浅野恭浩氏からまたも無能な全く同じ内容の繰り返しメールが来た。

浅野君が法華講に反論不能の大惨敗している大失態のため役職を降格させられるのではないか、あるいは本部職員としての収入を失い、路頭に迷うのではないか、と焦っているのかどうか定かではないが、自己保身のために必死に足掻く姿は惨めったらしい。

浅野君が足掻いて無能・無策で全く同じ内容を繰り返し返信する度に、当方は浅井昭衛の矛盾に満ち満ちた言動を晒し抉り出すだけである。
最近の顕正会員はそういう過去の浅井昭衛の今とは真逆の発言など知る由もなかろうから、浅野君が自己保身のために何の反論にもならない駄言を繰り返すことで、師匠である浅井昭衛の黒歴史が暴かれていき、広く知られていくのである。
-----------------------------------------
@ 浅野恭浩氏、自己保身に躍起で反論不能の駄言を繰り返す 
        ↓
A その度に 当方 浅井昭衛の過去の別の矛盾言動をさらに詰問。

@→A の無限ループ  こういう構図となる。
-----------------------------------------
顕正会本部としてはこの浅野君の暴走状態を放置すれば、知られたくない浅井昭衛の過去がますます暴かれ、最近の顕正会員の目に晒されるのは困るのではないのか?
是非ともこの往還を顕正会本部のお偉いさんにも見ていただいて、会のためにも浅野君に適切な処断をした方が良かろう。

では本題。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

昭和44年 昭和39年以来5年ぶりの登山参詣がやっと許される

その時 浅井昭衛は大化城のある部屋の扉を閉鎖させて S44/1/7 大化城指導会 を行った。
浅井昭衛発言 ▼「正本堂が御遺命の戒壇とはとんでもないことである」 (試練と忍従の歴史 P73 P75 P76

ここでよく考えれば矛盾に気付くはずである。
浅井昭衛に言わせれば、昭和40年2月16日に日達上人は御遺命破壊の御指南をしたことになる

-----------------------------------------
根拠↓
▼ 国立戒壇が突如として否定された。しかもそれは総本山の日達上人の発言によってである。
時は昭和四十年二月十六日、正本堂建設委員会において
同上人は、正本堂が御遺命の戒壇に当る旨の説法をされたのである。
正本堂が、大聖人御遺命の「本門戒壇」に当るとすれば、その外に将来国立戒壇が建てられるということはなくなる。
まさに
この説法は、国立戒壇の事実上の否定を目的としたものであった。(冨士昭和五二年八月号
-----------------------------------------

ということは浅井昭衛の言い分では 「日達上人は御遺命破壊の大謗法の法主」 ということになる。
ならば、その法主が導師をされる御開扉に参加することは完全な謗法与同ではないか。
浅井昭衛はじめ同時に御開扉に参加した妙信講全員、大謗法与同の大罪をおかした。ということになる。

さ、この大自己矛盾はどう反論できるのか?
浅野教学部委員の鮮やかな反論を楽しみにしている。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

無能で無策で不毛な全く同じ内容の駄言を繰り返しているだけじゃなく、少しは頭を使ってまともな反論してみたらいかがか?
浅野恭浩氏が教義的に反論しなければ無間地獄に堕ちることを論証

君は顕正会から給料貰っているのでははいのか?(違うならいいが。。。)
無能無策なままでは『給料泥棒』とか言われないか?
いつまでもこんな無様(ぶざま)な応対しかできないと、本部職員クビにならないか?呵々