京都・奈良辺りの痴犬どもへの破折 2 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/03/17(Fri) 16:47 No.3162 [返信]

> 投稿日時:2006/03/05(Sun) 03:24
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> おなまえ:愛しの留美子
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> タイトル:助っ人の助っ人?あほ〜ん
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▼> まーしかし実は引用が長いだけの中身カラッポンやね^m^
> ヌケガラ顕ちゃん67号がいわゆる52年路線問題については

「未曾有の成果の実証にともなう教義解釈の行き過ぎ等に起因するのであります。
>  故に、その根底に宗門の宗旨をないがしろにするごとき底意は、なかったと信ずるのであります。宗祖大聖人の仏法において、善悪の基準はあくまで妙法蓮華経という仏陀無上の悟りを顕わす正法及びその付嘱の法体に対しての信伏随従か、誹謗背反かに存するのであり、誹謗背反の者は大謗法であって、大悪の行為と判定されるのであります。しかるに創価学会の逸脱が、いったん正宗に帰入した後において、全く正宗の宗旨、本尊への信仰を捨てて退転したのでないことは明白であります。むしろ改めて後は、なお一層の宗門への外護と御奉公を誓っている姿からみても、過去の逸脱を大謗法というべきではありません。それを、あえて大謗法呼ばわりをし、批判攻撃することは、同じ御本尊を信ずる僧俗のなすべきことではありません。むしろ大聖人の異体同心の聖訓にも背き、各が信ずる御本尊の御意を謗り奉る大謗法となるのであります。」
> と御法主日顕上人猊下お言葉 創価学会創立50周年記念幹部登山の砌(S55.11.26)

での指南を否定し学会を謗法呼ばわりする大謗法の黄倉くんとほーけい講員、マサシくん 猊下ちゃまのご指南はそのまんま拝さなアカンで〜  

●痴犬の妄執深き頭には、何度も同じことを繰り返し教え込まないと理解でいないようである。
これがやはり、謗法のニセ本尊で毒された、癡=バカ ということであろう。

http://toyoda.tv/neirakuji.htm#2

に新たに新資料を加えて編集し掲載する。
―――――――――――
1、まずことの発端は池田大作の平成2年11・16の宗門誹謗スピーチである。
(それ以前から全国の正信の学会員からは池田の数々の問題発言スピーチを憂う報告が宗門へ寄せられていたのであるが。

★ 平成二年、池田のスピーチに疑問を感じた多数の学会員から、スピーチの録音テープや内容などが、宗門にもたらされた。それによると、池田のスピーチは、
 
▼「どこかの坊さんに言いたい。こういう気持ちで信者に接している人がはたしているか。私が勲章をもらったのは、この大聖人の御精神にもとづいているからである。自分が偉いと思ったことはない。(中略)今までの既成宗教は権力と結んで大きくしてきた。学会だけが、権力と結ばずに弾圧を受けながら、純粋に大きくしていった。坊さんは供養を取って、弾圧されなくて、いい身分だよ」(平成二年四月二十九日・東京記念総会)

▼「坊さんだから権威があるのか。坊さんだからといって威張っているが、とんでもないことだ、坊さんが権力で私達を押さえようとした時は、力を合わせて戦おう。坊さんは皆にどれだけ献身したか、していない」(同六月十二日・婦人部総会)

▼「金ばかり取って、少欲知足どころか、大欲傲慢じゃないか。在家を励ますどころか責める、いじめる、嫌な思いをさせるような人に、我々はなめられてはならない。秋谷はびくびくして、顔色ばかりうかがって、だから宗門からなめられるのだ。お寺のことで何かあったら、私といっしょに立ち上がりましょうよ」(同六月二十日・六月度幹部会)

等々、まさに宗門への悪口雑言のオンパレード。

 ことに、学会のK副会長からもたらされた、同年三月十五日の池田発言の内容には、御法主上人猊下に対する憎悪が満ち満ちていた。いわく、

▼「日顕(上人)の悪党野郎。ファッショだ!」

――これらの発言が、かつての五十二路線の再来を、十分予測させるものであったことはいうまでもない。この時点で、宗門においては重大な危惧を抱き、同年七月二十七日に行なわれる宗門と学会の連絡会議で、議題として取り上げるべく、その準備にかかった。)

この11・16スピーチ内の
▼「猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃあいけない。権力じゃありません。」
との発言は、血脈付法の御法主上人を蔑如したものであり、まさに池田大作の慢心を吐露したものである。

■凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。

まさにこの御文の如く、御僧侶である御法主上人を謗っているのであるからそれは”謗僧”であり、池田大作は”謗法”者である。
―――――――――――
2、更に、平成2年12・27 総講頭資格喪失以降の聖教新聞・創価新報(学会の公式文書)等での宗門誹謗攻撃記事は苛烈を極めた。
これまた、■凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。であり、”謗法行為”である。
―――――――――――
3、■懺悔すれども懺悔の後に重ねて此の罪を作れば後の懺悔には此の罪きえがたし。

52年路線の数々の”謗法行為”を反省懺悔して日蓮正宗の教義信条に伏したかに見えた姿を信じられて、日顕上人が”与えて”仰せられた”逸脱行為”とのお言葉も、謝罪の後にその反省懺悔も反故にして重ねて”謗法行為”を繰り返せば、もはや許されないのはこの御文の御心からして当然である。
―――――――――――
4、破門された後の行為を見れば、池田大作の謗法根性の底意は歴然である。
同じ破門された門下として、日興上人に破門された日尊師の、その後の行体を拝すれば、如何に池田大作と違うか、容易に理解できるであろう。
つまりは破門されて、それまで隠し持っていた醜悪な謗法根性が露見したのであって、これは破門されたから俄かに忽然と現れたのではなく、既に以前から池田大作の根性に根深く巣食っていたものである。

■過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。

今の大謗法の「果」を見れば、過去の「因」がやはり大謗法であったことは明白である。
―――――――――――
5、今回学会員は上記の日顕上人の御指南を引文したが、その中の

■我が宗門における法主は、宗祖日蓮大聖人より日興上人・日目上人と、
唯授一人の血脈を相承しているのでありますから、宗内で教義に関して問題が起こった時
は、その裁定を行い、一宗を嚮導すべき地位と責任を有するのであります。

と仰せである御法主上人に、池田創価学会は、今現在真っ向から背いている事実が、結局は池田大作がかつても謗法者であって、しかも今も全くの大謗法者であることの現証=現実の証拠である。
―――――――――――
6、しかも学会は上記御指南中の

■「宗祖大聖人の仏法において、善悪の基準はあくまで妙法蓮華経という仏陀無上
の悟りを顕わす正法及びその付嘱の法体に対しての信伏随従か、誹謗背反かに存するので
あり、誹謗背反の者は大謗法であって、大悪の行為と判定されるのであります。」

とのお言葉にも今全く背いている。

この御指南の「妙法蓮華経という仏陀無上の悟りを顕わす正法」とはまさに『戒壇の大御本尊様』であり、「その付嘱の法体」とは『大聖人様以来の唯授一人の血脈』と拝するのである。

池田創価学会ではこの宗旨の根幹中の根幹である『戒壇の大御本尊』と『唯授一人の血脈』へ「誹謗背反」しているのであるから「大謗法」である。
(参考 池田発言⇒「信心の二字の中にしか、本尊はないんです。本門戒壇、板御本尊、何だ。寛尊は『信心の中にしか本尊はない』と。ただの物です。いちおうの機械です、幸福製造機だから。」⇒『戒壇の大御本尊』否定)⇒※池田本人の発言であることは後に詳述する。
――――――――――――――――――――――
▼テキスト版「長野法論の全貌」から・・・ってなんのこっちゃ?
そんな事はワテには関係あられですわ〜 
ほんでなんやて『平成二年の春か夏だったか、同時放送で池田が「日淳上人、日達上人までは良かった・・・」と発言したのを聞き愕然とした。正に我が耳を疑った。(中略)二、三日後にそのスピーチが聖教新聞に出たので慌てて問題箇所を探した。が、その部分は全くなかった。』

春か夏かわからん?(゜o゜)はぁ〜いつ、誰が、なんの会合のスピーチでっか ハッキリしてもらおうか〜 いい加減な事ゆうてもーたら困るんや〜

●当方の体験であり、あくまでも傍証である。他に多くの例証があることは上記で詳述した。
――――――――――――――――――――――
▼> ヒゲ親父いわく、

●凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。
> まさにこの御文の如く、御僧侶である御法主上人を謗っているのであるからそれは”謗僧”であり、池田大作は”謗法”者である。

▼ってか
> (゜o゜)はぁ〜 日蓮正宗教学部監修の仏哲には
> ● さんぽういったい【三宝一体】◆ 三宝は「さんぼう」とも読む。仏と法と僧の三宝が一体であること。末法の三宝についてみるならば、久遠元初の自受用報身如来即日蓮大聖人である仏宝と事の一念三千の南無妙法蓮華経である法宝とが人法一箇であり、また日蓮大聖人と僧宝である日興上人とは師弟不二である。故に三宝一体である。

> ●(祖道の恢復と真の正信確立の為に)より
> 日蓮正宗の根本義は本門戒壇の大御本尊(法宝)・宗祖大聖人(仏宝)御開山日興上人(僧宝)の三宝一体を信じ仰ぎ・・・
>
> ● 日蓮正宗宗規(H16.3.5改正、同年4.1施行)
>  本宗は大曼荼羅を法宝とし、宗祖日蓮大聖人を仏宝とし血脈附法の人
>  日興上人を僧宝とする。」
>
> ● 三宝抄より
> 「若し内証に約せば実に是れ体一なり 所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり
>  故に一念三千即自受用身と云い 又十界具足の方を名づけて円仏と云う也
>  亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり 故に三宝一体也」
> 若し外相に約して任運勝劣あり。所謂、「仏は法を以って師と為し、僧は仏を以って師となす故なり。故に法宝も以って中央に安置し、仏及び僧を以って左右に安置するなり。」

▼> DVDで青年部のお方がちゃんと講義されてるでしょうが〜よー聞きなはれー

> 三宝一体の中に 別体三宝、一体三宝というのは内相と外相に立て分けただけの話しであってようするに御本尊、大聖人、日興上人その三宝について大聖人と一体であって外相については違いがある 
だから一体三宝、別体三宝というんだよん 
三宝抄に定められている化儀に基づけば、理解でけんかぁ〜
要するにやね、御本尊=法の宝、大聖人様、日興上人様、これが三宝一体の、一体三宝・別体三宝の日蓮正宗の化儀でしょうが〜
末法下種の僧宝は、日目上人以下歴代法主の席は、三宝に取り次ぐ、一閻浮提の座主の席において三宝に取り次ぐ姿で勤行唱題しとるんよ 
そして、その末法下種の僧宝というのは、門流の大衆もまた然なり。
正しく受持信行する限りにおいて、門流大衆檀信徒に至るまで、末法下種の僧宝と定める。
これが日寛上人の教えですがな〜
大客殿には御本尊の両側に、大聖人様の御影と67号とかの御影もならべとけや〜 
まさかそんな沢山、並べられへんにゃとかしょうもない事言わんといてや〜
> わかりまっか〜一体三宝でいう仏宝も法宝も僧宝も謗ってないんだよ〜ん
> しょうもないエロハゲも君には信仰の南無する対象になるんかいな〜
> だから「予が如き無知無戒も僧宝の一分なり。」と日寛上人ですらおっしゃってるんでしょうが 
自身の無教学を恥じんしゃい 
あんたも黄倉くんのように謙遜っていいまっか〜 
おまけに宗規もヌケガラ顕ちゃんから見たときの・・・とか訳のわからん己義かまえまっかワッハハハー

●全くの邪眼による一辺倒の邪説である。
一往は一体三宝・別体三宝義においては正しい辺もあるが、再往、三宝義の全体から見れば、やはり無智である。

詳細については
http://toyoda.tv/neirakuji.htmで完摧済みである。
が痴犬は以下の一点の矛盾に答えられるか。
―――――――――――
どうも京都辺りの痴犬には、三宝義が理解できないらしい。
ほとほと暗愚である。
ここはちょうど、三宝義を徹底的に教え込んであげるいい機会なので、ついでに完摧する。

まず、これら痴犬どもが全く反論不能になっている点。
以下の”飼い主”達のかつての発言を、痴犬は真っ向から否定しているのだが、言い訳ぐらいしたらどうか?

☆「ここで『僧宝』とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。」(昭和五十三年二月二十六日付『聖教新聞』)

☆ 昭和五十三年の「六・三〇」では、「『僧宝』とは、正宗においては第二祖日興上人のことであり、また会長(池田会長)も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられる。」(昭和五十三年六月三十日付『聖教新聞』)

☆ 『大白蓮華』の昭和五十四年十一月号、及び昭和五十八年十月号
 「正法を正しく継承伝持あそばされた血脈付法の日興上人を随一として、歴代の御法主上人、広くは、御法主上人の法類である御僧侶の方々が僧宝なのです。」

さあ、痴犬説が正しいのならば、かつて池田大作は全くの”邪義”を振りかざしていた、とうことだな?
その責任はどうする気だ?
痴犬が飼い主の過去の”未熟さによる失敗”を暴いてしまっていいのか?
邪義を言う者は”謗法”ではないのか?
明確に答えてみよ。
―――――――――――
> ヒゲ親父いわく
●> 池田創価学会ではこの宗旨の根幹中の根幹である『戒壇の大御本尊』と『唯授一人の血脈』へ「誹謗背反」しているのであるから「大謗法」である。
> (参考 池田発言⇒「信心の二字の中にしか、本尊はないんです。本門戒壇、板御本尊、何だ。寛尊は『信心の中にしか本尊はない』と。ただの物です。いちおうの機械です、幸福製造機だから。」⇒『戒壇の大御本尊』否定)

> ▼改竄がお得意ですな〜 長野法論でも出所不明のテープでおまけに延びたような怪しい音声やったもんなぁ〜 ハッハハハー(^.^)/~~~

●痴犬らしい愚かさである。
以下、「ただの物」発言についての、慧妙記事である。
創価学会側は、もし、この「ただの物」発言が、改竄だ、と言うのなら、その証拠を挙げてみよ。
痴犬らでもいい。飼い主の正しさを証明する為に、奔走して、改竄の証拠を挙げることである。
怠けていてはいけない。急いで証拠を挙げる為に東奔西走したまえ。いい結果を持ってこないと、今に飼い主から放り出されることなるぞ。

―――――――――――

 本紙が報じてきた池田大作の破廉恥(はれんち)発言や大御本尊誹謗発言。
加えて、信徒有志による、それら問題発言のテレフォン・サービスが始まるに及んで、学会員の反響の多大さにあわてた創価学会では、『夕刊フジ』のインタビューや、創価新報紙面において、「改ざんだ」「池田先生の声ではない」「反訳ミスだ」などと、姑息な言い逃がれを発表した。
 そこで、本紙では、とことん真偽をハッキリさせるべく、声紋(せいもん)鑑定で有名な日本音響研究所に池田スピーチの録音テープの鑑定を依頼。その結果、学会の嘘つきぶりが、鑑定書付きで証明されるところとなってしまったのである。
 以下、その経緯と結果を紹介する。


 池田大作が本門戒壇の大御本尊を「ただの物です」と発言していたことが、本紙十月一日号で暴露され、また、信徒有志のテレフォンサービスによってそれを知らされた各地の学会員の間に、池田に対する不審の声が沸き上がったことは、読者諸兄の記憶に新しいところであろう。

 これにあわてた創価学会では、広報室次長の花房英夫が、『夕刊フジ』記者のテレフォンサービスについての質問(十月三日号)に答える形で、池田の「イトマン」発言に関しては「名誉会長のスピーチは何度も改ざんされた経験がある。テープ自体の信ぴょう性についても疑問ですね。悪意をもって編集されたものだ」と断定し、「ただの物です」発言については「あの発言は、名誉会長の声とは断定できない。『どんな価値のあるものでも、その価値の分からない者には値打ちがない』といった例え話を、つぎはぎで編集したもの」と決めつけた。

 さらに、その後、十月二十日付の創価新報で、「ただの物」発言をごまかそうとして、学会で捏造した池田スピーチの反訳文(「何だ、寛尊は」の箇所を「なんだかんだと」と、また「ただの物です」を「あとは、物です」と反訳した)を載せたが、その際、前に『夕刊フジ』で「あの声は名誉会長の声とは断定できない」などとコメントしたことをコロッと忘れ、「実際の名誉会長のスピーチは以下の通り」などと書いてしまったものだから、当のスピーチの声がまぎれもなく池田自身のものであったことを、創価新報自身が証明した形になってしまった。

 このように、お粗末なゴマカシ工作ながら、涙ぐましい反撃の努力をしてきた創価学会だったが、その甲斐あってか、本紙編集部にも慧妙の池田スピーチ記事はデタラメだ≠ニする、「愛読者」からの手紙が届いた。十一月八日付で書かれたこの手紙、以下に全文を紹介しよう。

 「前略
 貴紙を愛読している学会員の者です。十一月一日付の貴紙の反訳の件についての記事を読み、さっそくテレフォンサービスを利用させてもらいました。その結果、貴紙が一ページに渡って述べている、すべての記述が全くの間違いであることを、再度確認するに至りました。池田名誉会長の当の同時放送も聞いておりましたし、私自身これまでに百回以上、名誉会長の肉声も聞いたことがあり、貴紙の記述は全くナンセンスと言う以外ありません。
 余りの貴紙のデタラメさに憤(いきどお)りをおぼえ、ここに厳重に抗議するものであります。
 今後、何も知らない人々に、貴紙及び日顕宗のあくどさを、語りに語っていくことを決意しております。ここに感謝の意を表すものであります。
 なお貴紙は、これまでどおり、愛読していくつもりですので、失礼ながら住所氏名は伏せさせていただきます。草々」

 このように、記事を読みテープの声を聞いていながら、なお真実に気付けぬほど毒気深入(どっけじんにゅう)してしまった人間に、はっきり真実をわからせるためにはどうしたらよいか、本紙は、テレフォンサービスを行なった「信徒有志」から、問題の池田スピーチテープの提供を受け、これに、学会系・シナノ企画から発売されていた『対話シリーズ』ビデオのうち、「池田SGI会長ヨーロッパ広布の旅」と題されたビデオを添えて、声紋解析で有名な日本音響研究所に鑑定を依頼した。

 すなわち、テレフォンサービスで流れている池田のスピーチの中の、

1、「イトマン」発言部分(糸満平和会館て、これ名前変えた方がいいんじゃないかな。ウーマンっぽい、ウーマンっぽい。糸満なんてウーマンっぽい。……駄目か、もっといい、ね、いいのは、キンマン、いや、イトマン、キン○○コだよ)に編集・改ざんが加えられているか、どうか

2、「ただの物です」(宗祖大聖人が、この御本尊も、ただ信心の二字におさまれり≠ニ言われたのである。信心の二字の中にしか、本尊はないんです。本門戒壇・板御本尊、何だ、寛尊は『信心の中にしか本尊はない』。ただの物です、いちおうの、機械です。幸福製造機だもの)発言部分の正確な反訳はどうなるか

3、右記二種類の発言が、池田大作本人の声であるか、どうか

の三点を依頼したのである。
これによって、嘘をついていたのが本紙か、学会か、もはや逃げ隠れのできない結論がでることは申すまでもない。
以下、その鑑定結果をここに公開しよう。

「一、指定された部分『糸満平和会館て、(中略)イトマン、キン○○コだよ』に関して編集・改ざんの形跡は、見当らない。

 二、反訳は、『宗祖大聖人が、この御本尊も、ただ信心の二字におさまると言われたのである、信心のなk,信心の二字の中でしか、本尊はないんです。本門戒壇・板御本尊、なんだ、寛尊は信心の中にしか本尊ない、ただ物です、いちおうの、機械です、幸福製造機だ』。(漢字、記号は便宜上、発音に添って使用)

 三、鑑定資料2(シナノ企画から発売されたビデオ)で池田大作であると指定された音声と鑑定資料1(テレフォンサービスの問題発言テープ)の指定された音声は、同一人の音声と推定する。(声紋検査)」

 結果は一目瞭然、本紙の主張の正しかったことが、明確に証明されたのだ。
池田は間違いなく「キン○○コ」発言をし、日寛上人のお言葉を悪用して、本門戒壇の大御本尊を「ただの物です、いちおうの、機械です」などと軽んじていたのである・

 この鑑定書によって、池田の問題発言が立証されたということは、彼の異常性格と大御本尊誹謗、また、それを隠そうとする学会の不正直な「広宣流布」の実態が、はっきりと証明されたことにもなろう。

 この際、伝聞だけで他人の精神鑑定をやってのける高山直子センセー(学会員で精神科医)あたりに、池田の精神鑑定をさせてみたらどうだ。

また、このような池田を「広布の最高指導者」「世界の大指導者」などと称し、池田の異常スピーチにも何の問題すら感じない人々・・。
そのような学会員は、すでに池田と同様の「異常性格者」「破仏法者」となりつつある、と自覚すべきである。

 さあ、学会員諸氏よ、再度、今すぐテレフォンサービス
(0423ー80ー7087)へ電話して、その耳で真実を確かめ、今すぐ脱会しよう。