参照 駄犬「考える人←実は「何も考えられない人」完全粉砕・反論不能の一覧表


クズ犬曰く


前段からの続き

==============================

見えない「心」が、聞こえる「声」となって表れる場合がある。

認識できる他者の「声」を聞いて、認識できなかった他者の「心」を知ることができる。
この『色心不二』の法理によって「仏の心が法華経の文字」になったのであり「南無妙法蓮華経の文字が仏の心」なのだ!
大聖人の仏法の極理とは、この色心不二の法理のことであり、南無妙法蓮華経の『文字』それ自体のことなのだ!

 
<文証>
御本仏曰く
■色心不二なるを一極と云うなり■
■日蓮が意に云く法華経の極理とは南無妙法蓮華経是なり■
■法華経の極理・南無妙法蓮華経の七字■
====================

「極理」などという語句検索で 、どう御書から引文してきても、

クズ犬のいう以下の痴言の証明にはならない。
細かく刻んでみよう。

===================

▼ ※1「この『色心不二』の法理によって「仏の心が法華経の文字」になった」   のであり    ※2「「南無妙法蓮華経の文字が仏の心」なのだ!」
※3 大聖人の仏法の極理とは、この色心不二の法理のことであり、南無妙法蓮華経の『文字』それ自体のことなのだ!

====================

▼ ※1「この『色心不二』の法理によって「仏の心が法華経の文字」になった
===================

そうではない。

仏の真実の心はそのまま法華経であり、途中から「なった」のではない。
つまり、法華経が説かれた時点で、それがそのまま仏の心、ということである。

クズ犬が混乱している点は、本抄の

A 「木絵二像が「生身の仏」になる。 という原理・作業・手順」   の論談と

B 「法華経は仏の心である。」    という論談の 筋目・縦分け、が分らず、ごちゃごちゃに混ぜて喚いている点である。

頭が混乱して、目が回っちゃってるんでちゅね〜〜。

(あるいは、分っているが、故意に混ぜ混ぜして、お茶を濁して、自義を押し通しているか。。。どちらかであろう。 

いやいや、、、おそらく前者であろう。 
クズ犬に、この法門の筋目が見極められる眼力があるとは到底思えないからね。 呵々大笑。)





===============

▼ ※2「「南無妙法蓮華経の文字が仏の心」なのだ!」

==================

これは、単独に、ここだけ切り出して読めば、それなりに正解である。

ただ、※2「「南無妙法蓮華経の文字が仏の心」なのだ!」  
これが、本抄の論談とは全く別の、まさに唐突に、何の脈絡もなく、引っ張り出してきた別の論談である。

A 「木絵二像が「生身の仏」になる。 という原理・作業・手順」   の論談と、そもそも、別のテーマなのである。 

それは前項  ● 2014.8.31  10
 『 唐突に 自見をねじ込む 狂い人 』

でも指摘したように、本抄では 「南無妙法蓮華経」 と一言も論じられていないのである。
しかも文上・教相・附文の辺では、十界文字曼荼羅本尊 の事など全く論じられておられない。
全て「法華経」という括りなのである。
(まっ、だからクズ犬レベルでは元意が読めないのだがね。。。。呵々大笑。)

なのに、その曼荼羅本尊の首題としての「南無妙法蓮華経」をここで強引に引っ張ってきて、さらに色心不二と強引に結びつけて、開眼供養の義、不要論をぶち上げても、全くの的外れのスリップダウン。
ご愁傷様。

東海道新幹線に、いきなり 身延線 を引っ張ってきて、強引にくっつけようとしているようなもの。

同じ JR東海 という括りでも  線路幅も、列車の種類も 速度も 何もかも違う路線。

それを強引に結びつけて、一本化して列車を走らせようとしても、無理!

そのくらいに、ムチャクチャな論法である。
  



================

▼  ※3 大聖人の仏法の極理とは、この色心不二の法理のことであり、南無妙法蓮華経の『文字』それ自体のことなのだ!

=================

ここは、あきまへんな〜。

何故なら、大聖人の仏法の極理は、色心不二だけではないからである。 

色心不二は極理の一分、一側面。 というのが正見であろう。


そしてその次の、
============

▼「南無妙法蓮華経の『文字』それ自体のことなのだ!」  

=============

これは、全くの不可ですね。   

この文章だと、
===========
▼ 大聖人の仏法の極理とは、(中略)「南無妙法蓮華経の『文字』それ自体のことなのだ!」      となる。
============

全然ダメでしょう。これでは。

この箇所は、本題からはあまりにぶっ飛んでいるので、失笑を禁じ得ないが、

▼ 「大聖人の仏法の極理は 南無妙法蓮華経の文字それ自体だ!」  だなんて、誰が聞いても ヘン!

詳細に破折する必要もない。


とにかく、狂人の戯言を、論理的に分析する、、、っていうこと自体、かなり難しいけれども、

やはり、クズ犬の言わんとするところは、その論筋、論談、筋目、が混乱しているが故に、全くの怪論である。


草木の 成仏論じる文脈に いきなり持ち込む 曼荼羅首題を   

ああ!恥ずかしい〜〜。 聞いてるこちらが 赤面し    ぶわはっはっははっはh〜〜。