328.勝利宣言
名前:宿坊 日付:6月1日(水) 17時0分
勝利宣言
日蓮正宗法華講・樋田昌志君は「本門戒壇の大御本尊は本物である」との立証を成せませんでした。
よってここに私・宿坊の勝利を宣言します。
彼の主張は、従来の日蓮正宗のいうところの言葉を変えただけであり、屁理屈・揚げ足取りを加えたものです。更に経典をして「脅しの道具」とする、その独自の悪しき体質も露見することとなりました。
日蓮正宗の孕む「オカルト性、カルト性」というものの標本ともなったと思います。
応援してくださった創価学会の皆様、たいへんにありがとうございました。
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327.大糞講頭の足元にも及ばなかった、マサシ君へ
名前:宿坊 ?? 日付:6月1日(水) 14時40分
→マサシ君、君も実におめでたい考え方をしているね。
「大聖人の文証中心のお言葉の背景を説明・解説」して、「俺達のことじゃない」といいたいようだが、それら御文はそのまま今日の日蓮正宗破折に通じているのだから、心して拝するように。
※「僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。
仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく『五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ』と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。」
「『五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ』と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。」
「若し謗法ならば、亡国堕獄疑ひ無し。凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。
是涅槃経の文なり。爰を以て法華経には『則ち一切世間の仏種を断ず』と説く。是を即ち一闡提と名づく。」
→マサシ君、ここに説かれる三宝のうちの、僧というのは正法伝持の僧だぞ。
君達邪宗・日蓮正宗の坊さん達のことではないのだから、何箇所御文を引こうが「その刀は空をきるだけ」ということをしりなさい。
では、邪法の坊さんこそが正法を滅するという御文を拝そうではないか。(笑)
佐渡御書 957 外道悪人は如来の正法を破りがたし、仏弟子等必ず仏法を破るべし、師子身中の虫の師子を食等云云、大果報の人をば他の敵やぶりがたし、親しみより破るべし〜般泥?経に云く「当来の世・仮りに袈裟を被て我が法の中に於て出家学道し、懶惰懈怠にして此れ等の方等契経を誹謗すること有らん、当に知るべし此等は皆是今日の諸の異道の輩なり」等云云
※ そういう極悪の者どもの報いを更に学ぼうではないか。
「法華不信の失に依りて皆一同に後生は無間地獄に堕すべし。」
貴公らがん首揃えて「一同に後生は無間地獄」である。
仲良く地獄の業火に焼かれる哀れさよ。惨めさよ。
→マサシ君、しゃべり方がだんだん浅井センセイ一派=顕正会に似てきたね。(笑)
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326.マサシ君へ
名前:宿坊 日付:6月1日(水) 14時28分
「本門戒壇板本尊」は偽作です、
大聖人・日興上人・日目上人・上代の御弟子在家はすべて存じがないのです。
まして「二箇相承」「日興跡条々の事」は偽書です。
偽書を持って創作板本尊を証明しても意味がありません。
大石寺にあるのはすべて偽物でしょう!
貴殿はそれを証明できなかったのです。
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325.腐った根性では到底真面目な学究は出来ようはずがない。
名前: 樋田 昌志 日付:6月1日(水) 14時18分
▼破良観等御書 仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし・論師・訳者・人師等にはよるべからず・専ら経文を詮とせん、1293 未決
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●これも正しく前段と同意である。
がしかし、引文の御書が 未決 であるのに貴公らは何故引けるのか?
自分たちに都合の悪い御書は「未決」だからと退け、自らの邪難を(文義も理解できずに)補強できる、と判断したものは、臆面もなく引用する。
そういう腐った根性では到底真面目な学究は出来ようはずがない。
そのような恣意的な引き方では邪難そのものの論理性すら破綻している。
真に頭破七分の謀者である。
後に言い訳がましい書き込みがあるが、一読で噴飯ものである。
当該箇所にきたら徹底的にその我田引水振りを暴くので、それからである、この段の貴公らの引文の無知さ加減を明示し裁断するのは。
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324.マサシ君へ
名前:宿坊 日付:6月1日(水) 14時17分
やはりただのタヌキでしたね!
貴殿には大勢の方ががっかりします。
「本門戒壇板本尊」は偽作です、
「二箇相承」「日興跡条々の事」
マサシ君が証明しなければならないことが、
何一つ証明できませんでした。
せっかく大先生と持ち上げさせてもらいましたのに。
これからは大手を振って歩かないように。
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323.「山岳救助」してもらいたまえ
名前: 樋田 昌志 日付:6月1日(水) 14時0分
宿坊君へ
山人君の痴論の丸写しが出来なくなると、途端に内容が空っぽになるな。
山人君にもう一度懇願して「遭難信号」出して「山岳救助」してもらったら如何?
所詮貴公らは
■「法華不信の失に依りて皆一同に後生は無間地獄に堕すべし。」
まとめて一同で地獄まで「滑落」するであろうが。
哀れな姿である。
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322.マサシ君へ
名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時58分
D 日蓮大聖人も上行菩薩として「口伝」で付属を受けたという一方で、自身は経説により法の正邪を判じ、口伝によらずとされ、文証中心をいわれています。
◎ 口伝より経文を重んずべき
妙一女御返事 弘安三年七月 P1258
求めて云く・慈覚大師は伝教大師に値い奉りて習い相伝せり、汝は四百余年の年紀をへだてたり如何、答えて云く師の口より伝うる人必ずあやまりなく後にたづねあきらめたる人をろそかならば経文をすてて四依の菩薩につくべきか、父母の譲り状をすてて口伝を用ゆべきか、伝教大師の御釈無用なり・慈覚大師の口伝真実なるべきか、
◎ 設い伝教大師に値い奉りて習い伝えたりとも
報恩抄 (建治二年[太歳丙子]七月二十一日) P307
抑も伝教大師いづれの書にかかれて候ぞや此の事よくよく尋ぬべし、慈覚・智証と日蓮とが伝教大師の御事を不審申すは親に値うての年あらそひ日天に値い奉りての目くらべにては候へども慈覚・智証の御かたふどをせさせ給はん人人は分明なる証文をかまへさせ給うべし〜設い慈覚・伝教大師に値い奉りて習い伝えたりとも智証・義真和尚に口決せりといふとも伝教・義真の正文に相違せばあに不審を加えざらん、
→ついでに、噴飯ものなのが「一代聖教大意」については上記箇所のすぐ後、八行目に「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(398)があり、日蓮正宗はこれを悪用しているということです。続けて読めば「神力別附属を受けた上行でなければ法華経は知り難い」というのは当然でしょう。
→やはり、大聖人以降は口伝ではなく、文証が中心です。どこに秘法を秘伝にという現・日蓮正宗の主張の裏付けがあるのでしょうか。
※ あの御書もこの御書も全ては日蓮正宗・大石寺の為にある、うちだけが読み、解釈し、使用していい、という発想が抜けないのは病的といえます。どうにも大石寺というところは、日蓮仏法を密教化させたくてしょうがないようです。
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321.マサシ君へ
名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時57分
C そもそも口伝というならば天台大師・伝教大師共に口伝をいいましたが、それは文証として明らかにした上でのことでした。
◎ 天台大師は「摩訶止観・巻第五上」で「この中、皆口決を須(もち)ふ」としていますが、一方で「法華玄義・巻第十上」で「修多羅と合すれば録してこれを用ひよ。文なく義なきは、信受すべからず」と戒めています。
◎ 伝教大師最澄も「守護国界章巻上之中」で「鏡像円融の義、口決にあらずんば解せず。師師の相承、良にゆえあるなり」としますが、やはり一方で「法華秀句・巻下」にて「仏説に依憑して、口伝を信ずることなかれ。誠文を仰信して、偽会を信ずることなかれ」と戒めているのです。
やはり口伝といっても、それは教相・経説を離れたものではなく、法門を明示して記述し、それを基準にするという、いわば文証が根本というのが両大師の教示です。そこに秘法を秘伝に、というものは察せられません。
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320.マサシ君へ
名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時56分
B ここに説かれる口伝であればそこには私達の知れない秘法がある、という根拠はどこにあるのですか。
→ありません。大石寺が願望を言っているだけです。釈尊から上行等の四菩薩への口伝も、その内容は法華経等・経典であり、公のものです。
特に「曾谷入道殿許御書」は続けて
「釈尊然後・正像二千年の衆生の為に宝塔より出でて虚空に住立し・右の手を以て文殊・観音・梵帝・日月・四天等の頂を摩でて是くの如く三反して法華経の要よりの外の広略二門並びに前後の一代の一切経を此等の大士に付属す正像二千年の機の為なり、」
とありますが、ここで説かれる付属について、法華経の附属の内容と利益する時代の違いはご存知のとおりです。
・別附属 神力品第二十一 法華経の要を末法弘通のため、上行菩薩を始めとする四菩薩に附属したこと
・総附属 嘱累品第二十二 法華経の要以外の広・略二門と一切経を正像二千年の機と、末法弘通のための序として附属したこと
当該文では「法華経の別附属における口伝」を示されており、「日蓮大聖人以降の口伝の有無・可能性」を伺わせる文意はありません。又、大石寺の口伝の保証とならないことはいうまでもありません。
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319.マサシ君へ
名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時55分
A 釈尊 → 上行菩薩に口伝があれば、それ以降の大石寺「だけに」口伝があるとの根拠はどこにあるのですか。
→そのような、滅後の誰かを指向しての文意はどこにもありませんし、ましてや大聖人滅後の大石寺だけに口伝がある、という文証にもなりえません。そのようにいうのはやはり「二箇相承書」であり「日興跡条々事」の存在がある、と確信しているからです。主要な議論はやはり、ここに行きつきますね。
この両書を証明できず、「おらんところに特別な口伝があるんだ」というのが許されるなら、他の富士門流寺院も好きに言えることになってしまいます。もっとも、口伝に依存して権威化している、という堕落した寺は大石寺だけでしょうが。(笑)
日蓮正宗・大石寺というのはどの御書を読んでも、都合のよさそうなものは「全て我が宗派のためにある」と勘違いすることが得意なようです。
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318.マサシ君へ
名前:宿坊 ?? 日付:6月1日(水) 13時54分
【 指摘 】
@ まずは平たくいきましょう。
さて、大聖人以前に口伝があったということですが、「曾谷入道殿許御書」は法華経の経典中のことであり、「三大秘法抄」も大聖人自信が上行菩薩であるという確信からの、やはり経典中の話しですね。この二つは物理的なものではなく、大聖人以降実際に行なわれるという先例となりえるのでしょうか。
「御義口伝」は「就註法華経御義口伝」といわれ、大聖人が身延山で註法華経を元に弟子達に法華経を講義されたのを、日興上人が筆記したものとされています。御義口伝上と下の末尾に「御義口伝巻上・下 弘安元年戊寅正月一日 執筆日興 」とありますように、建治年間に講義されたものでしょう。その講義録を口伝と題したのですが、日興上人一人だけが聴聞した、という証拠はどこにもないでしょう。建治年間といえば、「庵室修復書」にあるように小さく粗末な草庵だったと推測されます。そこで一人だけにこそこそと講義など、ありえないと察せられるものです。
弟子達が聴聞し、興師が筆録し題名に口伝と書した、ここに何か「今日の日蓮正宗がいうような特別な口伝」に通じる特殊なものなど伺うことはできません。故に、弟子門下多数が聞いたであろう御義口伝を以て、「大聖人が末代までの口伝・秘法の秘伝を志向された文証」とは間抜けな稚論というものでしょう。
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317.マサシ君
名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時53分
◎ 大聖人以前の法門ですね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるのかな?
※ 又日文字の口伝、産湯の口決の二箇は両大師の玄旨にあつ。本尊七箇の口伝は、七面の決に之を表す。
→(笑)「本尊七箇の口伝」=御本尊七箇相承
「産湯相承事」ね、神話ですよこれは。真筆持ってきなさい。御本尊七箇相承が出ていますが、これが後世のものであることは明白です。日興上人書写本尊を見るべし。
それを「ゲイカの御内証による」というのは、日蓮正宗内だけのことですね。
それでは残りの「問うて曰く、要法の経文如何。答へて曰く、口伝を以て之を伝へん。」を含め、日蓮正宗のいう口伝云々を一挙に破しときますか。(笑)
【 口伝大好きの日蓮正宗の主張 】
曾谷入道殿許御書に「慧日大聖尊、仏眼を以て兼ねて之を鑒みたもう故に、諸の大聖を捨棄し、此の四聖を召し出して要法を伝え、末法の弘通を定むるなり、問うて日く要法の経文如何、答えて日く口伝を以て之を伝えん」(1033)(正筆・真筆)とあり、更に三大秘法抄には「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」(1023)(録外・未決)とある。法華経自体が口伝をもって釈尊から上行菩薩へと別附属され、日蓮大聖人から日興上人への「御義口伝」も、その名のとおり口伝法門だ。正法時代の仏・釈尊は口伝で附属し、末法の仏・大聖人も口伝を用いられていることからすれば、日興上人に血脈相承される際、秘法を口伝で相承したと拝されるではないか。ゆえに大石寺歴代貫主のみの秘伝、秘法は実在するのだ。
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316.マサシ君
名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時52分
◎ 大聖人の在世のことですね。「此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり」についての御教示ですね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるのかな?
※ 追って申す。竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず=此に口伝有り。=
→法華行者逢難事 /文永十一年正月 五十三歳御作
追て申す、竜樹天親は共に千部の論師なり、但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまわず此に口伝有り、天台伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と之を残したもう、所詮一には仏授与したまわざるが故に、二には時機未熟の故なり、今既に時来れり四菩薩出現したまわんか日蓮此の事先ず之を知りぬ、西王母の先相には青鳥客人の来相には・鵲是なり、各各我が弟子たらん者は深く此の由を存ぜよ設い身命に及ぶとも退転すること莫れ。
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315.マサシ君
名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時51分
※ 答へて云はく、此の義は最上の難の義なり。口伝に在り
→法華真言勝劣事
此の事余処に勘えたるが如し、問うて云く天台大師の玄義の三に云く「法華は衆経を総括す乃至舌口中に爛る人情を以て彼の大虚を局ること莫れ」等と云云、釈籤の三に云く「法華宗極の旨を了せずして声聞に記する事相のみ華厳般若の融通無礙なるに如かずと謂う諌暁すれども止まず舌の爛れんこと何ぞ疑わん、乃至已今当の妙茲に於て固く迷えり舌爛れて止まざるは猶為れ華報なり謗法の罪苦長劫に流る」等と云云、若し天台妙楽の釈実ならば南三北七並に華厳法相三論東寺の弘法等舌爛れんこと何の疑有らんや、乃至苦流長劫の者なるか、是は且く之を置く慈覚智証等の親り此の宗義を承けたる者法華経は大日経より劣の義存す可し、若し其の義ならば此の人人の「舌爛口中苦流長劫」は如何、答えて云く此の義は最上の
難の義なり口伝に存り云云。
= 文永元年甲子七月二十九日之を記す。 日 蓮 花 押
◎ 大聖人以前の法門ですね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるのかな?
※ 口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候。則ち如来の使ひなるべし。返す返すも信心候べし。
→四条金吾女房御書
懐胎のよし承り候い畢んぬ、それについては符の事仰せ候、日蓮相承の中より撰み出して候能く能く信心あるべく候、たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれどもわるびれたる人のためには何かせん、就中夫婦共に法華の持者なり法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ、色心二法をつぐ人なり争かをそなはり候べき、とくとくこそうまれ候はむずれ、此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり、闇なれども灯入りぬれば明かなり濁水にも月入りぬればすめり、明かなる事日月にすぎんや浄き事蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり、信心の水すまば利生の月必ず応を垂れ守護し給うべし、とくとくうまれ候べし法華経に云く「如是妙法」又云く「安楽産福子」云云、口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候則如来の使なるべし返す返すも信心候べし。
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314.マサシ君!現在の大石寺に口伝が伝わるという文証は一つもないぞ!
名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時48分
※ 大聖人様が「口伝」を重んじられたことは明白である。
→まあ、随分と文証を挙げたものだね。お疲れ様
では確認しましょうか。
※ よくよく口伝あるべし
→聖密房御書 建治三年 五十六歳御作
華厳宗は天台已前には南北の諸師華厳経は法華経に勝れたりとは申しけれども華厳宗の名は候はず、唐の代に高宗の后則天皇后と申す人の御時法蔵法師澄観なんど申す人華厳宗の名を立てたり、此の宗は教相に五教を立て観門には十玄六相なんど申す法門なり、をびただしきやうにみへたりしかども澄観は天台をはするやうにてなを天台の一念三千の法門をかりとりて我が経の心如工画師の文の心とす、これは華厳宗は天台に落ちたりというべきか又一念三千の法門を盗みとりたりというべきか、澄観は持戒の人大小の戒を一塵をもやぶらざれども一念三千の法門をばぬすみとれりよくよく口伝あるべし
◎ 大聖人以前の法門ですね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるのかな?
※ 又三鈷なげたる事に不可思議の誑惑あり、口伝すべし。
→三三蔵祈雨事
弘法にをほせつけられてありしかば七日にふらず二七日にふらず三七日にふらざりしかば、天子我といのりて雨をふらせ給いき、而るを東寺の門人等我が師の雨とがうす、くわしくは日記をひきて習うべし、天下第一のわうわくのあるなり、これより外に弘仁九年の春のえきれい又三古なげたる事に不可思議の誑惑あり口伝すべし。
◎ 大聖人以前の法門ですね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるのかな?
※ 上行菩薩結要付属口伝 建治元年 五十四歳御作
→当然でしょう
「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」なのですから。(笑)
※ 仰せに云はく、四弘誓願をば一文に口伝せり。
→御講聞書
一入末法四弘誓願の事 仰に云く四弘誓願をば一文に口伝せり、其の一文とは所謂神力品に云く於我滅度後応受持斯経是人於仏道決定無有疑と云云此の経文は法華経の序品より始て四弘誓願の法門を説き終りてさて上行菩薩に妙法蓮華経を付属し給う時妙法の五字に四弘誓願を結びて結句に説かせ給えり滅後とは末法の始の五百年なり、
◎ 大聖人以前の法門ですね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるのかな?
※ 慥かなる経文を出だすべし。若し経文無くんば義分無かるべし如何。答ふ、威儀形色経・瑜祇経・観智儀軌等なり。文は口伝すべし。
→法華真言勝劣事
日蓮不審して云く何を以て之を知る理は法華経と大日経と斉等なりと云う事を、答えて云く疏と義釈並に慈覚智証等の所釈に依るなり。
求めて云く此等の三蔵大師等は又何を以て之を知るや理は斉等の義なりと、答えて云く三蔵大師等をば疑う可からず等と云云、難じて云く此の義論義の法に非ざる上仏の遺言に違背す慥に経文を出す可し若し経文無くんば義分無かる可し如何、答う威儀形色経瑜祇経観智儀軌等なり、文は口伝す可し、問うて云く法華経に印真言を略すとは仏よりか経家よりか訳者よりか、答えて云く或は仏と云い或は経家と云い或は訳者と云うなり、不審して云く仏より真言印を略して法華経と大日経と理同事勝の義之有りといわば此の事何れの経文ぞや文証の所出を知らず我意の浮言ならば之を用ゆ可からず若し経家訳者より之を略すといわば仏説に於ては何ぞ理同事勝の釈を作る可きや法華経と大日経とは全躰斉なり能く能く子細を尋ぬ可きなり。
◎ 大聖人以前の法門ですね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるのかな?
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313.■「法華不信の失に依りて皆一同に後生は無間地獄に堕すべし。」
名前: 樋田 昌志 日付:6月1日(水) 13時47分
▼文永12年3月・教行証御書
我等が如き名字の凡夫は仏説に依りてこそ成仏を期すべく候へ・人師の言語は無用なり、1278
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●返す返す馬鹿丸出しの引文である。
貴公のような法門未熟の者を摧破する為に、また前後を出だす。
■「又彼が何度も爾前の得道を云はゞ、無量義経に四十余年の経々を、仏我と未顕真実と説き給へば、我等が如き名字の凡夫は仏説に依りてこそ成仏を期すべく候へ。
人師の言語は無用なり。
涅槃経には依法不依人と説いて、大いに制せられて候へばなんど立てゝ未顕真実と打ち捨て、正直捨方便・世尊法久後なんどの経釈をば秘して左右無く出だすべからず。」
ここも、前段とほぼ同様である。
権実相対の辺に於いて、謗者が「爾前の得道」を主張するのあれば、「爾前経は未顕真実である」旨を御仏御自ら御説きであるのだから、我等凡夫はその「仏説」に依ってこそ成仏が叶う。その明白なる経典を離れて、訳者や、権宗の開祖等の「人師」の主張は全く無用である。信用してはならない。との謂いである。
まず第一に、所詮二千年で功力の失せる脱益仏法の流伝の次第と、末法下種仏法の万年に流れる仏法相伝の次第の根本的な相違を弁えず、直ちに横並びに論じること自体が、未熟・未解の虚け者である。
第二にその末法万年へ流伝する下種仏法の根幹は、僧宝による相伝に依るのである。
■「僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。
譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。
仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。
故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。
然れば僧の恩を報じ難し。
されば三宝の恩を報じ給ふべし。」
大聖人様の下種仏法は、必ず僧宝による相伝を元として 伝持・守護・弘宣 されるのである。
が故に、その仏宝・法宝を伝持される御歴代上人を、あたかも権宗の開祖と同等の「人師」と見下す大馬鹿者を指して、
■「「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。
然れば僧の恩を報じ難し。
されば三宝の恩を報じ給ふべし。」
と戒め給うのである。
貴公らは「僧の恩」を報じてはおらぬ。
大聖人の御言葉に大いに反逆する者どもである。
貴公らは三宝を明示できないくらいだから、当然「三宝の恩を報じ」てはおらぬ。
ここも大聖人の御言葉に更に更に背反する者どもである。
■「若し謗法ならば、亡国堕獄疑ひ無し。
凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。
三宝一体なる故なり。
是涅槃経の文なり。
爰を以て法華経には「則ち一切世間の仏種を断ず」と説く。
是を即ち一闡提と名づく。」
三宝一体の僧宝を謗るも者どもは、謗法者・一闡提人である。とはっきり御明示である。
そういう極悪の者どもの報いを更に学ぼうではないか。
■「法華不信の失に依りて皆一同に後生は無間地獄に堕すべし。」
貴公らがん首揃えて「一同に後生は無間地獄」である。
仲良く地獄の業火に焼かれる哀れさよ。惨めさよ。
急ぎ急ぎ改心せよ。
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312.マサシ君!現在の大石寺に口伝が伝わるという文証は一つもないぞ!
名前:宿坊 ?? 日付:6月1日(水) 13時44分
※ この御文をこういう法門の構格も分からずして、直ちに
▼「滅後300年の人師の言葉=14代日主の「日興跡条々事示書」と、御書のどちらを取るのですか?」
だなどと、得意然に吐きかけてくる者の事をまさに
「法門未熟」というのである。
→自分の引いた文証で自爆したなマサシ君!
その真言等を始めとする、邪宗破折の厳しき記述が今日の日蓮正宗に当てはまらない、という思考は随分とおめでたいものだ。
それもそうだね、この時に日蓮正宗も、日蓮宗も、法華宗も存在しないのだから。
しかし、五老僧の分流、日興上人門下の分立、法門上の異議、異見に対する指摘の中で、大聖人在世の諸宗破折の文証を引用し、以て他の日蓮門下に対する指摘・破折として使われる、というのは理の当然というものだ。
ましてや、君達日蓮正宗などは大聖人よりの唯授一人血脈正統を主張し、「出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」を擁するとし、血脈相承の文証として「二箇相承書」「日興跡条々事」「御本尊七箇相承」等々を出すのだから、それらに対する考察の中で「大聖人が在世に他宗を厳しく破された御文」を使うのも当然でもある。
その本質は「宗義の根幹の大半以上が手作り=創作、邪義であり、大聖人との関係を何も証明できない」邪宗教なのだからね。
3
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311.マサシ君あと30分です
名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時26分
君の NO297の質問にはNO302,303で回答。
NO284の質問にはNO301で回答。
NO264の質問にはNO273で回答。
NO243,245,252,253の質問にはNO259,260,261,262,263で回答しているぞ。
さあ、これに対してあと30分だ、明確に再反論しなさい。
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310.目が見えずにクネクネ行き当たりばったりで探っている「ミミズ法門」の大馬鹿者、と言うのである。
名前: 樋田 昌志日付:6月1日(水) 12時17分
▼→ 日蓮大聖人は諸宗を破折する際、徹底した文証中心の立場をとられています。
滅後300年の人師の言葉=14代日主の「日興跡条々事示書」と、御書のどちらを取るのですか?
文永9年・祈祷抄 若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事をのみ構へ申す間邪教とは申すなり、1344 真曽
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● この御書の前後を拝し、以って貴公の引文の無知さ加減を摧破しよう。
■「疑って云はく、大日経は大日如来の説法なり。
若し爾らば釈尊の説法を以て大日如来の教法を打ちたる事、都て道理に相叶はず如何。
答へて云はく、大日如来は何なる人を父母として、何なる国に出で、大日経を説き給ひけるやらん。
もし父母なくして出世し給ふならば、釈尊入滅以後、慈尊出世以前、五十六億七千万歳が中間に、仏出でて説法すべしと云ふ事何なる経文ぞや。
若し証拠なくんば誰の人か信ずべきや。かゝる僻事をのみ構へ申す間、邪教とは申すなり。其の迷謬尽くしがたし。」
ここは、権実相対の辺、しかも説相明らかな経文上の論議に於いての御言葉である。
大日如来などは教主釈尊の説き出だした仮仏であるが故に、その父母は誰だ?何処の国に生まれたのだ?もし、父母もなし、と言うのならば、釈尊から弥勒菩薩出世までの間に仏が出生すると言う「経文」を出だせ。と言っている内容である。
そこに続くのが、当該文である。
こういう経文上明らかに示されている「証拠=文証」があるにも拘らず、その「証拠=文証」を出だせないことを誰が信用できるのか?こういう経文上明確な説相にない、僻事を構えるのが、権宗の輩である。との謂いである。
この御文をこういう法門の構格も分からずして、直ちに
▼「滅後300年の人師の言葉=14代日主の「日興跡条々事示書」と、御書のどちらを取るのですか?」
だなどと、得意然に吐きかけてくる者の事をまさに
「法門未熟」というのである。
大聖人様が「口伝」を重んじられたことは明白である。
■よくよく口伝あるべし。
■問うて曰く、要法の経文如何。答へて曰く、口伝を以て之を伝へん。
■又三鈷なげたる事に不可思議の誑惑あり、口伝すべし。
■上行菩薩結要付嘱口伝
■又日文字の口伝、産湯の口決の二箇は両大師の玄旨にあつ。本尊七箇の口伝は、七面の決に之を表す。
■仰せに云はく、四弘誓願をば一文に口伝せり。
■慥かなる経文を出だすべし。若し経文無くんば義分無かるべし如何。答ふ、威儀形色経・瑜祇経・観智儀軌等なり。文は口伝すべし。
■答へて云はく、此の義は最上の難の義なり。口伝に在り
■口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候。則ち如来の使ひなるべし。返す返すも信心候べし。
■追って申す。竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず=此に口伝有り。=
大聖人様の御施化を拝するに、経文に顕示される内容と、それ以外に上記の如く「口伝」を以って伝えられた重要事があらせられる。
戒壇の大御本尊様の御事は、まさに秘伝中の最重要秘伝であり、再三論述してきているが、口伝中の極秘口伝・唯授一人の口伝によってのみ日興上人へ伝持されたのであるから、
我々が拝する形での「文証」がなくて当然なのである。
その御法門の従浅至深していく次第を掴まずして、ただ一様に権実相対の辺の御文を以って直ちに最重要深秘の御法門へ宛てて来る者を、目が見えずにクネクネ行き当たりばったりで探っている「ミミズ法門」の大馬鹿者、と言うのである。
何度も顔を洗って出直してきたまえ。
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309.ゲイカを凌ぐトヨダ法主
名前:宿坊 ?? 日付:6月1日(水) 12時9分
「二箇相承」は大石寺には元々存在しなくずっと北山本門寺にあって、
武田勝頼によって重須から奪われたと言われています。
それが本当なら、大聖人の血脈は当然大石寺にはなく、重須にあることになります。
貴君が「二箇相承」は大石寺のだと提示されても全く意味をなさないのです。
そもそも大石寺に二箇の相承書の写本がもたらされたのは日有の時代であり、
それ以前は写本すら影も形もないのです。
意味が理解できますか、トヨダ大先生!
大聖人滅後300年間大石寺には「二箇の相承書」が無かったのです。
どこからもたらされたのかはすでに記しました。
「本門戒壇の大御本尊」 と「二箇相承」を史学的に証明できない大先生は
「日興跡条々の事」「唯授一人金口嫡々血脈相承」
を証明する権利を自ら
消失したものと見なします。
日蓮消宗大石寺の正当性のために、残り二時間を有意義にお使いください。
第1番目の質問
日興上人・日目上人正伝大石寺(第六百五十遠忌記念)において、身延離山313頁に、二祖日興上人は大御本尊を奉持して身延を離れと記されています。
当然の事ながら身延在中に本門戒壇の本尊が存在していたということだと思いますが、蓮祖が定められた五老僧
・日昭・日朗・日向・日頂・日持または、蓮→興→目→道(大石寺系)の文献で、宗祖・興師存命中に戒壇の本尊が存在していた証拠を挙げてください。
(偽書は適用除外)
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308.邪宗の者どもの習ひとして強(あなが)ちに証文を尋ぬる事之有り。
名前: 樋田 昌志 日付:6月1日(水) 11時15分
■「天台釈して云はく「明者は其の理を貴び、暗者は其の文を守る」文。
釈の心はあきらかなる者は道理をたっとび、くらき者は文をまもると会せられて侍り。」
■「邪宗の者どもの習ひとして強(あなが)ちに証文を尋ぬる事之有り。」
貴公らのような道理が分からず、「文証を出せ!」「文証を出せ!」と喚いている大馬鹿者への天台大師と大聖人様からのお叱りのお言葉である。
心して拝し給え。そして心肝に染めよ。そして、深く慙愧せよ。
「道理」に於いて、「戒壇の大御本尊様以外に大聖人様の「出世の本懐」は在り得ない。」
と、明確に論証しているにも拘わらず、その「道理」が理解できない、頑迷固陋・無知蒙昧・低劣愚悪の謗法根性の癖に、当方から「「戒壇の大御本尊様が偽物である」という証拠を出だせ。」と再三詰問しているにも拘わらず、その「文証」も「証拠」も出せずにいるのは貴公らの方ではないか?
邪難のオタク的理論背景である、山人君がとうとう根負けしたので、品性下劣で嘘と悪態をつくしか能のない宿坊君は一人では戦えない状況となったか。呵々。
貴公らが当方から遁走するのは勝手だが、今のままでは、貴公らはまさに、「バカバカ!阿呆〜。おいらの勝ちだ〜〜!」と喚きながら、後ろ向きに走り去っていく姿である。
あるいはまた、試合では完全に判定負けしているのに、後の記者会見で、(相変わらず覆面をしたまま)「いや〜〜、奴の脇腹に入れたオイラのパンチは効いていたはずっすよ。ねっ?そうでしょ?」などと、言い訳にならない負け惜しみを言って、日本中から失笑をかっている、哀れな三文ボクサーの図。と酷似している。
貴公の名誉の為に言っておく。
当方はこのまま淡々と貴公らの邪難を細切れにし、その一々を徹底的に摧破し尽くしていく。木っ端微塵に完破し尽くすまで止める気は毛頭ない。
貴公がこのスレッドを一方的に閉鎖しても違う板で続行するのみである。
全国の方々が注目をしているようである。
貴公がこのまま「後ろ向きに走り逃げ去っていく姿」は如何なものか。
ここは不自惜身命の精神で、徹底的にやりあうのが仏弟子としての勤めではないか。
さあ、弱気な「言い訳にもならない負け惜しみ」を弄ぶのは止めて、今後も延々と続行しようではないか。
あと、貴公は危惧しているようだが、この対論は元々完全公開での出発であるから、貴公が仮に遁走して終了したとしても、このテキストをWEB上で有料で提供する計画はない。
綺麗にまとめて、全文UPし、貴公らの不信謗法の罪過を末永く掲示し、今後の学会破折の資料として資するつもりである。
金銭的なことはご心配無用である。
では、また、破折作業に入るので、楽しみにお待ち下さい。
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307.一言も戒壇板本尊を証明できなかったマサシ君!
名前:宿坊 日付:6月1日(水) 10時10分
※ マサシ君 NO 293で曰く
自分に都合の悪い話はまるで聞こうとせず、自分の言いたい事だけを壊れたテープレコーダーの如く繰り返し繰り返し、ただベラベラと延々と喋っている・・・・
→ほう、これはおもしろい。
もう一回、読み直した方がいいぞ。
君の NO297の質問にはNO302,303で回答。
NO284の質問にはNO301で回答。
NO264の質問にはNO273で回答。
NO243,245,252,253の質問にはNO259,260,261,262,263で回答しているぞ。
自ら吐いた呪術の毒気が自らに染み込み、分別もつかなくなっているのか?
大丈夫か?
マサシ君!少しは君に花を持たせ、「戒壇板本尊証明」を立派にやってもらうことを期待し、この数日「大先生」と持ち上げてやったのだが、見事にその期待を裏切り一言も「本門戒壇の大御本尊」
することができなかったね。
君の口から出てきたのは「戒壇ならぬ怪談ばかり」だったな。
いや、今更ではあるが、いい勉強になったよ。邪宗教は自らの非力さ、いい加減さを覆い隠す為に、いきなり相手の脳髄に「罰論」を注入しジャブジャブと洗脳するのは常だが、日蓮正宗、なかんずく妙観講はその最右翼であり、その影響下にある君も同類である、ということがよくわかった。
この板を御覧の諸賢も、その本質を見抜くことができたと思う。
結局、君がここで言ったことといえば「本門戒壇の大御本尊は大聖人の出世の本懐である」という日蓮正宗の見解を、言葉を少々変えて言っただけ、いや、もっと分かりやすく言えば「あるからある」ただこれだけに要約されるよ。
あと「信じなさい」「信じなければ、人間世界で考えつく限りの、身の毛のよだつ恐怖が待っているぞ」ぐらいか。
マサシ君、十数年前は『本門戒壇の大御本尊』であったものは、それを担ぐ日顕一派の脱会勧誘手段と化したことにより、事実上『魔界勧誘板本尊』になってしまっているのに、君の怪談談義により『怪談の本尊』になってしまっているぞ、同信の他の法華講から怒られやしないか。
もっともこの怪談義は、君の御内証の一端を披露しただけなのかもしれないがね。
さあ、「信じないと地獄に堕ちるぞ」だけではないだろう、本来の使命である「戒壇板本尊のズバリ証明」を今すぐなし給え。
こちらの主張をいくら破折したつもりになっていても(実際は全く破折になっていない)、「戒壇板本尊のズバリ証明」にはならないのだよ。
「聞き飽きた」
「彼は大商人だから、終了後のテキスト販売を考えて、枚数を増やすためにだらだらとしゃべり続けるだけ」
「あの上手な怪談話は、オウム真理教だったらもっと高く買ってくれそう」
「彼が証明したのは板本尊ではなく、日蓮正宗が器物崇拝・物質信仰・妄想信仰に堕しているということだ」
等々、当方の元には学会同志より、君に対する厳しい指摘が寄せられている。
更には法華講メンバーまでが
「御戒壇様を一在家が云々するなど信じられない。現場における布教の妨げになるから止めてほしい」
「従来の日蓮正宗にない新義ができそう」
「いったい彼の指導教師はなにをしているのか、どういう指導をしているのか」
「あのような恐怖心を植えつける言葉は、とても同じ法華講とは思えない」
等々、これまた手厳しい声が寄せられている。
私は思う・・・「もう勝負はついている」「あとは、マサシ君はしゃべるほど、生き恥を晒し続けるだけだ」と。
しかし、この一ヶ月弱、君とやり合ってきたのも仏縁だ、戦う男としての情けもある・・・君にあと、四時間だけの猶予を与えよう。いいか、四時間だぞ。
この時間内に「戒壇板本尊をズバリ証明」したまえ。もう、呪文、言い訳、開き直りは意味がない。嘲笑を買うだけだと知れ。
従来の法華講ではなしえなかった偉業を成し遂げ、宗史に名を残すのか?
世界注目の中、大役を買って出たものの、「日蓮正宗の邪教たる所以を証明してしまった」という単なるアホで終わるのか?
さあ、この四時間の君の努力次第だ。
それでは・・・・・カウント開始だ!
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306.次期法主のトヨダ大先生、気は確かですか?
名前:宿坊 ?? 日付:6月1日(水) 1時16分
※ であるから、当該御文は権実相対の上から、実教である法華経が如来出世の本懐と言われているのである。
別段この御文が、大聖人様出世の本懐が戒壇の大御本尊様であるということを否定する何等意味をなさない。
→ 大先生! 大丈夫ですか?
普通に読んでください。守護国家論を「戒壇板本尊を否定する」意味で引用したのではないのですよ。大聖人が出世の本懐を記述されたものにつき、一般的なものとして引用しただけですよ。
〜 以下、該当部分 〜
B それ以外に出世の本懐をいわれた御書・教示はあるのか?ないのか?
→他の文書では「三世の諸仏の出世の本懐」等、一般的なものだ。特定のものを指して出世の本懐とされたものは上記御書だ。
→参考・「釈尊出世の本懐・法華経」「三世の諸仏の出世の本懐」をいわれた書
1259年・正元元年 守護国家論 40 三十八歳
真曽
問うて云く涅槃経の文を見るに涅槃経已前をば皆邪見なりと云う如何、答えて云く法華経は如来出世の本懐なる故に「今者已満足・今正是其時・然善男子我実成仏已来」等と説く、
※ 二箇相承・条々事・三秘抄・百六箇抄・そして戒壇の大御本尊様 等 確たる証拠ないものは用いないのなら、この御講聞書を用いるその「特別な」理由を指し示したまえ。
→理由はNO 273に明示
大先生、次は何に因縁つけますか?(笑)
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305.何せ貴公の脳内は、ある小さい半径でグルグル循環しているだけだから。
名前: 樋田 昌志 日付:5月31日(火) 21時56分
▼1278〜1280年 御講聞書 815 未決 自弘安元年三月十九日・連連御講・至同三年 五月二十八日也 仍記之畢 日向記之
一仏所成就第一希有難解之法唯仏与仏の事
仰に云く仏とは釈尊の御事なり、成就とは法華経なり、第一は爾前の不第一に対し・希有は爾前の不希有に対し・難解之法は爾前の不難解に対したり、此の仏と申すは諸法実相なれば十界の衆生を仏とは云うなり、十界の衆生の語言音声成就にして法華経なり、三世の諸仏の出世の本懐の妙法にして、優曇華の妙文なれば第一希有なり、九界の智慧は及ばざれば難解の法なり、成就とは我等衆生の煩悩即菩提・生死即涅槃の事なり、
ということは
→ 日蓮大聖人・日興上人自らが出世の本懐を述べ、それを文の表に顕したということは、捉え方を変えれば、「後世出てくるかもしれない文証の伴わない出世の本懐を破折された」また、「否定された」ともいえる。大聖人・興師自らがエセ本懐を否定されたということは、何度でも明確にするべき重大事です。
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● やはり貴公らは根性腐敗の醜悪誹謗者である。
この御講聞書を 未決 と自ら書いているなら何故引文できるのか?
もしかして、本当に知能が低いのか?
二箇相承・条々事・三秘抄・百六箇抄・そして戒壇の大御本尊様 等 確たる証拠ないものは用いないのなら、この御講聞書を用いるその「特別な」理由を指し示したまえ。
内容は、それからでも充分。
何せ貴公の脳内は、ある小さい半径でグルグル循環しているだけだから。
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304.貴公ら(宿坊と山人)は、御書を拝する基本の学解が出来ていないから、やはりモグラ法門である。
名前: 樋田 昌志 日付:5月31日(火) 21時40分
▼→ 参考・「釈尊出世の本懐・法華経」「三世の諸仏の出世の本懐」をいわれた書
1259年・正元元年 守護国家論 40 三十八歳
真曽
問うて云く涅槃経の文を見るに涅槃経已前をば皆邪見なりと云う如何、答えて云く法華経は如来出世の本懐なる故に「今者已満足・今正是其時・然善男子我実成仏已来」等と説く、
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●真に真に貴公らの法門領解は未熟である。
御書の御文を引文すればするほど、その未熟さ・浅薄さは鮮明になる。
この守護国家論は大聖人様御一期の御化導から見て大きく分かって、佐前であり、しかも極めて初期の御作である。
この時期、大聖人様は三大秘法の事の上での整足はなされておらず、南無妙法蓮華経のお題目の流布の時である。
であるから、当該御文は権実相対の上から、実教である法華経が如来出世の本懐と言われているのである。
別段この御文が、大聖人様出世の本懐が戒壇の大御本尊様であるということを否定する何等意味をなさない。
“出世の本懐” というキーワードで「満月城岡山
ネット御書」や「御書システム」など、で検索して矢鱈に引いて並べ立ててみても、貴公ら(宿坊と山人)は、御書を拝する基本の学解が出来ていないから、やはりモグラ法門で、全体の構格が掴めないのである。
そういう、自ら未熟の癖に大それた誹謗の言を為す、不信謗法者への御言葉を拝そう。
■「「唯我一人のみ能く救護を為す」の仏の御力を疑ひ「以信得入」の法華経の教への繩をあやぶみて「決定無有疑」の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず。
菩提の岸に登る事難かるべし。
不信の者は堕在泥梨の根元なり。
されば経には「疑ひを生じて信ぜざらん者は則ち当に悪道に堕つべし」と説かれたり。
受けがたき人身をうけ、値ひがたき仏法にあひて争でか虚しくて候べきぞ。」
信を以ってのみ入ることを得る、この戒壇の大御本尊様を疑い、信を取れない、のみならず疑惑を生じて誹謗を為す貴公らは、絶対に成仏は出来ない。
だけでなく、不信は堕在泥梨(=地獄に堕ちること)の大元の原因となる。
戒壇の大御本尊を信じない貴公らは間違いなく三悪道に堕ちる、との仰せである。
貴公らの悪徳果満の身に染むまで言い続けよう。
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303.トヨダ大先生の誤内緒は日顕ゲイカそのものです!
名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 20時34分
◎ 上行等の聖人が出現し・建立された本門の三つの法門は「戒壇板本尊」である、と証明してみよ!
1274年・文永11年5/24 法華取要抄
与富木常忍 身延にて (338)
( 参考 5/17の身延入山以降直近の書 10/5の蒙古襲来の約4ヶ月前 )
是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し・本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布・疑い無からん者か。
>これが弘安元年以降の御本尊様に拝され、更に、「余は二十七年」の御言葉から弘安二年に限定される。
以下は既に詳論している如くであり、結論として「戒壇の大御本尊」様以外に、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」との、大聖人様御一身・御自らの御魂魄を留められた御本尊様はおわさないのである。
その他の御本尊は全て、この「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」との戒壇の大御本尊様から開会せられるのであって、それを総じての辺における「出世の本懐」といえるのである。
→大先生もいよいよニッケンゲイカと似てきましたね。眠くなります。(笑)
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302.ゲイカ誤内緒のトヨダ大先生のお言葉ですか?
名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 20時30分
>「出世の本懐」という意義に総じての意義と、別しての二義が存するのである。
これは別段新義などではなく、凡そ仏教の法門全てに通じる基本的な捌きである。
貴公が執拗に拘っているのは(拘らざるを得ない)、総じての辺に於ける「出世の本懐」であって、別しては究竟された御本尊に窮まるのである。
まず、「建立御本尊等の事」との題号と、そして、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」との御言葉を重ねて拝考すれば、御仏は御在世も御一人であられ、滅後も、ただ御「一身の当体」であられる。
つまり、幾つもその「一身の当体」はいらっしゃらないのである。
これが別した辺の「出世の本懐」の御本尊であられる。
その他の御本尊は全て、この「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」との戒壇の大御本尊様から開会せられるのであって、それを総じての辺における「出世の本懐」といえるのである。
→さあ、いよいよ大先生を教祖様とする新宗教の旗揚げですね。おめでとうございます。
なんと名付けますか。いや、まだ楽しみはとっておきましょう。大先生に日蓮正宗ではもったいないですからね。
あんな宗教団体にいても、小さすぎてつまらないでしょう。
このような法門上のやり取りを経る過程で、宗祖の内奥に迫られ、同一化し、平成の日蓮となられたのですね。(笑)
では、聞きますか。少々言葉はきつくなりますよ。
◎ 大聖人が「出世の本懐につき総別の二義を立てられた」という文証を示しなさい。
◎ 大聖人が「これは総じての辺における出世の本懐の御本尊」「これは別しての辺における出世の本懐の御本尊」と立て分けられた文証を示しなさい。
◎ そのような、出世の本懐に付き総別がある、という解釈論は「いつ、どこで、誰」より始まったのか、その根源を示しなさい。
◎ 1272年・文永9年3月13日 阿仏房御書 51歳御作
与阿仏房(1304)
あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ・信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。
これのどこをどう読めば、総じての出世の本懐となるのですか。
ストレートに「とはこれなり」とあり、「出世の本懐」ズバリそのものではないですか。
◎ 1278年・弘安元年 御義口伝巻上 717
此の円融の三諦は何物ぞ・所謂・南無妙法蓮華経是なり、此の五字・日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す、
これのどこをどう読めば、総じての出世の本懐となるのですか。
ストレートに「なり」とあり、「出世の本懐」ズバリそのものではないですか。
◎ 日本国の一切衆生の為に付属し給う「日蓮建立の御本尊」は戒壇板本尊である、と証明してみなさい!
1278年・弘安元年〜1280年・弘安3年 御講聞書
身延にて 828
一等雨法雨の事
此の等雨法雨は法体の南無妙法蓮華経なり、今末法に入つて、日蓮等の類いの弘通する題目は、等雨法雨の法体なり、此の法雨・地獄の衆生・餓鬼・畜生等に至るまで同時にふりたる法雨なり、日本国の一切衆生の為に付属し給う法雨は題目の五字なり、所謂・日蓮建立の御本尊・南無妙法蓮華経是なり云云
→この御本尊につき、総別との大聖人の教示を出してみよ。
◎ 大聖人が成就した三大秘法は戒壇板本尊のことである、と証明してみなさい!
1273年・文永10年5/28 義浄房御書 佐渡にて 892
( 参考 本書は本尊図顕1年8ヶ月後。 翌年10/5、身延在山時に蒙古来襲 )
寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事・此の経文なり秘す可し秘す可し、
◎ 「日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候」本尊は戒壇板本尊のことである、と証明してみよ!
1273年・文永10年8月 経王殿御返事 佐渡にて 1124
日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候ぞ・信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり・日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし
→大先生!大聖人がその「たましひ」を「すみにそめながしてかき」更に「信じさせ給へ」といわれる御本尊は総じての意義である、といわれましたか?この本尊はどなたに授与されたのですか?
まさか「弥四朗国重」などといわないでしょうね(笑)
――――――――――――――――――――――
301.トヨダ大先生クエスチョンさせてください
名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 18時10分
1、では貴公が言うその「三大秘法の御本尊」は現存する大聖人様御真筆御本尊(と言われている)御本尊のうちのどの御本尊か?
大先生!本当に大丈夫か?
大聖人が真筆本尊につき「これは三大秘法の御本尊で、こちらは違う=三大秘法の御本尊ではない御本尊だ」といわれた文証を示しましょう。
2、それとも、どの御本尊でも自分が「気に入った」御本尊でもいいのか?
→「自分が気に入った御本尊を三大秘法の御本尊としよう」との大聖人の文証などあるのかな?
それとも、大先生の御書にだけあるのかな。
3、それは、邪宗日蓮宗系寺院が所蔵している御本尊でもいいのか?
→大聖人の御本尊が「所蔵寺院によって三大秘法の御本尊となったり、ならなかったり」という文証があるのかな?(笑)
4、三大秘法抄(真書であることは証明済み。疑難をするのならば偽書であることを明証せよ。)
■「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり。」との、
1、具体的な「事の戒壇」に安置申し上げる御本尊はどれか?
→「事の戒壇用の御本尊」は存在しません。
2、一体か?
→一体ではないでしょう。
3、それとも何体か?
4、ありとあらゆる「大聖人御真筆御本尊」と“いわれている”全てか?
→日興上人が大聖人御真筆御本尊に「本門寺に懸け」と添え書きされている意味は・・・(笑)
5、貴公らが拝む日寛上人の御本尊を勝手に撮影・修正・複製・販売しているニセ本尊は、大聖人様御真筆ではないが、御書に書かれていない本尊を何故貴公らは拝んでいのか?御書に示されていない“本尊”なのだから、勝手に拝んではいけないのではないか?
→ご本尊を拝む行為につき、御書とセットでなければ拝めない根拠・文証は?(笑)
6、御書 もしくは上古の文献で、大石寺門流の江戸時代頃の御法主が ある一寺院の住職へ下賜した御本尊を、在家が勝手に文字に修正を加え、授与書きを勝手に削除し、大量に形木で摺って、配り散らかして良い、という文証を挙げてください。
→邪宗の人に断らないと、本尊下付をできない、という文証を挙げてください。
7、身延のみやげ物屋で売られている、大聖人御真筆と“鑑定済み”の御本尊の複製掛け軸は、大聖人様「出世の本懐」なのか、否か?
→身延の土産物屋に行き同じ質問をして、売店のおじちゃん、おばちゃんのご教示を受けてください。
まだまだ、疑問は尽きませんが、この辺にしておいてあげましょう。
速やかに御書を通して、証明もしくは回答して下さい。
→御書に及ばず
※もし、上記の論証に成功しなかった場合は、貴殿らの謗法・堕獄は治定である。
精一杯の屁理屈による痴論を楽しみにしています。
→どうも、お待たせしました。
で、「大先生が勝手に引用し、当方に破折されてしまった山口氏の論文をどうするのかな?(笑)
責任をとれるのですか?
日蓮消宗の恥さらしと聞こえてきますが。
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300.山口範道氏も一目おいていた、トヨダ大先生
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 17時57分
大石寺僧・山口氏の説の検証
「二箇相承書」真筆説の大石寺僧・山口範道氏が根拠とした文献の検証
【 山口氏の主張@ 】
日頂の「本尊抄得意抄添書」に「二箇相承書」の記述があるのだ。
1308年・徳治3年9月28日(大聖人滅後27年)、六老僧の一人・日頂
「本尊抄得意抄添書」(日蓮宗宗学全書1-44)
「興上人一期の弘法の附属を受け日蓮日興と次第して、日興は無辺行の再来として末法本門の教主日蓮が本意之法門直受たり、塾脱を捨て下種を取るべき時節なり」
→ 山口氏云く「一期の弘法の附属」との記述から「二箇相承書」の実在が証明されるのです。
【 指摘 】
@ まず与えて指摘します
1308年・徳治3年
「本尊抄得意抄添書〜興上人一期の弘法の附属を受け日蓮日興と次第」
記述はたったこれだけです。(笑)
1480年・文明12年に京都・住本寺僧・日叶著「百五十ヵ条」に、現在の二箇相承書の全文登場。
→ これを受け山口氏は「一期の弘法の附属を受け日蓮日興と次第」との記述から、大聖人滅後27年に「二箇相承書」の実在が証明される、と主張。
→ 話が逆ですよ。(笑)
上記文献から推測するならば、日頂の認識として「本尊抄得意抄添書」の『興上人一期弘法の附属を受け日蓮・日興と次第』があり、これを元にして、後世・1400年代後半以降の身延相承書の文面が創作された、という方が自然でしょう。
→ 山口説は本尊抄得意抄添書と、身延相承書を無理に接着したにすぎません。どこに身延相承書の全文が出ているのですか?これだけでは、「二箇相承書そのもの」が存在していた証明にはなりません。
A 次に奪って指摘します。
日頂の「本尊抄得意抄添書」なる書が、日頂真筆との根拠はどこにあるのでしょうか。
日宗全に編者云く「この書原本佐渡世尊寺の所蔵に係る、未だ真偽を断ずべからず。」とね。(笑)
山口氏の主張A
妙蓮寺日眼の「五人所破抄見聞」に該書の記述がある。上代における存在は明らかだ。
1380年・康暦2年6月4日(滅後99年) 妙蓮寺日眼 「五人所破抄見聞」 (富要4-8)
「日蓮聖人之御附属弘安五年九月十二日、同十月十三日の御入滅の時の御判形分明也」
【 指摘 】
→ この「五人所破抄見聞」がはたして1380年・康暦2年の妙蓮寺日眼の著作かどうか、ここでは一点、記しておきましょう。
「五人所破抄見聞」の「日目・天奏四十二度説」は後代・室町戦国期の話しです。
「五人所破抄見聞」
「日目上人・四十二度の天奏に依って禁裡より御納収の御下文・右に備ふ、広宣流布は必ず当門徒に在る可き也」(富要4-11)
→ この「日目・天奏四十二度説」は、1380年より108年後の1488年・長享2年の「五段荒量」・日教著に登場します。
「殊には日目上人は四十二度の御天奏最後の時、近江の篠原にて御遷化なり信行観の行者にて御座すなり。〜時に長享戊申大簇十一日 六十一戊申日教在判」(富要2-296)
その後は「聞書拾遺」「申状見聞」「日辰抄」等、各書に記述されています。
忠告!「人の労作を『そのまま』使うと墓穴を掘りますよ。」
自分の力で頑張りなさい
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299.富士学林 図書館長(故山口範道氏)の一の弟子、トヨダ大先生
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 17時52分
二種類の二箇相承書は不審だらけです
「二箇相承」は全部あわせて「四箇相承」になります。
これは困った物ですね、大先生様
@ もう一つの二箇相承書
1480年の「百五十ヵ条」に続き、「二箇相承書」が登場した同じ日教著の「類聚翰集私」(1488年)には、「身延相承書」「池上相承書」が入れ替わっています。
1488年・長享2年(滅後207年)6月10日 大石寺・日教著「類聚翰集私」(富要2-314)
私に云はく此の御仏法を聖人・白蓮に御付属の御判右に在り。
釈尊五十余年の説教、白蓮日興に之を付属す身延山久遠寺の別当たるべし、背く在家出出家共の輩は非法の衆たるべきなり・弘安五年九月十三日、日蓮在御判、血脈次第日蓮日興、甲斐の国波木井郷・山中に於いて之を図す。
日興一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立すべきなり、時を待つべきのみ事の戒法とは是れなり、中んづく我が門弟等此の状を守るべきなり、弘安五年十月十三日
日蓮在御判。
→ 二種類の二箇相承書存在につき、日蓮正宗のいう「正確な文面が無かった、異本を元にした故」などの言い訳は大石寺内でしか通用しないものであり、客観的には、同一人物により内容の異なる「二箇相承書」が出回ること自体、後世創作の証明といえるでしょう。
→「開目抄下」の
「是の諸の悪人・復是くの如き経典を読誦すと雖も、如来の深密の要義を滅除して、世間の荘厳の文飾・無義の語を安置す、前を抄して後に著け、後を抄して前に著け、前後を中に著け、中を前後に著く、当に知るべし、是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」(224)
「報恩抄」の「ぼう書をつくるゆへにかかるあやまりあるか」(320)との破折どおりの現証です。
A 日教著「百五十ヵ条」「類聚翰集私」に史実との異なりがある
「百五十ヵ条」「類聚翰集私」にある「弘安五年九月十三日、日蓮在御判、血脈次第日蓮日興、甲斐の国波木井郷・山中に於いて之を図す。」がはなはだ不審です。
大石寺・日教の記述は、日蓮教学の人材の一人である身延・行学院日朝の「元祖化導記」の記述と違っています。同所によると、大聖人は九月十三日には身延におらず、くれじに滞在しているのです。
1478年・文明10年(滅後197年)(大石寺・日有の時代) 元祖化導記
身延山・行学院日朝
二十五、武州池上のこと
或る記に云く、弘安五年壬午九月八日午の刻身延の沢を出御有って、其の日は下山兵庫四郎の所に一宿、九日大井庄司入道、十日曾祢の次郎、十一日黒駒、十二日河口、十三日くれじ、十四日竹下、十五日関下、十六日平塚、十七日瀬野、十八日の午の剋に武蔵の国荏原郡千束郷池上村に着き了んぬ
〜御本に云く、文明十年(1478年)戊戌十月十三日これを書しおわりぬ。 日朝在判
元祖化導記下巻 寛文六年版
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298.日顕ゲイカの御庭番、トヨダ先生
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 17時44分
2 二箇相承書登場の過程に不審
@ 真筆がない
「二箇相承書」は日興上人在世に世に示されず、富士各派の発生・対立の過程で登場しました。故に不審点が多々あります。
該書を手に自山の正当を主張する者は、本来的には鑑定を要するのです、公には日蓮真筆と認定されていません。
A 日興上人の時代に登場せず
大聖人滅後、日興上人は他の老僧を破折するのに「附属・相承、それを証する文書」ではなく、法門上の五一の相対により、日蓮仏法の本義を鮮明にしました。「二箇相承書」などの相承書があれば、なかばその権威で、一発で五老僧を破折できたでしょう。
この史実が「二箇相承書・後世創作」を物語るものであり、該書全文の登場が、日興上人滅後に富士各派が対立するなかで、当時京都・住本寺に在した日叶により著された「百五十ヵ条」以降であることに不審点があります。
「自山を権威づけて正当化しよう」との「坊主の堕落書」に等しいものがあります。
B 日興上人の五老僧破折 五一の相対により
1328年・嘉暦三年(滅後47年)7月
日順著 「五人所破抄」 (富要2-1)
五人が武家に捧ぐる状に云はく・天台の沙門日昭謹んで言上す、先師日蓮は忝くも法華の行者として専ぱら仏果の直道を顕はし・天台の余流を酌んで地慮の研精を尽くす云云。
天台沙門日朗謹んで言上す。〜
天台法華宗沙門・日向・日頂謹んで言上す。〜
日興公家に奏し武家に訴へて云はく。
日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕にして・本門弘通の大権なり〜
又五人一同に云く・如法一日の両経は、共に以て法華の真文なり、書写読誦に於て相違あるべからず云云。
日興が云く・如法一日の両経は法華の真文たりといへども・正像転時の住古・平等摂受の修行なり、今末法の代を迎へて折伏の相を論ずれば、一部読誦を専とせず・但五字の題目を唱へて・三類の強敵を受くといへども・諸師の邪義を責むべきものか、此則ち勧持不軽の明文・上行弘通の現証なり、何ぞ必ず折伏の時に摂受の行を修すべけんや〜
→ このように興師は五老僧との法門信解、教義解釈の異なりにより破折をされましたが、現・大石寺が好きな、相承書を盾に「これを見よ、余は血脈正統なるぞ」などの手法は一切ありません。この史実が当時、相承書が無かった状況証拠でもあります。
C 「二箇相承書」全文の登場は、大石寺貫主本仏論の日教が京都・住本寺にいて、日叶と名乗っていた時以降になる
1480年・文明12年(滅後199年)、京都・住本寺僧・日叶の「百五十ヵ条」(富要2-182)
日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之を付属す本門弘通の大導師為るべきなり、国主此の法を立てられば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ・事の戒法と謂ふは是なり、中ん就く我門弟等此状を守るべきなり。弘安五年壬午九月十三日、血脈の次第・日蓮・日興、甲斐国波木井山中に於て之も写す。
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当為るべし、背く在家出家共の輩は非法の衆為るべきなり。
弘安五年壬午十月十三日 日蓮御判。
武州池上
御譲与の趣き眼前なり、弘安五年九月十三日の御書には富士山本門寺の戒壇を建立すべし云云、之に依つて富士の郡、重須本門寺御建立、仍末寺西山は日代の寺〜
※ 注意
1468年・応仁2年10月13日(滅後187年) 住本寺・日広、重須にて二箇相承全文書写、其の奥書に云く「日広云、於富士重須本門寺以御正筆奉書畢、応仁弐年十月十三日」
要山十八代日在云、先師日広上人詣富士之時如之直拝書之給也云々(雪文三十大遠日是転写本。夏期講習録2-8富谷日震)
→ 「百五十ヵ条」より12年ほど前に二箇相承書全文を写した、との京都・住本寺の日広の文書が堀日亨師の手元に有る、との記述も大石寺関係の書籍にありますが、文書周辺の客観的な鑑定ができない為、議論には使えません。
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297.貴公らは、ミミズ法門、モグラ法門、ネズミ法門の類であり、そういうのを総じて「盲法門」というのである。
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月31日(火) 17時36分
▼【 破折 】
大聖人・日興上人が出世の本懐を明示されているのか、いないのか?
→ 明示されている。
明示された出世の本懐は、何といわれているのか。
→ 「かきあらはしまいらせた宝塔」「南無妙法蓮華経」
それ以外に出世の本懐をいわれた御書・教示はあるのか? ないのか?
→ 他の文書では「三世の諸仏の出世の本懐」等、一般的なものだ。特定のものを指して出世の本懐とされたものは上記御書だ。
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●「破折」も何も、噴飯ものの愚かさである。
→など使って、解り易くしてある分、余計に愚かさが強調されて、面白い。
ここなどは、既述で破折している如くである。
「出世の本懐」という意義に総じての意義と、別してのニ義が存するのである。
これは別段新義などではなく、凡そ仏教の法門全てに通じる基本的な捌きである。
貴公が執拗に拘っているのは(拘らざるを得ない)、総じての辺に於ける「出世の本懐」であって、別しては究竟された御本尊に窮まるのである。
■「第廿五 建立御本尊等の事
御義口伝に云はく、此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり。
戒定慧の三学、寿量品の事の三大秘法是なり。
日蓮慥かに霊山に於て面授口決せしなり。
本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」
とあるがごとく、ここも紙背に徹して読み取れば、自ずと領解してくるのであるが、
まず、「建立御本尊等の事」との題号と、そして、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」との御言葉を重ねて拝考すれば、御仏は御在世も御一人であられ、滅後も、ただ御「一身の当体」であられる。
つまり、幾つもその「一身の当体」はいらっしゃらないのである。
これが別した辺の「出世の本懐」の御本尊であられる。
その意義は、御本尊様の体相、つまり、人即法 法即人の究竟された御表示であられる、中央主題の南無妙法蓮華経の直下に「日蓮」の御名と御花押が配されるお姿、に拝される。
これが弘安元年以降の御本尊様に拝され、更に、「余は二十七年」の御言葉から弘安二年に限定される。
以下は既に詳論している如くであり、結論として「戒壇の大御本尊」様以外に、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」との、大聖人様御一身・御自らの御魂魄を留められた御本尊様はおわさないのである。
その他の御本尊は全て、この「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」との戒壇の大御本尊様から開会せられるのであって、それを総じての辺における「出世の本懐」といえるのである。
貴公はこの総別の二義に曚く、領解出来ないで闇雲に御文を突付き回す、ミミズ法門、モグラ法門、ネズミ法門の類であり、そういうのを総じて「盲法門」というのである。
よくよく自らの分を弁えるべきである。
また、後生の覚悟をいよいよすべきである。
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296.戒壇板本尊の前よりも、バソコンを拝む時間が増えてしまったトヨダ大先生
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 17時32分
B 二箇相承書と御遷化記録の順を追えば明らか
9月 日 「身延相承書」? 日興上人=本門弘通の大導師?
10月8日 「宗祖御遷化記録」・弟子六人の事不次第=六老僧は対等
10月13日 「池上相承書」?
日興上人に釈尊五十年の説法を相承?
10月13日 入滅
10月16日 「弟子六人の事不次第」の「宗祖御遷化記録」を日興上人が記述
・日蓮大聖人は9月?日に日興上人を「本門弘通の大導師」として、特定の一人だけを次の導師にしたのに、10月8日に六老僧選定で「弟子六人の事不次第=序列なし・地位平等」として事実上、それを取り消す。しかし13日に気が変わり?再度、日興上人にのみ「釈尊五十年の説法を相承」する?
そして16日には、全てを附属されたはずの日興上人が自分の手で、「弟子六人の事不次第」と記す。日興上人記述「宗祖御遷化記録」に矛盾する故に、「二箇相承書」の存在は危ういものとなります。不審書と正文書のどちらを採否するかは明白です。
存在を強弁すること自体、「令法久住の大事にあたり大聖人がその発言をコロコロ変えた」というのと同じであり、日蓮大聖人をおとしめていることに気がつくべきでしょう。
「真言諸宗違目・必ず心の固きに仮りて神の守り即ち強し」(141)と教示される大聖人の精神を思うべきです
――――――――――――――――――――――
295.日蓮正宗に新時代の新教義を確立されつつあるトヨダ大先生
名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 17時30分
A「いちでし」なのか?「ひとつ でし」なのか?
今日では写真公開されている、1282年・弘安5年10/13の興師筆・宗祖御遷化記録を見ますと、「定」の次は改行し少し下にさげたところに「一弟子六人の事 不次第」とあります。
日蓮正宗ではこの「不次第」を後段にかけ「日持から日昭に至るまで、入門順に記されているが、それは信仰上の序列をお示しになったものではないことを示されている」と説明していますが、怪文書「二箇相承書」を前提の解釈だと、こうするしかないのでしょう。
では、公開写真を見てみましょう。「一弟子六人事」の「一」と「弟子六人事」は明らかにつながっており、「一弟子六人事」となっています。次の行以降は六人の弟子の名を記していますが、「一」と「蓮花阿闍梨」等、六老僧の名の間は、やや間があいています。これについては「日蓮正宗 歴代法主全書」(1-80)も、原本に近い記述となっています。
「一弟子六人事」と次以降の六老僧の列挙では、明らかに書き振りが区別してあり、これは専門家のみならず、誰がみてもわかるものです。ですから、ここは「いちでしろくにんのこと ふしだい」と読むのが普通で、次以降は「ひとつ(いち) れんげあじゃり にちじ」と順次続いていきます。
「いちでしろくにんのこと ふしだい」ですから、大聖人の一弟子である六人に次第はない、という意味になります。「一弟子」とは文字通り一番弟子、第一の弟子、第一級の長老ということで、それが「不次第」ですから、この六人は区別なく、平等、対等、横一線なのです。しかも大聖人は、この「一弟子」達を「本弟子」とまでされており、この二つの表現は同義と拝されます。
「いちでし」と普通に読むことにより、六老僧は「日蓮大聖人門下の第一級の長老・本弟子であり、門下の依師、法燈であり、六老僧に区別はなく対等である」と理解できます。
「一弟子=本弟子・六老僧の間に次第はない」・・・これは誰あろう、大聖人が決められたことであり、しかもそれは「宗祖御遷化記録」という日興上人真筆の正文書として記録に残っているのです。
これに対し、怪文書をもって、この大聖人の決定、それを記した日興上人の思いに事実上、敵対しようというのが日蓮正宗です。しかもよその寺の怪文書というおまけつきで・・・。
この箇所は「ひとつ でしろくにんのこと」と読み、「不次第」を後段にかけたいところでしょうが、「一」と「弟子六人事」が「くっついちゃっているのだからどうしようもない」のです。
日蓮正宗としては、六老僧全員が一番弟子で次第がない、ということでは困るのです。相承書によって日興上人を「本門弘通の大導師」としたいのですから。なにしろ相承書を頂けば「学不学によらず生身の釈迦日蓮」という宗派なのですから。
日興上人も迷惑していますよ。というか、日興上人自身が、自らお書きになった「宗祖御遷化記録」をもって「二箇相承書」を破折されている、ともいえますね。
尚、参考として、この「一弟子」ということについては大聖人自身の御書にもあります。「浄土九品の事」(698・西山本門寺蔵)では法然の弟子の名を列挙し、一弟子として長楽寺の隆寛、小坂の善恵、筑紫の聖光を挙げ、他の成覚、法蓮等と区別しています。
――――――――――――――――――――――
294.既に大御本尊と一体不二の尊体となられたトヨダ大先生
名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 17時27分
富士学林 図書館長(故山口範道氏)の大論文を軽々に使用し、学会に簡単に破折され、その権威を地におとしめたままでよろしいのですね。
トヨダ大先生は「ただコピーした」だけで証明したと?
それでは、山口さんに対して失礼でしょう。
人の努力を引用して「証明だい」というのは頂けません。自らの言葉で頑張らないと、ですね。
正文書と不審書、どちらを採用するかは明白です
@ 日興上人による正文書=「宗祖御遷化記録」
1282年・弘安5年10月16日「宗祖御遷化記録」(聖典-581)
正本・西山本門寺蔵〜一弘安五年・壬午・九月十八日・武州池上に入御 地頭・衛門太夫宗仲同十月八日 本弟子六人被定置 此状六人面々可帯云々 日興一筆也
定
一弟子六人事 不次第
一 蓮花阿闍梨 日持
一 伊與公 日頂
一 佐士公 日向
一 白蓮阿闍梨 日興
一 大國阿闍梨 日朗
一 辨阿闍梨 日昭
右六人者本弟子也 仍為向後所定如件
弘安五年十月八日
→ 「不次第」つまり、六老僧は誰彼と区別するものではなく、六人は平等と明示され、一番後輩の日持を最初に、一番弟子の日昭を最後にされているのが六老僧平等をあらわされています。
――――――――――――――――――――――
293.宿坊氏の狂った様な己義の羅列を見ておりますと、先日捕まった「谷口某」なる痴犬を思い出してしまいます。
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月31日(火) 14時39分
▼注意せねばならないのは大聖人・日興上人は「戒壇板本尊が出世の本懐」とはいわれていないということです。見落としがちですが、これは決定的な事柄です。
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●ほとほと頑迷固陋ですね。そういえば、当方のBBSに
「樋田さんと宿坊氏のやりとりですが、今の宿坊氏の狂った様な己義の羅列を見ておりますと、先日捕まった「谷口某」なる痴犬を思い出してしまいます。きっと彼は「壊れたラジオ」みたいに喚き散らさないと不安で仕方無いのでしょうね。哀れですね。」
とあったが、まさに、その通りである。
この谷口某と電話で三回ほど会話をしたが、まさに貴公らと同じ印象である。
自分に都合の悪い話はまるで聞こうとせず、自分の言いたい事だけを壊れたテープレコーダーの如く繰り返し繰り返し、ただベラベラと延々と喋っている・・・・
貴公らもこのまま「病」が進行していったら、今に「事件」を起こすような事になるやも知れない。
空恐ろしい限りである。
その深義を秘蔵厳護しなければならない戒壇の大御本尊の大御本尊様の御事を、主に在家に宛てたお手紙を纏めた書である御書の中に見出せないのは当然過ぎるほど当然の事である、という道理がニセ本尊の猛毒で石の様に固まり切った脳髄には沁み込まないようである。
■「器に四つの失あり。
一には覆と申してうつぶけるなり。又はくつがへす、又は蓋をおほふなり。
二には漏と申して水もるなり。
三には?と申してけがれたるなり。水浄けれども糞の入りたる器の水をば用ふる事なし。四には雑なり。飯に或は糞、或は石、或は沙、或は土なんどを雑へぬれば人食らふ事なし。器は我等が身心を表はす。我等が心は器の如し。口も器、耳も器なり。法華経と申すは、仏の智慧の法水を我等が心に入れぬれば、或は打ち返し、或は耳に聞かじと左右の手を二つの耳に覆ひ、或は口に唱へじと吐き出だしぬ。」
■「此の経は相伝に有らざれば知り難し。」
貴公ら何の相伝もない謗法の輩には御本尊の御事は窺い知れない甚深の御義である。
■「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし。」
同意である。御本尊様の御事はこの世で六十七人の方しか真実甚深の義は解り得ない。
それを土竜の如く、目も見えないくせにこそこそ嗅ぎ回って、我見を捲し立てているのが貴公らの無様な姿である。
貴公らの不信謗法の様は既に解き切られている。
■「涅槃経三十六に云はく
「我契経の中に於て説く、二種の人有り仏法僧を謗ずと。
一には不信にして瞋恚の心あるが故に、
二には信ずと雖も義を解せざるが故に。
善男子、若し人信心あって智慧有ること無き、是の人は則ち能く無明を増長す。
若し智慧有って信心有ること無き、是の人は則ち能く邪見を増長す。
善男子、不信の人は瞋恚の心あるが故に説いて仏法僧宝有ること無しと言はん。
信ずる者にして慧無くば顛倒して義を解するが故に、法を聞く者をして仏法僧を謗ぜしむ」
貴公らは、まず、日顕上人を瞋恚して、憎悪して、結局は三宝を誹謗している。
また、仮に信あり、と言っても、正しい相伝に拠らない妄信であるが故に、義が全く理解できない。
益々無明の闇が深まるばかりである。
■「不信の人は瞋恚の心あるが故に説いて仏法僧宝有ること無しと言はん。」
まさに貴公らの姿ではないか。
涅槃経にまで読まれている貴公らの悪所業はいかばかりか罪深いものか。
恐れある事ども也。
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292.ゲイカの師範山崎正友を見下ろす、教学の達人トヨダ大先生
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 14時11分
1277年・建治3年8/23 日女御前御返事
1243 身延にて 未決
爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん・竜樹・天親等・天台・妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず・多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ・普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等加之・日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神総じて大小の神祇等体の神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、此等の仏菩薩・大聖等総じて序品列坐の二界・八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い・妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる・是を本尊とは申すなり。経に云く「諸法実相」是なり、妙楽云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如・乃至十界は必ず身土」云云、又云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云、伝教大師云く「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」文、此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり、仏滅後二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云う事なり。
→ このように「聖人御難事」が著される以前、既に「観心本尊抄」や「日女御前御返事」が著されており、本門の本尊が「法華経」の「涌出品」から「嘱累品」までの八品に顕われている、それを今・末法に日蓮が図顕しているとし、両抄共に本尊の相貌を詳述されています。更にそれは日蓮が自作しているのではなく「多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊」であると本尊の本義を述べられております。
それに対して、二年後に著された「聖人御難事」を解釈し、そこに出世の本懐・戒壇板本尊を明かされているとするのは、大石寺の思考回路ならではの牽強付会というものでしょう。
→「日女御前御返事」では本尊を図顕する意義につき、「法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」とされたことは重要でしょう。現日蓮正宗・大石寺は「本尊に関する一切の権能は血脈附法の御法主上人猊下お一人にあり」などとし、本尊に関する一切を大石寺という日蓮系一寺院の住職が独占としていますが、これは事実上、本尊書写、下付、伝持を象徴として、日蓮仏法を利用して自分達の世界を作り信徒に君臨するというものであり、
大聖人の「法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」とされた本尊図顕の本義、また広宣流布への不惜身命の実践、精神に対する冒?といえるでしょう。
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291.次期法主との期待が高まるトヨダ大先生
名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 14時6分
大石寺説の矛盾
@ 1273年・文永10年5/11 顕仏未来記 佐渡にて 509 真曽
「天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す等云云、安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す、三に一を加えて三国四師と号く」
→「安州の日蓮は恐くは三師に相承」とされた日蓮大聖人ですが、先師=釈尊・天台・伝教の出世の本懐を見ると、明示されています。では、大聖人はどうなのでしょうか?
A 釈尊の出世の本懐は?
→ 法華経・妙法蓮華経
・それは秘法であり、世に公にされない秘蔵厳護扱いだったのですか?
→ 周知のとおり明らかです
B 天台大師の出世の本懐は?
→ 摩訶止観・一念三千
・それは秘法であり、世に公にされない秘蔵厳護扱いだったのですか?
→ 周知のとおり明らかです
C 伝教大師の出世の本懐は?
→ 迹門の戒壇
・それは世に公にされない秘密扱いだったのですか?
→ 周知のとおり明らかです
D 「先師の出世の本懐は明らか」であるのに、「日蓮大聖人の出世の本懐が秘法」である根拠はどこにあるのでしょうか? 文証を示すべきです、仏法は道理です。
E 更に大聖人は下記にあるように、僧である弟子ではなく在家である門下に対してまでも、詳細に本尊に関する教示をされています。
門下に対し分け隔てなく自身の心情を明かされ、重要法門を教示された大聖人が、秘法を秘伝とされる道理はどこにあるのでしょうか?
かかる日蓮正宗・大石寺の主張などは、神秘の世界を創り上げそこに君臨したいという、大石寺流御書解釈の正体を露呈しているものです。
1273年・文永10年4/25 観心本尊抄 佐渡にて 254 真筆
其の本尊の為体・本師の娑婆の上に宝塔空に居し・塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士・上行等の四菩薩・文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し・迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して・雲閣月卿を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処し給う・迹仏・迹土を表する故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し・八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し・権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す・此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏・有さず、末法に来入して始めて此の仏像・出現せしむ可きか。〜此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す・一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し・月支震旦に未だ此の本尊有さず、(254)
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290.ゲイカの命を受け新時代を開いたトヨダ大先生
名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 13時45分
@ 聖人御難事のどこに、どのように「出世の本懐=本門戒壇の大御本尊」と書いてあるのか?
A 聖人御難事に大聖人出世の本懐が説かれているとして、それがどうして戒壇板本尊と結びつくのか。
大石寺の主張は、結論が先にありそこに強引に導くための、解釈論にしかすぎないことを知るべきだ。
B 大石寺は「聖人御難事に出世の本懐が説かれているならば、それは何だ? 弘安2年10月の本尊は数幅有るが、本門戒壇と認めの本尊は、十月十二日図顕の『本門戒壇の大御本尊』 しかない、故に戒壇板本尊こそ大聖人出世の本懐だ」というが、日蓮出世の本懐が本尊だけ、しかも特定の本尊だけしかない、という発想はどこからくるのか。それが正しいという根拠を示せ。まさか、「猊下の御内証で」などと笑わせないように。
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289.日蓮正宗の広宣流布よりも、自らのDVDが先に広宣流布しそうなトヨダ大先生
名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 13時44分
@ 日興上人の訓育を受けた重須談所二代学頭・三位日順が「本門心底抄」で「広宣流布の時・本門戒壇の仏像本尊」を主張したのは、戒壇板本尊の肯定か否定か、どちらか。
→ 否定ですね。
A 何故にかかる仏像本尊を主張したのか。
→ 「出世の本懐・戒壇板本尊」が無かったからだ。有ればいうわけがない。
B「三位日順の法門信解が浅い故に、日興上人の仏像に執着する信者への善巧方便・次第誘引の教示を文上で読み、かような仏像本尊説となった」といいますか?
→ それは現在の日蓮正宗・大石寺の推測というものです。
C 重須談所三代学頭・日代が何ゆえに「仏像造立の事、本門寺建立の時なり」などといったのか。
→ 出世の本懐・戒壇板本尊が無かったからだ。有ればいうわけがない。
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288.トヨダ大先生のお言葉と御本仏大聖人様のお言葉の内容が、まるで正反対ですがこのままだまし続けますか?
名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 13時42分
如来五十年の間は法華を以て真実と為す、是れ則ち諸仏の本懐なり抑亦多宝の証誠なり P848
法華経を説きおはらせ給て御物語あり、「阿難弥勒迦葉我世に出でし事は法華経を説かんがためなり我既に本懐をとげぬ今は世にありて詮なし P1045
況や今三大師は未顕真実の経を以て三世の仏陀の本懐の説を破するのみに非ず剰さえ一切衆生成仏の道を失う深重の罪は過現未来の諸仏も争か之を窮むべけんや争か之を救う可けんや。P1068
今経は出世の本懐一切衆生皆成仏道の根元と申すも只此の諸法実相の四字より外は全くなきなり P1139
不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、P1174
あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。 P1304
生を南閻浮提大日本国にうけ忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事是れ偏に過去の宿習なるか P1340
倩聖人出世の本懐を尋ぬれば源と権実已過の化導を改め上行所伝の乗戒を弘めんが為なり、図する所の本尊は亦正像二千の間一閻浮提の内未曾有の大漫荼羅なり、 P1614
さて、以下指摘です。
・このうち「戒壇板本尊」を示す、又はそれらしきことを伺わせる文があるのですか?
・大聖人の教えに無いものを「出世の本懐」といえるのですか?
・これらの御文のどこに「出世の本懐が特定の一つのものに限る」という文意があるのですか?
・大聖人滅後○百年たってから日蓮系の一寺院が「出世の本懐はこれだ」と主張して、それがそのまま通用する、という道理がどこにあるのですか?
・大聖人の教えに無い「自称・出世の本懐」を誰がどうして信用できるのですか?
・なんの裏付けもない「自称・出世の本懐」でもそれを信じ、拝まなければならない、という教示があるのですか?
・なんの裏付けもない「自称・出世の本懐」でもそれを信じ拝まなければ成仏は叶わないという教示があるのですか?
・根拠なき「自称・出世の本懐」に対し指摘すると「頭破七分で堕地獄必定」という教示があるのですか?
・根拠なき「自称・出世の本懐」に対し指摘すると「その文証はこれだ」と、一日蓮系寺院の相承書?が出てきました。それが真筆か否かを問うのはいけないことなのですか?それをとにかく信じなさい、という大聖人の教示があるのですか?
・根拠なき「自称・出世の本懐」と「真筆ではない相承書」のセットを根幹とする一日蓮系宗派が「わが宗は大聖人より唯授一人血脈相承で正しい」ということは正しいのですか?
・そのような宗派が「一閻浮提広宣流布・立正安国」とか「御遺命の本門戒壇の建立」などという資格があるのですか?
・そのような宗派が「大聖人直結・御書根本」の実践に励む他の教団に対し「直結は謗法だ」とか「御書根本は経巻相承だ」などという資格があるのですか?
・だいたい大聖人の一代の御化導のどこに、秘密のものを造り上げ、秘密にして、秘伝としよう、などと伺わせるものがあるのですか?
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287.ニッケンゲイカのご内証に肉薄され、成仏されたトヨダ大先生
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 13時38分
阿含方等般若も亦爾なり後番の五味皆成仏道の本懐なる事能わず P426
上根に望めても卑下すべからず下根を捨てざるは本懐なり、P466
「以何令衆生得入無上道」の御心のそこ順縁逆縁の御ことのは已に本懐なれば暫くも持つ者も又本意にかないぬ又本意に叶はば仏の恩を報ずるなり P467
然れば四十余年に所被の機縁を調へて後八箇年に至つて出世の本懐たる妙法蓮華経を説き給へりP480
、此の経は一字も諸仏の本懐一点も多生の助なり一言一語も虚妄あるべからず P481
釈尊出世の本懐道場所得の秘法末法の我等が現当二世を成就する当体蓮華の誠証は此の文なり P515
此の法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり、P519
法華は釈尊乃至諸仏出世の本懐なり止観は天台出世の己証なり[是三]法華経は多宝の証明あり P529
悲しいかな大小権実みだりがわしく仏の本懐を失いて爾前得道の者のためには法華経無用なりと云へる事を能能慎むべし恐るべし、P547
三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり三世の諸仏の出世の本懐一切衆生皆成仏道の妙法と云うは是なり P557
三世の諸仏の総勘文なり敢て人の会釈を引き入る可からず三世諸仏の出世の本懐なり一切衆生成仏の直道なり P572
之を悟り知る時仏果を成ずるが故に出世の本懐成仏の直道なり P574
此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり、此の五字日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す、P717
三世の諸仏の出世の本懐の妙法にして、優曇華の妙文なれば第一希有なり、P815
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286.トヨダ大先生ともあろう方が、退転した通行人@学会員と、お友達で先生の助っ人ですか?
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 13時34分
日蓮大聖人の御書に教示された「本懐」を以下、列挙しました。
(指摘済みの「聖人御難事」を除く)
故に天親菩薩の涅槃論に諸経と涅槃と勝劣を定むる時・法華経を以て般若経に同じて同じく第四時に摂したり豈正見の涅槃経を以て邪見の法華経の流通と為んや如何、答て云く法華経の現文を見るに仏の本懐残すこと無し、方便品に云く「今正しく是れ其時なり」寿量品に云く「毎に自ら是の念を作す何を以てか衆生をして無上道に入ることを得・速かに仏身を成就することを得せしめん」と P73
此の四巻三部の経は全く釈尊の本意に非ず三世諸仏出世の本懐にも非ず唯暫く衆生誘引の方便なり P98
一天四海善導和尚を以て善知識と仰ぎ貴賎上下皆悉く念仏者と成れり・但し一代聖教の大王・三世諸仏の本懐たる法華の文には若し法を聞くこと有らん者は無一不成仏と説き給へり、P99
如来在世に前の四十余年には大小を説くと雖も説時至らざるの故に本懐を演べ給わず、機有りと雖も時無ければ大法を説き給わず、霊山八年の間誰か円機ならざる時も来る故に本懐を演べたもうに権機移つて実機と成る P109
念仏と法華経と一つならば仏の念仏説かせ給いし観経等こそ如来出世の本懐にては侍らめ、彼をば本懐ともをぼしめさずして法華経を出世の本懐と説かせ給うは念仏と一体ならざる事明白なり、P116
又法華の意は爾前の諸行と観経の念仏と共に之を捨て畢りて如来出世の本懐を遂げ給うなり、日蓮管見を以て一代聖教並びに法華経の文を勘うるに未だ之を見ず、P119
但し華厳は法華経より先なり華厳経の時仏最初に法慧功徳林等の大菩薩に対して出世の本懐之を遂ぐ、然れども二乗並に下賎の凡夫等根機未熟の故に之を用いず P121
法華経方便品の略開三顕一の時仏略して一念三千心中の本懐を宣べ給う、P208
法華経に法譬因縁と云う事あり法説の段に至つて諸仏出世の本懐一切衆生成仏の直道と定む、P414
等覚以下は仰いで此の経を信ず可し況や諸仏出世の本懐なり、禅宗は観心を本懐と仰ぐとあれども其は四種の一面なり、P415
迹門は二乗作仏が本懐なり故に「彼の土に於いて是の経を聞くことを得」と説くP421
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285.宿坊君・・お身内からもきついお言葉が出てますよ。 合掌。
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月31日(火) 13時1分
投稿日時:2005/05/31(Tue) 12:50
タイトル:宿坊氏、怒られています(笑)
4375. >崩れているのは? 通行人@学会員 2005/05/31
(火) 11:19
現時の学会教学を、我見で勝手に捻じ曲げて解釈している輩を「崩れ学会員」というのではないでしょうか。
特に「大御本尊」や「二箇相承」に疑義をはさみ、全く組織活動もせず、「日顕を倒す!!」などと威勢ばかりで、実際には公開法論を突きつけられれば逃げ、ネット上でのTRに応じるようにいいながら「実名」が名乗れず、結局は逃げ回りごまかし続ける、このような口先だけの人物は、完璧な「崩れ学会員」ですね。
「日顕を倒す!!」などとは、学会活動をサボって自分の趣味である、古文書研究に没頭するため言い訳です。」
以上。
呵々大笑。
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284.貴公の精一杯の屁理屈による痴論を楽しみにしています。
名前: 樋田 昌志 日付:5月31日(火) 12時54分
●ここなども貴公の浅薄な教義理解の浅ましさが良く表れていて、実にいいサンプルとなった。
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▼日蓮大聖人出世の本懐は三大秘法の建立・確立
日蓮大聖人 → かきあらはしまいらせた宝塔=出世の本懐とはこれなり
→ 本尊 → 南無妙法蓮華経=此の五字・日蓮出世の本懐なり → 題目
日興上人 → 日蓮聖人御出世の本懐・南無妙法蓮華経
→ 題目
このように本尊・題目を出世の本懐とされており、それはとりもなおさず三大秘法の確立ということです。
本尊・題目があればそこに戒壇もあります。三学倶伝といい、この三大秘法は絶えず一体だからです。
( 参考 → 御義口伝 第二十此経難持の事御義口伝に云く此の経文にて三学倶伝するなり、虚空不動戒虚空不動定虚空不動慧三学倶に伝うるを名けて妙法と曰うと 743 )
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● 因みに引用文は、平成版では
■「第十六 是名持戒の事
御義口伝に云はく、此の経文にて三学倶伝するなり。虚空不動戒・虚空不動定・虚空不動慧、三学倶に伝ふるを名づけて妙法と曰ふと。」
である。
貴公の引文は、創価学会版御書の、明らかな誤植・もしくは誤読であるから速やかに訂正したら如何か?
その証拠に、創価学会版では、742ページに
「第十四」にも「此経難持」とあり、
「御義口伝に云はく、此の法華経を持つ者は難に値はんと心得て持つなり、されば則為疾得無上仏道の成仏は今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る是なり」とあり、正に、題号と文意が齟齬がない。
勿論平成版では、この文を用いている。
が、創価学会版では、その1ページ後(743)に再度「此経難持」とあり、同一題号が二度重複し、極めて不自然であり、文意とも齟齬がある。
古文献研究の世界では、常に新発見があり、最新版を用いるのが真に学問をする者の常識である。
今後は、つまらぬ恥をかかぬよう、平成版で引文されたら如何か?
老婆心ながら忠告申し上げておく。
1、では貴公が言うその「三大秘法の御本尊」は現存する大聖人様御真筆御本尊(と言われている)御本尊のうちのどの御本尊か?
2、それとも、どの御本尊でも自分が「気に入った」御本尊でもいいのか?
3、それは、邪宗日蓮宗系寺院が所蔵している御本尊でもいいのか?
4、三大秘法抄(真書であることは証明済み。疑難をするのならば偽書であることを明証せよ。)
■「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり。」との、
1、具体的な「事の戒壇」に安置申し上げる御本尊はどれか?
2、一体か?
3、それとも何体か?
4、ありとあらゆる「大聖人御真筆御本尊」と“いわれている”全てか?
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
5、貴公らが拝む日寛上人の御本尊を勝手に撮影・修正・複製・販売しているニセ本尊は、大聖人様御真筆ではないが、御書に書かれていない本尊を何故貴公らは拝んでいのか?
御書に示されていない“本尊”なのだから、勝手に拝んではいけないのではないか?
6、御書 もしくは上古の文献で、大石寺門流の江戸時代頃の御法主が ある一寺院の住職へ下賜した御本尊を、在家が勝手に文字に修正を加え、授与書きを勝手に削除し、大量に形木で摺って、配り散らかして良い、という文証を挙げてください。
できれば、その本尊が大聖人様の「出世の本懐」であると証明してください。
7、身延のみやげ物屋で売られている、大聖人御真筆と“鑑定済み”の御本尊の複製掛け軸は、大聖人様「出世の本懐」なのか、否か?
まだまだ、疑問は尽きませんが、この辺にしておいてあげましょう。
速やかに御書を通して、証明もしくは回答して下さい。
もし、上記の論証に成功しなかった場合は、貴殿らの謗法・堕獄は治定である。
精一杯の屁理屈による痴論を楽しみにしています。
――――――――――――――――――――――
283.大先生ここでごもまかしておきますか? 法華講ですからバレマセンネ。
名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 11時24分
→ もちろんこの特定の本尊に対する教示を通して、全日蓮図顕本尊に「日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候」は当てはまるのが道理ですが、存在なしの「戒壇板本尊」には当てはまりません。
D 上行等の聖人が出現し・建立された本門の三つの法門は「戒壇板本尊」ではない!
1274年・文永11年5/24 法華取要抄
与富木常忍 身延にて (338) 真筆
( 参考 5/17の身延入山以降直近の書 10/5の蒙古襲来の約4ヶ月前 )
是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し・本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布・疑い無からん者か。
→ 大聖人が三大秘法を確立せられた時、その脳裏に「戒壇板本尊」があった、もしくはそれをこれから建立しようと思っていたのですか?
答えは簡単、あるわけないし思ってもいません。文永11年にも、板本尊の日付・弘安2年10月にも、その存在はないのですから。
E 日蓮大聖人が広宣流布するのは「本門の本尊」であり「戒壇板本尊」ではない!
1274年・文永10年5/11 顕仏未来記 507 真曽
此の人は守護の力を得て・本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も・其の意是れ同じ・彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ・彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり。
→ 大聖人は何を「閻浮堤に広宣流布」されるのですか?「戒壇板本尊」ですって?
どこに書かれていますか?大石寺流解釈で押し切ってはいけません。「本門の本尊」ですよ。
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282.トヨダ大先生、大聖人の教えと矛盾いたしますがどのようにいたしましょう?
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 11時23分
@ 日本国の一切衆生の為に付属し給う「日蓮建立の御本尊」は戒壇板本尊ではない!
1278年・弘安元年〜1280年・弘安3年 御講聞書
身延にて 828 未決
一等雨法雨の事
此の等雨法雨は法体の南無妙法蓮華経なり、今末法に入つて、日蓮等の類いの弘通する題目は、等雨法雨の法体なり、此の法雨・地獄の衆生・餓鬼・畜生等に至るまで同時にふりたる法雨なり、日本国の一切衆生の為に付属し給う法雨は題目の五字なり、所謂・日蓮建立の御本尊・南無妙法蓮華経是なり云云、
A 大聖人が成就した三大秘法は戒壇板本尊のことではない!
1273年・文永10年5/28 義浄房御書 佐渡にて 892
(録外)未決
( 参考 本書は本尊図顕1年8ヶ月後。 翌年10/5、身延在山時に蒙古来襲 )
寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事・此の経文なり秘す可し秘す可し、
→ 義浄房御書から「出世の本懐=三大秘法の確立」と拝せます。「日蓮が己心の仏界を寿量品の事の一念三千の三大秘法として成就せる」と・・・。
この「日蓮己心の仏界」を「成就」したということは、自身の境涯・仏界を三大秘法として確立した。更に自身の願い・目的とされていたものを達成されたということであり、そこに「出世の本懐」を遂げられた意義が拝されます
B 「此の国に立つ一閻浮提第一の本尊」は戒壇板本尊のことではない!
1273年・文永10年4/25 観心本尊抄 佐渡にて 254 真筆
( 参考 本書は本尊図顕1年7ヶ月後。 翌1274年・文永11年10/5、身延在山時に蒙古来襲。 同年12月、通称・万年救護本尊図顕 )
伝教大師・日本にして末法の始を記して云く「代を語れば像の終り・末の初・地を尋れば唐の東・羯の西・人を原れば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云く・猶多怨嫉・況滅度後と此の言良とに以有るなり」此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時・地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す・一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し、月支震旦に未だ此の本尊有さず
→ 自界叛逆・西海侵逼の二難という国家・民族存亡の危機の時に、此の国に立つ一閻浮提第一の本尊(=一般図顕本尊)は戒壇板本尊ではありませんでした。
C「日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候」本尊は戒壇板本尊ではない!
1273年・文永10年8月 経王殿御返事 佐渡にて 1124
未決
日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候ぞ・信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり・日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし
→ 大聖人がその「たましひ」を「すみにそめながしてかき」更に「信じさせ給へ」といわれる御本尊は「戒壇板本尊である」といわれましたか?
この本尊はどなたに授与されたのですか?
まさか「弥四朗国重」などといわないでしょうね(笑)
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281.長野の大先生様!地元からブーイングです
名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 11時17分
いわれてるよ。
→ お前を大商人と命名する。謹んで受けるように。
で、どうなの「お受け」したの?
→ いけませんねー、余計な部分まで引用しては。
※ 樋田教としましては「不信は堕獄の因なり。」だけを、切り文として引用するのが正しい化儀でございます。
前文まで引用しては、唯物論を教義の根底に置く当教団の大前提にヒビが入ります。
と、貴方の兵隊講員からブーイングが聞こえてきますよ。
もっとも、あの兵隊たちの頭では、理解も出来ませんが。
永遠の法を説いた大聖人が、永遠の法体を現すのに有限な木材を選定する訳がないことぐらい、誰にでも少々考えれば解ることです。
どうせなら、木材よりは石材、金属のほうが長持ちしますが、所詮同じ物質です。
火災や災害でもっとも大事な信仰の対象物が無くなってしまったら、その教団の消滅になります。
だから「一念三千も信の一字より起こり、三世諸仏の成道も信の一字より起こるなり」でしょ。
誤って書き込んでしまった前文で唯物論教団は自爆ですね。
まさに、樋田教の「元品の無明を切る」御文でした。
間抜けな教祖様へ!
謹んで拝読せよ。
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280.僭越ながら御指南役トヨダ大先生を謹んで破折させていただきます
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 11時14分
▼(1573年・天正元年・滅後292年に大石寺14代となった日主の書状
「日興跡条々事示書・年月日なし」に「大聖より本門戒壇御本尊」とあります)更にその本尊を「日蓮出世の本懐」と言い出したのは100年も後のことになります。
(1682年・天和2年(滅後401年)11/13よりの「日目350年忌の説法」22代日俊、「此の如く蓮祖御出世の本体三大秘法の御座す寺なる故に〜」大石寺にて)
●だからどうしたというのですか?
「戒壇の大御本尊様」の存在の傍証になりこそすれ、反証とはなり得ないではないですか。
→ では、(笑)
◎ なぜこの時、突然その「存在?」を言い出したのですか。
◎ なぜこの時まで、その「存在?」を言わなかったのですか。
◎ で、この日主・日俊の時点での発言を、法華講員さんは「存在の傍証」といいますが、この発言内容から、どのようにして「戒壇板本尊は本物だ=日蓮大聖人が戒壇板本尊の相貌を図顕し、その造立に関わった」と判断できるのですか、具体的にその根拠を示してください。
◎「御法主上人ゲイカがいわれたことだから間違いない」ですか、ならばその「御法主上人ゲイカがいわれることに間違いはない」といえる根拠を示してください。それは盲信にすぎず、世間の晒し者になるだけです。
◎ 他の日蓮系教団が「○百年後に出世の本懐の板本尊」を主張し出して、それをそのまま法華講員さんは「そうだね。存在の傍証だね」というのですか。
◎「いや、大石寺だけは別なのだから」というのなら、その根拠を示してください。
◎大聖人滅後○百年後に「うちの寺に大聖人の相承書があった」といえば、それがそのまま「そうだね。存在していたんだね」といえるのですか。
→ 大聖人滅後300、400年経過して、日蓮系一寺院が「うちの寺に出世の本懐・本門戒壇御本尊」といえば、それが「正しく、本当に、大聖人出世の本懐の本門戒壇御本尊が存在したことになる」というのが、世の正しい道理である、と証明してもらいましょう。
ここ十数年の間でも、日蓮大聖人の真筆か?といわれる本尊が確認され、鑑定の結果、数体は「大聖人の真筆本尊」とされました。
それに対し「我が寺に大聖人の真筆・曼荼羅本尊があるよ。しかも出世の本懐で、本門戒壇堂用のね」といわれても、「はあ、だからどうしたというのですか?お宅の宗派の自己申告にすぎません。それで」となるのが道理というものです。
→ 日蓮大聖人入滅後300年、400年経過して、出てくる「出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」・・・これを受け法華講諸氏云く「存在の傍証だ」・・・正に「ゲイカの御内証を信じる人間ならではの思考回路」ですね。
日蓮大聖人入滅後300年、400年経過して、出てくる「出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」・・・
「なにそれ?どうして今迄言わなかったの?なんでその時に言い出したの?で、もって、それが本物であるという証拠は?」となるのです。
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279.僭越ながら御指南役トヨダ大先生を謹んで破折させていただきます
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 11時13分
以前の「長野のおじさん」の書き込み
※ 御仏御自らに向かって「貴方は仏ですか?ちょっと疑わしいので調べさせてくださいね。」と、身長や、手や足の長さを測ったり、肌に触ってみたり、体温を測ったり、口を開けていただき口内をを覗いたり、胸に聴診器をあてたり・・・そういうことを平気でする馬鹿者が何処にいる?それこそ不信謗法ここに極まれり。である。
◎ ここの主題は何か、一人パソコンに向かい今一度復唱せよ。
◎ 貴殿がここに登場する以上何をせねばならぬのか、再度認識せよ。
◎ 貴殿は当方に対し「本門戒壇の大御本尊の真偽を問うことの愚かさ」の例示と解釈できる記述として、本門戒壇の大御本尊即日蓮大聖人であるかのような書き込みをした。ならば、本門戒壇の大御本尊は即日蓮大聖人である、と証明せよ。できるのか、できないのか?貴殿の宗派内の約束事を書き記したものは違う宗教である故、当方とは関係ない。
◎ 貴殿は、自身の信奉する宗派内では「極悪謗法不信の輩」に対し、いきなり貴殿の「宗派内の教義(当方にとっては関係ない)」を前提としていったのだ。発言した以上、貴殿にはその「極悪謗法不信の輩」をも納得させるべく直ちに「本門戒壇の大御本尊は即日蓮大聖人である」とストレートに証明してみよ。
@ 「本門戒壇の大御本尊」 の相貌を日蓮大聖人が図顕した証拠。その造立に大聖人が関わった証拠
A 日蓮大聖人が「本門戒壇の大御本尊」 を即御自身とされた証拠
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278.トヨダ大先生様へ、冗談はよしてください。
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 11時9分
>未究竟御曼荼羅御本尊様 対 究竟された御曼荼羅御本尊様
日顕ゲイカの御指南役トヨダ教授がこのような陳腐なことを言われると、
皆様からおしかりを受けると思いますがいかがでしょうか?
要するにご本尊に差別が存在するわけですね。
『日蓮がたましひを・すみにそめながして・かきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし。』
その未究竟本尊はどれとどれで、『究竟本尊』はどれですか?
客観的文証を提示してください。
>「奉書写之」=之を書写し奉る の「之」とは何を指すのか、
少なくとも「戒壇板本尊」ではありませんね、トヨダ大先生様
手にとってよくご覧になってください、
違いが一目瞭然です、
まさかトヨダ大先生様は目が節穴ではありませんね!
しかしDVDでなくてよかったですぞ、映像でしたら法華講がかわいそうです、
赤子がひねりつぶされているのですから。
では簡単に破折と行きます、
「御本尊七箇相承」には、
「仏滅度後二千二百三十余年の間、一閻浮提の内未曾有の大曼陀羅なりと遊ばさ
るる侭、書写し奉るこそ御本尊書写にてあらめ、之れを略し奉る事大僻見不相伝
の至極なり。」「日蓮正宗聖典」三七九頁
とあり、
「本門戒壇の大御本尊」 には
「仏滅後二千二百二十余年之間、一閻浮提之内未曾有之大曼陀羅也」とあるのは、
「彫刻本尊」自体が「法門相承」の書き方ではない決定的証拠なのです。
寛師書写本尊には『二千二百三十余年』となっており
「御本尊七箇相承」の通り書写されている。
寛師書写本尊と「彫刻本尊」とは違います、
あなたのその「めがね」は現在使われておりませんので、
よくお確かめになって、お書き直し願います。
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277.日蓮正宗・大石寺の教授トヨダ大先生
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 10時53分
A 星名五郎太郎殿御返事 /文永四年十二月
四十六歳御作 1209
今・此の善導・法然等は、種種の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし・如来の正法を滅す、就中・彼の真言等の流れ・偏に現在を以て旨とす、所謂・畜類を本尊として男女の愛法を祈り、荘園等の望をいのる、是くの如き少分のしるしを以て奇特とす、若し是を以て勝れたりといはば・彼の月氏の外道等にはすぎじ、彼の阿竭多(あかだ)仙人は十二年の間・恒河の水を耳にただへたりき、又耆菟(ぎと)仙人の四大海を一日の中にすひほし、く留外道は八百年の間・石となる、豈是にすぎたらんや、又瞿曇(くどん)仙人が十二年の程・釈身と成り説法せし、弘法が刹那の程にびるさな(毘盧舎那)の身と成りし、其の威徳を論ぜば如何、若し彼の変化のしるしを信ぜば・即ち外道を信ずべし、当に知るべし・彼れ威徳ありといへども・猶阿鼻の炎をまぬがれず、況やはづかの変化にをいてをや・況や大乗誹謗にをいてをや、是一切衆生の悪知識なり・近付くべからず畏る可し畏る可し
【 日顕宗についてるあなたが不憫でならない 】
妙一尼御前御消息 /建冶元年五月 五十四歳御作
妙一尼御前 1253
大覚世尊・御涅槃の時なげいてのたまはく、我涅槃すべし、但・心にかかる事は阿闍世王のみ、迦葉童子菩薩・仏に申さく、仏は平等の慈悲なり、一切衆生のためにいのちを惜み給うべし、いかにかきわけて阿闍世王・一人と・をほせあるやらん・と問いまいらせしかば、其の御返事に云く「譬えば一人にして七子有り、是の七子の中に一子・病に遇えり、父母の心・平等ならざるには非ず、然れども病子に於ては心・則ち偏に重きが如し」等云云、天台・摩訶止観に此の経文を釈して云く「譬えば・七子の父母・平等ならざるには非ず、然れども病者に於ては心・則ち偏に重きが如し」等云云とこそ・仏は答えさせ給いしか、文の心は・人にはあまたの子あれども・父母の心は病する子にありとなり、仏の御ためには・一切衆生は皆子なり、其の中・罪ふかくして世間の父母をころし・仏経のかたきとなる者は病子のごとし
【 日顕宗が創価学会を誹謗する姿は「螢火が日月をわらひ」です 】
佐渡御書 /文永九年三月 五十一歳御作 与弟子檀那
961
螢火が日月をわらひ・蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり・烏鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)をわらふなるべし・わらふなるべし。
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276.貴公らは、永劫に六道の巷・殊に三悪道で喘ぎ沈倫する不遇な衆生である。
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月31日(火) 10時52分
▼ 原殿御返事
「御力契い給わずば、御子孫の御中に作らせ給う人出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候いしを安置候べし。いかに聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主の木像をば、最前には破し給うべきと強いて申し候いしを、云々」
概訳 は省略
**********************************************************
ここも、別段貴公らの痴論を明証する箇所とはならない。
態々、通解まで長々と書き付けて、ご苦労様。
ここの日興上人の仰せは、「大聖人様の「出世の本懐」は、御曼荼羅御文字本尊であり、絵像・木像の類ではない。」との御心である。
それは、当時通常「本尊」といえば絵像・木像の類であった“常識”に対して、それを破して、御文字曼荼羅本尊を択ぶ意であり、相対する対象が、
絵像・木像 対 御文字曼荼羅
という立て分けである。
その大聖人様の出世の本懐である御文字曼荼羅御本尊の中でも、大聖人様御一期の御化導の中で、究竟された御本尊と、未究竟の御本尊様があらせられる、ということを論じているのである。
未究竟御曼荼羅御本尊様 対 究竟された御曼荼羅御本尊様
との相対の論格である。
AとB を比較して Aを択びBを捨て、更にAの中でも、一段と純化されたAを択ぶ。
こういう論証である。
(貴公らに細かく説明してあげても腐った根性では理解不能であろうから、これを見る、他の方々への、特に初門の方への解説であるから、貴公らは居眠りしていてかまいません。)
それは御本尊様の体相に明確に拝すことが出来、弘安元年以降の御本尊様に、なかんずく、弘安二年の戒壇の大御本尊様の体相に究竟される、と日顕上人の尊い御指南を拝して証明しているのである。
貴公ら「御本尊書写の大権」を、当たり前すぎるほど当たり前であるが、持ち合わせていない者どもが逆立ちして憤慨しても、所詮、門外漢の歯軋りである。
貴公らが拝んでる(であろう、ちゃんと魔の勤行してる?)日寛上人の御本尊様を勝手に撮影・印刷・大量販売した「ニセ本尊」のその基になった、日寛上人の御本尊様も、その体相・特に人法一箇の深義は、まさに戒壇の大御本尊を書写されているお姿であることは明々白々である。
もし、そうでないというのなら、「奉書写之」=之を書写し奉る の「之」とは何を指すのか、明示すべきであろう。
貴公らは所詮、
■「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師(人法一箇の戒壇の大御本尊様)を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。」
の永劫に六道の巷・殊に三悪道で喘ぎ沈倫する不遇な衆生である。
――――――――――――――――――――――
275.トヨダ大先生は味をしめていますので、DVDでまた一儲けですか?
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 10時50分
長野のおじさんは「脅し文句で文証を使います」が、私はやさしく救済の手をさしのべましょう。しっかりと以下の御文を拝して、目を覚ましましょうね。
【 あなたが日顕宗についていき、無間地獄に堕ちるのが不憫でならない 】
@ 聖愚問答抄上 /文永二年 四十四歳御作 492
先ず汝目をふさぎ心を静めて道理を思へ、我は善道を知りながら親と主との悪道にかからんを諌めざらんや、又愚心の狂ひ酔つて毒を服せんを、我知りながら是をいましめざらんや、其の如く法門の道理を存じて火・血・刀の苦を知りながら、争か恩を蒙る人の悪道におちん事を歎かざらんや、身をもなげ・命をも捨つべし、諌めてもあきたらず・歎きても限りなし、今世に眼を合する苦み猶是を悲む、況や・悠悠たる冥途の悲み豈に痛まざらんや、恐れても恐るべきは後世・慎みても慎むべきは来世なり、而るを是非を論ぜず・親の命に随ひ・邪正を簡ばず、主の仰せに順はんと云う事・愚癡の前には忠孝に似たれども賢人の意には不忠・不孝是に過ぐべからず。
A 開目抄 577
我が父母(ふも)を人の殺すに父母につげざるべしや。悪子(あくし)の酔狂(すいきょう)して父母を殺すをせいせざるべしや
【 日顕宗についていき、後悔しても遅いですよ 】
佐渡御書 959
今・謗法の酔さめて見れば、酒に酔る者・父母を打て悦しが・酔さめて後・歎しが如し、歎けども甲斐なし、此罪消がたし
【 日顕宗についていけば阿鼻地獄ですよ 】
南部六郎殿御書 1374
十輪経に云く「若し誹謗の者ならば共住すべからず・亦親近せざれ、若し親近し共住せば即ち阿鼻地獄に趣かん」云云、栴檀の林に入りぬれば・たをらざるに其身に薫ず、誹謗の者に親近すれば・所修の善根・悉く滅して倶に地獄に堕落せん、故に弘決の四に云く「若し人・本・悪無けれども、悪人に親近すれば後に必ず悪人と成りて、悪名・天下に遍し」
【 謗法の日顕宗に供養すれば無限大城に堕しますよ 】
教機時国抄 弘長二年二月十日 四十一歳御作
439
法華経を謗ぜん者をば、正・像・末の三時に亘りて、持戒の者をも・無戒の者をも・破戒の者をも・共に供養すべからず、供養せば必ず国に三災七難起り、供養せし者も必ず無間大城に堕すべきなり、
【 仏法を行じても日顕宗では心が曲がりますよ 】
三沢抄 /建治四年二月 五十七歳御作 与三沢小次郎
1487
仏法をばがくすれども、或は我が心のをろかなるにより・或はたとひ・智慧はかしこきやうなれども・師によりて我が心のまがるをしらず、仏教を・なをしくならひうる事かたし
【 日顕宗こそ、仏教をもって仏教を失っています 】
題目弥陀名号勝劣事 115
仏教をもつて・仏教を失ふこそ、失ふ人も失ふとも思はず、只・善を修すると打ち思うて、又そばの人も善と打ち思うてある程に、思はざる外に・悪道に堕つる事の出来候なり
【 日顕宗に功徳の現証がある?そんなの邪教の悪現証と同じです 】
@ 報恩抄 建治二年[太歳丙子]七月二十一日 之を記す 319
古の人人も・不可思議の徳ありしかども、仏法の邪正は其にはよらず、外道が或は恒河を耳に十二年留め・或は大海をすひほし・或は日月を手ににぎり・或は釈子を牛羊となしなんどせしかども・いよいよ大慢を・をこして生死の業とこそなりしか、此れをば天台云く「名利を邀め見愛を増す」とこそ釈せられて候へ、光宅が忽に雨を下し・須臾に花をさかせしをも妙楽は「感応・此の如くなれども猶・理に称わず」とこそかかれて候へ、されば天台大師の法華経をよみて「須臾に甘雨を下せ」、伝教大師の三日が内に甘露の雨をふらしておはせしも・其をもつて仏意に叶うとはをほせられず、弘法大師いかなる徳ましますとも・法華経を戯論の法と定め・釈迦仏を無明の辺域とかかせ給へる御ふでは・智慧かしこからん人は用ゆべからず、いかにいわうや・上にあげられて候徳どもは不審ある事なり
――――――――――――――――――――――
274.トヨダ大先生、日蓮大聖人様はあずかり知らぬ「戒壇板本尊」と言われていますよ
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 10時45分
上古の文献から拝察すれば「戒壇板本尊」 は真っ赤な
偽物になります。
日蓮消宗・大石寺の「板本尊」は
「仏滅後二千二百二十余年之間、一閻浮提之内未曾有之大曼陀羅也」
三師御伝土代 大石寺の第四世日道上人仰せに曰く、
「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云云、」
日蓮消宗・大石寺の「本門戒壇の大御本尊」 は罪を無間に開く本尊と言われていますよ!
困ったな坊や、どうしますか?
また煙に巻きますか?
本尊三度相伝
「仏滅後二千二百三十余年の間一閻浮提の内未曽有の大漫荼羅なり、」
重須学頭日順上人
「仏滅後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大漫荼羅」
御本尊七箇相承、
「一、仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり。」
五人所破抄見聞
「仏滅度後二千二百三十余年の間一閻浮提の内未曾有の大漫荼羅と遊ばす也、」
――――――――――――――――――――――
273.トヨダ大先生、おはようございます。天下御指南役に意見をさせていただきます。
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 10時33分
※「原殿書、祖滅七年、日興上人より原弥六郎への返状、中古の写本要法寺に在り。」
貴公の論法で言えば、
1、この書が真書であることを「上古の文献」で証明しろ。
2、真蹟はどこにあるんだ〜?
3、偽書で無いということを客観的証拠で明確に証明しろ。
4、筆跡鑑定しなければ信じない。
この四点が明らかにならなければ偽物だ〜〜。
と、こうなるが如何か?
貴公は上記四点が明白でないのに何故この書を軽々に引用するのか?
戒壇の大御本尊様・二箇相承・百六箇抄・条々事・他 への邪難も同様の論法であろう?
ここに貴公らの謗法の腐りきった根性でなす欺瞞の実態が明々白々となった。
→
◎「原殿書」
日興上人による身延離山自体は全日蓮門下存知の史実。(動機・解釈は異なるが)
富士一跡門徒存知の事により、身延山の本尊問題も伺われる。
阿仏坊御書、御義口伝に明示される大聖人の出世の本懐とも同義。
故に写本のみでも、状況証拠により採用できるということです。
◎「戒壇板本尊」
過去、指摘済みの如く、法門上の考察、歴史上の考察から存在はなし。
◎「二箇相承書」
過去、指摘ずみ。
◎「日興跡条々事」
同
◎「百六箇抄」
同。
→ 何も「原殿書」のみならず、写本のみの大聖人の御書も多数有る。もちろん、これらは真筆だったのか、偽書なのか、時間をかけ状況証拠を積み重ね判定をするべきですが、ほぼ全日蓮門下が横断して拝読しえるものであり、認識を共有できます。
→ しかし、「相承書」は違います。今日では六老僧それぞれの門流が、規模の大小はあれ確立されており、相承書の真偽は「それぞれの教団の存立に直結」する問題となります。故に「真偽判定」は全日蓮門下をして納得せしめるものがあらねばならず、一宗派内のみで「これがわが門祖への相承書だ」としたところで何の意味も無いのです。客観的な鑑定、伝承の経緯等の情報公開、それの調査・分析が必要となります。
なんといっても
・大聖人は相承書なるものによって、特定の一人のみへの付属を期されていたのか否か。
・大聖人は唯授一人血脈相承により、令法久住を期されていたのか否か。
・大聖人は唯授一人血脈相承を実際に行なわれたのか否か。
・大聖人の仏法は相承書などによらない、「信心の血脈」により時代、時代に確立されるものなのか、否か。
という、宗祖の教義、思想に直結してくる問題であり、内容はどちらの主張どおりになるかは別としても「一つの日蓮像」ができあがり、そこに信を取るのですから、「相承書の真偽は重要な問題」なのです。
「戒壇板本尊」も同じく、その意味する方向性は「相承書」とほぼ同じであり、
・大聖人は特定の一つの本尊を出世の本懐とされたのか否か
・その本尊は本門戒壇に安置の本尊なのか、否か
・それを実際に唯授一人で相承されたのか否か
などですね。
特に「相承書」を申告したところは過去に数多あったわけですが、日蓮正宗・大石寺を除き、今日では、ほとんどが引っ込めてしまっていますね。
「相承書」により正統とするのではなく、信仰実践により宗祖とつながりゆく、という本道の選択ですね。
一人日蓮正宗のみが声高に主張しているのです。「出世の本懐の板本尊だ」「御法主上人ゲイカが唯授一人血脈相承を継承される」等々と、ならば客観的な証明を求める、というのも当然至極なことなのです。
ですから「謗法の輩には」などと、どうのこうのというのではなく、素直にストレートに証明すればいいのです。それを頑なに拒否し、史実を「都合よく」解釈し、「憶測、推測を積み重ねて」証明しようとしてばかりいるから、破折・指摘を受け続けているのです。
※ ここに貴公らの謗法の腐りきった根性でなす欺瞞の実態が明々白々となった。
全ての資料を自分らの都合の良い様に使い散らかすだけであり、貴公らに仏法を学する真摯な精神や態度など微塵も無い。
真に唾棄すべき腐り果てた、醜悪・面妖な食法餓鬼どもである。
→ ということで、これは大先生のひとり言ですね。本当に大丈夫ですか?
こういう発言は、全部、ご自分の内面世界の一端をそのまま書き記しているのではないですか?
見ている人、みんなが心配していますよ。
――――――――――――――――――――――
272.訂正
名前: 樋田 昌志 日付:5月31日(火) 9時38分
混間→混同
――――――――――――――――――――――
271.自らの及ばざるに怨嫉を基として卑劣なる情によって起る。
名前: 樋田 昌志 日付:5月31日(火) 9時36分
ここで貴公らの心根の不純さを更に明確に指摘しておかねばならないようだ。
日淳上人全集から
悪口と折伏
「罵詈讒謗と折伏とは混間されやすいが、自ら正法を持ち正行を行ずるものが他の過悪を責むるは折伏である。」
自ら正法を持つことなく又正行を行ずることもなくして却って他を言ふは悪口罵詈である。
一つはうちに正あって他の邪に迷ふを見て慈悲の念止む能はず彼が為に悪を除かむとする親の情により、
一つは自らの及ばざるに怨嫉を基として卑劣なる情によって起る。
此の両者は結果に於ては区別し難いがその原因に於ては千里の逕庭がある。
即ち正法受持の自覚があると否と、而して受持するところはたして正法なると否とによるのである。
他の過悪を挙ぐることは易い、その非を嗚らすことも容易である。
けれども自ら正法を受持し正見に住することは至難である。
今の世悪口罵詈讒謗毀(此言)は多いが真の折伏は少い。
悪口罵詈は如何に巧なりとも一顧だにも価しないが、折伏は如何なりとも耳を傾けなければならぬ。
日蓮大聖人曰く「体斜めなれば影曲がる」と体とは法である 影とは行人である。
されば行人の曲れるは法の曲がれるによる 影を矯んとならば法を糺さなければならぬ。
法若し正しくして影が曲ればそれは行人の罪であって法の罪ではない、五濁爛漫の当世、法をさしをいて一々の言行を批判すれば悪口に堕する、唯受持する法の邪正を決するが行伏である。
近時自ら正法に住せずして巧に他を言ふものがある。
徒らに奇言を弄して衆目を悪はさんとするものの如くであるが、聞くところ見るところによれば悉く所謂悪口に過ぎない。
自らの智解の及ばざるを知らず浅見を以て他を論ずるが如くである。
衆人先づ悪口か折伏かを批判して然るのちにその言を聴かむことが肝要である。
昭和六年六月 (大日蓮)」
心して、仰ぐがよい。
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270.次期法主の樋田先生へ
名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 0時22分
※ 百六箇抄云々
→ 過去、数回述べましたね。
→「四、結論」以後は「考えられるのである。」「ではなかろうか。」「であると思うのである。」「と思う。」ばかりで、論評するに値せず、です。「思う」のは自由ですので、自由に好きなだけ書いていただき、「信者さんだけで」喜んでいればいいことですね。
で、どこで「二箇相承書の実在」が証明されたのかな?
※ 親本を誤りなく書写することは実に難しい。日耀(日辰本)に「身延山」を「身遠山」と書いているのは恐らく書写の際の誤りであろう。それは日耀以前の写本全部が「身延山」となっているからである。
→ 以下、「身延山」と「身遠山」の考察がつづきますが、それで「二箇相承書の実在」が証明されたのでしょうか?(笑)
※ 尚現行の御書全集(※学会版のこと)等には身延相承書(大石寺系のみ収録)が十月となり、一期弘法書が九月となっているのは、各山互に壁を高くして、同門内の者にも相承書の如き重宝を拝観させることをしなかった封建的な時代に、唯だ日辰のみが、正本として伝承する重須本を書写せしめて世に開版したので、一躍日耀書写の二箇相承(世に日辰本という)が余りにも有名になり、各門流挙って日耀本を取り上げたためであろう。
→ ここも要チェックです。
日蓮正宗・大石寺では「宗祖・日蓮大聖人よりの唯授一人血脈相承を承継される御法主上人ゲイカが正法の一切を所持される」やに言いますが「根っこの部分、日蓮・日興の相承書がなぜ、日興より日目に授与されないで、北山本門寺に存在したのでしょうか」ということになります。
もちろん、当方のスタンスとして、「相承書なんて、そんなもの一切ない」ということなのですが、彼らの主張の内容に立ち入ってみてやっても、原点の時点で既に「自己矛盾している」ということなのです。
最初から、「欠陥相承」ということになります。
※ いずれにせよ日附の異りに古来異義のなかったことは不思議であるが、これは大石寺が宗祖大聖人の正義を厳護し来って他山に迎合せず、近来迄御書・相伝書・古文書等の重宝は堅く秘蔵して公開せず、又他山に於ては二箇相承の如きものは、つとめて敬遠していたからであろう。
→ ものはいいよう、というところですね。いつもの決まり文句です。聞き飽きました。(笑)
さあ、大先生!お答えなさい。大先生の肩にはおおくの友の期待がかかっています。
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269.そうでしょ、大先生!
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 0時20分
※ 越後本成寺は門祖に日朗を立てて日現は八代となっている。不思議なことに、西山本門寺十一代日心の頃の過去帳に、本成寺九代目覚の序文が載っている。西山本門寺と越後本成寺との関係は研究の余地はあるが、何れにせよ古くから両寺の交流のあったことは認めてよいと思う。
とすれば、日現の「重須の二箇相承は日代筆に似ている」という説は、直接西山本門寺から本成寺への流言であると受けとれば、この聞き伝えは真実性が出てくる。
→ 「であると受けとれば」というのは弱いですね。「西山本門寺十一代日心の頃の過去帳に、本成寺九代目覚の序文」がありましても、その本成寺の方は当時どのような寺院と交流があったのか、果たして西山一箇寺だけなのか、どこの寺の誰からの流言なのか、特定はできません。「いや、西山だ」というのなら、断定できる根拠を示さなければいけません。
それなのに「であると受けとれば」と続け、「真実性が出てくる」と、なかば「本当なんだよ」と思わせるような記述。これでは多くの人が「コロリ」といくでしょうね。
本質は「巧みなる表現力で特定の方向に誘引している」だけなのです。騙されてはいけません。日蓮正宗流術の典型例といえます。
※ したがって日耀が親本とした重須本は大聖人の真蹟ではなかったということが考えられる。
→ 一転、この点は大いに評価します。従来の日蓮正宗の説では「日辰一行は大聖人の御真筆を書写した。それが武田の兵により強奪された」と通り一片等の主張をしていたのですが、日蓮正宗関係者ではお初の?「重須に存したのは大聖人真筆ではなかった」としたのですから、「偽書故、真筆などあるわけない」という当方とも一理通じるものがあるわけです。「重須に存在したのは真筆ではない」という箇所でね。
※ 西山本門寺と本成寺の関係や日現の記文等を考え合わせてみるに、重須所蔵(曽存)の二箇相承は日代筆写のものであったのではなかろうかと推定されるのである。
→ 「推定」ですね、で、その「日代筆写」のものが武田に盗まれたと?
ここです。またまた日蓮正宗の話術です。
越後本成寺の八代目・日現は「蔵人阿日代と云う人の筆に似たりと承り及也」と「似ているのではないか?ということを聞いただけ」なのです。
自分の目で確認、というわけではないのです。
それを現代の山口氏が「日現の推測の伝聞」に、更に輪を掛けて「推定」とし、読者に「そうか、日代の筆か」と印象付けているのですね。
「何も断定できる根拠はない」ということですよ。目くらましにかかってはいけません。
→ しかも、前文にこう書いてありますね。
※ これでは日現は何処にあったものを書写したものか、又何処から「日代筆に似たり」と云うことを聞いたのかはわからないが、他門には早くからこのような云い伝えがあったのだろうということは考えられるのである。
→ この後の文は「根拠薄弱なのに推論の積み重ね」で「らしく」脚色しているにすぎない、ということです。
「仮定」「推量」を「であれば」でつなげ「だろう」「したがって」「である」と「本当のことのように印象付けている」だけなのです。
※ 日代は聖滅十三年に出生して、開山上人に常随している。日代筆写の二箇相承であれば先づ門下最古の全文写しの写本であると見て良いだろう、したがって重須では之を重宝中の重宝として取り扱い、正本であると誇示し伝承するぐらいの価値は充分であると思うのである。
→ 更にここですね。「あれば」「だろう」と続けて「したがって」とね。
この「あれば」「だろう」をいくら重ねても「推測」というか、「夢物語」になるでしょう。なのに「したがって」と接続されると、後文が「真実であるかのように感じてしまう」のです。実に上手な表現です。
ここで大先生がなすべきことは山口氏の「あれば」「だろう」ではなく、これを「であった」「である故に」「だったのだ」「ということなのだ」と、「断定するに足りるものを提示しなければならない」
ということです。さあ、難題が増えましたよ。
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268.教学部長、樋田大先生
名前:宿坊 日付:5月31日(火) 0時17分
これを忘れてはいけません!大先生がコピーして張り付けただけの「山口範道氏の考察」は私より指摘を受けているのです。
自分が受けたものでなく、坊さんがやられたものなら、関係ないのですか。
いや、私はそれでいいと思いますよ。何しろ「そこらへんの使えない末寺の坊主よりもよっぽど役に立ち、次期法華講連合会委員長になって頂きたい人物NO1ではないか、ともつぱら評判の大先生」なのですから。
それでも、指摘は指摘、大先生が引用した「山口説は崩壊」したことをここに宣言し、以下、その証明を再度貼り付けます。
日蓮正宗僧・山口氏は、下記の越後本成寺・日現の「二箇相承書に対する偽書との批判」を引用し、長々と解説しながら「二箇相承書実在を印象付ける」記述をしています。・・・「印象」ですからね、実在の証明とはなっていませんのでご注意を。(笑)
※「日現申す、前の御相承(九月十三日)は身延相承、後は(十月十三日)池上相承と云云。御判形現形也。
されども一向御正筆に非ず偽書謀判也。又日興の手跡にもあらず、蔵人阿日代と云う人の筆に似たりと承り及也」
◎ 「蔵人阿日代と云う人の筆に似たり」と「推測」したのはどこの誰か?明確にせよ。
◎ その「推測」した人物が「比較した日代の文献」は何か?明確にせよ。
◎ 比較検討した内容を詳細に明示せよ。
◎ その「推測」した人物の「鑑識眼が信用できる」という根拠を明示せよ。
◎ 日現が「言いたかった事は二箇相承書の『肯定』なのか、『否定』なのか?」どちらか。
◎ これは「日現は否定論者であることは明らか」である。その傍証として「出所不明の流言」で補足したものであるが、それは本当に「特定の人物からの話し」だったのか?それとも「巷間、そのように言われているもの=単なる噂話的な憶測」だったのか?どちらか明らかにせよ。
◎ 「特定の人物からの話し」であれば、上記の質問に戻る。
「巷間、そのように言われているもの=単なる噂話的な憶測」であれば、まったくもって取るに足らない=信用できないもの、となる。
貴殿、どちらを取るか?
◎ 大事な点なので重ねて念押しするが、本成寺・日現は「自分の目で見て二箇相承書は日代筆」としたのか?「又聞きで日代筆」としたのか?
◎ どちらにしても、それが信用に値するという根拠は?
◎ 「謎の人物の話し」→ 人不明、判別方法不明、比較文献不明、鑑識能力不明、→ 信用性は0
◎ 日現の記述 → 特定の人物よりの伝聞なのか?巷間の説を聞いて書いただけなのか?判別できず。
◎ このような「前提」の上に「であると受けとれば」「わからないが〜考えられるのである」「推定される」
「であれば〜だろう」で接続し「したがって」と締め括る手法が「歴史考証」といえるのか。「文献学」といえるのか。是非、利害関係のない、公平、無私、客観的な立場にある学者に読んでもらうことを勧める。
→ 以下、少々細かく。
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267.幸道君、リタイアしちゃうの?
名前: 樋田 昌志 日付:5月31日(火) 0時9分
とうとう、宿坊君(吉川幸道君?)はお役御免で、今まで物陰から石投げていた弱虫、山人君(金原君?)が表舞台に登場かな?
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266.日蓮正宗・大石寺教学部長、樋田様へ
名前:宿坊 日付:5月30日(月) 23時55分
そして、「聖人御難事」の仰せを重ねて拝すれば、その「出世の本懐である御曼荼羅御本尊の中でもなかんずく、弘安二年の十月十二日の「本門戒壇」との脇書のあらせられる「大御本尊」様が「出世の本懐中の本懐」であるぞと、そういう立て分け、筋目によって判ずる御法門である、と拝するのである。
されば、「余は二十七年なり」とは、語の重複を避けて省略されているものの、理の指(さ)し示すところ、「余は二十七年にして出世の本懐を遂ぐるなり」の意であることは、誰の目にも明らかであろう。
これを、妄弁者らのごとく読むとすれば、わざわざ前文に、三国四師の出世の本懐までの年数を挙げられた理由がなくなってしまい、文意が支離滅裂となってしまう。むりな曲解は禁物である。
大聖人は、すでに文永12年3月の時点で、宝塔=曼茶羅(まんだら)御本尊を指して「出世の本懐」と仰せであるから、御自筆の、それも弘安2年10月1日近辺に顕(あら)わされた御本尊が出世の本懐であることは間違いない。
とすると、唯一、その脇書に「本門戒壇」とお認(したた)めがあり、かつ堅牢(けんろう)な楠板をもって建立された(御筆御本尊のうち板御本尊はただ一体である)、弘安2年10月12日の大御本尊以外に、出世の本懐と認(みと)められる御本尊はないのである。
→ ひとり言がすきですね。で、大先生の話では「戒壇板本尊が本物」になってしまっていますが、その戒壇板本尊の証明は?
できるの、できないの、どちらかな?(笑)
@ 聖人御難事のどこに、どのように「出世の本懐=本門戒壇の大御本尊」と書いてあるのか?
A 聖人御難事に大聖人出世の本懐が説かれているとして、それがどうして戒壇板本尊と結びつくのか。
大石寺の主張は、結論が先にありそこに強引に導くための、解釈論にしかすぎないことを知るべきだ。
B 大石寺は「聖人御難事に出世の本懐が説かれているならば、それは何だ? 弘安2年10月の本尊は数幅有るが、本門戒壇と認めの本尊は、十月十二日図顕の『本門戒壇の大御本尊』 しかない、故に戒壇板本尊こそ大聖人出世の本懐だ」というが、日蓮出世の本懐が本尊だけ、しかも特定の本尊だけしかない、という発想はどこからくるのか。それが正しいという根拠を示せ。まさか、「猊下の御内証で」などと笑わせないように。
※ 以上のように、本門戒壇大御本尊についての大聖人・日興上人の御文証は、天日を仰ぐがごとく明らかであって、否定のしようがない。大石寺の本門戒壇の大御本尊以外に、大聖人「出世の本懐」も「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」もありえないのである。
→ 大先生!これじゃあ、まるでニッケンゲイカの説法と同じだね、何回同じことを言うのかな?
ねむくなっちゃうよ。
NO 256と257はお寺の中の話ですね。・・・で、それで?(笑)
まあ「貴公らはこの尊い日顕上人の御指南を拝し、ただただ頭を垂れるのみ」と書いて点数稼ぎかな?
そんなこと、いちいちしなくても「多くの法華講員は大先生のことをゲイカ以上に崇拝している」からね。おめでとうございます。
そうそう、「大先生はこういう、戒壇板本尊の証明という話は丸で“ダメ”ですね。」
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265.猊下の御指南役、トヨダ先生様へ
名前:宿坊 ?? 日付:5月30日(月) 23時48分
日蓮正宗・大石寺に、「二箇相承」が相伝されていないのに、
「金口嫡嫡唯授一人血脈相承」だけが為されていたとは何処を
どのように読めばそのようになるのでしょうか?
大先生宜しくご教示ください。
「二箇相承」は北山本門寺・重須と西山本門寺の紛争が原因で、1581年、武田勝頼の手に渡って、1582年に武田の滅亡と共に紛失されたとなっていますが、
大先生考えても見てください、日蓮大聖人滅後300年たってから
大石寺ではなく北山本門寺・重須から強奪されたのです。
それまで「二箇相承」は大石寺に存在しなかったことになりますが、
この事実をどのようにご覧なりますでしょうか?
「二箇相承」を日興上人が所持されたまま、北山本門寺・重須に移られた事も合点が行きません。
なぜなら日目上人に相伝されたのなら、「二箇相承」も日目上人に譲られるのが本筋ではないのかと思いますが、トヨダ大先生はどのようにお考えでしょうか?
ご見解を宜しくお願いいたします。
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264.貴公らに仏法を学する真摯な精神や態度など微塵も無い。
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月30日(月) 23時38分
▼日興上人のいわれる大聖人の出世の本懐
「日蓮聖人御出世の本懐は南無妙法蓮華経」
1288年・正応元年12月16日(滅後7年・身延離山前年) 原殿御返事 (富要8-11)
●まず内容の破折に入る前に、一つ重大な点を呵責しておくものである。
この資料の始めに、
「原殿書、祖滅七年、日興上人より原弥六郎への返状、中古の写本要法寺に在り。」
とある。
つまり、日興上人の御真蹟は現存されておらず、しかも「中古」の写本である。
貴公の論法で言えば、
1、この書が真書であることを「上古の文献」で証明しろ。
2、真蹟はどこにあるんだ〜?
3、偽書で無いということを客観的証拠で明確に証明しろ。
4、筆跡鑑定しなければ信じない。
この四点が明らかにならなければ偽物だ〜〜。
と、こうなるが如何か?
貴公は上記四点が明白でないのに何故この書を軽々に引用するのか?
戒壇の大御本尊様・二箇相承・百六箇抄・条々事・他 への邪難も同様の論法であろう?
ここに貴公らの謗法の腐りきった根性でなす欺瞞の実態が明々白々となった。
全ての資料を自分らの都合の良い様に使い散らかすだけであり、貴公らに仏法を学する真摯な精神や態度など微塵も無い。
真に唾棄すべき腐り果てた、醜悪・面妖な食法餓鬼どもである。
■「諸の悪業煩悩は不信を本と為す」
貴公らのこういう卑劣極まりない所業はまさに不信・疑惑・誹謗の極悪根性から発するものである。
仏法即世法であるが故に、貴公らは日常生活でも斯様に卑劣・欺瞞の連発を為し、周囲からさも軽蔑され忌み嫌われていることであろう。
時に「人間の屑!」との悪罵をも蒙っているかも知れない。
また、面前で言われなくとも内心そう思われているやも知れぬ。
真に真に見下げ果てた下衆な衆生である。
この件に関し、正規な反論があるなら聞こう。
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263.法主より偉いトヨダ先生
名前:宿坊 日付:5月30日(月) 23時29分
不毛
見識が低い
それが自覚できない
人間界から畜生界へ堕ちている
愚悪・低俗な生き物
福徳枯れ切った、廃れる一方の、陰惨な末路へ向かう、生き物
誹謗・極悪果の「入阿鼻獄疑ひ無き」
物事の、筋道、道理、論理 が理解できなくなった哀れな生き物
小学生でも理解できる道理が分からなくなっている様が、畜生界
即時に命根を絶つべき種
真に社会的にも迷惑千万な生物
貴公ら自らのその腐臭を放つ臭糞の臭気を、全く自覚できていない
御仏の悟りからは程遠い低劣・愚悪な境涯に堕している
成仏の道は完全に閉ざされ、塞がれている
貴公らは命終の時、地獄の獄卒が迎えに来る
日々夜々、更に悪業を積み続けている貴公ら
ただ怨嫉・悪口・疑惑をなす貴公ら
人間界に生まれたとはいえども、蛆虫・毛虫以下の生物
貴公らの命終の時を考えると、身の毛もよだつ思い
成仏が程遠い、惨めで暗く、情けなくも恥ずかしい境涯に堕ちる
貴公らが今後何事にも「飢渇」
自らの際限ない欲望に苛まれ
人生において様々な障りで行き詰まり
貴公のような命根の根元まで謗法に染まりきって居る者ども
惨めで暗く、情けなくも恥ずかしい境涯
犬、野干が吼えるが如きの臆病・小心者・卑劣漢・の戯言
その低脳さ
三宝誹謗を繰り返してきた報いでこのように低脳児に成り果ててしまった貴公
→あまりのおどろしさに薄気味悪いものを感じますが、いったい大丈夫ですか?こういう表現がスラスラと出てくる大先生の方が、むしろ、この世界に近いのじゃないの?
私達はこういう世界と無縁で生きてきましたからね、(笑)思いもしないし、人に対しても、もちろんいわないし、第一そんな脅しで人様の考え方を変えよう、なんて発想はありません。
これが「(脅しの)呪い連発の日蓮正宗」と「信頼・尊敬・友情の創価学会」のちがいというものでしょう。
ここに、現証として学会と正宗の本質的な違いが出ている、といえますね。
→ところで、「呪文」は山ほど吐いたようですが、戒壇板本尊の証明につながることはどれだけ書き込んだのかな。こちらに対して「貴殿の愚かさ」の連発だけで、ただ、相手の主張を破折したつもりになっているだけが現状で、進んで「戒壇板本尊の証明」をしたことがありましたか?
何のために出てきたのですか。もう一度「果たすべき使命」を確認しましょうよ。
※ よく幼稚園児の喧嘩で
「そんなこと、いつ言った?何月何日、何時、何分、何秒?」
と、あくまで自分が優位に立ちたいがために、相手をただやり込めたいが為に、悔し紛れに、このような不毛な反駁をしている児がいたが、貴公らはまさにこれと同類である。
→動機は知りませんが、随分と智慧の働く子がいましたね。
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262.今や多くの法華講員が、ゲイカよりも信伏随従したいと思っているトヨダ大先生
名前:宿坊 日付:5月30日(月) 23時25分
※ 日顕上人御指南
かの六老僧中、日興上人を除く五人までは個人授与の本尊が残されていますが、日興上人に対しては個人授与の本尊は全く残されておりません。
すなわち、それは存在しないのであります。
その理由は、大聖人、日興上人が唯我与我一体の御境界にわたらせ給い、その上から一
期御化導の中心根幹をなす、末法万年の一切衆生救済に関する大事な御本尊を広宣流布の
ために日興上人に委ねられたからであります。
→それでは、
・「末法万年の一切衆生救済に関する大事な御本尊」とは何か、明示してください。
・「日興上人に委ねられたからであります」という証拠は。
※ 貴公らは万年救護御本尊を究極の信仰の対象とするのか?否か?
どちらであるのか、態度を明確にせよ。
→はい、しませんが、それが・・・何か?(笑)
※ もし、否ならば、何を本尊とするのか?明示せよ。
→はい、創価学会授与の御本尊です。
※ 今から、七百年近く前の出来事に対して、こういう詳細な状況が克明に文献に記録されているかどうかを吠え付いてくること自体の不毛さと見識の低さが自覚できないことが、貴公らがもはや人間界から畜生界へ堕ちている事の、何よりの証左である。
→自ら「戒壇板本尊を証明します」と買って出ておきながら、追求されまくると、それができずして、相手を以下のように言い続けていますが、これが「大先生の果たすべき使命」となんの関係があるのかな?
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261.法華経を呪文に変えてしまう、不思議な通力をお持ちのトヨダ大先生
名前:宿坊 日付:5月30日(月) 23時23分
※壊れた脳髄には何べんでも教え込んであげるが、戒壇の大御本尊様は日興上人お一人への「密付嘱」である。血脈の次第を内外に宣言された二箇相承に「密付嘱」された内容を表示する訳がないではないか。そういう小学生でも理解できる道理が分からなくなっている様が、畜生界 というのである。このような基礎教学はもう忘れたか?
→ほう、「戒壇の大御本尊様は日興上人お一人への『密付嘱』である」とね。ならばお聞きしましょう。
・密付嘱とは、いつ、どこで、誰がそのように言い出したのですか。
・それが正しいという根拠はどこにあるのですか。
・「密付嘱」説に客観的な証拠があるのですか。自分たちの宗派内だけでの「そのように信ずる」ようにされた、単なる決まりごとではないのですか。
・大聖人滅後300年近くになって、突然出現した板本尊につき、所有者が「いいか、これは大聖人から日興上人への密附だぞ」と言い出して、一般社会に対して通用するのですか。
→「血脈の次第を内外に宣言された二箇相承」といいますが、自称正統嫡流の大石寺からではなく、他系統から先に公開され、真筆があったとも断定できず、違うものが多く、「大石寺にあった」という学僧もその証拠を提示できず、どうしてそのようにいえるのですか。
→「小学生でも理解できる道理が分からなくなっている様が、畜生界」とはね。(笑)
以下、小学生でもわかる道理です。5、6年生くらいかな。
ものごとはまずは常識で考えてください。ある田舎の日蓮系寺院が、日蓮大聖人滅後10年たっても無い、20年、いや50年、100年更には200年たっても存在しない「今までにない特別な本尊」なるものを日蓮滅後300年近くたってから主張したところでいったい誰が信用するでしょうか。
更にその本尊を「日蓮出世の本懐」と言い出したのは100年も後のことになります。
「日蓮が秘蔵厳護されたによって、今まで世に存在が知られなかったが、まがうことなき日蓮真筆なのだ」と自主申告したところで、まずは物笑いのネタになるだけでしょう。
世間に信用してもらうためには、公の機関により客観的な鑑定を受ける、文証を提示する、世に発表するに至ったまでの経緯を詳細に説明する等、寺の真摯な努力が必要だというものでしょう。
ところがふんぞりかえって「信無きものは地獄に落ちる」「拝ましてやる」などは、坊主の傲慢さという次元を通り越し、日蓮利用の破仏法ともいえるのではないかと思えます。
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260.イエス、マホメット・・・・そしてトヨダ大先生
名前:宿坊 日付:5月30日(月) 23時19分
※ 御先師日達上人御指南〜
・それを見ても明らかに鎌倉時代である
・それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます
この御指南に反論するのなら、それなりの根拠をもってせよ。
→自主申告で「出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」としておいて、「謗法不信の輩に見せるか」とし、それで「鎌倉時代ですと解説」をして「反論してみろ」というのは一人芝居というものですよ。だれが付き合ってくれるのでしょうかね。(笑)
※ ここに仰せの「三世の諸仏の本初の下種」の本法・御本体であられる「戒壇の大御本尊」様を誹謗する貴公らは、まさに「一切世間の仏種を断ぜん」
成仏の道は完全に閉ざされ、塞がれている。
まさに御仏の悟りからは程遠い低劣・愚悪な境涯に堕している。
しかも、「臭きを溷厠に忘る」で、貴公ら自らのその腐臭を放つ臭糞の臭気を、全く自覚できていない。
その状態で一般社会に紛れ込むのであるから、真に社会的にも迷惑千万な生物である。
貴公らの如き生き物こそ、大聖人様仰せの如く、即時に命根を絶つべき種、であろう。
よくよく、我が腐臭を放つ臭糞の体臭を嗅ぎ、自らの醜悪さを自覚するがよい。
→戒壇板本尊を論ずると、こういうことになるそうですが、別に「糞臭いよ」といわれませんがね。トヨダ大先生こそ、あまりにも人に言いまくっていたら「あれ、おとうちゃん、最近ウンチ臭いんじゃないの」なんて、いわれちゃいますよ。
人を脅し続けなければいけない宗教をやっていて、疲れませんか?それとも、そういうことを楽しみ、みたいに感じさせてくれる宗教なのかな?それはおかしな宗教ですよ。
外部の人に布教する時にあまり罰論を出しすぎると、日蓮そのものを嫌いになっちゃうから、ホドホドにお願いしますよ。
※ 1、「二箇相承」は他門流にとっては極めて都合の悪い文献であり、敢えて触れることを避けると考えるのが道理である。
→ならば、都合のいい富士門流に文献がないのはなぜ?(笑)
※ 2、二箇相承に戒壇の大御本尊様の御事が顕示されていないのは当たり前である。
→そうですね、存在しないのですから。よくできました。
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259.法論DVD販売という常人の考えつかない、新市場を開拓されたトヨダ大先生
名前:宿坊 日付:5月30日(月) 23時12分
※ まさしく真正の大聖人様の御魂魄・御悟りの根源、の大御本尊様である。
信心を持って拝してみればそのあり難さに、貴公の邪難等、即時に雲散霧消せしむ御力があらせられる。
→信心で拝せよ、とね。はい、拝しましたよ、何十年も。
日蓮正宗と縁が切れ、「日蓮大聖人直結・御書根本」の日蓮仏法の本道に立ち還った時、法門上、歴史上の考察、相貌の鑑定から板本尊は日蓮大聖人と直接の関わりはない後世の創作である、ということが確認されたのです。もっとも、直接相貌を鑑定し判定をしたのは今のゲイカの方が先ですけどね。
ここにおいて、日蓮大聖人の御在世という原点から見れば、現在の日蓮正宗・大石寺の信仰形態は「板本尊信仰=実質的には器物崇拝・物質信仰」「唯授一人血脈相承信仰=実は妄想信仰」であり、「本来の日蓮信仰を踏み外している」と断ぜられるのです。
では、聞きますが「信心で板本尊を拝す」といっても、「その板本尊がなんらかの理由で無くなってしまったら信心もなくなってしまう、又は信心をなくすしかない」のですか?
「器物信仰・物質信仰」には限界があるのです。
御講聞書 P828
一等雨法雨の事 仰に云く此の時は妙法実相の法雨は十界三千下は地獄上は非想非非想まで横に十方竪に三世に亘つて妙法の功徳をふるを等とは云うなり、さてふるとは一切衆生の色心妙法蓮華経と三世常住ふるなり云云、一義に云く、此の妙法の雨は九識本法の法体なり、然るに一仏現前して説き出す所の妙法なれば、法の雨をふらすと云うなり、其の故は、ふらすと云うは上より下へふるを云うなり、仍つて従果向因の義なり、仏に約すれば、第十の仏果より九界へふらす、法体にてはふる処もふらす処も、真如の一理なり識分にては八識へふり下りたるなり、然らば今日蓮等の類い南無妙法蓮華経を日本国の一切衆生の頂上にふらすを法の雨をふらすと云うなり云云。
「三世に亘つて妙法の功徳をふる」=妙法蓮華経の功徳は三世永遠なのに、有限の物質=楠木板本尊にそれを集約し、出世の本懐・唯一絶対無二、板本尊即日蓮大聖人などとするでしょうか。これこそ、日蓮仏法のイロハというものです。
※ このあり難い大御本尊を拝せず、剰え、確たる根拠も提示できずに、ただ怨嫉・悪口・疑惑をなす貴公らは、まさに人間界に生まれたとはいえども、蛆虫・毛虫以下の生物である。前世の余りの善徳の無さを哀れむばかりである
貴公らは命終の時、地獄の獄卒が迎えに来るぞ、との、お叱りである。
その時になって後悔しても手遅れなのである。
今も日々夜々、更に悪業を積み続けている貴公らの命終の時を考えると、身の毛もよだつ思いである。
→邪宗の人からこういわれるということは
松野殿御返事 P1388
但在家の御身は余念もなく日夜朝夕南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、
妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば我れ等も必ず其の数に列ならん
ということですね。(笑)
――――――――――――――――――――――
258.貴公の痴問を掲載し忘れた。これを256の冒頭に差し込んで読んでいただきたい。
名前: 樋田 昌志 日付:5月30日(月) 22時4分
▼ 大聖人様の出世の本懐
妙法蓮華経の五字は日蓮出世の本懐
1278年・弘安元年 御義口伝巻上 717
〜又云く一とは中諦・大とは空諦・事とは仮諦なり、此の円融の三諦は何物ぞ・所謂・南無妙法蓮華経是なり、此の五字・日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す、
http://toyoda.tv
257.貴公らはこの尊い日顕上人の御指南を拝し、ただただ頭を垂れるのみ
?
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月30日(月) 21時57分
日顕上人御指南
(貴公らはこの尊い日顕上人の御指南を拝し、ただただ頭を垂れ、猊下の足下に駆け寄り、今までの三宝誹謗の罪を命が消えゆるほどにお詫び申し上げるしか救われる道はない。)
■「人法一箇の御当体をはっきりと顕わされた御化導のうえの御本尊の御当体は、いつから存するかと申しますると、日寛上人が『観心本尊抄文段』に
「弘安元年已後、究竟の極説なり」(日寛上人文段集四五二n)
と、明らかにお示しであります。故に、それ以前の御本尊は、本懐が未究竟であるとの意
味が存するのであります。」
■「この三大秘法の整足には重大な照境未窮、尽源為果の妙因・妙果を拝するのであります。
その一は、大曼荼羅本尊に法即人、すなわち自受用本仏の御境地の究竟を顕わされることであります。
一往、末法出現の凡夫日蓮の御身が上行菩薩の再誕たることを顕わすのは、その本地の開顕といえますが、再往は凡夫即極の日蓮大聖人の御当体が久遠元初の自受用身であることを、所証の大曼荼羅本尊のうえに顕わし給うのであります。
弘安二年十月の『総勘文抄』に
「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき云云」(全集五六八n)
と示されるところ、久遠元初の自受用本仏は凡夫の当体てありますが、これは久遠の古の
みを指し給うのでなく、末法出現の凡夫僧たる御自身の境智を示し給うのであります。
すなわち、文永年間の御本尊の日蓮御名は中央首題に対し、ことごとく左右へ著しく片寄り、法格中心にして、いまだ寿量品文底本仏の当体を顕わすことを一歩控え給うのであり、これは有名な万年救護本尊≠ノ上行出現を明記し給いながらも同じく日蓮御名は右の隅、
御判形は左隅と隔てられておることで明白であります。
しかるに、建治の後半より弘安元年に至って、次第に日蓮の御名・御花押は中央首題の
直下にお示しであり、人に即する法、法に即する人、人法一箇の御尊容を開示なされてあ
ります。
このところよりすれば、在世の上行菩薩も久遠元初自受用と顕本あそばされた日蓮大聖人の己心に具わり給う垂迹の立場にあることを拝すべきであります。
二十六世日寛上人が、『観心本尊抄文段』中に、弘安元年以降の御本尊において宗祖大聖
人の本懐が究竟せられたことを述べられているのも、今その真意を尋ねるとき、寿量品文底の義を御本尊に顕わし給う意、すなわち久遠元初本地難思境智冥合人法一箇の御本尊を顕わすべく、弘安以後、整足あそばされたことを拝されたのであります。
また、その一事証として建治年間までの御本尊には善徳仏、十方分身諸仏が示されておりますが、弘安以降には全く除かれており、これまた文底の義により給う意を日寛上人が同文段に触れ給うところであります。
その他にも御本尊の体相等に関する種々の深意がありますが、ここでは省略いたします。
要するに、末法出現の無作三身如来・宗祖大聖人の御化導中、弘安元年よりいよいよ御
本尊内証の深意を整足せられ、やがて外縁を待って本門戒壇の大御本尊顕発の本懐成就が
達せられたのであります。
日寛上人が
「本門戒壇の本尊を亦三大秘法総在の本尊と名づく」(日蓮正宗聖典八六三n)
と述べられたのは、大聖人が世界総与の大慈悲により、一切衆生妙法帰依の戒法・戒徳を
込められて本門戒壇本尊を建立し給い、もって世界全体の成仏の根本を確定あそばすとこ
ろ、これが宗祖御一代の御施化にわたる究竟の本尊たる意義において、題目、戒壇の功能
を事実のうえに具足する故に「三大秘法総在の本尊」と呼称されたのであります。」
――――――――――――――――――――――
256.貴公はこういう教義の本質論になると丸で“ダメ”ですね。
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月30日(月) 21時55分
●ここも、254 と同轍である。
貴公はこういう教義の本質論になると丸で“ダメ”ですね。
お里が知れるというものです。
● 64総本山六十四世日昇上人
(日蓮正宗聖典「序」)
「由来法門上の異説異見は何によって起こるかといえば機根が猶お未だ熟さないうちに自らを省みず直ちに御書の一文一義に執して妄断するからである。即ち我見に任せて己義を立つるからである。
古来仏法に於いて相承を尊び師伝を重んずるのは一に此の弊をなからしむるためである。
聖祖は『法華経は相伝に非ずんば知り難し』と仰せられている。
蓋し仏法の奥底は相伝によって正しく理解することが出来るからである」
この御指南の通りの醜態を晒し続けているだけである。
では破折いきますか。
この御文は「円融の三諦」との法華経のみに説かれる極理とは一体その体は何ものであるか?
詰る所は「南無妙法蓮華経」なのである。
との意であらせられる。
しかして、その「南無妙法蓮華経」とは何に究竟されるか。
更に詰る所は三大秘法であらせられる。
その三大秘法は更に一大秘法に究竟せられる。
ではその一大秘法とはなんでおわせられるのか?
大聖人様御一身である。
■「第廿五 建立御本尊等の事
御義口伝に云はく、此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり。戒定慧の三学、寿量品の事の三大秘法是なり。日蓮慥かに霊山に於て面授口決せしなり。本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」
このお姿はまさに御本尊様の体相に顕現される。
即ち、法即人・人即法の御本尊様である。
――――――――――――――――――――――
255.他論文から・修正も含む。
名前: 樋田 昌志 日付:5月30日(月) 20時2分
▼大石寺では、本門戒壇の本尊を大聖人出世の本懐だ、などと立てているが、そのような文証があるなら出してみろ。
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<出世の本懐の時期>
●此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがことし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり(弘安2年10月1日『聖人御難事』御書1396頁)
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古来、これに疑難をなす妄弁者共は、「これは立宗以来、27年が経(た)った、という年月の経過を述べたにすぎない」だとか「立宗以来、27年間にわたり大難を受けた、ということを述べたもの」などと言って、間抜け面を晒している。
だが、この御文が、そのようにしか読めないとすれば、よほど国語能力がないか、根性が曲がっているかの、いずれかであろう。
この御文は、三国四師(インド・中国・日本の三国に、釈尊・天台・伝教・大聖人という4人の法華経の行者がいること)の関係において、まず前に、三師が出世の本懐を遂げるまでの年数「四十余年」「三十余年」「二十余年」と、そこに至るまでにはいずれも大難があったことを挙、(あ)げられ、次に、それと対比する形で、日蓮大聖人の場合の年数は「二十七年」で、それまでの間にはやはり大難があったことを述べられているのである。
されば、「余は二十七年なり」とは、語の重複を避けて省略されているものの、理の指(さ)し示すところ、「余は二十七年にして出世の本懐を遂ぐるなり」の意であることは、誰の目にも明らかであろう。
これを、妄弁者らのごとく読むとすれば、わざわざ前文に、三国四師の出世の本懐までの年数を挙げられた理由がなくなってしまい、文意が支離滅裂となってしまう。むりな曲解は禁物である。
<出世の本懐とは大御本尊>
さて、かくして大聖人は、この時期(弘安2年10月1日の近辺)に出世の本懐を遂げられたことになるが、それは具体的に何を指しているのか―。
●出世の本懐とはこれなり(文永12年3月『阿仏房御書』御書793頁)
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大聖人は、すでに文永12年3月の時点で、宝塔=曼茶羅(まんだら)御本尊を指して「出世の本懐」と仰せであるから、御自筆の、それも弘安2年10月1日近辺に顕(あら)わされた御本尊が出世の本懐であることは間違いない。
とすると、唯一、その脇書に「本門戒壇」とお認(したた)めがあり、かつ堅牢(けんろう)な楠板をもって建立された(御筆御本尊のうち板御本尊はただ一体である)、弘安2年10月12日の大御本尊以外に、出世の本懐と認(みと)められる御本尊はないのである。
このことは、さらに、日興上人から日目上人への譲り状であるに『日興跡条々事』に以下のごとく示されることからも裏付けられる。
●日興が身に宛(あ)て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す(第2祖日興上人『日興跡条々事』御書1883頁・真蹟大石寺)
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大聖人出世の本懐たる弘安2年の大御本尊は、唯授一人相承に伴い、第2祖日興上人に授与され、さらに第3祖日目上人へと伝わったのである。
以上のように、本門戒壇大御本尊についての大聖人・日興上人の御文証は、天日を仰ぐがごとく明らかであって、否定のしようがない。大石寺の本門戒壇の大御本尊以外に、大聖人「出世の本懐」も「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」もありえないのである。
――――――――――――――――――――――
254.貴公らは、文に囚われて義が読めない愚か者の見本
名前: 樋田 昌志 日付:5月30日(月) 20時1分
●>聖人御難事 ■「余は二十七年なり」
大聖人様は弘安二年十月に出世の本懐を遂げられる、と仰せである。
▼日蓮大聖人の出世の本懐
出世の本懐=宝塔・曼荼羅
大石寺の「本門戒壇の大御本尊」 のことではありません!
1272年・文永9年3月13日 阿仏房御書 51歳御作
与阿仏房(1304)
・・・あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ・信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。
**********************************************************
●これぞ、文に囚われて義が読めない愚か者の見本のような箇所。
貴公らの仏法的素養の無さを遺憾なく発揮した箇所として、記念碑的である。
この程度のレベルの貴公らだから大聖人様の真の出世の本懐を見失うのである。
もう言い尽くされていることだろうから、多言は無用である。
再掲する
●こういう邪難を正に「馬鹿まる出し」と言うのである。
この「阿仏房御書(宝塔御書) 執筆 文永九年三月十三日。五十一歳」の御義は、法華経に説かれる「宝塔」こそまさに一身即三身の御曼荼羅御本尊の御事であり、その御曼荼羅御本尊こそ大聖人様の「出世の本懐」であるぞ、との御心であります。
そして、「聖人御難事」の仰せを重ねて拝すれば、その「出世の本懐である御曼荼羅御本尊の中でもなかんずく、弘安二年の十月十二日の「本門戒壇」との脇書のあらせられる「大御本尊」様が「出世の本懐中の本懐」であるぞと、そういう立て分け、筋目によって判ずる御法門である、と拝するのである。
貴殿のような者をこそ、「文に囚われ、義の解せぬ者。増してやその意をや。」
大聖人様の御聖意に通じぬ、外道の醜怪な謗法者のなれの果てである。
■「明者は其の理を貴び闇者は其の文を守る」
愚かなるかなや、貴殿の偏執の深さよ。
――――――――――――――――――――――
253.幼稚園児と同レベル
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月30日(月) 17時30分
▼彫刻本尊を遷座した時は10人ほどで担ぎ出していたが、
いつ、原木の丸太を明星池から取り出して、何十人のわら草履が、
雪の道のないところを運んだのか?
原木の丸太は何年かけて乾かしたのか?
それから数年後にカットし、掘り下げ、漆を塗って、金箔を施す。
わずか二十一日間で例えば「大石寺の弘安二年の御本尊様」をどのようにして
作ったのか、それを証明しなさいと口を酸っぱく言っているのです。
狸だからといって人をだまさないでくれる。
日蓮正宗・大石寺の「本門戒壇の大御本尊」 は宗祖作ではないのですね!
君はそれを証明することができなかったと理解してよろしいでしょうか?
あまりくだらない駄文(ゴミ)を書かないでください。
● こういう低脳な事を書き連ねていることの無様さが貴公には解らぬか?
貴公がいう「証明」とは所詮この程度のことである、ということを、ここに重掲し、世の良識ある方々に再確認していただこう。
今から、七百年近く前の出来事に対して、こういう詳細な状況が克明に文献に記録されているかどうかを吠え付いてくること自体の不毛さと見識の低さが自覚できないことが、貴公らがもはや人間界から畜生界へ堕ちている事の、何よりの証左である。
よく幼稚園児の喧嘩で
「そんなこと、いつ言った?何月何日、何時、何分、何秒?」
と、あくまで自分が優位に立ちたいがために、相手をただやり込めたいが為に、悔し紛れに、このような不毛な反駁をしている児がいたが、貴公らはまさにこれと同類である。
同レベルである。
この段は、貴公らの品格の無さは、貴公らの問難自体で見事に証明されているから、当方が特に詳細に反論する必要はなさそうである。
だが、こういう三宝誹謗を繰り返してきた報いでこのように低脳児に成り果ててしまった貴公らの謗法の罪過は大聖人様の御言葉から弾呵しておく。
■「謗法不信の失を見ながら聞きながら、云はずして置かんは必ず無間地獄へ堕在すべし。仍って置の一字は獄卒阿防羅刹なるべし。尤も以て恐るべきは置の一字なり」
貴公らをこのまま放置しておくことは、我が身が無間地獄に堕ちるために、この御言葉を心腑に染め、貴公らの謗法不信を今後も更に戒めるものである。
――――――――――――――――――――――
252.貴公らは、まさに福徳枯れ切った、廃れる一方の、陰惨な末路へ向かう、生き物らである。
名前: 樋田 昌志 日付:5月30日(月) 16時18分
▼大聖人が興師に授与された本尊は「万年救護本尊」だけ。
●これは何によって証明されるのか?
明確な文献を挙げよ。
日顕上人御指南
■「数多の霊宝のなかで特に深い意義を拝すべきは、大聖人より日興上人へ授与された
霊宝御本尊についてであります。
すなわち、本門戒壇の大御本尊を始め奉り、明日、御風入れ申し上げる弘安三年三月御顕示の通称・紫宸殿の御本尊、その他弟子檀那に賜った各真筆御本尊、さらに、これは総本山ではありませんが、我が宗門の本山保田妙本寺(※注 現在は退転・離脱して日蓮正宗ではなくなった)に格護される重宝、通称・万年救護本尊等、宗祖大聖人が御化導のそれぞれの時機における重要な意義をもって顕された幾多の御本尊が現存いたします。
そのなかの特に重要な御本尊は日興上人へ御授与あそばされたのでありますが、その特
徴として、御本尊の授与書きがなく、お受けあそばされた日興上人の御名が認められてい
ません。
通常、他の多くの御本尊は、大聖人の御弟子、または檀信徒への授与の場合、その名前をお認めあそばす授与書きがありますが、これは個人に賜った、いわゆる一機一縁の意味であります。
かの六老僧中、日興上人を除く五人までは個人授与の本尊が残されていますが、日興上人に対しては個人授与の本尊は全く残されておりません。
すなわち、それは存在しないのであります。
その理由は、大聖人、日興上人が唯我与我一体の御境界にわたらせ給い、その上から一
期御化導の中心根幹をなす、末法万年の一切衆生救済に関する大事な御本尊を広宣流布の
ために日興上人に委ねられたからであります。」
貴公の言い分は如何?
貴公らは万年救護御本尊を究極の信仰の対象とするのか?否か?
どちらであるのか、態度を明確にせよ。
もし、否ならば、何を本尊とするのか?明示せよ。
それも明白にしないで、実名も名乗れないで、ただ戒壇の大御本尊様を誹謗・中傷しているだけならば痩せ犬の遠吠えである。惨めなものである。
ではそういう愚悪・低俗な生き物への大聖人様の呵責を拝そう。
■「法華不信の人は根茎枝葉ありて増長あるべからず。枯槁の衆生なるべし」
貴公らは、まさに福徳枯れ切った、廃れる一方の、陰惨な末路へ向かう、生き物らである。
――――――――――――――――――――――
251.いままでの末寺講頭、妙観講講頭などとっくに乗り越え、法華講史に高名を残されるトヨダ大先生
名前:宿坊 日付:5月30日(月) 14時18分
1277年・建治3年8/23 日女御前御返事
1243 身延にて 未決
爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん・竜樹・天親等・天台・妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず・多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ・普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等加之・日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神総じて大小の神祇等体の神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、此等の仏菩薩・大聖等総じて序品列坐の二界・八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い・妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる・是を本尊とは申すなり。経に云く「諸法実相」是なり、妙楽云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如・乃至十界は必ず身土」云云、又云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云、伝教大師云く「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」文、此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり、仏滅後二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云う事なり。
→ このように「聖人御難事」が著される以前、既に「観心本尊抄」や「日女御前御返事」が著されており、本門の本尊が「法華経」の「涌出品」から「嘱累品」までの八品に顕われている、それを今・末法に日蓮が図顕しているとし、両抄共に本尊の相貌を詳述されています。更にそれは日蓮が自作しているのではなく「多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊」であると本尊の本義を述べられております。
それに対して、二年後に著された「聖人御難事」を解釈し、そこに出世の本懐・戒壇板本尊を明かされているとするのは、大石寺の思考回路ならではの牽強付会というものでしょう。
→「日女御前御返事」では本尊を図顕する意義につき、「法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」とされたことは重要でしょう。現日蓮正宗・大石寺は「本尊に関する一切の権能は血脈附法の御法主上人猊下お一人にあり」などとし、本尊に関する一切を大石寺という日蓮系一寺院の住職が独占としていますが、これは事実上、本尊書写、下付、伝持を象徴として、日蓮仏法を利用して自分達の世界を作り信徒に君臨するというものであり、
大聖人の「法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」とされた本尊図顕の本義、また広宣流布への不惜身命の実践、精神に対する冒?といえるでしょう。
――――――――――――――――――――――
250.全国で、時期委員長に、との期待が高まるトヨダ大先生
名前:宿坊 日付:5月30日(月) 14時17分
大石寺説の矛盾
@ 1273年・文永10年5/11 顕仏未来記 佐渡にて 509 真曽
「天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す等云云、安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す、三に一を加えて三国四師と号く」
→「安州の日蓮は恐くは三師に相承」とされた日蓮大聖人ですが、先師=釈尊・天台・伝教の出世の本懐を見ると、明示されています。では、大聖人はどうなのでしょうか?
A 釈尊の出世の本懐は?
→ 法華経・妙法蓮華経
・それは秘法であり、世に公にされない秘蔵厳護扱いだったのですか?
→ 周知のとおり明らかです
B 天台大師の出世の本懐は?
→ 摩訶止観・一念三千
・それは秘法であり、世に公にされない秘蔵厳護扱いだったのですか?
→ 周知のとおり明らかです
C 伝教大師の出世の本懐は?
→ 迹門の戒壇
・それは世に公にされない秘密扱いだったのですか?
→ 周知のとおり明らかです
D 「先師の出世の本懐は明らか」であるのに、「日蓮大聖人の出世の本懐が秘法」である根拠はどこにあるのでしょうか? 文証を示すべきです、仏法は道理です。
E 更に大聖人は下記にあるように、僧である弟子ではなく在家である門下に対してまでも、詳細に本尊に関する教示をされています。
門下に対し分け隔てなく自身の心情を明かされ、重要法門を教示された大聖人が、秘法を秘伝とされる道理はどこにあるのでしょうか?
かかる日蓮正宗・大石寺の主張などは、神秘の世界を創り上げそこに君臨したいという、大石寺流御書解釈の正体を露呈しているものです。
1273年・文永10年4/25 観心本尊抄 佐渡にて 254 真筆
其の本尊の為体・本師の娑婆の上に宝塔空に居し・塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士・上行等の四菩薩・文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し・迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して・雲閣月卿を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処し給う・迹仏・迹土を表する故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し・八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し・権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す・此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏・有さず、末法に来入して始めて此の仏像・出現せしむ可きか。〜此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す・一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し・月支震旦に未だ此の本尊有さず、(254)
――――――――――――――――――――――
249.これまでの法華講など問題ではない、新時代を開いたトヨダ大先生
名前:宿坊 日付:5月30日(月) 14時16分
@ 聖人御難事のどこに、どのように「出世の本懐=本門戒壇の大御本尊」と書いてあるのか?
A 聖人御難事に大聖人出世の本懐が説かれているとして、それがどうして戒壇板本尊と結びつくのか。
大石寺の主張は、結論が先にありそこに強引に導くための、解釈論にしかすぎないことを知るべきだ。
B 大石寺は「聖人御難事に出世の本懐が説かれているならば、それは何だ? 弘安2年10月の本尊は数幅有るが、本門戒壇と認めの本尊は、十月十二日図顕の『本門戒壇の大御本尊』 しかない、故に戒壇板本尊こそ大聖人出世の本懐だ」というが、日蓮出世の本懐が本尊だけ、しかも特定の本尊だけしかない、という発想はどこからくるのか。それが正しいという根拠を示せ。まさか、「猊下の御内証で」などと笑わせないように。
――――――――――――――――――――――
248.日蓮正宗の広宣流布よりも、自らのDVDが先に広宣流布しそうなトヨダ大先生
名前:宿坊 日付:5月30日(月) 14時13分
@ 日興上人の訓育を受けた重須談所二代学頭・三位日順が「本門心底抄」で「広宣流布の時・本門戒壇の仏像本尊」を主張したのは、戒壇板本尊の肯定か否定か、どちらか。
→ 否定ですね。
A 何故にかかる仏像本尊を主張したのか。
→ 「出世の本懐・戒壇板本尊」が無かったからだ。有ればいうわけがない。
B「三位日順の法門信解が浅い故に、日興上人の仏像に執着する信者への善巧方便・次第誘引の教示を文上で読み、かような仏像本尊説となった」といいますか?
→ それは現在の日蓮正宗・大石寺の推測というものです。
C 重須談所三代学頭・日代が何ゆえに「仏像造立の事、本門寺建立の時なり」などといったのか。
→ 出世の本懐・戒壇板本尊が無かったからだ。有ればいうわけがない。
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247.日蓮正宗教学部長を越える、法門の大家トヨダ大先生
名前:宿坊 日付:5月30日(月) 14時12分
如来五十年の間は法華を以て真実と為す、是れ則ち諸仏の本懐なり抑亦多宝の証誠なり P848
法華経を説きおはらせ給て御物語あり、「阿難弥勒迦葉我世に出でし事は法華経を説かんがためなり我既に本懐をとげぬ今は世にありて詮なし P1045
況や今三大師は未顕真実の経を以て三世の仏陀の本懐の説を破するのみに非ず剰さえ一切衆生成仏の道を失う深重の罪は過現未来の諸仏も争か之を窮むべけんや争か之を救う可けんや。P1068
今経は出世の本懐一切衆生皆成仏道の根元と申すも只此の諸法実相の四字より外は全くなきなり P1139
不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、P1174
あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。 P1304
生を南閻浮提大日本国にうけ忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事是れ偏に過去の宿習なるか P1340
倩聖人出世の本懐を尋ぬれば源と権実已過の化導を改め上行所伝の乗戒を弘めんが為なり、図する所の本尊は亦正像二千の間一閻浮提の内未曾有の大漫荼羅なり、 P1614
さて、以下指摘です。
・このうち「戒壇板本尊」を示す、又はそれらしきことを伺わせる文があるのですか?
・大聖人の教えに無いものを「出世の本懐」といえるのですか?
・これらの御文のどこに「出世の本懐が特定の一つのものに限る」という文意があるのですか?
・大聖人滅後○百年たってから日蓮系の一寺院が「出世の本懐はこれだ」と主張して、それがそのまま通用する、という道理がどこにあるのですか?
・大聖人の教えに無い「自称・出世の本懐」を誰がどうして信用できるのですか?
・なんの裏付けもない「自称・出世の本懐」でもそれを信じ、拝まなければならない、という教示があるのですか?
・なんの裏付けもない「自称・出世の本懐」でもそれを信じ拝まなければ成仏は叶わないという教示があるのですか?
・根拠なき「自称・出世の本懐」に対し指摘すると「頭破七分で堕地獄必定」という教示があるのですか?
・根拠なき「自称・出世の本懐」に対し指摘すると「その文証はこれだ」と、一日蓮系寺院の相承書?が出てきました。それが真筆か否かを問うのはいけないことなのですか?それをとにかく信じなさい、という大聖人の教示があるのですか?
・根拠なき「自称・出世の本懐」と「真筆ではない相承書」のセットを根幹とする一日蓮系宗派が「わが宗は大聖人より唯授一人血脈相承で正しい」ということは正しいのですか?
・そのような宗派が「一閻浮提広宣流布・立正安国」とか「御遺命の本門戒壇の建立」などという資格があるのですか?
・そのような宗派が「大聖人直結・御書根本」の実践に励む他の教団に対し「直結は謗法だ」とか「御書根本は経巻相承だ」などという資格があるのですか?
・だいたい大聖人の一代の御化導のどこに、秘密のものを造り上げ、秘密にして、秘伝としよう、などと伺わせるものがあるのですか?
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246.お友達の助っ人よりも、ゲイカのご内証に肉薄されたトヨダ大先生
名前:宿坊 日付:5月30日(月) 14時12分
阿含方等般若も亦爾なり後番の五味皆成仏道の本懐なる事能わず P426
上根に望めても卑下すべからず下根を捨てざるは本懐なり、P466
「以何令衆生得入無上道」の御心のそこ順縁逆縁の御ことのは已に本懐なれば暫くも持つ者も又本意にかないぬ又本意に叶はば仏の恩を報ずるなり P467
然れば四十余年に所被の機縁を調へて後八箇年に至つて出世の本懐たる妙法蓮華経を説き給へりP480
、此の経は一字も諸仏の本懐一点も多生の助なり一言一語も虚妄あるべからず P481
釈尊出世の本懐道場所得の秘法末法の我等が現当二世を成就する当体蓮華の誠証は此の文なり P515
此の法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり、P519
法華は釈尊乃至諸仏出世の本懐なり止観は天台出世の己証なり[是三]法華経は多宝の証明あり P529
悲しいかな大小権実みだりがわしく仏の本懐を失いて爾前得道の者のためには法華経無用なりと云へる事を能能慎むべし恐るべし、P547
三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり三世の諸仏の出世の本懐一切衆生皆成仏道の妙法と云うは是なり P557
三世の諸仏の総勘文なり敢て人の会釈を引き入る可からず三世諸仏の出世の本懐なり一切衆生成仏の直道なり P572
之を悟り知る時仏果を成ずるが故に出世の本懐成仏の直道なり P574
此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり、此の五字日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す、P717
三世の諸仏の出世の本懐の妙法にして、優曇華の妙文なれば第一希有なり、P815
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245.小学生でも理解できる道理が分からなくなっている様が、畜生界 というのである。
名前: 樋田 昌志 日付:5月30日(月) 12時58分
▼「二箇相承」が当然存在するのなら、六老僧、本弟子、新弟子、在家の文献が
必ず存在するし「本門戒壇の大御本尊」 のことが記されている。
●どのような根拠で、そう断定できるのか?
1、「二箇相承」は他門流にとっては極めて都合の悪い文献であり、敢えて触れることを避けると考えるのが道理である。
2、二箇相承に戒壇の大御本尊様の御事が顕示されていないのは当たり前である。
壊れた脳髄には何べんでも教え込んであげるが、戒壇の大御本尊様は日興上人お一人への「密付嘱」である。
血脈の次第を内外に宣言された二箇相承に「密付嘱」された内容を表示する訳がないではないか。
そういう小学生でも理解できる道理が分からなくなっている様が、畜生界 というのである。
このような基礎教学はもう忘れたか?
何事も基本が大事である。
謗法の罪業深重で人間界から「畜生界」へ転落して、物事の、筋道、道理、論理 が理解できなくなった哀れな生き物よ。
貴公らの正法誹謗の様に、また大聖人様の御指南からお叱りをいただこうではないか。
■「此の経を謗ずるは十界の仏種を断ずるなり。されば誹謗の二字を大論に云はく「口に謗るを誹と言ひ、心に背くを謗と云ふ」と。仍って色心三業に経て法華経を謗じ奉る人は入阿鼻獄疑ひ無きなり。」
貴公らは「口に謗り、心で背き」まさに誹謗・極悪果の「入阿鼻獄疑ひ無き」よくよく恐るべき衆生である。
当方が激しく呵責することでその罪過はいよいよ詳らかになってくることであろう。
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244.信・行・学において、坊主を上回ったと法華講より評判のトヨダ大先生
名前:宿坊 ?? 日付:5月30日(月) 11時56分
日蓮大聖人の御書に教示された「本懐」を以下、列挙しました。
(指摘済みの「聖人御難事」を除く)
故に天親菩薩の涅槃論に諸経と涅槃と勝劣を定むる時・法華経を以て般若経に同じて同じく第四時に摂したり豈正見の涅槃経を以て邪見の法華経の流通と為んや如何、答て云く法華経の現文を見るに仏の本懐残すこと無し、方便品に云く「今正しく是れ其時なり」寿量品に云く「毎に自ら是の念を作す何を以てか衆生をして無上道に入ることを得・速かに仏身を成就することを得せしめん」と P73
此の四巻三部の経は全く釈尊の本意に非ず三世諸仏出世の本懐にも非ず唯暫く衆生誘引の方便なり P98
一天四海善導和尚を以て善知識と仰ぎ貴賎上下皆悉く念仏者と成れり・但し一代聖教の大王・三世諸仏の本懐たる法華の文には若し法を聞くこと有らん者は無一不成仏と説き給へり、P99
如来在世に前の四十余年には大小を説くと雖も説時至らざるの故に本懐を演べ給わず、機有りと雖も時無ければ大法を説き給わず、霊山八年の間誰か円機ならざる時も来る故に本懐を演べたもうに権機移つて実機と成る P109
念仏と法華経と一つならば仏の念仏説かせ給いし観経等こそ如来出世の本懐にては侍らめ、彼をば本懐ともをぼしめさずして法華経を出世の本懐と説かせ給うは念仏と一体ならざる事明白なり、P116
又法華の意は爾前の諸行と観経の念仏と共に之を捨て畢りて如来出世の本懐を遂げ給うなり、日蓮管見を以て一代聖教並びに法華経の文を勘うるに未だ之を見ず、P119
但し華厳は法華経より先なり華厳経の時仏最初に法慧功徳林等の大菩薩に対して出世の本懐之を遂ぐ、然れども二乗並に下賎の凡夫等根機未熟の故に之を用いず P121
法華経方便品の略開三顕一の時仏略して一念三千心中の本懐を宣べ給う、P208
法華経に法譬因縁と云う事あり法説の段に至つて諸仏出世の本懐一切衆生成仏の直道と定む、P414
等覚以下は仰いで此の経を信ず可し況や諸仏出世の本懐なり、禅宗は観心を本懐と仰ぐとあれども其は四種の一面なり、P415
迹門は二乗作仏が本懐なり故に「彼の土に於いて是の経を聞くことを得」と説くP421
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243.、「臭きを溷厠に忘る」で、貴公ら自らのその腐臭を放つ臭糞の臭気を、全く自覚できていない。
名前: 樋田 昌志 日付:5月30日(月) 11時54分
▼その板は本当に鎌倉時代の楠木なのか?
●既述である。
御先師日達上人御指南
■「大御本尊は楠の板で、その時分は鉋(かんな)がなかった、鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。だから、あの御本尊は手斧削(けず)りである。それを見れば、すぐわかる。それを知らないで、『漆を塗ってあるから、あれは足利時代にできた』とか、最近は『徳川時代にできた』などと、とんでもないことを言う。ところが、あれは、後ろを見ると、みんな、削った跡がちゃんと残っている。それを見ても明らかに鎌倉時代である」(昭和四十七年九月十二日)
■「その御本尊様は、もう六百八十年も前にできた板御本尊でございまして、これは、当時、鉋(かんな)というものがなかった、鎌倉時代でございますから。あの板御本尊様は、明らかに鉋では造ってないのであります。
みんな手斧(ちょうな)、手斧といっても戦国時代あるいは室町時代にできた丁飽(ちょうな)でなくて、もっと古い、まさかりみたいな手斧で削られておるのでございます。それが歴然としてあの板御本尊に残っておるのでございます。それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます」(昭和四十七年十一月二十日)
この御指南に反論するのなら、それなりの根拠をもってせよ。
さて、更に貴公らの謗法の罪過を暴きだそう。
■「三世の諸仏の本初の下種を指して華と名づけ。此の下種の華によりて成仏の蓮を取り玉ふ。此の蓮華即ち下種なり。下種即ち南無妙法蓮華経なり。華は本因、蓮は本果なれば、華の本因を不信謗法の人豈具足せんや。経に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん」と。此の蓮華に迷ふが故に十界具足無し。十界具足せざれば一念三千跡形も無きなり。」
ここに仰せの「三世の諸仏の本初の下種」の本法・御本体であられる「戒壇の大御本尊」様を誹謗する貴公らは、まさに「一切世間の仏種を断ぜん」
成仏の道は完全に閉ざされ、塞がれている。
そしてこの本因の下種の本法に迷うが故に、「十界具足無し」
貴公らには仏界は備わらず(理として認められるだけで、事の上では全く無きに等しく)六道の中でも特に三悪道・四悪趣の働き熾盛で、(それはこの書き込みを読む見識ある方々みな看取せられるところである)
「一念三千跡形も無きなり」
まさに御仏の悟りからは程遠い低劣・愚悪な境涯に堕している。
しかも、「臭きを溷厠に忘る」で、貴公ら自らのその腐臭を放つ臭糞の臭気を、全く自覚できていない。
その状態で一般社会に紛れ込むのであるから、真に社会的にも迷惑千万な生物である。
貴公らの如き生き物こそ、大聖人様仰せの如く、即時に命根を絶つべき種、であろう。
よくよく、我が腐臭を放つ臭糞の体臭を嗅ぎ、自らの醜悪さを自覚するがよい。
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242.末寺坊主よりよっぽど使えると大好評のトヨダ大先生
名前:宿坊 ?? 日付:5月30日(月) 11時52分
@ 日本国の一切衆生の為に付属し給う「日蓮建立の御本尊」は戒壇板本尊ではない!
1278年・弘安元年〜1280年・弘安3年 御講聞書
身延にて 828 未決
一等雨法雨の事
此の等雨法雨は法体の南無妙法蓮華経なり、今末法に入つて、日蓮等の類いの弘通する題目は、等雨法雨の法体なり、此の法雨・地獄の衆生・餓鬼・畜生等に至るまで同時にふりたる法雨なり、日本国の一切衆生の為に付属し給う法雨は題目の五字なり、所謂・日蓮建立の御本尊・南無妙法蓮華経是なり云云、
A 大聖人が成就した三大秘法は戒壇板本尊のことではない!
1273年・文永10年5/28 義浄房御書 佐渡にて 892
(録外)未決
( 参考 本書は本尊図顕1年8ヶ月後。 翌年10/5、身延在山時に蒙古来襲 )
寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事・此の経文なり秘す可し秘す可し、
→ 義浄房御書から「出世の本懐=三大秘法の確立」と拝せます。「日蓮が己心の仏界を寿量品の事の一念三千の三大秘法として成就せる」と・・・。
この「日蓮己心の仏界」を「成就」したということは、自身の境涯・仏界を三大秘法として確立した。更に自身の願い・目的とされていたものを達成されたということであり、そこに「出世の本懐」を遂げられた意義が拝されます
B 「此の国に立つ一閻浮提第一の本尊」は戒壇板本尊のことではない!
1273年・文永10年4/25 観心本尊抄 佐渡にて 254 真筆
( 参考 本書は本尊図顕1年7ヶ月後。 翌1274年・文永11年10/5、身延在山時に蒙古来襲。 同年12月、通称・万年救護本尊図顕 )
伝教大師・日本にして末法の始を記して云く「代を語れば像の終り・末の初・地を尋れば唐の東・羯の西・人を原れば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云く・猶多怨嫉・況滅度後と此の言良とに以有るなり」此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時・地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す・一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し、月支震旦に未だ此の本尊有さず
→ 自界叛逆・西海侵逼の二難という国家・民族存亡の危機の時に、此の国に立つ一閻浮提第一の本尊(=一般図顕本尊)は戒壇板本尊ではありませんでした。
C「日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候」本尊は戒壇板本尊ではない!
1273年・文永10年8月 経王殿御返事 佐渡にて 1124
未決
日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候ぞ・信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり・日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし
→ 大聖人がその「たましひ」を「すみにそめながしてかき」更に「信じさせ給へ」といわれる御本尊は「戒壇板本尊である」といわれましたか?
この本尊はどなたに授与されたのですか?
まさか「弥四朗国重」などといわないでしょうね(笑)
→ もちろんこの特定の本尊に対する教示を通して、全日蓮図顕本尊に「日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候」は当てはまるのが道理ですが、存在なしの「戒壇板本尊」には当てはまりません。
D 上行等の聖人が出現し・建立された本門の三つの法門は「戒壇板本尊」ではない!
1274年・文永11年5/24 法華取要抄
与富木常忍 身延にて (338) 真筆
( 参考 5/17の身延入山以降直近の書 10/5の蒙古襲来の約4ヶ月前 )
是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し・本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布・疑い無からん者か。
→ 大聖人が三大秘法を確立せられた時、その脳裏に「戒壇板本尊」があった、もしくはそれをこれから建立しようと思っていたのですか?
答えは簡単、あるわけないし思ってもいません。文永11年にも、板本尊の日付・弘安2年10月にも、その存在はないのですから。
E 日蓮大聖人が広宣流布するのは「本門の本尊」であり「戒壇板本尊」ではない!
1274年・文永10年5/11 顕仏未来記 507 真曽
此の人は守護の力を得て・本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も・其の意是れ同じ・彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ・彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり。
→ 大聖人は何を「閻浮堤に広宣流布」されるのですか?「戒壇板本尊」ですって?
どこに書かれていますか?大石寺流解釈で押し切ってはいけません。「本門の本尊」ですよ。
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241.すでに連合会委員長を乗り越え法華講の頭領となられた大先生
名前:宿坊 日付:5月30日(月) 11時51分
大先生いわれてるよ。
→ お前を大商人と命名する。謹んで受けるように。
で、どうなの「お受け」したの?
→ いけませんねー、余計な部分まで引用しては。
※ 樋田教としましては「不信は堕獄の因なり。」だけを、切り文として引用するのが正しい化儀でございます。
前文まで引用しては、唯物論を教義の根底に置く当教団の大前提にヒビが入ります。
と、貴方の兵隊講員からブーイングが聞こえてきますよ。
もっとも、あの兵隊たちの頭では、理解も出来ませんが。
永遠の法を説いた大聖人が、永遠の法体を現すのに有限な木材を選定する訳がないことぐらい、誰にでも少々考えれば解ることです。
どうせなら、木材よりは石材、金属のほうが長持ちしますが、所詮同じ物質です。
火災や災害でもっとも大事な信仰の対象物が無くなってしまったら、その教団の消滅になります。
だから「一念三千も信の一字より起こり、三世諸仏の成道も信の一字より起こるなり」でしょ。
誤って書き込んでしまった前文で唯物論教団は自爆ですね。
まさに、樋田教の「元品の無明を切る」御文でした。
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240.世界法華講の模範トヨダ大先生A
名前:宿坊 ?? 日付:5月30日(月) 11時47分
▼(1573年・天正元年・滅後292年に大石寺14代となった日主の書状
「日興跡条々事示書・年月日なし」に「大聖より本門戒壇御本尊」とあります)更にその本尊を「日蓮出世の本懐」と言い出したのは100年も後のことになります。
(1682年・天和2年(滅後401年)11/13よりの「日目350年忌の説法」22代日俊、「此の如く蓮祖御出世の本体三大秘法の御座す寺なる故に〜」大石寺にて)
●だからどうしたというのですか?
「戒壇の大御本尊様」の存在の傍証になりこそすれ、反証とはなり得ないではないですか。
→ では、(笑)
◎ なぜこの時、突然その「存在?」を言い出したのですか。
◎ なぜこの時まで、その「存在?」を言わなかったのですか。
◎ で、この日主・日俊の時点での発言を、法華講員さんは「存在の傍証」といいますが、この発言内容から、どのようにして「戒壇板本尊は本物だ=日蓮大聖人が戒壇板本尊の相貌を図顕し、その造立に関わった」と判断できるのですか、具体的にその根拠を示してください。
◎「御法主上人ゲイカがいわれたことだから間違いない」ですか、ならばその「御法主上人ゲイカがいわれることに間違いはない」といえる根拠を示してください。それは盲信にすぎず、世間の晒し者になるだけです。
◎ 他の日蓮系教団が「○百年後に出世の本懐の板本尊」を主張し出して、それをそのまま法華講員さんは「そうだね。存在の傍証だね」というのですか。
◎「いや、大石寺だけは別なのだから」というのなら、その根拠を示してください。
◎大聖人滅後○百年後に「うちの寺に大聖人の相承書があった」といえば、それがそのまま「そうだね。存在していたんだね」といえるのですか。
→ 大聖人滅後300、400年経過して、日蓮系一寺院が「うちの寺に出世の本懐・本門戒壇御本尊」といえば、それが「正しく、本当に、大聖人出世の本懐の本門戒壇御本尊が存在したことになる」というのが、世の正しい道理である、と証明してもらいましょう。
ここ十数年の間でも、日蓮大聖人の真筆か?といわれる本尊が確認され、鑑定の結果、数体は「大聖人の真筆本尊」とされました。
それに対し「我が寺に大聖人の真筆・曼荼羅本尊があるよ。しかも出世の本懐で、本門戒壇堂用のね」といわれても、「はあ、だからどうしたというのですか?お宅の宗派の自己申告にすぎません。それで」となるのが道理というものです。
→ 日蓮大聖人入滅後300年、400年経過して、出てくる「出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」・・・これを受け法華講諸氏云く「存在の傍証だ」・・・正に「ゲイカの御内証を信じる人間ならではの思考回路」ですね。
日蓮大聖人入滅後300年、400年経過して、出てくる「出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」・・・
「なにそれ?どうして今迄言わなかったの?なんでその時に言い出したの?で、もって、それが本物であるという証拠は?」となるのです。
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239.世界法華講の模範トヨダ大先生
名前:宿坊 ?? 日付:5月30日(月) 11時46分
※ 御仏御自らに向かって「貴方は仏ですか?ちょっと疑わしいので調べさせてくださいね。」と、身長や、手や足の長さを測ったり、肌に触ってみたり、体温を測ったり、口を開けていただき口内をを覗いたり、胸に聴診器をあてたり・・・そういうことを平気でする馬鹿者が何処にいる?それこそ不信謗法ここに極まれり。である。
◎ ここの主題は何か、一人パソコンに向かい今一度復唱せよ。
◎ 貴殿がここに登場する以上何をせねばならぬのか、再度認識せよ。
◎ 貴殿は当方に対し「本門戒壇の大御本尊の真偽を問うことの愚かさ」の例示と解釈できる記述として、本門戒壇の大御本尊即日蓮大聖人であるかのような書き込みをした。ならば、本門戒壇の大御本尊は即日蓮大聖人である、と証明せよ。できるのか、できないのか?貴殿の宗派内の約束事を書き記したものは違う宗教である故、当方とは関係ない。
◎ 貴殿は、自身の信奉する宗派内では「極悪謗法不信の輩」に対し、いきなり貴殿の「宗派内の教義(当方にとっては関係ない)」を前提としていったのだ。発言した以上、貴殿にはその「極悪謗法不信の輩」をも納得させるべく直ちに「本門戒壇の大御本尊は即日蓮大聖人である」とストレートに証明してみよ。
@ 「本門戒壇の大御本尊」 の相貌を日蓮大聖人が図顕した証拠。その造立に大聖人が関わった証拠
A 日蓮大聖人が「本門戒壇の大御本尊」 を即御自身とされた証拠
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238.妙観講をしのぐ大人気のトヨダ大先生
名前:宿坊 ?? 日付:5月30日(月) 11時44分
で、その立正安国会の鑑定に因縁つければ、大石寺の板本尊が本物になるのかな?
方向性が違いますよ。ストレートに証明しなければいけないのはあなたですよ。
山中喜八氏らの鑑定は日蓮正宗はどうだか知らんが、全宗教界認知のものでありますよ。
日蓮正宗の坊さんよりかは、はるかに認知されているものです。
それとも今度は樋田大先生が全て鑑定し直すのかな。
やってみてはいかがですか?
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237.貴公らの命終の時を考えると、身の毛もよだつ思いである。
名前: 樋田 昌志 日付:5月30日(月) 11時13分
▼その大石寺の板本尊は本物なのか?
その造立に当たり、日蓮大聖人が筆をとり認め、それを日法が謹刻したのか?
●まさしく真正の大聖人様の御魂魄・御悟りの根源、の大御本尊様である。
信心を持って拝してみればそのあり難さに、貴公の邪難等、即時に雲散霧消せしむ御力があらせられる。
このあり難い大御本尊を拝せず、剰え、確たる根拠も提示できずに、ただ怨嫉・悪口・疑惑をなす貴公らは、まさに人間界に生まれたとはいえども、蛆虫・毛虫以下の生物である。
前世の余りの善徳の無さを哀れむばかりである。
■「御義口伝に云はく、法華不信の人は命終して地獄に堕在すべし。経に云はく「若人不信、毀謗此経、即断一切、世間仏種」の文是なり。法華経の行者は命終して成仏すべし。是人命終 為千仏授手の文是なり。千仏は千如の法門なり。謗法の人には獄卒迎へに来たり、法華経の行者は千仏迎へに来たるなり。」
貴公らは命終の時、地獄の獄卒が迎えに来るぞ、との、お叱りである。
その時になって後悔しても手遅れなのである。
今も日々夜々、更に悪業を積み続けている貴公らの命終の時を考えると、身の毛もよだつ思いである。
――――――――――――――――――――――
236.惨めで暗く、情けなくも恥ずかしい境涯に堕ちるという事です。
名前: 樋田 昌志 日付:5月30日(月) 10時26分
●>この例示してある御本尊が大聖人が当時顕された御本尊の全てであるという、物的証拠、もしくは直接的文証を挙げなさい。
▼すべて鑑定を受けた本尊であり、どこの宗派からも異論は出ていません。
もちろん日蓮正宗・大石寺からでも異論は出ていません。
もしあるならば出してくれますか?
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● はい、前回の 235 で呈した通り、当方としては疑義があるので、“鑑定”について、科学的な立証をしたまえ。
さて、貴公のような命根の根元まで謗法に染まりきって居る者どもに対して大聖人様がどのように仰せか、また一緒に学びましょう。
■「三宝荒神とは十羅刹女の事なり。所謂飢渇神・貪欲神・障碍神なり。今法華経の行者は三毒即三徳と転ずる故に三宝荒神に非ざるなり。荒神とは法華不信の人なり。」
貴公らが今後何事にも「飢渇」し、自らの際限ない欲望に苛まれ、人生において様々な障りで行き詰まり、仏道に於いては、まさに成仏が程遠い、惨めで暗く、情けなくも恥ずかしい境涯に堕ちるという事です。
一刻も早く、戒め、懺悔したまえ。
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235.えてその低脳さを指摘し、以って、三宝誹謗の報いの恐ろしさを世に知らしめるものである。
名前: 樋田 昌志 日付:5月29日(日) 23時15分
●>(※戒壇の大御本尊様が偽物であると)証明出来得る、物的証拠、もしくは直接的文証を挙げて下さい。
▼すでに真筆と挙げていますよ、後は自分で調べなさい。
しかし馬鹿だね! 真筆を挙げても「直接的文証」とは、どのような了見で言っているのでしょうか? 真筆は真筆なのです、それ以上の客観的資料は存在しないでしょう。
言っては悪いが賢くないね!
おとなしく言って「バカです」
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●ここなどは貴公の知能の低さを自らの発言で全国に敢えて表明した記録的な箇所である。
知能が低い方にその低さを加減を指し示すのは酷ではあるが、貴公の極悪謗法の程度が、既に常軌を逸したレベルにいるので、敢えてその低脳さを指摘し、以って、三宝誹謗の報いの恐ろしさを世に知らしめるものである。
貴公が例示した「真筆」とは、一宗教団体・立正安国会が出版した図版に掲載された、大聖人様御真筆と「鑑定されたといわれる」御本尊のことだけである。
ここで貴公に問うが、貴公が列示した弘安二年の御真筆御本尊と「いわれる」御本尊の中で、『弘安二年九月 日 和歌山 蓮心寺蔵』 の御本尊だけ、以前にも指摘しておいたが、他の弘安二年の御本尊と明らかに異相を呈しているが、
その理由如何?
1. 一、四天王 二、愛染・不動 三、十界の内、菩薩界以下 の御認めがない。
この理由を明確な文献によって説明せよ。(できうるならば「上古の文献」に限定する)
(このお姿は御一期の御本尊を通しても異相であり、敢えて類似を探せば弘安元年三月十六日の御本尊(中山 法宣院蔵)に見ることも出来るともいえるが、
その解説に、
「東京堀之内妙法寺所蔵「正中山法華経寺御霊宝日録」(「遠沾亨師臨写御本尊鑑」一九六頁)に據ると、當時法華経寺に、『病即消滅之曼茶羅』と称する三枚綴弘安元年太才戊寅三月十六日の御本尊を格護したことを記録しているが、法宣院現蔵の當御本尊は一紙であるから、其の同異は遽に判断し難い。」
とあり、御真筆であるとは断定していない。
このような「鑑定」が果たして真正足りえるのか?
もし間違いのない「鑑定」と主張するならば、
1、 誰が、
2、 いつ、
3、 どのような鑑定式によって、鑑定し、
4、 その信憑性は 誰が、
5、 いつ、
6、 どのような評議を得て証明をなされたのか、明示せよ。
2. 弘安二年の他の御本尊の讃文は全て『一閻浮提之 内 未曾有』であるのに、この御本尊だけは『一閻浮提之 “中 ”未曾有』である。
何故、この御本尊だけ「中」の字を用いられたのか、この理由も、上古の文献で説示せよ。
以上が明確に証明されたとしても、更に貴公に詰問する。
この立正安国会出版の図版が大聖人御真筆御本尊のこの世に存在している(あるいは存在していた)全てであると、証明せよ。
それが出来なければ、貴公如きの謗法者が喚いている邪難など、犬、野干が吼えるが如きの臆病・小心者・卑劣漢・の戯言に過ぎない。
まさに「言っては悪いが賢くないね!
おとなしく言って「バカです」」 呵々。
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234.どうした樋田大先生!
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 22時45分
妙観講本部の偽書悟達講頭に電話で教えを受けているのか。
それとも、ニッケンの取り巻きに「直接対決の取次ぎ」をしてくれているのか。
それとも、ちっともあてにならない指導教師をあてにして指導をうけているのか。
もっとも、大先生の教学力なら「邪宗・日蓮正宗の坊主の法門指導」など、もどかしくてしょうがないだろう。
大先生の信奉する邪宗・日蓮正宗に「戒壇板本尊」を「ズバリ証明してくれる」「大御僧侶様」はいらつしゃるのかな。いたら、是非呼んできてくれたまえ。
さあ、樋田大先生。まだまだ宿題は増え続けるぞ。
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233.(untitled)
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 22時37分
→ 更に、素朴なところでいえば「一代聖教大意」の当文を大聖人が自身滅後を志向されて書かれた、という根拠はどこにあるのでしょう。「解釈論で」というのなら、誰が解釈したのでしょうか。
※ 信なく此の経(=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義=なかんずく戒壇の大御本尊様)と血脈相伝の御法主上人への誹謗を繰り返す貴殿ら前世の悪因縁の衆生はその謗法の臭気抜けずして、千劫阿鼻獄に堕ち、その後も殆ど無限に近い年月三悪道を展転するであろう。
→ そうですか、まあ、「日蓮正宗でいうところの千劫阿鼻獄と三悪道を展転」というのは「今日も元気でごはんがおいしい、かーちゃん綺麗?で、いきいき学会活動」というところでしょう。(笑)
※ ここまで頑迷だと貴殿はもしかしたら知能が低いのではないか?と真剣に思う。
160を再度(では知能が低い方には理解できないから、再三再四)読みたまえ。
→ はい、何回読んでも「山口先生の説」です。(笑)
※ まさにこれなどは「反系」に記載される初出の文献的証拠であり、古文書研究の基本的証拠価値に於いては重要な位置を占める文献であろう。
→ 都合のよさそう? なものは「重要な位置」とは。(笑)
日頂の文献? にすがらないといけないとは惨めですね。しかも、真偽未決とは。
※ 正系ではここまで文献を提示しているのであるから、貴殿に問う。二箇相承がなかったと証明してみよ。できまい。貴殿如きに出来るわけがない。呵々。
→ 宗祖御遷化記録で証明されます、日興上人筆のね。(笑)
→ あと、「百六箇抄」「日興跡条々事」についてはおどしながら「信じなさい」という程度ですね。
→ で、樋田くん!戒壇板本尊の証明は? (笑)
早くしてね、タヌキ汁にしちゃうぞ!
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232.さあ、樋田大先生!数日前の書き込みは破折してあるぞ。反論したまえ
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 22時36分
※ その僧宝伝持の根本が唯授一人血脈相承である。これは信を以ってしか拝し得ない。
→ 誰に教わったのかな?
指導教師、講の仲間、妙観講のお友達、芸かさん、日蓮正宗と日蓮大聖人の名を冠するのなら、源は大聖人のはずですが、大聖人にかような教えの文証は?
いや、ないのが分かっているから「信を以ってしか拝し得ない」ですか。(笑)
※「此の経(=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義)は相伝に非ざれば知りがたし」である。→
が故にこの世で御本尊書写の出来る方は御法主上人御一人である。
→ で、この「一代聖教大意」の「問う諸経の如きは或は菩薩の為・或は人天の為・或は声聞・縁覚の為・機に随つて法門もかわり益もかわる・此の経は何なる人の為ぞや、答う此の経は相伝に有らざれば知り難し・所詮・悪人・善人・有智・無智・有戒・無戒・男子・女子・四趣八部総じて十界の衆生の為なり」をどうすれば「此の経=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義」と解釈できるのですか?是非、詳細な説明を。
→ この書は正嘉二年(1258年)二月十四日の執筆で、大聖人は37歳の時です。曼荼羅本尊図顕は現存からすれば、「文永八年(1271年)十月九日」の所謂「楊枝御本尊」からで、13年後となります、その時大聖人は50歳です。
で、その曼荼羅本尊の相貌は、文永、建治、弘安と勧請諸尊が増え、座配が整足されていかれるのですが、曼荼羅の全体の構成・形態を分類し、総称として「十界勧請曼荼羅」「総帰命曼荼羅」などに分類されます。
曼荼羅の紙面に、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏の十界(十法界)すべての衆生がしたためられているものが「十界勧請曼荼羅」。「総帰命曼荼羅」は、曼荼羅に勧請された諸尊のすべてに、「南無(帰命)」の二字が冠されていることから、こういわれるのですね。
この正嘉二年(1258年)以降の大聖人の本尊は
文応元年5月 法華経を本尊 鎌倉
唱法華題目抄 文応元年五月 P12
問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし、
文永7年 本尊の教示・釈尊を本尊にせよと 鎌倉
善無畏三蔵抄 文永七年 与義浄房浄顕房 P884
此の釈迦如来は三の故ましまして他仏にかはらせ給ひて娑婆世界の一切衆生の有縁の仏となり給ふ、一には此の娑婆世界の一切衆生の世尊にておはします、阿弥陀仏は此の国の大王にはあらず〜大覚世尊は我等が尊主なり先づ御本尊と定むべし、(中略)而れば此の土の一切衆生生死を厭ひ御本尊を崇めんとおぼしめさば必ず先ず釈尊を木画の像に顕わして御本尊と定めさせ給いて其の後力おはしまさば弥陀等の他仏にも及ぶべし。
文永7年10月 法華経を本尊 鎌倉
大豆御書 文永七年十月 P1210
大豆一石かしこまつて拝領し畢んぬ法華経の御宝前に申し上候、
と、記録にあります。このように自身は「法華経を本尊」とし、門下には「釈尊を本尊にせよ」といわれ、曼荼羅本尊図顕13年前の段階で、「此の経=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義」と解釈できるのでしょうか。ぜひ、詳細なる説明をして頂きましょう。
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231.※ 百六箇抄云々
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 22時24分
→ 過去、数回述べました。
→「四、結論」以後は「考えられるのである。」「ではなかろうか。」「であると思うのである。」「と思う。」ばかりで、論評するに値せず、です。「思う」のは自由ですので、自由に好きなだけ書いていただき、「信者さんだけで」喜んでいればいいことですね。
で、どこで「二箇相承書の実在」が証明されたのかな?
※ 親本を誤りなく書写することは実に難しい。日耀(日辰本)に「身延山」を「身遠山」と書いているのは恐らく書写の際の誤りであろう。それは日耀以前の写本全部が「身延山」となっているからである。
→ 以下、「身延山」と「身遠山」の考察がつづきますが、それで「二箇相承書の実在」が証明されたのでしょうか?(笑)
※ 尚現行の御書全集(※学会版のこと)等には身延相承書(大石寺系のみ収録)が十月となり、一期弘法書が九月となっているのは、各山互に壁を高くして、同門内の者にも相承書の如き重宝を拝観させることをしなかった封建的な時代に、唯だ日辰のみが、正本として伝承する重須本を書写せしめて世に開版したので、一躍日耀書写の二箇相承(世に日辰本という)が余りにも有名になり、各門流挙って日耀本を取り上げたためであろう。
→ ここも要チェックです。
日蓮正宗・大石寺では「宗祖・日蓮大聖人よりの唯授一人血脈相承を承継される御法主上人ゲイカが正法の一切を所持される」やに言いますが「根っこの部分、日蓮・日興の相承書がなぜ、日興より日目に授与されないで、北山本門寺に存在したのでしょうか」ということになります。
もちろん、当方のスタンスとして、「相承書なんて、そんなもの一切ない」ということなのですが、彼らの主張の内容に立ち入ってみてやっても、原点の時点で既に「自己矛盾している」ということなのです。
最初から、「欠陥相承」ということになります。
※ いづれにせよ日附の異りに古来異義のなかったことは不思議であるが、これは大石寺が宗祖大聖人の正義を厳護し来って他山に迎合せず、近来迄御書・相伝書・古文書等の重宝は堅く秘蔵して公開せず、又他山に於ては二箇相承の如きものは、つとめて敬遠していたからであろう。
→ ものはいいよう、というところですね。いつもの決まり文句です。聞き飽きました。(笑)
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230.以下、少々細かく。
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 22時24分
※ 越後本成寺は門祖に日朗を立てて日現は八代となっている。不思議なことに、西山本門寺十一代日心の頃の過去帳に、本成寺九代目覚の序文が載っている。西山本門寺と越後本成寺との関係は研究の余地はあるが、何れにせよ古くから両寺の交流のあったことは認めてよいと思う。
とすれば、日現の「重須の二箇相承は日代筆に似ている」という説は、直接西山本門寺から本成寺への流言であると受けとれば、この聞き伝えは真実性が出てくる。
→ 「であると受けとれば」というのは弱いですね。「西山本門寺十一代日心の頃の過去帳に、本成寺九代目覚の序文」がありましても、その本成寺の方は当時どのような寺院と交流があったのか、果たして西山一箇寺だけなのか、どこの寺の誰からの流言なのか、特定はできません。「いや、西山だ」というのなら、断定できる根拠を示さなければいけません。
それなのに「であると受けとれば」と続け、「真実性が出てくる」と、なかば「本当なんだよ」と思わせるような記述。これでは多くの人が「コロリ」といくでしょうね。
本質は「巧みなる表現力で特定の方向に誘引している」だけなのです。騙されてはいけません。日蓮正宗流術の典型例といえます。
※ したがって日耀が親本とした重須本は大聖人の真蹟ではなかったということが考えられる。
→ 一転、この点は大いに評価します。従来の日蓮正宗の説では「日辰一行は大聖人の御真筆を書写した。それが武田の兵により強奪された」と通り一片等の主張をしていたのですが、日蓮正宗関係者ではお初の?「重須に存したのは大聖人真筆ではなかった」としたのですから、「偽書故、真筆などあるわけない」という当方とも一理通じるものがあるわけです。「重須に存在したのは真筆ではない」という箇所でね。
※ 西山本門寺と本成寺の関係や日現の記文等を考え合わせてみるに、重須所蔵(曽存)の二箇相承は日代筆写のものであったのではなかろうかと推定されるのである。
→ 「推定」ですね、で、その「日代筆写」のものが武田に盗まれたと?
ここです。またまた日蓮正宗の話術です。
越後本成寺の八代目・日現は「蔵人阿日代と云う人の筆に似たりと承り及也」と「似ているのではないか?ということを聞いただけ」なのです。
自分の目で確認、というわけではないのです。
それを現代の山口氏が「日現の推測の伝聞」に、更に輪を掛けて「推定」とし、読者に「そうか、日代の筆か」と印象付けているのですね。
「何も断定できる根拠はない」ということですよ。目くらましにかかってはいけません。
→ しかも、前文にこう書いてありますね。
※ これでは日現は何処にあったものを書写したものか、又何処から「日代筆に似たり」と云うことを聞いたのかはわからないが、他門には早くからこのような云い伝えがあったのだろうということは考えられるのである。
→ この後の文は「根拠薄弱なのに推論の積み重ね」で「らしく」脚色しているにすぎない、ということです。
「仮定」「推量」を「であれば」でつなげ「だろう」「したがって」「である」と「本当のことのように印象付けている」だけなのです。
※ 日代は聖滅十三年に出生して、開山上人に常随している。日代筆写の二箇相承であれば先づ門下最古の全文写しの写本であると見て良いだろう、したがって重須では之を重宝中の重宝として取り扱い、正本であると誇示し伝承するぐらいの価値は充分であると思うのである。
→ 更にここですね。「あれば」「だろう」と続けて「したがって」とね。
この「あれば」「だろう」をいくら重ねても「推測」というか、「夢物語」になるでしょう。なのに「したがって」と接続されると、後文が「真実であるかのように感じてしまう」のです。実に上手な表現です。
ここで法華講員さんがなすべきことは山口氏の「あれば」「だろう」ではなく、これを「であった」「である故に」「だったのだ」「ということなのだ」と、「断定するに足りるものを提示しなければならない」
ということです。さあ、難題が増えましたよ。
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229.樋田大先生へ
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 22時23分
全世界法華講員の模範・傑出した大人材・「戒壇板本尊の証明を必ず成し遂げる」
日蓮正宗僧・山口氏は、下記の越後本成寺・日現の「二箇相承書に対する偽書との批判」を引用し、長々と解説しながら「二箇相承書実在を印象付ける」記述をしています。・・・「印象」ですからね、実在の証明とはなっていませんのでご注意を。(笑)
※「日現申す、前の御相承(九月十三日)は身延相承、後は(十月十三日)池上相承と云云。御判形現形也。
されども一向御正筆に非ず偽書謀判也。又日興の手跡にもあらず、蔵人阿日代と云う人の筆に似たりと承り及也」
◎ 「蔵人阿日代と云う人の筆に似たり」と「推測」したのはどこの誰か?明確にせよ。
◎ その「推測」した人物が「比較した日代の文献」は何か?明確にせよ。
◎ 比較検討した内容を詳細に明示せよ。
◎ その「推測」した人物の「鑑識眼が信用できる」という根拠を明示せよ。
◎ 日現が「言いたかった事は二箇相承書の『肯定』なのか、『否定』なのか?」どちらか。
◎ これは「日現は否定論者であることは明らか」である。その傍証として「出所不明の流言」で補足したものであるが、それは本当に「特定の人物からの話し」だったのか?それとも「巷間、そのように言われているもの=単なる噂話的な憶測」だったのか?どちらか明らかにせよ。
◎ 「特定の人物からの話し」であれば、上記の質問に戻る。
「巷間、そのように言われているもの=単なる噂話的な憶測」であれば、まったくもって取るに足らない=信用できないもの、となる。
貴殿、どちらを取るか?
◎ 大事な点なので重ねて念押しするが、本成寺・日現は「自分の目で見て二箇相承書は日代筆」としたのか?「又聞きで日代筆」としたのか?
◎ どちらにしても、それが信用に値するという根拠は?
◎ 「謎の人物の話し」→ 人不明、判別方法不明、比較文献不明、鑑識能力不明、→ 信用性は0
◎ 日現の記述 → 特定の人物よりの伝聞なのか?巷間の説を聞いて書いただけなのか?判別できず。
◎ このような「前提」の上に「であると受けとれば」「わからないが〜考えられるのである」「推定される」
「であれば〜だろう」で接続し「したがって」と締め括る手法が「歴史考証」といえるのか。「文献学」といえるのか。是非、利害関係のない、公平、無私、客観的な立場にある学者に読んでもらうことを勧める。
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228.日顕上人に額が磨り減るほど懺悔して許しを請うことである。
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月29日(日) 22時10分
▼ では貴方を助けるために追加として、白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事
日興記之を付け足します、下記に示す日興第一弟子也の方は当然「本門戒壇の大御本尊」 を存じていたはずです。その方の文証でもいいのです、客観的に証明してください。
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● 以下 略
日興上人が御真筆御本尊を分与された方々をどう列挙されようとも、「戒壇の大御本尊様」が存在しなかったという証明には何等要を得ません。
謗法の極悪果で複雑に割れた精神構造の貴殿には、まるで精神障害者の方へするが如く、何度でも言って聞かせてあげるしかないが、戒壇の大御本尊様は大聖人様が広宣流布の暁を遠く鑑みられ日興上人へ「密付嘱」せられたのである。
が故に、その他の数多の御弟子方が「戒壇の大御本尊様」への言及がなくても、いささかも不思議はない。
また、古来からの文献のその全てが残っているはずもなく、かつては「戒壇の大御本尊」様の記述が存在していたが、長い年月の間に遺失した文献もあるはずである。
貴殿は、古文献研究の常識として、その可能性を否定することは出来ないはずである。
敢えて否定するとすれば、それは貴公が謗法の害毒によって偏向した思考回路になっているだけのことであり、一般常識人の失笑を買うだけのことである。
そういう、謗法不信の貴公のようなものどもを大聖人様はどのようにお説きか、また共々に拝して見ようではないか。
■「眼の功徳とは、法華不信の者は無間に堕在し、信ずる者は成仏なりと見るを以て眼の功徳とするなり。」
貴公が永劫に成仏など夢のまた夢、無間に堕在して糞尿まみれの境涯に堕ちることは必定であろう。
速やかに今までの自らの罪業の深さを恥じ、日顕上人に額が磨り減るほど懺悔して許しを請うことである。
がしかし、罪業深すぎて、もう手遅れかも知れぬ。
――――――――――――――――――――――
227.雲隠れのタヌキへ
名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 19時25分
【 もし戒壇板本尊が存在すれば、隠しおおせる身延の草庵ではなかった! 】
日蓮正宗・大石寺が「戒壇板本尊が造立された」と主張する弘安2年10月当時、身延山中で暮らす日蓮大聖人の住まいは「草庵」でした。
大聖人は1274年・文永11年5月11日に鎌倉を去り、身延に入山されました。その後「庵室修復書」(1277年・建治3年)によると、「去文永十一年六月十七日にこの山のなかに・きをうちきりて・かりそめにあじちをつくりて候いし」(1543)とあるように、文永11年6月17日に草庵が成ったものの、「やうやく・四年がほど・はしらくちかき・かべをち候へども・なをす事なくて」と4年後には半倒壊しました。この後、弘安4年(1281年)11月に「地引御書」によると「坊は十間四面に・また・ひさしさして・つくりあげ」(1375真曽)と十間四面の堂宇が完成しました。
前項も付け足し整理します。
1274年・文永11年
5/11 身延に入山
同年 6/17 草庵完成
1276年・建治2年
9月 「身延山は深山である」
同年 12月 「訪れる人はまれである」
1277年・建治3年
「庵室修復書・やうやく・四年がほど・はしらくちかき・かべをち候へども・なをす事なくて」草庵半倒壊
1278年・弘安元年 7月 夏は大雨が三ヶ月続き河川の氾濫、山崩れで交通遮断
同年 9月 食材等が不足に
同年 11月 厳冬の身延山の惨状
「草庵には、人の少ない時で40人、あるときは60人もいて、訪問者も多い」
1279年・弘安2年 10/12 戒壇板本尊?
1280年・弘安3年 1月 大雪積もり庵室内まで「雪を米と積む」如く。
八寒地獄のようである。訪れる人はなく「弟子等にも捨てられて候いつる」如し。
1281年・弘安4年 11
月 「地引御書・坊は十間四面に・また・ひさしさして・つくりあげ」十間四面の堂宇が完成
大石寺説ですと、戒壇板本尊は最初の庵室が建治3年に半倒壊した後に造立されたことになります。
この建治3年の庵室倒壊状況は悲惨極まりないもので、「庵室修復書」によると「よるひをとぼさねども・月のひかりにて聖教をよみまいらせ・われと御経をまきまいらせ候はねども・風をのづから・ふきかへしまいらせ候いしが、今年は十二のはしら四方にかふべをなげ・四方のかべは一そにたうれぬ」と、月明かりが差し込み書を読め、風が部屋を吹き抜け御経が吹きあがり、柱は傾き、壁は剥がれとボロボロの状態でした。
◎ 弘安2年10月もおそらく、この状態が少し改善しただけのものだったでしょう。このような草庵のどこに戒壇板本尊を秘蔵したのでしょうか。
◎ しかも、弘安元年11月の書簡によると「草庵には、人の少ない時で40人、ある時は60人もいて、訪問者も多い」ということがあったようです。弘安2年10月では、まだ冬季積雪期に入る前であり、同様の状況であろうことは容易に推察されるところです。このような狭い、倒壊を手直ししただけの草庵のどこにどのように戒壇板本尊を秘蔵したのか、というか、そのようなスペース自体がありえたのか?
是非、詳細な説明を聞きたいものです。
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226.目を開けて拝せA
名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 19時24分
(以下の節は大聖人の体調不良の状況)
かかるふしぎ候はず候に去年の十二月の卅日よりはらのけの候しが春夏やむことなし、あきすぎて十月のころ大事になりて候しがすこして平愈つかまつりて候へどもややもすればをこり候に、兄弟二人のふたつの小袖わた四十両をきて候が、なつのかたびらのやうにかろく候ぞましてわたうすくただぬのものばかりのものをもひやらせ給へ、此の二のこそでなくば今年はこごへしに候なん。
其上兄弟と申し右近の尉の事と申し食もあいついて候、人はなき時は四十人ある時は六十人、いかにせき候へども・これにある人人のあにとて出来し・舎弟とてさしいでしきゐ候ぬれば・かかはやさにいかにとも申しへず
(草庵には、人の少ない時で四十人、あるときは六十人もいて、訪問を断ろうとすると、私はここで修行する者の兄である、弟であると言い訪ねてくるのでなかなか断ることができずにいる)
心にはしずかに、あじちむすびて小法師と我が身計り御経よみまいらせんとこそ存じて候に、かかるわづらはしき事候はず、又としあけ候わばいづくへもにげんと存じ候ぞ、かかるわづらわしき事候はず又又申すべく候。
(本心は静かに、草庵で弟子と語らい経典を読み、今のようなわずらわしい状況のないことだ。年が明けたらいずこへでも逃げだしたい)
◎ 弘安3年1月 大雪積もり庵室内まで「雪を米と積む」如く。八寒地獄のようである。訪れる人はなく、「弟子等にも捨てられて候いつる」如し。
秋元御書 弘安三年一月(二十七日) 五十九歳御作 於身延 P1077
此の山の為体・日本国の中には七道あり、七道の内に東海道十五箇国、其の内に甲州飯野御牧波木井の三箇郷の内波木井と申す、此の郷の内戌亥の方に入りて二十余里の深山あり、北は身延山・南は鷹取山・西は七面山・東は天子山なり、板を四枚つい立てたるが如し、此の外を回りて四つの河あり・北より南へ富士河・西より東へ早河・此れは後なり、前に西より東へ波木井河の内に一つの滝あり身延河と名けたり、中天竺の鷲峰山を此の処へ移せるか・将又漢土の天台山の来れるかと覚ゆ、此の四山・四河の中に手の広さ程の平かなる処あり、爰に庵室を結んで天雨を脱れ木の皮をはぎて四壁とし、自死の鹿の皮を衣とし、春は蕨を折りて身を養ひ・秋は果を拾いて命を支へ候つる程に、去年十一月より雪降り積て改年の正月今に絶る事なし、庵室は七尺・雪は一丈・四壁は冰を壁とし・軒のつららは道場荘厳の瓔珞の玉に似たり、内には雪を米と積む、本より人も来らぬ上・雪深くして道塞がり問う人もなき処なれば現在に八寒地獄の業を身につくのへり、生きながら仏には成らずして又寒苦鳥と申す鳥にも相似たり、頭は剃る事なければうづらの如し、衣は冰にとぢられて鴦鴛の羽を冰の結べるが如し、かかる処へは古へ眤びし人も問わず・弟子等にも捨てられて候いつるに・此の御器を給いて雪を盛りて飯と観じ・水を飲んでこんずと思う、志のゆく所思い遣らせ給へ又又申すべく候、
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225.目を開けて拝せ@
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 19時23分
3 弘安年間の身延の草庵・本堂について
日蓮正宗法華講員云く
※ 戒壇板本尊は造立後、隠し秘され、人目に触れることはなかったのだ。故に語り、記述する門下もいないのは当然。具体的には大聖人の私室に厳護されたと拝察する。戒壇板本尊の御事も唯授一人の口伝で伝えられたのだ。
【 大聖人在山の身延山について 】
◎ 建治2年9月 身延山は深山である
九郎太郎殿御返事 建治二年九月 P1535
此の身延の沢と申す処は甲斐国波木井の郷の内の深山なり、西には七面のかれと申すたけあり東は天子のたけ南は鷹取のたけ北は身延のたけ四山の中に深き谷あり・はこのそこのごとし、峯にははこうの・の音かまびすし、谷にはたいかいの石多し。
◎ 建治2年12月 訪れる人はまれである。
松野殿御返事 (建治二年丙子十二月九日) P1381
鵞目一結白米一駄白小袖一送り給畢ぬ、抑も此の山と申すは南は野山漫漫として百余里に及べり、北は身延山高く峙ちて白根が嶽につづき西には七面と申す山峨峨として白雪絶えず、人の住家一宇もなし、適ま問いくる物とては梢を伝ふ・猴なれば少も留まる事なく還るさ急ぐ恨みなる哉、東は富士河漲りて流沙の浪に異ならず、かかる所なれば訪う人も希なるに加様に度度音信せさせ給ふ事不思議の中の不思議なり。
◎ 弘安元年7月 夏は大雨が三ヶ月続き河川の氾濫、山崩れで交通遮断
種種物御消息 弘安元年七月七日 五十七歳御作
与南条平七郎 P1548
ただなる時だにも・するがとかいとのさかひは・山たかく・河ふかく・石おほく・みちせばし、いわうや・たうじは雨(あめ)は篠(しの)を立てて三月におよび・河(かわ)はまさりて九十日、やまくづれ・みちふさがり・人もかよはず・かつてもたえていのちかうにて候いつるに・このすずのもの給いて法華経の御うえをもつぎ・釈迦仏の御いのちをもたすけまいらせ給いぬ
◎ 弘安元年九月 夏は大雨で洪水、交通遮断 食材等が不足に
上野殿御返事 弘安元年九月十九日 与南条時光 P1551
今年は正月より日日に雨ふりことに七月より大雨ひまなし、このところは山中なる上・南は波木井河・北は早河・東は富士河・西は深山なれば長雨・大雨・時時日日につづく間山さけて谷をうづみ・石ながれて道をふせぐ・河たけくして船わたらず、富人なくして五穀ともし・商人なくして人あつまる事なし、七月なんどはしほ一升をぜに百しほ五合を麦一斗にかへ候しが・今はぜんたいしほなし、何を以てかかうべき、みそもたえぬ、小児のちをしのぶがごとし。
◎ 厳冬の身延山
兵衛志殿御返事 弘安元年十一月 五十七歳御作
於身延 P1098
其の上今年は子細候、ふゆと申すふゆいづれのふゆかさむからざる、なつと申すなついづれのなつかあつからざる、ただし今年は余国はいかんが候らんこのはきゐ(波木井)は法にすぎてかんじ候、ふるきをきなどもにとひ候へば八十九十一百になる者の物語り候はすべていにしへこれほどさむき事候はず、此のあんじちより四方の山の外十町二十町人かよう事候はねばしり候はず、きんぺん一町のほどはゆき一丈二丈五尺等なり、このうるう十月卅日ゆきすこしふりて候しがやがてきへ候ぬ、この月の十一日たつの時より十四日まで大雪ふりて候しに両三日へだててすこし雨ふりてゆきかたくなる事金剛のごとしいまにきゆる事なし、ひるもよるもさむくつめたく候事法にすぎて候、さけはこをりて石のごとく、あぶらは金ににたり、なべかまは小し水あればこおりてわれかんいよいよかさなり候へば、きものうすく食ともしくしてさしいづるものもなし。坊ははんさくにてかぜゆきたまらずしきものはなし、木は・さしいづるものも・なければ・火もたかず、ふるきあかづきなんどして候こそで一なんど・きたるものは其身のいろ紅蓮大紅蓮のごとし、声は波波(はは)大婆婆(ばば)地獄にことならず、手足かんじてきれさけ人死ぬことかぎりなし、俗のひげをみればやうらくをかけたり、僧のはなをみればすずをつらぬきかけて候、
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224.大聖人の出世の本懐がなぜ秘蔵厳護でなければならないのかA
名前:宿坊日付:5月29日(日) 18時46分
1277年・建治3年8/23 日女御前御返事
1243 身延にて 未決
爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん・竜樹・天親等・天台・妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず・多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ・普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等加之・日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神総じて大小の神祇等体の神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、此等の仏菩薩・大聖等総じて序品列坐の二界・八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い・妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる・是を本尊とは申すなり。経に云く「諸法実相」是なり、妙楽云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如・乃至十界は必ず身土」云云、又云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云、伝教大師云く「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」文、此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり、仏滅後二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云う事なり。
→ このように「聖人御難事」が著される以前、既に「観心本尊抄」や「日女御前御返事」が著されており、本門の本尊が「法華経」の「涌出品」から「嘱累品」までの八品に顕われている、それを今・末法に日蓮が図顕しているとし、両抄共に本尊の相貌を詳述されています。更にそれは日蓮が自作しているのではなく「多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊」であると本尊の本義を述べられております。
それに対して、二年後に著された「聖人御難事」を解釈し、そこに出世の本懐・戒壇板本尊を明かされているとするのは、大石寺の思考回路ならではの牽強付会というものでしょう。
→「日女御前御返事」では本尊を図顕する意義につき、「法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」とされたことは重要でしょう。現日蓮正宗・大石寺は「本尊に関する一切の権能は血脈附法の御法主上人猊下お一人にあり」などとし、本尊に関する一切を大石寺という日蓮系一寺院の住職が独占としていますが、これは事実上、本尊書写、下付、伝持を象徴として、日蓮仏法を利用して自分達の世界を作り信徒に君臨するというものであり、
大聖人の「法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」とされた本尊図顕の本義、また広宣流布への不惜身命の実践、精神に対する冒?といえるでしょう。
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223.大聖人の出世の本懐がなぜ秘蔵厳護でなければならないのか@
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 18時45分
大石寺説の矛盾
@ 1273年・文永10年5/11 顕仏未来記 佐渡にて 509 真曽
「天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す等云云、安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す、三に一を加えて三国四師と号く」
→「安州の日蓮は恐くは三師に相承」とされた日蓮大聖人ですが、先師=釈尊・天台・伝教の出世の本懐を見ると、明示されています。では、大聖人はどうなのでしょうか?
A 釈尊の出世の本懐は?
→ 法華経・妙法蓮華経
・それは秘法であり、世に公にされない秘蔵厳護扱いだったのですか?
→ 周知のとおり明らかです
B 天台大師の出世の本懐は?
→ 摩訶止観・一念三千
・それは秘法であり、世に公にされない秘蔵厳護扱いだったのですか?
→ 周知のとおり明らかです
C 伝教大師の出世の本懐は?
→ 迹門の戒壇
・それは世に公にされない秘密扱いだったのですか?
→ 周知のとおり明らかです
D 「先師の出世の本懐は明らか」であるのに、「日蓮大聖人の出世の本懐が秘法」である根拠はどこにあるのでしょうか? 文証を示すべきです、仏法は道理です。
E 更に大聖人は下記にあるように、僧である弟子ではなく在家である門下に対してまでも、詳細に本尊に関する教示をされています。
門下に対し分け隔てなく自身の心情を明かされ、重要法門を教示された大聖人が、秘法を秘伝とされる道理はどこにあるのでしょうか?
かかる日蓮正宗・大石寺の主張などは、神秘の世界を創り上げそこに君臨したいという、大石寺流御書解釈の正体を露呈しているものです。
1273年・文永10年4/25 観心本尊抄 佐渡にて 254 真筆
其の本尊の為体・本師の娑婆の上に宝塔空に居し・塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士・上行等の四菩薩・文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し・迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して・雲閣月卿を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処し給う・迹仏・迹土を表する故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し・八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し・権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す・此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏・有さず、末法に来入して始めて此の仏像・出現せしむ可きか。〜此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す・一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し・月支震旦に未だ此の本尊有さず、(254)
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222.ハヨハヨ
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 18時26分
@ 聖人御難事のどこに、どのように「出世の本懐=本門戒壇の大御本尊」と書いてあるのか?
A 聖人御難事に大聖人出世の本懐が説かれているとして、それがどうして戒壇板本尊と結びつくのか。
大石寺の主張は、結論が先にありそこに強引に導くための、解釈論にしかすぎないことを知るべきだ。
B 大石寺は「聖人御難事に出世の本懐が説かれているならば、それは何だ? 弘安2年10月の本尊は数幅有るが、本門戒壇と認めの本尊は、十月十二日図顕の『本門戒壇の大御本尊』 しかない、故に戒壇板本尊こそ大聖人出世の本懐だ」というが、日蓮出世の本懐が本尊だけ、しかも特定の本尊だけしかない、という発想はどこからくるのか。それが正しいという根拠を示せ。まさか、「猊下の御内証で」などと笑わせないように。
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221.ホレホレ
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 18時23分
@ 日興上人の訓育を受けた重須談所二代学頭・三位日順が「本門心底抄」で「広宣流布の時・本門戒壇の仏像本尊」を主張したのは、戒壇板本尊の肯定か否定か、どちらか。
→ 否定ですね。
A 何故にかかる仏像本尊を主張したのか。
→ 「出世の本懐・戒壇板本尊」が無かったからだ。有ればいうわけがない。
B「三位日順の法門信解が浅い故に、日興上人の仏像に執着する信者への善巧方便・次第誘引の教示を文上で読み、かような仏像本尊説となった」といいますか?
→ それは現在の日蓮正宗・大石寺の推測というものです。
C 重須談所三代学頭・日代が何ゆえに「仏像造立の事、本門寺建立の時なり」などといったのか。
→ 出世の本懐・戒壇板本尊が無かったからだ。有ればいうわけがない。
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220.日蓮正宗への質問B
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 18時20分
如来五十年の間は法華を以て真実と為す、是れ則ち諸仏の本懐なり抑亦多宝の証誠なり P848
法華経を説きおはらせ給て御物語あり、「阿難弥勒迦葉我世に出でし事は法華経を説かんがためなり我既に本懐をとげぬ今は世にありて詮なし P1045
況や今三大師は未顕真実の経を以て三世の仏陀の本懐の説を破するのみに非ず剰さえ一切衆生成仏の道を失う深重の罪は過現未来の諸仏も争か之を窮むべけんや争か之を救う可けんや。P1068
今経は出世の本懐一切衆生皆成仏道の根元と申すも只此の諸法実相の四字より外は全くなきなり P1139
不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、P1174
あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。 P1304
生を南閻浮提大日本国にうけ忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事是れ偏に過去の宿習なるか P1340
倩聖人出世の本懐を尋ぬれば源と権実已過の化導を改め上行所伝の乗戒を弘めんが為なり、図する所の本尊は亦正像二千の間一閻浮提の内未曾有の大漫荼羅なり、 P1614
さて、以下指摘です。
・このうち「戒壇板本尊」を示す、又はそれらしきことを伺わせる文があるのですか?
・大聖人の教えに無いものを「出世の本懐」といえるのですか?
・これらの御文のどこに「出世の本懐が特定の一つのものに限る」という文意があるのですか?
・大聖人滅後○百年たってから日蓮系の一寺院が「出世の本懐はこれだ」と主張して、それがそのまま通用する、という道理がどこにあるのですか?
・大聖人の教えに無い「自称・出世の本懐」を誰がどうして信用できるのですか?
・なんの裏付けもない「自称・出世の本懐」でもそれを信じ、拝まなければならない、という教示があるのですか?
・なんの裏付けもない「自称・出世の本懐」でもそれを信じ拝まなければ成仏は叶わないという教示があるのですか?
・根拠なき「自称・出世の本懐」に対し指摘すると「頭破七分で堕地獄必定」という教示があるのですか?
・根拠なき「自称・出世の本懐」に対し指摘すると「その文証はこれだ」と、一日蓮系寺院の相承書?が出てきました。それが真筆か否かを問うのはいけないことなのですか?それをとにかく信じなさい、という大聖人の教示があるのですか?
・根拠なき「自称・出世の本懐」と「真筆ではない相承書」のセットを根幹とする一日蓮系宗派が「わが宗は大聖人より唯授一人血脈相承で正しい」ということは正しいのですか?
・そのような宗派が「一閻浮提広宣流布・立正安国」とか「御遺命の本門戒壇の建立」などという資格があるのですか?
・そのような宗派が「大聖人直結・御書根本」の実践に励む他の教団に対し「直結は謗法だ」とか「御書根本は経巻相承だ」などという資格があるのですか?
・だいたい大聖人の一代の御化導のどこに、秘密のものを造り上げ、秘密にして、秘伝としよう、などと伺わせるものがあるのですか?
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219.日蓮正宗への質問A
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 18時19分
阿含方等般若も亦爾なり後番の五味皆成仏道の本懐なる事能わず P426
上根に望めても卑下すべからず下根を捨てざるは本懐なり、P466
「以何令衆生得入無上道」の御心のそこ順縁逆縁の御ことのは已に本懐なれば暫くも持つ者も又本意にかないぬ又本意に叶はば仏の恩を報ずるなり P467
然れば四十余年に所被の機縁を調へて後八箇年に至つて出世の本懐たる妙法蓮華経を説き給へりP480
、此の経は一字も諸仏の本懐一点も多生の助なり一言一語も虚妄あるべからず P481
釈尊出世の本懐道場所得の秘法末法の我等が現当二世を成就する当体蓮華の誠証は此の文なり P515
此の法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり、P519
法華は釈尊乃至諸仏出世の本懐なり止観は天台出世の己証なり[是三]法華経は多宝の証明あり P529
悲しいかな大小権実みだりがわしく仏の本懐を失いて爾前得道の者のためには法華経無用なりと云へる事を能能慎むべし恐るべし、P547
三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり三世の諸仏の出世の本懐一切衆生皆成仏道の妙法と云うは是なり P557
三世の諸仏の総勘文なり敢て人の会釈を引き入る可からず三世諸仏の出世の本懐なり一切衆生成仏の直道なり P572
之を悟り知る時仏果を成ずるが故に出世の本懐成仏の直道なり P574
此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり、此の五字日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す、P717
三世の諸仏の出世の本懐の妙法にして、優曇華の妙文なれば第一希有なり、P815
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218.日蓮正宗への質問@
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 18時19分
日蓮大聖人の御書に教示された「本懐」を以下、列挙しました。
(指摘済みの「聖人御難事」を除く)
故に天親菩薩の涅槃論に諸経と涅槃と勝劣を定むる時・法華経を以て般若経に同じて同じく第四時に摂したり豈正見の涅槃経を以て邪見の法華経の流通と為んや如何、答て云く法華経の現文を見るに仏の本懐残すこと無し、方便品に云く「今正しく是れ其時なり」寿量品に云く「毎に自ら是の念を作す何を以てか衆生をして無上道に入ることを得・速かに仏身を成就することを得せしめん」と P73
此の四巻三部の経は全く釈尊の本意に非ず三世諸仏出世の本懐にも非ず唯暫く衆生誘引の方便なり P98
一天四海善導和尚を以て善知識と仰ぎ貴賎上下皆悉く念仏者と成れり・但し一代聖教の大王・三世諸仏の本懐たる法華の文には若し法を聞くこと有らん者は無一不成仏と説き給へり、P99
如来在世に前の四十余年には大小を説くと雖も説時至らざるの故に本懐を演べ給わず、機有りと雖も時無ければ大法を説き給わず、霊山八年の間誰か円機ならざる時も来る故に本懐を演べたもうに権機移つて実機と成る P109
念仏と法華経と一つならば仏の念仏説かせ給いし観経等こそ如来出世の本懐にては侍らめ、彼をば本懐ともをぼしめさずして法華経を出世の本懐と説かせ給うは念仏と一体ならざる事明白なり、P116
又法華の意は爾前の諸行と観経の念仏と共に之を捨て畢りて如来出世の本懐を遂げ給うなり、日蓮管見を以て一代聖教並びに法華経の文を勘うるに未だ之を見ず、P119
但し華厳は法華経より先なり華厳経の時仏最初に法慧功徳林等の大菩薩に対して出世の本懐之を遂ぐ、然れども二乗並に下賎の凡夫等根機未熟の故に之を用いず P121
法華経方便品の略開三顕一の時仏略して一念三千心中の本懐を宣べ給う、P208
法華経に法譬因縁と云う事あり法説の段に至つて諸仏出世の本懐一切衆生成仏の直道と定む、P414
等覚以下は仰いで此の経を信ず可し況や諸仏出世の本懐なり、禅宗は観心を本懐と仰ぐとあれども其は四種の一面なり、P415
迹門は二乗作仏が本懐なり故に「彼の土に於いて是の経を聞くことを得」と説くP421
――――――――――――――――――――――
217.反論できるか?
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 18時16分
@ 日本国の一切衆生の為に付属し給う「日蓮建立の御本尊」は戒壇板本尊ではない!
1278年・弘安元年〜1280年・弘安3年 御講聞書
身延にて 828 未決
一等雨法雨の事
此の等雨法雨は法体の南無妙法蓮華経なり、今末法に入つて、日蓮等の類いの弘通する題目は、等雨法雨の法体なり、此の法雨・地獄の衆生・餓鬼・畜生等に至るまで同時にふりたる法雨なり、日本国の一切衆生の為に付属し給う法雨は題目の五字なり、所謂・日蓮建立の御本尊・南無妙法蓮華経是なり云云、
A 大聖人が成就した三大秘法は戒壇板本尊のことではない!
1273年・文永10年5/28 義浄房御書 佐渡にて 892
(録外)未決
( 参考 本書は本尊図顕1年8ヶ月後。 翌年10/5、身延在山時に蒙古来襲 )
寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事・此の経文なり秘す可し秘す可し、
→ 義浄房御書から「出世の本懐=三大秘法の確立」と拝せます。「日蓮が己心の仏界を寿量品の事の一念三千の三大秘法として成就せる」と・・・。
この「日蓮己心の仏界」を「成就」したということは、自身の境涯・仏界を三大秘法として確立した。更に自身の願い・目的とされていたものを達成されたということであり、そこに「出世の本懐」を遂げられた意義が拝されます
B 「此の国に立つ一閻浮提第一の本尊」は戒壇板本尊のことではない!
1273年・文永10年4/25 観心本尊抄 佐渡にて 254 真筆
( 参考 本書は本尊図顕1年7ヶ月後。 翌1274年・文永11年10/5、身延在山時に蒙古来襲。 同年12月、通称・万年救護本尊図顕 )
伝教大師・日本にして末法の始を記して云く「代を語れば像の終り・末の初・地を尋れば唐の東・羯の西・人を原れば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云く・猶多怨嫉・況滅度後と此の言良とに以有るなり」此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時・地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す・一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し、月支震旦に未だ此の本尊有さず
→ 自界叛逆・西海侵逼の二難という国家・民族存亡の危機の時に、此の国に立つ一閻浮提第一の本尊(=一般図顕本尊)は戒壇板本尊ではありませんでした。
C「日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候」本尊は戒壇板本尊ではない!
1273年・文永10年8月 経王殿御返事 佐渡にて 1124
未決
日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候ぞ・信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり・日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし
→ 大聖人がその「たましひ」を「すみにそめながしてかき」更に「信じさせ給へ」といわれる御本尊は「戒壇板本尊である」といわれましたか?
この本尊はどなたに授与されたのですか?
まさか「弥四朗国重」などといわないでしょうね(笑)
→ もちろんこの特定の本尊に対する教示を通して、全日蓮図顕本尊に「日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候」は当てはまるのが道理ですが、存在なしの「戒壇板本尊」には当てはまりません。
D 上行等の聖人が出現し・建立された本門の三つの法門は「戒壇板本尊」ではない!
1274年・文永11年5/24 法華取要抄
与富木常忍 身延にて (338) 真筆
( 参考 5/17の身延入山以降直近の書 10/5の蒙古襲来の約4ヶ月前 )
是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し・本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布・疑い無からん者か。
→ 大聖人が三大秘法を確立せられた時、その脳裏に「戒壇板本尊」があった、もしくはそれをこれから建立しようと思っていたのですか?
答えは簡単、あるわけないし思ってもいません。文永11年にも、板本尊の日付・弘安2年10月にも、その存在はないのですから。
E 日蓮大聖人が広宣流布するのは「本門の本尊」であり「戒壇板本尊」ではない!
1274年・文永10年5/11 顕仏未来記 507 真曽
此の人は守護の力を得て・本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も・其の意是れ同じ・彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ・彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり。
→ 大聖人は何を「閻浮堤に広宣流布」されるのですか?「戒壇板本尊」ですって?
どこに書かれていますか?大石寺流解釈で押し切ってはいけません。「本門の本尊」ですよ。
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216.長野のおじさん!
名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 18時14分いわれてるよ。
→ お前を大商人と命名する。謹んで受けるように。
で、どうなの「お受け」したの?
→ いけませんねー、余計な部分まで引用しては。
※ 樋田教としましては「不信は堕獄の因なり。」だけを、切り文として引用するのが正しい化儀でございます。
前文まで引用しては、唯物論を教義の根底に置く当教団の大前提にヒビが入ります。
と、貴方の兵隊講員からブーイングが聞こえてきますよ。
もっとも、あの兵隊たちの頭では、理解も出来ませんが。
永遠の法を説いた大聖人が、永遠の法体を現すのに有限な木材を選定する訳がないことぐらい、誰にでも少々考えれば解ることです。
どうせなら、木材よりは石材、金属のほうが長持ちしますが、所詮同じ物質です。
火災や災害でもっとも大事な信仰の対象物が無くなってしまったら、その教団の消滅になります。
だから「一念三千も信の一字より起こり、三世諸仏の成道も信の一字より起こるなり」でしょ。
誤って書き込んでしまった前文で唯物論教団は自爆ですね。
まさに、樋田教の「元品の無明を切る」御文でした。
間抜けな教祖様へ!
謹んで拝読せよ。
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215.破折 2
名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 18時12分
▼(1573年・天正元年・滅後292年に大石寺14代となった日主の書状
「日興跡条々事示書・年月日なし」に「大聖より本門戒壇御本尊」とあります)更にその本尊を「日蓮出世の本懐」と言い出したのは100年も後のことになります。
(1682年・天和2年(滅後401年)11/13よりの「日目350年忌の説法」22代日俊、「此の如く蓮祖御出世の本体三大秘法の御座す寺なる故に〜」大石寺にて)
●だからどうしたというのですか?
「戒壇の大御本尊様」の存在の傍証になりこそすれ、反証とはなり得ないではないですか。
→ では、(笑)
◎ なぜこの時、突然その「存在?」を言い出したのですか。
◎ なぜこの時まで、その「存在?」を言わなかったのですか。
◎ で、この日主・日俊の時点での発言を、法華講員さんは「存在の傍証」といいますが、この発言内容から、どのようにして「戒壇板本尊は本物だ=日蓮大聖人が戒壇板本尊の相貌を図顕し、その造立に関わった」と判断できるのですか、具体的にその根拠を示してください。
◎「御法主上人ゲイカがいわれたことだから間違いない」ですか、ならばその「御法主上人ゲイカがいわれることに間違いはない」といえる根拠を示してください。それは盲信にすぎず、世間の晒し者になるだけです。
◎ 他の日蓮系教団が「○百年後に出世の本懐の板本尊」を主張し出して、それをそのまま法華講員さんは「そうだね。存在の傍証だね」というのですか。
◎「いや、大石寺だけは別なのだから」というのなら、その根拠を示してください。
◎大聖人滅後○百年後に「うちの寺に大聖人の相承書があった」といえば、それがそのまま「そうだね。存在していたんだね」といえるのですか。
→ 大聖人滅後300、400年経過して、日蓮系一寺院が「うちの寺に出世の本懐・本門戒壇御本尊」といえば、それが「正しく、本当に、大聖人出世の本懐の本門戒壇御本尊が存在したことになる」というのが、世の正しい道理である、と証明してもらいましょう。
ここ十数年の間でも、日蓮大聖人の真筆か?といわれる本尊が確認され、鑑定の結果、数体は「大聖人の真筆本尊」とされました。
それに対し「我が寺に大聖人の真筆・曼荼羅本尊があるよ。しかも出世の本懐で、本門戒壇堂用のね」といわれても、「はあ、だからどうしたというのですか?お宅の宗派の自己申告にすぎません。それで」となるのが道理というものです。
→ 日蓮大聖人入滅後300年、400年経過して、出てくる「出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」・・・これを受け法華講諸氏云く「存在の傍証だ」・・・正に「ゲイカの御内証を信じる人間ならではの思考回路」ですね。
日蓮大聖人入滅後300年、400年経過して、出てくる「出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」・・・
「なにそれ?どうして今迄言わなかったの?なんでその時に言い出したの?で、もって、それが本物であるという証拠は?」となるのです。
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214.破折 1
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 18時11分
以前の「長野のおじさん」の書き込み
※ 御仏御自らに向かって「貴方は仏ですか?ちょっと疑わしいので調べさせてくださいね。」と、身長や、手や足の長さを測ったり、肌に触ってみたり、体温を測ったり、口を開けていただき口内をを覗いたり、胸に聴診器をあてたり・・・そういうことを平気でする馬鹿者が何処にいる?それこそ不信謗法ここに極まれり。である。
◎ ここの主題は何か、一人パソコンに向かい今一度復唱せよ。
◎ 貴殿がここに登場する以上何をせねばならぬのか、再度認識せよ。
◎ 貴殿は当方に対し「本門戒壇の大御本尊の真偽を問うことの愚かさ」の例示と解釈できる記述として、本門戒壇の大御本尊即日蓮大聖人であるかのような書き込みをした。ならば、本門戒壇の大御本尊は即日蓮大聖人である、と証明せよ。できるのか、できないのか?貴殿の宗派内の約束事を書き記したものは違う宗教である故、当方とは関係ない。
◎ 貴殿は、自身の信奉する宗派内では「極悪謗法不信の輩」に対し、いきなり貴殿の「宗派内の教義(当方にとっては関係ない)」を前提としていったのだ。発言した以上、貴殿にはその「極悪謗法不信の輩」をも納得させるべく直ちに「本門戒壇の大御本尊は即日蓮大聖人である」とストレートに証明してみよ。
@ 「本門戒壇の大御本尊」 の相貌を日蓮大聖人が図顕した証拠。その造立に大聖人が関わった証拠
A 日蓮大聖人が「本門戒壇の大御本尊」 を即御自身とされた証拠
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213.タヌキに救済の手A
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 18時6分
A 星名五郎太郎殿御返事 /文永四年十二月
四十六歳御作 1209
今・此の善導・法然等は、種種の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし・如来の正法を滅す、就中・彼の真言等の流れ・偏に現在を以て旨とす、所謂・畜類を本尊として男女の愛法を祈り、荘園等の望をいのる、是くの如き少分のしるしを以て奇特とす、若し是を以て勝れたりといはば・彼の月氏の外道等にはすぎじ、彼の阿竭多(あかだ)仙人は十二年の間・恒河の水を耳にただへたりき、又耆菟(ぎと)仙人の四大海を一日の中にすひほし、く留外道は八百年の間・石となる、豈是にすぎたらんや、又瞿曇(くどん)仙人が十二年の程・釈身と成り説法せし、弘法が刹那の程にびるさな(毘盧舎那)の身と成りし、其の威徳を論ぜば如何、若し彼の変化のしるしを信ぜば・即ち外道を信ずべし、当に知るべし・彼れ威徳ありといへども・猶阿鼻の炎をまぬがれず、況やはづかの変化にをいてをや・況や大乗誹謗にをいてをや、是一切衆生の悪知識なり・近付くべからず畏る可し畏る可し
【 日顕宗についてるあなたが不憫でならない 】
妙一尼御前御消息 /建冶元年五月 五十四歳御作
妙一尼御前 1253
大覚世尊・御涅槃の時なげいてのたまはく、我涅槃すべし、但・心にかかる事は阿闍世王のみ、迦葉童子菩薩・仏に申さく、仏は平等の慈悲なり、一切衆生のためにいのちを惜み給うべし、いかにかきわけて阿闍世王・一人と・をほせあるやらん・と問いまいらせしかば、其の御返事に云く「譬えば一人にして七子有り、是の七子の中に一子・病に遇えり、父母の心・平等ならざるには非ず、然れども病子に於ては心・則ち偏に重きが如し」等云云、天台・摩訶止観に此の経文を釈して云く「譬えば・七子の父母・平等ならざるには非ず、然れども病者に於ては心・則ち偏に重きが如し」等云云とこそ・仏は答えさせ給いしか、文の心は・人にはあまたの子あれども・父母の心は病する子にありとなり、仏の御ためには・一切衆生は皆子なり、其の中・罪ふかくして世間の父母をころし・仏経のかたきとなる者は病子のごとし
【 日顕宗が創価学会を誹謗する姿は「螢火が日月をわらひ」です 】
佐渡御書 /文永九年三月 五十一歳御作 与弟子檀那
961
螢火が日月をわらひ・蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり・烏鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)をわらふなるべし・わらふなるべし。
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212.タヌキに救済の手@
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 18時5分
長野のおじさんは「脅し文句で文証を使います」が、私はやさしく救済の手をさしのべましょう。しっかりと以下の御文を拝して、目を覚ましましょうね。
【 あなたが日顕宗についていき、無間地獄に堕ちるのが不憫でならない 】
@ 聖愚問答抄上 /文永二年 四十四歳御作 492
先ず汝目をふさぎ心を静めて道理を思へ、我は善道を知りながら親と主との悪道にかからんを諌めざらんや、又愚心の狂ひ酔つて毒を服せんを、我知りながら是をいましめざらんや、其の如く法門の道理を存じて火・血・刀の苦を知りながら、争か恩を蒙る人の悪道におちん事を歎かざらんや、身をもなげ・命をも捨つべし、諌めてもあきたらず・歎きても限りなし、今世に眼を合する苦み猶是を悲む、況や・悠悠たる冥途の悲み豈に痛まざらんや、恐れても恐るべきは後世・慎みても慎むべきは来世なり、而るを是非を論ぜず・親の命に随ひ・邪正を簡ばず、主の仰せに順はんと云う事・愚癡の前には忠孝に似たれども賢人の意には不忠・不孝是に過ぐべからず。
A 開目抄 577
我が父母(ふも)を人の殺すに父母につげざるべしや。悪子(あくし)の酔狂(すいきょう)して父母を殺すをせいせざるべしや
【 日顕宗についていき、後悔しても遅いですよ 】
佐渡御書 959
今・謗法の酔さめて見れば、酒に酔る者・父母を打て悦しが・酔さめて後・歎しが如し、歎けども甲斐なし、此罪消がたし
【 日顕宗についていけば阿鼻地獄ですよ 】
南部六郎殿御書 1374
十輪経に云く「若し誹謗の者ならば共住すべからず・亦親近せざれ、若し親近し共住せば即ち阿鼻地獄に趣かん」云云、栴檀の林に入りぬれば・たをらざるに其身に薫ず、誹謗の者に親近すれば・所修の善根・悉く滅して倶に地獄に堕落せん、故に弘決の四に云く「若し人・本・悪無けれども、悪人に親近すれば後に必ず悪人と成りて、悪名・天下に遍し」
【 謗法の日顕宗に供養すれば無限大城に堕しますよ 】
教機時国抄 弘長二年二月十日 四十一歳御作
439
法華経を謗ぜん者をば、正・像・末の三時に亘りて、持戒の者をも・無戒の者をも・破戒の者をも・共に供養すべからず、供養せば必ず国に三災七難起り、供養せし者も必ず無間大城に堕すべきなり、
【 仏法を行じても日顕宗では心が曲がりますよ 】
三沢抄 /建治四年二月 五十七歳御作 与三沢小次郎
1487
仏法をばがくすれども、或は我が心のをろかなるにより・或はたとひ・智慧はかしこきやうなれども・師によりて我が心のまがるをしらず、仏教を・なをしくならひうる事かたし
【 日顕宗こそ、仏教をもって仏教を失っています 】
題目弥陀名号勝劣事 115
仏教をもつて・仏教を失ふこそ、失ふ人も失ふとも思はず、只・善を修すると打ち思うて、又そばの人も善と打ち思うてある程に、思はざる外に・悪道に堕つる事の出来候なり
【 日顕宗に功徳の現証がある?そんなの邪教の悪現証と同じです 】
@ 報恩抄 建治二年[太歳丙子]七月二十一日 之を記す 319
古の人人も・不可思議の徳ありしかども、仏法の邪正は其にはよらず、外道が或は恒河を耳に十二年留め・或は大海をすひほし・或は日月を手ににぎり・或は釈子を牛羊となしなんどせしかども・いよいよ大慢を・をこして生死の業とこそなりしか、此れをば天台云く「名利を邀め見愛を増す」とこそ釈せられて候へ、光宅が忽に雨を下し・須臾に花をさかせしをも妙楽は「感応・此の如くなれども猶・理に称わず」とこそかかれて候へ、されば天台大師の法華経をよみて「須臾に甘雨を下せ」、伝教大師の三日が内に甘露の雨をふらしておはせしも・其をもつて仏意に叶うとはをほせられず、弘法大師いかなる徳ましますとも・法華経を戯論の法と定め・釈迦仏を無明の辺域とかかせ給へる御ふでは・智慧かしこからん人は用ゆべからず、いかにいわうや・上にあげられて候徳どもは不審ある事なり
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211.待ちくたびれた日暮れ道
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 17時57分
上代の文献から拝察すれば「本門戒壇の大御本尊」
は真っ赤な
偽物になりますが!
コピペなどせずに早く出てきて客観的に証明してください。
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210.日蓮大聖人様から見ればニセ本尊
名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 17時53分
日蓮消宗・大石寺の「板本尊」は
「仏滅後二千二百二十余年之間、一閻浮提之内未曾有之大曼陀羅也」
三師御伝土代 第四世日道上人仰せに曰く、
「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云云、」
日蓮消宗・大石寺の「本門戒壇の大御本尊」 は罪を無間に開く本尊と言われていますよ!
困ったな坊や、どうしますか?
また煙に巻きますか?
本尊三度相伝
「仏滅後二千二百三十余年の間一閻浮提の内未曽有の大漫荼羅なり、」
重須学頭日順上人
「仏滅後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大漫荼羅」
御本尊七箇相承、
「一、仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり。」
五人所破抄見聞
「仏滅度後二千二百三十余年の間一閻浮提の内未曾有の大漫荼羅と遊ばす也、」
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209.タヌキの首は皮一枚
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 17時13分
>この上記の御本尊で御真筆御本尊様は全てであると、その他にあらせられないと、どうして言えるのか、証明せよ。
「立正安国会 大聖人真筆本尊」は鑑定済みの真筆なのです。
まして日蓮大聖人、日興上人は「彫刻本尊」を顕されていないのが
史実なのです。
これは変えようがありません。
創作本尊「本門戒壇の大御本尊」 を【放射性炭素年代測定法】で
鑑定してみますか?
一発でわかります、人を騙し続けるためにはそのようなことをすれば、
日蓮消宗は完全に消滅します。
おもしろいだろうね!
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208.タヌキがまた騙した、困ったな!
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 16時53分
>「奉書写之」 と御認めの「之」とはまさに「弘安二年十月十二日の戒壇の大御本尊様」の御ことである。
「御本尊七箇相承」には、
「仏滅度後二千二百三十余年の間、一閻浮提の内未曾有の大曼陀羅なりと遊ばさ
るる侭、書写し奉るこそ御本尊書写にてあらめ、之れを略し奉る事大僻見不相伝
の至極なり。」「日蓮正宗聖典」三七九頁
とあり、
「本門戒壇の大御本尊」 には
「仏滅後二千二百二十余年之間、一閻浮提之内未曾有之大曼陀羅也」とあるのは、
「彫刻本尊」自体が「法門相承」の書き方ではない決定的証拠なのです。
寛師書写本尊には『二千二百三十余年』となっており
「御本尊七箇相承」の通り書写されている。
寛師書写本尊と「彫刻本尊」とは違いますよ、
よくお確かめになって、お書き願います。
――――――――――――――――――――――
207.迷妄深き、性格暗曲、前世極悪、来生悶絶 の貴公の悪果報
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月29日(日) 16時35分
▼下記はすべて真筆です、宗祖はこれ以外に本尊を顕されていません。
大石寺で言う「本門戒壇の大御本尊」はどれですか?
図顕日付 通称/授与
弘安2年2月 日 妙心
弘安2年2月 日 釈子 日目
弘安2年4月8日 日向法師
弘安2年4月8日 優婆塞日田
弘安2年4月 日 比丘日弁
弘安2年6月 日 比丘尼日符
弘安2年7月 日 沙門日法
弘安2年9月 日 日仰優婆塞
弘安2年10月 日 沙弥日徳
弘安2年11月 日 優婆塞日安
弘安2年11月 日
弘安2年11月 日 沙門日永
弘安2年11月 日 優婆塞日久
●この上記の御本尊で御真筆御本尊様は全てであると、その他にあらせられないと、どうして言えるのか、証明せよ。
この表記は「宗教法人 立正安国会」が知り得る「大聖人様御真筆御本尊」の例示であって、世に存在する(或いは存在した)全ての御真筆御本尊のことを完全に網羅しているという訳ではない。
大石寺の「戒壇の大御本尊様」は大石寺に秘蔵されている秘法であるから、邪宗の宗教団体である「立正安国会」の知るところにない秘仏であられる。
が故に、上記の一覧表にないのは当然過ぎるほど当然の理である。
こういう理が解らない迷妄深き、性格暗曲、前世極悪、来生悶絶 の貴公の悪果報を更に勉強しようではないか。
■「不信とは疑惑なり、疑惑を根本無明と云ふなり。」
――――――――――――――――――――――
206.薄汚れた謗法根性腐敗の貴公
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月29日(日) 16時19分
▼D 寛師書写本尊は「本門戒壇の大御本尊」であるのか?
(全て「戒壇の大御本尊様」を書写されている?)
●間違いなくそうである。
「奉書写之」 と御認めの「之」とはまさに「弘安二年十月十二日の戒壇の大御本尊様」の御ことである。
もし、そうでないというのならば、この「之」とは何を指すのか明証せよ。
御本尊御書写の立場でもない、薄汚れた謗法根性腐敗の貴公が、御本尊様の御事をどう反証するのか見ものである。
貴殿のような腐り果てた謗法者について更に更に御文を拝そう。
■「此の経文は謗法不信の関鑰を却けて己心の仏を開くと云ふ事なり。」
――――――――――――――――――――――
205.アホへ
名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 16時16分
>(日顕は偽法主?)
勿論真正且つ神聖であらせられる。
「板本尊」を証明するところに、パイプカットの蛇カンチョが
出てきたらおかしいだろ?
タヌキは人を騙すと言うが、君は煙で巻こうとしているのか?
キツネはどちらに行ったのか?
――――――――――――――――――――――
204.おい、去年の暦の黒タヌキ
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 16時12分
>B「日興跡条々の事」は本物か?
真正の文証である。
もしそうでないというのならば、明確に証明して見せよ。
お前アホだろ!
証明するのはお前の役目なの。
日蓮正宗宗規に三祖日目上人と書かれているだろうが?
何によって相承されたのか?
「日興跡条々の事」ではないのか?
「第二条 に宗祖の血脈を相承して三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次に伝えて現法主に至る。」
だからそれを客観的に証明しなさいと、
タヌキの口から真正の文証と言われても、誰も信じませんよ。
日蓮大聖人入滅194年後に世に登場し、相承とやらの内容を掌握している大石寺貫首が、400年かけて出した文面が全て違っている。なぜでしょう?
近代に至り、大石寺貫首等が「本書、下書きが有るんだ」などと言いだした。指摘、 批判され、その後に出てくる「本書、下書き説」とは?
過去に公開した歴代貫首は「本書、下書き説」など一言もせず。それが正しかったら、なぜ言わなかったのか?
それ自体が「本書、下書きの存在など無かった」ことの証明といえる。
真偽を追求されて出てきた「本書、下書き説」こそ辻褄合わせが、ばればれだ。
それじゃぁ、タヌキ君に質問です。
1476年に世に出現した最古の文献
「日興跡条々の事」にはなんと記されているのか?
それを提示しなさい。
――――――――――――――――――――――
203.詐侮を生業にする極悪誹謗者には、最早多言は無用である。
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月29日(日) 16時8分
▼C「金口嫡嫡唯授一人血脈相承」は本物か?
(日顕は偽法主?)
●勿論真正且つ神聖であらせられる。
そうでないというのならば、明確に証明して見せよ。
詐侮を生業にする極悪誹謗者には、最早多言は無用である。
貴殿らの行く末を更に御文に拝そう。
■「御義口伝に云はく、酒とは無明なり。無明は謗法なり。臥とは謗法の家に生まるゝ事なり。三千塵点の当初に悪縁の酒を呑みて五道六道に酔ひ廻りて今謗法の家に臥したり。酔とは不信なり、」
――――――――――――――――――――――
202.前言を簡単に翻す無節操な長野の珍タヌキ!
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 15時58分
>百六箇抄を弘安三年一月に系けるには疑点があると思う。したがって百六箇抄は後加分を切離し無年号として弘安五年十月八日以後に置くべきであろう。
嘘つくなよ、このタコは
○波木井殿御報(大聖人御書全集一三七六頁)
「みちのほどべち事候はで・いけがみまでつきて候、みちの間・山と申しかわと申しそこばく大事にて候いけるを・きうだちにす護せられまいらせ候いて難もなくこれまで・つきて候事をそれ入り候ながら悦び存し候、さては・やがてかへりまいり候はんずる道にて候へども所らうのみにて候へば不ぢやうなる事も候はんずらん。さりながらも日本国にそこばくもてあつかうて候みを九年まで御きえ候いぬる御心ざし申すばかりなく候へばいづくにて死に候ともはかをばみのぶさわにせさせ候べく候。又くりかげの御馬はあまりをもしろくをぼへ候程に・いつまでもうしなふまじく候、ひたちのゆへひかせ候はんと思い候が…」
九月一九日 日蓮
進上 波木井殿御報
所らうのあひだはんぎやうをくはへず候事恐れ入り候。
(弘安五年九月十九日 御年六十一歳)(一二八二年)
◎弘安五年九月十八日に池上に到着なされ、その翌日、九月十九日に波木井実長に出されたお手紙である。
お前また死んだな!
これで何回目だ?
チコウヨレ、クルシュウナイ
ρ(⌒◇⌒)ノ ρ(⌒◇⌒)ノ
――――――――――――――――――――――
201.不信の者には授けざるなり、又之を受けざるなり。
名前: 樋田 昌志 日付:5月29日(日) 15時57分
▼B「日興跡条々の事」は本物か?
●真正の文証である。
もしそうでないというのならば、明確に証明して見せよ。
出来ない癖に、醜怪な邪難ばかりをしている者どもに対しての大聖人様の御教えを更に拝そう。
■「記とは南無妙法蓮華経なり、授とは日本国の一切衆生なり。不信の者には授けざるなり、又之を受けざるなり。」
――――――――――――――――――――――
200.貴殿は心根の奥深くを臭糞のヘドロの如くに汚染されている状態である。
名前: 樋田 昌志 日付:5月29日(日) 15時52分
▼A「二箇相承」は本物か?
●真正であられる。そうでないというのなら、二箇相承がなかったということを証明して見せよ。
貴公は最早、まともな正しい道理が理解できないほど、ニセ本尊の猛毒、及び 三宝誹謗の醜毒が脳内を巡り、心根の奥深くを臭糞のヘドロの如くに汚染されている状態である。
そういう、不信者についての、大聖人様の御教示をお互いに更に仰ごうではないか。
■「日蓮は父の如し。法華不信の失に依り無間大城に堕ちて返って日蓮を恨みん。」
――――――――――――――――――――――
199.ちょっとみんな訊いたぁ〜〜〜!
タヌキさんが、さあ〜〜〜。
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 15時46分
>●真正の御本尊様である。
だから証明しなさいと言っているだろうが、本当にバカだよ!
反論不可能と見るや(「百六箇抄」)前言を翻す長野のタヌキ!
しかしみっともないね、これが論客とは?
日蓮一期弘法
白蓮阿闍梨
日興付嘱之
可為本門弘
通大導師也
国主被立此法
者 富士山
本門寺戒壇
可被建立也
可待於時耳
事戒法謂
是也就中
我門弟等
可守此状
也
弘安五年壬午
九月 日
日 蓮 花 押
血脈次第 日蓮 日興
@坊や、日付が入っていないよね、
相承書と言ってもさぁ〜、遺言状だよこれは。
公文書・普通の領収書でも日付なき物は無効ですよ。
後になって書き記すのは嘘です、常識的に考えなさい。
「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。」
日興上人が「富士一跡門徒存知事」にこのように記されている。
「一、本門寺を建つべき在所の事。五人一同に云く、彼の天台・伝教は存生に之を用いらるるの間・直ちに寺塔を立てたもう。所謂大唐の天台山・本朝の比叡山是れなり。而るに彼の本門寺に於ては先師・何れの国・何れの所とも之を定め置かれず、と。」
先師・何れの国・何れの所とも之を定め置かれず、と
日蓮大聖人は定められていないと言われている、
矛盾すだろうが?
おい、嘘つきよ
「板本尊」を早く証明しろ。
――――――――――――――――――――――
198.■「不信は堕獄の因なり。」よくよく心すべきである。
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月29日(日) 15時34分
●>日寛上人が「戒壇の大御本尊様」を書写された
▼一つ追加ですか?
@「弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊」は本物か偽物か?
●真正の御本尊様である。今まで縷々理を尽くして証明しつくしている。
貴殿が暗愚・愚鈍・低脳・不信謗法・根性醜悪・性格歪曲・などなどにより理解できないだけであり、不信謗法の罪過を晒し、更に積み続けているだけのことである。
「偽物である」というのならば、その事自体を証明せよ。と何度も言っているが、貴公は耳を覆い、というより六根不浄で耳根が腐っていて正言が受容できないだけである。
■「一乗とは妙法蓮華経なり。不信の故に三悪道に堕すべきなり。」
■「一念三千も信の一字より起こり、三世諸仏の成道も信の一字より起こるなり。此の信の字は元品の無明を切る所の利剣なり。其の故は、信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり。解とは智慧の異名なり。信は価の如く解は宝の如し。三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり。智慧とは南無妙法蓮華経なり。信は智慧の因にして名字即なり。信の外に解無く、解の外に信無し。信の一字を以て妙覚の種子と定めたり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり。信は智慧の種なり、不信は堕獄の因なり。」
■「不信は堕獄の因なり。」よくよく心すべきである。
――――――――――――――――――――――
197.ちょっとみんな訊いたぁ〜〜〜!
タヌキさんが、さあ〜〜〜。
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 15時26分
>百六箇抄を弘安三年一月に系けるには疑点があると思う。したがって百六箇抄は後加分を切離し無年号として弘安五年十月八日以後に置くべきであろう。
坊やの言い出しっぺだが、
これは日蓮正宗・大石寺の公式発言なのですか!
「百六箇抄」の年月日「弘安三年」をやめて「弘安五年十月八日以後」に。
阿部日顕カンチョが言われたのですか?
ちゃんと客観的資料に基づいて証明しなさい。
――――――――――――――――――――――
196.腹ボテのタヌキさん、
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 15時13分
「本門戒壇の大御本尊」 を証明するのに「百六箇抄」講義ですか?
だめだめ、それではこちらが抗議します。
貴殿が遁走してもうじき一ヶ月がになります。
早く証明しなさい、皆さんお待ちかねです。
日蓮正宗宗規 第二条に
弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、
とある。
何を根拠に言っているのか?
その文献を提示しなさい。
「本門戒壇の大御本尊」 すなわち「板本尊」を証明できてこそ、
「二箇相承」が脚光を浴びてくるものなのです。
その「板本尊」造立に当たり、日蓮大聖人が筆をとり認め、それを日法が謹刻したのですか?
その板は本当に鎌倉時代の楠木なのですか?
「二箇相承」が当然存在するのなら、六老僧、本弟子、新弟子、在家の文献が
必ず存在するし「本門戒壇の大御本尊」 のことが必ず記されているはずです。
なぜそれがないのか?
その文献を出してくださいと言っていますが無理なのでしょうか?
前にも記しましたが、大聖人が興師に授与された本尊は「万年救護本尊」だけです。
すべて紙幅ですよ、「彫刻本尊」が本物と言うのなら鑑定を受けましょう。
大石寺から「彫刻本尊」を遷座した時は10人ほどで担ぎ出していましたが、
いつ、原木の丸太を明星池から取り出して、何人の御弟子さんが、
雪の道のないところを運んだのでしょう。
原木の丸太は何年かけて乾燥させたのですか?
数年後にカットし、掘り下げ、漆を塗って、金箔を施す行程を、
わずか二十一日間で「彫刻本尊」をどのようにして作ったのか、
常識的に考えて矛盾するでしょうが。
客観的に証明しなさい。
――――――――――――――――――――――
195.一つ一つ、じっくりローラーで伸しますか。
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月29日(日) 15時5分
さて、愚問を偏執狂的に繰り返しているだけのようだから、じっくりいきますか。
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●>65日淳上人と3【池田指導】(百六箇抄講義)
▼何の意味もなさない。
全く証明にはなりません。
文献を出すのであれば上代にしなさい。
**********************************************************
なんで「何の意味もなさない」のかな?
仮に百億劫経っても無間地獄で喘いでいて、御相伝を受ける立場に成り得るはずもない、学会内でも“屑”扱いの貴殿らが、正嫡血統正しい日淳上人のお言葉に何を根拠にこういう偉そうな口をきけるのかな?
少しは自らの分を弁えたら如何か?
正しい三宝帰依による果報が全くないが故に、貴殿には、何度も同じ事を繰り返し教えて躾けないと解らないらしい。
■「軽慢止まざれば舌口中に爛る」
今にその口が爛れて使えなくなるぞ。
■「?を蔵して徳を揚げ自ら省みること能はず。是無慙の人なり。」
■「?を蔵して徳を揚ぐは上慢を釈す。自ら省みること能はざるは我慢を釈し、無慙の人とは不信を釈す。」
自らの分を弁えない上慢の貴公は成仏は思いの他、不信謗法の報いで永劫に三悪道に沈倫するだろう。よくよく慎みあるべし。
――――――――――――――――――――――
194.どうだい、コピーやってるかい。
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 15時2分
おいおい、三時間もすぎていので、返答不能と解釈した。
今度は誰の資料かな。
高橋粛道氏の日蓮正宗史の研究かな?
日興上人身延離山史かな?
日興上人御述作拝考 高橋粛道氏かな?
まあ、がんはりなさい。
もっとも、その本には「本門戒壇の大御本尊」の研究成果はないけどね。
そうそう、貴殿をドラえもんパパという人もいたよ。
にているかねぇ。
にてないよね、どこから見てもタヌキパパしか見えないもの。
――――――――――――――――――――――
193.あなぐらキツネに、逃げるタヌキ
名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 11時9分
>百六箇抄を弘安三年一月に系けるには疑点があると思う。したがって百六箇抄は後加分を切離し無年号として弘安五年十月八日以後に置くべきであろう。
坊や言い出しっぺ!
「百六箇抄」を「弘安三年」をやめて「弘安五年十月八日以後」に。
日蓮大聖人がそのように言われたのか?
客観的に証明しなさい。
墓穴掘るから質問が増えて仕方がないな?
ほれほれ、早くしなさい
見ている法華講さん達もタヌキの尻を蹴飛ばしてあげてください。
後一時間の間に回答しなさい。
「富士山本門寺戒壇可被建立也」(身延相承書)
邪宗日蓮正宗・大石寺にては「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」
とごまかして読んでいるが、このように読むためには「可被建立富士山本門寺戒壇也」でなければならないことは当然のことである。
「富士山本門寺戒壇可被建立也」 (身延相承書)
これをどのように読めば正しいのか?
――――――――――――――――――――――
192.これを答えたらどうだ! 逃げ回るな。
名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 11時2分
日蓮正宗宗規 第二条に
弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、
とある。
何を根拠に言っているのか?
その文献を提示しなさい。
「本門戒壇の大御本尊」 すなわち「板本尊」を証明できてこそ、
「二箇相承」が脚光を浴びてくるものなのです。
その「板本尊」造立に当たり、日蓮大聖人が筆をとり認め、それを日法が謹刻したのですか?
その板は本当に鎌倉時代の楠木なのですか?
「二箇相承」が当然存在するのなら、六老僧、本弟子、新弟子、在家の文献が
必ず存在するし「本門戒壇の大御本尊」 のことが記されているはずです。
なぜそれがないのか?
その文献を出してくださいと言っていますが無理なのでしょうか?
前にも記しましたが、大聖人が興師に授与された本尊は「万年救護本尊」だけです。
すべて紙幅ですよ、「彫刻本尊」が本物と言うのなら鑑定を受けましょう。
大石寺から「彫刻本尊」を遷座した時は10人ほどで担ぎ出していましたが、
いつ、原木の丸太を明星池から取り出して、何人の御弟子さんが、
雪の道のないところを運んだのでしょう。
原木の丸太は何年かけて乾燥させたのですか?
数年後にカットし、掘り下げ、漆を塗って、金箔を施す行程を、
わずか二十一日間で「彫刻本尊」をどのようにして作ったのか、
常識的に考えて矛盾するでしょうが。
客観的に証明しなさい。
――――――――――――――――――――――
191.タヌキ坊や!
名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 10時54分
コピペご苦労さん。
それで「板本尊」の証明は?
「二箇相承」の証明は出来たのですか?
推測、憶測だけでは意味がありません。
皆さんは真実を知りたいのです、嘘ごまかしはやめにしませんか?
「百六箇抄」云々にしても、君たちの相伝書ではないのだよ。
所詮ニセ物をニセ相伝書を持って証明するのがおかしな話ではないのか?
邪宗日蓮正宗・大石寺に相伝書は存在しません。
あるのは邪宗の相伝書だけです。
あるのなら証明しなさい。
「富士山本門寺戒壇可被建立也」(身延相承書)
邪宗日蓮正宗・大石寺にては「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」
とごまかして読んでいるが、このように読むためには「可被建立富士山本門寺戒壇也」でなければならないことは当然のことである。
「富士山本門寺戒壇可被建立也」 (身延相承書)
これをどのように読めば正しいのか?
タヌキ君やキツネ君に出来るのであれば、
書き記しなさい。
別段ハゲに訊いてもかまわんよ!
午前中までに回答しなさい。
――――――――――――――――――――――
190.ほらほら太字になるときは貴殿の「動揺」の表れですよ。合掌。
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月29日(日) 1時41分
『大日蓮』昭和33年2月1日発行「日亨上人奉悼特集」に、
「当時日蓮宗宗学全書が発刊されてゐたが『日蓮正宗部』『興門集』『興尊全集』は凡て堀猊下の手に依って完成されたものであって、このことは立正大学講堂にてその全書完成祝賀会の時、代表者富田海音、稻田海素の両氏は堀猊下の仏教学、宗学に対する学識は現代の一大権威であると称歎し万一堀猊下なかりせば、この宗学全書を完成することは、できなかったであろう」
と言われている。
この宗学全書は、資料を掲載するという意味で添削はされていない。(要集のように一本線二本線は無い)
大正14年6月15日に、この宗学全書18巻が完本になっている。(年表)
日亨上人は、大正14年10月9日から11月28日まで、立正大学特別講座日蓮正宗部を担任され講義をされている。(年表)
日亨上人は明治35年に、富士宗学全集134巻の編集に着手された。(年表)
仏教哲学大辞典の「富士宗学全集・要集」の項の
「全集」に、
「正傍反の三系を集録してあるゆえに、すべての資料がそのまま正しい宗義を伝えるものと誤解して用いることは、編者の意志に反することになる。」
「要集」の項に、
「正、傍二系のうちより重要なものを選んで抽出しこれに若干の研究注解を追加し、集録したもので十巻および索引一巻より成る。昭和十年全十巻が発刊され」
とある。
日亨上人、昭和11年1月19日、東京本行坊に『富士宗学要集』の講を始む。(年表)
日亨上人、昭和13年11月25日、「富士宗学全集」134巻完成(年表)
日亨上人、昭和14年10月31日、『富士宗学要集』10巻刊
「宗門古典 扱方諮問録」とは、上記の時系列の経緯を鑑みて現時で拝察した時、
昭和2年当時、「日蓮宗宗学全書」が既に発刊されており、添削訂正されていない箇所の誤解に対する対応に宗内有識学僧方に御意見を聞かれたと拝するのである。
更に詳述すれば、相伝書は追加される性質がある。
そのような性質を持つ、正宗のみに伝わる相伝書を、他門下との交流は大変まれだが、他宗に紹介するとき、日亨上人はこれから先のことを見越され、どこまでを基準とするか、どのように扱うべきか、ということを検討された記録が「宗門古典 扱方諮問録」であると拝するのである。
その結論として、富士宗学要集にも一重線はあるものの、それを是として掲載されていると言うことは、この昭和2年からの諮問を通じた結果であるといえよう。
また、学会版の御書全集にしても同じである。
さらに、破門後に出版された仏哲にも、百六箇抄は僞作であるなど書かれていない。
追記すれば、最終的に日亨上人が編者となった「百六箇抄」の「五行削除」の箇所も学会版御書に掲載されている。
この昭和2年7月の話し合い以降、どのような経過をたどったのか、明らかにされていないが、当然、この諮問も参考にされて編纂されたのが、富要集であり、御書全集である。
これを見れば、案件の会議でどんな意見が出ようが、それをもってこれは偽書であるとは言えない。
結論は富要集や全集に掲載されたとおり、五行削除も、題号の削除もない。
ちなみに、日蓮宗宗学全書にも以上二書と同文である。
以上詳細に貴殿らの謀難を摧破したが、こんな「学会公式見解」と違う事を縷々述べ立てた貴殿らの明日を今更ながら憂うものである。
合掌。
――――――――――――――――――――――
189.逃げ回るタヌキへ
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 1時13分
タヌキでは無理だと言っているだろうが!
>勝手に作文して「相承書の後加について真偽を判定した記録」などと浅識な頭で判断するな。
おまえのアホが勝手に作文をしているのだろが!
このバカが。
タヌキは「宗門古典 扱方諮問録」を持っていないし、見たこともない。
すでにバレバレ。
蛇日顕に訊いてごらん、知っているはず。
君の先輩に訊いても知らないよ、
はっきり言って無理です。
所詮アホしかそろっていないアホ華講。
何度記せばいいのか、アホはアホらしく
「百六箇抄」は日蓮正宗・大石寺の相伝書ではない。
邪宗の相承書である。
大石寺とどのような関係があるのか述べよ。
――――――――――――――――――――――
188.ここまできて、まだ実名を名乗れぬ、腰抜けで臆病で暗愚な「宿坊」達よ。
名前: 樋田 昌志 日付:5月29日(日) 0時57分
▼「宗門古典 扱方諮問録」
(相承書の後加について真偽を判定した記録)
〜〜「百六箇抄」はそもそも大石寺の文献ではない。
**********************************************************
について。
今回平成2年、学会問題が起って以降、2000年11月18日発行されている『仏教哲学大辞典』の「百六箇抄」の項に、「百六箇抄」が、貴殿の云う「▼全く使えません、おわかりかな坊や!」と書いてあるのか否や。
明確に返答せよ。出来まい。
貴殿如きの学会の“屑”には出来る訳がない。
何故なら、貴殿は学会内でも、“屑”扱いで、同会員からでさえも顰蹙されている「「行」無し“有解無信”の腐臭を放つ“腐れオタク”」とのレッテルを貼られている人物及びその周辺メンバーであるからである。
ああ、可愛そう。
貴殿の学会内での今後の扱いを慮ると、対戦相手ながら同情を禁じえない。
関係上部幹部に煽てられ、良い様に使い回されて、都合が悪くなると今に使い捨てられる、惨め哀れな、人望なき醜悪・面妖な“パソコンオタク”の末路は眼前にある。
よくよく自らの行く末を、熟慮・黙考すべきであろう。
【破折】
● 貴殿は、昭和27年4月28日発行以来「全く使え」ない御書「百六箇抄」を学んできたのか。
**********************************************************
▼ 「◎百六箇抄の部「具謄本種正法実義」より同五行削除。」
● と書かれている箇所が、学会版御書に削除されているか否や。
学会発行の『富士宗学要集』一巻P9の箇所を見よ。一本線で削除されずに学会版御書に掲載されているではないか。
**********************************************************
「▼「宗門古典 扱方諮問録」
(相承書の後加について真偽を判定した記録)」
● と貴殿は言っているが、カッコの文字は、「宗門古典 扱方諮問録」に書かれていない文字である。勝手に作文して「相承書の後加について真偽を判定した記録」などと浅識な頭で判断するな。
**********************************************************
▼ 昭和二年七月二十六日〜
● には、日亨上人が現御法主である。
「宗門古典 扱方諮問録」が問題あるものかどうかを、全文を公開せよ。
学会は偽造捏造を生業としている謀略団体である。
それは今項の前段を見れば、明々白々である。
幾ら、お得意の「切り文」で邪難を仕掛けてきても、既に見切っている。
**********************************************************
● 最近の貴会・学会は全く統一的な論法がない。
今回の疑難は、貴殿らのただ個人的な見解か?
それともこの“発言”は、創価学会の公式な考えなのか?
明確に返答せよ。
それによって、当方の対応も変化する。
重ねて詰問する。個人的意見なのか、公式教学的見解なのか、明確にせよ。
ついでに重ねて要求するが、実名を明かせ。
卑怯者。
学会員からも蔑まれているぞ。
――――――――――――――――――――――
187.妙観のキツネへ、たまには反論しな
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 0時48分
大石寺第九世日有上人の弟子日教によって、初めて「二箇相承」「本因妙抄」「百六箇抄」を大石寺にもたらしたのです。
それまで相伝書が大石寺に存在なんかしませんよ。
あるのなら証明をしてご覧なさい。
出来ないでしょ、当然です。
何から何まですべて盗んできたのですから。
――――――――――――――――――――――
186.タヌキに質問
名前:宿坊 日付:5月29日(日) 0時23分
「富士山本門寺戒壇可被建立也」(身延相承書)
邪宗日蓮正宗・大石寺にては「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」
とごまかして読んでいるが、このように読むためには「可被建立富士山本門寺戒壇也」でなければならないことは当然のことである。
「富士山本門寺戒壇可被建立也」 (身延相承書)
これをどのように読めば正しいのか?
タヌキ君やキツネ君に出来るのであれば、
書き記しなさい。
別段ハゲに訊いてもかまわんよ!
明日の午前中までに回答しなさい。
――――――――――――――――――――――
185.「ズバリ証明」に入れないタヌキさん
名前:宿坊 ?? 日付:5月28日(土) 22時13分
>百六箇抄の写本には系年の無いものと、有るものとがあるが、この書を弘安三年一月に系けると「就中定六人遺弟」の時期と、三大秘法抄の「最勝の地を尋ねて」の文に矛盾が出てくる。このような矛盾のある百六箇抄を弘安三年一月に系けるには疑点があると思う。したがって百六箇抄は後加分を切離し無年号として弘安五年十月八日以後に置くべきであろう。
あらららら、舌の根も乾かないうちに日顕と同じ蛇の「二枚舌」
いや、それを上回る「三枚舌」だよね。
では貴殿の駄文を再掲してみよう。
>もしかして本当に ○゙か か?
しかもこの箇所は日亨上人仰せの、後加文であるが、「義に於いて支吾(枝×梧=逆らうこと。食い違うこと。)なき所」である「一線」のみである。
後加文であるが故に、「六人の遣弟を定むる表事は、先々に沙汰するが如し」との御記述があっても何等不思議でもなければ、時系列的にも矛盾はしない。
坊やの言う「「六人の遣弟を定むる表事は」とは「六老僧」の事なのだよ。
おまけに何等不思議でもなければ、時系列的にも矛盾はしないと、
言い切っていたのにこれを覆す、
すでに何回も注意しているはずです。
これは大石寺の資料でもなく、君たちが言うところの
「邪宗」の相伝書なのです、なぜそれを盗み入れて自宗の相伝書として
騙して使うのか?
日蓮正宗・大石寺において「宗門古典 扱方諮問録」
(相承書の後加について真偽を判定した記録)に
◎百六箇抄の部
「具謄本種正法実義」より同五行削除。
となっており偽書扱いであることは、前述に無知な貴君に教えました。
もういい加減にあきらめなさい。
◎ 要法寺・日辰「辰春問答」(富要 6-42 )
興上本因妙抄・百六箇両巻の血脈書を以て日尊に付属すと云ふ事・西山・重須・大石諍ひ無し
◎ 日辰 「祖師伝」(富要 5-42 )
然るに日興一百六箇の本迹血脈書を以て日尊に付属して云はく。
◎ 「百六箇抄」文中に、
三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり。上行院は祖師堂云云弘通所は総じて院号なるべし云云(富要 1-18 )
何れの在処為りとも多宝富士山本門寺上行院と号す可き者なり P22
然る間・玉野太夫法印は王城の開山日目弘通の尊高なり、花洛並に所々に上行院建立有り云云、仍て之を授与するのみ。
正和元年壬子十月十三日 日興日尊に之を示す
康永元年壬午十月十三日 日尊・日大日頼に之を示す P24〜25
これが大石寺と何の関係があるのか証明しなさい。
この泥棒タヌキが!
とっとと出て行け!
――――――――――――――――――――――
184.逃げ足の早い、コピー魔のトヨダくんへ
名前:宿坊 ?? 日付:5月28日(土) 21時50分
この「板本尊」を証明できずにガタガタ言うんじゃないの!
偽書である「二箇相承」を簡単に破折するのには興師記述「宗祖御遷化記録」です。
偽書写本「二箇相承」と真筆「宗祖御遷化記録」の対比
9月 日 「身延相承書」 日興上人=本門弘通の大導師
10月8日 「宗祖御遷化記録」・弟子六人の事不次第=六老僧は対等
10月13日 「池上相承書」
日興上人に釈尊五十年の説法を相承
10月13日 入滅
10月16日 「弟子六人の事不次第」の「宗祖御遷化記録」を日興上人が記述
日蓮大聖人は9月 日に日興上人を「本門弘通の大導師」として、特定の一人だけを次の導師にしたのに、10月8日には六老僧選定で「弟子六人の事不次第=序列なし・地位平等」として事実上、それを取り消す。
しかし13日に気が変わり? 再度、日興上人にのみ「釈尊五十年の説法を相承」する?
そして16日には、全てを附属されたはずの日興上人御自ら認められ
「弟子六人の事不次第」と記されている。
興師記述真跡「宗祖御遷化記録」に矛盾する故に、偽書「二箇相承」の存在は危ういものとなる。
偽書写本の不審書と真筆正文書のどちらを採否するかは自ずと明瞭だと思います。
皆さんどう思われますか?
――――――――――――――――――――――
183.三週間たったも「板本尊」を証明できない、タヌキ
名前:宿坊 ?? 日付:5月28日(土) 21時45分
タヌキさんよ、人を騙したらあかん。
「本門戒壇の大御本尊」 すなわち「板本尊」を証明できてこそ、
「二箇相承」が脚光を浴びてくるものなのです。
その「板本尊」造立に当たり、日蓮大聖人が筆をとり認め、それを日法が謹刻したのですか?
その板は本当に鎌倉時代の楠木なのですか?
「二箇相承」が当然存在するのなら、六老僧、本弟子、新弟子、在家の文献が
必ず存在するし「本門戒壇の大御本尊」 のことが記されているはずです。
なぜそれがないのか?
その文献を出してくださいと言っていますが無理なのでしょうか?
前にも記しましたが、大聖人が興師に授与された本尊は「万年救護本尊」だけです。
すべて紙幅ですよ、「彫刻本尊」が本物と言うのなら鑑定を受けましょう。
大石寺から「彫刻本尊」を遷座した時は10人ほどで担ぎ出していましたが、
いつ、原木の丸太を明星池から取り出して、何人の御弟子さんが、
雪の道のないところを運んだのでしょう。
原木の丸太は何年かけて乾燥させたのですか?
数年後にカットし、掘り下げ、漆を塗って、金箔を施す行程を、
わずか二十一日間で「彫刻本尊」をどのようにして作ったのか、
常識的に考えて矛盾するでしょうが。
客観的に証明しなさい。
――――――――――――――――――――――
182.二箇相承、日付けの異同についての御高察
名前: 樋田 昌志 日付:5月28日(土) 21時4分
四、結論
古来身延相承書は、その日附について九月十二日と、十月十三日の二説があるが、九月八日身延御出立であるから本文は山中で、日附は出立後書き入れられたものであろうということが考えられるのである。
九月十二日と十月十三日の両説については、最古の文献である日眼の五人所破抄見聞の十二日を用いるのが隠当ではなかろうか。
このように考えて身延相承は弘安五年九月十二日とすれば「甲州波木井山中圖之」の文字は、末だ波木井山中を出ない時期に本書を認められたことを意味する文であり、この九字は当然身延相承に書き添えられるのが妥當であると思うのである。
一期弘法書は既に論を重ねて来た如くであって、十月十三日御入滅の日であることは動かせないと思う。
五、後記
親本を誤りなく書写することは実に難しい。日耀(日辰本)に「身延山」を「身遠山」と書いているのは恐らく書写の際の誤りであろう。それは日耀以前の写本全部が「身延山」となっているからである。
このことについて日辰は「身延山抄見聞」の中に「身延山一書(に)身遠山(に)作玉(ヘリ)定(テ)有(二)意趣(一)か」と書いている。
一書とは或書と取るべきか、若し伝承本三本(大石寺・重須・小泉)の中の一書と解釈すれば、重須本か小泉本の何れかである。
伝承本三本共に「遠」であれば一書と書くかどうか、恐らくは書かないものと思う。そうすれば伝承本三本の中の一本が「遠」で、二本が「延」であれば「遠」は誤りであると見てよいだろう。
この日辰の記を見れば、重須本が「遠」であったのであろうということも一往は考えられるが、これは日耀が写し誤ったのではなかろうか、何故ならば、日廣(十六代)と日辰(十九代)の写本は約九十年の隔りはあるが、同じ重須本を見て書写しているのである。にもかかわらず日廣本は「延」となっているからである。
又、日廣本は要山所蔵で其の全形は見られないが、多宝蔵の大遠日是の転写本は、「延」となっているし、富谷日震が日耀本の「遠」の字を取り上げて論考しているが、日廣本には何も触れていない。
したがって、比の点から考察しても重須本は「延」であったのだろうということは推定できる。
身延山が身遠山となっていても(「遠」の)←(※おそらく誤植か)身延山と身遠山の「延」と「遠」とは、その字義は研究を試みても全く会通がつかない。
日辰も一往は考えたのであろうが「身延山一書身遠山作玉定有(二)深意(一)か」と書いているだけであって、これでは遠の字に対する深意ある明解とは云えない。
富谷日震も此の問題を取り上げてはいるが確たる結論も出ていない。して見れば御正本は「延」であり「遠」は間違いということになる。
尚現行の御書全集(※学会版のこと)等には身延相承書(大石寺系のみ収録)が十月となり、一期弘法書が九月となっているのは、各山互に壁を高くして、同門内の者にも相承書の如き重宝を拝観させることをしなかった封建的な時代に、唯だ日辰のみが、正本として伝承する重須本を書写せしめて世に開版したので、一躍日耀書写の二箇相承(世に日辰本という)が余りにも有名になり、各門流挙って日耀本を取り上げたためであろう。
富谷日震も「此の一期弘法抄が坊間に喧伝公開されたのは我中興日辰上人に濫觴するか」と迄述べている(講習録ニー九)
いづれにせよ日附の異りに古来異義のなかったことは不思議であるが、これは大石寺が宗祖大聖人の正義を厳護し来って他山に迎合せず、近来迄御書・相伝書・古文書等の重宝は堅く秘蔵して公開せず、又他山に於ては二箇相承の如きものは、つとめて敬遠していたからであろう。
唯だ多くの写本の中で、当山十四世日主上人の写本のみが日附は日耀本と同じではあるが、身延相承を先に、一期弘法書を後に次第してお書きになっておられるのは、其処に意を留められ疑問をお持ちになっておられたのではなかろうかと拝察するのである。
いずれにしても、二箇相承は古来、日附について異同があること、又真蹟が紛失したと云われてから三十年後に真蹟を拝したという記録があること、又二系統の二書の文字に余りにも多くの異同があること等を考えれば、この問題は今後の研究に俟つところが多分にあると思うのである。
(昭和五十三年六月二十三日稿)
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181.二箇相承、御正本の本来のお姿。
名前: 樋田 昌志 日付:5月28日(土) 20時49分
三、日興上人阿闍梨号授与の時期からの考察
左京日数の類衆翰集私と六人立義破立抄私記の中に引用する身延相承は共に「白蓮日興」となってをり、一期弘法書は「白蓮阿闍梨日興」となっている。
これに対して日現・日耀本は両書共に「白蓮阿闍梨日興」となっている。
大聖人の門下の阿闍梨号には、大聖人から授与されたものと、門下に入った時既に阿闍梨号をもっていたものとの二た通りがある。
弁阿闍梨 (文永十一、異体同心事 新定ニー二二三二)
大進阿闍梨 (文永 八、五人土龍御書 新定一−七二〇)
大和阿闍梨 (文永十一、法華行者値難事 新定ニー一〇五五)
助阿闍梨 (文永十二、新尼御前書 新定ニー二三四)
大貳のあさり(弘安元、兵衛志書 新定ニー一八二八)
は後者に属し、日興上人・日持・日朗は、大聖人から授与されているが、中でも日興上人は最も晩年に授与されている。
そこで日興上人への阿闍梨号授与の時期を二箇相承以外の文献から判定して、そこから立返って二箇相承の次第を考察してみることにする。
(※1)最も早い時期では、弘安三年正月十一日の百六箇抄で、その末文に「白蓮阿闍梨」の名が見えるが、同文の中に
「就(レ)中定(二)六人遺第(※弟の誤記か)表示如(二)先々沙汰(一)」と書かれている。(聖三七〇)
而るに六人の弟子を定めたのは弘安五年十月八日(御遷化記録中文、聖五八一)であるから、この百六箇抄は、それより以後ということでなければならないということになる。
ところが百六箇抄のこの「就中定六人」より下文は後加文であるというから、もともと百六箇抄に付いていなかったものとすれば、此の百六箇抄の系年は再検の余地がある。
今一つは、百六箇抄の下種本迹勝劣四十三条に「三箇の秘法建立の勝地は富士山」云云(聖三六七)と、最勝の地を富士山と指定してされている。にもかかわらず、弘安五年四月八日の三大秘法抄に「最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か」(聖三〇二)と仰せられて、未だ富士山とは明示されていない。
百六箇抄の写本には系年の無いものと、有るものとがあるが、この書を弘安三年一月に系けると「就中定六人遺弟」の時期と、三大秘法抄の「最勝の地を尋ねて」の文に矛盾が出てくる。このような矛盾のある百六箇抄を弘安三年一月に系けるには疑点があると思う。したがって百六箇抄は後加分を切離し無年号として弘安五年十月八日以後に置くべきであろう。
故に弘安三年一月に日興上人の阿闍梨号を初見とすることはできないので、この時期は問題外となる。(※2)
(※ 宿坊らがこの ※1〜※2にかけて噛み付いて来るだろうが、当方ではこの問題は完全に解決済みである。どのような陳腐な疑難を吐き垂れて来るのか見届けてから完砕しよう。)
次に「五大のもとへ御書」である。此の書の中に伯耆阿闍梨の名があるが、此の書は系年不明である。晩年の御筆法であるが、書中の伯耆阿闍梨は白蓮阿日興上人を指しているのかどうか、文の内容から考えて決定し難い、或は同名異人説も考えられる。
次に弘安五年二月二十五日日朗代筆の伯耆公御房御消息(新定三−二二七六)では「はわき公御房」となっているから、それ迄は房号を用いていたのであろうということが考えられるので阿闍梨号授与の時期は弘安五年二月二十五日以後ということになる。
したがって此処ではっきりするのは、御遷化記録中の文の弘安五年十月八日に「白蓮阿闍梨日興」(定弟子六人之事中)とあるのが明白な初見ということになる。故に日興上人への阿闍梨号授与の時期は文献上に見るかぎり御入滅五日前の十月八日であると見るのが正しいと思うのである。
故に異日二箇相承の中で、身延相承は未だ阿号の授与されていない時の弘安五年九月付で阿闍梨の文字のないもの、又一期弘法書は弘安五年十月八日阿号授与以後である十月十三日の阿闍梨の文字が付されているものが正本の形を留めるものであり、正しい両書の順序を示す写本でああるということが考えられるのである。
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180.貴殿らの卑劣さはまだまだ続いている。正に「人の皮を被った畜生」である。
名前: 樋田 昌志 日付:5月28日(土) 20時35分
▼坊や、正筆に非ず偽書謀判也と言っていますよ!
よく読みなさい。」
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● さあ、ここも貴殿の悪辣な、嘘つき、不誠実 且つ 不正直、の腐った根性が更に露見した箇所であり、ニセ本尊を拝んでいると、まさにこのように愚悪・愚劣・卑劣な変節漢と成り果てるという現証を目の当たりに見聞できて、全国の法華講員・学会員双方にとって、貴重な資料となった。ありがとう。
今後もこの調子でこのような俗悪な「切り文によるスリカエ」を連発してこのスレッドを賑わして下さい。
では、範道師の既戴の論文の以下の部分を掲載させて頂き、まず宿坊氏らの欺瞞を暴き、更には今後の二箇相承に対する疑難への破折の手引きとさせて頂きたい。
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さて重須本のことであるが、日廣や日耀が写したものや、駿府城に奉持したという重須の伝承本は正本ではなくて、花押迄模写したところの古写本であったのではと思うのである。これは次のことから推定できる。
▼▼▼即ち越後本成寺の日現は「五人所破抄斥」の中に二箇相承を挙げて次のように書いてある。
「日現申す、前の御相承(九月十三日)は身延相承、後は(十月十三日)池上相承と云云。御判形現形也。
されども一向御正筆に非ず偽書謀判也。又日興の手跡にもあらず、蔵人阿日代と云う人の筆に似たりと承り及也」(宗全七−一八二)▼▼▼
(↑ここが今回の宿坊氏らの引用箇所。
前段から読めば明白であるが、ここの意は「重須の伝承本は正本ではなかったのではないか?というという仮説に対しての傍証としての文献を例示したまでのことである。
決して範道師が「二箇相承の御正本がかつて存在していた。」という事実を否定しているのではない、と言うことは、高校生レベルの読解力があれば容易に理解できるところである。
宿坊氏らはニセ本尊の猛毒によって、おそらく、高校生程度の知能をも失ってしまったのであろう。真に哀れむべき生き物たちである。)
これでは日現は何処にあったものを書写したものか、又何処から「日代筆に似たり」と云うことを聞いたのかはわからないが、他門には早くからこのような云い伝えがあったのだろうということは考えられるのである。
越後本成寺は門祖に日朗を立てて日現は八代となっている。不思議なことに、西山本門寺十一代日心の頃の過去帳に、本成寺九代目覚の序文が載っている。
西山本門寺と越後本成寺との関係は研究の余地はあるが、何れにせよ古くから両寺の交流のあったことは認めてよいと思う。
とすれば、日現の「重須の二箇相承は日代筆に似ている」という説は、直接西山本門寺から本成寺への流言であると受けとれば、この聞き伝えは真実性が出てくる。
次に西山本門寺蔵の日耀写本(世に日辰本と云う)は臨写本であると云い伝えられているが、古文の書写の方法には四種類ある。
即ち、双鉤?墨と影写・臨写・見取書きである。このうち臨写法というのは、親本を横に置いて、これを見ながら、親本の書体、字配り、行数等を出来るだけ忠実に写し取る方法で一般には模写とも云われている。
故に臨写本というのは行数や字配り、筆法が親本(真書)に良く似ていなければならない。然し乍ら、正本を臨写したという西山蔵の日耀本は、その筆法を校合してみるに、大聖人の御筆法に似た点がないということである。
したがって日耀が親本とした重須本は大聖人の真蹟ではなかったということが考えられる。
西山本門寺と本成寺の関係や日現の記文等を考え合わせてみるに、重須所蔵(曽存)の二箇相承は日代筆写のものであったのではなかろうかと推定されるのである。
日代は聖滅十三年に出生して、開山上人に常随している。日代筆写の二箇相承であれば先づ門下最古の全文写しの写本であると見て良いだろう、したがって重須では之を重宝中の重宝として取り扱い、正本であると誇示し伝承するぐらいの価値は充分であると思うのである。
さて両系の選択であるが、端的に云えは、一期弘法書が九月となっている重須・要山の一系統に対し、十月十三日となっているのは大石寺(日教)と別系(日現)の二系統があるということは、先述の文献的考察からみれば同一のものが二系統あるものの方が有力となると考えるのであって、身延相承書は九月、一期弘法書は十月となっているのを正統なものとして取り上げて良いと思うのである。
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179.キツネやタヌキ
名前:宿坊 ?? 日付:5月28日(土) 17時0分
最近妙観講のキツネが出てこないな!
何処をほっつき回っているのか!
早く出てきて、「彫刻本尊」を客観的に証明しなさい。
タヌキは悲鳴を上げているぞ!
『日蓮正宗史の基礎的研究 故山口範道御尊師』が
日頂の「本尊抄得意抄添書」に「二箇相承書」の記述があるのだと
言ったところで、
日頂自身がそもそも存在しない「二箇相承」を見ることはありえません。
歴史舞台に現れる順番が大切なのです、
本尊抄得意抄副書が「二箇相承」以前に書かれていて、その時点で「二箇相承」の
記述がなければ、本尊抄得意抄副書をモデルに、「二箇相承」を創作した。
本尊抄得意抄副書は日蓮宗宗学全書でも偽書扱い。
君たちは証明もできず、
大石寺という日蓮系一寺院だけの
「自主申告・出世の本懐本尊」となるのだよ。
わらぶき正宗に「戒壇の大御本尊」・「二箇相承」・「日興跡条々の事」
日目から日道に金口嫡嫡唯授一人血脈相承なんて、
あるわけ無いだろ、坊や。
日顕とすべて同じ!
すべて偽物!
だいたいおまえ達が本物と証明出来ないジャン。
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178.樋田君、
名前:宿坊 日付:5月28日(土) 16時36分
日興上人・日目上人正伝大石寺(第六百五十遠忌記念)において、身延離山313頁に、二祖日興上人は大御本尊を奉持して身延を離れと記されています。
身延に「本門戒壇の大御本尊」 があったと言うことを早く証明しなさい。
弘安2年の大本尊は
@万年救護本尊 A戒壇本尊
日道上人の「三師御伝土代」並びに、本尊書写の文献
「御本尊七箇相承」 「本尊三度相伝」がある。
本尊三度相伝には
「仏滅後二千二百三十余年の間一閻浮提の内未曽有の大漫荼羅なり、」
三師御伝土代には
「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼陀羅なりと図シ給フ御本尊に背ク意は罪ヲ無間に開く」
本尊七箇相承
「一、仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ」とある。
このうち、弘安二年で「二千二百三十余年」の条件を満たす、
御本尊は現存しない。
大石寺の創作板本尊「本門戒壇の大御本尊」 が「二十余年」であり、
石山きっての論師「れいな殿」は「三十余年」と啖呵を切って無知をさらけ出したが、
貴君は上古の文献宗祖の教えに反することを認めるか?
困ったね、樋田君どうする〜〜〜〜〜?
しかし「百六箇抄」は君が敗北したのですよ、
ちゃんと謝らないと、人の道に外れています。
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177.横レスさんへ
名前:宿坊 日付:5月28日(土) 16時0分
>徳川幕府の史伝である徳川実記には北山本門寺が徳川家康に二箇相承を
示して北山本門寺こそ日蓮聖人の中心門下であるということを
ときの為政者に働きかけているのですよ。
当然知っています、坊やが言う前に。
大石寺の言うところの「二箇相承」は大石寺の文献ではないのです。
他宗のをいい言葉で言えば拝借し、悪い言葉で言えば盗んでと言うことでしょうか。
それも大石寺歴代法主自ら
「亦古来より貴山(北山本門寺)に蔵せりと聞く所の二箇の御相承の如きは」
とすでに大石寺の相承書ではないと認めています!
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176.二箇相承書は日興上人から日目上人に相伝されなかった。
名前:宿坊 日付:5月28日(土) 15時53分
二箇相承は武田勝頼によって奪われる以前、北山本門寺・重須にあったとされている。
大石寺歴代の血脈相承について、日蓮大聖人から日興上人の血脈は、「二箇相承」によって証明されるとしている。
又、日興上人から日目上人は、「日興跡条々の事」によっての証明されると言って来ました。
しかしながら、「二箇相承」は、大石寺の後継「金口嫡嫡唯授一人血脈相承」を証明する一番大切な相承書が、大石寺に存在しなければならないはずであり、武田勝頼によって奪われたにしても、それは日蓮正宗・大石寺にあって、そこから「二箇相承」が奪われたという事でないと筋道が通りません。
ところが奪われたのは北山本門寺・重須から奪われたのです。
日興上人が、重須に日代という後継者を立てられていて、いろいろな重宝を譲られている事からも大石寺の血脈相承、蓮→興→目→道は存在しなかったのではないですか。
身延離山史の「類聚翰集私」に二箇の相承を記録していると記載されています。
【類聚翰集私】
「私に云はく此の御仏法を聖人・白蓮に御付属の御判右に在り。
釈尊五十余年の説教、白蓮日興に之を付属す身延山久遠寺の別当たるべし、背く在家出出家共の輩は非法の衆たるべきなり・弘安五年九月十三日、日蓮在御判、血脈次第日蓮日興、甲斐の国波木井郷・山中に於いて之を図す。」
武州池上ではなく甲斐の国波木井郷・山中に於いて之を図すと書かれています。
【御書】 1600頁
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。
身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり。
弘安五年壬午十月十三日 武州池上
日蓮 在御判
中身が違って日付も違います、9月と10月とでは 「付属す」と 「相承す」も。
同じ文面の相承書が何故、池上と身延になるのか?
同じ内容の相承書の日付が一ヶ月違っています。
日蓮宗宗学全書第二巻33頁に「日蓮日興一本有ニ甲斐国波木井郷於山中図之十二字」
ににも、甲斐の国波木井郷・山中に於いてと書かれています。
日興・日目・(大石寺系)日道・日行・日時・日有・並に本弟子6人・新弟子6人の
「二箇相承」に関しての記述の文献が存在するのでしょうか?
日興上人の時代に、身延もしくは石山に弘安二年十月十二日の「本門戒壇の大御本尊」
が存在していたことを是非証明なさってください。
大聖人は湯治のために9月8日に身延を出発されていますが、本来身延にいらっしゃらないはずなのに何故9月13日の日付が記入され、身延在中に執筆を示す身延相承書が存在するのですか。
大石寺が引用する「二箇相承」は日辰本の写しですが、その中に身遠山の「遠」字の写しが間違っています、大聖人の遺文には(真蹟 ・録内)、まさしく身延山と間違わずに書かれていますが、日辰本と矛盾しますよ。
大石寺の公式見解ではたしか、日興上人は重須に隠居されたことになっているはずです。
当然相伝書等の重宝は、日目上人に相伝され大石寺建立の翌日にお座代わりをし、
法を内付されています。
日興上人御遷化の前年に日目上人に対して、「日興跡条々の事」を認められて
「金口嫡嫡唯授一人血脈相承」されたことになっています。
それでも尚かつ、「二箇相承」や、「宗祖御遷化記録」を日目上人になぜ相伝されなかったのでしょうか?
これこそ逆に不自然で、到底考えられないことです。
北山本門寺・重須にて日興上人は、日代上人と言う後継者を立てられたのですから。
「二箇相承」の 「身延相承書」には、「就中我が門弟等此の状を守るべきなり」とあります。
これは日興上人に個人的に与えられたものではない物事の中心となるおもむきが書かれており、この文面は血脈相承が今何処にあるかを示す意義が含まれている事になります。
もし日目上人に「金口嫡嫡唯授一人血脈相承」がされていたのなら、
「二箇相承」は当然それを所持している日目上人に、宗祖の血脈が流れていることを証明する大変重要な公式文書として、日目上人に相伝されたものと考えるのが一般常識だと思いますが、どうでしょうか?
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175.家中抄には
名前:宿坊 ?? 日付:5月28日(土) 15時42分
大石寺が今まで言って来たことは、これは真実なのですか?
それとも歴代法主が言って来たことは事実に反し、嘘偽りを言って
在家を騙してきたと思うのですが、是非ここで真実を述べてください。
この文献は間違っているのですか?
それとも正しいのですか?
@ 1662年・寛文2年12/18 (滅後381年) 17代日精 「家中抄下」(富要
5-244 )
或る時・日法・御影を造り奉らんと欲す・七面大明神に祈念し給ふ感応の至りか・浮木出来せり、此の木を以って戒壇院の本尊を造立し・次に大聖の御影を造ること已上・三躰なり、其の一躰は纔に三寸なり・上行所伝抄の意なり、大聖戒壇院の本尊を書し日法之を彫刻す・今の板本尊是れなり
戒壇板本尊は、日法が七面大明神に祈念し、手にした木により造立されたのですか?
違うというのなら、大石寺において「大聖人出世の本懐」と位置付けられる戒壇板本尊を表現するのに何故、日精はかようなことをここに記述したのですか?
伝説資料を引用しただけというなら、何故に戒壇板本尊と伝説資料をセットで記述するのですか?どこにその必要性があるのですか?日精は伝説ではなく、事実だと思っていたのではないですか?
「事実だと思うわけがない」というのなら、日精がここに七面大明神を引き出した意味、理由を明確に説明しましょう。
日蓮系の各派を問わず、大聖人の真筆(とされている、自称している)本尊を述べるくだりで、理由はともかく、「七面大明神」を引用記述している宗派がありましたら是非教えてください。有ったとしたら、日蓮正宗はそれと同類ですね。無かったら、自山で日蓮出世の本懐と位置付ける戒壇板本尊(当方は認めてないが)に、七面大明神をセットする日蓮正宗は、やはり異常ですね。
ひょっとして、日精にしてみれば、戒壇板本尊は後世の創作物だからどうでもいいや、とかようなことをいったのですか?
違うというのなら、やはりその理由を明確にするべきです。
大聖人が御本尊を教示される際、「門下某が七面大明神に祈念し、手にした木により造立」という文証はあるのですか?
無いのなら、大聖人の教示にないことを平然と行なうのは師敵対とならないのですか?
「いや、それは伝説だからいいんだよ」というのなら、大聖人が本尊の教示に伝説を引用してもよい、とされた御文を示しましょう。
A 1823年・文政6年5月 (大聖人滅後542年) 48代日量「富士大石寺明細誌」には
(富要 5-334
)
「 一、本門戒壇の板大漫茶羅 一幅
日蓮聖人筆十界勧請御判の下横に並べ、現当二世の為め造立件の如し、本門戒壇の願主、弥四郎国重、法華講衆等敬白、弘安二年十月十二日と、末代不朽の為に楠の板に書く厚さ二寸二分竪四尺七寸五分横二尺一寸五分なり、彫刻は中老僧日法に之れを仰せ付けらる、地黒塗文字金色なり、広宣流布の時に至り勅宣御教書を申請け冨士山に本門寺戒壇を築く可き用意と為て兼て之を造り置かる、此御本尊は宗門の肝心蓮祖出世の本懐日興所属の簡要当山霊宝の随一なり、」
とあります。
少し前には
「同(弘安)二年・弥四郎国重なる者・一説に南部六郎実長の嫡男と云ふなり、霊端に感じて良材を得以て蓮祖に献ず、蓮祖満悦し本門戒壇の大御本尊を書して日法に命じ之を彫尅せしむ、日法材端を以て蓮祖の小影を作る、作り初の御影とも最初仏とも号す、右二種大石寺宝庫に安ず、蓮祖又日法に命じて等身の像を模刻せしむ・生御影と号し重須の寺に安す、此三種を師(日興)に付与せらる」(P320)
とあります。
その弥四郎国重の霊瑞の内容は
「古伝に云わく、此木甲州七面山の池上に浮び出て夜々光明を放つ、南部六郎実長の嫡男弥四郎国重之を取り上げ聖人に献ず等云云」P334
ということです。
「七面山の池上に浮び出て夜々光明を放っていた材木を弥四郎国重が取り上げ、大聖人に献上し、大聖人が筆で認め、日法が彫刻した」この話しは事実なのですか? 伝説なのですか?
伝説なら、何ゆえ、大石寺の戒壇板本尊を大石寺の什宝として紹介するところに、かかる記述があるのですか? その理由を明確に説明しましょう。
大聖人が御本尊を教示される際、「池上に浮かび出て夜な夜な光明を放っていた材木を使用して」といわれた文証を示しましょう。もし、無いのなら、宗祖の教えにないことを平然と行なうということは師敵対ではないのですか?
――――――――――――――――――――――
174.コピペの論文は駄文
名前:宿坊 日付:5月28日(土) 15時40分
山口氏の論文をいくらコピーしたとて、「本門戒壇の大御本尊」の証明にはなりません。
その板本尊造立に当たり、日蓮大聖人が筆をとり認め、それを日法が謹刻したのか?
その板は本当に鎌倉時代の楠木なのか?
「二箇相承」が当然存在するのなら、六老僧、本弟子、新弟子、在家の文献が
必ず存在するし「本門戒壇の大御本尊」 のことが記されているはずです。
その文献を出してくださいと言っていますが無理なのでしょうか?
前にも記しましたが、大聖人が興師に授与された本尊は「万年救護本尊」だけです。
大石寺から「彫刻本尊」を遷座した時は10人ほどで担ぎ出していましたが、
いつ、原木の丸太を明星池から取り出して、何人の御弟子さんが、
雪の道のないところを運んだのでしょう。
原木の丸太は何年かけて乾燥させたのですか?
数年後にカットし、掘り下げ、漆を塗って、金箔を施す行程を、
わずか二十一日間で「彫刻本尊」をどのようにして
作ったのか、それを証明してくださいと言っていますが、
まだ客観的に証明されていません、宜しくお願いいたします。
――――――――――――――――――――――
173.横レス失礼→ 宿坊殿
名前:大山 日付:5月28日(土) 12時50分
宿坊殿、あいかわらずれいな氏や法太郎氏に反論不能であったものを
だれかれなしに相手を変えて論じているようですね(笑)。
あなたの出来るせいいっぱいの最後の砦とは。
法華講員に負けたらつぎの法華講員をさがして。
れいな氏や法太郎氏には反論はできなかったが。
ほかの法華講員を探して同じ論題で勝負するということでしょう(笑)。
それも除々に突き崩されているようですね。
ご愁傷さまです。
あちらこちらで創価学会員が逮捕やら事故やらで世間の話題を集めています。
遠山の金さんならず、創価の金さんのご活躍を期待しています(笑)。
徳川実記 が俎上にのりましたか。
桶田氏の指摘の通りのそのとおりなんです。
徳川幕府の史伝である徳川実記には北山本門寺が徳川家康に二箇相承を
示して北山本門寺こそ日蓮聖人の中心門下であるということを
ときの為政者に働きかけているのですよ。
事実はいかに。ということです。
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172.さあ!
名前: 樋田 昌志 日付:5月28日(土) 0時36分
潔く実名を名乗り、謝りなさい!
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171.よくもまあ、こういう嘘をぬけぬけと言えるものである。唾棄すべき人間性である。
名前: 樋田 昌志 日付:5月28日(土) 0時34分
したがって両相承書は大石寺系(正)と重須要山系(傍)と反系の三系統となるが、目附の系統から分けると二系統となるのである。この両系の異日のどちらを取るかということであるが、その前に重須の真蹟曽存というのは最古の写本ではなかっただろうかと思うのである。
何故ならば、.二箇相承が武田方に奪われて紛失し、日我等の紛失証明が残っているいるにもかかわらず、その後三十年して重須の養蓮坊(日建代)が二箇相承を駿府城に捧持して家康に拝見させたという記録があるからである。
駿府城奉持の事 駿国雑誌に云く、
「日蓮校割相承文」富士郡北山村字重須多宝富士山本門寺日蓮宗寺領にあり。
駿府政治録云、慶長十六年十二月十五日今晩不二本門寺校割二箇相承後藤庄三郎光次備(二)御覧(一)其詞云、是以按之、日蓮爾前経不(レ)捨事分明也。後「未」=(未に「ノ」を加える)到釆未派暗(二)本源(一)而僅以(二)四十余年未顕真実(此ノ文無量義経ニアリ)之一言(一)爾前之教可(レ)棄(二)損之(一)。是非(二)祖師之本意(一)者也。
於(二)御前(一)有(二)沙汰(一)云云。北山本門當住職日■云、慶長十六年十二月仏法相承之儀被(レ)為(二)聞召(一)十日御尋沙汰有(レ)之、其時之住持日健眼病相(二)愁之(一)則役僧養蓮坊を以同十四日駿府に着同十五日登城後藤庄三郎取次を以奉備上覧二箇相承文に日(以下二箇相承全文記せり)
以上(駿国雑誌巻之三十一中七四頁)
(註)交割(引渡し)校は借字、新旧両官が事務の授受をなすことを云う。
又紛失後三十五年して要山日陽が重須に至り二箇相承を拝したという記録があり(要五−六〇)
更に又近代では興門口決初(妙観文庫本)に
「明治十年六月十三日来た山本門寺に而御風入之節御相承二箇相承御真筆奉拝也 信領坊日體(妙蓮寺三十九代)」 と書付ている。
(註)明治十年のものは現存しているものを指すと思うが、これは花押もついているが明らかに写本である。(写真図書館)
御真筆が紛失したという文献より三十年も後において、御真筆が存在したという文献が残っているというのは実に符におちないことである。
日我は天文十四年(一五四五)の申状見聞に
「両状の御大事血脈相承は目上への御付嘱也。然るに開山重須に御住の時、日々従(二)大石(一)御出仕と」(要 四ー〇六)と記されている。
▼▼▼「二箇相承は武田方に奪われて紛失した」と今も伝えられているが、それは真実真蹟であったかどうかは少々疑わしいと考える。▼▼▼(=ここが今回の学会側の引用文。まさに切り文によるスリカエの典型とも言える。)
以上のことから考察すると、御正本は大石寺創立當時には現存し、これが上代から日有上人の頃の書き物の中に引用され、それがたまたまの日教の書き物の中に、その原文が写されて残ったのであろうということが考えられる。
日教は類衆翰集私の中で「聖人白蓮 御付嘱 御判在(レ)右」(正本雪目一一七・研教三−三三)と迄書いているから、真蹟二箇相承の大聖人の花押が特に右寄りであるのを日教が拝したものか、或は又、客殿の譲座本尊の日興上人の御署名花押が他の本尊と異って右に在るように、「御判在(レ)右」という相伝的口伝を聞いて入念に書き留めたのではなかろうかとも思うのである。
以下次回。
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170.学会のお家芸、「切り文によるスリカエ」の犯行現場を押さえた!
名前: 樋田 昌志 日付:5月28日(土) 0時33分
●>『日蓮正宗史の基礎的研究 山口範道御尊師 』
▼山口範道氏が御正筆に非ず偽書謀判也と既に破折をしている。
富士学林 図書館長(山口範道)
「二箇相承は武田方に奪われて紛失したしと今も伝えられているが、
それは真実真蹟であったかどうかは少々疑わしいと考える。」
(日蓮正宗史の基礎的研究42頁)
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●ここは貴殿ら創価学会のお家芸「切り文によるすりかえ」の典型である。
こうまであからさまなこの手の犯罪的行為の現行犯現場に出くわすとは真に幸甚である。
では貴殿らの浅知恵による謀略を暴く為に、また法華講員さんへの研鑽の為に、当該章の全文を掲載し、二箇相承への義難の全てを粉砕する。
『両系二箇相承日附の考察』
二、両系古文献の選択について
正筆の鑑定が出来れば問題はないが、古文書の真偽論は正筆の無い場合に起る問題であるということは当然の事であろう。
正本のない古文書は、時代写しか又は正本年代に最も近い写本が原本の形状を最も多く留めていると見るのが一往の常識で、その価値も最高であることは通論であろうと思う。
一つの事蹟に対して数通の異説古文献があって、その中より一つの事実を証拠立てようとする場合、その原本の形状を留める文献が一通しかない場合は立証価値が弱く、証拠文献が二通以上あるものは立証価値が強くなるものであると考える。
この二箇相承の場合、重須の伝承本と大石寺の伝承本(或正本か)と、他の反系に流れていた伝承本との三系統があったものと推測されるのである。
これを証明するに足る理由は、次の文献より窺えるのである。
すなわち、真蹟か写本かの区別はわからないが、大石寺と重須と小泉に、それぞれ伝承本が一本づつあったということは、会津実成寺の宝物記録に左の如き日辰の記がある。
『血脈相承三幅、二幅は裏に「弘治二 (一五五六)丙辰年七月七日目優宗純寂円幸次等於駿州富士郡重須木門寺令拝見之畢今欲趣泉州故記之千時永禄三庚申年八月十三日 又永禄二己未年正月十二日奉拝見之日辰」と書し。
一幅には「永禄二己未年正月十八日於小泉久遠寺書之重須日出上人寺僧本行坊日輝丹後讃岐民部卿京主目玉等熟披見此書写老也。此外大石寺有一紙御付嘱状是廣格異耳 要法寺日辰」と書す。共に華押あり。(新編会津風土記巻之十五−二一六)
(註) 廣格異耳 三幅共に堅横の寸法が異っていたという意味
右記によれば、大石寺と重須と小泉に伝承本があったことを日辰は証明していると云えるのである。
其の他にもう一つの伝承系があったということは、日教と越後本成寺日現は両相承書の配列次第と日附は同じであるが、日教と日現のものは先掲(十八・十九頁) の如く文字の異同が余りにも多い。
これだけの僅か八十字位の短文の二紙の中でそれぞれ十二ヶ処も異なっているということは、日教と日現は同一系統の伝承本を見て書写したのではなく、全く別系統であると考えられるのである。
小泉のは転写本も無いので茲で取り上げられないが、日廣・日耀(日辰本)は共に同一の重須にあったものを書写したのであるから重須系であり、日教は大石寺系であり、日現は反系伝承で別系である。
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169.「百六箇抄」は大石寺の相承書ですか?
名前:宿坊 日付:5月27日(金) 20時19分
戒壇板本尊は創作物、二箇相承書はよその寺の偽書を借用、日興跡条々事は手作り、唯授一人金口嫡々血脈相承は日蓮・日興と関係なし、両巻血脈抄も日尊門流のものを借用、御本尊七箇相承は偽書、各種相承書も真筆なし、相承箱は正体不明、おまけに「相承を受ければ学不学によらず生身の釈迦・日蓮」「ゲイカは生身の御本尊さま」「ゲイカは現代の生身の大聖人さま」「教義の裁定権・法門の解釈権はゲイカの権能」等々・・・。
こんな宗派に入り、従わなければならないとは哀れ哀れ。
事実上「判断停止・思考停止、信伏随従とにかく盲信」が一番大事とはね。
「後加と見ゆる分の中に義に於いて支吾なき所には一線を引き、疑義ある所には二線を引いて読者の注意を促す便とせり。」(富要1-25)
と注記しているのを引いて、何を考えたか「この部分は一本線だから正義である」と言い訳をしています。おそらく、「支吾」の意味を「誤り」とでも解釈したのでしょう。「誤り」がない=正義である、という短絡思考の日顕宗らしい早とちりですが、正しくは「支吾」とは「枝梧」と書き、「ひっかかり」というほどの意味なのです。
日亨上人は、後加文だがカチンとは来なかったので一本線にしたということなのでしょうが、これを「正義」とまで祭り上げられては、草葉の陰で苦笑いされておられることでしょう。
要するに我々は、大聖人の言葉を根本として仏法を実践するのであって、どこの誰が書き加えたか分からない代物を根本にはしない、ということなのです。
実は、この文の直後には、堀上人が二本線を引かれた文章で、
「六老僧をないがしろにする事勿れ」(富要1-21)
というものがあり、邪宗日蓮宗の者が書いた後加文だということが明らかなのです。
また、「疑義ある所」として二本線が引かれている箇所に、相承書である「御本尊七箇相承」の「又本尊書写の事・予が顕し奉るが如くなるべし」から始まる重要な文章が3行にわったて含まれているのです。
日顕宗ように後加文を根本にする誤りを基準とすると、二本線を全て邪義であるとした場合は「御本尊七箇相承」も邪義だということになり、逆に二本線でも正義であるとした場合は、誤りを犯さないはずの法主(ここでは日亨上人)が誤りを犯したということになるのです。要するに結論は、後世の誰だか分からない人間が勝手に書き込んだ言葉は、基準にしてはならない、ということなのです。
たまには後加文ではなく、ちゃんと「大聖人の言葉」を引いたらどうだ!と責めてやりましょう。
「宗門古典 扱方諮問録」
(相承書の後加について真偽を判定した記録)
一、興起
昭和二年七月二十六日午前に水谷宗務総監、有元権僧正、阿部権僧正を大奥に招き左
の四項に付て法主より諮問したる上、第三項に依ることを決定し更に此三名の外に小
笠原教頭、福重講習会講師を加ふる事に決す。(有元.阿部両僧正は態と招致せられ
たる者、他は常住又は居合せたる者なり)
《惣問案》
宗門古典たる本因妙抄、百六箇抄、産湯相承、本尊七箇、教化弘経七箇、文底口伝、
引導口決、神天上、本因妙口決等已上。宗内外に疑議ある古典の扱ひ方決定を要する
に付て左の四案を得たり。
第一項
全然依憑すべき聖典にして此れ修正を加ふる等は恐擢も甚し。唯仰いで信ずべし。
(若し然らば疑点の会釈如何)
'
第二項
全然偽書にして宗典より除却し更に此を宗内外に公表すべし。
(若し然らば全然偽書たるの明細なる理由及び此を引用せる先師をも謬見者と定むべきか如何)
◎百六箇抄の部
「具謄本種正法実義」より同五行削除。
全く使えません、
おわかりかな坊や!
「百六箇抄」はそもそも大石寺の文献ではない。
そうそう、「宗教に関心を持とう掲示板」の「通行人@学会員」さん、よろしかったら、下記へへどうぞ。
http://www.sfken.net/easyBBS/bbs.acgi?r=room_01&BBS_MSG_050527123056.html
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SF研です。懐かしいですね、復活していたようです。学会員同士で「学会の信心は、今も昔も『大御本尊根本』か?」でスレッドが立ち上がっています。
「お寺の掲示板」もいいけど、「同志主催の掲示板」でもいかがでしょうか。
お待ちしています。
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168.口中癌になるかもよ。御文から推して。気をつけなさい。
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月27日(金) 15時41分
▼>日興跡条々事
「御文から、その根本の御本尊様は「弘安二年」に顕された「大御本尊」であることは明確である。」とは、誰にむかって言っているのかな。法華講員サン達だけ、だったらいいけど、まさか、こちらに向かって言っているのかな。(笑)だったら、「日興跡条々事」を客観的に証明しましょうね。
日興真筆と証明されているのですか、で終わりです。
●まず、御霊宝御虫払い法要に来て、しっかり目の当たりに拝したら?って貴殿には最早永久に出来ぬ相談か。
では日興上人御真筆ではなく、更に偽書である、と、客観的な事実において明確に証明してみせよ。出来まい。出来るわけがない。
それも出来ずにただ難癖をつけていうのは、物陰から覆面を被ったまま妬んで悔しくて吼えまくっている臆病者で弱虫な卑劣漢の仕業である。
よくよく根性の腐り果てた人間である。
もし、真筆が確認されていないものを信じないのならば、生死一大事血脈抄他御真蹟の所在が不明の御書の御文を今後一切用いるでないぞ。よろしいな。
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●>日布上人仰せの如く、
▼日布は「板本尊」に何の関係もありません。
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●いけませんね。こういうものの言い方は。
御本尊書写の資格のない者、どころか一大秘法・三大秘法から転落して奈落の底まで転げ落ちて、その暗闇から誹謗の言を吐くことしか能のない貴殿が、こういう生意気な事を言ってはいけませんね。
■「軽慢止まざれば舌口中に爛る」
貴殿のその口がN副会長のように口中癌か何かに罹って、顔下半分近くも削り取られてその惨めな様を晒しながら絶命するようになりますよ。
いよいよ慎みなさい。恐れなさい。
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167.疑義の二線箇所も知らないとは!本当に大丈夫?
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月27日(金) 15時12分
●>百六箇抄
「但し直授結要付嘱は唯一人なり。……日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」
▼そのすぐ後に「六郎僧をないがしろにする事勿れ」と書かれており、
これはいいんですか?
御書869頁の真ん中の下に小さな字で「就中六人の遺弟を定む」と
書かれているだろ、坊や。
「就中六人の遺弟を定む」とは御遷化前に定められた六老僧の事だよ。
日蓮大聖人が「六老僧」を定められたのは弘安5年の10月。
坊やが引用した「百六箇抄」は弘安3年庚辰正月11日。
弘安3年に「六老僧」を定められていたというのですか?
これだけでも完全にタヌキの首は落ちている。
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●本当に貴殿は勉強したことがあるのか?と真剣に問いたい。
いや、きっと知能の程度的に何度教わってもきっと理解できなかったんだろう。
それとも当方からの破折に悩乱したか?
1、当該御文
■「就中六人の遣弟を定むる表事は、先々に沙汰するが如し云云。但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」
が「後加文」であることも知らないの?
もしかして本当に ○゙か か?
しかもこの箇所は日亨上人仰せの、後加文であるが、「義に於いて支吾(枝×梧=逆らうこと。食い違うこと。)なき所」である「一線」のみである。
後加文であるが故に、「六人の遣弟を定むる表事は、先々に沙汰するが如し」との御記述があっても何等不思議でもなければ、時系列的にも矛盾はしない。
2、▼「そのすぐ後に「六郎(※ママ 郎=老)僧をないがしろにする事勿れ」と書かれており、
これはいいんですか?」
●あまり言いたくはないが、馬鹿の見本のような箇所である。
その文は日亨上人が「後加文と見ゆる分の中に・・疑義ある所」として「二線」が引かれているところである。
そんな「疑義ある」文証を引き出してきて「▼これはいいんですか?」だなどと、得意然として吠え掛かるとは。貴殿の気は確かか?
実に赤面の至り、惨めである。
しかも「六郎」君だもんね。
(一郎二郎三郎四郎五郎)六郎ちゃんをないがしろにしてはいけないんだね。よしよし。貴殿は身延系だったんだね。呵々大笑。
二箇相承・条々事・百六箇抄・三秘抄等の真偽を疑う前に、眼前の明白な「疑義ある二線」の文証を引く自らの不明を恥じたら如何か?
ああ惨め。
「タヌキの首を落とす」前に、まず顔を洗って出直すことですね。
ああ、恥ずかしい。
おそまつ 。
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166.駄文
名前:宿坊 日付:5月27日(金) 14時35分
三大秘法抄は宗祖が己心に秘していた三大秘法の法門を、大田乗明を通し門下に示された法門書であり、冒頭『神力品』の結要付嘱の文を掲げられ、その付嘱された法とは何ぞやというに、『寿量品』の本尊と戒壇と題目であると、その名目があげられる。
どこに弘安二年十月十二日「本門戒壇の大御本尊」
の記述があるのですか?
すでに顕されてから三年後ですよ、
三年後の「二箇相承」に今度は「本門戒壇」を作りなさいと認められているのですね。
もうすでに顕されたのであるから、六老僧、本弟子、新弟子、出家在家とも
「本門戒壇の大御本尊」 は十分知っていたはずです。
大勢が知っていたにもかかわらずその文献が全く存在しない。
日蓮正宗宗規 第二条の
「弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、二祖日興上人が弘安五年九月及び十月に総別の付嘱状により」
と書かれているが、この第二条に「三秘抄」に基づいてと書かれているのですか?
まずは「三秘抄」が日蓮大聖人が書かれたと証明できなければなりません。
真筆が存在するのですか?
録内御書40巻148通の中に「三秘抄」があるのですか? 坊や!
>『日蓮正宗史の基礎的研究 山口範道御尊師 』
破折されてぐうの音も出ないですね!
>二箇相承 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。
「板本尊」が出てこないよ、どうして?
「一期弘法付嘱書・身延相承書」並びに「池上相承書」の「二箇相承書」は、いつ、どこで、登場したの?
まるで大石寺の相承書であるかのような書き方ですが、その証拠はどこにあるのですか?
「身延相承書」「池上相承書」は真筆は無く文証たりえませんよ。
「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。 弘安五年壬午九月 日」
しかし不思議に日付がありませんね、
相承書と言っても遺言書です、日付が無い物は無効です。
>百六箇抄
「但し直授結要付嘱は唯一人なり。……日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」
そのすぐ後に「六老僧をないがしろにする事勿れ」と書かれており、
これはいいんですか?
御書869頁の真ん中の下に小さな字で「就中六人の遺弟を定む」と
書かれているだろ、坊や。
「就中六人の遺弟を定む」とは御遷化前に定められた六老僧の事だよ。
日蓮大聖人が「六老僧」を定められたのは弘安5年の10月。
坊やが引用した「百六箇抄」は弘安3年庚辰正月11日。
弘安3年に「六老僧」を定められていたというのですか?
これだけでも完全に貴君の首は落ちている。
これにも反論がありません。
>日興跡条々事
「御文から、その根本の御本尊様は「弘安二年」に顕された「大御本尊」であることは明確である。」とは、誰にむかって言っているのかな。法華講員サン達だけ、だったらいいけど、まさか、こちらに向かって言っているのかな。(笑)だったら、「日興跡条々事」を客観的に証明しましょうね。
日興真筆と証明されているのですか、で終わりです。
はっきり言って君は役不足、タヌキでは無理なのです。
百六箇抄だけでも、もう「オダブツ」です。
ご覧になっている方はすでにおわかりかと思いますが。
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165.もしかして本当は知能が低いのでは?
名前: 樋田 昌志 日付:5月27日(金) 14時30分
▼「一期弘法付嘱書・身延相承書」並びに「池上相承書」の「二箇相承書」は、いつ、どこで、登場したの?
まるで大石寺の相承書であるかのような書き方ですが、その証拠はどこにあるのですか?
「身延相承書」「池上相承書」は真筆は無く文証たりえませんよ。
●ここまで頑迷だと貴殿はもしかしたら知能が低いのではないか?と真剣に思う。
160を再度(では知能が低い方には理解できないから、再三再四)読みたまえ。
再掲 部分
「今日二箇相承が存在しなかったという証拠を上げることは難いが、存在したという証拠は多分にある。
今、二箇相承が存在したという証拠文献を大略次第してあげてみると次の通りである。
(一)聖滅二十七年(1308)
徳治三年九月二十入日日頂の本尊抄得意抄添書?に「興上人一期弘法の付嘱をうけ日蓮日興と次第 」の文あり(宗全一−四四)・・・・・」
まさにこれなどは「反系」に記載される初出の文献的証拠であり、古文書研究の基本的証拠価値に於いては重要な位置を占める文献であろう。
以下。二十 まで。(参照 160)
「以上の二十項目は二箇相承の曽存を裏付けするに充分な正系・傍系・反系の史料である。尚日興上人は大聖人よりの二箇相承という譲り状があったので之に例して日日譲状なるものを作られたのであるということを思い合わせるとき、これらの文献によって二箇相承の曽存は認めざるを得ないであろうと思う。」
貴殿のような僻目・邪眼でものを見ている醜悪で面妖な謀徒と違い、まさに真面目な学究的態度である。
正系ではここまで文献を提示しているのであるから、貴殿に問う。二箇相承がなかったと証明してみよ。できまい。貴殿如きに出来るわけがない。呵々。
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164.千劫阿鼻獄 ですって。どうします?
名前: 樋田 昌志 日付:5月27日(金) 13時49分
●>次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。
▼何を言いたいのかわからんが、淫乱法主日顕が僧でないことは確かだ。
**********************************************************
●この引文の意義が解らないことからして貴殿が仏法の初門にすら辿り着いていないことが明瞭である。
成仏を期するには三宝に帰依しなければ叶わない。
→
三宝のうち仏宝と法宝はそのまま単独では存在し得ない。
→
僧宝の方が伝持して初めて末代の衆生は仏宝・法宝を拝することが出来る。
→
その僧宝伝持の根本が唯授一人血脈相承である。これは信を以ってしか拝し得ない。
■「此の経(=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義)は相伝に非ざれば知りがたし」である。
→
が故にこの世で御本尊書写の出来る方は御法主上人御一人である。
→
■「妙法蓮華経の第二に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗し、経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉して結恨を懐かん。其の人命終して阿鼻獄に入らん。乃至是くの如く展転して無数劫に至らん」と。第七に云はく「千劫阿鼻獄に於てす」と。」
→
信なく此の経(=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義=なかんずく戒壇の大御本尊様)と血脈相伝の御法主上人への誹謗を繰り返す貴殿ら前世の悪因縁の衆生はその謗法の臭気抜けずして、千劫阿鼻獄に堕ち、その後も殆ど無限に近い年月三悪道を展転するであろう。
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163.え?くだらなくないでしょ?実に面白くなってきたではないですか。
名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月27日(金) 13時24分
▼三大秘法稟承事(三大秘法抄) 弘安4年4月8日
日興上人宛でなく大田乗明 です。
大石寺本では(旧『日時本』)本状奥には「弘安5年4月」との年次の記載があり、
「本門戒壇の大御本尊」 が記されていない。
弘安2年の「板本尊」であれば、「三秘抄」に記されていなければならないはずです、
なぜないのか?
●ここは貴殿の無知蒙昧振りが顕著に表れて大いに笑わせて頂いた。
貴殿に言われるまでもなく、最新の検討により、平成御書では弘安5年4月8日に系けてある。お世話様。
在家のしかも当然御相伝を受ける立場ではない大田金吾殿に当てた御書であるからこそ、究極の御相伝であられる『「本門戒壇の大御本尊」
が記されていない。』のは当然過ぎるほど当然である。
それは戒壇の霊地にしても「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。」と、後の御相伝書である「百六箇抄」御相承書である「二箇相承」に御示しの「富士山」との特定地域が記されていない点からも領解出来る道理である。
大聖人様の御書は対告衆の機根・法門の領解の程度等によってその内容に対しての御表現に差異があって当然である。
それとも何か?在家に宛てた三秘抄に「本門戒壇の大御本尊」の御事が如実に御認めにならなければならない必然性があるというのなら、立証してみよ。
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▼まして「三秘抄」は真偽未決でしょ?
●「でしょ?」と自信なさげに訊いてくるのなら示そう。
もし、偽書というのなら、貴殿ら謀徒らが100人束になってかかっても及びもしない、日亨上人の御研究を否定するわけであるから、それなりの絶対的な客観証拠を明示して、更に貴殿らが用いる学会版御書から全文削除してから言いたまえ。
関連資料
文献の計量分析
村上 征勝
元.4〜2.3
文献の数量的な性質を調ベ,その計量分析に基づいて文献の真偽の判定,執筆者の推定,執筆年の推定,執筆順序の推定などを行う研究を続けている。具体的には,日蓮の「三大秘法抄」の真偽判定問題と法華経28品の著作順序の推定問題を中心に研究を進めた。
【新聞記事・放送・雑誌等での紹介】
「日蓮の論文三大秘法抄・真作の可能性が強い」,毎日新聞,朝日新聞,日蓮宗新聞,1980年,6月7日
「三大秘法稟承事の真偽判別研究とは何か」,中外日報,1982年,2月5日
「日蓮著作の真贋論争」,サンケイ新聞,1988年,6月15日
「統計学の手法を使い日蓮の著作,真偽判定」,毎日新聞,1988年,8月15日
「仏教書の三大秘法稟承事・日蓮本人の作」,朝日新聞,日本経済新聞,読売新聞,毎日新聞等,1991年,8月23日
「三大秘法抄は真作」,仏教タイムス,1991年,8月25日
「三大秘法稟承事は日蓮聖人の真作」,中外日報,1991年,8月30日
「三大秘法の新研究に思う」,中外日報,1991年,9月4日
「日蓮遺文の数理研究」, 1990年6月, 日本印度学佛教学会
「日蓮遺文にみる思想の変化と文体の変化」, 1990年9月, 日本行動計量学会第18回大会
「日蓮遺文と偽作の文体差に関する計量分析」, 1991年3月, 第3回文献情報のデータベースとその利用に関する研究会
「計量文献学−クラスター分析・数量化V類による日蓮遺文の解析−」, 1991年6月, 多変量解析研究会
「計量文献学の現状」, 1991年6月, 人間科学コンピューティングシンポジウム
「日本語文献の計算機処理」, 1991年7月, 日本統計学会第59回大会
「日蓮遺文の計量的特徴」, 1991年8月, 日本行動計量学会第19回大会
「日蓮の『三大秘法禀承事』の真偽判定」, 1991年8月, 日本行動計量学会第19回大会
「クラスター分析の一改良法」, 1991年11月, 日本分類学会
「UNIXシステムを使った古文の単語処理」,
1991年12月, 第3回「国文学とコンピュータ」シンポジウム
「日蓮遺文の真偽判定」, 1992年3月, 第4回文献情報のデータベースとその利用に関する研究会
伊藤 瑞叡「三大秘法禀承事の計量文献学的新研究 クラスター分析による真偽判定−本研究に対する批判疑義をも消通する」大崎学報, 第148号
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162.くだらない
名前:宿坊 日付:5月27日(金) 0時56分
>「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、
三大秘法稟承事(三大秘法抄) 弘安4年4月8日
日興上人宛でなく大田乗明 です。
大石寺本では(旧『日時本』)本状奥には「弘安5年4月」との年次の記載があり、
「本門戒壇の大御本尊」 が記されていない。
弘安2年の「板本尊」であれば、「三秘抄」に記されていなければならないはずです、
なぜないのか?
まして「三秘抄」は真偽未決でしょ?
>次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。
何を言いたいのかわからんが、淫乱法主日顕が僧でないことは確かだ。
>二箇相承
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。
「板本尊」が出てこないよ、どうして?
「一期弘法付嘱書・身延相承書」並びに「池上相承書」の「二箇相承書」は、いつ、どこで、登場したの?
まるで大石寺の相承書であるかのような書き方ですが、その証拠はどこにあるのですか?
「身延相承書」「池上相承書」は真筆は無く文証たりえませんよ。
>百六箇抄
「但し直授結要付嘱は唯一人なり。……日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」
そのすぐ後に「六郎僧をないがしろにする事勿れ」と書かれており、
これはいいんですか?
御書869頁の真ん中の下に小さな字で「就中六人の遺弟を定む」と
書かれているだろ、坊や。
「就中六人の遺弟を定む」とは御遷化前に定められた六老僧の事だよ。
日蓮大聖人が「六老僧」を定められたのは弘安5年の10月。
坊やが引用した「百六箇抄」は弘安3年庚辰正月11日。
弘安3年に「六老僧」を定められていたというのですか?
これだけでも完全にタヌキの首は落ちている。
>日興跡条々事
「御文から、その根本の御本尊様は「弘安二年」に顕された「大御本尊」であることは明確である。」とは、誰にむかって言っているのかな。法華講員サン達だけ、だったらいいけど、まさか、こちらに向かって言っているのかな。(笑)だったら、「日興跡条々事」を客観的に証明しましょうね。
日興真筆と証明されているのですか、で終わりです。
>日布上人仰せの如く、
日布は「板本尊」に何の関係もありません。
>二箇相承否定についてついて
>『日蓮正宗史の基礎的研究 山口範道御尊師 』
山口範道氏が御正筆に非ず偽書謀判也と既に破折をしている。
富士学林 図書館長(山口範道)
二箇相承は武田方に奪われて紛失したしと今も伝えられているが、