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▼ 「我が滅度の後
、後の五百歳の中に」 の「後の五百歳」を 「釈尊入滅直後からの500年」と取る研究者がいるが、全くの誤読である。
仏教の全体観を掴んでないからそのような読み違いをするのである。

まず、原始仏教経典においても、釈尊滅後は、正法が、ある程度の期間、興隆し安定する。とある。
その後、衰退→混乱→消滅 という過程を進むと予言されている。
であるならば、釈尊滅後直後から 悪世 法滅 末法 末世 などである訳はなく、この 悪世 法滅 末法 末世 と表現されている時代は、釈尊滅後から相当数時間が経過した後のことを指し示している。
そして以下に列挙した経文は、その 悪世 法滅 末法 末世 における法華経の弘通の相を示しているのであるから、法華経全体の要旨や教説の流れを拝して解釈すれば

薬王品第二十三
■「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。」

との文は、まさに釈尊入滅から相当数年次が経過した後の 悪世 法滅 末法 末世 における法華経の弘通の相であることは確定的である。

論証の追加

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【参考】

★ 法華経では 悪世・末法・法滅・末世 をどのように示されているか。

方便品第二
126下-01
五濁の悪世には 但諸欲に楽著せるを以て
是の如き等の衆生は 終に仏道を求めず
当来世の悪人は 仏説の一乗を聞いて
迷惑して信受せず 法を破して悪道に堕せん

法師品第十
320下-12
薬王、当に知るべし。是の人は自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於て、衆生を愍れむが故に悪世に生れて、広く此の経を演ぶるなり。
若し是の善男子、善女人、我が滅度の後、能く竊に一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使なり。如来の所遣として、如来の事を行ずるなり。何に況んや、大衆の中に於て、広く人の為に説かんをや。
薬王、若し悪人有って、不善の心を以て、一劫の中に於て、現に仏前に於て、常に仏を毀罵せん、其の罪尚軽し。若し人一の悪言を以て、在家出家の法華経を読誦する者を毀呰せん、其の罪甚だ重し。

法師品第十 
322下-12
当に知るべし是の如き人は 生ぜんと欲する所に自在なれば
能く此の悪世に於て 広く無上の法を説くなり
応に天の華香 及び天の宝衣服
天上の妙宝聚を以て 説法者に供養すべし
吾が滅後の悪世に 能く是の経を持たん者をば

法師品第十
吾が滅後の悪世に 能く是の経を持たん者をば
324下-01
当に含掌し礼敬して 世尊に供養するが如くすべし

370下-01
妙法蓮華経勧持品第十三
後の悪世の衆生、善根転少くして増上慢多く、利供養を貪り不善根を増し、解脱を遠離せん。

勧持品第十三
375下-01
悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に
未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん

379下-01
妙法蓮華経安楽行品第十四
後の悪世に於て、是の法華経を、護持し、読誦し、説かん。

安楽行品第十四
406下-01
若し後の悪世の中に 是の第一の法を説かば
是の人大利を得んこと 上の諸の功徳の如くならん

安楽行品第十四
388下-01
文殊師利、如来の滅後に、末法の中に於て、是の経を説かんと欲せば、応に安楽行に住すべし。

安楽行品第十四
391下-01
文殊師利、菩薩摩訶薩にして、後の末世の、法滅せんと欲せん時に於て、斯の経典を受持し、読誦せん者は、嫉妬諂誑の心を懐くこと無かれ。

安楽行品第十四
393下-01
文殊師利、是の菩薩摩訶薩、後の末世の、法滅せんと欲せん時に於て、是の第三の安楽行を成就すること有らん者は、是の法を説かん時、能く悩乱するもの無けん。


安楽行品第十四
395下-01
文殊師利、菩薩摩訶薩にして、後の末世の、法滅せんと欲せん時に於て、法華経を受持すること有らん者は、在家、出家の人の中に於て、大慈の心を生じ、菩薩に非ざる人の中に於て、大悲の心を生じて、応に是の念を作すべし。

安楽行品第十四
400下-01
後の末世の時 此の経を持たん者は
家と出家と 及び非菩薩とに於て
応に慈悲を生ずべし

従地涌出品第十五
408下-01
止みね、善男子。汝等が此の経を護持せんことを須いじ。所以は何ん。我が娑婆世界に、自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り。一一の菩薩に各六万恒河沙の眷属有り。是の諸人等、能く我が滅後に於て、護持し、読誦し、広く此の経を説かん。

   ★ → この文は重要である。釈尊は随所で列座した多くの菩薩衆らに滅後末法での法華経の弘通を奨励し、また弟子たちも誓願しているのだが、この一言でその全てを破り、ただ地涌の菩薩衆のみに末法の弘通を託している。
その地涌の菩薩の上首上行菩薩への別付嘱の儀式が神力品第二十一なのである。

分別功徳品第十七
461下-01
悪世末法の時 能く此の経を持たん者は
則ち為れ已に上の如く 諸の供養を具足するなり

薬王品第二十三
■「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。

勧発品第二十八
598下-03
世尊、後の五百歳濁悪世の中に於て、其れ、是の経典を受持すること有らん者は、我当に守護して、其の衰患を除き、安穏なることを得せしめ、伺い求むるに、其の便を得る者無からしむべし。

勧発品第二十八
599下-03
世尊、若し後の世の後五百歳、濁悪世の中に、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の求索せん者、受持せん者、読誦せん者、書写せん者、是の法華経を修習せんと欲せば、三七日の中に於て、応に一心に精進すべし。

勧発品第二十八
605下-02
普賢、若し如来の滅後、後の五百歳に、若し人有って、法華経を受持し、読誦せん者を見みては、応に是の念を作すべし。
此の人は久しからずして、当に道場に詣して、諸の魔衆を破し、阿耨多羅三藐三菩提を得、法輪を転じ、法鼓を撃ち、法螺を吹き、法雨を雨らすべし。当に天・人大衆の中の、師子の法座の上に坐すべし。


以上法華経から「悪世・末世・末法・法滅」などの語を含むか所を列挙した。
意を読めば、まさに初期仏教資料としてのパーリ語阿含部の中に存在していた、「正法の存続→衰退→混乱→焼失」の後の世に法華経が広まることを勧請し、奨励し、予証しているのである。



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