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▼仏教学の中では釈尊が在世時に説いた内容は概ね「経集・法句経・阿含経典(※)に含まれるであろう」という見解で一致しており、私もそう考える方が自然と考えております。現代における仏教学の主張を支持するものです。
 
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● これについて、なぜどうといえるのか、その根拠を教えてくださいますか?
● その具体的な根拠が明示されないと、検討し論考することはできないです。

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▼※「歴史上の釈尊が説法した内容は、五時で言うところの阿含時の中の古層部分に概ね限定される」ということです。
▼ その他の華厳・方等・般若・法華涅槃については、説いたとしても部分的であろうと考えるのが自然と思います。少なくとも、
▼ まとまった教説あるいはテーマとしてそれらが釈尊によって説かれたと理解することが困難なのです。
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● これも上記と同じで、そう結論付けるだけの根拠と教えてください。
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▼岩波「ブッダのことば(中村元訳)」における以下の解説を根拠としています。
ーーーーーー引用始ーーーーーーーー
『ブッダのことば(スッタニパータ)』は、現代の学問的研究の示すところによると、仏教の多数の諸聖典のうちでも、最も古いものであり、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダ(釈尊)のことばに最も近い詩句を集成した一つの聖典である。
シナ・日本の仏教にはほとんど知られなかったが、学問的には極めて重要である。これによって、われわれはゴータマ・ブッダその人あるいは最初期の仏教に近づきうる一つの通路をもつからである。
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いま聖典成立史上における位置づけを示すと、次のようになる。
一、歴史的人物としてゴータマ・ブッダ(釈尊)の逝去(北方の伝説によると、西紀前三八三年頃になる)ののちに、仏弟子たちはその教えの内容を簡潔なかたちでまとめ、あるいは韻文の詩のかたちで表現した。
いずれにしても暗誦の便をはかったものである。
ことに教えの内容がひとたび詩の形でまとめられると、そのまま、大した変更も加えられることなしに、後世に伝えられた。
多数の詩のうちには、あるいはゴータマ・ブッダ自身がつくったものも含まれているのではないか、と考えられる。
最初は古マガダ語或いはマガダ語の影響の強い俗語(東部インド語)の一種で唱えられていたのであろうが、或る時期にそれがパーリ語に書きかえられて、現在では、パーリ語聖典のうちに伝えられている。
しかしマガダ語の影響を完全に消し去ることはできないで、その痕跡をとどめている。

こういう詩あるいは短い文句の集成がいくつも伝わっているが、『ダンマパダ(法句経)』(岩波文庫『ブッダの真理のことば』)もその一つである。
これらの詩あるいは短い文句は大体アショーカ王(西紀前約二六八─二三二年)以前に成立したものである。
それらの集成のうちでも『スッタニパータ』は特に古く成立したものであり、それらの第四章(アッタカ・ヴァッガ)と第五章(パーラーヤナ・ヴァッガ)とは最も古く成立したと考えられる。
最初のうちはこれらの各章が別々に独立の経典として行われていたが、或る時期に一つの『スッタニパータ』にまとめられたのである。
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もともとインドでは耳で聞いて口づてに伝承されていたものであるから、この性格をやはり保持したいと思った。
耳で聞いても解らぬような漢訳語を使うことは、およそ原典の精神から逸脱している。

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『ブッダのことば(スッタニパータ)』の詩句は右の諸段階のうちで、第一の段階に属するもののうちでも最も古いものである。
また散文の説明は第二の段階に属するものである(この岩波文庫の翻訳では、通し番号を打ってある短い文句が詩、番号を打ってない長い文句が散文である)。
詩の部分はアショーカ王以前につくられたものであるから、西紀前二六八年よりも以前のものであり、散文の部分は西紀前二五〇─一五〇年頃にほぼ現形のようにまとめられたのだろうと考えられる。
ーーーーーー引用終ーーーーーーーー
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↑ 残念ながら、この中村氏の見解では、私の仮説  http://toyoda.tv/bukkyorongio.htm  を完全に否定する根拠とはなり得ませんね。
これはまさに、「本人に時代が近い文献のみが本人の説に近く、遠いものは信用できない。」 という一つの固定観念に基づいた推論であって、これがそのまま事実であり真実であると断定できる根拠とはなり得ないということです。
現に、私の仮説 http://toyoda.tv/bukkyorongio.htm でも釈尊の経典伝播の歴史は説明できますし、中村説ではそれを完全に覆す論拠とはならないですね。

私の知る限り、中村氏が確たる仏道修行によって、釈尊の解脱の根本問題である、生老病死 の問題を乗り超えておられる。。という情報はありません。
まさに、私が例えた、http://toyoda.tv/bukkyorongio.htm の 格闘技が自分ではできないただの古文書研究者 の事例に属するのではないかと思います。

もう少し、学術的に”強力な根拠”を教えてください。