●ここで、こういう道理が既に理解できなくなった者をして大聖人がどのように呵責しておられるか拝そう。

■癡人が疑って云はく、我等は南天を見て東西北の三空を見ず。彼の三方の空に此の日輪より外の別の日やましますらん。山を隔て煙の立つを見て、火を見ざれば煙は一定なれども火にてやなかるらん。かくのごとくいはん者は一闡提の人としるべし。生き盲にことならず。

この御文はまさに、駄犬のような愚悪な者を痛烈に呵責せられている箇所なので、少し詳しく見ていきましょう。

愚かな者、道理に暝い者は、疑い深く邪心をもって執拗に訊いて来る。
「我々は南の空しか見ていない。その南の空には確かに「太陽」は一つだが、しかし、見ていない東西北の空にだって、「太陽」以外の別の「太陽」に匹敵する「日」があるのではないか?」
あるいは、
「山の向こう側から煙が昇るのを見て、「確かに煙は確認できるがしかし、現地に行って直にその元の「火」を見ない限りは、その煙が「火」から出ている、ということは信じない。」」
このように言う者どもは一闡提人である。→(一闡提=仏の正法を信ぜず、誹謗をし、また、誹謗の重罪を悔い改めない不信、謗法の者のこと。(中略)今、末法においては、日蓮大聖人の仏法を信ぜず、誹謗をし、御本尊を拝めない者、また一切の邪宗邪義に執着する僧尼及び俗男俗女のことである。堕地獄の衆をさす。池田大作監修・仏哲から)
まさに生き盲である。→つまり、道理が全く見えない者との意。
これ、まさにやまいぬ。駄犬のそのままの姿である。

以上
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さ、臭犬君、これにも、自己の正当性を、「蓮祖・興師の文証」のみで反駁してご覧?呵々