2、で、次の
■「一、先師の如く予が化儀も聖僧たるべし。但し時の貫首或は習学の仁に於ては、設ひ一旦のよう犯有りと雖も、衆徒に差し置くべき事。」
【1】 まずここの媱犯の「媱(2451)」は
媱=@みめよい。美しい。A婬の俗字。
とある。
婬=
@みだら。男女間の交わりの正常でないこと。=淫
Aたわむれる。楽しみ遊ぶ。
とある。
淫=
@度を越す。度はずれ。深入りする。熱中しすぎる。おぼれる。
A@男女関係の不純・過度なこと。
Aよこしま。道にはずれている。
Bだらしがない。ふしだら。
Bみだす。みだれる。まどわす。おかす(犯)。
さて、これはどう見ても、「正常でない男女間の交わり。」ということであるから、正常な形態である婚姻を否定する御文ではないことは、明々白々である。
【2】 次に、聖僧 であるが、これは、既に多くの方が指摘しているように、
「先師大聖人のように日興上人(以下歴代の僧宝)の「化儀」は、大聖人(=聖僧)のごとくあるべきである。」
との意である。
この「化儀」とは
化法に対する語 仏が衆生を化益、化導する儀式をいい、その説法の形式、仕方をいう。(中略)今われわれの化儀は、勤行の仕方、御本尊の取扱いに関すること、儀式等に関することをいう。日蓮正宗の化儀は、第九世日有上人の「化儀抄」等にさだめられており、もっとも正しい清純なものである。池田大作監修「仏哲」から)
であるから、ここも、妻帯云々とは全く別の文意・趣旨である。
であるから、醜犬やまいぬ。君の見苦しいいちゃもんは、全て却下、不可、不採用、である。
ご愁傷様。呵々大笑
【3】 因みに、当方はここまで論証したのだから、醜犬やまいぬ。君は大聖人・日興上人が「妻帯を禁じた明確な文証」を提示してみたまえ。
出来るわけはないので、せめて、きちんと「蓮祖・興師の文証」を以って、以上の論証を覆してみたまえ。
・・これも、無理だろうがね。
まっ、楽しみに待ちましょうか?