浅野君は反論しない(できない)理由として、▼「樋田が大阪法論で敵前逃亡した。その約定を履行しない限り応対する必要がない(趣意)」と主張しているが、それが全く失当であり。当方が浅野君へ詰問する論題に、浅野君が反論しなければならない教学的な根拠を示す。

-----------------------------------------
@ ■ 法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。(曽谷殿御返事 建治二年八月二日 五五歳 1040)

→ 浅井昭衛を正師と仰ぐ限り、その師を散々に誹謗する者を見て置いて教義的に破折し責めなかったら、浅井昭衛も巻き込んで浅野君も地獄に堕ちること必定。

-----------------------------------------
A ■ 邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣(さいお)いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。
此の旨を知らずして摂折途に違はゞ得道は思ひもよらず、悪道に堕つべし
是仏法修行の大事なるべし。(聖愚問答抄 402) 

→ 日蓮正宗が正しいのか、浅井昭衛の主張が正しいのかとの論題に対して、当方は明らかに浅井の主張や経歴は大謗法である。と断じているのであるから、それに対して浅野君は ■「万事を閣(さいお)いて」 反論しなければならない。
「大阪法論の敵前逃亡が云々」などという瑣末なことに拘って、仏法の正邪の本義論から逃避することは、日蓮大聖人様の御命令に背くことになる。
しかも、このまま反論しなければ、■「得道は思ひもよらず、悪道に堕つべし」 浅野君は間違いなく地獄に堕ちる。

-----------------------------------------
B ■ 即身成仏と申す法門は、世(よ)流布(るふ)の学者は皆一大事とたしなみ申す事にて候ぞ。就中(なかんずく)予が門弟は万事をさ(差)しを(置)きて此の一事に心を留むべきなり。建長五年より今弘安三年に至るまで二十七年の間、在々処々にして申し宣(の)べたる法門繁多なりといへども、所詮は只此の一途なり。(妙一女御返事 弘安三年一〇月五日 五九歳 1498)

→ この御文に示される通り、人界に生まれ出でた者は須らく「即身成仏できるか否か」が最重大事であり、日蓮大聖人の弟子檀那を名乗る者は「万事を差し置いて」このことを論ずべきである。
▼「大阪法論の敵前逃亡」について」など、誰がどう「敵前逃亡」しようが、一体誰の「即身成仏」に関係する重大事と言えるのか?
このような馬鹿げた内容の是々非々を楯に、当方が指弾している、仏法の正邪に関わる、浅野昭衛の言動の矛盾に対して、堂々と応戦し反論しなければ、浅野君は日蓮大聖人の御命令に背く破仏法の輩であり、無間地獄必定である。