●退転者
▲日蓮を信ずるようなりし者どもが、日蓮がか(斯)くなれば疑ひをを(起)こして法華経をす(捨)つるのみならず、かへりて日蓮を教訓して我賢(かしこ)しと思はん僻人(びゃくにん)等が、念仏者よりも久しく阿鼻地獄にあらん事、不便とも申す計りなし。
日蓮御房は師匠にてはおはせども余(あま)りにこ(強)はし。我等はやは(和)らかに法華経を弘むべしと云はんは、蛍(ほたる)火が日月をわら(笑)ひ、蟻塚(ありづか)が華山(かざん)を下(くだ)し、井江(せいこう)が河海をあなづり、烏鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)をわらふなるべし、わらふなるべし。583
▲「若し悪友に値へば則ち本心を失ふ」云云。本心と申すは法華経を信ずる心なり。
▲世間の人のおもはく、「悪人には仏の御力もかなはざりけるにや」と思ひて、信じたりし人々も音(こえ)をの(呑)みてもの申さず、眼をと(閉)ぢてものをみる事なし。 上野殿御返事 建治三年五月一五日 五六歳 1122
▲大魔のつきたる者どもは、一人をけうくん(教訓)しを(堕)としつれば、それをひっかけ(引懸)にして多くの人をせ(攻)めを(落)とすなり。
日蓮が弟子にせう(少輔)房と申し、のと(能登)房といゐ、なごえ(名越)の尼なんど申せし物どもは、よく(欲)ふか(深)く、心をくびゃう(臆病)に、愚痴にして而も智者となのりしやつばら(奴原)なりしかば、事のを(起)こりし時、たよ(便)りをえ(得)ておほ(多)くの人をおとせしなり。1123
▲此の法門につきし人あまた候ひしかども、をほやけ(公)わたくし(私)の大難度々重(かさ)なり候ひしかば、一年二年こそつき候ひしが、後々には皆或はをち、或はかへり矢をいる。1391
▲なごへ(名越)の尼・せう(少輔)房・のと(能登)房・三位房なんどのやうに候をくびゃう(臆病)、物をぼへず、よく(欲)ふかく・うたが(疑)い多き者どもは、ぬ(塗)れるうるし(漆)に水をかけ、そら(空)をき(切)りたるやうに候ぞ。1398
▲のと(能登)房はげんに身かたで候ひしが、世間のをそろしさと申し、よく(欲)と申し、日蓮をすつるのみならず、かたき(敵)となり候ひぬ。せう(少輔)房もかくの如し。998