反論2
● 馬鹿もここまで極まったり!
▼ 邪難
▼富士宗学要集5巻 164項 原殿御返事
日興上人身延離山史 150項
顕 正 会折伏理論解説書 142項
以上の書籍を見れば最初の大石寺からはあきらかに海が一望できたことが確認できる。
はたして日蓮正宗大石寺の目の前に海が一望できるか?
● 破折
さて今度は二番目の
▼「日興上人身延離山史 150項」
を見てみよう。
そもそも、身延離山史に「150項」などなく、これは「頁」との明らかな間違いである。
こんな単純かつ初歩的なミス・誤植すら見抜けないくせに、そのまま誰かの受け売りで転用したのであろうが、実に馬鹿丸出しである。おお、恥ずかしい!
その程度の低脳なレベルで、文献を漁ると大やけどする、という良き見本である。
では、本文に入ってみようか。
■「直ちにそこより北の方、大石ヶ原に法礎の確立を志され、大檀越南条殿の外護を得て翌正応三年十月には、遂に東には霊峯富士を負い、また眼を転ずれば遙かに駿河の海を望む景勝の地に、多宝富士大日蓮華山大石寺の創立を見るに至った。」(日亨上人・日興上人身延離山史・150「頁」)
おそらく、この箇所を論っているのであろう。
実に馬鹿馬鹿しい。破折するのも下らない内容である。
どこに、▼「目前に海が一望できる」などと書いているのか。
本当に馬鹿が馬鹿を重ねたような馬鹿馬鹿しさである。
本文■「遙かに駿河の海を望む」とあるではないか。
事実、現時でも当然ながら、大石寺から遙か駿河湾が遠望できるのである。
全く、破折する時間の無駄!とも言うべき低脳さである。
貴殿は、「目前」と「遙か」という日本語の違いすら分らないのか?
それは、生まれつき知能が低かったからなのか、それとも謗法の害毒で脳が萎縮したからか?
相当に知能が低下しているようなので、ここで日本語の勉強をしてあげましょう。
目前 見ている目の前。転じて、きわめて近いこと。
遙か 距離が遠く隔たっているさま。
この意味の違いが分るまで、100遍以上音読したまえ。
こんな幼稚なことを言ってくるなんて、ああ、恥ずかしい!実に惨めである。