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■ 妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三 

我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。

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@ この 「後の五百歳」 を ▼ 「釈尊滅後直後の五百年」 とする【邪難】がある。

が、全く不可。

歴史的事実として、釈尊滅後の直後の500年間には、法華経は世上には全く広く広まってはいなかった。
であるから、この経文通りにはならなかった、ということになり、釈尊の詔勅は実行されず、予言も外れたことになる。
とすれば釈尊に仏の資格はなかったことになり、釈尊は信用できない、仏法そのものも信仰するに足らない、ただの妄言ということになる。
となれば、法華真実、爾前権教方便、などと論じることもそもそも無意味なこと、となり、仏教について熱く論じ合うこと自体、ナンセンスなことになる。

しかし、正しく仏法を信行する者にとって、その体得した境界の真実からして、釈尊の教説が全くの虚妄だったなどということは絶対に在り得ない。

だとすれば、釈尊滅後の直後の五百年間に法華経が広く広まっていなかった史実から、上記の経文は、 釈尊滅後の五百年 を指していないことは明白である。

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A


もし ▼ 「後の五百歳」 を ▼ 「釈尊滅後直後の五百年」  とするのなら

■ 「我が滅度の「後」、「後」の五百歳」

と 「後」 が二回繰り返される必要がない。

「我が滅度の後の五百歳 」 で良い訳である。

敢えて二回繰り返された意義は、

■ 我が滅度の「後」、(解脱堅固五百歳 禅定堅固五百歳 読誦多聞堅固五百歳 多造塔寺堅固五百歳の)「後」の 五百歳

という意義であると拝する。 
これはこの「五百歳」との句は、大集経等の五百年毎に時代相を区切って論じている義と相通じていると考えることが一番道理にかなっているからである。


正法・像法と合わせて表記すれば以下の如くである。

■ 『我が滅度の「後」、

(正法一千年( 解脱堅固五百年 ・ 禅定堅固五百年)・
 像法一千年( 読誦多聞堅固五百年 ・ 多像塔寺堅固五百年)の)

「後」 の 五百歳』 の中に 閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。』

との意義である。


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