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<A「僧」であるか、ないかを、在家の立場で、何を基準にして判定するのか文証を引き、教学的に立証せよ。
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●「末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり」(御義口伝P766)
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(゜o゜)御書に照らして正しく受持信行する限り ハゲてるだけでは僧とはいえません
●相伝もない痴犬が「何を」「どのように」御書と「どう照らす」のか?大笑いである。
何も「照らせない」証拠にこの引文が全く的外れであることは既述した。
再述
●この御文は、久遠の下種の本仏は末法では凡夫僧の姿で現れた日蓮大聖人様であり、更にその御一身に三宝を具しておられる一体三宝義を表明された明文と拝するのである。
痴犬が言いたい、御法主上人を誹謗する、何の根拠にもならない御文である。
痴犬はただ盲滅法に御文を乱引しているだけで、実に滑稽である。