0381
　　　　聖愚問答抄上　　　文永五年　　四七歳

夫（それ）生を受けしより死を免れざる理（ことわり）は、賢き御門（みかど）より卑（いや）しき民に至るまで、人ごとに是を知るといへども、実に是を大事とし是を歎く者、千万人に一人も有りがたし。無常の現起するを見ては、疎（うと）きをば恐れ親しきをば歎くといへども、先立つははかなく、留まるはかしこきやうに思ひて、昨日は彼のわざ今日は此の事とて、徒（いたず）らに世間の五欲にほだされて、白駒のかげ過ぎやすく、羊の歩み近づく事をしらずして、空しく衣食の獄につながれ、徒（いたず）らに名利の穴にを（堕）ち、三途の旧里に帰り、六道のちまたに輪回（りんね）せん事、心有らん人誰か歎かざらん、誰か悲しまざらん。鳴呼（ああ）老少不定は娑婆（しゃば）の習ひ、会者定離（えしゃじょうり）は浮き世のことはりなれば、始めて驚くべきにあらねども、正嘉の初め世を早うせし人のありさまを見るに、或は幼き子をふりすて、或は老いたる親を留めをき、いまだ壮年の齢（よわい）にて黄泉の旅に趣く心の中、さこそ悲しかるらめ。行くもかなしみ留まるもかなしむ。彼の楚王（そおう）が神女に伴ひし情けを一片の朝の雲に残し、劉（りゅう）氏が仙客に値（あ）ひし思ひを七世の後胤（こういん）に慰（なぐさ）む、予が如き者、底（なに）に縁（よ）って愁（うれ）ひを休めん。かゝる山左（やまがつ）のいやしき心なれば身には思ひのなかれかしと云ひけん人の古事（ふるごと）さへ思ひ出でられて、末の代のわすれがたみにもとて難波（なにわ）のもしほ（藻塩）草をかきあつめ、水くき（茎）のあとを形の如くしる（記）しをくなり。
悲しいかな痛ましいかな、我等無始より已来、無明（むみょう）の酒に酔ひて六道四生に輪回して、或時は焦熱（しょうねつ）・大焦熱の炎にむせび、或時は紅蓮（ぐれん）・大紅蓮の氷にとぢられ、或時は餓鬼・飢渇（けかち）の悲しみに値ひて、五百生の間飲食（おんじき）の名をも聞かず。或時は畜生残害の苦しみをうけて、小さきは大きなるにのまれ、短きは長きにまかる。是を残害の苦と云ふ。或時は修羅闘諍の苦をうけ、或時は人間に生まれて八苦をうく。生・老・病・死・愛別離苦（あいべつりく）・怨憎会苦（おんぞうえく）・求不得苦（ぐふとっく）・五盛陰苦（ごじょうおんく）等なり。或時は天上に生まれて五衰をうく。此くの如く三界の間を車輪のごとく回り、父子の中にも親の親たる子の子たる事をさとらず、夫婦の会（あ）ひ遇（あ）へるも会ひ遇ひたる事をしらず、迷へる事は羊目（ようもく）に等しく、暗き事は狼眼（ろうげん）に同じ。我を生みたる母の由来をもしらず、生を受けたる我が身も死の終はりをしらず。鳴呼（ああ）受け難き人界の生をうけ、値ひ難き如来の聖教に値ひ奉れり、一眼の亀の浮木（ふもく）の穴にあへるがごとし。今度若し生死のきづなをきらず、三界の篭樊（ろうはん）を出でざらん事かなしかるべし、かなしかるべし。

爰（ここ）に或智人来たりて示して云はく、
「汝が歎く所（ところ）実に爾（しか）なり。此くの如く無常のことはり（理）を思ひ知り、善心を発（お）こす者は麟角（りんかく）よりも希なり。此のことはりを覚（さと）らずして、悪心を発こす者は牛毛よりも多し。汝早く生死を離れ菩提心を発こさんと思はゞ、吾最第一の法を知れり、志あらば汝が為に之を説いて聞かしめん。」

其の時愚人座より起って掌（たなごころ）を合はせて云はく、
「我は日来（ひごろ）外典を学し風月に心をよせて、いまだ仏教と云ふ事を委細にしらず。願はくは上人我が為に是を説き給へ。」

其の時上人の云はく、
「汝耳を伶倫（れいりん）が耳に寄せ目を離朱（りしゅ）が眼にかって、心をしづめて我が教へをきけ、汝が為に之を説かん。夫（それ）仏教は八万の聖教多けれども、諸宗の父母たる事戒律にはしかず。されば天竺には世親（せしん）・馬鳴（めみょう）等の薩・、唐土には慧曠（えこう）・道宣と云ひし人是を重んず。我が朝には人皇四十五代聖武天皇の御宇（ぎょう）に、鑑真（がんじん）和尚此の宗と天台宗と両宗を渡して東大寺の戒壇之（これ）を立つ。爾（しか）しより已来（このかた）当世に至るまで崇重（そうじゅう）年旧（ふ）り尊貴日に新たなり。就中（なかんずく）極楽寺の良観上人は上一人より下万民に至るまで、生身の如来と是を仰ぎ奉る。彼の行儀を見るに実に以て爾（しか）なり。飯島の津にて六浦（むつら）の関米（せきまい）を取りては諸国の道を作り、七道に木戸をかまへて人別（にんべつ）の銭を取りては諸河に橋を渡す。慈悲は如来に斉（ひと）しく徳行は先達に越えたり。汝早く生死を離れんと思はゞ、五戒・二百五十戒を持ち慈悲をふかくして物の命を殺さずして、良観上人の如く道を作り橋を渡せ。是第一の法なり。汝持（たも）たんや否や。」

愚人弥（いよいよ）掌を合はせて云はく、
「能（よ）く能く持ち奉らんと思ふ。具（つぶさ）に我が為に是を説き給へ。抑（そもそも）五戒・二百五十戒と云ふ事は我等未だ存知せず。委細に是を示し給へ。」

智人云はく、
「汝は無下に愚かなり。五戒・二百五十戒と云ふ事をば孩児（おさなご）も是をしる。然れども汝が為に之を説かん。五戒とは一には不殺生戒（ふせっしょうかい）、二には不偸盗戒（ふちゅうとうかい）、三には不妄語戒（ふもうごかい）、四には不邪淫戒（ふじゃいんかい）、五には不飲酒戒（ふおんじゅかい）是なり。二百五十戒の事は多き間之を略す。」

其の時に愚人礼拝恭敬（らいはいくぎょう）して云はく、
「我今日より深く此の法を持ち奉るべし。」
爰（ここ）に予が年来（としごろ）の知音（ちいん）、或所に隠居せる居士一人あり。予が愁歎（しゅうたん）を訪（と）はん為に来たれるが、始めには往事渺茫（びょうぼう）として夢に似たる事をかたり、終はりには行く末の冥々として弁へ難き事を談ず。欝（うつ）を散じ思ひをのべて後、予に問うて云はく、
「抑（そもそも）人の世に有る誰か後生を思はざらん。貴辺何（いか）なる仏法をか持ちて出離をねがひ、又亡者の後世をも訪ひ給ふや。」

予答へて云はく、
「一日或（ある）上人来たって我が為に五戒・二百五十戒を授け給へり。実に以て心肝にそ（染）みて貴し。我深く良観上人の如く、及ばぬ身にもわろき道を作り、深き河には橋をわたさんと思へるなり。」

其の時居士示して云はく、
「汝が道心貴きに似て愚かなり。今談ずる処の法は浅ましき小乗の法なり。されば仏は則（すなわ）ち八種の喩（たと）へを設け、文殊は又十七種の差別を宣（の）べたり。或は螢火・日光の喩へを取り、或は水精（すいしょう）・瑠璃（るり）の喩へあり。爰（ここ）を以て三国の人師も其の破文一に非ず。次に行者の尊重の事、必ず人の敬ふに依って法の貴きにあらず。されば仏は依法不依人（えほうふえにん）と定め給へり。我伝へ聞く、上古の持律の聖者の振る舞ひは「殺を言ひ収を言ふには知浄の語有り、行雲廻雪（こううんかいせつ）には死屍（しし）の想ひを作（な）す」と。而るに今の律僧の振る舞ひを見るに、布絹・財宝をたくはえ利銭・借請を業とす。教行既に相違せり。誰か是を信受せん。次に道を作り橋を渡す事、還って人の歎きなり。飯島の津にて六浦（むつら）の関米（せきまい）を取る、諸人の歎き是多し。諸国七道の木戸、是も旅人のわづらひ只此の事に在り、眼前の事なり、汝見ざるや否や。

愚人色を作して云はく、
「汝が智分をもて上人を謗じ奉り、其の法を誹（そし）る事謂（い）はれ無し。知って云ふか、愚にして云ふか、おそろしおそろし。」

其の時居士笑って云はく、
「鳴呼おろかなりおろかなり。彼の宗の僻見（びゃっけん）をあらあら申すべし。抑（そもそも）教に大小有り、宗に権実を分かてり。鹿苑施小（ろくおんせしょう）の昔は化城の戸ぼそに導くといへども、鷲峰（じゅぶ）開顕の莚（むしろ）には其の得益更に之無し。」

其の時愚人茫然（ぼうぜん）として居士に問うて云はく、
「文証現証実に以て然（しか）なり。さて何なる法を持ちてか生死を離れ、速やかに成仏せんや。」

居士示して云はく、
「我在俗の身なれども深く仏道を修行して、幼少より多くの人師の語を聞き、粗（ほぼ）経教をも開き見るに、末代我等が如くなる無悪不造のためには念仏往生の教へにしくはなし。されば慧心僧都（えしんそうず）は「夫（それ）往生極楽の教行は濁世末代の目足（※智目行足　　智（信）→目　　行→足　信行が具足しているたとえ）なり」と云ひ、法然上人は諸経の要文を集めて一向専修の念仏を弘め給ふ。中にも弥陀の本願　（※意訳）は諸仏超過の崇重なり。始め無三悪趣の願より、終はり得三法忍の願に至るまで、いづれも悲願目出（めで）たけれども、第十八の願殊（こと）に我等が為に殊勝なり。又十悪・五逆をもきらはず、一念・多念をもえらばず。されば上一人より下万民に至るまで、此の宗をもてなし給ふ事他に異なり、又往生の人それ幾（いくばく）ぞや。」

其の時愚人の云はく、
「実に小を恥ぢて大を慕ひ、浅きを去（す）てゝ深きに就くは仏教の理のみに非ず、世間にも是（これ）法なり。我早く彼の宗にうつらんと思ふ。委細に彼の旨を語り給へ。彼の仏の悲願の中に五逆・十悪をも簡（えら）ばずと云へる五逆とは何等ぞや、十悪とは如何。」

智人の云はく、
「五逆とは父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、仏身の血を出だし、和合僧を破す、是を五逆と云ふなり。十悪とは身に三、口に四、意に三なり。身に三とは殺・盗・婬、口に四とは妄語・綺語（きご）・悪口・両舌、意に三とは貪（とん）・瞋（じん）・癡、（ち）是を十悪と云ふなり。」

愚人云はく、「我今解しぬ。今日よりは他力往生に憑（たの）みを懸（か）くべきなり。」

爰（ここ）に愚人又云はく、
「以ての外盛（さか）んにいみじき密宗の行人あり。是も予が歎きを訪はんが為に来臨して、始めには狂言・綺語のことはりを示し、終はりには顕密二宗の法門を談じて、予に問うて云はく」、

「抑（そもそも）汝は何なる仏法をか修行し、何なる経論をか読誦し奉るや。」

予答へて云はく、
「我一日或（ある）居士の教へに依って浄土の三部経を読み奉り、西方極楽の教主に憑みを深く懸くるなり。」

行者の云はく、
「仏教に二種有り、一には顕教、二には密教なり。顕教の極理は密教の初門にも及ばずと云云。汝が執心の法を聞けば釈迦の顕教なり、我が所持の法は大日覚王の秘法なり。実に三界の火宅を恐れ、寂光の宝台を願はゞ須（すべから）く顕教をすてゝ密教につくべし。」

愚人驚いて云はく、
「我いまだ顕密二道と云ふ事を聞かず。何なるを顕教と云ひ、何なるを密教と云へるや。」

行者の云はく、
「予は是（これ）頑愚（がんぐ）にして敢へて賢を存ぜず。然りと雖も今一二の文を挙げて汝が矇昧（もうまい）を挑（かか）げん。顕教とは舎利弗等の請ひに依って応身如来の説き給ふ諸経なり。密教とは自受法楽の為に法身大日如来の金剛薩?を所化として説き給ふ処の大日経等の三部なり。」

愚人の云はく、
「実に以て然（しか）なり。先非をひるがへして賢き教へに付き奉らんと思ふなり。」

又爰に萍（うきくさ）のごとく諸州を回り蓬（よもぎ）（※地球上のほとんどの地域で生育可能）のごとく県々（けんけん）に転ずる非人（※遁世の沙門）の、それとも知らず来たり、門（かど）の柱に寄立ちて含笑（ほくそえみ）み語る事なし。あやしみをなして是を問ふに始めには云ふ事なし。後に強（し）ひて問ひを立つる時、彼が云はく、
「月蒼々（そうそう）として風忙々（ぼうぼう）たりと。形質（なりかたち）常に異（こと）に、言語又通ぜず。其の至極を尋ぬれば当世の禅法是なり。」

予彼の人の有り様（よう）を見、其の言語を聞いて仏道の良因を問ふ時、非人の云はく、
「修多羅（しゅたら）の教は月をさす指、教網（きょうもう）（※禅宗では、教相に縛られて本義を見失っていることを、魚が網に掛かって自由を得ないという譬えとして使用する）は是言語にとゞこほる妄事なり。我が心の本分におちつかんと出で立つ法は其の名を禅と云ふなり。」

愚人云はく、
「願はくば我聞かんと思ふ。」

非人云はく、
「実に其の志深くば壁に向かひ坐禅して本心の月を澄ましめよ。爰（ここ）を以て西天には二十八祖系（けい）乱れず、東土には六祖の相伝明白なり。汝是を悟らずして教網にかゝる、不便不便。是心即仏、即心是仏なれば此の身の外に更に何（いず）くにか仏あらんや。」（※心是れ即仏　心即ち是れ仏）

愚人此の語を聞いてつくづくと諸法を観じ、閑（しず）かに義理を案じて云はく、
「仏教万差にして理非明らめ難し。宜（むべ）なるかな、常啼（じょうたい）は東に請（こ）ひ
善財（※華厳経にある菩薩。入法界品　長者の五百童子の一人。誕生時、家中に金・銀・瑠璃・真珠などの宝珠が自然に涌き出た。→善財と名付く。文殊師利菩薩に出会い菩提心を起こし、菩薩行を修めて法を得るために善知識を探し求めた。53の菩薩を訪れ、最後に普賢菩薩に会って、正覚・自在力・転法輪・方便力・妙音声力等を得て悟りに入った）

は南に求め、薬王は臂（ひじ）を焼き楽法（ぎょうぼう※170）は皮を剥（は）ぐ。善知識実に値ひ難し。或は教内と談じ、或は教外と云ふ。此のことはりを思ふに未だ淵底を究めず、法水に臨む者は深淵の思ひを懐き、人師を見る族（やから）は薄氷の心を成せり。爰を以て金言には依法不依人と定め、又爪上（そうじょう）の土の譬へあり。若し仏法の真偽をしる人あらば尋ねて師とすべし、求めて崇（あが）むべし。夫（それ）人界に生を受くるを天上の糸にたとへ、仏法の視聴は浮木の穴に類（たぐい）せり。身を軽くして法を重くすべし」
と思ふに依って衆山に攀（よ）ぢ、歎きに引かれて諸寺を回る。足に任せて一つの厳窟（がんくつ）に至るに、後ろには青山峨々（がが）（※山が高くそびえる様。大きな岩が険しい。いかめしい。美しい）として松風常楽我浄を奏し、前には碧水湯々（へきすいしょうしょう）として岸うつ波四徳波羅蜜を響かす。深谷に開敷（かいふ）せる花も中道実相の色を顕はし、広野に綻（ほころ）ぶる梅も界如三千の薫りを添（そ）ふ。言語道断・心行所滅せり。謂ひつべし商山の四皓（しこう）（※404）の所居（しょご）とも、又知らず古仏経行の迹（あと）なるか。景雲（※慶祝の時にあらわれる雲。太平の世に現れ、瑞相を示すことから瑞雲とも。）朝（あした）に立ち霊光（※霊妙な光。不思議な光）夕（ゆうべ）に現ず。鳴呼（ああ）心を以て計るべからず、詞（ことば）を以て宣ぶべからず。予此の砌に沈吟（ちんぎん※①考え込んで思い沈むこと。②思索しながらかすかに吟ずること）とさまよひ、彷徨（ほうこう）とたちもとを（徘回）り、徙倚（しい※さまよい、たたずむこと）とたゝずむ。此の処に忽然（こつねん）として一（ひとり）の聖人坐（いま）す。其の行儀を拝すれば法華読誦の声深く心肝に染みて、閑窓（かんそう）の戸ぼそ（※扉または戸。入り口。）を伺（うかが）へば玄義の床（ゆか）に臂（ひじ）をくた（腐）す。

爰（ここ）に聖人、予が求法の志を酌み知りて、詞を和らげ予に問うて云はく、
「汝なにゝ依って此の深山の窟（いわや）に至れるや。」

予答へて云はく、
「生をかろくして法をおもくする者なり。」

聖人問うて云はく、
「其の行法如何（いかん）。」

予答へて云はく、
「本より我は俗塵に交はりて未だ出離を弁（わきま）へず。適（たまたま）善知識に値ひて始めには律、次には念仏・真言並びに禅、此等を聞くといへども未だ真偽を弁へず。」

聖人云はく、
「汝が詞を聞くに実に以て然なり。身をかろくして法をおもくするは先聖の教へ、予が存ずるところなり。抑（そもそも）上は非想の雲の上、下は那落の底までも、生をうけて死をまぬか（免）るゝ者やはある。然れば外典のいやしきをし（教）えにも「朝（あした）に紅顔有って世路（せろ）に誇るとも、夕（ゆうべ）には白骨と為（な）って郊原（こうげん）に朽（く）ちぬ」と云へり。雲上に交はりて雲のびんづら（鬢面）あざやかに、雪のたもと（袂）をひるがへすとも、其の楽しみをおもへば夢の中の夢なり。山のふもと、蓬（よもぎ）がもと（下）はつゐ（終）の栖（すみか）なり。玉の台（うてな）・錦の帳（とばり）も後世の道にはなにかせん。
小野小町（おののこまち※平安初期の歌人・美人の代表）・
衣通姫（そとおりひめ※日本書紀・古事記などにある美女。日本書紀→第19代允恭（いんきょう）天皇の皇后の妹・弟姫。古事記→同天皇の皇女・軽大郎女（かるのおおいらつめ。姫があまりに容姿絶妙で比類なく、その美しさが衣を通して輝いていた→衣通姫）
が花の姿も無常の風にちり、
樊・（はんかい※前漢の武将。漢の高祖・劉邦に仕え、漢朝建設を助けた。特に鴻門の会（項羽との戦い）では劉邦の危機を救っている）・
張良（ちょうりょう※漢建国の功臣。韓出身。韓を滅ぼそうとした秦の始皇帝を暗殺計画。失敗。劉邦の挙兵と共に軍師となって活躍。鴻門の会で劉邦を救う。）
が武芸に達せしも獄卒の杖をかなしむ。されば心ありし古人の云はく「あはれなり鳥べの山の夕煙（ゆうけむり）をく（送）る人とてとまるべきかは」「末のつゆ（露）本のしずくや世の中のをく（遅）れさきだつ（先立）ためしなるらん」と。先亡後滅（※亡くなった人を弔う身も、後に我が身に訪れる死を免れることはきない。人生の無常）の理（ことわり）、始めて驚くべきにあらず。願ふても願ふべきは仏道、求めても求むべきは経教なり。抑（そもそも）汝が云ふところの法門をきけば、或は小乗、或は大乗、位の高下は且（しばら）く之を置く、還って悪道の業たるべし。」

爰（ここ）に愚人驚きて云はく、
「如来一代の聖教はいづれも衆生を利せんが為なり。始め七処（しょ）八会（え）の莚（むしろ）より終はり跋提河（ばつだいが）の儀式まで、何れか釈尊の所説ならざる。設（たと）ひ一分の勝劣をば判ずとも、何ぞ悪道の因と云ふべきや。」

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聖人云はく、
「如来一代の聖教に権有り実有り、大有り小有り、又顕密二道相分かち其の品一に非ず。須（すべから）く其の大途を示して汝が迷ひを悟らしめん。

夫（それ）三界の教主釈尊は十九歳にして伽耶城（がやじょう）を出で、檀特山（だんとくせん）に篭（こも）りて難行苦行し、三十成道の刻（きざ）みに三惑頓（とん）に破し、無明の大夜爰（ここ）に明けしかば、須く本願に任せて一乗妙法蓮華経を宣ぶべしといへども、機縁万差にして其の機仏乗に堪へず。

然れば四十余年に所被の機縁を調へて、後八箇年に至って出世の本懐たる妙法蓮華経を説き給へり。
然れば仏の御年七十二歳にして、序分無量義経に説き定めて云はく
「我先に道場菩提樹の下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提（あのくたらさんみゃくさんぼだい）を成ずことを得たり。仏眼を以て一切の諸法を観ずるに宣説すべからず。所以は何（いかん）。諸の衆生の性欲（しょうよく）不同なるを知れり。性欲不同なれば種々に法を説く。種々に法を説くこと方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕はさず」文。

此の文の意は、仏の御年三十にして寂滅道場菩提樹の下に坐して、仏眼を以て一切衆生の心根を御覧ずるに、衆生成仏の直道たる法華経をば説くべからず。
是を以て空拳を挙（あ）げて嬰児をすか（賺）すが如く、様々のたばかりを以て四十余年が間は、いまだ真実を顕はさずと年紀をさして、青天に日輪の出で、暗夜に満月のかゝるが如く説き定めさせ給へり。此の文を見て何ぞ同じ信心を以て、仏の虚事（そらごと）と説かるゝ法華已前の権教に執著して、めずらしからぬ三界の故宅（こたく）に帰るべきや。

されば法華経の一の巻方便品に云はく
「正直に方便を捨てゝ但無上道を説く」文。

此の文の意は前四十二年の経々、汝が語るところの念仏・真言・禅・律を正直に捨てよとなり。
此の文明白なる上、重ねていましめて第二の巻譬喩品（ひゆほん）に云はく
「但楽（ねが）って大乗経典を受持し、乃至余経の一偈をも受けざれ」文。

此の文の意は年紀かれこれ煩（わずら）はし、所詮法華経より自余の経をば一偈をも受くべからずとなり。
然るに八宗の異義蘭菊（らんぎく※物事が群がり乱立する様）に、道俗形（かたち）を異（こと）にすれども、一同に法華経をば崇（あが）むる由を云ふ。
されば此等の文をばいかゞ弁へたる。正直に捨てよと云ひて余経の一偈をも禁（いまし）むるに、或は念仏、或は真言、或は禅、或は律、是余経にあらずや。
今此の妙法蓮華経とは諸仏出世の本意、衆生成仏の直道なり。
されば釈尊は付嘱を宣べ、多宝は証明を遂げ、諸仏は舌相（ぜっそう）を梵天に付けて皆是真実と宣べ給へり。
此の経は一字も諸仏の本懐、一点も多生の助け（※多くの生にわたって助けになること）なり。
一言一語も虚妄（こもう）あるべからず。
此の経の禁（いまし）めを用ひざる者は諸仏の舌をき（切）り賢聖をあざむく人に非ずや。其の罪実に怖（おそ）るべし。
されば二の巻に云はく
「若し人信ぜずして此の経を毀謗（きぼう）せば、則ち一切世間の仏種を断ず」文。

此の文の意は、若し人此の経の一偈一句をも背かん人は、過去・現在・未来三世十方の仏を殺さん罪と定む。
経教の鏡をもて当世にあてみるに、法華経をそむかぬ人は実に以て有りがたし。
事の心を案ずるに不信の人尚無間（むけん）を免（まぬか）れず。
況んや念仏の祖師法然上人は、法華経をもて念仏に対して抛（なげう）てよと云云。
五千七千の経教に何れの処にか法華経を抛てよと云ふ文ありや。
三昧発得（さんまいほっとく※三昧に入って悟りを得ること。発得は智慧を発し悟りを得ること）の行者、生身の弥陀仏とあがむる善導（ぜんどう）和尚、五種の雑行を立てゝ、法華経をば千中無一とて、千人持つとも一人も仏になるべからずと立てたり。
経文には
「若し法を聞くこと有らん者は一（ひとり）として成仏せずということ無し」
と談じて、此の経を聞けば十界の依正皆（みな）仏道を成ずと見えたり。
爰（ここ）を以て五逆の調達（ちょうだつ）は天王如来の記�箸僕宗覆△此砲�蝓�鶸錙覆劼①�五障の竜女も南方に頓覚（とんかく）成道を唱ふ。
況んや復��供�きっこう）の六即を立てゝ機を漏らす事なし。
善導の言と法華経の文と実に以て天地雲泥せり、何れに付くべきや。
就中（なかんずく）其の道理を思ふに、諸仏衆経の怨敵（おんてき）、聖僧衆人の讐敵（しゅうてき）なり。
経文の如くならば、争（いか）でか無間を免るべきや。」

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爰（ここ）に愚人色を作（な）して云はく、
「汝賤しき身を以て恣（ほしいまま）に莠言（ゆうげん※有害な言語。醜悪な言葉。莠（はぐさ）は稷（きび）に似た雑草で実らずに稷を害する。転じて善に似ているが実際には悪いものに例える。）を吐く。悟りて言ふか、迷ふて言ふか、理非弁へ難し。忝（かたじけな）くも善導和尚は弥陀善逝（ぜんぜい）の応化、或は勢至菩薩の化身と云へり。
法然上人も亦然（しか）なり、善導の後身といへり。
上古の先達たる上、行徳秀発し解了（げりょう）底を極めたり。何ぞ悪道に堕ち給ふと云ふや。」

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聖人云はく、
「汝が言（ことば）然なり。
予も仰いで信を取ること此くの如し。
但し仏法は強（あなが）ちに人の貴賤には依るべからず。只経文を先とすべし。
身の賤きをもて其の法を軽んずる事なかれ。
有人楽生悪死（うにんぎょうしょうおし）有人楽死悪生の十二字を唱へし毘摩（びま）大国の狐は帝釈の師と崇められ、諸行無常等の十六字を談ぜし鬼神は雪山童子に貴まる。
是必ず狐と鬼神との貴きに非ず、只法を重んずる故なり。
されば我等が慈父教主釈尊、双林最後の御遺言、涅槃経の第六には依法不依人とて、普賢・文殊等の等覚已還（いげん※以下の意）の大薩・（さった）法門を説き給ふとも、経文を手に把（と）らずば用ゐざれとなり。

天台大師の云はく
「修多羅と合する者は録して之を用ひよ。文無く義無きは信受すべからず」文。
釈の意は経文に明らかならんを用ひよ、文証無からんをば捨てよとなり。

伝教大師の云はく
「仏説に依憑（えひょう）して口伝を信ずること莫（なか）れ」文。
前の釈と同意なり。

竜樹菩薩の云はく
「修多羅に依るは白論なり修多羅に依らざるは黒論なり」文。
意は教の中にも法華已前の権経をすてゝ此の経につけよとなり。

経文にも論文にも法華に対して諸余の経典を捨てよと云ふ事分明なり。

然るに開元の録に挙ぐる所の五千七千の経巻に、法華経を捨てよ乃至抛（なげう）てよと嫌ふことも、又雑行に摂（しょう）して之を捨てよと云ふ経文も全く無し。
されば慥（たし）かの経文を勘へ出だして、善導・法然の無間の苦を救はるべし。

今世の念仏の行者・俗男・俗女、経文に違するのみならず、又師の教へにも背けり。
五種の雑行（ぞうぎょう）とて念仏申さん人のす（捨）つべき日記、善導の釈之（これ）有り。

其の雑行とは選択（せんちゃく）に云はく

「第一に読誦（どくじゅ）雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除きて已外、大小乗顕密の諸経に於て、受持・読誦するを悉（ことごと）く読誦雑行と名づく。
乃至第三に礼拝（らいはい）雑行とは、上の弥陀を礼拝するを除きて已外、一切諸余の仏菩薩等・及び諸の世天に於て礼拝恭敬（くぎょう）するを悉く礼拝雑行と名づく。
第四に称名（しょうみょう）雑行とは、上の弥陀の名号を称するを除きて已外、自余の一切の仏菩薩等・及び諸の世天等の名号を称するを悉く称名雑行と名づく。
第五に賛歎供養（さんだんくよう）雑行とは、上の弥陀仏を除きて已外、一切諸余の仏菩薩等、及び諸の世天等に於て賛歎し供養するを悉く賛歎供養雑行と名づく」文。

此の釈の意は第一の読誦雑行とは、念仏申さん道俗男女、読むべき経あり、読むまじき経ありと定めたり。
読むまじき経は法華経・仁王経・薬師経・大集経・般若心経・転女（てんじょ）成仏経・北斗寿命経、ことさらうち任せて諸人読まるゝ八巻の中の観音経、此等の諸経を一句一偈も読むならば、たとひ念仏を志す行者なりとも、雑行に摂せられて往生すべからずと云云。

予愚眼（ぐげん）を以て世を見るに、設ひ念仏申す人なれども、此の経々を読む人は多く師弟敵対して七逆罪と成りぬ。

又第三の礼拝雑行とは、念仏の行者は弥陀三尊より外は上に挙ぐる所の諸仏・菩薩・諸天善神を礼するをば礼拝雑行と名づけ、又之を禁ず。
然るを日本は神国として伊奘諾（いざなぎ）・伊奘册尊（いざなみのみこと）此の国を作り、天照太神垂迹御坐（いま）して、御裳濯河（みもすそがわ）の流れ久しふして今にたえず、豈（あに）此の国に生を受けて此の邪義を用ゆべきや。又普天（ふてん）の下に生まれて三光の恩を蒙りながら、誠に日月星宿を破する事尤（もっと）も恐れ有り。

又第四の称名雑行とは、念仏申さん人は唱ふべき仏菩薩の名（みな）あり、唱ふまじき仏菩薩の名あり。
唱ふべき仏菩薩の名とは弥陀三尊の名号、唱ふまじき仏菩薩の名号（みょうごう）とは釈迦・薬師・大日等の諸仏、地蔵・普賢（ふげん）・文殊（もんじゅ）・日月星、二所と三島と熊野と羽黒と天照太神と八幡大菩薩と、此等の名を一遍も唱へん人は念仏を十万遍百万遍申したりとも、此の仏菩薩・日月神等の名を唱ふる過（とが）に依って、無間にはお（堕）つとも往生すべからずと云云。
我世間を見るに念仏を申す人も、此等の諸仏・菩薩・諸天善神の名を唱ふる故に、是又師の教へに背けり。

第五の賛歎供養雑行とは、念仏申さん人は供養すべき仏は弥陀（みだ）三尊を供養せん外は、上に挙ぐる所の仏菩薩・諸天善神に香華のすこしをも供養せん人は、念仏の功は貴とけれども、此の過に依って雑行に摂すと是をきらふ。
然るに世をみるに、社壇に詣でては幣帛（へいはく）を捧げ、堂舎に臨（のぞ）みては礼拝を致す、是又師の教へに背けり。
汝若し不審ならば選択（せんちゃく）を見よ、其の文明白なり。

又善導和尚の観念法門経に云はく
▼「酒肉五辛（ごしん）誓って発願して手に（と）捉らざれ、口に喫（か）まざれ、若し此の語に違せば、即ち身口倶（とも）に悪瘡（あくそう）を著けんと願ぜよ」文。此の文の意は念仏申さん男女・尼法師は酒を飲まざれ魚鳥を食はざれ、其の外にら（韮）ひる（薤）等の五つのから（辛）くくさ（臭）き物を食はざれ。是を持たざる念仏者は今生には悪瘡身に出で、後生には無間に堕すべし」と云云。

然るに念仏申す男女・尼法師此の誡めをかへりみず、恣（ほしいまま）に酒をのみ魚鳥を食ふ事、剣を飲む譬へにあらずや。」

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爰（ここ）に愚人云はく、
「誠に是（これ）此の法門を聞くに、念仏の法門実に往生すと雖も其の行儀修行し難し。況んや彼の憑（たの）む所の経論は皆以て権説なり、往生すべからざるの条分明なり。

但（ただ）真言を破する事は其の謂（い）はれ無し。夫（それ）大日経とは大日覚王の秘法なり。大日如来より系も乱れず、善無畏（ぜんむい）・不空（ふくう）之を伝へ、弘法大師は日本に両界の曼荼羅（まんだら）を弘め、尊高三十七尊秘奥（ひおう）なる者なり。然るに顕教の極理は尚密教の初門にも及ばず。爰を以て後唐院（ごとういん）は「法華尚及ばず況んや自余の教をや」と釈し給へり。此の事如何が心うべきや。」

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　聖人示して云はく、
「予も始めは大日に憑（たの）みを懸（か）け、密宗に志を寄す。然れども彼の宗の最底を見るに其の立義（りゅうぎ）も亦謗法（ほうぼう）なり。

汝が云ふ所の高野（こうや）の大師は嵯峨天皇の御宇（ぎょう）の人師なり。然るに皇帝より仏法の浅深（せんじん）を判釈すべき由の宣旨を給ひて、十住心論十巻之を造る。此の書広博なる間、要を取って三巻に之を縮（つづ）め、其の名を秘蔵宝鑰（ひぞうほうやく）と号す。

始め異生羝羊心（いしょうていようしん）より終はり秘密荘厳心（ひみつしょうごん）に至るまで十に分別し、第八法華・第九華厳・第十真言と立てゝ、法華は華厳にも劣れば大日経には三重の劣と判じて「此くの如きの乗々は自乗に仏の名を得れども、後に望めば戯論（けろん）と作る」と書いて、法華経は狂言綺語（きご）と云ひ、釈尊をば無明に迷へる仏と下せり。

仍（よ）って伝法院を建立せし弘法（こうぼう）の弟子正覚房は
「法華経は大日経のはきもの（履物）と（取）りに及ばず、釈迦仏は大日如来の牛飼ひにも足らず」
と書けり。

汝心を静めて聞け、一代五千七千の経教、外典三千余巻にも、法華経は戯論三重の劣、華厳経にも劣り、釈尊は無明に迷へる仏にて、大日如来の牛飼ひにも足らずと云ふ慥（たし）かなる文ありや。設（たと）ひさる文有りと云ふとも能（よ）く能く思案有るべきか。経教は西天より東土に「「さんずい」＋自」（およ）ぼす時、訳者の意楽（いぎょう）に随って経論の文不定なり。

さて後秦の羅什（らじゅぅ）三蔵は、我漢土の仏法を見るに多く梵本に違せり。我が訳する所の経若し誤りなくば、我死して後、身は不浄なれば焼くると云ふとも、舌計（ばか）りは焼けざらんと常に説法し給ひしに、焼き奉る時御身は皆骨となるといへども、御舌計りは青蓮華（しょうれんげ）の上に光明を放って、日輪を映奪（えいだつ）し給ひき、有り難き事なり。さてこそ殊更（ことさら）彼の三蔵所釈の法華経は唐土にやすやすと弘まらせ給ひしか。

然れば延暦寺（えんりゃくじ）の根本大師、諸宗を責め給ひしには、法華を訳する三蔵は舌の焼けざる験（しるし）あり。汝等が依経は皆誤れりと破し給ふは是なり。
涅槃経にも「我が仏法は他国へ移らん時誤り多かるべし」と説き給へば、経文に設ひ法華経はいたずら事、釈尊をば無明に迷へる仏なりとありとも、権教実教・大乗小乗・説時前後、訳者能く能く尋ぬべし。

所謂（いわゆる）老子・孔子は九思一言・三思一言、周公旦は食するに三度吐き、沐（もく）するに三度にぎ（握）る。外典のあさましき猶是くの如し、況んや内典の深義を習はん人をや。其の上此の義経論に迹形（あとかた）もなし。人を毀（そし）り法を謗じては悪道に堕つべしとは弘法大師の釈なり。必ず地獄に堕ちんこと疑ひ無き者なり。」

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爰（ここ）に愚人茫然（ぼうぜん）とほ（恍）れ、忽然（こつねん）となげひて良（やや）久しふして云はく、
「此の大師は内外の明鏡、衆人の導師たり。徳行世に勝れ名誉普く聞こえて、或は唐土より三鈷（さんこ）を八万余里の海上をな（投）ぐるに即ち日本に至り、或は心経の旨をつゞるに蘇生の族（やから）途（みち）に彳（たたず）む。然れば此の人たゞ人にあらず、大聖権化の垂迹（すいじゃく）なり。仰いで信を取らんにはし（如）かじ。」

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聖人云はく、予も始めは然なり。但し仏道に入って理非を勘（かんが）へ見るに、仏法の邪正は必ず得通自在にはよらず、是を以て仏は依法不依人と定め給へり、前に示すが如し。

彼の阿伽陀仙（あかだせん※涅槃経・外道の仙人）は恒河を片耳にた（湛）ゝへて十二年、
耆兎仙（ぎとせん※涅槃経）は一日の中に大海をすひほす（※大地を乾かす）。
張階（ちょうかい）は霧を吐き、欒巴（らんぱ）は雲を吐く。
然れども未だ仏法の是非を知らず、因果の道理をも弁へず。
異朝の法雲法師は講経勤修（ごんしゅ）の砌に須臾（しゅゆ）に天華をふらせしかども、妙楽大師は「感応（かんのう）斯くの若（ごと）きも猶理に称（かな）はず」とて、いまだ仏法をばし（知）らずと破し給ふ。

夫（それ）此の法華経と申すは已今当の三説を嫌ひて、已前の経をば未顕真実と打ち破り、肩を並ぶる経をば今説の文を以てせめ、已後の経をば当説の文を以て破る、実に三説第一の経なり。

第四の巻に云はく
「薬王今汝に告ぐ、我が所説の経典而も此の経の中に於て法華最第一なり」文。

此の文の意は霊山会上（えじょう）に薬王菩薩と申せし菩薩に仏告げて云はく、始め華厳より終はり涅槃経に至るまで無量無辺の経は恒河沙等のごとく数多し。其の中には今の法華経最も第一と説かれたり。然るを弘法大師は一の字を三と読まれたり。

同巻に云はく
「我仏道の為に無量の土に於て始めより今に至るまで広く諸経を説く、而も其の中に於て此の経第一なり」と。

此の文の意は、又釈尊無量の国土にして或は名字を替へ、或は年紀を不同になし、種々の形を現じて説く所の諸経の中には、此の法華経を第一と定められたり。

同じき第五巻には「最在其上（さいざいごじょう）」と宣べて、大日経・金剛頂経等の無量の経の頂に、此の経は有るべしと説かれたるを、弘法大師は「最在其下」と謂（い）へり。

釈尊と弘法と、法華経と宝鑰（ほうやく）とは実に以て相違せり。
釈尊を捨て奉りて弘法に付くべきか、又弘法を捨てゝ釈尊に付き奉るべきか、又経文に背いて人師の言に随ふべきか、人師の言を捨てゝ金言を仰ぐべきか、用捨心に有るべし。

又第七の巻薬王品に十喩を挙げて教を歎ずるに第一は水の譬へなり。
江河を諸経に譬へ、大海を法華に譬へたり。
然るを大日経は勝れたり、法華は劣れりと云ふ人は、即ち大海は小河よりもすくなしと云はん人なり。然るに今の世の人は海の諸河に勝る事をば知るといへども、法華経の第一なる事をば弁（わきま）へず。

第二は山の譬へなり。
衆山を諸経に譬へ須弥山（しゅみせん）を法華に譬へたり。須弥山は上下十六万八千由旬（ゆじゅん）の山なり。何れの山か肩を並ぶべき。
法華経を大日経に劣ると云ふ人は、富士山は須弥山より大なりと云はん人なり。

第三は星月の譬へなり。
諸経を星に譬へ法華経を月に譬ふ。月と星とは何れ勝（まさ）りたりと思へるや。

乃至次下（つぎしも）には
「此の経も亦復（またまた）是くの如し、一切の如来の所説、若しは菩薩の所説、若しは声聞の所説、諸の経法の中に最も為（こ）れ第一」

とて、此の法華経は只釈尊一代の第一と説き給ふのみにあらず、大日及び薬師・阿弥陀等の諸仏、普賢（ふげん）・文殊（もんじゅ）等の菩薩の一切の所説諸経の中に此の法華経第一と説けり。

されば若し此の経に勝れたりと云ふ経有らば、外道天魔の説と知るべきなり。

其の上大日如来と云ふは久遠実成の教主釈尊、四十二年和光同塵（わこうどうじん）して其の機に応ずる時、三身即一の如来暫（しばら）く毘盧遮那（るびしゃな）と示せり。
是の故に開顕実相の前には釈迦の応化と見えたり。
爰（ここ）を以て普賢経には
「釈迦牟尼仏を毘盧遮那（びるしゃな）遍一切処（へんいっさいしょ）と名づけ、其の仏の住処を常寂光と名づく」
と説けり。
今法華経は十界互具・一念三千・三諦即是・四土不二と談ず。

其の上に一代聖教の骨髄たる二乗作仏・久遠実成は今経に限れり。

汝語る所の大日経・金剛頂経等の三部の秘経に此等の大事ありや。
善無畏（ぜんむい）・不空（ふくう）等此等の大事の法門を盗み取って、己（おの）が経の眼目とせり。
本経本論には迹形（あとかた）もなき誑惑（おうわく）なり。
急ぎ急ぎ是を改むべし。
抑（そもそも）も大日経とは四教含蔵（がんぞう）して尽形寿戒（じんぎょうじゅかい）等を明かせり。
唐土の人師は天台所立の第三時方等部の経なりと定めたる権教なり。
あさましあさまし。
汝実に道心あらば急いで先非を悔ゆべし。
夫以（おもん）みれば、此の妙法蓮華経は一代の観門を一念にす（統）べ、十界の依正を三千につ（縮）ゞめたり。