以前の醜犬やまいぬ。君の発言。

 

『以下、手短に私見です。

何故「謗法を責めねばならんのか?」――謗法を「捨て置く」こと自体を蓮祖は

「獄卒」と明言されていますね。

そして「謗法を責め、許さぬ」という一念と行動により、本当の大功徳もまた開花する。

「悪を滅するを功といい、善を生ずるを徳というなり」

の仰せ通りです。個人が良かれと思って「善を生ずる」だけではまったく足りない。

で、その一年(※ママ)と行動は必ずその「謗法」とその個人・集団に現証として現れる。

だから手を緩めてはいけないし、歓んで、意義と使命を感じてそれを続けねばならない。

私も含め、それぞれのパーソナリティで、時に誤りだって犯しながら、様々にその破邪顕正の闘いを続けるのですが、あまりこういう観点で、このサイトでお書きになる方、多くないようにも思いますが、云々』