御辺(ごへん)は今年は大厄と云云。昔伏義(ふくき)の御宇(ぎょう)に、黄河と申す河より亀と申す魚、八卦(はっけ)と申す文を甲に負ひて浮き出でたり。時の人此の文を取り挙げて見れば、人の生年より老年の終はりまで厄の様を明かしたり。厄年の人の危ふき事は、少水に住む魚を鴟(とび)・鵲(かささぎ)なんどが伺(うかが)ひ、灯の辺(ほとり)に住める夏の虫の火中に入らんとするが如くあやうし。鬼神やヽもすれば此の人の神(たましい)を伺ひなや(悩)まさんとす。神内(しんない)と申す時は諸の神、身に在りて万事心に叶ふ。神外(しんがい)と申す時は諸の神、識の家を出でて万事を見聞するなり。当年は、御辺は神外と申して、諸神他国へ遊行すれば慎んで除災得楽を祈り給ふべし。又木性の人にて渡らせ給へば、今年は大厄なりとも春夏の程は何事か渡らせ給ふべき。至門性(しもんしょう)経に云はく「木は金に遇ふて抑揚(よくよう)し、火は水を得て光り滅し、土は木に値ひて時に痩(や)せ、金は火に入りて消え失せ、水は土に遇ふて行かず」等云云。指して引き申すべき経文にはあらざれども、予が法門は四悉檀(しつだん)を心に懸けて申すなれば、強(あなが)ちに成仏の理に違はざれば、且(しばら)く世間普通の義を用ゆべきか。然るに法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり。されば経に云はく「此の経は則ち為(こ)れ閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即消滅して不老不死ならん」等云云。又云はく「現世は安穏にして後生には善処ならん」等云云。又云はく「諸余の怨敵皆悉く摧滅(さいめつ)せん」等云云。取(と)り分(わ)け奉る御守りの方便品・寿量品、同じくは一部書きて進(まい)らせ度(た)く候へども、当時は去り難き隙(ひま)ども入る事候へば略して二品奉り候。相構(あいかま)へ相構へて御身を離さず重ねつヽみ(包)て御所持あるべき者なり。
(中略)
厄の年災難を払はん秘法には法華経には過ぎず。
(中略)
当年の大厄をば日蓮に任させ給へ。釈迦・多宝・十方分身の諸仏の法華経の御約束の実不実は是にて量(はか)るべきなり。
(太田左衞門尉御返事 弘安元年四月二三日 五七歳 1222)