●死身弘法

▲法華経の行者は如説修行せば、必ず一生の中に一人も残らず成仏すべし。一念三千法門   正嘉二年  三七歳 110

▲日蓮此の業障をけしはてゝ未来は霊山浄土にまゐ(詣)るべしとおもへば、種々の大難雨のごとくふり、雲のごとくにわき候へども、法華経の御故なれば苦をも苦とおもはず。(四条金吾殿御書   文永八年七月一二日  五〇歳 470

▲御歎きはさる事に候へども、「これには一定(いちじょう)」と本よりご(期)して候へばなげ(歎)かず候。
いまゝで頚の切れぬこそ本意なく候へ。
法華経の御ゆへに過去に頚をうしな(失)ひたらば、かゝる少身のみ(身)にて候べきか。
度々失(とが)にあたりて重罪をけ(消)してこそ仏にもなり候はんずれば、我と苦行をいたす事は心ゆへなり。
上のせめさせ給ふこそ、法華経を信じたる色もあらわれ候へ。
此も罰あり必ず徳あるべし。(土木殿御返事   文永八年九月一五日  五〇歳

▲仏になる道は、必ず身命をす(捨)つるほどの事ありてこそ、仏にはな(成)り候らめと、をしはか(推量)らる。(佐渡御勘気抄 文永八年一〇月初旬  五〇歳 482

▲我等過去現在未来の三世の間に仏に成らずして六道の苦を受くるは偏に法華経誹謗(ひぼう)の罪なるべし。
女人と生まれて百悪身に備ふるも、根本此の経誹謗の罪より起これり。
此の経に値ひ奉らむ女人は皮をはいで紙と為し、血を切りてすみ(墨)とし、骨を折りて筆とし、血のなんだ(涙)を硯の水としてか(書)きたてまつ(奉)るともあくご(飽期)あるべからず。何に况んや衣服・金銀・牛馬・田畠等の布施(ふせ)を以て供養せむはもの(物)のかず(数)にてかずならず。(善無畏抄   文永八年  五〇歳 509

▲詮(せん)ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期(ご)とせん。572

▲我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然(じねん)に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教へしかども、疑ひををこして皆すてけん。つたな(拙)き者のならひは、約束せし事を、まことの時はわするゝなるべし。574

▲ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給ふべし。(諸法実相抄 文永一〇年五月一七日  五二歳 667

▲日蓮は日本第一の僻人(びゃくにん)なり。其の故は皆人の父母よりもたかく、主君よりも大事におもはれ候ところの「阿弥陀仏・大日如来・薬師等を御信用ある故に、三災七難先代にこえ、天変地夭(ちよう)等昔にもすぎたり」と申す故に、「結句は今生には身をほろぼし、国をそこなひ、後生には大阿鼻(あび)地獄に堕ち給ふべし」と、一日片時もたゆむ事なくよばわりし故にかヽる大難にあへり。(弥源太殿御返事 文永一一年二月二一日  五三歳 722

▲されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もを(惜)しまず修行して、此の度仏法を心みよ。撰時抄 建治元年六月一〇日  五四歳 871

▲今度(このたび)法華経の為に身を捨て命をも奪はれたらば、無量無数劫(むしゅこう)の間の思ひ出なるべしと思ひ切り給ふべし。(大井荘司入道御書  建治二年二月  五五歳 953

▲此の法門のゆへ(故)には設(たと)ひ夫に害せらるヽとも悔ゆる事なかれ。987

●真実報恩の者
仏法を習ひ極めんとをも(思)わば、いとまあらずば叶ふべからず。いとまあらんとをもわば、父母・師匠・国主等に随ひては叶ふべからず。是非につけて出離(しゅつり)の道をわきまへざらんほどは、父母・師匠等の心に随ふべからず。この義は諸人をも(思)わく、「顕(けん)にもはづれ冥(みょう)にも叶ふまじ」とをもう。しかれども、外典の孝経にも父母・主君に随わずして、忠臣・孝人なるやうもみえたり。内典の仏経に云はく「恩を棄(す)て無為(むい)に入るは真実報恩の者なり」等云云。 (報恩抄  建治二年七月二一日  五五歳 999

▲誠に我が身貧(ひん)にして布施すべき宝なくば、我が身命を捨て仏法を得べき便りあらば、身命を捨てヽ仏法を学すべし。松野殿御返事  建治二年一二月九日  五五歳 1051

▲各々(おのおの)我が弟子となのらん人々は一人もをく(臆)しをもはるべからず。をや(親)ををもひ、めこ(妻子)ををもひ、所領をかへりみることなかれ。無量劫(むりょうこう)よりこのかた、をやこ(親子)のため、所領のために、命をすてたる事は大地微塵よりもをほし。法華経のゆへにはいまだ一度もすてず。法華経をばそこばく行ぜしかども、かヽる事出来せしかば退転してやみにき。譬へばゆ(湯)をわかして水に入れ、火を切るにと(遂)げざるがごとし。各々思ひ切り給へ。此の身を法華経にかうるは石に金をかへ、糞に米をか(替)うるなり。1056

▲さいはひなるかな、法華経のために身をすてん事よ。くさ(臭)きかうべ(頭)をはなたれば、沙(いさご)に金(こがね)をかへ、石に珠(たま)をあきな(貿)へるがごとし。1058

▲此より後もいかなる事ありとも、すこしもたゆ(弛)む事なかれ。いよいよはりあげてせ(責)むべし。たとい命に及ぶとも、すこしもひる(怯)む事なかれ。(兵衛志殿御返事  建治三年八月二一日  五六歳 1166

▲日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ。(四菩薩造立抄    弘安二年五月一七日  五八歳 1370

▲かゝる者の弟子檀那とならん人々は宿縁ふか(深)しと思ひて、日蓮と同じく法華経を弘むべきなり。(寂日房御書    弘安二年九月一六日  五八歳 1394

▲同じはぢ(恥)なれども今生のはぢ(恥)はものゝかずならず。たゞ後生のはぢ(恥)こそ大切なれ。1394

▲彼のあつわら(熱原)の愚癡の者どもい(言)ゐはげ(励)ましてを(堕)とす事なかれ。彼等には、たゞ一えん(円)にをも(思)い切れ、よからんは不思議、わるからんは一定とをも(思)へ。ひだる(饑)しとをも(思)わば餓鬼道ををし(教)へよ。さむ(寒)しといわば八かん(寒)地獄ををし(教)へよ。をそ(恐)ろしゝといわばたか(鷹)にあへるきじ(雉)、ねこ(猫)にあへるねずみ(鼠)を他人とをも(思)う事なかれ。1398

▲とにかくに死は一定なり。其の時のなげ(歎)きはたうじ(当時)のごとし。をなじくはかり(仮)にも法華経のゆへに命をすてよ。 (上野殿御返事    弘安二年一一月六日  五八歳 1428