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メッセージ 43

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:30

 

418.勝手に閉鎖して まさに「遁走」したな。宿坊君
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月1日(水) 16時43分
▼戒壇板本尊に文証はあるのか?  ないのか?
→ 無い! 

いわゆる板本尊そのものの物証だけ。これでは客観的な証明はできず、大石寺という日蓮系自一寺院だけの「自主申告・出世の本懐」となる。

———————————————————————————————————————
●貴公はやはり、知能に少し問題がある方か?

▼「板本尊そのものの物証だけ。」

その御事がそのまま十二分に「客観的な証明」ではないか?
———————————————————————————————————————
御先師日達上人御指南

■「大御本尊は楠の板で、その時分は鉋(かんな)がなかった、鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。だから、あの御本尊は手斧削(けず)りである。それを見れば、すぐわかる。それを知らないで、『漆を塗ってあるから、あれは足利時代にできた』とか、最近は『徳
川時代にできた』などと、とんでもないことを言う。ところが、あれは、後ろを見ると、みんな、削った跡がちゃんと残っている。それを見ても明らかに鎌倉時代である」(昭和四十七年九月十二日)

■「その御本尊様は、もう六百八十年も前にできた板御本尊でございまして、これは、当時、鉋(かんな)というものがなかった、鎌倉時代でございますから。あの板御本尊様
は、明らかに鉋では造ってないのであります。
みんな手斧(ちょうな)、手斧といっても戦国時代あるいは室町時代にできた丁飽(ちょうな)でなくて、もっと古い、まさかりみたいな手斧で削られておるのでございます。それが歴然としてあの板御本尊に残っておるのでございます。それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます」(昭和四十七年十一月二十日)

この御指南に反論するのなら、それなりの根拠をもってせよ。
———————————————————————————————————————
この問いに、貴公らの具体的な「客観的な証明」による反論は全くないではないか。
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メッセージ 44

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:31

 

419.ここまで貴公らが卑劣漢だとは。ほんとびっくり!
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月1日(水) 16時45分
● 鎌倉時代に限定される「道具」で間違いなく彫られている「戒壇の大御本尊」

● しかも御相貌は正しく弘安元年以降の究竟せられた体相であられる。

日顕上人御指南
■「この日蓮御名に南無妙法蓮華経が具わり、また、妙法の五字七字はこれを所持
し給う日蓮大聖人の御当体たる、人即法・法即人の内証を御本尊として顕し給うのは、佐
渡以降に始められた御本尊のすべてに顕されてはおりません。すなわち、上行菩薩の御自
覚は既に宗旨建立にあり、久遠元初自受用報身の内証は竜の口発迹顕本に究竟し給うも、
これを御化導の上の御本尊に顕し給うにおいては、おのずから時期によって順序階梯が存
するのであります。
 今、端的にいえば、佐渡より身延に入られて、文永十一年、十二年、建治二年ごろまで
の御本尊は、外用の上の意義を表となし、内証の当体を直ちに顕されていないのでありま
す。建治三年より弘安に至り、特に弘安以降において如実に南無妙法蓮華経の中央直下に
日蓮の御名、御花押をお示しあそばされ、その上から御本尊の当体、当相に重大なる整足
が拝される御本尊においてこそ、外用を撤廃して直ちに内証の本仏の当体を示し給うのであります。

→ しかも「余は二十七年」との御書がある。それが弘安二年十月一日である。

→ 更に貴公らが例示した「立正安国会の図録」での弘安二年大聖人御真筆(と言われる)御本尊のその全てが、中央主題「南無妙法蓮華経」の真の「直下」には「日蓮」という御名と「御花押」があらせられない。(自分の目で確かめてみよ)

→ 戒壇の大御本尊様のみまさに「南無妙法蓮華経」の中央主題 直下にお名前と、御花押があらせられる。真に尊いお姿である。

→ 戒壇の大御本尊様が特段に大幅であらせられる。

→ 唯一の板御本尊である。(何度も言うようだがその板は鎌倉時代の手斧で削られている)

●相伝のない身延系の本尊を見ても、大聖人様御一期の御化導に沿っての御本尊様の体相の変化を領解して居る者など居ない。分かろうはずがない。

日亨上人御指南
■「然るに余門流の僧侶不相伝の侭猥りに曼荼羅を書き散して、僭越の逆罪とも思はざるのみならず・雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるベけんや、」

→ 鎌倉期のしかも弘安元年以前に弘安元年以降の御本尊様の体相を偽装して顕せるはずはない。

→ では、弘安元年以降の鎌倉期という限定された時期に、弘安元年以降の整足された御本尊様の体相を他の弘安元年以降の御本尊と整合性をもって、一点の間違いもなく顕せる人は、大聖人様以外に居ようはずがない。

→ 仮に鎌倉期内で時系が下ったとしても、上記の日亨上人の御指南の如く、御相伝のない者が全くの整合性を以って顕せるはずはない。

→ では、貴公らの疑惑は「後代の御法主が偽造したのではないか」との疑難に絞られてくるが、それはまさに上古の御歴代上人へ唾を吐きかける真に恐れ多い邪難である。

がしかし、それをも反駁すれば、鎌倉期と言えば、日興上人・日目上人・更に拡大して時代を下っても日道上人までである。御筆法は大聖人様と明らかに相違する。

この事は、総本山・霊宝御虫払い法要に参詣し、上記の御歴代上人御書写の御本尊を真摯に拝せば誰人も速領できることである。
また、大聖人様と全く別の御方である御法主上人が、大聖人様の筆法と全く同じにすることは不可能である。
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メッセージ 45

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:31

 

420.無法無慙の甚しきもの八大地獄は貴公らの為に門を開けり・慎まざるベけんや
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月1日(水) 16時46分
さて、更にここが根本的なことであるが、この「戒壇の大御本尊」の御事は、まさに唯授一人の御相承にのみ伝わる御相伝である。

日顕上人御指南

■「法体とは本門戒壇の大御本尊様であり、この戒壇の大御本尊に関する相承とともに金口嫡々の血脈相承があるということのみを、一言、日応上人様は仰せになっております。

この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、
身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」

→ 今の本題ではないが、二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在するということである。

■「この金紙は、簡単に申し上げれば、文献ということであります。
しかし、当然、この文献とは、いわゆる『本因妙抄』『百六箇抄』ではありません。
文献といっても、これは金口の文献でありますから、金口のなかにすべて含まれるのです。

 だから、日応上人が「金口嫡々相承」と示されておられますから、我見をもって考える
者は、金口というからには、そこに必ず万人に判るように、授者と受者が相対したところ
の形がなければならない。

つまり、仏様が、あるいは御先師が直接、次の方にお話しになり、それをまた、次の方が直接に聞かなければならないと考えるのです。

 たしかに、これが基本であります。
しかし、だからといって一器より一器への伝承は、必ずしもそうでなくてはありえないということはないのです。
ところが、そうでなければ金口は成り立たないというように、自分の勝手な我見で判断する者がいるのです。
実は、そのように唯授一人の相承について、自分の拙い我見でもって推し量ろうとするところに、種々の疑問や質問が出てくる元が存するのです。

 もちろん、大聖人様から日興上人様への相承は金口であります。
しかし、日興上人様も大聖人様の御講義を『御義口伝』として記し置かれたように、やはり唯授一人の金口の内容を御自身の御境界においてお示しになったものが存するわけです。

それが、すなわち金紙であります。したがって、金紙そのものが金口の意義を持っておるのです。

 例えば、日精上人が『家中抄』の道師伝に、日目上人は日郷に御相承されたという邪説
を破して、まさしく目師が道師に御相承を授けられたことを明かすなかにおいて、
  「別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり」(日蓮正宗聖典六九五n)
ということをおっしゃっておりますが、これはまさしく金紙であって、いわゆる直接、口
伝のみによって申し置かれたものだけではないわけです。

つまり、金口といっても、金紙として相伝されている内容もあるのでありまして、その基本のところだけは御理解いただきたいと思います。」


以上の論証で理解できないとすれば、貴公らの根性が腐り果てているだけであって、そういう者を救い難い 謗法者・一闡提人 というのである。

■「法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば、定めて獄卒迎えに来たって手をや取り候はんずらん。浅猿浅猿、十王は裁断し倶生神は呵責せんか。」

まさに、
無法無慙の甚しきもの八大地獄は貴公らの為に門を開けり・慎まざるベけんや

である。
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メッセージ 46

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投稿日時 : 2005/06/03 12:32

 

421.ほ〜〜?
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月1日(水) 17時7分
勝ったって?

何寝ぼけたこと言ってるの?

これからが更にいいとこなのに。

全国の皆さんが見てるんだぞ。

んじゃまあ、こっちの板へバシバシ破折の鉄槌をぶち込みますかね。

こっちには臆病者のミミズとかモグラとかネズミとかがウジャウジャ蠢いている巣窟ですものね。

更に面白い事になりそうですね。

ではよろしく。
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メッセージ 47

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:32

 

443.貴公の愚論など、詳細に検証すれば、他愛もない謗論ですね。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月1日(水) 22時16分
こんな愚昧な地獄行きの痴論をクドクド何度も言い返すより、お友達の宿坊君の一方的な遁走を嗜めたらいかがか?

貴公の愚論など、詳細に検証すれば、他愛もない謗論ですね。

ここでは、一方的に消されたり、書き込み封鎖されないことをお祈りしますよ。

頼みますね。

宿坊君にも気が向いたら参加するようにお伝え下さい。
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メッセージ 48

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投稿日時 : 2005/06/03 12:32

 

445.貴公らが大好きな、「生死一大事の血脈」が繋がらないと仰せである。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月1日(水) 22時42分
▼「ここに本門戒壇堂安置の板本尊が有るのが、日蓮大聖人出世の本懐の証明だ」と大石寺が主張しても通用するのは盲信者の間だけ。
———————————————————————————————————————
●ここは、山人の主張である。
宿坊はただそれをコピーしていただけ。
今更一方的に敗走した宿坊を相手にしても始まらぬ。

ここは、山人自ら、「自分は三大秘法の根幹の大御本尊様を信じ、拝することが出来ませんでした!」と満天下にその不信謗法の根性を、更にまた、前世の悪因縁を晒しているようなもの。

ではここで初めて山人に問うが、貴公はもしかして、あの偽造、掛け軸状に見せかけた、黒もカラーもごっちゃ交ぜで、一発多色印刷のニセ本尊を、有り難く押し戴いて拝んでいるのでしょうか?

もしそうならそう、違うのならこう、と表明してみませんか?

まっ、表明出来ても、出来なくても、痛烈に破折できるから、当方としてはどちらでもいいですけど。

さて、こういう不信謗法の者はどうなるのか。
大聖人様の御言葉をお互い拝そうではないか。

■「謗法不信の者は「即断一切世間仏種」とて、仏に成るべき種子を断絶するが故に、生死一大事の血脈之無きなり。」

貴公らが大好きな、「生死一大事の血脈」が繋がらないと仰せである。

心して無間地獄の準備をするべきではないか?

「山岳救助」どころの話ではない。呵々。
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メッセージ 49

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:33

 

446.こういう、前提の設定すら外してしまうところが謗者の謗者たるところか。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月1日(水) 23時9分
▼例えば西山本門寺、北山本門寺、保田妙本寺や、他の日蓮系寺院が全く同じく「内の寺に本門戒壇堂安置の板本尊が有るのが、日蓮大聖人出世の本懐の証明だ」と言ったらどうする? 単なる笑い話、ひとり言、妄想にとりつかれた随分とお気楽、おめでたい話にすぎないことだろう。
———————————————————————————————————————
●はい、ここも更に馬鹿が馬鹿を重ねた発言。

大体にして、「西山本門寺、北山本門寺、保田妙本寺や、他の日蓮系寺院」に「戒壇の大御本尊」様自体がおわさない。らしき御本尊すらおわさない。
前提自体が全くの根拠がなく、「貴公の言うことは、全くの、的外れ!」(かの新階氏を真似て。)

こういう、前提の設定すら外してしまうところが謗者の謗者たるところか。

こんな前提を平気で為す者は、「単なる笑い話、ひとり言、妄想にとりつかれた随分とお気楽、おめでたい話にすぎないことだろう。」

正に正論。呵々。
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メッセージ 50

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:33

 

449.今時の念仏・真言・禅・律等の大慢謗法・一闡提等より勝れたること百千万倍ならん。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月1日(水) 23時34分
▼大石寺が主張するのも同じで「自主申告出世の本懐」などは、笑い話のネタにしかすぎないことを知るべき。「自分達は血脈正統」という潜在意識から、絶えず高みから下を見下ろす習慣でものをいっても、一般常識の前には、はかなく消えることを知るべきだろう。
———————————————————————————————————————
●そうであるものを是と言い、そうでないものを非と言う。

ただそれだけのことなのだが、生い立ちの悪い、貧相な者どもは、僻み根性が強くて、正しく物事の是非が見極められないらしい。

まさに、一水四見で、境涯が低いと、正しいものが正しく見れない見本だな。

大体にして、一般常識から仏法の真偽を計ろうという見方が最早外道に堕している証拠である。

■「機に随って法を説くと申すは大なる僻見(びゃっけん)なり。」

山人君、「大なる僻見(びゃっけん)」で仏法を云々してはいかんね。

さて、ではそういう外道・外見に堕した山人君らはどうなるのか、また大聖人様の御言葉を共々に拝そうではないか。

■「我が弟子等の中にも「未得謂得未証謂証」の輩有って、出仮利生の僧を軽毀せん。
此の人の罪報具に聞くべし。
今時の念仏・真言・禅・律等の大慢謗法・一闡提等より勝れたること百千万倍ならん。
爰に無智の僧侶、纔かに法華経の一品二品乃至一部、或は又要文一十乃至一帖二帖等の経釈を習ひ受けて、広学多聞の僧侶に於て同位等行の思ひを成す。
之の僧侶は是くの如き罪報を得ん。
無智の僧侶尚是くの如きの罪報を得ん。
何に況んや、無智の俗男俗女をや。
又信者の道俗の軽毀尚是くの如し。
況んや不信謗法の輩をや。」

いや〜、今回の御言葉は特に厳しいですね。

■「何に況んや、無智の俗男俗女をや。
又信者の道俗の軽毀尚是くの如し。
況んや不信謗法の輩をや。」

貴公のような、与えて言って「無智の俗男俗女」
奪っていえば「不信謗法の輩」に対しては、殊に厳しいですね。

■「今時の念仏・真言・禅・律等の大慢謗法・一闡提等より勝れたること百千万倍ならん。」

より、更に深い罪ですって!
どうします?

いよいよ、「山岳救助」してもらわなくてはね。
いや、でも無理でしょうね、共々に■「今時の念仏・真言・禅・律等の大慢謗法・一闡提等より勝れたること百千万倍ならん。」ですから。

本当にどうします?
人事ながら心配ですよ。少しばかり。
貴公が慙愧の心でも起こせばもっと心底心配できるのですが。
この程度の人間で「人間革命」してなくてすみませんね。
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メッセージ 51

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投稿日時 : 2005/06/03 12:33

 

455.ここへ来る皆様の為に、再掲します。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 0時16分
宿坊君の勝手で突然の「勝利宣言」という遁走による書き込み閉鎖の為に、ここへ来られる皆様の為に

———————————————————————————————————————
▼戒壇板本尊に文証はあるのか?  ないのか?
→ 無い! 

いわゆる板本尊そのものの物証だけ。これでは客観的な証明はできず、大石寺という日蓮系自一寺院だけの「自主申告・出世の本懐」となる。

———————————————————————————————————————
●貴公はやはり、知能に少し問題がある方か?

▼「板本尊そのものの物証だけ。」

その御事がそのまま十二分に「客観的な証明」ではないか?
———————————————————————————————————————
御先師日達上人御指南

■「大御本尊は楠の板で、その時分は鉋(かんな)がなかった、鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。だから、あの御本尊は手斧削(けず)りである。それを見れば、すぐわかる。それを知らないで、『漆を塗ってあるから、あれは足利時代にできた』とか、最近は『徳
川時代にできた』などと、とんでもないことを言う。ところが、あれは、後ろを見ると、みんな、削った跡がちゃんと残っている。それを見ても明らかに鎌倉時代である」(昭和四十七年九月十二日)

■「その御本尊様は、もう六百八十年も前にできた板御本尊でございまして、これは、当時、鉋(かんな)というものがなかった、鎌倉時代でございますから。あの板御本尊様
は、明らかに鉋では造ってないのであります。
みんな手斧(ちょうな)、手斧といっても戦国時代あるいは室町時代にできた丁飽(ちょうな)でなくて、もっと古い、まさかりみたいな手斧で削られておるのでございます。それが歴然としてあの板御本尊に残っておるのでございます。それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます」(昭和四十七年十一月二十日)

この御指南に反論するのなら、それなりの根拠をもってせよ。
———————————————————————————————————————
この問いに、貴公らの具体的な「客観的な証明」による反論は全くないではないか。
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メッセージ 52

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:34

 

458.山人君の痴論が長くて愚痴っぽくて嫌だね。テキストが埋もれてしまうではないですか
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 0時19分
● 鎌倉時代に限定される「道具」で間違いなく彫られている「戒壇の大御本尊」

書き加え●更に、「本門戒壇」のと御認めは他の現存する御本尊には全く見られない。

● しかも御相貌は正しく弘安元年以降の究竟せられた体相であられる。

日顕上人御指南
■「この日蓮御名に南無妙法蓮華経が具わり、また、妙法の五字七字はこれを所持
し給う日蓮大聖人の御当体たる、人即法・法即人の内証を御本尊として顕し給うのは、佐
渡以降に始められた御本尊のすべてに顕されてはおりません。すなわち、上行菩薩の御自
覚は既に宗旨建立にあり、久遠元初自受用報身の内証は竜の口発迹顕本に究竟し給うも、
これを御化導の上の御本尊に顕し給うにおいては、おのずから時期によって順序階梯が存
するのであります。
 今、端的にいえば、佐渡より身延に入られて、文永十一年、十二年、建治二年ごろまで
の御本尊は、外用の上の意義を表となし、内証の当体を直ちに顕されていないのでありま
す。建治三年より弘安に至り、特に弘安以降において如実に南無妙法蓮華経の中央直下に
日蓮の御名、御花押をお示しあそばされ、その上から御本尊の当体、当相に重大なる整足
が拝される御本尊においてこそ、外用を撤廃して直ちに内証の本仏の当体を示し給うのであります。

→ しかも「余は二十七年」との御書がある。それが弘安二年十月一日である。

→ 更に貴公らが例示した「立正安国会の図録」での弘安二年大聖人御真筆(と言われる)御本尊のその全てが、中央主題「南無妙法蓮華経」の真の「直下」には「日蓮」という御名と「御花押」があらせられない。(自分の目で確かめてみよ)

→ 戒壇の大御本尊様のみまさに「南無妙法蓮華経」の中央主題 直下にお名前と、御花押があらせられる。真に尊いお姿である。

→ 戒壇の大御本尊様が特段に大幅であらせられる。

→ 唯一の板御本尊である。(何度も言うようだがその板は鎌倉時代の手斧で削られている)

●相伝のない身延系の本尊を見ても、大聖人様御一期の御化導に沿っての御本尊様の体相の変化を領解して居る者など居ない。分かろうはずがない。

日亨上人御指南
■「然るに余門流の僧侶不相伝の侭猥りに曼荼羅を書き散して、僭越の逆罪とも思はざるのみならず・雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるベけんや、」

→ 鎌倉期のしかも弘安元年以前に弘安元年以降の御本尊様の体相を偽装して顕せるはずはない。

→ では、弘安元年以降の鎌倉期という限定された時期に、弘安元年以降の整足された御本尊様の体相を他の弘安元年以降の御本尊と整合性をもって、一点の間違いもなく顕せる人は、大聖人様以外に居ようはずがない。

→ 仮に鎌倉期内で時系が下ったとしても、上記の日亨上人の御指南の如く、御相伝のない者が全くの整合性を以って顕せるはずはない。

→ では、貴公らの疑惑は「後代の御法主が偽造したのではないか」との疑難に絞られてくるが、それはまさに上古の御歴代上人へ唾を吐きかける真に恐れ多い邪難である。

がしかし、それをも反駁すれば、鎌倉期と言えば、日興上人・日目上人・更に拡大して時代を下っても日道上人までである。御筆法は大聖人様と明らかに相違する。

この事は、総本山・霊宝御虫払い法要に参詣し、上記の御歴代上人御書写の御本尊を真摯に拝せば誰人も速領できることである。
また、大聖人様と全く別の御方である御法主上人が、大聖人様の筆法と全く同じにすることは不可能である。
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457.えっ

 

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投稿日時 : 2005/06/03 12:34

 

459.ここは活気があっていいね!好きだ〜、こういう雰囲気!
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 0時21分
さて、更にここが根本的なことであるが、この「戒壇の大御本尊」の御事は、まさに唯授一人の御相承にのみ伝わる御相伝である。

日顕上人御指南

■「法体とは本門戒壇の大御本尊様であり、この戒壇の大御本尊に関する相承とともに金口嫡々の血脈相承があるということのみを、一言、日応上人様は仰せになっております。

この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、
身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」

→ 今の本題ではないが、二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在するということである。

■「この金紙は、簡単に申し上げれば、文献ということであります。
しかし、当然、この文献とは、いわゆる『本因妙抄』『百六箇抄』ではありません。
文献といっても、これは金口の文献でありますから、金口のなかにすべて含まれるのです。

 だから、日応上人が「金口嫡々相承」と示されておられますから、我見をもって考える
者は、金口というからには、そこに必ず万人に判るように、授者と受者が相対したところ
の形がなければならない。

つまり、仏様が、あるいは御先師が直接、次の方にお話しになり、それをまた、次の方が直接に聞かなければならないと考えるのです。

 たしかに、これが基本であります。
しかし、だからといって一器より一器への伝承は、必ずしもそうでなくてはありえないということはないのです。
ところが、そうでなければ金口は成り立たないというように、自分の勝手な我見で判断する者がいるのです。
実は、そのように唯授一人の相承について、自分の拙い我見でもって推し量ろうとするところに、種々の疑問や質問が出てくる元が存するのです。

 もちろん、大聖人様から日興上人様への相承は金口であります。
しかし、日興上人様も大聖人様の御講義を『御義口伝』として記し置かれたように、やはり唯授一人の金口の内容を御自身の御境界においてお示しになったものが存するわけです。

それが、すなわち金紙であります。したがって、金紙そのものが金口の意義を持っておるのです。

 例えば、日精上人が『家中抄』の道師伝に、日目上人は日郷に御相承されたという邪説
を破して、まさしく目師が道師に御相承を授けられたことを明かすなかにおいて、
  「別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり」(日蓮正宗聖典六九五n)
ということをおっしゃっておりますが、これはまさしく金紙であって、いわゆる直接、口
伝のみによって申し置かれたものだけではないわけです。

つまり、金口といっても、金紙として相伝されている内容もあるのでありまして、その基本のところだけは御理解いただきたいと思います。」


以上の論証で理解できないとすれば、貴公らの根性が腐り果てているだけであって、そういう者を救い難い 謗法者・一闡提人 というのである。

■「法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば、定めて獄卒迎えに来たって手をや取り候はんずらん。浅猿浅猿、十王は裁断し倶生神は呵責せんか。」

まさに、
無法無慙の甚しきもの八大地獄は貴公らの為に門を開けり・慎まざるベけんや

である。
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468.みなさん!おはようございます!今日もよろしくお願いします!
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 9時22分
>■「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。」


▼ 1281年・弘安4年4月 三大秘法禀承事 与大田金吾 P1022
霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か


富士一跡門徒存知事でも「日蓮大聖人は戒壇建立の場所は特定されていなかった。日興上人が奏聞した」ということが記述されています。

一 本門寺を建つべき在所の事。(聖典542) (日蓮宗宗学全書2-125)

彼の天台・伝教は存生に之れを用いらるるの間・直ちに寺塔を立てたもう。所謂大唐の天台山・本朝の比叡山是れなり。而るに此の本門寺に於ては先師何れの国何れの所とも之れを定め置かれず。

爰に日興が云わく、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり。然れば駿河国・富士山は、是れ日本第一の名山なり。最も此の砌に於いて本門寺を建立すべき由、奏聞し畢んぬ。仍って広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時必ず富士山に立てらるべきなり。〜 (御書p1607)


ご愁傷様です。

———————————————————————————————————————

● 本当に浅いですね。愚昧です。

この段は、本門戒壇の勝地はどこか?ということですね。
まず、文章の読み方から教えなくてはいけないようですね。やれやれ。

この富士一跡門徒存知事は、概ね五老の言い分、行体と、日興上人の主張、化儀との対比で構成されている。

全体を通読すれば、高校生位の古文読解力があれば容易に理解できるはずであるが、
「五人一同に云はく」等の語と、「日興が云はく」等の語が基本的に対になって構成されているのである。

従って、当該御文は、後段に、「爰に日興が云わく」とあるのであるから、前段には「五人一同に云はく」等の語が省略されているのである。

であるから、「此の本門寺に於ては先師何れの国何れの所とも之れを定め置かれず。」との主張は、五老の言い分であり、「本門戒壇」という最大深秘の御法門の相伝を受けていない五老が「本門戒壇」の勝地が何処であるか、などと知る由もないのであるから、この表現は至極当然。

しかも、「▼「日興上人が奏聞した」ということが記述されています。」などと、得意顔で書き込んでいるが、ここなどは、思わず貴公の学習程度を疑った。
「おい、大丈夫か?」と、問いたい所である。

奏聞=天子に申し上げること。

であり、当然ここは日興上人が天奏をされた事を記述されているのである。

日興上人御一人に「本門戒壇の大御本尊」の御相伝があるが故に、「広宣流布の時至り国王此の法門を用ひらるゝの時は、必ず富士山に立てらるべきなり。」と明示せられたのである。
至極当然中の当然である。

これまさに、貴公らが確たる根拠もなく疑難している「二箇相承」「百六箇抄」の内容が真実であることを裏付ける、重要な傍証ではないか。

貴公らがこの箇所を引文したことで、貴公らの疑難が如何に根拠希薄の、単なる、憶測による邪推・怨嫉に過ぎないことが益々鮮明になった。
ありがとう。

■「ぼう(謀)書をつくるゆへにかヽるあやまりあるか。」

誹謗・怨嫉の根性で腐っている眼で御文を捻じ曲げて引文するから、このような大恥をかくのである。

以後気をつけたほうがよかろう。

「ご愁傷様です。」呵々。
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467.とりあえ

 

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メッセージ 55

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:35

 

470.こんな「個人的見解」をこんなに公に発表していいのでしょうか?上位幹部に叱られませんか?心配です。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 10時7分
●>日興跡条々事 ■「一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。」(これ、前にも掲載しませんでした?日興跡条々事 が偽書であると言うのならそれを立証してください。)

「日興跡条々の事」に「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。」との重要極まりなく尊い御指南が遺されている。
(貴殿はこれを偽書と言いたいのだろうが、宗門古来からこの書は最重要書のお取り扱いであり、学会も発足以来真書であるとの主張をしてきたのであるから、貴殿がもし偽書と主張したいのならば古文献の研究としてのその明確且つ論理的な根拠を提示すべきである。)

———————————————————————————————————————
▼主張する側に「証明責任」があります。絵画の展示会に行って「この絵は○世紀の○さんの絵で」といわれて買おうと思いました。一応「本物? 本当に大丈夫なの?」と聞いたら係員が鑑定書も示さず「貴殿がもし偽作と主張したいのならば古画の研究としての、その明確且つ論理的な根拠を提示すべきである。」とお客さんにいうのかな?

———————————————————————————————————————
●本当に愚かですね。曚いです。おまけに謗法の害毒で根性が曲がってます。

では、貴公の論理的矛盾を突きますか。
「日興跡条々事」は「●学会も発足以来真書であるとの主張をしてきたのである」し、今も学会の公式見解では偽書とはしていない。

であるならば

1、貴公が敢えて個人的な見解として該書を「偽書」と「主張する」「証明責任」は貴公にある。理の当然である。
2、貴公が、学会公式見解と異なった見解を述べることができる立場は?
(こんな「個人的見解」をこんなに公に発表していいのでしょうか?上位幹部に叱られませんか?心配です。)
3、以上の点を踏まえ、再度要求する。

●貴殿がもし偽書と主張したいのならば古文献の研究としてのその明確且つ論理的な根拠を提示すべきである。

それも出来ずにただ「偽書だ、偽書だ」と喚いているのは、あまりみっとも良いものではないから、お止めになった方が賢明であろう。

■「賢きを人と云ひ、はかなきを畜という。」

それとも、日蓮正宗に古来から伝わる「本尊」に見せ掛けた、しかもその体相は貴公らが否定する「戒壇の大御本尊」様に酷似した掛け軸状のニセ物を拝み続けているが故に、やはり、■「はかなきを畜という。」との畜生界に堕ちて、道理がまるで解らなくなったか?

ご自愛下さいませ。
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メッセージ 56

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:35

 

483.貴公が如何に欺瞞に満ちて恣意的に騙る、詐欺漢であるか、よく見せていただいた。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 11時46分
●>百六箇抄に仰せの「富士山本門寺の本堂」に建立せられる「本門戒壇」のことである。


▼「百六箇抄」(P867)の「下種弘通戒壇実勝の本迹三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり。」についても、当書自体が日尊系の相承書であるということを踏まえなければなりません。

———————————————————————————————————————
●「踏まえ」てみたところで、貴公らが用いる「御書全集」に、明確に載っている以上、この文言を否定はできまい。

———————————————————————————————————————
▼内容に立ち入り解釈しても、「ここに示される『富士山本門寺本堂が大石寺であるという根拠』はどこにもない」ということを知るべきです。

●ではどこか?

貴公らは最早明確な「三宝」「三大秘法」を明示できなくなっている状態は、興門派富士五山の北山本門寺辺りの「狭義」と近似してきている。

では、北山本門寺辺りを「富士山本門寺の本堂」と決めるか?

そこら辺が貴公あたりにはちょうど良い「本山」か。

では、本尊はどうする?

「本門戒壇の本尊」には何を持ってくるか?

・・・なんとも浅はかな邪難である。

どうせ吐くなら、首尾一貫して論理が通っている「邪義」を展開したら如何か?

こいうのを龍頭蛇尾という。

ああ、おそまつ

———————————————————————————————————————
▼日蓮正宗関係者が本書を読む時「百六箇抄は大石寺の相承書である」という前提から始めてしまっていますので、「百六箇抄に示される富士山本門寺本堂は、広宣流布の時の大石寺」としてしまいます。

●貴公らが用いる「御書全集」には

「 百六箇抄(血脈抄)   弘安三年  五九歳 与日興
具騰本種・正法の実義・本迹勝劣正伝、本因妙の教主・本門の大師・日蓮謹んで之を結要す。
 万年救護写瓶の弟子日興に之を授与す云云。」

と明記されている。

「日蓮謹んで之を結要」し、「万年救護写瓶の弟子日興に之を授与」したのならば、まさしくこれは「大石寺の相承書」であろう。如何?

貴公は創価学会が公式に発行している「御書全集」の既述を否定するのか?

本当に大丈夫?

当方の考えでは、今回の一連の対論文を学会本部広報室か何処かへ照会して、現時の創価学会自体の公式見解との差異を確認する計画である。

その時、貴公らの立場は大丈夫か?

———————————————————————————————————————
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メッセージ 57

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:36

 

484.馬鹿の見本が額に入って展覧会で飾られているような箇所である。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 11時47分
▼しかし、百六箇抄は1400年代後半以降、住本寺僧であった日教乃至それ以降の人物によって大石寺に持ち込まれたと推考されます。

●「推考」される明確な根拠を挙げよ。

———————————————————————————————————————
▼少なくとも「大石寺の相承書では無い」ということは明らかになっています。

●上記と同様。
唯授一人の金紙・金口の御相伝の中に無いと断言できる明確な根拠を挙げよ。
———————————————————————————————————————

▼「富士山本門寺の本堂なり」のすぐ下に「上行院は祖師堂云云弘通所は総じて院号なるべし云云」
            【富士宗学要集 一巻十八頁】

とあるところからも明らかなように、本書は日尊系住本寺・上行院で伝承されてきたのであるから、この門流の派祖・日尊が、日興上人から聞かされたで「あろう」「本門寺構想」を、「当門流=日尊」として理想の「富士山本門寺」として記したと「推察される」。

→ 結果、この「富士山本門寺」とは日尊門流待望のものである、ということに「なる」。
(※「」→ は当方が挿入。)

●ここも、何度も言って失礼だが、馬鹿の見本が額に入って展覧会で飾られているような箇所である。

この御書全集に掲載の百六箇抄は、日辰本等が底本になっているから、「上行院は祖師堂云云弘通所は総じて院号なるべし云云」との既述があっても不思議ではない。

だからといってそれ以後の貴公の言い分は、「」で括った如く、全くの貴公の 想像・憶測・邪推・妄想・僻目・・の類の痴論である。

にも拘らず、最後 「結果、・・・・ということになる」と無理やり結論付けているのである。

真に粗い論の運びであり、正に「はかなきを畜という。」無様な醜態である。

貴公が如何に欺瞞に満ちて恣意的に騙る、詐欺漢であるか、よく見せていただいた。

真に幸甚である。

がしかし、そのような腐り果てた根性では間違いなく堕獄である事は必定である。

よくよく慎みあるべし。
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メッセージ 58

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:36

 

485.「大謗法の科甚だ重し。大罪報の至り、無間大城の業因なり。」
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 12時20分
▼この「百六箇抄」の大聖人真筆、日興上人写本等は無く、「上代において日尊門流に存在した」ということ『だけ』が史実なのです。故に、大聖人が「富士山に本門寺を建立せよ」といわれた「直接証拠」とはならない。

●はい、ここも貴公の偏向した思い込みによる邪推でしかない。

日亨上人はこの

■「下種の弘通戒壇実勝の本迹 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり。」

との御文には「一線」も「二線」も引かれていない。

では、日亨上人は「なに」を「基」にして、ここは「無線」でしかもその意義の真正さを認められたか?

日顕上人御指南

■「この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」

との御言葉を拝すると、通称「百六箇抄」と呼ばれるその御「義」が、金口・金紙として唯授一人の御相伝の中に伝わってきているということが領解できるのである。

であるから、門外漢で卑劣漢・詐欺漢の貴公が、何と邪推しようが、堕獄の業因を積むだけであり、「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり」の御義は、道理と御指南の指し示すところ、正に大聖人様からの御義であることは疑い得ない。

(根性が腐った者どもはどうか知らないが。)

はい、そこで、そういう謀者に対しての大聖人様の仰せを、また共々に御文に拝そうではないか!

■「三世諸仏の大怨敵と為り、十方如来成仏の種子を失ふ、大謗法の科甚だ重し。大罪報の至り、無間大城の業因なり。」

三世諸仏の成仏の根源である、三大秘法の義を破る貴公らは、まさに、

「大謗法の科甚だ重し。大罪報の至り、無間大城の業因なり。」である。
http://to

 

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メッセージ 59

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:37

 

160.ことらでよろしく。宿坊君も 山人君も 歓迎しますよ。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 17時33分
●※ 弘安二年のみならず大聖人御一期に御顕しになられた御本尊様の中で「本門戒壇」の御銘記があられるのは弘安二年十月十二日御建立の、正に今、日蓮正宗奉安堂に御安置申し上げる大御本尊様以外にはない。
もし他にあると言うのならそれを提示すべきであるし、

▼⇒ 何度もいいました。大石寺の板本尊は自主申告ですね。更に日興上人が添書きされた日蓮図顕本尊に「本門寺に懸け万年の重宝たるべし」というものがあります。

———————————————————————————————————————

●卑怯者で詐欺師には当方も何度でも言い聞かせるしかない。

今回は貴公の立場に立って少し言い方を変えてみよう。

客観性を求めるのなら、以下の前提をとりあえず仮定とする。

1、「戒壇の大御本尊」は大聖人様が顕された。
2、その「戒壇の大御本尊」は日興上人に密付嘱された。
3、そのことは唯授一人という血脈相承によって、お一人からお一人へしか伝持されていない。
4、その御相承は御相伝を受けた他の人には絶対に見せてはならないと、大聖人様からの厳命があった。
5、ただしその中でも信解・学解の進んだ者には開示しても良い内容も含まれていた。
6、がしかし、絶対に他言してはならない内容がある。
7、御歴代上人はこの厳命を堅持されてきた。
8、御相承の証は、御本尊書写の権能に極まる。
9、なぜか理由は分からぬが、御歴代上人以外は絶対に御本尊を書写してはいけない。
10、学会も昔も今もこれだけはとりあえず守っている。
11、しかし、なぜか分からない。
12、猊下以外、御本尊のこと、取り分けて戒壇の大御本尊のことは、どうして、どうなのかは全く分からない。
13、しかしこのことを裏付ける文献はあるものもあれば、直接証明出来ないものもある。

・・・・・

そして、かつての学会はこのことを深く信じ、功徳を頂き爆発的に増えた。

今、貴公はこの全てを否定し、信じることが出来ない。

こう見てくると、つまり、この「前提としての仮定」に信を取れるか、否か、の相違であろう。

結局、大聖人様の仏法は成仏の根源である三大秘法に信を取れるか取れないか、ということである。

貴公らには三宝・三秘法がない。
明示できない。→ ということは 邪教ということ。

日蓮正宗は上記の「前提としての仮定」には論理矛盾なく、問題は信じれるかどうかだけ。

つまり、貴公らは信じれない自らの不信謗法の罪業をくどくど満天下に向かって説明しているようなもの。

だから、当方は、貴公らの不信謗法の罪過を破折するのである。
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メッセージ 60

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:37

 

162.天に吐いた唾は自らに落ちかかる、という馬鹿の見本のような箇所である。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月3日(金) 0時18分
▼更に日興上人が添書きされた日蓮図顕本尊に「本門寺に懸け万年の重宝たるべし」というものがあります。

●大体にして、こういう設問だからにしろ、日蓮大聖人様を「日蓮図顕本尊」だなどと、呼び捨てに出来る貴公らの「信心の無さ」をまず呵責しておくものである。

次に、ここがまた山人、貴公の卑劣極まりない、詐欺漢と当方から呵責される所以であるが、貴公が示しているのは以下の御本尊である。

「弘安三年太才庚辰五月九日、比丘日禅に之を授与す、(日興上人御加筆右の下部に)少鋪公日禅は日興第一の弟子なり
仍て与へ申す所件の如し、(又同御加筆御華押と蓮字と交叉する所に殊更に文字を抹消したる所を判読すれば)本門寺
に懸け奉りて万年の重宝たるべきものなり。    東京 法道院。」

この御本尊がかの有名な、河辺メモの俎上に載られた、日禅師授与の御本尊である。

では貴公に問うが、この御本尊は、貴公の大好きな「立正安国会」の図録には(当たり前であるが)載っていない。

貴公の論法で言えば、「弘安二年の御真筆本尊は、この「立正安国会の図録」に載っている御本尊以外認めない、戒壇の大御本尊が弘安二年御作という証拠を出せ!」という立場だった。

では、今、何故に、その図録に載っていない、つまり貴公の言う、「真筆鑑定を受けていない」御本尊のことを、その脇書きを、自論を正当化する引証として用いるのか?

これ明らかに自語相違である。

もしこの御本尊を自らの邪難を正当化するために用いるのならば、御真筆であるという「証拠」を出だせ。早くせよ!

御真筆であるという証拠も出せずに、自己の正当性を証明するために用いるとは、まさに、貴公らが口汚く日蓮正宗を罵ってきたその罵声をそのまま自らに受ける事になる。

天に吐いた唾は自らに落ちかかる、という馬鹿の見本のような箇所である。

思うに貴公山人らは、このような策謀を暴かれるのを恐れて、勝手に書き込み封鎖し、あるいはまた書き込みを一方的に削除するなどして、当方の呵責の厳しい追求を逃れたのであろう。

謗法者の醜い末路は現前にある。

以後の生活はよくよく心して過ごすべきであろう。

而して命終の時は、定めし御戒壇様誹謗の極悪果の報いに慙愧の涙を流すことであろう。
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メッセージ 61

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投稿日時 : 2005/06/03 12:38

 

163.逃避・逃走・遁走している姿としての現証そのもである。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月3日(金) 11時0分
また、「騙る」に落ちた。な。

山人君(宿坊君は貴公の邪説をコピーして回っているだけの「噛ませ犬」だけの能力しかないことが判明したので、基本点には貴公、山人君を対象に)その欺瞞に満ち満ちた邪義の逐一を粉砕する。

———————————————————————————————————————
 
▼なんか・・・この前に一瞬光って、いったいなんだったのかな?

●当方からの書き込みをそこへ掲載し続けることが出来ないこと、それ自体が最早貴公らは、当方と論として対等に論じ得ない、つまり、自らの邪難の矛盾を当方から突かれる事から、逃避・逃走・遁走している姿としての現証そのもである。

———————————————————————————————————————


●※ 「弘安三年太才庚辰五月九日、比丘日禅に之を授与す、(日興上人御加筆右の下部に)少鋪公日禅は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し、(又同御加筆御華押と蓮字と交叉する所に殊更に文字を抹消したる所を判読すれば)本門寺に懸け奉りて万年の重宝たるべきものなり。 東京 法道院。」

※ では貴公に問うが、この御本尊は、貴公の大好きな「立正安国会」の図録には(当たり前であるが)載っていない。貴公の論法で言えば、「弘安二年の御真筆本尊は、この「立正安国会の図録」に載っている御本尊以外認めない、戒壇の大御本尊が弘安二年御作という証拠を出せ!」という立場だった。
では、今、何故に、その図録に載っていない、つまり貴公の言う、「真筆鑑定を受けていない」御本尊のことを、その脇書きを、自論を正当化する引証として用いるのか?これ明らかに自語相違である。
もしこの御本尊を自らの邪難を正当化するために用いるのならば、御真筆であるという「証拠」を出だせ。早くせよ!

———————————————————————————————————————

▼⇒ はい、立正安国会もなにも、永仁六年(一二九八年)の『弟子分本尊目録』をみましょう。
一、駿河の国富士上方の河合少輔公日禅は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し。

これが何を意味するか説明せずともおわかりでしょう。(笑)大聖人が日禅に三体、四体とご本尊を授与されたのですか。違うでしょう。「弟子分本尊目録」に日興上人が記されている記述と「弘安三年太才庚辰五月九日、比丘日禅に之を授与の本尊」は共に「少鋪公日禅は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し」で合致しているでしょう。紛れもなく、この「弘安三年太才庚辰五月九日、比丘日禅に之を授与の本尊」は日興上人時代から存在していた証拠であり、同時に日蓮図顕本尊であるということですよ。
———————————————————————————————————————
●ここである。まさに語る(貴公の場合は 騙る)に落ちる。である。

では訊くが、この「永仁六年(一二九八年)の『弟子分本尊目録』」が日興上人御真蹟であるということは何を「根拠」にしているのか?
お得意の「筆跡鑑定」でもしたのか?

明確に答え給えよ。

当方ではその「根拠」は把握しているが、貴公がその同じ「根拠」を出だしたならば即座に貴公らの欺瞞を暴けるだろう。

「古文献に造詣の深い」貴公が、まさかそんなドジを踏むとは到底考えられないから、きっと当方が予測しているのとは別の「根拠」を示してくださって、当方を閉口させることができるだろう。

期待してますよ。

まずは、その答えを見てから破折しましょう。

この件に関しては、「日興跡条々事」の正否の証明に関係あることだから、返答を逃げなさるなよ。
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メッセージ 62

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:38

 

164.■悪口と折伏(日淳上人全集)
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月3日(金) 11時1分
●※ 謗法者の醜い末路は現前にある。以後の生活はよくよく心して過ごすべきであろう。而して命終の時は、定めし御戒壇様誹謗の極悪果の報いに慙愧の涙を流すことであろう。

———————————————————————————————————————
▼⇒ 成長ないですね。(笑) 少しは「勇気・希望・情熱」の湧き起るような、明るいこともいいましょうね。(笑) 
呪いの日蓮正宗と、希望の創価学会の違いですね。

———————————————————————————————————————

●既に貴公らに明示してある。

理解できなかったようだから、(恐れ多いことではあるが)今回は文中に解説を入れる。
———————————————————————————————————————
 ■悪口と折伏(日淳上人全集)

■罵詈讒謗と折伏とは混間されやすいが、自ら正法を持ち正行を行ずるものが他の過悪を責むるは折伏である。

「自ら正法を持ち正行を行ずるもの」 一大秘法を厳然と受持信行している我々の立場が
「他の過悪を責むるは」 貴公ら慢高く執深き者がただ闇雲に一大秘法を誹謗するを責め呵責してるのは
「折伏である。」

■自ら正法を持つことなく又正行を行ずることもなくして却って他を言ふは悪口罵詈である。

「自ら正法を持つことなく又正行を行ずることもなくして」 正に貴公ら、三宝を明示できず、が故に正しき三宝への帰依=正行がない。
「却って他を言ふは悪口罵詈である。」 貴公らが血統正しい日蓮正宗に為しているのが、悪口罵詈である。

■一つはうちに正あって他の邪に迷ふを見て慈悲の念止む能はず彼が為に悪を除かむとする親の情により、

親が子の過ちを戒める時には、時に厳しい言葉をも用いるのである。それは何とか目を覚まさせようとする慈悲の念から出るのである。

■一つは自らの及ばざるに怨嫉を基として卑劣なる情によって起る。

貴公らはどう逆立ちしても、大石寺700年の伝統には及びもつかず、もちろん正統な三宝がない。それが為に起こる怨嫉から出でる所の卑劣な根性からの誹謗である。

■此の両者は結果に於ては区別し難いがその原因に於ては千里の逕庭がある。

貴公らはこの違いを区別できないのである。

■即ち正法受持の自覚があると否と、而して受持するところはたして正法なると否とによるのである。

正統な三宝もない貴公らは正に正法ではないのである。

■他の過悪を挙ぐることは易い、その非を嗚らすことも容易である。
けれども自ら正法を受持し正見に住することは至難である。

貴公らは700年間の歴史の中の僅かな瑕疵をあげつらって、その非を大仰に書き立てているだけの卑劣漢である。
そのような悪業背負った者どもであるから、一度は正法に巡り合ったのだが、悪因縁に曳かれて謗法の獄へ転がり落ちたのである。
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メッセージ 63

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投稿日時 : 2005/06/03 12:38

 

165.■近時自ら正法に住せずして巧に他を言ふものがある。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月3日(金) 11時2分
■今の世悪口罵詈讒謗毀(此言)は多いが真の折伏は少い。

これ貴公らの姿である。

■悪口罵詈は如何に巧なりとも一顧だにも価しないが、折伏は如何なりとも耳を傾けなければならぬ。

貴公らの妄言はまさに「如何に巧なりとも一顧だにも価しないが」当方は正法からの折伏であるが故に貴公らの肺腑を痛く貫くのであろう。それが苦痛であるが故に貴公らは当方からの呵責から逃避するのである。

■日蓮大聖人曰く
「体斜めなれば影曲がる」と

体とは法である影とは行人である。

■されば行人の曲れるは法の曲がれるによる
影を矯んとならば法を糺さなければならぬ。

法若し正しくして影が曲ればそれは行人の罪であって法の罪ではない、

五濁爛漫の当世、法をさしをいて一々の言行を批判すれば悪口に堕する、

当方は貴公らの謗法の罪過を指摘し、糾弾しているのである。
法を差置いて貴公らの言行を批判しているのではない。

■唯受持する法の邪正を決するが折伏である。

それをとことん決しようとしているのに貴公らが遁走しているのである。

■近時自ら正法に住せずして巧に他を言ふものがある。

これまさに貴公らの姿。

■徒らに奇言を弄して衆目を惑はさんとするものの如くであるが、

同上

■聞くところ見るところによれば悉く所謂悪口に過ぎない。

正に同上

■自らの智解の及ばざるを知らず浅見を以て他を論ずるが如くである。

正に正に同情、いや同上

■衆人先づ悪口か折伏かを批判して然るのちにその言を聴かむことが肝要である。 

当方から繰り出すものは以上の意義から言って、「悪口」ではなく「折伏」なのである。
ただ、貴公らにはそれが痛烈に響くが故に足掻いて「悪口」を当方へ浴びせている姿である。

                昭和六年六月  (大日蓮)
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メッセージ 64

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:39

 

166.我見に堕して救ふべからざるに到る誠に嘆ずべきである
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月3日(金) 11時4分
さらに、貴公らの不見識・不誠実な態度について、以下のお言葉を拝せ。

———————————————————————————————————————

■教義研鑽の態度(日淳上人全集)

 日興上人の御遺誡に曰く、
「御書を心肝に染め極理を師伝し、若し暇あらば台家を学ぶべきこと」と、
此れ実に聖祖の教義研鑽の羅針盤たるなり。

求道者にして若し此大途を踏みはづさば遂に祖教に体達するを得ざるなり。

御書を心肝に染めざれば聖祖の御霊格に親炙し奉るを得ず。
而して極理を師伝せざれば我見に堕するを免れず。

此二途完うして智見初めて具はるを得る

然るに古来聖祖門下に於て御書を手にすることを知つて、極理の師伝を知らずこれを忽がせにするもののみを見る、
此れが為に我見に堕して救ふべからざるに到る誠に嘆ずべきである。

今日異流百出教学の紛乱殆んど収拾すべからざる状態にあり、此の趨勢益々盛にして止まるところを知らぬ有様なるはその依て起るところ此の用意を忘れ眇目を以て祖書を妄断し未得謂為得となすが故である。

書を読むことは容易である、しかし書物の意を把むは難事である。
教を受くるは容易である、しかし教旨を体達するは難事である。

弘法空海に一を三と読むの大誤ありといはれ、無一不成仏を逆解する痴者ありしといふ。
天台に於て章安、孔子に於て顔回その旨を知るのみといふ。

もつて解しがたく達しがたきを知ることができる。

依つて真剣に道を求めるの士は常に此の弊に堕せざるの用意が肝要である。

即ち未だ到らざるなりとして、御書を拝すると共に極理の師伝といふことに心を置かざるべからず、

稍々 もすれば法によつて人によらざれの経文に執して強ちに人を斥けむとするものがあるが、此れ誤れる解釈にして師と法と合せざれば法によつて人を捨つべしといふなり、

師あつて法正しく法あつて師正しきを得、師言若し法に合せずとなさば躊躇することなく捨て更に師を求むべきである。
此場合我には遂に師あらずといはば上慢なり、中途にして挫折するは怯懦なり、
此二者はついに道を得ること能はざるべし、怯懦者は猶道を得る機あらんも上慢に於ては道を得べからず。

 方便品の中の「比丘比丘尼有懷増上慢優婆塞我慢優婆夷不信」を文句の四に釈して、上慢と我慢と不信とは四衆通じて有り、
但し出家の二衆は多く道を修し禅を得て謬つて聖果と謂ひ偏に上慢を起す、
在俗は矜高にして多く我慢を起す
女人は智浅くして多く邪僻を生ずと、

御義口伝に曰く
「此四衆は今は日本国に盛んなり乃至比丘比丘尼増上慢とは道隆良観等に非ずや、又鎌倉中の比丘尼等に非ずや、優婆塞とは最明寺優婆夷とは上下の女人に非ずや」と。

仏法を得ざるのみにあらず、かへつて仏法を失ふものは上慢と我慢とである。

仏法を行じて地獄に堕る人は十方の土の如しとは蓋し此の二慢を指すか、

上菩提を求むるものは省みて此二慢を捨離し、正法と正師とに帰せなければならぬ。

昔雪山童子が半偈のために身を投げし謙譲と真剣とは求道者の精神であらねばならぬ。

 然るに聖祖門下に於て如何にこの二慢の多きこと乎

御書を手にして一知半解我れ既に得たり師たりといつて慢執天より高きものあり、

此輩仏を破り法を濁す幾許なるを知らず、これこれを仏法の怨敵といふ。

求道者は師を択ぶに師伝曖昧にして法統明らかならざるものは、悉く此類として斥けざるべからず。

 正師とは日興上人とその門流あるのみ。昭和七年五月(大日蓮)
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メッセージ 65

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/04 12:11

 

170.『弟子分本尊目録』を真書と認めたのと同様の「根拠」は「日興跡条々事」にも存在する
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月3日(金) 22時11分
●※日興上人御真蹟であるということは何を「根拠」にしているのか?
お得意の「筆跡鑑定」でもしたのか?


▼⇒ 笑わせてくれます、バカ役アホ役は難しいのですが、マサシ君なら吉本でもそのキャラクターで十分通用します。
しかし反論できないマサシ君は今頃むきになっていますね、
何処の宗派も異論が出ていない『弟子分本尊目録』をさも偽書扱いにしているのは、トヨダ驚愕部長だけです。大石寺でも認知されていますがご存じないのでしょうか?
———————————————————————————————————————
●噛ませ犬の宿坊の登場ですか?

貴公は日本語が読めないのか?
当方は『弟子分本尊目録』を偽書扱いしていない。

貴公らが「真書」として扱うのであれば、その「根拠」を示せ。と指摘している。
その貴公らが『弟子分本尊目録』を真書と認めたのと同様の「根拠」は「日興跡条々事」にも存在する、ということを論証しようとしているだけである。

もし、貴公らがその「根拠」を明示できない場合は、明らかに恣意的・作為的・謀略的・詐欺的・に古文献を弄ぶ卑劣漢・謀略家だと弾呵するものである。


———————————————————————————————————————

▼大白法・平成7年12月1日刊(第445号より転載)御書解説(32)—背景と大意
http://66.102.7.104/search?q=cache:a6OwkByEi1sJ:www.nichirenshoshu.or.jp/jp/basics/gosho_explanation/032.html+%E5%BC%9F%E5%AD%90%E5%88%86%E6%9C%AC%E5%B0%8A%E7%9B%AE%E9%8C%B2&hl=ja


大白法・平成10年11月1日刊(第513号より転載)御書解説(67)—背景と大意
http://66.102.7.104/search?q=cache:qHf_QT-4pqsJ:www.nichirenshoshu.or.jp/jp/basics/gosho_explanation/067.html+%E5%BC%9F%E5%AD%90%E5%88%86%E6%9C%AC%E5%B0%8A%E7%9B%AE%E9%8C%B2&hl=ja


日蓮宗でも認知されている
日蓮宗 現代宗教研究所所報第33号:185頁〜
http://66.102.7.104/search?q=cache:MAySdudJGvkJ:www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho33/s33_185.htm+%E5%BC%9F%E5%AD%90%E5%88%86%E6%9C%AC%E5%B0%8A%E7%9B%AE%E9%8C%B2&hl=ja


日蓮消宗も創価学会批判のために使っている。
正師に無断で勝手に授与した学会本尊はニセ本尊

日興弟子分の本尊に於ては一々皆書き付け奉る事、誠に凡筆を以て直に聖筆を黷(けが)す事最も其の恐れ有りと雖(いえど)も、或は親には強盛の信心を以て之を賜(たま)ふと雖も子孫等之を捨て、或は師には常随給仕の功に酬(むく)いて之を授与すとい雖も弟子等之を捨つ。之に依って或は以て交易(こうえき)し、或は以て他の為に盗まる。此くの如きの類(たぐい)其の数多きなり。故に賜はる所の本主の交名(きょうみょう)を書き付くるは後代の高名の為なり(『富士一跡門徒存知事』全集1606頁)

http://66.102.7.104/search?q=cache:HQ5kpBtgov0J:members.at.infoseek.co.jp/netplane/syuso2-nisehonzon.html+%E5%BC%9F%E5%AD%90%E5%88%86%E6%9C%AC%E5%B0%8A%E7%9B%AE%E9%8C%B2&hl=ja

———————————————————————————————————————
●このような「根拠」が掲載されている「出所」のアドレスを聞いているのではない。
「根拠」そのものを問い質しているのである。

即答せよ。

『弟子分本尊目録』という古文献が、どのような「根拠」に依って、真蹟と認知されるのか?

明確且つ的確に返答せよ。

その返答は、まさに「日興跡条々事」を御真筆と証明する「根拠」に他ならない。

もし違うのなら自信を持って、上記のような曖昧なアドレス(既にアップされて無いアドレスまで含まれている)ではなく、貴公の研究成果としての「根拠」そのものを示せ。
それを以って、貴公らが如何に謀略家か奸智に長けているか、証明しよう。


———————————————————————————————————————

▼⇒ マサシ君は脇が甘すぎる、
代わりをよこしなさい。ゴキブリ法太郎をここにつれてきなさい。
マサシ君の役目は終わったのです。

●当方の破折の矛先が貴公に向くのが恐ろしいか?

早く根拠を出し給え。

その間、貴公らの愚論を呵責していよう。
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メッセージ 66

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/04 12:12

 

171.再三論述しつくして証明しているが貴公らは耳を塞ぎ、目を覆い、口を閉ざしているだけである。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月3日(金) 23時48分
●※即座に貴公らの欺瞞を暴けるだろう。

▼⇒ トヨダ驚愕部長反論不能に陥っています。

⇒ 弘安二年十月十二日に大聖人が「本門戒壇の大御本尊」の造立に関わったという
客観的証拠はまだですね。

———————————————————————————————————————

●ここは再三論述しつくして証明しているが貴公らは耳を塞ぎ、目を覆い、口を閉ざしているだけである。

そして戒壇の大御本尊様が密付嘱にして公の古文献に無いことを奇貨として、道理に反して馬鹿の一つ覚えに「客観的証拠、々」と吠え付いている馬鹿犬の様を晒しているだけである。

謗法の害毒によって、単なる道理が理解できないだけの 馬鹿 なだけである。

———————————————————————————————————————
●※「日興跡条々事」の正否の証明に関係あることだから、返答を逃げなさるなよ。

▼⇒ 「日興跡条々事」 日興真筆であるとまずは証明してください。

———————————————————————————————————————

●ここも既に説示してしている。

御霊宝御虫払い法要時にまさに猊下からの御指南があられる。
日興上人の「日興跡条々事」の草案を目の当たりに拝すことが出来るのである。

しかも、日亨上人は、聖教文庫発行の「富士日興上人詳伝」に於いても、該書を「正資料」とお扱いになられ、「正本大石寺に蔵す」と言われているのである。

こういう古文書研究では、貴公の好きな「他の日蓮宗」からも尊敬を集めておられた日亨上人が、疑いも無き正資料として認定されている文書に疑難を為すのは、ただ偏に戒壇の大御本尊様を否定せんが為の、貴公らの偏執によるところの邪眼で見るからである。

———————————————————————————————————————


▼⇒ 過去、400年間に登場した「日興跡条々事」の文面を確認して見たのですか。

⇒ 「日興上人大石寺の御置文」 (富要二巻・連陽房聞書 P145)

1476年・文明八年五月廿三日、

9世・日有が喋ったものを、四国土佐の連陽房が聞書した後、弟子の大円日顕に伝えた文書。                   

(尚、文中の記述「最後ノ五百歳闘諍堅固ハ今ヨリ96年也」から計算すると、1456年・康正二年に、日有が連陽房に語ったと推測されます。大聖人入滅、174年後です)                       
「一、日蓮聖人も武家に奏したまふ日興も只武家に訟へたまふ、爰に日目上人元めて国王に奏したまふ、去る間だ

『日興上人大石寺の御置文に云く

 天下崇敬の時は日目を座主として日本乃至一閻浮提の山寺半分は日目之を配領すべし、 其の余分自余の大衆是れを配領すべし』

と云へり、日興の遺跡は新田の宮内卿阿闍梨日目最前上奏の人たれば大石寺の別当と定む

『異本に云く

寺と云ひ御本尊と云ひ墓所と云ひ』

と遊ばし置きたまひ畢りぬ、末法万年未来永々まで大石寺の別当日目で御座す事を人知らずして、上代に流布あらばこそ左様にも有らめ末代に天下御信用あらば座主誰にてか有らんずらんと、此の自讃により洛陽辺土の弘通者達日々夜々に弘通責伏有り、但し智慧の弘通なれば迹門なり迹門の時は高租日蓮聖人の御本懐に非らず必ず元三より歟已上、日目独り出世の本意にまかせて愚者の責伏・愚者の上の弘通なり、当時教機義時国相応の本門なり、只偏に兵者のみ乱を待つて運を開く道理に任せて爾なりと已上  」

⇒ この時代は、「日興上人大石寺の御置文」「異本」の二つの書ですね。これはどういう意味でしょうか? 「未聞未見の譲り状」の初登場といえますね。

現在大石寺版の「日興跡条々事」の原本と違いますね。 (^。^)
まだまだてんこ盛りですがどうしましょう。

———————————————————————————————————————
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メッセージ 67

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/04 12:12

 

172.何か問題でも?
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月3日(金) 23時49分
●これが何か問題でもあるのか?

貴公が言うとおり、この書は、概略「第9世・日有上人が仰ったことを、四国土佐の連陽房師が聞書した後、弟子の大円日顕師に伝えた文書。」 である。

しかも貴公の言うが如き、
(尚、文中の記述「最後ノ五百歳闘諍堅固ハ今ヨリ96年也」から計算すると、1456年・康正二年に、日有が連陽房に語ったと推測されます。大聖人入滅、174年後です)        
はどうであれ、この聞書きを相伝されたのが 文明八年五月二十三日 であるから、1476年。
日興上人が大石寺建立がなり、日目上人へ御内付されたのが、1290年だから、その186年後である。

このような経緯の中で、日興跡条々事の御文がそのまま正確無比に伝わるというほうが無理である。

しかも、義に於いて、条々事の

「一、本門寺建立の時、新田卿阿闍梨日目を座主と為し、日本国乃至一閻浮提の内、山寺等に於て、半分は日目
  嫡子分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之を領掌すべし。」 は

「天下崇敬の時は日目を座主として日本乃至一閻浮提の山寺半分は日目之を配領すべし、 其の余分自余の大衆是れを配領すべし」

と同義であるし、

「一、大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。」は

「異本に云く   寺と云ひ御本尊と云ひ墓所と云ひ  と遊ばし置きたまひ畢りぬ、」と、

ほぼ同意である。

まさに正本が元と成り、その内容を日有上人が「お話になり」それを、連陽房師が「お聞きになり」、更にそれを日顕師へ「相伝=相対で伝える」されたのであるから、
正本と語句が若干違うのは当然過ぎるほど当然である。

更に、貴公は、「異本」についても難癖をつけたいようであるが、全然問題ないのである。

日亨上人は条々事について、

「誡めの状、祖滅五十二年、富士の長老日目日仙日善三師の置文にして正本二通総本山にあり入文は「為失」と「失ならん」との異のみ、但し日善の筆か。」

とあり、御正本の他に異本=写本が上古からある事を御確認されている。

だからと言って内容的にはほぼ同意であり、これがあるからといって正本に問題があるのではないか、などの問難は当たらない。全くの的外れである。

再度いうが、何か問題でも?
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メッセージ 68

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/04 12:12

 

173.当方”不勉強”にて。破折はそれから。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 0時0分
▼・ 日興跡条々事の内容は不審点が多い、故に公の鑑定を受けるまでは、真書扱いはできず、状況証拠では偽書になる

その理由は

・ 日蓮大聖人入滅194年後に世に登場し、相承とやらの内容を掌握している大石寺貫首が、400年かけて出した文面が全て違っている。なぜでしょう?

———————————————————————————————————————
●何の文献か?
当方”不勉強”にて、貴公が言う文証を知らず。
明示されたし。

———————————————————————————————————————


▼・ 近代に至り、大石寺貫首等が「本書、下書きが有るんだ」などと言いだした。指摘、 批判され、その後に出てくる「本書、下書き説」とは?


・ 過去に公開した歴代貫首は「本書、下書き説」など一言もせず。それが正しかったら、なぜ言わなかったのか?


・ それ自体が「本書、下書きの存在など無かった」ことの証明といえる。


・ 真偽を追求されて出てきた「本書、下書き説」こそ辻褄合わせが、ばればれだ。

———————————————————————————————————————
●ここも具体的に文献に於いて明示せよ。

当方”不勉強”にて。

破折はそれから。

以上。
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メッセージ 69

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/04 13:42

 

174.「紅の歌」の指揮のタクトだけを黙々と、口にガムテープを貼って、振ってい給え。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 10時33分
▼ふー、今日は一日出っ放し。めいっぱい仕事をやって、会合二つハシゴして、最後に「紅の歌」の指揮をとって、打ち合わせをやりながら飯食って、家に着いて、ヨッコラショッ、とね。(笑)
でも後一ヶ月、ガンバリましょう!
と、チャンネルを切り替えて。(笑)

●それはそれはご苦労様。

▼法華講員さん、あなたも都合のいい方ですね。ほんとにもう(笑)
今迄、法華講員さんの指摘・疑問につき、大半以上真正面からお答えしてきましたが、それに対する再反論はほとんどなく、ただ間口を広げ、いいたいことを言うだけいい、「罰論」を振り回すだけでしたね。

こちらは怪談義は無視し、明確にお答えしてきたつもりですが、今回も又、NO496で答えたものにつき、その返答もなく、間口を広げるのですか?

この世の中には「教えてあげません、自分で考えなさい」という言葉もあるのですよ。
勉強している子供が答えを親に聞いてばかりいるのでは、なんの勉強にもなりませんよね。

「かあちゃんなんか、どうせこの問題できっこないんだろう。ばかばか、母ちゃんは勉強しないで遊んでばかりで0点取って、おばあちゃんにおこられていたんだろ。ばかだ、母ちゃんはばかだ。おまけにあほ、でぶ、ブスだ気持ち悪い、あっちへ行け」
なんていわれても、ちゃんと健気に教えてあげるお母さん。
でも、きちんと「なにいうの、教えてあげたでしょ。悪いこといってごめんなさい、と謝りなさい。そんな駄々こねたり、悪口聞いてるとお友達もいなくなっちゃうよ。」と指摘しますよね。
今のあなたがこの子供役です。(笑)

———————————————————————————————————————
●※ もしこの御本尊を自らの邪難を正当化するために用いるのならば、御真筆であるという「証拠」を出だせ。早くせよ!

▼と、いわれてスパッと出しました。お宅の宗派にある本尊なのにね。(笑)

———————————————————————————————————————

●どうも貴公は「紅の歌」の指揮でお疲れのようだ。

それとも、当方からの詰問に返答できない、何か疚しい訳がおありのようだ。

その貴公が提示した、
———————————————————————————————————————

▼「日興上人が添書きされた日蓮図顕本尊に「本門寺に懸け万年の重宝たるべし」
———————————————————————————————————————

という、御本尊は、

———————————————————————————————————————

●「弘安三年太才庚辰五月九日、比丘日禅に之を授与す、(日興上人御加筆右の下部に)少鋪公日禅は日興第一の弟子なり
仍て与へ申す所件の如し、(又同御加筆御華押と蓮字と交叉する所に殊更に文字を抹消したる所を判読すれば)本門寺
に懸け奉りて万年の重宝たるべきものなり。    東京 法道院。」

———————————————————————————————————————

である。と当方は示した。

そこで、「立正安国会の図録に載っていないが、筆跡鑑定はどうした?何故御真筆といえるのか?」と詰問した。

その答えが

———————————————————————————————————————

▼⇒ はい、立正安国会もなにも、永仁六年(一二九八年)の『弟子分本尊目録』をみましょう。
一、駿河の国富士上方の河合少輔公日禅は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し。

———————————————————————————————————————

として、永仁六年(一二九八年)の『弟子分本尊目録』をその文証として挙げてきた。
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メッセージ 70

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/04 13:42

 

175.『弟子分本尊目録』を正資料とするなら、「日興跡条々事」をも正資料として認めないわけにはいかなくなる
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 10時35分
そこで、本題に入ってくる。

そこで当方は、この 永仁六年(一二九八年)の『弟子分本尊目録』が御真蹟である、正統な正資料としての「根拠」を挙げよ。と詰問した。

勿論当方は、永仁六年(一二九八年)の『弟子分本尊目録』を御真蹟として拝している。
当方も、その「根拠」を信じ拝しているからである。

だが、貴公は明確な返答ができずにいる。

何故なら、貴公が今明確な返答ができずにいるその「根拠」は、実はその信憑性の論理的な裏づけとしては、まさに「日興跡条々事」においても同様に証明がなされている内容であるからである。

つまり、貴公が 『弟子分本尊目録』を正資料として用いるならば、同時に「日興跡条々事」をも正資料として認めないわけにはいかなくなるのである。

同様の「根拠」により、共に正資料と認知されている『弟子分本尊目録』と「日興跡条々事」を、
『弟子分本尊目録』だけは、自説の正当性を主張するために用い、かたや「日興跡条々事」は戒壇の大御本尊様を否定するには都合が悪いから、という姑息な理由で、偽書と邪難する。

こういう、貴公の欺瞞根性・謀略体質・奸智に長けたずる賢さを呵責しているのである。
———————————————————————————————————————
▼ですから

●※ 御真筆であるという証拠も出せずに、自己の正当性を証明するために用いるとは、まさに、貴公らが口汚く日蓮正宗を罵ってきたその罵声をそのまま自らに受ける事になる。天に吐いた唾は自らに落ちかかる、という馬鹿の見本のような箇所である。

▼というのは法華講員さんの先走りでしたね。このことにつき、ちゃんと「ごめんなさい」と謝りましょうね。
話はそれからです。わかったかな?

———————————————————————————————————————

●上記の如くである。

こういう根性の腐り果てた貴公に、当方が「謝る」道理は、万分の一も存在しないことを知るべきである。
世間に言う「盗人猛々しい」とはこのことである。呵々

———————————————————————————————————————

▼まあ、やさしく一言だけいっておきますが、当初より、当方の「スタンス」としては「弟子分本尊目録」は日興上人真筆として引用しています。(笑)

以前の書き込みです

⇒ さて、『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』日蓮宗宗学全書2—112には、日興門下の弟子・檀那等、門弟の所在地、在家人弟子の別等が明記され、駿河国38名、甲斐国20名、伊豆国3名、武蔵国3名、計64名(出家16名・在家48名)が記載されています。立正安国会「御本尊集」の127幅と重複すると思われるものが8幅あり、これを引き、56幅に127幅をたせば、183幅。大聖人は最低でも183幅の曼荼羅本尊を図顕されていたことがわかります。紛失、流転、滅失、不敬もあり、実際には200体以上の図顕をされていたことは確実でしょう。
これら曼荼羅本尊の内、由来や伝承、その経緯などから、特定の本尊にだけ付けられた呼称が数多あります。

とね。(笑)

———————————————————————————————————————

●だから?

貴公が、『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』日蓮宗宗学全書2—112 を正資料と扱う「根拠」を明示したら如何?

と「やさしく」訊いているのですがね?

貴公が「スパッと」答えられない理由は、とうに分かっているんですね。

だが、貴公の姑息な謀略を完全に摧破する前に、もう一度だけ、弁疏の機会を与える。

「盗人にも三分の理」 とやらを聞いてみるのもまた一興であるからである。

再度詰問する。

1、『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』日蓮宗宗学全書2—112 を正資料として扱えるその「根拠」を明示せよ。
2、しかもその「根拠」が、「日興跡条々事」を正資料とする「根拠」と全く別であることを証明せよ。

この1,2が出来ない時は、貴公は「日興跡条々事」へ疑難をなす資格はない。

「紅の歌」の指揮のタクトだけを黙々と、口にガムテープを貼って、振ってい給え。
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メッセージ 71

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投稿者 : MSN ニックネーム

terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 0:54

 

176.貴公もほとほと頑迷固陋な、岩石のような脳髄の所有者だな。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 16時38分
●※ つまり、貴公が 『弟子分本尊目録』を正資料として用いるならば、同時に「日興跡条々事」をも正資料として認めないわけにはいかなくなるのである。
こういう、貴公の欺瞞根性・謀略体質・奸智に長けたずる賢さを呵責しているのである。

▼⇒ 大丈夫ですか?
法華講員さん、日蓮・日興の時代に存在しない「日蓮出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」を「存在したと証明する」などと、ご無理なことに首を突っ込んでしまい、証明できないままの現状とのギャップで、ついに妄想を抱くようになっちゃったのですか?

———————————————————————————————————————

●貴公もほとほと頑迷固陋な、岩石のような脳髄の所有者だな。
何度でも言ってやるが、「▼日蓮・日興の時代に存在しない「日蓮出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」と主張するなら客観的な証拠を以って証明して見せよ。
貴公が言ってるのは、確証など一つもない、ただの憶測ではないか。
貴公こそ大丈夫か?

———————————————————————————————————————

▼法華講員さんがこの一ヶ月間問われ続けて、すぐにやらなければいけないこと、はこれですよ。優先順位を間違えてはいけません。

●もう既に何度も詳細に論述している。
直接的なそのものズバリというような文証がなくても、十分に立証している。

大体が、700年も前の事跡について、その全てに「明確な文献的証拠」とやらを求めること自体が、頑迷である証拠である。
聞き分けのない、躾がきちんとされていない子供がする「無い物ねだり」と同じである。
そういう事に気付かない貴公の精神がニセ本尊に侵されている証拠であると繰り返し教えているのである。

———————————————————————————————————————

▼1 「本門戒壇の大御本尊」なるものの相貌を弘安二年十月十二日に日蓮大聖人が図顕し、その板本尊造立に大聖人が関わり、それを自身の出世の本懐とされたということを証明しなさい。日蓮大聖人が「本門戒壇の大御本尊」を、即御自身とされた証拠もです。

●くどい頑迷な者には相応の対応をしてあげなくてはいかんようだ。

では、若干手を加え再掲する。

貴公は今まで以下の論述に反論できていない。

論理的に反論できずに、いつまでも自論をくどくど繰り返すのは もともとの馬鹿 か 精神病者か 謗法の害毒で人格が蝕まれた者か、そのいづれかの組み合わせの者である。
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メッセージ 72

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 0:55

 

177.この問いに、貴公らの具体的な「客観的な証明」による反論は全くないではないか。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 16時41分
▼戒壇板本尊に文証はあるのか?  ないのか?
→ 無い! 

いわゆる板本尊そのものの物証だけ。これでは客観的な証明はできず、大石寺という日蓮系自一寺院だけの「自主申告・出世の本懐」となる。

———————————————————————————————————————
●貴公はやはり、知能に少し問題がある方か?

▼「板本尊そのものの物証だけ。」

その御事がそのまま十二分に「客観的な証明」ではないか?
———————————————————————————————————————
御先師日達上人御指南

■「大御本尊は楠の板で、その時分は鉋(かんな)がなかった、鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。だから、あの御本尊は手斧削(けず)りである。それを見れば、すぐわかる。それを知らないで、『漆を塗ってあるから、あれは足利時代にできた』とか、最近は『徳川時代にできた』などと、とんでもないことを言う。ところが、あれは、後ろを見ると、みんな、削った跡がちゃんと残っている。それを見ても明らかに鎌倉時代である」(昭和四十七年九月十二日)

■「その御本尊様は、もう六百八十年も前にできた板御本尊でございまして、これは、当時、鉋(かんな)というものがなかった、鎌倉時代でございますから。あの板御本尊様は、明らかに鉋では造ってないのであります。
みんな手斧(ちょうな)、手斧といっても戦国時代あるいは室町時代にできた丁飽(ちょうな)でなくて、もっと古い、まさかりみたいな手斧で削られておるのでございます。それが歴然としてあの板御本尊に残っておるのでございます。それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます」(昭和四十七年十一月二十日)

この御指南に反論するのなら、それなりの根拠をもってせよ。
———————————————————————————————————————
この問いに、貴公らの具体的な「客観的な証明」による反論は全くないではないか。


● 鎌倉時代に限定される「道具」で間違いなく彫られている「戒壇の大御本尊」
=戒壇の大御本尊様は鎌倉時代に創られた。

● 更に、「本門戒壇」のと御認めは他の現存する御本尊には全く見られない。

大聖人様の御一期の御化導の終窮究竟の極説とは三大秘法の御整足にあらせられる。
その本門の戒壇に掛け奉る本門の本尊を出世の本懐とされることは理の当然である。
「御真筆ならどの御本尊でもいいだろう」という道理は通らない。

現存する御真筆御本尊のその全てに「本門戒壇」との銘記が為されていない以上、「本門戒壇」の銘記がなされている、現の「戒壇の大御本尊」様以外、真の出世の御本懐であられる御本尊はありえない。


もし貴公の言う大石寺の「戒壇の大御本尊」様が偽物だというのなら、大聖人様がその他に真正の「本門戒壇の御本尊」を遺されていないわけが無い。
もし無いとするならば、それは大聖人様が、三大秘法の御法体を確立せずに御入滅になったということであり、それでは上行所伝の仏法が不完全のまま絶えたということになり、それでは大聖人様は不完全な仏ということになり、貴公らが仏宝と一往表向きには立てている大聖人が完全な仏ではなかったということになってしまう。

また中途で消滅してしまったというのなら、大聖人様に未来を予見するお力が無かったということになり、結局は大聖人様は仏でなかったということになってしまう。

そんなことはありえないのであって、以上の論法からいって、大聖人様が御仏であるのだから、戒壇の大御本尊様は大聖人様御作の、広宣流布の暁に本門戒壇に掛け奉る大御本尊様であることは理の向かうところ必定である。
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メッセージ 73

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 0:56

 

178.貴公らが拝んでいるニセ本尊も、日寛上人の御本尊を、撮影・改竄・大量印刷・大量販売 しているもの
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 16時44分
● しかも御相貌は正しく弘安元年以降の究竟せられた体相であられる。

日顕上人御指南
■「この日蓮御名に南無妙法蓮華経が具わり、また、妙法の五字七字はこれを所持
し給う日蓮大聖人の御当体たる、人即法・法即人の内証を御本尊として顕し給うのは、佐
渡以降に始められた御本尊のすべてに顕されてはおりません。

すなわち、上行菩薩の御自覚は既に宗旨建立にあり、久遠元初自受用報身の内証は竜の口発迹顕本に究竟し給うも、
これを御化導の上の御本尊に顕し給うにおいては、おのずから時期によって順序階梯が存
するのであります。

 今、端的にいえば、佐渡より身延に入られて、文永十一年、十二年、建治二年ごろまで
の御本尊は、外用の上の意義を表となし、内証の当体を直ちに顕されていないのであります。

建治三年より弘安に至り、特に弘安以降において如実に南無妙法蓮華経の中央直下に
日蓮の御名、御花押をお示しあそばされ、その上から御本尊の当体、当相に重大なる整足
が拝される御本尊においてこそ、外用を撤廃して直ちに内証の本仏の当体を示し給うのであります。」

→ しかも「余は二十七年」との御書がある。それが弘安二年十月一日である。

→ 更に貴公らが例示した「立正安国会の図録」での弘安二年大聖人御真筆(と言われる)御本尊のその全てが、中央主題「南無妙法蓮華経」の真の「直下」には「日蓮」という御名と「御花押」があらせられない。(自分の目で確かめてみよ)

→ 戒壇の大御本尊様のみ、まさに「南無妙法蓮華経」の中央主題 直下にお名前と、御花押があらせられる。真に尊いお姿である。

→ 上古から始まって全ての御書写・模写御本尊は、この大石寺の「戒壇の大御本尊」様の体相に酷似してる。
強い証拠的価値を持つ傍証である。

(貴公らが拝んでいるニセ本尊も、元は日寛上人が戒壇の大御本尊様を御書写せられた御本尊を、撮影・改竄・大量印刷・大量販売 しているものだから、他の弘安二年の御本尊と比して、戒壇の大御本尊様に酷似している。 )

→ 戒壇の大御本尊様が特段に大幅であらせられる。

→ 唯一の板御本尊である。(何度も言うようだがその板は鎌倉時代の手斧で削られている。=後の時代に作られたものが鎌倉時代の手斧で削られるはずがない)

●相伝のない身延系の本尊を見ても、大聖人様御一期の御化導に沿っての御本尊様の体相の変化を領解して居る者など居ない。分かろうはずがない。

日亨上人御指南

■「然るに余門流の僧侶不相伝の侭猥りに曼荼羅を書き散して、僭越の逆罪とも思はざるのみならず・雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるベけんや、」

→ 鎌倉期のしかも弘安元年以前に弘安元年以降の御本尊様の体相を偽装して顕せるはずはない。

→ では、弘安元年以降の鎌倉期という限定された時期に、弘安元年以降の整足された御本尊様の体相を、他の弘安元年以降の御本尊と整合性をもって、一点の間違いもなく顕せる人は、大聖人様以外に居ようはずがない。

→ 仮に鎌倉期内で時系が下ったとしても、上記の日亨上人の御指南の如く、御相伝のない者が全くの整合性を以って顕せるはずはない。

→ では、貴公らの疑惑は「後代の御法主が偽造したのではないか」との疑難に絞られてくるが、それはまさに上古の御歴代上人へ唾を吐きかける真に恐れ多い邪難である。

がしかし、それをも反駁すれば、鎌倉期と言えば、日興上人・日目上人・更に拡大して時代を下っても日道上人までである。御筆法は大聖人様と明らかに相違する。

この事は、総本山・霊宝御虫払い法要に参詣し、上記の御歴代上人御書写の御本尊を真摯に拝せば誰人も速領できることである。
また、大聖人様と全く別の御方である御法主上人が、大聖人様の筆法と全く同じにすることは不可能である。
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メッセージ 74

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 0:56

 

179.客観的な文証がないのは当然過ぎるほど当然なのである。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 16時46分
さて、更にここが根本的なことであるが、この「戒壇の大御本尊」の御事は、まさに唯授一人の御相承にのみ伝わる御相伝である。
故に、客観的な文証がないのは当然過ぎるほど当然なのである。

(●上古にそのものズバリの文献が無いのは、戒壇の大御本尊様の御事は日興上人のみへの密付嘱であったから、日興上人以外に戒壇の大御本尊様の真実の意義は知られていなかったし、密付嘱であるから敢えて伏せるべき内容であったからである。)



日顕上人御指南

■「法体とは本門戒壇の大御本尊様であり、この戒壇の大御本尊に関する相承とともに金口嫡々の血脈相承があるということのみを、一言、日応上人様は仰せになっております。

この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、
身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」

→ 今の本題ではないが、二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在するということである。

■「この金紙は、簡単に申し上げれば、文献ということであります。
しかし、当然、この文献とは、いわゆる『本因妙抄』『百六箇抄』ではありません。
文献といっても、これは金口の文献でありますから、金口のなかにすべて含まれるのです。

 だから、日応上人が「金口嫡々相承」と示されておられますから、我見をもって考える
者は、金口というからには、そこに必ず万人に判るように、授者と受者が相対したところ
の形がなければならない。

つまり、仏様が、あるいは御先師が直接、次の方にお話しになり、それをまた、次の方が直接に聞かなければならないと考えるのです。

 たしかに、これが基本であります。
しかし、だからといって一器より一器への伝承は、必ずしもそうでなくてはありえないということはないのです。
ところが、そうでなければ金口は成り立たないというように、自分の勝手な我見で判断する者がいるのです。
実は、そのように唯授一人の相承について、自分の拙い我見でもって推し量ろうとするところに、種々の疑問や質問が出てくる元が存するのです。

 もちろん、大聖人様から日興上人様への相承は金口であります。
しかし、日興上人様も大聖人様の御講義を『御義口伝』として記し置かれたように、やはり唯授一人の金口の内容を御自身の御境界においてお示しになったものが存するわけです。

それが、すなわち金紙であります。したがって、金紙そのものが金口の意義を持っておるのです。

 例えば、日精上人が『家中抄』の道師伝に、日目上人は日郷に御相承されたという邪説
を破して、まさしく目師が道師に御相承を授けられたことを明かすなかにおいて、
  「別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり」(日蓮正宗聖典六九五n)
ということをおっしゃっておりますが、これはまさしく金紙であって、いわゆる直接、口
伝のみによって申し置かれたものだけではないわけです。

つまり、金口といっても、金紙として相伝されている内容もあるのでありまして、その基本のところだけは御理解いただきたいと思います。」
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メッセージ 75

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 12:31

 

180.無法無慙の甚しきもの八大地獄は貴公らの為に門を開けり・慎まざるベけんや
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 16時46分
客観性を求めるのなら、以下の前提をとりあえず仮定とする。

1、「戒壇の大御本尊」は大聖人様が顕された。
2、その「戒壇の大御本尊」は日興上人に密付嘱された。
3、そのことは唯授一人という血脈相承によって、お一人からお一人へしか伝持されていない。
4、その御相承は御相伝を受けた他の人には絶対に見せてはならないと、大聖人様からの厳命があった。
5、ただしその中でも信解・学解の進んだ者には開示しても良い内容も含まれていた。
6、がしかし、絶対に他言してはならない内容がある。
7、御歴代上人はこの厳命を堅持されてきた。
8、御相承の証は、御本尊書写の権能に極まる。
9、なぜか理由は分からぬが、御歴代上人以外は絶対に御本尊を書写してはいけない。
10、学会も昔も今もこれだけはとりあえず守っている。
11、しかし、なぜか分からない。
12、猊下以外、御本尊のこと、取り分けて戒壇の大御本尊のことは、どうして、どうなのかは全く分からない。
13、しかしこのことを裏付ける文献はあるものもあれば、直接証明出来ないものもある。

・・・・・

そして、かつての学会はこのことを深く信じ、功徳を頂き爆発的に増えた。

今、貴公はこの全てを否定し、信じることが出来ない。

こう見てくると、つまり、この「前提としての仮定」に信を取れるか、否か、の相違であろう。

結局、大聖人様の仏法は成仏の根源である三大秘法に信を取れるか取れないか、ということである。

貴公らには三宝・三秘法がない。
明示できない。→ ということは 邪教ということ。

日蓮正宗は上記の「前提としての仮定」には論理矛盾なく、問題は信じれるかどうかだけ。

つまり、貴公らは信じれない自らの不信謗法の罪業をくどくど満天下に向かって説明しているようなもの。

だから、当方は、貴公らの不信謗法の罪過を破折するのである。



以上の論証で理解できないとすれば、貴公らの根性が腐り果てているだけであって、そういう者を救い難い 謗法者・一闡提人 というのである。

■「法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば、定めて獄卒迎えに来たって手をや取り候はんずらん。浅猿浅猿、十王は裁断し倶生神は呵責せんか。」

まさに、
「無法無慙の甚しきもの八大地獄は貴公らの為に門を開けり・慎まざるベけんや」

である。
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メッセージ 76

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 12:31

 

181.さ、逃げないで早く明示しましょう。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 17時22分
▼1309年・延慶2年(滅後28年) 寂仙房日澄 「富士一跡門徒存知の事」
日興弟子分の本尊に於ては一一皆書き付け奉る事・誠に凡筆を以て直に聖筆を黷す事最も其の恐れ有りと雖も・或は親には強盛の信心を以て之を賜うと雖も子孫等之を捨て、或は師には常随給仕の功に酬いて之を授与すと雖も弟子等之を捨つ、之に依つて或は以て交易し・或は以て他の為に盗まる、此くの如きの類い其れ数多なり・故に所賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり。

とあり、日興上人は自身の門下が、大聖人より授与された本尊に添書きしております。授与者の子孫や弟子が捨ててしまう、盗難に遭う等の事態が多発したためです。このようなことは真筆本尊の不敬にあたる故、日興上人はその伝持に厳格なる管理を期されたということでしょう。ということは、その添書きをまとめられた文献が存在するのも道理というものです。

———————————————————————————————————————
●これは傍証である。
貴公の言うように、「▼この書=「白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事」が日興(上人御)真筆であると証明しなさい。」
(勿論当方は「ある理由」で御真蹟と拝している)

で、貴公は、この書が、誰が、どのような基準で日興上人御真蹟と判定されたのか?を知っているのでしょう?
まさか知らないのではないですよね。
そんな「根拠」の無いことでは信じれませんものね?

さ、逃げないで早く明示しましょう。

貴公の欺瞞が暴かれるのももう少しですね。
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メッセージ 77

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 12:32

 

182.貴公らの邪難こそ、まさに何の明確な根拠の無い「推測、憶測の駄文」ではないか。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 22時49分
今、宿坊らのBBSへ以下の如く書き込んでおきました。
———————————————————————————————————————

▼期限は今日一日
推測、憶測の駄文は敗北と見なします。

●貴公らの邪難こそ、まさに何の明確な根拠の無い
「推測、憶測の駄文」ではないか。

何を世迷言を吐いてるのか?

このもの狂う姿を見よ!

愚か者め。
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メッセージ 78

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 12:32

 

183.詳細に破折済み。貴公らの明確な論理的反論が無い。反論不能なのは貴公らではないか?
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 23時5分
▼貴殿の反駁とする某掲示板は「本門戒壇の大御本尊」 を証明する
客観的証明にはなり得ない。
本日中以下の設問に回答無き場合は敗北とする。

●破折済み。


———————————————————————————————————————

▼1 「本門戒壇の大御本尊」なるものの相貌を弘安二年十月十二日に日蓮大聖人が図顕し、その板本尊造立に大聖人が関わり、それを自身の出世の本懐とされたということを証明しなさい。日蓮大聖人が「本門戒壇の大御本尊」を、即御自身とされた証拠もです。

●詳細に破折済み。貴公らの明確な論理的反論が無い。反論不能なのは貴公らではないか?

———————————————————————————————————————


▼2 日蓮大聖人は唯授一人血脈相承をもって末法万年までの令法久住を期された。それは金口の血脈、法体の血脈といい、秘法を秘伝とするもので余人にはうかがい知れないものであり、広宣流布の時でも公開されることのないものである。という現在の日蓮正宗の教義の根幹、特に「金口の血脈、法体の血脈」が大聖人の教えであると証明しなさい。

●■「仏宝・法宝は必ず僧によて住す。」以上。

———————————————————————————————————————


▼3 日蓮正宗は、大聖人が唯授一人血脈相承により令法久住を期されていた根拠として「二箇相承書」を引用しますが、これが日蓮真筆であることを証明しなさい。

●日顕上人御指南

■「法体とは本門戒壇の大御本尊様であり、この戒壇の大御本尊に関する相承とともに金口嫡々の血脈相承があるということのみを、一言、日応上人様は仰せになっております。

この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、
身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」

→ 今の本題ではないが、二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在するということである。

はじめから言っておくが、貴公らに、日顕上人への血脈相承を云々する資格はない。

———————————————————————————————————————
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メッセージ 79

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 12:32

 

184.貴公らこそ途方からの今までの詰問に全て返答せよ。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 23時6分
▼4 日興上人は日目を後継に指名し唯授一人血脈相承をされ、以降その血脈法水が大石寺貫主のみに継承される根拠として日蓮正宗は「日興跡条々事」を引用します。又、この書が真筆であるがゆえに「日興遺誡置文」の「時の貫首」を当たり前のように「大石寺歴代貫主」と解釈しています。ならば、この書が日興真筆であると証明しなさい。

●貴公らから

———————————————————————————————————————

▼1309年・延慶2年(滅後28年) 寂仙房日澄 「富士一跡門徒存知の事」
日興弟子分の本尊に於ては一一皆書き付け奉る事・誠に凡筆を以て直に聖筆を黷す事最も其の恐れ有りと雖も・或は親には強盛の信心を以て之を賜うと雖も子孫等之を捨て、或は師には常随給仕の功に酬いて之を授与すと雖も弟子等之を捨つ、之に依つて或は以て交易し・或は以て他の為に盗まる、此くの如きの類い其れ数多なり・故に所賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり。

とあり、日興上人は自身の門下が、大聖人より授与された本尊に添書きしております。授与者の子孫や弟子が捨ててしまう、盗難に遭う等の事態が多発したためです。このようなことは真筆本尊の不敬にあたる故、日興上人はその伝持に厳格なる管理を期されたということでしょう。ということは、その添書きをまとめられた文献が存在するのも道理というものです。

———————————————————————————————————————
●これは傍証である。
貴公の言うように、「▼この書=「白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事」が日興(上人御)真筆であると証明しなさい。」
(勿論当方は「ある理由」で御真蹟と拝している)

で、貴公は、この書が、誰が、どのような基準で日興上人御真蹟と判定されたのか?を知っているのでしょう?
まさか知らないのではないですよね。
そんな「根拠」の無いことでは信じれませんものね?

さ、逃げないで早く明示しましょう。

貴公の欺瞞が暴かれるのももう少しですね。

———————————————————————————————————————

に対しての明確な返答がない。

故にこの段も貴殿らの反論不能。

———————————————————————————————————————
▼5 富士宗学要集一巻冒頭に有る「御本尊七箇相承」以下、各相承書が日蓮・日興真筆であると証明しなさい。

●当初のスレッドの論題に非ず。
何を血迷っているのか?呵々

———————————————————————————————————————
▼6 「二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在するということである。(NO459の書き込み)」の証明=日興上人による二箇相承書の写本の呈示、もね。

●密伝により貴公らは勿論、一般に公開せず。
日亨上人も「上古の写本大石寺等に在り」と暗示されている。

以上

貴公らこそ途方からの今までの詰問に全て返答せよ。
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メッセージ 80

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 12:33

 

185.、■「我慢の幢高きこと非想天にもすぎ、執心の心の堅きこと金石にも超えたり。」
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月5日(日) 10時0分
山人君の不明を嗤ふ。  1

▼同時代の日興門下に戒壇板本尊否定の発言が有る

【 重須談所二代学頭・三位日順は「広宣流布の時の本尊は仏像本尊」と主張三位日順の発言で戒壇板本尊は否定されている! 】〜〜〜

———————————————————————————————————————

●丸で大笑いである。

1、貴公は何を「根拠」にこの「本門心底抄」を自説を正当化するための衣文とするか。

該抄末尾に


「眼師本奥書

用心抄と合本の奥に云はく

「心底抄    ■■日眼 判」 と在り又南条日住の筆に云はく

「宝物を以って伝へ畢りぬ卒爾に他見あるべからず。
文明十七年三月之を相伝す、当家随分の書と故上人常住御披見申され候なり。」

尚本山六世日時上人の御写・十八世日精上人・二十三世日俊上人写本等に依り校合す、但し日眼本最も美ならざるなり。

大正九年五月二十八日    雪仙  日亨 判」

とある。

貴公は「▼1349年・正平4年5月(滅後68年) 日順著」というが、確たる「客観的証拠」はどこにある?
真書は?

貴公が「戒壇の大御本尊」様をはじめ「二箇相承」「条々事」「百六箇抄」他、邪難を為している全ての宗門古伝書に対する疑難と同じ論法で云うと、こうなる。


(予め釘を刺しておくが、富士年表は日亨上人のご研究を拝し記載したものである。)


貴公が該抄を認める根拠は日亨上人のご研究に依るのではないか。
その同じ日亨上人が貴公が疑難する「戒壇の大御本尊」様からはじめ「二箇相承」「条々事」「百六箇抄」他、邪難を為している全ての宗門古伝書を正資料と認められている。
一方では、都合よく活用し、一方では邪難する。
そう云う者を、「根性が腐っている。」と指摘しているのである。

(当方は、当然ながら、日亨上人の、戒壇の大御本尊様をはじめ上記掲載の古伝書に対するご研究を全て信じ拝している。)

2、本文について

貴公は日亨上人の頭注

「仏像安置と云々、順師未だ興師の真意を演暢せず。後人此の文に滞ること勿れ」

を貶めて、「▼これはもちろん堀日亨師としての認識です。」と下しているが、
一体、貴公は如何ほどの「信心」「修行」「学識」があってこのような慢心の言を為せるのか。
「紅の歌」のタクト振っているのが関の山の貴公が、大学匠日亨上人のご研究を何を「根拠」に是非を論ずるか。

まさに日順師が、日興上人へ相伝された深秘の御法門への信解が至っていなかったが故に、広宣流布の暁の事相に於ける戒壇の義に未だ曚かった。という意義ではないか。

しかも、本文中の「本尊の図の如し」との文の、「本尊」が「戒壇の大御本尊」様でない、とどうして証明できるのか?

以上、簡潔に貴公の邪な立論の矛盾を突いた。

意識してこういう立論をしているとすれば、貴公は、やはり卑劣な策略家であるし、
無意識でしているとすれば、■「我慢の幢高きこと非想天にもすぎ、執心の心の堅きこと金石にも超えたり。」であるが故に、簡明な論理的思考ができない程、
正見を失ったか。

いづれにせよ、全くの不可、である。

やり直し。
http://www1.ezbbs.net/19/mksutra/

 

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メッセージ 81

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 12:33

 

186.(untitled)
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月5日(日) 10時9分
http://www2.ezbbs.net/11/owrokdb5mu/

法太郎「戒壇の大御本尊」は本物か?

(というような題だったように記憶していますが)


に 宿坊・山人等の 哂える痴論が満載です。

この屑の山を、今切り出して、一つ一つ、分別して、焼却処分しているところです。

興味ある方は、向こうへ行って見ると、面白いですよ。

今まで当方の主張は、即座に削除していましたが、ここにきて、UPしたままになっています。

思うに、直ぐ削除したのでは、やはり周辺から「負けているのは、やっぱり宿坊・山人ではないか?」とか「臆病な人たちだな・・・」とかの風評が怖かったのでしょう。

いづれにせよ、変則的な掲示ですが、法論再開 といったところでしょうか?

向こうで削除された内容も、こっちでは全てUPしますので、両方を見比べて見るのも、また一興でしょう。
http://www1.ezbbs.net/19/mksutra/

 

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メッセージ 82

 / 275 

投稿者 : MSN ニックネーム

terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 12:33

 

187.やはり貴公は、タクト振るだけにしたら?
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月5日(日) 10時56分
▼【 他の日興門下の戒壇板本尊否定発言 】

@ 1344年・康永3年 日興上人の元、重須談所三代学頭を努めた西山
日代は「広宣流布の時は仏像本尊」を唱える〜〜

⇒出世の本懐・戒壇板本尊なるものがあれば、重須談所三代学頭・日代は「広宣流布の時に仏像造立」などと言わないでしょう。

———————————————————————————————————————

●またも大笑いさせていただいた。

山人君の不明を嗤ふ その1 と同轍である。

1、日亨上人仰せ

■「編者曰く陽師転写本に依り更に要山祐師本【辰師本の直写】を以って一校を加え又延べ書と為す、」

さあ、「真書は?筆跡鑑定したのか?そんな「客観的根拠」がないものをどうして引用できるのか?」呵々。

(読者に誤解なきように再述するが、当方は、当然ながら、日亨上人の、戒壇の大御本尊様をはじめ上記掲載の古伝書に対するご研究を全て信じ拝している。)

2、本文についても 前段と同様である。

日代師も日興上人に密伝せられた「戒壇の大御本尊」の深義の領解には至っていなかった、もしくは密伝であるが故に、日興上人から御教示されていなかったとも考えられる。

何れにせよ、上記引文が「戒壇の大御本尊」様の存在を否定する文証とするには、貴公の我田引水・牽強付会に他ならず。

貴公もこんな引文すればするほど、恥の上塗りである。

———————————————————————————————————————

▼A 京都上行院・日尊は日興上人の教示として「曼荼羅本尊は広宣流布の時までとされた」という

1340年・暦応3年5月(滅後59年・日興滅後7年) 弟子の日大が日尊の教示を記した「日尊実録=尊師実録」

「一 久成釈迦造立有無の事   
日興上人の仰せに云く、末法は濁乱也、三類の強敵之有り、爾れば木像等の色相荘厳の仏は崇敬憚り有り香華燈明の供養も叶う可から不、広宣流布の時分まで大曼荼羅を安置し奉るべし」

日尊は師匠・日興上人の仰せとして、曼荼羅本尊は広宣流布の時までと解釈していました。
出世の本懐・戒壇板本尊なるものが有り、日達師のいうように弟子の皆が拝んでいたなら、日尊はこのようなことをいうわけがありません。「広宣流布の時分には本門の板曼荼羅を安置し」などと記したことでしょう。

———————————————————————————————————————

●またも噴飯ものの痴論である。

日尊師が未だ本門戒壇義を領解していなかった。

それだけのことである。

やはり貴公は、タクト振るだけにしたら?
http://toyoda.tv

 

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メッセージ 83

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 14:28

 

188.迷走する邪教の走狗となって、尻尾振ってタクト振ってる貴公が、云々
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月5日(日) 11時55分
●※「仏宝・法宝は必ず僧によて住す。」以上。

▼⇒ 何が以上なの?〜〜
———————————————————————————————————————
●貴公は未だ▼「創作板本尊」「手作りの相承書=偽書」を証明しうる「客観的証拠」を提示できていない。

当方からは、再三再四、道理を以って証明している。
それに対し、貴公らは、

▼⇒ 何をどう破折したのか?「私には証明できませんでした」と潔く認めたらいかがか。というか、強がって、突っ張って、格好つけて、大言壮語の連続だが、「それ自体が証明できません」という意思表示と解釈しますよ。(笑)

と単なる悪言を為すのみで、詳細な反論が出来ていない。

再度要求する。
▼「創作板本尊」「手作りの相承書=偽書」を証明しうる「客観的証拠」を提示せよ。

できなければ貴公らこそ、▼「創作板本尊」「手作りの相承書=偽書」ということを「私には証明できませんでした」と潔く認めたらいかがか。というか、強がって、突っ張って、格好つけて、大言壮語の連続だが、「それ自体が証明できません」という意思表示と解釈しますよ。(笑) と自らの吐き出した汚物を頭からもろに浴びることになる。

追言するが、三宝も明示できない、迷走する邪教の走狗となって、尻尾振ってタクト振ってる貴公が、
御高齢にも拘わらず、日々丑寅勤行を奉行され、本門戒壇の大御本尊様の御開扉の唱導の師を勤められ、尊き御本尊様の御書写をされる日顕上人の御姿に「行躰」云々など、何万回生まれ変わっても言える資格などない。


———————————————————————————————————————
●※ 日顕上人御指南

「法体とは本門戒壇の大御本尊様であり、この戒壇の大御本尊に関する相承とともに金口嫡々の血脈相承があるということのみを、一言、日応上人様は仰せになっております。この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」

▼⇒ だからどうしたの。大丈夫?〜〜
———————————————————————————————————————
●1、池田氏は御相承を受けていない。ただの俗人である。

池田氏の発言を引用するのは、宗義の根幹である教義信条をいとも簡単に唾棄するその無節操さを指弾しつつ、創価学会には定見がない、ただの根無し草であることを明示するためである。

そういう無節操で不定見な、およそ正統な仏教とは程遠い、迷走している狂義を、そうと見抜けないものを、頭破七分というのである。

範道師の論文は傍証である。
時間的にゆとりが出たら、じっくり再反論しよう。

が、上記の御相伝を受けられた日亨上人・日顕上人の御言葉が何よりの証明である。

下種三宝がない貴公らが、下種三宝への尊信を失った頭で幾ら邪難を吐き出しても、貴公らは未だ偽書であるとする「客観的証拠」を出だせずにいる。

宝を持っていないものが、いくら宝を妬み、嫉み、憎しみ、軽しめ 悪口をなしても全く無駄である。

その宝はその宝を持たれた方のみが知りうることで、その御本人以外は全く知る由も無いことである。

しかし、その事を信解した人には間違いなく大聖人様・日興上人以来の血脈が自らの胸中に流れ通い、その証を実感することが出来る。

仏法の領解・体得の基本はあくまで信解なのである。

既に指摘してある。御相承の証拠の顕れは、御本尊書写である。

池田氏は御本尊書写していいのか?答えよ。
貴公はできるのか?明確に返答せよ。
出来ないのである。
してはいけないのである。何か反論は?
その御本尊書写出来ない者が、御本尊書写の御内証を御所持される御方に何を言っても駄目なのである。

現に、昭和54年以降、現御法主日顕上人御書写の御本尊を拝し多くの功徳を得てきた学会員の事実はどう説明するのか?
現に今法華講員が日顕上人御書写の御本尊を拝して功徳溢れている姿はどう説明するのか?

貴公がどう愚論を展開しても無駄である。
群狐が遠吠えしているだけである。

何度も訊いている。
貴公らが尊信する三宝は何か?
言えまい。
言えない者がどんなに邪智を捻っても無駄である。
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メッセージ 84

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 14:29

 

189.貴公の狡猾さは、云々
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月5日(日) 12時25分
●※ 今の本題ではないが、二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在するということである。

▼⇒ さあ、これこそ早く持って来なさいよ。「うちのオトウチャン=ニッケンゲーカは本当は凄いんだゾウ」と、一人言いうのと同じか。(笑)

●※ はじめから言っておくが、貴公らに、日顕上人への血脈相承を云々する資格はない。

▼⇒ はい、それでは資格取得法は?(笑)
———————————————————————————————————————
●簡単である。御本尊書写が出来ない者が、されるお一人の方へ、云々する資格はない。

———————————————————————————————————————
●※貴公らから(中略)これは傍証である。
貴公の言うように、「この書=「白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事」が日興(上人御)真筆であると証明しなさい。」(勿論当方は「ある理由」で御真蹟と拝している)で、貴公は、この書が、誰が、どのような基準で日興上人御真蹟と判定されたのか?を知っているのでしょう?まさか知らないのではないですよね。そんな「根拠」の無いことでは信じれませんものね?さ、逃げないで早く明示しましょう。
貴公の欺瞞が暴かれるのももう少しですね。 に対しての明確な返答がない。故にこの段も貴殿らの反論不能。

▼⇒ はい、あなたのいう「根拠」とやらは知りません。どうぞ「暴いて」くださいな。(爆笑) 
———————————————————————————————————————
●では暴きましょう。
この書を正資料として扱う根拠は日亨上人の御研究の成果である。

貴公の狡猾さは、この日亨上人の御研究の故に正資料と拝する全ての古文書の中で、片や自分に都合の良いものだけを自らの邪説を主張する根拠として用い、同じく日亨上人が正史であるとお認めの、戒壇の大御本尊・二箇相承・百六箇抄・条々事等の存在を、極めて恣意的に・偏狭した邪眼をもって、否定することである。

貴公を少し煽てて与えて言えば、学問的にも全く論の根拠そのものが偏向しているが故に用いられないし、
人間的な面から奪って言えば、貴公みたいな者をいわゆる 小狡い 下衆な奴 とでも言うのであろうか。


この章、この段以下は、ただの愚痴・悪口である。
詳細な反論の必要は無い。

次の章の破折に進む。
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メッセージ 85

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 14:29

 

190.矛盾に満ち満ちた事を平然と行える者を 正統な仏教の教えでは 謗法の極悪果による頭破七分者  と呼
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月5日(日) 14時1分
▼◎ 大聖人が「出世の本懐につき総別の二義を立てられた」という文証を示しなさい。〜〜

———————————————————————————————————————
●日寛上人 観心本尊抄文段



■「問う、弘安の御本尊応御本懐を究尽するや。



答う、実に所問の如し。乃ちこれ終窮究竟の極説なり。



当に知るべし、智者大師は隋の開皇十四年、御年五十七歳、四月二十六日より止観を始め、一夏にこれを説いて四年後、同十七年、御年六十歳の十一月に御入滅なり。



吾が大聖人は文永十年四月二十五日に当抄を終り、弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕して四年後の弘安五年、御年六十一歳十月の御入滅なり。」


●弘安年間より以後の御本尊がまさに「御本懐」であると択び、更に、弘安二年、十月十二日の戒壇の大御本尊様を特記して、御本懐とお示しではないか。

貴公らは日寛上人が「お書きになった」御本尊を元とした、改竄・複製・大量印刷・大量販売のニセ本尊を「信じて」拝んでいる。
その同じ日寛上人が「お書きになった」上記御文を「信ずべき」であろう。

———————————————————————————————————————

▼◎ 大聖人が成就した三大秘法は戒壇板本尊のことである、と証明してみなさい!〜〜
———————————————————————————————————————

日寛上人 観心本尊抄文段



■「弘安元年已後、究竟の極説なり。

就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。

既にこれ三大秘法の随一なり。

況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。」



●はい、正しく貴公の問難「大聖人が成就した三大秘法は戒壇板本尊のことである」の如くである。


日寛上人が「お書きになった」御本尊を元とした、改竄・複製・大量印刷・大量販売のニセ本尊を「信じて」拝んでいて、
その同じ日寛上人が「お書きになった」上記御文を「信ずる」ことができないとすれば、そういう矛盾に満ち満ちた事を平然と行える者を 正統な仏教の教えでは 謗法の極悪果による頭破七分者  と呼んでいる。
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メッセージ 86

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 14:29

 

191.もし日寛上人の御指南が信じることが出来ないのならば、その理由を明記せよ。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月5日(日) 14時2分
▼◎ 「日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候」本尊は戒壇板本尊のことである、と証明してみよ! 〜〜

———————————————————————————————————————

● 日寛上人 当体義抄文段



■「色心」というは、色は即ち人の本尊、心は即ち法の本尊。

色はまたこれ境なり、心はまたこれ智なり。

故に知んぬ、人法体一、境智冥合、その義分明なることを。

豈本尊と戒壇、人法の本尊は体一互融に非ずや。


———————————————————————————————————————
▼⇒ 法華講員さん!大聖人がその「たましひ」を「すみにそめながしてかき」更に「信じさせ給へ」といわれる御本尊は総じての意義である、といわれましたか?この本尊はどなたに授与されたのですか?
まさか「弥四朗国重」などといわないでしょうね(笑)

———————————————————————————————————————

●ここなどは真面目に返答するだにも馬鹿馬鹿しい愚問である。



以下の論文が明快である。


<氏素性が不明?>
************************************************************
疑難 大石寺の戒壇本尊の願主は「弥四郎国重」だというが、これは御書のどこにも登場しない、氏素姓(うじすじょう)の全く不明な人物で、そもそも実在が疑わしい。
------------------------------------------------------------
回答 戒壇大御本尊の願主「弥四郡国重」殿の氏素姓(うじすじょう)であるが、今日においては、それが、熱原(あつはら)法難初期の弘安2年8月に、謗法者により斬首(ざんしゅ)された法華衆徒「弥四郎男(やしろうなん)」(御書1404頁)のことであったか、はたまた、熱原三烈士の1人・神四郎が、兄を弥藤次、弟を弥五郎・弥六郎というから、元の名は「弥四郎」で、武家(ぶけ)の家から出ていたために「国重」という名を持っていたものか、詳細を明らかに知ることはできない。


 だが、いずれにしても、日蓮大聖人の御境界(ごきょうがい)において、弥四郎国重をはじめとする強信(ごうしん)の法華講衆を戒壇大御本尊の願主とせられたことにつき、否定すべき何物もないのである。


 もし今日、願主の氏素姓がハッキリしないから、その御本尊も偽作ではないか、などというのであれば、現存する、確かな日蓮大聖人直筆(じきひつ)の御本尊のうち、授与者(じゅよしゃ)の素姓が不明な御本尊は数十幅(ぷく)に及んでいる。だからといって、これらの授与者は実在しない、御本尊も偽作である、などと言えないことはもちろんである。


 すなわち、願主の氏素姓がハッキリしているか、どうかにより、御本尊の真偽を論ずることは、明らかに誤りなのである。


 また、後世、不届きな者が御本尊を偽作するとしたら、それこそ、四条金吾や南条時光など、よく知られている人を願主に選ぶはずであって、わざわざ氏素姓のハッキリしない「弥四郎国重」という人を使うはずがない。



むしろ、「弥四郎国重」の名が使われている、ということは、御本尊が後世の偽作などではない証(あかし)の1つ、といえよう。
———————————————————————————————————————


▼◎ 上行等の聖人が出現し・建立された本門の三つの法門は「戒壇板本尊」である、と証明してみよ!〜〜
———————————————————————————————————————

● 日寛上人  文底秘沈抄



教主釈尊の一大事の秘法とは結要付属の正体、蓮祖出世の本懐、三大秘法の随一、本門の本尊の御事なり。

是れ則ち釈尊塵点劫より来心中深秘の大法なり、故に一大事の秘法と云うなり。

然るに三大秘法の随一の本門戒壇の本尊は今富士の山下に在り、故に富士山は即ち法身の四処なり、是れ則ち法妙なるが故に人尊く、人尊きが故に処貴しとは是れなり。





●もし日寛上人の御指南が信じることが出来ないのならば、その理由を明記せよ。
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メッセージ 87

 / 275 

投稿者 : MSN ニックネーム

terry-44

投稿日時 : 2005/06/06 11:57

 

193.偽物であると言うのなら、誰が、いつ、どこで、どのように、作ったのか、
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 10時24分
▼(山人) おやおや、まだ一日、出歩いてる最中で、拠点のPC借りてますが・・・随分とにぎやかにしゃべりまくりましたね。まるで体温39度、血圧1?0ぐらいで、興奮状態ですかね。

そのわりには「鉄砲持たせりゃメクラ撃ち、刀を振れば空を切る」状態ですね。(笑)

要は「戒壇板本尊も相承書もなんにも客観的に証明できないけど、写本だけの御書・日興上人や門下の文献もあるのだから、それと同じで信じてくださいよ。」ということですか?それだったらそれで、冒頭から言えばいいのに、最近になって言い出したのですからね。
しかし・・・これは・・・即敗北宣言ですよ。(笑)証明できないのだから。

何が主題なのか、今一度認識し直さないといけないようですね。
「本門戒壇の大御本尊は本物か?」ですよ。「写本のみの文献は本物か?」ではありませんから、勘違いなさらないようにね。
その主題を論じて一ヶ月、なんにも進んでいないのが現状なのです。
「本門戒壇の大御本尊は本物だ」と主張する、日蓮正宗が、法華講員さんが追求されていることを忘れてはいけませんよ

———————————————————————————————————————

●どうも貴公はやはりというか、いよいよというか、全くしかし、六根が不浄で人の言うことが腹に落ちぬらしい。

戒壇の大御本尊様が鎌倉時代の御作であることは明証した。
もし、偽物であると言うのなら、誰が、いつ、どこで、どのように、作ったのか、たとえ仮説でもいいから、提示せよ。と何度も要求しているのに、その件には一切反論不能なのは貴公の方であろう。

はい、やり直し。呵々
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メッセージ 88

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/06 11:58

 

194.また遁走ですか〜・・?詐欺師・山人君と能力なしの宿坊君?
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 11時4分
山人・宿坊、その他、それらに追随する無能の学会員、という
ミミズ・モグラ・ネズミ等達のねぐら

スレッド「法太郎「戒壇の大御本尊」は本物か?」



今度は、当方からの破折文に対してとうとう、『書き込み拒否』 です。

よほど、当方からの追求が怖いと見えます。

このように当方の書き込みを拒否すると言うことは、

1、最早論理的な反論不能ということであり、
2、また当方の破折が自分たちにも痛い、という表れであり、
3、更に又、当方の破折を自分以外の学会員たちに見られたくない、

という心理の表れでしょう。

山人・宿坊の痴論・愚論の一番のゴミの中核部分は片付いたので、今後は、山人や浜春等の痴論のゴミの山を最後まで整理します。

ご愛読の程、よろしくお願いします。
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メッセージ 89

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/06 11:59

 

195.こういう簡明な理屈が理解できないとすれば、
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 11時27分
●※ やり直し

▼⇒ ぷはっ、大丈夫ですか?いつから先生になっちゃったの。やっぱり宿坊さんがいうように大先生だったのかな。(笑)

日蓮門下数多有る中で「○○があるから我が宗派は大聖人よりの正統嫡流で正しい」としているところは、そうはありません。おそらく日蓮正宗がその最右翼であり、(あと本門正宗もあるけどね)さすれば、当然、日蓮正宗のみが正しく唯一絶対無二の宗教であるところの根拠とされる「戒壇板本尊・二箇相承書・日興跡条条事」につき、証明責任が伴うということ、他より説明を求められるのも当然であります。ところが「謗法不信の者には公開せず」なのですから、追及されるのもこれまた、自然のなりゆきですし、日蓮正宗の頑なな姿勢がそれを招来している、ともいえます。

日蓮大聖人の御文、日興上人以下門弟の文献等で真筆もあれば、写本のみのものもあります。勿論、これらについても文献内容を詳細に検討し、種々の角度から考察を加え、その真偽を判じていくのは当然の作業ですね。
しかし、これらの文献は日蓮門下の認識として共有できるものも多々あり、一般的に使用されております。

ただ、「板本尊・二箇相承書・日興跡条条事」は別なのですよ。大石寺貫主に唯授一人金口嫡々血脈相承が継承される故に自宗は正しいとし、他の宗教は全て無間地獄行きの邪宗教としているのですから、「その正体をまっ先に追求されるべきは日蓮正宗の戒壇板本尊であり、同じく真偽を追求されるのも根本教義に関わる相承書」なのです。

その「追求対象外の一般的な文献」の一つに「日順の本門心底抄」があるわけで、「広宣流布の時の本尊は仏像本尊」は、一人日順のみならず、日代・日尊と日興上人膝下で薫陶を受けた3者が発言しており、ここから「日蓮大聖人・出世の本懐・唯一絶対無二の戒壇板本尊不存在」が判断できるわけです。

しかも、上代における日興上人門流に戒壇板本尊が有ったのか?無かったのか?を論じているのですから、あらゆる文献を考察の対象に加えることは当然ですね。

ところが、その文献を引用した当方の指摘に対して、

●※ まさに日順師が、日興上人へ相伝された深秘の御法門への信解が至っていなかったが故に、広宣流布の暁の事相に於ける戒壇の義に未だ曚かった。という意義ではないか。
———————————————————————————————————————

とはね。(笑)

⇒ はい、判で押したようないつものセリフですね。こういうのを〜の一つ覚えと言うのですよ。いったいこういった恥さらしな「お言葉」をこの宗派は何百年間言い続けてきたことでしょうか。

———————————————————————————————————————

●だらだら、どう書いても貴公の痴論は論理が粗い。学問的に粗雑である

1、二箇相承書

日寛上人 三宝抄 

■ 宗祖一大事の秘法をば唯日興一人に授たまへり数多 の相承具に御伝の如し。而して弘安五年壬午十月十三日暁に亦一通を与へ身延の住職と 定め蓮師心易く思し召して御入滅あり。御付属状に云く、「釈尊五十年の説法白蓮阿闍梨 日興に相承す身延山久遠寺の別当たるべきなり在家出家共に背く輩は非法の衆たるべき なり。」之に依って興師身延の貫首となること已に七年而して祖師第七回忌に相当し自余 の五人も登山あり倶に御法事勤め畢んぬ 

日寛上人 法華取要抄文段  

■御書外十六 四十一 に御相承を引いて云く「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり」等云云。

日寛上人がここまで明確に「二箇相承」を引文されている。

1、貴公らは日寛上人が「書かれた」の御本尊(の改竄複製偽本尊)を「信じ」拝んでいる。

2、しかし同じ日寛上人が「書かれた」御指南は「信じ」ない、という。

何故1のケースは信じることが出来、2のケースは信じることが出来ないのか。

こんな小学生が聞いても矛盾と分かることをいい大人が論理的に明確に説明できないのは、
簡単である。貴公らの立論が間違っているからである。

こういう簡明な理屈が理解できないとすれば、やはりそれは三宝誹謗及びニセ本尊の毒気の害毒が精神に廻って、正常な思考が出来なくなっている状態、即ち 若し悩乱する者は頭破七分 の現証そのままである。
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メッセージ 90

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:45

 

196.夜まで待つか。お仕事と指揮振りに忙しい山人君?
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 12時28分
山人は泣きべそかいて引き篭りか?呵々 

宿坊はただ吼えているだけだからつまらん。

二箇相承 2

▼「これらの文献は日蓮門下の認識として共有できるものも多々あり、一般的に使用されております。
ただ、「板本尊・二箇相承書・日興跡条条事」は別なのですよ。」

●では貴公の好きな「日蓮門下の認識として共有できるもの」である、立正大学日蓮教学研究所編『昭和定本日蓮聖人遺文』全4巻(身延山久遠寺)に、二箇相承の内の一箇『日蓮一期弘法書』が編入せられているそうな。

まさに、『日蓮一期弘法書』は「日蓮門下の認識として共有できるもの」として「一般的」である証左ではないか?呵々

———————————————————————————————————————

二箇相承  3

もし二箇相承が偽書だとしたら、日興上人は大聖人御入滅後、何故身延の貫主として入山され、それに対して、五老の非難がないのか?

これ正しく、二箇相承に説かれている内容が現実であった証拠ではないか。如何?


宿坊君じゃ無理じゃないか?

夜まで待つか。お仕事と指揮振りに忙しい山人君?
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メッセージ 91

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:45

 

197.引き篭りの山人君じゃ最早無理かな?呵々。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 14時10分
▼⇒ ならば「日興上人へ相伝された深秘の御法門」というものを直ちに証明しなさい。「唯授一人で、密付属で云々」などは、あなたの宗派内だけの盲信者にのみ通用するおもしろい話にすぎません。
「自らが正しいとする根拠」を自らの宗派内で信ずるのはかってですが、「追求されて、それに対する答えの中で引用」するのならば、「俺の答えは正しい」とあなたが思っている、その答えの前提「日蓮⇒日興の深秘の御法門の相伝」があった、という客観的な証拠を直ちに出しなさい。居丈高におしゃべりするのも日蓮正宗信者の特徴ですが、その言動の原動力(笑)がこういった「日興上人へ相伝された深秘の御法門」なのですから示しなさい。

———————————————————————————————————————

●本当に愚痴っぽくてくどい性格である。

昔学会時代に聞いたことがある。

『愚痴の信心救い難し』 と。


貴公の論法で言えば、釈尊から上行菩薩へ付嘱された何ものかを、直ちに明示して見せろ。というのと同じこと。

謗法・邪宗教の輩がする邪難と同じ。
以下、貴公の文に準えて書き直してあげましょう。

「→ ならば「上行菩薩へ付嘱された深秘の御法門」というものを直ちに証明しなさい。

「神力品の別付嘱」などは、あなたの宗派内(創価学会も含む)だけの盲信者にのみ通用するおもしろい話にすぎません。

「自らが正しいとする根拠」を自らの宗派内で信ずるのはかってですが、「追求されて、それに対する答えの中で引用」するのならば、「俺の答えは正しい」とあなたが思っている、その答えの前提「釈尊⇒上行⇒日蓮(大聖人)に深秘の御法門の相伝」があった、という『客観的な証拠』を直ちに出しなさい。

居丈高におしゃべりするのも日蓮系信者の特徴ですが、その言動の原動力(笑)がこういった「上行菩薩へ相伝された深秘の御法門」なのですから示しなさい。」

さ、やってごらん?

引き篭りの山人君じゃ最早無理かな?呵々。
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メッセージ 92

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:46

 

198.学問的に全く公正性・論理性・中立性を欠いている。と指摘しているのである。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 16時13分
●※ 一体、貴公は如何ほどの「信心」「修行」「学識」があってこのような慢心の言を為せるのか。

▼山人曰く⇒ 私たちが一から十まで日亨師のいうことをきく人間なら、「戒壇板本尊・各相承書」のことなど最初から云々していませんよ。(笑)
「何が史実で、何が作り話なのか」「何が大聖人の教えで、何が後世作られた己義なのか」今はそれを分別し、明らかにする時がきたのです。その際に可能な限りの文献を考察の対象とし、正邪を分別、外に向かい明らかにしていくのは当然です。
「日蓮大聖人は各経典をご覧になって、立宗宣言をされ諸宗破折を始められましたが、それは慢心であり、経典編纂者・収集者に対する冒涜、不遜」でしょうか? (笑)
———————————————————————————————————————

●日蓮大聖人は 生智の妙悟 三大秘法を胸中に秘して持っておられた上で、その御教導の為の、御確認・御研鑽であられる。

貴公らのように、 

一方で、日寛上人が「書かれた」の御本尊(の改竄複製偽本尊)を「信じ」拝み、しかし、一方でその日寛上人が「書かれた」御指南は「信じ」ない、などという、惑い、悩乱して、各経典をお調べになったのではない。


———————————————————————————————————————
●※ しかも、本文中の「本尊の図の如し」との文の「本尊」が「戒壇の大御本尊」様でない、とどうして証明できるのか?

▼⇒ ほう、ならば「本尊」が「戒壇の大御本尊」であると論証してごらんなさい。(笑)

●本当に 莫迦ですか?
ここは元々双方証明できないのである。つまり両方の可能性がある、ということである。

にも拘わらず、貴公は一方的にこれは「戒壇の大御本尊」ではない。と断定している。
その客観的な根拠も出せずに、自見のみを押し出し断定する、その方式は、学問的に全く公正性・論理性・中立性を欠いている。と指摘しているのである。
何度指摘しても理解できなければ、それは根性が曲がっている、としかいいようがない。
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メッセージ 93

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:46

 

199.発言の本人池田氏でどうか。呵々
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 16時14分
●※ 日代師も日興上人に密伝せられた「戒壇の大御本尊」の深義の領解には至っていなかった、もしくは密伝であるが故に、日興上人から御教示されていなかったとも考えられる。

▼⇒ これこそ「またも大笑いさせていただいた。」ですね。
あと何回「深義・密伝」を出しますか。(笑)
さあ、これも同じです。前提として「戒壇板本尊が当時存在していた」「それに関する法義がある」「戒壇板本尊は日蓮から日興への密伝である」を直ちに証明しなさい。
日蓮正宗が自説を正当化しようとすると、必ず出てくるのですから、直ちに証明しなさい。
日蓮正宗特有のこのような話法こそ「恥の上塗りである。」よ。(笑)

●貴公が頑迷ならばそれに相応するしかないようだ。

再掲

貴公の論法で言えば、釈尊から上行菩薩へ付嘱された何ものかを、直ちに明示して見せろ。というのと同じこと。

謗法・邪宗教の輩がする邪難と同じ。
以下、貴公の文に準えて書き直してあげましょう。

「→ ならば「上行菩薩へ付嘱された深秘の御法門」というものを直ちに証明しなさい。

「神力品の別付嘱」などは、あなたの宗派内(創価学会も含む)だけの盲信者にのみ通用するおもしろい話にすぎません。

「自らが正しいとする根拠」を自らの宗派内で信ずるのはかってですが、「追求されて、それに対する答えの中で引用」するのならば、「俺の答えは正しい」とあなたが思っている、その答えの前提「釈尊⇒上行⇒日蓮(大聖人)に深秘の御法門の相伝」があった、という『客観的な証拠』を直ちに出しなさい。

居丈高におしゃべりするのも日蓮系信者の特徴ですが、その言動の原動力(笑)がこういった「上行菩薩へ相伝された深秘の御法門」なのですから示しなさい。」

さ、やってごらん?

———————————————————————————————————————

●※ 再度要求する。「創作板本尊」「手作りの相承書=偽書」を証明しうる「客観的証拠」を提示せよ。

▼⇒ あなた自体が「客観的証拠」です。自ら実名で登場しながら、一ヶ月たっても「そのものズバリの証明ができない」その姿、現状、これで証明していますね。日蓮正宗の関係者誰一人「証明」した人はいません。

●疑難を為すものがまずその前提として、こういう客観的証拠が新たに出てきたので、偽物・偽書だと思う。とまず、提示すべきであろう。
初期の復習からだな。

昭和33年に戸田城聖氏が死去し、昭和35年5月3日、池田大作氏が創価学会の第3代会長に就任した。



その就任式の席上、池田氏は、


「わが創価学会は、日蓮正宗の信者の団体であります。

したがって、私どもは大御本尊様にお仕え申し上げ、御法主上人猊下にご奉公申し上げることが、学会の根本精神だと信じます」


と述べて、本門戒壇の大御本尊と御法主上人猊下に随順していくことが創価学会の精神であることを公表した。



貴公の論法で言うと、するとこの時池田氏は「偽物」の本尊へ自他共に帰依することを内外に宣言したのか?
それともこの時はまだ若かったから、教学的に未熟だったから「偽物」と知らなかった?
では、功徳はあったのか?
無かったのか?
古い学会員はどうだったのか?

もっと言えば、学会は発足以来、牧口氏・戸田氏・池田氏・北条氏・秋谷氏・・・と連綿と会長はじめ会員全員が「偽物」を拝み続けてきた訳だ。

では功徳は?

それとも、いつの間にか、すりかえられたのか?

いつまでが「本物」で、いつからが「偽物」になったのか?

破門されてから急にか?・・・・

以上の事に論理明快に返答せよ。

やっぱり山人では無理か?
発言の本人池田氏でどうか。呵々
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メッセージ 94

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:46

 

200.いつまで妄執に囚われて、明確な根拠のない己見に閉じ篭っているのか?
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 23時5分
▼今日も同志がゲーカの息子と対論。「二箇相承書実在の証明」を迫ると逆上、「ゲーカの御内証を信じるのだ」と吼えるだけ。(笑)
これが日蓮正宗の実状です。どうですか法華講員さん、日蓮正宗史上、初めて客観的に証明できる、という最高のチャンスを与えているのに、あと、どれぐらい待たせるのかな。皆が知りたいことはそこなんですよ。本門正宗の信者から「本因妙大御本尊を客観的に偽物と証明してみろ」といわれても、大笑いです。それとあなた方は同じです。「自らアリガタヤとやる本尊を、自ら客観的に証明できない」ということについては、本門正宗と同レベルなのですよ。それが日蓮正宗の現在地です。(笑)

———————————————————————————————————————

●読めば読むほど貴公の謗法深重の罪過に胸が痛む。

新しい板に来たことだし、再再度、『戒壇の大御本尊様は大聖人様御直筆御本尊様でしかも御出世の御本懐であることは疑い得ない。』との論証を表示しましょう。
貴公に再再度、以下の論証に対し明確な論理的反論を求む。
(もう、何度目だ? 馬鹿な番犬に吼えさせていないで、いい加減に自ら正当に反論せよ。この虚け者め。)
———————————————————————————————————————

御先師日達上人御指南

■「大御本尊は楠の板で、その時分は鉋(かんな)がなかった、鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。
だから、あの御本尊は手斧削(けず)りである。それを見れば、すぐわかる。
それを知らないで、『漆を塗ってあるから、あれは足利時代にできた』とか、最近は『徳川時代にできた』などと、とんでもないことを言う。ところが、あれは、後ろを見ると、みんな、削った跡がちゃんと残っている。
それを見ても明らかに鎌倉時代である」
(昭和四十七年九月十二日)

■「その御本尊様は、もう六百八十年も前にできた板御本尊でございまして、これは、当時、鉋(かんな)というものがなかった、鎌倉時代でございますから。あの板御本尊様は、明らかに鉋では造ってないのであります。
みんな手斧(ちょうな)、手斧といっても戦国時代あるいは室町時代にできた丁飽(ちょうな)でなくて、もっと古い、まさかりみたいな手斧で削られておるのでございます。それが歴然としてあの板御本尊に残っておるのでございます。それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます。

これは私一人が見て言うのではなく、皆様の代表として、正宗信徒の代表として池田先生にも拝させたのでございます。
決して間違いございません。」

(昭和四十七年十一月二十日)
———————————————————————————————————————

なんと!池田氏もこのことは確認しているとの事である。

貴公は真実を真に探求したいのであれば池田氏に直接説い糾したら如何か?
それが真に学問をする者の学究態度であろう。

この御指南に反論するのなら、それなりの根拠をもってせよ。
———————————————————————————————————————
この問いに、貴公らの具体的な「客観的な証明」による反論は全くないではないか。
いつまで妄執に囚われて、明確な根拠のない己見に閉じ篭っているのか?
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メッセージ 95

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:46

 

201.貴公らは最早大聖人様を信仰する清純な仏教徒ではない。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 23時6分
● 鎌倉時代に限定される「道具」で間違いなく彫られている「戒壇の大御本尊」
=戒壇の大御本尊様は鎌倉時代に創られた。

● 更に、「本門戒壇」のと御認めは他の現存する御本尊には全く見られない。

大聖人様の御一期の御化導の終窮究竟の極説とは三大秘法の御整足にあらせられる。
その本門の本尊・本門の題目・そして本門の戒壇に掛け奉る本門の本尊を出世の本懐とされることは理の当然である。
「御真筆ならどの御本尊でもいいだろう」という道理は通らない。
それでは真の御整足にはならない。
事実、御本尊様の体相を拝しても佐渡期から弘安期へと大きな変化があられる。

しかも、現存する御真筆御本尊のその全てに「本門戒壇」との銘記が為されていない以上、「本門戒壇」の銘記がなされている、現の「戒壇の大御本尊」様以外、真の出世の御本懐であられる御本尊はありえない。

もし貴公の言う大石寺の「戒壇の大御本尊」様が偽物だというのなら、大聖人様がその他に真正の「本門戒壇の御本尊」を遺されていないわけが無い。
もし無いとするならば、それは大聖人様が、三大秘法の御法体を確立せずに御入滅になったということであり、それでは上行所伝の仏法が不完全のまま絶えたということになり、それでは大聖人様は不完全な仏ということになり、貴公らが仏宝と(一往表向きには立てている)大聖人が、完全な仏ではなかったということになってしまう。
もしそう考えているのならば貴公らは最早大聖人様を信仰する清純な仏教徒ではない。

また中途で消滅してしまったというのなら、大聖人様に未来を予見するお力が無かったということになり、結局は大聖人様は仏でなかったということになってしまう。

そんなことはありえないのであって、以上の論法からいって、大聖人様が御仏であるのだから、「本門戒壇」と唯一御銘記のあられる「戒壇の大御本尊様」は大聖人様御作の、広宣流布の暁に本門戒壇に掛け奉る大御本尊様であることは理の向かうところ必定である。

● しかも御相貌は正しく弘安元年以降の究竟せられた体相であられる。
———————————————————————————————————————

日顕上人御指南
■「この日蓮御名に南無妙法蓮華経が具わり、また、妙法の五字七字はこれを所持し給う日蓮大聖人の御当体たる、人即法・法即人の内証を御本尊として顕し給うのは、佐渡以降に始められた御本尊のすべてに顕されてはおりません。

すなわち、上行菩薩の御自覚は既に宗旨建立にあり、久遠元初自受用報身の内証は竜の口発迹顕本に究竟し給うも、
これを御化導の上の御本尊に顕し給うにおいては、おのずから時期によって順序階梯が存するのであります。

 今、端的にいえば、佐渡より身延に入られて、文永十一年、十二年、建治二年ごろまでの御本尊は、外用の上の意義を表となし、内証の当体を直ちに顕されていないのであります。

建治三年より弘安に至り、特に弘安以降において如実に南無妙法蓮華経の中央直下に日蓮の御名、御花押をお示しあそばされ、その上から御本尊の当体、当相に重大なる整足が拝される御本尊においてこそ、外用を撤廃して直ちに内証の本仏の当体を示し給うのであります。」
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メッセージ 96

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:46

 

202.二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在する
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 23時8分
●しかも「余は二十七年」との御書がある。それが弘安二年十月一日である。

●更に貴公らが例示した「立正安国会の図録」での弘安二年大聖人御真筆(と言われる)御本尊のその全てが、中央主題「南無妙法蓮華経」の真の「直下」には「日蓮」という御名と「御花押」があらせられない。(自分の目で確かめてみよ)

●戒壇の大御本尊様のみ、まさに「南無妙法蓮華経」の中央主題 直下にお名前と、御花押があらせられる。真に尊いお姿である。

●上古から始まって全ての御書写・模写御本尊は、この大石寺の「戒壇の大御本尊」様の体相に酷似してる。
強い証拠的価値を持つ傍証である。

(貴公らが拝んでいるニセ本尊も、元は日寛上人が戒壇の大御本尊様を御書写せられた御本尊を、撮影・改竄・大量印刷・大量販売 しているものだから、他の弘安二年の御本尊と比して、戒壇の大御本尊様に酷似している。 )

●戒壇の大御本尊様が特段に大幅であらせられる。

●唯一の板御本尊である。(何度も言うようだがその板は鎌倉時代の手斧で削られている。=後の時代に作られたものが鎌倉時代の手斧で削られるはずがない)

●相伝のない身延系の本尊を見ても、大聖人様御一期の御化導に沿っての御本尊様の体相の変化を領解して居る者など居ない。分かろうはずがない。
———————————————————————————————————————

日亨上人御指南

■「然るに余門流の僧侶不相伝の侭猥りに曼荼羅を書き散して、僭越の逆罪とも思はざるのみならず・雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるベけんや、」
———————————————————————————————————————

●鎌倉期の、しかも弘安元年以前に、弘安元年以降の御本尊様の体相を偽装して顕せるはずはない。

●であるならば、弘安元年以降の鎌倉期という限定された時期に、弘安元年以降の整足された御本尊様の体相を、他の弘安元年以降の御本尊と整合性をもって、一点の間違いもなく顕せる人は、大聖人様以外に居ようはずがない。

●仮に鎌倉期内で時系が下ったとしても、上記の日亨上人の御指南の如く、御相伝のない者が全くの整合性を以って御本尊を顕せるはずはない。

●では、貴公らの疑惑は「後代の御法主が偽造したのではないか」との疑難に絞られてくるが、それはまさに上古の御歴代上人へ唾を吐きかける真に恐れ多い邪難である。

●がしかし、それをも反駁すれば、鎌倉期と言えば、日興上人・日目上人・更に拡大して時代を下っても日道上人までである。御筆法は大聖人様と明らかに相違する。

●この事は、総本山・霊宝御虫払い法要に参詣し、上記の御歴代上人御書写の御本尊を真摯に拝せば誰人も速領できることである。
また、大聖人様と全く別の御方である御法主上人が、大聖人様の筆法と全く同じにすることは不可能である。
———————————————————————————————————————

●さて、更にここが根本的なことであるが、この「戒壇の大御本尊」の御事は、まさに唯授一人の御相承にのみ伝わる御相伝である。
故に、「客観的な文証」がないのは当然過ぎるほど当然なのである。

(●上古にそのものズバリの文献が無いのは、戒壇の大御本尊様の御事は日興上人のみへの密付嘱であったから、日興上人以外に戒壇の大御本尊様の真実の意義は知られていなかったし、密付嘱であるから敢えて伏せるべき内容であったからである。)
———————————————————————————————————————
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メッセージ 97

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:46

 

203.二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在する
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 23時9分
日顕上人御指南

■「法体とは本門戒壇の大御本尊様であり、この戒壇の大御本尊に関する相承とともに金口嫡々の血脈相承があるということのみを、一言、日応上人様は仰せになっております。

この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、
身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」

→ 今の本題ではないが、二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在するということである。

■「この金紙は、簡単に申し上げれば、文献ということであります。
しかし、当然、この文献とは、いわゆる『本因妙抄』『百六箇抄』ではありません。
文献といっても、これは金口の文献でありますから、金口のなかにすべて含まれるのです。

 だから、日応上人が「金口嫡々相承」と示されておられますから、我見をもって考える
者は、金口というからには、そこに必ず万人に判るように、授者と受者が相対したところの形がなければならない。

つまり、仏様が、あるいは御先師が直接、次の方にお話しになり、それをまた、次の方が直接に聞かなければならないと考えるのです。

 たしかに、これが基本であります。
しかし、だからといって一器より一器への伝承は、必ずしもそうでなくてはありえないということはないのです。
ところが、そうでなければ金口は成り立たないというように、自分の勝手な我見で判断する者がいるのです。
実は、そのように唯授一人の相承について、自分の拙い我見でもって推し量ろうとするところに、種々の疑問や質問が出てくる元が存するのです。

 もちろん、大聖人様から日興上人様への相承は金口であります。
しかし、日興上人様も大聖人様の御講義を『御義口伝』として記し置かれたように、やはり唯授一人の金口の内容を御自身の御境界においてお示しになったものが存するわけです。

それが、すなわち金紙であります。したがって、金紙そのものが金口の意義を持っておるのです。

 例えば、日精上人が『家中抄』の道師伝に、日目上人は日郷に御相承されたという邪説を破して、まさしく目師が道師に御相承を授けられたことを明かすなかにおいて、
  「別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり」(日蓮正宗聖典六九五n)
ということをおっしゃっておりますが、これはまさしく金紙であって、いわゆる直接、口伝のみによって申し置かれたものだけではないわけです。

つまり、金口といっても、金紙として相伝されている内容もあるのでありまして、その基本のところだけは御理解いただきたいと思います。」
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メッセージ 98

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:47

 

204.無法無慙の甚しきもの八大地獄は貴公らの為に門を開けり・慎まざるベけんや
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 23時11分
次に、客観性を求めるのなら、以下の前提をとりあえず仮定とする。

1、「戒壇の大御本尊」は大聖人様が顕された。
2、その「戒壇の大御本尊」は日興上人に密付嘱された。
3、そのことは唯授一人という血脈相承によって、お一人からお一人へしか伝持されていない。
4、その御相承は御相伝を受けた他の人には絶対に見せてはならないと、大聖人様からの厳命があった。
5、ただしその中でも信解・学解の進んだ者には開示しても良い内容も含まれていた。
6、がしかし、絶対に他言してはならない内容がある。
7、御歴代上人はこの厳命を堅持されてきた。
8、御相承の証は、御本尊書写の権能に極まる。
9、なぜか理由は分からぬが、御歴代上人以外は絶対に御本尊を書写してはいけない。
10、学会も昔も今もこれだけはとりあえず守っている。
11、しかし、なぜか分からない。
12、猊下以外、御本尊のこと、取り分けて戒壇の大御本尊のことは、どうして、どうなのかは全く分からない。
13、しかしこのことを裏付ける文献はあるものもあれば、直接証明出来ないものもある。

・・・・・

14、そして、かつての学会はこのことを深く信じ、功徳を頂き爆発的に増えた。
15、今、貴公はこの全てを否定し、信じることが出来ない。

こう見てくると、つまり、この「前提としての仮定」に「信」を取れるか、否か、の相違であろう。

結局、大聖人様の仏法は成仏の根源である三大秘法に信を取れるか取れないか、ということである。

貴公らには三宝・三大秘法がない。
明示できない。→ ということは 邪教ということ。

日蓮正宗は上記の「前提としての仮定」には論理的にも古文献的にも矛盾なく、問題は信じれるかどうかだけ。

つまり、貴公らは「信じれない」自らの不信謗法の罪業をくどくど満天下に向かって説明しているようなもの。

だから、当方は、貴公らの不信謗法の罪過を破折するのである。
———————————————————————————————————————

以上の論証で理解できないとすれば、貴公らの根性が腐り果てているだけであって、そういう者を救い難い 謗法者・一闡提人 というのである。

■「法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば、定めて獄卒迎えに来たって手をや取り候はんずらん。浅猿浅猿、十王は裁断し倶生神は呵責せんか。」

まさに、
「無法無慙の甚しきもの八大地獄は貴公らの為に門を開けり・慎まざるベけんや」

である。
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メッセージ 99

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投稿日時 : 2005/06/10 14:28

 

205. 樋田 昌志様 質問してもよろしいですか?
返信  引用 
名前:閲覧者    日付:6月8日(水) 9時40分
はじめまして、私は学会員です。
あれ?もうここに書き込んでもいいんですね。
あの、私は初心者なので法論とかは出来ませんので、最初にお断りさせて頂きます。元学会員の方なんですよね?
@関係ないかもしれませんが、樋田昌志さんってミュージシャンの方?
Aニセご本尊の件ですが、学会の公式な反論があったのか?なかったのか?
 ご存知でしたら教えて頂けないでしょうか?また、戸田先生は勝手に書いて はイカンと記録されてますが、この反論はどんなものなのでしょうか?

よろしくお願い致します。


206.Re: 樋田 昌志様 質問してもよろしいですか?
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 15時58分
まず、あなたはどんなスタンス私にお聞きになりたいのか教えてくれませんか?

それによっては、返答の仕方の幅がありますので。

では、とりあえず簡潔に。

@残念ながらそうではありません。

A創価学会の公式の反論あったと思いますよ。

戸田先生の仰ったとおりだと思います。

私は学会時代戸田先生の指導を胸に刻んで信心を頑張ってきました。
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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:28

 

207.「この世に生まれた全ての生物の中で最低に惨めな境遇の生き物」達
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 10時48分
●宿坊またもや、背走して「書き込み封鎖」である。
予想どうりではあるが、今更ながら呆れ果てる根性の腐った輩である。

今後はこういう虻のようにブンブンまっている「この世に生まれた全ての生物の中で最低に惨めな境遇の生き物」達の邪義の本質部分を摧破していこう。

まずは、破折途中でもあった、「草薙」君の痴論を完全に薙ぎ倒してからいくか。
——————————————————————
▼どうした、マサシ君
この日達の説法を文化庁等の関係機関、立正大学の教授クラスに直ちに持参し、読んでもらうべし。その結果「富士大石寺所蔵・弘安二年十月十二日造立とされる本門戒壇の大御本尊は、日蓮の真筆、板に謹刻の本物である」という結論が出たのなら、創価学会有志側もそれなりに相手にしてくれることであろう。
「それが真に学問をする者の学究態度であろう。」というものだ、わかるか。
君が引用した「説法」は学術的には何の意味もない。「本門戒壇の大御本尊の客観的証明」という主題に照らす時には、ただの駄文になってしまう。故人である日達の恥を晒し続けると、僧侶方からも怒られることだろう。
このような駄文を振り回し悦に入っているのは君だけだ。

には、沈黙か。君は何回、この日達の駄文を引用、貼り付けしたのだ。各大学の歴史研究を行なう専門機関等に「日達説法」を送付し、判定してもらえ。これが「戒壇の大御本尊様が鎌倉時代の御作であることは明証した。」ことになるかどうか、すぐにやりなさい。さすれば君の「明証」のほどが明らかになるであろう。
——————————————————————
● 再掲加筆

本当に貴公は大聖人を「日蓮」と呼び捨て呼ばわりする信心のないしかも法義に昧い者の代表格である。

■一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり。

大聖人様の深遠なる教義の何たるかを知らない人に、何を「鑑定」できるというのか?
そういう謗法の人に「鑑定」を頼む必要など全くないほど、戒壇の大御本尊様は文証・理証(道理)・そして信行した現証として真正の御本仏であらせられることは、信心を以って拝すれば容易に感得できることである。

前傾の創価学会教学部の論文(仏教哲学辞典・池田大作監修)をよく読みたまえ。

貴公らはお可愛そうに、三世常恒の御法体・戒壇の大御本尊様を拝すことができないから、それが悔しくて、ただ悪口を言っているだけの哀れ惨めな謗法者である。

しかもこれほど誹謗をしている大石寺のその二十六世日寛上人が貴公らが義難している戒壇の大御本尊を書写された御本尊の、しかもその改竄・複製ものを拝んでいるとは!

この世に生まれた全ての生物の中でこれほど惨めな境遇の生き物もいない。哀れなものである。

■謗法の者其の国に住すれば其の一国皆無間大城になるなり。

虫けらでも何でも、その国を無間大城に引き連れておとす生物などいない。が故に、謗法者は「この世に生まれた全ての生物の中でこれほど惨めな境遇の生き物もいない。」と言われるのは、理の当然である。

世間でもかつては自分がその恩恵に浴してした人、組織などから自分たちが離れたりするとその元のことを過剰に悪口をいう愚かで、みっともない人間がいるが、貴公らも結局、まさに同様である。
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メッセージ 101

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:29

 

208.(untitled)
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 11時10分
●【 何度読んでもやはり全文意味不明である。では、本尊は誰が書いてもいいのか? 】

▼相手の言わんとするところを、理解できなくなるのが邪教信仰の害毒。君の愚問がどうかしたのか。答えて頂ける御方を募集したらいかがか。
——————————————————————
●悩乱者は自らの痴文の滅裂加減が分からぬらしい。

該文を再度晒してあげよう。

▼現在の創価学会が一応、継続性重視の観点から「日寛書写の本尊を拝む」と雖も、「書写した人は絶対」などとはしておらぬ。
「日寛がどんな文献を書いたか」は又、別問題である。
日寛は大石寺貫主なのだから当然「本門戒壇の大御本尊、二箇相承、日興跡条々」を本物とし論を展開している。
現在、問題にしているのは「日寛も本物とした」その対象が「実はどうだったのか」ということであるから、「日寛上人はかく仰せ」としたところで、なんの意味もない。
「大石寺歴代貫主の板本尊、相承書等の擁護発言」など、なんの興味も、関心もない。

●全く支離滅裂・悩乱の極みの様な痴文ではないか。

——————————————————————
●【 大聖人様の御義を厳粛に堅持される日興上人と、その日興上人を篤く尊信する波木井実長が疎ましくなっていたが故である。 】

▼疎ましくなって身延山久遠寺に参詣せず。これ即五老僧における日興への対等意識である。
同様の書は波木井実長筆にも存する。
君の駄文では二箇相承存在の傍証にすらならぬ。

●まさに無知がそのまま額に入れられたような内容である。

■日蓮を信ずるやうなりし者どもが、日蓮がかくなれば疑ひををこして法華経をすつるのみならず、かへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が、念仏者よりも久しく阿鼻地獄にあらん事、不便とも申す計りなし。(中略)日蓮御房は師匠にてはおはせども余りにこはし。我等はやはらかに法華経を弘むべしと云はんは、螢火が日月をわらひ、蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり、烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし、わらふなるべし。

との御文の如く、大聖人様に対してですら面従腹背の輩がいた。そういうい意味では確かに「対等意識」であろう。
真に大聖人を久遠の御本仏と仰いでいなかった訳だから。

門下から対等意識で見られたから、だからといって、大聖人が御本仏でない、とはならないだろう。
それは見る側の信心の厚薄によるのである。

むしろ、日興上人が大聖人御在世と同じ状況であられたと言うことは、日興上人が紛れもなく法統を継がれた第二祖であられた傍証ですらある。

まっ、大聖人を「日蓮」と呼び捨てにして、恬として恥じない草薙君であるから、そのような不遜な者にはそういう道理は理解できないだろうが。
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メッセージ 102

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:29

 

209.さあ、返答せよ。草薙君。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 11時42分
ここは少々分かりにくいので、以前からのやり取りを掲載する。
———————————
●【 貴公の論法で言えば、釈尊から上行菩薩へ付嘱された何ものかを、直ちに明示して見せろ。というのと同じこと。 】
———————————
▼悩乱したな君は。少なくとも同じ日蓮門下ならば「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり」「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」などは共通認識であり、誰も云々せぬ。
それが日蓮正宗のみ、「日蓮より日興への密附、日興より日目への相承」などと、明らかな作り話を真実であるかの如く吹聴するものだから、破折、追及を受けるのだ。
「質問者の愚かさを指摘する」例えになっておらぬ。自らの思い上がりを晒しているだけだ、みっともない。
君よ「日蓮より日興への密附、日興より日目への相承」を証明したまえ。
———————————————————————————————————————
●貴公は少し教学的に複雑になると理解不能のようである。
———————————
1、五老門流ではこの■「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」の義は認めていない、が故に、「共通認識」ではない。
みな「(※大聖人の三大秘法とは何かを)云々」しているが?如何。
(当方に吠え付く前にもう少し勉強したらいかがか?)
———————————
▼日蓮宗系の出版物に「日蓮正宗の偽書謀書の破折の項」に当該文を肯定引用。君はまだ勉強が足りぬ。明日から図書館を渡り歩け。
———————————
●全く読み方の未熟な者である。
まず、貴公の主張する、該文書・該箇所を明かせ。

当方のいわんする義は、「三秘抄に説かれている三大秘法=本門戒壇の御曼荼羅御本尊、という真義を、五老門流では認めていない、ということである。
貴公はいよいよ不明である。明日から日本語の読み方から学べ。

続いて貴公は以下の問いに答えていない。
再度詰問する。明確に返答せよ。

——————————————————————
2、貴公が引文した御文は三大秘法抄だが、では真蹟と認めた訳だな。
では訊く。

この三大秘法抄に

■「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。」

との有名な御文があるが、この「事の戒法=事の戒壇」の本堂中央に御安置申し上げる御本尊は何か?
今どこにおわすのか?

3、■「然るに上行菩薩等末法の始めの五百年に出生して、此の境智の二法たる五字を弘めさせ給ふべしと見えたり。経文赫々たり、明々たり。誰か是を論ぜん。日蓮は其の人にも非ず、又御使ひにもあらざれども、先づ序分にあらあら弘め候なり。既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁の衆生に流れかよはし給ふ。是れ智慧の義なり。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん。」

また、

■「此の経は相伝に有らざれば知り難し。」

『真言見聞』
■「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」(608)

■「次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。」

■「修学解了の受職の比丘は仏位に同じ。是即ち如来の使ひなればなり。」


これら御文の義から言って、神力品の別付嘱(別しての血脈)は

在世  釈尊=上行(内証日蓮大聖人)
末法  日蓮大聖人=日興上人=  =   =   

となるのが道理だが、もしこれを否定するのならば、教学的に詳細に説示せよ。
——————————————————————
さあ、返答せよ。草薙君。
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メッセージ 103

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:29

 

210.草薙君 貴公こそ早く反論せよ。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 12時2分
●【 この「事の戒法=事の戒壇」の本堂中央に御安置申し上げる御本尊は何か?今どこにおわすのか? 】

▼日蓮真筆で該本尊など、どこにも存在しない。有るならば示してみよ。

「富士大石寺所蔵・本門戒壇の大御本尊」が該当するならば、直ちに「放射性炭素14年代測定法」で鑑定せよ。なぜ鑑定できぬ。日蓮正宗が無くなるのが恐いか。無くなってよい。日蓮邪宗など。

●頑迷固陋・無知悩乱の頭には何度言っても足らないらしい。

1、信仰するその大元の方を「日蓮」と呼び捨てにするその無信心。
大聖人の仏法は信を以って本とする。
貴公はまず落第である。
信なき処に、何の解もない。

■夫仏道に入る根本は信をもて本とす。(中略)たとひさとりなけれども、信心あらん者は鈍根も正見の者なり。たとひさとりあれども、信心なき者は誹謗闡提の者なり。(中略)仏説きて云はく「疑ひを生じて信ぜざらん者は、即ち当に悪道に堕すべし」等云云。此等は有解無信の者を皆悪道に堕すべしと説き給ひしなり。

貴公は間違いなく、この御文の如くに「信心なき者は誹謗闡提の者なり。」であり、「有解無信の者を皆悪道に堕すべし」である。

2、既に詳述の如く、道理・文証・事の上での、信を以って拝すれば、その現証として、戒壇の大御本尊を擱いて、「事の戒法=事の戒壇」の本堂中央に御安置申し上げる御本尊」はありえない。

故に、「放射性炭素14年代測定法」で鑑定などする必要など微塵も存在しない。
謗法者はこの大事の御法体を信じれないが故の、謗言をなし、更に罪を無限に積むのみである。

貴公らこそ、むしろ、戒壇の大御本尊に疑義を呈するならば、その根拠を挙げよ。

——————————————————————

●【 しかも、現存する御真筆御本尊のその全てに「本門戒壇」との銘記が為されていない以上、「本門戒壇」の銘記がなされている、現の「戒壇の大御本尊」様以外、真の出世の御本懐であられる御本尊はありえない。
もし無いとするならば、それは大聖人様が、三大秘法の御法体を確立せずに御入滅になったということであり、それでは上行所伝の仏法が不完全のまま絶えたということになり、それでは大聖人様は不完全な仏ということになり、貴公らが仏宝と(一往表向きには立てている)大聖人が、完全な仏ではなかったということになってしまう。
もしそう考えているのならば貴公らは最早大聖人様を信仰する清純な仏教徒ではない。 】 

▼についてはどうする、撤回するか。
あとはなんの意味もない。
要するに君は「宗派教学の宣伝役」であり、日蓮仏法の真の信奉者ではない、ということだ。

●は?やはり貴公は救いがたい愚か者か?
上記発言を「撤回」などする必要は微塵もない。
貴公こそ早く反論せよ。
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メッセージ 104

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:29

 

211.草薙君、貴公のレベルでは全く話にならない。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 12時15分
▼ついでに「二箇相承」云々も軽く触れておく。

●【 日亨上人の御文  富士日興上人詳伝 聖教文庫 】

▼宗門人が肯定論証せんとするのは当然。しかし、掲載の古文書に「二箇相承が真筆」との証拠なし。故に意味無し。コピーご苦労。

●やはり貴公はもはや論ずる価値もない愚か者である。

今まで挙げた再三の「古文書的証拠」を見て、それでも分からない者は、もはや人並みの知性がないということ。
貴公こそ、「二箇相承が無かった」と、証拠を挙げて証明してみよ。できるわけが無い。「故に意味無し。」ご愁傷様。

——————————————————————
●【 山人が好きな一版日蓮宗系書物である、日蓮宗宗学全書第二巻興尊全集興門集三三ページ にも明確に掲載されており、つまり、少なくとも与えて言えば、池上相承書は山人流に言えば「一般的に認知」されている文献であるということは証明されていることになる。如何かな?山人君?呵々 】

▼該書に掲載即真筆とは限らぬ。
「本門寺棟札」「日代八通状」「大石寺番帳」「御遺物配分事」等々多数ある。

●負け惜しみである。貴公は山人クンではないから、関係なく申し訳ないが、山人君は「他の日蓮宗でも認知されている文献」云々という論理を持ち出したので、斯様に破折したまで。
貴公はもうお役済みだから、出てこなくて宜しい。
今後は山人君に直接破折を加えるまで。

●【 日蓮正宗史の基礎的研究 山口範道御尊師 
以上の如くこれほど「客観的根拠」を明示しているのであるから、もしこれを否定するのならば貴公らこそ明確な根拠を挙げよ。 】

▼「宿坊君との公開法論掲示板」を自ら読み直せ。それで足りる。

おぬし、あいかわらずコピー魔だな。宿坊君のいうとおりだ。くだらぬ。

●山人君が苦し紛れの愚論を展開していたようだな。

今後細切れにして摧破し尽くしてあげるから心配ご無用。

では、草薙君、貴公のレベルでは全く話にならない。

以下、貴公が返答不能になっている、当方からの破折に対し、明答してきたらまた遊んであげよう。
ご苦労さん。
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投稿日時 : 2005/06/10 14:29

 

212.樋田昌志様  パラドックスな道理?についてどう思いますか?
返信  引用 
名前:閲覧者    日付:6月9日(木) 12時33分
宗教をやって見て感じたことは、宗教は本当に必要なのでしょうか?
私達は逆のことをしてるのではないでしょうか?人を救いたいという気持ちが救われたい人を作り出してるのではないでしょうか?

宗教者はいつも正しさを求めていますが、良く観察してみると争いの根本が、お互いの『正義』から始まっているのではないでしょうか?自分達の事は棚に上げ、相手を攻撃する。では、どうしてそのような事になるのでしょうか?
心理学的に考えると『抑圧されたものは投影される』という、パラドックス的な法則が見えてきます。自然界で言うと『光が強くなればなるほど陰が濃くなる』みたいに。仏と魔の関係もも同じです。
平和運動は逆に戦争を引き寄せるエネルギーにも成りかねない。エネルギーでは同等。自慢することの裏側はコンプレックスの投影。
幸福になりたいという願いは、『今は幸せでない』を投影し実現化します。
皮肉なことに、幸福になりたいと思わない方が幸福への近道だったりする。幸せな人は幸せになりたいとは思わない。現在の幸福に感謝するだけでいい。経験しなければわからないことでしたが、私達は逆のことをしてるのではないでしょうか?このパラドックスに気がつくと宗教は卒業してしまいそうです。私にとっては、ここのプロセスに至る為に宗教は必要だったかもしれませんが。
《参考資料》
http://www1.ttcn.ne.jp/~turu/41naibutairitu.htm(内部対立)
(BACKで他のも見て下さい)
http://www.kato-lab.net/lecture/index.html
「何が人づきあいを難しくするのか」
【前半(収録時間27分32秒)】(6分辺りから13分位を重点的に)


215.Re: 樋田昌志様  パラドックスな道理?についてどう思いますか?
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 12時55分
確かに今のネット上の私も含め書き込みを見ていると、貴方の仰るような感想を持たれるのは、よく分かります。

仰られたHPざっとですが見てみました。

問題は、何を以って「幸福」というかだと思います。

この津留晃一という方が説いた幸福観は、本当に世界中の万民の方を幸福に導くことができる理論と実践法を確立しているであろうか。ということが、まず大事な研究課題だと思います。

その点についてはどう思われますか?
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メッセージ 106

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投稿日時 : 2005/06/10 14:30

 

213.草薙君へ宿題の再提出を課す。1
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 12時38分
▼ついでに「二箇相承」云々も軽く触れておく。

●【 日亨上人の御文  富士日興上人詳伝 聖教文庫 】

▼宗門人が肯定論証せんとするのは当然。しかし、掲載の古文書に「二箇相承が真筆」との証拠なし。故に意味無し。コピーご苦労。

●やはり貴公はもはや論ずる価値もない愚か者である。

今まで挙げた再三の「古文書的証拠」を見て、それでも分からない者は、もはや人並みの知性がないということ。
貴公こそ、「二箇相承が無かった」と、証拠を挙げて証明してみよ。できるわけが無い。「故に意味無し。」ご愁傷様。

——————————————————————
●【 山人が好きな一版日蓮宗系書物である、日蓮宗宗学全書第二巻興尊全集興門集三三ページ にも明確に掲載されており、つまり、少なくとも与えて言えば、池上相承書は山人流に言えば「一般的に認知」されている文献であるということは証明されていることになる。如何かな?山人君?呵々 】

▼該書に掲載即真筆とは限らぬ。
「本門寺棟札」「日代八通状」「大石寺番帳」「御遺物配分事」等々多数ある。

●負け惜しみである。貴公は山人クンではないから、関係なく申し訳ないが、山人君は「他の日蓮宗でも認知されている文献」云々という論理を持ち出したので、斯様に破折したまで。
貴公はもうお役済みだから、出てこなくて宜しい。
今後は山人君に直接破折を加えるまで。

●【 日蓮正宗史の基礎的研究 山口範道御尊師 
以上の如くこれほど「客観的根拠」を明示しているのであるから、もしこれを否定するのならば貴公らこそ明確な根拠を挙げよ。 】

▼「宿坊君との公開法論掲示板」を自ら読み直せ。それで足りる。

おぬし、あいかわらずコピー魔だな。宿坊君のいうとおりだ。くだらぬ。

●山人君が苦し紛れの愚論を展開していたようだな。

今後細切れにして摧破し尽くしてあげるから心配ご無用。

では、草薙君、貴公のレベルでは全く話にならない。

以下、貴公が返答不能になっている、当方からの破折に対し、明答してきたらまた遊んであげよう。
ご苦労さん。

——————————————————————
2−2 日寛上人の御本尊を選んだ基準を教学的に分かり易く述べよ。

2−3 他の御法主では駄目なのか?
YES ⇒ その理由
NO  ⇒ その理由

3、何故、貴公らが否定している「邪教・大石寺」の二十六世の日寛上人の御本尊(の改竄・複製本尊に似せた掛け軸らしき物)を拝むのか?

4、教学的に信頼していない日寛上人の御本尊(の改竄・複製本尊に似せた掛け軸らしき物)を何故拝むのか?

5、大聖人御真筆御本尊を何故拝まないのか?

6、大聖人直結の創価学会の会員ならば誰でも本尊を書いていいのか?

7、つまり、誰が書いてよくて、誰は書いてはいけないのか?

明確に返答せよ。
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メッセージ 107

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:30

 

214.草薙君へ宿題の再提出を課す。2
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 12時40分
●晋山時を論点にしたいのなら貴公がまず示せ。当方は今の論点としては問題としていない。

二箇相承の御付嘱状に関して『美作房御返事』に

「……然れば墓をせんにも国主用いぬ程は、尚お難くこそ有らんずれば、いかにも此の人(波木井入道を指す)の所領に臥すべき御状候いし事、日興へ賜わりてこそあそばされて侯いしか」

と間接的ではあるが証明となる文が存する。

——————————————————————
1、貴公はただ単に、「▼それぞれの教線の違い、ただそれだけだ。」と嘯いているが、
五老の広めた法門は正か邪か。答えよ。

2、貴公は日興上人を否定するとすれば、日興上人門流以外のどこの派か?答えよ。

3、それは創価学会としての公式見解か?

では、本尊は誰が書けて。誰が書いてはいけないのか?
身延の坊主が書いたものでもいいのか?
それともみやげ屋で売っている大聖人御真筆御本尊の複製掛け軸でどうだ?
それが明確に返答できない姿がまさに「諸宗は本尊にまどえり」の惑乱している様そのままである。

強がり言って真の信行学がない癖に、逃げなさるなよ。
明確に返答せよ。

——————————————————————

●貴公こそ何の明確な根拠もない癖に「戒壇の大御本尊」を否定することを前提に言っている。
それは大いなる蒙昧・無知・愚昧・頑迷である。

再度この言は貴公の固陋な頭の上にこそ冠せられるだろう。

貴公は一方的に「戒壇の大御本尊」はない。と断定している。
その客観的な根拠も出せずに、自見のみを押し出し断定する、その方式は、学問的に全く公正性・論理性・中立性を欠いている。と指摘しているのである。

もう少し学問の基本を学んだらいかがか?
——————————————————————
●今回のまさにとなる、愚昧丸出しの、珍無類の痴論である。

1、「日蓮への純粋なる信仰で拝」べば、何を拝んでもいいのか?
大笑いである。
愚かである。

大体「日蓮への純粋なる信仰」とは何か?具体的に明示せよ。
それからその「不純な」信仰姿勢を摧破しよう。
——————————————————————
尚、かつての創価学会の見解を全く用いない、との馬鹿丸出しの戯言が書き込んであったが、かつて協調関係にあった時の「人」に対する認識が180度変化する、ということは往々にして世間でもあるし、心理としては理解できないこともないが、(ただし信仰上からの見地は別だが)現実に創価学会創立以前から存在し、しかも創価学会の信仰の根本尊仰の対象であった「戒壇の大御本尊様」を、途中で何かに交換された訳でなし、その存在に対し、破門されたからといって180度言い分が変わり「偽物」と断ずるとは!

人         いい人 → 感情 → 悪い人 なら与えて言えば理解できないことはない。が

現実の存在物  現実に信仰していた対象 → 破門 → 偽物  

これは、子供が聞いてもその道理の通らない矛盾を哂う事だろう。

こういう実に簡明な道理が分からなくなっているのが貴公らであり、心ある学会員からも顰蹙され、唾棄されているのである。

そしてそういう者をまさしく頭破七分者というのである。

謗法の罪過が三毒を強盛にし、怒り、怨念で目が見えない状態なのである。

まさに「癡」そのもので姿である。
——————————————————————
この位にしてあげましょうか。

再度草薙君に問う。

明答せよ。以上。草薙君の部終わる。
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メッセージ 108

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:30

 

216.山人君の妄論を破す。前掲示板からの続き 2
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 14時7分
▼日蓮大聖人・日興上人の「和合僧体制」により、「二箇相承書」「日興跡条々事」はありえず 

こんばんは

今回はお題について少々。

日蓮正宗関係者がいうような、日蓮大聖人より日興上人への密伝、密付属などというものは、彼らがその証拠を呈示できないことからも分かるように、ありえません。

●既に詳細に破折済み。参照↓

http://www2.ezbbs.net/cgi/bbs?id=owrokdb5mu&dd=31&p=4

——————————————————————
▼逆に大聖人の一代の化導を拝するにつけ、和合僧の確立を期せられ、それによる令法久住の万全、そこに広宣流布を託されていた、ということが見えてきます。
故に御自身の入滅にあたっても、「宗祖御遷化記録」に見られるように「本弟子・一弟子」六人による「六門徒・和合僧」体制を示されており、ここに「唯授一人で仏法の一切を特定の一人のみに付属した」というのが、いかに作り話であるか明らかになっています。

では、弟子の日興上人はどのように令法久住を計られたかといえば、当然、師匠と同じ方軌を取られることは用意に察せられるところで、「本六・新六による和合僧体制」を期せられたのが「史実」です。
それに対して、「日興跡条々事」なる「日興⇒日目」の付属なるものは「一人大石寺のみの文書」であり、しかも「大石寺に存在している」にもかかわらずなんら学術的鑑定を受けていないのですから、取るに足らない「単なる紙切れ」にすぎないのが「現実」なのです。

日蓮大聖人・日興上人の期された「和合僧」体制という史実に、後世作り上げた話しをもって「こちらの方が真実」であるかのように万人を騙し続けてきたのが日蓮正宗です。
「見てきたようなウソで塗り固めただけのインチキ寺」それが日蓮正宗大石寺です。 

ですから「日蓮大聖人が『唯授一人の血脈相承』を以て令法久住を期された以上、後の御法主も同じ方軌を以て血脈相承をなされるのであり、血脈は万年までも絶えることはなく不断なのだ。それを信じられない者は、もはや大聖人門下とはいえない 」というのは宗教詐欺師の言です。

本来は「日蓮大聖人が『六門徒』による『和合僧体制』を以て令法久住・広宣流布を期された故、弟子の日興上人も同じく『本六・新六』による『和合僧体制』を確立されんとしたのだ。しかし、門下の分裂により『暗黒の時代』に入り、それは長く続いた。」

そして「700年後の創価学会の出現により日蓮仏法は現代に再生し、『日蓮直結の真の和合僧』が確立され、広宣流布への大前進は日々休みない」というべきです。

●以上、これから、出てくる山人君の妄論の趣旨。
以後詳細に摧破していく。
また、今後創価学会員が斯様の邪義を為す事があると予想されるので、彼らの言い分を把握しておくためにも掲載する。
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メッセージ 109

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:30

 

217.御文を拝しても大聖人が唯授一人の相承をなされたことは明白である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 14時41分
▼山人君曰く1 日蓮大聖人の御書「十大部」は、「立正安国論」を除き、一般門下に与えられました。

@ 日興上人は「富士一跡門徒存知の事」で「御書十大部」を選定されております。これら大聖人の法門を体得するために、いずれも教義的に重要な御書が「唯授一人」などではなく、国家諌暁の書「立正安国論」を除き、「各地の弟子・檀那に与えられた」ということは、大聖人は「和合僧」による令法久住を期されていた証拠でもあります。特に「観心本尊抄」「開目抄」が在家の檀那に与えられたことは重要です。
——————————————————————
▼一、立正安国論一巻。 此れに両本有り。一本は文応元年の御作。是れ最明寺殿、宝光寺殿へ奏上の本なり。一本は弘安年中身延山に於て先本に文言を添えたもう。而して別の旨趣無し。只建治の広本と云う。

一、開目抄一巻。今開して上下と為す。
佐土国の御作。四条金吾頼基に賜う。日興所持の本は第二転なり。未だ正本を以て之を校えず。

一、報恩抄一巻。今開して上下と為す。
身延山に於て本師道善房聖霊の為に作り、清澄寺に送る。日向が許に在りと聞く。日興所持の本は第二転なり。未だ正本を以て之を校えず。

一、撰時抄一巻。今開して上中下と為す。
駿河国西山由井某に賜る。正本日興に上中二巻之れ在り(此中に面目俄に開く事)。下巻に於ては日昭が許に之れ在り。

一、下山抄一巻。
甲斐の国、下山郷の兵庫五郎光基の氏寺・平泉寺の住僧因幡房日永追い出さるる時の述作なり。直ちに御自筆を以て遣さる。正本の在所を知らず。

一、観心本尊抄一巻。
一、取要抄一巻。
一、四信五品抄一巻。法門不審の条条申すに付いての御返事なり。仍つて彼の進状を奥に之を書く。
已上の三巻は因幡国富城荘の本主・今は常住下総国五郎入道日常に賜わる。正本は彼の在所に在り。

一、本尊問答抄一巻。(浄顕房日仲)
一、唱法華題目抄一巻。
此の書・最初の御書・文応年中・常途天台宗の義分を以て且く爾前法華の相違を註し給う。文言義理共に爾なり。
——————————————————————
▼このように門下全般に法門を教示したこと自体が、「特定の個人にのみ全てを与え法を継承させよう」との意志はなかったということであり、和合僧が魔から正法を守り、それによる令法久住、更には広宣流布を期されていた証拠です。そこには、一人の門下に説示した法義がその門下を通し、未来まで継承されることへの大聖人の願い、思いが拝されます。

——————————————————————
●以上の御書が在家に送付されたことを以って大聖人の仏法がこれで全てであり、なおかつ唯授一人の血脈相承を否定する何の証拠にもならない。
——————————————————————
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メッセージ 110

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:30

 

218.御文を拝しても大聖人が唯授一人の相承をなされたことは明白である。2
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 14時42分
文は口伝すべし。

此の義は最上の難の義なり。口伝に在り

口伝相承の事は此の弁公にくはしく
申しふくめて候。則ち如来の使ひなるべし。返す返すも信心候べし。

此に口伝有り。

よくよく口伝あるべし。

口伝を以て之を伝へん。

口伝すべし。

上行菩薩結要付嘱口伝

日文字の口伝、産湯の口決

本尊七箇の口伝

就註法華経口伝〔御義口伝〕

不動明王の尊形と口伝せり。

四弘誓願をば一文に口伝せり。

師に依らずして相承を失ふべし。

根本大師の御相承ありげに候。

筆受の相承

日蓮相承の中より撰み出だして候。能く能く信心あるべく候。

只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ。

日蓮が相承の法門等前々かき進らせ候ひき。

当世の学者は血脈相承を習ひ失ふ故に之を知らず。相構へ相構へて秘すべく秘すべき法門なり。

天台大師の血脈相承の最要の法は妙法の一言なり。

当世の天台宗の学者は天台の石塔の血脈を秘し失ふ故に、
天台の血脈相承の秘法を習ひ失ひて、我と一心三観の血脈とて我が意に任せて書を造り、

日蓮相承の法門血脈、慥かに之を註し奉る。

此等は相承の法門なるべし。

日蓮が己心に相承せる秘法を此の答へに顕はすべきなり。

今日蓮は塔中相承の南無妙法蓮華経の七字を末法の時、日本国に弘通す。

当体蓮華の相承等、日蓮が己証の法門

日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。

聖人言はく、此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり、神妙神妙と言給ひて留め畢んぬ。

三諦三観の口決相承と意同じ

秘すべし秘すべし、唯受一人の相承なり、口外すべからず。

相承の意を相伝せんが為なり

所詮今末法に入りての如法相是は塔中相承の本尊なり。

慥かに塔中相承の秘文なり。下種の証文秘すべし
——————————————————————
●以上の御文を拝しても大聖人が唯授一人の相承をなされたことは明白である。
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メッセージ 111

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:31

 

219.山人君、世間の道理からもはずれ、物笑いの醜態である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 15時40分
▼A これに対しゲイカの誤内証を信奉する日蓮正宗関係者は、「これらは十大部ではあるが、一般門下への書状にすぎない。そこに秘密の相伝の御事など、あるわけがなかろう」などと主張し「歴史に残る真筆の地位を貶める」ことを平然といいます。

●別に貶めているわけではない。別しての血脈相承を度外視しては上記御書の真意は領解できない、と言っているのである。

——————————————————————
▼「秘密の相伝の御事」なるものを信じたければ、信教の自由ですから信じればよろしいでしょう。しかしそれは同時に、大聖人門下ではないということを意味し、今日から念仏でも唱えるべきです。

●全く論理の飛躍。山人君悩乱の図。呵々
——————————————————————
▼「無いものを有るといい、それを信じる」というのですから、正に妄想以外のなにものでもありません。妄想信仰、幻想信仰、オカルト信仰・・・それが日蓮正宗です。
それに対して何か言い返したいのならば、「大石寺貫主の相承書」なるものの全てにつき、大聖人、日興上人の真筆を持ってくるべきです。

●ここも山人君の愚昧なところ。
750年前後も前の出来事の全てに御真蹟が無ければ信じることができないとは、世間の道理からもはずれ、物笑いの醜態である。

既に、二箇相承の曽存の証明は繰り返しした。

山人君が苦し紛れのこじつけ言い逃れをしているだけであるが、以降、山人君の二箇相承への疑難の項があるのでそこで再度詳細に破折する。
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メッセージ 112

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:31

 

220.山人君、大笑いの痴論である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 15時46分
山人君曰く
——————————————————————
2 宗祖御遷化記録等により

1282年・弘安5年10月16日「宗祖御遷化記録」  正本・西山本門寺蔵

一弘安五年・壬午・九月十八日・武州池上に入御 地頭・衛門太夫宗仲
同十月八日 本弟子六人被定置 此状六人面々可帯云々 日興一筆也
定 
 一弟子六人事 不次第
一 蓮花阿闍梨 日持 
一 伊與公   日頂 
一 佐士公   日向
一 白蓮阿闍梨 日興 
一 大國阿闍梨 日朗 
一 辨阿闍梨  日昭
右六人者本弟子也 仍為向後所定如件
弘安五年十月八日

@ 大聖人は入滅に先立つ十月八日、主だった弟子の中から「一弟子・本弟子」六人を定めました。
六人は、当時の門弟内では「信・行・学」に秀でたものがあったでしょうし、更にそれぞれの教線を見れば、
弁阿闍梨日昭   相模・武蔵
大国阿闍梨日朗  相模・武蔵
白蓮阿闍梨日興  甲斐・駿河
佐士公日向    上総
伊与公日頂    下総
蓮華阿闍梨日持  甲斐・駿河
と大別でき、大聖人は地域性も考慮し「一弟子・本弟子」六人を選定されたと拝察されます。

A「いちでしろくにんのこと ふしだい」ですから、大聖人の一弟子である六人に次第はない、という意味になります。「一弟子」とは文字通り一番弟子、第一の弟子、第一級の長老ということで、それが「不次第」ですから、この六人は区別なく、平等、対等、横一線なのです。しかも大聖人は、この「一弟子」達を「本弟子」とまでされており、この二つの表現は同義と拝されます。

これにより、六老僧は「日蓮大聖人門下の第一級の長老・本弟子であり、門下の依師、法燈であり、六老僧に区別はなく対等である」と理解できます。

B「此状六人面々可帯云々」
「右六人者本弟子也 仍為向後所定如件」

⇒ これは何を意味するのでしょうか。
本弟子を定め置かれた書状を六人それぞれが所持し、自身滅後の本弟子を中心とした門流のあり方などを教示されたものと拝察できます。これは六老僧中心の和合僧による令法久住、又和合僧による広宣流布を期された具体的な証拠です。

C それは生死一大事血脈抄の御文の「和合僧の確立を期された教示」とも合致し、その延長上にもあったでしょう。この和合僧は「日蓮が弘通する処の所詮」であり、和合僧ありて「広宣流布の大願も叶うべき者か」といわれているのです。

総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か  P1337
——————————————————————
●大笑いの痴論である。

以下破折。
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メッセージ 113

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:31

 

221.一人閉じ篭り・山人君改め「平人」君の単なる妄想の産物である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 17時5分
●この疑難はもはや出尽くして、完膚なきまでに破折し尽くされているのである。
今更この難を持ち出してくるとは、山人君も底が浅い。山人改め平人にでも改名したら如何か?

宗祖御遷化記録

まず第一に、六老を定置するという御考えの中に嫡弟という概念がある筈はない。

この概念のない文書を挙げて全く別の事項を判断することはできない。

それは各々別個で表示されている。



まずこの大前提を山人君は外している。


次に、山人君の邪難に下り降りて摧破する。



この書は日興上人が筆をとり、法臘の若い、下位の蓮華阿闍梨日持より順次六名の名を書き留めた。



この記載の順位は、裏を返せば入門の次第に従って、日持が最下位、日昭が最上位者であることを示している。



しかし大聖人が敢えて「不次第」と仰せになったことは、いかなる意味を持つのであろうか。



 もし仮に五老僧の門下や山人君が言うように、大聖人の仏法が六人の弟子に平等に相伝付嘱されたものならば、「不次第」と記されながら、その名前を法臘の順に挙げられるはずがない。



何故かといえばもし六老の、「行功は平等だが年齢入門の先後を認めて書かれた」ということならば「次第」して書いたのであってけっして「不次第」ではない筈である。



世間でも「順不同(=不次第)」といえば役職等の「次第」なしに表記されることを言う。



ここに「不次第」と書かれたのは、年齢入門の先後で書いたが必ずしも六老において軽重の順ではないということを意味する。



六老を定められた理由は日興上人が「佐渡国法華講衆御返事」に



 ■「うちこしうちこしぢきの御でしと申やからが、しやう人の御ときも候しあひだ、ほんでし六人をさだめをかれて候、そのでしのけうけのでしは、それをそのでしなりといはせんずるためにて候」



と仰せられた通りと拝する。



勿論この御手紙は弟子関係の乱れを防ぐためのものであるから特にかく仰せられたので、この他に教団の中心たれとの御思召があらせられたと拝することができる。



しかし六弟子を定めて法臘の順に記録なされたのは、それは自ら順位を示すものである。

然るに大聖人の御思召は平等にあらせられた故にわざわざ不次第と御書入れがあったと拝するが妥当であらう。



しかしもう一歩進んで考えると法臘の順に記録なされ、そこに自ずから上位者から下位者への「順位」が明示されているにも拘らず「不次第」と仰せられたのは、簡明にいえば「上を抑えて下を挙げる」という意味である。

つまり、次第不順で、六老の相違を、法臘以外に御認めなされたからというべきである。



 つまり六老の「次第」は世間の例にならって授戒の前後に依るが、相伝の有無、法嗣の選定は六老の順位、すなわち授戒の順位には拘束されないことを強調するために、「不次第」の三字を敢えて念記されたのである。



 ここに本弟子六人の選定と、血脈相承すなわち法体の付嘱とは、まったく別の問題であり、かつまた唯授一人の相承は法臘の順位に依らないことを知るべきである。





次に現証として、後に五老は大聖人の仏法をどのように伝えたのか?

五一相対について山人君はどう考えるのか?

大聖人の三大秘法の正義を過たず伝えられお立てになったのは日興上人御一人ではないか。

では貴公は、稲荷や、蛇や、釈尊像・・などを本尊として拝むのが大聖人の正義だとでも言うのだろうか?

山人君の邪難は全くの愚論で噴飯ものある。



以下の門難は前提自体が全くの愚論であるが故に、体を成していない。

一人閉じ篭り・山人君改め「平人」君の単なる妄想である。
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メッセージ 114

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:31

 

222.山人(改め”惨瞋”)君から「師弟の筋目」というような言葉を聴くとは思いもよりませんでしたな。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 22時36分
山人君曰く

D その六門徒による和合僧体制というのは、日興上人の著された「佐渡国法花講衆御返事」からも伺うことができます。

1323年・元亨三年六月廿二日 (滅後42年)
うちこしうちこし直の御弟子と申やからが、聖人の御ときも候しあひだ、本弟子六人をさだめおかれて候。その弟子の教化の弟子は、それをその弟子なりといはせんずるためにて候。案のごとく聖人の御後も、すゑの弟子どもが、これは聖人の直の御弟子と申やからおほく候。これが大謗法にて候也。

概訳
ものごとの順序を越えて、自分は日蓮大聖人の直弟子だと名乗る輩が、日蓮大聖人御在世にもいました。それで本弟子六人を定めて六老僧としたのです。その本弟子が教化した弟子は、その本弟子の弟子分に属すると明確にするためです。案じた通り、日蓮大聖人の滅後に、末席にいた弟子たちが勝手に私は日蓮大聖人の直弟子であると名乗る弟子が多く出ました。これは師弟の筋目を違える大謗法の振る舞いといわねばなりません。

この書の意味するところはけっこう重要です。それは、

◎ 宗祖御遷化記録とも合致し、大聖人が六門徒・和合僧による教団運営を期されていたことが明らか。
——————————————————————
●ここも大笑いである。

それにしても山人(改め”惨瞋”もしくは”浅瞋”)君から「師弟の筋目」というような言葉を聴くとは思いもよりませんでしたな。

ここは、日興上人が大聖人滅後42年と言えども、師弟の筋目のその根本原理を説示され給うたところである。
御丁寧に通解まで付けて頂いて、御苦労様。

ここは、大聖人が本師・小師の筋目を示すために、六老僧を定められた次第・意義を仰せになられているのである。
浅瞋君にこのことを理解せしむるためには、上行菩薩の別付嘱から説き起こさねばならない。
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メッセージ 115

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:31

 

223.宿坊をメッセンジャーボーイにしてもいいが。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 22時39分
■「然るに上行菩薩等末法の始めの五百年に出生して、此の境智の二法たる五字を弘めさせ給ふべしと見えたり。経文赫々たり、明々たり。誰か是を論ぜん。日蓮は其の人にも非ず、又御使ひにもあらざれども、先づ序分にあらあら弘め候なり。既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁の衆生に流れかよはし給ふ。是れ智慧の義なり。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん。」

また、

■「此の経は相伝に有らざれば知り難し。」

『真言見聞』
■「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」(608)

■「次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。」

■「修学解了の受職の比丘は仏位に同じ。是即ち如来の使ひなればなり。」


これら御文の義から言って、神力品の別付嘱(別しての血脈)は

在世  釈尊=上行(内証日蓮大聖人)
末法  日蓮大聖人=日興上人=  =   =   

となるのが道理だが、もしこれを否定するのならば、教学的に詳細に説示せよ。
——————————————————————
と、草薙君にしっかり言い置いたが如く、上行菩薩への別しての血脈が、仏法三世の通規であるが故に、末法でも大聖人からただお一人へ相承されなければならない。これが末法万年仏法伝持の基本である。

その綱格の上に、六老僧は定められたのである。(「順不次第」の意味するところの真意はここにあるのである)

そうした上行所伝の、別しての法体を所持される本師を中心とするところの六老、そしてまたそれに連なる弟子・檀那 と、斯様な成仏の血脈の次第と組織構成である。

であるから、大聖人の御時に、
「▼自分は日蓮大聖人の直弟子だと名乗る輩が、日蓮大聖人御在世にもいました。それで本弟子六人を定めて六老僧としたのです。その本弟子が教化した弟子は、その本弟子の弟子分に属すると明確にするためです。」
との仰せはまさにその原理・筋道をお説き遊ばされた、そのままの御文である。

しかして、その原理・筋目を違えて、「今」、「▼日蓮大聖人の滅後に、末席にいた弟子たちが勝手に私は日蓮大聖人の直弟子であると名乗る弟子が多く出ました。」と。
これはこの御文が書かれた、大聖人滅後42年の状況を仰せである。
しかしこれを以って、六老の現時の行動を日興上人が肯定していることは断じてないのである。

その証拠に、「五人と日興と堅く以て義絶し畢んぬ。」と明記された、「富士一跡門徒存知事」はこの「佐渡国法花講衆御返事」の14年も前の延慶二年大聖人滅後28年に草せられているのである。

山人君、いや惨瞋君 いや 浅瞋君 よく分かりましたか?

反論があるのなら楽しみにしている。大いに語ろうではないか。

がしかし、貴公の掲示板には当方は書き込み拒否をされ書き込めない。
貴公こそ、当掲示板へお出まし頂きたいものである。

宿坊をメッセンジャーボーイにしてもいいが。

が、それでは貴公の名誉心が痛まないか?
それが心配である。
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投稿日時 : 2005/06/10 14:31

 

224.ご愁傷様でした。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 22時42分
山人君曰く

◎ 日興上人は、他の五老門徒を否定されておらず、自らが大聖人の命により記述した「宗祖御遷化記録」の精神を遵守されている。

◎ 朗門には日朗を中心とした師弟、浜門には日昭を中心とした師弟があり、それぞれの門流によって師弟関係が形成され、それが上代日蓮門下の和合僧体制として認識されていた。

●前段指摘したが如くで、この項目は全く的を外れた邪難である。
ご愁傷様でした。呵々
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メッセージ 117

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:32

 

225.この項の邪難は山人君の更なる恥の上塗りに過ぎない。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 23時22分
山人君曰く

E 大聖人は六門徒による和合僧体制を期されたものの、現在では日興門流にても邪宗・日蓮正宗に代表されるように、聖僧はおりません。それは創価学会出現の現在では、むしろ当然ともいうべきもので、「観心本尊抄」(P254)に「当に知るべし・此の四菩薩・折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し・摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。」と大聖人が云われたように、現在は「賢王による折伏の時=和合僧・在家教団による広宣流布への体制の時」である、といえます。
これにつき、「日蓮大聖人は僧侶をいらないとは仰られていない」などと日蓮正宗関係者はよく主張しておりますが、「日蓮正宗=邪法の僧の集団」という己の分を弁えぬ、単なる思い上がりにすぎない主張です。

●もう、貴公はボロボロ状態だな。
当方が貴公の掲示板へ書き込むのが痛かった訳だ。
こんなサンドバック状態をお身内に見られたくないものな。

がしかし、邪疑を吐いたからにはその責任は取ってもらいますよ。

▼「観心本尊抄」(P254)に「当に知るべし・此の四菩薩・折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し・摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。」と大聖人が云われたように、現在は「賢王による折伏の時=和合僧・在家教団による広宣流布への体制の時」である、といえます。

●貴公が一体どういう見地でこう断定できるのか?

折伏=上行所伝の法体・三大秘法を広めること。

では創価学会の三大秘法とは何か?

貴公らが否定する戒壇の大御本尊を、貴公らが否定する大石寺の血脈相承を受け継ぐ第二十六世日寛上人が、御書写された御本尊を、勝手に撮影・改竄・複製して3000円で販売している掛け軸ではないか。

なんという自己矛盾の塊であろう。

そのような連中が「賢王」である訳無く、その3000円の掛け軸を販売して歩くことが「折伏」である訳がない。

しかも最近聞くところによると、その掛け軸を縮小プリントしたチャチなケースのペンダントをなんと、10000円で販売しているそうじゃないか。

なんという、下衆な集団であろう。

まさに八大地獄は貴公らの為に口を開けり。

後生を恐れよ。少しでも良心が残っていたならば速やかに改心し、懺悔せよ。
——————————————————————

山人君曰く 
F 「一弟子=本弟子・六老僧の間に次第はない」・・・これは誰あろう、大聖人が決められたことであり、しかもそれは「宗祖御遷化記録」という日興上人真筆の正文書として記録に残っているのです。このように大聖人は六門徒・和合僧による、令法久住・広宣流布を期されたのが史実であり、『書面の内容』がこの「宗祖御遷化記録」に矛盾し、正体がばれてしまい偽書と断ぜられるのが「二箇相承書」なのです。

●貴公の愚論・妄断は完全に摧破済み。
よって、この項の邪難は恥の上塗りに過ぎない。
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メッセージ 118

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投稿日時 : 2005/06/10 14:32

 

226.樋田さんへ
返信  引用 
名前:れいな    日付:6月10日(金) 0時1分
貴重な資料、永久保存今日までの分、永久保存致しました。
http://www.geocities.jp/mksutra/shukubohaiboku13.html


230.Re: 樋田さんへ
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 9時35分
ありがとうございます。

お手数かけてすみません。

何から何までご厄介になって恐縮です。

今後ともよろしくお願いします。
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メッセージ 119

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投稿者 : MSN ニックネーム

terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:32

 

227.学会員
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名前:神様    日付:6月10日(金) 2時51分
とても教学にたけた方ですね。私は創価学会の三世です。学会は大御本尊否定ですか?確かに日顕さんの法王としての資質は否定していますが、日興上人だってホウボウに屈したら時のカンズうんぬんって言ってなかったでしたっけ?形式的には法王は事実上日顕さんだからそういう意味での血脈はありますよ、でももっと大きな意味での信心?の血脈は学会にあるって感じですよね、ホウボウには屈さない、三類の強敵と戦い、広い御仏意として大御本尊を信じ、お守りしていこう!って感じですよ。学会の教学本や会則ご覧になりましたか?あの法論の人たちは?ん〜三宝も三大秘法も変わってないよ。変えたらダメジャンねえぇー。変えられる訳ないよ。僕は内部にいても違うと思いますよ、少し学会の教学本をご覧になって調べられたらどうですか?口より活字のほうが責任が発生して確実ですよ。いっぱい教学勉強して考えがこりかたまり、おれは立正安国、日蓮仏法を正統に広めるぞって思い込み、悟りの暗示にかかってませんか?いいんですよ、そんな自分が好きでしょ?いいことですよ。よく考えりゃ法王も人、なんで法王しか本尊かけないの?特別な力があるの?お手かざし?学会員や法華講しか真の成仏はないの?南無妙法蓮華経だって、功徳はただの心理学的精神力の向上か、妙法と自分が合致した真の成仏か、死後の世界みたいに誰も証明できない。みんな体験や、教学などの大いなる思い込みでカバーしてるわけ。僕は宗教は幸福実現の手段としか考えられない、ってみんな考えがこりかたまってるから、なにお〜!って思うかもしれないけど冷静に考えてほしい。でも素敵ですよね、信仰のある生活は科学は生きる意味は教えてくれないもん。だから学会が何で発展したかって、それは価値創造につきると思います(どの宗教も)、高度成長期は新たな日本的コミュニティーとして、現代は平和主義の文化団体として価値を作り出し、日本の暗い世の中に広まった。そしてこの団体は圧倒的マイノリティだし、絶対日本はのっとれないよ、笑
みなさん学会を過剰評価してるよ、そんな力ない。公明党政権取れる?だから僕はもっとこの団体を自分の思ういい社会に向けての手段として使いたい。公明党の国会議員に愛国心明記しろ!拉致問題もっとがんばれ!って二時間会談したことあるよ。
宗教って価値をつくりだす集団って考えるとわかりやすい。むかしは天変地異への恐れから自然崇拝という価値観をつくり、科学の発展にともなって生きる意味を見出し、よりよい社会を作る価値観をつくってきた。私自身は絶対的幸福主義それにつきる。後半は余談です。なんでこんなの書いたんだろ、ごめんなさい。前半はいちお法論ですよね。すいません、若輩者の強がりを許してください。


232.Re: 学会員
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 10時20分
> とても教学にたけた方ですね。私は創価学会の三世です。

はじめまして。

>形式的には法王は事実上日顕さんだからそういう意味での血脈はありますよ、でももっと大きな意味での信心?の血脈は学会にあるって感じですよね、ホウボウには屈さない、三類の強敵と戦い、広い御仏意として大御本尊を信じ、お守りしていこう!って感じですよ。

根本の戒壇の大御本尊から離れたら、やはり、大聖人の仏法ではないと思いますよ。
御本尊も勝手に作ってはやはりまずいんじゃないですかね。

結局のところどうしてそうなったかというと日顕上人への憎悪から始まっていると思うんですが、でも一学会員としては、その憎悪なり、軽蔑はどこから起きているかといえば、聖教新聞・創価新報・会合での口コミ的指導から醸成されたと思うのです。

でも実際に自分の行動を通して認識している方はほとんどいないと思うのです。

私は平成3年この問題が起きてから毎月大石寺に参詣し、聖教新聞に書かれている内容と全く違うことを確認し、それから脱会しました。

その後も大石寺へ何度も参詣し日顕上人も何度も拝してきました。
その体験と認識として、やはり聖教新聞等に書かれていることは相当おかしいと思います。

皆様もやはりご自分の目と頭で事実を良く見極める努力をなされたほうがいいのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、やはり戒壇の大御本尊から離れたら大聖人の仏法の功徳はないと思いますよ。

更にもし、学会発行の御本尊を拝んでいるとすれば、教義的な説明は省きますが、人生に大きな問題が発生してくると思います。

ここに書き込まれたのも不思議なご縁ですから、真実を見極めていただきたいと切に念願します。
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メッセージ 120

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投稿者 : MSN ニックネーム

terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:32

 

228.学会員
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名前:神様    日付:6月10日(金) 3時30分
これを書いてからなんかいろいろ見ましたが(ここきたの最近なんです)、ちょっと口が悪いですね、とても理論的で素敵な方ですから、相手が興奮しても悟りを開いた修行僧のようにしなきゃ
いっぱい教学勉強して考えがこりかたまり、おれは立正安国、日蓮仏法を正統に広めるぞって思い込み、悟りの暗示にかかってませんか?いいんですよ、そんな自分が好きでしょ?って自分で書いたの思い出しました。


229.Re: 学会員
名前:神様    日付:6月10日(金) 3時40分
また変なこと書いちゃった。でもイヤミなはなしかたですね、丁寧に話されてるんですが、気になります。意図的でしょうがいちお年上だしね皆さん。なんか悟りの境地とは到底感じられないんですよ。私もそういうところがあって、そんな自分がいやなんですよ。
僕まだ学生なんです。すいません。でも同年代はもっと教学ないし、一般の主婦はわからないですよ。

 

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メッセージ 121

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:32

 

231.樋田 昌志様
返信  引用 
名前:閲覧者    日付:6月10日(金) 9時51分
>しかも最近聞くところによると、その掛け軸を縮小プリントしたチャチな
>ケースのペンダントをなんと、10000円で販売しているそうじゃないか。

\5000の間違えじゃないですか?


233.Re: 樋田 昌志様
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 10時25分
> >しかも最近聞くところによると、その掛け軸を縮小プリントしたチャチな
> >ケースのペンダントをなんと、10000円で販売しているそうじゃないか。
>
> \5000の間違えじゃないですか?

いえいえ、当地の、最近いやいや入会させられて、今ニセ本尊の間違いに気づき脱会しようとしている人からの話です。

ペンダント型にも色々なタイプがあって、現にそれを今勧められて、その時、「10000円。」と学会員に言われたそうですよ。
直接聞きました。

もしかしたら、その紹介者がマージンをとろうとしているのでしょうかね?
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メッセージ 122

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:33

 

234.Re: 樋田 昌志様
返信  引用 
名前:閲覧者    日付:6月10日(金) 11時24分
どういう経緯かわかりませんが、
今、会館へ確認致しましたが、間違いなく\5000と言われました。
紹介者を問い詰める必要があるかもしれませんね。

Q1.谷口氏の録音電話が公開されてましたが、嫌がらせのような電話がちょく ちょくあるということで、いつでもスタンバイOK状態にしてるのですか?
Q2.脱会しようとすると、DVDのような目にあうんですか?脱会後の嫌がらせ もありそうだと、私は認識いたしましたが、その辺りは詳しいのではないで しょうか?身構えが必要かもしれませんので教えて頂けませんか?


239.Re: Re: 樋田 昌志様
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 12時16分
> どういう経緯かわかりませんが、
> 今、会館へ確認致しましたが、間違いなく\5000と言われました。
> 紹介者を問い詰める必要があるかもしれませんね。

機会があったらそうしてみます。
>
> Q1.谷口氏の録音電話が公開されてましたが、嫌がらせのような電話がちょく ちょくあるということで、いつでもスタンバイOK状態にしてるのですか?

谷口氏とは録音するという相手の確認を取ってから録音しました。

> Q2.脱会しようとすると、DVDのような目にあうんですか?脱会後の嫌がらせ もありそうだと、私は認識いたしましたが、その辺りは詳しいのではないで しょうか?身構えが必要かもしれませんので教えて頂けませんか?

大なり小なり覚悟しなくてはいけないでしょう。

また、それが怖ければ脱会はできません。

ただ、大聖人様を本当に信じ渇仰するならば絶対に諸天の加護があります。それを信じて勇気を出すことですね。

一刻も早い脱会をお祈り申し上げます。
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メッセージ 123

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:33

 

235.山人君曰く
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 12時8分
2 日興上人の化導により和合僧体制を確認
——————————————————————
@ 身延山での五老僧への呼びかけ
1284年・弘安7年10/18 「美作房御返事」 房総の美作房日保にあてられた書 

其の上聖人は日本国中に我れ持つ人無かりつるに此の殿ばかりあり然れば墓をせんにも国主の用ひぬ程は尚難くこそ有らんずれば、いかにも此の人の所領に臥す可き御状候し事日興の賜はりしあそばされてこそ候しか、是れは後代まで定めさせ給ひて候を、彼れには住ませ給ひ候はぬ義を立て候はんは如何が有る可く候らん、詮する所縦ひ地頭不法に候はゞ眤んで候ひなんず争でか御墓をば捨て進らせ候はんとこそ覚え候、師を捨つ可からずと申す法門を立て乍らこ忽に本師を捨て奉り候はん事、大方世間の俗難も術無く覚え候、

(師を捨ててはならないという法門を立てながら、御墓を捨てて身延から遠ざかることは、世間からも非難をあびるであろう。)

此の如き子細も如何と承はり度く候、波木井殿も見参に入り進らせたがらせ給ひ候、如何が御計ひ渡らせ給ひ候べき、委細の旨は越後公に申さしめ候ひ了ぬ。若し日興等が心を兼て知し食し渡らせ給ふべからずば其の様誓状を以て真実智者のほしく渡らせ給ひ候事越後公に申さしめ候、波木井殿も同事にをはしまし候、

(我々、日興・波木井氏の気持ちをご存知なかったのであれば、誓状を書いてもよい。)

さればとて老僧達の御事を愚かに思い進らせ候事は法華経も御知見候へ、地頭と申し某等と申し努々無き事に候、今も御不審免り候はゞ悦び入り候の由地頭も申され候某等も存し候、其れにもさこそ御存知わたらせ給ひ候らん、

(さればとて、老僧達をおろそかにしているわけではない。私も波木井氏も、老僧達の不審が解けることを心より望んでいる。)

聞しめして候へば白地に候様にて御墓に御入堂候はん事若しくは候はじと覚え候、当時こそ寒気の比にて候へば叶はず候とも明年二月の末三月のあはいにあたみの湯治の次には如何が有る可く候らん、越後房の私文には苦しからず候委細に承り候て先づ力付き候はんと波木井殿も仰せ候なり、いかにも御文には尽し難く候て併ら省略候ひ畢んぬ。恐々謹言。

(事情、承知いただけたら、明年三月頃にでも御墓にお参りください。)
——————————————————————
⇒ この日興上人の書き振りを見れば、五老僧が身延山に来ないことを指摘しながらも、
「我々、日興・波木井氏の気持ちをご存知なかったのであれば、誓状を書いてもよい」
「老僧達をおろそかにしているわけではない。私も波木井氏も、老僧達の不審が解けることを心より望んでいる」
とあるように「五老僧と対等」の立場で呼びかけております。これ即「宗祖御遷化記録」の「一弟子・本弟子」を遵守されているものと理解できます。
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メッセージ 124

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:33

 

236.山人君、全く駄目です。文が読めていません。
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名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 12時9分
●はい、全く駄目です。

まず、このお手紙の概要は以下のごとくである。

鎌倉方の諸老僧は

「地頭の波木井入道に不法の色が顕われている。
従って御遺言から見て、もう大聖人の御魂は身延に住まわせられていない」
等と云って、このところ墓所輪番制も守らず一向登山して来ない。
然し私(日興上人) の見るところ、地頭にはそれらしい態度は顕われていない。
我々 (日興上人と入道) は老僧方に対し何の別意も懐いていない。
此の事は神明に誓っても宜しい程である。
故に我々に対する誤解をといて、門下の方々が参詣なさる様になったらどれ程嬉しい事か、貴僧(美作房)も是非お出で下さる事を望んでいる。」

当時五老は、「御本墓登詣の必要なし」との態度をとるようになっていた。
即ち、既に諸老僧は輪番制等は打ち捨てて、全く身延へは登らなくなっていたのである。

が故に、時に、老僧達が登山給仕せず、輪番制も有名無実になった事を仰せになり、御本墓を打ち捨てて省りみぬ、諸老僧の怠慢を、強く責めていられる。

当時諸老僧方が身延へも参詣せず、日興上人と没交渉であった。

■ 師を捨つべからず、と申す法門を立てながらへ忽ちに本師を捨て奉り候わん事、大方世間の俗難も術なく覚え候。

 これは
「師弟の関係は三世にわたっての深い因縁がある。
その師を捨てると云うのは大聖人に背くことであり、一般世間の人々から批難をうけても弁解の余地がない」との文であり、
此処にも明らかに「忽ちに本師を捨て奉り候わん事」と諸老僧方の態度が表わされている。」

とのお心である。

かかる諸老僧の態度に就いては当然一門の大導師として、又御正墓在す身延山の別当として日興上人は墓番給仕を懈怠する事を責め、警告を発せられたであろう。
それは本状にも諸処にその意を汲む事が出来る。

但し無論、この『美作房書』は上総興津在住の美作房日保へ宛てたのであり、この人は墓番衆には入っていない。
然しその美作房へすら斯様に切々と実情を訴え、大聖人遺弟として而もその中心者たるべき諸老僧が御正墓へ参らぬとは何と情ない事か、といい送っているのである。
従って本状は一応は美作房への日興上人の御言葉ではあるが、再往は鎌倉方諸老僧への御言葉であり、由文であると拝するのである。

然し乍ら本状にもその御心情が顕われている如く、内容に関しては、決して院主権を嵩に着ての高圧的な語句をお用いでなかった。
御滅後の一門を何とか円満に統率し、以って強固な教団態勢を整えたいと御腐心遊ばされた文面である。
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メッセージ 125

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:33

 

237.美作房御返事の真意は?
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名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 12時10分
次いで本状に示されている諸老僧への戒告の文を列挙すると、

 ■何事よりも身延の沢の御墓の荒れはて候いて、鹿かせきの蹄に親り懸らせ給い候事、目も当てられぬ事に候。

 この文は、勿論御墓が現実に斯の様な状態であるはずはなく、日興上人御一統が意を尽くして御給仕遊ばされてはいたのだが、諸老僧が参詣しないありさまを形容されたと見るべき事は当然である。

 ■地頭の不法ならん時は我も住むまじき由、御遺言には承り候えども不法の色も見えず候。其の上聖人は日本国中に我を待つ人無かりつるに此の殿ばかりあり、然れば墓をせんにも国主用いぬ程は尚難くこそ有らんずれば、いかにも此の人の所領に臥すべき御状候いし事、日興へ賜わりてこそ遊ばされて候いしか。是れは後代まで定めさせ給いて候を、彼には住ませ給い候わぬ義を立て候わんは如何が有るべく候らん。所詮地頭より不法侯わば泥んで候いなんず。争でか御墓をば捨て参らせ候わんとこそ覚え侯。
                          
 この文には誠に理を尽くして、詳々と諌められる日興上人の御心情が渉み出ていると拝せられる。

即ち

「諸老僧方は、大聖人の御遺言を楯に取って、「地頭が不法であるから早大聖人の御魂は住まわせられない、従って登山の要なし」とされているが、当地頭には一向にその気振りは見えないのみならず、大体大聖人が「日本国中に私を待つ人もなかったのに、此の波木井殿ばかりは待っていてくれた。
其れに滅後墓を作るにしたところで、国主が未だ此の仏法を御信用ないうちは種々と難も起こるであろうが、この波木井入道の所領、身延の山中ならば其の様な憂いもない故に此処に墓を定めたい」と斯様に身延走墓を仰せられたと云うのも、その実はこの
身延山を日興に賜わったからこそである。
即ち、私に身延後董の前提があったればこそ、波木井入道は信心未熟であり、又御遺言もあって如何にも頼りにはならぬかもしれないが「いづくにて死に候とも、はか(墓)をばみのぶさわ(身延沢)にせさせ候べく候」 (新編一五九六) と仰せられたのである。
それ故に仮令地頭の波木井入道がどの様であったとしても構わないではないか。
この事は後々迄変らぬ義として定められているのである。
それなのに諸老僧方は、地頭が不法であるからもう大聖人の御魂は身延に住まわせられない、等と主張して参詣せぬのは一体どうした事であろう、筋の立たぬ話ではないか。
所詮地頭の態度から不法の色が出始めた時は、大聖人の正義を厳しく立てて行かねばならぬ我々として、誠に悩まねばならない事であろう。
然しそれだからと云ってどうして御墓を捨ててよいと云えようか、決してどの様な事があろうと本師の御正墓を打ち捨てるべきではないと考える。」

 大要以上の如き日興上人の誠めの御文と拝せられるのである。

 又更に、

 ■鎌倉には定めて御さわぐり候覧めども、是れは参りて此の度の御世間承らず侯に尚今も身の術なきまま、はたらかず候えば仰せを蒙る事も候わず、万事晴々と覚え侯。

とも記されている。

「鎌倉方面に在る日昭・日朗等の門弟方は、定めて大聖人の御精神を継ぎ、国諌活動をされている事と思うが、その様子を知る為鎌倉迄出かけたくともその暇もなく、それに少々健康も勝れないので何事も出来ず仰せを蒙る事も適わない。
従って万事闇の様である。」

斯く記されているのであるが、この最後にある「万事晴々と覚え候」との一句のうちには無量の御心境が含まれていよう。
病身の為御自身で門下諸般の情勢を察知する事が出来ないのも残念ではあるが、それにしても、鎌倉方の諸師は自ら登山もしなければ又何の音沙汰も無い、未だようやく御参年の御忌が過ぎたばかりだと云うのに一体何とした事か、鎌倉方のみならず他の老僧方も登って来ぬ当今は、全く何も彼も闇であると、言外に諸老僧不参の忘恩を詰られているさまが知れよう。
 
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メッセージ 126

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:33

 

238.「美作房御返事」が、別しての唯授一人の御法体相承を否定する証拠・根拠には全くならない。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 12時11分
 さて以上諸老僧の身延に対する敬遠の状態、それを諄々と、或いは厳しく諭される日興上人の御苦心を記して来たが、勿論日興上人とされては、唯単に批難をする事が主眼ではない。
あくまでも相手の頑な気持を解きほぐし、一門が和合僧団たる事を衷心から望まれるに他ならない。
その為に諸老僧方の地頭に対する誤解を、一刻も早く免れしめようと、御自身迄も共々胸襟を開き、その真情を披渡されているのである。
以下その思し召しが如実に顕われている文を掲げて最後としよう。
               
  ■若し日興等が心を、兼ねて知ろし食す事渡らせ給うべからずば、其の棟誓状を以って真実知者の欲しく候事、越後公に申きしめ侯い畢んぬ。波木井殿も同じ事におわしまし候、さればとて老僧連の御事を愚そかに思い進らせ (ず)候事は、法華経も御知見侯え、地頭と申し某等と申し努々無き事に侯、御不審免がれしめ候わば悦び入り候の由地頭も申され候、某等も存じ候。

ここにおいて、「以上様々な事を述べたが、要するに地頭に不法の色は見えないのであり、若し貴僧方が地頭に対して何等かの不満を持たれているとすれば、それは思い過ごしというものであろう。
斯様な日興等の心に疑いを持たれるなら一札、誓状を入れてもよい。
とにかく真実に吾等の心中を洞察する智者があって欲しい事を越後公から詳しく述べさせよう(本状は越後公日弁に托して美作房へ遣わされたものである)。
此れは地頭も同じ考えである。
さればと云って老僧達の事を疎かにすると云うのでない事は、御本尊も御証明遊ばされるであろう。
地頭といい、自分といい、決して偽りではない、真の気持ちなのであるから、我々に対する不審の念が晴れるなら、いかばかり悦ばしい事であろうと地頭も申しているが自分も全く同様である。」

と此の御文により当時の日興上人並びに地頭の心情が、余す所なく表明されている事が了解出来るであろう。

——————————————————————
▼⇒ 日蓮正宗関係者はよく「日興上人の謙譲の御精神の表れ」などといいます。確かに「謙譲の御精神の表れ」でいいでしょう。では何によってそうなのか?といえば、そこに「宗祖御遷化記録」に記されたもの「六門徒・和合僧体制」というものがあるからでしょう。
——————————————————————
●「六門徒・和合僧体制」は総じての辺の捉え方であり、別段それは過ちではない。がしかし、だからといって、この「美作房御返事」が、別しての唯授一人の御法体相承を否定する証拠・根拠には全くならない。
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メッセージ 127

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:33

 

240.山人君は自説を通そうとしながら、まさに日興上人の唯授一人血脈相承を証明しているようなものである。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 13時13分
山人君曰く

A 「富士一跡門徒存知の事」「五人所破抄」により

「富士一跡門徒存知の事」「五人所破抄」は、五老側が天台沙門と号したこと、一部如法経を修したこと、曼荼羅本尊の扱い等、法門上の異解「五一の相対」により、五老僧を破折する内容となっております。
「本門弘通の大導師である日興上人に帰伏すべし」云々などは、当書ならず上代の全ての文献に存在しません。現在の日蓮正宗ならば「血脈附法の本門弘通の大導師・日興上人に逆らうか」とやるでしょうが史実は全く逆です。

◎ 日興上人は五老僧を自身の門流の傘下にされようとはせず、それぞれの系統自体を云々することはありませんでした。

——————————————————————
●まさに悩乱者とはこのことである。

先ほどの美作房御返事には何て仰せであったか。

一致団結して和合僧団を形成されようとなされた御心が痛いほど伝わって来るではないか。
もちろん既に完摧したが如く、唯授一人・御法体の血脈相承を根幹とした上でのことである。

ではここで、該書を時系列にそって並べてみよう。

弘安7年 1284年 聖滅3年     美作房御返事

正応元年 1288年 聖滅7年     原殿御返事(参考)

正応2年 1289年 聖滅8年     日興上人波木井日円を義絶す。

延慶2年  1309年 聖滅28年    富士一跡門徒存知事

嘉暦3年  1328年 聖滅47年    五人所破抄 

一目瞭然である。

■「此の相違に依って、五人と日興と堅く以て義絶し畢んぬ」富士一跡門徒存知事
とあるがごとく、唯授一人血脈相承の御法主として既に破門し義絶した五老へ向かって「本門弘通の大導師である日興上人に帰伏すべし」だなどと、言われるはずもないのである。

大体にしてこの「義絶」という文言は、概ね筋道として、ある立場から、ある立場へ、たとえは親が子へ、師匠が弟子へ、主人が被雇用者などへ下す処断である。

五老はもともと身延不参であり、自ら離れているのである。その者たちへあえて日興上人が「義絶」する意義とは、まさしく唯授一人・別しての血脈相承をお受けになられたお立場から、総じての血脈の流通を断絶されたことに他ならない。

この御文一つとってみても日興上人が唯授一人血脈相承をお受けになられた正嫡の御法主であられる文証となる。

また五人所破抄の「所破」にしても同様である。
山人君が言うが如く、
「五老側が天台沙門と号したこと、一部如法経を修したこと、曼荼羅本尊の扱い等、法門上の異解「五一の相対」により、五老僧を破折する内容となっております。」
その通りである。

では、何を以って、何を根拠に他を破することができるのか?
これまさに別しての血脈相承に依って日興上人が大聖人の御法門の真義に達せられていたからではないか。

山人君は自説を通そうとしながら、まさに日興上人に唯授一人血脈相承がなされたことを証明しているようなものである。
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メッセージ 128

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 17:30

 

241.山人君、ここもやっぱり不可です。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 14時39分
山人君曰く

◎ 日興上人は「大聖人の立てられた法門」を守るという姿勢で他に臨まれており、もし五老僧側に「法門上の違背」がなければ「六門徒による和合僧体制」がなされていたことでしょう。
——————————————————————
●これはまさにその通りである。
では何故に日興上人以外の五老に法門上の違背が生じたのか?
簡単である。大聖人の御法門を理解していなかったからである。
日興上人お一人大聖人の御法門を信解され、通達解了せられていたから、法門上の違背がなかったのである。
なぜか?
それこそ唯授一人血脈相承があられた現証ではないか。
だからこそ、大聖人は日興上人を中心に六老僧が定置されたのである。
至極簡明な道理である。

——————————————————————
山人君曰く

◎ 更に「五人所破抄」(1610)には「爰に先師聖人親(まのあた)り大聖の付を受けて末法の主為りと雖も、早く無常の相を表して円寂に帰入するの刻五字を紹継するが為に六人の遺弟を定めたもう。日昭と日朗と日興と日向と日頂と日持と 已上六人なり。」とあり、六門徒による和合僧体制が記述されています。もし、二箇相承書が実在したならば、書かれてもよさそうな箇所ですね。

——————————————————————
●こういうのを「切り文」というのである。

まず、当該箇所の段を見れば、

「夫以れば諸仏懸遠の難きことは譬へを曇華に仮り、妙法値遇の縁は比を浮木に類す。塵数三五の施化に猶漏れて、正像二千の弘経も稍過ぎ已はんぬ。闘諍堅固の今は乗戒倶に緩く人には弊悪の機のみ多し、何の依憑しきこと有らんや。設ひ内外兼包の智は三祇に積み大小薫習の行は百劫を満つとも、時と機とを弁へず本と迹とに迷倒せば其れも亦信じ難からん。爰に先師聖人親り大聖の付を受けて末法の主たりと雖も、早く無常の相を表して円寂に帰入するの刻み、五字紹継の為に六人の遺弟を定めたまふ。 日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持=已上六人=なり。
 五人武家に捧ぐる状に云はく=未だ公家に奏せず=。」云々

とあり、ここの文意は、

「真の正しい仏法に逢うことは真に稀である。この大事の仏法・妙法蓮華経の三大秘法を末法万年に流れ通わすために、大聖人は六人の上足の遺弟を定め、教団の維持運営発展を託された。であるにも拘らず、日興上人他の五人はかくも謗法の振る舞いである云々」

と続くのである。

この書の構成自体が、五老の謗法行為は何々、日興上人の正義は何々・・等と、詳細に示されるのであって、その内容そのものが、邪義・謗法の五老と、正義日興上人との対比であり、それはそのまま唯授一人正嫡の日興上人を証明されている書である。

この書は日興上人と五老との「法門上の差異」を例示されたものであるから、別段に二箇相承という文献を掲示する論文ではないのである。

この書に二箇相承のことが書かれていないからといって、それが二箇相承がなかったなどという証拠には全くならない。
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メッセージ 129

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 17:30

 

242.大丈夫か?山人君。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 15時5分
山人君曰く

◎「秘中の秘の大事の相承書なのだから、軽々に文の表に出されるわけがない」などと日蓮正宗関係者は言いますが、いつから、誰が、そのようなことを言い出したのでしょうか。
後世に至りそのようなものいいで辻褄合わせをやるならば、なんでも可能というものです。しかも、その「二箇相承書」が大石寺にないのに主張しているのですから、大笑い、というものです。

●まあしかし、貴公もよほどの粘着質である。
二箇相承曽存の証拠は既に詳述した。

二箇相承は大聖人から日興上人への御状であるから御随身遊ばされ、重須へ奉持されたのである。
後に武田勝頼によって強奪され、以後紛失し今は行方不明であって、以後再発見される可能性だってあるのである。
であるから大石寺にないことは別に不思議でもなんでもない。

後に反論があるようだから、当該箇所にきたら完摧する。

——————————————————————
山人君曰く

B 日興上人も大聖人の先例に倣われた

日蓮大聖人が「本弟子・一弟子六人」を選定され「六門徒・和合僧体制」とされたと同様、日興上人も「本六・新六」と呼ばれる弟子を選定され、それぞれの師弟の系統を立てられています。大聖人が「和合僧体制」による令法久住・広宣流布を期され、それを記述されたのが日興上人です。当然、弟子の日興上人も師匠・日蓮大聖人と同様の方式をとられるのが道理であり、事実、そのようにされたのです。
これが「明確なる史実」です。「日興跡条々事」なる文書は、一人、日蓮正宗・大石寺という一日蓮系寺院がその存在を主張しているにすぎないものです。
——————————————————————
●山人君は唯授一人血脈相承を否定したがために必死のようだが、全く苦し紛れの妄言にすぎない。

「日興跡条々事」の正副両本が大石寺に存在していることは、学会発行の仏哲にも明記されている。
もし、今になってそれを否定するのであれば、学会の公式見解として、新たな学術的発見があり、しかもそれが正当な研究成果であることを証明せねばなるまい。

——————————————————————
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メッセージ 130

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 17:30

 

243.本当に大丈夫か?山人君。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 15時6分
山人君曰く

◎ 本六 新六
1336年・建武三年9/15 日順阿闍梨血脈 (富要 2-22 )
此の師亦た法主の佳例に准望して六人の名言を授与す、頗る上聖値遇の古老なり、仍て過半先立つて逝去す、往古治定する所なるが故に本六人と云ふ、次に一乗の大機を撰量して、重ねて六人の碩徳を添加す・是れ最後随逐の若徒なり、蓋し末世の竜衆と謂ふべし、近来賞翫に預れば乃ち新六人と名く。

家中抄  (富要 5-183 )
本六人  郷 阿闍梨日目蓮蔵房 寂日房日華廿家阿闍梨 下野阿闍梨日秀理境房 少輔阿闍梨日禅号南房 摂津公 上蓮 日仙  大学了性房 日乗  新六人 伊与阿闍梨日代 寂仙房日澄 弁公日道 式部公日妙 大窪日亳 大進公日助

家中抄  (富要 5-200 )
新六人  永仁已後元徳正慶の間六人の碩徳を選び彼の本六人に対して是を新六人と号す、其の列次智徳を以て本と為す、然るに日澄第二に列するは澄公の没後に之れを列するが故なり、若し年老の次第に因れば澄道妙皆年老なり、澄公は三十三歳年増日道は十二歳日妙は十歳の年老なり、故に年老の次第に非ざるなり、次の代公は初に列する由緒有るか、謂く日澄は日向の弟子後に日興に皈伏して弟子と為り、日道は日目の弟子、日妙は日華の弟子なり、日代、日善、日助は興師の直弟なり、之れに依って新六人第一日代を挙げ給へるか、余は下に至つて之を知れ。

——————————————————————
●これらの文献は日興上人が、本六・新六を定めたことを記述しているだけで、別段、唯授一人血脈相承を否定するなんら証拠にもならない。
——————————————————————
山人君曰く

◎ 北陸の日満について
「日興上人は亡くなる前年の1332年・元弘2年(滅後51年)10月16日に、新六になっていなかった佐渡の日満を「北陸道七箇国の法花の大別当」に定めました。(富要 8-145 ) 

北陸は日満が導師として弘通するということであり、同時に日興上人は特定の一人にのみ全ての権能を附属する意志のなかった証拠でもあります。
「〜然れば、阿仏房の跡相続の子孫は北陸道の法燈たるべきの由、日蓮聖人の御筆跡の旨に任せて日満阿闍梨は北陸道七箇国の法花の大別当たるべき者なり、大衆此の後此の旨を存知せらるべし、惣じて日興門徒の僧俗等聊も之を違失することなかれ、〜」
——————————————————————
●何か問題でも?

「北陸道七箇国の法花の大別当」といえば、法縁により、地域により、教区を分け、その教区の責任者として日満師を任命した。
ということで、貴公の結論にはならない。

今で言えば大支院長・宗務支院長ということと同様であろう。

むしろ、任命したのは日興上人であるから、任命権者と被任命権者との立てわけがあり、これこそ、正嫡の御法主上人と御法主上人を中心とするところの僧団の組織が存在したことの紛れもない証拠ではないか。

大丈夫か?山人君。
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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 17:31

 

244.以上の論証によって、まったくこの愚論は成立せず。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 15時15分
山人君曰く

3 まとめると

◎ この考察以前の御書・各資料から、日蓮大聖人は門下各人を教導し、法門を順次・次第に明かし、又各人への法華の血脈相承によって成仏せしめ、広布を目指す異体同心の和合僧を確立し、令法久住を期せんとされていたことは明らか。

◎ 事実、大聖人は「六門徒・和合僧体制」を期された。大石寺のいう唯授一人血脈相承などはなかった。

◎ 日興上人も大聖人選定の他の五老門徒の系統自体は云々せず、法門上の異解を以て指摘・破折。「大聖人の立てられた法門」を守る姿勢をとられる。決して「相承書」等による「自身への帰伏」はいわれず、現在の日蓮正宗・大石寺とは全く逆の振る舞い。

◎ 日興上人も大聖人同様、和合僧の確立による令法久住・広宣流布を期す為、重須にて門下の教導、育成に励んだ。

◎ 師匠の日蓮大聖人が「六門徒・和合僧体制」を期されたのに倣い、弟子の日興上人も唯授一人の血脈相承などはされず、「本六・新六」中心の和合僧体制の確立に奮励された。
これが上代における史実であり、「二箇相承書」「日興跡条々事」などは偽書であり、謀書にほかならない。

このようなものを以て「自宗・自派の正統の証」とするなどは「信・行・学」なき坊主の「堕落証明書」であり、一部坊主の悪意有る、僅か数日の作業で、末法万年までも「血脈信仰」を垂れ流さんとする魔の所業です。

◎ 要は日蓮大聖人、日興上人が特定の僧への血脈相承なるものによってのみ、令法久住を期されていたとの証拠は無い、ということです。

では、また明日!

——————————————————————
●以上の論証によって、まったくこの愚論は成立せず。
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メッセージ 132

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 18:16

 

245.山人君の
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 17時4分
卞氏 という当方の掲示板でも愚論を吐きまくっていた学会員の山人君への質問
——————————————————————
Q 「二箇相承書」ですが、「九月○日」となっているのは、何故なんでしょう。
後世の謀策となると、妥当な日付をあとで考えよう、っていうところでしょうか。
——————————————————————
山人君登場

▼現行の御書全集では「九月日」なのですよね。
そこで登場の過程を見ますと

@ 1468年・応仁2年10月13日(滅後187年) 住本寺・日広、重須にて二箇相承全文書写、其の奥書に云く「日広云、於富士重須本門寺以御正筆奉書畢、応仁弐年十月十三日」
要山十八代日在云、先師日広上人詣富士之時如之直拝書之給也云々(雪文三十大遠日是転写本。夏期講習録2-8富谷日震)
と、二箇相承書の一番古いのは「北山本門寺」にて書写されています。

A「二箇相承書」全文の登場は、日教が京都・住本寺にいて、日叶と名乗っていた時なのですが、これがその文です。

1480年・文明12年(滅後199年)、京都・住本寺僧・日叶の「百五十ヵ条」(富要2-182)

日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之を付属す本門弘通の大導師為るべきなり、国主此の法を立てられば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ・事の戒法と謂ふは是なり、中ん就く我門弟等此状を守るべきなり。弘安五年壬午九月十三日、血脈の次第・日蓮・日興、甲斐国波木井山中に於て之も写す。

⇒ ここでは「九月十三日」ですよね。

B 1480年の「百五十ヵ条」に続き、「二箇相承書」が登場した同じ日教著の「類聚翰集私」(1488年)には、「身延相承書」「池上相承書」が入れ替わって記述されます。

1488年・長享2年(滅後207年)6月10日 大石寺・日教著「類聚翰集私」(富要2-314)
私に云はく此の御仏法を聖人・白蓮に御付属の御判右に在り。
釈尊五十余年の説教、白蓮日興に之を付属す身延山久遠寺の別当たるべし、背く在家出出家共の輩は非法の衆たるべきなり・弘安五年九月十三日、日蓮在御判、血脈次第日蓮日興、甲斐の国波木井郷・山中に於いて之を図す。

⇒ ここでも「九月十三日」です。

C 重須・本門寺に存在した?「二箇相承書」

1556年・弘治2年(滅後275年)7月7日(1581年の武田の兵乱の25年前)
京都要法寺・日辰が弟子の日耀に臨写させる。
「身遠山久遠寺〜
大坊に帰り御霊宝頂拝す。二ヶ相承是は日辰上人・正筆御拝覧の時・点画少しも違わず書写して今・本寺に在り」(富要5-60)

⇒ これは日辰本として写真が出回っていますがここでは「九月日」となっています。

ここで思い浮かぶのは「九月十三日」には「大聖人は身延におらず、既に常陸の湯に向け出発されており、この記述は日叶が『二箇相承書』を書いた時には行学院日朝によって表わされていた」ということですね。

D  日教の記述は、日蓮教学の大家である身延・行学院日朝の「元祖化導記」の記述と違っています。同所によると、大聖人は九月十三日には身延におらず、くれじに滞在しているのです。

1478年・文明10年(滅後197年)(大石寺・日有の時代) 元祖化導記 身延山・行学院日朝
二十五、武州池上のこと
 或る記に云く、弘安五年壬午九月八日午の刻身延の沢を出御有って、其の日は下山兵庫四郎の所に一宿、九日大井庄司入道、十日曾祢の次郎、十一日黒駒、十二日河口、十三日くれじ、十四日竹下、十五日関下、十六日平塚、十七日瀬野、十八日の午の剋に武蔵の国荏原郡千束郷池上村に着き了んぬ
〜御本に云く、文明十年(1478年)戊戌十月十三日これを書しおわりぬ。 日朝在判
元祖化導記下巻 寛文六年版

⇒ 北山にて「二箇相承書」を偽作したものの、後に行学院日朝の「元祖化導記」を知るところとなり、手直しをした、というところでしょうか。
以上、簡単ですいません。

しかし・・・法華講員さんは草薙氏の指摘どおり、コピー大好きですね。(笑)

——————————————————————
●上記の@〜Dまでの文献から、山人君の言うような「北山にて「二箇相承書」を偽作したものの、後に行学院日朝の「元祖化導記」を知るところとなり、手直しをした、というところでしょうか。」

などという、結論は何の根拠もない、こじつけ、邪推、妄断である。
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メッセージ 133

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 18:16

 

246.何故、これを隠すか。山人君。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 17時21分
山人君曰く

こんばんは
少々長くなりますが、今回は二箇相承書について書きます。

@ 1468年・応仁2年10月13日(滅後187年・大石寺は10代日乗の時) 
住本寺・日広、重須にて二箇相承全文書写、其の奥書に云く
「日広云、於富士重須本門寺以御正筆奉書畢、応仁弐年十月十三日」
要山十八代日在云、先師日広上人詣富士之時如之直拝書之給也云々
(雪文三十大遠日是転写本。夏期講習録2-8富谷日震)

A 1480年・文明12年(滅後199年・大石寺は9代日有の時)
京都・住本寺僧・日叶の「百五十ヵ条」(富要2-182)

日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之を付属す本門弘通の大導師為るべきなり、国主此の法を立てられば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ・事の戒法と謂ふは是なり、中ん就く我門弟等此状を守るべきなり。弘安五年壬午九月十三日、血脈の次第・日蓮・日興、甲斐国波木井山中に於て之も写す。

釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当為るべし、背く在家出家共の輩は非法の衆為るべきなり。
弘安五年壬午十月十三日  日蓮御判。
武州池上

御譲与の趣き眼前なり、弘安五年九月十三日の御書には富士山本門寺の戒壇を建立すべし云云、之に依つて富士の郡、重須本門寺御建立、仍末寺西山は日代の寺〜

B 1556年・弘治2年(滅後275年・大石寺は13代日院の時)7月7日
(1581年の武田の兵乱の25年前)
京都要法寺・日辰が弟子の日耀に臨写させる。(富要5-60)

大坊に帰り御霊宝頂拝す二ケ御相承是は日辰上人正筆御拝覧の時点画少しも違はず書写して今本寺に在り、本門寺額、紺紙金泥の法華経一部、曼荼羅十七幅、安国論皆御正筆なり、一々残らず頂拝す興師御遺骨等頂拝す、薄暮に及びて亦振舞夜半迄乱酒なり酒果てゝ本行坊に宿し、翌朝亦頻に抑留し、振舞果て大石寺に帰る。
——————————————————————
▼山人君⇒ お初の登場が@にあるように、京都・住本寺の僧日広が北山本門寺にて書写した、という記述ですね。ただ、これは「全文書写しました」という記録が有るというだけで、文面は未だ公開されておりません。まあ一応、全文が有るよ、というところです。
——————————————————————
●古文献としての「お初登場」は、

@ 聖滅27年(1308)

徳治三年九月二十入日 日頂の本尊抄得意抄添書(本書無表題今且立之)に
「興上人一期弘法の付嘱をうけ日蓮日興と次第 」
「末法の教主日蓮が本意の法門直授たり」の文あり(宗全一−四四)

次は
A 聖滅99年(1380)康暦二年六月四日、妙蓮寺日眼の五人所破抄見開に
「日蓮聖人之御付嘱弘安五年九月十二日、同十月十三日御入滅の時の御判形分明也」の文(富要四−八)

等がある。

何故、これを隠すか。山人君。
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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:15

 

247.樋田昌志 様
返信  引用 
名前:閲覧者    日付:6月10日(金) 21時34分
http://nonakashin.hp.infoseek.co.jp/c320.htm
ここの掲載月日とは、何の書籍を指すのでしょうかね?


250.Re: 樋田昌志 様
名前:閲覧者    日付:6月10日(金) 22時18分
コラム「視点」転載サイトと書いてありました。

あきれてしまい、開いた口が塞がりませんでした。
当時の事を覚えていた人はいなかったのでしょうか? 

251.Re: 樋田昌志 様
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 22時56分
こういう誰がこうしたとかいう話はちょっと苦手なので、専門の方にお聞きください。

申し訳ありません。
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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:15

 

252.このような粗い論法では、法華講はもちろん学会員ですら納得はさせられないであろう。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 23時24分
▼それから僅か12年後に同じ京都・住本寺の僧日叶が「百五十ヵ条」にて、現在の文体に近い全文の記述をしております。
日広、日叶共に住本寺僧ですから、日広書写本を日叶が更に書写したものと推察されます。

いずれにしても、初出の全文は北山本門寺にあったというところがポイントですね。
次に京都要法寺の日辰が北山本門寺にて、弟子の日耀に書写させたものがあって、それが現在、写真公開されて出回っているものですが、これもやはり北山本門寺なのです。

ということは、推測として「北山本門寺にて二箇相承書を偽作した」ということがいえるわけです。
——————————————————————
●随分と資料を並べ挙げた割りには結論が貧弱である。

日興上人が御身にお受けになった相承書であるが故に、北山に曽て存在していたとしても不思議はない。

しかも、古文書を詳細に検討していくと、北山曽存の二箇相承ですら正本の写本であった可能性すらある。

日顕上人の御指南には明確に日興上人の御境涯において、大聖人より御受けになられた二箇相承のお写しがあられる。と仰せである。

いづれにせよ、貴公の推論は、あくまで推論の範疇であって、二箇相承は絶対に無かった。との偏狭な前提がまずあってそこから全ての古文献を極めて恣意的に読んでいるだけである。

このような粗い論法では、法華講はもちろん学会員ですら納得はさせられないであろう。
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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:16

 

253.池田大作監修の「仏哲」の二箇相承の存在を肯定している論述を破すには、あまりにも脆弱な論法である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月11日(土) 0時6分
山人君曰く

C 初出の1468年頃といえば、丁度、中古天台本覚思想の集大成期と重なっているのです。

——————————————————————
●まずこの前提が間違っている。

二箇相承と思しき初出は記述の如く、
——————————————————————
●古文献としての「お初登場」は、

@ 聖滅27年(1308)

徳治三年九月二十入日 日頂の本尊抄得意抄添書(本書無表題今且立之)に
「興上人一期弘法の付嘱をうけ日蓮日興と次第 」
「末法の教主日蓮が本意の法門直授たり」の文あり(宗全一−四四)

次は
A 聖滅99年(1380)康暦二年六月四日、妙蓮寺日眼の五人所破抄見開に
「日蓮聖人之御付嘱弘安五年九月十二日、同十月十三日御入滅の時の御判形分明也」の文(富要四−八)

等がある。

——————————————————————
である。
が故に以下の立論は、その根拠を失う。
真にご苦労様である。

——————————————————————
山人君が列挙した資料
——————————————————————
・1347年・正平2年(大石寺は5代日行の時) 「蔵田抄」豪海
・1349年・正平4年(大石寺は5代日行の時) 「等海口伝抄(宗大事口伝抄)」等海
・1367年・正平22年(大石寺は6代日時の時) 「八帖抄見聞」直海
・1402年・応永9年(大石寺は6代日時の時) 「七帖見聞(天台名目類聚抄)」貞舜
・1501年・文亀元年(大石寺は12代日鎮の時) 「二帖抄見聞」尊舜

そして、その総本山ともいうべき中古天台恵心流の仙波談林で、多くの日蓮系の僧が学んだのですね。大石寺では「家中抄」に出ているのが3人です。

◎ 6代日時 「家中抄」(富要 5-251 )
日時伝
釈の日時、俗姓は南条、出家して良栄と号す、日行に随順し当家の諸書を学ぶ、後武州仙波に於て広く台家を聞く、

◎ 8代日影 「有師物語聴聞抄佳跡 上」(富要 1-222 )
日影上人(下野平井園部御出生俗姓不知)日時上人に随順し出家学道す、武州仙波に台家を学びて後下野平井園部に弘通し会津実成寺に住居すの時日時上人御遷化なり

◎ 13代日院 「家中抄」 (富要 5-258 )
日院伝
釈の日院、俗姓等日鎮伝に出づ、出家して右京と号す、十三歳にて富士に登り当家を習学す、十七歳にして相州土屋に往て台家を受く、又武州仙波に往いて実海の座下に於て広く修学す。

D 仙波談林や比叡山で学んだ日蓮系の僧侶達は口伝、切紙相承を取り入れて、自門教学の樹立に好都合なように作り上げ、歴史的に由緒ある相伝の如くに仕立て上げていきます。
本尊相伝について、当時の日蓮系の坊さん達のやったことといえば、このようなものです。

◎ 延山
・御本尊相伝事  日朝談日仁記  康正3年(1457年)夏頃
・本尊相伝抄  日意記示日伝
・本尊相承事  日朝御義日仁談  文亀元年(1501年)7月1日

◎ 昭門 
・御本尊相伝抄  玉沢日伝   康正3年(1457年)8月13日
「右此法門当流代々口伝也、於日伝代初載紙面也。〜起請文如常其後可為唯授一人也」

◎ 朗門
・本尊明鏡抄(三種灌頂見聞) 日朗相承日山註
・大曼荼羅事  日像記示大覚  文保2年(1318年)12月18日
・当宗相伝大曼荼羅事  日像伝大覚記  延文3年(1358年)1月18日
・御本尊相伝抄  比企系日東   康正3年(1457年)9月6日
「本迹日昭本尊日朗殊更此門流渡本尊相伝也」
・御本尊相伝之事  真如日住
・御本尊口伝面授私  平賀日意

◎ 常門
・題目点画相伝  高祖伝日常記
・御本尊授与書証文相伝  日常直授
・曼荼羅正相伝  日祐記
・本尊相承之事  日親記
・本尊相承抄   日親記
・本尊相伝十五通  日源伝日実記

⇒ これら相承書?には、筆録年代不明のものが多くありますが、筆録者の生存年月からすれば、おおよそ康正(1455年〜)、文明(1469年〜)、永正(17年まで1520年)の頃に成立したものと推察されます。

E 住本寺僧・日広が北山本門寺にて「二箇相承書」を書写した1468年・応仁2年といえば、正に中古天台恵心流の全盛期で、恵心流では「七箇口伝 唯授一人相承 切紙相承 各種相承書の偽作」が盛んに行なわれ、それが日蓮系の修学者に影響を及ぼし、偽作相次ぐ時でした。

この一連の背景を知れば、北山本門寺にて「本門戒壇の霊場・本門寺根源」を更に箔付けするために「日蓮大聖人から日興上人への相承書」を作成し、「当山に日蓮・日興の相伝」とやることは容易に推察できることです。

——————————————————————
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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:16

 

254.池田大作監修の「仏哲」の二箇相承の存在を肯定している論述を破すには、あまりにも脆弱な論法である。2
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月11日(土) 0時7分
●やはり立論が粗い。

まず記述の如く、二箇相承の存在傍証としての文証は聖滅27年と99年にすでに顕れている。

まず、この段階で山人君の妄想の前提根拠は崩れているのである。

次に、上記の資料をどう読んでみても、二箇相承が偽作されたなんら物的証拠にはならないし、状況的にも貴公が自らの妄執を元として夢物語を幻出しているに過ぎない。

あくまで貴公の推測の範疇である。

記述の如くの池田大作監修の「仏哲」に明確に二箇相承の存在を肯定している論述を破すには、あまりにも脆弱な論法である。
http://toyoda.tv

 

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メッセージ 138

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:16

 

255.コラム「視点」ha
返信  引用 
名前:閲覧者    日付:6月11日(土) 0時12分
失敗した山崎、原島らの謀略
昭和56年から57年にかけて聖教新聞に掲載されたコラム「視点」をまとめた小冊子「失敗した山崎、原島らの謀略—宗門、恐喝、ペン裁判の真実の綴り」が転載されています。

 

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メッセージ 139

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:16

 

256.返す返す馬鹿丸出しの引文である
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月11日(土) 0時15分
ちょいとごめんよ

1文は口伝すべし。
法華真言勝劣事
日蓮不審して云く何を以て之を知る理は法華経と大日経と斉等なりと云う事を、答えて云く疏と義釈並に慈覚智証等の所釈に依るなり。
求めて云く此等の三蔵大師等は又何を以て之を知るや理は斉等の義なりと、答えて云く三蔵大師等をば疑う可からず等と云云、難じて云く此の義論義の法に非ざる上仏の遺言に違背す慥に経文を出す可し若し経文無くんば義分無かる可し如何、答う威儀形色経瑜祇経観智儀軌等なり、文は口伝す可し、問うて云く法華経に印真言を略すとは仏よりか経家よりか訳者よりか、答えて云く或は仏と云い或は経家と云い或は訳者と云うなり、不審して云く仏より真言印を略して法華経と大日経と理同事勝の義之有りといわば此の事何れの経文ぞや文証の所出を知らず我意の浮言ならば之を用ゆ可からず若し経家訳者より之を略すといわば仏説に於ては何ぞ理同事勝の釈を作る可きや法華経と大日経とは全躰斉なり能く能く子細を尋ぬ可きなり。

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

2 此の義は最上の難の義なり。口伝に在り
法華真言勝劣事
此の事余処に勘えたるが如し、問うて云く天台大師の玄義の三に云く「法華は衆経を総括す乃至舌口中に爛る人情を以て彼の大虚を局ること莫れ」等と云云、釈籤の三に云く「法華宗極の旨を了せずして声聞に記する事相のみ華厳般若の融通無礙なるに如かずと謂う諌暁すれども止まず舌の爛れんこと何ぞ疑わん、乃至已今当の妙茲に於て固く迷えり舌爛れて止まざるは猶為れ華報なり謗法の罪苦長劫に流る」等と云云、若し天台妙楽の釈実ならば南三北七並に華厳法相三論東寺の弘法等舌爛れんこと何の疑有らんや、乃至苦流長劫の者なるか、是は且く之を置く慈覚智証等の親り此の宗義を承けたる者法華経は大日経より劣の義存す可し、若し其の義ならば此の人人の「舌爛口中苦流長劫」は如何、答えて云く此の義は最上の難の義なり口伝に存り云云。文永元年甲子七月二十九日之を記す。  

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

3 口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候。則ち如来の使ひなるべし。返す返すも信心候べし。
四条金吾女房御書
懐胎のよし承り候い畢んぬ、それについては符の事仰せ候、日蓮相承の中より撰み出して候能く能く信心あるべく候、たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれどもわるびれたる人のためには何かせん、就中夫婦共に法華の持者なり法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ、色心二法をつぐ人なり争かをそなはり候べき、とくとくこそうまれ候はむずれ、此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり、闇なれども灯入りぬれば明かなり濁水にも月入りぬればすめり、明かなる事日月にすぎんや浄き事蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり、信心の水すまば利生の月必ず応を垂れ守護し給うべし、とくとくうまれ候べし法華経に云く「如是妙法」又云く「安楽産福子」云云、口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候則如来の使なるべし返す返すも信心候べし。

大聖人の在世のことだね。「此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり」についての御教示ですね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?
それにおじさんさ、弁公=日昭への大聖人からの口伝なんかを唯授一人血脈相承の依文にするなんて、悩乱したの?五老僧のお一人に唯授一人血脈相承でよろしいのね。
コピー魔もいいけど、検索したのをただ、貼り付けているだけだと「穴に落ちる」ぜ。笑

4 此に口伝有り。
法華行者逢難事   
追て申す、竜樹天親は共に千部の論師なり、但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまわず此に口伝有り、天台伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と之を残したもう、所詮一には仏授与したまわざるが故に、二には時機未熟の故なり、今既に時来れり四菩薩出現したまわんか日蓮此の事先ず之を知りぬ、西王母の先相には青鳥客人の来相には・鵲是なり、各各我が弟子たらん者は深く此の由を存ぜよ設い身命に及ぶとも退転すること莫れ。

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

 

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メッセージ 140

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:17

 

257.えっ、?これが大石寺歴代貫主の唯授一人血脈相承の文証?
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月11日(土) 0時22分

5 よくよく口伝あるべし。
聖密房御書   
これは華厳宗は天台に落ちたりというべきか又一念三千の法門を盗みとりたりというべきか、澄観は持戒の人大小の戒を一塵をもやぶらざれども一念三千の法門をばぬすみとれりよくよく口伝あるべし

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

6 口伝を以て之を伝へん。
曾谷入道殿許御書
慧日大聖尊、仏眼を以て兼ねて之を鑒みたもう故に、諸の大聖を捨棄し、此の四聖を召し出して要法を伝え、末法の弘通を定むるなり、問うて日く要法の経文如何、答えて日く口伝を以て之を伝えん

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

7 口伝すべし。
三三蔵祈雨事
弘法にをほせつけられてありしかば七日にふらず二七日にふらず三七日にふらざりしかば、天子我といのりて雨をふらせ給いき、而るを東寺の門人等我が師の雨とがうす、くわしくは日記をひきて習うべし、天下第一のわうわくのあるなり、これより外に弘仁九年の春のえきれい又三古なげたる事に不可思議の誑惑あり口伝すべし。

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

8 上行菩薩結要付嘱口伝
上行菩薩結要付属口伝
当然だよ
此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、だからね。笑

9日文字の口伝、産湯の口決
10本尊七箇の口伝
本因妙抄
又日文字の口伝産湯の口決二箇は両大師の玄旨にあつ、本尊七箇の口伝は七面の決に之を表す教化弘経の七箇の伝は弘通者の大要なり、又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり、相構え相構え秘す可し秘す可し伝う可し、法華本門宗血脈相承畢んぬ。 弘安五太歳壬午十月十一日 日蓮 在御判
弘安五年十月十一日

両巻血脈抄は京都日尊系の相承書だぞ。大石寺=相承書ドロボー。笑

 

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メッセージ 141

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:17

 

258.おもしろいねぇ
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名前:自由戦士    日付:6月11日(土) 0時26分

11就註法華経口伝 御義口伝
「御義口伝」の継承がさ、どうして大石寺という富士宮にある日蓮系一寺院の秘伝・秘法の文証となるの?日蓮 ⇒ 日興 ⇒ 日目 ⇒ 日道継承の証拠は?「御義口伝は大石寺貫主の秘伝・秘法であるとの文証」など、どこにもないよ。その一部分を都合よく解釈しているにすぎないだけ。御書見れば、「なんでも大石寺のもの」のように勘違いしてるけど、そりゃ間違いだって、ちゃんと山人さんが「十大部」とおして指摘してあるよ。笑

12不動明王の尊形と口伝せり。
御義口伝巻
然る間先祖法華経の行者なり甚深甚深云云、されば此の提婆の一品は一天の腰刀なり無明煩悩の敵を切り生死愛着の繩を切る秘法なり、漢高三尺の剣も一字の智剣に及ばざるなり妙の一字の智剣を以て生死煩悩の繩を切るなり、提婆は火炎を顕し竜女は大蛇を示し文殊は智剣を顕すなり仍つて不動明王の尊形と口伝せり、提婆は我等が煩悩即菩提を顕すなり、竜女は生死即涅槃を顕すなり、

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

13四弘誓願をば一文に口伝せり。
御講聞書
一入末法四弘誓願の事 仰に云く四弘誓願をば一文に口伝せり、其の一文とは所謂神力品に云く於我滅度後応受持斯経是人於仏道決定無有疑と云云此の経文は法華経の序品より始て四弘誓願の法門を説き終りてさて上行菩薩に妙法蓮華経を付属し給う時妙法の五字に四弘誓願を結びて結句に説かせ給えり滅後とは末法の始の五百年なり、

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

14師に依らずして相承を失ふべし。
なんのこっちゃ
ちゃんと前後出してね。

15根本大師の御相承ありげに候。
秋元殿御返事
御文に云く末法の始五百年にはいかなる法を弘むべしと思ひまいらせ候しに聖人の仰を承り候に法華経の題目に限って弘むべき由聴聞申して御弟子の一分に定まり候、殊に五節供はいかなる由来何なる所表何を以て正意としてまつり候べく候や云云、夫れ此の事は日蓮委く知る事なし、然りと雖も粗意得て候、根本大師の御相承ありげに候、総じて真言天台両宗の習なり、委くは曾谷殿へ申候次での御時は御談合あるべきか、先ず五節供の次第を案ずるに妙法蓮華経の五字の次第の祭なり

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

16筆受の相承
開目抄
故に伝教大師云く「新来の真言家は則ち筆受の相承を泯じ、旧到の華厳家は則ち影響の規模を隠す」等云云、俘囚の嶋なんどにわたてほのぼのといううたはわれよみたりなんど申すはえぞていの者はさこそとをもうべし、漢土日本の学者又かくのごとし

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

「真言家は則ち筆受の相承」⇒ アホか、もうめちゃくちゃだね。

17日蓮相承の中より撰み出だして候。能く能く信心あるべく候。
四条金吾女房御書
懐胎のよし承り候い畢んぬ、それについては符の事仰せ候、日蓮相承の中より撰み出して候能く能く信心あるべく候、たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれどもわるびれたる人のためには何かせん、就中夫婦共に法華の持者なり法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ、色心二法をつぐ人なり争かをそなはり候べき、とくとくこそうまれ候はむずれ、

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

 

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メッセージ 142

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:17

 

259.やっぱ、コピー魔だな
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名前:自由戦士    日付:6月11日(土) 0時28分

18只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ。
生死一大事血脈抄
殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり貴貴、此の文に委悉なり能く能く心得させ給へ、只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ、
大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

19日蓮が相承の法門等前々かき進らせ候ひき。
諸法実相抄
申候、日蓮が相承の法門等前前かき進らせ候き、ことに此の文には大事の事どもしるしてまいらせ候ぞ不思議なる契約なるか、六万恒沙の上首上行等の四菩薩の変化か、さだめてゆへあらん、総じて日蓮が身に当ての法門わたしまいらせ候ぞ、

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

20当世の学者は血脈相承を習ひ失ふ故に之を知らず。相構へ相構へて秘すべく秘すべき法門なり。
21天台大師の血脈相承の最要の法は妙法の一言なり
22当世の天台宗の学者は天台の石塔の血脈を秘し失ふ故に、
天台の血脈相承の秘法を習ひ失ひて、我と一心三観の血脈とて我が意に任せて書を造り、

立正観抄 ⇒
妙法を忘失し邪教化した中古天台の血脈相承を破折した文が何故、いきなり、日蓮系一寺院たる大石寺血脈義の文証となるのかね。
天台宗が血脈相承による法門伝承だから大聖人もそれを採用した、との文意がどこにあるのかな。笑
血脈相承によって仏法を継承しようとすると邪教化してしまうから、中古天台の先例をとおし、僧から僧への血脈相承というものを破折された文でしょう、これは。笑

23日蓮相承の法門血脈、慥かに之を註し奉る。
立正観抄送状
講ずる所の経既に権大乗経なり又次第と云えり故に別教なり、開発せし陀羅尼又法華前方便と云えり故に知んぬ爾前帯権の経別教の分斉なりと云う事を己証既に前方便の陀羅尼なり止観とは己心中所行の法門を説くと云うが故に、明かに知んぬ法華の迹門に及ばずと云う事を何に況や本門をや、若し此の意を得ば檀那流の義尤も吉なり此等の趣を以て止観は法華に勝ると申す邪義をば問答有る可く候か、委細の旨は別に一巻書き進らせ候なり、又日蓮相承の法門血脈慥に之を註し奉る、恐恐謹言

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

 

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メッセージ 143

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:17

 

260.コピーしてホイと貼り付けたのが文証ってね、笑
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名前:自由戦士    日付:6月11日(土) 0時36分
24此等は相承の法門なるべし。
上野殿御返事
三世の諸仏の成道はねうしのをわりとらのきざみの成道なり、仏法の住処鬼門の方に三国ともにたつなり此等は相承の法門なるべし委くは又申すべく候、恐恐謹言。

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

25日蓮が己心に相承せる秘法を此の答へに顕はすべきなり。
日蓮が己心に相承せる秘法=南条殿御返事
教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

26今日蓮は塔中相承の南無妙法蓮華経の七字を末法の時、日本国に弘通す。
27当体蓮華の相承等、日蓮が己証の法門
十八円満抄
所詮末法に入つて天真独朗の法門無益なり助行には用ゆべきなり正行には唯南無妙法蓮華経なり、伝教大師云く「天台大師は釈迦に信順して法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承して法華宗を助けて日本に弘通す」今日蓮は塔中相承の南無妙法蓮華経の七字を末法の時日本国に弘通す是れ豈時国相応の仏法に非ずや、

に挙ぐる所の法門は御存知為りと雖も書き進らせ候なり、十八円満等の法門能く能く案じ給うべし並びに当体蓮華の相承等日蓮が己証の法門等前前に書き進らせしが如く委くは修禅寺相伝日記の如し天台宗の奥義之に過ぐべからざるか

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

28日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。
三大秘法抄
此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。

当然でしょ。・・・・それで?笑

29聖人言はく、此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり、神妙神妙と言給ひて留め畢んぬ。
「産湯相承事」ね、神話ですよこれは。真筆持ってきなさい。
それに、これが大石寺歴代貫主のみに「相承」されたという証拠は?
ほかの寺にもあるぞよ。

30三諦三観の口決相承と意同じ
御義口伝巻
如去の二字は生死の二法なり、伝教云く「去は無来之如来無去之円去」等と云云。
如の字は一切法是心の義去の字は心是一切法の義なり、一切法是心は迹門の不変真如なり心是一切法は本門の随縁真如なり、然る間法界を一心に縮むるは如の義なり法界に開くは去の義なり三諦三観の口決相承と意同じ云云。

 

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:17

 

261.ありがとうございます
返信  引用 
名前:神様    日付:6月11日(土) 0時37分
なんかていねいに返信していただきありがとうございました。やっぱり学会員だから法華講のかたってだけで嫌悪があったんよ、深層心理で、これは生まれたときから学会員だからしかたないと思います。いろいろ変なこと書いてしまってすいません。
日顕さんも池田さんも内部の人はほめますよ。それぞれお互いがどれだけ批判されているか考えるべきですね。でも池田さんもこれだけの組織をまとめる組織力と指導力、普通の人じゃハーバードとかで講義できないと思います、普通に。だから日本をのっとる私利私欲の淫乱オヤジとはおもはない。あと、日顕さんも法王になるんだから教学力のある方だと思います。お互い老人だから利害を超えていたわらなきゃと思います。僕は生まれたときに破門されたので、一度も寺にも、もちろん大石寺にもいったことがありません。ニュー世代の学会員なわけです。これじゃ成仏できませんね、笑
質問なんですが山崎正友さんについてどう思われますか?いずれ法王が死に、名誉会長が死に、お互いが歩みよれたらドイツがナチスにしたように、このひとに問題押し付けて一緒になれませんかね?笑


263.Re: ありがとうございます
名前:神様    日付:6月11日(土) 0時55分
ちなみに僕の家いちお幹部なんで、教宣ようの本があるんですよ、これはみんなあるのかな?まぁいいや。これに三宝、血脈、登山、三大秘法、などの公式見解が書かれてるんですよ。ぜひ見せてあげたいです。

 

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メッセージ 145

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:18

 

262.唯授一人血脈相承なんていいかげんなもんだ
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月11日(土) 0時46分
大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

31秘すべし秘すべし、唯受一人の相承なり、口外すべからず。
御義口伝巻
然る間此の経を受持し奉る心地は如説修行の如なり此の如の心地に妙法等の五字を受持し奉り南無妙法蓮華経と唱え奉れば忽ち無明煩悩の病を悉く去つて妙覚極果の膚を瑩く事を顕す故にさて去の字を終りに結ぶなり、仍つて上に受持仏語と説けり煩悩悪覚の魔王も諸法実相の光に照されて一心一念遍於法界と観達せらる、然る間還つて己心の仏を礼す故に作礼而去とは説き給うなり、彼彼三千互遍亦爾の釈之を思う可し秘す可し秘す可し唯受一人の相承なり、口外す可からず然らば此の去の字は不去而去の去と相伝するを以て至極と為すなり云云。

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?
それに「身延山における法華経講義が日興上人一人だったって?」じゃ、証拠だしなよ。
それに「御義口伝は大石寺歴代貫主のみの相承書」の証拠は?笑

32相承の意を相伝せんが為なり
なんのこっちゃ?
ちゃんと前後もだしなよ。

33所詮今末法に入りての如法相是は塔中相承の本尊なり。
御講聞書
根性は不同なれども同じく如是性の一性なり、所詮今末法に入つての如法相是は塔中相承の本尊なり如根性是也と云うは十界宛然の尊像なり法相は南無妙法蓮華経なり、

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?
それに民部日向が筆記だぜ。日向に唯授一人血脈相承でもあるのかい?笑

34慥かに塔中相承の秘文なり。下種の証文秘すべし
御講聞書
の経文に教無量菩薩の教の一字は下種の証文なり教とは題目を授くる時の事なり、権教無得道法華得道と教うるを下種とは云うなり、末法に入つて此の経文を出ださん人は有る可からざるなり慥に塔中相承の秘文なり下種の証文秘す可し云云。
同じ

でもってさ
▼以上の御文を拝しても大聖人が唯授一人の相承をなされたことは明白である。
だってさ、どーーーーーーこがよ?笑 
ほんと、いいかげんだねーーーー。
おじさんの言葉を借用
「返す返す馬鹿丸出しの引文である。」きゃははーーー。
妄想のために御書を使ってはいかんよ。笑

 

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メッセージ 146

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:18

 

264.(untitled)
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名前:神様    日付:6月11日(土) 1時7分
ちなみに学会の本尊は開眼がないというのが功徳のないというポイントですか?学会が信心がないのでそこが出しているからというのを除いて考えれば。

 

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:18

 

265.さあ、おじさんの妄想を順番に笑うとするか 
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名前:自由戦士    日付:6月11日(土) 1時26分

NO221について・・・・ね。

▼別に貶めているわけではない。別しての血脈相承を度外視しては上記御書の真意は領解できない、と言っているのである。

「別しての血脈相承」どこにあるの?そんなもの

▼ ここも山人君の愚昧なところ。
750年前後も前の出来事の全てに御真蹟が無ければ信じることができないとは、世間の道理からもはずれ、物笑いの醜態である。

ほう、じゃあ、大石寺歴代貫主の唯授一人血脈相承なんて、やっぱいいかげんだったんだ!
あはは、こりゃ、「御法主上人猊下をお守り申し上げ」みたいなこといっている法華講員がこのテイタラク。
大石寺歴代貫主の唯授一人金口嫡々血脈相承なんて、真筆などない!ってーことを法華講員が白状したよ。こりゃ、使えるわ。どんどん現場で言ってやろうぜ。笑


▼ まず第一に、六老を定置するという御考えの中に嫡弟という概念がある筈はない。
この概念のない文書を挙げて全く別の事項を判断することはできない。
それは各々別個で表示されている。まずこの大前提を山人君は外している。

六老僧全員「一弟子・本弟子」でずぜ。
おじさんは嫡弟が前提になってるわね。どこに根拠あんのよ。やっぱ妄想宗だな。

▼ もし仮に五老僧の門下や山人君が言うように、大聖人の仏法が六人の弟子に平等に相伝付嘱されたものならば、「不次第」と記されながら、その名前を法臘の順に挙げられるはずがない。

あのさぁ、「大聖人の仏法が六人の弟子に平等に相伝付嘱されたものならば、」って、そういう発想自体必要ないよ。なんで付属せにゃいかんのよ。前提が日蓮正宗なのよね、この人は。ほかには通用せん。

▼ しかしもう一歩進んで考えると法臘の順に記録なされ、そこに自ずから上位者から下位者への「順位」が明示されているにも拘らず「不次第」と仰せられたのは、簡明にいえば「上を抑えて下を挙げる」という意味である。
つまり、次第不順で、六老の相違を、法臘以外に御認めなされたからというべきである。
つまり六老の「次第」は世間の例にならって授戒の前後に依るが、相伝の有無、法嗣の選定は六老の順位、すなわち授戒の順位には拘束されないことを強調するために、「不次第」の三字を敢えて念記されたのである。

「上を抑えて下を挙げるという意味である。」「六老の相違を、法臘以外に御認めなされた」っていうけど、それはおじさんの「唯授一人血脈相承はある」という思考を前提にした解釈論ですな。全員「一弟子、本弟子」だよ。それが不次第ですぜ。笑
「相伝の有無、法嗣の選定は六老の順位」っていってんならさ、証拠出しなよ、証拠をさぁ。

▼ ここに本弟子六人の選定と、血脈相承すなわち法体の付嘱とは、まったく別の問題であり、かつまた唯授一人の相承は法臘の順位に依らないことを知るべきである。

「血脈相承すなわち法体の付嘱」「唯授一人の相承」なんてさぁ、もう、妄想ばっかりでどうすんのよ。

敗北三回のおじさんの妄想の産物がこの怪釈ですぜ。笑

 

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:18

 

266.さあ、おじさんの妄想解釈を笑うとするか 笑
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名前:自由戦士    日付:6月11日(土) 1時29分
NO221について・・・・ね。笑

▼別に貶めているわけではない。別しての血脈相承を度外視しては上記御書の真意は領解できない、と言っているのである。

「別しての血脈相承」どこにあるの?そんなもの

▼ ここも山人君の愚昧なところ。
750年前後も前の出来事の全てに御真蹟が無ければ信じることができないとは、世間の道理からもはずれ、物笑いの醜態である。

ほう、じゃあ、大石寺歴代貫主の唯授一人血脈相承なんて、やっぱいいかげんだったんだ!
あはは、こりゃ、「御法主上人猊下をお守り申し上げ」みたいなこといっている法華講員がこのテイタラク。
大石寺歴代貫主の唯授一人金口嫡々血脈相承なんて、真筆などない!ってーことを法華講員が白状したよ。こりゃ、使えるわ。どんどん現場で言ってやろうぜ。笑


▼ まず第一に、六老を定置するという御考えの中に嫡弟という概念がある筈はない。
この概念のない文書を挙げて全く別の事項を判断することはできない。
それは各々別個で表示されている。まずこの大前提を山人君は外している。

六老僧全員「一弟子・本弟子」でずぜ。
おじさんは嫡弟が前提になってるわね。どこに根拠あんのよ。やっぱ妄想宗だな。

▼ もし仮に五老僧の門下や山人君が言うように、大聖人の仏法が六人の弟子に平等に相伝付嘱されたものならば、「不次第」と記されながら、その名前を法臘の順に挙げられるはずがない。

あのさぁ、「大聖人の仏法が六人の弟子に平等に相伝付嘱されたものならば、」って、そういう発想自体必要ないよ。なんで付属せにゃいかんのよ。前提が日蓮正宗なのよね、この人は。

▼ しかしもう一歩進んで考えると法臘の順に記録なされ、そこに自ずから上位者から下位者への「順位」が明示されているにも拘らず「不次第」と仰せられたのは、簡明にいえば「上を抑えて下を挙げる」という意味である。
つまり、次第不順で、六老の相違を、法臘以外に御認めなされたからというべきである。
つまり六老の「次第」は世間の例にならって授戒の前後に依るが、相伝の有無、法嗣の選定は六老の順位、すなわち授戒の順位には拘束されないことを強調するために、「不次第」の三字を敢えて念記されたのである。

「上を抑えて下を挙げるという意味である。」「六老の相違を、法臘以外に御認めなされた」っていうけど、それはおじさんの「唯授一人血脈相承はある」という思考を前提にした解釈論ですな。全員「一弟子、本弟子」だよ。それが不次第ですぜ。笑
「相伝の有無、法嗣の選定は六老の順位」っていってんならさ、証拠出しなよ、証拠をさぁ。

▼ ここに本弟子六人の選定と、血脈相承すなわち法体の付嘱とは、まったく別の問題であり、かつまた唯授一人の相承は法臘の順位に依らないことを知るべきである。

「血脈相承すなわち法体の付嘱」「唯授一人の相承」なんてさぁ、もう、妄想ばっかりでどうすんのよ。

敗北三回のおじさんの妄想の産物がこの怪釈ですぜ。笑

あとは明日の夜ね、

 

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terry-44

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267.お引き取り願います
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名前:管理人    日付:6月11日(土) 5時34分
あなたのカキコミは人の真面目なカキコミをチァカしているだけです。謙虚さがまったくみあたりません。お引き取り願います。

 

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