仏教の根源的なところから考察すれば,、現代の 史料至上主義的 な学問的見解は非常に偏っている、と思っています。

例えてみましょう。

今から2500年ほど前に、格闘技の奥義を極め、あらゆる格闘家と戦い、無敗となった先達が現れた。
その先達は弟子たちにその奥義を間近で伝えた。
最初は弟子たちはなかなか修得できなかったが、師が晩年の頃、ようやく同じ境地に到達するものが大勢現れた。
師の滅後、その奥義へ至るあらゆる修行法は、厳しい鍛錬によって 「体得」 という形で伝持されていった。

その伝持していく過程で、奥義を体得した弟子たちは、後の弟子たちに、何とか分かりやすく伝えるために、自ら実践した修行や鍛錬の中で掴んだ、そのコツどころや、体得した境地なども伝え加えられながら、厳しい鍛錬による体得 という形で伝えられていった。
ある時期から、それが文書化され、整理されて伝持されていった。。。。。

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仏教の大きな歴史の流れもこのようなものであったのではないかと推察しています。

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釈尊が大いなる悟りを開いた。
生涯、弟子たちにそれを体得するように教え実践させ伝えた。
その最後期には弟子たちもその境界に達した。
それを滅後、 「実践による体得」 という形で弟子から弟子へ伝えていった。

釈尊と同じ境界に到達した弟子たちが次の世代へ、その境地へ至るための修行法や鍛錬法、その境地の内容。。。などなどを自らの体験も加えながら伝えていった。
それが文書化されたのが様々な経典群
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ですから、一切経の根本的な部分は釈尊在世に全て現れており、釈尊一代での化導の次第が、滅後長い年月かけて、敷衍されていった。。
釈尊50年の説時 と仮定して、それが滅後は、例えば4〜500年かけて敷衍されていった。 

それは釈尊一代でも、概ね 小乗→権大乗→実大乗 と説き上げていったように
滅後の時代の流れの中で、大筋は 小乗→権大乗→実大乗 というように実践・体得されていった。
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このように掴めば、天台の五時八教は大きな括りとしては全く矛盾を感じないのですがいかがですかね。

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私は 経典も、その全てが釈尊の言説のみ。とは捉えていません。

後の弟子たちが、実践・修行して釈尊と等しい境界を体得した上で、その境地を様々な表現を用いて添加していったと思います。

釈尊=仏陀=覚者 ですから、 その後に修行によって体得された覚者が添加していった部分も、その主体者を指して主語として 「釈尊」(=仏陀=覚者) と一括りに表現していた可能性もあるかも知れません。

つまり、インド応誕の一個人の「釈尊」から、その教えを元に修行して同じ悟りに到達した人格を、「釈尊」と同格=「釈尊」 と位置付けた可能性も否定できないと考えています。

一切の経典群をただ、自分は仏道修行もせずに釈尊の悟りを体得もしていない学者が、どのように古文献を穿り返して漁っても、仏教の本質には程遠いことしか見えないと思います。

仏教とはそういうものだと思います。
つまり、実践と体得 こそが仏教の真髄であって、それなくして、その文書化された奥義書やそれに付随する解説文書だけをどう漁って研究してみても、仏教の本質は全く見えてこないということです。

格闘技の修練・鍛錬をしていない者が、自分は全く格闘技を体得してないのに、格闘技の先達の書いた奥義書をどう読んでみても何も分からない。
ただ、奥義書の書かれた日付とか言葉使いとか、ああでもないこうでもない、、、と詮議している。。という姿ですね。