三千を具す」−この「介爾」ということは、すなわち一刹那の如き微かな心であります。
わずかな間ではあっても、有り難いという気持ちさえあれば、その瞬間、もう既に御本仏の大慈大悲の自受用身の一念三千がそのまま我が心に涌現するということであります。

 そして「乃至所以に称して不可思議境と為す」という文は、御本尊の勝能、すなわち御本尊には不可思議の御本仏の仏力と法力とが具わっておることを示すのであり、その不可思議境たる御本尊を信じ、妙法を唱える信力と行力によってそのまま一念三千の本尊が我が己心に顕れ給うというところが、次の「意此に在り」という文の意味に当たるのであります。

 そのような点から考えてみますと、まず『観心本尊抄』の冒頭において『摩訶止観』の一念三千の文を引かれたということは、その付文においては一往、法華経の実相により心を観ずるという天台の像法実践修行門の一念三千の文献を挙げられたようであるけれども、さらにもう一重深い元意においては、この文即、末法出現の御本尊の当体、およびそれを信ずる我々末法の衆生の即身成仏の意義を明かされたものであります。

 次にまた、註の文として「或(ある)本に云はく『一界に三種の世間を具す』と」とあります。
これは書写本として、文の相違であります。
この「一界に三種の世間を具す」というのは、十界中の一界に十如のなかの一如是が具わり、それに三世間が具わるので三種の世間となるのです。
これは十如のなかの一如是をもって九に例するのであり、往いては十如と同じ意であります。

 現本は、一界所具の十如の一々に三世間を具すので三十種の世間となります。
故に三種の世間も三十種の世間も、その意には相違ありません。

また、両本共に十如の文が表に出ていませんが、これは前の一界とあとの三世間を挙げれば、中間の十如はおのずから彰れるものとして、これを省略してあるのであります。 

117

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118

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■ 問うて曰(いわ)く、玄義(げんぎ)に一念三千の名目(みょうもく)を明かすや。答へて曰く、妙楽(みょうらく)云はく「明かさず」と。問うて曰く、文句(もんぐ)に一念三千の名目を明かすや。答へて曰く、妙楽云はく「明かさず」と。問うて曰く、其の妙楽の釈(しゃく)如何(いかん)。答へて曰く、「並びに未(いま)だ一念三千と云はず」等云云。問うて曰く、止観の一二三四等に一念三千の名目を明かすや。答へて曰く、之(これ)無し、問うて曰く、其の証如何。答へて曰く、妙楽云はく「故に止観の正(まさ)しく観法(かんぽう)を明かすに至って並びに三千を以(もっ)て指南と為(な)す」等云云。

疑って云はく、玄義の第二に云はく「又一法界に九法界(くほっかい)を具すれば百法界に千如是」等云云。文句第一に云はく「一入(いちにゅう)に十法界を具すれば一界又十界なり、十界各(おのおの)十如是あれば即ち是(これ)一千」等云云。観音玄(かんのんげん)に云はく「十法界交互なれば即ち百法界有り、千種の性相、冥伏(みょうぶく)して心に在り、現前せずと雖(いえど)も宛然として具足す」等云云。

問うて曰はく、止観の前の四に一念三千の名目を明かすや。答へて曰く、妙楽云はく「明かさず」と。問うて曰はく、其の釈如何。答ふ、弘決第五に云はく「若し正観(しょうかん)に望めば全く未(いま)だ行を論ぜず。亦(また)二十五法に歴(へ)て事(じ)に約して解(げ)を生ず、方(まさ)に能(よ)く正修(しょうしゅう)の方便と為すに堪(た)へたり、是(こ)の故に前の六をば皆解に属す」等云云。又云はく「故に止観の正(まさ)しく観法を明かすに至って、並びに三千を以て指南と為す、乃(すなわ)ち是(これ)終窮究竟(じゅうぐくきょう)の極説(ごくせつ)なり。故に序の中に、説己心中所行法門と云ふ、良(まこと)に以(ゆえ)有るなり。請(こ)ふ、尋(たず)ね読まん者心に異縁(いえん)無(な)かれ」等云云。
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 当『観心本尊抄』 の冒頭より、大段の第一、「一念三千の出処を示す」ところに入り、これに「正しく示す」・文と「一念三千の情・非情に亘ることを明かす」文とがあるなか、初めの「正しく示す」文が、また三つに分かれることを、先に述べました。
すなわち、
一に『摩訶止観』第五巻の「正観章」の文を出され、
二に『玄義』『文句』ならびに 『止観』の前の四巻には一念三千を明かさざることを示され、
三は結歎ということであり、右に挙げた御文の前において『摩訶止観』第五の文が出されました。

 それを受けて右文では、
二に『法華玄義』 『法華文句』ならびに『摩訶止観』十巻のうちの前の四巻には、一念三千を明かされていないことが示されます。

 これにまた、二つの立て分けがあります。
初めの「問うて日く、玄義に一念三千の名目を明かすや」から「答へて曰く、妙楽云はく『故に止観の (中略) 三千を以て指南と為す』等云云」までは 『玄義』 『文句』 ならびに 『止観』 の前四巻には一念
三千の名目を明かされていないことが示され、
次の「疑って云はく」からは一念三千の名目を明かされていないの相を示されますが、さらにこれに二義があります。

 すなわち、その一に「疑って云はく」以下に三文が引かれますが、『玄義』 『文句』ならびに『観音玄』では「百界千如」に限ることを示され、続くその二の「問うて曰く、止観の前の四に」以下は、『摩訶止観』 の十章中、前の六章は方便に属することを示されるのです。

 さて、右に挙げた文の所は『玄義』 『文句』 『止観』という天台の三大部に関することが、その内容の主たる意味になっております。

 大聖人様の御書で、教学等を御指南あそばされた御書においては、必ずと言ってよいほど「玄義に云はく」「文句に云はく」「止観に云はく」あるいは「釈籤に云はく」「記に云はく」「弘決に云はく」というように、それぞれの文を引かれて仏法の意義を示され、また文証として立てられておるのであります。
つまり釈尊一代仏教の伝承のなかで色々と誤りが生じてきておりますし、また、そのなかから誤った宗旨が現れてきて、今日でもまだ全国に誤った宗派が存在しておるのでありますから、大聖人様の教えの上においては釈尊仏教に関する知識ということも非常に大事なのであります。

 たしかに、この末法は理論を知るよりも、まず「観心の本尊」をお顕しになられた、その正境たる御本尊に縁して南無妙法蓮華経と唱え奉るところが一切の根本であります。
しかし、それが根本となった理解という面から必要なことは、人々の考え方に応じてその邪見・悪見を破すことであり、邪見・悪見が破されることによって初めて、その人に善心が生ずるという功徳が出るのであります。

世の中では「どのような宗教でもよい」あるいは「念仏でも真言でも、同じ仏教であるから、たいして変わりがないだろう」というように思う人が多いのであります。
そういう考えがいかに迷見であるかということを、色々なところで正しい信心の先輩の方に指導され破折されて、初めて正しい信心に入ることができます。そういう意味からも、縁に触れて少しずつ、仏教のことについて知っていくということが大事なのであります。

 「私は無学だから勉強などしなくてもよい。ただ、お題目さえ唱えていればよい」というように思っている人も、そのお題目を唱えていくなかに少しずつでも仏教に対する正しい知識と認識というものを得て、そして今日の社会における色々な宗教の姿、形、内容を評価し、正しく批判していくことが大切なのであります。
ただし、そういうことは全部、大聖人様が御指南してくださっているのでありますから、我々は仰いで御書の御指南を拝しつつ、正しく実践すればよいのであります。

 さて、「問うて日く、玄義に一念三千の名目を明かすや」以下の御文は、『玄義』『文句』『止観』等において「一念三千」という名目を明かされているか否かということに関する質問と応答であります。
一番最初に、
■  「夫一心に十法界を具す云云」 (御書六四四)
というように 『摩訶止観』第五の文を引かれ、その引かれたところから続いて問答が構えられていくのであります。
いわゆる 『摩訶止観』 の第五に、
■  「三千種の世間を具す」 (同)
あるいは、
■  「乃至所以に称して不可思議境と為す」 (同)
と説かれているように、一念三千という御法門が、この 『摩訶止観』第五に初めて顕れたということで、その前に天台が説かれているか否かを示されることは、一念三千という法門が迹門から本門にわたってたいへん重大な意義があることから、この問答の必要な意義があります。

 そして、この所では 『玄義』 『文句』 さらに 『止観』 の前の四のなかには一念三千の法門が明かされていないということを示されるのです。

■ 問うて曰く、玄義に一念三千の名目を明かすや。答へて曰く、妙楽云はく「明かさず」 と。

 まず、その質問に「玄義に一念三千の名目を明かすや」とありますが、この「玄義」というのは、詳しくは 『妙法蓮華経玄義』 と言います。

 昔は千葉県に細草檀林というのがあり、そこでは当時、勝劣派と言いまして、富士門流だけでなく勝劣派の人達が全部その所にまとまって、天台の 『玄義』 『文句』『止観』等を共通した形で勉強していたのであります。


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細草檀林
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

細草檀林(ほそくさだんりん)は、寛永18年(1641年)、上総国(かずさのくに)の法雲山遠霑寺に設置された日蓮宗勝劣派の学問所(檀林)の一つ。名称は所在地の字(あざ)にちなむ。

概要
寛永19年(1642年)に日隆門流および日興門流など、勝劣派僧侶の学問所として設立され、明治初期まで230年余り機能していたが、各門流がそれぞれ独立の宗派をたてて分離したため、学問所としての機能は停止した。現在、遠霑寺は日蓮正宗所属の1寺院となっている。

歴史
1642年(寛永19年)法詔寺・日感は敬台院の外護により、細草檀林を開檀する。
1872年(明治5年)学制発布により、細草檀林は廃檀する。
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→                   
 その檀所においては、「夏」と言いまして、春の夏と秋の夏があったのです。
この夏というのはインドの慣習から来ておりまして、インドは雨季と乾季とがあり、雨季の雨の降っている時には外を回って托鉢したり教えを弘めることができないために、僧侶が一カ所に集まって真剣に戒や定、慧、つまり教学を研鑽する時期があり、これを夏と称したのであります。
いわゆる細草檀林等があって、若い僧侶から年寄りの僧侶まで、当時は四十歳、五十歳になるまで檀林で勉強したという話が伝わっておりますが、そういう所で『玄義』等を十年、二十年とかかって学び、仕上げていったのであります。
ですから倒底、この『玄義』の全内容はここでお話しできるものではありません。
 ごく簡単に要領を申し上げれば、釈尊一代の経巻は実にたくさんあります。五千巻、七千巻とも言われ、しかも、それもごく一部分だと言われております。そういうたくさんの経巻が色々に説かれてありますが、それでも必ずなんらかの意味はあるわけです。それらが実はことごとく妙法蓮華経のところから出ており、その妙法蓮華経との関連がきちんと存在しておるのです。
例えば、ある部分は機すなわち、ある人に対して擬(あてが)う意味であり、また、ある部分は同じく機に対する誘引とか弾呵の意味等で説かれた種々の方便の経々があります。
しかしそれらは、実は妙法蓮華経のうちの一分であり、それがこのような形で説かれてあるという関係であります。
 そういうことで、一代仏教を縦横に開拓し、そのそれぞれの意義の元が妙法蓮華経であることを明かし、また、その妙法蓮華経の深意を根本的に解釈されたのが 『玄義』 であります。
『玄義』 の「玄」という字は、奥深い真理という意味なのです。
深い意義、つまり妙法蓮華経が一代仏教において深い意義を持っておる故に、その玄義を解釈されたのであります。

 その解釈の方法に、名・体・宗・用・教という五つの解釈法があります。これは天台大師の独創でありまして、名とは、まず名前ということであります。大聖人様も、
■「一切名の大切なる事蓋し以て是くの如し」 (同四〇七)
と、名前というものは非常に大事だということを仰せであります。
名前のあるところ体があり、体があるところ、その事物の因果、すなわち宗が具わっております。
したがってまた、その事物に用きというものがあり、さらにはその事物を正しく認識し評価するための解説、すなわち教があります。
これが名・体・宗・用・教であります。

 ですから、茶碗には茶碗、鉛筆には鉛筆、いかなるものにも名・体・宗・用・教というものが具わっておるのです。
しかし、それを釈尊の悟りの法という上から考えますと、ことほど左様に簡単にはいかないのであります。
特に今までのあらゆる教えがことごとく方便であるとして払われたところの妙法蓮華経の名前とその実体、それから因果の筋道というもの、用き、それから妙法蓮華経の教えということになりますと、実に深い意義があります。

 前にも触れましたが、釈尊のあらゆる教えと法華経との関係は大問題ですけれども、実はあらゆる教えと妙法蓮華経とは能開・所開の関係があり、その全部が妙法蓮華経から出て、また妙法蓮華経へ帰るという意義をきちんと説いておかなければ、妙法蓮華経を正しく説くことにならないのであります。

 ほかの経典は、その経典だけで解釈し、その経典だけの内容を考えればよいのであるということを、妙楽大師という方が言われております。
ところが、妙法蓮華経はあらゆる教えを全部対象として入れて、その教えと妙法蓮華経との関係を全部、総合的、大局的にきちんとしなければ妙法蓮華経の完全な教えの相というものが出てこないのであります。
これを天台大師がそのように悟られて、そして法華経を解釈されたのが 『玄義』 であります。

 その内容として、まず「七番共解(ぐうげ)」、次に「五重各説」というのがあります。
七番共解は標章・引証・生起・開合・料簡・観心・会異(えい)という七つの形において、名・体・宗・用・教を共(ぐう)じて釈しておるのです。「共じて」ということは、名・体・宗・用・教を全部束ねて七番に共解しておるのであります。
そして、標章は念心を、引証は信心を、生起は定心を、開合と料簡と会異は慧心を、観心は精進の心を起こさせて悟りの道に帰入せしめるという意義を持つのであります。



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『法華経』の玄義を
「名」の名称、
「体」の本質、
「宗」の目的、
「用」のはたらきと、
「教」の教えと仏教全体の組織の五について論じるのが、『法華玄義』の「五重玄義」に他ならない。

この名・体・宗・用・教の解釈法として、
名・体・宗・用・教で論じなければならない問題を提示するのが「標章」、
経典を引用して証拠とするのが「引証」、
名・体・宗・用・教の順序を論じるのが「生起」、
分析し総合して考えるのが「開合」、
問答の形で論じるのが「料簡」、
名・体・宗・用・教を対象に観心修行するのが「観心」、
他の異説を評価して高い立場からそれを理解して受け入れるのが「会異」である。
これが『法華玄義』の「七番共解」である。
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 それから「五重各説」というほうは、妙法蓮華経という名前についてまず解釈されます。
すなわち、
法は心・仏・衆生の三法をもって法界一切の諸法を括り、
妙とはこの三法の円融、平等、不思議な実相を示し、迹門の十妙、本門の十妙等を説かれています。


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参照

迹 門 の衆 生法 に お ける境 ・智 ・行 ・位 ・三法 ・感 応 ・神 通 ・説法 ・眷 属 ・功徳利 益 の十 種 が麁(/蔵 通別/権)で はな く妙(/円/実)で ある ことを、化 法 四教 によって具体 的 に説 明す るのが迹門十妙

本 門の衆生法 にお ける本 因 ・本 果 ・本 国土 ・本感 応 ・本 神 通 ・本 説法 ・本 春属 ・本涅槃 ・本寿命 ・本利益 の十種 を迹 に対 す る本 と して示 す のが本 門十妙
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次にまた蓮華の譬喩、当体等を説き、
さらに経の意義が説かれております(釈名)。
それから体を弁ずるとは諸法即実相の妙体であると示し (弁体)、
宗は不思議無極な一仏乗の因果を明かすのであります (明宗)。
それから「論用」とは断疑生信をもって菩薩を導く用とするのであり、
「判教」は五時八教を立てて一代仏教経典の内容をつまびらかにし、そこにおいてそれら一代仏教の位置と法華経との関係を明らかにすることであります。
ごく簡単に言えばそういうようなことでありますが、それを非常に広く深く説かれているのが 『玄義』 であります。

 したがって 『玄義』 には法華経に基づく仏教の内容を縦横無尽に説かれておるのですから、これにはあらゆることが説かれていなければならないのであります。
けれども、その一念三千の名目−名目というのは要するに名称でありますが、その名称としての一念三千ということが、いったい 『玄義』 にあるのか、ないのかという質問であります。
しかし 『玄義』 十巻どこを読んでみても、一念三千という名目はたしかにないのです。
したがって ■「答へて曰く、妙楽云はく 『明かさず』 」とおっしゃっております。

 ここで 「妙楽云はく」とおっしゃったのは、大聖人様が「これはけっして、私が自分勝手に言うのではない」ということです。
御内証は御本仏ですけれども、一往、外用は示同凡夫であり、名誉も地位もないような日蓮という一僧侶であります。
そういうような僧侶が勝手に言っていることだとすればみんなが信用しないだろうが、妙楽大師という方がきちんとそのことを言っているという意で、ここに「妙楽云はく『明かさず』」と示されております。

■ 問うて曰く、文句に一念三千の名目を明かすや。答へて曰く、妙楽云はく「明かさず」 と。

 この 『文句』というのは 『玄義』と並び称されるものでありますが、『文句』 のほうは法華経一部八巻の文々句々について、序品第一の一番最初の「如是我聞」から普賢菩薩勧発品第二十八の最後の「作礼而去(礼を作して去りにき)」に至るまで、二十八品の一々文々についての意義を解釈されたものであります。
これは法華経の内容を知る上において非常に大事な意味を持っております。

 まず第一に「因縁」 の上から解釈されております。
因縁といっても色々でありまして、普通、世間一般においても因縁という言葉を使いますが、それらは我々凡夫の浅はかな目で見た因と緑であります。
我々が生まれてきておるのには色々な因縁によるのです。我々が生まれてきておることは、お父さん、お母さんが縁なのです。そして、過去の業が因となって、その因と緑によって我々一人ひとりがここに生まれてきておるのであります。そういう個々の因縁もあります。

 しかし仏教の 「一大事因縁」というのは、これはまた実に高く広く、大変なものであります。これは結局、仏様が衆生を導く、その色々な過去からの仏と衆生との関係、また、どういう内容をもって仏様は衆生を導かれておるかという意味が説かれておるのです。
ですから、そこに「四悉檀」という法門があります。
この四悉檀ということを知っておりますと、信徒の方々がこれから信心し、折伏し、修行していく上においても大事な、利用できる意味があるのです。
 それは世界悉檀、為人悉檀、それから対治悉檀、第一義悉檀という四つであります。
どうしてこのように面倒くさく、四つにも分けて考えなければいけないのかと思われるかも知れませんけれども、やはり衆生の姿は仏様から御覧になるとそういう必要があるのです。

 まず、衆生の心に、衆生がなんでも善いことをやっていこうという気持ちを持つことのなかに喜ぶということがあるわけです。
いやだと思うことは、あまりやりません。楽しくやれるということになりますと、みんな喜んでそこに進んでいく意味があります。
そういう意味で「世界悉檀」というのは楽欲(ぎょうよく)悉檀とも言いまして、世間における色々な、常識的乃至、一般的になったところの思想なり考え方なり、そういうものを利用して我々が一つの正しい道に進んでいく意味であります。
 これは今、色々な形で信徒の方々もやっておる姿があるようであります。例えば、音楽なら音楽ということが世間一般で愛好される。その音楽を通じて、そこに正しい法を持った人達が集まってそれを行い、それを通じ、そこに仏法が自然と意識され弘まっていくというような形があります。すなわち世間一般が楽しみ、意欲するところに従って、法を説き、世間においてこれを聞くことを願い、かつ歓喜せしめることにより法の利益を与えるのであり、仏様はそういう世界悉檀という意味で色々と化導なさるのであります。

 それから、次に大事なことは、喜ばせるということは非常によいことですけれども、ただ喜んでいたのでは仕方がありません。
やはりそのなかに、善悪を分別して、善いことは善いことであるということをはっきりと考え、そしてその善いことに進ませていくということ、すなわち善を生ずるということが大事なのであります。
ですから、皆さんが常にお題目を唱えていく功徳の内容の一つとしては、悪い心ではなく、善い心がだんだんと生じていくということであります。それまではあまり人に同情する気持ちのない人であったけれども、真剣にお題目を唱えるようになってから、なんとなく不幸な人を見たら気の毒だと思うようになったとするならば、これは善い心が生まれてきたわけであります。
そういう意味で、善心を生ぜしめるということが「為人悉檀」という導きの利益であります。

 それから、今度はその反面、悪に対し、どうしてもこれだけははっきりと打ち破っておかなければいけないという意味が、やはり仏の教えに存するのであります。
 この教えを忘れておりますから、今の世間の親が子供の教育のなかで、子供の心のなかに生じた悪心を破るということを知りません。
今日、こうした社会の五濁乱漫の姿からすると、これを本当に判って活用できるのは日蓮正宗の御本尊を信じて真剣にお題目を唱えている人だけとも思うのです。
悪いことはきちんと破るということ、悪心を破すということ、これが大事なのであります。
これが要するに四悉檀のなかの第三番目の「対治悉檀」 いわゆる悪を破するということであります。
つまり仏の化導において、この悪を破することがまことに大事なのであります。

 それから最後は、要するに本当に成仏の境界に入っていく−深い深い、またしかし本当に幸せな、仏様の悟られた境界に我々が分々に入っていける境界が仏様の化導において存するのであります。
それが「第一義悉檀」ということです。
この第一義悉檀は「入理の益」と言いまして、仏様の悟り給う宇宙法界の大真如のなかに正しく我々の命が入り、その理に基づいて用いていくということであります。
 そういうことで、四悉檀という導きの方法があります。

そういう意味において『文句』 は、その内容において、久遠よりの仏と衆生との関係・因縁をもって法華経の文々を釈しており、これが第一の因縁釈であります。
                               
 次に約教釈という解釈法がありますが、簡単に言いますと、蔵・通・別・円というのが仏様の導く教の内容であります。
薬で言えば薬味という意味です。
医者が薬を調合するときに、薬方と言って、それぞれの薬の分量をどの程度、どのように入れるかということ−五つなら五つの薬を調合する場合に、これは一、これは三、これは五というように分けますが、これを一日に三回、食前なら食前に飲まなければいけないというような意味は、これは薬方のほうに入るのです。
薬味というほうは味でありまして、つまり薬の内容であります。
仏様の悟りの法、すなわち円のなかから他の三つの味わいを分けて作り出す、それが蔵と通と別であります。

この内容には実に大変な深さがありますけれども、真如の上からいけば但空とか不但空というような空の真理を説いた意味と、但中とか不但中という中道実相の真理を説いた意味の区別がありまして、それが教味であります。


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日蓮正宗要義 日顕上人

(蔵・通・別・円 について)

蔵とは三蔵経の意である。
経・律・論の三蔵は小乗のみとは限らないが、竜樹菩薩が大智度論で、大乗に対し小乗を三蔵として論じ、天台もこの意を受け、三蔵の語をもって小乗と呼称したのである。その教理は、しばらく説一切有部(有部)によれば、欲界・色界・無色界の三界内の六道の因果を生死の業と説くとともに、この苦悩を脱却して涅槃を証する道を示すのである。
衆生の個々の生命やその存在は因縁によって存するから、その実体は苦・空・無常・無我であるが、色心等の法は常住であるとして我空法有と説く。
空を観ずるに当たっては、万象を分析することによってそれに達するゆえに析空といい、このような空は現実を否定する空の一偏のみであるから、但空ともいう。
他の仮・中の諦理との間の融通がなく、偏真の空理と見られるのである。
後略

通教とは二つの意がある。
その一は空の理が前の蔵教と所詮は同じである意味において、互いに通じているので通同といい、
その二は蔵教と異なって、その空が後の高尚な別教・円教に通ずる意義があるから、通入という。
この二意より通教というのである。
通同は説明を要しないが、通入についてやや詳しく述べる。

通教はやはり六道の因果を明かし、これを脱却するために空を説くことは蔵教と同じながら、その空は体空といい、蔵教の析空と異なる。
万象を分析して、ようやく空を悟るのでなく、事物現象の当体が直ちに空であると説く。
これを体空といい、当体即空というところ、その当体には、おのずから有の存在を含むことより、不但空ともいう。
また有を含みながらも、幻のごとしといって幻有即空と談ずる。
更にその空は蔵教の人空法有に対し、人法二空を立てるのである。
通教における、このような幻有と即空の二が、やがて非有非空の中理を予想し、別教・円教等の大乗に入る初門となる。
諸法の当体即空にして生滅なしという(無生滅の)真理観を基として、やはり声聞・縁覚・菩薩の三乗ともに、それぞれ四諦・十二因縁・六度の法を観じ体空の真理を悟るのが通教の教理である。

次の別教は先の蔵通二教とも、後の円教とも別であるから別教という。前の二教と異なるところは、真理のうえで空仮中の三諦を明かし、灰身滅智(小乗の三乗は但空の修行のため身心ことごとく空無に帰すること)の者の与り知らない三界六道外(これを界外という)の因縁の相、すなわち菩薩が仏果を目指して進む長期の修行の因果を説くことである。
 また後の円教と異なるところは、三諦を同時に、また同体として照らすのでなく、初めに空諦、次に仮諦、後に中諦と次第に移りつつ修行する。つまり空を対象とするときは仮・中を知らず、仮のときは空・中なく、中に入れば仮・空の理を亡ずる。これを次第の三諦という。その中道も、空仮の二辺を離れた但なる中であるから、但中という。次に三諦の真理を説くので我々の生命に存する迷いとしては、空理を障礙する見思二惑のほかに、仮諦を障礙する塵沙の惑(現実の因縁の相に暗い迷い)と、中道中諦を障礙する無明の惑(生命それ自体に関する根本的な迷い)を説くのである。塵沙・無明はともに六道外の境界において感ずる惑であるから、界外の惑という。
 別教は小乗の三乗を除いた大乗の菩薩のみを対象とした教えである。菩薩の意義は、衆生無辺誓願度・煩悩無数誓願断・法門無尽誓願知・仏道無上誓願証という四弘誓願を起こすのであり、衆生を導くことを要旨とする。そのためには多くの衆生の個別相、因縁の相を学び、かつこれに通暁する必要がある。しかるに衆生は無量であるから、無量の四諦、つまり無量の苦・集・滅・道の因縁観を基本とし、菩薩が五十一位を経て上求菩提下化衆生に励みつつ、次第に煩悩を断じ、次第に三諦の理を証するのである。以上、別教の綱格を略示した。

最後に円教について述べる。
円の意義には不縦不横、円融、円満、円妙、円足、円頓等がある。
まず不縦不横についていえば、その縦とは概して時間的な表示、横とは空間的表現に通ずる。
通常の我々の思考は個別的なところに存する。
つまり時間的には過去と現在と未来とについて別個に考える。
空間的にも、自らの生命と他の生命は明らかに異なることが認められる。
このような見方も、生活上の観念としては必要である。
しかしその差別的見解は一面のみの真理であり、直ちに物の本質を照らすものではない。
本来、円の理とは一瞬一瞬の生命に時間・空間のすべてを含み具えている。

不縦とは「縦ならず」で、縦の時間的な相違変化や無数の現われの本質は、時間のすべてを内在する現在の一瞬一念の不可思議な生命を指すのである。
不横とは「横ならず」で、空間的な無数の差異や現われの本質は、やはりそのすべてを内在する一念の不思議の生命であることを述べている。

 これを空仮中についていえば、
縦とは次第であり、初め空、次に仮、次に中という推移によって修行する相である。
横とは差別であり、空は空、仮は仮、中は中とそれぞれ横に並びつつ、別個にして互いの関連がない形を指す。

今は不縦のゆえに次第がなく、一時に空仮中を円かに具え、また不横のゆえに差別なく、一存在を挙げれば宛然(えんねん=えんぜん・そっくりそのままであるさま。)として即空・即仮・即中であり、円かに諸法を具す。これが円の不縦不横の意義である。

 円融とは、円はこのように一法に即して一切法であるから、宇宙法界の存在における、上は尊高至極の仏界より、下は最苦最悪の地獄界までのすべてが、互いに具わり融け合っていて、決して切り離された単独の存在ではない。
悪も善も、仏も地獄・餓鬼・畜生も、すべて連なり合い、相資相依の存在であるという不思議の理に名づける。

 次に円満とは、右の円融の理が事々物々の主体的立場において、その意義と価値を表わすことをいう。
一法を挙げれば、どのような片々区々の存在であろうと、宇宙法界の一切を具えて不増不減であり、本来十界互具し、一念三千の覚体であることを顕わす本門的意義を持っている。
円妙、円足、すべてこれに準じて考えられよう。
また円頓とは仏の化導に当てはめた語で、速疾頓成を意味するのである。

 要するに、円教は円融三諦の中道を所詮とするものであり、空といえば一空一切空であって、法界すべてが空寂に帰し、仮といえば一仮一切仮で、法界の至る所に差別の相が歴々として建立し、中といえば一中一切中で、法界の個も全もことごとく中道不思議の妙体である。
一即三・三即一、即空・即仮・即中で互いに障礙することなく、相待・絶待ただ不思議にして、言語道断心行所滅の当体・当相に名づける。
このような中道を別教の但中に対し、不但中と称する。

 このように一法と雖も中道実相の妙体であるから、何らかの価値を特に造作する必要がない。
つくろいなすべきことが、法理のうえにおいてありえないから、このような中道を無作という。
この無作の観のうえに、自身や法界の苦・集・滅・道を観ずるのが中道実相観である。
三乗・五乗ないし地獄より菩薩までの九法界は、この円教に入って、すべてが仏乗と開かれるのである。
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→ つまり、その教の意義に約して法華経の文々句々を説いてあるのであります。

 それから本迹釈というのは、仏法において本地と垂迹という関係があります。
実は御信徒の方々にも本迹があるのです。
「我々にも仏法で説く本迹などがあるのだろうか」と思うかも知れませんが、しっかり信心していきますと、その本迹ということが自分の身に当たって解ってくると思います。

 釈尊は法華経の寿量品に来て初めて本地を説かれました。
それまではずっと四十数年間、始成正覚と言い、三十成道以降の仏たる迹の立場の上からあらゆる教えを説かれておるのでありまして、久遠実成の本を説かれたのは寿量品に入ってからであります。
しかし、その本迹という意義が実は一切のものに具わっておるのであり、そこで経文の文々句々について本迹の意義をもってこれを釈されております。

 最後は観心釈であります。
観心とは教えの内容、真理を心に観ずることです。
教えは、その教えだけで「よい教えだな」ということも大事なのです。
そのよい教えということが本当に解ってくれば、その人の命のなかにその教えが入るのであります。
入れば、今度は自分の命、自分の生活のなかにその教えが体現されていきます。これが大事なのであります。

 例えば、まんじゅうの作り方と、まんじゅうの食べ方とがあるとします。
そのまんじゅうの作り方をいくら聞いても、あるいはまんじゅうの絵をいくら見たからといっても、まんじゅうそのものは解りません。
食べてみて初めて、まんじゅうそのものが解るのであります。
観心というのはその意味でありまして、教えが教えだけの形であるならば、あくまでこれは絵に描いた餅だというのです。
これを自分自身の命のなかに、あるいは生活のなかにはっきりこの教えの真実性を顕していって初めて、そこに自分自身の心を正しく観ずることができるということです。
これを観心と言います。

 しかし、ここでは経文の解釈上、自分の心に当ててその文を解釈していくという方法が観心釈であります。

以上、四つの解釈法によって法華経の文々句々を解釈されたのが 『文句』 であります。

 ですから、この 『文句』 にも観心釈ということがあるぐらいですから、当然、一念三千というような、つまり諸法実相を己心に当てて考えてみれば己心がそのまま実相なのであり、逆に己心とは何かと言えば、真実の実相に示されるところの意義がそこに具わっておるわけであります。

そういうことからすると、当然、一念三千という名称が出るべきではないかと考えられるのです。
ところが「妙楽云はく『明かさず』」−『文句』にもー念三千が明かされていないのである、と言われるのです。

■ 問うて曰く、其の妙楽の釈如何。答へて曰く「並びに未だ一念三千と云はず」等云云。

 妙楽大師という方は荊渓(けいけい)大師とも言って、天台の第六祖ですけれども、その方がこの件についてどのようにおっしゃっているかということの質問を構えられるのであります。
そこで 「答へて曰く『並びに未だ一念三千と云はず』等云云」 ということを言われておりますが、天台の三大部を解釈してそれぞれ『玄義釈籤』『文句疏記』 『止観輔行伝弘決』という勝れた扶釈書を作り、天台の教学を正しく発揚した点で他の追随を許さない方であります。
その方がやはり『玄義』と 『文句』 には一念三千という名称が言われていないと証明されたことを挙げられたのであります。

 しかし、もう少し数学的に詳しく申し上げますと、中国乃至日本において天台宗の学者がたくさん出ましたけれども、そのなかには、『玄義』 『文句』 にはたしかに一念三千という文はないが、その義はあるのだというようなことを言っておる人もあります。
それから、文も義も共にあるのだと言っておる人もあります。
しかし、これがはたして正しいか、正しくないかという問題が多々あるのですが、正系の筋道からいけば大聖人様が「妙楽云はく『明かさず』」と挙げられる如く、妙楽大師の断定をもって正義とすべきであります。

 これは 「夫一心に十法界を具す云云」 という天台の 『摩訶止観』第五の文に関して妙楽大師が釈されておるのですが、そのところにおいて天台大師が覚意三昧、『観心食法』とか『誦経(ずきょう)法』とか 『小止観』とか、色々なところにおいて観心を説かれておるけれども、一念に三千を具足するということはこの 『止観』第五までは言われていないと釈されておるからです。
この筋道がやはり、本当にきちんとした正しい筋道であります。

→ 
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覚意三昧
仏意を覚(さと)る三昧のこと。摩訶般若波羅密経にある。天台大師の四種三昧のなかの非行非坐三昧や南岳大師の随自意三昧と同じ。方法・期間を定めないで、六識によって起こす念に対して思考し、正しく認識して悟りを得る三昧のこと。この三昧によって七覚支を得るので覚意三昧という。)
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四種三昧
四種三昧は、天台宗の基本的な修行法で、天台大師智の『摩訶止観』に説かれる四種類の行を指す。
心(動作)、口(唱え方)、意(心)の三業から分類し4つのカテゴリーにわけたもの。

常坐(じょうざ)三昧。  静かに仏前に独座して、九十日間坐り続け精神を統一し法界を観ずること。
常行(じょうぎょう)三昧。  七日ないし 九十日を期限として阿弥陀仏の像のまわりを歩きながら,その名を称えて阿弥陀仏を念じて仏を見ようとすること。
半行半坐(はんぎょう-はんざ)三昧。  歩いて行う行と、坐って行う行の組み合わせ。
非行非坐(ひぎょう-ひざ)三昧。  前記三種類以外の身体の行儀を問わないすべての行。あらゆる起居動作を通じて仏道の完成を目指す。
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七覚支(しちかくし、巴: satta bojjha?g?, サッタ・ボッジャンガー)とは、仏教における修行内容の1つ。
悟りの7つの支分をなす項目。
「七等覚支」(しちとうがくし)[1]、
「七菩提分」(しちぼだいぶん)[2]とも。
「三十七道品」の中の1つ。

七覚支の内容は以下の通り[3]。

念覚支(sati-sambojjha?ga) - 気づき(サティ)。心で今の瞬間の現象を自覚すること
択法ちゃくほう覚支(dhamma-vicaya--sambojjha?ga) - 法の中から真実のものを選ぶ
精進しょうじん覚支(viriya-sambojjha?ga) - 努力
喜覚支(p?ti-sambojjha?ga) - 喜びに住する
軽安きょうあん覚支(passaddhi-sambojjha?ga) - 心身に軽やかさ・快適さを感じる
定覚支(sam?dhi-sambojjha?ga) - 心が集中して乱れない
捨覚支(upekkh?-sambojjha?ga) - 。対象に囚われない

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観心食法
 一巻。天台撰。天台の観心修行の行者が食について「観」を用いることを説明したもの。
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誦経法
 一巻。天台撰、「観心誦経法」の略称。現存しないが謙順(一七四〇年〜一八一二年)の「諸宗章疏録」に、この書の名がある。内容については妙楽大師の「観心誦経法記」(一巻)から推察すると、観念観法である一心三観を修行すべきことや空仮中の三観が説かれ、正観を修して誦経すれば正覚を成ずる旨などが説かれていたと考えられる。
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小止観
 一巻あるいは二巻。天台撰。正しくは「修習止観坐禅法要」といい、「天台小止観」「童蒙止観」ともいう。天台大師が俗兄・陳鍼(ちんしん)のために、止観修習の要諦を示したとされる書。摩訶止観は内容が難解であるため、初心者のために坐禅の方法や用心などを説き、摩訶止観の要綱を示している。
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観心論
 一巻。天台撰。「煎乳論(せんにゅうろん)」ともいう。観心を中心とする立場から四種三昧を勧めたもの。正説分では、三十六問を立て全体に教と理との関係、またその分別を明示し、自生心(じしょうしん)を観じ仏法の真意を悟る基礎を説明している。注釈としては、章安大師灌頂の「観心論疏」五巻がある。
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四念処(しねんじょ)
 天台大師述、章安撰とされる著。四巻。釈尊が入滅に際して、滅後の行道を示したなかで、行道すべしと説いた四念処(身念処・受念処・心念処・法念処)
(1) 肉体の不浄 (身念処) ,
(2) 感覚の苦 (受念処) ,
(3) 心の無常 (心念処) ,
(4) 法の無我 (法念処)
について述べたもの。
蔵通別円の四教それぞれの四念処観を説き、この修行が天台教学の観法の真髄であることが説かれている。
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四念処
四念住ともいう。
仏教で 37種の修行を7つの部類に分けたものの第一で,この部類に属する4種の修行をさす。
念処とは記憶をとどめおくことで,真剣な思いを意味する。
(1) 肉体の不浄 (身念処) ,
(2) 感覚の苦 (受念処) ,
(3) 心の無常 (心念処) ,
(4) 法の無我 (法念処)
に思いを凝らす観法。
7つの部類の一つとして明確に位置づけられたのは後世であって,原始経典中には,上記の4種を独立の修行法として説く場合が多い。
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 たしかに 『玄義』 には、その第二において、一心に十界を具す、十界に百界を具す、百界に千如を具すというようなこと、そしてまた別個な形で、すぐ引き続いて衆生世間・国土世間・五陰世間というような三世間において一念が存するということを言ってはおるのです。
しかし、これらを総合する絶対的な観心の名称として、一念三千という名目は示されていないということが真実であります。

■ 問うて曰く、止観の一二三四等に一念三千の名目を明かすや。答へて曰く、之無し、

 次に、ここにおいて『摩訶止観』 の一、二、三、四と挙げておられますが、『摩訶止観』 は第一巻から、二巻、三巻、四巻乃至第十巻まであるのです。
そういえば『玄義』も十巻、『文句』も十巻でありまして、天台の三大部は全部十巻なのです。

 それで「止観の一二三四」というのは、内容において六つの章がここに入っております。
第一は大意章、それから釈名章、顕体章、摂法(しょうぼう)章、偏円章、そして第六が方便章、こういう六つの章が『摩訶止観』 の一、二、三、四までに入っております。
そのあと、第七章は正観章と言いまして、この正観章において初めて天台大師は本当の目的とするところの正しい観心、一念三千の観法を示されたのであり、それが『止観』 の第五巻になるのであります。



したがって、この 『観心本尊抄』 の一番最初に、
 ■ 「摩訶止観第五に云はく」 (御書六四四)
とありますが、この「摩訶止観第五」というのは第七章・正観章を示す意味であります。

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参照

日顕上人 三大秘法義

       五、摩詞止観

  法華経の禅定を、迹面本裏の義において説いたのが、天台大師の『摩訶止観』である(一一一の図を参照)。



 『止観』は大きく分けると、章安大師が著した序分(縁起)と、天台大師の正説分があり、正説分は十章(十広) より成っている。すなわち、
  一、大意章
  二、釈名章
  三、顕体章(体相章)
  四、摂法章
  五、偏円章
  六、方便章
  七、正観章(正修章)
  八、果報章
  九、起教章
  十、旨帰章
である。
この「七、正観章」に十境があるなかの「第八、上慢境」「第九、二乗境」 「第十、菩薩境」 の三と、十章中の「果報」 「起教」 「旨帰」 の三章は、名目は存するが、実際には説かれていない。
 ただし、この未説の八・九・十各章の内容は、「第一、大意章」のなかで略して述べられているので、ほぼその内容が推察される。
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すなわち、大意章の法門は五略と言い、
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一、発大心(四弘誓願)(※すべての仏や菩薩が共通して持っている四個の誓願。 衆生無辺誓願度・煩悩無量誓願断・法門無尽誓願知・仏道無上誓願成の総称。
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二、修大行(四種三昧)
(※四種三昧は、天台宗の基本的な修行法で、天台大師智の『摩訶止観』に説かれる四種類の行を指す。
心(動作)、口(唱え方)、意(心)の三業から分類し4つのカテゴリーにわけたもの。

常坐(じょうざ)三昧。  静かに仏前に独座して、九十日間坐り続け精神を統一し法界を観ずること。
常行(じょうぎょう)三昧。  七日ないし 九十日を期限として阿弥陀仏の像のまわりを歩きながら,その名を称えて阿弥陀仏を念じて仏を見ようとすること。
半行半坐(はんぎょう-はんざ)三昧。  歩いて行う行と、坐って行う行の組み合わせ。
非行非坐(ひぎょう-ひざ)三昧。  前記三種類以外の身体の行儀を問わないすべての行。あらゆる起居動作を通じて仏道の完成を目指す。
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三、感大果(観行即より相似・分真即に至る八相作仏)
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六即
天台大師智が『摩訶止観』巻1下で、法華経(円教)を修行する者の境地を6段階に立て分けたもの。
修行者の正しい発心のあり方を示しており、信心の弱い者が卑屈になったり智慧のない者が増上慢を起こしたりすることを防ぐ。
「即」とは「即仏」のことで、その点に即してみれば仏といえるとの意。
@理即[りそく]。生命の本性(理)としては仏の境地をそなえているが、それが迷いと苦悩に覆われている段階。
A名字即[みょうじそく]。言葉(名字)の上で仏と同じという意味で、仏の教えを聞いて仏弟子となり、あらゆる物事はすべて仏法であると信じる段階。
B観行即[かんぎょうそく]。「観行」とは、観心(自分の心を観察する)の修行のことであり、観行即は修行内容の上で仏と等しいという意。仏の教えのとおりに実践できる段階。
C相似即[そうじそく]は、修行の結果、仏の覚りに相似した智慧が得られる段階。
D分真即[ぶんしんそく](分証即)は、真理の一部分を体現している段階。
E究竟即[くきょうそく]は、完全なる覚りに到達している段階。
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八相作仏
釈迦がこの世に出現して示した8種の相。
・降兜率(ごうとそつ)
・入胎(托胎)
・出胎
・出家
・降魔(ごうま)
・成道(じょうどう)
・転法輪
・入滅。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
四、裂大網(五時八教による衆生利益)

五時 既説
化法の四教 蔵・通・別・円 

化儀の四教を略説する。
すなわち頓・漸・秘密・不定である。
この四通りの投薬方法により、仏は前述の蔵・通・別・円の薬の内容を適当に調合し、加減して衆生を導かれるのである。

まず
@頓 とは誘引の手段を用いず、直ちに仏の高広の理を説く化導法である。

これに対して、
A漸 とは次第階梯の意で、下劣の機に応じて蔵・通・別等の方便を説いて、衆生の根性を調えるのである。

次に秘密とは
秘密不定教、

不定とは顕露不定教のことである。

右の両者に共通の言葉として「不定教」の名称があるが、これは同聴異聞のことである。
仏の一音の説法をある者は小と聞き、ある者は大と聞く等、同聴異聞して利益の各々異なることをいう。

そして
B 顕露不定教 とは、衆生が仏の説法を聞くに当たり、互いに顕露の状態であること、つまり一会の衆が皆互いに仏の法を聞くことを知りつつ、しかも仏の微妙の表現により、内容と利益を得ることが異なる教導法をいう。

C 秘密不定教 とは仏の説法の知慧や用きが、現実に空間を超えて、同座または別座十方において、各々を互いに相知らしめず、しかも一説法に対し同聴異聞して、得益に不同のあることをいうのである。

要するに
@頓とA漸は、機の相違による法の内容の違いであり、
B秘密とC不定は、同時聴聞の衆生に対して道を増進させるため、得益や知・不知を不同ならしめる仏の教化法である。

釈尊はこれらの形式をもって種々に法を説き、形声の二益(※文字と声)を施されたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
五、帰大処(法身・般若・解脱の三徳、秘密蔵の大涅槃に帰す)
を説いでいる。

法身・般若・解脱の三徳
仏にそなわる3種の徳相のこと。
@法身とは仏が証得した真理、
A般若とは真理を覚る智慧、
B解脱とは生死の苦悩から根源的に解放された状態をいう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 詳述すれば、


「一、発大心」とは、菩提心を発すとの意であり、ここに
一「釈方言」
二「簡非」
三「顕是」を示す。

釈方言 は、方言を釈す。
簡非 は発菩提心に正邪があるとし、この十種の非心を斥く。
顕是の是は正の意であり、さらに、この顕是を三に分かって、四諦、四弘誓願、六即の順に説示する。
このそれぞれが、三権一実(※三乗方便 一仏乗真実)の義に基づいて縦横に麁妙を判じ、円の無作、一大事因縁、不可思議、即等の法門をもって真正の発菩提心を示している。
これは十章のうち、大意章から偏円章までの内容を略説している。
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「二、修大行」とは大行を修するとの意で、ここでは修すべき行として、円頓止観の三昧行法である四種三昧を示す。
これには、
・常坐
・常行
・半行半坐
・非行非坐の四があり、身儀に約して名づけられている。

 常坐三昧は、九十日を一期とし、弥陀を本尊として身・口・意を清浄にし、端座人定する乞食行である。『文殊三昧経』等に説かれる。

 常行三昧は、九十日を一期とし、歩々(身)・声々(口)・念々(意) に、弥陀念仏を歩行にて称え続ける乞食行である。『般舟三昧経』に説かれている。

 次の半行半坐三昧は、方等三昧と法華三昧の二種がある。
方等三昧は七日を一期とし、修行が達しなければ繰り返す行である。
法華三昧は、天台の説く三昧の中心をなす行である。すなわち『法華経』のみを本尊とし一念三千を修する。これは法華三昧懺儀に説かれている。
また、先に述べた常行・常坐の弥陀称名は、法華が真実であるとの前提の上の方便であって、一番の元は法華三昧にあるとするのである。

 最後の非行非坐三昧とは随自意三昧とも言い、常行、常坐、半行半坐の拘束から離れた四六時中、常に不断に観念し、心を正境に止住せしめることである。

修大行は方便章、正観章の内容を略説している。
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「三、感大果」とは、止観の修行により証得される仏果との意で、観行即より相似・分真即に至る八相作仏を説く。
これは自利の辺に約しての行である。
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「四、裂大網」とは、煩悩を網に誓え、その不幸の原因を切り裂き、正しい教えにより衆生を導くことを説く。
五時八教による衆生利益を示すのである。
これは利他の辺に約しての行である。
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「五、帰大処」とは、円頓止観の修行により、法身・般若・解脱の三徳に入り、秘密蔵の大涅槃に帰すことを説いている。

 このなかの
「三、感大果」は「第八、果報章」に、
「四、裂大綱」は「第九、起教章」に、
「五、帰大処」は「第十、旨帰章」に、
それぞれの内容が該当する。
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 さて
「第二、釈名章」は止観の名を釈し、
「第三、顕体章」は、止観の体は寂照の二用であることを明かし、
「第四、摂法章」は、止観の二法は方法を摂入することを明かし、
「第五、偏円章」は、爾前四時三教の偏と法華経の円をもって止観を分別することを明かす。
「第六、方便章」は、第七の正修止観に入る前の準備として、方便の行を加えるのである。
いわゆる二十五方便であり、
 一、五縁を具す(持戒清浄・衣食具足・閑居静処(静処に閑居すること)・息諸縁務(もろもろの縁務を止めること)・近善知識)
 二、五欲を謝す(訶色欲境・訶声欲境・訶香欲境・訶味欲境・訶触欲境)
 三、五蓋を棄つ(棄貪欲・棄瞋恚・棄睡眠・棄悔(じょうげ)・棄疑)
(※掉=ふる。ふるう。動かす。ふり動かす。ふれる。ゆれる。ふるえる。)
 四、五事を調う(調食・調眠・調身・調息・調心)
 五、五法を行ず(楽欲・精進・念・巧慧・一心)   、
の各行を修することを明かしている。
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 次の「第七、正観章」は、『摩訶止観』全体の肝要部であり、前六章が主として教相妙解門であるのに対して、観心正行門の要旨が縦横に開説されている。故に『止観』巻五に、
 「前の六重は修多羅に依って以て妙解を開く。今は妙解に依って以て正行を立つ」(止観会本中一八二)
と示し、「第七、正観章」が開かれる。
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そこで次に、その観心の対境としての十境が生起する。
すなわち、不思議の十境を円頓止観の所観とし、十乗を同じく能観として説くのであり、もって、この円頓止観が、前二種の漸次と不定の止観に対し、深妙な所以を示している。
この止観の対境を開いて十とする。
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一に陰人界境=これは、「五陰」「十二入」「十八界」で、要は色心の二法である。
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細説すれば
「五陰」とは、色・受・想・行・識である。
色陰には、眼・耳・鼻・舌・身の五根と、色・声・香・味・触の五境と、法境中の無表色がある。

受陰は対境を領納する心所である。
想陰は境の像を心に取る心所で、以上の受・想の二法は、大地法の十のなかの二を、五陰へ別立したものである。

行陰は、右の二を除いた四十四の心所(心王に属する細心)と、十四の不相応行法である。

四十四の心所とは、「大地法」の思・触・欲・慧・念・作業・勝解・三摩地の八(受・想を除く)、
次の「大善地法」は、信・不放逸・軽安・捨・漸・愧・不善・勤・無貪・無瞋の十、
次の「大不善地法」は、無漸・無愧の二、
次の「大煩悩地法」は、癡・逸・怠・不信・?(くらい・はっきりしない・おろか・もだえる・もやもやする・思い悩む)・悼の六、
次の「小煩悩地法」は、忿・覆・慳・嫉・悩・害・恨・諂・誑・?の十、次の「不定地法」が、尋・伺・眠・悔・貪・瞋・慢・疑の八で、
以上が行陰の四十四の心所である。

 このほかに、行陰として非色非心不相応法が十四を数える。
これは、色心二法と相応せず、しかも色心および無為法と交渉する法で、得・非得・同分・無想果・無想定・滅尽定・命根・生・住・異・滅・名身・句身・文身がある。

 右のなかの同分とは、ある一法があって、それが原因となり、他の多くが似同する果を現ずることを言う。

また、無想果と無想定は、色界第四禅の第四無想天の果と定を言う。

滅尽定は、無色界の最高、非想非々想処天の定で、共に心のない状態であ
る。

また、
文身とは「ア・イ」の如く、意味のない字に存する一種の作用で、
名身とは文身が集まって種々の法を表すもので、「ヤ・マ」で山、「ウ・ミ」で海となるようなものである。
句身の句とは、事物の体の上の区別を表すことで、「松は緑」「月が明るい」等である。

 以上、色心の諸法の存在を総括するのが識陰である。これは六識心王と言い、色法と心所法を支配する。

 このほかに、法界万有の存在法として、三無為法がある。
無為とは、あらゆる因縁の造作を離れた生滅のない法であり、その一は虚空無為と言い、万物を包容しつつ、それ自体、なんらの障礙や非障礙のない存在である。
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二は択滅無為と言い、智慧によって煩悩を徹底して去るところに顕れる真理を言う。
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三の非択滅無為とは、諸法中に生ずる縁がなく、常に生ずることのない無為法のことである。
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以上が五陰と七十五法の総説である 
(次nの「五陰と七十五法」の図を参照)。
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 次の陰入界の「入」とは、色法を十二に開いたもので、眼等の六根が所依となり、色等の六境が所縁となって心王・心所に入ることを言う。

「界」とは十八界で、色心の二法をすべて認識の上に開いた相を言う。すなわち、六根界(眼・耳・鼻・舌・身・意の各界)と六境界(色・声・香・味・触・法の各界)と六識界(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の各界)であり、根と境は色法、識は心法である。
これらは現前しているから、これを直ちに止観の対境とする
(五位七十五法と十二処・十八界の関係は一一九nの図を参照)。
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二に煩悩境=有に執われる見惑・思惑の迷いと、空に執われる塵沙惑、さらに生命の本質に迷う無明惑があり、これらを観境とする。

三に病患境=古来、衆生の病は実に多いが、病の起こる因縁として
「一、四大不順」「二、飲食不節」「三、座禅不調」「四、鬼便りを得」「五、魔の所為」「六、業が起こる」の六がある。
この病の生起した時、これを円融の三観・三諦の上に乗せて観を開く。

四に業相境=無量劫以来作る衆生の善悪の業は、既に報われたもの、いまだ報われぬもの等、無量であるが、普通の状態では、その果報が現れない。しかるに今、止観を修することにより、よく善悪の業を動かす故に善悪の相が現ずる。この業相を所観とする。

五に魔事境=魔は行者に対し、障礙、破壊、擾乱をなす。すなわち慧命を奪い、道法・功徳・善本を壊すのである。また、魔には五陰魔・煩悩魔・死魔・天子魔の四があり、内外より、あらゆる障害を現すが、これを正理によって観じ破す。

六に禅定境=一切衆生には皆、本来の心一境性、すなわち煩悩を具足した味禅がある。また、色界の根本四禅や、小乗・大乗の諸禅を行者が発すれば、これを対境として現ずる。

七に諸見境=諸々の外道の邪見、すなわち身見・辺見・邪見・見取見・戒禁取見の五染汚見や、仏法に関与し、あるいは利用する外道の悪見等が起こったとき、正観の三諦・三観をもって善治する。

八に上慢境=有漏の色界四禅定をもって無漏の初果乃至、四果と誤って思う者、また大乗においても自ら仏を得たと思うなど、未得謂得増上慢の心が起きるとき、これを観じてその境を破す。

九に二乗境=諸々の邪見・悪見や、上慢の境を静め対治した者は、さらに前世の宿習により利他を棄て、自利解脱にのみ執する者がある。すなわち声聞・縁覚の二乗である。この偏狭な空心を、正観をもって治す。

十に菩薩境=菩薩に小乗・大乗の違いがあり、権大乗・実大乗の区別がある。これらの菩薩は、円の真道に入らなければ、結局、誹謗を起こして本願を退転するに至る。方便道・真実道ともに妙法の観心をもって菩提を期するのであり、その故に菩薩境を設けて止観の対境とするのである。

 以上について 『止観』巻五の文には、
  「此の十種の境は、始め凡夫の正報より、終り聖人の方便に至る。陰入の一境は、常に自ら現前す。
  若しは発し、発せざるも、恒(つね)に観を為すことを得。余の九境は、発せば観を為す云云」(止観会本中二〇七)
として、陰入、すなわち眼・耳・鼻・舌・身の諸根と、色・声・香・味・触の感覚と、これを統一総合する心の用きを所観の境とすることが観心修行の基本であり、それは凡聖の区別なく、一般生活上の眼前に存在するから、常に観をなすことができるとの意を述べている。

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 また、観心に十の法門を具すとして、十境の一々にわたって十乗の観法が説かれている。すなわち、
  一、観不思議境
  二、起慈悲心
  三、巧安止観
  四、破法遍
  五、識通塞
  六、修道品
  七、対治助開
  八、知次位
  九、能安忍
  十、無法愛
がその名目である。

 その初めの陰入界境についての
「一、観不思議境」は、その示す内容が理境、すなわち円融の空仮中三諦の意義を観心の上に顕す重要な箇所である。この観不思議は、境の真偽を簡ぶのを旨とする。偽とは思議の境で、世間六道の因果や方便の蔵通別の教理による一心の相乃至、生命観・法界観である。
これに対し、真とは不可思議境であり、円融の三観三諦による一心不可思議の相乃至、生命観・法界観を顕すのである。
そして不可思議境とは、その理境の当体として一心が基であることを示す。
蓋し、法界は広く、色心の二法である五陰世間を実法として衆生世間の十法界があり、また、その住居としての国土世間が存在する。これは 『方便品』 に説く十如是、すなわち如是相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等の因果の理法によるのであり、理境とは、それらが互いに具し合っており、円融の原理による不可思議境のことである。

 この理境の意義を結成して、法華経実践修行の指南として終窮究竟の極説を説示した法門が一念三千である。これは、
  「夫一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば百法界に即ち三千種の世間を具す。此の三千、一念の心に在り。若し心無くんば已みなん。介爾も心有れば即ち三千を具す」 (同二九六)
との有名な文によって示されている。

 右の文は、『止観』巻五の陰入界境の下、十乗観法を明かす第一、観不思議境のなか、不思議の理境を明かすところに存する。
なお、右『止観』の所詮は、凡夫の己心の一念を三千に開くもので、迹門の諸法実相に約しての一念三千であり、したがって理の一念三千となるのである (詳細は「天台の一念三千」 の項三〇九n以下を参照)。

 『止観』 では、観不思議境の観心によって発得開悟できなかった者に、次の「起慈悲心」以下、「無法愛」に至るまでの行法を説いている。

 「二、起慈悲心」とは、我が身に当たって広大な慈悲を起こすことで、すなわち、それは衆生無辺誓願度・煩悩無数誓願断・法門無尽誓願知・仏道無上誓願成の四弘誓願である。

第一に衆生無辺誓願度とは、自身の成仏とともに、衆生を成仏へ導くことを誓い願うことである。これは、苦諦の境を縁として発誓する。

第二に煩悩無数誓願断とは、自己が不幸となる迷いの要素である煩悩を、根本的に消滅する道を求め、努力することである。これは集諦の境を縁として発誓する。

第三に法門無尽誓願知とは、そのための正しい教え、すなわち仏教のすべての内容を学ぶことを願う。これは道諦を縁として発誓する。

第四に仏道無上誓願成とは、この世で最高に勝れた大人格である仏の悟りに到達するよう、願うことである。これは滅諦を縁として発誓する。

 「三、巧安止観」とは、前二が不成功のときは、心を挫折しないように、かつ法性に安住せしめるために、止と観を巧みに使い用いる方法である。
 
「四、破法遍」は、行者が法を観照するに当たり、偏った法理に執着することがある。すなわち、有観、空観、従仮入空観、従空入仮観、但中観等の偏った観であり、その執着を遍く破するのである。

 「五、識通塞」は、その通とは、智によって法界の真理に通達すること。塞とは、執情の迷いにより理を失い、道が塞がること。この通塞を常に心に置き、自らを識ることに勤める。

 「六、修道品」は、いまだ三諦の観照が開けないとき、四念処・四正勤・四如意足・五根・五力・七覚支・八正道の三十七科道品を修し、一心三観を開く手段とする。

 「七、対治助開」は、衆生の煩悩惑障が多いため、これを対治し、悟りを開くには種々の助行を用いる。
すなわち、慳貪の者には布施・捨心、破戒者には戒律、瞋恚・悪口・両舌の者には忍、散逸・懈怠の者には精進、散乱者には禅定、愚痴・邪計の者には正慧等、六度乃至、道品を適宜に行う。

 「八、知次位」とは、自己においての証道の段階、修行者としての位を、よく分別して知ることである。これにより、自高・自慢や卑屈・卑賎等の乱れを矯し、正しく自己の位を知る。

 「九、能安忍」とは、内と外より来る善悪の縁に対し、好きと嫌いの感情が起こり、道に外れた違順の心を起こすことがある。しかし、いかなる縁にも心を安忍して動ぜず、その障りを除く行である。

 「十、無法愛」は、法に対する愛着をなくすよう、勤めるのである。法とは、円教の初住以前において、見惑・思惑・塵沙惑等を断被して得た観行即や相似即等の位と悟りであるが、これはまだ方便の位であるから愛着せず、進んで無明の根本煩悩を破し、中道の悟りを目指す指南である。

 右の十乗の「一、観不思議境」は境の真偽を簡び、その真をもって入定・人悟するのであり、上根の所用である。
以下の二・三・四は、行門の正しい軌道により発心立行を示している。
五・六・七は、種々の機根に対し、道を明らかにし助けるための随宜方便の修行である。
この二より七までが中根の行に当たる。
八・九・十は、さらに修行と位を進める方法の開設であり、下根に当たる。

 以上について 『止観』巻五には、その要旨を左のように要括して述べている。
すなわち
  「此の十重の観法は、横竪に収束し微妙精巧なり。初めは則ち境の真偽を簡び、中は則ち正助相添え、後は則ち安忍無著なり。意は円かに法は巧みなり。該括周備して初心に規矩たり」(同二七〇)
  「蓋し、如来の積劫の勤求する所、道場の妙悟する所、身子の三たび請ずる所、法譬の三たび説く所、正しく茲れに在るに由るか」(同二七二)
の文である。
右文の身子の三請、法・譬・因の三説とは、まさに『法華経方便品』乃至、迹門正宗分の文相であり、天台『止観』 の所詮が、法華迹門の諸法実相を基準とすることが明らかである。

 ただし、一念三千の観法に本門の意が全く存在しないのではない。それは、三種世間中に国土世間の具足を示すことである。
十界互具・百界千如は『方便品』 の仏説によるが、国土世間の具足は迹門になく、本門に至って明かされる。
すなわち『寿量品』 の仏説である、
  「我常在此。婆婆世界。説法教化。亦於余処。百千万億。那由他。阿僧祇国。導利衆生(我常に此の 婆婆世界に在って、説法教化す。亦余処の百千万億那由他阿僧祇の国に於ても、衆生を導利す)」(法華経四三一)
の文である。
このように、仏陀による国土世間の意義が開かれ、一念三千が仏界の悟りと功徳の上に確定する。
天台大師の一念三千は、迹門諸法実相を面となし、本門を裏へ回して三千の数量を成じたのである。
また、十界互具・百界千如具足と言っても、それを悟られた仏が始成正覚である時は、仏界の悟りを基本とする以上、常住の真如とはなりえない。本門の教説開示を待って、初めて無始常住の仏界・九界の互具が成立し、真の一念三千となる。
蓋し、天台大師の本地は薬王菩薩であり、本門の付嘱がないため、本門の意義を裏へ収めて、表面は諸法実相の・三諦三観をもって一念三千を説いたのである。

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 そこで 『摩訶止観』 の一、二、三、四等において一念三千の名目を明かすのであるかという質問でありますが、それに対して「答へて曰く、之無し」と言われております。
ここには「妙楽云はく」という言葉がないのです。前の所、つまり『玄義』と『文句』についての所では「妙楽云はく」とあります。
ところが『止観』 のほうに入ると「妙楽云はく」という言葉がありません。いわゆる「之無し」と言われております。
 それを拝察申し上げまするに、『本尊抄』 の冒頭に「摩訶止観第五に云はく、『夫一心に十法界を具す云云』」と示されておりますが、これは大聖人様が 『本尊抄』を著し給う本義の上から 『摩訶止観』 の第五にこのように示されてあるぞということを、御自身の責任においてまず第一にお示しになっておるわけです。
私がこれを示したのであるから、これを示した私の責任上、その一、二、三、四、つまり 『摩訶止観』 第五以前の一から四までにはないということを、まず自分が答えるべきであるというお考えのもとに、前のように 「妙楽云はく」とおっしゃらないで、直ちに 「之無し」とおっしゃっておるのです。

■ 問うて曰く、其の証如何。答へて曰く、妙楽云はく 「故に止観の正しく観法を明かすに至って、並びに三千を以て指南と為す」 等云云。

 それに対してまた質問を構えられて、その証拠はどこにあるかと聞かれましたから、今度は「妙楽云はく」と言われて 『弘決』 の五の文を挙げられたのであります。

それは「止観の正しく観法を明かすに至って」− 『止観』 に至ってということは、『玄義』 『文句』 を説いたのち、最後に 『止観』 を説かれたということであります。
その時に 「正しく観法を明かす」−ここにある 「観法」とは何かと言いますと、実践門であります。実際に修行して初めて、教えという宝を自分のものにすることができるのです。自分のものにすることができなければ、いくら他人の宝としての立派な教えがあっても、それはなんの役にも立ちません。そういう意味で、観法とは実践門を意味するのであります。

 そこに 『止観』 の場合は、この 『摩訶止観』 第五において、これはまた難しくなりますが、「十境十乗の観法」というのがあります。これを説明するのがまた大変でありますが、ただしごく簡単にその名目と説明を述べますと、十境の「境」は境智冥合の境であります。
そういう意味において、一番根本の下種本門の教えでは本地難思境智の妙法蓮華経をそのまま顕されるのでありますけれども、天台の場合はそこを 『摩訶止観』 と言い、十境十乗の観法として示したのです。

 像法時代の機は 「帯権の円機」と言うわけで、方便を入れながら真実正意の法を示すということであり、そこで広く種々の境を説くことが必要なのであります。
境があって智があることは、我々の生活もそうなのです。全部、我々も対境を見ながら、その対境によって生活しておるのであります。その境を仏法の中心的なところから種々に広げて、それを教法の道理によって照らしていくのが天台の観法における十境であります。



 さて、十境の第一の 「陰入(おんにゅう)境」というのは、五陰すなわち色・受・想・行・識と、十二入すなわち眼・耳・鼻・舌・身・意と色・声・香・味・触・法であります。
これはあとで 「一入」という言葉が出てきますからそこで申し上げますが、この陰入境というのは簡単に言えば、我々の心およびその外境との関係における動きということであります。
我々の心が色々なものを縁じ、色々なふうに考え、色々なものがその時その時に出てきます。その心をもって、そのまま一つの境とするのです。つまり自分を徹底して客観的に対境として見るということなのであります。

 世間の人間は自分の心を客観的に見るなどということは考えません。怒る時は怒る、貪る時は貪る、ほとんど反省がなく無我夢中な生活をしておるのであります。

しかしそういう生活のなかにおいても、その心を一つの対境として客観的に見るという見方が仏教の上では非常に大事だという意味であります。
それが第一の陰入境であります。

 その次が「煩悩境」 で、はっきりとした煩悩という形の心の動きが観心の対境になるということです。
この煩悩は空仮中の真理が解らず、それに迷う心で、大きく分けて見・思の惑、塵沙の惑、無明の惑の三惑があります。

それから第三の 「病患(ひょうげん)境」というのは病気の姿−自分は今、病気をしている。この病気はどういう状態で、どういうことから来ておるかとか、そういうようなところから、病気の形をそのまま、正しい妙法の光を当てて、一念三千という法理の上からこれを照らすということであります。

 この第三・病患境のあと、業相境、魔事境、禅定境、諸見境、上慢境、二乗境、菩薩境というように十境があります。
この十境は、まず初めの陰人境から行い、まだ悟りが発しなければ次の煩悩境へ移り、そこでも発しなければ、また次へ移るという意義より十が示されています。

そして次の十乗の乗とは「のる」ということです。何へ乗るのかと言えば、前の十境に対して乗るのです。
この十境すなわち色々な我が心に対し、正しい法をもってこれに乗り、これを正しく観じ照らすのであります。

 その第一が観不思議境であります。
これは観の真偽を選ぶという意義があります。
真とは不思議境であり、偽とは思議境であります。
思議境とは世の一般の人々乃至、仏教中で方便の教えに執われた人の人生観・世界観を言います。つまり世人のほとんどは有の人生観を持ち、また一部は無の人生観に執われ、その思想による利害損得のなかで生活しており、その結果が、種々の苦悩や不幸の果報に見舞われています。
これに対し、観不思議境とは正しい法界観・人生観であり、我が心乃至、事々物々は、単なる有ではなく空諦・仮(有)諦・中諦が全く円融して一即三、三即一であると、円融の空観・仮観・中観をもって観ずることです。
仮(有)諦には明らかに十界、百界、十如、三世間の相があり、それが即中、即空であるところに不思議の妙理に基づく一念即三千の観法があります。これをもって我が迷妄の己心を観じ照らすのが観不思議境です。要するに、不思議境を観ずるということが十乗の第一でありまして、まず不可思議を観ぜよというのであります。

 我々の心の本質はなんであるかというと、実に不思議だと説くのです。この不思議を不思議と思わないのが結局、仏教を知らない人々なのであります。不思議ということを本当に考えてみますと、どれほど我々一人ひとりの持っておる心の内容に深さというものがあり、心というものの意義と値打ちがいかに尊いものであるかということが解ってくるのです。ですから、そこに不可思議を観ずるということが第一に示されております。

 そのほか、発真正菩提心、善巧安心(ぜんぎょうあんじん)止観、破法遍、識通塞、道品調適(じょうじゃく)、対治助開、知次位、能安忍、無法愛という十乗の観法があります。
十境の一々につき、初めからこの十乗の観法を次々と行い、利根は初めの観不思議境において早く無明を破して中理を悟り、鈍根はさらにのちの九観を次々に修するのでありますり この十境十乗の観法を説かれておるのが 『摩詞止観』第五の法門でありますけれども、それらを束ねてその目途(もくと)とするところを考えるならば、「並びに三千を以て指南と為す」という次第であります。
故に、一念三千ということがそのまま観念観法の総括的指南の形であります。

 この「指南」というのは「南を指す」と書きます。
この南を指すということは、これは中国の古えの皇帝が使ったとも言われますが、戦場において縦横無尽に野原を駆け巡りますから方向が判らなくなつてしまいます。それでは非常に困るために、常に一定の方角を指し示すものを必要とします。
したがって、磁石のうちの南の方角に振れる先のほうに人形を立ててあり、その人形の指が南を指していたのです。
そうすると、車がどの方向を向いていても常にその人形の指は南を指しております。南が判れば東も判りますし北も判ります。一つが判らないから全部が判らなくなってしまうのです。そういうことで、指南ということは指針という意味でありますから、結局、法華経の修行の指針は束ねて一念三千という法門にあると言われておるのであります。

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P148

■ 疑って云はく、玄義の第二に云はく「又一法界に九法界(くほっかい)を具すれば百法界に千如是」等云云。文句第一に云はく「一入(いちにゅう)に十法界を具すれば一界又十界なり、十界各(おのおの)十如是あれば即ち是(これ)一千」等云云。観音玄(かんのんげん)に云はく「十法界交互なれば即ち百法界有り、千種の性相、冥伏(みょうぶく)して心に在り、現前せずと雖(いえど)も宛然として具足す」等云云。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ここに 『玄義』と 『文句』、それかち『観音玄』というのは観音経を解釈したものでありますが、その三つが引かれてあります。

ところで、ここに三つの文を引かれてありますが、ここの所の初めに「疑って云はく」とあります。
そのように質問と見えるような形で言われておりますが、これについての答えがありません。
しかし、そのあとにまた「問うて曰く、止観の前の四に云云」とあります。
ここの所の意味はいったい、どうなっているかということで、古来、この 『観心本尊抄』を解釈する場合、これを問いのなかの一つに数える人と、数えない人とがあるのです。

しかし、日寛上人はこのことについて、どのように考えよとおっしゃっていないのです。
しかるに、私が思うのには、「疑って云はく」による引用三文の意味内容からして、ここは問答の一つとして加える必要はないのではないかと思うのです。

 しからば、どういう意味でここに「疑って云はく」と示されておるかと考えますと、これまで 『玄義』 『文句』 ならびに 『止観』 の一、二、三、四等に一念三千が説いてない、あるいは名目がないということの五番問答がありました。
しかし、それはどうも疑わしいというのであります。
特に『玄義』 『文句』 にないことはともかくとして、『止観』 に入ってから一から四までの間において、例えば大意章のなかの修大行のところにおいては四種三昧の修行法が説かれてあります。
いわゆる常坐三昧・常行三昧・半行半坐三昧・非行非坐三昧という観法が説かれてあります。→

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「二、修大行」とは大行を修するとの意で、ここでは修すべき行として、円頓止観の三昧行法である四種三昧を示す。
これには、
・常坐
・常行
・半行半坐
・非行非坐の四があり、身儀に約して名づけられている。

 常坐三昧は、九十日を一期とし、弥陀を本尊として身・口・意を清浄にし、端座人定する乞食行である。『文殊三昧経』等に説かれる。

 常行三昧は、九十日を一期とし、歩々(身)・声々(口)・念々(意) に、弥陀念仏を歩行にて称え続ける乞食行である。『般舟三昧経』に説かれている。

 次の半行半坐三昧は、方等三昧と法華三昧の二種がある。
方等三昧は七日を一期とし、修行が達しなければ繰り返す行である。
法華三昧は、天台の説く三昧の中心をなす行である。すなわち『法華経』のみを本尊とし一念三千を修する。これは法華三昧懺儀に説かれている。
また、先に述べた常行・常坐の弥陀称名は、法華が真実であるとの前提の上の方便であって、一番の元は法華三昧にあるとするのである。

 最後の非行非坐三昧とは随自意三昧とも言い、常行、常坐、半行半坐の拘束から離れた四六時中、常に不断に観念し、心を正境に止住せしめることである。

修大行は方便章、正観章の内容を略説している。
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→ そういうように色々に示されてあるのであるから、どうも、その 『止観』 の前四巻までに一念三千がないということは、あなただけが「之無し」と断言されるが、妙楽には触れていないから疑わしいというのであります。

 その疑いの根拠として、この三文が引かれてあります。
すなわち『玄義』 の第二に「一法界に九法界を具すれば百法界に千如是」というような法門がある、つまり十界に各々十界を具すから百法界、それに十如を具えて千如是という法門が説かれているということを挙げられます。

 それから次に、『文句』 の第一に「一入に十法界を具すれば一界又十界なり、十界各(おのおの)十如是あれば即ち是一千」と説かれてあるということが示されております。

この 「一入」というのは、先程も出てきましたが、これは「十二入」と言いまして、実際には十二あるのです。

十二というのは、五陰・十二入・十八界というのを三科の法門と言いますが、そのなかの十二入のことで、仏教の上から見たところの我々衆生の一切の認識の内容を説明するものであります。



 その十二入というのは、我々が外界を何によって緑ずるかと言えば、眼で物の姿・形・色等を見る、耳で音を聞く、鼻で匂いを喚ぐ、舌でものの味わいを知る、それから身体で熱いとか冷たいとか、そういう刺激を感ずる、さらにそれらを総合・統一して色々な法の内容を判じていくのが第六識の意識であります。

この第六識心王と心所のために、六根は所依(外界への依りどころ)となり、六境は所縁となってその作用を生じ、かつ増長します。→

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【心所】 ?名? 仏語。 六識など、心の統一的主体である心王に相応し、随伴して起こる種々の精神作用。 感覚、思念、善不善、煩悩、睡眠等について、あるいは四十六(倶舎)、あるいは五十一(法相)等の項が立てられている。
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→ すなわち眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が心・心所の所縁となり、それが外界の六境に入るので、六根は六境に対し能入となります。

 また、六境すなわち色・声(しょう)・香・味・触(そく)・法は心・心所の所縁となり、六根によってその内容を領知するので、六根に対し所入となります。

このように互いに根・境が相対し、十二入になるのであります。

 この場合は一入というのですから、ある物を見るという、その見る一つの入のなかに十法界が具わっておるというのであります。
これは徹底した実相の姿を端的に示されたものと言えます。
その十法界にまた十法界が具わるから百法界となり、それに十如是が具わって「一千」となるということであります。

 また 『観音玄』 においては「十法界交互なれば即ち百法界有り、千種の性相、冥伏して心に在り、現前せずと雖も宛然(えんねん=そっくりそのまま)として具足す」ということが説かれております。

「千種の性相」というのですから、たくさんの種類の心−地獄界に具わった十界、あるいは餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界等、あるいは仏界に具わる心乃至、人間界等の一切の性相が冥伏して心に在るということです。
冥伏とは、冥はくらい意味、表にはっきり顕れていないことです。
また伏も起に対する字で、隠れていることです。
それが現在の姿において形には顕れていない。
例えば、寝ているときにはなんの分別もなく、何も解らない如くに表面上は顕れていないけれども、それは存在しないのではなく、冥伏していても本来すべてが具わっているのだから、縁によれば必ずそれが出てくるということです。

地獄界所具の地獄界というのもあります。
地獄界所具の仏界が出てくる場合もあります。
そういう色々な形の我々の心が、また縁に従って様々に、その相・性・体・力・作・因・縁・果・報等の形をとおして顕れてくるのであります。

 それは結局、元々、宛然として我が一心一念に具わっておるからであります。
宛然というのは、既にある事物が存在しておるとともに、それが同じ様で変わらないという意味があるのです。
それが、我々一人ひとりの心のなかにあらゆる十界、百界、千如の相がそのまま具わっておるということで、顕れていないけれども具足しておることを説かれております。

 こういうように説かれてあるから、『止観』の第五に至るまでに一念三千が説かれていないということはたいへん疑わしい、という例証を構えられておるのであります。

 したがって、そういうことは納得できないから改めて質問しますというのが、次の「問うて曰く、止観の前の四に云云」の所になります。
故に、この「疑って云はく」の項は次の問いをなす補助の所であり、直接の質問の段には入れないでよいと思うのであります。

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■ 問うて曰はく、止観の前の四に一念三千の名目を明かすや。答へて曰く、妙楽云はく「明かさず」と。問うて曰はく、其の釈如何。答ふ、弘決第五に云はく「若し正観(しょうかん)に望めば全く未(いま)だ行を論ぜず。亦(また)二十五法に歴(へ)て事(じ)に約して解(げ)を生ず、方(まさ)に能(よ)く正修(しょうしゅう)の方便と為すに堪(た)へたり、是(こ)の故に前の六をば皆解に属す」等云云。

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初めの「問うて曰く、止観の前の四に一念三千の名目を明かすや」という質問ですが、前にも同じ質問がありました。
すなわち「問うて曰く、止観の一二三四等に一念三千の名目を明かすや」という語の質問であります。
つまり、同じ質問がもう一度ここに出てきておるということであります。これは、妙楽を挙げず、あなただけがそう言うけれども、それは疑わしいという意味から、重ねて、改めて聞くという意味であります。

 それに対して 「答へて曰く、妙楽云はく 『明かさず』 」と、今度は妙楽を出されたのです。
これは示同凡夫のお姿でありますから、大聖人様が「之無し」と言われ
ても問者は信用しません。
それで天台の第六祖で、天台教学の一切に通じて大明匠であるところの妙楽大師の言を挙げ、 「妙楽云はく『明かさず』 」 と示されております。

 「問うて曰く、其の釈如何」−問者が、この前の所では 「其の証如何」とありまして、その証拠だけを聞いたのであります。
それに対して今度は「釈」と言っておりますが、これはその意味が違うのであります。
これはだんだんと浅いところから深いところへ大聖人様の御文が入っているのです。

 釈というのは解釈で、その意義・理由を教えてもらいたいというのが、この「釈如何」の意味であります。

それに対して前の 「証如何」ということは、文章においてどういう証拠があるのかというだけの質問です。
故にもう一歩入って、その深い理由づけを聞きたいというのであり、そこで次に 『弘決』 の第五の文を引いて答えられます。

 『弘決』というのは 『摩訶止観輔行伝弘決』 のことであり、妙楽大師は 『玄義』『文句』 『止観』 の三大部に対してそれぞれ釈されておりますけれども、その 『止観』 についての釈が 『弘決』 であります。
その第五というのは、まさしく天台が『止観』 において一念三千を説かれた第五の文、それに対する 『弘決』 の第五であります。

 「若し正観に望めば」すなわち第七草・正観章ということから見るならば、それまでの一巻、二巻、三巻、四巻まで、いわゆるその内容である大意・釈名・顕体・摂法・偏円・方便という第六章までにおいては「全く未だ行を論ぜず」すなわち、一念三千という行を論じていないと言われております。

 ここに「行」とありますが、この行はいったい、なんの行かと言いますと、「妙行」という意味があるのです。
つまり妙なる行なのです。
不思議の行、すなわち不思議ということは一切衆生を仏に成すところの尊い行という意味でありますが、そういう行がまだ、第七草・正観章に望むならば、前の一、二、三、四巻までには全く論じていないということであります。

 そこで「亦二十五法に歴て事に約して解を生ず」−この「二十五法」というのは第六番目の方便章に説かれるところです。


方便というのは、目的達成のための手段として利用する方途を方便と言うのであります。
ですから方便は真実を顕すための方便なのです。

 もっとも、法華経の方便品の方便は「秘妙方便」と言いまして、その意味が違うのですけれども、この場合の方便というのは真実を顕すまでの段階として、目的達成の手段として色々と利用する方便、つまり法用(ほうゆう)方便を言うのであります。→
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日蓮正宗 法華講 宝相寺支部

方 便(ほうべん)

「方便」という言葉は、目的のための一時的な手段・方法という意味で世間一般では広く使われていますが、本来は仏教語であり、仏が衆生を真実の法、悟りに導くために設(もう)けた便宜上(べんぎじょう)の手段、また手段そのものの内容をいいます。

 天台大師は『法華文句』で、法華経方便品の方便の題を解釈するに当たり、法華経で説かれた方便の意義と爾前諸経(にぜんしょきょう)で説かれた方便の意義を区別し、方便の真の意義を明かすために法用(ほうゆう)方便・能通(のうつう)方便・秘妙(ひみょう)方便の三方便を説きました。
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 「法用方便」とは、「法」とは種々の方法・手段のこと、「用」とはそれを利用するという意味です。衆生には様々な迷いと欲望があって一様ではありません。そこで仏は、仏智(権智という仏界に具わる九界の智慧)を巧(たく)みに用いて、衆生の欲するところに応じて種々の教法を説き、当分(とうぶん)の利益を与えました。それが、華厳・阿含(あごん)・方等・般若等の随他意(ずいたい)の説法であり、これらの方便諸経を「法用方便」といいます。
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 次の「能通方便」とは、「能通」(能く通ず)とは「門」の意で、仏の方便化導(けどう)が最高真実の処に能(よ)く通じた門であることをいいます。衆生が低い教えによって、悟ったと思いこんでいるのを弾訶(だんか)して、真実の悟りに至らしめる方便です。化導の形は法用方便と同じであっても、方便を説く仏の御意(みこころ)には衆生を真実の悟りである法華一乗の教えに導こうとされる大目的があります。その法華一乗の宝処(ほうしょ)に能く通ずる方便を「能通方便」というのです。
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 以上、法用・能通の二種の方便は、爾前権教の方便であり、真の円融(えんゆう)の法を説いていませんから捨て去らなければなりません。これらの方便は、「体外(たいげ)の権(ごん)」といわれるように、方便の外に真実がある、衆生の迷い(九界)から遠く離れた外に仏の悟り(仏界)があると説いており、仏の真実の悟りではないからです。
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 これに対し、「秘妙方便」は、仏の深奥(じんおう)で知り難い悟りの境界(秘)に基づく化導をいい、他の諸経に説かれていない方便の真意が法華経方便品です。「秘」とは法華経のみに十界互具(ごぐ)の円融の法を説き顕わして爾前諸経には秘していたということ。「妙」とは方便の教えを悉(ことごと)く開いて妙となし、それらの方便を法華の「体内の権」とすることをいいます。爾前の方便は本来法華経から開き出されたのですから、法華経が説き明かされたならば方便の諸河は悉く法華の大海に帰入(きにゅう)して一体となり、方便はそのまま真実となります。

 すなわち、法華経方便品の「秘妙方便」とは、方便と真実、または九界と仏界の両者の関係が二でなく別でなく、方便即真実、九界即仏界、十界互具・迷悟不二の円融の原理を明かしたものであり、一切万法を妙法と開く仏智の不思議をいうのです。
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→ それを説いたものに「二十五法」という法門があるのです。
この二十五法というのは、天台大師の一念三千の観念・観法の修得の準備として立ててあります。

末法の御本仏たる大聖人様の教え、三大秘法の宗旨には全く方便はないのです。
本宗信徒の方々は全く方便がなく、初めから真実のところで修行しておるのであります。
ところが天台の場合は、どうしても方便がないと真実に至りません。
やはり「帯権の円機」という意味があり、そこには方便を帯しておりますから、したがって修行の方便としてここでは二十五種あるというのです。

 しかしこの方便も、私達末法の修行のなかでも一往有効な意味があります。
私達の修行は真実でありますが、この真実ということは、真実のなかにあらゆる方便が全部具わっているのです。
そういうように考えていただいたほうがよいと思います。
我々の南無妙法蓮華経と唱えるなかにはあらゆる内容が全部具わっているのですから、その人その人の機根によって信心が懈怠する人もありますし、疑う人もありますし、色々な姿があります。
そういう場合に、この方便の話を聞いておくと便利な場合があるのです。
しかし、方便をそのまま、日蓮大聖人様の教えでも用いるという意味ではありません。
ただ、学解の一分としてこれを聞いておくことが無駄にはならないということであります。

 そこで、二十五方便のうちの第一の五縁を具す(具五縁)というのは、一般論として修行の上において縁ということを考える。
これに大事な意味があるのです。
悪い縁に近づくと、せっかくよい教えに入っていても悪いほうに引かれてしまう場合があります。
そういう悪い縁に気をつけるというのが、この五縁を具えるということであります。
しかし、この五縁の内容は我々末法の、特に信徒の方々がこのようなことを行っていたならば生活できません。
像法時代の僧侶が修行する形の縁ですから同一には考えられない意味がありますが、そこのところは他山の石の如く考えていただいて結構だと思います。→
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他山の石

他山の石以て玉を攻(おさ)むべし (よその山から出た粗悪な石でも,自分の宝石を磨く役には立つという意味から)自分より劣っている人の言行も自分の知徳を磨く助けとすることができる。(広辞苑)
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→ その第一の「持戒清浄」とは、仏の戒を持って身を清浄にすることであります。
これも基本的には一般に通じておることで、仏様の説かれた戒というものは、平易に考えればそれほど難しいものではありません。
要するに、悪いことをしないということです。
つまり、正しい心を持つこと、人の物を盗んではいけない、悪口を言わない、あるいは邪まなことを行わない、そういう縁を自他について行っていくということは大切なことです。

 第二に「衣食(えじき)具足」 つまり衣・食・住のうちの衣・食、すなわち着る物と食べ物を調えるということであります。
これはやはり具わらないと困ります。修行の上においてもこれが欠けると正しく進むことができません。
餓えず凍えざる状態で身心の調和がなります。
ですから、この衣食を調えるということが必要とされております。

 第三に「閑居(げんご)静処」とは衣・食・住のなかの住であります。住の場合、止観を修する人は閑居静処と言いますが、閑居も静処も同じ意味です。
つまり静かな所に居住せよということであります。
あまりたくさんの人と一緒におりますと種々の問題に心が動揺し乱れて、結局、正しい方向に進むことができません。
これが末法の我々の修行と違うところなのです。
末法でこのようなことをしていたならば、だいいち、生活ができません。末法はむしろ多くの人のなかに在って正しい道を顕すべき時なのです。
けれども、これは一往、止観を修行する当時の、像法時代の人の修行法としての心構えであります。

 そして四番目においては「息諸縁務」とあり、つまり世間の対人関係の制限と言ってしまえば解りやすいのです。
これは「諸の縁務を息(や)む」と読みますが、対人関係において、色々と縁のある事柄を一切、断ってしまうことであります。
例えば、結婚式の媒酌人をしてくださいと頼まれても、断ってしまうというようなことです。
媒酌人を引き受けるということが世間の縁務であります。
世の中には、あの人とはこういう関係があるから引き受けなければならない、あれもこれもしてあげなければならないというようなことがたくさんあります。
それを全部断るということですが、これも現代の生活のなかではできないことであります。
今は、正しい方向において、人のためになって色々してあげることが大事なことであります。
これも末法と像法の違いであります。

 それから第五番目に「得善知識」というのがありますが、これは仏法上の対人関係の上から、善知識といって、正しい知識を持っている人に接触して正しいものを得ていくということです。
これは皆さん方も大事であります。
原因・結果の理法を無視し、勝手なことをやっているような無法の人間と付き合っていると、考え方が自然とそのようになってしまいます。
ですから、立派な正しい人と付き合って、だんだんと正しく立派になっていくということは、たいへん大事なことであります。

これが第一の五縁を具える (具五縁)ということであります。

 その次の五欲を訶す(訶五欲) ということはごく簡単なことでありまして、先程も言いました眼と耳と鼻と舌と身の感触の欲望がありますが、欲望の姿は全部これなのであります。
何が見たい、何が食べたい、何がしたいなど、眼・耳・鼻・舌・身によって縁ずるところの外界のすべてがこれに当たります。
音楽などの耳で聞くものとか、食べ物とか、それから匂い−昔は香合わせなどといって、香の種類を当て合うというような遊びを昔の殿上人はしたというようなことも聞きますが、そういう趣味もあったのです。
要するに、
一に眼に映る物質への欲を訶す、
二に美しい音曲、男女の声等の執を訶す、
三に種々の香りへの執欲を訶す、
四に飲食の美味への欲を訶す、
五に諸々の好触を訶す、
そういう五欲を自分自ら訶すということ、つまりそれらの欲望を自分自ら叱って消除するということです。

末法の人々でも、ときにはこの五欲を訶したほうがよい場合があります。
つまり道ならぬことを行う場合、そういう心が起こったときには、これは自らの心を訶す必要があります。
けれども道に準じたところの欲望については別に構いません。
「煩悩即菩提」という深い意味がありますから、末法においては欲を離れなくとも成仏得道できるのであります。

 次は五蓋を棄てる(棄五蓋)ということでありますが、我々の心には本来、仏様の智慧が具わっております。
しかし、それを覆っているものがあるのです。
雲が懸りますと、太陽の光や月の光を覆います。
そのように、正慧に蓋をされるのが五蓋であります。

 これにどういう種類があるかと言いますと、貪欲すなわち貪りの欲、瞋恚すなわち瞋の欲があります。
それから睡眠の欲があります。
正しい睡眠は必要ですが、嗜眠(しみん)あるいは惰眠といって、勉強をしだすとすぐ眠くなるという人がよくあります。
これは自分の命のなかに、何かすると眠くなるというようなものを持っている人であります。
これらは五蓋の一つであります。

 それから掉悔(じょうげ)というのがあります。
掉というのは跳ねるという意味であり、無意味、無目的に心や身体があちらこちらへ動く人があります。
とにかく変なことばかり浮かんできて、心にまとまりがつかないし落ち着かないのです。
そういう人の場合は、口がよくしゃべるのです。
わけの解らないこと、無駄なことをよくしゃべるということで、そういう意味の、身口意において掉という意味があります。
 そういうことを行いながら、今度は急にそれについて憂いを生ずる。
今まで騒いでいたかと思うと、今度は急に心が沈んでくよくよと患う、何を考えているのか判らないけれども煩悶する、これが悔のほうであります。
そういうように感情の起伏が非常に極端な場合、これを掉悔と言うのであります。

 そして最後は疑いということ、これがまた我々の心のなかに巣食っておる大きな障りであります。
この疑いも、分けてみると三つあります。

まず第一には自分を疑うという人であります。
自己を正しく信じなければならないのに、正しい教えによる信念がないため、自己自身を疑ってしまうのです。
ですから何かにぶつかるとすぐに自殺するような形にもなります。

それから自分を正しく導いてくれるところの、自分の師匠を疑う人もおります。
これは結局、道において大きな誤りを生ずるのであります。

それから第三には法を疑うという人があります。
はたしてこの法によって本当に自分は幸せになれるのだろうかといって法を疑って退転するのは、宝の山に入って空しく帰る人であります。

こういうような三つの疑いがあります。

その他、人間生活において利害関係等より実に無量の疑いが生じます。

 以上、貪・瞋・睡眠・掉悔・疑 の五蓋を棄てる修行(棄五蓋) を準備として行うということであります。

 次に、五事を調える(調五事)ということは、食べ物を調える、眠りを調える、身を調える、息を調える、そして最後に心を調えるということであります。

これは末法の我々の生活においても大事なことであります。
特に最初の食を調えるというのは大事です。
あまり食べ過ぎると眠くなってきますし、あるいは胃病になったり、色々と煩わしい病気が出てくるのです。
ですから食べ過ぎてはいけません。
かといって、食べないのもいけません。
また偏食もいけません。
ですから、昔から腹八分目がよいと言いますけれども、いわゆる食べ方やその食物の内容等について中庸を得ることが大切で、これが食を調えることであります。

 次に、眠りもそのとおりであります。
眠らなければ休養が取れないし、眠り過ぎると莫迦になってしまいます。
要するに、あまり眠り過ぎてもいけないということです。
かといって睡眠が足りないと、これは万病の元になります。

 次に、身体を調えること、これは多くの方が生活のなかで意識的、無意識的にやっていることです。
色々な方法がありますが、これを適当に行うことです。

それから息を調える、これも気をつけていると生活上、有効なことが多いのです。
仏教では数息観(すそくかん)といって、これに重要な修行の意義を説いております。

また心を調えることは最も大切です。
喜怒哀楽等の激しい感情を離れて、ゆったりとしたゆとりを持ちながら、あらゆる物事に応じられる自在の状態を保つこと等であります。

そういう意味では、すべてにおいてやはり中庸・中道が大事であります。
そういう五事を調える(調五事)ということがあります。

 最後に五法を行ずる(行五法)というのは、欲・精進・念・慧・一心の五つでありますが、初めの「欲」とは仏道成就ということに意欲を持つということであります。
この欲は先程の五欲という官能的な欲望と違って、仏道を進みたいという意欲であり、大切なことであります。

そして次に「精進」ということがありまして、これは怠らず、間断なく道に進むということであります。

それから「念」は心を集中し、持続することであります。
初めは一生懸命にやりながら、しばらく経つと心が離れてしまうというようなことでは、道が成就しないのであります。

さらに色々な智慧をもって是非を選択し取捨する「慧」の必要性が示されてあります。

そして最後に「一心」すなわち心を一つに定める、いわゆる定がありまして、このように五法を行ずる(行五法)ことを説いてあります。

 この二十五の方便行を進み行じていく目的は、結局、「事に約して解を生ず」るためとあります。
「事」とは現実の修行たる二十五法であり、その「解」というのはなんの解かと言いますと、中道の解なのです。
中道ということは不可思議なる深い悟りであります。
空仮中円融三諦という真如の諦理が示されるとおり、そういう円融の中道に自然にその考え方が入っていくというのです。

今の末法の人々でも色々とそういう意味から悟る必要性も、ある程度あるかと思います。
例えば、先程の食事についても、眠りについても、過ぎてもいけないし足りなくてもいけません。
中庸のところで行っていくことが大事であるということから、仏法の非常に難解な中道の法理においても、だんだんと正しい解というものが生じていくという意味がそこにあります。

 次に「方(まさ)に能く正修の方便と為すに堪へたり」−この「正修」というのは、いわゆる一念三千という天台大師の提唱する観念・観法であります。
それを修するための方便の行とすることに堪えられる内容であるということです。

 「是の故に前の六をば皆(みな)解に属す」−「前の六」というのは先程も申した第七・正観章の前までの六章、いわゆる大意・釈名・顕体・摂法・偏円・方便という六つの章があるのですが、それらは皆、解、いわゆる理解の面に属するということ、つまり妙行を立つる前に、正しい妙法の理解を得ることが、まず肝要であるという意味であります。

本宗もやはり解によって行があるのです。
その解は何かと言えば、いわゆる末法においては「信」なのであります。
つまり大聖人様が『四信五品抄』に「以信代慧」(御書一一一二)ということをお示しであります。
智慧といっても、末法の我々は、どれが正しく、どれが間違っておるかということを本当に自分で最終的にまで極められるだけの力はありません。
したがって、正しい仏法の筋道による法理・法則を示されるならば、それを本当に信じて、信心という上においてまず行を立てていく。
それによっていわゆる本当の悟りが次第に生じていくという意味であります。
ですから信心が根本ということになりますが、天台の場合は像法の修行の故に、解が中心になって行が成就するということになります。

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■ 又云はく「故に止観の正(まさ)しく観法を明かすに至って、並びに三千を以て指南と為す、乃(すなわ)ち是(これ)終窮究竟(じゅうぐくきょう)の極説(ごくせつ)なり。故に序の中に、説己心中所行法門と云ふ、良(まこと)に以(ゆえ)有るなり。請(こ)ふ、尋(たず)ね読まん者心に異縁(いえん)無(な)かれ」等云云。  →         
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天台大師

538年~597年。智[ちぎ]のこと。
中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。
18才の時、出家に反対だった両親が亡くなり、兄の許しを得て果願寺で出家し、「智(ちぎ)」と名付けられた。
23歳 光州大蘇山の慧思禅師(南岳大師)を尋ねる。
そこは陳・斉の国境交戦地域であり、危険をおかしてのことであった。

ここで有名な霊山同聴の逸話がある。
「昔日霊山に同じく法華を聴く。宿縁の追うところ今復来る」※1 と南岳大師に迎えられた。
昔、お釈迦様がインドの霊鷲山で法華経を説かれているとき、同じくその説法を聴聞していましたね。前世からの因縁で今またあうことができましたという意味。

普賢道場にて四安楽行(『妙法蓮華経安楽行品第十四』に説かれる四つの安楽行)を教えられ、二七日(14日)目に『妙法蓮華経薬王菩薩本事品二十三』の
「其中諸佛同時讚言。善哉善哉。善男子。是眞精進。是名眞法供養如来。
(其の中の諸仏、同時に讃めて言わく、善哉善哉、善男子、是れ真の精進なり、是れを真の法をもって如来を供養すと名く。)を誦し、身心豁然として入定する(大蘇開悟 ※3)。

※豁然=疑いや迷いが、さらりと解けて物事がはっきりするさま
※入定=意識を集中させて心が外界のものや妄想によって乱されないような状態に入ること。すぐれた智慧や力が得られる。

このことを、南岳大師に告げたところ、南岳大師はさらに教え、4日で南岳大師の境地に至る。
南岳大師は 「汝に非ざれば証なし、我に非ざれば識ることなし」 と称賛した。 ※2

後に天台山に登って円頓止観を覚った。
『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。
これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。
存命中に陳の宣帝[せんてい]と後主叔宝[しゅくほう]、隋の文帝[ぶんてい]と煬帝[ようだい](晋王楊広[ようこう])の帰依を受けた。

【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。
大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611n)とされている。

この慧思禅師は、日本の聖徳太子に生まれ替わり『法華経』を弘めたといわれている。

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→ 初めの 
■「故に止観の正しく観法を明かすに至って、並びに三千を以て指南と為す」 
というのは、前に示された文 (御書六四四n一〇行目) と同じであります。
そしてこれは 「終窮究境の極説なり」−すなわち最終的な、一代仏教におけるところの究境の、至極の説であるということを妙楽大師が、ここに極めつきの言葉をもって示されておるのであります。→
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湛然(たんねん、711年(景雲2年) - 782年3月23日(建中3年2月5日))は、中国唐代の天台宗の僧侶。
荊渓湛然(けいけい たんねん)と呼ばれ、また、妙楽大師と称された。天台宗の第6祖。

事績
俗姓は戚(せき)氏。
生家は儒教を奉ずる家柄であったが、早くより仏教を志向し、17歳の時に仏教、とりわけ天台教義を修学し始めた。
20歳の時に左渓玄朗に入門し、出家前にその奥義を受けた。

出家したのは、38歳の時であり、以後、更に研鑽に勤めた。
天宝13年(754年)に玄朗が没すると、その継嗣として、天台宗門の再興に尽力した。
当時の華厳宗・法相宗・禅宗といった勢いの盛んな宗派に対抗し、盛んに講筵を張り、またその一方で述作にも専心した。
よって、天台中興の祖と称せられる。

門弟子には、道邃・行満ら39名が数えられるが、道邃・行満の二人は、最澄に天台法門を伝えたことで知られる。

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→ ■ 「故に序の中に、説己心中所行法門と云ふ」
−この 「序」というのは 『止観』の序であり、つまり章安大師という方が 『止観』 に序を書いております。→

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章安
日本大百科全書(ニッポニカ)「灌頂(僧)」の解説
灌頂(僧)
かんじょう
(561―632)

中国、唐代の天台宗の僧。
字(あざな)は法雲、俗姓は呉氏。
浙江(せっこう)省臨海県章安(しょうあん)の人で、章安尊者ともよばれる。
7歳で摂静寺(しょうじょうじ)の慧拯(えじょう)に学び、583年(至徳1)智(ちぎ)に師事して天台の教えを受ける。
その後はつねに侍者として仕え、『法華文句(ほっけもんぐ)』『法華玄義(げんぎ)』『摩訶止観(まかしかん)』などの師の講説を筆録した。
師の没後も、『智者大師(ちしゃだいし)別伝』を著し、また師に関する書簡、碑文を集めて『国清百録(こくせいひゃくろく)』4巻を編するなど、天台宗の成立に果たした功績は大きい。
著書は、ほかに『涅槃経疏(ねはんぎょうしょ)』2巻、『観心論疏(かんじんろんしょ)』5巻などがある。

[池田魯參 2017年1月19日]
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→ その序において、
  「己心中所行の法門を説きたまう」 (止観会本上三四)

ということを述べておるのです。
これはどなたの己心であるかと言えば、天台大師の悟りであり内証であります。
天台大師が法華経の深い原理を霊山において薬王菩薩として釈尊から目の当たりに聞いて本迹二門の枢要(※物事を動かす中心になる一番大切な所。かなめ。)を悟り、そして中国に天台大師として出現されて、この妙法の深義を解説されるなかにおける、その最も深い悟りを顕したのが『摩訶止観』第五の一念三千の所行の法門であるということであります。

 これは修行に約して、行ずることによって直ちに仏果を得るということなのです。
つまり、ただ単なる教えということだけではなく、行は即、それを身に得るということであります。
そういうような大事な法門であるが故に「請ふ、尋ね読まん者心に異縁無かれ」と言われております。
「異緑」というのは異なった縁ということでありますが、様々な仏教家が出て間違った教えを説いておったのであります。
 妙楽大師の時でも既に、清涼国師澄観とか善無畏三蔵によって法華経の正義が曲げられております。→

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澄観
ちょうかん
(738―839)

中国、唐代の華厳(けごん)宗の僧。
浙江(せっこう)省越州山陰に生まれる。
中国華厳宗第四祖とされ、清涼大師と称する。
俗姓は夏侯(かこう)氏。
11歳で出家し、法蔵(ほうぞう)―慧苑(えおん)(673?―743?)―法?(ほうせん)(718―778)と継承する華厳教学を学んだが、慧苑の教学を異端と判じた。
玄壁(げんぺき)、湛然(たんねん)、曇一(どんいつ)(692―771)、惟忠(いちゅう)(705―782)、道欽(どうきん)(715―793)、慧雲(えうん)など、当時の傑出した学僧に学び、律宗、三論宗、天台宗、南北禅宗をも華厳宗のなかに総合化した。
776年(太暦11)に、五台山と峨眉山(がびさん)で文殊菩薩(もんじゅぼさつ)と普賢(ふげん)菩薩の2像を感見し、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)を中心とする三聖円融観の華厳信仰を確立したといわれる。
五台山の大華厳寺に住し、『華厳経』80巻を注釈した『華厳経疏(しょ)』60巻と、この疏を注釈した『華厳経随疏演義鈔(えんぎしょう)』90巻を著した。
この二大著には、法蔵の『華厳経探玄記(たんげんき)』20巻と並ぶ権威が与えられている。

[池田魯參 2017年3月21日]
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善無畏(読み)ぜんむい
日本大百科全書(ニッポニカ)「善無畏」の解説
善無畏
ぜんむい
(637―735)

インド出身の翻訳僧。
サンスクリット名シュバカラシンハ?ubh?karasiha(輸波迦羅(ゆばから)と音写)。
中インド摩伽陀(マカダ)国の王であったが、兄たちの反乱と、その征伐の際の負傷により仏門に入り、那蘭陀(ナーランダ)寺で達摩掬多(だるまきくた)(ダルマグプタDharmagupta)に密教を学んだ。
『貞元新定釈経録(じょうげんしんじょうしゃくきょうろく)』巻14によれば、龍智菩薩(りゅうちぼさつ)の弟子、金剛智(こんごうち)三蔵の同門とある。
師の命により梵夾(ぼんきょう)(サンスクリット原典)を持って中央アジアから716年(開元4)長安に達した。
玄宗により国師として迎えられ、興福寺南塔院に住んだが、724年洛陽(らくよう)の大福先寺に移って、弟子の一行(いちぎょう)の協力を得て『大日経(だいにちきょう)』7巻を翻訳し、中国密教の確立に貢献した。
なお、その際、訳場に列した一行が善無畏の『大日経』の講義を記しまとめたものが注訳書『大日経疏(だいにちきょうしょ)』である。
開元23年、99歳で死去。訳書は25部45巻に及ぶ。

[小野塚幾澄 2016年12月12日]
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→ 否、むしろ法華経の教えを盗んで宗旨を立てたという、仏教の筋道から言えばたいへん誤ったことを行った人々であります。
そういう人達によるところの誤った宗旨が中国においても既にこの当時、存在しておりました。
 そこで、そういうものに心を奪われてはならない、天台大師の創唱した法華経を根本とするところの正しい修行によって仏道を進まなければならないぞということが、この 「心に異緑無かれ」ということであります。

 色々と話してまいりましたけれども、末法においてはこの 『摩訶止観』 の一念三千の観念・観法は、直ちにはなんの役にも立ちません。
そこで 『観心本尊抄』をお著しになって、末法の衆生の観心としては、本門下種の本尊を信じ題目を唱えて即身成仏するところの大功徳行をお示しあそばされたのであります。

そういう点において、本迹の異なりはあっても、その共通するところが 『摩訶止観』 の一念三千に対する久遠元初の一念三千であり、また、それが色々と誤って伝えられ、一念三千の法門を盗んだところの誤った真言宗等が日本の国においても大きな力を得て多くの人々をたぶらかしておる姿があるので、それらをかたわらで打ち破り、そして正しい末法の法門を顕されることがこの 『観心本尊抄』 の趣意であります。→

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■「理同事勝」の邪義

まず「理同」とは、『大日経』の「心の実相」「我一切本初(がいっさいほんじょ)」「大那羅延力」と、『法華経』の「一念三千」「久遠実成(くおんじつじょう)」「二乗作仏(にじょうさぶつ)」は同じ法理であるということです。
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『大日経』に説かれる「心実相(しんじっそう)」の語をとりあげ、自らの著である『大日経義釈(ぎじゃく)』の中に、
▼「我(法華経)に諸法実相と言うは、すなわち、これ、この経(大日経)の心の実相なり。心実相とは、すなわち是れ菩提、更に別理なきなり」
と述べて、『法華経』の十如実相の理同化し、『大日経』にも一念三千・即身成仏の理がある、と標榜した。

そして、『大日経転字輪曼荼羅行品』に、
■「眦盧遮那世尊、執金剛秘密主に告げて言(のたまわ)く、我は一切の本初なり、号して世所依と名づく」
とある一節をさして、『大日経義釈』の中に、我一切本初とは寿量の義なりと釈明し、大日如来を『法華経寿量品』の久遠実成(くおんじつじょう)の仏に擬して万有開展(ばんゆうかいてん)の本源と説いたのである。
しかしこれは、善無畏が天台僧の一行をたぶらかして書かせた『大日経疏(だいにちきょうしょ)』が根拠となっています。
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ここにおいて、「法華経の一念三千の法門が、大日経にもある」としたのですが、これは当時、善無畏が、特に勝れていた天台宗・法華経の一念三千の法門を盗んで取り入れ、大日経が勝れているのだと主張し、これを中国に弘めるためだったのです。

しかし一念三千の法門は『法華経』のみに説かれるものであり、その現証(現実の証拠)としての「久遠実成(くおんじつじょう)」「二乗作仏(にじょうさぶつ)」ももちろん、大日経には一切説かれていません。
そして、法華開会(かいえ)の法門を自宗に取り入れ、諸宗で依経とする華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の一切経は、ことごとく『大日経』に摂められているというのである。

日蓮大聖人が『開目抄』に、
「真言・大日経等には二乗作仏・久遠実成・一念三千の法門これなし。(中略)天台の一念三千を盗み入れて真言宗の肝心として」
と御教示のとおりであり、したがって法華経と大日経が「理において同じ」とする真言宗は、悪辣(あくらつ)な法盗人(ほうぬすっと)であります。
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遣唐の疑問に禅林寺の広修(こうしゅう)(七七一年〜八四三年)・国清寺の維?(ゆいけん)の決判(けっぱん)分明に方等部の摂(せつ)と云うなり。(真言見聞 文永九年七月 五一歳)

遣唐の疑問→唐決
 法門上の疑問について、中国へ使者を遣わし回答を仰ぐこと。
これを唐決という。
円澄(延?寺第二代座主)の疑および広修(中国天台宗第十一祖)の決である「円唐決」等がある。

禅林寺の広修(こうしゅう)
(七七一年〜八四三年)。中国・唐代の天台宗の僧。
道邃(どうすい)和尚の弟子となり、天台山禅林寺で天台の教観を学び、法華経・維摩経・金光明経等を日々読誦したといわれる。
円澄の「延暦寺未決三十条」の問いに対して、開成五年(八四〇年)弟子の維?(ゆいけん)とともに答えている。

国清寺の維?(ゆいけん)
 生没年不明。中国天台宗、天台山広修座主の高弟。妙楽大師の法曽孫。
開成五年(八四〇年)、比叡山の学僧・円載(えんさい)(〜八七七年)が延暦寺座主円澄の天台宗学に関する質問三十条をもって唐に来たのに対し、回答を与えた。
質問は広修に対するのと同じであるが、広修の決答を「円唐決」というのに対し、維?のそれを「澄唐決」という。
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→ 故に、その初めにおいて 『玄義』 『文句』 『止観』と一念三千との関係を、ここにお示しになっておる次第であります。

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 夫(それ)智者の弘法(ぐほう)三十年。二十九年の間は玄文(げんもん)等の諸義を説いて、五時・八教・百界・千如を明かし、前(さき)五百余年の間の諸非を責め、並びに天竺(てんじく)の論師の未だ述べざるを顕はす。章安大師云はく「天竺の大論(だいろん)尚(なお)其の類に非(あら)ず、震旦(しんだん)の人師何ぞ労(わずら)はしく語るに及ばん。此誇耀(こよう)に非ず法相(ほっそう)の然(しか)らしむるのみ」等云云。墓無いかな天台の末学等、華厳・真言の元祖の盗人(ぬすびと)に一念三千の重宝を盗み取られて還(かえ)って彼等が門家と成りぬ。章安(しょうあん)大師兼(か)ねて此の事を知って歎(なげ)いて言はく「斯(こ)の言(ことば)若(も)し墜(お)ちなば将来悲しむべし」云云。(御書六四五.四行目〜同八行目)
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 右の文は、天台大師の仏法弘通とその功績を挙げ、併せて、その後の邪義邪宗による正義衰退の相を示されるのであります。

 すなわち、当『観心本尊抄』 の冒頭より、大段の第一、「一念三千の出処を示す」ところに入り、これに
「正しく示す」文と
「一念三千の情・非情に亘ることを明かす」文とがあるなか、
初めの「正しく示す」文が三つに分かれます。
つまり、
一に『止観』第五の「正観章」の文を出され、
二に『玄義』 『文句』ならびに『止観』 の前の四巻には一念三千を明かさざることを示され、
三は結歎ですが、右文はその第三の結歎の文に当たるのであります。

 なお、結歎とは、天台大師の説き出された仏教中、最上の宝である一念三千の法門が、邪師の邪義によって盗まれ、歪曲されたことを欺き、この段の一往の結びとされたことを言います。

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■ 夫(それ)智者の弘法(ぐほう)三十年。二十九年の間は玄文(げんもん)等の諸義を説いて、五時・八教・百界・千如を明かし、前(さき)五百余年の間の諸非を責め、並びに天竺(てんじく)の論師の未だ述べざるを顕はす。
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 まず「智者の弘法三十年」とあります。
天台大師が大蘇山の道場等で修行して、それから瓦官(がかん)寺という所で 『法華玄義』を説き始められたのが三十一歳の時でありました。
それから五十七歳の時にやっと 『摩訶止観』を説かれたのであります。
今申し上げた、天台の、
  「己心中所行の法門」 (止観会本上三四)
と言われる、法華経の意義を実際の修行として顕し、即身成仏の法として自ら修行の上にこれを説いたという、たいへん大事な 『摩訶止観』 の法門であります。
それをお説きになったのが五十七歳の時であり、それから六十歳で亡くなりました。
三十一歳で 『玄義』 が説き始められてより六十入滅まで三十年ですから、初めに「智者の弘法三十年」と言われたのです。

 それから 「二十九年の間は玄文等の諸義を説いて、五時八教・百界千如を明かし」たという文ですが、この 「二十九年」 について先師日寛上人は当抄 『文段』に、
「天台大師が三十一歳の 『玄義』 開講より、五十七歳にて 『止観』 を説くまで二十七年であるから、『二十九年』 と宗祖がお書きになったのは 『二十七年』が正しい」 (御書文段二一一「取意)と言われ、したがって、これについて、
  「これ書写の誤りか」 (同「取意)
ともされ、また例文として 『撰時抄』 に、
  「玄奘三蔵は六生を経て月氏に入って十九年」(御書八五二)
とあることを挙げ、
  「玄奘の月氏遊歴は史伝により十七年であることは明らかであり、したがって宗祖の十九年は誤りとなる。
この例に準ずるも、『本尊抄』 のこの文は二十七年を正とすべく、御真蹟に仮りに二十九年とありとしても、末法は示同凡夫の仏法の故に不慮のお書き誤りなるか」 (御書文段二一一「取意)
と述べられています。
御真蹟が見られなかった当時としての推定の御指南です。

 現在、中山法華経寺格護の御真蹟は明らかに「二十九年」 であり、見誤りようがないほど明瞭であります。
これについて日寛上人の御指南も明快であり、正当な推定と思われますが、一案として文章全体の構格からして、天台大師三十年の弘通中、大数に約して二十九年は 『玄義』 『文句』等を説いて諸々の教相教義を明かし、また五十七歳の時に 『止観』 を説いて一念三千の観心を述べられたとして、この一年を引いて 「二十九年」とされた文意と考えれば、「二十九年」と書かれている御真蹟の「九」の字を誤りとしないで文意全体の会通ができるかと愚推します。

しかし、やはり玄奘の十七年を「十九年」と書き誤られた例もあり、かつ 『玄』『文』『止』 の中心である 『止観』 の一念三千につき、天台の本懐である上からの時期の目途(もくと=めあて。見込み)とする意見といい、まして大学匠日寛上人の御指南のことですから、「二十九年」 の文の正意は、ひとまず「二十七年」と考えるのが妥当であろうとする次第です。

 そのように、天台大師は五十七歳で本懐を顕し、そして六十歳で亡くなりました。
それに対して大聖人様は、宗旨建立が三十二歳の御時、建長五 (一二五三)年であります。
それから本門戒壇の大御本尊をお顕しあそばされたのが弘安二 (一二七九)年でありますが、それもやはり宗旨建立から数えて二十七年目であり、天台大師と全く同じであります。

 また、天台大師は像法・熟益の時代に五十七歳で本懐を顕され、大聖人様は一年遅れて、五十八歳で御本懐を顕されました。

さらに天台大師は六十歳で入滅され、大聖人様は六十一歳で御入滅されたということであります。

やはりこれは不思議なことでありまして、種・熟・脱の法華経の法門のなかで、けっして数字合わせではなく、熟益の仏法、そして下種の仏法と顕れてくる一つの因縁の相が、きちんと符合しておるという意味が拝せられるのであります。

 そういう意味において 「二十九年の間 (あるいは二十七年の間) は玄文等の諸義」を説かれたということであります。

この「玄文」というのは 『玄義』 と 『文句』 のことでありまして、『玄義』は 『法華玄義』といって妙法蓮華経の深い玄意(玄=微妙で奥深いこと。)を説かれたものであり、『文句』は法華経の文々句々を、因縁・約教・本迹・観心という四種釈において釈しておる次第であります。→

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四種釈。

@ 因縁釈 衆生の機根とそれに応える仏の化導との関係から解釈
A 約教釈 蔵・通・別・円の四教の観点から解釈
B 本迹釈 法華経の本門と迹門という観点から解釈
C 観心釈 観心の実践に基づいた独自の観点から解釈
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→ つまり『玄義』『文句』のほうは、教相・観心の二門で言えば教相門になるのであり、『摩訶止観』 のほうが観心門に当たるのであります。

 次に「五時八教・百界千如を明かし」とありますが、ここが一番最初に申し上げましたところの、釈尊一代の教えがなんの目的で、また、どのような意味において説かれ、その教えと教えとの関係はいったいどういう関連があるのだということの内容であります。

 すなわち、天台大師は釈尊のお言葉を基準としてきちんと、釈尊が出現されて説かれたそれぞれの教えと教えとの関係を、「五時」 の教に括って明らかにされたのであります。

 五時とは釈尊の一代の教説を大きく五つに区分し、時間的に配列したもので、華厳時・阿含時・方等時・般若時・法華涅槃時であります。

 この五時は、また五部として部類分けされます。
この五部の経典の内訳をごく簡略に紹介しますと、
華厳部の経典は六十、八十、四十各華厳経のほか二十九経七十四巻、→

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華厳経は、インドで伝えられてきた様々な仏典が、4世紀頃に中央アジア(西域)でまとめられたものであると推定されている[4]。
華厳経全体のサンスクリット語原典は未発見であるが、「十地品」「入法界品」などは独立したサンスクリット仏典があり現代語訳されている。
智の見解では、この経典は釈迦の悟りの内容を示しているといい、「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が本尊として示されている。
「ヴァイローチャナ・ブッダ」を、「太陽の輝きの仏」と訳し、「毘盧舎那仏」と音写される。
毘盧舎那仏は、真言宗の本尊たる大日如来と同一の仏である。

華厳経にも、如来蔵思想につながる発想が展開されている[6]。
(如来蔵→仏性(ぶっしょう、梵: Buddha-dh?tu[1])とは、衆生が持つ仏としての本質、仏になるための原因のこと)

陽光である毘盧舎那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧舎那仏の宇宙は衆生で満たされている。
これを「一即一切・一切即一」とあらわし、「あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって成り立っている」ことで、これを法界縁起と呼ぶ。

「六十華厳」の中で特に重要なのは、最も古層に属する「十地品」[7]と「入法界品」の章とされている。

「十地品」には、菩薩が踏み行なうべき十段階の修行が示されていて、そのうち六番目までは自利の修行が説かれ、七番目から十番目までが利他行が説かれている。
「入法界品」には、善財童子(ぜんざいどうじ)という少年が、人生を知り尽くした53人の人々を訪ねて、悟りへの道を追究する物語[8]が述べられている。
隋の智は五時八教の教相判釈で、華厳経を釈迦が成道後まもなく悟りの内容を分かり易くせずにそのまま説いた経典で粗削りの教えであるとした。
唐の法蔵は『華厳五教章』において、五教十宗判の教相判釈を行い、華厳の教えを最高としている。
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→ 阿含部は長阿含・中阿含・雑阿含・増一阿含経等計二百八十四巻、→

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阿含経(あごんきょう、あごんぎょう、梵・巴: ?gama, アーガマ)とは、最も古い仏教経典集(スートラ)であり、初期仏教の姿を色濃く反映したものとされる。
阿含(あごん)とは、サンスクリット・パーリ語のアーガマの音写で、「伝承された教説、その集成」という意味である[1]。
阿含の類義語には部(ぶ、Nik?ya)があり、パーリ仏典ではそれが用いられている[1]。

釈迦の死後、その教説は迦葉や阿難を始めとする弟子たちを中心として何回かの結集を経てまとめられ、経蔵(sutta-pi?aka, スッタ・ピタカ)を形成した[1]。
他方、守るべき規則は律蔵(vinaya-pi?aka, ヴィナヤ・ピタカ)としてまとめられたが[1]、一般に紀元前4世紀から紀元前1世紀にかけて徐々に作成されたものであると言われている。
その経蔵はそれぞれ阿含(?gama, アーガマ)または部(nik?ya、ニカーヤ)の名で呼ばれた[1]。

これらの現存するものは、スリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナムに伝えられている『パーリ語仏典』と、それに相応する漢訳経典などである[1]。
漢訳では長・中・雑・増一の四阿含(しあごん)があり、大正蔵では冒頭の阿含部に収録されている。
パーリ語訳では五部が伝えられている。
両者は共に同一の原典から訳されたもので一定の対応関係がある。

直説経典であるため、釈迦の言動、並びにその教法――とりわけ七科三十七道品として知られる成仏法(修行法)が記されてある。
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→ 方等部は同部へ一括される本縁・宝積・大集・経集各部総計五百八十三経一千六百五十三巻、

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本縁部(ほんえんぶ)とは、大正新脩大蔵経において、『阿含経』関連経典以外の『本生経』『仏所行讃』『法句経』といった釈迦に関連する仏典をまとめた領域のこと。
パーリ語経典の小部(クッダカ・ニカーヤ)に概ね対応する。
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『大宝積経』(だいほうしゃくきょう、梵: Mah?ratnak??a S?tra, マハーラトナクータ・スートラ)、または単に『宝積経』(ほうしゃくきょう、梵: Ratnak??a S?tra, ラトナクータ・スートラ)は、大乗仏教の経典の1つ、120巻。
各種の経典49部(それぞれを「会」と称する)を集めたものである。
西域僧である竺法護によって編纂・翻訳され、[1]唐代の713年に菩提流志(ぼだいるし)が再翻訳し完成させた[2]。

原題は、「マハー」(mah?)が「大」、「ラトナ」(ratna)が「宝」、「クータ」(k??a)が「集積・蓄積」、「スートラ」(s?tra)が「経」、総じて「宝を集積した大きな経」の意。

中国仏教においては、『般若経』・『華厳経』・『涅槃経』・『大集経』と共に、大乗仏教五部経の1つに数えられ、大蔵経の構成にも影響を与えている。
大正新脩大蔵経310番(第11巻・宝積部)。

また、チベット仏教にも輸入され、チベット大蔵経のカンギュル(律・経蔵)においても、『般若経』・『華厳経』と並んで、大乗仏教顕教経典の一角を占めている[3]。
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『大集経』(だいじっきょう、だいしゅうきょう、梵: Mah?sa?nip?ta-s?tra[1], マハーサンニパータ・スートラ)は、詳しくは『大方等大集経』(だいほうどうだいじっきょう)とは、中期大乗仏教経典の1つ。
チベット語では「'dus pa chen po」と呼ばれている。[要出典]
釈迦が、十方の仏菩薩を集めて大乗の法を説いたもので、空思想に加えて密教的要素が濃厚である。

原題は、「マハー」が「大」(mah?)、「サンニパータ」(sa?nip?ta)が「集合」、「スートラ」(s?tra)が「経」、総じて「集合させた大きな経」の意。

隋代に僧就(そうじゅ)が、北涼の曇無讖訳の大集経二十九巻に加えて、隋の那連提耶舎(なれんだいやしゃ)訳の『月蔵経』十二巻、『日蔵経』十五巻などを合わせて一つの経典、六十巻としたものである。

中国仏教では、『般若経』・『華厳経』・『涅槃経』・『大宝積経』と共に、大乗仏教五部経の1つに数えられ、大蔵経の構成にも影響を与えている。

瓔珞品(第1巻前半) 成道後十六年に師子宝座に上り、諸々の菩薩や魔王等のために菩薩が行ずべき無礙の法門を説こうとする
陀羅尼自在王菩薩品(第1巻後半〜4巻) 仏が陀羅尼自在王菩薩のために修すべき戒・定・慧および陀羅尼の四種の瓔珞荘厳の法について説く
宝女品(第5、6巻)には宝女童女の成就した三十二種の宝心等を明かす
不?菩薩品(第7巻) 不?菩薩のために八陀羅尼門、八精進、八法、八荘厳、八発心等を説く
海慧菩薩品(第8〜11巻) 海慧菩薩に浄印三昧、仏法、大乗の意義、菩薩の発願、魔業、四天王呪等を示す
無言菩薩品(第12巻) 無言菩薩が無言、無声、空なる法性を説く
不可説菩薩品(第13巻) 不可説菩薩が発無上菩提心の十六法、増長菩提心の三十二法等を述べる
虚空蔵菩薩品(第14〜18巻) 虚空蔵菩薩のために六波羅蜜を始め菩薩の徳業を明かす
宝幢分(第19〜21巻) 魔苦品、往古品、魔調伏品、三昧神足品、相品、陀羅尼品、護品、授記品、悲品、護法品、四天王護法品、曠野鬼品、還本品の十三品を説く
虚空目分(第22〜24巻) 声聞品、世間目品、弥勒品、四無量心品、浄目品、聖目品、辟支仏乗品、無礙智品、護法品、大乗還品の十品を挙げる
宝髻菩薩品(第25、26品) 菩薩の波羅蜜行、助菩提行、神通行、調衆生行の四種の行を説く
無尽意菩薩品(第27〜30巻) 六波羅蜜、四無量心、六通、四摂、四無礙智、四依等が不可尽であることを述べる
日密分(第31〜33巻) 護法品、四方菩薩集品、分別説欲品、分別品、不思議大通品、救竜品の六品を示す
日蔵分(第34〜45巻) 護持正法品、陀羅尼品、菩薩使品、定品、悪業集品、護持品、仏現神通品、星宿品、送使品、念仏三昧品、昇須弥山頂品、三帰済竜品、護塔品の十三品を明かす
月蔵分(第46〜56巻) 月幢神呪品、魔王波旬詣仏所品、諸阿修羅諸仏所品、本事品、第一義諦品、令魔得信楽品、一切鬼神集会品、諸悪鬼神得敬信品、諸天王護持品、諸魔得敬信品、提頭頼?天王護持品、毘楼勒叉天王品、毘楼博叉天王品、毘沙門天王品、呪輪護持品、忍辱品、分布閻浮提品、星宿摂受品、建立塔寺品、法滅尽品の二十品を述べる
須弥蔵分(第57、58巻) 声聞品、菩薩禅本業品、滅非時風雨品、陀羅尼品の四品を挙げる
十方菩薩分(第59、60巻) 五十種の校計罪の相を説く

第9宝幢分には、女が男に生れかわる転女成男の思想、
第15月蔵分には末法思想の根拠とされる、仏滅後を五百年ごとに区切って、正法の衰退を主張する五五百歳の思想が示されていることが、特徴として挙げられる。
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経集部(きょうしゅうぶ)とは、大正新脩大蔵経において、先行する8つの部には分類されない、残りの顕教仏典をまとめた領域のこと。

『薬師経』『弥勒経』、『維摩経』『金光明経』『楞伽経』『解深密経』等を含む。
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→ 般若部は四十二経七百七十六巻、→

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般若部(はんにゃぶ)とは、大正新脩大蔵経において、『般若経』に関連する仏典をまとめた領域のこと。
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般若経
はんにゃきょう

大乗仏教の最初期の経典群の総称。
これを名のる経典は数多く漢訳されて、「大正新脩(たいしょうしんしゅう)大蔵経」に収められているものだけでも42経もあり、サンスクリット本やチベット訳もかなりそろっている。
大乗仏教の第一声を告げる経として、もっとも重要な経であるが、以後次々とつくられ、しだいに増広されて、最大のものは玄奘(げんじょう)の訳した『大般若波羅蜜多(はらみった)経』600巻に及ぶ。
これはあらゆる経典中最大のものである。
いっさいの実体と実体的思想との否定をうたう「空(くう)」の思想をよりどころとする般若の知慧(ちえ)を説き、六波羅蜜の実践を推進する。
なお、密教のよりどころとなった『理趣(りしゅ)(般若)経』はかなり後代のものであり、また『金剛(般若)経』は禅関係で流布し、『般若心経(しんぎょう)』は浄土教と日蓮(にちれん)宗を除く仏教全般に広く愛読され、書写も盛んであり、現在もっともよく知られる。
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→ 法華部は妙法華・正法華・添品法華三経計二十五巻、→

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『正法華経』10巻26品(竺法護訳、286年、大正蔵263)
『妙法蓮華経』8巻28品(鳩摩羅什訳、400年、大正蔵262)[4]
『添品妙法蓮華経』7巻27品(闍那崛多・達磨笈多共訳、601年、大正蔵264)
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→ 涅槃部は北本四十巻、南本三十六巻ほか二十一経計百三十六巻等です。→

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『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう、梵: ??????????????????(Mah?parinirv??a S?tra、マハーパリニルヴァーナ・スートラ)、巴: ????????????????????? Mahaaparinibbaana Sutta(nta)(マハーパリニッバーナ・スッタ(ンタ))は、釈迦の入滅(=大般涅槃(だいはつねはん))を叙述し、その意義を説く経典類の総称である[1]。
阿含経典類から大乗経典まで数種ある[1]。略称『涅槃経』。

大乗の『涅槃経』 は、初期の『涅槃経』とあらすじは同じだが、「一切衆生悉有仏性」を説くなど、趣旨が異なる。

涅槃経を宗旨とする宗派涅槃宗が中国で興ったが、日本には直接伝来しなかった[2]。
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『涅槃経』に括られる経典の内、初期のものとしては、上座部仏教のパーリ語経典では、長部第16経の『大般涅槃経』が、漢訳としては、『長阿含経』(大正蔵1)第2経「遊行経」、『仏般泥?経』 (2巻、大正蔵5)、『般泥?経』(2巻、大正蔵6)、『大般涅槃経』(3巻、大正蔵7)等がある。
釈尊の晩年から入滅、さらに入滅後の舎利の分配などが詳しく書かれている。

これらに基づいて大乗仏教の思想を述べた、大乗仏教中期に成立した大部の経典として、『大般涅槃経』等(大正蔵374-378)等がある。

原始仏教経典の『涅槃経』
「大般涅槃経 (上座部)」も参照
釈尊の最後の旅からはじまって、入滅に至る経過、荼毘(だび)と起塔について叙述する経典[1]。原典に近いテキストとしては、

パーリ語経典長部[1]の『大般涅槃経』(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)や、漢訳では、

『長阿含経』(大正蔵1)第2経「遊行経」[1]
『仏般泥?経』(2巻、大正蔵5)
『般泥?経』(2巻、大正蔵6)
『大般涅槃経』(3巻、大正蔵7)
等[3]、計9種の異本があるが、それぞれに後世の脚色が加わっており、どれがより正確かは断言できない[4]。
元来は『律蔵』中の仏伝の一部であったと考えられている[5]。

この中では、釈尊が、自分の死後は「法を依(よ)りどころとし、自らを依りどころとせよ」(自灯明・法灯明)といったこと、また「すべてのものはやがて滅びるものである。汝等は怠らず努めなさい」と諭したことなどが重要である[5]。

大乗発展途上の『涅槃経』
大乗に至る過渡期のものとして、数種の『涅槃経』が漢訳として現存する[1]。
たとえば『遺教経』[6]では、釈迦仏が入滅に臨じて、その遺言として教誨を垂れたものである。
ちなみに禅宗では特に重んじて仏祖三経の一つとしている。

大乗の『涅槃経』
大乗の『涅槃経』(大乗涅槃経)

大乗経典にはしばしばその経典そのものを写経する功徳を説くものが見られるが、大般涅槃経にもそのような一節がある[7](塚本, p. 74, 大般涅槃経(南本)III)。

成立年代
龍樹(紀元150年頃に活躍)には知られていないことなどから、この経の編纂には瑜伽行唯識派が関与したとされ、4世紀くらいの成立と考えられる。
原典は失われている[8]。

訳本
『大般泥?経』(だいはつないおんきょう)6巻〔法顕本、六巻本ともいう〕(418)[9][10]、法顕[1]と仏陀跋陀羅訳
『大般涅槃経』40巻〔北本[1]、また大本[11]、大本涅槃、大本涅槃経[12]ともいう〕(421)、三蔵法師の曇無讖(どんむせん、どんむしん)訳[1]
『大般涅槃経』36巻〔南本〕[1](436)、慧厳・慧観・謝霊運[13]により校合訂正した経典。
2の北本は北涼で翻訳された事から、3の南本とは南朝宋の時代に翻訳し1と2を統合編纂(再治さいじ)した事から名づけられている[14]。
他にチベット訳2種、梵文断片などが現存する[1]。

なおインドには焼身品・起塔品・嘱累品があったともいわれ、まだ翻訳されずに伝えられなかったといわれる。
そのため未完の経典ともいわれるが、唐の若那跋陀羅により北本の後を受けて『大般涅槃経後分』[15]2巻が翻訳され、遺教・入滅・荼毘・舎利を加えられた。

仏教界においては北本がよく引用されるが、基本的には北本と法顕本と統合訂正して『南本涅槃経』が編集されたことから、もっとも内容が整っているとされ、近年では南本を引用する場合も多い。
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→ これらの経典は膨大ですが、その全体を総合した意味がどこに説かれてあるかと言えば、法華経にきちんと説かれてあることを論証されたのです。
この五時の誓えとしては、法華経信解品の「長者窮子の誓え」があります。
浮浪者の如き者が、親のもとを離れてあちらこちらとさまよい歩き、全く親の居城のあることを忘れて、数十年のちに偶然、親の所へ戻ってきました。
しかしながら、本心を失ってしまっておるわけですから、その城の主人が自分の親だということもすっかり忘れはてておったのであります。

 その浮浪者が城門にたたずんだ時に、その父親は大きな城郭の主というような方であるのですが、その方が遠くからその浮浪者を見て、自分の子供であることが一目で判りました。
そこで、なんとかこれを早くつなぎ止めて、そして自分の息子として正しく導き、養育したいと思ったので、かたわらの家来に「あの者をここへ連れてきなさい」と命じました。
しかし、その家来が命により浮浪者を連れ、主人のところへ引き立てようとした時、長い間の浮浪生活で心が卑屈になっていた子供はたいへん怖じ恐れ、つかまって殺されるのではないかと、恐怖のあまり悶絶してしまったのであります。
それを見た父は「これは到底、すぐに連れてこようとしてもだめである」と思い、いったん解放するのであります。

 これは仏法上、「擬宜」すなわち「あてがう」という意味を持っているのです。→

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よろしきところをおしはかる 仏が仮に適当な法を衆生に与えて、衆生がその法を受け入れるか否かを試みること。
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→ つまり釈尊がこの世に出現し、衆生を導こうとされました。
けれども衆生の機根がどの程度のところにあるのか判りませんから、仏様の本懐に近いような高い教えをまず説いて、あてがってみたわけであります。
これが華厳経であります。
華厳経は三七日(二十一日間) の説法と言いますけれども、六十華厳とも八十華厳とも言われるものが今日も残っており、たいへん深い法門と言われておりまして、要するに事々無擬(じじむげ)法界というような法界の深い意義を説くのであります。→
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じじむげ‐ほっかい【事事無礙法界・事事無碍法界】

?名? 仏語。華厳宗でいう四法界の一つ。
現象世界のすべてのものごとが相互に関連・融合し、そのままで真実の世界を完成していること。
究極のさとりの眼から見た存在の世界のあり方。
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→ この宇宙法界はことごとく、我々の差別の姿は凡智凡情であって、仏様の因果の修行によって荘厳せられた国土の内容、また、その法界の意義からするならば、一事に即して一切のことがことごとく融通無礙であり、ことごとく功徳に荘厳されておるのである。
したがって、それを悟ることができればそのまま仏に成るのであると説くのであります。

 ところが、そのように高い法門が説かれましたけれども、声聞・緑覚の二乗は全く解らなかったのであります。
「如聾(ろう)如唖(あ)」という意味で、耳が聞こえない者のようであり、口がきけない者のようであったというのです。

 そういう意味で、一代の化導の意義目的から言えば、まずあてがってみたということ、華厳経乃至、華厳部はそういう意味だけなのであり、すなわち擬宜であります。

 そこで仕方なく、父親は「形色(ぎょうしき)憔悴」した者を選び、わざわざ汚い服装をさせて我が子の所へ遣わしました。
そして、巧みに誘いをかけ「この城へ行くと色々な仕事をさせてくれる。それによって手間賃もくれるから安心して生活ができる。おまえのように浮浪者のような生活で、毎日あちらこちらへ行って乞食しなくてもよいようになる」と話して関心を持たせ、窮子を父親の城へ連れてきたのであります。

 その子供は、自分をあくまで浮浪者と思い込んでおり、自分がその城の主人の息子であることは夢にも知りません。
ですから、大変その誘いを喜んで、「除糞」といって糞(あくた)を除(はら)うという実に汚い仕事をしながら、わずかな貸金をもらって、その城のなかで生活をしたのであります。

 そのように、二人の姿、形の卑しい者を遣わして「誘引」し、そしてなんとかその城につなぎ止めたこと、それが仏法上の意味において阿含経という教え、すなわち阿含部に当たるのであります。

阿含とは経とか教法乃至、法蔵という意味ですけれども、要するに釈尊が華厳経の次に十二年間説かれたところの、苦・空・無常・無我、つまり人の命は空なりという、釈尊の教えから言うならば初歩程度の低い教えであります。→

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仏語。真実を求めるために明らかにすべき、この世の迷いの四つのすがた。苦諦の四行相。この世のすべてのものは、苦であり、空(くう)であり、固定した常住のものでなく、自我といった実体はないということ。非常苦空非我。苦空無我。
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→ 小乗教ですから、小さな乗り物として、小さな所にしか行くことができません。
ですから無論、真実の幸せに至ることはできませんが、そういう意味の小乗教を説かれたのであります。これが誘引の化導です。

 次に、窮子がその城のなかで汚い仕事をやっていくうちに、その父親が自然な態度で近づいていって「おまえを私の子供のように思う。
おまえも私のことを親と思いなさい」と言って慣れ親しませます。
そして、十二年ののちに充分親しくなったところで、「いつまでもそのような汚い仕事をしていないで、もっと立派な仕事をするように」と言って、ときには小間使いをさせたり、仕事もきれいな仕事に引き上げながら、だんだんと父親との間の対話を深めていったのであります。
それによって窮子が導かれてきたというのが、釈尊の教えで言うならば方等部の経典に当たるのであります。

 この方等部の経典は色々な所で説かれておるのであります。
そして、そのなかにはたくさんの教えが存在しておるのでありますが、般若経と法華・涅槃を除いた大乗経典は全部、このなかに入るのであります。
しかし、大乗といっても権大乗、つまり権りの大乗であって、まだ真実の大乗ではありません。
この方等部の代表的なところでは、維摩経とか勝鬘経というような内容において見ることができるように、「恥小慕大」と言い、小さな境界を恥ずかしめさせて大きな境界に向かわせるという意義があります。

 ですから教えの上から言うならば、小乗教に執われてしまっておる声聞、緑覚等の人々の執着を打ち破って、大乗に目を向けさせるということです。
それは一種の「弾呵」ということで、つまり、そういう小さなところに執着して閉じこもっておるところの心を打ち破り、「そんなところでいつまでも執われては、本当の仏道成就はできない」ということを教えるのです。
方等部というたくさんの大乗の経典における化導の意味が、だいたいそこに当たっておるのであり、すなわち弾呵であります。→
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しかり、とがめること。非難すること。また、仏教で、小乗の教えにとどまっているのを叱ること。
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→ その次には般若という時期になりますが、その父親の教えに従って子供が下劣の根性から脱し、心身ともに立派な人として成長したころを見計らい、父親は「おまえは近ごろ、色々なことを立派にできるようになったから、この際、この城のなかにある一切の宝物も財産も全部、おまえにその処理を委ねる。これからおまえは、財産の出納とか保管とか、そういうことを全部、私の代わりにやるように」ということを命じます。
それによって窮子は、家令乃至、執事あるいは重役のような実質的な立場で、父親の持つ一切の財産等、すべての物を知り、また、それを管理していくというような立場になったのであり、このことを経典に、
  「教勅を受けて、衆物(しゅもつ)の金銀珍宝、及び諸の庫蔵を領知す」(法華経一九四)
と言われております。
これは「領知」という意味になります。

 すなわち、前には小さなところに執着しておった子供が、父親の持っておる広大な財産といい、色々な有意義な仕事といい、そのすべてを知り、すべてを自分が直接管理し、また処理していくような重要な立場に就くようになったということは、自然に小さな気持ちが「淘汰」 つまり「よりわけられ」て、大きな気持ちになっていったのであります。

そういう意味から説かれたのが般若経という大乗の空を説いた経典でありまして、小さな空から大きな空へ道が開かれたということであります。
これが淘汰であります。

 それからまた、最後の段階において父親が一切の親戚等を集めて「この者は自分の息子である」ということを披露し、と同時に、窮子に対して「今まであらゆることをさせておったけれども、おまえは私の実子であり、この城にある一切の物は、実は全部おまえのものである。これからはおまえに、これらの一切を譲る」ということを宣言し、ついに父親の持っておる一切の権限、様々な財宝等もその子供の所有になりました。

これが法華経に説かれたところの一仏乗の「開会」であるということであります。
つまり、今まで絶対に成仏することができないと言われたところの声聞、縁覚等の人々が、法華経によって初めて、釈尊と全く同じ功徳すなわち成仏について一々にその記別証明を得るということが示され、仏と同等の功徳・利益を得て大歓喜を生ずるということが説かれてあります。

 天台大師は、この法華経の長者窮子の誓えを例証として一代五時の教判を立てられましたが、これは単に譬喩のみに依られたのではありません。
釈尊化導の一代の目的は衆生を成仏せしめることであり、その要点要旨として二乗作仏、久遠実成の深義による十界互具百界千如一念三千の法門の確立にあります。
これが彰灼(しょうしゃく=あきらか・ 光りかがやくさま。)として顕れたのは一代諸経のなかで、ただ法華経のみであります。

そして華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五時の順序とその全体相が、この長者窮子の誓えに合致するのであります。

 次に、涅槃経聖行品の五味の誓えが、やはりこの五時判に該当するのです。
涅槃経に説かれてある五味とは、牛から乳味を出し、乳味から酪味を出し、酪味から生蘇味、生蘇昧から熟蘇味、熟蘇味から醍醐味に至るという五つの味が、初めは乳昧から出てくるように、華厳経がまず教えを説き始められた最初の経文であり、これが牛より乳を出だすという意味であります。
牛を仏様に誓え、その牛から出た乳が華厳経に当たるわけであります。
そして華厳の次に阿含の酪味が説かれ、阿含の次に方等の生蘇味が説かれ、方等の次に般若の熟蘇味が説かれ、般若の次に法華経の醍醐味が説かれたという次第です。

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@乳味[にゅうみ](牛乳そのもの)
A酪味[らくみ](発酵乳、ヨーグルトの類い)
B生蘇味[しょうそみ](サワークリームの類い)
C熟蘇味[じゅくそみ](発酵バターの類い)
D醍醐味[だいごみ](バターオイルの類い)
(有賀秀子, 大谷能子, 竹内真澄、「「本草綱目」に基づき再現した熟酥と醍醐の性質についての研究」 『酪農科学・食品の研究』 1990年 39巻 5号 p.A196-A202, 日本酪農科学会 帯広畜産大)

中国において著された『本草綱目』という、植物・動物・鉱物などの物質による医薬品としての製法・効能・使用法を記した医学書である。
『本草綱目』は西暦約500年から1500年までの1000年にもわたる医薬品研究が蓄積された医学書の集大成であり、この書物のなかに醍醐に関する記述が存在するのだ。
有馬教授らはこの記述に基づき再現に着手した。

1 生乳を鍋で加熱して数回沸騰させ煮詰め、器に移して冷ます。
2 冷めると濃縮乳の表面に皮膜(凝固層)ができるので、下の液状層と分離して集める。このうち、液状層を発酵させたものが酪である。つまり、酪とは現在でいうヨーグルトのようなものと考えられる。
3 2で液状層を除いた皮膜(凝固層)のみを集めたものが生酥。
4 生酥を再び加熱し、練り上げ、冷却してまた凝固させる。この再加熱・再冷却で固まった酥が熟酥。
5 熟酥に穴を開けしばらく待つと、穴から液体が滲み出てくる。この液体を集めたものが醍醐である。したがって醍醐は液状(油)の形態をしており、平たく言えばバターオイルである。

有馬教授によれば、醍醐(バターオイル)はそれ自体を食べてみてもさほど美味しいと感じるものではなかったという。
ただ、38℃以上になると醍醐は金色に輝くオイルとなり、その形状は乳製品の王と呼ぶに相応しい美しさを備えていたそうだ。
また醍醐は医学書である『本草綱目』に記載されていることから、栄養面において優れているのではないかと考えられ成分を調べたところ、ビタミンに関して優れた結果が確認できたという。
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→ しかし、涅槃経では法華経のことを説かれず、般若経からいきなり涅槃経が説かれたように一往見えるのです。
つまり熟蘇味は般若経であり、醍醐味は涅槃経であるとして説いてあります。

 では、それならば涅槃経が一番勝れた教えであるか、ということになります。
したがって、天台大師以前の南三北七と言われたような宗旨のなかには涅槃宗というのがありまして、涅槃経が釈尊の教えのなかで一番根本だというように思っていたのであります。→

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189

→ 2021.10.9
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日顕上人 三大秘法義 

南三北七その他、各宗の判教である。

 南地の三師
● 三時教=岌法師−有相教(四阿含)、無相敦(大乗諸経・法華経)常住教(涅槃経)
● 四時教=宗愛法師−有相教(四阿含)、無相教(諸大乗)、同帰教(法華経)、常住教(涅槃経)
● 五時教=柔法師・慧次・法雲−有相教(四阿含)、無相教(諸大乗)、抑揚教(浄名経・思益経)、同帰教(法華経)、常住教(涅槃経)

いずれも涅槃経を最上とする。
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北地の七師
● 五時=北地師−人天教(提謂経)、無相教(諸大乗)、有相教(四阿合)、同帰数(法華経)、常住教(涅槃経)
● 半満=菩提流支−半字数(阿含十二年)、満字数(全大乗経)
● 四宗教=慧光−因縁宗(阿含)、仮名宗(成実宗)、誑相宗(大品般若経)、常宗(華厳経・涅槃経)
● 五宗教=自軌大乗師−因縁宗(阿含)、仮名宗(成実宗)、誑相宗(大品般若経)、常宗(涅槃経)、法界宗(華厳経)
● 六宗教=凛師−因縁宗(阿含)、仮名宗(成実宗)、誑相宗(大品般若経)、常宗(涅槃経)、真宗(法華経)、円宗(華厳経)
● 二宗大乗=北地禅師−有相大乗(大品般若経・華厳経・瓔珞経等)、無相大乗(楞伽経・思益経)
● 一昔 教=北地禅師−仏経は唯、一音之説法、無二亦無三

北地の七師には、右のように種々の説があるが、涅槃経最上が一、華厳・涅槃最上が一、華厳最上が二を数える。
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→ けれども、教えの全体の内容を天台大師が御覧になってみると、そのように考えることは非常に浅はかであって、涅槃経ではただ「常住仏性」ということが説かれているのみであり、これはあくまで過去からずっと説いてきた華厳・阿含・方等・般若等の小乗・大乗の内容を、もう一遍ずっと説かれて、そして最後に一切衆生に仏性が具わっておるということが説かれてあるだけということを判釈されているのであります。

 これは実を言えば、涅槃経は法華経で一切をことごとく束ねて、二乗作仏等、悪人、女人の一切の成仏も説かれ、妙法蓮華経として一代諸経の根本の意味が説かれたあとの教えであります。

まず最初に釈尊の真実本懐が顕されたのは法華経であり、そのあとに涅槃経が説かれたのであります。

 この涅槃経というのは釈尊が亡くなる時の一日一夜の説法と言われております。
これはなんのために説かれたかと言いますと「大収」 つまり大きく収穫する、「秋収冬蔵」と言って、秋に田で農家の方が稲を刈り取りますが、全体を刈り取る意味は法華経にあるのです。

しかし、そのあと、落ち穂が田に残っておるのを拾います。
それを「?拾(くんじゅう)」と申しますが、そういう?拾経が涅槃経の本当の意味役割であります。

したがって、法華経と涅槃経とを相対してみれば、涅槃経が真実の釈尊の教えの中心を顕したのではなく、法華経で既に完全に釈尊の真実本懐の意義が説かれてあるのであります。
これは道理・文証の上に、天台、妙楽がはっきり釈しております。

 それならば、なぜ涅槃経を説かれたかと言えば、色々な機根のためです。
機の相違は実に無慮無数でありますから、法華経でもなおかつ信じきれず悟れなかった人が残っていたのです。
それらの人々のために落ち穂拾いの意味で説かれたのが、最後の涅槃経であります。

要するに、五時の教判は擬宜、誘引、弾呵、淘汰、開会という、法華経を中心・基本とするきちんとした筋道と、それらの教えが最極に帰する意義が示されておるのであります。

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次に「八教」という語が示されております。
八教とは、化儀の四教と化法の四教であり、これを合わせて八教となるのであります。

 化儀の四教とは、釈尊の教えにおいて衆生化導のために採った実際的方法であり、これに頓・漸・秘密・不定という四つの教え方があるのであります。これは薬方と言い、薬の調合の方法という意味になります。

 最初の 「頓」 の字は色々な意味がありますが、そのなかで「にわかに」 「一時に」 「とみに」という意味から、仏が直ちに高尚な法を説くことになります。
つまり釈尊が悟られた非常に深い教えをそのまま衆生に当てつけられたところの華厳経などは、この頓という化導法式に当たるのであります。

 ところが、これでは解らない人が多いので、教えの程度を下げて小乗の教えを説かれたのは「漸」という意味でありまして、この字は「ようやく」と読みますが、漸々と、浅いところからだんだんと深いところに入っていくのが漸という化導法であります。

 次の「秘密」 「不定」というのは、釈尊が衆生を化導されるに当たって使われた神通力の種々相であります。

 「秘密」とは、詳しくは秘密不定教と言います。この場合の秘密ということには二つの意味があります。

一つは聴聞している者が同じ座にいながら、お互いに知らないこと。
さらに、これは「この座と十方」というような意味で、釈尊がここで一つの言葉で説かれているけれども、遠い十方の天人やらその他、多くの人々に空間、時間を越えてその御説法が行き届き、この座の人は向こうの人を知らず、向こうの人はこの座の人を知らないというような不思議な利益が色々とあるのです。

二つには同じ法を聞いて内容を異なって受け取る、つまり同聴異聞することです。
それにより大乗を聞いて小乗の益を、あるいは小乗を聞いて大乗の益を得たり、四悉檀で為人を聞いて対治の益を得、対治を聞いて第一義の益を得る如くであります。
この得益の不同は不定ということになりますから、秘密不定教と言うわけです。

 また「不定」というのは、詳しくは顕露不定教と言います。
これは秘密でないので同座不知や同聴異聞はありませんが、仏の説法を聞いて、ただ得益が不同なのです。
すなわち大を聞いて小を証し、小を聞いて大を証する等を顕露不定教と言う次第です。

 それから「説黙」ということで、仏の化導において説くべき時や場合には必ず説き、説くべからざる時はいかに要請されても聞くことなく沈黙を守る。
それによって説にも黙にも利益があることです。

大通智勝仏という仏様は出世して十小劫という長い間、全く教えを説かなかったということです。
そういうように黙っておられることも一つの大きな化導の上からの意味がありまして、このように仏様には色々な化導法があるのです。→

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過去三千塵点劫以前に出現して法華経を説いたという仏。「法華経‐化城喩品」に説く。大通智勝。
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→ その仏の境界の内容となっておるのが何かと言えば、我々の知ると知らざるとにかかわらず、我々およびこの宇宙法界を包み、また宇宙法界の生命、我々の命そのものであるところの真如実相であります。

それら一切の原因・結果の元となっておるところの理法、すなわち仏様の悟られた真理というものがそこに存するのであります。
それをどのように分けて衆生を導くかということで、次に化法の四教、すなわち蔵・通・別・円という四教において、その内容が示されてあります。
化法の四教は薬方に対する薬味であります。
薬の与え方が化儀の四教であるのに対し、薬の内容を意味します。

初めの蔵とは三蔵教とも言います。
 その内容に実は「界内・界外(かいげ)」ということがあるのです。
衆生が毎日生活をしておるのは迷いの姿であり、種々の業によって地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界という三界六道に生を受け、「六道輪廻」ということで、生まれ変わり死に変わり、そのなかの苦しみに沈み、少しもそこから本当に正しい生命的な自覚を持たないのであります。
仏様の教えを受けて、迷いの根源を打ち破り自由自在の境界を得るということもなく、生死の迷いのなかに執われているのであります。

 これが三界内、つまり界内の相で、六道のうちの輪廻の相であります。
そこで、ひとまずこの六道から出るという方便の教えを説くのが三蔵教、すなわち「蔵教」という小乗の教えです。

 まず、その迷いの元である自分自身は何によって迷っているのかを分析していくと、我有に到達します。
我々は実際に肉体と精神、つまり色心二法によって生活しておりますが、蔵教では、この不幸や苦しみの原因は我に執われ、有に執われる煩悩、すなわち見惑と思惑にあると説きます。
故に、生まれてきた原因の煩悩を打ち破ってしまえば、再び生まれてくることはない、つまり身心ともに空に帰してしまうのが幸福で悟りだというのです。
これが三蔵教でありまして、小乗の法門であります。

 この空ということは、蔵教においては単なる部分的な表現ではありますが、同時にまた千古を貫く絶対の真理でもあります。
しかしながら、この六道のなかで迷っておる衆生は実際に自分が存在しておると思っておるわけです。
「我れ思う。故に我れあり」などということを言った西洋の哲学者がおりますが、自分の存在は事実だと考えることが我の迷いになるのです。
つまり、自分自身に執われてしまうのであります。

 例えば、一人の方の髪の毛の一本、細胞の一つを取るとします。
細胞の一つぐらいを取っても我々人間はびくともしませんし、その一個の細胞は一人の生きた人間ではありません。
けれども、一つひとつを取っていき、何万個、何十万個、何億個、何兆個と取っていくと、その人間はなくなってしまいます。
このように最後までいくと、結局、一人の個人的人格は存在しないのです。
したがって、その人間の実体は何もないということになります。

 そのように一つひとつ分析して空に到達することを「析空観」と申します。
同じ空でも、分析し事物を破っていって、最後に何もないということが解るということですが、こういうことで空が解るのは能力の低い人の場合であり、これが蔵教の機根の衆生であります。

 ところが、もう少し能力の高い人は、その次の「通教」という教えに機根が合致します。
「今現在、存在しているあなたの当体は即、色心の二法が空であるとともに、人も空である。
つまり我という個性も一切、空である」と説かれて、直ちにその全体を空と見るのであります。
蔵教のように一々分析せず、直ちにその体を空と見るから、これを「体空観」と申します。
その体空はまた、仮諦の事実と総合して、その当体におのずと中道という悟りが開かれていくという意味を含んでおります。

この 「通」という意味は、通ずるということであります。
前の三蔵教とも、小乗教という形においては通じており、同じ空理を説くのです。
けれどもまた、大乗教の中道のほうにも通じておるので、前の教えにも、あとの教えにも通じておりますから通教と言うのであります。
さらにまた、声聞・緑覚・菩薩の三乗に通同する因果を説く上かちも通教と申します。

 第三番目の「別教」は、前の蔵教、通教とも違っており、あとの円教とも違っておりますから別教と言います。
また小乗の二乗と区別して、特に大根性の菩薩に対して特別に説かれた法門である故に、その意味で別教であるのです。

 けれどもこれは、仏様の真実の悟りの教えかと言いますと、そうではありません。
その仏様の真実の円融無擬、不思議の悟りの境界の内容は最後の円教において示されるのですが、その円教をいきなり説いてはこの教えを受けきれない菩薩の人達がおり、その人達のために別教が説かれたのです。
ただし、この場合は空理のみでなく、現実の因縁の相を説くところの仮諦の法門、その空・仮の二辺をさらに合して、非空・非仮の立場をとるところの中道の意義が示されてくるのであります。
つまり空より仮へ、仮より中へ進む機と、仮より空へ、空より中へ進む機であり、縦の時間的にも横の空間的にも、仮の時は空・中がなく、空の時は仮・中が欠け、中の時は空・仮が離れます。
したがって、その中道は空仮二諦から離れた別個の真如を立てるところが別教の中道であります。

 さらに中道の教えがだんだん解ってきますと、色々な物事に対して一方的な見方だけで終わることがなく、全部を総合的、達観的、大局的に見ることができるようになります。
自分の命といい、自分の行動といい、考えといい、あらゆることを本当に全体観から見ることができるのです。
しかも、全体観が入っておるから個別観を失うかといいますとそうではなく、やはり個別観に即して全体観を得るのであります。
そういう意味で、仮諦に即して直ちに空・中があり、空諦に即して直ちに
仮・中があり、中諦に即して直ちに空・仮があるという、即空・即仮・即中の円融三諦が「円教」の教理であります。
これは非常に視野が広く、広い境界においての一切の物事に対する悟りがそこに生じてくるのであり、一に即して一切、無擬自在の中道の意義を説かれるのが円教であります。

 そのように、化儀の四教、化法の四教は、そういう深い内容が仏様の教えのなかには色々と含められておることを示すのであります。

 次に「百界千如」とありますが、ここから観心門に入ってまいります。しかし、直ちに「一念三千」と言われていないのは、「玄文等の諸義」においては教相門を主とするが故に、五時八教を説き、その意義をもってさらに心を観ずる上に百界、千如等の法門が説かれてあるからであります。

 まず、この百界ということは、『開目抄』 に、
  「一念三千は十界互具よりことはじまれり」 (御書五二六)
と仰せであります。
十界が互具すれば百界となります。
しかし、このように凡夫の一念に十界が具わるということは、法華経以外にかつて説かれたことはないのです。
たしかに華厳経にも、それに似たことは説いてあります。
そのほか諸大乗経でも、心から十界が生じ、その心をうまく利用していくことによって、ついには仏の境界にも至ることができるということは説いてあります。
しかし華厳経等の諸大乗経においては、心生の十界は説いてあっても、迷いの凡夫の心のなかにそのまま仏様が具わっておるという心具の十界は説いていないのであり、そこが法華経の大事なところなのであります。

 法華経を信ずるならば必ず、その仏様の命が開かれていくということが示されるのであり、具わるが故に、十界にそれぞれまた十界が具わって百界となるのであります。

 それが「性具」ということで、方便品の諸法実相の法門であります。
如是相・如是性等の十如が説かれておるのは何かと言いますと、凡夫の迷いの心のなかにも、一念さえあればすなわち十界が具わり、その十界にまた十界がそのまま具わっている意義が述べられています。

 すなわち、百界にそれぞれまた十如が具わっておるという、その 「十如」という意味は、色心因果の法であります。
如是相・如是性・如是体とありますが、如是相は色なのです。
つまり物質的な意味で、物としてその存在が覚知できるのであります。
それから如是性というのは心(しん)なのです。
皆さん方の一人ひとりにおいて相があり、人相のよい人も悪い人もあります。
そこにまた心(こころ)が具わっておるということであります。
それで、その心と肉体とが一つになって体というのがあるわけです。
ですから如是相・如是性・如是体は、別の言葉で言えば色心の二法であり、今の言葉で言えば物質と精神なのであります。

 これらはおのずと、因果の二法によって一切が存立しておるということなのであります。
原因と結果、悪因は必ず悪果、善因は必ず善果を生ずるのであり、そこに
また様々な報いがあり、十界、百界、千如というような意味での縦横無尽の衆生の姿がそこに描かれておるのであります。
しかし、それらの人々が本当に道を成ずるのは、その実相を自らの命において正しく悟っていき、また、その実相の姿を顕していく以外にないのであるということであります。
そういう点がこの百界、千如を説かれてある所以であります。

 次に「前(さき)五百余年の間の諸非を責め」−五百余年間というのは天台大師が出現される以前の五百余年間ということでありまして、仏滅後千四百八十六年に天台大師が出現されたということになっております。
ですから、像法年間の前(さき)五百年の時代において色々な仏教学者が出て様々な教えを示したのであり、特に南三北七というようなのもそれであります。

 しかし、そういった人々の教えが、あるいは華厳経が中心であると言ってみたり、あるいは涅槃経が中心であると言ってみたり、そのほか三時説、五時説等も説いておりますけれども、すべてその基本となるところが間違っており、中心を外してしまっておるのであります。
したがって、天台大師以前の五百年間のそれら南北十師の立義(りゅうぎ)の非を責められたのであります。

 それから「天竺の論師の未だ述べざるを顕はす」と言われるのは、一連の文の最後に至って、かの天竺の大論師ですらも、いまだ述べることのなかった一念三千の法門を宣揚せられたのであるとの意であります。

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203

章安大師云はく「天竺の大論(だいろん)尚(なお)其の類に非(あら)ず、震旦(しんだん)の人師何ぞ労(わずら)はしく語るに及ばん。此誇耀(こよう)に非ず法相(ほっそう)の然(しか)らしむるのみ」等云云。墓無いかな天台の末学等、華厳・真言の元祖の盗人(ぬすびと)に一念三千の重宝を盗み取られて還(かえ)って彼等が門家と成りぬ。章安(しょうあん)大師兼(か)ねて此の事を知って歎(なげ)いて言はく「斯(こ)の言(ことば)若(も)し墜(お)ちなば将来悲しむべし」云云。
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 「章安大師」という方は天台大師に常に随従して、天台大師の口頭に説く法門を書き取った方であります。
この方がいなければ今、天台の法門は残らなかったのです。
そういう意味ではたいへん有り難い方であります。
その章安大師は一時、天台大師と離れて暮らしたことがあったらしいのです。
ですから、そういうことを『玄義』に書いております。
「自分はずいぶん天台大師に従ってその講説を聞き、書いたけれども、惜しいかな一遍しか聞くことができなかった。もっと常に随従して、あの法門を聞いておけばよかった」というような嘆声(たんせい)を漏らしておるところがあります。

 また、その 『玄義』等においては、天台の教説を書いておるのですけれども、そのなかには自分の意見を付加しておるところがあります。
それがここにある「章安大師云はく云云」という文であります。

 「天竺の大論尚其の類に非ず、震旦の人師何ぞ労はしく語るに及ばん」
−つまり、インドにおいて多くの大論師が出て、たくさんの論書をつくりました。
『摂大乗論』 『大智度論』そのほか様々な論がありますけれども、そのすべてが、天台の『玄義』 『文句』 『止観』等と比べれば全く肩を並べふことができないほど、天台の教えは勝れていると言うのであります。→

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日本大百科全書(ニッポニカ)「摂大乗論」の解説
摂大乗論
しょうだいじょうろん

仏教書。インド仏教瑜伽唯識(ゆがゆいしき)説の大成者無著(むじゃく)の代表的著作。サンスクリット原典は散逸したが、仏陀扇多(ぶっだせんた)、真諦(しんだい)、達摩笈多(だつまぎゅうた)、玄奘(げんじょう)による漢訳4本、さらにチベット訳が現存する。
大乗仏教の精髄を唯識説の立場から10章にまとめて示した論典。
中国では、玄奘訳以前に真諦訳がもっともよく流布し、これを中心に摂論(しょうろん)宗がおこった。
649年(貞観23)完了の玄奘訳が現れてからは、これが真諦訳にとってかわり、法相(ほっそう)宗ではもっとも基本的な典籍の一つとして盛んに研究された。

[袴谷憲昭]
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唯識(読み)ゆいしき
日本大百科全書(ニッポニカ)「唯識」の解説
唯識
ゆいしき

唯識とは、自己およびこの世界の諸事物はわれわれの認識の表象にすぎず、認識以外の事物の実在しないことをいう。
『十地経(じゅうじきょう)』に「この三界は心よりなるものにすぎない」といわれるようにである。
われわれに認識されている世界は自己の認識の内なるものであり、他方、自己の認識の外にあるものをわれわれは知ることができないのであるから、世界とは自己の認識の世界にほかならない。
インド仏教四大学派の一つである瑜伽行(ゆがぎょう)派(あるいは唯識学派。中国・日本では法相(ほっそう)宗とよばれる)はかかる主観的観念論哲学を説いた。
[梶山雄一]

『梶山雄一著『仏教における存在と知識』(1983・紀伊國屋書店)』
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日本大百科全書(ニッポニカ)「無著」の解説
無著
むじゃく

生没年不詳。4世紀後半から5世紀前半に活躍したインドの仏教学者。
瑜伽唯識(ゆがゆいしき)思想の大成者として著名。サンスクリット名をアサンガAsagaという。
ガンダーラのプルシャプラ(パキスタンのペシャワル)のバラモンの家柄に生まれ、部派仏教の一派(説一切有部(せついっさいうぶ)とも化地(けじ)部とも伝える)で出家、のち中インドのアヨーディヤーに至り大乗仏教に転向した。
伝説によれば、弥勒(みろく)(マイトレーヤ)菩薩(ぼさつ)から唯識の論典を学んだとされるが、その史実はともかく、彼が自分に先だつ瑜伽師(ゆがし)たちからこの系統の思想を継承したことは間違いない。
それを基盤に、従来の部派的解釈学をも踏襲しつつ、人間の深層意識に根ざす言語活動を分析し組織づけたところに、彼のインド仏教史上における重要な役割がある。
その代表作が『摂大乗論(しょうだいじょうろん)』と『阿毘達磨集論(あびだつまじゅうろん)』である。
彼の弟に、兄の説を継承発展させた世親(せしん)(バスバンドゥ)がおり、兄と並び称せられる。
二人に淵源(えんげん)する思想は、摂論(しょうろん)宗や法相(ほっそう)宗として中国にも伝えられた。

[袴谷憲昭 2016年12月12日]
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大智度論(読み)だいちどろん
日本大百科全書(ニッポニカ)「大智度論」の解説
大智度論
だいちどろん

仏教書。100巻。略して『智度論』『大論(だいろん)』などともいう。龍樹(りゅうじゅ)(ナーガールジュナ)の著書と伝えられ、鳩摩羅什(くまらじゅう)が漢訳した。著者については異論もあるが、漢訳の際かなり加筆改変されたと考えられる。『大品般若経(だいほんはんにゃきょう)』の一語一句に詳しい注釈を加え、そのなかに著者の思想を縦横に織り込んでいる。「序品(じょほん)」だけの注釈に34巻を費やし、以後は訳者の抄訳で、原本どおりに訳せば10倍余に達したであろうとの付記がある。漢訳のみで他に伝わらず、これに触れるテキストもインド、チベットにはない。引用文献は、原始仏教から当時の大乗仏教経典や仏教文学の全般にわたり、インドの諸思想にも達して、計百数十種に及ぶ。広く仏教の諸問題を述べるが、とくに空(くう)の思想、菩薩(ぼさつ)の実践、六波羅蜜(ろくはらみつ)などが詳しい。中国、日本で広く読まれ、その影響も大きい。

[三枝充悳]
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龍樹(読み)りゅうじゅ
日本大百科全書(ニッポニカ)「龍樹」の解説
龍樹
りゅうじゅ
(150―250ころ)

インドの最大の仏教学者。原名はナーガールジュナN?g?rjuna。南インドの出身。
当時のインド諸思想を学んだのち北インドに赴いて、仏教、とくに新興の大乗仏教思想に通暁して、その基礎づけを果たし、晩年は故郷に帰った。主著に『中論』『廻諍(えじょう)論』『大智度(だいちど)論』『十住毘婆沙(じゅうじゅうびばしゃ)論』『ラトナーバリー』その他がある。
『中論』において確立された空(くう)の思想は、彼以後のすべての仏教思想に最大の影響を与えている。
すなわち、実体(自性(じしょう))をたて、実体的な原理を想定しようとするあり方を、この書は徹底的に批判し去り、存在や運動や時間などを含むいっさいのものが、他との依存、相待、相関、相依の関係(縁起(えんぎ))のうえに初めて成立することを明らかにする。
そしてその相関関係は肯定的、否定的、矛盾的などさまざまな姿があり、いずれをとっても独立存在は不可得であって、空といわざるをえない。
その究極の絶対的立場(真諦(しんたい)・第一義諦)は、言語表現に基づく日常的な真理(俗諦・世俗諦)によりつつ、それを超越して、語られず、表現されえない。
空の立場からすれば、一方に偏ることがないから、それは中道ともいわれ、彼の学派は後世中観(ちゅうがん)派とよばれた。
後代のインド、チベット、中国、日本の大乗仏教のすべてから、龍樹はおのおのの「祖」として尊敬される。

[三枝充悳 2016年12月12日]
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→ いわんや「震旦の人師」すなわち中国における人師が色々と仏教の説を立て、語っておるけれども、その人師の説も、天台の法門法義と比べれば、わずらわしく勝劣・同異を語ることすら必要のないことであると言うのであります。

 「此誇耀に非ず法相の然らしむるのみ」

−これは、ことさらに天台の法門を誇大に考え、特に輝かしく讃歎するのではない。
自然の法相すなわち、おのずからなる説の内容において、天台の法門がたくまずして実に勝れておる所以であると、章安大師が言っておられるということであります。

そのことを挙げられて、天台の教観がいかに釈尊の教えを正しく判釈されておるかを、ここに讃歎されておるのであります。

 そして、この次の「墓無いかな」以下は、天台の法門がそれほど勝れた立派な教えであるにもかかわらず、天台の末学の人々は開祖である天台大師の精神を忘れはててしまったという、大聖人様のお言葉であります。

 「墓無いかな天台の末学等、華厳・真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて還って彼等が門家と成りぬ」

−この「華厳・真言の元祖」ということですが、華厳宗には澄観という人がおりまして、最初は天台の人だったのですけれども、のちに華厳のほうへ走った人であります。
この人は華厳宗の第四祖と言われておりますが、天台の教学に影響されながら、しかも華厳が勝れておるということを言ったことが非常に誤っているのであります。
つまり、ただ華厳の法門だけを説いておるならばともかく、天台の法門を盗み、華厳の教えに付けて華厳の法門を荘厳したということです。
それではまるで泥棒ではないかということで、そのために大聖人様がここに 「盗人」とおっしゃっているのであります。

 盗人は、何も世間の盗人だけではありません。
仏法にも存するのであります。
この仏法の盗人がたいへん質(たち)が悪いのです。
多くの人々を自然に悪道に堕とさしめ、地獄に堕とすのは、この仏法の盗人であります。
このけじめをつけていかなければならないということが、大聖人様の教えに厳として存するのであります。

 さて、華厳経で有名な文として「心如工画師」という文があります。
すなわち、
  「心は工みなる画師の種々の五陰を画くが如く一切世間の中に法として造らざること無し。心の如く仏も亦爾なり、仏の如く衆生も然なり、心と仏と及び衆生と是の三差別無し(中略)是くの如く観ずべし。心は諸の如来を造る」(御書五一七)
という文であります。
これは、先程申したとおり「心生」 の法門なのであり、心から仏も出れば衆生も出るということです。
迷いの衆生も出るけれども、また心が仏も生ずるのであって、ですから心から「造る」ということを説いておるわけです。
したがって 「具」ということは華厳経では言っていないのです。
この具わっておるということが説かれてあるとすれば、これは「心具」、の法門でありますが、「心は工みなる画師の種々の五陰を画くが如く」ということは、あくまで心から生じておると示しておるわけであります。
 それはあくまで、心から生ずるということにおいて仏があるということでありまして、華厳からは心に仏が具わるという法門は出てこないのであります。
つまり心と仏と衆生は差別なしと説き、円融の法門は示しておりますけれども、一般論であります。
つまり二乗が成仏できないのですから、二乗が成仏できなければ、どのようなものにも仏が具わっておるということは言えないのであります。
十界全部のところに仏が具わっておるということが完全に実証できなければ、心具の法門は成り立たないのであり、そこが法華経との大きな違いであります。

 ところが澄観という人は、天台の十界互具一念三千を見て、華厳経の解釈にこの心具の法門を取り入れたのです。
「性善・性悪」と言いまして、いかなる悪人乃至地獄、餓鬼、畜生等のなかにも仏界が具わるという十界互具の法門を説いたということは、華厳には本来ないところの天台の法門、すなわち法華経の意義を盗み、強いてそこに取り入れることによって華厳の法門を立てたのであります。

 しかし、この澄観は具の法門を盗んだために、その真実の意味がよく解らず、木石等の無情には仏性が具わらないと言って、その一知半解の馬脚を露わしました。→

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いっちはんかい
【一知半解】
《名ノナ》なまかじりで、知識が十分に自分のものになっていないこと。半可通。
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→ 具を言うならば必ず、無情仏性は肯定されねばならないのです。→

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(例 髪・爪んどは非情 衆生が成仏できるのに髪・爪が成仏できないはずがない。→非情も成仏できる
有情は非情によって支えられている。例 空気(非情)を呼吸して生きている。草木を食して生きている。など 有情と非情には明確な境界線がない。)
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208

→ そこで天台第六祖の妙楽大師が『金「金+卑」べい論』を著し、この偏義(※澄観の「非情には仏性がない。」との義)を徹底して破折されております。→

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金?論5こんぺいろん こんべいろん
一巻。唐・妙楽大師湛然著。正しくは金剛といい、また金剛論・金?ともいう。
金剛?の名は涅槃経巻八如来性品第十二の文から名づけたもの。
金剛?は本来盲人を治すメスのような器具であるところから、迷妄の衆生の眼を開く意をもつ。
天台没後、華厳・唯識・禅の隆盛の陰になり振るわなかった天台法華宗を再興するために著わした書で、華厳宗の非情に仏性なしとする説に対して、草木(非情)成仏の義を論じ、唯識の五性各別の説に対して一切衆生皆成仏道を主張したもの。
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五性各別
ごしょうかくべつ

法相宗の術語。
五性とは,菩薩定性,縁覚定性,声聞定性,不定性,無性の5つである。
これらのうち,前3者は,それぞれ,仏果,辟支仏 (びゃくしぶつ) 果,阿羅漢果を得ることが定まっているものである。
第4はそれが決っていないもの,第5は永遠に迷界に沈んでいるものとする。
無始以来,生物 (有情) の第八識のなかに5種類の種子が存するので,この5つの区別が成立するという。
この見解は,あらゆるものが成仏するとする天台宗と対立している。
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→ また「真言」というのは、インドから善無畏三蔵、金剛智三蔵等の人がまいりまして、特に善無畏三蔵という人は大変な証惑を行ったのであります。→

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金剛智(読み)こんごうち
日本大百科全書(ニッポニカ)「金剛智」の解説
金剛智
こんごうち
(671―741)

インドの僧。中インドの王子とも、南インド、マウルヤ国のバラモンの出身ともいわれる。
10歳でナーランダ寺で出家し、ここで大乗仏教の論書『般若燈論(はんにゃとうろん)』『百論』『十二門論』『瑜伽(ゆが)論』『唯識(ゆいしき)論』『辨中辺(べんちゅうへん)論』を学んだ。
さらに南インドで『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』系の密教を修め、インド、スリランカなどを巡ったのち、航路で中国に行き、720年(開元8)洛陽(らくよう)に入った。
玄宗の庇護(ひご)のもと、洛陽と長安にあって、723年から約20年間に『金剛頂瑜伽中略出念誦(りゃくしゅつねんじゅ)経』4巻をはじめ、おもに『金剛頂経』系統の経典、儀軌(ぎき)を翻訳した。
『金剛頂経』などのインド密教中期の密教経典を次々に紹介したことは、善無畏(ぜんむい)による『大日(だいにち)経』の翻訳とともに、中国密教確立の端緒となった。
のち、弟子の不空(ふくう)の奏請により、大弘教三蔵(だいぐきょうさんぞう)の諡号(しごう)を賜る。
真言宗付法の第五祖。『大日経』系の善無畏と、『金剛頂経』系の金剛智との間に交渉があったといわれるが、不明である。

[小野塚幾澄 2016年11月18日]
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→ すなわち、善無畏は密教の経典をインドから持ってきましたが、中国においては既に天台大師の教えが弘まっており、その法華経による教説が実に勝れておるということを多くの人が知っておりました。
したがって、このままでは密教が弘まらないので、なんとかして天台の教えをたたき落として自分の教えを弘めなければならないと考え、善無畏は天台の法門たる法華経の意義をうまく盗んで、密教の義を立てようと謀(はか)ったのでありますが、その時に利用されたのが一行阿闇梨という人であります。
この人も天台の学者でありましたが、その一行とうまく語り合い、法華の正義を盗んで真言の教えに付けてしまったのであります。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
一行
683年 - 727年
諡号 大慧禅師
生地 ?州鉅鹿県
宗派 真言宗
寺院 天台山国清寺
師 普寂、恵真、善無畏、金剛智
著作 『開元大衍暦』

一行(いちぎょう、いっこう、諡号:大慧禅師、弘道元年(683年) - 開元15年10月8日(727年11月25日)[1])は、中国の唐代の僧であり、天文学者でもある。
683年に?州鉅鹿県に生まれる。
禅・律・天台教学・密教・天文学・暦学を学び、善無畏と共に『大毘盧遮那成仏神変加持経』7巻を翻訳し、内容を『大日経疏』20巻としてまとめた。
善無畏・金剛智から密教を学んだ。
真言八祖(伝持の八祖)の一人。

また、それまで使用されていた麟徳暦が日食予報に不備があるため、梁令?と共に黄道游儀や水運渾象(水力式天球儀)を作成して天体観測を行い、更に南宮説と共に北は鉄勒から南は交州に至る大規模な子午線測量を行って、緯度差1度に相当する子午線弧長が351里80歩(約123.7km)という結果を算出し、それらの観測結果に基づいて『開元大衍暦』52巻を作成した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

→ それは、大日経に、大日如来の本地境界として、
  「実の如く自心を知る」 (同五六〇)
という有名な文があるのです。
それが実は妙法蓮華経如来寿量品の一番深いところの境界を説いたものであると言うのです。
つまり
「大日経に説いてある大日如来の境界が一番根本であって、それを釈尊が顕教において、ただ寿量品等に説いたに過ぎない。故に法華経の元は大日経にある」
というようなことを勝手に言い出したのであります。

しかしながら「無文無義」と言いまして、文がなくとも義があるのならばまだともかくとして、文もなければ義もない−大日経のどこにも、一念三千の意義もなければ、二乗作仏も久遠実成もないのです。
それを、そういう文を持ってきて強いてたぶらかし、法華経の実相の法門が大日経にあることを強弁したのであります。

 これは理の法門ですから、一般的な人々にはその誑惑がちょっと解りにくいのです。
したがって、理論的に深い内容はここに具わっておるということだけを巧みに述べ、それに付けて、さらに印と真言の二が、顕教たる法華にはなく、密教にのみあると誇張したのです。→

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
顕教(けんきょう、けんぎょう)とは、仏教の中で、秘密にせず、公然に(明らかに)説かれた教えのこと。
密教の反対語(対義語)。真言宗の開祖である空海が、密教が勝れているという優位性の観点から分類した教相判釈の一つである。

空海は、顕教と密教を次のように区別した。

顕教
衆生を教化するために姿を示現した釈迦如来が、秘密にすることなく明らかに説き顕した教え。

密教
真理そのものの姿で容易に現れない大日如来が説いた教えで、その奥深い教えである故に容易に明らかにできない秘密の教え。
空海の解釈では、経典をそれぞれ次のように位置づけた。

顕教の経典 - 『華厳経』・『法華経』・『般若経』(一部を除く)・『涅槃経』など。
密教の経典 - 『大日経』・『金剛頂経』・『理趣経』など。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

→ これは形に現れていることですから、だれにでも解りやすいため、法華経の義理は全部、大日経にあり、さらに大日経は法華経に勝ると述べたのであります。

 こういうことは、仏教の内容を詳しく勉強した人でないとなかなか解らないのです。
しかし、大聖人様はそこを御覧になって、鋭く一切の誤りの元を指摘あそばされました。
「この誑惑が解らないと、真言等の悪法によって一切衆生が地獄に堕ちてしまう。
したがって、将来にわたって衆生を救っていく上においても、正法正義を顕し、この狐義を破折しなければならない」という御心であります。

 そういう邪義のなかで、真言では身・口・意の三密相応の教えを言います。
つまり、身に印を結び、口に真言を誦し、そして意に本尊を観念するのです。
そのうちで、まず口の真言には種類がたくさんありまして、専門的にいくら毎日毎日やっても、とても覚えきれないぐらい、たくさんの種類が真言として示されてあります。
印も様々な印相を真言教のなかで作り上げました。
それらもこれらも、あまりたくさんあり過ぎて、到底、一般人が行えるものではありません。

 そこへ行くと、大聖人様の教えは有り難いです。
南無妙法蓮華経ならばだれでも覚えられ、だれでも唱えられます。
しかも、そのなかに仏の最高にして一切処に遍する悟りと、教えの意義・内容がことごとく込められてあるわけであります。

ところが真言の呪文は、たくさんありますけれども、どれが本物か真実か判りません。
それでいて、たくさんあるものを口に誦するから真言が勝れているのだと言うのであります。

 それから身密における印相は、これがまたたくさんあるのですが、しかしそれらの一つひとつにそれぞれ分々の意義はあっても、根本・中心の法義に背くから、ことごとく邪印となるのであります。

もし印相を言うのならば、どのようなものも全部含んでおるのが、いわゆる合掌印であります。
本宗におけるこの合掌印さえしておれば、いかに真言において様々な印相がたくさんあっても、全部このなかに入っておるのであります。
ですから釈尊は法華経において、
 「無量の衆に尊まれて 別に実相の印を説く」 (法華経一一一)と説かれております。
この「実相の印」とは何かといえば、五指を合わせて仏様に向かう合掌印であります。
これが一切の印の根本であり、すべてなのであります。
真言では実に多くの印を結びますけれども、全部まやかしに過ぎません。

 しかるに日本天台において、そういう印や真言があるから法華経よりも真言のほうが勝れているという説にたぶらかされたのが、天台宗の、しかも伝教大師の直系であるところの慈覚・智証等の人でありまして、それらの人々が「理同事勝」ということを言い出したのであります。
実に自立廃忘の罪、これに過ぎたるはありません。

 同じ密教でも、弘法大師のほうの密教は「東密」と言い、天台の密教を「台密」と言いまして、両者は立て方が違います。
弘法大師は、事すなわち印・真言のみでなく、理も法華経より大日経が勝れておるという、まことに仏説違背の邪義を言うのです。
しかしながら、釈尊は自ら、
  「我が所説の経典、無量千万億にして、己に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も為れ難信難解なり」 (同三二五)
とおっしゃっておるのであります。→

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この経文について、文に囚われ義が読めない邪難者は、「難信難解」であって「最第一」とは書いてないではないか。と問難してくる。
以下既に破折してあるので参考にしてください。
http://toyoda.tv/hokke1.nehan2..2.htm
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→ それを弘法は勝手に、大日経第一、華厳経第二で、法華経は第三番目だと言います。
釈尊の明説に全く背いて、自分勝手に三番目だと言い、それに加えて印と真言があるから、なお勝れておるのだというのが弘法大師の東密で立てる邪義であります。

 しかし、慈覚大師とか智証大師という人は元々天台宗の人達であり、弘法や善無畏の真言密教に魂を打ち抜かれて誤ったことを言い出したのですが、さすがに理においても法華経より大日経のほうが勝れておるとは言いませんでした。→

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円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。
慈覚大師(じかくだいし)ともいう。
入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれで出自は壬生氏。
伝教大師の直弟子。
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円珍(えんちん、弘仁5年3月15日(814年4月8日)- 寛平3年10月29日(891年12月4日))は、平安時代の天台宗の僧。
天台寺門宗(寺門派)の宗祖。
諡号は智証大師(智證大師、ちしょうだいし)。
入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。

法号は「南無大師智慧金剛(なむだいしちえこんごう)」である。

概説
弘仁5年(814年)讃岐国(香川県)金倉郷に誕生。
多度郡弘田郷の豪族・佐伯一門のひとり。俗姓は和気。字は遠塵。
空海(弘法大師)の甥(もしくは姪の息子)にあたる。
生誕地は善通寺から4kmほどのところ。
幼少から経典になじみ、15歳(数え年、以下同)で比叡山に登り義真に師事、12年間の籠山行に入る。

承和12年(845年)役(えんの)行者の後を慕い、大峯山・葛城山・熊野三山を巡礼し、修験道の発展に寄与する。
承和13年(846年)延暦寺の学頭となる。
仁寿3年(853年)新羅商人の船で入唐、途中で暴風に遭って台湾に漂着した。

天安2年(858年)唐商人の船で帰国。
帰国後しばらく金倉寺に住み、寺の整備を行っていた模様。
その後、比叡山の山王院に住し、貞観10年(868年)延暦寺第5代座主となる。
これに先立つ貞観元年(859年)に園城寺長吏(別当)に補任され、同寺を伝法灌頂の道場とした。
後に、比叡山を山門派が占拠したため、園城寺は寺門派の拠点となる。

寛平3年(891年)入寂、享年78歳。
三井寺には、円珍が感得したとされる「黄不動」「新羅明神像」等の美術品の他、円珍の手による文書が他数残されており、日本美術史上も注目される。

著作
著作は90を数え、円珍の教えを知る著作である「法華論記」「授決集」の他、自身の書いた入唐旅行記の「行歴抄」など著名である。
『智証大師全集』全3巻がある。
「行歴抄」では、円載との確執が描写されている[1]。
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→ つまり法華経と大日経は、理においては同じだと言ったのです。→

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大日経(読み)だいにちきょう
日本大百科全書(ニッポニカ)「大日経」の解説
大日経
だいにちきょう

仏教経典。『大毘盧遮那(だいびるしゃな)成仏神変加持経(じょうぶっしんぺんかじきょう)』の略称。
漢訳およびチベット訳だけが現存し、サンスクリット原典は失われている。
漢訳は善無畏(ぜんむい)と一行(いちぎょう)の共訳(725)で七巻、36品(ほん)(章)からなる。
チベット訳は、インド僧シーレンドラボーディとチベット訳官バンデ・ペルツェクによって、750年から760年の間に七巻、29品に訳されているが、漢訳の「供養(くよう)品」は含まれていない。
『大日経』がインドのどこで成立したかについての確答は得られていない。
アフガニスタンのカーピシャ(迦畢試国)、中インドのナーランダ、西南インドのラーター(羅荼国)、北インドのカシミールなどの諸説がある。
また、いつ成立したかについても新古種々の説があり、もっとも古くみる説では500年ごろという説もあるが、やや古きにすぎ、7世紀の中ごろとみる説がもっとも難がない。

 7世紀以後の、独立した性格を有するに至った密教を、中国・日本の密教家が「純密(じゅんみつ)」と称し、それ以前に成立した密教を「雑密(ぞうみつ)」と区別する。
この純密、すなわち正純なる密教の重要なる経典の一つが『大日経』である。
『大日経』は真言(しんごん)宗の三部秘経の一つとされ、『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』とあわせて「両部の大経」といわれる。
『大日経』の展開する仏の世界は「胎蔵界」というが、これは、この経典の示す世界を図式化した曼荼羅(まんだら)が「蓮華胎蔵生(れんげたいぞうしょう)曼荼羅」とよばれるためである。
経の内容は、大毘盧遮那仏(大日如来(にょらい))が秘密主の問いに答えて、秘密真言の心と表現(方便)と実践(大悲)とを説いたものであり、経の大部分は実践のための儀式の細則で、これを胎蔵法と称する。

[金岡秀友]
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→ これも誤りで、大日経は法華経より七重の劣であり、絶対に大日経のほうが劣っているのですが、これを同じと言い、ただ印と真言があるのは大日経であるから、それに関しては大日経のほうが勝れていると言いました。→

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真言天台勝劣事

答う真言は七重の劣と云う事珍しき義なりと驚かるるは理(ことわり)なり、

所以に法師品に云く「已(すで)に説き今説き当(まさ)に説かん而も其の中に於て此の法華経は最も為(こ)れ難信難解(なんしんなんげ)なり」云云、又云く「諸経の中に於て最も其の上(かみ)に在り」云云、此の文の心は法華は一切経の中に勝(すぐ)れたり此其一。

 次に無量義経に云く「次に方等十二部経摩訶般若華厳海空を説く」云云、又云く「真実甚深(じんじん)甚深甚深なり」云云、此の文の心は無量義経は諸経の中に勝れて甚深の中にも猶甚深なり然れども法華の序分にして機もいまだなま(不熟)しき故に正説の法華には劣るなり此其二。

 次に涅槃経の九に云く「是の経の世に出ずるは彼の果実の利益する所多く一切を安楽ならしむるが如く能(よ)く衆生をして仏性を見せしむ、法華の中の八千の声聞記?(きべつ)を得授するが如く大果実を成じ秋収冬蔵(しゅうしゅうとうぞう)して更に所作無きが如し」云云、籤(せん)の一に云く「一家の義意謂(おもえら)く二部同味なれども然も涅槃尚劣る」云云、此の文の心は涅槃経も醍醐味・法華経も醍醐味同じ醍醐味なれども涅槃経は尚劣るなり法華経は勝(すぐ)れたりと云へり、涅槃経は既に法華の序分の無量義経よりも劣り醍醐味なるが故に華厳経には勝たり此其三。

 次に華厳経は最初頓説(とんせつ)なるが故に般若には勝れ涅槃経の醍醐味には劣れり此其四。

 次に蘇悉地経に云く「猶成ぜざらん者は或は復(また)大般若経を転読すること七遍」云云、此の文の心は大般若経は華厳経には劣り蘇悉地経には勝ると見えたり此其五。

 次に蘇悉地経に云く「三部の中に於て此の経を王と為す」云云、此の文の心は蘇悉地経は大般若経には劣り大日経金剛頂経には勝ると見えたり此其六。

 此の義を以て大日経は法華経より七重の劣とは申すなり

法華の本門に望むれば八重の劣とも申すなり。
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遣唐の疑問に禅林寺の広修(こうしゅう)(七七一年〜八四三年)・国清寺の維?(ゆいけん)の決判(けっぱん)分明に方等部の摂(せつ)と云うなり。(真言見聞 文永九年七月 五一歳)
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→ ですから、理は同じで、事は印とか真言のように諸仏の悟りが具体的に形に現れた面において勝れておると考え、理同事勝を主張したのです。
これは天台の一念三千が真言にもあるということを承伏したことになり、大聖人様が「墓無いかな天台の末学等云云」と言われたのはその意味でありまして、かかることによって天台の門下が真言家に下り、「彼等が門家」となってしまったと嘆かれております。

 そこで次に、この嘆きの例証を挙げられます。
すなわち、章安大師はかねてこのことを知って嘆かれるには 「斯の言若し墜ちなば将来悲しむべし」と言われているということであります。
この文面から言いますと、章安大師が将来において誤った仏教家が出て法華経の真義を説いた天台の 『玄義』 『文句』 『止観』 等の教えの内容を土泥に踏みにじるようなことをするならば、釈尊の本意が失われて、衆生を導くためにも実に悲しむべきであると予言されたように、大聖人様は本来の正しい仏教の正統を誇るべき天台宗の人々が、真言宗の人々によってその教えを盗み取られて、その元に誑惑のあることが解らずに真言の門家となるようなことになってしまったということを、章安の文によって例証されておるのであります。

 しかしながら、こういう者達が勝手に仏教を盗んで一念三千の重宝を自分のものとしておるということも、末法に至って宗祖大聖人様が御出現あそばされて初めて、その根本的な邪義がどこにあるかを明らかに指摘せられ、破折せられました。
それが大聖人様の格言として「真言亡国」となり、あるいは「念仏無間」等となって、仏法の邪正がはっきりと示されておる次第であります。

 我々は、大聖人様の正しい御本尊を受持信仰していくことが根本ではありますけれども、その信念において、邪宗邪義にたぶらかされてはならないということ、また縁あれば邪宗邪義にたぶらかされておる人々を、たとえ一人でも目を見開かせていくという発意が非常に大事であります。
それがまた、自行とともに化他、すなわち折伏行の内容に通じていく次第であります。

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216

 問うて曰く、百界千如と一念三千と差別如何。答へて曰く、百界千如は有情(うじょう)界に限り、一念三千は情非情に亘(わた)る。不審して云はく、非情に十如是亘らば草木に心有って有情の如く成仏を為すべきや如何。答へて曰く、此の事難信難解(なんしんなんげ)なり。天台の難信難解に二有り、一には教門(きょうもん)の難信難解、二には観門(かんもん)の難信難解なり。其(そ)の教門の難信難解とは、一仏の所説(しょせつ)に於て爾前(にぜん)の諸経には、二乗(にじょう)・闡提(せんだい)は未来に永く成仏せず、教主釈尊は始めて正覚(しょうがく)を成じ、法華経迹本二門に来至して彼の二説を壊(やぶ)る。一仏二言水火なり、誰人か之(これ)を信ぜん。此は教門の難信難解なり。観門の難信難解とは百界千如一念三千にして、非情の上の色心(しきしん)の二法の十如是是(これ)なり。爾(しか)りと雖も木画(もくえ)の二像に於ては、外典内典共に之を許して本尊と為す、其の義に於ては天台一家より出でたり。草木の上に色心の因果を置かずんば、木画の像を本尊に恃(たの)み奉(たてまつ)ること無益(むやく)なり。疑って云はく、草木国土の上の十如是の因果の二法は何(いず)れの文に出でたるや。答へて曰く、止観第五に云はく「国土世間亦(また)十種の法を具す。所以(いわゆる)悪国土、相・性・体・力」等云云。釈籤(しゃくせん)第六に云はく「相は唯(ただ)色(しき)に在り、性は唯(ただ)心(しん)に在り、体・力・作・縁は義色心(ぎしんしき)を兼ね、因果は唯心、報は唯色に在り」等云云。金c論(こんべいろん)に云はく「乃(すなわ)ち是(これ)一草・一木・一礫(りゃく)・一塵(じん)・各(おのおの)一仏性・各一因果あり縁了(えんりょう)を具足す」等云云。

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 前と重複しますが、右に挙げた文の科段について簡略に申し述べます。
 当『観心本尊抄』 の冒頭より、
大段の第一、「一念三千の出処を示す」ところに入り、これに
「正しく示す」文と
「一念三千の情・非情に亘ることを明かす」
文とがありますが、右掲出の御文の全文が後者に当たります。

 これに二義があり、
初めの「問うて曰く、百界千如と一念三千と差別如何。答ヘて曰く、百界千如は有情界に限り、一念三千は情非情に亘る」
の文は、通じて百界千如と一念三千の不同を明かされ、

続く「不審して云はく」
以下は、別して非情に十如是が具わることを明かされます。

 さらに、これに問いと答えがあり、答えが三つに分けられます。
初めにこのことは難信難解であることを明かされ、
二に、その道理を立てられ、
三に『止観』 『釈籤』と『金?論』 の三文を引いて文証とされています。

また、初めの難信難解を明かす文では、教門と観門という二筋の難信難解を示されて、丁寧に指南あそばされています。

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 問うて曰く、百界千如と一念三千と差別如何。答へて曰く、百界千如は有情(うじょう)界に限り、一念三千は情非情に亘(わた)る。

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 この御文の所は、一念三千ということと、それより前に講じられた、『玄義』『文句』等で説かれた百界千如との違いはどこにあるかということをまず質問され、そこから百界千如と一念三千との違いがどういうことであるかを説かれてくるのであります。

これは「一念三千の出処を示す」という意義における初めからの文のなかの最後の括りとして、一念三千は有情のみでなく、実は非情の一切にもわたるということを明かされるのが、その趣旨であります。

 「有情」というのは感情の有るものを言い、「非情」というのは感情のないものを言うわけです。

つまり有情は人間や動物その他、感覚と感情を持っておるものを言うのです。
例えば、痛いという感覚があります。
生き物であれば痛いということがあり、身体を傷つけられれば痛いと感じます。
それは、人間のように特別な言葉を持っていない動物であってもそういう感覚はあり、これらは皆、有情のうちへ入るのであります。

 ところが、そういうものを全く感じないものがあります。
石だとか草木等は一往、そういう痛さを感じないと思われます。
実際には、草木は少しは感じているのかも知れませんが、一往、どちらかといえば感じないほうに入ります。
それを非情と言うのであります。

 さて、百界千如という法門はどこから出てきておるかといいますと、法華経の方便品に、
  「所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究尭等」 (法華経八九n)
という十如実相が説かれてありまして、諸法実相とはすなわち十如是であることが示されております。

 ところで、法華経と爾前経とでは、その説かれる内容において大きく違うことがあります。
それは二乗が成仏を許されることが法華経に初めて説かれており、方便品からあとの品に記別として、そのことが示されてまいります。
それがあって初めて、二乗のなかに仏の命が具わっておることがはっきりするのです。

したがって、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏という十界が宇宙法界のなかの、ある生命の代表的な形として華厳経その他で釈尊が示されておりますが、法華経ではその十界のそれぞれにまた十界が具わるということがはっきりするのでありまして、これがたいへん大事なことなのであります。

 爾前経では、二乗に仏様が具わっていないわけです。
したがって、二乗は永久に成仏できないとされております。
二乗が成仏できなければ今度は、菩薩はどうかといいますと、菩薩には逆に二乗が具わっていますから、成仏できない命が自分の心のなかに具わっておるということになれば、結局、その菩薩も仏に成れないことになるのであります。
ですから十界不具足となります。

 ところが、方便品その他、迹門正宗八品において声聞・縁覚の二乗の成仏が示されたのでありますから、そこで初めて十界にそれぞれ十界が具わるということがきちんと決まってきたわけであり、それが十界互具という法門であります。

ですから、
  「一念三千は十界互具よりことはじまれり」 (御書五二六)
ということを大聖人様が『開目抄』 のなかで御指南のように、一念三千という大事な法門も、その元は十界互具から始まるのであります。

 さて、十界が互具して百界となり、それに方便品の十如実相が具わるのであります。

この十如というのは、如是相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等という、一切万物の存在・活動の法則であります。

逆に事物の存在・活動の法則としてどういうものがあるかと言いますと、この十如を挙げれば、そのなかに全部が収まっております。

 それらが十界互具の生命のなかにことごとく具わるという法門は、千如となります。
十界互具して百界、その百界の一つひとつに十如が具わるのですから、百界に十如是を掛け合わせれば千如是となるのであります。

 しかし、これらは有情と言い、人間のように情があるものについて一念を談じ、心があるからその心に十界が具わり、その十界に十界が具わって百界となり、その百界にまた十如が具わるという千如の法門が説かれることにより、一念に即、千如という無礙自在、不可思議な用きがあるということが、衆生のなかの理法として説かれておるのです。
それが諸法実相なのであります。

 しかしながら、一念三千ということと百界千如ということとは、どこに差別があるのかといいますと、ここに
「答へて曰く、百界千如は有情界に限り、一念三千は情非情に亘る」のであるとお示しであります。

ここに初めて、有情の法則のみならず、非情もまた法の上の意義や用きを持っておるのであり、それらを全部含めて、その法の内容を示す言葉が一念三千であるということであります。

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222

不審して云はく、非情に十如是亘らば草木に心有って有情の如く成仏を為すべきや如何。答へて曰く、此の事難信難解(なんしんなんげ)なり。天台の難信難解に二有り、一には教門(きょうもん)の難信難解、二には観門(かんもん)の難信難解なり。

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 そこで、その答えを聞いた問者は「これはまことにいぶかしいことだ」と考え、再度、質問するのであります。
つまり、もし非情にも十如是があるということになりますと、非情にも心があるということになるのです。
なぜ、十如是が具わると心があるということになるのかということが解らない人もあるかも知れませんが、これは考えてみれば、たいへん解りいいことであります。

 だいたい、十如是ということは色心の二法なのであります。
十如是の最初の三つは相・性・体であります。

 その「相」というのは外形から見て分かつべきものを言います。
ある物を見て、これは人間、動物、草木、石塊(いしころ)というように分別できるのは、それぞれが違った相を持っておるからです。

同じ人間でも、一人ひとり顔が違っておりますので、違いが識別できます。
全部が差別の世の中であり、そのように外形から見て分かつべきものを相と言います。

本日拝読いたした御文の最後のほうに、
  「相は唯色に在り」 (同六四五)
という『釈籤』の文を引かれておりますが、これは物質的な形において、その相を分かつことができるということであります。

 また「性」というのはその物の性質であり、したがって、それは心であります。
結局、心の具わった形、乃至心の基本形が性というものなのです。
ですから、昔からあらゆる事物のなかに深く入っていて変わらないものは何かといいますと、これは心の基本をなすところの性なのです。
故に、
  「性は唯心に在り」 (同n)
と説かれております。

万物は、この色心の二法において存在します。
この色心互具の上から諸法を見ると、そこに 「体」が見出だされるのです。
すなわち、あとの引文に、
  「体・力・作・縁は義、色心を兼ね」 (同)
とある如くであり、これは万物の存在の真理を道破した言であります。

 人は皆、心というものを持っております。
衆生だから心があるということが解りますが、衆生以外の非情のものには感情がありません。
しかし、こういうものにも心があるのかというのが、この質問の内容であります。

 ところで、ここに「草木」をもって非情を代表されているところに、また大聖人様の深い御指南が拝せられます。

すなわち「草木に心有って有情の如く成仏を為すべきや」−草や木というものには心がないように思われるけれども、はたして本当に心があるのか、また、心があって有情のように仏に成るのか、という質問であります。

 この 『観心本尊抄』 の一番最初の文に、
  「夫一心に十法界を具す(中略)若し心無くんば己みなん。介爾も心有れば即ち三千を具す」 (同六四四)
という一念三千の法門をお示しであります。
これは「心がなければだめであろうが、『介爾』 の心、本当にわずかでも心があれば、その心に宛然(えんねん=日顕上人・既にある事物が存在しておるとともに、それが同じ様で変わらない)として三千を具える」ということが言われますが、はたして草木に心が本来、あるのかないのか、ということが問題であります。
                             
 その質問に答えられて「答へて曰く、此の事難信難解なり」−このことはまことに信じ難く、解し難いことであると言われます。

しかし、この難信難解とは仏様と衆生との、どちらの立場から難信難解なのかというと、これは仏様の立場からの難信難解ではないのです。

仏様は宇宙法界の実相のすべてを了々としてお悟りあそばされているわけですから、これは難信難解ではありません。

 ところが、衆生は迷っております。
迷いは何によるかと言いますと、煩悩という真理を正しく見るための妨げとなる障りがあります。
あるいは業障、報障というような障りもあります。

つまり自己の煩悩による障り、それから過去から自分で作ってきた色々な業によるところの生命の濁り等によるところの障り、それから報障という、二生、三生前からの悪縁によって自己を正しい道から妨げるような用きがあります。
そういう煩悩障、業障、報障等の障りがあるために、本当の正しい教えを知るための障害となり、信じ難い意味があるのです。
故に衆生において、まことに難信難解であると言われるのであります。

 次の「天台の難信難解に二有り、一には教門の難信難解、二には観門の難信難解なり」 
の文は、その難信難解を釈されるのであり、一には教門の難信難解、二には観門の難信難解と、二つを挙げられます。

 まず「教門」というのは教えのことで、仏様が衆生を導くために法を説かれるその内容が教であり、すなわち衆生を導くための言葉が教であります。

 その教の「門」ということは、教えも色々多くありますが、その理由は、衆生の迷いの考え方がすべて違っておるからであります。

ある人は金持ちになりたい、ある人は名誉がほしい、ある人は迷うことのない悟りがほしいというように、人によって性欲が不同であります。
ですから、それに応じて説くところの法門が無慮無数の広がりを持ってくるのです。

 そういう意味で、教えにはたくさんの門があるのです。
その教門のなかにおいて、非常に信じ難く解し難いことがあるということであります。

 二つには「観門」−すなわちこれは観心門でありまして、先程お話しいたしました修行の方法、実践の相を言うのであります。

「門」とは、やはり機根に応じて多くの修行があり、それらを総括して門と言うのです。

 例えば、まんじゅうを食べてみてその味が判るのと同じように、実際に仏様の教えを実践して初めて、そこに自らの身体に即し、生命に即して、仏様の功徳利益を感ずるのであります。

そういう意味で、実際の修行の諸相が観門、すなわち観心門であり、そこにも難信難解があると言われるのであります。

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其(そ)の教門の難信難解とは、一仏の所説(しょせつ)に於て爾前(にぜん)の諸経には、二乗(にじょう)・闡提(せんだい)は未来に永く成仏せず、教主釈尊は始めて正覚(しょうがく)を成ず、法華経迹本二門に来至して彼の二説を壊(やぶ)る。一仏二言水火なり、誰人か之(これ)を信ぜん。此は教門の難信難解なり。
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 この御文は、まず教門の難信難解についての御説明です。
正義を信じ難く、解し難くしているところの誤った執われの見解を、初めに二つ挙げられます。

 すなわち、その文は「一仏の所説に於て爾前の諸経には、二乗・闡提は未来に永く成仏せず」と 「教主釈尊は始めて正覚を成ず」 の二文です。

つまり初めのほうは、爾前諸経では二乗と闡提は未来永劫に成仏しないとしていること、あとのほうは、やはり爾前諸経では教主釈尊はこの土に生まれ、三十歳にして始めて仏と成ったことを定説としているとの意味です。

 さて、この初めのほうの文から、その意味について少々解説します。

 この二乗とは声聞と縁覚で、共に「自調自度」と言い、不幸になると思われる見・思の煩悩を自ら考え、探って、自分の煩悩だけを断尽する修行をするのであります。
それは本来、この二乗には衆生を導く考えがないからであります。→
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見惑 

⇒ 五利使  「使」とは、使役。
常に心を駆り立てられ、使役のように追い使われる迷い多き凡夫の姿を意味。

◆五利使の「利使」とは、正しい道理を理解すれば直ちに除くことができる鋭利な煩悩を表している。

@身見(我が身について「自我」に堅く執着する思想)
A辺見(自他の生命を死によって無に帰すと見る「断見」と、死後も霊魂等によって存続するという「常見」)
B邪見(因果の道理を否定する思想)
C見取見(1〜3に執われて自見を最も勝ると自負するもの)
D戒禁取見(原因でないものを原因と思い、正道でないものを正道と固執する外道の迷見)


⇒ 五鈍使 
◆「鈍使」とは、過ちに気づいても即時に消滅できる性質のものではないことを表わしている。

@貧(むさぼり)
A瞋(些細なことでも怒る)
B癡(道理を否定し理解しようとしない)
C慢(自分が他者よりも優れているという慢心)
D疑(疑い深く信じる気持ちが薄い)

◎ 今日の大衆の様々な思想的悪見はすべてこの見惑によって生じている

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思惑 ⇒ 本能的・感情的欲望 その体に貧・瞋・癡・慢の四つがある。
これは三界(欲界・色 界・無色界)の迷界中の個性にそれぞれ八十一品という形で存在している。
殺生・偸盗・邪淫等による種々の犯罪は、概ねこの煩悩に基づいている。
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→ 結局、二乗の修行の運命はそのまま決まっており、永い煩悩断尽の修行の結果、阿羅漢になることはできますが、そこまでであって、それより上の仏様の悟りを開くことはできないというのであります。
そのことが、法華経以前の諸大乗経において確定しておるのです。

 それから「闡提」とは一闡提と言い、「断善根」または「信不具足」と訳します。

一闡提というのは本当に悪い人間のことで、信不具足とは因果の道理を信じない者を言うのです。
例えば、悪いことをしても「悪い結果などは、来る者もあれば、来ない者もある。来るのは運が悪いのだ。運さえよければ、どのような悪いことをしてもかまわない。
それでうまくいくならば、悪いこともよいのだ」というような考え方を持った人間が、今の世の中にはたくさんおります。これが一闡提の考えなのであります。

悪因によっては必ず悪果が来る、善因によっては必ず善果が来るというのが因果の法則であり、鉄則であります。
仏教の教えもこれが基本です。
その因果を否定し、必要に応じ悪事を肯定する考え方では、世の中も乱れ、その人の行為・行動も乱れて、必ず不幸になります。
そういうのを一闡提と言います。

 この一闡提も二乗と同じように永く成仏できないと、爾前経ではなっております。
それに対し、そういう者も成仏の種を与えれば必ず仏に成ることを示され、救えないものは一切ないということを具体的な化導の上に示し、教えを垂れられたのがこの法華経であります。

 二乗闡提・永不成仏の諸経の定則を破ったのは何かと言いますと、法華経の方便品以下の迹門正宗分の八品等であります。
すなわち方便品・譬喩品・信解品・薬草喩品・授記品・化城喩品・五百弟子受記品・授学無学人記品の八品において、諸法実相の法門を法・譬・因の三周として上・中・下根の声聞に示し、その領解によってすべてに成仏の記別が与えられました。
すなわち二乗作仏の確定です。→

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上根には直ちに教法を説いて示すので法説周といい、

中根には譬喩をもって示すので譬説周といい、

下根には釈尊と衆生との化導の因縁を説いて示すので因縁説周といいます。

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三周

法説周  教法を聞いて直ちに悟る
譬説周  譬喩を聞いて悟る
因縁説周 因縁を示されて悟る
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@最初に、方便品第2の開三顕一の法理を聞いて、智慧第一といわれる舎利弗が法門を理解し、譬喩品第3において華光如来という記別を受けた。
A中根の声聞は、その法理を聞いても理解することができなかったため、釈尊は譬喩品の三車火宅の譬えをもって説き明かした。この譬喩説を聞いて理解したのが神通第一といわれた目?連[もっけんれん]、頭陀第一の迦葉、論議第一といわれた迦旃延[かせんねん]、解空第一の須菩提[しゅぼだい]の四大声聞であり、授記品第6で記別を受けた。
Bそれでもまだ理解できなかった下根の声聞は、化城喩品第7の三千塵点劫以来の因縁を聞いて初めて理解することができた。これが富楼那[ふるな]や阿難、羅?羅[らごら]などの弟子である。下根の声聞は五百弟子受記品第8・授学無学人記品第9において記別が与えられた。
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→ さて次に、迹門の流通分に至って提婆達多の成仏が説かれました。
 実は提婆達多は、法華経の会座には初めからいないのです。
法華経の序品において、法華経に集まった菩薩や声聞、在家の阿闍世王一族なども全部書かれておりますが、提婆達多の名前はありません。
つまり提婆達多はそれ以前に、三逆罪を犯した罪によって、大地が割れて地獄に堕ちてしまっており、この世にはいなかったのであります。→

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提婆達多 三逆罪 破和合僧 出仏身血 殺阿羅漢
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→ しかし、釈尊の大慈大悲は、この提婆達多品において、 
 「提婆達多、却(さ)って後、無量劫を過ぎて、当に成仏することを得べし。号を天王如来・応供・正遍知(中略)仏世尊と曰わん」 (法華経三六〇)
という成仏の記別を与えられたのであり、ここに三逆罪、五逆罪等の一闡提の悪人も成仏するという現証がはっきりと顕れたのであります。

 このように、二乗の成仏と一闡提の成仏が、法華経によって確定しました。
これが「法華経迹本二門に来至して彼の二説を壊(やぶ)る」と示されるうちの、迹門よりの破折であります。

 さて、もう一つの本門よりの破折は、釈尊の始成正覚が爾前経において定説であることであります。
つまり爾前経のどのお経を見ても、釈尊は十九出家、三十成道の仏様であること以外には説かれていません。
インドに出現して初めて仏に成ったということは、動かせない定説であります。

 これをはっきりと打ち破ったのは、実に法華経の本門寿量品の発迹顕本であります。
これが「法華経迹本二門に来至して彼の二説を壊(やぶ)る」と言われたなかの本門よりの破折で、四十余年の始成正覚を打ち破ったのであります。

 この破折の対象となった「二説」のなかの第二のほうは「教主釈尊は始めて正覚を成ず」の文です。
これは爾前諸経の考え方を挙げた文ですから、当然、最後の文字の読み方は「成じ」でなく、「成ず」でなければなりません。
「教主釈尊始めて正覚を成じ」と読む御書もありますが、それでは後文の修飾語となって、文の筋が全く誤ってきます。
この所は「教主釈尊は始めて正覚を成ず」と読むことにより、それが爾前の二説のなかの一説となるのであります。
それに対して「法華経迹本二門に来至して彼の二説を壊(やぶ)る」という文章の流れが、正しく拝されるのであります。→

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参照

其(そ)の教門の難信難解とは、一仏の所説(しょせつ)に於て爾前(にぜん)の諸経には、二乗(にじょう)・闡提(せんだい)は未来に永く成仏せず、教主釈尊は始めて正覚(しょうがく)を成ず、法華経迹本二門に来至して彼の二説を壊(やぶ)る。一仏二言水火なり、誰人か之(これ)を信ぜん。此は教門の難信難解なり。
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→ 次に、このことは「一仏二言水火なり、誰人か之を信ぜん」と仰せです。
つまり爾前経においては四十余年の間、二乗と一闡提は成仏できないと言われていたのが、法華経では一転して成仏できると説かれました。

また、始成正覚だと言っておられたのが、法華経の本門において久遠の昔からの仏であると説かれたのであります。
これは全く一人の仏様が違った二つの説を示すものであって、どちらが真実なのか−ー水と火のようなものではないか。
したがって、法華経の教えは信じられないということであります。

 これは大聖人様が『開目抄』において、この辺のところの意味をよくお示しあそばされております。
つまり、爾前の諸経は実に多言であり多年である−ー四十余年間も説かれてきたのですから、その説かれた内容も膨大なものであります。
それに対して、法華経はわずか一部八巻であります。
所説の時期も非常に短いのです。

 それで、一仏二言の場合は、どちらへ付けばよいかということになります。
しかし、一仏の化導において先判・後判を論ずるとき、先判を捨てて後判に付くべき道理であります。

また、一切衆生を救うという仏の慈悲がいずれに具体的に顕れているかの判別よりするも、その内容において法華経が勝れることは明らかです。

この教法の価値の優劣よりすれば、数が多いから勝るということは誤りです。
しかし、道理の解らない者は従来の考えに執着します。
そこで「教門の難信難解なり」と言われておるのです。

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観門の難信難解とは百界千如一念三千にして、非情の上の色心(しきしん)の二法の十如是是(これ)なり。爾(しか)りと雖も木画(もくえ)の二像に於ては、外典内典共に之を許して本尊と為す、其の義に於ては天台一家より出でたり。草木の上に色心の因果を置かずんば、木画の像を本尊に恃(たの)み奉(たてまつ)ること無益(むやく)なり。
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 次に、観門の難信難解について「観門の難信難解とは百界千如一念三千」であり、「非情の上の色心の二法の十如是」がこれであると言われるのであります。

 つまり、観門の難信難解を法門・法義の語で言えば「百界千如一念三千」であり、これが非情を含むところのすべての存在とその法則を示す語としては「非情の上の色心の二法の十如是」がこれであるとの意であります。

そこで非情のもの、いわゆる草や木、あるいは石塊(いしころ)等は、人々の普通の認識において、これらに感情があるとは思われないのでありますが、そういうものに心があるか、ないかという問題であります。

 ところが「非情の上の色心の二法」とは、実は非情の上においても色心があるということです。

色は物質的な存在ということですから、これは解ります。
どういう物にもその実体がありますから、目で見て、石塊なら石塊という物質は確認できます。
これは色法であります。
しかし、それらの物に心があるのかということになりますと、これは大きな問題であります。

また十如是とは、因果の法則を中心とします。
すなわち非情の物質にも因果があり、したがって善悪十界を具すということになります。
それはなかなか信じ難いのであるというのが「観門の難信難解」 であります。

 そこで、次の文には、それを具体的な事実のほうからお示しになります。
 「爾りと雖も木画の二像に於ては、外典内典共に之を許して本尊と為す、其の義に於ては天台一家より出でたれども」 
−−この文において非情の上に心が具わっておるということは、世間の者達も実際問題としてそのように信じ、行っておるではないかという事実を、ここに挙げられておるのであります。

 つまり「木画の二像」−「木」というのは木像、すなわち彫刻の像と考えられます。
ただし木像といっても、ただ単に木だけを言っているのではありません。
これは木をもって代表とされたのでありまして、金仏(かなぶつ)といって金属で造った仏像もあります。
あるいは泥で造った仏像もあります。
そのように材料は色々ですけれども、それらを全部含めて 「木画の二像」 の木というところに入るのであります。
また「画」というのは絵でありますから、五色の絵の具で措く場合もあれば、墨で描く場合もあります。
そのように色々ですが、とにかく木像や画像の二像においてはそれを、あるいは紙に、あるいは木に、あるいは金属をもって造って安置し、そしてそれを本尊として崇めておるではないかと指摘されるのであります。

 これは仏教には限りません。ですから 「外典内典共に」と仰せであります。
例えば、中国に行くと孔子廟というようなものがあります。→

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孔子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%AD%90
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→そのほか、関羽の廟だとか色々なものがあります。

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関羽
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E7%BE%BD
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→あるいは道教等においても、老子等の像を木像や画像に造ってあって、それを拝んでおります。→

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老子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90
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→ しかし、いかなる理由をもってそれを拝んでいるのかが問題です。
つまり、画に描いてあるだけであるから本当の関羽ではない、本当の孔子ではない、本当の老子ではないというように思ってしまえば、それまでの話であります。
しかし、それを拝んでいるという事実は、いったいどうなのだということで、それが 「之を許して本尊と為す」 という意味であります。

 内典においでは特にしかりであります。
真言等においての各種漫茶羅とか、そのほか釈尊の像や阿弥陀像等、様々な仏様の像を各宗で安置して拝んでおります。
けれども、それらの宗々の経典において実際、そういうことが許されるような法義の内容を示してあるのかというと、これが実はそうではないのです。
故に 「其の義に於ては天台一家より出でたれども」 とお示しであります。

 すなわち、天台が説き示されたところの一念三千の法門でなければ、非情の上においての色心の因果の二法は成り立たないのであります。
非情にも心が存しておるので、その心によって修行が、つまり因があり、その因によって結果、すなわち仏法上の開眼供養とか、そういう形を経て、一念三千の行法により実際にその魂が篭(こ)もって初めて、まことの成仏の御利益が存するのであります。

 ところが実際問題として、内典・外典の様々な教えには、その大事な非情のなかに心が具わっておるということ、心にまた因果が具わっておるということは何も説いていないのであります。
したがって天台の法門がなければ、まことの成仏の目的よりするならば、それらの木像・画像を拝んでおることは皆、無駄で無益であり、何もならないことをやっているということなのです。

しかし、それぞれ当分の低級な意味での心は、その表す色像によって具わるのであり、したがって、それらの教えの人々が法華経を信じなくとも、実際は天台の、また法華経の原理に基づいてやっているということを、ここにお示しになっております。

 次に「草木の上に色心の因果を置かずんば、木画の像を本尊に恃(たの)み奉ること無益なり」
−−必ずどのようなものにも色法と心法が具わり、相は色法であり、性は心法であります。
いわ、ゆる如是相、如是性の相・性であります。
これには因果の二法が具わり、十如の活動となります。
草木の一つを挙げれば、それがどのようなものでも、そこに十如是が具わります。
そうすれば十如是の如是性の意味からして、心法が必ず宛然としてそこに具わっており、因果の道理が存するのであります。

 このように草木に色心の因果を置かなければ、木画の像を本尊に恃み奉っても、なんの役にも立たないし利益もなく、心魂が入ってこそ初めて、そこに本当の利益が生ずるのであります。

 ここの所は、道理の上から非情仏性を御指南になっております。
そして、この次の 「疑って云はく」 以降が、それについての文証を引かれる次第であります。

239
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疑って云はく、草木国土の上の十如是の因果の二法は何(いず)れの文に出でたるや。答へて曰く、止観第五に云はく「国土世間亦(また)十種の法を具す。所以(いわゆる)悪国土、相・性・体・力」等云云。
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ここに「国土」という言葉が初めて出てきました。
国土とは国土世間と言って、そのなかに有情もあれば、草木等の非情のものも存在しておるわけであります。

 ところで、前の質問の所に「草木に心有って有情の如く成仏を為すべきや如何」
と述べられております。
これは実は、草木成仏という意義をここにお示しになることにおいてその伏線を示され、そして末法下種の、大聖人様の御魂を墨に染め流されて顕し給うところの大漫荼羅建立の意義を、ここに顕されるのであります。

 しかし、もう既に草木のことに関しては必ず色心の二法が具わっておるということがはっきりしてまいりましたので、この所においては草木に続いて「国土」ということをさらに示されて、一念三千のなかには草木のみならず国土世間の一切を含むということをもって観心の法門の前提とされたのであります。

 「草木国土の上の十如是の因果の二法は何れの文に出でたるや」
−すなわち十如是においてはそれが即、因と果の二法であります。
因の修行によって果の結果を得るということ、すなわち仏道の上から言えば九界の修行によって成仏をするということであります。

 しかるに、草木・国土が成仏をするということが、はたしてあるだろうかということで、その文はどこに説かれているのかというのが、この質問であります。

 さて、その質問に答える形で、まず
「止観第五に云はく『国土世間亦十種の法を具す。所以悪国土、相・性・体・力』等云云」
と『摩訶止観』第五の文を引かれております。

この 「十種の法」というのは相・性・体・力等の十如是のことであります。

 そこで「悪国土、相・性・体・力」と「悪」という言葉をまず言われてあるのは、『摩訶止観』には国土を五つに分けてあるのです。
これは十界を分けますと、地獄、餓鬼、畜生というのは非常に拙い悪道の衆生であります。

第一にこの悪の衆生の存する国土が、おのずからあるのです。
地獄の衆生は地獄のなかにおいて、おのずから存しておるのであります。
また「三悪道」の衆生がいる以上、その国土も厳然として存するのであります。

第二に「三善道」と言って、修羅、人間、天上界という意味での善道の国土があります。

それから第三に二乗の世界があります。
二乗が死んでいきますと、方便土という国土に生まれ変わります。
いわゆる「分段(ぶんだん)の生死」に対して「変易(へんにゃく)の生死」というのがありますが、そういう国土に生まれ変わっていきます。→
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分段生死

 仏語衆生が迷いの世界で受ける生死で、与えられた身体の大小寿命長短をもって、三界・六道に輪廻すること。分段。生死。
※勝鬘経義疏(611)法身章「分段生死是有人所一レ知」 〔三蔵法数‐六〕


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?天台宗で立てる四土
@凡聖同居土[ぼんしょうどうごど](人・天などの
凡夫声聞縁覚・菩薩・仏の聖者もともに住む国土
A
方便有余土[ほうべんうよど](見思惑を断じまだ塵沙・無明惑を残す二乗や菩薩が住む国土
B実報無障礙土[じっぽうむしょうげど](
別教初地以上、円教初住以上の菩薩が住む国土
C
常寂光土[じょうじゃっこうど](法身・般若・解脱の三徳をそなえ涅槃にいたっている仏が住む国土)をいう。

【詳説】
@凡聖同居土。略して同居土ともいう。迷いの
凡夫と仏法の覚りを得た聖人とが、ともに住む国土をいう。この国土の仏身は劣応身とされる。?同居穢土
A方便有余土。略して、方便土、有余土ともいう。見思惑を断じた声聞縁覚二乗が生まれ住む国土のこと。すなわち方便の教えを修行して、煩悩の一部を断ずる小乗経の聖者が住む国土をいう。阿羅漢辟支仏のように方便道を修行して一切の煩悩を仮に断じたゆえに「方便」といい、いまだ元品の無明を断ずることができないゆえに「有余」という。また七方便九種の行人の生まれ住むところなので、方便土であるという説もある(七方便とは、蔵教声聞縁覚・菩薩、通教声聞縁覚・菩薩、別教の菩薩のこと。九種の行人とは七方便の中の別教の菩薩を三に開いたもので、蔵教声聞縁覚通教声聞縁覚・菩薩、別教の六住の思惑・見惑を断じた菩薩、十行の菩薩、十回向の菩薩、円教十信の菩薩のこと)。方便土は菩薩が成仏するまで見思の惑(三界六道に出た声聞縁覚・菩薩等の生死)を断じて、さらに智慧を開いて次の実報土に生まれることから、変易土ともいう。
B実報無障礙土。実報土のこと。無明の煩悩を段々に断じて、まことの道理を得た菩薩の住む国土をいう。実報とは真実の仏道修行をすることの報いとして、必ず功徳が現れること。この土は他受用報身教主とすることから受用土とも呼ばれる。
C常寂光土。本仏・円仏が住む国土。迹土に対して本土ともいう。『観無量寿経疏』に「常寂光とは、常は即ち法身、寂は即ち解脱、光は即ち般若、是の三点縦横、並別ならざるを、秘密蔵と名づく。諸仏如来の遊居する所の処は、真常究竟にして、極めて浄土と為す」とある。常寂光を三徳に対応させ、常とは法身、寂とは解脱、光とは般若にあたるとし、それが時系列的・並列的ではなく円融しているので、不縦不横とされる。
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→ 第四に菩薩界には実報土という国土があります。
菩薩も色々の段階があり、低いほうの菩薩はこの実報土に行けず、方便土のほうに行く者もあります。

第五に仏様の国土が寂光土であります。

そういうように、それぞれの果報に従って、いわゆる悪国土、善国土、無漏(※煩悩がない)の国土、あるいは実報土、寂光土というように色々の国土が存すると『止観』に言われておるのですが、ここの所はその悪国土の文のみを代表に挙げられたのであります。

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釈籤(しゃくせん)第六に云はく「相は唯(ただ)色(しき)に在り、性は唯(ただ)心(しん)に在り、体・力・作・縁は義色心(ぎしんしき)を兼ね、因果は唯心、報は唯色に在り」等云云。金c論(こんべいろん)に云はく「乃(すなわ)ち是(これ)一草・一木・一礫(りゃく)・一塵(じん)・各(おのおの)一仏性・各一因果あり縁了(えんりょう)を具足す」等云云。

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 この『釈籤』(※法華玄義釈籤)第六の文は、十如是の法理を色心の二法で分けた妙楽大師の指南であります。
つまり「相」はただ色法という形でしか見ることができないということです。
また「性」は内に篭もる心であるということであります。
さらに「体・力・作・縁」は色と心との両方があって初めてそういう意味の形・用きがあり、また存在があるということです。

それから「因果」の道は、過去から善や悪に熏習(くんじゅう)されてきたところの心があって、それが未来のある結果を確定するための因であり、それによって得たところの結果の心が果であります。→
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熏習

身口に現れる善悪の行法もしくは意に現れる善悪の思想が、起こるに随ってその気分を真如あるいは阿頼耶識に留めること。 俗にいう「移り香」、香りが衣に染み付いて残存するようなことを言う。
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→ 因も果も共に、これは心の状態において存するということであります。

 この因果は心でありますが、しかしその善悪の結果が、また色法にも及んでいきます。
特に、それが報いとして顕れてくる場合には、前世に行った善悪の色々な行為が今世に顕れ、また現在の行為が未来の報となります。
悪を行えば未来の異熟果において、いったん死んでから生まれ変わってくる時に、拙い果報として生まれてくるということです。
苦しく穢れた色法の果報がそこに存するのであります。→
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異熟果

vip?ka-phala (S)

 5つの果(異熟果・等流果・離繋果・士用果・増上果)五果の一つ。
 六因のなかの異熟因から生じる果。2世にわたる因果関係によってもたらされる果・原因は善か悪かであるが、その結果である異熟果は無記(善でも悪でもない)である。このように因と果とが価値を異にしているから異熟果を異類熟とよぶことがある。異熟果としては、たとえば殺生をしたり盗んだりする10種の悪業によって、来世に地獄・餓鬼・畜生に生まれることがあげられる。
 唯識では前世の善悪業によって生じた阿頼耶識を根源的な異熟果と考え、それを真の異熟ととらえて「真異熟」とよぶ。これに対して阿頼耶識から生じた六識の異熟果(貴賎・苦楽・賢愚・美醜など)を「異熟生」とよぶ。

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→ そういう意味において「報は唯色に在り」と言われています。

次には
「乃(すなわ)ち是(これ)一草・一木・一礫(りゃく)・一塵(じん)・各(おのおの)一仏性・各一因果あり縁了(えんりょう)を具足す」
という、やはり妙楽大師の『金「金+卑」論』の文が引かれております。
これは、一つひとつの草や木、それから「一礫」すなわち一つの小石、一つの塵等の微細なものにも、そのなかに各々一つの仏性があると言われるのであります。

 この「一仏性」というのは正因仏性でありまして、宇宙法界、天然、本性のところに、一つのものを挙げれば、その一つのものにことごとく中道の法が具わっておるということです。
すなわち一念三千であります。
その中道の法というのは、現在は塵、小石、あるいは草や木かも知れません。
しかし、その草や木の存在がそのまま、宛然として空の平等の意義を含むと同時に、仮、すなわちその現在の体性を顕しておるのです。
それはそのまま、また空即仮、仮即空のところに中道が存し、その中と仮と空がそのまま渾然として具わり合っておりますが、その中道というところが正因仏性であり、一つのものが一切に遍満しておる意味があります。

つまり、どのようなものであっても、一つのものを挙げればそこにあらゆる宇宙法界の存在とお互いに融じ合っており、お互いに具わり合っておるということからするならば、法界のあらゆる命、あらゆる存在のなかの仏の命もまた、互いに具わっているのです。

石塊(いしころ)が仏様だというようなことは、ちょっと信じられないかも知れません。
けれども、そ石塊のなかに仏様の命が具わっておるのでありまして、それが一念三千即中の辺において正因仏性と言うのであります。

 これに対し、了因・縁因というのは、悟り、あるいは用きの性です。→
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三因仏性
天台大師仏性成仏の因として衆生の生命に元来そなわっている性質)を三つの側面に分析したもの。
@正因[しょういん]仏性衆生の生命に元来そなわる仏の境地、すなわち仏界。仏の境涯を開くための直接的な因)
A了因[りょういん]
仏性仏界法性・真如を覚知し開き現す智慧)
B縁因[えんいん]
仏性(了因を助け、正因を開発していく縁となるすべての善行)。
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→ 石塊等に、真理としての仏性は存在するにしても、実際に修行を起こして、その用きとしての仏の悟りが顕れるというようなことは、あるはずがないと思われます。
しかし、そうではないという趣きを示すのが「各一因果あり」という文であります。

 「因果」ということは原因と結果であります。
すなわち九界を因とし、仏界を果とするという仏法の道理からいけば、必ずそこに一切の事々物々に修行があり、用きがあるということなのです。
したがって、仏の用きも必ず存するということなのであります。

 いわゆる 『金?論』 の、
  「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土」(御書六九二等)
の文は、一切の円融を示します。
故に、十如即因果の二法の全体は一念三千であり、この三千に即中の意、即空の意、即仮の意が具わります。
すなわち法界三千即空仮中であるからです。
この三千即中の辺が正因仏性であり、これに即空即仮の用きを具足します。

即仮とは事々物々が互いに因縁によって存在する相ですから縁因仏性であり、
即空とは一切の執着を離れた平等無礙(※とどこおらせる障害がないこと。邪魔するもののないさま。)の通達性において了因仏性であります。

 この正因仏性という本来の正しい真理としての存在にまた、用きとしての縁因・了因の仏性がそのまま具わっているのです。
ですから、それは正因仏性から離れて存するのでもなければ、正因仏性の奥に入ったところにあるのでもなく、正因仏性と言えばそのまま緑因であり了因である、あるいは了因と言えばすなわち正因であり縁因であるということであります。

 縁因とは色々な意味での助緑になるところであります。
つまり仏に成るための助けとなる万行・万善の姿がこの縁因であり、その元となるのが縁因の仏性であります。

それから、了因は実際に悟りを開くことであります。
本当の意味で、仏様がお悟りを開かれたように、宇宙法界の金輪際の真実相の悟りを智慧をもって観照し開く元となるのが了因の仏性であり、その三つがそのまま正因仏性に具わっておるのです。

 そういうところから、法華経の眼をもって照らすならば、あらゆる事々物々がことごとく不思議な命であり、不思議な相なのであります。
そこを元として仏様が御出現あそばされ、仏法の真実の道理に基づいて我々を正しく導かれるのであります。

 さて、以上の御指南の主意は、要するに草木成仏の原理および活用を末法下種の仏法の上に開示されることにあります。
いわゆる原理とは、草木の全体が本来常恒の作ることなき自然のままの一念三千、仏の覚体であるということです。
また聖者が示し給う活用とは、木画の像に対し一念三千の仏種の魂魄を入れることにより、その木画の全体が生身の仏となることです。
これを末法適時の上から宗祖大聖人の大慈大悲をもって顕された紙墨の御本尊の全体が、一念三千生身の御仏であるのです。
単なる文字ではありません。

 したがって、大聖人様がこの 『観心本尊抄』 にお示しになられましたところの、末法の一切衆生の修行の鏡として顕された大御本尊は草木成仏の骨髄であり、一念三千の法門を振り濯(すす)ぎ立てられし尊体であります。
紙あるいは木において顕されてはおりましても、単なる紙や木ではなく、そのまま即、本仏の大慈大悲の用きによって、仏様として我々の前にはっきりと示されておるのであります。

 故に、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉るところに、不思議な仏様の大慈悲によって常恒不変の功徳を得ることを信解していくことが大切であります。

 以上で、大段の第一、「一念三千の出処を示す」 の所の拝説を終了いたしました。

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249

 問うて曰く、出処(しゅっしょ)既(すで)に之を聞く、観心の心如何。答へて曰く、観心とは我が己心を観じて十法界を見る、是を観心と云ふなり。譬(たと)へば他人の六根(ろっこん)を見ると雖も、未だ自面(じめん)の六根を見ざれば自具(じぐ)の六根を知らず、明鏡(みょうきょう)に向かふの時始めて自具の六根を見るが如し。設(たと)ひ諸経の中に所々に六道(ろくどう)並びに四聖を載(の)すと雖も、法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば自具の十界・百界千如・一念三千を知らざるなり。(御書六四六・一三行目〜同.六行目)

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 これより大段の第二、「正しく観心本尊を明かす」ところに入りますが、これに

「観心を明かす」文と
「本尊を明かす」文とがあり、

初めに観心を明かすところより拝説いたします。
以下、観心を明かす文は
「略釈」と
「広釈」の二つがあり、
右に挙げてある文は、その略釈に当たる文です。

 この略釈は、
初めに問いの文があり、
次に答えの文が三つに分かれます。

 答えの初めの 「観心とは我が己心を観じて」 以下は観心の意義を法の上から説く文であり、
次の 「譬へば他人の六根を」 以下は譬えを明かす文で、
三に 「設ひ諸経の中に」 以下は譬えを法に合する文であります。
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問うて曰く、出処(しゅっしょ)既(すで)に之を聞く、観心の心如何。答へて曰く、観心とは我が己心を観じて十法界を見る、是を観心と云ふなり。 
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これについて
「問うて曰く、出処(しゅっしょ)既(すで)に之を聞く、観心の心如何。答へて曰く、観心とは我が己心を観じて十法界を見る、是を観心と云ふなり。」 
とお示しになっております。
ここの所から『観心本尊抄』一巻における「観心本尊」 の「観心」ということをお説き始めになられるのであります。

 ここは「観心」の一番初めの所として非常に大事な意味を持っております。
特に最初の 「観心とは我が己心を観じて十法界を見る、是を観心と云ふなり」 という御文が、末法の一切の衆生が幸せになり、即身成仏するところの末法下種のための修行を顕される一番初めの御文であり、また、この意義が観心段全体を一貫しておるというように拝されるのであります。

したがって、日寛上人はここの所からを、まさしく観心の本尊を明かす所であり、そのなかで特に観心を明かす所であると御指南されております。

 その観心とは「心を観ずる」ということです。
結局のところ、何を観るといって、自分の心を観るということが一切の対象のうちで一番大事なことであります。

 この大聖人様の仏法に値えない人々は、自分ということが解っているようでいて、実は全く解らない人であります。
「どういう自分が本当の自分なのだろう」と考えてみても、結局、わけが解らないのであります。
怒りっぼい自分もあったり、そうかと思うと笑っている自分、喜んでいる自分というように色々な自分があります。けれども、それでは自分自身が勝手に喜んだり泣いたり怒ったりしているかといいますと、そうではありません。
やはり縁に従って、その心が顕れてきておるのであります。
ですから、外の縁によって自分自身の心が色々に変わっているのであります。

 変わってはおりますが、それでは、はたして外の縁だけで自分の心が存在しておるのかと考えてみると、必ずしもそうではありません。
やはり自分自身として持っておるものがありますから、それを元として、外の縁によって笑ったり泣いたりするわけであります。

また、自分は悪い人間なのか善い人間なのか、また、その能力等のことも、人それぞれが自分について色々に考えているが、思い過ぎや認識不足が多いのであります。

そのように心というものは、解っているようでいて、これを正しく知ることは実に難しいことなのであります。
けれども、その心とはどういうものなのかということを正しく考えねばならないという御指南であります。

 さて、まず 「問うて曰く、出処既に之を聞く、観心の心如何」 という問いがありますが、それは要するに、今まで一念三千という名目は知ることができた。
また、その一念三千ということが実は非常に深い意義を持っておるのであって、心ということのなかには、有情界のみでなく、石や木や草等の非情のものにも十如是が具わっており、また物質が心に具わり、心が物質に具わるという色心があり、そして、その色心にまた原因と結果が具わっておるから、迷いも悟りもすべて具わっておるというようなことが示されてきて、その点はよく理解できたということです。

その上で、しからばその一念三千ということについて、実際に自分の心を観ずるところの修行を行うという心とはどういうものであるか、ということの質問であります。

 それに対して 「答へて曰く、観心とは我が己心を観じて十法界を見る、是を観心と云ふなり」 と答えられるのであり、これは心を観じて十種の法界を見るということです。

 「十法界」とは、それぞれの果報によって眼に見える衆生と直接見えない衆生があります。
法界のすべてを覚られた仏が、その神通力をもってあらゆる衆生の苦楽の果報を観ぜられた結果として、大別して十種の衆生を挙げられたのです。
苦の多いほうから楽なほう、また悪の極みから極善のほうへこれを数えますと、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の十界であります。

地獄・餓鬼・修羅の住処と衆生は眼に見えませんが、その果報によって必ず存在します。
その悪業の苦の相が、因縁のある人々に現れることがかなりあり、これらによってこれを信ずべきです。

 地獄は八大地獄で、別処を含め一百三十六と言い、罪の重さによりその身体が非常に広く感ずるのです。

餓鬼は三十六種、常に飢渇に苦しみあえぐ衆生であります。

畜生界は我々が見ることができますが、この諸相もたいへん広いのです。
すなわち、海のなかには魚類がたくさんおりますが、あの魚も何千種とあるわけです。
また、地上には動物がおりますが、その動物もまた、鳥類、獣類等、数えきれぬたくさんの種類が存在しております。
そのほか、昆虫だとか、この地球上に生息しておる動物等を見たときに、その広く多い様は到底、人間の智慧をもってしては知ることができないのであります。
しかし、それもまた考えてみれば、原因と結果があって存在しておるのであります。
 これら畜生は、残害(※いため傷つけること。また、殺すこと。)の苦しみと言い、弱いものは強いものに食われ、小は大に呑まれる宿命で、常に戦々恐々として安らぐひまもありません。

これに対し人間界は、一往の安定と平和の世界であり、その果報があります。
いわゆる仁(他人に対する親愛の情、優しさ)・義(利欲にとらわれず、なすべきことをすること)・礼(「仁」を具体的な行動として表したもの。)・智(道理をよく知り得ている人。知識豊富な人。)・信(友情に厚く、言明をたがえないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。)・忠・孝・慎・悌(※年長者に柔順に仕えること。 また、兄弟や長幼(ちょうよう)の間の情が厚いこと。)等の道徳を守り、敬愛を旨とします。

しかし別の一面では我欲・我見があり、種々の欲望と自己中心の偏見とが結びついて種々の不道徳や誹謗・闘争を巻き起こし、この世の中での地獄・餓鬼・畜生の如き不幸な世界をも現出します。
つまり人間とは、十界のなかの下方の悪の世界と、上方の聖の世界の間にいるから人間と言うわけで、したがって善悪があらゆる面で交錯するのであります。

 これに対して、人間界よりもう少し勝れた境界の人々がたくさんおります。
昔からの宗教や哲学の道筋をずっと勉強していくと、仏教以外の教えのなかでも、わりに広く高い、普通の人間では理解できないような能力を備えた人がいるのです。
今でもヒマラヤの山中などにおいて、昔の仙人というような意味で、霞を食うような生活と修行をしている人が事実いるのです。
あるいは最近、ヨガというのが日本で流行ってきていますが、あのヨガの行者というのは本来、インドにあるのです。
あのヨガの行者は仏教以外の形のなかでの禅定、これを、
「有漏の禅定」 (御書五二五等)
と大聖人様が御書のなかに仰せですが、そういう精神統一の修行をして心を一境にし、喜、楽、清浄の境等を悟っていくのです。
もちろん仏教ではありませんから仏教の本筋の無漏、悟りまでは到底、到達できませんが、普通人より勝れた、六道輪廻のなかの天界に至る悟りは得ることができるのです。
そういう天界の悟りのなかには、天眼通とか天耳(に)通、それから他心通というような通力があります。→
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六神通
仏教用語。完全な
精神統一などを行なって得られる6種の超自然的な力。すなわち,
あらゆる場所に自由に行くことなどの
能力である神足通 (じんそくつう) ,
すべてを見通す能力である
天眼通 (てんげんつう) ,
すべての音を聞き分ける能力である
天耳通 (てんにつう) ,
他人の心のなかをすべて知る能力である他心通 (たしんつう) ,
前世生存の状態を知る能力である宿命通 (しゅくみょうつう) ,
すべての
煩悩を滅しこの世に再び生れないということを悟る能力である漏尽通 (ろじんつう) をさす。
なお,それぞれの
呼称には,このほか種々のものがある。
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→ しかし、それよりもっと勝れた意味で、仏教においては声聞、緑覚というような境界の人があります。
これは到底、今の我々の普通の生活観念からは理解できないような長く大変な修行によって、空観を修し、見惑と思惑という煩悩を断じて聖諦(しょうたい)を顕現した人々であります。

その上に、さらに菩薩界があります。
この菩薩界もまた、たくさんの種類があります。
三蔵教の菩薩、通教の菩薩、別教・円教とそれぞれの菩薩があり、その教えの高低に従って境界が異なり、また各々の教えのなかでも、修行の浅深によってその位が違うのです。

 さて、その上にさらに仏様の境界があるのであります。この世界に生まれて衆生を導いた方は釈尊です。
仏は、有(う)に執着する見・思の煩悩、空に執して仮諦に暗い塵沙の煩悩、法界の生命全体に暗く中理に迷う無明の煩悩のすべてを解明し、解決して真実の悟りを開き、その智慧と慈悲をもって衆生を導く方です。

 このように非常に高い境界が存するのであります。
しかし、その高く広い境界と我々の心とは、どういう関係があるのかということが大切です。
その高い境界を知ることが幸福の要素として大切であるとともに、それが現実から遊離する状態ならば、幸福の原因にはなりえません。
その反面、そういう高く勝れた人格を全く無視して自分だけの小さな心のなかに跼蹐(きょくせき かしこまって身を縮めること。圧迫されて自由に行動できないこと。)し、欲望に囚われたままであって、その欲望を正しく活かす道を知らず、欲による非道の業を無我夢中でやっていく姿のなかでは、不幸になる以外にないのです。
それが仏教で説かれておるところの六道輪廻の姿であります。
 
しかし、自分に一番近いのは自分の心なのであります。
したがって、その近い自分の心を正しく観ずれば、なんと我が心は十種の法界に通じており、否、その最高の広く高い仏様の境界も菩薩の境界も具わっておる。

そのように正しく我が心を観ぜよというのが、この 「我が己心を観じて十法界を見る」 ということであります。

これを観ることができるならば、自由自在な心の用きを得て本当に幸せな境界がそこから開けていくのであり、まことにすばらしいことです。

 以上、説明が少し長くなりましたが、 「我が己心を観じて十法界を見る」 という御文に付属する一般的な意味合い、すなわち付文の辺から申し述べた次第であります。

 しかし、大切なことは付文に対する元意であります。
元意とは、下種本仏大聖人様がこの『観心本尊抄』一巻を著しあそばす、衆生化導の究極の深意のことであります。
すなわち、我々、特に末法の衆生は、過去遠々劫以来の悪業の薫習(くんじゅう)によって、このような心の宝を観るのが、容易ではないどころか、自力のみでは到底、観ることができないのです。
そこで、大慈悲をもって御本仏が出現あそばされ、それをおのずから我々の命の底において覚知することができるように、大法をお示しあそばされたのであります。

 ですから、この『観心本尊抄』一巻を貫く、大聖人様の我々に示さんとされるお心を拝するならば、これは寿量品の文の底に沈められた、久遠の昔の仏の悟りであるところの、十界互具百界千如、事の一念三千、本門下種の大御本尊を信ずることが、直ちに「我が己心を観ずる」ということであります。

 それから「十法界を見る」というのは、この十種の法界の大・多・勝の徳を見るということであり、その十種の法界が本有の妙法に照らされた人法一箇の当体をそのまま顕された御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることなのであります。
御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉るところに、本尊の十界がおのずから我が心の十法界となる広大無辺な行が現れるということを、まずこの御文においてお示しになっているのであります。
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 譬(たと)へば他人の六根(ろっこん)を見ると雖も、未だ自面(じめん)の六根を見ざれば自具(じぐ)の六根を知らず、明鏡(みょうきょう)に向かふの時始めて自具の六根を見るが如し。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 この前の御文までの所において、観心とは何かというと「我が己心を観じて十法界を見る」ことであるという法の相をお示しになったのでありますが、今度はその譬えを示されるのであります。

 この御文を拝しますと、まず、他人の眼・耳・鼻・舌・身・意の六根は見ることできます。
六根というのは六つの根であり、我々はその根によって外界の色々なものを知ることができます。
つまり、根というのは、外界のものを認識し領納する能力のことを言うのです。

ですから、眼でもって物を見、その事物を判断する能力が眼根であります。
また、鼻は鼻根と言い、匂いを判断するわけです。
耳根は音を色々と領納し、判断します。
それから、舌根をもってものの味わいを感じ、
身根は触感であります。
冷、滑、軟、渋等、様々な外界の刺激を感じ、それに対して適するように自分自身を処していくことができるのも、身根によるのであります。
さらに、これらを総合・統一しておるのが心であり、すなわち意根と言います。
つまり、眼、耳、鼻、舌、身という外界の刺激を領納する感覚が五つありますが、これを統合するのが意根であります。

 私どもは、ほかの人の顔を見て、目がある、鼻がある、口がある、そして身体があるということで、他人の六根を見ることはできますけれども、自分の六根は初めにおいては判らないのです。
自分の顔も鏡を見て初めて判るのであり、鏡がなければ全く判りません。
しかし、明らかな鏡があれば、それに映すことによって初めて、自分にも六根があるということが判るのであります。

 ところで、「他人の六根」ということに対して、「自面の六根」と「面」という字を挙げられておりますが、面とは顔であります。
しからば、なぜここに面ということをお挙げになったかということですが、これは怒ったり、笑ったり、貪ったり、慈悲の心を持ったりするような、人間の感情における様々な変化と起伏は全部、顔に出るのであります。
もっとも手や足にも出る場合がありますが、あまりよくは判りません。
ところが、顔はすぐに判ります。
あるいは瞋り、あるいは貪り、あるいは癡か、あるいは諂曲、あるいは平らか、あるいは喜び、あるいは無常、あるいは慈悲等、仏界だけは現じ難いが他の九界におけるどのように微妙な変化も顔にはきちんと出る意味がありますから、そういう意味で「自面」ということをおっしゃっておると拝せられます。

その自面の六根を見ないために、自分に具わる六根も知ることがないが、明らかな鏡に向かい自分の顔を映すとき、初めて自分に具わる六根を見て、自分にも六根が具わることを理解するようなものであると、鏡の譬えによって仰せられるのです。

 さて、鏡の譬えに関連して、「鏡像円融の譬え」ということが天台法門のなかに説かれておりますので、ここでちょっと申し上げてみたいと思います。
 それはどういうことかと申しますと、天台大師という方が中国に薬王菩薩の再誕として出られました。
特に中国仏教の麻の如く乱れた南三北七の教えの邪義を破って、仏教の全体観の上からの教えを立てられたのであります。

 ところで、天台大師がそういう勝れた境界に到達するためにはー前世は薬王菩薩というたいへん勝れた菩薩でありましたけれども、この土に生まれた以上は、やはり凡夫の立場から一往は修行をしなければなりません。
そこで、大蘇山という道場に行って師匠の南岳大師という人に会い、その教えに導かれて法華経を読誦しておりました。

 その時に、ある夜、本当に心身が統一して、そして真実の法を達観するのはだいたい暁の、明星の出る時となっていますから、たぶんその時刻だったかと思いますが、インドにおいて法を説かれた釈尊が天台大師の眼前に出てこられたというのです。
そして、法華経の極理である一念三千の法門を説き示され、その時に鏡を授与されたのであります。
その鏡に光を当てると、即座にそこに映るものがある。
何が映ったかといいますと、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・緑覚・菩薩・仏という十界の性相が、宛然(※そっくりそのまま)としてその鏡に映ったというのです。

 その十界の性相が鏡に映ったということは、その鏡の性が即、十界であり、したがって、明かりがその鏡を照らせば直ちに十界の命が映ったという鏡を天台大師に授けたというのです。
そして、明かりと、鏡、そこに映るところの十界の像、すなわち明と鏡と像との三つが揃って現ずるのであり、それは、明のところからはずれて鏡と十界はなく、十界を離れて明と鏡はなく、鏡を離れて十界と明はないということで、一つを挙げればほかの二つが宛然と具わっておるというところから空仮中円融の三諦、すなわち不思議の命のなかに一切のものが具わっておるということの譬えとし、また実際の鏡をそこに示して、これをもって法華の原理・極理とせよとして授けられたというのであります。

 これが有名な、天台の相伝法門で言う鏡像円融の譬えでありまして、すなわち明と鏡と像が円(まる)く融じ合っておるということであります。
これは一往、法華経の原理を一念三千として顕した形で、天台の法門として説く円融の極理が鏡によって示されておるのであります。

 しかしながら、これは天台の法門であります。
そのなかに、即空諦、即仮諦、即中諦というところの、三つの不思議な宇宙法界の原理が存在しておるのです。
それは法華経の一念三千であるぞということを、釈尊が眼前に現れて天台大師にこれを教授され、それより天台大師がその山を下りて、中国において一大仏教を確立し、特に像法の衆生の成仏の大法として一念三千という明鏡の法門を『摩訶止観』に説かれたのですが、これはまだ付文の辺であります。

 それに対して、その本当の深い意義は法華経の本門にあるのだということをお示しになるのが、付嘱を受けて末法に出現し、本門の法をお説きあそばされた宗祖日蓮大聖人様であります。
法華経のことごとくの深い予言相を、明らかに三類の強敵を扣起(こうき)して、身をもって法華経の行者、また上行菩薩の再誕たるを顕し、その意義を鮮明にして末法に本門の法をお示しになったお方は、ほかに全くないのであります。

 その大聖人様は 『御義口伝』 に、
 「今日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱へ奉る者の希有の地とは、末法弘経の明鏡たる本尊なり」 (同一七七六)
と仰せあそばされております。
すなわち、妙法蓮華経の御本尊においてあらゆる法は、一つも残るものがなく、すべてがこの明鏡に浮かべられておることが、この元意であります。

 さらに、同じく 『御義口伝』 には、
 「鏡に於て五鏡之有り。妙の鏡には法界の不思議を浮かべ、法の鏡には法界の体を浮かべ、蓮の鏡には法界の果を浮かべ、華の鏡には法界の因を浮かべ、経の鏡には万法の言語を浮かべたり」 (同一七三六)
と仰せであります。
すなわち、妙法蓮華経の「妙」とは法界の不思議を浮かべておるのであり、「法」とは法界のそれぞれの十界の体をそのまま浮かべるのである。
したがって、十界の体はそのまま因果、迷悟、苦楽−苦しみの衆生もあれば悩みの衆生もあるし、楽しみの衆生もある。勝れた衆生もある。尊い衆生、卑しい衆生と様々なものがあるけれども、これはことごとく、けっして偶然の存在ではなく、必ず過去の因によってその現在の果があり、また、現在の因によって未来の果を招来するという、三世常住の因果の法によって、きちんとしたところの法の相とけじめが存しておるのであるというのが、この法の意味であります。

 そして「蓮」とは、そのすべての法界の果を説き示し、妙法蓮華経の「華」とは法界の因を示し、「経」とは仏様が衆生を導かれるところのすばらしい勝れた言葉、あるいは地獄の衆生の悩みもだえる声その他、一切の言語がことごとくその経のなかに篭もっておるのである。
したがって、南無妙法蓮華経の御本尊には一切のものが浮かび出ておるのであるから、その鏡を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉るところ、我が身即妙法蓮華の当体となる、いわゆる自らの影を自ら浮かべるところの真実の鏡とは南無妙法蓮華経の御本尊であるということが、やはりこの「明鏡」の元意であります。
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設(たと)ひ諸経の中に所々に六道(ろくどう)並びに四聖を載(の)すと雖も、法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば自具の十界・百界千如・一念三千を知らざるなり。
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 この御文は、先に挙げられた、観心について「我が己心を観じて十法界を見る」という法の文と、それからただいま申し上げた鏡の誓えを、合わせて示されたところであります。

 「諸経の中」すなわち、法華経以外の華厳、阿含、方等、般若等のなかにおいて、「所々に六道並びに四聖」等の法門を説かれてあるのです。

 「六道」というのは迷いの世界のことでありまして、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界までの六つでありますが、このなかの因果も、また広さも、実にその筋道が広く大きいものがあるのです。
これは先程も言いましたので省略いたします。

 しかしながら、仏教以外のバラモン哲学その他、あらゆる古今東西の仙人等の修行において、天眼・天耳・他心・宿命・如意神等の五通は得ておりますけれども、漏尽(ろじん)通という通力は得ることができないのであります。
なぜならば、この漏尽通というのは自己自身に具わっておる 「我」という考え、つまり自分というものですが、仏教で説かれる空という真理からいくならば、自分自身の存在が独立してあるという考えは誤りだといって、我を徹底して打ち破られるわけです。

 つまり、釈尊は空という真如を説かれました。
空ということは、万物はすべて因縁の諸法によって成り立っているのであって、自我というものが独立した存在ではないということです。

 この我を打ち破って初めて、仏教の小乗の聖者になることができます。
つまり阿羅漢であります。
舎利弗、目連等が阿羅漢になられたのは、六道輪廻の基をなす我見に具わる見・思の煩悩を徹底して打ち破って、そして初めて声聞の聖位たる阿羅漢を証したのであります。

 その法門も、空の真理に基づいて、五停心(じょうしん)観、→
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五停心観(ごじょうしんかん)とは、大乗仏教中国仏教圏における、止行に向けて心を落ち着ける、5種の導入的な瞑想方法を総称した言葉。上座部仏教における四十業処に相当する。

内容[編集]

以下の5つ。各自の性格に合った方法を選択する。


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→ 別相念処、総相念処、→
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四念処

「念処」は、「satipa??h?n?ni (P)、sam?ty-upasth?na (S)」の訳で、「念住」とも訳す。

 初期経典に説かれた修行法で、

  1. 身念処 肉体の不浄
  2. 受念処 感覚の苦
  3. 心念処 心の無常
  4. 法念処 法の無我

の4種の観法によって、「常・楽・我・浄」の四顛倒を打ち破る。

 後には37道品にまとめられたが、四念処だけで完結することが多い。

 倶舎宗などでは、この4種を順次に観ずる「別相念処」と、各々を非常・苦空・非我と観ずる「総相念処」とに分かれる。
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→ それから?位(なんい)、頂位、忍位、世第一位等が三賢→
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三賢 (ロ) アビダルマ仏教で、賢者の位に入る前の準備的な瞑想の修行の階位。五停心観を修める五停心位・四念住を順次に修める別相念住位・四念住の全体を総合的に修める総相念住位の三つをいう。
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→・四善根、
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四善根3しぜんこん しぜんごん 
小乗における声聞の位のこと。法華玄義に説かれる七賢のうち、三賢を除く?法頂法忍法世第一法の四つのこと。種々の善根を生ずる位のゆえに四善根といい、聖位に至るための準備をなす位である。
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→ それから初果→
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声聞(しょうもん)の四果のうち、第一の預流果(よるか)須陀?(しゅだおんか))のこと。修行の階位において、欲・色・無色の三界の見惑を断じつくして、はじめて聖者にはいった位。
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二果・三果・四果→
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四得,四双八輩ともいう。
部派仏教において,修行していく段階を意味する「向」と,それによって到達した
境地を意味する「」とを総称したもの。
預流向 (よるこう) ・預流果,一来向・
一来果,不還向 (ふげんこう) ・不還果,阿羅漢向・阿羅漢果をさす。
(1) 預流向とは
四諦 (したい) を観察する段階である見道で,欲界,色界,無色界の三界の煩悩を断じつつある間をいい,預流果とは見道のそれらの煩悩を断じ終ってもはや地獄餓鬼畜生の三悪道には堕することがなくなる状態をいう。
(2) 一来向とは四諦を観察することを繰返していく
修道の段階で,欲界の修道の煩悩を9種に分類したうちの6種の煩悩を断じつつある間をいい,一来果とはその6種の煩悩を断じ終った位をいう。
(3) 不還向とは一来果で断じきれなかった残りの3種の煩悩を断じつつある間をいい,不還果とはその3種の煩悩を断じ終った位をいう。
(4) 阿羅漢向とは不還果を得た
聖者がすべての煩悩を断じつつある間をいい,阿羅漢果とはすべての煩悩を断じ終って涅槃 (ねはん) に入り,もはや再び生死を繰返すことがなくなった位をいう。
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→という位に基づいた修行法と境界がたくさんあり、結局、最後のところまで行くには、生まれ変わり死に変わり、大変な労力と時間が要します。
それが四聖のうちの一番最初の声聞界であります。

 次の縁覚は、独覚とも言い、独り山林静処に在って飛花落葉を観じ、無常を覚り、声聞と同じく空理を証します。

 菩薩の修行は前に少々述べましたが、そのすべてについてとても話すことはできません。
声聞・縁覚の修行より、さらに膨大で奥が深いのです。
したがって、ここに「六道並びに四聖を載すと雖も」と簡単にお書きになっておりますけれども、この内容たるや大変なものであります。
一代仏教の内容は全部、六道と四聖に関する法門なのです。
そのなかに説かれてある内容というものは、たとえそれが法華経以外の方便の教えではあっても、実に広く深いのであります。

 しかし、それがすべて己心に具わることとして説かれるのは、法華経と『摩訶止観』のみである。
したがって「法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡」を見なければ、「自具の十界」すなわち、自分の心のなかに十界が具わり、百界が具わり、千如が具わり、そして一念三千という不思議な宝物が自分の心のなかに具わっておることが解らないのであり、これはつまり法華経等の明鏡がないからだという仰せであります。

 しかして、末法においてその明鏡とは何かと言えば、従来も縷々(るる)申し上げたとおり、大聖人様の三大秘法の御本尊であります。
南無妙法蓮華経の左右に釈迦・多宝乃至、地獄・餓鬼・畜生等の十界をお認めあそばされたところの十界互具の大漫荼羅において、しかも、その妙法を所持あそばして、釈迦・多宝以下、一切の教え、一切の個性をことごとく妙法の五字・七字において修行し体達あそばされた大聖人様の久遠元初自受用報身如来のお悟りにおいて、この御本尊が顕されたのであります。

 ですから、その南無妙法蓮華経はそのまま宇宙法界の一切を浮かべており、また、一切の悟り、一切の幸せの姿を浮かべられておるのでありますから、我々がこの御本尊を深く信じて南無妙法蓮華経と真剣に唱えぬいていくならば、いかなる過去の因縁・罪障を持つといえども、必ずその死に至るまでの間に成仏の境界を得ることができ、その南無妙法蓮華経の法の力によって永遠の法界のなかに自受法楽することができるのであります。
それが我々の未来永遠に向かっての即身成仏の境界であります。

 いかに今世において世間的な名誉があろうと権勢を持とうと、そのようなものは、死んでしまえば未来に何も持っていけません。
お金を山ほど積もうと、これもまた持っていけません。
しかし、南無妙法蓮華経の功徳は現在、そして未来永劫に我々の宝として、そこに成仏の道を示されておるのであり、また保証されておるのであります。

 したがって、この 『観心本尊抄』 の 「観心」 の二字は、妙法を受持し、御本尊を拝してお題目を唱え奉るところに帰するのであり、それ以外に成仏の法はないということを確信すべきであります。