やまいぬ。君の駄問を完摧す。104 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:12月 9日(土)11時30分17秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp 引用
さて、あまり、こうした馬鹿のレベルを叱ってばかりいても読者も退屈でしょうから、少しつっこんだ内容にしますか、この段は。
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> さ、「南無――の内証は戒壇本尊」、さっさと蓮祖・興師の文証挙げんか、クズ坊。
> 当然坊や捏造の「無限ループ」、あるいはマグ様ご指摘の「永遠等式」もだ。
> 仕方ないねぇ。誰でもない、坊やが勝手にでっち上げちゃったんだから。(^o^)(^o^)
> (^o^) 無理か、やっぱり?(^o^) 蓮祖・興師じゃ不満なんだよねぇ、坊や?(^o^)
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日淳上人(便義の為★『』等を加えさせていただいた)
■ 大聖人が末法に出現せられ、仏の境涯に立ち、其の★『御内証』を顕発あそばし★1『三大秘法の大御本尊』としてお顕わしになったのであります。
「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ、信じさせ給へ、仏の御心は法華経なり。日蓮 が魂は南無妙法蓮華経に過ぎたるはなし。」と仰せられて御座いますが、茲に於いて末法のための寿量品とは日蓮聖人の★『御内証』にあり、その★2「『御内証』を★3『大漫荼羅に建立』あそばされたこと」を拝し奉るのであります。
世上に於いて、所謂日蓮宗の立つるところの本尊を見るに、その立つる処がまちまちで、一定しておりませんから一口では申せませんが、法華経本門寿量の文上の釈尊をとつて本仏と立て、
★4『南無妙法蓮華経を以って本法としてをる』が如くであります。
此れは全く★『天台の余流』であって、★『大聖人建立の御本尊とは異る』のであります。たとへ口には上行所伝の妙法と云ふて恰(いえど)も天台と別なるが如く申しましても、事実は★『天台の余流に墮しておる』のであります。此の事は結局★『種脱相対の御法門を知らない』からである。
★1=戒壇の大御本尊(大聖人一期御化導中、唯一「戒壇」の義を明示された御本尊であるから、ここに始めて、題目・本尊・「戒壇」と三秘が整足するのである)
★2『御内証』を★『大漫荼羅に建立』あそばされたこと=「南無妙法蓮華経の内証」の「内証」とは戒壇の大御本尊へ究竟せられる。(当方の主張)
★3=戒壇の大御本尊
★4≒駄犬らの妄執。→大聖人の御本懐である戒壇の大御本尊を離れ、「「南無妙法蓮華経 日蓮在御判」とあれば、何でも本尊となる。」との駄犬の劣見は、★4とほとんど同義。
つまり、
★4『南無妙法蓮華経を以って本法としてをる』と
駄犬「「南無妙法蓮華経 日蓮在御判」とあれば、何でも本尊となる。」
と、その惑乱振りはほとんど同義である。限りなく”近似値”である。
であるから、駄犬らは、または、駄犬と同様の妄見を為す輩は
『此れは全く★『天台の余流』であって、★『大聖人建立の御本尊とは異る』のであります。たとへ口には上行所伝の妙法と云ふて恰(いえど)も天台と別なるが如く申しましても、事実は★『天台の余流に墮しておる』のであります。此の事は結局★『種脱相対の御法門を知らない』からである。』
であり、つまり、邪教 ということである。
因みに「御歴代上人の御指南を用いない」との恥言は、
http://toyoda.tv/yamainu2.htm 74〜78 に正当な反論不能状態であるが故に、全く採用できない。