今まで狂犬が繰り返し書いてきた、「蓮祖御図顕本尊」の矛盾を突く。

 

何を以って「蓮祖御図顕本尊」と言うのか?

 

@ 御歴代上人が「御書写」された御本尊の「字体」は「蓮祖御図顕本尊」と明らかに違う。


A
 十界の座配も「蓮祖御図顕本尊」と一様ではない。特に創価学会販売のニセ本尊の元となった日寛上人「御書写」の御本尊の座配は、明らかに「蓮祖御図顕本尊」とは違う。

 

B 「蓮祖御図顕本尊」=大聖人御真筆御本尊には御自著で「花押」があらせられる。が日興上人以降の御歴代上人が「書写」された御本尊には当然ながら「花押」はあらせられない。「在御判」とお認めである。

 

「字体」も「座配」も違って、しかも「花押」か「在御判」との決定的な相違が厳然であるのに、では、やまいぬ。君は、一体何を以って、どこを指して、日寛上人、あるいは御歴代上人のお手に成る御本尊を「蓮祖御図顕本尊」と言い張るのか?

 

醜犬やまいぬ。君には永遠に答えられないだろう。呵々大笑

ここが、醜犬やまいぬ。君の限界点である。

ここが答えられないから、「敗北」なのである。

 

さ、もし、出来るのならやってごらん?絶対無理でしょう。呵々大笑

 

斯様に、創価学会の本尊観は支離滅裂なのである。

支離滅裂なものを拝むから、自分自身が支離滅裂になるのである。呵々大笑

そういう支離滅裂な者が巷にうろうろしているから、世の中が支離滅裂になるのである。

 

だから、これ以上支離滅裂なものを世に広げてはいけないのである。

もし、その辺の家で見かけたら、その持ち主によく説明して、一刻も早くその支離滅裂な魔物を破却・焼却しなければならないのである。

恐ろしいのである。

 

やまいぬ。君のお陰で、またしてもニセ本尊の支離滅裂さに一段と気がついたのである。

醜犬やまいぬ。君の使命甚大である。呵々大笑