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 メッセージ 2 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:20

 

1.こいつ(霊ニャ)はバカか?
 
名前:清水    日付:6月5日(日) 23時29分

こちらの板(「大法論掲示板」)では、宿坊さんは何もやっていないのに、法華講の勝利だってさ?

この「霊ニャ」とかいうのはアホか。

こいつ、社会に何か不満でもあって「うっぷん晴らし」でやっているだけか。

まあ、樋田さん、こんな偽りの勝利で満足するあなたではないでしょう。

しっかりとじっくりと、時間をかけ、成長の足跡を示しながら
頑張ってくれや。
法華講の期待がかかっているのだからな。

 

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 メッセージ 3 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:20

 

2.勝利宣言に加えて
 
名前:宿坊    日付:6月6日(月) 0時16分


日蓮正宗法華講・樋田昌志君は

一ヶ月を経過しても「本門戒壇の大御本尊は本物」である、と証明できませんでした。

その「ムダ話」「怨念の発露の如きコワーイ話」には、見る人皆が辟易し、「同じことの繰り返しだ」「証明できません、私には無理ですというのを、言葉を変えて強がっているだけだ」「マサシ君の話はもう聞き飽きた」との声も多数寄せられていました。

よって、樋田君には「戒壇板本尊を証明することができなかった」と判断し、三度目の勝利宣言としました。

しかし、私も仏法者であります。ここに彼に救済のチャンスを与えました。

今後は「樋田昌志君専用掲示板」でタップリと好きなだけ自由に書き込んで頂き、「全世界の宗教界を納得せしめる」論を発現されんことを、この掲示板にて期待いたします。

 

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 メッセージ 4 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:20

 

3.でもさ、前代未聞だぜ、
 
名前:清水    日付:6月6日(月) 0時19分

創価学会側提供の板で「戒壇本尊」の証明ができるなんてな。これも樋田さんの日頃の「信・行・学」の賜物、福運ってやつじゃねえか。

御法主上人猊下もご覧になるってな、こいつぁすげえや。
もう高齢で老い先短いだろうし、冥土の土産に丁度いいんじゃないか。
そういう意味じゃあ、樋田さんってやっぱ福運あるよな。

あと、もう年なんだから、学会批判も来世分ぐらいまでやったんだから、あんまりもう無理するなって、げいかさんに言っといて。
晩年ぐらいは、おとなしくした方が老人らしいよって。

 

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 メッセージ 5 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:21

 

4.おめでとう!
 
名前:野人    日付:6月6日(月) 1時10分
マサシ君、おめでとう!君にピッタリの動物園じゃないか!たくさん吠えて、多摩動物園のオランウータンに負けないよう、頑張ってくれたまえ!

 

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 メッセージ 6 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:21

 

5.マサシ君
 
名前:宿坊    日付:6月6日(月) 10時39分


542.偽物であると言うのなら、誰が、いつ、どこで、どのように、作ったのか、

名前: 樋田 昌志 日付:6月6日(月) 10時23分
▼(山人) おやおや、まだ一日、出歩いてる最中で、拠点のPC借りてますが・・・随分とにぎやかにしゃべりまくりましたね。まるで体温39度、血圧1?0ぐらいで、興奮状態ですかね。

そのわりには「鉄砲持たせりゃメクラ撃ち、刀を振れば空を切る」状態ですね。(笑)

要は「戒壇板本尊も相承書もなんにも客観的に証明できないけど、写本だけの御書・日興上人や門下の文献もあるのだから、それと同じで信じてくださいよ。」ということですか?それだったらそれで、冒頭から言えばいいのに、最近になって言い出したのですからね。
しかし・・・これは・・・即敗北宣言ですよ。(笑)証明できないのだから。

何が主題なのか、今一度認識し直さないといけないようですね。
「本門戒壇の大御本尊は本物か?」ですよ。「写本のみの文献は本物か?」ではありませんから、勘違いなさらないようにね。
その主題を論じて一ヶ月、なんにも進んでいないのが現状なのです。
「本門戒壇の大御本尊は本物だ」と主張する、日蓮正宗が、法華講員さんが追求されていることを忘れてはいけませんよ

———————————————————————————————————————

●どうも貴公はやはりというか、いよいよというか、全くしかし、六根が不浄で人の言うことが腹に落ちぬらしい。

戒壇の大御本尊様が鎌倉時代の御作であることは明証した。
もし、偽物であると言うのなら、誰が、いつ、どこで、どのように、作ったのか、たとえ仮説でもいいから、提示せよ。と何度も要求しているのに、その件には一切反論不能なのは貴公の方であろう。

はい、やり直し。呵々
http://toyoda.tv
p4025-ipbf01yosida.nagano.ocn.ne.jp (60.33.116.25)

 

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 メッセージ 7 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:22

 

6.マサシくう〜ん(´∀`)
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月6日(月) 10時51分
あれ?鎌倉時代の証明なんてできてないよ?だれか聞いたア(爆笑)(-.-)zzZ
長野の山奥で君は樵生活にモドリナサア~イ(σ・∀・)σ

 

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 メッセージ 8 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:22

 

7.おっ、こっちも賑やかで面白そうですね。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 11時39分
●※ やり直し

▼⇒ ぷはっ、大丈夫ですか?いつから先生になっちゃったの。やっぱり宿坊さんがいうように大先生だったのかな。(笑)

日蓮門下数多有る中で「○○があるから我が宗派は大聖人よりの正統嫡流で正しい」としているところは、そうはありません。おそらく日蓮正宗がその最右翼であり、(あと本門正宗もあるけどね)さすれば、当然、日蓮正宗のみが正しく唯一絶対無二の宗教であるところの根拠とされる「戒壇板本尊・二箇相承書・日興跡条条事」につき、証明責任が伴うということ、他より説明を求められるのも当然であります。ところが「謗法不信の者には公開せず」なのですから、追及されるのもこれまた、自然のなりゆきですし、日蓮正宗の頑なな姿勢がそれを招来している、ともいえます。

日蓮大聖人の御文、日興上人以下門弟の文献等で真筆もあれば、写本のみのものもあります。勿論、これらについても文献内容を詳細に検討し、種々の角度から考察を加え、その真偽を判じていくのは当然の作業ですね。
しかし、これらの文献は日蓮門下の認識として共有できるものも多々あり、一般的に使用されております。

ただ、「板本尊・二箇相承書・日興跡条条事」は別なのですよ。大石寺貫主に唯授一人金口嫡々血脈相承が継承される故に自宗は正しいとし、他の宗教は全て無間地獄行きの邪宗教としているのですから、「その正体をまっ先に追求されるべきは日蓮正宗の戒壇板本尊であり、同じく真偽を追求されるのも根本教義に関わる相承書」なのです。

その「追求対象外の一般的な文献」の一つに「日順の本門心底抄」があるわけで、「広宣流布の時の本尊は仏像本尊」は、一人日順のみならず、日代・日尊と日興上人膝下で薫陶を受けた3者が発言しており、ここから「日蓮大聖人・出世の本懐・唯一絶対無二の戒壇板本尊不存在」が判断できるわけです。

しかも、上代における日興上人門流に戒壇板本尊が有ったのか?無かったのか?を論じているのですから、あらゆる文献を考察の対象に加えることは当然ですね。

ところが、その文献を引用した当方の指摘に対して、

●※ まさに日順師が、日興上人へ相伝された深秘の御法門への信解が至っていなかったが故に、広宣流布の暁の事相に於ける戒壇の義に未だ曚かった。という意義ではないか。
———————————————————————————————————————

とはね。(笑)

⇒ はい、判で押したようないつものセリフですね。こういうのを〜の一つ覚えと言うのですよ。いったいこういった恥さらしな「お言葉」をこの宗派は何百年間言い続けてきたことでしょうか。

———————————————————————————————————————

●だらだら、どう書いても貴公の痴論は論理が粗い。学問的に粗雑である

1、二箇相承書

日寛上人 三宝抄 

■ 宗祖一大事の秘法をば唯日興一人に授たまへり数多 の相承具に御伝の如し。而して弘安五年壬午十月十三日暁に亦一通を与へ身延の住職と 定め蓮師心易く思し召して御入滅あり。御付属状に云く、「釈尊五十年の説法白蓮阿闍梨 日興に相承す身延山久遠寺の別当たるべきなり在家出家共に背く輩は非法の衆たるべき なり。」之に依って興師身延の貫首となること已に七年而して祖師第七回忌に相当し自余 の五人も登山あり倶に御法事勤め畢んぬ 

日寛上人 法華取要抄文段  

■御書外十六 四十一 に御相承を引いて云く「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり」等云云。

日寛上人がここまで明確に「二箇相承」を引文されている。

1、貴公らは日寛上人が「書かれた」の御本尊(の改竄複製偽本尊)を「信じ」拝んでいる。

2、しかし同じ日寛上人が「書かれた」御指南は「信じ」ない、という。

何故1のケースは信じることが出来、2のケースは信じることが出来ないのか。

こんな小学生が聞いても矛盾と分かることをいい大人が論理的に明確に説明できないのは、
簡単である。貴公らの立論が間違っているからである。

こういう簡明な理屈が理解できないとすれば、やはりそれは三宝誹謗及びニセ本尊の毒気の害毒が精神に廻って、正常な思考が出来なくなっている状態、即ち 若し悩乱する者は頭破七分 の現証そのままである。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 9 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:22

 

8.何かいているの?
 
名前:宿坊    日付:6月6日(月) 12時2分

日寛上人は「板本尊」とは何の関係もありません。
上代の文献で客観的に証明しなさい。

 

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 メッセージ 10 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:22

 

9.夜まで待つか。お仕事と指揮振りに忙しい山人君?
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 12時29分
山人は泣きべそかいて引き篭りか?呵々 

宿坊はただ吼えているだけだからつまらん。

二箇相承 2

▼「これらの文献は日蓮門下の認識として共有できるものも多々あり、一般的に使用されております。
ただ、「板本尊・二箇相承書・日興跡条条事」は別なのですよ。」

●では貴公の好きな「日蓮門下の認識として共有できるもの」である、立正大学日蓮教学研究所編『昭和定本日蓮聖人遺文』全4巻(身延山久遠寺)に、二箇相承の内の一箇『日蓮一期弘法書』が編入せられているそうな。

まさに、『日蓮一期弘法書』は「日蓮門下の認識として共有できるもの」として「一般的」である証左ではないか?呵々

———————————————————————————————————————

二箇相承  3

もし二箇相承が偽書だとしたら、日興上人は大聖人御入滅後、何故身延の貫主として入山され、それに対して、五老の非難がないのか?

これ正しく、二箇相承に説かれている内容が現実であった証拠ではないか。如何?


宿坊君じゃ無理じゃないか?

夜まで待つか。お仕事と指揮振りに忙しい山人君?
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 メッセージ 11 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:23

 

10.え〜っ!?
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月6日(月) 12時30分
日寛さんて鎌倉時代の人だったんかい?……orz(爆笑)
うちら学会員はね別に日寛さんが書写した曼陀羅だから信じてるわけじゃないよ!大聖人直結御書根本の正統の学会が下付してくれてるから信じてるんだよ。バッカだねぇ(´∀`)日寛の教学なんか今は誰も勉強してね〜よ、「六巻抄」なんか教学試験にも出ないよ。日寛は対外では身延とかを破折して種脱相対、日蓮本仏を打ち立てたけど対宗内的には唯受一人金口相承とか先代からの御書に無い邪義をひきずってただけだよ。わかったかよ!オランウータン!ここは長野法論みたいに日寛みたいな人師の文証使って楽はできね〜んだよ!ボケ!(*´Д`)=з

 

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 メッセージ 12 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:23

 

11.(untitled)
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月6日(月) 12時43分
〇やっぱマサ~シは身延のスパイだったんだ(爆笑)キャハハ
ところでなんで片方しか載ってないの?(^o^)v-~~~オセーテ


〇マサ~シはバカだねえ日興上人は佐渡にもお供して富士に大布教して信心あったからに決まってんじゃん原殿御返事は聖典にも載ってんだろ?別にニコチャンソウジョウ(=^▽^=)なんかいらないんだよ、いわゆる顔パスってやつだな!うん!それより各地のDVD.肖像権やら著作権やらに引っかかってないか(爆笑)?あ〜〜んマサ~シ 純益は対論相手にも何割か払ってんのかギャラだよ!ギャラ!┐(´ー`)┌

 

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 メッセージ 13 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:23

 

12.引き篭りの山人君じゃ最早無理かな?呵々。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 14時9分
▼⇒ ならば「日興上人へ相伝された深秘の御法門」というものを直ちに証明しなさい。「唯授一人で、密付属で云々」などは、あなたの宗派内だけの盲信者にのみ通用するおもしろい話にすぎません。
「自らが正しいとする根拠」を自らの宗派内で信ずるのはかってですが、「追求されて、それに対する答えの中で引用」するのならば、「俺の答えは正しい」とあなたが思っている、その答えの前提「日蓮⇒日興の深秘の御法門の相伝」があった、という客観的な証拠を直ちに出しなさい。居丈高におしゃべりするのも日蓮正宗信者の特徴ですが、その言動の原動力(笑)がこういった「日興上人へ相伝された深秘の御法門」なのですから示しなさい。

———————————————————————————————————————

●本当に愚痴っぽくてくどい性格である。

昔学会時代に聞いたことがある。

『愚痴の信心救い難し』 と。


貴公の論法で言えば、釈尊から上行菩薩へ付嘱された何ものかを、直ちに明示して見せろ。というのと同じこと。

謗法・邪宗教の輩がする邪難と同じ。
以下、貴公の文に準えて書き直してあげましょう。

「→ ならば「上行菩薩へ付嘱された深秘の御法門」というものを直ちに証明しなさい。

「神力品の別付嘱」などは、あなたの宗派内(創価学会も含む)だけの盲信者にのみ通用するおもしろい話にすぎません。

「自らが正しいとする根拠」を自らの宗派内で信ずるのはかってですが、「追求されて、それに対する答えの中で引用」するのならば、「俺の答えは正しい」とあなたが思っている、その答えの前提「釈尊⇒上行⇒日蓮(大聖人)に深秘の御法門の相伝」があった、という『客観的な証拠』を直ちに出しなさい。

居丈高におしゃべりするのも日蓮系信者の特徴ですが、その言動の原動力(笑)がこういった「上行菩薩へ相伝された深秘の御法門」なのですから示しなさい。」

さ、やってごらん?

引き篭りの山人君じゃ最早無理かな?呵々。
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 メッセージ 14 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:23

 

13.うぜぇ。またそれかよ。
 
名前:学会っ子    日付:6月6日(月) 15時16分
▼⇒以下、貴公の文に準えて書き直してあげましょう。

「→ ならば「上行菩薩へ付嘱された深秘の御法門」というものを直ちに証明しなさい

________________________________

また話題のすり替えかよ! いいから最初の質問に答えろって。
答えてから反論すりゃいいだろーがよ!!
お前いっつもそればっかじゃん。いい加減にしろって。

こっちは1ヵ月ずっと楽しみに見てるんだからさ、まともにやってくれよ。 DVDも観たけどさ、君って教学自体は大した事ないのな。
話の展開の仕方とか話術はなかなかだと思うけどね。
だから対面対論やりたがるんだろ? 掲示板の書き込みよんだら君の教学力のしょっぱさバレバレだよ。

僕は敵味方関係ナシに「板御本尊の真偽」ってのは興味あるんだからさ、まどろっこしい事抜きで「板御本尊は本物」である事の証明をズバリ、明確に教えてよ。お願いしますね。

 

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 メッセージ 15 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:23

 

14.あのね〜「♪ど〜でもいいですよお〜(ρ_-)o」
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月6日(月) 15時27分
マサ~シタソ 「乞食法論」はやめなさい、いいかげんに(´∀`)ここは「怪談の板本尊」について語るスレなんだから、
釈迦=上行の結要付属について語りたいなら勝手に又、板をたてなさいや(?_?)誰も見ないから(笑)もう「だいたひかる」より寒いな(-.-)zzZ ☆どうでもいいですよ〜♪爆笑

 

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 メッセージ 16 / 104 

 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:24

 

15.さては夕べは布団被ってフルエテタナ!?
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月6日(月) 15時45分
あとな、なんで夕べ午前0時までに返答しなかったんだ?言い訳は通らんぞ「遅参その意を得ず」だ。いまさら揚げ足取りをいくらしたって「バカの知恵は後から出る」ってもんだ

あとな大聖人が塚原問答で木戸賃取ったか?各所に立正安国論配った時に金取ったか?
マサ~シも正義ぶるならディスクも送料も全部自腹で配りまくれや(*´Д`)=зそれが信仰の信念ってもんだろがよ。
俺なんかなあ〜協議会で配るコピーも自腹切ってるぞよ(爆笑)(´・ω・`)!

 

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 メッセージ 17 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:24

 

16.発言の本人池田氏でどうか。呵々
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 16時8分
●※ 一体、貴公は如何ほどの「信心」「修行」「学識」があってこのような慢心の言を為せるのか。

▼山人曰く⇒ 私たちが一から十まで日亨師のいうことをきく人間なら、「戒壇板本尊・各相承書」のことなど最初から云々していませんよ。(笑)
「何が史実で、何が作り話なのか」「何が大聖人の教えで、何が後世作られた己義なのか」今はそれを分別し、明らかにする時がきたのです。その際に可能な限りの文献を考察の対象とし、正邪を分別、外に向かい明らかにしていくのは当然です。
「日蓮大聖人は各経典をご覧になって、立宗宣言をされ諸宗破折を始められましたが、それは慢心であり、経典編纂者・収集者に対する冒涜、不遜」でしょうか? (笑)
———————————————————————————————————————

●日蓮大聖人は 生智の妙悟 三大秘法を胸中に秘して持っておられた上で、その御教導の為の、御確認・御研鑽であられる。

貴公らのように、 

一方で、日寛上人が「書かれた」の御本尊(の改竄複製偽本尊)を「信じ」拝み、しかし、一方でその日寛上人が「書かれた」御指南は「信じ」ない、などという、惑い、悩乱して、各経典をお調べになったのではない。


———————————————————————————————————————
●※ しかも、本文中の「本尊の図の如し」との文の「本尊」が「戒壇の大御本尊」様でない、とどうして証明できるのか?

▼⇒ ほう、ならば「本尊」が「戒壇の大御本尊」であると論証してごらんなさい。(笑)

●本当に 莫迦ですか?
ここは元々双方証明できないのである。つまり両方の可能性がある、ということである。

にも拘わらず、貴公は一方的にこれは「戒壇の大御本尊」ではない。と断定している。
その客観的な根拠も出せずに、自見のみを押し出し断定する、その方式は、学問的に全く公正性・論理性・中立性を欠いている。と指摘しているのである。
何度指摘しても理解できなければ、それは根性が曲がっている、としかいいようがない。

———————————————————————————————————————

●※ 日代師も日興上人に密伝せられた「戒壇の大御本尊」の深義の領解には至っていなかった、もしくは密伝であるが故に、日興上人から御教示されていなかったとも考えられる。

▼⇒ これこそ「またも大笑いさせていただいた。」ですね。
あと何回「深義・密伝」を出しますか。(笑)
さあ、これも同じです。前提として「戒壇板本尊が当時存在していた」「それに関する法義がある」「戒壇板本尊は日蓮から日興への密伝である」を直ちに証明しなさい。
日蓮正宗が自説を正当化しようとすると、必ず出てくるのですから、直ちに証明しなさい。
日蓮正宗特有のこのような話法こそ「恥の上塗りである。」よ。(笑)

———————————————————————————————————————
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 メッセージ 18 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:24

 

17.やっぱり山人では無理か?
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 16時8分
●貴公が頑迷ならばそれに相応するしかないようだ。

再掲

貴公の論法で言えば、釈尊から上行菩薩へ付嘱された何ものかを、直ちに明示して見せろ。というのと同じこと。

謗法・邪宗教の輩がする邪難と同じ。
以下、貴公の文に準えて書き直してあげましょう。

「→ ならば「上行菩薩へ付嘱された深秘の御法門」というものを直ちに証明しなさい。

「神力品の別付嘱」などは、あなたの宗派内(創価学会も含む)だけの盲信者にのみ通用するおもしろい話にすぎません。

「自らが正しいとする根拠」を自らの宗派内で信ずるのはかってですが、「追求されて、それに対する答えの中で引用」するのならば、「俺の答えは正しい」とあなたが思っている、その答えの前提「釈尊⇒上行⇒日蓮(大聖人)に深秘の御法門の相伝」があった、という『客観的な証拠』を直ちに出しなさい。

居丈高におしゃべりするのも日蓮系信者の特徴ですが、その言動の原動力(笑)がこういった「上行菩薩へ相伝された深秘の御法門」なのですから示しなさい。」

さ、やってごらん?

———————————————————————————————————————

●※ 再度要求する。「創作板本尊」「手作りの相承書=偽書」を証明しうる「客観的証拠」を提示せよ。

▼⇒ あなた自体が「客観的証拠」です。自ら実名で登場しながら、一ヶ月たっても「そのものズバリの証明ができない」その姿、現状、これで証明していますね。日蓮正宗の関係者誰一人「証明」した人はいません。

●疑難を為すものがまずその前提として、こういう客観的証拠が新たに出てきたので、偽物・偽書だと思う。とまず、提示すべきであろう。
初期の復習からだな。

昭和33年に戸田城聖氏が死去し、昭和35年5月3日、池田大作氏が創価学会の第3代会長に就任した。



その就任式の席上、池田氏は、


「わが創価学会は、日蓮正宗の信者の団体であります。

したがって、私どもは大御本尊様にお仕え申し上げ、御法主上人猊下にご奉公申し上げることが、学会の根本精神だと信じます」


と述べて、本門戒壇の大御本尊と御法主上人猊下に随順していくことが創価学会の精神であることを公表した。



貴公の論法で言うと、するとこの時池田氏は「偽物」の本尊へ自他共に帰依することを内外に宣言したのか?
それともこの時はまだ若かったから、教学的に未熟だったから「偽物」と知らなかった?
では、功徳はあったのか?
無かったのか?
古い学会員はどうだったのか?

もっと言えば、学会は発足以来、牧口氏・戸田氏・池田氏・北条氏・秋谷氏・・・と連綿と会長はじめ会員全員が「偽物」を拝み続けてきた訳だ。

では功徳は?

それとも、いつの間にか、すりかえられたのか?

いつまでが「本物」で、いつからが「偽物」になったのか?

破門されてから急にか?・・・・

以上の事に論理明快に返答せよ。

やっぱり山人では無理か?
発言の本人池田氏でどうか。呵々
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 19 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:24

 

18.要するに
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月6日(月) 16時40分
証明できないんだろ!?やっと認めたな?マサ~シよ! それなら謙虚に山人くんや宿坊くんに頭下げて「ゴメンナサイm(_ _)m」って謝れや!そしたらもしかして教えてくれるかもよ。でもな!そんなショッパイ負け惜しみ強いと誰からも相手にされねーぞ(*´Д`)=з

 

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 メッセージ 20 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:24

 

19.塾帰りのマサシ君へ・・・
 
名前:キトラ    日付:6月6日(月) 16時42分
コラー!!
宿題の提出時刻過ぎとるやないかぁー
ホンデ出された宿題に対して感想文書いてどうするねん!
感想文の出来も悪い0点

ハンネ替えたら、のびマサシ。

そう言えばワシも協議会で配るコピーは自腹切ってるぞぉ。
のびマサシ、君セコイなぁ  (笑)

 

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 メッセージ 21 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:25

 

20.歴代会長
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月6日(月) 19時14分
歴代会長発言を使うなら日淳、日達=戸田会長は地湧の菩薩の先達、五字七字の題目を75万の菩薩として地上に呼び出した。牧口先生は自解仏乗の方(以上、趣旨)の発言をすべて認めるんだな?


☆特に37年の訓諭は絶対認めるんだろうな?マサ~シタソ 状況が変わったとか言うか?「実につけ不実につけ学会を誹謗するものは罪を無限に開く(趣意)」とホケコウに訓諭したんだよな?マサ~シ(´∀`)

 

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 メッセージ 22 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:25

 

21.実力なしのマサシ君
 
名前:宿坊    日付:6月6日(月) 21時34分

マサシ君何やってんの! 弘安二年十月十二日「彫刻本尊」を証明しなさいと言っているだろうが! 一ヶ月たっても証明できないジャン。偽物だから証明できないのか。


※立正大学日蓮教学研究所編『昭和定本日蓮聖人遺文』

なんだかんだと言いながら逃げを打っているのかね。
載ってりゃ何でも真跡だと、それが正しいことになるのかねマサシ君!

⇒出家功徳御書はどうするのか? これは真っ赤な偽書である。

定本遺文2116  新定御書1989  縮刷遺文1926   録外2322 
平成新編御書1371n    御書全集1251n

「白木御返事」は昭和定本にも、平成新編にも収録されていない。
しかし、これは真蹟御書である。


※日興上人は大聖人御入滅後、何故身延の貫主として入山され、

⇒身延の貫主として入山された、「身延の貫主」の客観的文証を提示しなさい。

⇒身延に「板本尊」があった証明は?

⇒離山後大石寺と北山どちらに「板本尊」があったのだ?

⇒血脈相承されたはずの日目は、何故大石寺に「二箇相承」が存在しない。

⇒真筆である「宗祖御遷化記録」は日興上人から日目に相承されなかったのか。

⇒「板本尊」の相貌が日蓮大聖人の直筆であるという証拠は?

⇒大聖人が「板本尊」の造立に関わったという証拠は?

しかし創作本尊、二箇相承も証明できないとは哀れだ!
第二条はだましなのだろ! 

坊やは「日興跡条々の事」は本物か?
にも書き込みをしなればならないのです。
http://www2.ezbbs.net/21/owrokdb5mu/

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:25

 

22.いつまで妄執に囚われて、明確な根拠のない己見に閉じ篭っているのか?
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 21時39分
▼今日も同志がゲーカの息子と対論。「二箇相承書実在の証明」を迫ると逆上、「ゲーカの御内証を信じるのだ」と吼えるだけ。(笑)
これが日蓮正宗の実状です。どうですか法華講員さん、日蓮正宗史上、初めて客観的に証明できる、という最高のチャンスを与えているのに、あと、どれぐらい待たせるのかな。皆が知りたいことはそこなんですよ。本門正宗の信者から「本因妙大御本尊を客観的に偽物と証明してみろ」といわれても、大笑いです。それとあなた方は同じです。「自らアリガタヤとやる本尊を、自ら客観的に証明できない」ということについては、本門正宗と同レベルなのですよ。それが日蓮正宗の現在地です。(笑)

———————————————————————————————————————

●読めば読むほど貴公の謗法深重の罪過に胸が痛む。

新しい板に来たことだし、再再度、『戒壇の大御本尊様は大聖人様御直筆御本尊様でしかも御出世の御本懐であることは疑い得ない。』との論証を表示しましょう。
貴公に再再度、以下の論証に対し明確な論理的反論を求む。
(もう、何度目だ? 馬鹿な番犬に吼えさせていないで、いい加減に自ら正当に反論せよ。この虚け者め。)
———————————————————————————————————————

御先師日達上人御指南

■「大御本尊は楠の板で、その時分は鉋(かんな)がなかった、鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。
だから、あの御本尊は手斧削(けず)りである。それを見れば、すぐわかる。
それを知らないで、『漆を塗ってあるから、あれは足利時代にできた』とか、最近は『徳川時代にできた』などと、とんでもないことを言う。ところが、あれは、後ろを見ると、みんな、削った跡がちゃんと残っている。
それを見ても明らかに鎌倉時代である」
(昭和四十七年九月十二日)

■「その御本尊様は、もう六百八十年も前にできた板御本尊でございまして、これは、当時、鉋(かんな)というものがなかった、鎌倉時代でございますから。あの板御本尊様は、明らかに鉋では造ってないのであります。
みんな手斧(ちょうな)、手斧といっても戦国時代あるいは室町時代にできた丁飽(ちょうな)でなくて、もっと古い、まさかりみたいな手斧で削られておるのでございます。それが歴然としてあの板御本尊に残っておるのでございます。それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます。

これは私一人が見て言うのではなく、皆様の代表として、正宗信徒の代表として池田先生にも拝させたのでございます。
決して間違いございません。」

(昭和四十七年十一月二十日)
———————————————————————————————————————

なんと!池田氏もこのことは確認しているとの事である。

貴公は真実を真に探求したいのであれば池田氏に直接説い糾したら如何か?
それが真に学問をする者の学究態度であろう。

この御指南に反論するのなら、それなりの根拠をもってせよ。
———————————————————————————————————————
この問いに、貴公らの具体的な「客観的な証明」による反論は全くないではないか。
いつまで妄執に囚われて、明確な根拠のない己見に閉じ篭っているのか?
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:25

 

23.貴公らは最早大聖人様を信仰する清純な仏教徒ではない。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 21時41分
● 鎌倉時代に限定される「道具」で間違いなく彫られている「戒壇の大御本尊」
=戒壇の大御本尊様は鎌倉時代に創られた。

● 更に、「本門戒壇」のと御認めは他の現存する御本尊には全く見られない。

大聖人様の御一期の御化導の終窮究竟の極説とは三大秘法の御整足にあらせられる。
その本門の本尊・本門の題目・そして本門の戒壇に掛け奉る本門の本尊を出世の本懐とされることは理の当然である。
「御真筆ならどの御本尊でもいいだろう」という道理は通らない。
それでは真の御整足にはならない。
事実、御本尊様の体相を拝しても佐渡期から弘安期へと大きな変化があられる。

しかも、現存する御真筆御本尊のその全てに「本門戒壇」との銘記が為されていない以上、「本門戒壇」の銘記がなされている、現の「戒壇の大御本尊」様以外、真の出世の御本懐であられる御本尊はありえない。

もし貴公の言う大石寺の「戒壇の大御本尊」様が偽物だというのなら、大聖人様がその他に真正の「本門戒壇の御本尊」を遺されていないわけが無い。
もし無いとするならば、それは大聖人様が、三大秘法の御法体を確立せずに御入滅になったということであり、それでは上行所伝の仏法が不完全のまま絶えたということになり、それでは大聖人様は不完全な仏ということになり、貴公らが仏宝と(一往表向きには立てている)大聖人が、完全な仏ではなかったということになってしまう。
もしそう考えているのならば貴公らは最早大聖人様を信仰する清純な仏教徒ではない。

また中途で消滅してしまったというのなら、大聖人様に未来を予見するお力が無かったということになり、結局は大聖人様は仏でなかったということになってしまう。

そんなことはありえないのであって、以上の論法からいって、大聖人様が御仏であるのだから、「本門戒壇」と唯一御銘記のあられる「戒壇の大御本尊様」は大聖人様御作の、広宣流布の暁に本門戒壇に掛け奉る大御本尊様であることは理の向かうところ必定である。

● しかも御相貌は正しく弘安元年以降の究竟せられた体相であられる。
———————————————————————————————————————

日顕上人御指南
■「この日蓮御名に南無妙法蓮華経が具わり、また、妙法の五字七字はこれを所持し給う日蓮大聖人の御当体たる、人即法・法即人の内証を御本尊として顕し給うのは、佐渡以降に始められた御本尊のすべてに顕されてはおりません。

すなわち、上行菩薩の御自覚は既に宗旨建立にあり、久遠元初自受用報身の内証は竜の口発迹顕本に究竟し給うも、
これを御化導の上の御本尊に顕し給うにおいては、おのずから時期によって順序階梯が存するのであります。

 今、端的にいえば、佐渡より身延に入られて、文永十一年、十二年、建治二年ごろまでの御本尊は、外用の上の意義を表となし、内証の当体を直ちに顕されていないのであります。

建治三年より弘安に至り、特に弘安以降において如実に南無妙法蓮華経の中央直下に日蓮の御名、御花押をお示しあそばされ、その上から御本尊の当体、当相に重大なる整足が拝される御本尊においてこそ、外用を撤廃して直ちに内証の本仏の当体を示し給うのであります。」
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:25

 

24.上古の御歴代上人へ唾を吐きかける真に恐れ多い邪難である。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 21時42分
●しかも「余は二十七年」との御書がある。それが弘安二年十月一日である。

●更に貴公らが例示した「立正安国会の図録」での弘安二年大聖人御真筆(と言われる)御本尊のその全てが、中央主題「南無妙法蓮華経」の真の「直下」には「日蓮」という御名と「御花押」があらせられない。(自分の目で確かめてみよ)

●戒壇の大御本尊様のみ、まさに「南無妙法蓮華経」の中央主題 直下にお名前と、御花押があらせられる。真に尊いお姿である。

●上古から始まって全ての御書写・模写御本尊は、この大石寺の「戒壇の大御本尊」様の体相に酷似してる。
強い証拠的価値を持つ傍証である。

(貴公らが拝んでいるニセ本尊も、元は日寛上人が戒壇の大御本尊様を御書写せられた御本尊を、撮影・改竄・大量印刷・大量販売 しているものだから、他の弘安二年の御本尊と比して、戒壇の大御本尊様に酷似している。 )

●戒壇の大御本尊様が特段に大幅であらせられる。

●唯一の板御本尊である。(何度も言うようだがその板は鎌倉時代の手斧で削られている。=後の時代に作られたものが鎌倉時代の手斧で削られるはずがない)

●相伝のない身延系の本尊を見ても、大聖人様御一期の御化導に沿っての御本尊様の体相の変化を領解して居る者など居ない。分かろうはずがない。
———————————————————————————————————————

日亨上人御指南

■「然るに余門流の僧侶不相伝の侭猥りに曼荼羅を書き散して、僭越の逆罪とも思はざるのみならず・雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるベけんや、」
———————————————————————————————————————

●鎌倉期の、しかも弘安元年以前に、弘安元年以降の御本尊様の体相を偽装して顕せるはずはない。

●であるならば、弘安元年以降の鎌倉期という限定された時期に、弘安元年以降の整足された御本尊様の体相を、他の弘安元年以降の御本尊と整合性をもって、一点の間違いもなく顕せる人は、大聖人様以外に居ようはずがない。

●仮に鎌倉期内で時系が下ったとしても、上記の日亨上人の御指南の如く、御相伝のない者が全くの整合性を以って御本尊を顕せるはずはない。

●では、貴公らの疑惑は「後代の御法主が偽造したのではないか」との疑難に絞られてくるが、それはまさに上古の御歴代上人へ唾を吐きかける真に恐れ多い邪難である。

●がしかし、それをも反駁すれば、鎌倉期と言えば、日興上人・日目上人・更に拡大して時代を下っても日道上人までである。御筆法は大聖人様と明らかに相違する。

●この事は、総本山・霊宝御虫払い法要に参詣し、上記の御歴代上人御書写の御本尊を真摯に拝せば誰人も速領できることである。
また、大聖人様と全く別の御方である御法主上人が、大聖人様の筆法と全く同じにすることは不可能である。
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 メッセージ 26 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:26

 

25.身延・池上の二箇相承が金紙として存する
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 21時43分
●さて、更にここが根本的なことであるが、この「戒壇の大御本尊」の御事は、まさに唯授一人の御相承にのみ伝わる御相伝である。
故に、「客観的な文証」がないのは当然過ぎるほど当然なのである。

(●上古にそのものズバリの文献が無いのは、戒壇の大御本尊様の御事は日興上人のみへの密付嘱であったから、日興上人以外に戒壇の大御本尊様の真実の意義は知られていなかったし、密付嘱であるから敢えて伏せるべき内容であったからである。)
———————————————————————————————————————

日顕上人御指南

■「法体とは本門戒壇の大御本尊様であり、この戒壇の大御本尊に関する相承とともに金口嫡々の血脈相承があるということのみを、一言、日応上人様は仰せになっております。

この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、
身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」

→ 今の本題ではないが、二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在するということである。

■「この金紙は、簡単に申し上げれば、文献ということであります。
しかし、当然、この文献とは、いわゆる『本因妙抄』『百六箇抄』ではありません。
文献といっても、これは金口の文献でありますから、金口のなかにすべて含まれるのです。

 だから、日応上人が「金口嫡々相承」と示されておられますから、我見をもって考える
者は、金口というからには、そこに必ず万人に判るように、授者と受者が相対したところの形がなければならない。

つまり、仏様が、あるいは御先師が直接、次の方にお話しになり、それをまた、次の方が直接に聞かなければならないと考えるのです。

 たしかに、これが基本であります。
しかし、だからといって一器より一器への伝承は、必ずしもそうでなくてはありえないということはないのです。
ところが、そうでなければ金口は成り立たないというように、自分の勝手な我見で判断する者がいるのです。
実は、そのように唯授一人の相承について、自分の拙い我見でもって推し量ろうとするところに、種々の疑問や質問が出てくる元が存するのです。

 もちろん、大聖人様から日興上人様への相承は金口であります。
しかし、日興上人様も大聖人様の御講義を『御義口伝』として記し置かれたように、やはり唯授一人の金口の内容を御自身の御境界においてお示しになったものが存するわけです。

それが、すなわち金紙であります。したがって、金紙そのものが金口の意義を持っておるのです。

 例えば、日精上人が『家中抄』の道師伝に、日目上人は日郷に御相承されたという邪説を破して、まさしく目師が道師に御相承を授けられたことを明かすなかにおいて、
  「別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり」(日蓮正宗聖典六九五n)
ということをおっしゃっておりますが、これはまさしく金紙であって、いわゆる直接、口伝のみによって申し置かれたものだけではないわけです。

つまり、金口といっても、金紙として相伝されている内容もあるのでありまして、その基本のところだけは御理解いただきたいと思います。」
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 メッセージ 27 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:26

 

26.無法無慙の甚しきもの八大地獄は貴公らの為に門を開けり・慎まざるベけんや
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 21時44分
次に、客観性を求めるのなら、以下の前提をとりあえず仮定とする。

1、「戒壇の大御本尊」は大聖人様が顕された。
2、その「戒壇の大御本尊」は日興上人に密付嘱された。
3、そのことは唯授一人という血脈相承によって、お一人からお一人へしか伝持されていない。
4、その御相承は御相伝を受けた他の人には絶対に見せてはならないと、大聖人様からの厳命があった。
5、ただしその中でも信解・学解の進んだ者には開示しても良い内容も含まれていた。
6、がしかし、絶対に他言してはならない内容がある。
7、御歴代上人はこの厳命を堅持されてきた。
8、御相承の証は、御本尊書写の権能に極まる。
9、なぜか理由は分からぬが、御歴代上人以外は絶対に御本尊を書写してはいけない。
10、学会も昔も今もこれだけはとりあえず守っている。
11、しかし、なぜか分からない。
12、猊下以外、御本尊のこと、取り分けて戒壇の大御本尊のことは、どうして、どうなのかは全く分からない。
13、しかしこのことを裏付ける文献はあるものもあれば、直接証明出来ないものもある。

・・・・・

14、そして、かつての学会はこのことを深く信じ、功徳を頂き爆発的に増えた。
15、今、貴公はこの全てを否定し、信じることが出来ない。

こう見てくると、つまり、この「前提としての仮定」に「信」を取れるか、否か、の相違であろう。

結局、大聖人様の仏法は成仏の根源である三大秘法に信を取れるか取れないか、ということである。

貴公らには三宝・三大秘法がない。
明示できない。→ ということは 邪教ということ。

日蓮正宗は上記の「前提としての仮定」には論理的にも古文献的にも矛盾なく、問題は信じれるかどうかだけ。

つまり、貴公らは「信じれない」自らの不信謗法の罪業をくどくど満天下に向かって説明しているようなもの。

だから、当方は、貴公らの不信謗法の罪過を破折するのである。
———————————————————————————————————————

以上の論証で理解できないとすれば、貴公らの根性が腐り果てているだけであって、そういう者を救い難い 謗法者・一闡提人 というのである。

■「法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば、定めて獄卒迎えに来たって手をや取り候はんずらん。浅猿浅猿、十王は裁断し倶生神は呵責せんか。」

まさに、
「無法無慙の甚しきもの八大地獄は貴公らの為に門を開けり・慎まざるベけんや」

である。
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 メッセージ 28 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:26

 

27.とりあえず貴公あたりが御本尊を書いてみたら如何か?
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 21時55分
●※ 追言するが、三宝も明示できない、迷走する邪教の走狗となって、尻尾振ってタクト振ってる貴公が、御高齢にも拘わらず、日々丑寅勤行を奉行され、本門戒壇の大御本尊様の御開扉の唱導の師を勤められ、尊き御本尊様の御書写をされる日顕上人の御姿に「行躰」云々など、何万回生まれ変わっても言える資格などない。

●⇒ どこにでも「高齢の住職」が頑張っている寺院はありますよ。しかし、邪義は邪義です。さあ、その「本門戒壇の大御本尊様」をさっさと証明しなさいな。
だけど「何万回生まれ変わっても言える資格などない。」は迷言ですな。さすが日顕宗。(笑)
生まれ変わる前の今生から相当言っていますが。(爆)
———————————————————————————————————————
●既に詳細に論述済み。
貴公がそれに対し明確な反論不能になっているだけ。
もし、そうでない!と言いたいのなら、当方の証明論文に明確に根拠を持って反論せよ。いつでも受けて立つ。
蒙昧で無知な「ゴミ」はそちらで片付けておいたら爽やかな板になるが如何か?呵々

———————————————————————————————————————

●※ 日顕上人御指南
「法体とは本門戒壇の大御本尊様であり、この戒壇の大御本尊に関する相承とともに金口嫡々の血脈相承があるということのみを、一言、日応上人様は仰せになっております。この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」

▼⇒ さあ、ここでも「本門戒壇の大御本尊」「金口嫡々の血脈相承」「二箇相承」が出てきましたよ。これこそ日蓮正宗の邪義の根源です。経典、御書、更に日蓮大聖人の教示の中から証明してみなさい。できなければ、何万回使おうとも「邪義です。邪宗です、とまた独り言いっているわい。おめでたい人達」と笑いが絶えないこととなります。
まあ、笑って欲しくていうのなら、どうぞ好きなだけ。(笑)

———————————————————————————————————————

●既にあきれるほど詳述した。
もし、金口・金紙の御相承を否定するなら、とりあえず貴公あたりが御本尊を書いてみたら如何か?
ないんでしょう?唯授一人の御相承なんて。
だったら誰が書いていいの?御本尊を。
貴殿だって、紅の歌 汗かきかき指揮してんだから、もうそろそろ書いていいんじゃないの?
もし書けないのなら何故書けないのか教えてください。
全国の法華講員に。
よろしく
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 29 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:26

 

28.とぼけてんじゃね〜〜よ、この馬鹿たれは。
 
名前:宿坊    日付:6月6日(月) 22時43分


マサシお前何やってるんだ! 
お前の証明は、弘安二年十月十二日「彫刻本尊」なの!
日顕、日達、歴代会長の文献は必要なし。
あくまでも上代。何度も言わすな、このアホ。


※立正大学日蓮教学研究所編『昭和定本日蓮聖人遺文』

すでに破折

⇒出家功徳御書は真っ赤な偽書。

定本遺文2116  新定御書1989  縮刷遺文1926   録外2322 
平成新編御書1371n    御書全集1251n

「白木御返事」は昭和定本にも、平成新編にも収録されていない。
しかし、これは真蹟御書である。


※日興上人は大聖人御入滅後、何故身延の貫主として入山され、

⇒身延の貫主として入山された、「身延の貫主」の客観的文証を提示しなさい。

⇒身延に「板本尊」があった証明は?

⇒離山後大石寺と北山どちらに「板本尊」があったのだ?

⇒血脈相承されたはずの日目は、何故大石寺に「二箇相承」が存在しない。

⇒真筆である「宗祖御遷化記録」は日興上人から日目に相承されなかったのか。

⇒「板本尊」の相貌が日蓮大聖人の直筆であるという証拠は?

⇒大聖人が「板本尊」の造立に関わったという証拠は?

しかし創作本尊、二箇相承も証明できないとは哀れだ!
第二条はだましなのだろ! 

坊やは「日興跡条々の事」は本物か?
にも書き込みをしなさい。
http://www2.ezbbs.net/21/owrokdb5mu/

 

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 メッセージ 30 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:26

 

29.あのねえ、法華講員さん、
 
名前:山人    日付:6月7日(火) 3時1分

ここは「自己満足の部屋」ではなくって「戒壇板本尊証明の掲示板」ですよ。
悪いけど、久しぶりに腹を抱えて大笑いしちゃったよ。
まあ、じっくり様子見といきますから、頑張ってください。
先が思いやられるけどね。(笑)

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:27

 

30.敗走した山人の新たな痴論を破す
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月7日(火) 12時30分
▼山人曰く 日蓮大聖人・日興上人の「和合僧体制」により、「二箇相承書」「日興跡条々事」はありえず 

日蓮正宗関係者がいうような、日蓮大聖人より日興上人への密伝、密付属などというものは、彼らがその証拠を呈示できないことからも分かるように、ありえません。

●以後長々と続く愚論を完済するまず始めに、この一文を砕く。

———————————————————————————————————————

日亨上人の御文  富士日興上人詳伝 聖教文庫

■「身延にての御相承は、師弟不二・唯仏与仏の上の最重大事であり、時に取っての緊密処置であったと思う。

ひろく公に道俗の衆議に問うという形式でなしに、しぜんの情勢によりてしかるべくなされたものであろうと拝察する。

ゆえに直接間接の多数の文書は存在せぬところに、また後世の異議が起こったもので、云々。」

———————————————————————————————————————

■「惜しいかな、正本天文九年に紛失す。それ以前の写本は、大石寺にあり。」

———————————————————————————————————————

■「池上相承または別付属という御文は、



 池上相承書(新編日蓮大聖人御書全集一六〇〇ページ 日蓮宗宗学全書第二巻興尊全集興門集三三ページ、富士宗学要集第八巻史料類宋@二ページ)



 釈尊五十年の説法、白蓮阿閣梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当たるべきなり、

 背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり。

  弘安五年壬午十月十三日        武州池上 日蓮在り判



本状は、興師常持で、身延より富士へ、大石寺より垂須本門寺へ移られてより、同寺にて格護したりしが、興師御滅後、日代、日妙両上人の争いにより、日代西山に移り、その後任者たち、ことに十代目日春師の時に、「北山本門寺伝持の重宝たる二筒の相承等は、かならず日代門家に所持の権利あり」との考えより、時の地方の有力の官権武田勝頼の有司に運動し、武力をもって重須本門寺の重宝を押収して甲府に引き上げたるより、重須側では山内一同大いに迷惑し、貫主日殿師はわざと甲府に出頭、官憲に運動せしも大功なく、そのうち武田家の滅亡により重宝長持も散乱し、西山北山ともに必死の運動にて各々重宝または文献を回収または転得したるが、二筒の相承はついに紛失したるまま、いまに在所を知らず。」



●山人が好きな一版日蓮宗系書物である、日蓮宗宗学全書第二巻興尊全集興門集三三ページ にも明確に掲載されており、つまり、少なくとも与えて言えば、池上相承書は山人流に言えば「一般的に認知」されている文献であるということは証明されていることになる。如何かな?山人君?呵々

———————————————————————————————————————

■「またこの相承については、他の一般の日蓮教団にて大いに古より疑問としておるから、その経緯を明細にする必要から、その関係諸山の文献を引用しょう。」

———————————————————————————————————————

垂須木門寺の文献

  参考資料 本門寺宝物目録中より



一、日蓮聖人御直筆受茶羅大小弐拾幅。(以下九点これを略す)、

一、日蓮大上人・同上(御真筆) 二筒の相承(以下十一点これを略す) 以上。



 右の通に御座候処・先文に相託し候、天正九年武田勝頼家臣・理不尽に奪ひ取り候に付御注進申上げ候。

   天正九年巳三月十七日

———————————————————————————————————————
http://toyoda.tv

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:27

 

31.敗走した山人の新たな痴論を破す 2
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月7日(火) 12時31分
正資料  本門寺日殿申状の案より



 本門寺日殿謹んで言上す、当寺住職並に相伝書物の事。



一、日蓮日興御筆本門寺要事の事、今年に至り二百五十余年相伝歴然に候、  

                                                                 一、西山八通の置状に日代に水門寺授与の沙汰一切其の証拠無く候、並に二箇相承血脈の次第是又日代に授与無く候事。



天正九年辛巳六月 日

本門寺日殿   御奉行所

———————————————————————————————————————

正資料 二箇相承紛失の由来を後代存知の為に之を記す。



本門寺の・御大事殊には二筒の相承を取らんとす勝頼許諾なり、



英日の乱入に彼の二筒の御相承並に大聖開山御筆の                                      漫荼羅三四十幅濫坊に取られたるか、何所に御座候とも誰人の所持なりとも大聖開山の御血脈相承・富士門家の明鏡たるべし、後世此の旨を存ずべき者なり、仇て之を記す。

                日長、日正、日撞、日侃、日我

———————————————————————————————————————

正資料  重須と西山と御大事等の本門寺諍ひの事



其外武田一家中悉皆滅亡なり、其時御大事紛失せり。



西山日春面目無く掃出の上の重罪は八通の遺書二箇の重苦今に見えず、



■ 筆者の名なく年月なき、また無題の記録にて妙本寺にあり。事件直後の記録の中より抄録す。転写本にあらざれば正史料とす。

———————————————————————————————————————

紛失前の臨写帖、要法寺版あり



 紛失より二十二年前日辰上人原寸の通り自ら臨写せるが版行せられたるもの、いまはほとんど珍品たり。もっていささか二箇相承を偲ぶに足る。



また重須に日出の写本があるけれども、いまだ眼福を得ざれば、字配寸法も判然せぬ。

佐渡世尊寺に、日健の写本がある。同寺目録には、日興上御筆となっておる。わざと渡島して拝写した。筆法はやや興師と似ておるだけで失望したけれども、字配はまったく前掲の通りであるのに大いに力をえた。

未見の日出のも同然ならんと思う。
http://toyoda.tv

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:28

 

32.どこの板でも稚論を垂れ流す、マサシ君の迷妄を笑う
 
名前:草薙    日付:6月7日(火) 13時39分

山人君は様子見という、私は少々時間のある故、マサシ君の駄文を軽く叱ってておく。

【 日寛上人 三宝抄 
日寛上人 法華取要抄文段 】

現在の創価学会が一応、継続性重視の観点から「日寛書写の本尊を拝む」と雖も、「書写した人は絶対」などとはしておらぬ。
「日寛がどんな文献を書いたか」は又、別問題である。
日寛は大石寺貫主なのだから当然「本門戒壇の大御本尊、二箇相承、日興跡条々」を本物とし論を展開している。
現在、問題にしているのは「日寛も本物とした」その対象が「実はどうだったのか」ということであるから、「日寛上人はかく仰せ」としたところで、なんの意味もない。
「大石寺歴代貫主の板本尊、相承書等の擁護発言」など、なんの興味も、関心もない。

【 もし二箇相承が偽書だとしたら、日興上人は大聖人御入滅後、何故身延の貫主として入山され、それに対して、五老の非難がないのか?
これ正しく、二箇相承に説かれている内容が現実であった証拠ではないか。如何? 】

それぞれの教線の違い、ただそれだけだ。
いったい君は「日興上人身延晋山」を何時としているのか。
これについてどのように考えているのか。
以前、山人君の詳細な考察があった故、願い出て再掲してもらえ。

更に聞く、では、「どうして『本門弘通の大導師』『身延山久遠寺の別当』たる日興の元から五老僧は足を遠ざけ、四条金吾、富木常忍、池上兄弟等の有力檀越は参詣しないのか」これまさしく、二箇相承に説かれている内容が現実にはなかった証拠ではないか。如何?

どのみち君は「信心がないから」とかいうのだろうが、それは「前提として二箇相承が有ったと証明して、いえる論」だ、分かるか。当時、全門下が日興に平伏さねばならぬ理由など、どこにも存在せず。
そんな程度だ、君は。

【 貴公の論法で言えば、釈尊から上行菩薩へ付嘱された何ものかを、直ちに明示して見せろ。というのと同じこと。 】

悩乱したな君は。少なくとも同じ日蓮門下ならば「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり」「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」などは共通認識であり、誰も云々せぬ。
それが日蓮正宗のみ、「日蓮より日興への密附、日興より日目への相承」などと、明らかな作り話を真実であるかの如く吹聴するものだから、破折、追及を受けるのだ。
「質問者の愚かさを指摘する」例えになっておらぬ。自らの思い上がりを晒しているだけだ、みっともない。
君よ「日蓮より日興への密附、日興より日目への相承」を証明したまえ。

【 貴公らのように、一方で、日寛上人が「書かれた」の御本尊(の改竄複製偽本尊)を「信じ」拝み、しかし、一方でその日寛上人が「書かれた」御指南は「信じ」ない、などという、惑い、悩乱して、各経典をお調べになったのではない。 】

本尊を書いた人間が絶対なのは日蓮正宗だけだろう。ばかばかしい。それが現代社会に生きる我々に通用すると思っているのか。「正は正、邪は邪」も分からなくなっているのか、君は。

【 にも拘わらず、貴公は一方的にこれは「戒壇の大御本尊」ではない。と断定している。
その客観的な根拠も出せずに、自見のみを押し出し断定する、その方式は、学問的に全く公正性・論理性・中立性を欠いている。と指摘しているのである。 】

君は戒壇本尊は本物であることを前提に書いている。これ大いなる錯覚である。その前提を証明するために、ここにいることを知れ。
君の思考回路による、ものの書き方こそ「学問的に全く公正性・論理性・中立性を欠いている」のである。

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:28

 

33.マサシ君、日蓮邪宗の童話の引用は恥を晒すだけだ
 
名前:草薙    日付:6月7日(火) 13時45分

【 貴公の論法で言うと、するとこの時池田氏は「偽物」の本尊へ自他共に帰依することを内外に宣言したのか? 】

今になって「本門戒壇の大御本尊の正体がばれた」のであり、その時は「日蓮への純粋なる信仰で拝んだ」のだから、なんの問題もない。
問題があるのは「何も考えずにただ、本物だと思い込んでいた懈怠の僧侶」「(もし、いたとしたら)ある程度知っていたが、宗派としての存続を考え、口をつぐんでいた僧侶」である。
要は「騙した、懈怠の」僧侶の側に一切の罪があるのだ。

【 いつまでが「本物」で、いつからが「偽物」になったのか?
破門されてから急にか?・・・・以上の事に論理明快に返答せよ。 】

破門になったその日からしばらくは、その真偽に関わらず、信仰上は
『邪教所蔵の脱会道具板本尊』
『魔境=大石寺誘引、それによる堕地獄本尊』
『オカルト信仰発奮板本尊』
であった。そして今は物理的に「後世創作の単なる板」であることが、学会有志によって暴かれつつある。そして創価学会もそれを確認する時は近いであろう、少なくとも次の世代に「本門戒壇の大御本尊」という認識を引き継ぐことはない、と宣告しておく。

【 戒壇の大御本尊様が鎌倉時代の御作であることは明証した。
御先師日達上人御指南
『大御本尊は楠の板で、その時分は鉋(かんな)がなかった、鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。(略す) それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます。』(略す)
この御指南に反論するのなら、それなりの根拠をもってせよ。
この問いに、貴公らの具体的な「客観的な証明」による反論は全くないではないか。
いつまで妄執に囚われて、明確な根拠のない己見に閉じ篭っているのか? 】

この日達の説法を文化庁等の関係機関、立正大学の教授クラスに直ちに持参し、読んでもらうべし。その結果「富士大石寺所蔵・弘安二年十月十二日造立とされる本門戒壇の大御本尊は、日蓮の真筆、板に謹刻の本物である」という結論が出たのなら、創価学会有志側もそれなりに相手にしてくれることであろう。
「それが真に学問をする者の学究態度であろう。」というものだ、わかるか。

君が引用した「説法」は学術的には何の意味もない。「本門戒壇の大御本尊の客観的証明」という主題に照らす時には、ただの駄文になってしまう。故人である日達の恥を晒し続けると、僧侶方からも怒られることだろう。
このような駄文を振り回し悦に入っているのは君だけだ。

【 『これは私一人が見て言うのではなく、皆様の代表として、正宗信徒の代表として池田先生にも拝させたのでございます。決して間違いございません。』
(昭和四十七年十一月二十日)
なんと!池田氏もこのことは確認しているとの事である。貴公は真実を真に探求したいのであれば池田氏に直接説い糾したら如何か? 】

君の頭の中はやはり平成2年以前の思考だな。日蓮正宗・創価学会の僧俗和合時代における「創価学会首脳の日蓮正宗、並びに僧侶方への賛嘆、擁護発言」など、今日では「全部無効」である。これ活動家学会員の共通認識だ。「該発現」は山ほどあろう、しかしそれを引用するのは無意味であることを知れ。創価学会員の価値観は180度変わったのだ。

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:28

 

34.マサシ君、汚物の垂れ流しは断る、速やかに証明したまえ
 
名前:草薙    日付:6月7日(火) 13時50分

【 もし貴公の言う大石寺の『戒壇の大御本尊』様が偽物だというのなら、大聖人様がその他に真正の『本門戒壇の御本尊』を遺されていないわけが無い。 】

「わけが無い。」とは誰に教わった。それが正しいとどうしていえる。
「君達の願望」がどうして「事実であった」といえるのか。
そこにはなんの「論証」もない、「客観性」もない、ただ、宗教的信念による「あってほしい」という願望だけだ。これこそ「学的追求には耐ええないもの」であり、自ら「学問的でもなんでもない」ということを吐露していることを知れ。
君よ完全に妄想にとりつかれているな。

【 しかも、現存する御真筆御本尊のその全てに「本門戒壇」との銘記が為されていない以上、「本門戒壇」の銘記がなされている、現の「戒壇の大御本尊」様以外、真の出世の御本懐であられる御本尊はありえない。 】

君がここで、いくら寺の中で聞いた話を伝言したとて、なんの証明にもならぬ。ムダ口もたいがいにせよ。

【 もし無いとするならば、それは大聖人様が、三大秘法の御法体を確立せずに御入滅になったということであり、それでは上行所伝の仏法が不完全のまま絶えたということになり、それでは大聖人様は不完全な仏ということになり、貴公らが仏宝と(一往表向きには立てている)大聖人が、完全な仏ではなかったということになってしまう。
もしそう考えているのならば貴公らは最早大聖人様を信仰する清純な仏教徒ではない。 】

本門戒壇の大御本尊なくば、どうして「三大秘法の御法体を確立せず」「仏法が不完全のまま絶えた」「大聖人様は不完全な仏」となるのか。
それは誰の教えなのか。
日蓮がかくいったのか。
日興がかくいったのか。
日蓮正宗の「作り話」によって、多くの信者が、「願望」を「存在した」と頭の中で「既成事実化」してしまい、「史実と異なる日蓮」を作り、そこに信をとらされているという「事実」にそろそろ気がつくべきであろう。哀れである。

【 以上の論法からいって、(略す)理の向かうところ必定である。 】

君よ、「幻に信を取る」ことなかれ。目を覚ますべし。

【 さて、更にここが根本的なことであるが、この「戒壇の大御本尊」の御事は、まさに唯授一人の御相承にのみ伝わる御相伝である。
故に、「客観的な文証」がないのは当然過ぎるほど当然なのである。
(上古にそのものズバリの文献が無いのは、戒壇の大御本尊様の御事は日興上人のみへの密付嘱であったから、日興上人以外に戒壇の大御本尊様の真実の意義は知られていなかったし、密付嘱であるから敢えて伏せるべき内容であったからである。) 】

君の書き込みは、日蓮正宗は幻想信仰、妄想信仰である文証だ。
日蓮の教えのどこに「密付属」を伺わせるものがあるのか。
その「密付属」はいつになったら証明されるのか。これは他の人から痛いほど指摘されていることだ。
この前にて、「釈尊から上行への別付属」を引き合いに出してしまったのは、動転してしまっていることを露呈した、万人への生き恥さらしであったな。

【 こう見てくると、つまり、この「前提としての仮定」に「信」を取れるか、否か、の相違であろう。
結局、大聖人様の仏法は成仏の根源である三大秘法に信を取れるか取れないか、ということである。 】

仮定といいながら次の瞬間、「成仏の根源である三大秘法」とし、それを「本門戒壇の大御本尊」と暗示する、このような騙しはもはや通用せず。たいがいにせよ。

【 もし、金口・金紙の御相承を否定するなら、とりあえず貴公あたりが御本尊を書いてみたら如何か?ないんでしょう?唯授一人の御相承なんて。だったら誰が書いていいの?御本尊を。 】

その「唯授一人の御相承」「金口・金紙の御相承」を前提とするのを邪教という。

【 もし書けないのなら何故書けないのか教えてください。全国の法華講員に。 】
創価学会で決めることだ。心配無用。
駄文も無用、直ちに「富士大石寺所蔵・本門戒壇の大御本尊」を客観的に万人が納得いくように証明せよ。

宿坊君、山人君は、負け続けのきみに仏法者としての慈悲を示してくれたが、ここでもただ、駄文を垂れ流し、それによって悦に入るだけの繰り返しならば、今度はギャラリーからも追い出されることを恐れよ。

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:29

 

35.敗走した山人の新たな痴論を破す 3
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月7日(火) 14時15分
日亨上人 続き

紛失前の古書の証明



 参考資料 五人所破抄見聞、富士妙蓮寺日眼著康暦二年六月、正本朽敗、写本万治元年同寺日諦、同万治二年大石寺日舜(富士宗学要集第四巻疏釈部@八ページ)



一爰に先師聖人親り大聖之付を受け末法之主為りと雖早く無常之相を表し円寂に帰入する之刻五字紹継の為め六人の遺弟 を定む、日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持【已上六人。】以上五人所破抄の本文、以下日限の記なり)



  『日蓮聖人之御付嘱弘安五年九月十二日、同十月十三日御人滅の時の御判形分明也。』



爰に本因妙の行者日蓮大聖人は釈迦如来娑婆往来八千度の間は本時の寂光土に在りしが、此の界内同居の愚機の為に名字初信の行者として末法に出世し玉う処は今時の寂光也、是れ即我本菩薩の道を行じ成ずる所の寿命今猶未だ尽未、譬ば太子の時の禄如巳に尽す可ら不、況尊極に登る禄用寧尽く可し乎の御内証より出世を起し玉う、名字の妙法を通達し玉い釈尊出世の設化爾前四十余年にも秘し迹門十四品の間にも秘し本門寿量品に於ても秘密し玉う処の御内証結要五字の真文を譲り給うと云ヘども、無常の相を娑婆に訓へ、



『一瓶の法水を日興に御付属あり、』



『日興も寂を示し玉い次第に讓り玉いて当時末代の法主の処に帰り集る処の法花経なれば法頭にて在す也、』



『秘す可し口外す可ら不、』



『六老僧有りと雖法主は白蓮阿闍梨に限り奉る也、』



在世には唯我一人の大導師は釈尊也、末代には上行菩薩本門の別付属唯我一人也、



『争でか告勅に背て唯我一人の法花経を六人までに御付嘱あらん乎、』

『六人の上首は日興上人也』



例せば四大菩薩の上首は上行菩薩なるが如し、南閻浮提第一の富山九山八海を引き廻す本門の戒壇なれば紅蓮花の方にては日蓮大聖人、白蓮華の方にては日興上人也、異名同躰也『秘す可し』云云。(※注 『』は当方が分かりやすいように挿入した。)



 日限は南条時光大行の末子で、妙蓮寺五世・開山日華の二代目で、またその弟子であり、本著の康暦二年は大聖入滅九十九年に当たる。(※注 日興上人滅後47年である)

全文の記載は作文上必要なけれども、年月日を明示してあるのを信ずべきである。

———————————————————————————————————————

 参考資料 類聚翰集私、左京阿闍梨日教、長亨二年以前の記、正本大石寺にあり、

 たぶん石山住居の時の執筆なるべし。要法寺より大石目有上人に帰伏の学僧である。(富士宗学要集第二巻宗義部@三一四ページ)



〇、私に云ハく『此ノ御仏法を聖人・白蓮に御付属の御判右に在り。』



 『釈尊五十余年の説教、白蓮日興に之を付属す身延山久遠寺の別当たるべし、背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり・弘安五年九月十三日、日蓮在御判、血脈次第日蓮日興、甲斐ノ国波木井郷・山中に於イて之を図す。』



 『日蓮一期の弘法、白蓮阿閣梨日興に之を付属す本門弘通の大導師たるべきなり、

 国主此ノ法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立すべきなり、時を待つべきのみ事の戒法とは是レなり、中んづく我力門弟等此ノ状を守るべきなり、弘安五年十月十三日、日蓮在御判。』



 長亨二年前の作であれば、大聖御滅二百年ばかり、紛失前およそ九十余年である。

(※日興上人滅後 155年である)
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:29

 

36.山人等の痴論を哂う。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月7日(火) 14時27分
二箇相承否定についてついて



『日蓮正宗史の基礎的研究 山口範道御尊師 』



今日二箇相承が存在しなかったという証拠を上げることは難いが、存在したという証拠は多分にある。



(●まさにその通りであり、貴公らは二箇相承に難癖をつけているだけで、客観的根拠を全く提示できずにいる。)

———————————————————————————————————————

今、二箇相承が存在したという証拠文献を大略次第してあげてみると次の通りである。



(一)聖滅二十七年(1308)



徳治三年九月二十入日日頂の本尊抄得意抄添書?に「興上人一期弘法の付嘱をうけ日蓮日興と次第 」の文あり(宗全一−四四)(●どうする?貴公らの大好きな「日蓮宗宗学全集」に出ているけど?呵々)



(二)聖滅99年(一三八〇)康暦二年六月四日、妙蓮寺日眼の五人所破抄見開に



「日蓮聖人之御付嘱弘安五年九月十二日、同十月十三日御入滅の時の御判形分明也」の文(富要四−八)



(三)聖滅一八七年(一四六八)応仁二年十月十三日、住本寺十代(要山十六代)日廣、重須にて二箇相承全文書写、其の奥書に云く、



「日廣云、於 富士重須本門寺 以 御正筆 奉書畢、応仁貳年十月十三日(傍系)



要山十八代日在私云、先師日廣上人 詣 富士 之時 如此 直拝 書之 給也云云(雪文三十大遠日是転写本。夏季講習録二−八富谷日震)



(四)聖滅二〇七年(一四八八)長亨二年六月十日、左京日教「類聚翰集私」に二箇相承全文引用(富要2−314)(正系)



(五)聖滅208年(一四八九)延徳元年十一月四日、左京日教「六人立義破立抄私記」に全文引用(富要四−四四)



(六)聖滅二三三年(一五一四)永正十一年、越後本成寺日現「五人所破抄斥」に全文引用(宗全七−一八一)(反系)



(七)聖滅264年(一五四五)天文十四年四月、日我申状見開に「身延池上の両相承」云云の名目を出す(富要四−81、112)



(八)聖滅266年(一五四七)天文十六年、要山日在、富士立義記(日叶作)を添削前後補接百五十箇条として二箇相承全文引用(富要2−182)



(九)聖滅275年(一五五六)弘治二年、要山日辰重須に於いて日耀をして二箇相承を書写せしむ(西山蔵)



(一〇)聖滅278年(一五五九)永禄二年、重須日出、要山日住に二箇相承を拝見せしむ(要五−五六)



(一一) 聖減二九二年(一五七三)天正元年、日主上人二箇相承書写(大石寺蔵)



(一ニ) 聖滅二九八年(一五七九)天正七年、北山本門寺宝物目録に二箇相承を挙ぐ(富要九−ニ○)



(一三) 聖滅300年(一五八一)天正九年三月、武田勝頼の臣重須を襲い二箇相承等を奪う(要九−一七・ニ○)



(一四) 聖滅三〇一年(一五八ニ)天正十年、重須日殿二箇相承返還を訴え憤死す(富士年表・日蓮教団史九ニ)



(一五) 聖滅三〇一年(一五八二)天正十年十月十五日西山日春甲府総檀中へ書をおくり二箇相承返却方を促す。(西山蔵・蓮華三−ニ二)



(一六) 聖滅三〇〇余年、房山日我等二箇相承紛失証明を記す(要九−二二)



(一七)聖滅三三〇年(一六一一)慶長十六年、家康駿府城に於て重須より奉持の二箇相承を拝す(駿府政事録・駿国雑誌三十一−中−七四)



(一八) 聖滅三三〇年(一六一一)本光国師二箇相承を道春(林羅山)より得て日記中に記す(仏教全書、本光国師日記一−一六五)



(一九)聖減三三六年(一六一七)元和三年、要山廿四代日陽、重須に至り二箇相承を拝す(要五−六〇)



(ニ○) 聖滅三七五年(一六五六)明暦二年、西山一八代日順、日耀写しの二箇相承の日辰奥書に重ねて奥書す(西山蔵・富士門徒の沿華と教義四五)



以上の二十項目は二箇相承の曽存を裏付けするに充分な正系・傍系・反系の史料である。



尚日興上人は大聖人よりの二箇相承という譲り状があったので之に例して日日譲状なるものを作られたのであるということを思い合わせるとき、これらの文献によって二箇相承の曽存は認めざるを得ないであろうと思う。



———————————————————————————————————————

以上の如くこれほど「客観的根拠」を明示しているのであるから、もしこれを否定するのならば貴公らこそ明確な根拠を挙げよ。

———————————————————————————————————————
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 38 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:29

 

37.はあっ?
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月7日(火) 15時39分
山口ハゲ道の作文はもう使えねえだろがよゴルァ!?顔洗って出直してこいやマサ〜シよ(*´Д`)=з
さては日本語読めねーなアポ〜ンタソ

 

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 メッセージ 39 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:29

 

38.おやおや、一段と悩乱したのが入ってきましたね。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月7日(火) 16時26分
●また新たに(?)愚かな者が闖入してきたようである。

山人、宿坊以上に思い切った蒙昧さを露呈しているので、今まで少し専門的に過ぎた内容も、少し明るく楽しいものになりそうである。

当方の戒壇の大御本尊様の証明に頑迷ながらも返答してきている向もあるので、一往はその勇気を称え、しかし内容は惨憺たるものであるので完済しておく。
———————————————————————————————————————
●【 日寛上人 三宝抄 
日寛上人 法華取要抄文段 】

▼現在の創価学会が一応、継続性重視の観点から「日寛書写の本尊を拝む」と雖も、「書写した人は絶対」などとはしておらぬ。
「日寛がどんな文献を書いたか」は又、別問題である。
日寛は大石寺貫主なのだから当然「本門戒壇の大御本尊、二箇相承、日興跡条々」を本物とし論を展開している。
現在、問題にしているのは「日寛も本物とした」その対象が「実はどうだったのか」ということであるから、「日寛上人はかく仰せ」としたところで、なんの意味もない。
「大石寺歴代貫主の板本尊、相承書等の擁護発言」など、なんの興味も、関心もない。
———————————————————————————————————————
●まるで論を為していない。いきなり頭破七分の様相を呈している。

1、1行目「一応、継続性重視の観点」からして意味不明である。
再度万人に理解できるように説示せよ。

2、何度読んでもやはり全文意味不明である。

では、本尊は誰が書いてもいいのか?

2−2 日寛上人の御本尊を選んだ基準を教学的に分かり易く述べよ。

2−3 他の御法主では駄目なのか?
YES ⇒ その理由
NO  ⇒ その理由

3、何故、貴公らが否定している「邪教・大石寺」の二十六世の日寛上人の御本尊(の改竄・複製本尊に似せた掛け軸らしき物)を拝むのか?

4、教学的に信頼していない日寛上人の御本尊(の改竄・複製本尊に似せた掛け軸らしき物)を何故拝むのか?

5、大聖人御真筆御本尊を何故拝まないのか?

6、大聖人直結の創価学会の会員ならば誰でも本尊を書いていいのか?

7、つまり、誰が書いてよくて、誰は書いてはいけないのか?

明確に返答せよ。
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 メッセージ 40 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:29

 

39.(untitled)
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月7日(火) 16時29分
そんなこといってっと あちこちから「日代八通の譲状」やら「日朗譲状」やら出てくんぞ。それに全部滅後で×だよ、それより草薙くんの答えはどしたよ?
マサ〜シ(*´Д`)/=з

 

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 メッセージ 41 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:30

 

40.貴公は「富士一跡門徒存知事」「五人所破抄」等読んだことが無いのか?
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月7日(火) 16時30分
●【 もし二箇相承が偽書だとしたら、日興上人は大聖人御入滅後、何故身延の貫主として入山され、それに対して、五老の非難がないのか?
これ正しく、二箇相承に説かれている内容が現実であった証拠ではないか。如何? 】

▼それぞれの教線の違い、ただそれだけだ。
いったい君は「日興上人身延晋山」を何時としているのか。
これについてどのように考えているのか。
以前、山人君の詳細な考察があった故、願い出て再掲してもらえ。
———————————————————————————————————————
●晋山時を論点にしたいのなら貴公がまず示せ。当方は今の論点としては問題としていない。

二箇相承の御付嘱状に関して『美作房御返事』に



「……然れば墓をせんにも国主用いぬ程は、尚お難くこそ有らんずれば、いかにも此の人(波木井入道を指す)の所領に臥すべき御状候いし事、日興へ賜わりてこそあそばされて侯いしか」



と間接的ではあるが証明となる文が存する。


———————————————————————————————————————
▼更に聞く、では、「どうして『本門弘通の大導師』『身延山久遠寺の別当』たる日興の元から五老僧は足を遠ざけ、四条金吾、富木常忍、池上兄弟等の有力檀越は参詣しないのか」これまさしく、二箇相承に説かれている内容が現実にはなかった証拠ではないか。如何?

どのみち君は「信心がないから」とかいうのだろうが、それは「前提として二箇相承が有ったと証明して、いえる論」だ、分かるか。当時、全門下が日興に平伏さねばならぬ理由など、どこにも存在せず。
そんな程度だ、君は。

●貴公は「富士一跡門徒存知事」「五人所破抄」等読んだことが無いのか?

「富士一跡門徒存知事」

■「先づ日蓮聖人の本意は、法華本門に於ては曾て異義有るべからざるの処、其の整足の弟子等、忽ちに異趣を起こして法門を改変す。
況んや末学等に於ては、面々異轍を生ぜり。」

が故に、大聖人様の御義を厳粛に堅持される日興上人と、その日興上人を篤く尊信する波木井実長が疎ましくなっていたが故である。

1、貴公はただ単に、「▼それぞれの教線の違い、ただそれだけだ。」と嘯いているが、
五老の広めた法門は正か邪か。答えよ。

2、貴公は日興上人を否定するとすれば、日興上人門流以外のどこの派か?答えよ。

3、それは創価学会としての公式見解か?
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 42 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:30

 

41.だから!
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月7日(火) 16時41分
前から言ってんじゃん(*´Д`)=з大聖人直結。御書根本の学会から下付してもらえるから拝んでんだってよ。書写と図顕の違いくらいわかるよな?いずれまた変遷の機会もあるかもだけど富士の田舎の邪宗のマサ〜シには関係ないコッチャタヌキあいてに添付の無料配信でもやってろやZZzz....

 

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 メッセージ 43 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:30

 

42.(untitled)
 
名前:キトラ    日付:6月7日(火) 17時0分
マサシ君、君なぁ〜言葉を微妙に変えてるけど言うてる事なぁずぅ〜と同んなじやぞぉ。
大的ハズレでもぅ飽いたわ。
君のお仲間もマサシの講釈にウンザリやて。
ここは君の落書き帳か!

主題
−マサシの戒壇板本尊証明−
どうぞ・・・・・

 

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 メッセージ 44 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:30

 

43.当方に吠え付く前にもう少し勉強したらいかがか?
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月7日(火) 17時1分
●【 貴公の論法で言えば、釈尊から上行菩薩へ付嘱された何ものかを、直ちに明示して見せろ。というのと同じこと。 】

▼悩乱したな君は。少なくとも同じ日蓮門下ならば「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり」「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」などは共通認識であり、誰も云々せぬ。
それが日蓮正宗のみ、「日蓮より日興への密附、日興より日目への相承」などと、明らかな作り話を真実であるかの如く吹聴するものだから、破折、追及を受けるのだ。
「質問者の愚かさを指摘する」例えになっておらぬ。自らの思い上がりを晒しているだけだ、みっともない。
君よ「日蓮より日興への密附、日興より日目への相承」を証明したまえ。
———————————————————————————————————————
●貴公は少し教学的に複雑になると理解不能のようである。

1、五老門流ではこの■「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」の義は認めていない、が故に、「共通認識」ではない。
みな「云々」しているが?如何。
(当方に吠え付く前にもう少し勉強したらいかがか?)

2、貴公が引文した御文は三大秘法抄だが、では真蹟と認めた訳だな。
では訊く。
この三大秘法抄に

■「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。」

との有名な御文があるが、この「事の戒法=事の戒壇」の本堂中央に御安置申し上げる御本尊は何か?
今どこにおわすのか?

3、■「然るに上行菩薩等末法の始めの五百年に出生して、此の境智の二法たる五字を弘めさせ給ふべしと見えたり。
経文赫々たり、明々たり。誰か是を論ぜん。
日蓮は其の人にも非ず、又御使ひにもあらざれども、先づ序分にあらあら弘め候なり。
既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁の衆生に流れかよはし給ふ。
是れ智慧の義なり。
釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。
然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。
又是には総別の二義あり。
総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。
輪廻生死のもとゐたらん。」

また、

■「此の経は相伝に有らざれば知り難し。」

『真言見聞』
■「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」(608)

■「次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。
譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。
仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。
故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。
然れば僧の恩を報じ難し。
されば三宝の恩を報じ給ふべし。」

■「修学解了の受職の比丘は仏位に同じ。是即ち如来の使ひなればなり。」



これら御文の義から言って、神力品の別付嘱(別しての血脈)は

在世  釈尊=上行(内証日蓮大聖人)
末法  日蓮大聖人=日興上人=  =   =   

となるのが道理だが、もしこれを否定するのならば、教学的に詳細に説示せよ。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 45 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:30

 

44.キトラさんコンニチハ
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月7日(火) 17時5分
ここはマサ〜シの動物園らしいですよ(-o-;)でも確かにマサ〜シタソの落書き帳、お絵かき帳ではないでちゅね〜!(爆笑)

 

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 メッセージ 46 / 104 

 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/07 18:31

 

45.準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad さん、毎度ぉです。
 
名前:キトラ    日付:6月7日(火) 17時27分
そうでんなぁ。
調教してますねんけど中々盲信の呪縛から抜け出せんそうですわ。

マサシ君哀れ〜

 

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 メッセージ 47 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/08 1:30

 

46.一ヶ月以上たっても証明はまだ!
 
名前:宿坊    日付:6月7日(火) 20時39分


※山人が好きな一版日蓮宗系書物である、日蓮宗宗学全書第二巻興尊全集興門集三三ページ にも明確に掲載されており、


⇒マサシ君、よく読んだのですか?
興門から編纂に協力されたのは堀上人ではないですか。 当然も当然でしょ。



※『釈尊五十余年の説教、白蓮日興に之を付属す身延山久遠寺の別当たるべし、背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり・弘安五年九月十三日、日蓮在御判、血脈次第日蓮日興、甲斐ノ国波木井郷・山中に於イて之を図す。』


⇒マサシ君よ、弘安五年九月十三日には身延に大聖人はおられず、
「くれじ」 「波木井郷・山中に於イて之を図す」となっているからこそ偽書。

『正史料 元祖化導記』
「弘安五年壬午九月八日午の刻・身延沢を出御有て、其の日は下山兵衛四郎の所に一宿、九日・大井庄司入道、十日・曽根の次郎、十一日・黒駒、十二日・河口、十三日・くれじ、十四日・竹下、十五日・関下、十六日・平塚、十七日・瀬野、十八日の午の尅に武蔵国荏原郡千束郷池上村に着たまひ了んぬ、○。」

 

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 メッセージ 48 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/08 1:30

 

47.マサシでは無理か
 
名前:宿坊    日付:6月7日(火) 20時41分

※正資料  本門寺日殿申状の案より


この文証は何の役に立ちますか、
そもそも北山・西山の反目であり、大石寺とは無関係。
マサシ君よくご覧なさい。

⇒『西山に本門寺を立て興師の正系と称して北山を排斥す、蓋し本門寺の号は未来広布の時までは私に称すべからざるに是止むを得ざるに出づるか、爾来両山の反目甚しければ』

⇒十五、富士山本門寺申状の案   
祖滅二百九十九年当時の案文正本北山本門寺に在り。謹んで申し上ぐる条々。

⇒十八、本門寺(北山本門寺)宝物目録   一、日蓮大上人同 上 二箇の相承。

「二箇相承」を大石寺から盗まれたと証明できれば少しは見通しあるかも。




※佐渡世尊寺に、日健の写本がある。同寺目録には、日興上御筆となっておる。


⇒北山本門寺第九代日出・第十一代日健   西暦 1625 年それがどうしたの?
上古の文献で証明しなさい。

 

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 メッセージ 49 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/08 1:31

 

48.日達説法を専門機関に直ちに送付し、「明証」のほどを判定してもらえ
 
名前:草薙    日付:6月7日(火) 20時55分
どうした、マサシ君
この日達の説法を文化庁等の関係機関、立正大学の教授クラスに直ちに持参し、読んでもらうべし。その結果「富士大石寺所蔵・弘安二年十月十二日造立とされる本門戒壇の大御本尊は、日蓮の真筆、板に謹刻の本物である」という結論が出たのなら、創価学会有志側もそれなりに相手にしてくれることであろう。
「それが真に学問をする者の学究態度であろう。」というものだ、わかるか。
君が引用した「説法」は学術的には何の意味もない。「本門戒壇の大御本尊の客観的証明」という主題に照らす時には、ただの駄文になってしまう。故人である日達の恥を晒し続けると、僧侶方からも怒られることだろう。
このような駄文を振り回し悦に入っているのは君だけだ。

には、沈黙か。君は何回、この日達の駄文を引用、貼り付けしたのだ。各大学の歴史研究を行なう専門機関等に「日達説法」を送付し、判定してもらえ。これが「戒壇の大御本尊様が鎌倉時代の御作であることは明証した。」ことになるかどうか、すぐにやりなさい。さすれば君の「明証」のほどが明らかになるであろう。

【 何度読んでもやはり全文意味不明である。では、本尊は誰が書いてもいいのか? 】
相手の言わんとするところを、理解できなくなるのが邪教信仰の害毒。君の愚問がどうかしたのか。答えて頂ける御方を募集したらいかがか。

【 大聖人様の御義を厳粛に堅持される日興上人と、その日興上人を篤く尊信する波木井実長が疎ましくなっていたが故である。 】

疎ましくなって身延山久遠寺に参詣せず。これ即五老僧における日興への対等意識である。
同様の書は波木井実長筆にも存する。
君の駄文では二箇相承存在の傍証にすらならぬ。

【 五老門流ではこの「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」の義は認めていない、が故に、「共通認識」ではない。みな「云々」しているが?如何。 】

日蓮宗系の出版物に「日蓮正宗の偽書謀書の破折の項」に当該文を肯定引用。君はまだ勉強が足りぬ。明日から図書館を渡り歩け。

【 この「事の戒法=事の戒壇」の本堂中央に御安置申し上げる御本尊は何か?今どこにおわすのか? 】
日蓮真筆で該本尊など、どこにも存在しない。有るならば示してみよ。
「富士大石寺所蔵・本門戒壇の大御本尊」が該当するならば、直ちに「放射性炭素14年代測定法」で鑑定せよ。なぜ鑑定できぬ。日蓮正宗が無くなるのが恐いか。無くなってよい。日蓮邪宗など。

【 しかも、現存する御真筆御本尊のその全てに「本門戒壇」との銘記が為されていない以上、「本門戒壇」の銘記がなされている、現の「戒壇の大御本尊」様以外、真の出世の御本懐であられる御本尊はありえない。
もし無いとするならば、それは大聖人様が、三大秘法の御法体を確立せずに御入滅になったということであり、それでは上行所伝の仏法が不完全のまま絶えたということになり、それでは大聖人様は不完全な仏ということになり、貴公らが仏宝と(一往表向きには立てている)大聖人が、完全な仏ではなかったということになってしまう。
もしそう考えているのならば貴公らは最早大聖人様を信仰する清純な仏教徒ではない。 】 

についてはどうする、撤回するか。
あとはなんの意味もない。
要するに君は「宗派教学の宣伝役」であり、日蓮仏法の真の信奉者ではない、ということだ。

ついでに「二箇相承」云々も軽く触れておく。

【 日亨上人の御文  富士日興上人詳伝 聖教文庫 】

宗門人が肯定論証せんとするのは当然。しかし、掲載の古文書に「二箇相承が真筆」との証拠なし。故に意味無し。コピーご苦労。

【 山人が好きな一版日蓮宗系書物である、日蓮宗宗学全書第二巻興尊全集興門集三三ページ にも明確に掲載されており、つまり、少なくとも与えて言えば、池上相承書は山人流に言えば「一般的に認知」されている文献であるということは証明されていることになる。如何かな?山人君?呵々 】

該書に掲載即真筆とは限らぬ。
「本門寺棟札」「日代八通状」「大石寺番帳」「御遺物配分事」等々多数ある。

【 日蓮正宗史の基礎的研究 山口範道御尊師 
以上の如くこれほど「客観的根拠」を明示しているのであるから、もしこれを否定するのならば貴公らこそ明確な根拠を挙げよ。 】

「宿坊君との公開法論掲示板」を自ら読み直せ。それで足りる。

おぬし、あいかわらずコピー魔だな。宿坊君のいうとおりだ。くだらぬ。

 

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 メッセージ 50 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/08 1:31

 

49.宿坊君その通り、ムリなのは明らかだ
 
名前:草薙    日付:6月7日(火) 21時10分
宿坊君 
もとより彼に論証不可能
駄文垂れ流し可能

だけであることは、実名云々騒ぎの時から見抜いていた。
中味のない奴ほど「体面にこだわる」ものだ。
今、ここで彼がうめいているのも、「死に損ないの蛇がのたうち回る」ただ、それだけだ。

もはや、彼には「創価学会憎しの怨念」だけしか残されていない。
宿坊くんの「配慮」は、自分としては「彼の将来のためにも、ほどほどに」と思う。

行き場がなくなるからな。

ここで晒しものにし続けることは「慈悲」というよりも、「見世物」にすら思える。
現状、正に動物園のゴリラのように、ただ無意味に「吠える、もとい泣いている」だけだ。
宿坊君、まあ、考えてやってくれたまえ。

 

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 メッセージ 51 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/08 1:31

 

50.マサシあきらめなさい
 
名前:宿坊    日付:6月7日(火) 21時55分

※貴公が引文した御文は三大秘法抄だが、では真蹟と認めた訳だな。


⇒三大秘法稟承事 弘安04年04月08日 大田乗明
弘安二年に「彫刻本尊」が存在していたとするならば、
三大秘抄にその記述がない、
まして興師ではなく在家大田乗明に対しての手紙である。

⇒大聖人の教えは!
一、本門寺を建つべき在所の事。
五人一同に云く、彼の天台・伝教は存生に之を用いらるるの間・直ちに寺塔を立てたもう。所謂大唐の天台山・本朝の比叡山是れなり。而るに彼の本門寺に於ては先師・何れの国・何れの所とも之を定め置かれず、と。

⇒「二箇相承」に何故「本門戒壇の大御本尊」 が書かれていないのか?
日蓮一期の弘法ってなんですか? 
むしろ、「彫刻板本尊を付嘱」としたほうがよほど信憑性具体性があります。



※(二)聖滅99年(一三八〇)康暦二年六月四日、妙蓮寺日眼の五人所破抄見開に

⇒妙蓮寺の日眼ではなく、西山八代の日眼ではありませんか? 西暦1480年代?


※徳治三年九月二十入日日頂の本尊抄得意抄添書?に「興上人一期弘法の付嘱をうけ

⇒日頂自身がそもそも存在しない「二箇相承」を見ることはありえない。

⇒本尊抄得意抄副書が「二箇相承」以前に書かれ、「二箇相承」の全文の
記述がなければ、本尊抄得意抄副書をモデルに、「二箇相承」を創作した。
「二箇相承」は石山とは無関係です、前項にて破折。

⇒本尊抄得意抄副書(西暦 1308 年 11 月 11 日)といわれているこの書は、日頂の真筆に似ていない。

⇒また日蓮宗宗学全書でも偽書扱い。

 

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 メッセージ 52 / 104 

 

投稿日時 : 2005/06/09 12:26

 

このメッセージは管理人またはアシスタントによって削除されました。

 

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 メッセージ 53 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 14:50

 

申し訳ありませんが、当方はメールを送信した事はございません。何故にこのような事が起こったのか、早急に調べてみます。
何にせよ、私の名前になっておりますので、ご迷惑をおかけ致しました事にはお詫び致します。

 

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 メッセージ 54 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:00

 

51.sate,
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月7日(火) 23時19分
●【 貴公らのように、一方で、日寛上人が「書かれた」の御本尊(の改竄複製偽本尊)を「信じ」拝み、しかし、一方でその日寛上人が「書かれた」御指南は「信じ」ない、などという、惑い、悩乱して、各経典をお調べになったのではない。 】

▼本尊を書いた人間が絶対なのは日蓮正宗だけだろう。ばかばかしい。それが現代社会に生きる我々に通用すると思っているのか。「正は正、邪は邪」も分からなくなっているのか、君は。

●貴公が逃げている詰問に端的に答えなさい。
それが答えられない様が貴公らが「諸宗は本尊に」

では、本尊は誰が書けて。誰が書いてはいけないのか?
身延の坊主が書いたものでもいいのか?
それともみやげ屋で売っている大聖人御真筆御本尊の複製掛け軸でどうだ?
それが明確に返答できない姿がまさに「諸宗は本尊にまどえり」の惑乱している様そのままである。

強がり言って真の信行学がない癖に、逃げなさるなよ。
明確に返答せよ。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 55 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:01

 

52.もう少し学問の基本を学んだらいかがか?
 
名前:樋田 昌志    日付:6月7日(火) 23時33分
●【 にも拘わらず、貴公は一方的にこれは「戒壇の大御本尊」ではない。と断定している。
その客観的な根拠も出せずに、自見のみを押し出し断定する、その方式は、学問的に全く公正性・論理性・中立性を欠いている。と指摘しているのである。 】

▼君は戒壇本尊は本物であることを前提に書いている。これ大いなる錯覚である。その前提を証明するために、ここにいることを知れ。
君の思考回路による、ものの書き方こそ「学問的に全く公正性・論理性・中立性を欠いている」のである。

●貴公こそ何の明確な根拠もない癖に「戒壇の大御本尊」を否定することを前提に言っている。
それは大いなる蒙昧・無知・愚昧・頑迷である。

再度この言は貴公の固陋な頭の上にこそ冠せられるだろう。

貴公は一方的に「戒壇の大御本尊」はない。と断定している。
その客観的な根拠も出せずに、自見のみを押し出し断定する、その方式は、学問的に全く公正性・論理性・中立性を欠いている。と指摘しているのである。

もう少し学問の基本を学んだらいかがか?
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 56 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:01

 

53.、「日蓮への純粋なる信仰で拝」べば、何を拝んでもいいのか?大笑いである。
 
名前:樋田 昌志    日付:6月7日(火) 23時56分
●【 貴公の論法で言うと、するとこの時池田氏は「偽物」の本尊へ自他共に帰依することを内外に宣言したのか? 】

▼今になって「本門戒壇の大御本尊の正体がばれた」のであり、その時は「日蓮への純粋なる信仰で拝んだ」のだから、なんの問題もない。

●今回のまさにとなる、愚昧丸出しの、珍無類の痴論である。

1、「日蓮への純粋なる信仰で拝」べば、何を拝んでもいいのか?
大笑いである。
愚かである。

大体「日蓮への純粋なる信仰」とは何か?具体的に明示せよ。
それからその「不純な」信仰姿勢を摧破しよう。

2、貴公の不純さは聞くまでも無く最早貴公の文に表れている。

大体にして、尊崇するその対象・主体を「日蓮」と呼び捨てにする、その信心の無さ!

驚くべき感覚である。

もはや貴公には三宝を純粋に尊信する真摯な信仰心など微塵も無い証左である。

■「如何が汝が不信を救護せんや。」

救い難い虚け者である。

■「少しも謗法不信のとが候はゞ、無間大城疑ひなかるべし。」

まさに、堕獄必定の愚か者である。

そういう貴公がいう「”日蓮”への純粋なる信仰」とやらを貴公ではないか。呵々。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 57 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:01

 

54.いよいよ病膏肓に入る
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 0時10分
▼問題があるのは「何も考えずにただ、本物だと思い込んでいた懈怠の僧侶」「(もし、いたとしたら)ある程度知っていたが、宗派としての存続を考え、口をつぐんでいた僧侶」である。
要は「騙した、懈怠の」僧侶の側に一切の罪があるのだ。

●とうとう三宝誹謗で精神がいかれたな。

戒壇の大御本尊様を偽物と創価学会の公式見解すら無視して、疑難しているのは貴公らではないか。

宗門には貴公らのような根拠なしの偽物説などを信奉している者など一人としていない。
もし、いるとするならば実名を挙げてここで公表してみよ。

貴公の文章を見ると、いよいよ病膏肓に入る の感があるな。

貴公がまさに被害妄想・強迫観念という病である可能性が濃厚であることが明らかになった発言である。

あるいは、単に「自分勝手な思い込みの強い人」程度かも知れぬ。

いづれにせよ

早めにニセ本尊拝むのを止めて、ニセはあくまでニセである、と気がつかないと取り返しのつかない事になるぞ。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 58 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:02

 

55.いいね!
 
名前:野人    日付:6月8日(水) 0時12分
マサシ!隔離された動物園の中で、まんまと吠えてるな!ガッツがあっていいね!
目指せ!中高年の星!

>学問的に全く公正性・論理性・中立性を欠いている。と指摘しているのである。 】
ゲロみたいな事言ってんじゃねぇよ〜
だったら、そのうす汚ねぇ洗濯板をせめて世間に詳細に公開しろよ!
世の賢い方々が、鑑別してくれるからよ。
サッパリやってくれよ〜マサシ!期待してんだからよ〜

 

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 メッセージ 59 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:02

 

56.現実に信仰していた対象 → 破門 → 偽物 呵々
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 9時34分
●【 いつまでが「本物」で、いつからが「偽物」になったのか?
破門されてから急にか?・・・・以上の事に論理明快に返答せよ。 】

▼破門になったその日からしばらくは、その真偽に関わらず、信仰上は
『邪教所蔵の脱会道具板本尊』
『魔境=大石寺誘引、それによる堕地獄本尊』
『オカルト信仰発奮板本尊』
であった。そして今は物理的に「後世創作の単なる板」であることが、学会有志によって暴かれつつある。そして創価学会もそれを確認する時は近いであろう、少なくとも次の世代に「本門戒壇の大御本尊」という認識を引き継ぐことはない、と宣告しておく。

●ここも全くまさに頭破七分の文そのままである。

こんな論理破綻した妄想文に付き合うことはないので、ここに、創価学会のかつての見解を載せ、貴公らの無知さ加減を鮮明に浮き彫りにしよう。

尚、かつての創価学会の見解を全く用いない、との馬鹿丸出しの戯言が書き込んであったが、かつて協調関係にあった時の「人」に対する認識が180度変化する、ということは往々にして世間でもあるし、心理としては理解できないこともないが、(ただし信仰上からの見地は別だが)現実に創価学会創立以前から存在し、しかも創価学会の信仰の根本尊仰の対象であった「戒壇の大御本尊様」を、途中で何かに交換された訳でなし、その存在に対し、破門されたからといって180度言い分が変わり「偽物」と断ずるとは!

人         いい人 → 感情 → 悪い人 なら与えて言えば理解できないことはない。が

現実の存在物  現実に信仰していた対象 → 破門 → 偽物  

これは、子供が聞いてもその道理の通らない矛盾を哂う事だろう。

こういう実に簡明な道理が分からなくなっているのが貴公らであり、心ある学会員からも顰蹙され、唾棄されているのである。

そしてそういう者をまさしく頭破七分者というのである。

謗法の罪過が三毒を強盛にし、怒り、怨念で目が見えない状態なのである。

まさに「癡」そのもので姿である。

では前置きはこの位にして、貴公の迷乱振りをかつての創価学会教学小事典から破折していただきましょうか。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:03

 

57.ばかだねー
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月8日(水) 9時49分
かつての学会発言が日蓮邪宗の教義なんかい?もう石山の微々たる役目はおわったんだよ〜ん(´∀`)笑

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:03

 

58.創価学会の破折文を破折してみよ。
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 10時19分
ー昭和43年11月21日 創価学会発行ー
「日蓮正宗教学小辞典」より


【大御本尊への疑難を破す】

末法の御本仏日蓮大聖人が、弘安二年十月十二日、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊をご建立あそばされて、出世のご本懐を遂げられたことは、

『厳然たる事実である。』

しかるに、日蓮宗各派では、そのことについて

「日蓮大聖人や日興上人や、そのほか古い記録には何も書いていない。日蓮正宗第九世の日有上人が偽作したものだろう」

というような、種々の悪口をいっている。

これらの疑難を、ここで、まとめて破折しておきたい。

まず反問するが、

『もし本当に日蓮正宗が本門戒壇の大御本尊を偽作した宗教だったとしたら、日蓮大聖人の教えは一体どこにあるだろうか。』

身延派の稲荷や竜神や、日蓮宗中山派の鬼子母神だけが日蓮宗だとしたら、日蓮大聖人の教えは泥沼に落ちて腐ってしまったようなものではないか。

日蓮大聖人の御本尊は多くあるが、それぞれ脇書があって「だれだれに授与する」とか、「どのような目的で、これをしたためた」等と書かれている。
なるほど弘安二年に本門戒壇の大御本尊を顕わされたという、そのとおりの御書はない。
しかし現存するほかの御本尊でも、御書にいつお書きになったなどとあるものは、ほとんどなく、御本尊はその脇書が重大なのである。

『弘安二年の本門戒壇の大御本尊は、日蓮大聖人のご真筆で「本門戒壇也、願主弥四郎国重等」と、はっきりおしたためになっていて疑う余地はない。』
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投稿日時 : 2005/06/09 22:03

 

59.身延振の頭で大石寺をみるから、そのような愚論をいうのである。←けだし名言!
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 10時21分
次に「御書にはなくても、日昭・日朗などの五老僧が知らないわけはない」という。

ところが、それは、一般の常識的な考えであって、当時の実情を知らない者のいうことである。
「六老僧」と、並べたらいかにも立派にみえるが、日興上人を除く五人は、日蓮大聖人の滅後にすぐ天台の弟子だといいはじめ、本尊は釈尊だなどといっているくらいであるから話にならない。
たとえ大御本尊を拝しても、本門の戒壇などぜんぜんわかっていなかったから、書きとめておくはずもない。

日興上人は、日目上人に対する御相承書すなわち「日興跡条条の事」 ( 富要五巻三一n) には「日興が身に充て給わる所の弘安二年の大御本尊」を日目に相伝すると仰せられている。

『これこそ日蓮大聖人から身にあてて賜わられた、弘安二年の本門戒壇の大御本尊である。』

しかも『「日興跡条条の事」は日興上人の正副二通の疑う余地のないご真筆が厳然と富士大石寺に存在するのである。』

身延派の批判では、「この御相承書の弘安二年の本尊は、現在大石寺でいう本門戒壇の大御本尊ではない」という。
そのわけは「弘安二年の板まんだら」といっていないからだという。
これはいかにも身延流の考え方で、現在の身延派は、本尊、がなんだかわからない。
いちいち紙曼荼羅、板曼荼羅、稲荷、鬼子母神、釈尊の仏像などといわなければ、ただ本尊といわれでもわからない。
そんなところから、日興上人の御付嘱状を疑い、非難しているが、富士大石寺で御本尊といえば、昔から今日まで、南無妙法蓮華経の大曼荼羅に決まりきっている。

『弘安二年の大御本尊といえば、本門戒壇の大柳本尊と決まっているのである。』

身延振の頭で大石寺をみるから、そのような愚論をいうのである。
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投稿日時 : 2005/06/09 22:04

 

60.ここも新事実を、以って再反論してみよ。
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 10時23分
日蓮宗各派で本門戒壇の大御本尊について述べたのは「当家諸門流継図の事」が最も早い。
しかし、この書は作者、年代ともに未詳であり、内容から、文禄、慶長年聞に身延派の僧が書いたものといわれる。
これには「日興上人が板本尊と御影像を盗んで身延から逃げ出した」と悪口をいっている。
この書の日興上人身延離山に関する記録は、まことにデタラメなことで定評がある。

しかし、『これは本門戒壇の大御本尊についての悪口ではなく、かえって、本門戒壇の大御本尊が知られていたことの証明になるのである。』

後に、日憲という僧が、この書に追い書きして、富士大石寺に参拝して大御本尊にお目通りしたといって、そのお姿を述べているが、そうとうに誤っていて見るにたえない。
しかし、これとても大御本尊の悪口ではない。
このほか、大御本尊を彫刻申し上げた日法上人の玉沢門流では、古くから本門戒壇の大御本尊の悪口をいって、日蓮大聖人の御文字を削りとった木屑の方は、わが玉沢にありなどという低級なことをいっていた。

これも、『かえって本門戒壇の大御本尊が厳然と顕われた証明になるのみである。』

次に、日有上人の偽作説について、いったい、いつ誰がいい始めたのであろうか。
それは、驚くなかれ、明治時代になってからである。
まず日有上人に対する悪口は、北山の日浄・日専に始まるといわれている。
日有上人のご入滅は文明十四年 ( 日蓮大聖人滅後二〇一年 ) で、その後、日浄・日専らが「有師は鶆病病(らいびょう)で死んだ」等と悪口した。
それから約百年の後、要法寺の日辰 ( 天正四年、日蓮大聖人滅後二九五年 ) と房州保田妙本寺の日我 ( 天正十四年、日蓮大聖人滅後三〇五年 ) の二人が、これについて述べた記録があるから、比べてみよう。

まず日辰の祖師伝には「日辰が重須 ( 北山 ) にいた時、東光寺の僧がやってきていうには、大石寺の第四世日道は佐渡で日代の本尊を焼いたら、●病(らいびょう)になって河内の杉山に隠居した。
第九世日有も●病(らいびょう)になり、第十二世日鎮は狂気になり、現在の十三世日院は中風を病み痴人のようになった」と。
日辰は大石寺日院上人に、通交と申し入れ、拒絶されたのでその腹いせに、大石寺の有名なご法主上人を皆、バカだ、中気だ、●病(らいびょう)だと書いたのである。
しかし、本門戒壇の大御本尊に対する悪口は、一言もいっていない。

次に日我は、観心本尊抄抜書に「久遠寺の板本尊今大石寺にあり、大聖御存日の時造立なり」といっている。
この日辰と日我はほぼ同時代の人で、共に大学者といわれた人であるが、同じ一つのことをぜんぜん反対に書いているのである。
どちらかといえば、日辰のほうは日尊の流れであるから、そんなに大石寺を目のかたきにしなくてもよさそうな立ち場である。
日我のほうが日郷の流れであるから、敵対の立場であるが、事実は反対の立ち場でみていることも、おもしろい対照である。

そして、日辰と同じ要法寺の日陽は、祖師伝付録に元和三年 ( 日蓮大聖人滅後三三六年〉に大石寺を訪れて「日本第一の板本尊」を拝したと、感激して書いている。
さらに同じく要法寺の三妙院日王、講頭某に送る書にいわく「大石寺宝蔵に安んじ奉る戒壇の大御本尊は最も大切にして…本門寺建立の時には本堂にかけ奉る大御本尊なること異論なし」と。
これら、いずれも、日蓮大聖人滅後三百年ないし三百四十年ぐらいの人々の記であり、富士大石寺に大御本尊との事実を、ありのままに認めているのである。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:04

 

61.ここに、戒壇の大御本尊に悪口をいう根拠も理由も何もなくなったわけである。
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 10時24分
その後、日寛上人( 日蓮大聖人滅後四四五年 ) が著述なされた対邪宗問答の「末法相応抄」にせよ「当流行事抄」にせよ、本門戒壇の大御本尊について疑難のなかったことを証明している。
また
「本迹問答十七条」( 日蓮大聖人滅後二百年ごろ〉
「辰春問答」 ( 滅後二五〇年ごろ )
「破七兵衛之邪問書」 ( 滅後五五〇年ごろ )
「砂村問答」 ( 滅後五五〇年ごろ )
においても、同じく方便品・寿量品法華経一部の読不読、さらには、本迹一致か勝劣か、造仏像の要不要などを論じているのみで、戒壇の大御本尊に対する邪難は、一つも見うけられないのである。

このように、日我、日陽、日王の言、また、その前後における対邪宗との問答の内容をみるに、
その当時は、大石寺にごく近い北山あたりの邪説を除いては、一般に、本門戒壇の大御本尊について、疑難をさしはさむ余地がなかったと思われる。

しかるに日蓮大聖人滅後五百六十六年、徳川末期の嘉永二、三年ごろ行なわれた「勝地論」では、初めて本門戒壇の大御本尊に対する疑難が現われてくる。
この「勝地論」と同じ年、あるいは、前後して行なわれた対邪宗との問答である要法寺日生の「大石破門 一二三 ( 「勝地論」と同年の嘉永三年 ) 「破愚邪正立論」 ( 同じく嘉永三年 ) 要法寺の智伝日誌 ( 後の玉野日志 ) の「破石金剛論」 ( 嘉永四年 ) にも、同じく「戒壇の板本尊と一機一縁の本尊」についての邪難が述べられている。
もちろん、これらの邪難に対しては、当時の先師が完全に破折を加えているのは申すまでもない。

本門戒壇の大御本尊に対する邪難が、本格的に起こってきたのは、明治十一年末、北山本円寺住職の玉野日志なる者が、日蓮正宗第五十五世日布上人に対し、書簡をもって、本門戒壇の大御本尊についての邪義をかまえてきたことに始まる。

玉野日志は、もと要法寺の僧であったが、驕才を認められて、滅亡に瀕した北山本門寺に迎えられ、売名のために問答をもちかけたのである。
玉野日志の論難は、日霑上人がすべて大破折を加えられ、玉野日志は大敗北を喫した。
結果、自らの非をさとって、本門戒壇の大御本尊に対する虚妄の説をわびている。
しかし、その後いくばくもなく、明治十五年、五十歳で死去して、すべては終わった。
ここに、戒壇の大御本尊に悪口をいう根拠も理由も何もなくなったわけである。

日辰の祖師伝には、●病(らいびょう)とあるが、もちろんそのような事実はない。
しかも戒壇の御本尊を板に彫刻したとは書いていない。
日志はこれを結びつけて、日有上人は戒壇の御本尊を板に彫ったため、●病(らいびょう)になったとまことしやかに書いている。
さらに日志の新説は、江戸時代末に、久遠院便妙が友だちに話した言葉だといって、大石寺にある戒壇の御本尊を日有上人が彫刻したと書いている。まことに「死人に口なし」で、お話にならない。

ところが、その後、すでに鎧袖一触に破折しつくされた玉野日志の悪口を、性こりもなく持ち出したのが、明治年間では、横浜問答で破折された国柱会の田中智学、顕本法華宗の本多日生、身延派の清水竜山、さらに清水梁山等であるが、あまりたいしたことはなく、いずれも日蓮正宗側から徹底的に破折されている。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:04

 

62.貴公ら「謝罪文でも書いて遁走」したら如何か?
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 10時25分
昭和の代となり、日蓮正宗創価学会が正法広布の大前進を開始して、昭和三十年三月十一日、かの有名な小樽問答で邪宗身延派を完全に打ち破ったことによって、身延派は滅亡の退勢挽回をはかり、身延派の学者を動員し町「創価学会批判」なるものを発行し、本門戒壇の大御本尊の悪口をいった。
ところが、まことに驚きあきれたことには、それはすべて破折しつくされた玉野日志の悪口のむしかえしにすぎないものであった。
心あるものの嘲笑をかい、さらに創価学会の「創価学会批判の妄説を破す」によって大破折を加えられ、完全に沈黙してしまった。

「創価学会批判」のなかで、彼らは、日憲の説をうのみにして、勧請形式 ( 身延派あたりは好んで勧請という ) なるものを持ち出したが、日憲が大きな間違いをおかしているので、まったくお話のほかであった。

そのほか「卑賤な弥四郎国重が願主であるのはおかしい」等の疑難があったが、釈迦在世においですら、寿量品を発起した弥勒菩薩が、文殊等と比較にならない低位であることを忘れてはならない。
大勇猛心をもって死身弘法の任にあたる弥四郎国重殿が願主で、その本門戒壇の大御本尊が第二祖日興上人に付嘱されたのに、なんの不思議とすることがあろうか。
そのほかも、まったく論ずるに足らないみじめな論難であった。

その後、同じ悪口を繰り返しているの、が、仏立宗の田中日広とか、顕本法華宗の窪田哲城、身延にやとわれた顕本の長谷川義一、身延派の石川泰道、星野日亮、国柱会の田中香浦、高田聖泉、本化妙宗連盟の高橋智遍等である。
内容はすべて身延の「創価学会批判」よりも低級なるものでまったくお話にならない。

特に、前立正大学教授であった身延派の安永弁哲は「板本尊偽作論」を著わしたが、その誤れる邪説を追及され、謝罪文を新聞に発表して逃げて行くえをくらますという醜態を演じた。
これは、歴代管長への悪口を並べたもので、身延派のなかでも批判されているようなしろものであるが、悪口のためのロジックがひどすぎるので、日蓮正宗布教会では、同年九月「悪書板本尊偽作論を粉砕す」を発行して破折を加えている。

『とにかく富士大石寺には本門戒壇の大御本尊が厳然とおわしまし、その偉大な功徳とご威光によって、創価学会は六百数十万世帯と全世界に大発展をしているのである。
すなおに信心して大利益をうける者と、あいかわらずとるにたらない非難・攻撃をして、無間地獄に沈むものとの現実の証拠はどうにもならないことを知るべきである。』

(※『』は当方が挿入。)
—————————————————————————————————

実に明快である。

このかつての創価学会の論文から激しく破折された気分は如何か?

1、この昭和43年11月21日 創価学会発行「日蓮正宗教学小辞典」の時期の「戒壇の大御本尊様」と今の「戒壇の大御本尊様」は別のものなのかどうか?

2、この昭和43年11月21日時点以降に「戒壇の大御本尊様」が偽物ということを証明できる新たな証拠が出てきたのかどうか?あれば明示せよ。明示できなければ貴公らは上記の創価学会の破折文により完全に摧破された訳だから、「謝罪文でも書いて遁走」したら如何か?
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:05

 

63.かなり苦しそうゃね。
 
名前:キトラ    日付:6月8日(水) 10時30分
マサシ君、学会が本物や、て言うてたから本物じゃ。
て、言いたいの?

今はもぅ天動説なんぞぉ信じてるヤツはおらんでぇ。←マサシ君は信用してるカナ
マサシ君の思考は平成2年で停止しとるなぁ。

 

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 メッセージ 67 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:05

 

64.盲信は害である!
 
名前:キトラ    日付:6月8日(水) 10時41分
弥生時代の始まりは定説より約五百年もさかのぼり、紀元前十世紀ごろとみられることが、国立歴史民俗博物館が発表したらしぃで。
放射性炭素(C14)測定法で、北部九州出土の土器を調べた結果やて。

マサシ君、戒壇板本尊もやってみたら、スッキリするでぇ(爆)

 

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 メッセージ 68 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:05

 

65.やれやれ、またコピーして悦に入る状態だよ
 
名前:一男子部員    日付:6月8日(水) 10時48分

マサシ君
ほんとにめでたい奴だな。
昭和43年11月21日 創価学会発行「日蓮正宗教学小辞典」
なんて、ただ「日蓮正宗の見解」をそのままいっただけでしょ。
昔の創価学会による「日蓮正宗を立てて守った」記述が「戒壇板本尊証明」かい。(爆)

皆がいうように学会員の価値観は変わってるんだよ。
俺達ヤング男子部世代は「大石寺や正宗寺院」なんて知らないよ。
もちろん「板本尊」なんて、いらないし。
早く公式見解で「ニセモノでした」とやってほしくてしょうがない。
こんなもの、新しい世代には必要ないからね。

マサシ君の長いコピー引用後のカキコも
「お願いです。学会員様サマ、昔に戻ってください。もう一度信じてくださいませ」との哀願にしか聞こえないぜよ。

しかし、「二箇相承」「板本尊」も肝心なところはコピー引用で
「戒壇の大御本尊に悪口をいう根拠も理由も何もなくなったわけである」
「貴公ら「謝罪文でも書いて遁走」したら如何か?」
では、妄想に陥っているとしか思えませんね。

宿坊さん、やっぱりこの人には客観的証明はムリみたい。

 

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 メッセージ 69 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:06

 

66.この世で一番低下の生き物である、「創価学会有志側」に相手をしてもらう必要は全くない。
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 10時58分
●【 戒壇の大御本尊様が鎌倉時代の御作であることは明証した。
御先師日達上人御指南
『大御本尊は楠の板で、その時分は鉋(かんな)がなかった、鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。(略す) それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます。』(略す)
この御指南に反論するのなら、それなりの根拠をもってせよ。
この問いに、貴公らの具体的な「客観的な証明」による反論は全くないではないか。
いつまで妄執に囚われて、明確な根拠のない己見に閉じ篭っているのか? 】

▼この日達の説法を文化庁等の関係機関、立正大学の教授クラスに直ちに持参し、読んでもらうべし。その結果「富士大石寺所蔵・弘安二年十月十二日造立とされる本門戒壇の大御本尊は、日蓮の真筆、板に謹刻の本物である」という結論が出たのなら、創価学会有志側もそれなりに相手にしてくれることであろう。
「それが真に学問をする者の学究態度であろう。」というものだ、わかるか。

——————————————————————

●本当に貴公は大聖人を「日蓮」と呼び捨て呼ばわりする信心のないしかも法義に昧い者の代表格である。

■一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり。

大聖人様の深遠なる教義の何たるかを知らない人に、何を「鑑定」できるというのか?
そういう謗法の人に「鑑定」を頼む必要など全くないほど、戒壇の大御本尊様は文証・理証・そして現証として真正の御本仏であらせられることは、信心を以って拝すれば容易に感得できることである。

前傾の創価学会教学部の論文をよく読みたまえ。

貴公らはお可愛そうに、戒壇の大御本尊様を拝すことができないから、それが悔しくて、ただ悪口を言っているだけの哀れ惨めな謗法者である。
しかもこれほど誹謗をしている大石寺のその二十六世日寛上人の御本尊のしかもその改竄・複製ものを拝んでいるとは!
この世に生まれた全ての生物の中でこれほど惨めな境遇の生き物もいない。哀れなものである。

世間でもかつては自分がその恩恵に浴してしたことから自分たちが離れたりするとその元のことを過剰に悪口をいう愚かで、みっともない人間がいるが、貴公らも結局、まさに同様である。

そんな、この世で一番低下の生き物である、「創価学会有志側」に「それなりに相手」をあえてしてもらう必要は全くない。
ただ貴公らが吐き出すその邪義を徹底的に摧破するのみである。
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 メッセージ 70 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:06

 

67.アハハハ
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月8日(水) 11時34分
ホラホラ!チンパンジーのマサ〜シタソ(-.-)リンゴとバナナやるからもっと芸やれや(爆笑)なんだ?そりゃ逆立ちか?そりゃ物事がひっくりかえって見えてさぞ気持ちいいだろが!?(*´Д`)=з…………orz

 

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 メッセージ 71 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:06

 

68.駄文はいいからさ、とっとと鑑定せい
 
名前:この世で一番低下の生き物とされた一男子部員(笑)    日付:6月8日(水) 11時39分

やっぱ日蓮正宗ってすげえとこだ。
大石寺の板本尊の真偽を問うと、

▼この世に生まれた全ての生物の中でこれほど惨めな境遇の生き物もいない。哀れなものである。

だってさ。おっかねー。

▼大聖人様の深遠なる教義の何たるかを知らない人に、何を「鑑定」できるというのか?
そういう謗法の人に「鑑定」を頼む必要など全くないほど、戒壇の大御本尊様は文証・理証・そして現証として真正の御本仏であらせられることは、信心を以って拝すれば容易に感得できることである。

なんだよ、これでは、ここにいる意味がないじゃん。
「板本尊は仏様なんだ。謗法者に手を付けさせられるか!」っていきがってたんじゃ、永遠に「客観的証明」はムリだよ。
これこそ、非科学的、非学問的じゃんかよ。
NO,64のキトラさんのいうとおりだぜ。
マサシ君が奉安堂から板本尊をはずして国立歴史民俗博物館へ持ってって、放射性炭素(C14)測定法で調べてもらいなよ。
そうすりゃ一発じゃんかよ。ここにいる俺たちゃ、吹っ飛ぶぜ。(爆)

板本尊はムリでもさ、「日達説法」なら今すぐ研究機関に送付できるよ。浅井センセーだって、あんなに「諌暁書」を公的機関に送りつけたんだよ。「日達説法」の方が「意味としては重大」だと思うからさ、すぐやってよ。

それに「信心を以って拝すれば容易に感得できることである。」ったって、ここにカキコする人は、みんな大石寺のいう「信心」はない人なんだからさ、その人達相手に「大石寺の信心」ったって、笑われるだけだよ。

ところで、
▼そんな、この世で一番低下の生き物である、「創価学会有志側」に「それなりに相手」をあえてしてもらう必要は全くない。

だと、いったい誰が、まともにマサシ君の相手をしてくれるんだろか。(爆)
マサシ君のカキコに反応してくれる人なんて、そうそういないぜ。(笑)

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:06

 

69.この往還を見た法華講員・創価学会員双方に貴公らの迷妄振りが理解していただければそれで十分
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 12時32分
▼君が引用した「説法」は学術的には何の意味もない。「本門戒壇の大御本尊の客観的証明」という主題に照らす時には、ただの駄文になってしまう。故人である日達の恥を晒し続けると、僧侶方からも怒られることだろう。
このような駄文を振り回し悦に入っているのは君だけだ。

●大聖人様を呼び捨てにし、その上、貴公らが疑惑する「戒壇の大御本尊」を日寛上人が書写された御本尊を勝手に改竄・複製した掛け軸を拝んでいる者が、斯様な言をなすには分に過ぎているというべきであろう。

——————————————————————
●【 『これは私一人が見て言うのではなく、皆様の代表として、正宗信徒の代表として池田先生にも拝させたのでございます。決して間違いございません。』
(昭和四十七年十一月二十日)
なんと!池田氏もこのことは確認しているとの事である。貴公は真実を真に探求したいのであれば池田氏に直接説い糾したら如何か? 】

——————————————————————

▼君の頭の中はやはり平成2年以前の思考だな。日蓮正宗・創価学会の僧俗和合時代における「創価学会首脳の日蓮正宗、並びに僧侶方への賛嘆、擁護発言」など、今日では「全部無効」である。これ活動家学会員の共通認識だ。「該発現」は山ほどあろう、しかしそれを引用するのは無意味であることを知れ。創価学会員の価値観は180度変わったのだ。

——————————————————————
●組織や、人物についての評価が変化するのは勝手だが、信仰の根本尊崇の対象に対する信仰心や認識が、破門以前と以降で、明確な「学術的な根拠」もなく180度変わる、その矛盾を突いているのである。

貴公は悩乱しているがゆえに、組織に対しての発言と、信仰の根本であった「戒壇の大御本尊」への発言と、惑乱混同している。
その迷妄を突いているのである。

何度言っても分からない頭にはくどく言い聞かせるが、
戒壇の大御本尊は創価学会出現する以前に既に大石寺におわしまし、初代牧口氏も二代戸田氏もその戒壇の大御本尊の有難さを感じたが故に創価学会員を戒壇の大御本尊の本へ引導し、三代池田氏も含め以下ほとんどの学会員がみな戒壇の大御本尊を信じ拝し功徳を感じたのである。
その戒壇の大御本尊は今も何も変わっていない。
なのに、貴公らの認識は180度変わって今は誹謗している。(この主張を為す者は貴公ら外れている学会員だけだが)

この大矛盾が道理の上から分からないとすればそんなものどもに真の「客観性」など理解できるはずはない。

ただ、この往還を見た法華講員・創価学会員双方に貴公らの迷妄振りが理解していただければそれで十分である。

ついでに周辺のゴミのような書き込みもよく見ていただいて、いかに品性がなく、頭が悪いか感じていただければより幸いである。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:07

 

70.ありゃりゃ(´∀`)
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月8日(水) 12時46分
オラたちが「ゴミ」だと!?こりゃいいや!o(_ _*)☆彡バンバン!!かくいうマサ〜シはバイキンマン。ミトコンドリア微生物以下だかんね(^-^)ノ~~アホのマサ〜シタソ!人間の世界からバイバア〜イ(爆爆笑!)

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:07

 

71.大聖人様の教義が創価学会破門以前と以後で変わるというのなら、「客観性」を明示せよ。
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 13時10分
●【 もし貴公の言う大石寺の『戒壇の大御本尊』様が偽物だというのなら、大聖人様がその他に真正の『本門戒壇の御本尊』を遺されていないわけが無い。 】
——————————————————————
▼「わけが無い。」とは誰に教わった。それが正しいとどうしていえる。
「君達の願望」がどうして「事実であった」といえるのか。
そこにはなんの「論証」もない、「客観性」もない、ただ、宗教的信念による「あってほしい」という願望だけだ。これこそ「学的追求には耐ええないもの」であり、自ら「学問的でもなんでもない」ということを吐露していることを知れ。
君よ完全に妄想にとりつかれているな。
——————————————————————
●では仏教哲学辞典(池田大作監修)でいきますかね。

あらかじめ言っておくが、大聖人様の教義が創価学会破門以前と以後で変わるというのなら、その教義的「論証」と「客観性」を明示せよ。
(貴公などにできるわけはないが・・)

【戒壇御本尊】

日蓮大聖人が弘安二年(一二七九年)十月十二日に御建立遊ばされた本門戒壇の大御本尊のことで、日蓮正宗総本山富士大石寺に御安置されている。

出世の本懐 

日蓮大聖人御建立の御本尊は、具さには親心本尊抄にお示しの通り、正像未弘の大曼荼羅で、人・法あり、人とは久遠元初自受用身即日蓮大聖人であらせられ、法とは寿量文底下種事行の一念三千の南無妙法蓮華経である。

人法異なりといえども即一箇であり一念三千即自受用身・自受用身即一念三千である。

末法相応の本尊については本尊問答抄(三六五・三六六)に、本尊の相貌については観心本尊抄(二四七・二五四)、報恩抄(三二八)および日女御前御返事(一二四三)等に詳しい。

さらに人法一箇の本尊については、御義口伝下(七五二・七五九・七六〇)等に明らかである。

なお本門の本尊、題目、戒壇の三大秘法の整足については、報恩抄(三二八)等にその名目が明かされ、三大秘法抄(一〇二一)にその実体が説き示されている。

 日蓮大聖人は御一代の間に幾幅か御本尊をおしたためになり、在家出家の弟子檀都に授与された。
これを一機一縁の本尊と申し上げるのである。
この一機一縁の御本尊は、大聖入滅後第二祖日興上人が本門寺建立の時は本門戒壇の大御本尊のもとに結集されるべしと命ぜられている。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:07

 

72.、『日蓮大聖人の出世の本懐が本門戒壇の大御本尊であることも、明白である。』
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 13時12分
 弘安二年九月、熱原の法難においてあらわれた熱原方面の信徒の強信をめでられ出世の本懐達成の時とされ

『同年十月十二日の戒壇御本尊の御建立となった。』

聖人御難事(二八九)に
「去ぬる建長五年 太歳癸丑 四月二十八日に安房の国都鋸邪の内東条の郷・今は郡なり、天照太神の御くりや右大将家の立て始め給いし日本第二のみくりや今は日本第一なり、此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年・弘安二年 太歳己卯 なり、仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつ(且)しろしめせり」   とある。

 この「余は二十七年なり」の御文を大聖人が難をうけられたのが二十七年であるというように解釈する説もあるが、これは甚しい誤りである。
その前にある釈迦の四十余年、天台大師の三十余年、伝教大師の二十余年というのは、皆出世の本懐を仰せられたものであり、それに比較して「余は二十七年なり」とは、日蓮大聖人の出世の本懐をのべられたことは明らかである。
それは「その間の大難は」から下は、その上の「その中の大難申す計りなし」と並説されていることからもなおさらはっきりするのである。

 また、『日蓮大聖人の出世の本懐が本門戒壇の大御本尊であることも、明白である。』

法華経方便品第二に「諸仏世尊は唯一大事の因縁をもっての故に世に出現したもう」とあり、釈迦の一大事因縁とは、爾前の経々を未顕真実ときらい、己今当の三説に超過せる第一の経なり、と説ける法華経であることはいうまでもない。

なにゆえ、法華経が釈迦の一大事たる出世の本懐となるか。

三大秘法抄(一〇二三)に
「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり」
と、すなわち三大秘法が含まれているからである。
そして、この「寿量品の事の一念三千の三大秘法」(義浄房御書・八九二) は、関目砂上(一八九) に「但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」と仰せられている。

この寿量文底・事の一念三千の三大秘法のご建立こそが、日蓮大聖人の出世の本懐なのである。

御義口伝上(七二ハ)には「又云く一とは妙なり大とは法なり事とは蓮なり因とは華なり縁とは経なり……此の五宇目蓮出世の本懐なり」とあり、また報恩抄(三二八)には「問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだ・ひろまらず一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」とある。
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 メッセージ 76 / 104 

 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:08

 

73.『日興上人の直筆の正本が富士大石寺に厳然としてあり、』
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 13時12分
 三大秘法は、開いて六大秘法になる。
すなわち、本尊に人あり、法あり、題目に信あり、行あり、また戒壇に事があり、義があるのである。
合すれば、本門戒壇の大御本尊の一大秘法になる。
しからば

『「余は二十七年なり」と示された出世の本懐は本門戒壇の大御本尊であることは了々たるものである。』

しかも、日興上人から日日上人への御諌状である「日興跡条々の事」には「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊……日日に之を授与す」とあり、この

『日興上人の直筆の正本が富士大石寺に厳然としてあり、』

また大御本尊の脇書に「本門戒壇の願主弥四郎国重」等とおしたためになっている以上、

『弘安二年十月十二日にあらわされた大御本尊こそ本門戒壇の大御本尊であり、これが出世のご本懐であることは一点の疑う余地もない。』

 日寛上人は観心本尊抄文段(富要四巻二一九)に次のように仰せられている。

「智者大師は隋の開皇十四年御年五十七歳四月二十六日より止観を始めて一夏にこれを説き、しかして四年の後同十七年御年六十歳十一月御入滅なり。わが大聖人は文永十年四月二十五日当抄(観心本尊抄)を終り弘安二年御年五十八歳十月十二日に戒壇の本尊を顕して四年後弘安五年御年六十一歳十月御入滅なり。ここに三事の不可思議あり。一には天台大師は五十七歳にして止観を説き、蓮祖大聖は五十八歳にして戒壇の本
尊を顕す。又天台は六十歳の御入滅、蓮祖は六十一歳の御入滅なり、これすなわち像末の教主の序豈不思議に非ずや。二には天台は四月二十六日に止観を始め、蓮祖は四月二十五日に当抄(観心本尊抄)を終る。天台は十一月御入滅なり、蓮祖は十月の御入滅なり、蓮祖は後に生れ給うといえども下種の教主なり。ゆえに義は前にあり。このゆえに蓮祖は二十五日に当抄を終り十月の入滅なり。天台は前に生れ給うといえども熟益の教主なり。ゆえに義は後に在り。このゆえに二十六日に止観を始め十一月の入滅なり、種熟の序豈に不思議にあらずや。三には天台・蓮祖同じく入滅四年已前に終窮究竟の極説を顕す寧ろ不思議に非ずや」と、

また結論して仰せには「なかんづく弘安二年の本門戒壇御本尊は究意中の究竟、本懐の中の本懐なりすなわちこれ三大秘法随一なり。いわんや一閻浮提総体の本尊なるがゆえなり」と、

『いよいよ日蓮大聖人の出世の本懐がなんであるかは明瞭である。』

『この戒壇の大御本尊は第二祖日興上人、第三祖日日上人と相伝遊ばされ、法灯連綿、今日まで富士大石寺に広宣流布の日を待って厳護されてき
ているのである。』
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 メッセージ 77 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:08

 

74.マサシ君、弱気だね。
 
名前:キトラ    日付:6月8日(水) 13時24分
マサシ君、君が強弁すればするほど法華講の諸君も不安になってるらしいで。
そりゃぁそうやろ、誰だって公的な第三者機関に鑑定して貰ろた方がスッキリすると考えるのが普通とちゃうか。

君の理屈は村の特異的な理屈じゃ、世界に公言したいならそれなりの事をせなアカン。

村の理屈を言とる場合か!君の脳は鎖国しとるんかぁ!

おまけ・・・俺がゴミやったら君はダイオキシンや!(爆)

 

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 メッセージ 78 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:08

 

75.マサ〜シよ
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月8日(水) 13時43分
そんな 日蓮邪宗流の講釈なぞここにいる誰もが重々承知だ!コピー魔もいい加減にせや(`へ´)

 

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 メッセージ 79 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:09

 

76.ねえねえおじさん、
 
名前:この世で一番低下の生き物とされた一男子部員(笑)    日付:6月8日(水) 14時35分

顕正会の幹部よりひどい状態になってきたよ。
もう、ネタがないんでしょ。
はっきりいいなよ「カキコに因縁つけて、コピーするしかやることありません」ってね。

おじさん、もういいよ、確かに頑張ったんだからさ。
でも、相当、カッコ悪かったけどね。
「因縁魔、コピー魔」はやめて、少しは建設的議論を開始したら?
見ていてつまんないよ。
ふぁー、ねぶぃ。

 

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 メッセージ 80 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:09

 

77.ちょっと貴公のレベルでは難しくて理解できないかな?
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 14時36分
●【 しかも、現存する御真筆御本尊のその全てに「本門戒壇」との銘記が為されていない以上、「本門戒壇」の銘記がなされている、現の「戒壇の大御本尊」様以外、真の出世の御本懐であられる御本尊はありえない。 】

▼君がここで、いくら寺の中で聞いた話を伝言したとて、なんの証明にもならぬ。ムダ口もたいがいにせよ。

●創価学会の公式な辞典=仏哲の見解を読め。

再掲 仏哲
「また大御本尊の脇書に「本門戒壇の願主弥四郎国重」等とおしたためになっている以上、

『弘安二年十月十二日にあらわされた大御本尊こそ本門戒壇の大御本尊であり、これが出世のご本懐であることは一点の疑う余地もない。』」

——————————————————————
●【 もし無いとするならば、それは大聖人様が、三大秘法の御法体を確立せずに御入滅になったということであり、それでは上行所伝の仏法が不完全のまま絶えたということになり、それでは大聖人様は不完全な仏ということになり、貴公らが仏宝と(一往表向きには立てている)大聖人が、完全な仏ではなかったということになってしまう。
もしそう考えているのならば貴公らは最早大聖人様を信仰する清純な仏教徒ではない。 】

▼本門戒壇の大御本尊なくば、どうして「三大秘法の御法体を確立せず」「仏法が不完全のまま絶えた」「大聖人様は不完全な仏」となるのか。
それは誰の教えなのか。
日蓮がかくいったのか。
日興がかくいったのか。
日蓮正宗の「作り話」によって、多くの信者が、「願望」を「存在した」と頭の中で「既成事実化」してしまい、「史実と異なる日蓮」を作り、そこに信をとらされているという「事実」にそろそろ気がつくべきであろう。哀れである。

●ここも簡単。仏哲から。
貴公、少し創価学会の教学を勉強したら?
繰り返し釘を刺していくが、もしこの仏哲の教義的見解が変わったのならその理由と文証を明示せよ。(できるはずないが、ま一応)

再掲 仏哲から

「法華経方便品第二に「諸仏世尊は唯一大事の因縁をもっての故に世に出現したもう」とあり、釈迦の一大事因縁とは、爾前の経々を未顕真実ときらい、己今当の三説に超過せる第一の経なり、と説ける法華経であることはいうまでもない。

なにゆえ、法華経が釈迦の一大事たる出世の本懐となるか。

三大秘法抄(一〇二三)に
「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり」
と、すなわち三大秘法が含まれているからである。
そして、この「寿量品の事の一念三千の三大秘法」(義浄房御書・八九二) は、開目抄上(一八九) に「但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」と仰せられている。

この寿量文底・事の一念三千の三大秘法のご建立こそが、日蓮大聖人の出世の本懐なのである。

御義口伝上(七二ハ)には
「又云く一とは妙なり大とは法なり事とは蓮なり因とは華なり縁とは経なり……此の五字日蓮出世の本懐なり」とあり、

また報恩抄(三二八)には
「問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだ・ひろまらず一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」とある。

 三大秘法は、開いて六大秘法になる。
すなわち、本尊に人あり、法あり、題目に信あり、行あり、また戒壇に事があり、義があるのである。
合すれば、本門戒壇の大御本尊の一大秘法になる。
しからば

『「余は二十七年なり」と示された出世の本懐は本門戒壇の大御本尊であることは了々たるものである。』」

●ということは、戒壇の大御本尊様が偽物だとしたら、大聖人様は出世の本懐を遂げられなかった、不完全な仏、ということになるではないか?
ちょっと貴公のレベルでは難しくて理解できないかな?
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 メッセージ 81 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:09

 

78.「創価学会折伏教本」ってばか本(笑)
 
名前:「品性がなく、頭が悪い」といわれた一男子部員(笑)    日付:6月8日(水) 14時50分
邪教を笑いましょう。

「創価学会折伏教本」より

三、日蓮正宗とは
日蓮大聖人の仏法の根本である本門戒壇の大御本尊と、唯授一人の血脈は、富士大石寺に伝えられています
この大石寺を総本山と仰ぎ、日蓮大聖人の仏法を実践して、広宣流布をめざしいている唯一の宗団が、「日蓮正宗」です。
日蓮正宗の僧俗は、本門戒壇の大御本尊を信仰の根本とし、唯授一人の血脈に随順して、自行化他の信心に励んでいます。この日蓮正宗の信仰によってこそ初めて成仏が叶うのです。

四、『ニセ本尊』を配布する創価学会
創価学会は平成五年十月に至り、突然、本尊を勝手に作成し配布し始めました。 〜中略〜
日蓮正宗では、この創価学会作成の本尊を『ニセ本尊』といっています。
 その理由は次の三点に要約(ようやく)されます。
  ○御法主上人の許可を受けていない
  ○総本山から下附(かふ)されたものではない
  ○創価学会が勝手に作成したものである   〜中略〜
しかも『ニセ本尊』は、正法に敵対する者の手によって作られたものですから、『ニセ本尊』には魔の力がこもっており、これを拝むと大謗法の罪によって厳罰を受け、永く地獄に堕ちる結果となります。


筆者⇒ この主張は、「創価学会は日蓮正宗内の教団」と勘違いしている。または「創価学会は坊主の言うことを聞かない法華講」程度の認識しかない。日蓮正宗の坊主は基本的な彼われの区別がついていない。


第二章 創価学会が正しいと思っている学会員に
二、〜中略〜あなたが執着している創価学会では、「日蓮大聖人の御精神を実践する」「大聖人の教えを広宣流布する」という言葉をさかんにいいますが、信仰の基本となる末法の御本仏日蓮大聖人の仏法の実態はありません。
すなわち、日蓮大聖人の仏法の根幹である本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈が創価学会にはないのです。

三 創価学会では、
 ○宗門はもともと謗法まみれだった
 ○今回の問題によって、宗門の謗法が次々と明らかになった
といっていますが、宗門は日興上人以来、富士の清流を厳格に守り、日蓮大聖人の仏法を今日まで正しく伝えています。

筆者⇒ 大笑! 血脈・相承書神話を創作し正統を詐称してきた邪教が何をいまさら・・・(笑)唯授一人血脈相承を証明しろ!


第六章 日蓮正宗に疑問を感じている創価学会員に
〜しかし、日蓮大聖人の仏法の一切を継承された御法主上人が、日蓮大聖人の教えに違背する過ちなど、犯すはずがないのです。

筆者⇒ こんなバカ話と日蓮大聖人となんの関係があるのさ。(笑)

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:10

 

79.「創価学会折伏教本」って「ばか本」としかいいようがないね(笑)
 
名前:「品性がなく、頭が悪い」といわれた一男子部員(笑)    日付:6月8日(水) 14時55分

〜日達上人はこの『遺誡置文』の御文について、
「血脈を受けてその法門に従って、そして法門の正邪を決めるのは貫首ではないですか。だから、貫首が己義を構えると考える人はとんでもない考えの人です。それでは血脈相承を受けてない人ということになってしまいます。血脈相承によってご法門を解釈していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります」(達全2−7−342頁)
と仰せられています。この日達上人の御指南を拝しても、創価学会の解釈が誤っていることは明らかです。

筆者⇒ 大笑!「日蓮系一寺院の住職は絶対完璧」などは、別に宗教次元でやる必要もなく、普通の人が読めば笑い話でしかない。常識で破折される。時は2005年、平成の現代、今この日この時、こんな駄文を信ずるほうがどうかしているよ。


〜中略〜
すなわち、御書の深義を正しく拝していくためには、極理の師伝である唯授一人の血脈相伝にもとづかなければならないのです。
日蓮大聖人は唯授一人の血脈相伝について、『御義口伝』に、
「秘すべし秘すべし唯授一人の相承なり。口外すべからず」(御書1796頁) と御教示されています。

筆者⇒ だまされるな! 相手は三宝一体の日興上人だ。それに御義口伝講義を聴聞したのは多数の身延山在の僧侶達だ。唯授一人などではない。

また第二十六世日寛上人は、『寿量品談義』に、
「今二十四代伝て大石の精舎にあり金口の御相承切紙相承、其の外種々の御相伝有るげにありと云云」(富要10−254頁)
と仰せられ、日蓮大聖人の仏法の奥義は、唯授一人の血脈相承によって伝えられていると御指南されています。

筆者⇒ だから邪教なのだ、御書で証明すべし。今の学会に日寛教学など関係なし!


創価学会は、御書さえあれば日蓮大聖人の仏法はすべて理解できると主張していますが、他門の日蓮宗も大聖人の御書を拝読していながら、邪義異説を唱えています。これは相伝がないからです。したがって、創価学会が「御書さえあれば相伝などいらない」と主張することは、日蓮大聖人や御歴代上人の御教示に背く、浅識・?慢謗法というほかはありません。

筆者⇒ その相伝によって邪教と化しているのが大石寺です。
幻信仰め!

〜中略〜「法体の血脈」とは、日蓮大聖人が末法万年の一切衆生を成仏に導くために、仏法の奥義すなわち本門戒壇の大御本尊を日興上人お一人に相伝された唯授一人の血脈をいいます。この唯授一人の血脈は、日興上人から日目上人、さらに日道上人へと伝えられ、現在、第六十七世日顕上人へと伝えられています。
この唯授一人の血脈に随順し、本門戒壇の大御本尊を無二に信ずる人に流れかようのが「信心の血脈」です。したがって、唯授一人の血脈を離れて「信心の血脈」はありませんし、衆生個々の成仏は、この信心の血脈が流れることによって初めて叶うのです。
 また、宗門では「信徒の成仏は法主によって決まる」などと主張したことは一度もありません。
 日蓮正宗の教えは、唯授一人の血脈に随順し、本門戒壇の大御本尊を信じなければ成仏は叶わないというものです。

筆者⇒ 寺に信者をつなぎとめたい坊主の与太話です、文証を示すべし。妄想、妄想

〜第五十六世日應上人は『本門戒壇本尊縁由』に、
「当宗に於て授与する処の御本尊は、一切衆生に下し置れたる此の御本尊の御内証を、代々の貫首職一器の水を一器に写すが如く直授相伝の旨を以て之を写し奉り授与せしむる事なれば…」(日應上人全集1−9)
と甚深の御指南をなされています。すなわち御本尊の御書写とは、本門戒壇の大御本尊の御内証を、時の御法主上人が唯授一人血脈相伝の旨をもってお写しあそばされること〜

筆者⇒ 「本門戒壇の大御本尊の御内証を・・・」ともったいぶっていうその精神構造にあきれる。正に大石寺が色相荘厳の爾前権経化している証明みたいな言葉です。

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:11

 

80.さあ、新しき時代をこの手で創りましょう!
 
名前:「品性がなく、頭が悪い」といわれた一男子部員(笑)    日付:6月8日(水) 14時57分

偉大なる覚者は、その時代の民衆と共に出現します。そして次代の求道者がその覚者の精神世界を探求し、覚者を「同時代を生きる導師・永遠の救済者」として再発見します。

バラモン教に行き詰った苦悩の衆生充満の時、釈迦は「求め求められ」法を説きました。そして時代の変遷の過程で、求道者は小乗、大乗経典を創造し、釈迦をインド応誕の釈迦から久遠実成の釈尊へと昇化させ、今日の仏教の基礎を創りだしました。
創造されし仏教は、インド、ネパール、チベット、中国へと伝承され、その過程で、森林の緑が経典の彩りとなり、渓流・大河の流れが経典の水脈となり、砂漠の飢え、乾き、砂塵が経典に強さを加え、国境の険しき山脈、山又山の雄大さがそのまま、経典をそびえ立つ大山へと成長させ・・・・と、生命の経典は大地により、水により、火により、風により、国土の空の慈愛により、更に民衆の喜び・悲しみ・涙・汗・血・生と死・生活の営みにより、新たなる価値を付加され、休むことなく歩き続けました。

末法の相「戦乱・社会騒乱・自然災害・疫病」極まった時、民衆の音声(おんじょう)に呼ばれるが如く・国土の響きに応ずるが如く人間・日蓮が出現し、民衆を、国土を、一閻浮提を妙法でつつみ、つつんだ日蓮自身も歴史のリズムにつつまれ育まれ「末法の本仏」として、「永遠の人」として蘇り、常に私達の生命に生き続けています。

時代の求め、新しい人・・・そして次代の旅人による新発見・・・蘇りし人・・・そして鼓動が聞こえ、明日の光が・・・終ることなき旅。

今の人、明日の人、未来の人・・・と、求めるものは変わります。止(とど)まることはありません。時の力が、民衆の音声(おんじょう)がその時代の生命の経典を創造します。

翻って、大石寺教学・・・宗派教学・・・これが次代の経典たりえるのでしょうか?
答えは・・・否! 過去の残骸になんの力がありましょう。時の流れが彼らを置き去りにします。又、彼らは「それでよし!」と叫び続けるのが常の習いになっています。

原点に直結し、過去に学び同時に未来を見つめ・・・聞こえくる未来の声に責任を果たすべく新しき創造者となる・・・。この営みこそが仏法の仏法たる所以でしょうか。

終わりし歴史は変えることはできません。未来の歴史はいかようにも創れます。創りましょう!新しき未来を!

 

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 メッセージ 84 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:11

 

81.顕正会員そっくりでしたね。
 
名前:「品性がなく、頭が悪い」といわれた一男子部員(笑)    日付:6月8日(水) 15時10分

樋田さんって、純粋真っ直ぐな顕正会員みたいだったな。
「国立戒壇って、創価学会も昔いっていたじゃないかー」をひたすらに
叫び続ける、ね。(笑)
だから同じことの繰り返しで、周囲は辟易、しまいには誰も相手にしなくなる、ってね。(笑)

 

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 メッセージ 85 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:11

 

82.マサ〜シへ
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月8日(水) 15時15分
おまえ昔 顕正会に居たの?(・_・;)
口調そっくりだよ アサイセンセイも言ってたって(笑)「マサ〜シ、オマエハパカダノ!?」(爆笑)o(_ _*)o☆彡バンバン!!

 

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 メッセージ 86 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:12

 

83.村の理屈は世界に通用せず
 
名前:「品性がなく頭が悪い」といわれた一男子部員(笑)    日付:6月8日(水) 15時36分

▼君の理屈は村の特異的な理屈じゃ、世界に公言したいならそれなりの事をせなアカン。

キトラさん、いいこというね。
これから世界広宣流布の時代だもんね。
村の理屈・・・ムリだね、これは。
世界に通用するためには「板本尊」=器物崇拝を撤廃し、久遠元初の法でいかないとね。

 

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 メッセージ 87 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:12

 

84.もう一度池田大作監修の仏哲にて勉強し直す必要があるようである。
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 15時42分
●【 以上の論法からいって、(略す)理の向かうところ必定である。 】

▼君よ、「幻に信を取る」ことなかれ。目を覚ますべし。

●論にならず。反論不要。

●【 さて、更にここが根本的なことであるが、この「戒壇の大御本尊」の御事は、まさに唯授一人の御相承にのみ伝わる御相伝である。
故に、「客観的な文証」がないのは当然過ぎるほど当然なのである。
(上古にそのものズバリの文献が無いのは、戒壇の大御本尊様の御事は日興上人のみへの密付嘱であったから、日興上人以外に戒壇の大御本尊様の真実の意義は知られていなかったし、密付嘱であるから敢えて伏せるべき内容であったからである。) 】

▼君の書き込みは、日蓮正宗は幻想信仰、妄想信仰である文証だ。
日蓮の教えのどこに「密付属」を伺わせるものがあるのか。
その「密付属」はいつになったら証明されるのか。これは他の人から痛いほど指摘されていることだ。
この前にて、「釈尊から上行への別付属」を引き合いに出してしまったのは、動転してしまっていることを露呈した、万人への生き恥さらしであったな。
—————————————————————————————————
●やはり大聖人様を呼び捨てにする、信心のない、しかも教義的に浅い人は理解不能だったようだ。

もう一度池田大作監修の仏哲にて勉強し直す必要があるようである。

再三釘を刺すが、教義的な変更があるとすれば、その理由を明示せよ。(無理だろうが)

【神力品の付属】 

釈迦が上行菩薩に対し説いた結要・勧持などの四付属のこと。
すなわち称歎付属、結要付属、正勧付属、釈勧付属をいう。
(中略)
 神力品の付属は別付属ともいい、嘱累品の摩頂付属を総付属という。
この神力品の結要付属の体は、妙法の五字であり、天台は五重玄の五字と説いている。

御義口伝下(七五二)に
「此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり神力品の付属是なり」  とある。

そしてこの妙法は神力品において上行に付属したゆえに釈迦のものでなく、上行のものとなったのである。
上行菩薩とは日蓮大聖人の垂迹の姿であり、本地は久遠元初自受用報身如来であられる。
よって神力品の付属は文底からみるならば、釈迦より、御本仏日蓮大聖人に妙法を返す儀式となる。

御義口伝下(七七〇)に
「此の妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ざるなり既に此の品の時上行菩薩に付属し給う故なり」  とある。

三大秘法抄(一〇二三)に
「此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」  とある。

また百六箇抄(八五四)に
「久遠名字より已来た本国本乗の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」  とある。
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 メッセージ 88 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:12

 

85.『仏法の奥義は、あくまでも師弟相対のうえに立っての、唯授一人の血脈相承以外にないのである。』
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 15時42分
血脈相承】

師資相承ともいう。
1人の大導師から唯一人の弟子に秘伝されるのが血脈相承である。
相承とは、相対授承のことで伝授法である。
仏法のみならず、世法のうえでも、秘法として、その道が絶えないように、ひとりの後継者をえらんで相伝されている例がよくある。

 『仏法は、三世にわたって、一切衆生を救うべき大法であるから、血脈相承の付属が大原則であり、清純に後世へ伝弘されていくのである。』

ゆえに正像末の三時にわたり、釈迦も、天台、伝教もこの方程式によって法を伝えた。
すなわち釈迦は迦葉に、天台は章安に、伝教は義真に、その所持の大法を伝授した。

このように、『仏法を流通するには師匠から弟子への、唯授一人の血脈相承によるのである。』

 『日蓮正宗の法門は、日蓮大聖人から日興上人へ、日興上人から日日上人へと、その後、代々と相承され、法燈連綿として、七百有余年間、広宣流布、王仏冥合の時を待ちつつ、清らかに伝授され、血脈相承されているのである。』

 日蓮大聖人はこの血脈相承について、本因妙抄
(八七七) に「日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり、相構え相構え秘す可し秘す可し伝う可し、法華本門宗血脈相承畢んぬ」とあり、また。御着口伝(七八三) に「秘す可し秘す可し唯受一人の相承なり、口外す可からず」と、

『唯授一人の血脈相承であることは明々白々である。』

日蓮大聖人から、二祖日興上人におゆずりなされたことは、身延相承書に「血脈の次第 日蓮日興」とおしたためになっている。

『血脈相承の大事なことは、立正観抄(五三〇)に「当世の学者は血脈相承を習い失う故に之を知らざるなり」とある。』

大聖入滅後百年ごろ、日什が現われて、経巻相承の邪義を立てた。
すなわち経巻を読んで大聖人の御真意を相承した、というのであるが、それは一方的なもので、相承とは、ゆずった者とゆずられた者がなくてはならない。
このような邪義はすでに破折しつくされている。

『仏法の奥義は、あくまでも師弟相対のうえに立っての、唯授一人の血脈相承以外にないのである。』
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 メッセージ 89 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:12

 

86.現実に三大秘法の大御本尊の法力・仏力は、富士大石寺に燦然と輝いており、
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 15時43分
【血脈相承書】 

血脈相承の次第を示す書。日蓮大聖人から日興上人に対する血脈相承書は、身延相承書(一六〇〇)、池上相承書(一六00)の、いわゆる二箇相承である。

この二箇の相承書は、日興上人への唯授一人の御相伝書であり、また、われわれ末弟一同に対する広宣流布達成の御命令書でもある。

日蓮大聖人は、弘安五年(一二八二年)九月、三大秘法のすべてを付属された総付属書、すなわち身延相承書を日興上人に与えられた。

身延相承書(一六〇〇)に 「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門私通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり。弘安五年壬午九月 日 日蓮在御判 血脈の次第 日蓮日興」

とあり、ここで日興上人を「本門弘通の大導師」に任ぜられ、さらに本門の戒壇建立を御遺命になられた。

この辺の事情について、堀日亨上人は、その著「富士日興上人詳伝」に次のように述べられている。

「身延にての御相承は、師弟不二・唯仏与仏の上の最大重事であり、時に取っての緊急処置であったと思う。ひろく公に道俗の衆議に問うという形式でな
しに、しぜんの情勢によりてしかるべくなされたものであると拝察する」と。

ついで、同年十月十三日御入滅の当日、武州池上邸において、日興上人を身延山久遠寺の総貫主と定められ、池上相承書を与えられた。

池上相承書(一六〇〇)に「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当たるべきなり、背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり。弘安五年壬午十月十三日 武州池上日蓮在御判」  

とあり、別して日興上人に身延山久遠寺の別当職を付属されたので、別付属書ともいう。

 これらの二箇の相承書は、日興上人が常持されていて、重須にあったが、天文九年(一五四〇年)大聖人御入滅後二五八年に、西山本門寺と北山本門寺の争いに武田勝頼の武力が加わり、北山本門寺の重宝は武田の武士により甲府へ押収されてしまった。

北山本門寺では甲府へ出向いて返還の交渉をしたが、そのうち武田家が滅亡したため、重宝は散乱してしまい、西山、北山とも必死に回収に努めたが、
ついに二箇相承は紛失したまま、現在に至っている。

 しかし、御真筆が行方不明であっても、紛失以前に拝見したという文献は数多く存在しており、紛失の二二年前、要法寺の日辰が原寸の通り自ら臨写したものが現存している。ゆえに、

『御真筆の行方不明を理由に、二箇相承に疑難を加えるのは明らかに誤りである。』

しかも、『日興上人が、宗門の総貫主として立たれたのは、当時としては、極めて当然であり、数数の疑難も後世になってなされたものばかりである。』

ともあれ、いかに日興上人への御相承を否定したところで、現実に三大秘法の大御本尊の法力・仏力は、富士大石寺に燦然と輝いており、創価学会員が、毎日の生活の中に功徳を実感し、さらに広宣流布の着々と実現しっつある現実を否定することはできない。
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 メッセージ 90 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:13

 

87.所詮、俄か作りの邪論・迷論など 「創価学会」に破折されつくされている
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 15時46分
【血脈の次第】

広くいえば血脈の次第は、各宗派や外道にも通ずるが、末法における日蓮大聖人の仏法の血脈の次第は、次のとおりである。
(中略)
血脈相承の順序が、日蓮大聖人から日興上人であることを示す。また、日興上人から日日上人、日道上人と、六十六世日達上人に至る血脈付法の次第をいう。
             
 三大秘法抄(一〇二三)に「此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮憶かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」とあるように、
仏教の真髄は、口決相承・血脈相承でなくてはならない。

『また日蓮大聖人の相承は、六老僧に対して平等になされたなどという迷論もあるが、それは血脈相承の本質からいっても歴史的にみても誤りである。』

●山人の迷論もここで破折され尽くされましたな。
一石二鳥である。
所詮、俄か作りの邪論・迷論など 「創価学会」に破折されつくされている。呵々
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 メッセージ 91 / 104 

 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:13

 

88.ハイハイハイハイ!(*´Д`)=з
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月8日(水) 15時59分
だからよ〜マサ〜シタソよ〜 大聖人の御書のどこに弘安二年の板曼陀羅なんて書いてあんだよ?
あと手斧の件だって日達発言だけだろ?あんなでけー楠が身延にあったの?密付属といいながら一間四面のどこに隠したの?漆はどこから?金箔はどこから持ってきて誰がやったの?日法?何者?
あとさ、板曼陀羅ってレプリカがあって今のは二代目って噂ほんと?オセーテ!マサ〜シタソ

 

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 メッセージ 92 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:13

 

89.相談しておいで。
 
名前:キトラ    日付:6月8日(水) 16時9分
なぁマサシ君、準レギュラー#ga.djmtgamwtj235adさんの質問にスハッと返答できんやろ。
ええとこ紹介したろ、『国立歴史民俗博物館』←ここで相談し。
千葉県にあるからマサシ君の所から近いやろ。駐車場も有るでぇ。(爆)

 

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 メッセージ 93 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:14

 

90.あとさ〜
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月8日(水) 16時10分
百貫坊が身延から板を背負ってきたんだって?無理じゃね〜の(笑)あと「かなと蔓」ってあったじゃん?マサ〜シはシラネ〜カナア?入信新しいもんな(笑)あれも嘘っぽいよな?(爆笑)忠臣蔵や三国志と一緒でさ、あとからドンドン話しが膨らんだんだろ?(爆笑)妄想捏造大石寺(笑)

 

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 メッセージ 94 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:14

 

91.これしかできんのか
 
名前:「品性がなく頭が悪い」といわれた一男子部員(笑)    日付:6月8日(水) 16時11分

おじさんも強情だなー。
いつまでコピー魔やってんの?
せっかく「純粋な顕正会」って誉めてやったんだからさぁ。
もうちょっと、違うことやってよね。
昔の資料など無効だよ、ってんのにさ。(笑)

 

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 メッセージ 95 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:14

 

92.期待はずれ
 
名前:「品性がなく頭が悪い」といわれた一男子部員(笑)    日付:6月8日(水) 16時16分

今日証明してくれるかもって、期待してPCに張り付いていたのにさぁ、時間の無駄じゃん、これじゃあ。せっかくの平日休みなのに。
いつまで期待をはずし続けるのかな。
「昔の指導」は、日顕宗破折研修でいっぱい読んで皆知ってるからもう、いらないよ。
これだったら、東京にでも行きゃあよかったな。

 

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 メッセージ 96 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:15

 

93.品性がなく〜男子部員さん(笑)へ(=^▽^=)
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月8日(水) 16時24分
いや〜無理じゃないすか?マサ〜シタソはガチガチの顕正会崩れの頭が豆腐だからさあ(´∀`)たぶんマニュアル以外の質問には全く手も足も出ないよ(笑)

 

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 メッセージ 97 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:15

 

94.コピーが証明?
 
名前:「品性がなく頭が悪い」といわれた一男子部員(笑)    日付:6月8日(水) 16時29分

じゃあ、一日コピーしまくりって?
それじゃあ、おいら、付き合いきれない。
かなとヅル伝説とか、百貫坊の話とか、少しは参考になるのが
聞けると思ったのにな。
つまんなぃ。

 

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 メッセージ 98 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:15

 

95.あとさ〜
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月8日(水) 16時32分
明治に熊田陽子、じゃなかった(爆笑)他門だった熊田葦城が鑑定してんだろ?今は当時より科学が格段に発達してんだから調べりゃいいじゃん!あっそうだ!!テレビ東京の「なんでも鑑定団」に出せばいいじゃん!?(´∀`)着物着た中島誠一郎が「う〜ん!この漆!いい仕事してますねえ!」くらい言ってくれるかもよ……orz(爆笑)

 

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 メッセージ 99 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:15

 

96.(untitled)
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月8日(水) 16時50分
マサ〜シタソさあ住職かなんかに怒られて逃げ出したんじゃないの?(爆笑)オカーチャンコワイヨーッてさ(σ・∀・)σププッ☆彡笑

 

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 メッセージ 100 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:16

 

97.もうあきた、出かけてきますわ
 
名前:「品性がなく頭が悪い」といわれた一男子部員(笑)    日付:6月8日(水) 16時58分

おじさんのこの一ヶ月の頑張りに敬礼!
そして、閉ざされた仏性に合掌。
村社会だけだと、つまらないし、人間小さくなるし、思考回路が狭まるし、早く目を覚まそうね。

 

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 メッセージ 101 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:18

 

98.創価学会発行の3000円の掛け軸を拝むことはは「器物崇拝」ではないのか?
 
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 17時1分
●【 こう見てくると、つまり、この「前提としての仮定」に「信」を取れるか、否か、の相違であろう。
結局、大聖人様の仏法は成仏の根源である三大秘法に信を取れるか取れないか、ということである。 】

▼仮定といいながら次の瞬間、「成仏の根源である三大秘法」とし、それを「本門戒壇の大御本尊」と暗示する、このような騙しはもはや通用せず。たいがいにせよ。

●論を成さず、反論不要。
——————————————————————
●【 もし、金口・金紙の御相承を否定するなら、とりあえず貴公あたりが御本尊を書いてみたら如何か?ないんでしょう?唯授一人の御相承なんて。だったら誰が書いていいの?御本尊を。 】

▼その「唯授一人の御相承」「金口・金紙の御相承」を前提とするのを邪教という。

●やはり莫迦ですね。
道理として再度詰問する。

「「唯授一人の御相承」「金口・金紙の御相承」を前提とするのを邪教という。」と言い「金口・金紙の御相承を否定するなら、とりあえず貴公あたりが御本尊を書いてみたら如何か?だって、貴公の考えでは、ないんでしょう?唯授一人の御相承なんて。だったら誰が書いていいの?御本尊を。いっそのことワープロ打ちでは如何か?」

更に再度詰問する。
教義的に明確に返答してみよ。
(周りのゴミでの中で答えられる者でもいいそ。相手にしてあげるから。)

「何故、大石寺の血脈相承の歴史を誹謗しながら、大石寺二十六世日寛上人が戒壇の大御本尊を書写された御本尊の改竄・複製掛け軸を拝むのか?」
「創価学会が直に本尊を顕せないのか?」
どこぞのゴミが言っていたが、
「創価学会発行の3000円の掛け軸を拝むことはは「器物崇拝」ではないのか?」

—————————————————————————————————
●【 もし書けないのなら何故書けないのか教えてください。全国の法華講員に。 】

▼創価学会で決めることだ。心配無用。

●まさに反論不能。呵々。教義的に説明できまい。
ゴミらはどうか?説明できる者いるか?

▼駄文も無用、直ちに「富士大石寺所蔵・本門戒壇の大御本尊」を客観的に万人が納得いくように証明せよ。

●反論不能の癖に開き直りか?
納得できないのは貴公らの謗法に毒されきった脳髄だけである。

直上の反問に返答してみよ。

——————————————————————
▼宿坊君、山人君は、負け続けのきみに仏法者としての慈悲を示してくれたが、ここでもただ、駄文を垂れ流し、それによって悦に入るだけの繰り返しならば、今度はギャラリーからも追い出されることを恐れよ。

●ギャラリーってもしかしてゴミらのことか?
ゴミでも少しは教義的に面白いこと言ってくれれば相手にしてもいいが、現状では全くつまらん。得るものがない。
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 メッセージ 102 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:18

 

9.ワシも
 
名前:準レギュラー#ga.djmtgamwtj235ad    日付:6月8日(水) 17時3分
サンダルつっかけてバーミヤンでメシでも食ってきますわ(#`ε´#)あそこの180円の餃子や390円のラーメンのがマサ〜シタソの駄文よりまだマシだわ………orz

 

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 メッセージ 103 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:19

 

100.勝利宣言・掲示板閉鎖A
 
名前:宿坊    日付:6月8日(水) 17時10分

現状、彼のなしていることは「コピーにつぐコピー」であります。

「ー昭和43年11月21日 創価学会発行ー日蓮正宗教学小辞典」
「日蓮正宗史の基礎的研究 山口範道御尊師」
「富士日興上人詳伝」
「日顕上人御指南」
「日亨上人御指南」
「御先師日達上人御指南」
これでは、自らの力量によりことをなそうという努力は、露ほども垣間見えません。
更に同じ論点を回り続け、完全に迷走状態に陥っている様も見えます。

そして、本日に至り、ついに下記の発言を呈するに至りました。

「大聖人様の深遠なる教義の何たるかを知らない人に、何を「鑑定」できるというのか?
そういう謗法の人に「鑑定」を頼む必要など全くないほど、戒壇の大御本尊様は文証・理証・そして現証として真正の御本仏であらせられることは、信心を以って拝すれば容易に感得できることである。」

「そんな、この世で一番低下の生き物である、「創価学会有志側」に「それなりに相手」をあえてしてもらう必要は全くない。」

要するに「客観的証明放棄の発言」であります。
ここにおいて本スレッドの主題「マサシの戒壇板本尊証明の掲示板」に照らす時、その本来のなすべき行為を自ら放擲したものと判断します。

たとえ数年かけてでも、建設的書き込みを行い「戒壇板本尊の客観的証明」という前代未聞の大業を成し遂げられんことを、との当方の「一縷の望み」も、僅か数日で完全に断ち切られたようであります。

これ以上の「同じ論点の蒸し返し」「創価学会に対する基本的認識欠如、迷走による意味無き揚げ足取り」「破壊的書き込み」「コピー引用」にはなんの意味もありません。
ここで、客観的証明不可能を露呈した、樋田昌志君の完全敗北を宣言します。

これまでの経験に照らして、樋田君との建設的議論は当面行なえないと判断いたします。故に宿坊主催掲示板への今後の書き込みは一切禁止、即刻削除といたします。以降の発言は自らがHP等を通して行なわれるよう要望いたします。

樋田君におかれては、上記11項目の質問にストレートに答えられる実力を、まずは養うべきでしょう。                        以上

 

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 メッセージ 104 / 104 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/09 22:20

 

101.勝利宣言・掲示板閉鎖@
 
名前:宿坊    日付:6月8日(水) 17時11分

勝利宣言・掲示板閉鎖
さて、この一ヶ月以上に亘り、日蓮正宗法華講・樋田昌志君と「本門戒壇の大御本尊は本物か?」を主題とし、様々な議論を重ねてまいりました。
この間、一貫して創価学会有志側が問うてきたのは以下の質問でした。

1 「本門戒壇の大御本尊」なるものの相貌を弘安二年十月十二日に日蓮大聖人が図顕し、その板本尊造立に大聖人が関わり、それを自身の出世の本懐とされたということを証明しなさい。日蓮大聖人が「本門戒壇の大御本尊」を、即御自身とされた証拠もです。

2 日蓮大聖人は唯授一人血脈相承をもって末法万年までの令法久住を期された。それは金口の血脈、法体の血脈といい、秘法を秘伝とするもので余人にはうかがい知れないものであり、広宣流布の時でも公開されることのないものである。という現在の日蓮正宗の教義の根幹、特に「金口の血脈、法体の血脈」が大聖人の教えであると証明しなさい。

3 日蓮正宗は、大聖人が唯授一人血脈相承により令法久住を期されていた根拠として「二箇相承」を引用しますが、これが日蓮真筆であることを証明しなさい。

4 日興上人は日目を後継に指名し唯授一人血脈相承をされ、以降その血脈法水が大石寺貫主のみに継承される根拠として日蓮正宗は「日興跡条々事」を引用します。又、この書が真筆であるがゆえに「日興遺誡置文」の「時の貫首」を当たり前のように「大石寺歴代貫主」と解釈しています。ならば、この書が日興真筆であると証明しなさい。

5 富士宗学要集一巻冒頭に有る「御本尊七箇相承」以下、各相承書が日蓮・日興真筆であると証明しなさい。

この質問に対し、樋田君は「直接回答」は行なわず、ただ、質問を裏付け補強するための当方の説に対して「揚げ足取り」に終始し、その後ダラダラと「万人をして飽きさせるような自説」を展開するのみでありました。

これにより、彼は宿坊、山人に一回ずつ、計二回、敗北を喫しております。
ここで「彼による直接証明の機会を残そう」「ズバリ証明の可能性はまだどこかにあるかも」との一縷の望みを託し、当掲示板を解説いたしました。

ここで、最近、加わったのが以下の質問であります。

1「二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在するということである。」の証明=日興上人による二箇相承書の写本の呈示。

2 日興上人が身延の貫主として入山されたというが、「身延の貫主」の客観的文証を提示しなさい。

3 身延に「板本尊」があった証明は?

4 離山後大石寺と北山どちらに「板本尊」があったのだ?

5 血脈相承されたはずの日目が住した大石寺に何ゆえ「二箇相承」が存在しない。

6 真筆である「宗祖御遷化記録」は日興上人から日目に相承されなかったのか。

これら質問に対し、樋田君は相変わらず「直接回答」は行なわず、相手をしてやろうという善意の人々の揚げ足取りに終始しております。

更に「この世に生まれた全ての生物の中でこれほど惨めな境遇の生き物もいない。哀れなものである。」とかに至っては、いかにHNで登場とはいえ、ここに登場するメンバー、更には理解、応援していただく皆様への許しがたい誹謗、と認識いたします。
このような趣旨の書き込みは以前にもありましたが、あまりにも低次元なもので、本題を急ぎたく捨て置いたものですが、ここに至っても、自ら信ずる邪教の害毒に起因するものであろう発言が目につくようになっております。