さて、では、”消毒”の続きを始めますか
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> こんな簡単なことに朝から晩までご苦労なこった。(^o^)
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↑”簡単なこと”ならば、↓これ全部早く答えたら如何か?呵々大笑
http://toyoda.tv/yamainu.hanronhuno.mokuji.htm
教義的に何の反論も出来もしないくせに、強がりだけの空回りでは惨めですよ。やまいぬ。君?
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> どれだけ暇かよく解かるな、樋田昌志よ。(^o^)
>
▼1「> いいかね? ここに書き込んでいる時間とは、現実には一歩も広宣流布は進んでいない
> 時間だということだ。まず唱題している時間ではない。誰に会うでもなく、誰を励ます
> でもなく誰の悩みを解決するでもなく、誰に信心の素晴らしさを語るでもなく、もちろん
> 1世帯の入信決意も折伏弘教も出来ている訳ではない。
> 坊やの長ったらしい女々しい書き込み、朝から深夜までご苦労なこったが、仕事そっち
> のけ、信仰活動そっちのけで、やる気があれば、やるべきことは何でもあろうものを
> 放ったらかしてせっせと書き込み――現実をひとつも動かさぬ、馬鹿馬鹿しい脳内カルト
> らしい在り方だ。(^o^)」
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↑
1、ここが既に73氏も指弾しておられる通り、実に 馬鹿な内容 である。
この言葉は、そのまま例えばアク禁になって以降もIPを変え執拗に絡み付いてくる阿部日ケ〜ン(院政)なる者などをその筆頭として、執拗に痴難を吐きかけて投稿してくるやまいぬ。君自分自身も含めた全ての創価学会の”同士”へもそのまま当て嵌まる言である。
わかりやすく書き直してあげましょうか。
「どれだけ暇かよく解かるな、●●よ。(^o^)」
(※●●には例えば、「阿部日ケ〜ン(院政)」でもいいし、「出張マグマグ」でもいい。また「日々更に決意」でも、「卞氏」でも「kusanone」でも「一支国」でもいいし・・・、もう取り取り見取である。呵々
▼>
いいかね? ここに書き込んでいる時間とは、現実には一歩も(※創価学会の)広宣流布は進んでいない
> 時間だということだ。まず唱題している時間ではない。誰に会うでもなく、誰を励ます
> でもなく誰の悩みを解決するでもなく、誰に信心の素晴らしさを語るでもなく、もちろん
> 1世帯の入信決意も折伏弘教も出来ている訳ではない。
>※「 坊やの長ったらしい女々しい書き込み、朝から深夜までご苦労なこったが、」
(※ここは、やまいぬ。君本人などには、
▼「坊やの野卑で粗野で知性のない、教義的には全く反論不能で、言い逃れと、悪あがきを際限ない繰り返す未練がましい書き込み、夕方から深夜・明け方までまでご苦労なこったが、」
となるであろうし、
HN「阿部日ケ〜ン(院政)」なる者には、
▼「坊やの陰湿で執拗、それで粘りっこい老獪な書き込み、「朝から深夜までご苦労なこったが、」(「」原文のまま)」
となるであろうし・・・
少し時間帯や、内容の説明を変えれば、ここへ書き込む幼稚で愚昧な創価学会員の全てに当て嵌まる非難である。
続き
▼「仕事そっち のけ、信仰活動そっちのけで」
※ここは、書き込む各自の時間帯によってはそのまま吐きつける事になる、
例えば、HN「阿部日ケ〜ン(院政)」なる者を筆頭に日中書いている者として、出張マグマグ、日々更に決意、等には、
▼「仕事そっちのけ」との罵倒をそのまま吐きつけて罵っている事になるし、
夜書いているやまいぬ。君を筆頭にしたものどもへは
▼「信仰活動そっちのけで」という罵倒をそのまま浴びせている訳である。
どうしてこれほど 馬鹿 になれるものなのか?というほど 馬鹿 である。呵々大笑
続き
▼やる気があれば、やるべきことは何でもあろうものを
放ったらかしてせっせと書き込み――現実をひとつも動かさぬ、馬鹿馬鹿しい脳内カルトらしい在り方だ。(^o^)」
これも全体の文意から見れば、
▼「書き込みをしているものはやるべきことを放ったらかしている現実をひとつも動かさぬ馬鹿馬鹿しい脳内カルト」
ということになる。
それはここへ書き込む全ての創価学会員へ吐きつける、またしても罵倒の言である。呵々大笑
いづれにせよ、やまいぬ。臭犬がどう言い訳・言い逃れしようが、
▼「ここに書き込んでいる時間とは、現実には一歩も(創価学会の)広宣流布は進んでいない時間だということだ。まず唱題している時間ではない。誰に会うでもなく、誰を励ますでもなく誰の悩みを解決するでもなく、誰に信心の素晴らしさを語るでもなく、もちろん1世帯の入信決意も折伏弘教も出来ている訳ではない。」
という事であるから、やまいぬ。臭犬は、臭犬の好きな言い回しで表現したら
”ボクちゃん自身の言葉でボクちゃんの首を落としている”
ことになる。呵々大笑
それだけでなく、その振り回した刃で、周りの同胞の首まで傷つけたり、落としていることにもなる。
当方に教義的に反論できないことで悔しさ余って口汚く罵ろうとしたその言葉がじつはそのまま自分も同士を罵っているのである。
この姿こそ、怨念と怒りに燃え盛る修羅根性に駆られて見境無く吼えまくって、冷静な判断力を失っている、惨めで御可愛そうな境界というのである。
これなど、俗衆増上慢 とでも言うのであろう。(道門増上慢などにはおよそ教義的に届かないレベルだからである)
敵を攻撃しようとしたその砲弾で友軍を爆撃しているようなものである。
だから 馬鹿 だと言うのである。
ニセ本尊を拝むと斯様な 馬鹿 になる見本 だと言うのである。
世の中にニセ本尊のおぞましさを知らしめる良き標本だ というのである。
さて、この段も、(教義的な内容でなく実に下らんが、しかし、『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』として)↓に掲示しておくので、しっかり万人が納得できる形で反論してみてもらおうかな。
http://toyoda.tv/yamainu.hanronhuno.mokuji.htm
反論に成功したら、↑から取り下げてあげましょう。呵々大笑
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