伽羅さんへ。  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 6月16日(金)23時24分53秒 61-24-107-97.rev.home.ne.jp

  引用

 

 

やっと身体が空きました。遅くなりました。m(_ _)m

>>条件付きで尊崇の対象である末法下種三宝とはなにか?
>>ではその条件とはなにか?

>吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。
>爾来、日目・日道、代々威く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり。
                              歴全P390

>「広く論ずれば正法を受持信行し随力弘通の任に当たる本宗僧俗のすべてが、
>僧宝であるといえる。」 日蓮正宗要義 P307

まさしくその通りです。
つまり「末法下種三宝」には、「正法を受持信行し随力弘通の任に当たる本宗僧俗の
すべてが僧宝」であり、その行躰に応じて「門流の大衆」も含まれます。(^o^)

つまり、宗門・法華講云うところの、「興師を随一とする、唯授一人血脈相承された歴代法主」
などとはどこにもないのですよ。(^o^)

しかも要点はここ、「正法を受持信行し随力弘通の任に当たる」の箇所です。
一体誰が「正法を受持信行」し、一体誰が「随力弘通」してきたのか。
宗門・法華講ですか?(^o^)
笑わせてはいけません。(^o^)

「学会が75万やった時に、法華講も75万やっておれば」
あるいは
「海外広宣流布は学会にお任せする」
と達師も申した通り、宗門・法華講は広宣流布などしてはおりません。(^o^)
(ああ、「蓮祖仏法でないものをいくら広めても、云々」という宗門・法華講の泣き言は無用。
多少なりとも羞恥心とかプライドを持っておるのなら、学会を超えてはじめて
その言葉吐けと申し上げる。(^o^) )

>>判決文をupして証明して頂こう。どうぞ。(^o^)
>慧妙か大白法からの引用ですから判決文は持っていません、やまいぬさんが
>ご自分で裁判所に行って違っていたら反論されればよろしいかと思います。
根拠なく書き殴られた由、了解しました。(^^)

>あともうこれについては、なにもありませんので、やまいぬさん勝手に勝利宣言でも
>ボクが宗儀と違ったことを吐露したとなんとでもいいふらしてください

殊勝であり立派です。
この手のサイトに根拠なく書き殴り、根拠を問われて返答も出来ず、逃げて逃げて
泣いて逃げ廻り、その態度改めようともせず、故に私のような浅学未熟の極みからでさえ、
「クズ」と呼ばれる法華講ばかりの中で、伽羅さんの態度、揶揄ではなく本心から立派だと
思います。

このやり取り、これにて終結。(まぐ様にも深く感謝。m(_ _)m )

ついでに伽羅さん、今回これだけご立派な態度を取られたあなたが、今後この手の
サイトにて、如何なる学会側書き込みに対しても、つまらない難癖をつけられては、
折角のあなたの姿勢が嘘となります。
また、私も折角のあなたと、また「刃交える」というのも不本意。
あなたの名折れとなられるようなことのありませぬよう。m(_ _)m

 

やまいぬ君へ  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月16日(金)23時31分33秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

当板の管理人として訊きますが

「正法を受持信行し随力弘通の任に当たる」
の「正法」とは明確に言えば何ですかね?

 

樋田さん、  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 6月17日(土)00時18分19秒 61-24-107-97.rev.home.ne.jp

  引用

 

 

はじめして。(かな?(^^) )

只今、我が家からどこぞに旅に出ておるので、「日蓮正宗要義」は手許にありませんが(^^;、
「正法」とは云うまでもなく、突き詰めれば蓮祖伝うるところの題目の七字であり、
「正法を受持信行し随力弘通の任に当たる」とは、蓮祖仏法の絶対的信仰対象としての
久遠元初の三宝への、自行化他に亙る信心をいいます。(^o^)

 

Re: 樋田さん、  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月17日(土)00時35分21秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> 「正法」とは云うまでもなく、突き詰めれば蓮祖伝うるところの題目の七字であり、

「題目の七字」だけでいいのですか?
では、日蓮宗の唱える題目は、「蓮祖伝うるところの題目の七字」ですか?
違いますよね。?

では、
正法=「蓮祖伝うるところの題目の七字」とは具体的には何でしょうか?

 

(無題)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 6月17日(土)00時43分48秒 61-24-107-97.rev.home.ne.jp

  引用

 

 

>「蓮祖伝うるところの題目の七字」とは具体的には何でしょうか?
インターネット掲示板に、その7字を書きたくないだけですよ。(^o^)

>日蓮宗の唱える題目は、「蓮祖伝うるところの題目の七字」ですか?
いいえ、久遠元初の三宝への信仰の上での題目ではありませんよ?(^^)

 

樋田さん、  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 6月17日(土)12時47分50秒 61-24-107-97.rev.home.ne.jp

  引用

 

 

伽羅さんとやり取りするためにここに来て、期せずしてあなたから声をかけられたのも
何かの縁か、こちらからも一つお伺いします。なに、簡単なことです。

宗門においては、云はば「バケツリレー」の要領で(^^;、「唯授一人血脈相承」なる
ものが行われると云いますね。(^o^) 宗門の見解では当然、その相承されたものの
「正体」なるものは、いまは当然現法主・ブクロの寛ちゃんにあるとあるといいますが、
私の知る妙観講活動家の如きは、前法主・日顕にもある、つまり「二人が“半分ずつ
所有”」と「はっきりと」申し、「これでより磐石」などと能天気に云うておるのですが、
これはどちらが正しいのでしょうね?(^^)

 

Re: (無題)  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月17日(土)21時40分22秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

やまいぬさん。あまり論点を広げずにひとつひとつじっくりいきましょう。

> >「蓮祖伝うるところの題目の七字」とは具体的には何でしょうか?
> インターネット掲示板に、その7字を書きたくないだけですよ。

ということは、大聖人様御筆の「南無妙法蓮華経」の中央首題。ということですか?

 

あれ?やまいぬさん  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月20日(火)08時58分12秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

↓これについてのお答えはどうされましたかね。
かつてあれほど当方との対論を望まれていた方なのに?

―――――――――――
> やまいぬさん。あまり論点を広げずにひとつひとつじっくりいきましょう。
>
―――――――――――
> > >「蓮祖伝うるところの題目の七字」とは具体的には何でしょうか?
―――――――――――
> > インターネット掲示板に、その7字を書きたくないだけですよ。
>
> ということは、大聖人様御筆の「南無妙法蓮華経」の中央首題。ということですか?
―――――――――――
更に、http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/105.html
の、下の画像=身延の土産本尊などは、まさにやまいぬさんの言う、「蓮祖伝うるところの題目の七字」ですよね。

ではこれが「正法」なんですか?
少し(いや、かなり、というか 全く)おかしくありませんか?

さ、さ、ことは「正法」の定義です。
これがうまくできないと、「創価学会員こそが「僧宝」の一類」、と言いたい根拠が崩れますよ。

ご名答をお待ちしております。

 

ほう?   投稿者:やまいぬ。  投稿日: 6月20日(火)21時26分50秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

  引用

 

 

いつの間にか書き込んでおられたか。

>かつてあれほど当方との対論を望まれていた方なのに?
(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)
いつですか?(^o^)
随分と自意識過剰ですね。(^^)
ということは、当然当方からの問いに返答して頂けるのですよね?(^o^)
なーに、簡単ですよね?(^^)

「宗門においては、云はば「バケツリレー」の要領で(^^;、「唯授一人血脈相承」なる
ものが行われると云いますね。(^o^) 宗門の見解では当然、その相承されたものの
「正体」なるものは、いまは当然現法主・ブクロの寛ちゃんにあるとあるといいますが、
私の知る妙観講活動家の如きは、前法主・日顕にもある、つまり「二人が“半分ずつ
所有”」と「はっきりと」申し、「これでより磐石」などと能天気に云うておるのですが、
これはどちらが正しいのでしょうね?(^^)」

> やまいぬさん。あまり論点を広げずにひとつひとつじっくりいきましょう。
論点など広がりません。(^^)
宗門の言い分が正しいのか、この妙観活動家の言い分が正しいのか。
それだけ返答して頂ければ充分です。(^^)

さて、

> ということは、大聖人様御筆の「南無妙法蓮華経」の中央首題。ということですか?
その通り、とも云えますが、「曼荼羅の首題」と捉えるよりは、
「一念三千の法門は、但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」、その静められ、
久遠元初の自受用報身たる蓮祖が末法に流布された題目の7字、というべきでしょう。

>下の画像=身延の土産本尊などは、まさにやまいぬさんの言う、「蓮祖伝うるところの
>題目の七字」ですよね。
>ではこれが「正法」なんですか?
>少し(いや、かなり、というか 全く)おかしくありませんか?
えー、私が最初にまず書き、あなたからの同じ問いに返答するのはこれで2度目ですね?(^o^)

「「正法」とは云うまでもなく、突き詰めれば蓮祖伝うるところの題目の七字であり、
「正法を受持信行し随力弘通の任に当たる」とは、蓮祖仏法の絶対的信仰対象としての
久遠元初の三宝への、自行化他に亙る信心をいいます。(^o^)」
(投稿日: 6月17日(土)00時18分19秒)

読めましたか?(^^)

さ、私からの上記、一瞬で終わる簡単極まる問いへのご返答、お待ちします。(^o^)

 

あ、  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 6月20日(火)21時27分58秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

  引用

 

 

「静められ」→「沈められ」、ですね。

 

やまいぬ氏へ、質問  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月21日(水)17時54分36秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> >かつてあれほど当方との対論を望まれていた方なのに?

> いつですか?(^o^)
> 随分と自意識過剰ですね。(^^)
―――――――――――
●↓こんなことも忘れるほどの”程度”なのですかね?
―――――――――――
投稿日時:2006/02/09(Thu) 20:39
ホスト名:61.24.105.180
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:やまいぬ。
Eメール:
タイトル:今晩は。
URL  :

管理人様、ご挨拶が遅れ失礼しました。
創価学会“なりたて”壮年部、やまいぬと申します。以後宜しく御願い致します。

日顕師登座以前にはまったく聞かれず、登座以降聞かれるようになった言葉に
「内証は大聖人」というのがあり、法華講、なかんずく妙観講諸氏と話すときに
頻繁に出てくるものでもありますが、前々から疑問に思っておりながら、
「いまさら訊けないなんとやら」で確かめ損ねていたのがまさしくこれです。
故にここは是非、妙観講活動家として名高い管理人様に、数点お伺いさせて頂きます。

@「内証」とはそもそも何か?
Aでは、「内証は大聖人」とはどういうものか?
B「唯授一人血脈相承」を説明する時に、法華講氏、また妙観講氏がよく云う譬えとして、
「コップからコップに一滴残らず注ぐ」とありますが、これは正しいですか?

まず以上3点、宜しく御願い致します。
(続きは「正解」を伺ってから。)

―――――――――――
投稿日時:2006/02/10(Fri) 20:14
ホスト名:61.24.105.180
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:やまいぬ。
Eメール:
タイトル:今晩は。
URL  :

管理人様も、まぁ何かとお忙しいことでしょうが、拝見すると
書き込む(返答する)余裕もないほど忙しい訳ではなさそうですね?(^^)

>追、で、私からのささやかな質問には、いつ、お答え下さるのでしょう?
同意。(^^;

―――――――――――
投稿日時:2006/02/11(Sat) 23:48
ホスト名:61.24.105.180
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:やまいぬ。
Eメール:
タイトル:、という訳で・・・。(^^;
URL  :

@「内証」とはそもそも何か?
Aでは、「内証は大聖人」とはどういうものか?
B「唯授一人血脈相承」を説明する時に、法華講氏、また妙観講氏がよく云う譬えとして、
「コップからコップに一滴残らず注ぐ」とありますが、これは正しいですか?

えー、お答え頂く訳にはいきませんか?(^^;
(宗門の方が頻発する言葉でもありますし、簡単だろうと思ったのですが、意外と難しいのかな?)
―――――――――――
投稿日時:2006/02/14(Tue) 00:32
おなまえ:やまいぬ。
タイトル:(^^)

もちろん管理人氏が誰の質問にどのような「順番で」返答しようとご自由です。(^^)
ただですね、愚にもつかぬ揚げ足取り的な、(別段“決着”する訳でもない)
果てしもない非難の繰り返しは続けても、単純極まる「質問」
(しかも“ご存知”なら、何の造作もない問い)に対し、返答出来ぬ
理由も特にありますまい?(^^) それとも何かおありですか?(^o^)

なあに、法華講氏・妙観講氏、しょっちゅう口になさる割には、誰に訊いても
一人としてまともに答えられぬ故、「あれ? ひょっとして知らずに云ってるの?(@_@) 」と
思ったまでで。管理人様は、まさか斯様なことはありますまいて。(^^)

気長に待ちましょう。(気長に待たねばならぬような問いか、これが??(^o^) )
―――――――――――
投稿日時:2006/02/14(Tue) 22:59
おなまえ:やまいぬ。
タイトル:まったく破廉恥な。

管理人殿、あなたのおっしゃる女性スキャンダルなるもの、一度でいいから
白日の下に晒して御覧なさい。(^^)
ネット世界などというこの現実世界の片隅で、ああでもないこうでもないと
特定の団体・個人を罵倒するばかりで、自信満々で仰る割には誰一人
裁判に訴えて物事の白黒をつけようともしない。
(無論、はっきり出来ないからしないだけですが。(^^) )

こんなところでウダウダ云ってないで、あなたがその女性スキャンダルとやらを
満天下に示し、あなたの正しさと池田先生の「行い」を
証明できれば、
あなたはアンチ学会世界で永遠にその名を残す大ヒーローです。出来ますか?(^o^)

片や仮にも僧侶の姿をして、一宗の教学部長などという肩書きを持ちながら、
わざわざ寒空のシアトルで、選りにもよって売春婦の方と「サービスの支払い(^o^)」に対して
トラブルを起こし、「そんなものは事実無根だ」と名誉毀損で訴訟を起こしたら、
裁判費用は相手方(学会)の分まで全部自分で被らされて、名誉もヘッタクレも
回復できずにすごすごと引き下がった。

「事実を白日の下に晒す」とは、こういうことです。
まぁ言い換えれば、「満天下に恥を晒す」、ですが。(^o^)
どうです? やって御覧なさい。(^o^)
(えー、笑いが止まりません。(^o^) )
―――――――――――
などなど・・・・・
当方は「やまいぬ」氏など全く知らない人であり、当方から論議を持ちかけたことはない。
あくまで貴公からの”要請”であり、”希望”ではなかったか?

では本題。
―――――――――――
> 「宗門においては、云はば「バケツリレー」の要領で(^^;、「唯授一人血脈相承」なる
> ものが行われると云いますね。(^o^) 宗門の見解では当然、その相承されたものの
> 「正体」なるものは、いまは当然現法主・ブクロの寛ちゃんにあるとあるといいますが、
> 私の知る妙観講活動家の如きは、前法主・日顕にもある、つまり「二人が“半分ずつ
> 所有”」と「はっきりと」申し、「これでより磐石」などと能天気に云うておるのですが、
> これはどちらが正しいのでしょうね?(^^)」

●本当に”簡単”ですね。もし、妙観講活動家の方が本当に「二人が“半分ずつ所有”」と言ったのなら、それは間違いですね。
―――――――――――
> ● > ということは、大聖人様御筆の「南無妙法蓮華経」の中央首題。ということですか?

> その通り、とも云えますが、「曼荼羅の首題」と捉えるよりは、
> 「一念三千の法門は、但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」、その静められ、
> 久遠元初の自受用報身たる蓮祖が末法に流布された題目の7字、というべきでしょう。

●はい、ではそれは目に見えるものですか?それとも見えないものですか?
目に見えるものなら、どういう形をしているのですか?
見えないのなら、どうやってそれを修行するのですか?
>
―――――――――――
> >下の画像=身延の土産本尊などは、まさにやまいぬさんの言う、「蓮祖伝うるところの
> >題目の七字」ですよね。
> >ではこれが「正法」なんですか?
> >少し(いや、かなり、というか 全く)おかしくありませんか?

> えー、私が最初にまず書き、あなたからの同じ問いに返答するのはこれで2度目ですね?(^o^)

●同じ問いではないですがね。
文が読めませんか?
>
> 「「正法」とは云うまでもなく、突き詰めれば蓮祖伝うるところの題目の七字であり、
> 「正法を受持信行し随力弘通の任に当たる」とは、蓮祖仏法の絶対的信仰対象としての
> 久遠元初の三宝への、自行化他に亙る信心をいいます。(^o^)」
> (投稿日: 6月17日(土)00時18分19秒)
>
> 読めましたか?(^^)
―――――――――――
●どうも記憶力に欠け、国語に弱いようなので、分解しましょう。
1、ここの「正法」の定義が曖昧だと、「受持信行し随力弘通の任に当たる」ことも何のことだか明確にはなりません。
「正法」を「突き詰めた」「蓮祖伝うるところの題目の七字」を明確に示してくださいませんか?できませんか?

2、「蓮祖仏法の絶対的信仰対象としての久遠元初の三宝」って具体的には何ですか?
観念的なものですか?
それとも何か具体的な姿を持ったものですか?

3、それへ「自行化他に亙る信心」をするって、具体的には何をどうすることなのですか?

”さ、私からの上記、一瞬で終わる簡単極まる問いへのご返答、お待ちします。(^o^)”

宜しくね。

 

(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 6月22日(木)00時27分51秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

  引用

 

 

>当方は「やまいぬ」氏など全く知らない人であり、当方から論議を持ちかけたことはない。
>あくまで貴公からの”要請”であり、”希望”ではなかったか?

で、結局、他の法華講氏たち同様、なんらも返答不能にて

@「内証」とはそもそも何か?
Aでは、「内証は大聖人」とはどういうものか?
B「唯授一人血脈相承」を説明する時に、法華講氏、また妙観講氏がよく云う譬えとして、
「コップからコップに一滴残らず注ぐ」とありますが、これは正しいですか?

こんな簡単な筈の問い、すべてスルーなさった訳ですね?(^o^)

>では本題。
―――――――――――
> 「宗門においては、云はば「バケツリレー」の要領で(^^;、「唯授一人血脈相承」なる
> ものが行われると云いますね。(^o^) 宗門の見解では当然、その相承されたものの
> 「正体」なるものは、いまは当然現法主・ブクロの寛ちゃんにあるとあるといいますが、
> 私の知る妙観講活動家の如きは、前法主・日顕にもある、つまり「二人が“半分ずつ
> 所有”」と「はっきりと」申し、「これでより磐石」などと能天気に云うておるのですが、
> これはどちらが正しいのでしょうね?(^^)」

● 本当に”簡単”ですね。もし、妙観講活動家の方が本当に「二人が“半分ずつ所有”」と
言ったのなら、それは間違いですね。

結構です。有難う御座いました。(^^)
あなたもご存知の、某妙観講員に、よーく伝えておきましょう。(^o^)


――――――――――――――――――――――――――――――――――


●はい、ではそれは目に見えるものですか?それとも見えないものですか?
>目に見えるものなら、どういう形をしているのですか?
無論、御本尊として顕されていますよ。(^o^)

>見えないのなら、どうやってそれを修行するのですか?
蓮祖御在世より現代に至るまで、御本尊のないところ、頂いていないひと、幾らでも
おりますが、たとえ御本尊はなくとも壁に向かっての唱題でも、無論信仰・修行として
成立しますし、結果も出ます。と、改めていまさら書くのもどうかと思いますが。(^o^)

●同じ問いではないですがね。
>文が読めませんか?

「「正法」とは云うまでもなく、突き詰めれば蓮祖伝うるところの題目の七字であり、
「正法を受持信行し随力弘通の任に当たる」とは、蓮祖仏法の絶対的信仰対象としての
久遠元初の三宝への、自行化他に亙る信心をいいます。(^o^)」
(投稿日: 6月17日(土)00時18分19秒)

これが読めていれば、上記のような問いはありません。(^o^)

>「蓮祖伝うるところの題目の七字」を明確に示してくださいませんか?できませんか?
私はネット掲示板などというこんなところに書きたくないだけですが、あなた自身が書き、
その通りだと申しましたが?(^o^)

>2、「蓮祖仏法の絶対的信仰対象としての久遠元初の三宝」って具体的には何ですか?
>観念的なものですか? それとも何か具体的な姿を持ったものですか?
えー、いまさらこんなことをお教えせねばなりませんか?(^o^)
仏宝――日蓮大聖人
法宝――本門の本尊(題目の7字)
僧宝――日興上人
いらっしゃらない御本人は「眼に見えません」が(^^)、だからといって「観念的」という表現とも
違うでしょう。「信」とはそういうものです。(^^)

>3、それへ「自行化他に亙る信心」をするって、具体的には何をどうすることなのですか?
久遠元初の三宝を信じ奉り、勤行・唱題と折伏行に励む、ということです。(^o^)

えー、なんだか少年部と話しているような感覚ですね。(^^)

なんでも結構ですが、こんな基礎教学を知りたかったのでしょうか?(^o^)

なんでもいいが、樋田さんのパシリが小賢しい真似しておりますな。(^o^)
まぁ、あなたが頼んだ訳でもないのでしょうから、勝手に提灯担ぎたい奴は仕方がありませんが。(^o^)

 

やまいぬさんへ  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月22日(木)15時51分28秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> DATE:  6月22日(木)00時27分51秒
> TITLE: (^o^)
> NAME: やまいぬ。  MAIL:
>
> >当方は「やまいぬ」氏など全く知らない人であり、当方から論議を持ちかけたことはない。
> >あくまで貴公からの”要請”であり、”希望”ではなかったか?
>
> で、結局、他の法華講氏たち同様、なんらも返答不能にて
>
> @「内証」とはそもそも何か?
> Aでは、「内証は大聖人」とはどういうものか?
> B「唯授一人血脈相承」を説明する時に、法華講氏、また妙観講氏がよく云う譬えとして、
> 「コップからコップに一滴残らず注ぐ」とありますが、これは正しいですか?
>
> こんな簡単な筈の問い、すべてスルーなさった訳ですね?(^o^)

●あの時はまぁ、京都の恥論破折(か何か)で忙しかったですからね。
では、今は少し時間的にもゆとりがあるので、これについても返答してきましょうかね。

> @「内証」とはそもそも何か?

「辨惑観心抄」日応上人

●此法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり此金口嫡々相承を受けされは決して本尊の書冩をなすこと能はす、(中略)
仮令広布の時といへとも別付血脈相承なるものは他に披見せしむるものに非す、

→とあるように御本尊書写に関する権能であることが分かります。

●此の金口の血脈こそ宗祖の法魂を写し本尊の極意を伝るものなり之を真の唯授一人と云ふ

→日蓮大聖人の御法魂であり、御本尊の極意 であることも分かります。

●「金口血脈ニハ宗祖己心ノ秘妙ヲ垂示シ一切衆生成仏ヲ所期スル本尊ノ活眼タル極意ノ相伝アリ又師資相承ノ如キハ宗祖直授ノ禁誡ニシテ令法久住ノ基礎タリ是レ等ヲ此レ唯授一人金□嫡々血脈相承ト云フ也」「同四七四n」

→日蓮大聖人の己心の秘妙であり、「一切衆生成仏ヲ所期スル本尊ノ活眼タル極意」であり、この、「唯授一人金□嫡々血脈相承」とは「宗祖直授ノ禁誡」であり、「令法久住ノ基礎」であるとのことです。
―――――――――――
Aでは、「内証は大聖人」とはどういうものか?

●@と同様。御歴代御法主上人に唯授一人金□嫡々血脈相承されたその当処を「御内証は日蓮大聖人」と拝し奉るのです。

―――――――――――
B「唯授一人血脈相承」を説明する時に、法華講氏、また妙観講氏がよく云う譬えとして、
> 「コップからコップに一滴残らず注ぐ」とありますが、これは正しいですか?

たとえとしての一面においては正しいと言えますが、「前のコップが空になる。→御先師の御内証がなくなる」と誤解しないようにしなければいけません。
また、この比喩は法華講に限らずかつて創価学会でも同様に説明していました。
―――――――――――
>
> >では本題。
> ―――――――――――
> ▼> 「宗門においては、云はば「バケツリレー」の要領で(^^;、「唯授一人血脈相承」なる
>> ものが行われると云いますね。(^o^) 宗門の見解では当然、その相承されたものの
>> 「正体」なるものは、いまは当然現法主・ブクロの寛ちゃんにあるとあるといいますが、
>> 私の知る妙観講活動家の如きは、前法主・日顕にもある、つまり「二人が“半分ずつ
>> 所有”」と「はっきりと」申し、「これでより磐石」などと能天気に云うておるのですが、
>> これはどちらが正しいのでしょうね?(^^)」
>
> ● 本当に”簡単”ですね。もし、妙観講活動家の方が本当に「二人が“半分ずつ所有”」と
> 言ったのなら、それは間違いですね。
>
> 結構です。有難う御座いました。(^^)
> あなたもご存知の、某妙観講員に、よーく伝えておきましょう。(^o^)

●どなたでしょうかね?
私からも本当に「二人が“半分ずつ所有”」と言ったのか確認してみます。

> ――――――――――――――――――――――――――――――――――
>
>
> >●はい、ではそれは目に見えるものですか?それとも見えないものですか?
> >目に見えるものなら、どういう形をしているのですか?

※1▼> 無論、御本尊として顕されていますよ。(^o^)

※2●では大聖人御真筆御本尊の内のどの御本尊ですか?
それとも全部ですか?
>
> >見えないのなら、どうやってそれを修行するのですか?
> 蓮祖御在世より現代に至るまで、御本尊のないところ、頂いていないひと、幾らでも
> おりますが、たとえ御本尊はなくとも壁に向かっての唱題でも、無論信仰・修行として
> 成立しますし、結果も出ます。と、改めていまさら書くのもどうかと思いますが。(^o^)

●それは三大秘法のうちの本門の題目としての修行が成立するのであって、あくまでも本門の本尊への渇仰恋慕の題目のことですね。
三秘が整足しない題目は大聖人様の顕示されたお題目ではないですよね。
つまり平易に言えば、戒壇の大御本尊への身・口・意による参詣が現実に可能な立場の清純な信徒が例えば「壁に向かって唱える題目」には当然三秘が整足しますから真の功徳を成ずる。とそういうことですよね?
>
―――――――――――
> >●同じ問いではないですがね。
> >文が読めませんか?
>
> 「「正法」とは云うまでもなく、突き詰めれば蓮祖伝うるところの題目の七字であり、
>
> 「正法を受持信行し随力弘通の任に当たる」とは、蓮祖仏法の絶対的信仰対象としての
> 久遠元初の三宝への、自行化他に亙る信心をいいます。(^o^)」
> (投稿日: 6月17日(土)00時18分19秒)
>
> これが読めていれば、上記のような問いはありません。(^o^)
>
> >「蓮祖伝うるところの題目の七字」を明確に示してくださいませんか?できませんか?

> 私はネット掲示板などというこんなところに書きたくないだけですが、あなた自身が書き、
> その通りだと申しましたが?(^o^)

●そのものを別に提示しなくても、口で説明できませんか?簡潔に。
ま、しかし、先ほど、※1「▼無論、御本尊として顕されていますよ。」といわれましたから、これでいいです。
なので、※2にお答えいただければ結構です。
>
―――――――――――
> >2、「蓮祖仏法の絶対的信仰対象としての久遠元初の三宝」って具体的には何ですか?
> >観念的なものですか? それとも何か具体的な姿を持ったものですか?

> えー、いまさらこんなことをお教えせねばなりませんか?(^o^)
> 仏宝――日蓮大聖人
> 法宝――本門の本尊(題目の7字)
> 僧宝――日興上人
> いらっしゃらない御本人は「眼に見えません」が(^^)、だからといって「観念的」という表現とも
> 違うでしょう。「信」とはそういうものです。(^^)

●すると、法宝はやはり弘安二年・十月十二日の戒壇の大御本尊でよろしいんですよね?
三宝一体の義からすると、戒壇の大御本尊こそ貴公の言う、「蓮祖仏法の絶対的信仰対象」ですよね。
更に上段での論議の続きとして訊きますが、それは=戒壇の大御本尊=「正法」ということでいいですよね?
ならば、身・口・意の三業相応して戒壇の大御本尊へ参詣供養申し上げなくては真の仏道修行にならないですよね?どうですか?
―――――――――――
> >3、それへ「自行化他に亙る信心」をするって、具体的には何をどうすることなのですか?

> 久遠元初の三宝を信じ奉り、勤行・唱題と折伏行に励む、ということです。(^o^)

●2、と同じですね。
「久遠元初の三宝」とは三宝一体の義から戒壇の大御本尊に究竟されますよね。
およそ「行」のない「信」などありませんから、戒壇の大御本尊へ事実の上で参詣しなければ、「久遠元初の三宝を信じ奉」ったことにならないんじゃないでしょうかね。
(ただし、既述の如く、現に唯授一人・金□嫡々・血脈相承されている猊下から、参詣できる立場を頂いている方が種々の都合により参詣できない状況と同一視はできませんからね。)
>
―――――――――――
> えー、なんだか少年部と話しているような感覚ですね。(^^)
>
> なんでも結構ですが、こんな基礎教学を知りたかったのでしょうか?(^o^)
―――――――――――
●こういう基本中の基本を見失っているが故に敢えて、質問したのですよ。
じっくり考えて、また答えてくださいね。

 

これから  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 6月22日(木)20時34分29秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

  引用

 

 

飯も喰わずに寝て、3時過ぎには起きてブラジル戦観て、準備してそのまま仕事。
様々返答は明日夜!(^o^)

 

今日  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月23日(金)21時25分54秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

ある学会員のニセ本尊を破却し、日蓮正宗の血統正しい真正の御本尊の御安置が出来ました。
みなさま、ありがとうございました。

その方は、御住職のお話を聞かれ、泣きながら「帰ってこれて良かった。本当に良かった」と感激しておられました。

ニセ本尊に交換されてから、一日中頭に怨念が噴出してきて、夜もゆっくり眠れない状態だったそうです。
苦しいから題目をあげるけど、あげてもあげても、ますますその怨念が酷くなってきて、最近では到底拝む気にはなれなくなっていたそうです。
しかも、ニセ本尊に交換されてからある重要な器官を二度までも手術し、そこも未だに完治していないそうです。
「このままいったらもう気が狂うかもしれない。」と怯えていたそうで、自殺も何度も真剣に考えていたそうです。

正しい日蓮正宗の御本尊を御安置したら、心からすっきりしたとのことで、外見も明らかに爽やかになられました。

ニセ本尊の怖さと日蓮正宗の御本尊の凄さを更に一段と実感した出来事でした。

73さん。ありがとうございます。
このような極悪のニセ本尊ですから、沖浦パラノイヤ老醜狂人のような者が生まれるのも当然といえば当然でしょう。
ひとつ、徹底的に退治してやってください。
あの狂いきった脳髄を破折の鉄槌で劈いてやってください。
宜しくお願い致します。

 

さて樋田さん、  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 6月24日(土)11時29分18秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

  引用

 

 

この2日ほど、殆ど寝る間もないほど多忙であったので、返事遅くなりました。
はじめましょうか。(^^)

>>こんな簡単な筈の問い、すべてスルーなさった訳ですね?(^o^)
●あの時はまぁ、京都の恥論破折(か何か)で忙しかったですからね。
>では、今は少し時間的にもゆとりがあるので、これについても返答してきましょうかね。
あれ? 確か、「返答する筋合いがない」といってスルーしたんじゃありませんでしたっけ?
(^o^) ま、結構でしょう。(^^)

@「内証」とはそもそも何か?

>「辨惑観心抄」日応上人
>此法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり此金口嫡々相承を
>受けされは決して本尊の書冩をなすこと能はす、(中略)
>仮令広布の時といへとも別付血脈相承なるものは他に披見せしむるものに非す、
→とあるように御本尊書写に関する権能であることが分かります。

は? 「御法主上人の御内証は蓮祖」とかって恭しく云うておるその「内証」って、ただの
「権能」のことなんですか? 「権能」って、「お前がやりなさい」ってことですよね?
しかも確かにここに挙げてある箇所だけで云えば、「書写の責任者はお前。」っていう、
それだけですね?(^^)
「金口嫡々」で伝わったことって、それだけってことですね?(^o^)

●此の金口の血脈こそ宗祖の法魂を写し本尊の極意を伝るものなり之を真の唯授一人
>と云ふ
→日蓮大聖人の御法魂であり、御本尊の極意 であることも分かります。

は? 「権能」であり「法魂」であり「極意」なんですか?(^^)
「権能」と「法魂」と「極意」は、それぞれ意味が違うと思いますが?(^^;
それとね、「内証」とは「法魂」である、というならば、私の訊いているのは、「では法魂って
何ですか?」ってことですよ。法華講さんはみな、「そりゃ信心で捉えるんだ、信心があれば
解かるんだ」とはエラそーなこと云いながら、「いや、法主にしか解からない」とか平気で
逃げる。(何だよ、結局テメーも知らねーんじゃねーか。(^o^) )
で、樋田さんに訊いとる訳です。「法魂」とは、何?(^o^)

で、ついでに「一器から一器へ」で、相承を終えたら、たった今までその「法魂」を持っていた
ひとからは完全になくなる。(そりゃそうですよね? 樋田さんも妙観のボケの言葉に
はっきり「違う」とブッた斬りましたよね。(^o^) )
ということは、そりゃなにかが「憑依した」とか「憑き物が落ちた」とか、そんな類のもの
ですか?(^^;

>「金口血脈ニハ宗祖己心ノ秘妙ヲ垂示シ一切衆生成仏ヲ所期スル本尊ノ活眼タル極意ノ
>相伝アリ又師資相承ノ如キハ宗祖直授ノ禁誡ニシテ令法久住ノ基礎タリ是レ等ヲ此レ唯授
>一人金□嫡々血脈相承ト云フ也」「同四七四n」
→日蓮大聖人の己心の秘妙であり、「一切衆生成仏ヲ所期スル本尊ノ活眼タル極意」で
>あり、この、「唯授一人金□嫡々血脈相承」とは「宗祖直授ノ禁誡」であり、「令法久住ノ
>基礎」であるとのことです。

いや、お手数をお掛けして返答してもらってはおるのですが、書いてある文言を「切って
貼った」では、皆目私が問うた答えになっておりません。
結局、「内証」とは何なのか、「宗祖直授ノ禁誡」だというのなら、あなたはご存知なのか
知らないのか、どちらです?(^^)

―――――――――――
Aでは、「内証は大聖人」とはどういうものか?

●@と同様。御歴代御法主上人に唯授一人金□嫡々血脈相承されたその当処を
>「御内証は日蓮大聖人」と拝し奉るのです。

えー、済みませんが(^^;、「@と同様」って、まだ今のところ、「内証とはなにか?」がさっぱり
見えてきませんね?(^^)
で、先ほど来、「権能」とか「法魂」とか「極意」とかグチャグチャになっておりますが(^^;、
要は現法主・寛ちゃんは、「中身は蓮祖」なのか、「中も外も、相変わらず寛ちゃんなのか?」
が知りたい訳ですよ。(^^)
相承された瞬間、それまで何十年、阿部日顕やブクロの寛ちゃんとして生きていた人間が、
突然「蓮祖」に入れ替わるんでしょうか?(^o^)
で、次に相承したら、また阿部日顕や寛ちゃんに戻るんでしょうか?
違うのならば、では「内証が蓮祖」になった状態は、以前の自分とどう違うのか?
これだけ60何代も続いておるのでしょう? 「中身が蓮祖になったらこう変わった」と、
全部でなくともどう違うかは、何らかの形で表現されておるでしょう?
宗門の公式見解に基づいてご返答ください。(^^)

―――――――――――
B「唯授一人血脈相承」を説明する時に、法華講氏、また妙観講氏がよく云う譬えとして、
 「コップからコップに一滴残らず注ぐ」とありますが、これは正しいですか?

>たとえとしての一面においては正しいと言えますが、「前のコップが空になる。→御先師の
>御内証がなくなる」と誤解しないようにしなければいけません。
>また、この比喩は法華講に限らずかつて創価学会でも同様に説明していました。

いえ、かつての学会の指導など訊いてはおりません。(^o^)
どこまでも現宗門の見解を訊いております。
>たとえとしての一面においては正しいと言えますが、「前のコップが空になる。
>御先師の御内証がなくなる」と誤解しないようにしなければいけません。
いけなかったら、どーなるのでしょう? どこへ行くのですか?(^o^)
“御先師”に、まだ幾らかでも留まったままならば、「一器から一器へ」残らず相承されて
おらぬ、つまり少しずつ「目減り」していくことになりますが?(^^;
(むー、それではまるで、消したい火元に辿り着いたときには、もう水は殆ど残っていない
ような、下手糞なバケツリレーですね?(^o^) )
それに、先に妙観に対して「そりゃ間違い」と書いたあなたの言葉とも矛盾しますよ?

―――――――――――
>妙観云々。
> ● 本当に”簡単”ですね。もし、妙観講活動家の方が本当に「二人が“半分ずつ所有”」と
> 言ったのなら、それは間違いですね。
> 結構です。有難う御座いました。(^^)
> あなたもご存知の、某妙観講員に、よーく伝えておきましょう。(^o^)

●どなたでしょうかね?
>私からも本当に「二人が“半分ずつ所有”」と言ったのか確認してみます。

いいえ、結構です。(^o^) 云う時はこちらサイドから本人に申します。
まさか「同志・同門」と頼っておった樋田さんから、斯くも一言で、まさしく一刀両断されるとは
夢にも思っておらぬでしょう。眼の前で顔面蒼白になるところでも楽しませて頂きましょう。(^o^)
ちなみに恐らく本人から、直接あなたに問い合わせたりは絶対に出来ないでしょう。
「急に態度がおかしくなった」と思ったら、そいつかな? と察してやってください。(^o^)

ちなみにそいつはね、あるひとから、
「現在、唯授一人血脈相承はどうなってんの?」
と問われ、
「新法主と御隠尊とで50・50です。磐石です!(^o^)」
と呑気に答え、
「では現法主と、仮に隠尊がふたり、という状態になったら、唯授一人血脈相承は
どうなりますか?」
と問われて、
「3人で33%ずつです」
と返答し、
「? 割り切れませんね?(^o^)」
と云われて絶句したような奴ですよ。(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)

なんぼ妙観が狂人集団とはいえ、たかだかあれだけの零細集団で、ここまではっきり
アホな奴といえば、そうそうおりませんよ。(^o^)
樋田さんにも察しはつくでしょう。(^^)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

※2●では大聖人御真筆御本尊の内のどの御本尊ですか?
>それとも全部ですか?
この発想が間違いだと考えます。(^o^)
これは重複しているので、後で。

>見えないのなら、どうやってそれを修行するのですか?
蓮祖御在世より現代に至るまで、御本尊のないところ、頂いていないひと、幾らでも
おりますが、たとえ御本尊はなくとも壁に向かっての唱題でも、無論信仰・修行として
成立しますし、結果も出ます。と、改めていまさら書くのもどうかと思いますが。(^o^)

>本尊への渇仰恋慕の題目
>三秘が整足しない題目 云々。

いいえ。
そんなことは私は書いておりません。(^o^)
仮に二つのパターンを考えれば、あなたの仰るような言葉は出てきません。
@ 蓮祖在世より現代に至るまで、遠方に住む、等の理由から、生涯一度も大石寺に
など行ったこともない、無論戒壇本尊など見たこともない信徒など、いくらでもおりますよ。
では、彼ら・彼女らは、日々題目唱えながら、宿命転換も功徳もない、まったく無意味な
努力をしておるだけなのか? 無論答えは“NO”です。(^o^)

A 建長5年(1253)、清澄寺における立宗宣言によって、はじめて蓮祖の口より
「題目の7字」が唱えられてより、宗門・法華講の言い分によくある弘安二年(1279)までの
足掛け27年の間に、蓮祖ご自身、あるいはその門弟より折伏され入信した人々は、
「戒壇本尊」もない状態で日々題目に励んでおったことでしょう。(^o^)
では、同じく彼ら・彼女らは、同様に無意味な27年を送っただけなのか? これも無論
“NO”ですね。(^o^)

「戒壇本尊」建立なくんば、「題目の7字」に意味はないのなら、当然蓮祖は誰にもそれを
唱えさせません。(^o^) つまり鎌倉の辻にも立たれず、折伏もなさいませんでしたろう。

しかも先に書きました通り、当時の信徒の中にも「戒壇本尊」どころか「御本尊」そのものすら
見ずに亡くなった方もいくらでもおられましょう。それでも信心は出来ますし、宿命転換も
成仏も叶います。(^o^)

●すると、法宝はやはり弘安二年・十月十二日の戒壇の大御本尊でよろしいんですよね?
上記しました。「戒壇本尊」などという「限定されたモノ」ではありません。
「戒壇本尊」の成立なくんば蓮祖仏法に非ず、という考え方は、とっくに根こそぎ崩壊して
います。(^o^)

私は何と書きましたか?

>法宝――本門の本尊(題目の7字)

つまり法宝とは(――しゃーないな、書くか。)、「事の一念三千の南無妙法蓮華経」、つまり
「題目の7字」であり、末法広宣流布のために蓮祖がお認められた御本尊のすべてであり、
「信心の血脈」を当然の前提として、樋田さんがまさしくお書きの通り、ただ「権能」として
本尊書写を任された歴代法主によって、云はば「代書」された本尊すべてです。
あなたや宗門が摩り替えるように「戒壇本尊」という「ただ一つのモノ」、宗門が「質に取った
モノ」ではありません。(^^)
「戒壇本尊ただ一つ」と、もし仮に限定しては宗門にとってマズいのは、ならば歴代法主に
よる本尊は、「三大秘法の本尊」ではないのか? ということになりますよ?(^^)

いつの本尊、誰の本尊…違うのですよ。(^^)

「此の御本尊全く余所に求る事なかれ。只我れ等衆生の法華経を持て、南無妙法蓮華経と
唱ふる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申すなり。 十界具足とは
十界一界もかけず一界にあるなり。之に依て曼陀羅とは申すなり。 」

蓮祖が顕されようと顕されまいと、「御本尊」、つまり「題目の7字」は、生きとし生ける
すべての「胸中の肉団」にある、つまり「己れ自身の中」に内在されておるのですよ。
ただし、我ら凡夫如きは、これを信じることすら出来ぬ。
だからわざわざ久遠元初の自受用報身としての大慈大悲から、「これだよ」と顕して
見せてくださった。

逆に云えば先に書いた@もAも、つまり生涯「戒壇本尊」どころか「御本尊」そのものすらも
拝したこともない人間でも「成仏」できるのですよ。

ですから、

>三宝一体の義からすると、戒壇の大御本尊こそ貴公の言う、
>「蓮祖仏法の絶対的信仰対象」ですよね。
も、
>それは=戒壇の大御本尊=「正法」ということでいいですよね?
も、
>「久遠元初の三宝」とは三宝一体の義から戒壇の大御本尊に究竟されますよね。
も、残念ながら全部“NO”です。(^o^)

>(ただし、既述の如く、現に唯授一人・金□嫡々・血脈相承されている猊下から、参詣できる
>立場を頂いている方が種々の都合により参詣できない状況と同一視はできませんからね。)
この「但し書き」ですけどね?(^^) 細かいようですが大事なことでしょうから書きましょう。
非常に単純に、蓮祖がその大慈大悲より、「一閻浮醍総与」と仰るものを、
「猊下から、参詣できる立場を頂」くという発想そのものが間違っておるとまず当然考えます。
対して恐らく、「いや、邪宗謗法の者は当然参詣できぬ」と仰るかと想像しますが(^^;、
では大石寺に度々身延の坊主が参っておるようですが、ありゃどーいうことでしょうね?(^^)
身延は「邪宗謗法」ではないのですか? 樋田さんの言い分が正しければ、当然「邪宗謗法」の徒輩である身延の坊主どもは、当時の法主・阿部日顕、つまり「唯授一人・金□嫡々・
血脈相承されている猊下から、参詣できる立場を頂いている」訳ですね?
当然ですね、宗門僧侶がわざわざ案内しておるのですから。(^o^)
これでは「猊下から、参詣できる立場を頂いて」等々と、その「戒壇本尊」参拝を限定したり、
ましてや本尊の学会下付を停止して、「一閻浮醍に総与せぬ」筋さえ通らぬことに
なりますが?(^o^)

まぁこうやって、基本中の基本みたいなことを「確認する」ようにやり取りするのも悪く
ありません。じっくり考えて、また答えてくださいね。(^^)

で、今夜は結婚した知人のお祝いのために呑み会。仕切り役を仰せ付かった者としては
まともに帰宅できるかどうかも怪しいので(^^;、返事は明日以降。

 

やまいぬ。氏へ。返答と破折1  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月26日(月)11時41分37秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> DATE:  6月24日(土)11時29分18秒
> TITLE: さて樋田さん、
> NAME: やまいぬ。  MAIL:
> @「内証」とはそもそも何か?

24・25日と夏期講習でした。
大聖人様尊極の御尊体である戒壇の大御本尊を目の当たりに拝し、御開山日興上人の譲座御本尊の御前で七百年来の法統正しい丑寅勤行に御供させていただき、そして第68世日如上人が親しく仰せになられた御指南を拝し涙が止まりませんでした。

こうした大聖人様以来の正当な歴史と伝統を拝することが出来ない、しようともしない、創価学会員は本当に哀れなものですね。
創価学会などに何の什宝がありますかね?
大聖人様の御真筆御本尊が格護されてますかね?
日興上人の御本尊様は?
御真筆の御書は?

創価学会になど大聖人様の仏法を示す什宝など何もないではないですか。
あるのは大量のニセ本尊の在庫でしょう。

■止観の五に云はく「瓦礫(がりゃく)を貴んで明珠なりとす」と申すは是なり。一切衆生石をにぎ(握)りて珠とおもふ。

成仏の道程からすれば、ただの瓦礫に過ぎない”勲章”。
その”勲章”を池田さんが外道の国からもらっている姿を有難がっている、せいぜい、その程度ですね。
全く大聖人様の仏法と程遠いものです。

では、再開しましょう。
―――――――――――
> >「辨惑観心抄」日応上人
> >此法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり此金口嫡々相承を
> >受けされは決して本尊の書冩をなすこと能はす、(中略)
> >仮令広布の時といへとも別付血脈相承なるものは他に披見せしむるものに非す、

> →とあるように御本尊書写に関する権能であることが分かります。
>
> は? 「御法主上人の御内証は蓮祖」とかって恭しく云うておるその「内証」って、ただの
> 「権能」のことなんですか? 「権能」って、「お前がやりなさい」ってことですよね?
> しかも確かにここに挙げてある箇所だけで云えば、「書写の責任者はお前。」っていう、
> それだけですね?(^^)
> 「金口嫡々」で伝わったことって、それだけってことですね?(^o^)
―――――――――――
●1、権能=ある事柄について能力を行使する権利。
2、御本尊を書写できる方は唯授一人・血脈相承を受けられた方に限る。
ということは、そのことだけでも実に尊く有難いことでしょう。
御本尊への真の「信」があれば、その御本尊様を書写をされる(することができる)方への有難さは、当然領解できますが、「信」がない方には分からないところです。

■信は道の源功徳の母と云へり。

ですから、御本尊書写をされる方への尊信がないとはそのまま御本尊への信がないことであり、成仏の功徳は全く生じないことでしょう。

―――――――――――
> >●此の金口の血脈こそ宗祖の法魂を写し本尊の極意を伝るものなり之を真の唯授一人
> >と云ふ

> →日蓮大聖人の御法魂であり、御本尊の極意 であることも分かります。
>
> は? 「権能」であり「法魂」であり「極意」なんですか?(^^)
> 「権能」と「法魂」と「極意」は、それぞれ意味が違うと思いますが?(^^;
―――――――――――
●違いませんね。
貴公が「信」なき故に領解できない。ただそれだけのことです。

日蓮大聖人様の「御法魂」こそ人法一箇の戒壇の大御本尊様の御ことであり、その「御法魂」こそがそのまま即身成仏させてくださる御本尊の「極意」であり、その「極意」を相伝された方にしか御本尊書写の「権能」がない。

全く、矛盾しませんが?
―――――――――――
> それとね、「内証」とは「法魂」である、というならば、私の訊いているのは、「では法魂って
> 何ですか?」ってことですよ。法華講さんはみな、「そりゃ信心で捉えるんだ、信心があれば
> 解かるんだ」とはエラそーなこと云いながら、「いや、法主にしか解からない」とか平気で
> 逃げる。(何だよ、結局テメーも知らねーんじゃねーか。(^o^) )
> で、樋田さんに訊いとる訳です。「法魂」とは、何?(^o^)
―――――――――――
●■仮令広布の時といへとも別付血脈相承なるものは他に披見せしむるものに非す、

との御指南の意味が分からないようですね。

その戒壇の大御本尊様の御法魂を伝える「別付血脈相承」は例え広宣流布した暁といえども、絶対に他へ→つまり唯授一人の方以外の者へ見せてはいけない。と仰せであるから、当然の如くその前までも披見(手紙や文書などを開いて見ること。)されていない。
つまり、現在も今後も披見されない。
ということは唯授一人血脈相承された方以外は全く知らないこと。知りえないこと。であり、貴公がどうしてもその「御法魂」を知りたければ、

1、脱会して戒壇の大御本尊様を一心に信じ拝すれば、総じての義においての御法魂を感得する事は可能でしょう。
2、永劫の年月の間に正しい日蓮正宗の信仰によって罪障を消し、徳を積み、唯授一人・血脈相承をお受けになる立場として生まれてくることが万万が一にも有り得るとしたらその時でしょう。

大いに御精進くださいませ。
―――――――――――
> で、ついでに「一器から一器へ」で、相承を終えたら、たった今までその「法魂」を持っていた
> ひとからは完全になくなる。(そりゃそうですよね? 樋田さんも妙観のボケの言葉に
> はっきり「違う」とブッた斬りましたよね。(^o^) )
> ということは、そりゃなにかが「憑依した」とか「憑き物が落ちた」とか、そんな類のもの
> ですか?(^^;

●ここは「ということは」で区切った前段と後段の文意がほとんど繋がらないので、意味不明です。やり直してください。
―――――――――――
> >「金口血脈ニハ宗祖己心ノ秘妙ヲ垂示シ一切衆生成仏ヲ所期スル本尊ノ活眼タル極意ノ
> >相伝アリ又師資相承ノ如キハ宗祖直授ノ禁誡ニシテ令法久住ノ基礎タリ是レ等ヲ此レ唯授
> >一人金□嫡々血脈相承ト云フ也」「同四七四n」

> >→日蓮大聖人の己心の秘妙であり、「一切衆生成仏ヲ所期スル本尊ノ活眼タル極意」で
> >あり、この、「唯授一人金□嫡々血脈相承」とは「宗祖直授ノ禁誡」であり、「令法久住ノ
> >基礎」であるとのことです。
>
> いや、お手数をお掛けして返答してもらってはおるのですが、書いてある文言を「切って
> 貼った」では、皆目私が問うた答えになっておりません。
> 結局、「内証」とは何なのか、「宗祖直授ノ禁誡」だというのなら、あなたはご存知なのか
> 知らないのか、どちらです?(^^)
―――――――――――
●既述の通り。法体別付の相承は「別付血脈相承なるものは他に披見せしむるものに非す」であり、唯授一人の御方しか知り能わざるもので、我々は御歴代上人の御指南からその片鱗を垣間見るのみであります。
上記の既述で更に領解できることは、「一切衆生成仏ヲ所期スル本尊ノ活眼タル極意」ですから、この唯授一人の御方が「活眼」されてない掛け軸状の物、例えば身延の土産掛け軸とか、創価学会販売のニセ本尊などでは成仏できません。

因みに、当板でニセ本尊を拝んだ結果としての自分の生活上の利益らしきものの体験談で過剰に舞い上がっている愚者がいるようですが、

■弘決の八に云はく「若し衆生生死を出でず仏乗を慕はずと知れば、魔是の人に於て猶親の想を生す」等云云。釈の心は人善根を修すれども、念仏・真言・禅・律等の行をなして法華経を行ぜざれば、魔王親のおもひをなして、人間につきて其の人をもてなし供養す。

とあるが如く、邪教にとり憑かれた者には、成仏は絶対しないが故に魔が親のようにいろいろと施すそうですから、そういうものに目を眩まされて邪正善悪を見誤ると、後生恐るべし。です。

 

やまいぬ。氏へ。返答と破折2  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月26日(月)13時51分44秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> Aでは、「内証は大聖人」とはどういうものか?
>
> >●@と同様。御歴代御法主上人に唯授一人金□嫡々血脈相承されたその当処を
> >「御内証は日蓮大聖人」と拝し奉るのです。
>
> えー、済みませんが(^^;、「@と同様」って、まだ今のところ、「内証とはなにか?」がさっぱり
> 見えてきませんね?(^^)
> で、先ほど来、「権能」とか「法魂」とか「極意」とかグチャグチャになっておりますが(^^;、
> 要は現法主・寛ちゃんは、「中身は蓮祖」なのか、「中も外も、相変わらず寛ちゃんなのか?」
> が知りたい訳ですよ。(^^)
> 相承された瞬間、それまで何十年、阿部日顕やブクロの寛ちゃんとして生きていた人間が、
> 突然「蓮祖」に入れ替わるんでしょうか?(^o^)
> で、次に相承したら、また阿部日顕や寛ちゃんに戻るんでしょうか?
> 違うのならば、では「内証が蓮祖」になった状態は、以前の自分とどう違うのか?
> これだけ60何代も続いておるのでしょう? 「中身が蓮祖になったらこう変わった」と、
> 全部でなくともどう違うかは、何らかの形で表現されておるでしょう?
> 宗門の公式見解に基づいてご返答ください。(^^)

●貴公は社会常識に少し疎いところがあるようですね。
「ご返答ください。」というからには、御法主上人に対する呼び方を少し考えたら如何ですかな。
正式な呼称で再度質問しましょう。

 

やまいぬ。氏へ。返答と破折3  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月26日(月)14時39分11秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> B「唯授一人血脈相承」を説明する時に、法華講氏、また妙観講氏がよく云う譬えとして、
>  「コップからコップに一滴残らず注ぐ」とありますが、これは正しいですか?
>
> >たとえとしての一面においては正しいと言えますが、「前のコップが空になる。→御先師の
> >御内証がなくなる」と誤解しないようにしなければいけません。
> >また、この比喩は法華講に限らずかつて創価学会でも同様に説明していました。
―――――――――――
> いえ、かつての学会の指導など訊いてはおりません。(^o^)
> どこまでも現宗門の見解を訊いております。

●人にものを尋ねるときにはこういう不遜な態度はいけませんね。
創価学会ではそういうことを教えてくれないのですかね?

教義の定義が変遷するということは、その宗教が邪教である証拠です。
かつてAと主張していたことが、ある時期からBとなるということには、そこに明確な論理の整合性が説明されなくては非法であります。
―――――――――――
ほっすいしゃびょう 【法水写瓶】

浅水とは、清浄な妙法を水に誓え、写瓶とは、瓶から瓶へ水をうつすこと。
すなわち法水写瓶こは、瓶から瓶へ水を一滴もこぼさないでうつすように、師匠から弟子へ法門を少しも漏れることなく正しく伝えること。
容器はかわっても中の水は不変であることを血脈相承に誓える。
―――――――――――
【血脈相承】

師資相承ともいう。一人の大導師から唯一人の弟子に秘伝されるのが血脈相承である。
相承とは、相対授承のことで伝授法である。
仏法のみならず、世法のうえでも、秘法として、その道が絶えないように、ひとりの後継者をえらんで相伝されている例がよくある。
仏法は、三世にわたって、一切衆生を救うべき大法であるから、血脈相承の付属が大原則であり、清純に後世へ伝弘されていくのである。
ゆえに正像末の三時にわたり、釈迦も、天台、伝教もこの方程式によって法を伝えた。
すなわち釈迦は迦葉に、天台は章安に、伝教は義真に、その所持の大法を伝授した。
このように、仏法を流通するには師匠から弟子への、唯授一人の血脈相承によるのである。

日蓮正宗の法門は、日蓮大聖人から日興上人へ、日興上人から日日上人へと、その後、代々と相承され、法燈連綿として、七百有余年間、広宣流布、王仏冥合の時を待ちつつ、清らかに伝授され、血脈相承されているのである。
日蓮大聖人はこの血脈相承について、本因妙抄(八七七) に「日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり、相構え相構え秘す可し秘す可し伝う可し、法華本門宗血脈相承畢んぬ」とあり、また、御義口伝(七八三) に「秘す可し秘す
可し唯受一人の相承なり、口外す可からず」と、唯授一人の血脈相承であることは明々白々である。
日蓮大聖人から、二祖日興上人におゆずりなされたことは、身延相承書に「血脈の次第 日蓮日興」とおしたためになっている。

血脈相承の大事なことは、立正観抄(五三〇)に「当世の学者は血脈相承を習い失う故に之を知らざるなり」とある。
大聖入滅後百年ごろ、日什が現われて、経巻相承の邪義を立てた。
すなわち経巻を読んで大聖人の御真意を相承した、というのであるが、
それは一方的なもので、相承とは、ゆずった者とゆずられた者がなくてはならない。
このような邪義はすでに破折しつくされている。
仏法の奥義は、あくまでも師弟相対のうえに立っての、唯授一人の血脈相承以外にないのである。
―――――――――――
↑これは「池田大作監修」と銘打たれている仏哲の記述です。
この見解はそのまま現在の日蓮正宗の公式見解と同義です。
もしこれに疑義があるのならば、貴公は池田大作氏の公的見解に対しても疑義を差し挟むことになり、大事な師匠(と思い込んでいる人)に背き、唾を吐きかけることになりませんかね?
また、もし、↑の池田大作さんの公的見解が変化したのなら、上記の教義的な定義が、
@いつ、
Aどのような教義的な根拠によって、(例えば、未発見だった御真筆の御書等が発見されて、そこに明確に血脈相承を否定している内容が記されており、しかも、従前の御書の御文と全く矛盾破綻なくその義が証明されること、など)
Bどのように変遷したのか、
明確に公式発表しなければ、正式見解としては認知されないでしょう。

貴公に以上の矛盾をどう解釈するのか説明願いましょう。
そういうことをきちんと解決ついてから、▼「いえ、かつての学会の指導など訊いてはおりません。(^o^)」←こういう言辞を言いましょうね。
―――――――――――
> >たとえとしての一面においては正しいと言えますが、「前のコップが空になる。→
> >御先師の御内証がなくなる」と誤解しないようにしなければいけません。

> いけなかったら、どーなるのでしょう? どこへ行くのですか?(^o^)
> “御先師”に、まだ幾らかでも留まったままならば、「一器から一器へ」残らず相承されて
> おらぬ、つまり少しずつ「目減り」していくことになりますが?(^^;
> (むー、それではまるで、消したい火元に辿り着いたときには、もう水は殆ど残っていない
> ような、下手糞なバケツリレーですね?(^o^) )
> それに、先に妙観に対して「そりゃ間違い」と書いたあなたの言葉とも矛盾しますよ?

●上記の創価学会のかつての公式見解に対して貴公は疑義を差し挟んでいるその矛盾を論旨明快にご説明いただいてからにしましょうかね。
ただ、一言、「法水写瓶」の「写」は「移す」ではなく、「写す」の字を充てられていることをヒントにして置きましょうか。
> ―――――――――――
> >妙観云々。
> >> ● 本当に”簡単”ですね。もし、妙観講活動家の方が本当に「二人が“半分ずつ所有”」と
> >> 言ったのなら、それは間違いですね。

>> 結構です。有難う御座いました。(^^)
>> あなたもご存知の、某妙観講員に、よーく伝えておきましょう。(^o^)
>
> >●どなたでしょうかね?
> >私からも本当に「二人が“半分ずつ所有”」と言ったのか確認してみます。
―――――――――――
> いいえ、結構です。(^o^) 云う時はこちらサイドから本人に申します。
> まさか「同志・同門」と頼っておった樋田さんから、斯くも一言で、まさしく一刀両断されるとは
> 夢にも思っておらぬでしょう。眼の前で顔面蒼白になるところでも楽しませて頂きましょう。(^o^)
> ちなみに恐らく本人から、直接あなたに問い合わせたりは絶対に出来ないでしょう。
> 「急に態度がおかしくなった」と思ったら、そいつかな? と察してやってください。(^o^)
>
> ちなみにそいつはね、あるひとから、
> 「現在、唯授一人血脈相承はどうなってんの?」
> と問われ、
> 「新法主と御隠尊とで50・50です。磐石です!(^o^)」
> と呑気に答え、
> 「では現法主と、仮に隠尊がふたり、という状態になったら、唯授一人血脈相承は
> どうなりますか?」
> と問われて、
> 「3人で33%ずつです」
> と返答し、
> 「? 割り切れませんね?(^o^)」
> と云われて絶句したような奴ですよ。(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)
>
> なんぼ妙観が狂人集団とはいえ、たかだかあれだけの零細集団で、ここまではっきり
> アホな奴といえば、そうそうおりませんよ。(^o^)
> 樋田さんにも察しはつくでしょう。(^^)

●ここな貴公が「捏造している与太話」と言われても反論できない内容ですね。
何の証拠もない話ですものね。
個人の名を公に出来ないでしょうから、当方へメールで送信できませんかね。
もし上記の内容が本当なら、その方の名を送るのはなんら問題はないでしょうにね。
私が知っている方ですものね。
何か私から事実確認しては不味いことでもあるのでしょうかね?やまいぬ。さん?

 

やまいぬ。氏へ。返答と破折4  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月26日(月)17時30分26秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> >●見えないのなら、どうやってそれを修行するのですか?

>▼ 蓮祖御在世より現代に至るまで、御本尊のないところ、頂いていないひと、幾らでも
> おりますが、たとえ御本尊はなくとも壁に向かっての唱題でも、無論信仰・修行として
> 成立しますし、結果も出ます。と、改めていまさら書くのもどうかと思いますが。(^o^)
>
> >●本尊への渇仰恋慕の題目
> >三秘が整足しない題目 云々。
>
>▼ いいえ。
> そんなことは私は書いておりません。(^o^)
> 仮に二つのパターンを考えれば、あなたの仰るような言葉は出てきません。
> @ 蓮祖在世より現代に至るまで、遠方に住む、等の理由から、生涯一度も大石寺に
> など行ったこともない、無論戒壇本尊など見たこともない信徒など、いくらでもおりますよ。
> では、彼ら・彼女らは、日々題目唱えながら、宿命転換も功徳もない、まったく無意味な
> 努力をしておるだけなのか? 無論答えは“NO”です。(^o^)

●思わず噴出してしまうような迷答ですね。
その方々は当然、現時に置いては「日蓮正宗」として括られる御信徒のことですよね。
まさか日蓮宗系の人のことではないはずですよね。
では、つまりは、戒壇の大御本尊へ参詣できる立場を有していた方々、という意味に於いて、仮に生涯参詣できなくても、もちろん功徳を成じたことは当然でしょう。
貴公はやはりどうも日本語が苦手なようですね。
当方は既にこの@に類するケースを指して↓こう言っております。

●戒壇の大御本尊への身・口・意による参詣が現実に可能な立場の清純な信徒が例えば「壁に向かって唱える題目」には当然三秘が整足しますから真の功徳を成ずる。」

この文章が貴公には少し難しかったようですね。
ここにいう
「戒壇の大御本尊への身・口・意による参詣が現実に可能な立場」というのは今回の返答内の「戒壇の大御本尊へ参詣できる立場を有していた方々」と同意であります。
つまり、戒壇の大御本尊への参詣は、現時で呼称するところの「日蓮正宗の信徒」しか許されていませんので、その許されていない者(現時では創価学会員とか顕正会員とか・・・また当然の如く立正佼成会・霊友会など)がどう題目を唱えようと功徳は成じません。三秘が整足しないからです。
逆に、戒壇の大御本尊へ参詣が許されている信徒で、しかし参詣が出来ない方が唱える題目はそのまま三秘が成じますから功徳を成す。とこういうこと。
どこまでいっても根本は戒壇の大御本尊。
全ての法義は戒壇の大御本尊から開かれるのですね。

■「無量義は一法より無量の義を出生す」
この一法とは突き詰めれば戒壇の大御本尊様です。

 

やまいぬ。氏へ。返答と破折5  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月26日(月)17時32分40秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

>▼ 「戒壇本尊」建立なくんば、「題目の7字」に意味はないのなら、当然蓮祖は誰にもそれを
> 唱えさせません。(^o^) つまり鎌倉の辻にも立たれず、折伏もなさいませんでしたろう。

●誰もそんなこと言ってませんね。
やはり貴公には当方が書く当たり前の文章では少し難解なようですかね。
大聖人様御一身が戒壇の大御本尊ですね。
だから人法一箇と申し上げるわけですね。
ですから大聖人様が戒壇の大御本尊や、またそれ以前の御本尊の御顕発以前の「お題目の7字」にも大聖人様を御本尊としての「意味」と功徳は当然あるに決まっていますね。
しかして、佐渡期から大聖人様は御本尊を顕され始めた。
が、全て、一機一縁の御本尊であって、御仏としての「出世に本懐」というべき御本尊ではなかった。

日寛上人・観心本尊抄文段

■問う、文永・建治の御本尊に御本懐を究尽するや。
 答う、文永・建治の御本尊、多く分身及び善徳仏を挙ぐ。これに相伝あり。或は仍文上を帯するか云云。
 問う、弘安の御本尊応御本懐を究尽するや。
 答う、実に所問の如し。乃ちこれ終窮究竟の極説なり。当に知るべし、智者大師は隋の開皇十四年、御年五十七歳、四月二十六日より止観を始め、一夏にこれを説いて四年後、同十七年、御年六十歳の十一月に御入滅なり。吾が大聖人は文永十年四月二十五日に当抄を終り、弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕して四年後の弘安五年、御年六十一歳十月の御入滅なり。

■弘安元年已後、究竟の極説なり。就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。

『法華取要抄文段』

■「一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり。然りと雖も仍これ枝流にして、これ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり」(文段集六〇一n)

との御指南に明確です。

異論があるならどうぞ。
道理の通った文証を引文してくださいね。お願いします。

 

やまいぬ。氏へ。返答と破折6  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月26日(月)19時44分48秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> ▼しかも先に書きました通り、当時の信徒の中にも「戒壇本尊」どころか「御本尊」そのものすら
> 見ずに亡くなった方もいくらでもおられましょう。それでも信心は出来ますし、宿命転換も
> 成仏も叶います。(^o^)

●記述の通り。
大聖人様がそのまま戒壇の大御本尊であったからですね。

 

やまいぬ。氏へ。返答と破折7  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月26日(月)20時31分14秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> >●すると、法宝はやはり弘安二年・十月十二日の戒壇の大御本尊でよろしいんですよね?

> ▼上記しました。「戒壇本尊」などという「限定されたモノ」ではありません。
> 「戒壇本尊」の成立なくんば蓮祖仏法に非ず、という考え方は、とっくに根こそぎ崩壊して
> います。(^o^)

●では、以下はやはり「池田大作監修」の仏哲の記述です。
さて、この義と貴公の主張は真っ向から対立するのですが、いつ貴公が言うように変わったのでしょうか?
それとも貴公がただの我見でものを言っているのでしょうか?
池田氏の考え方は間違っていたのでしょうか?
貴公の説を取ると、池田さんは完全に間違っていたことを辞典という普遍性が重要視される書物で公言していたことになりますね。
これは大変なことになってきましたね。
―――――――――――
ほんもんかいだんのごほんぞん
【本門戒壇の御本尊】
ほんもんかいだんのだいごほんぞん
【本門戒壇の大御本尊】

末法の御本仏日蓮大聖人が出世の本懐として、末法尽未来際にいたる一切衆生のために、弘安二年(二一七九年)十月十二日に図顕された未曾有の大更茶羅のことである。
本門の本尊ともいい、また三大秘法総在の本尊ともいう。
この大御本尊は第二祖日興上人に付属され、現在にいたるまで六有数十年にわたって、代々の御法主上人猊下によって厳護され、法灯連綿として日蓮正宗総本山大石寺に伝承されてきた。
現在、正本堂(※もちろん現在では奉安堂であることは言うまでもない)に安定されている本尊である。
戒壇の大御本尊は、昭和三十年十一月までは御宝蔵に厳護され、昭和四十七年十月七日に、総本山大石寺に完成した正本堂へ、奉安殿から御遷座されて、今日に至っている。
つぎにこの御本尊について述べるにあたり、はじめに本門戒壇について明かし、ついで本門の本尊について述べることとする。

一 本門戒壇について
一般に戒壇とは、戒を授ける壇をいうが、日蓮大聖人の仏法では、本門戒壇とは本門の本尊を安置し信心修行に励む場所をいう。
本門の戒壇には義と事がある。
義の戒壇とは、本門の本尊所住の処は、いずれの地であっても授戒の増場としての内容が整っていて、その義が戒壇にあたるから、義の戒壇という。
事の戒壇とは、本門戒壇の大御本尊が安置されるところである。
大聖人の仏法では、戒壇とは、全世界の人々の懺悔滅罪の道場であり、全人類が平和を祈願する根本道場を指しており、大御本尊に唱題し、帰命する所をいう三大秘法抄に、本門の事の戒壇について
■「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して踏給うべき戒壇なり」とある。

また南条殿御返事には
■「此の砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅して三業の悪転じて三徳を成ぜん」とある。

つぎに本門戒壇建立の地について述べるならば
三大秘法抄の
■「霊山浄土に似たらん景勝の地」とは、日本の富士山をさす。
日蓮大聖人の
身延相承書には
■「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」と明白に遺言されている。
また本門戒壇の大御本尊の授与書には
■「右現当二世の為に造立件の如し、本門戒壇の願主弥四郎国重、法華講衆等敬白、弘安二年十月十二日」とあり、
また日興上人より日日上人への譲り状たる日興跡条々の事には
■「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊日日に之を授与す、本門寺に懸け奉るべし」とあり、
百六箇抄には
■「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」とあり、
また同抄には
■「日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり」とある。
嫡嫡相承の曼荼羅とは大聖人弘安二年十月十二日御図顕の本門戒壇の大御本尊であり、本門戒壇の大御本尊を正式に御安置すべき本門戒壇は富士大石寺に建立すべきことを決定されているのである。
産湯相承事には
■「叡山の頂に腰をかけて近江湖水を以て手を洗うて富士の山より日輪の出でたもうを懐き奉ると思うて…日蓮は富士山自然の名号なり、富士は部名なり実名をば大日蓮華山と云うなり」とある。
しかして、日蓮正宗においては、第二祖日興上人以来、身延相承書の
■「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」の遺訓を堅く守って、広宣流布に邁進してきたのである。
さらに本門戒壇建立の時期について、日蓮大聖人は三大秘法抄並びに身延相承書に
■「時を待つべきのみ」
といわれ、本門戒壇建立を滅後に遺付された。
土木殿御返事には
■「日蓮死生不定為りと雖も妙法蓮華経の五字の流布は疑い無き者か……但し定慧は存生に之を弘め円戒は死後に之を顕す事法為る故に一重大難之れ有るか」といわれ、
諸法実相抄には
■「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」とある。
すなわち、本門戒壇建立の時代的・社会的背景として、日蓮大聖人が指摘している条件は、正しい宗教の基盤が確立し、その広大で豊かな宗教の土壌のうえに、政治、経済、教育、文化等の諸活動が展開される時代のことである。
したがって、本門戒壇の建立というのは、そうした宗教革命、信仰者個々人の生命の変革を根底にした、総体革命の進行をその背景とするのである。

二 本門の本尊について
本門の本尊とは、弘安二年(一二七九年)十月十二日に図顕された未曾有の大曼荼羅のことであり、一閻浮提総与の御本尊のことである。
この本尊こそが、日蓮大聖人の出世の本懐であり、全人類を即身成仏させえる大御本尊である。
また本門の本尊に法の本尊と人の本尊がある。
法の本尊とは、事の一念三千・無作本有の南無妙法蓮華経である。
人の本尊とは、久遠元初の自受用報身の再誕・末法下種の主師親・本因妙の教主・日蓮大聖人である。
この人法の本尊はその名が異なるけれども、その体は一であり、人即法、自受用身即一念三千である。
また法即人、一念三千即日受用身である。
これすなわち正中の正、妙中の妙なのであり、本門の本尊こそ行入所修の明鏡である。
観心本尊抄に「観心の本尊」が明かされているが、これは「本門の本尊」と同義である。
「本門の本尊」「観心の本尊」の実体は、日蓮大聖人が出世の本懐として、弘安二年十月十二日に建立された本門戒壇の大御本尊である。
日寛上人の観心本尊抄文段上の首文には、本門の本尊について、つぎのように説かれている。
■「夫れ当抄に明かす所の観心の本尊とは、一代諸経の中には但法華経、法華経二十八品の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底深秘の大法にして本地唯密の正法なり、此の本尊に人有り法有り、人は謂く久遠元初の境智冥合、自受用報身、法は謂く久遠名字の本地難思境智の妙法なり、法に即して是れ人、人に即して是れ法、人法名殊なれども其の体恒に一なり、其の体一なりと雖も而も人法宛然なり、応に知るべし当抄は人即法の本尊の御抄なるのみ、是れ則ち諸仏諸経の能生の根源にして諸仏諸経の帰趣せらるる処なり、故に十方三世の恒沙の諸仏の功徳・十方三世の微塵の経々の功徳、皆咸く此の文底下種の本尊に帰せざる莫し、譬えば百千枝葉同じく一根に趣くが如し、故に此の本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用有り、故に暫くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来たらざるなく、理として顕われざるなきなり、妙楽の所謂『正境に緑すれば功徳猶多し』とは是れなり、此れ則ち蓮祖出世の本懐、本門三大秘法の随一、末法下種の正体、行入所修の明鏡なり、故に宗祖云く『此の書は日蓮が身に当て一期の大事なり』等云云」と。
このように日蓮大聖人の仏法の根本は弘安二年十月十二日建立の本門戒壇の大御本尊である。
しかして現在まで日蓮正宗総本山大石寺に清純に伝承され、昭和四十七年に完成した正本堂にご安置されている御本尊である。
日蓮大聖人は御一代の間に、いくつかの御本尊をしたためられ、信心に励む在家出家の弟子檀那に授けられている。
その御本尊を一機一縁の御本尊といい、日蓮大聖入滅後、第二祖日興上人は本門寺建立の時には本門戒壇の大御本尊のもとに結集されるべきであると命ぜられている。
―――――――――――
●はい、では
@いつから
A何を根拠として

「とっくに根こそぎ崩壊してい」るんでしょうか?

正確な文証を挙げて証明してみてくださいな。
そして池田さんの説が完全に間違っていたと立証してみてください。
弟子として。
池田さん怒りませんかね?

 

やまいぬ。氏へ。返答と破折8  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月26日(月)21時27分4秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> ▼私は何と書きましたか?
>
> >▼法宝――本門の本尊(題目の7字)
>
> ▼つまり法宝とは(――しゃーないな、書くか。)、

●これは、実に尊大で不遜な発言だと思いますが。
およそ仏法を学ばせていただく者はどこまでも法に対しては身を低く謙虚な姿勢でなくては成仏など絶対無理でしょう。

■総じて随とは信の異名なり云云。唯信心の事を随と云ふなり。されば二巻に「此の経に随順す。己が智分に非ず」と説かれたり云云。

■大乗法要論十八に云く「信とは何の義ぞ。謂く、信順の義なり」云云。四教儀九六に云く「信は順従を以て義と為す」等云云。

■「慢は高き山の如し。雨水止どまらず」

■「法水は慢の高山には留まらず、何に依ってか大道を得ん」

よくよく、戒めるべきでしょう。

 

やまいぬ。氏へ。返答と破折9  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月26日(月)22時41分30秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

▼(※法宝とは)「事の一念三千の南無妙法蓮華経」、つまり
> 「題目の7字」であり、末法広宣流布のために蓮祖がお認められた御本尊のすべてであり、
> 「信心の血脈」を当然の前提として、樋田さんがまさしくお書きの通り、ただ「権能」として
> 本尊書写を任された歴代法主によって、云はば「代書」された本尊すべてです。
> あなたや宗門が摩り替えるように「戒壇本尊」という「ただ一つのモノ」、宗門が「質に取った
> モノ」ではありません。(^^)
> 「戒壇本尊ただ一つ」と、もし仮に限定しては宗門にとってマズいのは、ならば歴代法主に
> よる本尊は、「三大秘法の本尊」ではないのか? ということになりますよ?(^^)

●既述済みですね。
池田大作監修の仏哲の記述を真正面から否定している↑この発言は、信仰の根幹に関する否定ですから、創価学会の発生根拠から歴史そのものを否定しているわけですが、この矛盾を明快に解き明かしてください。
―――――――――――
> ▼いつの本尊、誰の本尊…違うのですよ。(^^)
>
> 「此の御本尊全く余所に求る事なかれ。只我れ等衆生の法華経を持て、南無妙法蓮華経と
> 唱ふる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申すなり。 十界具足とは
> 十界一界もかけず一界にあるなり。之に依て曼陀羅とは申すなり。 」

> 蓮祖が顕されようと顕されまいと、「御本尊」、つまり「題目の7字」は、生きとし生ける
> すべての「胸中の肉団」にある、つまり「己れ自身の中」に内在されておるのですよ。
> ただし、我ら凡夫如きは、これを信じることすら出来ぬ。
> だからわざわざ久遠元初の自受用報身としての大慈大悲から、「これだよ」と顕して
> 見せてくださった。
>
> 逆に云えば先に書いた@もAも、つまり生涯「戒壇本尊」どころか「御本尊」そのものすらも
> 拝したこともない人間でも「成仏」できるのですよ。

●言いたくはないけど、やはり実に浅薄ですね。

まずこの御文の引文によって貴公の説を正当化すること自体が不可なんですね。
この御文は、信心唱題という衆生の観心が成就するとき、御本尊と衆生とが一体の境地となり、衆生凡夫の生命に仏の事の一念三千の当体が宿ることを示されているのでありまして、貴公のように、一切衆生を成仏せしめる御本仏の御当体たる「御本尊」と、成仏を願って信心修行に励む衆生の「観心」とを混ぜ合わせて論じてはならないのです。
現に、我々がいかに信心唱題に励んだからといって、この肉団が礼拝の対境となるはずはありません。

では詳細に破折していきましょう。
1、まず、この御書は日女御前に大聖人様が御本尊を下付された時の御書です。
貴公の読み方だと、胸中の肉団以外に御本尊を求めてはいけなくなり、それでは「本尊=根本として帰命依止の対境」との意義はなくなってしまう。
つまり、”肉団の御本尊”が主で大聖人様御図顕の御本尊が従となり、以下の日寛上人の御指南を真っ向から否定する結果となる。

■凡そ本尊とは所縁の境なり。境若し邪なる則は智行も随って邪なり。境若し正なる則は智行も随って正なり。故に須く本尊の邪正を簡び、以て信行を励むべし。

2、次に■「只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり。」とある、この「法華経」との御文が読めないから、とんでもない邪解となるのでです。
まさか法華経十巻二十八品を握り締めて、あるいは抱きかかえてお題目を唱えるわけはないのですから、この「法華経」とは御本尊の御事を指すのですね。すると御文の意が見えてきます。
つまり、「私たちが、この御本尊へ強い信行によって受け持って題目を唱えた時、御本尊の境と我等が智が冥合して、その胸中に御本尊の境界が涌現する」という意です。
つまり、御本尊が能生であり、我等の胸中は所生であります。当たり前ですが、能生が主で所生は従です。
この読み方でないと先の日寛上人の御指南と矛盾してしまうのですね。

3、内在されている仏界はどう力んで題目を挙げてみてもそれだけでは涌出しない。
御本尊を拝してこそ仏界は顕現する。

■下種の十界互具の本迹  唱へ奉る妙法仏界は本、唱ふる我等九界は迹なり。妙覚より理即の凡夫までなり。実の十界互具の勝劣とは是なり。

「唱ふる我等九界は迹なり。」とある、そのままでは理即の凡夫である我等がそのままで十界互具の「御本尊」にはなれないのです。

概ね、以上を以って貴公の立論は全く不可であります。
反駁するならきちんとした文証でね。
「自分の考え」では仏法では全く通用しませんよ。

 

やまいぬ。氏へ。返答と破折10  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月26日(月)22時45分27秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> ▼ですから、
>
> >三宝一体の義からすると、戒壇の大御本尊こそ貴公の言う、
> >「蓮祖仏法の絶対的信仰対象」ですよね。
> も、
> >それは=戒壇の大御本尊=「正法」ということでいいですよね?
> も、
> >「久遠元初の三宝」とは三宝一体の義から戒壇の大御本尊に究竟されますよね。
> も、残念ながら全部“NO”です。(^o^)

●ここも根拠薄弱ですね。
文証は?
先ほどの日女御前御返事ではだめだったですね。

貴公の言い分だと以下の日寛上人の御指南を真っ向から否定することになりますが。

■本門の戒壇に事あり、理あり。理は謂く、義理なり。これ則ち事中の事理にして迹門の理戒に同じからず。その名に迷うこと勿れ。故にまた義の戒壇と名づけんのみ。初めに義理の戒壇とは、本門の本尊の所住の処は即ちこれ義理、事の戒壇に当るなり。経に云く「当に知るべし、この処は即ちこれ道場」とはこれなり。天台云く「仏其の中に住す、即ちこれ塔の義」等云云。故に当山は本門戒壇の霊地なり。またまた当に知るべし。広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり。然りと雖も仍これ枝流にして、これ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり。妙楽云く「像末の四依、仏法を弘宣す。化を受け、教を禀け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則は増上して真証に濫る」等云云。今、日本国中の諸宗・諸門徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。宗祖云く「根深ければ枝繁く、源遠ければ流れ長し」(取意)等云云。

■ 今謂わく、嗚呼我慢偏執抑何の益有りや、富士山を以て本山と仰ぐべきこと文理明白なり。
 一には富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり、故に本門寺根源と云うなり、弘の一の本十五に云わく「像末の四依、仏化を弘宣す、化を受け教を禀く、須く根源を討ぬべし、若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」云々。宗祖の云わく「本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」等云々。既に是れ広布の根源の所住なり、蓋ぞ本山と仰がざらんや。

 

やまいぬ。氏へ。返答と破折11  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月26日(月)23時02分29秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> >●(ただし、既述の如く、現に唯授一人・金□嫡々・血脈相承されている猊下から、参詣できる
> >立場を頂いている方が種々の都合により参詣できない状況と同一視はできませんからね。)

> ▼この「但し書き」ですけどね?(^^) 細かいようですが大事なことでしょうから書きましょう。
> 非常に単純に、蓮祖がその大慈大悲より、「一閻浮醍総与」と仰るものを、
> 「猊下から、参詣できる立場を頂」くという発想そのものが間違っておるとまず当然考えます。

●ですから文証を提示して立論してください。
■「文無く義無きは信受すべからず」
■「文証無きは悉く是邪謂なり」とも云へり。いかゞ心得べきや。

との如くであります。

既に大聖人様は、
■日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、
と一閻浮提総与の戒壇の大御本尊をも含め全ての仏法を日興上人お一人に相伝されています。
更に、
■背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。
と御決判されており、大聖人様の仏法の一切の権能は全て唯授一人の御方に託されております。
また
■日興が身に宛て賜わる所の弘安二年の大本尊日目に之れを相伝す、
との如く、戒壇の大御本尊は唯授一人の御法主上人御一人に相伝されているのですから、戒壇の大御本尊の関する一切の御権能も全て御法主上人の御心にあるということです。

 

やまいぬ。氏へ。返答と破折12  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 6月26日(月)23時18分47秒 p3213-ipbf12yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

>▼ 対して恐らく、「いや、邪宗謗法の者は当然参詣できぬ」と仰るかと想像しますが(^^;、
> では大石寺に度々身延の坊主が参っておるようですが、ありゃどーいうことでしょうね?(^^)
> 身延は「邪宗謗法」ではないのですか? 樋田さんの言い分が正しければ、当然「邪宗謗法」の徒輩である身延の坊主どもは、当時の法主・阿部日顕、つまり「唯授一人・金□嫡々・
> 血脈相承されている猊下から、参詣できる立場を頂いている」訳ですね?
> 当然ですね、宗門僧侶がわざわざ案内しておるのですから。(^o^)
> これでは「猊下から、参詣できる立場を頂いて」等々と、その「戒壇本尊」参拝を限定したり、
> ましてや本尊の学会下付を停止して、「一閻浮醍に総与せぬ」筋さえ通らぬことに
> なりますが?(^o^)

●実に不勉強と言わざるを得ません。
■法華宗の御堂なんどに・他宗他門の人参詣して散供まいらせ華を捧る事有り之を制すべからず、既に順縁なるが故なり、
■〇註 解。
「散供まいらせ」通例御賽銭と云ふもの此時代では通貨でも米でも仏前に蒔き散らすが普通の例であつた、此は丁寧なる儀式でないが却つて信謗の区別なき一般的のもので順縁とも云ふべきであるから禁制に及ばぬと仰せらるのである

との如くで全く問題がないとのことですね。
―――――――――――
> ▼まぁこうやって、基本中の基本みたいなことを「確認する」ようにやり取りするのも悪く
> ありません。じっくり考えて、また答えてくださいね。(^^)

●その通りですね。
何事も基本が大事。貴公も「じっくり考えて、また答えてくださいね。(^^)」

 

ふぅ・・・。(^^;  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 6月27日(火)01時19分7秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

  引用

 

 

やっと終わった…。
と思って帰宅したら…。
いやはや…(^^;

「やまいぬ。氏へ。返答と破折1 投稿日: 6月26日(月)11時41分37秒」
から、実に
「やまいぬ。氏へ。返答と破折12  投稿日: 6月26日(月)23時18分47秒」

12時間!
まぁ、「何と暇な…」、とか「仕事はどないしたん?」と云うよりは、いくら保つところの信仰が
違うとはいえ、「よくぞこれだけの時間をお掛けくださって」と、感謝のひとつもすべきでしょう。
(^^;

とはいえ、読むだけでも大変そうなので、返答は明日以降。(^^)
大変ご苦労様でした。

 

※ 以降、「返答は明日以降」と書置きしてあるにも拘らず、当方からの破折には反論がなく(できず?)以下の投稿が続く。

「返答している時間がない」「返答する気にならなかった」などの弁明は通用しないであろう。

 

パシリ2号、73よ。(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 3日(月)02時55分22秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

 

伽羅くんへ。  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 3日(月)03時00分50秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

サクッと行きますか。(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 3日(月)23時58分17秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

あー。  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 3日(月)23時59分22秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 5日(水)00時59分13秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

ああ、書き間違えた。  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 5日(水)01時01分35秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

沖浦先輩、  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 5日(水)20時00分29秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

伽羅くんへ。  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 5日(水)20時03分31秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

パシリ2号・73くんへ。(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 5日(水)20時06分24秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

パシリ2号・73よ。(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 6日(木)01時02分3秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

華蓮さんへ。  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 6日(木)02時40分14秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

伽羅くんへ。(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 6日(木)02時44分30秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

一支国様、  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 6日(木)02時54分11秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

眠い・・・。(^^;  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 6日(木)06時43分33秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 6日(木)06時47分9秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

華蓮さんhe.  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 6日(木)23時16分42秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

華蓮さん、  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 6日(木)23時44分35秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

華蓮さん、  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 6日(木)23時50分3秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

華蓮さん。  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 7日(金)00時17分9秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

ちょうどいい。(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 7日(金)00時19分25秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

パシリ2号・73よ。(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 7日(金)00時49分20秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

華蓮さん、  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 7日(金)00時50分36秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

また逃げた。(^^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 7日(金)01時29分13秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

なーんでもいいのですが。(^^;  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 7日(金)02時03分7秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

早瀬日慈さん、  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 7日(金)02時05分50秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

日号さん、  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 7日(金)02時34分58秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

仕事先からお邪魔します。(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 7日(金)17時50分35秒 p2065-ipbf502souka.saitama.ocn.ne.jp

 

sate.  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 8日(土)02時24分11秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

さて。(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 8日(土)02時25分47秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

飯の準備だ。(^^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 9日(日)17時36分9秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

さて。(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月 9日(日)23時09分9秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

パシリ2号・73よ。  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月10日(月)00時44分46秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

パシリ2号・73よ。(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月10日(月)21時59分58秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

伽羅くん。  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月10日(月)22時01分21秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

沖浦先輩、  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月10日(月)22時02分41秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

伽羅くん。  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月11日(火)00時34分49秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

パシリ2号・73よ。(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月11日(火)00時36分8秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

華蓮さん。  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月11日(火)00時39分6秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

パシリくんよ。(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月11日(火)00時41分42秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

華蓮さんへ。  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月11日(火)02時48分21秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

結構長いな。(^^;  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月11日(火)03時49分58秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

>学会員には潰されませんよ  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月11日(火)03時56分4秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

いま気づいたよ。(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月11日(火)03時59分49秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

あー、見つけちゃった。(^o^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月11日(火)04時25分15秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

※ いやはや、大変な投稿数である。これだけの時間的余裕があって、尚且つ、「返答は明日以降」などと書置きがあるにも拘らず、当方へ反論できていないとすれば、これは明らかに「反論不能状態」といって間違いないであろう。

 

そこで、当方は以下の反論を促す投稿をした。

 

久しぶりに復帰できそうです  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 7月11日(火)14時30分32秒 p4060-ipbf204yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

激忙の件もひと段落つき、書き込み再開です。
留守の間ずいぶんとにぎやかのようでしたね。
内容はほとんど読んでないんですけど。(読む時間のゆとりがありませんでした)

さて、やまいぬ。さんへ。
お仕事で忙しいということで私へのご返答をされなかったと記憶しておりますが、こうして↓頻繁に書き込みをされているところをみると、お時間が取れる状況になられたと拝察します。
では、やまいぬ。さんへの私からの反論および破折に対する再反論をお待ちしておりますので、よろしくお願い致します。
皆さんに見やすいように近日中にいままでの往還をHP上にUPしておきますね。

そうそう、この間にまた一人勧誡が決定しました。

 

※ これに対しての弁明が↓である。

 

樋田さんへ。(^^)  投稿者:やまいぬ。  投稿日: 7月12日(水)02時11分26秒 61-24-106-233.rev.home.ne.jp

  引用

 

 

あなたが実に12時間に亙って書いた長文、正直云って「12時間」と知った段階で
ウンザリして読む気にもなかなかなれないのですが(^^;、珍しく“Word”に取って、
気が向けばぼつぼつ書いていますから、のんびりお待ちください。(^^)
(なにせあなた、平日の昼間から深夜にかけて、もし1番目の書き込みを書くのに小1時間
かかったとしたら、実に13時間ですよ? (^o^) 「題目挙げるでもなく折伏するでもなく、
ワシャそんな暇人に付き合うんかい?」と思いますよ。(^o^) )

 

※ そもそも、当方へ執拗に、まさに絡むが如き様相で問難してきたのは、やまいぬ。氏、当の本人である。

しかも、冒頭に既述の如く、当初当方は他の者との対論に忙殺されており、やまいぬ。氏には取り合っていなかったのであるが、その問難に対してしても今回ここで明確に破折しており、これに対し上記の如く、他へ対してしてはかくも膨大な投稿をしているにも拘らず、当方へ再反論しないのは、如何なる理由を述べてみても、これはまさに「反論不能」であることに変わりはない。

 

ついでにこのやまいぬ。氏の「弁明文」に反論しておく。

 

1、            この程度の反論文を書くのに当方は12時間も13時間も必要としない。自分の能力と程度と生活状態を元に、なんら客観的根拠なく他を推し量ることは慎んだほうがよかろう。(自分の程度が知れると言うものである。)当方は毎日の勤行はもちろん、その他、2時間唱題をする合間に論述しているのである。やまいぬ君程度の稚拙な邪難を粉砕するのにそれほどの労力は要らない。

2、            平日どう過ごそうが、貴公の価値基準で云々すべきではなかろう。当方は平日よりむしろ土日のほうが現場折伏で多忙である。

3、            ■「仏法を習ひ極めんとをもわば、いとまあらずば叶ふべからず。」との仰せの如く、真に仏道を究める為には時間は大切であり、当方が今までの功徳の果報として仏道修行に時間を大いに活用できる境涯にあることは大変ありがたいことである。やまいぬ君こそ、いつもあくせくしているようであるが、自らの境涯を大きく転換して悠々とされたら如何か。

4、            やまいぬ君等の邪宗・邪義・謗法を打ち砕く行為そのものが「折伏」である。そういう折伏もしないでテレビでサッカー観戦などしている者をこそ「暇人」と呼ぶのである。(やまいぬ君の投稿内に多くサッカー観戦が見受けられるので苦言を一言。そういう姿を「一、謗法を呵責せずして遊戯雑談の化儀並びに外書歌道を好むべからざる事。」とのお叱りを受ける姿である。よくよく戒めるべきであろう。)

5、            今回のテーマはまさに「“正法”の定義」であり、当方は「やまいぬ君ら創価学会が広めているものは「正法」ではない。」と明確な文証を以って断定しているのである。やまいぬ君らの立場からすれば斯く言う当方は“謗法”に当たる訳だから、やまいぬ君はまさに不自惜身命の精神で“破折”しなくては大聖人の門下とは言えないであろう。「気が向けばぼつぼつ書いていますから、のんびりお待ちください。」などと呑気なことを言っているのは、まさに懈怠謗法で、堕獄必定である。

 

以上、やまいぬ。君が反論不能状態となった経緯全貌をUPし、末永くここに留めておく。