正本堂は一体、どの御本尊を安置する殿堂であったのか?

言わずと知れた、弘安二年十月十二日御建立の本門戒壇の大御本尊御安置の大殿堂ではなかったか。

その戒壇の大御本尊への信仰を実質的に捨て去った創価学会員が、今更、正本堂について云々できる立場なのか?

そもそも、建物のよりも、その中心である御本尊の事の方が最大重要事であろう。

その最大重要の御本尊への信仰を捨てた創価学会員に最早、正本堂解体についてとやかくいう資格はない!

まずはこの事実を銘記すべきである。

そうやってまず一蹴した上で 学会員の邪難を粉砕する。」

その資料です。

大石寺全ての堂宇の一切は御法主上人の御権能
日顕上人の御判断
百六箇抄
広宣流布とは金輪聖王が出現して達成する
解体工事業者の証言
正本堂老朽化の証拠
戸田会長 御供養についての発言


■ 大石寺全ての堂宇の一切は御法主上人の御権能

 一、大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。(日興跡条々事 元弘二年一一月一〇日 1883)

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日顕上人猊下御講義 第53回全国教師講習会の砌
事の戒壇の本義について
平成16年8月26日(於総本山大講堂)

なぜ正本堂を壊したのだということですけれども、やはり創価学会のあのような謗法の姿が平成2年・3年から出てきて、しかも正本堂の発願主である池田大作は、平成4年に既に信徒除名されているのです。

たしかに日達上人も御苦労あそばされ、正本堂のことに関しては大聖人様への御奉公のお心をもって真剣にあそばされたけれども、今日の状況から見るならば、結局、総本山に正本堂が存在することは広宣流布への大きな妨げとなるということに、一言もって尽きると思います。

したがって、このような謗法の姿があるのであり、まして正本堂が『三大秘法抄』『一期弘法抄』の意義を含むと言っても、それは大勢の信徒が本当に御戒壇様を拝する姿があって初めて、そう言えるのであります。

しかし現在、その姿は全然なくなっているではないか。

最近では、戒壇の大御本尊様にすら疑いや文句を付けているようなことも聞いています。

そういうような莫迦どもが今日、大勢充満しているような姿があり、しかも「我々が造ったのだ」と言って威張り返っているような意味においては、正本堂はやはり未来の真の正法広布の妨げになると思っておるのであります。

そこで大客殿に続いて正本堂を解体し、奉安堂を造らせていただいた次第であります。

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 【百六箇抄】(1702)

但し直授(じきじゅ)結要(けっちょう)付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。
上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。
又五人並びに已下の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外万国までも之を流布せしむと雖も、日興が嫡々相承の曼荼羅(まんだら)を以て本堂の正本尊と為すべきなり。

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【関連】

●65日淳上人

百六箇抄については香浦氏は「その成立を大聖人の時ではなく後世であるか」の如く評してをるが、(中略)しかし察していへば恐らく同抄の後尾に明らかに大聖人の御時でないことが書かれてをるからそれを理由に言ふのであらうと思ひます。若しそうであるならばそれは御相伝書の拝し方を知らないのによります。御相伝書は順次相ひ伝へるに従つて加筆があつてもそれは当然です。それが相伝書の相伝書たるところで僞作ででもあるかの如く考へるのは全く書物の読み方も知らないうつけ者です。そんなことでは仏法の筆受相承などのことを談ずる資格は遠くありません。顔を洗つて拝し直すことです。

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▼3【池田指導】(百六箇抄講義)

本抄(百六箇抄)には歴代の法主上人が拝読されたおり、一種の「覚え書き」として挿入、付加された部分が織り込まれております。歴代の法主上人が、日蓮大聖人の血脈を受けられ、大聖人の口伝を一点の誤りもなく後代に伝える意味もあって、「百六箇抄」の行間、本抄の前後、各項目の注釈等として書き込まれたものであります。故にこの部分も、私達が大聖人の口伝を体得していくうえにおいて、不可決の記述といえましょう。(中略)百六箇抄の口伝はもとより、代々の法主上人が記述された箇所も、すべて日蓮大聖人の金口として拝していきたいと考えております。

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戸田城聖・御書全集発刊の辞

● 最も重要なる血脈抄・本因妙抄等日蓮正宗門外不出の御抄は巳に上梓を見た如何なる御書全集にも掲載されず、宗祖の御真意を拝せんとひたすら念願する者をして久しく遺憾の念を抱かしめていたのである。
(中略)
堀日亨上人猊下は八十大歳の御高齢にて日夜不断の御苦心にも拘らず、身心共に何等の魔障なく数十年に亘る御研究を結集せられてここに本書の完成を見たのである。其の内容たるや古今を通じて最も誇り得べきものであると共に、
初信の者も仏意を会得するに容易ならしむるよう字句の上にも細心の注意が払われている。


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<広布の実相>

5●広宣流布の時の大王は未だ出て来ない。
唯僅に、彼の阿育王が世界の4分の1を領せる鉄輪王に擬してあるばかりである。
仏教では此四輪王の徳力等を菩薩の四十位に対当してあるが、別して大聖人は此中の最大の金輪王の出現を広宣流布の時と云はれている程に、流溢の広宣は吾人の想像も及ばぬ程の雄大さであるが、小胆、躁急の吾人はこれを待ちかねて致って小規模に満足せんとしてる。
(乃至)
金輪王には自然の大威徳あって往かず戦わず居ながらにして全須弥界四州の国王人民が信伏する。
(第59世日亨上人『日恭上人伝補』/第66世日達上人『大白法』S47.5.16/<妙音>WS)

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6●大聖人様のお考えは、広布の暁には金輪聖王が出現するのである。
そして、戒壇を建立する。
その時には、法主は我々の日目上人、一閻浮提の座主・日目上人の出現ということは、本宗の伝統的相伝であります。
(第66世日達上人『大白法』S47.5.16/<妙音>WS)

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解説文

 日達上人は昭和47年に「正本堂は一期弘法抄の意義を含む、現時に於ける事の戒壇である」(1●)と宣言された。
しかし、それは「未来において更に広布への展開を促進」(3●)するという「広宣流布への流溢の展開の上に」(4●)「戒壇建立があるべき」(同)という前提であり、あくまでも広布「達成の実現を象徴」(3●)するものとして正本堂を建立されたのである。

 しかしながら、広布の現状をみるとき、学会破門前をみても、昭和47年以降、ほとんど進んでいない。
広宣流布達成時には「全須弥界四州の国王人民が信伏」(5●)するという「金輪聖王」が出現するというのが日亨上人や日達上人のお考えであるが、その兆しさえない(権力に擦り寄る学会・公明党の中から、何かの間違いで首相が出たとしても、連立政権下の"数のトリック"で成れるくらいのもので「全須弥界四州の国王人民が信伏」するようなものでは決して無い)。

 その一方で、年月の経過とともに建物の老朽化は進むばかりである。
これでは広布「達成の実現を象徴」するはずの正本堂の意義は、失われていると言っても過言ではない。

 さらに、日達上人は、広布達成の暁には「法主は我々の日目上人、一閻浮提の座主・日目上人の出現」と仰せであるが、現在の学会は法主の権能どころか、僧侶そのものを否定している。
そのような学会が進める広布が、日達上人の期待された広布と無縁のものであることは明白である。

 以上のように、正本堂は、広布進展の上からも、広布の性格(僧俗一致か否か)の上からも、日達上人が「正本堂は一期弘法抄の意義を含む、現時に於ける事の戒壇である」と宣言された前提条件=広布「達成の実現を象徴」するものとしての意義を完全に亡失してしまっているといえる。

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【解体工事を請け負った地田株式会社の営業部長・吉田裕史氏の話】

 正本堂を見ての第一印象は、大きいものだなというものでした。
しかし、子細(しさい)に柱や壁(かべ)等を見ると、赤茶色(あかちゃいろ)に変色している部分がかなりある。
これは、そうとう内部では鉄骨(てっこつ)の錆(さ)びが進んでおり、コンクリートも酸化(さんか)しているなと思いました。

 事実、解体に着手するための事前調査として、正本堂の前に立っていた円融閣(えんゆうかく)の大円柱、(だいえんちゅう)を叩(たた)き、表面の大理石(だいりせき)のタイルを剥(は)がしたところ、中から赤茶色の水がドッと溢(あふ)れ出てきました。

 もっとも驚(おどろ)いたのは正本堂の地下です。
地下室の扉(とびら)を開けたところ、なんと赤茶けた水が2メートルほども溜(た)まっていたのです。
「こりゃ、舟がいるな」と話し合ったくらいでした。

また、他の部屋にはイタチなどが住(す)み着いていたのでしょう、動物のフンが大量に堆積(たいせき)しており、本当に驚きました。

 もともと正本堂の敷地(しきち)には潤井川(うるいがわ)が流れており、湿気(しっけ)の多い土地だったとか。
ですから僧侶方の通路に敷(し)かれている絨毯(じゅうたん)なども、湿気でびしょびしょになり、すぐにか黴(か)びて使い物にならなくなったということでしたが、実際に絨毯はどこもかしこも黴だらけ。
その絨毯をはがしたところ、床にはいくつも亀裂(きれつ)がはいっており、すでにそうとう、湿気等によるコンクリートの劣化(れっか)、破壊(はかい)が進んでいるとの印象を受けました。

 同様に屋根の劣化も進んでおり、随所(ずいしょ)で雨漏(あまも)りが発生。
雨水(うすい)が大量にコンクリート内部に浸(し)みこんでいました。

あれだけ巨大で重い屋根を、劣化した鉄骨(てっこつ)とコンクリートで支(ささ)えていることには、そうとう、無理があったと思います。

 もし、この建物をそのまま使い続けるとしたら、年間10億円以上のメンテナンス費用(ひよう)が必要になったでしょう。
そうしたメンテナンスを加えていても、少なくとも10年に1回は、さらに本格的な補修(ほしゅう)工事が必要になったかもしれません。

 創価学会は「千年あるいは1万年はもつ」と主張されているようですが、とてもとても。
30年でボロボロですから、百年、いや50年もてばいいほうでしょう。

それも先ほど申し上げたように、本格的な補修工事を何度も行なった上でです。

 大御本尊を安置していた須弥壇(しゅみだん)の基礎(きそ)を調べるために、記念品を埋納(まいのう)してあるという部屋にも入りました。
(中略)
 内部の壁(かべ)は錆(さび)が浮いて真(ま)っ赤(か)になっていました。

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正本堂老朽化の証拠

学会が"若手僧侶らが工具を使ってモルタルを剥がした"とする位置には、赤茶けて膨張した金具が―。モルタル崩落の真因は、金具の腐食・膨張であることは歴然


正本堂・円融閣の円柱に浮き出た真っ赤なサビ!


円柱の表面に張られた大理石を剥がすと、真っ赤に錆びた金具が


小円柱を繋ぐ梁のモルタルもヒビだらけ!


[画像]=法庭周辺の花崗岩は、随所で砕け、欠け、剥がれていた。その下からは、やはり真っ赤に錆びた金具が顔を出していた









[画像]=雨天広場のモルタル崩落も、内部の金具が錆びたことが原因


[画像]=須弥壇下部にある地下室の天井に現われた真っ赤なシミは、コンクリートの内部で何が起きているかを雄弁に物語っていた



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戸田会長 御供養についての発言

■ 「(戸田会長は)決然と立って、
御供養することは、信徒の務めである。
もし、それが使途不明であるとか、収支決算せよとか、御供養を出しもしないうちから、はじめからそんなことを言っておるのは、信徒の務めを怠っておるものである。
信徒は供養することによって利益があるのである。
御利益は供養することにある。
もし、そのお金を不正に使ったならば、それは使った僧侶が罪を受けるのである。
地獄へ堕ちるのである。
僧徒は清い供養をすれば、それで御利益がある。
経文に照らしても、また大聖人の仰せではないか』
と叫んだのである。」(昭和四十年七月十一日・『大日蓮』二三四号)

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■ 「それで、寺ができた以上には、こんどはわたくしのいうことを忘れずにいてほしいのは、信心を基調にして、折伏することと、お寺をだいじにすることと、
御本山へつくすことはあたりまえのことなんだからね。
それが、自慢のようになっては、もう、信者としては資格が無い。
」 昭和29年12月15日 高崎勝妙寺入仏式

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■ 「もともと、御僧侶に対する御供養は、仏に対する真心を現わすものであり、御僧侶は、大聖人に代わって、これをお納めになるのであって、供養は、純真なものでなくてはならない」戸田城聖全集・1-62